朝8時を過ぎたら、急に雨が降り出した。しかも、雨脚も次第に強くなってくる。天気予報が的中した。
今日は、アカイヌ王国のお二人と、東金の八鶴湖にお花見に行く予定だった。昨夜の天気予報では荒れ模様になるということだったので、今朝、お天気の状態を確かめてから結論を出し、8時半から9時の間に連絡してくれることになっていた。それで、どうなったかというと、まあ順当な判断で花見は見合わせることになった。
しかし私たち夫婦は、下見という目的があるので行かなければならない。来週、お世話になった方の奥方を、父親の歌碑までご案内する予定なので、「東金桜まつり」の期間中の交通事情などを下調べする必要がある。
とはいうものの、重く垂れ込こめた雨雲から降り続ける雨を眺めていると、だんだん心が揺らいでくる。予定では9時頃出かけることにしていたが、グズグズしているうちに9時はとっくに過ぎてしまっていた。
雨が強く降り続けば、迷う気持ちを振り払うこともできる。雨の状態はどうなっているだろうと外を見やれば、おどろくことにもう雨はほとんど降っていなかった。強く降ったのは、わずか30分ほどだった。雲が切れて、青空さえ顔をのぞかせた。それを見て出かける決心がついた。
また気まぐれなお天気に、意地悪されてしまった。急激な変化で予定を狂わされたのは、これで3回目になる。1回目は、八ヶ岳から東京に向かう中央高速を走行中、激しい落雷と豪雨に襲われたときのことである。運転するのも危険な状態にまでなったので、パーキングエリアで嵐が過ぎ去るのを待った。この時、アカイヌ王国のお二人が同乗していた。
二回目は、ロッテを応援するためマリンスタジアムに向かう途中、やはり局所的な雷雨と豪雨に見舞われた。幕張メッセの駐車場に車を入れ、嵐がおさまるのを待った。この時も、アカイヌ王国のお二人が一緒だった。
そして3回目が今日、行くかどうかを決めるとき、ちょうどその時を狙って雨が激しく降った。このように3回とも、アカイヌ王国ご夫妻が関わっていた。これは偶然の一致だろうか。なんとも不思議なことである。
さて、八鶴湖にお昼頃着いたときは、快晴であった。風もなく、おだやかなお花見日和りとなっていた。陽のあたるところの桜は、すでに満開に近い状態であったが、まだ2〜3分咲きの桜も多かった。明日の土曜、そして日曜はかなりの人出があるに違いない。
今日確かめておきたいことの一つが、駐車場の様子であったが、最福寺横の駐車場は満車だった。本漸寺前の道路脇に駐車スペースを見つけて、やっと止めることができた。土曜・日曜は、湖畔には駐車できないようだ。
昼食は、「蕎麦口福 東京庵」でとった。このそば屋さんは、明治中期の創業らしい。時間は1時を過ぎていたが、満席だったので少し待たされた。だし巻き卵・そば豆腐・天ぷらなどがセットになったものと、もりそばを二人で注文した。
しばらくしてセットものが、一人分運ばれてきた。
「同じ料理は、一緒に作って持ってくるのが普通だよね」
と疑問に感じながらも、だし巻き卵を二人で分け合った食べてた。
「一つ注文したことになっているのかな」
と話しているうちに、天ぷらが運ばれてきた。天つゆが二つあった。
「天つゆが二つきたから、注文はちゃんと通っているようだね」
と言いつつ、私がパクパクと全部平らげたころに、もりそばがやってきた。
いくら何でもこれはおかしいと思い、
「このセット、あと一つきてないんですが」
店の人は何も言わずに、そそくさと立ち去った。
もりそばは、確かにおいしかった、と思う。よく食通と言われる人が、そばをほめてコシがあると言うが、コシがあるとはこのようなそばのことを言うのだろうな、と思わせるものだった。
もりそばを食べおわり、「これじゃ料理の順序が逆じゃないか」といささかむっとしているときに、調理師さんがセットものを盆にのせて運んできた。
「申し訳ありませんでした」
「どうして、同じものなのに、こんなに時間がずれてしまうんですか」
「ご注文を間違って受けてしまいました、こちらはサービスさせていただきます」
災い転じて福となると言いたいところではあるが、やはり後味の悪さは残ってしまった。
歌碑の周囲は、前回と同じような状態だった。夫人と二人で、太さ10センチ以上、長さ10メートル以上の竹を、5・6本、歌碑の後ろの斜面から引きずり下ろした。まだ残っているものがあるが、それはノコギリで切らないと取り除くことはできない。
駅近くの「湖月堂」で、お土産としてゆず最中・羊かんなどを求めた。夫人が簡単な包装でいいと言うのに、時間をかけて丁寧に時間をかけて包んでくれた。初めのうちは、待っている時間が長く感じられたが、ゆったりと時間が流れる店内に身を置いていると、次第に心を締めつけていたものが少しずつほぐれていくように感じられてきて、東金の時間に身を委ねるのもいいものだと思い始めていた。
2007年03月29日
リコール
昨日H自動車からリコールの知らせが書留で届いた。わざわざ書留で届いたので、重要な知らせだろうという予想はついたが、はたしてそうだった。
不具合の箇所は、フューエルポンプリレーという電気装置ということだった。届いた書類にいろいろと詳しい説明が載っていたが、要はそのまま放置すると、配線が断線してエンジンが止まってしまうというものだった。
走行中にエンジンが停止してしまうことは、過去に一度経験していた。その時の車はM自動車製だった。近くの小学校で投票をしたあと、家族全員が乗車して発進させた直後、突然エンジンが停止してしまった。ハンドルを切ることもできない、ブレーキもきかない。ハンドルは空回りするだけだったが、何回か左にまわしたところ、かろうじて少し左側に曲がった。発進した直後だったのが幸いした。車はそのまま徐々に左に進路を変えながら速度をゆるめ、やっとのことで路肩に停車した。
家から一番近いM自動車の営業所に車をあずけ、点検してもらったところ、何日かしてから連絡があり、コンピュータに不具合があったということだった。大きな事故を招くおそれがある重大な欠陥だったが、そのあとリコールがあったとは聞いていない。その後何年かして、M自動車の欠陥隠しが大きな問題にはなったが、近頃はそれも次第に世間の記憶から遠のいているようである。しかし私は忘れようにも忘れることができない。
こういう怖ろしい体験をしたことがあるので、エンジン停止のおそれがもあるということであれば、すぐに点検してもらわなければならない。明日は、東金に行く予定もあるので、なおさらのことである。午前中に予約の電話を入れ、午後2時半頃点検に行くことにした。
点検してもらったところ、私の車に使われていたのは、不具合の発生するおそれのある部品ではなかった。整備の人に聞いたところ、フューエルポンプリレーという部品は、二つの部品メーカーが納入しているそうである。そのうちの一つのメーカーのものが、不良品だったということだ。だからたまたまそのメーカー製の部品を使った車は、最悪エンジン停止のおそれがあったということになる。それを聞いて、
「運・不運があるんですね」
といったところ、整備の人は身をかがめて恐縮していた。
不具合の箇所は、フューエルポンプリレーという電気装置ということだった。届いた書類にいろいろと詳しい説明が載っていたが、要はそのまま放置すると、配線が断線してエンジンが止まってしまうというものだった。
走行中にエンジンが停止してしまうことは、過去に一度経験していた。その時の車はM自動車製だった。近くの小学校で投票をしたあと、家族全員が乗車して発進させた直後、突然エンジンが停止してしまった。ハンドルを切ることもできない、ブレーキもきかない。ハンドルは空回りするだけだったが、何回か左にまわしたところ、かろうじて少し左側に曲がった。発進した直後だったのが幸いした。車はそのまま徐々に左に進路を変えながら速度をゆるめ、やっとのことで路肩に停車した。
家から一番近いM自動車の営業所に車をあずけ、点検してもらったところ、何日かしてから連絡があり、コンピュータに不具合があったということだった。大きな事故を招くおそれがある重大な欠陥だったが、そのあとリコールがあったとは聞いていない。その後何年かして、M自動車の欠陥隠しが大きな問題にはなったが、近頃はそれも次第に世間の記憶から遠のいているようである。しかし私は忘れようにも忘れることができない。
こういう怖ろしい体験をしたことがあるので、エンジン停止のおそれがもあるということであれば、すぐに点検してもらわなければならない。明日は、東金に行く予定もあるので、なおさらのことである。午前中に予約の電話を入れ、午後2時半頃点検に行くことにした。
点検してもらったところ、私の車に使われていたのは、不具合の発生するおそれのある部品ではなかった。整備の人に聞いたところ、フューエルポンプリレーという部品は、二つの部品メーカーが納入しているそうである。そのうちの一つのメーカーのものが、不良品だったということだ。だからたまたまそのメーカー製の部品を使った車は、最悪エンジン停止のおそれがあったということになる。それを聞いて、
「運・不運があるんですね」
といったところ、整備の人は身をかがめて恐縮していた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月28日
嘱託職員委嘱契約の締結
久しぶりで出勤した。勤め先は、すでに春季休業に入っているので、特に決められた出勤時間はない。家を8時半過ぎに出て、途中京葉道路が混んでいたので、着いたのは10時を過ぎていた。
今日主にしたことは、やはり片付け、まだまだ書類の山が残っている。今まで仕事で使っていたパソコンは、後任の人が使うことになっているので、貸出し用のノートパソコンを使うことにした。そのためには、ネットワークの設定変更をしなければならない。
ネットワークの設定変更などすぐにできるだろうと思っていたが、意外と時間がかかってしまった。IPアドレス・DNSサーバーのアドレス設定などをして再起動したが、設定が元に戻ってしまっていた。それもそのはずで、環境復元ソフトウェア「Neo Reborn」を使っていた。「Neo Reborn」を解除して、再度ネットワークの設定を行った。
プリンターは、プリントサーバ経由で利用するので、プリントサーバのIPアドレスを指定しなければならない。さて、アドレスの一覧表はどこにある、それをさがすためにまた時間を費やした。
こんなふうに効率の悪いことばかりしているから、時間だけが無駄に過ぎていき、ノートパソコンが使えるようになったのは、午後1時を回っていた。今日出勤した目的は、ノートパソコンの設定をするためではなく、契約書を取り交わすことだった。
4月から週二回、今までの職場で引き続き働くことになったので、それに関わる契約書を2通作成し、一通は私が受け取り、一通は勤務先が保管することになる。契約期間は、平成19年4月1日から平成20年3月31日まで、勤務日は週二日、時間は午前中、身分は嘱託職員ということになる。続きを読む
今日主にしたことは、やはり片付け、まだまだ書類の山が残っている。今まで仕事で使っていたパソコンは、後任の人が使うことになっているので、貸出し用のノートパソコンを使うことにした。そのためには、ネットワークの設定変更をしなければならない。
ネットワークの設定変更などすぐにできるだろうと思っていたが、意外と時間がかかってしまった。IPアドレス・DNSサーバーのアドレス設定などをして再起動したが、設定が元に戻ってしまっていた。それもそのはずで、環境復元ソフトウェア「Neo Reborn」を使っていた。「Neo Reborn」を解除して、再度ネットワークの設定を行った。
プリンターは、プリントサーバ経由で利用するので、プリントサーバのIPアドレスを指定しなければならない。さて、アドレスの一覧表はどこにある、それをさがすためにまた時間を費やした。
こんなふうに効率の悪いことばかりしているから、時間だけが無駄に過ぎていき、ノートパソコンが使えるようになったのは、午後1時を回っていた。今日出勤した目的は、ノートパソコンの設定をするためではなく、契約書を取り交わすことだった。
4月から週二回、今までの職場で引き続き働くことになったので、それに関わる契約書を2通作成し、一通は私が受け取り、一通は勤務先が保管することになる。契約期間は、平成19年4月1日から平成20年3月31日まで、勤務日は週二日、時間は午前中、身分は嘱託職員ということになる。続きを読む
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嘱託職員委嘱契約の締結
久しぶりで出勤した。勤め先は、すでに春季休業に入っているので、特に決められた出勤時間はない。家を8時半過ぎに出て、途中京葉道路が混んでいたので、着いたのは10時を過ぎていた。
今日主にしたことは、やはり片付け、まだまだ書類の山が残っている。今まで仕事で使っていたパソコンは、後任の人が使うことになっているので、貸出し用のノートパソコンを使うことにした。そのためには、ネットワークの設定変更をしなければならない。
ネットワークの設定変更などすぐにできるだろうと思っていたが、意外と時間がかかってしまった。IPアドレス・DNSサーバーのアドレス設定などをして再起動したが、設定が元に戻ってしまっていた。それもそのはずで、環境復元ソフトウェア「Neo Reborn」を使っていた。「Neo Reborn」を解除して、再度ネットワークの設定を行った。
プリンターは、プリントサーバ経由で利用するので、プリントサーバのIPアドレスを指定しなければならない。さて、アドレスの一覧表はどこにある、それをさがすためにまた時間を費やした。
こんなふうに効率の悪いことばかりしているから、時間だけが無駄に過ぎていき、ノートパソコンが使えるようになったのは、午後1時を回っていた。今日出勤した目的は、ノートパソコンの設定をするためではなく、契約書を取り交わすことだった。
4月から週二回、今までの職場で引き続き働くことになったので、それに関わる契約書を2通作成し、一通は私が受け取り、一通は勤務先が保管することになる。契約期間は、平成19年4月1日から平成20年3月31日まで、勤務日は週二日、時間は午前中、身分は嘱託職員ということになる。
今日主にしたことは、やはり片付け、まだまだ書類の山が残っている。今まで仕事で使っていたパソコンは、後任の人が使うことになっているので、貸出し用のノートパソコンを使うことにした。そのためには、ネットワークの設定変更をしなければならない。
ネットワークの設定変更などすぐにできるだろうと思っていたが、意外と時間がかかってしまった。IPアドレス・DNSサーバーのアドレス設定などをして再起動したが、設定が元に戻ってしまっていた。それもそのはずで、環境復元ソフトウェア「Neo Reborn」を使っていた。「Neo Reborn」を解除して、再度ネットワークの設定を行った。
プリンターは、プリントサーバ経由で利用するので、プリントサーバのIPアドレスを指定しなければならない。さて、アドレスの一覧表はどこにある、それをさがすためにまた時間を費やした。
こんなふうに効率の悪いことばかりしているから、時間だけが無駄に過ぎていき、ノートパソコンが使えるようになったのは、午後1時を回っていた。今日出勤した目的は、ノートパソコンの設定をするためではなく、契約書を取り交わすことだった。
4月から週二回、今までの職場で引き続き働くことになったので、それに関わる契約書を2通作成し、一通は私が受け取り、一通は勤務先が保管することになる。契約期間は、平成19年4月1日から平成20年3月31日まで、勤務日は週二日、時間は午前中、身分は嘱託職員ということになる。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月27日
勤めの後遺症
あれやこれやと思いつくままに、気が向くままに物事に処していると、一日何もせずに過ごしてしまったような感じがする。
勤めていたときには、その日のうちに必ず仕上げなければならない仕事があれば、それを仕遂げるために全力を尽くす。そのようにして終わらせた仕事は、一日が終わったころになっても、仕事ををしたんだということを体が記憶している。
いまのところは、時間に追われて仕事をしなくてもよいことにまだ慣れていないことで、一日が終わるころに何となく物足りなさを感じるが、そのように感じてしまうということは、勤めていたことが招いた後遺症というものだろう。そのリハビリをするのに、どの位の期間を要するのだろうか。
今日したことを列挙すれば、多少なりともその空白感を埋められるかもしれない。
☆「O−remo」の試用
夫人のノートパソコンを操作される側にして、遠隔操作を試してみた。講習会では1回目で成功したのに、じっくり考えてみれば当たり前のことだが、操作する側とされる側が同じIDを使わなければならないことに気がつかず、すこし手こずってしまった。CAIというよりも、「リモートデスクトップ接続」に似ていると言った方がいいようだ。
☆「skype」の利用
昨日から使い始めた「skype」に使い慣れるため、また使ってみた。夜、NHK教育テレビの「中高年のためのパソコン講座」でも、この「skype」を取り上げていた。時間的な制約があるから仕方がないのだろうが、Webカメラ用ソフトウェアの説明は省略してしまっていた。パソコンのほかの楽しみ方も紹介していたが、無料通信ソフトの話題だけに絞った方がよかった。
☆東金「さくら祭り」の情報収集
今日から4月8日まで、八鶴湖でさくら祭りが行われる。その間は、周辺で交通が規制されるということらしい。今週中に一度に出かけてみる予定なので、駐車場に入れるかどうかを確認するため、東金市の観光協会に電話したところ、平日は利用できるということだった。八鶴亭で昼食をとろうと思ったが、夜アカイヌ王国からの電話で、そこのメニューは洋食だけらしいということであったので、再考することになるかもしれない。
勤めていたときには、その日のうちに必ず仕上げなければならない仕事があれば、それを仕遂げるために全力を尽くす。そのようにして終わらせた仕事は、一日が終わったころになっても、仕事ををしたんだということを体が記憶している。
いまのところは、時間に追われて仕事をしなくてもよいことにまだ慣れていないことで、一日が終わるころに何となく物足りなさを感じるが、そのように感じてしまうということは、勤めていたことが招いた後遺症というものだろう。そのリハビリをするのに、どの位の期間を要するのだろうか。
今日したことを列挙すれば、多少なりともその空白感を埋められるかもしれない。
☆「O−remo」の試用
夫人のノートパソコンを操作される側にして、遠隔操作を試してみた。講習会では1回目で成功したのに、じっくり考えてみれば当たり前のことだが、操作する側とされる側が同じIDを使わなければならないことに気がつかず、すこし手こずってしまった。CAIというよりも、「リモートデスクトップ接続」に似ていると言った方がいいようだ。
☆「skype」の利用
昨日から使い始めた「skype」に使い慣れるため、また使ってみた。夜、NHK教育テレビの「中高年のためのパソコン講座」でも、この「skype」を取り上げていた。時間的な制約があるから仕方がないのだろうが、Webカメラ用ソフトウェアの説明は省略してしまっていた。パソコンのほかの楽しみ方も紹介していたが、無料通信ソフトの話題だけに絞った方がよかった。
☆東金「さくら祭り」の情報収集
今日から4月8日まで、八鶴湖でさくら祭りが行われる。その間は、周辺で交通が規制されるということらしい。今週中に一度に出かけてみる予定なので、駐車場に入れるかどうかを確認するため、東金市の観光協会に電話したところ、平日は利用できるということだった。八鶴亭で昼食をとろうと思ったが、夜アカイヌ王国からの電話で、そこのメニューは洋食だけらしいということであったので、再考することになるかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月26日
葬儀
昨日は、叔母の葬儀のため、甲府に行ってきた。身延線南甲府駅の葬儀場で、1時半から行われた。京成線で日暮里まで行き、JR山手線内回りで新宿まで行く。家を出たとき、雨は小ぶりだったが、新宿は土砂降りだった。
中央本線のホーム5・6番線は、いかにも遠い。10時過ぎには新宿駅に着いたのだが、自由席はホームの西の端の方だったこともあって、前日わざわざ教えたくれたアカイヌ王国からの情報通り、たどり着くまでかなり時間がかかった。
10時30分発のあずさ13号の乗客は、車両の半数程度だった。それでも立川駅、八王子駅に停車後は、7・8割の乗車率になった。
甲府へ行くときは車を利用することが多いので、電車を利用するのは久しぶりになる。車だと、首都高で渋滞に巻き込まれ、八王子手前あたりでまた渋滞、さらに談合坂あたりで渋滞となることが多い。電車では、もちろん渋滞などない。車窓に流れる風景をノンビリ眺めることもできる。眠くなれば、我慢などすることもなく、眠ってしまえばよい。列車の旅もいいものだ。
甲府は小雨だった。武田信玄公の銅像を見ようと思って駅前のロータリーに行ってみたが、広場の真ん中に銅像がない。あの大きな信玄公の銅像がなくなっている。まさか撤去されてしまったわけではないだろう、と思って探してみたところ、広場の西の端に移されていた。
次の身延線の電車は、41分待たなければならない。その間に昼食をとろうと思っていたが、あずさの車内でサンドイッチをたべたので、あまり空腹感は感じられない。そこで時間つぶしのため、駅ビルの本屋さん「改造社書店」に行ってみた。
山梨県関係の書籍コーナーに、「山梨の歌人たち」(中沢玉恵、山梨日日新聞社)という新書版の本があった。伊藤生更は載っているのだろうかと思い、手にとって目次を見ると、予想に違わず12名の歌人の中に入っていた。
さっそく購入して、帰りの車内で読んだ。経歴を説明している部分を以下に引用する。
『生更は、明治十七年(1884)、北巨摩郡穴山村(現韮崎市)に伊藤友重の長男基胤として生まれた。山梨師範学校卒業後、穴山小学校、師範付属小学校に勤務。その後甲府市に移り、大正二年には山城小学校校長となる。時に数え年三十。
……
またその間、父友重の死を乗り越えて結婚、長男健一、長女千代子、次女ふじ子が誕生し、公私共に大きな出来事が数年間を彩った。』
「長女千代子」が私の母親、「次女ふじ子」はまだ健在であるが、高齢のため葬儀には息子二人が参列した。
『ところが、好事魔多しのたとえのごとく、数え年三十七でチフスに罹患、生死の境をさまよう。そのためにいったん視学を辞し、穴山村での農事に携わるが、大正十二年には師範学校の嘱託として教壇に戻った。その前年、次男基も誕生している。』
今回の葬儀は、次男基の夫人を弔うものだった。子どものころ、夏休みに帰省したときお世話になった。はりのある透きとおった声が思い起こされてくる。
生更に関する記述は、このあと齋藤茂吉への師事、主催した歌誌「美知思波」へと続くのだが、引用が長くなるので以上でとめておくことにする。
中央本線のホーム5・6番線は、いかにも遠い。10時過ぎには新宿駅に着いたのだが、自由席はホームの西の端の方だったこともあって、前日わざわざ教えたくれたアカイヌ王国からの情報通り、たどり着くまでかなり時間がかかった。
10時30分発のあずさ13号の乗客は、車両の半数程度だった。それでも立川駅、八王子駅に停車後は、7・8割の乗車率になった。
甲府へ行くときは車を利用することが多いので、電車を利用するのは久しぶりになる。車だと、首都高で渋滞に巻き込まれ、八王子手前あたりでまた渋滞、さらに談合坂あたりで渋滞となることが多い。電車では、もちろん渋滞などない。車窓に流れる風景をノンビリ眺めることもできる。眠くなれば、我慢などすることもなく、眠ってしまえばよい。列車の旅もいいものだ。
甲府は小雨だった。武田信玄公の銅像を見ようと思って駅前のロータリーに行ってみたが、広場の真ん中に銅像がない。あの大きな信玄公の銅像がなくなっている。まさか撤去されてしまったわけではないだろう、と思って探してみたところ、広場の西の端に移されていた。
次の身延線の電車は、41分待たなければならない。その間に昼食をとろうと思っていたが、あずさの車内でサンドイッチをたべたので、あまり空腹感は感じられない。そこで時間つぶしのため、駅ビルの本屋さん「改造社書店」に行ってみた。
山梨県関係の書籍コーナーに、「山梨の歌人たち」(中沢玉恵、山梨日日新聞社)という新書版の本があった。伊藤生更は載っているのだろうかと思い、手にとって目次を見ると、予想に違わず12名の歌人の中に入っていた。
さっそく購入して、帰りの車内で読んだ。経歴を説明している部分を以下に引用する。
『生更は、明治十七年(1884)、北巨摩郡穴山村(現韮崎市)に伊藤友重の長男基胤として生まれた。山梨師範学校卒業後、穴山小学校、師範付属小学校に勤務。その後甲府市に移り、大正二年には山城小学校校長となる。時に数え年三十。
……
またその間、父友重の死を乗り越えて結婚、長男健一、長女千代子、次女ふじ子が誕生し、公私共に大きな出来事が数年間を彩った。』
「長女千代子」が私の母親、「次女ふじ子」はまだ健在であるが、高齢のため葬儀には息子二人が参列した。
『ところが、好事魔多しのたとえのごとく、数え年三十七でチフスに罹患、生死の境をさまよう。そのためにいったん視学を辞し、穴山村での農事に携わるが、大正十二年には師範学校の嘱託として教壇に戻った。その前年、次男基も誕生している。』
今回の葬儀は、次男基の夫人を弔うものだった。子どものころ、夏休みに帰省したときお世話になった。はりのある透きとおった声が思い起こされてくる。
生更に関する記述は、このあと齋藤茂吉への師事、主催した歌誌「美知思波」へと続くのだが、引用が長くなるので以上でとめておくことにする。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月24日
2回目の研修会
JPITA(特定非営利活動法人 日本パソコンインストラクター養成協会)の研修会に参加してきた。場所は、前回と同じ「中央区ハイテクセンター」。
前回は、2月の冷たい風が吹きすさぶ人気のないビル街を歩き、心細い思いをしたが、一ヶ月後の今回は、風もなく暖かくおだやかな日和だった。ビル街も寒々とした雰囲気ではなく、一ヶ月でこれほど印象が違うものかと驚かされる。
研修会のテーマは、「遠隔操作によるパソコンサポート…」であった。参加者は16人、遠く新潟県の燕三条市から参加した人もいた。参加者の年齢は、二十歳代から六十歳代まで、幅が広かった。
午前は説明、午後はパソコンを使い、遠隔リモートツール「O−remo」による実習が行われた。先生が生徒の画面をインターネットを介して共有し、遠隔でパソコンの操作の仕方について教えるという内容だった。
コンピュータ教室などでよく使われているCAIシステムを、インターネット上に拡張したものと言えそうだ。ただ、CAIは、先生が一方的に生徒の画面に進入してそのパソコンを占有してしまうので、その間生徒は自分のパソコンを使えなくなってしまう。しかし「O−remo」は、先生が生徒の画面を共有するだけで、生徒側でも自分のパソコンの操作はできる。
こういう研修会に参加してみると、今までいかに「井の中の蛙」であったか、ということが分かる。そういうことが分かるだけでも、こういう研修会に参加する意義はある。
「O−remo」は、相手がいないと試すことができない。さっそく夫人に生徒役をお願いしてみることにしよう。
前回は、2月の冷たい風が吹きすさぶ人気のないビル街を歩き、心細い思いをしたが、一ヶ月後の今回は、風もなく暖かくおだやかな日和だった。ビル街も寒々とした雰囲気ではなく、一ヶ月でこれほど印象が違うものかと驚かされる。
研修会のテーマは、「遠隔操作によるパソコンサポート…」であった。参加者は16人、遠く新潟県の燕三条市から参加した人もいた。参加者の年齢は、二十歳代から六十歳代まで、幅が広かった。
午前は説明、午後はパソコンを使い、遠隔リモートツール「O−remo」による実習が行われた。先生が生徒の画面をインターネットを介して共有し、遠隔でパソコンの操作の仕方について教えるという内容だった。
コンピュータ教室などでよく使われているCAIシステムを、インターネット上に拡張したものと言えそうだ。ただ、CAIは、先生が一方的に生徒の画面に進入してそのパソコンを占有してしまうので、その間生徒は自分のパソコンを使えなくなってしまう。しかし「O−remo」は、先生が生徒の画面を共有するだけで、生徒側でも自分のパソコンの操作はできる。
こういう研修会に参加してみると、今までいかに「井の中の蛙」であったか、ということが分かる。そういうことが分かるだけでも、こういう研修会に参加する意義はある。
「O−remo」は、相手がいないと試すことができない。さっそく夫人に生徒役をお願いしてみることにしよう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月23日
ログオフできない
二日ぶりで出勤、ネットワーク業務関係の引き継ぎと書類の整理をした。
久しぶりで車で行き、帰りは自転車をのせて家まで運んできた。この自転車は、朝夕の通勤用として大変役にたってくれた。このところ寒い日が続いて、桜の開花が遅れている。通勤途中の桜並木は、まだつぼみを閉じているはずだ。満開の桜並木を、この自転車に乗って通りすぎることはもうできなくなる。
3月31日で退職するのではあるが、来年度も週二日、午前中だけだが、今の職場に行くことになってしまった。ネットワークを担当する後継者が育っていないので、一年かけて引き継ぎをしなければならない。
来年度から担当SEも変わる。現在お願いしているSEから新SEに仕事内容を説明してもらった。現在は週二回きてもらっているが、来年度は週三回に増やし、SEがこない二日は、私が午前中だけ出勤することで勤務先と話し合いがすんでいる。
ゴミ同然の資料であっても、それを3月中に整理することは到底できそうにもない。1年かけてノンビリと整理することにしよう。
久しぶりで車で行き、帰りは自転車をのせて家まで運んできた。この自転車は、朝夕の通勤用として大変役にたってくれた。このところ寒い日が続いて、桜の開花が遅れている。通勤途中の桜並木は、まだつぼみを閉じているはずだ。満開の桜並木を、この自転車に乗って通りすぎることはもうできなくなる。
3月31日で退職するのではあるが、来年度も週二日、午前中だけだが、今の職場に行くことになってしまった。ネットワークを担当する後継者が育っていないので、一年かけて引き継ぎをしなければならない。
来年度から担当SEも変わる。現在お願いしているSEから新SEに仕事内容を説明してもらった。現在は週二回きてもらっているが、来年度は週三回に増やし、SEがこない二日は、私が午前中だけ出勤することで勤務先と話し合いがすんでいる。
ゴミ同然の資料であっても、それを3月中に整理することは到底できそうにもない。1年かけてノンビリと整理することにしよう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月22日
体と心はまだ勤めを憶えている
家居、一歩も外に出なかった。
午前中は居間のソファに横にになり、本を読みながら、ときどき眠りに落ちるということを繰り返していた。なんの前ぶれもなく眠りに落ちてしまうのが、我ながらそら恐ろしくなってしまう。
今まで長期の休みの時は、4・5日経ってから、やっと体も心も弛緩してきた。それを過ぎると、今度は全身が倦怠感に包まれ、出歩くことも億劫になり、一日中グータラダラダラと過ごすようになる。そういう状態がしばらく続いた後、やっと復活のきざしが少しあらわれてくるが、そのころには休みの日数も尽きてしまう。
今日はまだ職を離れて二日目、朝起きれば、体も心もまだ勤めていた日々の緊張状態を思い出してしまう。これから一日一日、日を追うごとに薄皮が一枚ずつはがれていくように、体と心を縛り付けていたものが薄れていくのだろう。
午後は、部屋の片付けを少しした。机の上は、左側も右側も本が積み重ねられ、かろうじて中央の横50センチ、縦30センチばかりの部分だけが空いている。机の上の本のをどけようにも、周囲の床はこれまた本の山、その山の上にの載せると崩れてしまうのは目に見えている。
私が部屋の片付けを始めたのを見つけた夫人は、目をランランと輝かせ、居間に持ち出した本・ファイルなどを見て、
「これ、いらないもの?」
と勢い込んで問いかけてきた。私はあわてて、
「これは、いるもの。ちょっとこっちに移動しただけ」
と言う。自称分別の達人のである夫人は、ゴミが出るのを待ちかまえていたのだが、申し訳ないことに、今日のところはほとんど出なかった。
東を向いていた机を、南側に移動した。それに伴って、スピーカーの位置も変えた。電話の位置も変えた。プリンターの位置も少しずらした。ただ机の向きを90度回転させただけなのに、大変なことになってしまい、夕食後も片付けの続きをして、10時過ぎにやっと机の前でパソコンが使えるようになった。
今日は机の向きを変えただけだが、少しだけ新しいに生活に踏み込んだ気分が訪れてきた。
午前中は居間のソファに横にになり、本を読みながら、ときどき眠りに落ちるということを繰り返していた。なんの前ぶれもなく眠りに落ちてしまうのが、我ながらそら恐ろしくなってしまう。
今まで長期の休みの時は、4・5日経ってから、やっと体も心も弛緩してきた。それを過ぎると、今度は全身が倦怠感に包まれ、出歩くことも億劫になり、一日中グータラダラダラと過ごすようになる。そういう状態がしばらく続いた後、やっと復活のきざしが少しあらわれてくるが、そのころには休みの日数も尽きてしまう。
今日はまだ職を離れて二日目、朝起きれば、体も心もまだ勤めていた日々の緊張状態を思い出してしまう。これから一日一日、日を追うごとに薄皮が一枚ずつはがれていくように、体と心を縛り付けていたものが薄れていくのだろう。
午後は、部屋の片付けを少しした。机の上は、左側も右側も本が積み重ねられ、かろうじて中央の横50センチ、縦30センチばかりの部分だけが空いている。机の上の本のをどけようにも、周囲の床はこれまた本の山、その山の上にの載せると崩れてしまうのは目に見えている。
私が部屋の片付けを始めたのを見つけた夫人は、目をランランと輝かせ、居間に持ち出した本・ファイルなどを見て、
「これ、いらないもの?」
と勢い込んで問いかけてきた。私はあわてて、
「これは、いるもの。ちょっとこっちに移動しただけ」
と言う。自称分別の達人のである夫人は、ゴミが出るのを待ちかまえていたのだが、申し訳ないことに、今日のところはほとんど出なかった。
東を向いていた机を、南側に移動した。それに伴って、スピーカーの位置も変えた。電話の位置も変えた。プリンターの位置も少しずらした。ただ机の向きを90度回転させただけなのに、大変なことになってしまい、夕食後も片付けの続きをして、10時過ぎにやっと机の前でパソコンが使えるようになった。
今日は机の向きを変えただけだが、少しだけ新しいに生活に踏み込んだ気分が訪れてきた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月20日
2007年03月19日
pasmoはクセになる
昨日から「pasmo」が使えるようになった。新しいものには目がないわたしとしては、昨日からどこやらがムズムズしていた。今朝、最寄り駅でさっそく購入した。
定期は、すでに3月4日で切れている。その後は、回数券を購入して使っていた。あと2枚残っているが、pasmoの誘惑に負けてしまった。5000円分を購入したが、500円はデポジットとやらにとられてしまうので、実際に使えるのは、4500円となる。
pasmo定期券でなければ、券売機のボタンを4・5回押せばすぐに発券される。出てきたカードは、クレジットカードとまったく同じ大きさ・厚さのものだった。
改札機の読取り部にカードを接触させると、「ピッピッ」と電子音がなって改札機を通過することができる。当たり前のことなのだが、あっけなく成功してしまった。
「なるほど、これは便利だ」
とつぶやきつつ、一種の爽快さを感じた。その爽快感をもう一度味わいたくなったが、下車駅まで我慢しなければならない。
この爽快感は、どうして生まれたのだろう、そんなことを、電車に乗りながら考えた。
定期券は投入口に入れた後、改札機の中を移動して、取り出し口に出てくる。ところが、わずかな遅れなのだが、少し待たないと出てこない。そのため少し歩みを止めて待たなければならない。そしてひょっとして出てこないのではないか、と心配になったりもする。このように歩く速さと同じタイミングで券が出てこないと、そこにストレスを感じてしまうことになる。
pasmoの方は、読取り部に接触させれば、あとは何もせず自分の歩く速さで改札機の中を通過することができる。ストレスがまったく生じない。この点が、爽快感を感じる所以なのだろう。
この爽快感を味わうためなら、何度でも改札機を通りすぎることもいとわない。電車に乗る必要がなくても、改札機を通るためだけにpasmoを使ってみたくなってしまう。なんだかクセになってしまいそうだ。
定期は、すでに3月4日で切れている。その後は、回数券を購入して使っていた。あと2枚残っているが、pasmoの誘惑に負けてしまった。5000円分を購入したが、500円はデポジットとやらにとられてしまうので、実際に使えるのは、4500円となる。
pasmo定期券でなければ、券売機のボタンを4・5回押せばすぐに発券される。出てきたカードは、クレジットカードとまったく同じ大きさ・厚さのものだった。
改札機の読取り部にカードを接触させると、「ピッピッ」と電子音がなって改札機を通過することができる。当たり前のことなのだが、あっけなく成功してしまった。
「なるほど、これは便利だ」
とつぶやきつつ、一種の爽快さを感じた。その爽快感をもう一度味わいたくなったが、下車駅まで我慢しなければならない。
この爽快感は、どうして生まれたのだろう、そんなことを、電車に乗りながら考えた。
定期券は投入口に入れた後、改札機の中を移動して、取り出し口に出てくる。ところが、わずかな遅れなのだが、少し待たないと出てこない。そのため少し歩みを止めて待たなければならない。そしてひょっとして出てこないのではないか、と心配になったりもする。このように歩く速さと同じタイミングで券が出てこないと、そこにストレスを感じてしまうことになる。
pasmoの方は、読取り部に接触させれば、あとは何もせず自分の歩く速さで改札機の中を通過することができる。ストレスがまったく生じない。この点が、爽快感を感じる所以なのだろう。
この爽快感を味わうためなら、何度でも改札機を通りすぎることもいとわない。電車に乗る必要がなくても、改札機を通るためだけにpasmoを使ってみたくなってしまう。なんだかクセになってしまいそうだ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月17日
元町のフクロウを買い占める
送別会に出席してくれた人への御礼の品を買いに、横浜元町に行ってきた。元町へ行けば、フクロウ専門店の「アサ商会」もあるし、革と毛皮の専門店「ヒロキ」でも、フクロウの革製品を扱っている。こういう時に、元町を毎年末散策したことが役立つ。
横須賀線で横浜まで行き、地下鉄「みなとみらい線」に乗り換えた。かつて横浜には、10年以上住んでいたことがある。だから、その当時の横浜駅は、自分の家の庭のようなものだった。しかし電車を利用して横浜に来たのはほんとうに久しぶりで、あまりの変貌ぶりと人の波とに圧倒されて、案内標識を探し求めて右往左往するばかりだった。
案内標識に「地下鉄」と表示されている方向に行ってみれば、市営地下鉄の横浜駅、疲れがどっと出たが、気を取り戻してやっと「みなとみらい線」の標識を見つけたところ、改札口は150メートル先となっている。「勘弁してくれよ」と心の中でつぶやきながら、地下道をヨタヨタと歩いていく。やっとのことで切符売り場を見つけ、改札口を通ると、ホームは地下三階、エスカレーターをいくつもいくつも乗り継いで、地下へ地下へともぐっていけば、奈落の底へ落ちていくような気分になる。
元町は、土曜日とあってかなり混雑していた。時刻は3時を少し過ぎたところ、西に傾き始めた太陽の光を正面から浴びながら歩を進め、まず「ヒロキ」に入る。
「このフクロウのキーホルダー、いくつありますか」
と尋ねれば、店の人は引き出しを開け、在庫を確認してくれた。
「10個ありますね」
「それ、全部下さい」
次は、「アサ商会」、手頃な値段の七宝焼きのフクロウがあった。
「これは、あといくつぐらいありますか」
「そこに出ているだけです」
「それ、全部下さい」
これではまだまだ足りないので、フクロウの文鎮を指さして、
「これは、まだありますか」
店の奥に入りさがしてくれたところ、全部で四つ、
「それ、全部下さい」
さらにフクロウの紙バサミなどを買い求めた。その後再び「ヒロキ」に行き、フクロウの印鑑入れを購入した。
こうして、しめて33人分のフクロウを、わたしが買い占めてしまった。だからほかの人は、当分の間、横浜元町では、フクロウ製品を買うことはできないに違いない。
横須賀線で横浜まで行き、地下鉄「みなとみらい線」に乗り換えた。かつて横浜には、10年以上住んでいたことがある。だから、その当時の横浜駅は、自分の家の庭のようなものだった。しかし電車を利用して横浜に来たのはほんとうに久しぶりで、あまりの変貌ぶりと人の波とに圧倒されて、案内標識を探し求めて右往左往するばかりだった。
案内標識に「地下鉄」と表示されている方向に行ってみれば、市営地下鉄の横浜駅、疲れがどっと出たが、気を取り戻してやっと「みなとみらい線」の標識を見つけたところ、改札口は150メートル先となっている。「勘弁してくれよ」と心の中でつぶやきながら、地下道をヨタヨタと歩いていく。やっとのことで切符売り場を見つけ、改札口を通ると、ホームは地下三階、エスカレーターをいくつもいくつも乗り継いで、地下へ地下へともぐっていけば、奈落の底へ落ちていくような気分になる。
元町は、土曜日とあってかなり混雑していた。時刻は3時を少し過ぎたところ、西に傾き始めた太陽の光を正面から浴びながら歩を進め、まず「ヒロキ」に入る。
「このフクロウのキーホルダー、いくつありますか」
と尋ねれば、店の人は引き出しを開け、在庫を確認してくれた。
「10個ありますね」
「それ、全部下さい」
次は、「アサ商会」、手頃な値段の七宝焼きのフクロウがあった。
「これは、あといくつぐらいありますか」
「そこに出ているだけです」
「それ、全部下さい」
これではまだまだ足りないので、フクロウの文鎮を指さして、
「これは、まだありますか」
店の奥に入りさがしてくれたところ、全部で四つ、
「それ、全部下さい」
さらにフクロウの紙バサミなどを買い求めた。その後再び「ヒロキ」に行き、フクロウの印鑑入れを購入した。
こうして、しめて33人分のフクロウを、わたしが買い占めてしまった。だからほかの人は、当分の間、横浜元町では、フクロウ製品を買うことはできないに違いない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月16日
弥生の初雪にフクロウ届く
駅の階段を下りると、かすかに雪が舞っていた。その中を自転車に乗って、職場に向かう。しかし桜並木に差しかかるころには、残念ながら雪はやんでしまった。観測史上最も遅い初雪だったそうだ。
午後1時から送別会を兼ねた昼食会があるのだが、お弁当を持ってきてしまった。せっかく作ってくれたものだから、朝半分食べ、残りは夕方食べることにした。お弁当を持ってくる日も、あとわずかとなった。男性職員の中で、お弁当を持参するのは4・5人程度だろう、あとの人は職場の食堂を利用する。
送別会は、市川の「淘喜」で行われた。退職者3人を含め10人が参加した。記念品として、フクロウが描かれた七宝焼き(制作安藤七宝店)をいただいた。
画家・石ころ彫刻家、蒲澤ごろすけ氏作の蔵書印が届いた。アカイヌ王国が退職祝いとして、八ヶ岳の「昼のふくろう」に注文してくれたものだ。手のひらにのせると、ずっしりとした重みを感じる密度の高い黒い石に、「里実文庫」と彫られている。石の頭部には、もちろんフクロウが彫り込まれている。
午後1時から送別会を兼ねた昼食会があるのだが、お弁当を持ってきてしまった。せっかく作ってくれたものだから、朝半分食べ、残りは夕方食べることにした。お弁当を持ってくる日も、あとわずかとなった。男性職員の中で、お弁当を持参するのは4・5人程度だろう、あとの人は職場の食堂を利用する。
送別会は、市川の「淘喜」で行われた。退職者3人を含め10人が参加した。記念品として、フクロウが描かれた七宝焼き(制作安藤七宝店)をいただいた。
画家・石ころ彫刻家、蒲澤ごろすけ氏作の蔵書印が届いた。アカイヌ王国が退職祝いとして、八ヶ岳の「昼のふくろう」に注文してくれたものだ。手のひらにのせると、ずっしりとした重みを感じる密度の高い黒い石に、「里実文庫」と彫られている。石の頭部には、もちろんフクロウが彫り込まれている。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月15日
ゴミと化した文書ファイル
近頃は、せっせと机回りの整理をしている。なにしろ30年近くをかけて積み重ねてきた書類の山を片付けなくてはいけない。ファイリングの仕方に、ない知恵を絞ってきたが、職場を去ることになったら、それらの文書ファイルがたいして価値のないものに変貌してしまうことに気づいた。この職場で仕事をしていたからこそ、価値があるものだったのだ。
そういうことならば、心おきなくバサバサと捨ててしまうことができる。半透明の大きなビニール袋に、ドンドン投げ入れていく。よくまあこんなにため込んだものだと、我ながらあきれる。
捨てても捨てても、ゴミと化した文書ファイルは次から次へと出てくる出てくる。スチール戸棚を開けてみれば、入れたままその存在を忘れていた書類の山が見つかる。思い出した。机の周囲が書類の山で埋まり、窮余の策として、その山をほぼそのままの状態で束ね、そのまま平行移動してスチール戸棚に押し込んだことがあった。
これを整理の秘策「書類平行移動の方法」と言う。書類の山を平行移動することで、机の回りはきれいに片付く。しかし実際のところは、片付いたつもりになっているだけのことである。
今までだいたいのところこういう方法で整理をしてきたが、これでは書類の絶対量は減らず、増える一方ということになる。こうしてたまりにたまった書類の山に、今こうして悩まされるということに相成ったのである。
退職までに果たして片付けることができるか、目下のところそれが一番の心配事である。
そういうことならば、心おきなくバサバサと捨ててしまうことができる。半透明の大きなビニール袋に、ドンドン投げ入れていく。よくまあこんなにため込んだものだと、我ながらあきれる。
捨てても捨てても、ゴミと化した文書ファイルは次から次へと出てくる出てくる。スチール戸棚を開けてみれば、入れたままその存在を忘れていた書類の山が見つかる。思い出した。机の周囲が書類の山で埋まり、窮余の策として、その山をほぼそのままの状態で束ね、そのまま平行移動してスチール戸棚に押し込んだことがあった。
これを整理の秘策「書類平行移動の方法」と言う。書類の山を平行移動することで、机の回りはきれいに片付く。しかし実際のところは、片付いたつもりになっているだけのことである。
今までだいたいのところこういう方法で整理をしてきたが、これでは書類の絶対量は減らず、増える一方ということになる。こうしてたまりにたまった書類の山に、今こうして悩まされるということに相成ったのである。
退職までに果たして片付けることができるか、目下のところそれが一番の心配事である。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月14日
ホワイトデーのショウウィンドウ
2月14日にチョコレートを渡してくれた人に、昨日買い求めた洋菓子を渡した。うまい具合に商業主義にのせられてはいるのだが、男から女へ贈り物をすることは、誤解を招くこともあるのだろうから、おおっぴらに贈り物をするきっかけを与えてくれていると思えば、あまり目くじら立てることもない。
贈り物の洋菓子は、昨日仕事帰りに船橋西武で買い求めた。デパート前の広場に、ズラッと出店が並んでいたが、人通りのある寒い場所で品物を選ぶ気にもならないので、そこを通りすぎるときに声を掛けられたが、まっすぐ前を向いて入り口に向かった。
地下の食品街はあまり混んでいなかった。買うものは、まだ決まっていなかった。ぶらぶらと歩きながらショーケースを見て回り、適当なものを決めようと思っていた。まず一巡して候補をいくつかに絞り、二巡目で決める心づもりだった。
とある店の前で足が止まった。ほかの店と商品の配列の仕方が違う。とても見やすい。ほかの店は、高さが腰の少し上あたりまでのショウケースを用いて、その上にも商品を並べている。だから全商品を一目で見渡すことができない。ショウケースの前に二三人立っていれば、その人たちがどかないと商品を見ることがもできない。
ところがその店は、ショウケースを高く広くそして奥行きを狭くして、全ての商品を前後に重なることなく並べていた。横幅の広い本棚に、適当な間隔で商品を並べているという感じだ。だから一度に10人以上の人が、ショウケースの前に横一列に並んで、商品を選べるようになっている。こうなるとショウケースと言うより、ショウウィンドウと言った方がいいかもしれない。
わたしがそのショウウィンドウの前に立ったときは、ほかに誰もいなかった。それでもショウウィンドウの脇に立った店員さんが、大きな声で商品の説明を繰り返してくれていた。何にしようかと、カニのように左に動き右に動いているうちに、いつの間にか10人以上の人が集まっていた。すると、ショウウィンドウの後ろから、一人二人と店員さんたちが、ぞろぞろと出てきた。客の増加に応じて、店員さんをすぐに増員できる柔軟性もなかなかなものであった。
贈り物の洋菓子は、昨日仕事帰りに船橋西武で買い求めた。デパート前の広場に、ズラッと出店が並んでいたが、人通りのある寒い場所で品物を選ぶ気にもならないので、そこを通りすぎるときに声を掛けられたが、まっすぐ前を向いて入り口に向かった。
地下の食品街はあまり混んでいなかった。買うものは、まだ決まっていなかった。ぶらぶらと歩きながらショーケースを見て回り、適当なものを決めようと思っていた。まず一巡して候補をいくつかに絞り、二巡目で決める心づもりだった。
とある店の前で足が止まった。ほかの店と商品の配列の仕方が違う。とても見やすい。ほかの店は、高さが腰の少し上あたりまでのショウケースを用いて、その上にも商品を並べている。だから全商品を一目で見渡すことができない。ショウケースの前に二三人立っていれば、その人たちがどかないと商品を見ることがもできない。
ところがその店は、ショウケースを高く広くそして奥行きを狭くして、全ての商品を前後に重なることなく並べていた。横幅の広い本棚に、適当な間隔で商品を並べているという感じだ。だから一度に10人以上の人が、ショウケースの前に横一列に並んで、商品を選べるようになっている。こうなるとショウケースと言うより、ショウウィンドウと言った方がいいかもしれない。
わたしがそのショウウィンドウの前に立ったときは、ほかに誰もいなかった。それでもショウウィンドウの脇に立った店員さんが、大きな声で商品の説明を繰り返してくれていた。何にしようかと、カニのように左に動き右に動いているうちに、いつの間にか10人以上の人が集まっていた。すると、ショウウィンドウの後ろから、一人二人と店員さんたちが、ぞろぞろと出てきた。客の増加に応じて、店員さんをすぐに増員できる柔軟性もなかなかなものであった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月13日
流しが詰まる原因は?
部屋備え付けの流し台の排水管が詰まってしまった。原因は分かっている。同じ部署の女性が、茶がらをよく取り除かずに急須を流しで洗ってしまって、排水口が目詰まりしてしまったためだ。
わたしがコーヒーを入れる際は、紙フィルターを使う。入れたあとのコーヒーの粉は、フィルターごとポイと捨ててしまえばよいのだから、流しを汚すことはない。職場でもっぱらコーヒーを飲みお茶を入れて飲まないのは、お茶がらの処分が面倒だからである。
ところがその女性が、配置換えになってこの部署に来てからというもの、わたしにもお茶を入れてくれるのはありがたいのだが、お茶がらの処理をいい加減にすることが気になっていた。しばらくして、予想通り流しの配水口が詰まってしまい、流した水がいつまでたっても引いていかず、小さな池の状態になってしまった。
水が全部消えてなくなるのに、30分くらいかかってしまう。そういう状態になれば、ふつうの人なら目詰まりしている箇所をきれいにするのだろうが、そんなことはしない。おかまいなしに、ザーザーと水を流す。せっかく下がってきた池の水位が、またあがってしまう。
そういう状態になってしまっても、別にわたしのせいではないので、しばらくはほうっておく。水を流せば池状態になってしまうのを我慢して、相手が茶がらを取り除くまで待つ。こうなれば我慢くらべだ。
ところが根負けしてしまうのは、いつもこちらだった。とうとう我慢しきれず、茶がらを取り除ききれいにしたことが、今までに2・3回はあった。どうやら一度きれいにしてしまうと、わたしの心を見透かして、どうせそのうち根負けしてきれいにするだろう、と思っているにちがいない。
先日、その女性の友人が訪ねて来た。お茶を振る舞ったあと、流しで一緒に後片づけをしていた。その時、
「ここの配水口、流れがよくないのよね。おたくの部屋のはどう?」
と言っていた。
わたしがコーヒーを入れる際は、紙フィルターを使う。入れたあとのコーヒーの粉は、フィルターごとポイと捨ててしまえばよいのだから、流しを汚すことはない。職場でもっぱらコーヒーを飲みお茶を入れて飲まないのは、お茶がらの処分が面倒だからである。
ところがその女性が、配置換えになってこの部署に来てからというもの、わたしにもお茶を入れてくれるのはありがたいのだが、お茶がらの処理をいい加減にすることが気になっていた。しばらくして、予想通り流しの配水口が詰まってしまい、流した水がいつまでたっても引いていかず、小さな池の状態になってしまった。
水が全部消えてなくなるのに、30分くらいかかってしまう。そういう状態になれば、ふつうの人なら目詰まりしている箇所をきれいにするのだろうが、そんなことはしない。おかまいなしに、ザーザーと水を流す。せっかく下がってきた池の水位が、またあがってしまう。
そういう状態になってしまっても、別にわたしのせいではないので、しばらくはほうっておく。水を流せば池状態になってしまうのを我慢して、相手が茶がらを取り除くまで待つ。こうなれば我慢くらべだ。
ところが根負けしてしまうのは、いつもこちらだった。とうとう我慢しきれず、茶がらを取り除ききれいにしたことが、今までに2・3回はあった。どうやら一度きれいにしてしまうと、わたしの心を見透かして、どうせそのうち根負けしてきれいにするだろう、と思っているにちがいない。
先日、その女性の友人が訪ねて来た。お茶を振る舞ったあと、流しで一緒に後片づけをしていた。その時、
「ここの配水口、流れがよくないのよね。おたくの部屋のはどう?」
と言っていた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月11日
境界線はどこだ
予定の時間は11時だったが、10時半ごろチャイムが鳴った。工務店の係長さんが、あらかじめ挨拶に来たのだった。少し太り気味の愛想の良い人であった。何か問題がもちあがることもあるかもしれないと思い、多少身構えていたが、話しているうちに、取り越し苦労だったのかもしれないと思うようになってきた。
4・5日前、その工務店から連絡があった。北西の家がしばらく空き家になっていたが、買い手が見つかったらしく、境界線を示す杭の位置を確認したいということだった。
今住んでいる家は中古で買ったもので、購入する際、杭の位置は確認していなかった。境界線の位置というものは微妙な問題に発展する可能性があるので、何となくイヤな感じを抱いた。電話があったことを夫人から聞いたあと、庭に下りて裏に回り杭を探してみたが、見つからない。ブロック塀の下に隠れているのかもしれない。
工務店の係長さんは、実際に作業を行うのは11時過ぎだということを伝えて、いったん引き上げた。
しばらくして雨が降り出した。時折裏手から人の声が聞こえて来る。小雨の中、すでに測量を始めているらしい。しばらくして、係長さんが再びやって来て、杭が見つかったことを教えてくれた。
杭はコンクリートブロックのすぐ北側(相手の地所)、10センチほど掘ったところにあった。ブロックの隣家側の底辺が、杭の中央に引かれた線にそってのっていた。ということは、そのブロック塀はこちらの土地の内側に作られていることになる。
「こういう状態ですから、このブロック塀はお宅の庭に作られています」
と、係長さんが確認した。空き家を購入する予定の女性が、雨の中、遠目から成り行きを見ていた。
「いつ越していらっしゃるんですか」
「子どもの学校がまだありますので…」
最初は面倒だなと思っていたが、おかげで境界線を示す杭の位置も確認できた。境界線をめぐるトラブルなどは、全く心配しなくてよさそうだ。
4・5日前、その工務店から連絡があった。北西の家がしばらく空き家になっていたが、買い手が見つかったらしく、境界線を示す杭の位置を確認したいということだった。
今住んでいる家は中古で買ったもので、購入する際、杭の位置は確認していなかった。境界線の位置というものは微妙な問題に発展する可能性があるので、何となくイヤな感じを抱いた。電話があったことを夫人から聞いたあと、庭に下りて裏に回り杭を探してみたが、見つからない。ブロック塀の下に隠れているのかもしれない。
工務店の係長さんは、実際に作業を行うのは11時過ぎだということを伝えて、いったん引き上げた。
しばらくして雨が降り出した。時折裏手から人の声が聞こえて来る。小雨の中、すでに測量を始めているらしい。しばらくして、係長さんが再びやって来て、杭が見つかったことを教えてくれた。
杭はコンクリートブロックのすぐ北側(相手の地所)、10センチほど掘ったところにあった。ブロックの隣家側の底辺が、杭の中央に引かれた線にそってのっていた。ということは、そのブロック塀はこちらの土地の内側に作られていることになる。
「こういう状態ですから、このブロック塀はお宅の庭に作られています」
と、係長さんが確認した。空き家を購入する予定の女性が、雨の中、遠目から成り行きを見ていた。
「いつ越していらっしゃるんですか」
「子どもの学校がまだありますので…」
最初は面倒だなと思っていたが、おかげで境界線を示す杭の位置も確認できた。境界線をめぐるトラブルなどは、全く心配しなくてよさそうだ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月10日
天野屋の甘酒
まだ舌がヒリヒリする。一昨日、甘酒を飲んだとき、やけどしてしまったためだ。甘酒を飲んだのは、神田明神の近くの「天野屋」、送別会を兼ねた散策の途中、一休みするため立ち寄った。
今回の送別会は、京成上野駅から歩き始め、不忍池、岩崎亭、湯島天神、神田明神、湯島の聖堂、そしてゴールは湯島会館、そこで会食という流れだった。散策に参加したのは8人、会食ではさらに5人増えて13人になった。
この「天野屋」の甘酒は、適度な甘さでおいしかった。残すことなく、全部飲みきってしまった。いままで甘酒は好んで飲むことはなく、どちらかとえば飲むことを避けていたが、甘酒の本当のおいしさがやっと分かった気がする。
「天野屋」は江戸時代から続く老舗で、店の地下の土室で糀をつくっているそうだ。店内には古い柱時計がいくつも飾られ、ほかにも明治時代さらに江戸時代までさかのぼるる年代物が並べられていた。古い時代の情緒を感じながら一休みするには、うってつけのお店だった。
空気は少し冷たかったが、おだやかに晴れた一日で、春の日射しを感じながらの散策だった。
今回の送別会は、京成上野駅から歩き始め、不忍池、岩崎亭、湯島天神、神田明神、湯島の聖堂、そしてゴールは湯島会館、そこで会食という流れだった。散策に参加したのは8人、会食ではさらに5人増えて13人になった。
この「天野屋」の甘酒は、適度な甘さでおいしかった。残すことなく、全部飲みきってしまった。いままで甘酒は好んで飲むことはなく、どちらかとえば飲むことを避けていたが、甘酒の本当のおいしさがやっと分かった気がする。
「天野屋」は江戸時代から続く老舗で、店の地下の土室で糀をつくっているそうだ。店内には古い柱時計がいくつも飾られ、ほかにも明治時代さらに江戸時代までさかのぼるる年代物が並べられていた。古い時代の情緒を感じながら一休みするには、うってつけのお店だった。
空気は少し冷たかったが、おだやかに晴れた一日で、春の日射しを感じながらの散策だった。
posted by 里実福太朗 at 10:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月08日
アル・ゴア氏は団塊の世代か?
自宅勤務日。出勤せず、一日中外出もせず、家で過ごす。
昨日今日と寒さが戻っているが、久しぶりで庭に下りてみたところ、スイセンが咲き始めていた。
庭でスイセンの写真を撮っているとき、居間で本を読んでいた夫人が、「アレ!」と声をあげた。
「エリクソンという人、『ふくろうの足あと』に出てきたわよね」
と言って、本の一節を読み始めた。
『私は学生時代に有名な心理学者エリク・エリクソン教授のもとで学ぶというすばらしい経験を得た。彼は全ての人びとが経験する人生の発展段階を、心理学的に初めて分析した人物だった。当時私は自分の「アイデンティティ」を発見し、定着させる段階である青春期の「模索の時代」にあり、エリクソンの教授の教えに深い影響を受けた。』
エリクソン教授に影響を受けた人物は誰なのか。夫人が読み上げた本は、「地球の掟」、著者は「アル・ゴア」だった。夫人にその本を見せてもらい、いくつかのことを確認した。
「地球の掟」
1992年9月18日初版
ダイヤモンド社、小杉隆訳、2500円
アル・ゴア
1948年3月31日生まれ
日本流に言えば、1948年生まれのゴア氏は、ちょうど団塊の世代に当たる。第二次世界大戦が終わった安堵感から、ベビーブームが訪れたのだから、この現象は全世界で起こったのでないかと思われる。果たしてアメリカにも団塊の世代に相当する人口の大きな塊があるのだろうか。もしそうならば、エリクソンの「アイデンティティ」論は、日米双方の団塊の世代に大きな影響を与えたことになる。
夫人はこの本を「ブックオフ」で買ったそうだ。確かにブックオフの100円の値札が貼り付けてあった。また本の間に、『「地球の掟出版記念講演会」ご参加いただきまして、ありがとうございました。…衆議院議員 小杉隆』と記された紙片が、はさまれていた。
昨日今日と寒さが戻っているが、久しぶりで庭に下りてみたところ、スイセンが咲き始めていた。
庭でスイセンの写真を撮っているとき、居間で本を読んでいた夫人が、「アレ!」と声をあげた。
「エリクソンという人、『ふくろうの足あと』に出てきたわよね」
と言って、本の一節を読み始めた。
『私は学生時代に有名な心理学者エリク・エリクソン教授のもとで学ぶというすばらしい経験を得た。彼は全ての人びとが経験する人生の発展段階を、心理学的に初めて分析した人物だった。当時私は自分の「アイデンティティ」を発見し、定着させる段階である青春期の「模索の時代」にあり、エリクソンの教授の教えに深い影響を受けた。』
エリクソン教授に影響を受けた人物は誰なのか。夫人が読み上げた本は、「地球の掟」、著者は「アル・ゴア」だった。夫人にその本を見せてもらい、いくつかのことを確認した。
「地球の掟」
1992年9月18日初版
ダイヤモンド社、小杉隆訳、2500円
アル・ゴア
1948年3月31日生まれ
日本流に言えば、1948年生まれのゴア氏は、ちょうど団塊の世代に当たる。第二次世界大戦が終わった安堵感から、ベビーブームが訪れたのだから、この現象は全世界で起こったのでないかと思われる。果たしてアメリカにも団塊の世代に相当する人口の大きな塊があるのだろうか。もしそうならば、エリクソンの「アイデンティティ」論は、日米双方の団塊の世代に大きな影響を与えたことになる。
夫人はこの本を「ブックオフ」で買ったそうだ。確かにブックオフの100円の値札が貼り付けてあった。また本の間に、『「地球の掟出版記念講演会」ご参加いただきまして、ありがとうございました。…衆議院議員 小杉隆』と記された紙片が、はさまれていた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2007年03月07日
ごあいさつ
「ふくろうの足あと」を書き始めてから、はやいもので丸一年経ちました。退職までの一年間を書きとどめておこうと思って始めたことでしたので、当初の予定は果たしたことになります。そこで昨日3月6日をもって、「ふくろうの足あと」は、終了させていただきます。一年という短い期間でしたが、おつきあいいただきましてありがとうございました。
今後は「里ふくろうの日乗」というタイトルで、身辺雑記を書きつづって行く予定です。「日乗」とは日記のことですが、ここではそれだけでなく、「日乗」に「日常」という意味ををかけています。
しかしそれでは、タイトルがかわっただけで、いままでと何ら変わるところはないではないか、という声が聞こえてきそうですので、今までと違う点をあげておきます。
今までは筆者の分身である「福太朗」という人物を登場させていましたが、今後は一人称「わたし」が語ります。
ほぼ毎日、平均して2時間ほどを書くことに費やすということは、若いころならいざ知らず、六十を過ぎた身にとってはかなり負担となりました。そこで今後は、適当な間隔を置きながら、のんびりと書いていくことにします。
身辺雑記にとどまらず、好奇心を全開にして、いろいろな分野から話題を見つけて書いていくことにします。
ざっと以上の通りですから、今までとは違うんだ、ということをお分かりいただけたと思います。それでは、「里ふくろうの日乗」もよろしくお願いいたします。
今後は「里ふくろうの日乗」というタイトルで、身辺雑記を書きつづって行く予定です。「日乗」とは日記のことですが、ここではそれだけでなく、「日乗」に「日常」という意味ををかけています。
しかしそれでは、タイトルがかわっただけで、いままでと何ら変わるところはないではないか、という声が聞こえてきそうですので、今までと違う点をあげておきます。
今までは筆者の分身である「福太朗」という人物を登場させていましたが、今後は一人称「わたし」が語ります。
ほぼ毎日、平均して2時間ほどを書くことに費やすということは、若いころならいざ知らず、六十を過ぎた身にとってはかなり負担となりました。そこで今後は、適当な間隔を置きながら、のんびりと書いていくことにします。
身辺雑記にとどまらず、好奇心を全開にして、いろいろな分野から話題を見つけて書いていくことにします。
ざっと以上の通りですから、今までとは違うんだ、ということをお分かりいただけたと思います。それでは、「里ふくろうの日乗」もよろしくお願いいたします。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗