2008年01月02日

お正月と富士山

旧暦:11月24日

元日に続き今日も快晴、時折強い北風が吹き抜けたが、澄んだ青空が広がった。関東周辺各地の高所では、青空のもと白雪を冠した富士山がくっきりと見えたことであろう。

富士山を詠んだ歌としてまっさきに思い浮かぶのは、やはり山部赤人の次の歌である。

田子の浦ゆうちいでてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
(万葉集318)
この歌は、百人一首にもとられている。
田子の浦にうち出でてみれば白妙のふじのたかねに雪はふりつつ
(百人一首4)

このように万葉集とは語句の異同があり、その違いによって、両者が想起させるイメージには大きな違いが生じる。共に「青」という色は直接表現されてはいない。しかし、万葉集の歌の、『田子の浦ゆ』の「ゆ、『真白にぞ』、『降りける』という詠み方によって、青空の「青」と富士の冠雪の「白」という二つの色の対比が鮮明なイメージとなって思い浮かんでくる。

快晴のお正月に見える富士の姿は、万葉集に詠まれた富士のイメージに近いということなのであろう。

物心ついてからのことを思いだしてみると、正月三が日に雨の記憶はないが、実際にはどうだったのだろうか。試みに永井荷風の「断腸亭日乗」(岩波文庫、下)で確認してみたところ、圧倒的に晴れの日が多かった(「上・下」の両巻で確認するべきなのだろうが、すぐ目につくところには下巻しかなかった)。

二十歳のころまで住んでいた吉祥寺の住所は、転居するまでには「本町四丁目」となっていたが、古くは「富士見通」だった。そのあたりからも富士山が見えたことからつけられた地名であるとするのが、一番わかりやすい説明になるのだが、その一帯が小高い場所で特に富士山がよく見える場所ということでもなかったので、どうしてそこだけが「富士見通」となったのかよく分からない。

「吉祥寺」という地名は、もともとは水道橋にあった寺の名前からつけれれたのだそうだ。明暦の大火のあと、「吉祥寺」周辺に住んでいた人びとが移住して、その新開地を吉祥寺と名付けたとされている。

水道橋の近くには、富士見町という地名が現在もある。もと住んでいた土地を懐かしんで、それを移住先の地名に用いたのであれば、同じ命名の仕方で、「富士見」を移住先の吉祥寺の地名に用いたということも考えられないこともないが、きちんと調べたわけではないので確実なことは言えない。

富士山にちなんでつけられた「富士見」という地名は、いったいどの位あるのだろうかと思い、調べてみたところこんなページが見つかった。

「富士見地名一覧」
http://folomy.jp/fyamap/fujimichimei.htm

佐倉に近いところでは、以下の地名が載っている。
 流山市 富士見台    
 浦安市 富士見    
 八街市八街 北富士見   
 八街市大関 富士見台    
 四街道市大日 富士見ヶ丘

神奈川・山梨・長野・静岡などに多いのは当然のことながら、遠く長崎にも「富士見町」が存在する。もちろんのことほんとうの富士山は見えないが、上記「富士見地名一覧」によれば、『富士山型の金比羅山に由来』するらしい。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗