2007年04月23日

佐倉市新市長と鷲神社

昨日の佐倉市市長選挙で、蕨和雄氏が当選した。蕨氏は、佐倉市の先崎の出身である。
横浜から佐倉に転居してからしばらくの間、市内を走るバスの行き先に「先崎」という地名が記されている路線があった。最初のうちは何と読むのか分からなかったが、そのうちに「まっさき」と読むことが分かった。現在は、先崎行きのバス路線は廃止されている。

毎年、初詣にお参りする「鷲神社」は、その先崎にある。「ふくろう共和国」(http://www.ne.jp/asahi/sakura/fukuro/index.html)のページでも、この鷲神社について紹介している。「ふくろう神社」と勝手に名前を変えているが、実際はこの「鷲神社」のことである。また、佐倉市教育委員会が作成した鷲神社の縁起(http://www.ne.jp/asahi/sakura/fukuro/syuhen/wasi/wasiyurai.html)を、「ふくろう共和国」に載せてある。

それによると、本殿は天保十五年(一八四四)建立されたもので、その際近隣の八千代市や印旛村などの人々から奉納金を募ったと説明されている。本殿の土台の石碑に、神社創建の時に寄進した人の名前が刻まれている。そこに、このように記されている。

 願主
 一金 二十両 蕨……

蕨家は、先崎に古くから居を構えていた旧家だったようだ。祖父は志津村の村長を務めたという。

ふくろう共和国とも縁があり、団塊の世代でもある蕨氏が市長となったことで、佐倉市政はどうなっていくのだろうか、見守っていきたいところである。

鷲神社本殿は、見事な彫刻が施されている。その彫刻の中に、フクロウの仲間であるアオバズクがいるのだが、左上の写真をクリックして拡大写真を表示しても、まだ小さくてわかりにくいかもしれない。興味のある方は、「ふくろう共和国」をご覧下さい。そこにアオバズクだけを拡大した写真を載せてあります。|20070423_wasi2.jpg
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月22日

日記作成用ソフト

KOHJINSHA「SAシリーズ」のキーボードがいかにも使いにくいので、レジストリを変更するなどその回避方法を試してみたが、残念ながら一向に改善されなかった。やはり、最後の手段として、キートップ裏側の穴に、精密ネジを差し込まなければならないようだ。
昼間、ジョイフルホンダで「M1.6-2mm」のネジをさがしてみた。メガネ用のネジのコーナーに、太さ・長さの近いネジがあったが、まったく同じものはなかった。そこで夜、改造方法説明ページのご指南どおり、「ネジの高山」に精密ネジを注文した。「M1.6-2mm」のネジは、税込みで一本3円、それを100本注文した。

今日からこの「里ふくろうの日乗」の原稿を入力する日記作成用ソフトを、「ズバリ日記帳」からフリーソフトの「しばやん日記」に変えてみた。ブログを始めた頃は、ウェブページの入力欄に直接いれていたが、ときどき操作ミスなどで、せっかく入力した内容が消えてしまうことがあった。そこでまず原稿を日記作成用ソフトで入力しておいて、その後それをコピーして、書き込みページの入力欄に貼り付けるという方法を用いていた。

ただ、日記作成用ソフトをインストールしたパソコンでないと、この方法は使えない。自宅以外のパソコンでも、原稿入力ができれば非常にありがたい。「U3」用の日記ソフトがあれば、その問題は解決できるのであるが、今のところそのようなソフトはないようだ。

そこでフリーのソフトをネットで探してみたら、かなりの数が見つかった。その中から人気上位のものを三本選び試用してみたところ、上記「しばやん日記」が私が望む方法に適していることが分かった。

このソフトは、インストールする必要がない。実行ファイルをダブルクリックすることで立ち上げることができる。また日記データも、実行ファイルと同じフォルダに保存される。だからそのフォルダを、丸ごとUSBフラッシュメモリに保存してしまえば、USBを備えたパソコンであれば、「しばやん日記」を立ち上げて使うことができる。日記データも同じものを使うことができる。

日記ソフトでは欠かすことのできないカレンダーもあるし、さらに、入力した文章を読みやすくするため、行間を広げる設定などもできる。このように、フリーのソフトでありながら、日記作成用ソフトとしての十分な機能を備えているので、今のところこの「しばやん日記」を使っていってみようと思っている。
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2007年04月21日

寝ぼけ頭の効用

JPITAの研修会に参加してきた。今回で3回目になる。場所はいつもと同じところで、中央区のハイテクセンター、小学校の建物を利用して造られた施設である。
朝玄関を出たとき、ちょっと肌寒く感じたので、あわてて引き返してコートをはおって車に乗り込んだ。

土曜日は時間帯が早ければガラガラに空いているのだが、7時半過ぎになるとかなり混んでいた。車内は次第に暑くなり、少し汗ばむほどだった。コートを着てきたことが悔やまれる。

船橋で空くだろうと思っていたが、結局青砥まで座ることができなかった。青砥からは、京浜急行「三崎口行き」に乗り換える。車両の前後がボックス型のシートだった。60代と思われる二人の男の前の席が空いていた。同じような野球帽をかぶっていた。一人の男は、手にした競馬新聞にジッと見入っていた。二人とも、浅草駅で降りた。きっと場外馬券売り場に行くのだろう。

ボックス型の席に座ると、条件反射的に旅の気分になる。不思議なものだ。立ち通しだった疲れもあったのだろう、座ってしばらくすると、眠気がさしてきて、夢うつつの境を行き来し始めた。さまざまな思いが湧いては消え、消えてはまた湧いてくる。こういう状態を人は寝ぼけていると言ってバカにするが、実はこういうときにすばらしいアイデアが浮かんだり、記憶の底に沈んでいた日常の断片が蘇ってきたりする。

たとえば、昨夜は、今日使うカバンを何にするか、ということで時間を費やしてしまったというようなこと。こんな断片は、他人から見れば取るに足らないつまらないことなのかもしれないが、当人にとっては案外大切なことなのである。歩くことを考えて、結局スリーウェイのリュックにしたが、小物をいれる小型のバッグを何にするかということで迷い、いくつか試してみて、結局小型バックは使わないことにした。

たとえば、昨夜は、ノートパソコン「KOHJINSHA SAシリーズ」のキーボードが使いにくくて仕方がないので、ネットで情報を収集したこと。このノートパソコンは、A5サイズの超小型ながら本体は堅牢な作りで、カバンに入れて持ち運んで使うためには打ってつけなのであるが、キーボードのできが今一歩で、それが玉に瑕なのである。キーを打っても文字を入力してくれないことがしばしば起こる。てっきりキーボードの初期不良と思ったほどである。

ネットで調べてみると、キーボードの不出来を嘆く声がたくさん報告されていた。そして、キーボードを使いやすくするための改造方法まで詳しく説明してくれているページもあった。 
  『SA1F00Dキーボード改造』 http://tadachi.txt-nifty.com/blog/2007/03/post_81f2.html

たとえば、昔、地下鉄に乗っていたときに車内検札があったこと。乗り越しの精算をしようと思って、下車予定駅を車掌さんに告げた。
「室町まで」
車掌さんは、厚い業務用の手帳をめくりながら、首をかしげている。はて、なにかまずいことをしてしまったかな、と思いながら車掌さんを見守っていると、
「宝町ではないですか」
地下鉄浅草線には、「室町」などという駅はなく、私が「宝町」を「室町」に見まちがえたのだった。今日もその宝町で下車する。

こんなことは、夢うつつのあわいに、ヒョッコリと思い出されてくることがなければ、心の奥底に沈みきってしまって、二度と意識の世界に顔を出すことはない。
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2007年04月19日

ハローワーク

仕事帰りに、船橋で途中下車して、船橋市民ギャラリーで行われている大谷隆勇写真展「シマフクロウに魅せられて」を見てきた。先日、朝日新聞の千葉版にかなり大きく取り上げられていた写真展だ。
場所の見当はだいたいついたつもりになっていたので、地図で確認することを怠っていたのが良くなかった。ビルの壁面に市民ギャラリーの表示が出ているのは見つけたが、その下の出入り口にはシャッターが下りている。はて、入り口はどこなのだろうと付近をうろついても、入り口がみつからない。市民ホールの表示があるのを見つけて、そちらに向かってみた。ホールの入り口に、初老の警備員さんが立っていたので、
「市民ギャラリーはどこですか」
と尋ねてみると、よく聞こえなかったのだろうか、
「前のビル、そこにハローワークがあるよ」
「ハローワークではなくて、市民ギャラリーなんですが。3階にあるはずです」
「いや、3階じゃなくて4階だよ、ハローワークは」
一向にラチがが明かない。しかしこの市民ホールにそれがないことは確からしいので、引き返すことにした。

それにしても、ハローワークになぜこだわっていたのだろう。その初老の人が得た警備の仕事が、ハローワークで紹介されたものだったのだろうか。私が失業して、雇用保険の受給を申請するため、ハローワークをさがしているように映ったのだろうか。

そうかもしれない。確かにカバンの中には、先日届いた雇用保険関係の書類が入っていた。退職後、嘱託とはいえ仕事を続けているのだから、受給資格はないだろうと予想はしていたが、念のため送られてきた書類を確認しようと思って、職場で時間が空いたときに読むためにカバンに入れておいたのだった。

しかしいくら何でも、そういう書類がカバンの中に入っていることなど分かるはずはない。その警備員さん位の年格好になると、ともかく人の話を聞かない。自分の先入観で受け答えをしてしまう。それも自信をもって答えるからなおのこと始末が悪い。だから先ほどのようなトンチンカンな会話になってしまう。けれど年をとれば、多かれ少なかれそういう傾向が出てくるもののようだから、まァ仕方がない。

もとの道を引き返してしばらく行くと、今度はあっけなく入り口が分かってしまった。「船橋スクウェア21」というビルの3階に「市民ギャラリー」はあった。なんのことはない、ここは今年になってから来たことがある。2月に送別会をしてくれた場所がここだった。その時は地下のお店だったので、このビルの3階に「市民ギャラリー」があることなどまったく意識せず、記憶に残りようもなかった。

雪が舞う中を、黄色に輝く目を見開きながら、じっとたたずむシマフクロウの威容を心にとどめて、その写真展を後にした。京成船橋に向かう途中のコーヒーショップで一休みすることにした。今日は朝も帰りも歩いた。ケータイの歩数計を見ると、この時点でもう一万歩を超えていた。

歩道に面した席が空いていた。そこに腰掛けコーヒーを飲みながら、ガラス越しに道行く人を眺めていると、時の経つのも忘れる。しばらく人の流れをぼんやりと眺めていると、頭頂部がはげた50代後半とおぼしき小柄な男の人が、うつむきながら小走りに近づいてくるのが目に入った。なぜか気になり、目の前を通りすぎて行ってしまうまで、ずっと目で追っていた。

その男の人が脇にかかえていた封筒には、ハローワークの文字が記されていた。それを見た時、20代の後半、サラリーマンを辞めた後、失業給付を受けていたことが蘇ってきた。
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2007年04月18日

「U3」は便利だ

職場で3月まで使っていたパソコンは、返却してしまったので、今は自分専用のパソコンはない。もっぱらネットワーク管理者用のパソコンを、交互に出勤するSEの人と共有で使っている。ただしLANにログインするためのユーザーIDとメールアドレスは、まだ返却していない。
このパソコンには、いわゆるオフィスソフト、メールソフトなどが入っていない。だから、ちょっとした文書を作成したい時に困る。メールは、Webメールを利用すればチェックすることはできるのだが、使い勝手がよくないのと、この職場でメールを使う必要性があまりないので、4月に入ってからはまだ一度もメールチェックをしていない。

メールソフトが使えないのは、やはり不便であることは言わずもがなである。そこで、「SanDiU3 スマートドライブ」に、まず電子メールソフト「Mozilla Thunderbird」をインストールして使ってみた。

「U3 スマートドライブ」とは、パソコンのUSBにさして使うフラッシュメモリであるが、データだけでなく、「U3」対応のプログラムをインストールして利用することができる。いわばパソコンに寄生して、パソコンの力を借りて「U3」内のプログラムを動かすということである。だからネットワーク環境に依存するものを除いて、USBを備えたパソコンさえあれば、どこでも「U3」対応のプログラムを実行することができる。

プログラムのインストールは非常に簡単で、3ステップほどで終わってしまった。プログラム起動の仕方も分かりやすい。まずデスクトップまたはタスクトレイのボタンをクリックして、U3ランチパッドを開き、表示されたプログラムリストの中から、「Mozilla Thunderbird for U3」をクリックする。

起動してメールサーバなどの設定を行い受信ボタンをクリックしたところ、意外なほど簡単にたまっていたメールを受信し始めた。画面を見ているとあれよあれよという間に、メールの件名が増え続け、結局104通にものぼった。

今日その104通のメールをすべて開いてみたが、ほとんどが、宣伝用のメールだった。そのうちに配信停止の手続きをしたほうがいいかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月17日

ケータイの歩数計機能

今朝は、3月まで利用していた駅で降りた。今までなら、ここから自転車に乗るところだが、もう家に運んでしまった。自転車がないのに、一つ手前のこの駅に降り立ったのは、今日から、朝も歩いて職場に行くことにしたからである。
長年自転車で通った道をこれからたどっていくのだが、道のりの長さを思うといささか後悔の念がわいてくる。しかし、ウオーキングをするためには、歩かなければならない。しごく当然のことである。意を決して歩き始めることにした。

駅近くのコンビニに入り、おにぎりとお茶を購入する。レジの女性は変わっていなかった。今までより1時間遅い時間なのだが、怪訝な顔を見せることはなかった。コンビニから出てしばらくすると、小雨が降り出したが、カサをさすほどでもないので、コートのフードをかぶりそのまま歩き続けた。

6年間使い続けてきたケータイを、電話番号はそのままで機種を変更した。ただ途中からは、夫人が使っていた。多機能な機種はもうやめることにして、通話とメール機能だけに絞った「らくらくホンベーシック」を選んだ。機能がたくさん用意されていても、日常的に使う機能はどうしても限られてしまうからだ。

あんな使い方ができる、こんな使い方もできる、と最初は物珍しさにいろいろと試してみるが、さまざまな機能を継続して使い続けるのは難しく、そのうち日常的によく使う機能だけしか使わなくなってしまうのがおちなのである。

料金プランをファミリーワイドにすると、基本料金が1,575円となり、今までより1,000円ほど安くなる。ただしこのプランは60歳以上が対象で、また通話料金は、30秒25円と高めである。

この機種に決めた理由がもう一つある。それは、歩数計を内蔵しているからである。さきほど、多機能は必要ないと書いたが、できるだけ歩くことを日常生活に取り入れようと思っているのであるから、歩数計は日常的に使う機能と成り得るのである。日常的に使うのであれば、機能が錆びついてしまうことにはならない。

先日買い求めた「医師がすすめるウオーキング」によれば、『ウオーキングはやはり、生活習慣病予防の切り札になる運動といってよさそうです。』ということである。また、一日一万歩を目安に行うのが効果的ということだが、まずは一日1000歩多く歩くことを目安にするのがよいということでもある。

毎日一万歩歩くのは難しそうなので、せめて出勤日には一万歩歩いてみようと心に決め、今日から朝も歩くことにしたのである。さて、今日は果たして一万歩歩けたのだろうか。ケータイの歩数計で確かめたところ、次のような数値だった。
 10,135歩
なお、昨日はまったく外出しなかった。家の中だけで動いた歩数は、以下の通りだった。
 1,067歩
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月16日

退職後のある一日

4月も半ばを過ぎ、少しずつ退職後の生活が日常化してきた感がある。先週の出勤日に、ある人から
「来ないときは、何をしているんですか」
と訊かれた。いろいろなことをしているのだから、簡単に説明することはむずかしい。
「自由を満喫していますよ」
とっさにそんなふうに答えてしまった。
しかし実際には、自由を満喫する生活にはほど遠い。六畳ほどの仕事部屋は、雑多な荷物で埋まっているし、勤務先から持ち帰った段ボールが、今もまだまだ積み上げたままだ。早くかたづけなければと気はせくが、なかなかかたづける時間がとれない。

週に二日しか勤めに出ないのだから、世間の人が、暇な生活を送っているんだろうなと思うのももっともなことなので、いかに忙しく、一日があっという間に過ぎてしまうかということを明らかにしておきたい。

朝食の後コーヒーをいれ、それをすすりながら、栗らくがんをかじりながら、新聞にじっくりと目を通す。なおコーヒーは、夫人に、
「今朝はいかがいたしましょうか」
と注文をとってから、夫人の分もいれるのである。

じっくりと読んだ記事は、次の二つだった。
○『ウェブが変える 仮想の街で「別の人生」』
 「セカンドライフ」というサービスに関する記事。
○『反グーグル包囲網』
 動画配信のグーグル・ユーチューブ連合に対抗して、著作権を守る合法サイトを今夏から開設するという記事。

そうこうしているうちに、1時間などはすぐに経ってしまう。そして、2台のパソコンに電源を入れる。以前から使っている水冷パソコンは、土曜日から日曜日にかけて、音楽の再生ができなくなってしまった。

Windowsにログインしてしばらくすると、
 svchost.exeア プリケーションエラー
 Generic Host Procces for win32 Service
こんなメッセージが出て、「サウンドとオーディオデバイス」の設定内容からオーディオデバイスが消えてしまい、Media Playerで音楽ファイルの再生ができなくなってしまう。

ネットで調べてみると、上記のエラーメッセージはよく出るらしい。その対策もいろいろ載っていたので、そのうちの二つを試してみた。
○Windows xp 用の更新プログラム(KB894391)のインストール
○「ウィルスセキュリティ」のアンインストール
しかし、状況は変わらなかった。

再起動すれば、オーディオデバイスは復活する。Media Playerを立ち上げて再生しようとすると、同じ状況に陥ってしまう。再び再起動して、今度はほかの再生ソフトを使ってみると、問題なく再生できる。

実はこういう問題が起こる前に、Media Playerをバージョン10から11にあげていた。それによって引き起こされた問題なのだろうか。しかし、ほかにもいろいろなソフトをインストールしているので、それの影響かもしれない。こうなると、もう原因をつきとめるよりは、Media Player11をはじめとして、いろいろなソフトをインストールする以前の状態に戻す方が、手っ取り早く問題を解消できそうである。

そう判断して、「システムの復元」をすることにした。そして2週間ほど前の状態に戻したところ、Media Player10は、ローランドのEDIROL経由で、スピーカーから音を出してくれた。

音が出るまで丸二日間を費やしてしまった。こんなことがあったので、今朝はたして音楽ファイルを再生できるかどうか心配だったが、アルバム「イーハトーブ〜心の故郷〜」におさめられた曲「ふくろう森」は、穏やかに音を奏で始めた。

音楽をバックに流しながら、夕方までかけて主として以下のことを行った。
○「SanDisk Cruzer U3 フラッシュドライブ」の利用
○「MyDocomo」へのユーザー登録
○「SAKURAインターネット」への入金方法の変更
○クレジットカードのインターネットでの申し込み

夕方になって、「離職票」が届いた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月14日

いちはつ

朝から晩まで、ひねもす小鳥の鳴き声が聞こえた。恋の季節なのだろうか、若い女の子の嬌声を思わせるはしゃぎようだった。こういう時は、近づいていっても、互いのおしゃべりに夢中になっていて気がつかないのだろう、あわてて逃げ出すことはない。
数日前にいちはつが一輪咲いて、その白く薄い花びらが、どうぞ見てくださいとでも言いたげに、庭の柵のすき間から表の道路に顔をのぞかせていた。そして昨日、いつの間にか一輪ふえて、表の道にそろって顔を出しているのに気がついた。

一年前にも書いたが、いちはつが咲くと子規と母親のことを思い出す。夫人は月の命日まで憶えていてくれるが、私は忙しさにかまけて命日までつい忘れてしまう。そんな私にも、いちはつは故人を思い出させてくれる。故人を偲ぶよすがとして、いちはつはこれからも毎年花を咲かせてくれるに違いない。

先週の東金行きの時、夫人は母親の小さな遺影を携えていた。そして御殿山の歌碑の横で写真を撮るとき、その写真を胸の前にかかえていた。母親がまだ健在だったころ、歌碑をさがしに来たことがあったが、その時は見つけることができなかった。その後も機会に恵まれず、とうとう母親は歌碑を見ることなく亡くなってしまった。遺影を伴って来たのは、歌碑を見せてあげるためだった。

そういえば、その時撮った写真をまだ印刷してなかった。忘れないうちに印刷して、新潟にも送らなければならない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月13日

小さなフクロウと大きなフクロウのめぐり合わせ

東金に行ってから、もう1週間も経ってしまった。その時ご一緒した奥様から、丁寧なお礼状をが届いた。その文面の最後に、コノハズクの声を聞く会が、6月に胎内で行われることが記されていた。
昨年もその会のお知らせをいただいたのだが、仕事を持つ身にとって新潟はいかにも遠い、退職後の愉しみにとっておいた。具合よく週二回の出勤日にも重ならないので、今年は参加してみようかと夫人と話している。

二・三日前、「ふらんこにあログ」の掲示板に、胎内にコノハズクを探しに行くかもしれない、と書き込んだその矢先にこういうお知らせをいただいた。なんとなく不思議なめぐり合わせのような感じがする。コノハズクともうまくめぐり会うことができればいいのだが。

今朝の朝日新聞に、フクロウの記事が二つ載っていた。一つは、『「最小」のフクロウ自然の姿』と題された記事で、南米の熱帯林で「カオカザリヒメフクロウ」確認されたことを伝えていた。

このフクロウは、体長十数センチほどの大きさということだが、私が見たもっとも小さなフクロウは、富士国際花園にいる「アカスズメフクロウ」である。体長約15センチほどで、手のひらにちょこんと乗った姿は愛くるしく、きょとんとした小さな丸い目を見ていると、かわいさを通り越して生き物の切なさを感じさせるほどである。
アカスズメフクロウ http://www.kamoltd.co.jp/fuji/pygmy.htm

もう一つの記事は、第8回「明日への環境賞」を受賞した山本純郎さんに関するものだった。山本さんは、世界最大のシマフクロウを34年間見守り続けてきたそうだ。国の天然記念物のシマフクロウは、山本さんがいなかったら絶滅していただろうとも言われているそうだ。

山本さんの名前を何かの本で見たことがあるなあ、とつぶやいたところ、すぐさま夫人が本棚から一冊の写真集を取り出してくれた。写真集「梟」(2001年11月、文一総合出版)だった。三人の著者の中に、山本純郎さんの名前があった。この写真集には10種類のフクロウの写真と解説が載っているが、シマフクロウのところは、もちろん山本さんの写真と解説だった。

最小のフクロウ、そして最大のフクロウ、両極端のフクロウに関する記事が同時に掲載されるのも、不思議なめぐり合わせである。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月12日

Pasmo需要予測の失敗

Pasmoが売れすぎて、在庫が足りなくなり、販売を控えるそうだ。あわてて製造元に追加発注したということだが、8月にならないと納品されないらしい。私などは、販売直後に購入して、その便利さに感動して、夫人の分も勝手に購入してプレゼントしたのだ。だから我が家では、私と夫人とで2枚所有している。
そもそもの原因は、需要予測を誤ったことにあるらしい。先行して発売されたSuicaの発売当初の枚数をもとにしてPasmoの枚数を予測したらしいが、そういう方法を用いたのが間違いだったということだろう。

Pasmoの最も便利な点は、JR・私鉄・地下鉄などの異種路線で共通して利用できる点にある。特に乗り継ぎをする際には、いちいち精算する必要がないので非常に便利である。今ではSuicaもPasmoと同じような使い方ができるが、以前は、まだ異種路線で共通して利用できるという最大の利点がなかった。だからその当時のSuicaの販売枚数に基づいて推測するという方法が、土台間違っていると言わざるを得ない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月11日

Web2.0

注文しておいたパソコンが届いた。OSはVistaではなく、XPにした。ウィンドウズVistaが発売されて、もうだいぶ経つが、普及の程度はどうなのだろうか。アプリケーションソフトウェアの対応がそれほど進んでいないこともあるので、買い控えている人も多いのではないだろうか。
こういう状況もあるので、仕事用として使うパソコンはまだまだXPを使った方がよいと判断して、XPの入っているものを選ぼうと思い、ネットで注文しようとした。しかし、ネット上のダイレクト販売は、もうVistaを入れたものばかりで、かろうじて企業用としてXPパソコンが販売されている。ただ企業用なので、個人では購入できない。以前エプソンダイレクトで購入したことがあるのを思いだし、そちらをチェックしたら、OSとしてXPを選択できることがわかり、今回はエプソンに注文した。

遅ればせながら、先日「ウェブ進化論」(梅田望夫、ちくま新書)を読み終わった。「Web2.0」という言葉が、いまひとつよく分からなかったが、この本を読んで何となく分かったような気になった。これからは「ネットのこちら側」つまりエンドユーザーの側ではなく、「ネットのあちら側」つまり情報を蓄積している側に重要性がシフトしていくということのようだ。ということは、最新のOSでなくても、OSがXPのままであっても、あまり問題はないということなのだろう。マイクロソフトの一人勝ちの時代も、そろそろ終焉を迎えつつあるのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月10日

真間川から大門通りへ

穏やかな暖かい日和りに恵まれて、仕事からの帰り道今日も歩いた。JRの市川駅まで、時間にして30分ほどの距離だった。

途中で道を折れて、真間川沿いを行く。故中野孝次さんの幼い頃を追憶した文章に、この真間川の桜の花について書いたものがあったと記憶している。残念ながら、題名は忘れてしまった。

昔の真間川はよく氾濫したそうだ。住民の生活を守るために護岸工事をせざるを得なくなったということだが、そのために桜の樹もかなり伐採され、川沿いの風景が一変してしまったという。しかしそれでも桜の季節になると、川の流れをはさんで桜花が連なる。

両岸には、私の腰あたりの高さで、コンクリートの壁が流れに沿って続いていく。その脇の小道を歩いていくと、どんよりと暗緑色に濁った川面に、桜いろの花が風に吹き寄せられ、ところどころに細長い島を作って浮かんでいるのが目に入ってくる。

真間川に架かる小さな橋を渡り、大門通りに入る。この道を歩くのも久しぶりのことだ。昔ながらの小さな店が軒を連ねている中、一軒の八百屋さんの前を通り過ぎたとき、あることを思い出し、わざわざきびすを返して、そのことを確認した。

大根は店先に並べられていた。1本180円だった。昨日、夫人と探し求めた大根、最初はスーパーの野菜売り場、次に農家直営の八百屋さん、そしてとれたて野菜の店という具合に、ユーカリが丘の街を探し回ったけれど、結局それは手に入れることができなかった。

14号線の横断歩道を渡れば、市川駅まではもう5分とかからない。駅ビルの本屋さんで、「医者がすすめるウオーキング」(泉嗣彦、集英社新書)を買い求めた。
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2007年04月09日

空色の卵

近頃、キジバトがよく鳴く。今朝も近くで、
ほーほーゴッゴ、ほーほーゴッゴ
と、繰り返し鳴いていた。かつては私の家の庭木で鳴いていたこともあったが、近所に引っ越してしまったらしい。
何年か前の朝、戸袋の中でガリガリとツメを立てる音が聞こえたことがある。何の音だろう、と聞き耳をたてていると、しばらくして飛び立っていく羽音が聞こえた。なんの鳥かは分からなかったが、戸袋の中に巣を作ったらしい。そんなところに巣を作られたのでは、雨戸を開けることもできない。

親鳥は飛び立ったようなので、雨戸をはずして戸袋の中を懐中電灯で照らしてみたところやはり巣があった。下の方にほのかに青白い光を発するものがあった。光を向けてみると、小さな楕円形の卵らしい。すき間から手を差し入れて、手にとってみた。

朝の光の中で見る小さな卵は、透きとおるような美しい空色だった。小鳥の卵で、こんなにきれいな色のものを、今までに見たことがなかった。いったいどんな鳥なんだろうと思い空を見上げてみたら、隣家の屋根のテレビアンテナに、ムクドリがとまってこちらを見ていた。

ずんぐりむっくりしたムクドリが、こんなに美しい卵を産むとはまったく思いがけなかった。こんなにきれいな卵にしなければならない理由というものが、いったいあるのだろうか。かえって目立ちすぎて、卵を危険にさらすことにはならないのだろうか。そんなことも思われてくる。

三浦哲郎さんの東北の郷里では、ムクドリのことをサクランドリと言うそうだ。「いとしきものたち」(2002年10月、世界文化社)におさめられている「サクランドリの卵」という文章の中で、次のように書かれている。

『私たちは子供のころ、椋鳥のことをサクランドリといっていた。ちょうど桜の季節に渡ってきて産卵するからだろうか。』

いつの間にか、戸袋の中でガリガリとツメを立てる音は聞こえなくなった。ヒナ鳥が戸袋の中から無事巣立って行ったのどうか、その姿を目撃することはできなかったので、なんとも言えない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月07日

シロアリ検査員

シロアリ検査の業者さんが来るのを、先ほどから待っているいるのだが、約束の10時になってもまだ来ない。床下にもぐり込むためには、台所の地下収納庫から入らなければならない。夫人が収納庫におさまっていたものを取り出して、床に並べているため足の踏み場もない。だから、シロアリ検査が終わってから、コーヒーを入れようと思っているのだがまだ来ない。
先日、私が留守番をしているとき、その業者さんから電話があった。シロアリの検査をしたいが、何時がいいかという問い合わせだった。シロアリ検査といえば、すぐに悪徳業者ではないかと思うように思考回路ができてしまっている。うっかり約束をしてしまって、あとで法外な費用を請求されてはたまらない。そこで、夫人が外出中である旨を伝えて、あとでこちらから電話をすることにした。

オレオレ詐欺の場合も、怪しい電話がかかってきたら、即答は避け、相手の電話番号をきいて、後で改めてかけ直すようにした方がよいと聞く。それと同じ対応をとったということだ。
「携帯電話の方にかけていただけますか」
と電話の主は言う。携帯電話とは、ますますもって怪しい。しかし、ともかく電話番号を聞いておくことにした。

帰宅した夫人に電話の件を伝えたところ、以前、トステムに依頼してリフォームした時に、シロアリの駆除もついでにしてもらい、そのあとアフターサービスとして5年間は、年一回の検査をしてもらえるということだった。どうやら取り越し苦労であったようだ。

しばらくして、そのシロアリ検査員さんから電話があった。ふくろう街道が渋滞していて、着くまでもう少し時間がかかるということだった。夫人は、遅れることを連絡してきたことを、たいそうほめていた。以前リフォームの最中、担当の大工さんが、約束の日に2回も連絡無しで来なかったことがあったそうだ。そのいい加減さに比べれば雲泥の差ということである。

シロアリ検査は、30分ほどで終わってしまった。仕事部屋の窓から、シロアリ検査員らしき人影が、家の前に止めてあった車の中に入って行くのが見えた。それを確認してから、台所に行きコーヒーを入れる準備に取りかかった。床には、まだ床下収納庫から取り出した物が置かれている。その間を縫って、電子水をコーヒーケトルに入れ、ガスコンロに掛ける。

そのとき、くだんの検査員さんが入ってきた。不意を突かれてしまったが、こういう時は慌てふためいてはいけない。あくまでも冷静さを装わなければいけない。
「あッ、どうもお世話さまです」
「おわりました。まったく問題ありませんでした」
こう言うシロアリ検査員さんは、髪に白いものがまじった実直そうな人だった。職人さんというよりは、普通のサラリーマンタイプの風貌だった。

60歳を少し越えた年格好だったことから推察してみると、すでに定年退職しているのであろう。退職後、今までの経験をいかして、アフターサービス担当として、非常勤で勤めているのかもしれない。そう考えれば、携帯電話で連絡してきたことも理解できる。定年退職した人が、その後どのように仕事と関わっているか、そんなことがなんとなく気にかかる。一年後に、その人がまた検査に来てくれるということだから、憶えていれば訊いてみることにしよう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2007年04月06日

東金時間

お世話になった方の奥様が、父親の歌碑をご覧になりたいというので、東金にお連れした。8時半に家を出て、八千代台のお宅にお迎えに行き、前回と同じように県道296号線、別名ふくろう街道で東金に向かった。
朝は寒かった。昨日東京では、みぞれが降ったらしい。今頃になって寒さが戻ってきた。そのおかげで、桜の花が長持ちしている。東金の桜もまだ2〜3分散りだった。花の盛りが過ぎたせいか、先週の金曜日と比べると、人出も少なく出店も少なかった。

途中渋滞もなく、10時過ぎには最福寺横の駐車場に車を入れることができた。そのまますぐ御殿山の歌碑に向かう。手提げバックの中には、ノコギリとナタが入っている。

御殿山の坂道を登って行くとき、左下に見える県立東金高校の校舎から、生徒たちの声が聞こえてきた。学校はもう新学期を迎えたらしい。
「この学校の生徒さんはいいわね」
と、奥様が繰り返す。校舎は、徳川家康の東金御殿の跡地に建てられたという。その校舎で学ぶことのできる生徒たちを、さかんにうらやましがっていた。

「もう11時40分よ」
と夫人が教えてくれるまで、時間のたつのも忘れて、歌碑の周囲に倒れ朽ちている孟宗竹を、持参したノコギリ・ナタで取り除くために格闘していた。まだ残っている竹もあるが、昼食は12時に予約してある。早々に切り上げて八鶴亭に向かう。

泥にまみれた靴で、明治十八年創業の元料亭に足を踏み入れるのは気が引けたが、靴を脱いであがることになっていたので助かった。食事をとる部屋は、元料亭であった雰囲気を残した畳敷きの大広間だった。そこにテーブルと椅子が配置され、和洋折衷の文明開化の時代を髣髴とさせる。ガラス窓からは八鶴湖がよく見えた。

夫人と奥様は魚料理、私は肉料理をいただいたあと、店の女性がお皿を片付けにきた。私の皿にはナイフとフォークがのっていた。
「恐れ入りますが、ナイフとフォークを移していただけますか」
箸を置くものを箸置きというが、ナイフとフォークを置くものはなんと呼ぶのだろう、よく分からないがともかく皿の横に置かれている金具の上に移した。コース料理では、皿と一緒にナイフとフォークを片付けるが、ここでは次の料理にも同じナイフ・フォークを使うらしい。

そのまましばらく待っていたが、一向に次の料理が運ばれてこない。前回来たときにも感じたことだが、ここ東金は、ゆったりと流れる時間に全てが包まれている。あわただしい日常に身を置いている人間は、初めてこの地を訪れた時、それにとまどう。私もまだ、その東金時間に慣れていないのだろう、次の料理が運ばれてくるまでのその間合いの長さに、少しいらだちを感じ始めていた。

夫人と奥様のナイフ・フォークも、金具の上に置かれている。
「わざわざナイフとフォークを残しているんだから、次もそれを使う料理が出てくるんだろうね、きっと。メニューを印刷したもの、ある?」
と、夫人に訊いたところ、残念ながら八鶴亭のホームページから印刷したものは手元にないということだった。

「なにが出てくるのかしら」
と奥様も期待を込めておっしゃる。
「そうよね、わざわざお皿にのっていたナイフとフォークをどけさせたんですものね」
と夫人も、同調する。

しかし、いつまでたってもテーブルの上は、大皿がピッタリとおさまるほどの空間が、スッポリと抜けたままになっていた。食事を始めてから小一時間たった頃、ウェイターがやってきて、
「失礼します」
とだけ言って、三人のナイフとフォークを片付け始めてしまった。三人はあっけにとられて、だだ見ているだけだった。

ナイフとフォークがテーブルの上に残されていた時間は、15分ほどだっただろう。何かの手違いだったのだろうか。それとも幻想の料理をサービスするための手の込んだメニューの一つだったのだろうか。片付けることもできない深い謎が残ってしまった。
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2007年04月05日

桜花3分散りの中、井上ひさし展を見る

2回目の出勤、前回よりは少し早く家を出て、普通電車を利用した。特急電車とは違い乗客の少ない各駅電車にノンビリ座っていると、とりとめのない思いが次々と湧いてくる。電車に乗っていると、いろいろなアイデアが浮かんでくるのは、なぜだろうか。
1時少し過ぎに職場を出て、3月までは自転車に乗って朝晩通った桜並木を、歩いて帰ることにした。桜は盛りを過ぎて、花びらがはらはらと舞っているが、この頃の方が風景に動きがあっておもしろみがある。

たとえば二分咲きあるいは五分咲きというような言い方はあるが、散り方には使わない。しかしそれでは咲くことだけを偏重してしまうことになる。桜が散る時についても、哀惜をもってその散り方を愛でるためにも、「何分散り」という言い方を使ってみると、ちょうど「三分散り」といったところであろう。まだまだその散り方を楽しむことができる。

桜花がときどき流れる中を、歩いていくのは気持ちがいい。桜は散るときが一番美しいのに、人はなぜ満開になることだけを心待ちにしているのだろうか。

桜並木から五分ほど歩いたところに、「市川芳澤ガーデンギャラリー」がある。井上ひさし展を行っていたので、立ち寄ってみた。井上ひさしさんは、市川で20年間を過ごした。永井荷風と松林に惹かれて、下総国分寺そばに転居したそうである。この間、昭和47年に「手鎖心中」で直木賞を受賞した。

国分に住んでいたときの書斎を再現したコーナーがあった。種々雑多な本が、うずたかく乱雑に積み上げられていた。人の、特に作家の書斎を見ることなど、なかなかできるものではない。本の量ではもちろん及びもつかないが、乱雑さの程度では私の部屋も負けていないな、などと変なところで得意な気分になる。

「ガーデンギャラリー」と呼ばれているだけあって、庭もなかなかすばらしい。展示を見たあと、穏やかなあたたかな日射しの中、そして鳥たちの春の声を聞きながら、時間に追われず過ごすことができることを感謝しつつ、しばらくの間庭のたたずまいを楽しんだ。
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2007年04月03日

初出勤

今日は退職後、今までとは違う立場での初出勤だった。9時までに出勤すればよいので、家はほぼ一時間遅く出た。
一時間遅いと、最寄り駅に向かう車の台数が違う。信号待ちを2・3回しなければならなかった。駅の混み具合も違う。乗車する電車も違うので、車内で見る顔も今までとはまったく違う。

自転車は家に運んでしまったので、一つ先の駅から徒歩で職場に向かう。久しぶりで足を踏み入れた職場は、桜がすでに満開を過ぎて散り始めていた。事務室に挨拶して、サーバー室に入る。これから1年間、火・木曜の午前中を過ごすことになる。

一度退職の挨拶をした人間が、元の職場に顔を出したとき、いままで通り勤めを続けている人は、どう感じるのだろうか、私への接し方が変わるのだろうか、そんなことを思いながら様子をうかがっていたが、なんの変化も感じられなかった。

新人のユーザー登録、サーバー内フォルダのセキュリティ設定変更等、年度初めにしなければならない作業を行う。初任者研修の一環として、職場に設置されている端末の使用の仕方・使用上の注意点などを説明する。

そんなことをしているうちに、4時間はまたたく間に過ぎてしまい、1時を過ぎてしまった。勤務時間は1時までなので、やり残したことはあったが職場をあとにする。帰宅途中、船橋で途中下車して、西武内の三省堂に寄り、本を求める。

○「不都合な真実」、アル・ゴア、ランダムハウス講談社、2007年3月12日第13刷、2800円
○「失われた時を求めて 12 第七篇 見出された時T」、マルセル・プルースト、鈴木道彦訳、集英社文庫、、2007年3月25日第一冊、1048円
○「作家の生き方」池内紀、集英社文庫、2007年3月25日第一刷、495円

映画「不都合な真実」は、夫人が見たいと言っていたのだが、上映している映画館が少なく、上映期間も短かったため、残念ながら見逃してしまった。その映画の書籍版が、平積みとなっていたのをたまたま見つけ、迷わず購入した。
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2007年04月02日

野球応援グッズ

昨日の野球観戦では、久しぶりのことだったので、応援グッズを持参するのをすっかり忘れてしまった。次回のために、復習しておくことにしよう。
・小旗
・タオル
・双眼鏡
・ヤッケ…急な降雨に供えるため、また海が近いので、冷たい風をさけるため。

去年までは、小旗を振って応援することはなかった。だからせっかく買った小旗を、去年は使うことはなかった。ところが今年は小旗を振って応援する方式を取り入れたようで、試合が始まってすぐに、球場全体で小旗を一斉に振り出したことには、おどろかされた。

バレンタイン野球の良さは、以下の二点にあると思う。
・積極性
・ミスの少なさ

しかし、昨日の試合では、それが見られなかった。たとえばセカンドゴロを、待って捕球したため、ダブルプレーがとれなかったということがあった。積極的に前に出て捕れば、間に合ったと思われる。

また、ファーストゴロを横っ飛びに見事に捕球したあと、自分で走ってファーストベースを踏んだ。ところが間一髪でセーフとなってしまった。ベースカバーに入ってきたピッチャーにトスすれば、必ずアウトを取れるタイミングだった。とっさの判断ミスがファインプレーを逃してしまった。

一昨年を振り返ってみると、どんなに緊迫した場面でも、積極的な野球をしてそれがミスのなさにつながった。その野球を思い出してくれれば、今年も期待できる。
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2007年04月01日

セカンドステージ

今日から4月、書類上でも29年間勤めた職場とわかれ、いよいよセカンドステージが始まる。これからの10年は、黄金の10年と呼ぶ人もいるが、はたしてどのような10年になるのか、楽しみである。

昨日、東京アカイヌ王国のお二人を訪ね、ウェブカメラの設置とSkypeのインストールをしてきた。これで料金を気にせずテレビ電話を利用できる。先ほどまで、一時間以上テレビ電話でやりとりをした。50分を過ぎたところで突然切れてしまったが、これは連続して長く使いすぎたためなのだろうか。すぐに再接続したところ、問題なく通話できた。

ウェブカメラはロジクールの130万画素のものを使っているが、そのカメラにマイクが内蔵されていることを、アカイヌさんが教えてくれた。説明書をよくチェックすれば分かることなのだが、不覚にもいままで気がつかなかった。それを使えば、ヘッドセットを使わなくても、音声でのやりとりができる。

先日抽選に当たって送られてきた招待券で、マリーンスタジアムのロッテ対ソフトバンクの試合を見に行った。今期初めての観戦となる。今日はおだやかに晴れた日和で、突然の雷雨に見舞われることもなく、野球観戦にはもってこいの天気だった。試合はソフトバンクの一方的なペースで進み、7回にロッテも意地を見せて反撃したが、流れから見て勝ち目はないと踏んで、また風も冷たくなってきたので、その回で球場をあとにした。今年のソフトバンク打線は、破壊力がある。勝つのはなかなか難しそうだ。
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