2008年02月29日

確定申告

旧暦:1月20日
はれ。暖かい一日だった。

鼻がムズムズして、クシャミが出る。最初は風邪かなと思ったが、どうも花粉症の症状が出たようだ。何年か前まで、花粉症など自分には関係ないものだという自信があった。しかしその自信も、2・3年前からもろくも崩れ去ってしまった。

確定申告の書類を郵送した。初めてのことで分からないことも多々あったが、なんとか作成することができた。

まず、国税庁の「確定申告書等作成コーナー」にアクセスした。
https://www.keisan.nta.go.jp/h19/ta_top.htm
『今年のe-Taxは一味違う!!』という見出しがすぐ目に入ってくる。HPから『カンタン申告』できるということだから、これは便利だと思い、『初めてe-Taxをご利用の方はこちら』ボタンをクリックした。

ジャンプ先のページには、以下の手順が示されている。
ステップ1 準備しよう
ステップ2 登録しよう
ステップ3 作成・送信使用
ステップ4 確認しよう!

実は『カンタン申告』とはうたっているものの、説明を熟読してみると、初めて使う人にとっては、ステップ1・2をクリアーするのがとても大変なことだということが分かった。大変なこととは、以下の点である。

○電子証明書の取得とICリーダライタの用意

この点は、具体的には以下のことをしなければならない。
〔1〕電子証明書を取得する手順
@住民基本台帳カード(ICカード)の入手
A電子証明書発行申請書等の提出
B電子証明書(公的個人認証サービスに基づく電子証明書)の入手

まず@の「住民基本台帳カード」がなければ、次に進むことができないので、それの入手について佐倉市役所に問い合わせてみた。すると、カードの在庫がなくなり、2月29日にならないと発行できないということだった。昨年の「PASMO」と同じ状態になってしまっていた。

仮に「住民基本台帳カード」が手に入ったものとして、次に進んでみよう。前もって準備しておかなければならないものが、もう一つある。「ICリーダライタ」である。これは自分で購入しなければならないのである。

これは『家電量販店やインターネット販売で購入でき』るということなので、ネットで調べてみた。たとえば非接触型だと次のようなものがあった。

「シャープ 【非接触型】ICカードリーダライタ RW-4010」
 値段:16000円〜20000円程度
安価なものだと、次のようなものもあった。
「シャープ【接触型】ICカードリーダライタRW-4040」
 値段:3000円程度

この準備の段階で、心が折れてしまった。確定申告をするための道のりが、遙かかなたまで続いているような感じがした。

こんなに面倒なことをしないでも、もっと簡単に作成する方法があるのだ。それはやはり「e-Tax」のシステムを使うのだが、ステップ1・2を飛ばして、ステップ3「作成・送信しよう!」から始めてしまうのだ。ただし、電子証明書がないから送信はできない。その代わりに郵送するのである。

@申告書の作成
…源泉徴収票に基づいて、数値を入力する
A申告書データの保存(保存しなくてもよい)
B作成した申告書の印刷
…印刷ボタンをクリックすると、自動的にPDFファイルが作成される。それを印刷すればよい。
C郵送
…普通便または信書便

大切な書類なのだから、「信書便」で送るよう指定すればいいようなものだが、実際には普通便・信書便のどちらで送ってもいいことになっている。郵便局で尋ねたところ、普通便・信書便を選ぶ人は、だいたいのところ半々ということだった。
「普通便でも親書便でも、必ずお届けしますよ」
と自信を込めて言うものだから、普通便で送ることにした。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月28日

六義園の「梅林」

旧暦:1月19日
はれ、ときおり冷たい風が吹いたが、日だまりにいると暖かさを感じる。

先日は浜離宮恩賜庭園を訪ねたが、今日は、梅の花を訪ねて文京区の庭園・植物園を巡る企画をたてた。
 六義園
  ↓
 小石川植物園
  ↓
 小石川後楽園

このような順序でまわる予定だった。まずJR駒込駅でおりて、六義園を訪ねた。駒込駅に着いたのが2時半ごろ、その時間から歩いて3箇所をまわるのは、どだい無理なことだった。六義園の暖かい陽差しに包まれた茶屋で過ごしていると、一休みのつもりがズルズルと居座ってしまい、少し寒さを感じる時間になるまで長居してしまった。残りの2箇所はあきらめざるを得なくなった。

浜離宮は将軍家の庭園だったが、六義園は川越藩主・柳沢吉保が築園した大名庭園である。浜離宮を訪ねたときは、周囲が高層ビルにぐるりと囲まれていて、どうにも落ち着いた雰囲気を味わえなかった。ちょうど修復工事をしていたせいもあるかもしれない。

六義園もビルに取り囲まれてはいるのだが、高層ビルは少なく、背の高い樹木がビルを隠してくれているおかげで、都心とは思えない静かな時間が流れていた。ただ一つ難点があり、それがしじまを破る元凶となっていた。

カラスの鳴き声も、六義園のように由緒ある庭園で聞くと、趣のあるものとして聞こえてくる、ということはまったくない。やはり、カラスの鳴き声は、どんな場所で聞いてもカラスの鳴き声なのである。場が鳴き声の印象を変えるなどということはない。ともかくも、六義園にカラスは多かった。

まさにカラスにとっては、六義園は楽園であり、池の中央にある中の島のほとりでは、水浴びまでしていた。江戸時代からこのようにカラスが多かったのではないだろう。樹木の手入れに心を砕いても、カラスが大声で鳴きながら勝手気ままに飛び交っているのでは、台無しである。音響・空間の手入れもするべきであろう。

「この庭園に、梅林はありますか」
と茶店のひとに尋ねたところ、
「梅の木は、藤代峠を越えたところにありますよ」
と教えてくれた。
「もう見頃になっていますか」
この問いかけが耳に入らなかったのか、
「12本ぐらいありますよ」
と、少し間があってから、店の人は答えた。

私が梅林の有無を尋ねたので、「12本ほどの梅の木を梅林と呼べるだろうか、いや梅林と呼ぶのは無理だろう」、と自問自答して、その結果、梅林の有無を直接答えず、具体的な梅の本数で答えたのだろう。申し訳ないことを訊いてしまったのかもしれない。

六義園で一番高い築山である藤代峠の麓に、「梅林」があった。確かに梅林と呼ぶには樹木数は少なかったが、見事に白い花を咲かせていた。ちょうど見頃だった。里見公園から観梅の行脚を続けてきて、やっと六義園で満足できる開花状態の梅の花に出会った。藤代峠に登り、麓を見下ろすと、白梅が春の陽差しを集めて、その周辺だけを白くかがやかせていた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月27日

ネットワークハードディスク

旧暦:1月17日
はれ、また冬が戻ってきた。空気の冷たい一日だった。

息子は、昨日で編集作業は終わったそうで、今日は久しぶりで家にいた。

昨日、秋葉原のソフマップで購入したネットワーク対応ハードディスク「LinkStation」を、ハブにつなぎ必要な設定を行った。同梱されているソフトウェアをインストールして、画面の指示に従って操作していけば簡単に設定作業は終わる。

このハードディスクは、2台のディスクが内蔵されていて、「RAID0」モードでは、2台を一つのディスクとしてとして使用し、「RAID1」モードでは別々のディスクとして使用する。データを保存する際には、それぞれのディスクに同じデータを書き込む。従って一方のディスクが故障しても、それを交換してもう一方のディスクからデータをコピーして元通りの状態に戻すことができる。いわゆるミラーリングを行って、ハードディスクの障害に備えるのである。

今後は、データの保存はパソコンのハードディスクに保存するのではなく、このネットワークディスクに保存していこうと思っている。そうすれば、ネットワークに接続している複数のパソコンで、そのデータを共有して使うことができる。また、パソコンを買い換えたときには、新旧パソコン間でデータの移動という面倒なことはしなくてすむ。つまりファイルサーバとしての役割を担ってくれるということだ。

まづ手始めに、現在パソコンのハードディスクに保存されているデータを、ネットワークディスクに移動しなければならない。「LinkStation」自体は1Gbpsの転送速度に対応してしているが、パソコンのLANカード・ハブは100Mである。たからUSB接続ほどの速度はでないのは当たり前なのだが、実際には予想を下回り、データの移動にかなりの時間がかかってしまった。試みに、280MBのファイルを一つ移動してみたところ、約44秒かかった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月26日

「ザ・コンピュータ館」閉店

旧暦:1月17日
くもり、夜になって雨

バックアップ用として使っている外付けのハードディスクの容量が、残り少なくなってきた。そこで仕事帰りに秋葉原に寄り、購入することにした。価格.コム(http://kakaku.com/)で最安値の店をさがし、場所の見当をつけておいた。

その店は電気街の方にあった。「Yodobashi-Akiba」ができてからは、どうしてもそちらに足が向いてしまい、電気街には行かなくなってしまった。だから電気街の方に行くのは久しぶりのことだった。

以前はラオックスの「ザ・コンピュータ館」を利用することが多かったのだが、久しぶりでその前を通ったら、すでに閉店となっていた。家に帰ってからWebで調べたら、2007年9月20日で店じまいとなったことが分かった。

どのフロアーの、どの場所に、どういうものが売られていたかということが、今でも思い出されてくる。開店してから17年が経過して、マルチメディアの時代となって、もうコンピュータという言葉を冠して商売をしていくことが難しくなったということなのだろう。

ザ・コンピュータ館の前の道路を渡り、北に少し進んだ所にその店はあるはずだったが、その近辺を歩き回ってもとうとう見つからなかった。地図が頭に入っているつもりになっていても、念のため印刷してくるべきだった。

少し価格は高くなるが、「Yodobashi-Akiba」に行けば、そのハードディスクはあるに違いないのだが、そこにはもう行きたくなくないな、と思いながら秋葉原駅に向かっていると、「ソフマップ」の看板が目に入った。「ザ・コンピュータ館」は閉店の憂き目を見たが、ソフマップは生き残っている。生き残っているどころか、駅前に7階建ての本店ビルを建てた。ソフマップに行くことに決めた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月25日

里実文庫のデータ移動

旧暦:1月17日
はれ。家居。

「里実文庫」の運営をさる方にお願いしていたが、いよいよ自分でしなければならなくなった。二年近くほったらかしにしてあった。そろそろ再開してみようか、という気持ちが少しづつ固まってきてはいるのだが、それに取りかかる前に、しなければならないことがあるので、その手間を思うとなかなか再開できないままになっていた。

しなければならないことは二つある。
1.HTMLで作成されているファイルを、XHTLMに書き換えること。
2.確保してある里実文庫用のドメイン「satobn.net」を利用するために、そのドメインが割り当てられているサーバに、データをすべて移動させること。

移動する前に、(1)を行う余裕はとても余裕はない。ということで、とりあえずデータの移動だけを半日がかりで行い、トップページの修正なども少し行った。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月24日

小字名の「作」

旧暦:1月16日
はれ。今日も風が強く、寒い一日だった。

息子は、昨夜帰って来て、今朝また出かけ、今夜はまた帰ってこられないという。それでも編集作業の山場は越えたらしく、今の忙しさも、もうすぐ終わるらしい。

今日は夫人のアッシー君をつとめ、幕張まで送り迎えした。途中、「長作(ながさく)」という地名のところを通る。道路の両側に畑地が長く続くことから、その道路は、畑を分断して造られたものと思われる。

佐倉にも、「作」のつく小字が多い。たとえば、今回の市民大学で担当した小竹・上座地区では、「西ノ作・原ケ作・遠間作(とおまさく)・鍬ノ作(かんのさく)」がある。

さて、この「作」の意味については、以下のようにいくつかの意味が示されている。
【1】
@窪くて長く平らかな所(方言)上総
A谷(方言)千葉県夷隅郡、奄美大島
B山間地(方言)福島県海浜地方
C種子をまくために畑につくる溝、畑のうね。またその窪み(方言)群馬県佐波郡ほか
Dザクと同じく「崩壊地形、浸食地形」…
E字音のサク(柵)で、「古代の城柵」、「中世の城砦」…
F字音のサク(作)、または動詞サクル(抉。「耕す」意…)の語幹で、「耕作地」を意味するか。
(地名用語語源辞典、編者:楠原佑介・溝手理太郎、東京堂出版、昭和58年)

【2】
『「さく」は、山のひくくなった所を云います。堂作という所も、堂のある低いところということです。』
(昭和63年度第1回佐倉地名研究会全体学習会資料[参考]岩名の小字名より)

【3】
(6)サク(谷)
谷をサクと呼ぶ地名も案外多く、谷(ヤツ)の多い千葉県でも、サクの方がそれより数のある土地もあった。……なおこれと並んで作(サク)を当てた地名も混じっていて同じ意味らしい。
(関東地名物語、山田秀三、草風館、平成2年)

「ヤツ」は、谷間の低湿地をさす言葉で、そこには水田が造られ、稲が栽培されてきた。いっぽう「サク」と呼ばれる土地は、ヤツよりは高い場所に位置し畑作が行われてきた。したがって、佐倉では、「ヤツ」と「サク」とが、同じ意味であるとは考えにくい。

「サク」とは、山の低くなった所で、「ヤツ」よりは高所に位置する平らな場所をさす言葉、と受け止めておくのが妥当なところだろう。そういう土地がたがやされ耕作地になったことから、「サク」に「作」という漢字を当てたと思われる。

雨 の降らない日が何日も続き土が乾燥してしまい、「作」を小字名として持つ場所では、強い風が吹くと畑の土が舞い上がる。幕張の英検会場からの帰り道、「長 作」のあたりを通っていると、強い風が吹き乾燥した土を舞い挙げ、私たちが乗っている車は土ぼこりに包まれてしまった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月23日

閉講式

旧暦:1月15日
はれ・くもり。春一番が吹き、春の嵐となった。吹き荒れる風は台風並みだった。

8時頃家を出て、コミュニティセンターに向かう。8時半にならないと中に入れないということだったが、すでに人の出入りが見えた。班長はすでに来ていた。発表者はしばらくしてからやってきた。ロビーのテーブルにパソコンを置き、最後の練習をした。

発表は、小さなミスはあったものの、大きな失敗はなく無事終わった。「おやじの食事学」のクラスは、毎年行っているという「りんごの皮むき」レースだった。その後12時から閉校式となった。式次第は次の通り。
 開式のことば
 修了証書授与
 主催者挨拶
 来賓祝辞(蕨佐倉市長、教育委員会委員長)
 閉式のことば

修了証授与は、卒業式と似たかなり本格的なものだった。公民館側の各クラス担当者が、クラス全員の名前を読み上げる。呼ばれた受講者はその場で起立し、元気よく「ハイ」と返事をする。クラス全員の名前を呼び終わったところで着席する。これが4回繰り返された後、クラス委員4名が壇上に上がり、市民大学運営委員長から修了証書を受け取る。クラス委員以外の人は、終了後、クラス担当者から受け取った。

閉校式が終わって、それですべてが終わったというわけではない。3月末には、さっそく花見を兼ねた同窓会が開かれることがもう決まっている。

こういった社会教育の目的は、新たな知識を得るためということが第一義ではあるが、それと同等に重要なのが、地域において新たな知己を得るということなのである。今まで仕事漬けで、居住地域のことはまったく顧みなかった会社人間が、退職後地域に目を向けるきっかけとしては、社会教育の場というものが重要なものとなるのである。
posted by 里実福太朗 at 23:57| 里ふくろうの日乗

2008年02月22日

明日は市民大学閉校式

旧暦:1月14日
快晴。昨日よりさらに暖かく、3月下旬のころの気温だそうだ。

「里ふくろうコム」の修正をする。XOOPSのテーマ・モジュール・テンプレートの修正を、何回も繰り返すうちに、XOOPSというものの全体像がだんだんつかめてきた。自分なりのページに仕上げていくためには、やはりHTML・スタイルシートの知識が必要となってくる。さらにPHPも分かっていれば申し分ないのだろうが、とてもそこまで手が回らない。

いよいよ明日は、市民大学の閉校式になる。午前中は、クラス別発表会、午後は閉校式が行われる。修了証が授与され、来賓として市長さんの祝辞もあるそうだ。その後立食のレセプションがあり、「おやじの食事学」を受講した人たちがつくる料理が出されるそうだ。

発表に関わる人たちが集まって練習する時間がとれなかったので、明日はすこし早めに会場に行き、最後の練習をする予定である。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月21日

早春の浜離宮

旧暦:1月12日
快晴。

仕事帰りに、梅の開花状況を見るために、浜離宮恩賜庭園に行ってみた。都営浅草線から、最寄り駅の都営大江戸線「汐留駅」に行くには、二通りのルートがある。一つは「蔵前」で乗り換えるルート、もう一つは「大門」まで行って乗り換えるルートである。以前蔵前で乗り換えたことがあったが、一度地上に出て歩かなければならなかった。今回は、浅草線で大門まで行き大江戸線に乗り換えた。

汐留駅からは、歩いて5分ほどで浜離宮の「中の御門口」に着く。
・入園料:300円
・開園時間:午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで)
購入した入場券の番号は、「No.073」となっていた。今日これまでの入園数なのだろうか。

浜離宮は徳川将軍家の庭園だった。絶対的な権力を握った者が、贅をを凝らして築いたものを、当時の庶民は決して享受することはできなかったであろう。しかし時を経た今は、だれでもその恩恵にあずかることができるようになった。権力を得た人間が存在したからこそ、このような庭園が文化遺産として残ったということを思うと、複雑な心境にもなる。

園内は、工事中の箇所が多かった。里見公園のように、花の季節を迎える準備かと思ったが、そうではなくて庭園の復元・整備をしているのだった。パンフレットによれば、関東大震災あるいは戦災で失われた、かつての景観を取り戻すための工事ということだった。現在は「潮入の池」の護岸工事と「中の橋」の修復を行っている。

潮入の池に架かる中島橋を渡り、中島を経由してお伝い橋に入り、渡りきったところにある売店で一休みした。コーヒー(200円)を注文して、陽の当たる長イスにすわり、しばらく過ごした。歩き続けてきたせいもあるが、コート脱ぎたくなるほどの暖かさだった。こぎれいな猫がどこからか近づいてきたので、カメラにおさめておいた。近くにいたおばさんが、猫に手を差しのべたら、逃げてしまった。

梅林は、庭園の東側、水上バスの発着場の近くからはじまっていた。開花状況は、里見公園と同じようなものだった。白梅の方が早く咲くのだろうか、紅梅のつぼみは固く身を閉ざしているのに、白梅のつぼみの方は、ひらき始めているものが多かった。例年に比べると今年は、開花が遅れているのだろうか。

なお、浜離宮へは水上バスを利用するルートもある。両国から乗船して浜離宮に行く場合は、「江戸の早春を体感“梅・菜の花”とお抹茶割引」を利用することもできる。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/EVENT/2008/01/21i1u200.htm
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月20日

Windows Update

旧暦:1月12日
はれ。昨日よりさらに暖かい一日だった。

昨日、里見公園からの帰り、「プロント」で無線LANを利用した。道行く人の見えるお気に入りの席で、パソコンの電源を入れた。無線LANにもすぐにつながり、「紙copi」をダウンロード・インストールして再起動した。ところがデスクトップが表示されるまでの時間が長くかかる。表示されても、ハードディスクのアクセスランプが、いつまでも点滅している。

アクセスランプが落ち着いたあと、無線LAN接続用のソフトを起動すると、ユーザーIDとパスワードの入力を求められた。接続用ソフトには、すでにIDとパスワードは設定してある。だから今までは、ソフトを立ち上げるだけで、自動的にアクセスポイントにつながった。おかしいなと思いつつも入力すると、インターネットにはつながった。

ブラウザ「Firefox」を立ち上げてみると、またユーザーIDとパスワードを求められた。ネットワークの接続状態を確認すると、たしかにインターネットにはつながっている。インターネットエクスプローラでも確かめたところ、同じ現象が起こった。

考えられる原因としては、新しいソフトがインストールされ、システムが変更されたことぐらいしか思いつかない。そこで「復元ポイント」の一覧を表示して確かめたところ、ちょうどハードディスクのアクセスランプが長いこと点滅を繰り返していた時間帯に、「インストール Windows Update」という項目があった。

Updateされたプログラムは何か、それを突き止めるために「更新履歴」を表示してみたところ、7つものプログラムが更新されていた。その中から、セキュリティ関連のプログラムを選んでアンインストールしてみた。その結果、無線LAN接続プログラムは正常に動くようになり、インターネットへのアクセスも可能となった。

Windows Updateでは、「更新プログラムを自動的にインストールする」が推奨されているが、当分の間、ダウンロードとインストールは、自動的に行われないように設定変更しておいた方がいいようだ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月19日

光の春

旧暦:1月11日
はれ。通勤電車の窓から差し込む朝日がまぶしい。陽の光は、すでに十分な力強さを身にまとっている。

仕事帰りに、里見公園に寄ってみた。里見公園は、桜の季節には花見客で賑わう。あまり広くはないが、梅林もある。梅の開花状況を確認するため、行ってみようと何度か思ったが、その都度雨が降ったり、強い北風が吹いたりして果たせなかった。今日の風はまだ冷気を少し含んではいたが、風が絶えて春の光に包まれている場所は、コートのいらない暖かさだった。

平日の昼下がりの里見公園は閑散としていた。これから花の季節を迎えるのに備えて、植栽の手入れをする人が2・3人、「里見茶屋」の看板のかかっている小さな建物の手入れをしている人が2人、ハトにエサをあげている初老の男が一人いるだけだった。

梅はまだ一分咲きにもなっていなかった。花の中にも気の早いのがいて、ポツンと一輪だけ先走って咲いているものもあった。そういう花以外は、まだつぼみの状態だが、かなり膨らんでいるものも多く、2・3日暖かい日が続けば、すぐ見頃となるに違いないと思われた。

かすかに芳香が漂ってくる梅林の中の小道をたどって、近くのベンチに行き一休みした。ハトにエサをやっていた男はもういなくなっていた。「里見茶屋」の手入れもちょうど終わったらしく、道具類を軽トラックの荷台に積み込んで、引き返して行った。残るのは、植栽の手入れをしている人たちだけだった。

平日の午後、閑散とした公園の風景を眺めていると、世の中の動きから取り残されてしまったようで、無為な時間を過ごすことに後ろめたさも感じられてくる。仕事に追われて多忙を極めていたときには、こんなふうにぼんやりと過ごす時間を渇望していたはずだが、実際にそういう時間を手に入れてみると居心地の悪さを感じてしまう。

こんなふうに気持ちが内向していく時は、心が眠りを欲しているのだろう。ほんの5分でも休みを与えてあげれば、心は外の世界に向かうようになる。ベンチに横になれば、青空が自然と目に入ってきた。身を横たえて空を見ることなど、久しぶりのことだ。

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心

寝ころびながら空を見上げていると、こんな歌が頭に浮かんできた。石川啄木の歌集「一握の砂」におさめられている一首である。学校を抜け出して近くの不来方(盛岡)城址に行き、草に寝ころび、空を眺めて過ごした15歳のころを思いだして詠んだものである。空を見つめているうちに、若い心はさまざまな夢の世界に、吸い込まれていったのだろう。

そんなことを思いながら空を見ていたら、私の心も夢の世界に吸い込まれていった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月18日

RSSそしてリーダー

旧暦:1月10日
はれ。久しぶりで、一日家居。

「里ふくろうコム」の「おしらせ」の欄にも載せておいたが、「RSS」を使い始めてみた。これを利用すると、たとえばあるブログを登録しておくと、そのブログの最新記事の情報が取得できて、その記事へのリンクが自動的に作成される。だから一種のリンクのようなものだが、違う点は、普通のリンクは静的なリンクだが、RSSは動的なリンクというところだろう。

ブログの記事はたえず更新されていき、そのURLもたえず変化していく。そのように変化するブログ記事のURLを把握して、更新された記事へのリンクを、自動的に作成するのが「RSS取得」である。だからこれを利用すれば、わざわざそのブログサイトに行き、更新された記事があるかどうかを確認する必要はない。

ただ「RSS取得」ではわかりにくいので、「リーダー」と呼ばれることもある。たとえば「Googleリーダー」では、こんな説明をしている。

常に最新の情報にアクセス
Google リーダー では、お気に入りのニュースサイトやブログの更新状況を定期的にチェックします。
http://reader.google.co.jp/

新しいサービスが次々と始まるので、それを使ってみるのもなかなか大変なことだ。新しいものにすぐ興味を示す私でも、こう次々と新サービスが始まったのでは、とうていそのスピードについていけない、と弱気になることもある。しかししばらくすると、それにドップリとつかっている自分がいる。
posted by 里実福太朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 里ふくろうの日乗

2008年02月17日

サイバー犯罪防止対策

旧暦:1月10日
はれ。底冷えのする寒さが連日続く。

公民館で行われた「地域情報講座」に参加した。全3回の講座で、それぞれ市民30人が定員である。私は、3回目だけに申し込んだ。次のような内容が予定されていた。

テーマ:知らぬは親ばかりネット犯罪の罠
    (青少年とインターネット、携帯電話をめぐる現状)
講 師:佐倉警察署職員

今日の参加者は9人だった。講師は予定とは違って、千葉県警察本部サイバー犯罪対策室の人だった。内容も青少年に限らない問題だった。まず、インターネット社会の現状についての説明があった。

〔平成18年の内閣府の調査による危険な場所の順位〕
1.路上
2.繁華街
3.インターネット空間
(平成16年:6位)
4.公園
5.駐車場

〔平成19年の千葉県警察におけるインターネット相談件数〕
1.詐欺・悪質商法…1683件
2.誹謗中傷・脅迫…359件
3.迷惑メール…280件
4.不正アクセス…179件
5.出会い系サイト被害…24件

次に、ビデオ「しかけられた罠」の映写。
…フィッシング詐欺の事例が描かれていた。
…警察庁の「情報セキュリティ対策ビデオ」のページ
http://www.npa.go.jp/cyber/video/index.html
に過年度のビデオがのっているが、今日見たものはまだアップされていなかった。

その後、以下のような内容の説明があった。
◇検索サイトのフィルタリングサービスについて
◇インターネットオークション
…次のような注意点についての説明があった。
・実際に相手に電話をかけてみる(電話番号の確認)
・商品を持っている姿を写真に撮って送ってもらう(商品有無の確認)

千葉県警察本部の「サイバー犯罪」のページはこちら
http://www.police.pref.chiba.jp/safe_life/cyber_crime/

このほかに、もう一つ「千葉県防犯設備士協会」から、家庭での防犯対策に関する説明もあった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月16日

肩書きのないつながり

旧暦:1月9日
晴れ。あいかわらず空気が冷たい。

2ヵ月ぶりで、JPITAの講習会に参加した。しばらくは川崎の産業会館で行われていたが、今回からまた京橋の会場に戻った。

初めて参加したのが、ちょうど一年前の去年2月で、まだ退職前だった。その日も寒い日だった。それからほぼ一ヶ月に一回のペースで、講習会に参加してきた。回を重ねるに従って、顔なじみも徐々に増え、近頃は、成田山には参拝しないという例の人を含めて、3人ほどの人と親しく言葉を交わすようになった。例の人だけは40歳代(たぶん)だが、そのほかの人は60歳を越えている。

この一年間を振り返ってみると、退職後も嘱託として元の職場に通っていたせいか、退職したという実感が希薄だった。週に二回の出勤であっても、どうしても身が縛られているという感じを引きずっていた。しかし4月からは完全に縁が切れる。職縁・仕事縁という肩書きを冠したつながりは、持つ必要がなくなる。

肩書きがあれば、それに基づいた人間関係というものは、初対面であっても、名刺でも交換すれば簡単に築くことができる。しかしそういうものがない場合、全身全霊をもって相手の人間性をつかみ取らなければならない。もちろん相手もそういう目でこちらのことを見ているはずである。従って、互いにさぐり合う期間を経て、ある程度心を許して接していくことができるようになるには、時間を要する。

午前の講習会が終わり、4人がそろって昼食をとりに行くようになるまでには、やはり1年近くかかってしまった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月15日

フクロウ男

旧暦:1月8日
晴れ。

お昼頃家を出て、国立科学博物館で行われている「ナスカ展」を見に行く。平日ではあったが、かなり混雑していた。

「フクロウ男」と名付けられた地上絵があった。「ナスカの地上絵」の多くは、その名の通り地面に描かれているが、これは山の斜面に描かれたものだった。顔がフクロウ、体は人間である。それにしてもナスカの時代に、フクロウが生存できる環境があったのだろうか。

帰途、通夜に参列するため、夫人と別れて行徳に行く。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月14日

わずかな遅れが…

旧暦:1月8日
晴れではあるが、寒波が居座っているようで、極めて寒い。梅の開花状況の確認は今日も取りやめ。

仕事帰りの寄り道は、映画にした。前にも書いたが、仕事帰りの時間帯と上映開始時間が一致する映画はなかなかない。いろいろさがしてみたところ、「シネプレックス幕張」で上映中の「チーム・バチスタの栄光」が、午後2時30分からの開始だった。

シネプレックス幕張は、JR海浜幕張駅北口のメッセ・アミューズ・モール内にある。電車・バスを乗り継いで、開始時間に間に合うように行くには、少々きびしい感じもするが、万が一間に合わなかったら予定を変更すればいいだけのことだ。

1時10分に職場を出れば、26分発の電車に間に合う。しかしこういうときに限ってうまくいかないもので、今日も帰る間際に廊下で呼び止められてしまった。職場を出て駅に向かう途中、京成電車はよく遅れが出るから、間に合うかもしれないと思いつつ、急ぎ足で駅に向かったが、ホームに立ったときはすでに電車は出た後だった。時計を見ると1時27分、電車の遅れはなく、定刻通りに発車した。

次の電車は35分発、予定より9分の遅れとなってしまった。この9分の遅れが、取り返しのつかない遅れになってしまうかもしれない。京成八幡駅で特急に乗り換えたのが1時46分、京成津田沼には57分に着く。さらに京成の千葉線に乗り換えなければならないのだが、接続時間が問題になる。

車内アナウンスによると、1時59分発の千葉中央行きがあるということだった。乗り換え時間は2分、それだけあれば十分間に合うかもしれない。しかし、発車番線が隣のホームで、跨線橋を渡らなければならなかった。昼の時間帯にしては人が多く、階段の上り下りに時間をとられてしまった。

隣のホームに降り立ったとき、無情にも電車のドアが閉まった。やはり2分という時間では短すぎた。私以外にも、乗り遅れた人が何人かいた。せめてあと一分あれば、乗り換え客の全員が間に合ったと思われる。時刻表の作り方に問題があると言わざるをえない。

次の電車は2時9分発、2時半までに映画館に入るのは、いよいよきびしくなってきた。やはり1時26分の電車に乗り遅れたのが失敗だった。

約10分ほどの待ち時間を利用して、空腹を満たすことにした。さきほど跨線橋を渡ってくるとき、立ちソバ屋さんからいい香りが漂ってきたことを思い出し、立ちソバなら10分以内で食べらるに違いないと踏み、階段をのぼり店に向かった。

ソバを注文して代金を払おうとしたとき、店のおばさんが、手のひらにのせた650円を渡してくれそうになった。代金はまだ払っていないのに、どうして650円をもらえるのだろうといぶかしく思って、こちらも手のひらにのせた350円をおばさんに見せた。
「あらいやだ、まだ代金、いただいてなかったわね。千円札を受け取ったものと思い込んで…」
ソバは5分ほどで胃袋の中におさまった。久しぶりで食べた立ちソバであったが、時間に追われていては味も分からなかった。

JR海浜幕張駅に行くには、幕張本郷駅で下車してバスを利用する。京成津田沼2時9分発の電車は、11分に幕張本郷駅につく。残り時間は19分、バスの乗車時間を15分とみれば、なんとか間に合いそうな時間である。

ところが、免許センターを経由するので乗客が多く、またバスは降車に時間がかかるので、海浜幕張駅に着いたのは、ピッタリ2時30分であった。バス停から、映画館までは2〜3分はかかる。上映開始時間を過ぎてしまっても、入場することはできるのだろうか。最初は予告編を何本も上映するので、可能性がないわけではない。ともかく行ってみようと思い、シネプレックス幕張に向かった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月13日

「お金は銀行に預けるな」

旧暦:1月7日
晴れ。強烈な北風が吹いた。今季一番の寒波が襲来したそうだ。

 
昨日、秋葉原の有隣堂で購入した「お金は銀行に預けるな」を読み始めた。時々銀行から、資産運用の説明会の案内や、投資信託購入の勧誘の電話がかかってくる。そういう時は、リスクのある金融商品は、価値が下落した場合でも、手数料だけはきっちり取られ、元金割れとなって損をするのは客だけというまったく不公平な商品だということを頭に思い浮かべながら、適当に受け流しているだけだった。
 
そういう不信感を抱いているものだから、どのような銀行批判が展開されるのだろうと興味がひかれ(まんまと販売戦略にひっかかってしまって悔しい気持ちはあるが)、近隣の二・三の書店で探してみたがなかった。横浜に住んでいたとき、伊勢佐木町の有隣堂をよく利用したが、その有隣堂が秋葉原に進出していることは、昨日初めて知った。
 
有隣堂なら置いてあるに違いないと期待を込めて行ってみたところ、一番目につくところに、かなりの冊数が平積みとなっていた。このうちの数冊でも佐倉の書店に置いてあれば、わざわざ秋葉原で買い求める必要もなかったのにと、バランスを欠いた流通の状況をいぶかしく思うのだった。
 
まだ読み切ったのではないけれど、その扇情的な書名とは違って、極めてまっとうな、さらに言えば固い内容の本だった。こういう真面目な本だから、出版社は大胆な書名で売り出さなければ売れないと踏んだのだろうが、正攻法のネーミングでもそこそこ売れるような気もした。ただ副題の「金融リテラシーの基本と実践」だけだと、まだ「金融リテラシー」という言葉が一般的に使われていない現状では、ちょっと難しい気もする。
 
「リテラシー」という言葉は、近頃は情報教育の場などでも、コンピュータリテラシイ・メディアリテラシイなどという具合によく使われるが、「金融リテラシイ」という言葉はまだ耳遠い。そういう日本の現状を踏まえて、「金融に関する情報を主体的に批判的に読み解くための能力」としての「金融リテラシイ」を、啓蒙するための書であると言ってよいだろう。
 
「お金は銀行に預けるな」という書名の意味するところは、たとえば銀行に定期預金というような預け方で、お金を銀行に寝かせておくのではなく、投資信託などを活用した方がよいということであった。銀行批判の書ではなく、その逆だった。
 
「投資信託にだまされるな!」(竹川美奈子、ダイヤモンド社、2007年)がベストセラーになり、類似の書籍も出版され、多くの人に根付いてしまった投資信託への不信感を、この書が払拭するのだろうか。団塊の世代の退職金は、今どこにあるのだろうか、銀行で眠っているのだろうか。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月12日

シニア割アップグレード

旧暦:1月6日
雨。晴れていれば、仕事帰りに職場近くの公園で、梅のつぼみのふくらみ具合を確かめてみようと思っていたが、あいにくの雨になってしまった。

 
久しぶりで、仕事帰りに秋葉原に出た。ある大型店のソフト売り場で、Office Standard 2007「シニア割アップグレード」が棚に並べられているのを見て、心が動いたが、購入するのは思いとどまった。


そのあと7階の有隣堂で本をさがしながらあれこれ考え、仕事を進めるうえで、いづれは購入しなければならなくなるだろうと思い至り、結局購入することにした。「シニア割アップグレード」であっても、やはり高額である。「Open Office」のユーザーが広まってくれば、わざわざ高価な「Microsoft Office」を買わなくてもすむのだが、それにはまだもう少し時間がかかりそうだ。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月11日

24時は、今日それとも明日?

旧暦:1月5日
晴れ。気持ちもゆるむ暖かい一日だった。

 
「里ふくろうコム」の手直しをする。今年の1月1日から2月8日までの記事を、「さくらのブログ」に移行する作業に取りかかる。まづ、2月の分を追加してみたが、意外と時間がかかってしまった。
 

過去の記事を追加するときは、年月日・時刻を指定すれがその日時に追加される。ただし時刻は省略可能である。たとえば、2008年2月1の記事を追加する場合は、「2008-02-01」と年月日を指定すればよい。するとプログラムが、自動的に時間を補ってくれて、以下のようになる。
「2008-02-01 00:00」
午前0時に書き込みを行ったこととして扱ってくれる。

 
さて午前0時は、実は前日の24時に等しい。つまり2月1日の0時と1月31日の24時とでは、時間としては同じなのである。2月1日を基準にして言えば、今日であり昨日でもある。1月31日を基準にして言えば、今日である明日でもある。
 
しかし24時を、今日でもあり明日でもある、というような曖昧模糊とした言い方ではすまされない場合もある。今日であるのが明日であるのか、はっきりと決着をつけなければならない場合がある。24時と言えば今日に入り、0時と言えば明日に入るというように使い分ければ問題は解決されると思う人もいるかもしれないが、元々同じ時刻であるのを、単に言い換えているだけだから問題の解決にはならない。解決すべき問題は、24時が今日であるのか明日であるのかということであり、0時が今日であるのか明日であるのかということなのである。
 
じつはこの問題が、実際の裁判で争われたことがある。格安DVDが発売された「ローマの休日」「シェーン」など、1953年に公開された映画の著作権保護期間に関する裁判である。
 
保護期間を50年から70年に延長する改正著作権法は、2004年年1月1日に施行された。この改正著作権法は、施行前、つまり2003年12月31日以前に著作権が消滅した映画については、さかのぼってそれを適用することはできない。
 
さて、1953年に公開された「ローマの休日」「シェーン」の保護期間は、旧法に従えば、50年後の2003年12月31日までである。翌年の1月1日に改正法が施行され、さかのぼって適用しないということであるから、ギリギリの所で新法の適用を受けられないことになる。
 
しかしここで12月31日の24時が、1月1日の0時と同一時間を指すことが問題となる。著作権者のパラマウントはこの点をつく。改正法の適用は1月1日の0時からであり、0時は12月31日の24時に等しいのだから、0時までは12月31日と考えられる。したがって1月1日の午前0時までは保護期間に含まれる。だから、1953年公開の作品も1月1日施行の改正法を適用するべきである。つまり、保護期間は70年とするべきだと主張したのである。
 
この裁判は、最高裁判所まで上告され、昨年(2007年)12月18日最終的な判断が下された。それは「ローマの休日」「シェーン」には、改正法は適用されないというものであった。言い方を変えれば、12月31日の24時は、今日ではなく明日なのである。常識的な考え方を反映した判断と言えるだろう。
 
冒頭で述べたことに戻るが、プログラム作成者は、たぶん「00:00」が昨日と今日とを同時に示す時刻であることは意識することなく、常識に従って、昨日の終わりではなく今日の始まりを表す時刻として、プログラムを組んだのであろう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月10日

福老の里

旧暦:1月4日
曇り時々晴れ。結局雪は降らなかった。昨日よりはいくぶん暖かくなった。

先日偶然その存在を知った「福老の里」という所にいってみた。佐倉市の中にこのように名づけられた場所があるとは、うかつにも今までまったく知らなかった。由緒ありそうな神社のすぐ前に、「福老の里」と刻まれた石碑があった。石碑には、何人かの名前が刻まれていた。昔風な名前が多いところから想像するに、たぶんこの土地の長寿の人たちの名前なのだろう。だから「福老」という漢字を用いたのだろう。石碑の上部には、フクロウの像がのっていた。


車を石碑近くにとめて、歩いてみることにした。小竹と同じように、歴史を感じさせる旧家が点在していた。小竹には「郷(ごう)」という小字がある。そこはある程度の戸数がまとまって暮らしている集落である。「郷」とは、そのような集落を言うのであろう。福老の里も、小竹の「郷」同じような感じの集落だった。


しばらく行くと、俳句が刻まれた石柱が点々と立っている道に入った。その石柱の高さは1メートルほどで、天辺は斜めに切り取られ、その面に俳句が刻まれているのである。その石柱に刻まれた俳句の中に、次の一句があった。ただ、「6・5・6」の破格なので、俳句ではなく、短詩と言った方がいいかもしれない。

 鳥とり鳥
 鳥たちが
 えらんだ里
   佐倉市長 菊間健夫

菊間元市長は、佐倉の出身である。この辺りが地元ということなのだろうか。そのあたりの子細は分からないが、市長在任中になんらかの縁で、この地に俳句の石柱を建てたということであろう。


この地を「福老の里」と名づけたからには、昔はフクロウがいたのかもしれない。現在もいるかどうかは分からないが、道すがらいろいろな鳥たちに出会った。いづれも珍しい鳥ではないが、次から次へと姿を見せてくれるということは、かなりの数の野鳥が生息しているに違いない。

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2008年02月09日

サイト再構築

旧暦:1月3日
曇りときどきはれ、夜になり雨。予報では夜半頃から雪になるということだったが、現在(12時少し前)はまだ雪が降っていない。

市民大学の発表準備のめどが立ったので、サイトの再構築に取りかかることにした。いままで里実工房の仕事として作ってきた「ふくろう共和国」と「里実文庫」の二つと、これから準備を始める「里実学遊ねつと」とを加えて一つにまとめ、「里ふくろうコム」というページを作るという計画である。

ドメイン・サブドメインは以下のように割り当てる予定である。いままで「ふくろう共和国」のURLとして使ってきたドメインを、「里ふくろうコム」に転用する。
 里ふくろうコム…sato296.com
 ふくろう共和国…fukuro.sato296.com
 里実文庫…satobn.net
 里実学遊ねつと…gakuyu.hoot.jp

またブログは、いままでXoops(ズープス)のモジュールを使ってきたが、「さくらのブログ」を使うことにした。ただ、まだ準備が整っていないので、しばらくは今までのもの(あるいは両方)を使うことにする。ブログのアドレスは以下のものを使う予定である。
 里ふくろうの日乗…fukulog.sato296.com
 さらさら日記………yuulog.sato296.com
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2008年02月08日

温暖化は昭和のころから

旧暦:1月2日
快晴。今日もおだやかに晴れた。旧暦の暦通り、春を思わせる一日だった。旧暦の方が、実際の季節の変化に合っている。春は1月から3月という具合に、季節の区分の仕方も明確である。

 
春の花を「季寄せ」で調べてみようと思って、書棚から「季寄せ−草木花」(朝日新聞社編、昭和56年5月)取り出して目を通してみた。「吟行版」とあるから、俳句をたしなむ人のために編まれたものであるが、俳句に縁遠い人間が読んでもおもしろい。
 
下巻の冒頭にソメイヨシノの花前線が載っていた。ここ佐倉は、4月10日頃が開花日になっている。説明文を読んでみると、こんな一節があった。
 
『なお、都会の周辺では、都市化による温暖化のために、開花の時期が年々早くなっている。』
昭和56年に出版された本だから、今から25年以上も前のことになる。近ごろ地球温暖化のことが取り上げられることが多いので、ここ数年新たに生じた問題という印象が強くなってしまう。そのためか、かなり前から温暖化が話題として取り上げられていたことは、あまり記憶に残っていない。
 
暖かい日が続くと、もう本物の春がやって来たとつい思ってしまうが、あといくつかの寒さの山を越えないとほんとうの春にはならない。春になれば、また出かけていきたい所が増えて困ることになる。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月07日

立春そしてフクロウ情報

旧暦:1月1日
快晴。旧暦では、今日が立春、新しい年が始まる。風が吹かない時間帯は、まさに春がやって来たような暖かさだった。

 
佐倉に関する情報をネットで検索していたら、思いがけず「ふくろう」に関するページがあった。「ふくろう…」と名づけられたその場所を地図で確認したところ、先日の市民大学で、講師の先生がフクロウに出会えるかもしれない場所として教えてくれた所だった。実際にフクロウが目撃されたことから、ふくろうを冠した名前がつけられたのだろう。
 
昔はそのあたりに牧場があった。牧場があれば、エサのおこぼれを狙ってネズミが出没する。ネズミがいれば、それを大好物とするフクロウもエサには困らない。だいぶ前になるが、八ヶ岳で行われたフクロウウォッチング参加したことがある。そのとき幸運にもフクロウを見ることができたのが、養鶏場の近くだった。フクロウを探すには、まずネズミを探すのが近道のようだ。
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2008年02月06日

トリックスター

旧暦:12月30日
曇りときどき雪。

埼玉スタジアムで行われたサッカー日本代表の対タイ戦は、雪中の試合となった。
 
結局上映開始時の入場者は、十数名だった。やはり行列に並ぶのは、まったく無駄なことだった。映画は、雨降りのロンドンの教会、そこで行われたくじ引きで、Mr.ビーンが一等賞を当てたることから始まる。賞品は陽光降り注ぐ南仏カンヌへの旅行、そしてビデオカメラ(SONY製)だった。このビデオカメラが最後まで、いや最後の最後まで、重要な小道具として使われる。
 
カンヌまでの道中、フランス語が分からない彼は、表情・動作などでコミュニケーションを図っていかなければならない。しかしこの窮屈な状態が、Mr.ビーンをかえってエネルギッシュな人物へと変貌させていく。さまざまな失敗をものともせず、迷惑をまき散らすことにもクヨクヨせず、映画祭が開かれるカンヌを目指して、ビーンはひたすら旅を続けていく。
 
ユング心理学の用語として、「トリックスター」という言葉がある。神話やおとぎ話に登場する道化師・いたずら者などがそのように呼ばれる。彼らは賢い策略家であると同時に、愚かな失敗をするこっけいな人物という二つの面をあわせ持つ。社会に閉塞感が漂うとき、トリックスターが出現して、既成の秩序を壊して新たな世界を創造するきっかけをもたらしてくれることもある。
 
Mr.ビーンは、トリックスターなのだろう。フランスのレストランでは、てながエビを殻もむかずにムシャムシャと食べて周囲の人を驚愕させ、嗜好に合わない生ガキを、隣のお高くとまった女性のカバンの中に捨て、女性があげた悲鳴でレストラン内を騒然とさせる。
 
笑いのあるところには、必ず笑われる何者かが存在する。それは、ビーン自身であったり、あるいはビーンによって笑い者とされてしまった哀れな人が存在する場合もある。いずれにしてもその笑いには、ビーンというトリックスターが関わっているのである。
 
トリックスターは秩序を破壊するだけでなく、新たな秩序の創造にも関わるのだが、ビーンはその面でもトリックスターの資格を持っているのだろうか。その点は映画の最後、カンヌ映画祭の場面で明らかになってくる。大騒動の末に、ある人物の成功が描かれる。それは、トリックスターとしてのビーンが、彼にもたらしてあげた成功なのであった。
 
いつものように、エンドロールを見続け、それがいよいよ終わりそうになったとき、いままで横文字だけが並んでいたスクリーンに、突如カンヌの海が映し出された。映画の本編はまだ終わっていなかったのだ。エンドロールのあとにラストシーンが映し出されたのだった。エンドロールを観ずに席を立った人は、ラストシーンを見逃したということになる。
 
さて、このラストシーンはどのようなものであったのか。それはこの文章の冒頭で書いた『最後の最後まで』ということが関連してくるのであった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月05日

「Mr.ビーン」を観るための行列

旧暦:12月29日
快晴。朝の出勤時、視界30メートルほどの濃霧、おまけに車のフロントガラスに氷が張り付き、前方がまったく見えない状態になってしまった。

仕事帰りの寄り道は映画館、「Mr.ビーン」を観た。先週見るつもりだったが、想定外の体調不良で、今日に延びてしまった。そろそろ上映館も少なくなってきているので、前もっていくつかの映画館の上映スケジュールにあたってみた。
仕事帰りとなると、上映開始時間が2時から3時までの間が一番良いのだが、その時間帯に「Mr.ビーン」を観ることのできる映画館がなかなか見つからない。やっと見つけ出したのが、錦糸町の「楽天地シネマズ」だった。
車で上野方面に行く時は、京葉道路の錦糸町インターでおりて、JR錦糸町駅前を通って行くことが多かった。駅前はいつも車も人も多かった。いつも素通りしていた錦糸町で、映画を観るのは初めてのことだった。

新天地ビルの一階にチケット売り場がある。窓口の上の部分に電光掲示板があり、
「ただいまご入場いただきますと、次の回は座ってご覧いただけます」
という文字が流れていた。座れないほど混雑しているのだろうか。繰り返し流れる文字を数回見送りながら考えてみたが、どうに意味がよく分からない。

上映開始時間までは、20分ほどの間がある。考えていてもラチが明かないので、意を決してチケットを購入することにした。近ごろの映画館は、指定席となっていることが多く、チケット購入の際、席を選ぶことができる。ところが、席の希望は尋ねられなかった。受け取ったチケットにも座席番号は記載されていなかった。ということは、自由席ということなのだ。席は早い者勝ちで埋まっていくということなのだった。それならば電光掲示板の意味も分かる。

エレベータが6回につきドアが開くと、スクリーン2の入り口のところに立っていた男がこう言った。
「『Mr.ビーン』をご覧になる方は、こちらにお並びください」
そこには3人だけの短い列ができていた。映画を観るため行列に並ぶなどということは、何年ぶりのことだろうか。はるか昔にはそんなことがあったかもしれないが、すでに記憶はうすれてしまっている。

案内係の男の指示に従って、短い列の最後に並んだ。10分前には入場できるということだから、10分近く並んでいなければならない。しばらくして若い男が一人、どこからかやって来て私の後についた。開場時間が迫ってきても、急激に列が長くなるということはない。先ほどの電光掲示板の表示の通り、この程度の列ならば皆座って観られるというものである。
いや、それよりもこんなわずかな人数ならば、わざわざ並んで待つ必要などないではないか。並んでいることがバカバカしく思われてくる。それでもなお並び続けているのは、どうしてなのだろうか。疑問が次々と沸いてくる。

並んでいる人のそんな気持ちを忖度することなどせず、案内係の男は、エレベーターから人がおりてくると、さきほど私に言ったように、
「『Mr.ビーン』をご覧になる方は、こちらにお並びください」
と声をかけた。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

「Mr.ビーン」を観るための行列

旧暦:12月29日
快晴。朝の出勤時、視界30メートルほどの濃霧、おまけに車のフロントガラスに氷が張り付き、前方がまったく見えない状態になってしまった。

 
仕事帰りの寄り道は映画館、「Mr.ビーン」を観た。先週見るつもりだったが、想定外の体調不良で、今日に延びてしまった。そろそろ上映館も少なくなってきているので、前もっていくつかの映画館の上映スケジュールにあたってみた。
 
仕事帰りとなると、上映開始時間が2時から3時までの間が一番良いのだが、その時間帯に「Mr.ビーン」を観ることのできる映画館がなかなか見つからない。やっと見つけ出したのが、錦糸町の「楽天地シネマズ」だった。
 
車で上野方面に行く時は、京葉道路の錦糸町インターでおりて、JR錦糸町駅前を通って行くことが多かった。駅前はいつも車も人も多かった。いつも素通りしていた錦糸町で、映画を観るのは初めてのことだった。

新天地ビルの一階にチケット売り場がある。窓口の上の部分に電光掲示板があり、
「ただいまご入場いただきますと、次の回は座ってご覧いただけます」
という文字が流れていた。座れないほど混雑しているのだろうか。繰り返し流れる文字を数回見送りながら考えてみたが、どうに意味がよく分からない。

 
上映開始時間までは、20分ほどの間がある。考えていてもラチが明かないので、意を決してチケットを購入することにした。近ごろの映画館は、指定席となっていることが多く、チケット購入の際、席を選ぶことができる。ところが、席の希望は尋ねられなかった。受け取ったチケットにも座席番号は記載されていなかった。ということは、自由席ということなのだ。席は早い者勝ちで埋まっていくということなのだった。それならば電光掲示板の意味も分かる。
 

エレベータが6回につきドアが開くと、スクリーン2の入り口のところに立っていた男がこう言った。
「『Mr.ビーン』をご覧になる方は、こちらにお並びください」
そこには3人だけの短い列ができていた。映画を観るため行列に並ぶなどということは、何年ぶりのことだろうか。はるか昔にはそんなことがあったかもしれないが、すでに記憶はうすれてしまっている。

 
案内係の男の指示に従って、短い列の最後に並んだ。10分前には入場できるということだから、10分近く並んでいなければならない。しばらくして若い男が一人、どこからかやって来て私の後についた。開場時間が迫ってきても、急激に列が長くなるということはない。先ほどの電光掲示板の表示の通り、この程度の列ならば皆座って観られるというものである。
 
いや、それよりもこんなわずかな人数ならば、わざわざ並んで待つ必要などないではないか。並んでいることがバカバカしく思われてくる。それでもなお並び続けているのは、どうしてなのだろうか。疑問が次々と沸いてくる。
 

並んでいる人のそんな気持ちを忖度することなどせず、案内係の男は、エレベーターから人がおりてくると、さきほど私に言ったように、
「『Mr.ビーン』をご覧になる方は、こちらにお並びください」
と声をかけた。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月04日

ワライフクロウ

旧暦:12月28日
おだやかに晴れた。雪に反射した陽の光が、まぶしさを感じさせるほどの強さだった。
終日家にこもり、発表用スライドの手直しをする。

 
クイズ番組を見ていたら、絶滅したフクロウとして「ワライフクロウ」というフクロウの一種に関する問題があった。初めて聞く名前だった。すでに絶滅したとはいえ、フクロウ関係の書籍に名前ぐらいは記載されていてもよさそうなものだが、まだお目にかかったことがない。
 

基本情報を得るには、ウィキペディアにあたってみるのが一番手っ取り早い。検索してみると、「ワライフクロウ」が載っていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A6

 
ニュージーランドに生息していたフクロウで、その名前の由来は、鳴き声が笑い声のように聞こえたからだということだ。1914年に目撃されたのを最後に絶滅したらしい。
 

英語版にジャンプしてみると、こちらにはかなり詳しい説明が載っていた。ただ英語力がないので、自動翻訳の力を借りてみたが、意味不明な日本語の文章が並ぶばかりだった。単語を拾い出しながら斜め読みしてみて分かったことは、どうやら大英博物館に標本があるらしいということだった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Laughing_Owl

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月03日

雪の日のオロチ

旧暦:12月27日
雪。朝、ドッドッドッ、ドスンという音で目が覚めた。何事かと思って窓を開けてみたら、雪が降り積もっていた。朝10時の千葉県北西部の天気情報では、大雪注意報・風雪注意報が出ていた。

 
一昨日からトイレの流れが悪くなってしまった。一日様子をみたが、状態は改善されるどころか、さらに悪化してしまった。二階にもトイレがあるからすぐに困るということはないのだが、午後の買い物のついでに「ラバーカップ」を買うことにした。
 
タイヤにチェーンをまくのも面倒である、新規オープンした食品スーパーであればそれほど遠くない、そこでたまには歩いて行こうと決め、雪の降る中、雪靴を履いて出かけた。食品スーパーには雑貨類は少々置かれていたが、ラバーカップはなかった。仕方がないので、少し足を伸ばしてホームセンターまで行った。
 
途中、夫人が「辻ぎり」のある場所を教えてくれた。真新しいワラで作られた小さなオロチ(蛇)が、民家の塀ぎわの木に掛けられていた。大きいものをオーツジ(大辻)、小さなものをコツジ(小辻)と呼ぶらしい。毎年1月25日に新しいものに掛け替えると聞く。
 
辻ぎりは、村に災厄が入り込まないようにと願って、村境の木にワラで作ったオロチを掛ける風習である。辻ぎりで守られた村内には、今では私たちのような新住民の方が多く住むようになった。そんな時代になっても、古くから住み続けている土地の人々は、災厄除けの願いを込めて毎年オロチを作り続けいる。
 

そして、偶然この土地に住むことになった私たちも、自ずとその辻ぎりの恩恵を受けられることになった。そう思うと、いささか身勝手ではあるが、ワラの小さなオロチに、
「しっかり守って」
と声をかけて励ましたくなる。

 
夜、豆まきをする。「福は内」だけを唱えながら、家中に豆をまいた。トイレにもまいた。トイレの流れはだいぶ良くなった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月02日

発表に向けて

旧暦:12月26日
晴れ。

体調ほぼ回復。在職中でも絶えて久しく体調不良を味わったことはなかったのに、退職後に体調を崩すとは不覚であった。あれもやりたい、これもやりたいと少々欲張りすぎたか。まだ退職後の生活ペースが、掴めていないないということだろう。


朝起きたときは、足もとがまだ少しおぼつかない感じがしたが、市民大学に行く。いよいよ発表の準備を全体で行う日になった。予定では9時半から4時まで、昼食をはさんでの長い一日になった。


四つの班それぞれでまとめたスライドを一本化して、最初から最後までナレーションを加えて映写した。我が一班は、早くから準備した甲斐あって、あと一歩の仕上がり状態だった(自画自賛)。昼食は自宅に戻ってとる。午後は、手直しを繰り返し、通しの練習を2回行う。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年02月01日

最長睡眠時間

旧暦:12月25日
晴れ。

昨夜から同じ状態を繰り返しながら、昼頃まで休んでいた。20時間ほど寝ていたことになる。今までの最長睡眠時間かもしれない。幸い熱は出ず、体の痛みも幾分和らいだ。

息子は、今晩からしばらくは、家に帰って来られないということだ。サークルで出す情報誌の編集作業が、大詰めを迎えるらしい。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗