2008年04月29日

自動車税制適正化は21世紀の国民的課題

旧暦;3月21日
はれ

ガソリンの暫定税が失効して、価格がリッターあたり20円ほど下がっていたが、いよいよ再値上げとなりそうである。日曜日にいつも利用するセルフのスタンドで給油したときは、まだ車の行列はできていなかったが、皆ギリギリまで待ってから給油しようと思っていたはずだから、今日あたりは長い行列ができたのだろう。

車検のお知らせが、ディーラーから送られてきた。ガソリンが値上がりし、さらに車検の際に課せられる重い自動車関係の税金のことを思うと、暗鬱な気分になる。

車検の際には、自動車重量税も課せられる。この重量税にも暫定税率がかけられ、本来の税額よりかなり高くなっている。暫定期間が延長されなければ、4月30日で失効して本来の税額に戻り、重量税がかなり下がることになる。

しかし明日30日、租税特別措置法改正案が衆議院で再可決され成立すると、ガソリン税だけでなく、重量税の暫定税率も継続されることになり、車検の費用が下がることは、春の浅い夢のように跡かたもなく消えてしまう。

(参考1)自動車重量税は、本来の税額の約2.5倍になっている。
 本則税率(1971年):2,500円/0.5t
 現行暫定税率:6,300円/0.5t
 適用の経緯
   1971年   創設
   1974年  暫定5,000円/0.5t
   1976年  暫定6,300円/0.5t
   以降、現在に至る
 
(参考2)
自動車税に関しては、少し古いが次の資料が参考になる。冒頭の一部だけを引用しておく。

http://www.jama.or.jp/lib/jamagazine/199910/08.html
■「JAMAGAZINE」(日本自動車工業会)1999年10月号
特集/自動車と税金
提言直言
◆自動車税制の適正化は21世紀社会の必要条件
内山 和憲〔財団法人 社会経済生産性本部・総合企画部 主任研究員〕

『税制が準拠すべき一般的基準は、「租税原則」と呼ばれている。有名なものはアダム・スミスの4原則であり、「公平、明確、便宜、最小徴税費」に当てはまる制度であるべきと説いている。自動車税制は1940年に、戦費調達のために創設された自動車税からその複雑化と重税化の歴史が始まるが、戦後の総決算の意味を含めて、これから2010年ぐらいをめどに、自動車税制の適正化に向けて改革を進めていくべきであろう。
 自動車関係諸税のさまざまな不合理や不公平を正して、適正な税制に改革することは、7,000万人を超えるユーザーの数の多さ、毎年9兆円という負担額の多さを考えると、国民的課題であり、21世紀社会が健全な発展を遂げるための必要条件と言っても過言ではない。そこで本稿では、具体的に必要となる抜本的な改革の方向性について、2010年程度までの、やや中長期的な視点から提案する。』
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月28日

XpとVista

旧暦;3月20日
はれ

「Windows Vista SP1」の自動配信が4月23日から始まるという情報があったが、延期されて5月9日から始まるようだ。「ダウンロード センター」から「インストール パッケージ」を入手して手動でインストールする方法はすでに可能になっているが、まだ行わない方がいいかもしれない。プローグラムにはバグがつきものだから、「Service Pack」といえどもバグがないとは限らない。現にSP1をあてたことで、ドライバーが動かなくなった例もあるようだ。しばらく様子を見て、安定してからの方がよさそうだ。

「Windows Update」で推奨されている「更新プログラムを自動的にインストールする」に設定しておくと、5月9日以降自動的にSP1がインストールされてしまうのではないかと思っていたが、今回はそのようなことは心配はないようだ。たとえ「自動的にインストール」と設定してあっても、ダウンロードだけを自動的に行うということだ。

世の中にはフリーウェアと呼ばれるソフトウェア群があり、無料で使えるにも関わらず、機能面で市販ソフトにひけをとらないものも多い。そういったソフトウェアも、徐々にVISTAに対応するものが増えてきている。

市販ソフトは、VISTAに対応するのを機に、操作体系に大幅な変更を加えるものも多い。その最たるものは、マイクロソフトの「Office 2007」である。Windowsでは共通の操作体系が確保されるようにと提唱したのは、マイクロソフトのはずだが、それを忘れてしまったのか、メニュー体系の統一性を自ら崩してしまった。

その点、フリーウェアの多くは、Vistaに対応しても以前のメニュー体系を踏襲して、引き続き違和感なく使えるようにしているのがありがたい。これからは、そのような操作体系の継続性が重視されてくるだろう。

オペレーティングシステムもアプリケーションソフトウェアも、バージョンアップを繰り返し、そのたびに高額な料金をユーザーに課してきた。しかしそういうやり方を、見直さなければならない時期が確実に訪れている。

Vistaが発売されても、企業などでは依然としてXPが使い続けられている。大量に導入されたXPパソコンを入れ替える際の、膨大な費用を捻出することが難しいこともあるのだろうが、満艦飾の衣装を身にまとっているようなVistaより、XPの方が仕事の効率を落とさずに使うことができるからだろう。

XPは現在も、安定したOSとして広く使われ続けられている。期限を限った延命措置などはなく、もっと永い命を与えた方が現実的な対応であろう。そもそもXpの後継OSと位置づけるのが誤りなのである。VistaとXpのそれぞれの特性を活かして、両方を同列に扱い、その選択はユーザーに任せるべきなのである。そのための環境は整ってきている。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月27日

マリーンズフラッグの完成間近

旧暦;3月19日
雨・くもり・はれ
・小林投手打ち込まれ、マリーンズの連勝とまる
(マリーンズ×ホークス:3×5)
・ガソリン会員価格:120円
(ユーカリが丘のセルフスタンド)

佐倉の時代祭を見物に行く予定だったが、幼い子が突然やって来ることになり、取りやめにした。緑地公園に行き、遊ばせる。ビービー弾ががあちらこちらに落ちていて、それを熱心に探しては拾った。

手作りのマリーンスフラッグができあがりつつある。デザインも完成し、アイロン接着シートへの印刷もうまくいった。あとはアイロンで布に圧着する工程を残すのみである。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月26日

イチハツをさがし求めて

旧暦;3月18日
くもり・雨
・聖火リレー、長野市騒然、逮捕者6名。
・ロッテのルーキー唐川投手(成田高校)、プロ初登板で初勝利。

今日も、庭に白い花が増えた。紫色の花がどこかで隠れて咲いていやしないかとさがしてみるが、一つも見つからない。

市民大学の卒業生でつくっているメーリングリストに先日参加して、つい最近初めて投稿した。佐倉市内で、イチハツを見ることのできる所はないかと尋ねたてみたところ、佐倉城址公園に数株あるらしいという情報が寄せられた。そのことは良かったのだが、植物のことに詳しいのではないかと思われたらしく、植物に関する話題を楽しみにしていますということも書かれていた。この誤解をとくためにはどうしたらよいのだろうか、困ったことだ。

雲行きがあやしかったが、イチハツを確認するため、午後城址公園に行ってみた。メーリングリストの情報に従って、ショウブ畑におりてさがしてみた。しかしショウブは水生植物であるから、そのあたりは湿地帯になっていて、そういう場所は陸生であるイチハツには適さない。そこで湿地帯を離れてその周囲を歩いて行くと、葉の形状がイチハツによく似た植物を発見した。

しかし花は咲いていない、つぼみも見つからない、これははたしてイチハツなのだろうかと思案に暮れているとき、あいにくなことに雨が降り出してきた。雨あしは次第につよくなり、カサを持ち合わせてないのであれば、引き返すより仕方がない。とりあえず写真を撮っておき、後日もう一度来ることにして帰途に着いた。

雨は、それを狙っていたかのように、家に着く頃にはあがっていた。なんとも意地悪な雨だった。自分一人で出かけたときに雨に降られたのだから、雨男の汚名を人に着せることもできない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月25日

小石川植物園

旧暦;3月17日
はれ
・聖火、オーストラリアより日本到着

小石川植物園は、都心にありながら広大な土地を有し、一回りするだけでもかなりの時間が掛かる。植物のそれぞれに標識板がつけられているので、名前を知ることができて勉強になる。名前だけ聞いたことがあっても、実物は見たことがないないものもかなりあり、ひとつひとつ確認しながら歩くのもおもしろい。

ユリノキの下で説明板を読んでいるとき、見知らぬオバさんが近づいてきて、
「花が咲いていますか」
と声を掛けてきた。ユリノキの花を見たことがないものだから、木を見上げても、どれが花であるのかよくわからない。少し茶色がかったものが見えたので、
「枯れてしまったようですよ」
と適当なことを言うと、さらに近づいてきて木を見上げ、
「まだ咲いているじゃないですか、ほらあのダイダイ色の‥」
と教えてくれた。茶色がかったものが花だった。

「ハンカチの木はごらんになりました?」
ハンカチの木などというものは、その存在すら知らない。
「あちらの方から歩いて来たので、まだ見てません」
と、また適当なことを言うと、
「わたし、これから見に行くんです」
と言い残して去っていった。

ユリノキの説明板には、こう記されていた。
『ユリノキ(モクレン科)
 ユリノキとシナユリノキはそれぞれ北米と中国とに分布しており、近縁な種が隔離分布する例にあげられます。この木は明治の始め頃に植えられた我が国で最も古い株のひとつで、理学部植物学教室の員外教授として植物園で活躍した伊藤圭介が米国からもらい受けた種子を育てたものです。明治23年、大正天皇が皇太子の頃にご来園された際に、この木を見てユリノキと命名されたと言われています。』

ハンカチの木がどういう木であるのか、どういう理由で「ハンカチ」の木と呼ばれるようになったのか確かめてみたいのだが、今行くと先ほどのオバさんと鉢合わせするかもしれないので、もう少し奥の方まで行ってから引き返して見に行くことにした。

佐倉には巨木が多いと聞くが、この園内にもあちらこちらに年輪を重ねた大木がそびえ立っていた。樹木の名称は標識板を見れば分かるのだが、樹齢が記されていないのが残念なところだ。ユリノキに到る途中にクスノキの大木があった。居合わせた老夫婦の奥さんが、その大木を抱きかかえて、
「こんなふうにしてみないと、太さは分からないわね、比べるものがないとだめよ」
と連れ合いに言っていた。樹齢とともに、樹木に関するデータも標識板に記されているとなお良いのだが。その老婦人の言うことももっともなことだと思い、根元に自分の靴を置いて、クスノキの写真を撮っておいた。

ハンカチの木の枝からは、ヒラヒラと白い布状のものが垂れ下がっていた。これが名前の由来であることはすぐに察しがついた。説明板を読むと、そのヒラヒラは特殊化した葉ということだった。

『ハンカチノキ
 ハンカチノキは中国中部と西南部だけに自生する中国の固有植物で、海抜2000mほどの山地の湿った日当りのよい斜面などに生育している。欧米では園芸植物として昔から有名であり、庭木、街路樹として植えられている。ハンカチノキの名前のもととなった二枚の白いものは花を飾る特殊化した葉であり、植物学的には苞と呼ばれる。(以下略)』

サトザクラがちょうど満開だった。ベンチに横になり、サトザクラを見上げながら、歩き続けた疲れをしばしいやした。

小石川植物園の歴史については、「薬草保存園」の説明板の記述内容が参考になる。
『「小石川植物園」の通称で親しまれている、東京大学理学部付属植物園の前身は、徳川幕府直轄の小石川御薬園である。寛永15年(1638)三代将軍家光は麻布御薬園を現在の麻布広尾の光林寺の付近に、大塚御薬園を現在の音羽護国寺の位置に開設した。天和元年(1681)護国寺を建立するため、大塚御薬園は廃止され、大部分の薬草は麻布御薬園に移された。その後、貞享元年(1684)麻布御薬園は小石川御殿内に移転した。これが小石川御薬園のはじまりである。享保6年(1721)八代将軍吉宗は、ほぼ現在の面積に相当する14万7840uに拡張して本格的な薬園として整備し、翌年には新たに小石川養生所を設けた。当時朝廷や幕府に献上した薬草の乾燥場や養生所の井戸などの史跡は、現在も園内に残っている。明治10年(1877)東京大学が設置されたのに伴い大学附置となり、近代的研究植物園として再出発したが、以前に集められたサネブトナツメ、カリン、サンシュユなど薬用樹木の一部は今も残されている+。昭和54年(1979)「薬用保存園」がつくられ、コガネバナ・オウレン・マオウなど御薬園時代に栽培されていた代表的な薬用植物100余種を集めて栽培・公開している。』
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月24日

イチハツでなくても

旧暦;3月16日
雨・くもり・雨

入園券は正門入口近くのタバコ屋さんで買い求めるのだが、どうしてタバコ屋さんなのだろうか、大学研究機関の付属施設だからなのだろうか。こういうシステムは初めてのことで、どうもによくわからない。

入口の受付で入園券をわたして、半券を受け取る。入園中提示を求められることがあるということなので、その半券はなくさないようにしなければならない。塀を乗り越えて侵入する不心得者がいるのだろうか。

受付では、園内の案内図といった類のものはもらえない。これも研究機関の付属施設だからだろうか。受付近くにパンフレットの自動販売機が設置されている。薄い冊子にしては高額なのだが、清水の舞台飛び降りるような気持ちで購入した。

近くのベンチに座り、案内図を広げ、「イチハツ」の文字をさがしたのだが載っていなかった。受付に戻り、係りの女性に「イチハツ」所在を訊ねてみた。その女性はかなりの知識を持っているらしく、すぐ地図をひろげて教えてくれた。

売店の近くに「薬草保存園」があり、そこに行けば「イチハツ」が見られるということだった。もともと小石川植物園は、徳川幕府の薬園だった。「薬草保存園」では、薬園時代に栽培されていた薬用植物を栽培展示しているのである。

イチハツがその保存園にあるということは、やはり薬用として利用された植物ということなのである。園内の小道を歩きながらさがしたところ、隅の方に植えられていた。つぼみは出ていたが、まだ固く、花がひらくにはもう少し日数を必要とする感じだった。

あらかじめ調べておいたことによると、ニオイイリスの葉は先端までピンとまっすぐ伸びているが、イチハツの葉は、先端が垂れ下がっているということだった。目の前のイチハツの葉は、まっすぐ伸びているものもあるが、垂れ下がっているものも多い。また、葉の長さも比較的短いということだが、たしかにその通りだった。

イチハツの効能については、説明板にこう記されていた。
『催吐・下痢・眩暈』
今回は花を見ることはできなかったが、イチハツの全体的な姿はだいたいのところつかめたと思う。

今朝、道路から離れた庭の内側でまた花が開いた。道路際のものと同じく白色だった。葉は皆先端までピンと伸びている。残念ながらイチハツである可能性は、ほぼ消えてしまったと思った方がよさそうだ。

庭の「イチハツ」について初めて書いたのは、もう5年前になる。2003年の4月27日だった。

『今日は天気もよく、汗ばむような暖かさだった。福朗夫人が「いちはつ」が咲いたと言うので、デジカメを持って庭に下りた。

福朗夫人が手を加えているので、我が家の庭にも、毎年いろいろな花が咲く。「いちはつ」もこの季節になると、白い花をつける。花にはあまり関心のない福太朗でも、いちはつが咲いたという声を聞くと、見てみようという気になってくる。それと共に、次の二首も思い出されてくる。

まず、亡母のうた。
  今年また一八の花咲きにけり しみじみ偲ぶ正岡子規を

正岡子規も、病床から庭のいちはつの花を見て、次の歌を詠んだ。
  いちはつの花咲きいでて 我目には今年ばかりの春 行かんとす(明治34年)

病床にある子規は、来年またこの「いちはつ」の花を見ることはできないのかも知れない、と思いつつこの歌を詠んだのであろう。子規は翌明治35年、短い生涯を閉じる。

「いちはつ」の花言葉は敬意。』

庭に咲く花が、たとえイチハツでなくても、それを疑うことなく詠んだ母親の歌に、なんのいつわりもないことにかわりはない。その花がイチハツであってもなくても、それに託した気持ちは、子規の感慨に重なり合うものであったに違いない。それは、春の終わりを惜しむ気持ちであり、初夏を告げる若葉のさやぎのなか、限りあるいのちへの諦念だったのだろう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月23日

「イチハツ」と「ニオイイリス」

旧暦;3月16日
晴れ

門の脇、道路に面したところにいちはつが咲いた。庭には、つぼみがだいぶ膨らんできて、もうすぐ咲きそうなイチハツもあるが、それだけは完全に開花しているのだ。モクレンのこともあったので、ヒョッとして種類が違うのではないかと思い調べてみた。

開花した花の色は白い。ところがイチハツの花はほとんどが紫色である。イチハツと同じ「あやめ属(アイリス)」の植物に、「ニオイイリス」がある。その「ニオイイリス」の花の色は多くが白で、俗にイチハツと呼ばれることもあるが、実際には異なるものである。調べたことを短くまとめると、こんな説明になる。

「いちはやく」咲いた白い花は、その語源通り「イチハツ」としたいところだが、やはり「ニオイイリス」とするのが妥当なようだ。さてそれでは、庭でこれから咲こうとしているのは、ほんとうにイチハツなのだろうか。そんな疑問がわいてきて、頭が混乱してしまった。

その疑問を解決するには、「百聞は一見に如かず」であるから、やはり実際にイチハツを見ることに如かずということになる。そこで、小石川植物園に行って確かめることにした。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月22日

高所恐怖症考

旧暦;3月15日
晴れ

夜、「acrophobia(高所恐怖症)」について書いた文章が、「JAFMate」に載っていることを、夫人が教えてくれた。筆者は大杉正明氏、かつてNHKラジオの英会話講師を勤め、現在も「ものしり英語塾」講師を担当している。

氏は、十数年前のある日、バチカンのピエトロ大聖堂に上ったとき、突如花粉症の症状に襲われるように、高所恐怖症になったそうだ。それ以来、横浜のベイブリッジも渡れなくなったそうである。お気の毒なことである。

高所恐怖症の人は、高いところだけではなく、橋のような場所も苦手とする。橋が高ければもちろん恐怖を感じるのだが、たとえ低いところに架けられた橋であっても、恐怖を感じるものだ。いつだったか、決して高いとは言えない小さな橋を車で通った時、体がこわばり、視線を正面に据えておかなければならない状態になったことがあった。

その時は、橋がいかにも小さくて頼りなく、向こう岸にたどり着く前に壊れてしまうのではないか、という取り越し苦労が恐怖を増幅させたのだろう。しかしそういう不利な条件を差し引いても、やはり恐怖を感じたと思う。

橋というものは、両側がスパッと切り落とされている。誤ってその端の外側に出てしまえば、空中に放り出せれ真っ逆さまに墜落してしまう。どうも橋というものが本質的に有するそういう特質が、高所恐怖症患者には良くないのではなかろうか、と密かに思っている。

以前、両側が田んぼになっている、あぜ道を少し広くした程度の道を車で通った時、レインボーブリッジを通るときに似た恐怖を感じたことがあった。高い橋でもないのに恐怖を感じたということは、橋に限らず、両端あるいは片側でも切り落とされた形状の場所は、怖さを感じるということの証左と言ってよいのであろう。

東京近郊で、とくに恐怖を感じ場所が二箇所ある。一つは、先ほども出た「レインボーブリッジ」、もう一つが「東京湾アクアライン」なのである。

「東京湾アクアライン」は橋ではないが、両端がスパッと切り落とされ、その先は海であるのだから、橋と同様の恐怖感をもたらす。かなり前になるが、夫人の兄上が千葉に来られたとき、「東京湾アクアライン」を通って横浜にお連れしたことがあった。

あいにくの空模様で、強い吹き降りの雨となり、横風を受けて車が流されてしまうという悪条件だった。晴天でもアクアラインは怖いのに、そんな悪天候では、肩に力が入り、ハンドルを持つ手は、同じ位置を固く握りしめたまま、位置を少しずらすことさえできなかった。

運転手が、恐怖感に襲われていることがバレると、同乗者も恐怖に襲われるかもしれない。そう思うと、必死で耐へ、なんでもない風を装わなければならなくなる。「海ほたる」までたどり着く時間が、とても長く感じられた。

中央高速から首都高を通り千葉方面に向かうときは、「レインボーブリッジ」を通ることが多いのだが、実は、ほんとうのところ「レインボーブリッジ」は通りたくないのである。首都高の渋滞を抜け、ヤレヤレと思う間もなく、急に視界が開けて、眼下に東京湾が広がる。高所恐怖症にとっては、最難関のコースなのである。

おまけに、千葉に向かって下り坂になっていて、油断するとスピードが出すぎるので、走行に神経を使わなくてはならない。運転席から視線を少し左右にずらし斜め下を見れば、東京湾お台場周辺のすばらしい光景が目に入ってくるはずである。しかしその瞬間恐怖におののきハンドル操作を誤るかもしれない。怖いもの見たさで、視線が脇にそれてしまいそうになるのを必死でこらえながら運転するのである。

一度でいいから、運転から解放され、「レインボーブリッジ」から見るお台場の景色を、助手席で堪能したいものである。いや、矛盾しているか。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月21日

モクレンの記憶

旧暦;3月14日
久しぶりで晴れた。

隣家の紫のモクレンが、見ごろになっている。ハクモクレンの花は、かなり前に姿を消してしまったが、はたして二色のモクレンの開花時期はこんなにもずれていたのだろうか。

生まれ育った吉祥寺の家の庭は、東西に細長くのびていて、そこにさまざまな草木が植えられていた。ソメイヨシノとヤマザクラ、クリ・カキ、そしてヤマブキとネムノキ、思い出すままにそれらの一部を挙げてみると、それらが植えられていた場所がはっきりと思い出されてくる。

しかしこの庭には、モクレンの木はなく、道路をはさんだ東側の家に白と紫の二色のモクレンがあった。父親は、その花が咲くのを毎年楽しみにしていた。まずハクモクレンが咲くと、写真機を取り出して撮影していた。ハクモクレンの花が咲く季節には、どういうものか季節外れの雪が降ることがあって、大きな白い花がすぐ茶色に変色してしまうことを残念がっていた。

ハクモクレンが散ったあと、暗紫色のモクレンが咲いたが、こちらはハクモクレンほどは父親の興味を引かなかったようだ。はっきりと言い切ることはできないが、なんとなくそんな印象を受けた記憶が残っている。

記憶の中では、ハクモクレンが咲き、そしてその花を見上げて写真機を構える父親の姿が続く。そのあと紫の花が咲いている少し背の低いモクレンの木が浮かびあがってくる。断片的な記憶が、つなぎ合わされて浮かんでくる。だから、ハクモクレンから紫のモクレンに移る間隔を、あまり長くなかったと思い込んだのかもしれない。

思い込みであるかどうかは、両方の花の一般的な開花時期を調べてみれば、すぐに解決できそうな問題だが、なぜか調べてみようという気分にならない。連想の糸は、切り離さずに、そのままつなげておいた方がいいのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月20日

カワセミ発見

旧暦;3月13日
くもり

次第に晴れ間が広がってくるという予報だったので、午後にもう一度カワセミをさがしに行くことにしていた。しかし午後になっても、陽が差してこない。気温も低い。行こうかどうか迷ったが、こういう日は人出も少なく、バードウオッチングにはかえっていいかもしれないと思い、出かけることにした。

川沿いに広がる水田のいくつかには、もう水が張られていた。水田に張られた水が曇り空を映し、あたり一面がどんよりした雰囲気に包まれていた。釣り人の姿は見えなかった。散歩している人も少なかった。

その鳥は、水面から少し突き出た杭の上にとまっていた。胸の毛はオレンジ色、羽根の色ははっきり見えなかったが、体に比してバランスを欠いた大きなクチバシは、まちがいなくカワセミのものだった。

カワセミはしきりに水面をうかがっていたが、しばらくして飛び立って行った。その時、鮮やかなコバルトブルーの羽根が見えた。カワセミは「飛ぶ宝石」と呼ばれているそうだ。宝石は輝くために、光を必要とする。しかし目の前で飛び立っていった「飛ぶ宝石」は、光を必要としなかった。曇り空を映す川面の上を、自らがコバルトブルーの光源となって舞い上がった。

もう一度その姿が見たくて、川沿いの道を往復したが出会うことはなかった。それでも、さがしに来て二度目でその姿を見ることができたのだから、幸運だったと言った方がいいのだろう。今年もこれから田植えの季節が始まる。農作業をする人を遠目に見ながら、体が冷え切らない前に帰ることにした。

カワセミの写真を、「今日のフォト」に載せておいた。望遠レンズに替える前に飛び立ってしまったので、アップの写真ではないが、カワセミの姿ははっきりと映っている。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月19日

イヌも歩けば棒に当たる

旧暦;3月13日
雨・くもり

今年の1月1日から、特に年頭に当たって目標に掲げたのではないが、旅行中の二日間を除いて、なんとか毎日書き続けてきた。ところがこの4月から、少し息切れを感じてきた。その原因は、たぶん外に出ることが少なくなったからなんだろうと思っている。

外を出れば何かの棒に当たることがあって、それをきっかけに頭の中に妄想の回路が生まれてきて、それがかすかな痕跡となって残れば、あとで引き出すことができる。ところが、イヌも歩かなければ、棒に当たることもない。そして何も残らない。

毎日の勤めがあったときには、とくに帰りの電車で過ごす時間が、今思えば貴重な時間だった。棒に当たったときのことを思い返し、枝分かれの多い道筋であっても、今にも消えそうなかすかな足あとであっても、それを残すことができた。かすかなものであっても、そういう道筋・足あとが残っていると、あとで書くときに何らかの恩恵をもたらしてくれた。

毎日書くことが義務となっているプロの中には、ネタが思いつかなくなり、書けなくなってしまうことへの恐怖を感じながら仕事をしている人もいるのかもしれない。朝日新聞朝刊に連載中の「ののちゃん」を見ていると、ときどきそんなふうに思うことがある。まれに、まったく意味不明なマンガが載ることがあるからだ。自分だけが分からないのかもしれないと思っていると、夫人が
「今日の『ののちゃん』、分かった?」
と訊ねてくることがあるので、やはり意味不明と言ってよいのだろう。かってな想像でしかないが、そういうマンガは、〆切りに追われて切羽詰まり、むりやりひねり出したものなのかもしれない。

毎日連載されている「天声人語」には、そういうクズレはない。日常生活を舞台としたマンガとは違い、このコラムの性格上あってはならないことなのだろうが‥‥。また、時事問題という無尽蔵なネタの宝庫を利用できることも、そういうクズレと無縁である理由の一つなのかもしれない。

日常というものは、何ごともなく平々凡々と繰り返されていくことが、理想的な姿なのである。だから、「ののちゃん」一家の、毎日繰り返される平凡な日常生活の中から、4コママンガに仕上げるためのネタををさがし出すことは、容易なことではないにちがいない。ひねり出すことに行き詰まったとき、難解な哲学的なマンガが生み出されるような気がする。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月18日

佐倉市・開国150周年記念事業

旧暦;3月13日
一日中、雨。

今年は、佐倉市の開国150周年記念事業がいろいろと行われる。今から150年前の安政5年、江戸幕府は日米修好通商条約に調印して、鎖国を解いた。

新しい時代の荒波が押し寄せてきた幕末、そういう不安定な時代に開国を主導したのが、時の佐倉藩主堀田正睦(まさよし)だった。藩主としての正睦は、藩士に武芸だけでなく学問も奨励した。特に蘭学に強い興味を示し、佐藤泰然を佐倉に招き順天堂を開設させた。

昨年度の市民大学でも、堀田正睦に関してこんなことを学んだ。その堀田正睦を扱った企画展示「日米修好に駆けた藩主堀田正睦」が、記念事業の一つとして年末に行われるそうだ。

動乱の時代は、尽きない興味を引きだしてくれるおもしろさがある。ちょうどよい機会だから、堀田正睦を軸として、江戸から明治への移り変わりを追ってみるのもいいかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月17日

苛政は虎よりも猛し

旧暦;3月12日
くもり・雨

差出人が東京国税局となっているハガキが届いた。何の知らせだろうと不審に思い、多少身構えながら開いてみたところ、振り替え納税のお知らせだった。こんなふうに記されていた。

『あなたの平成19年度分の申告所得税を4月22日にご指定の口座から振り替えさせていただきます』

すっかり忘れていたが、今年の2月に、初めての確定申告をした。インターネットを利用して確定申告書を作成し、プリントアウトしたものを郵送した。そして税金は、口座振替で納付する方法をとった。その振り替え期日のお知らせだった。

思い返せば、昨年定率減税(サラリーマン減税)が廃止され、地方税が極端に増えて、多くの納税者が『苛政は虎よりも猛し』の思いを味わったにちがいない。「(味わった)のは記憶に新しい」と続けようと思ったが、昨年市税が増えたことを迂闊にも忘れてしまっていた。これでは、「記憶に新しい」と言うことはできない。給与所得者への暫定的な減税措置が廃止されたということではあるが、実感としては増税されたと受け止めたくなるのが人情というものだ。去年こんな形での増税があったことを、もう一度記憶に刻んでおいたほうがいいだろう。

そのうち納税通知書が送られてくる。どの程度の金額になっているのだろうか。退職して収入が減ったのだから、去年ほどの額ではないのだろうが、実際に確かめるまでは、やはり気がかりである。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月16日

「具体」と「普遍」は仲が悪い

旧暦;3月11日
はれ。昨日に引き続き気温も高かった。
マリーンズ、4連勝。

パソコン初心者向け「情報リテラシイ」のレッスン用資料を作成するため、今日も一日パソコンの前に座っていた。レッスン内容の全体案は、かなり固まってきた。これからは時間案の方を、コツコツと作り上げていかなければならない。

パソコンの操作方法に関する書籍は世の中に数多くあるのだが、OSが変わったり、ソフトがバーションアップされると使い物にならなくなってしまう。もちろん使い方が分からなければ、パソコンを道具として使いこなすことはできないのだから、そういう類の書籍も必要なのだが、バージョンアップのたびに買い換えるなどということはとうていできないことだ。

パソコンあるいはソフトウェアの操作方法だけに依存しない説明書というものがあればいいのだが、なかなかそういう内容のものにお目に掛かることはない。となれば自分で準備するより仕方がないことになる。

そんなことを考えて資料作りに取りかかったのだが、理想と現実の溝を埋めるのはなかなか容易なことではない。初心者向けということであれば、やはりどうしても操作方法の説明を省くことはできない。となれば、具体的な操作方法の説明は行いつつも、そこに普遍性というものを加味していくことを考えなければならない。しかし、それが難しい。

「具体」と「普遍」は、いつの時代でも仲が悪くて困る。仲直りすることは永遠になさそうだから、適当なところで折り合いをつけさせるより仕方がないのだろう。
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2008年04月15日

「すぽると!」見てハラハラドキドキ

旧暦;3月10日
はれ。気温もぐんぐん上がり20度を超えた。
マリーンズ、3連勝。

ロッテの試合は、マリンスタジアムで試合がある時は、千葉テレビが放送してくれる。新聞のテレビ欄で、フジテレビが巨人戦を中継することを知って、長年続けられてきたことを変えるのは難しいことだな、と思っているとき、そのことを思い出した。そこでローカル局の番組表で確かめたところ、予想通り中継があった。久しぶりで解説の倉持さんの声を聞いた。細かいところにも目を配っている的確な解説は、今年も健在だ。

マリーンズが勝った日は、色々な局のスポーツニュースを繰り返し見てしまう。最後は、深夜に放送されるフジテレビのスポーツニュース「すぽると!」となることが多い。その「すぽると!」が、3月31日からリニューアルした。

この「すぽると!」は、スポーツニュースとは銘打っている。しかし、御当人たちには申し訳ないのだが、リニューアル前は、アナウンサー同士のやりとりの方がおもしろいことがあった。思わずそのお二人のアナウンサーの人間関係はどうなっているのだろうと、余計なことを考え始めてしまうこともあった。

アナウンサーといえば、事実を冷静に伝えるのを本分としているはずだと思っていたのだが、その観念に変更を加えなければならないことがあった。男性アナが女子アナに向かって、感情をあらわにして怒鳴りだしたことがあったのだ。ことの発端は見逃してしまったので原因は分からなかったのだが、男性アナの剣幕は相当なものだった。

もう一度目撃したことがある。その時は、女子アナがかんでしまったことが原因だったのだが、男性アナは女子アナの頭をこづいてしまったのだ。漫才のように計算されたものではもちろんなく、思わず手が出てしまったのだろう。

そんなことがあってからというもの、スポーツニュースよりおもしろいアナウンサー同士のバトルがいつ起こるかと、ハラハラしながらも期待するようになったのは、仕方ないことだろう。女子アナの方は、まだ若い女性である。ベテランの男性アナと対等に戦いを繰り広げることは無理というものである。いつも笑顔で受け流すのが精一杯の対処方法であった、そんなふうな勝手な想像も浮かんできてあきることがなかった。

リニューアル後は、女子アナが一人加わった。その人が中和剤のような役割を担っているのだろうか、その3人で番組を担当しているときに、男性アナが怒りを爆発させる姿をまだ目撃したことはない。
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2008年04月14日

素振りの効用

旧暦;3月9日
雨・はれ

一日中パソコンを使っていると、当然のことながら目が疲れ肩も凝る。特に右手は長時間のマウス操作で疲労がたまり、上に伸ばしたり、後ろに回したりすると痛みさえ感じることがある。この状態を改善するためには、体を動かさなければダメだろうとは分かっていても、手軽にできる運動が思いつかないまま過ごしていた。

そんなある日、次のような新聞記事が目に入った。
「素振りで五十肩撃退」(湯浅景元、朝日新聞、3月29日)

子どもの頃、毎日父親と一緒に素振りをしていた時期があった。父親は素振りを永いこと続けていたが、私はいつの間にかやめてしまった。父親が使っていた木刀は、亡くなったときに棺の中に入れたので、今はもうない。私が使った子供用の木刀は、今でもあるが、大人が使うには小さすぎる。

いつの頃だっただろうか、常日頃の運動不足を感じたことがきっかけとなって、子どもの頃父親とした素振りのことを思いだし、稲毛だったと思うが、武道具を扱う店に行き木刀を購入した。そして素振りを始めたのだが、長続きしなかった。

新聞記事には、「肩インピンジメント症候群」の説明が載っていた。野球やテニスの選手など、肩を酷使するスポーツ選手がこの症状に苦しめられることが多いらしいが、一般の人も注意が必要ということだ。

この症状からくる肩の痛みを防ぐには、『肩周辺の筋肉や腱のストレッチ、筋肉のトレーニングが効果的』ということだ。そして剣道の素振りが、このトレーニングを効果的に行うことができる運動だというのだ。『ゆっくりとした剣道の素振りは、肩周辺の筋や腱を柔らかく、強くする』と、その効果の程が述べられていた。

わざわざ買い求めてきたのに、いつのまにか防犯用として、部屋の隅に立て掛けられていた木刀を庭に持ち出して、久しぶりで素振りをした。以前は力を込めて上から下へ力をこめて振り下ろしたが、記事によると、ゆっくり振り上げゆっくり振り下ろすのがよいということだった。
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2008年04月13日

マリーンズ応援用小型フラッグの提案

旧暦;3月8日
雨・くもり

マリーンズは、昨日に引き続きサヨナラ勝ち。昨日は晴れてよい天気だったのに、幕張の浜を吹く風が冷たかった。夏のナイターでも、風の冷たさを感じることがあるので、上にはおるものが必要になる。そういうことをすっかり忘れてしまっていて、何の準備をしていかなかったのは、失敗だった。

天気のよいデーゲームでも、ウィンドブレーカー類を用意して観戦した方がよい。マリーンズのウェブサイトで、観戦の際の注意事項として載せておいてくれるとよいのだが、次のように。

〔観戦上の注意〕
マリンスタジアムにご来場の際には、冷たい浜風対策として、すこし厚めの上着をご用意下さい。

ついでに、余計なお節介かもしれないが、応援グッズの注文を一つ。応援用のフラッグを我が家も二つ購入したが、それを使う機会が1・2回しかない。その時は球場全体でフラッグを振るからよいのだが、それ以外の場面では、フラッグを振って応援しようにも、ほかの人の視線をさえぎったり、ぶつけたりするおそれがあって使うことができない。

そこで、せいぜい15センチ四方ほどに小さくすれば、使い勝手がよくなるのではないかということを思いついた。持ち手の部分を少し太めにして、旗をクルクルと巻いて、その持ち手の部分に収納することができればなおさらよい。

そのくらいの大きさであれば、フラッグを振って応援する際でも、ほかの人に迷惑をかけることもない。控えめに応援をしたい人であれば、そのくらいの大きさがちょうどよい。さらに仕事帰りに球場に足を運ぶ場合には、ビジネスバックの中に入れておくこともできる。

しかしそういう手頃な応援フラッグが、はたして販売されるかどうかも分からない。そこで、とりあえずは小型応援フラッグを手作りしてみるのもよいだろう。そういえば、熱狂的な阪神ファンの北杜夫氏のマブゼ共和国にも、手作りの応援グッヅがあったような気がする。

「Web Linls」に、マリーンズ関係のリンクを追加した。ホームページの「新着リンク」または「Web Linls」から、リンク先を閲覧できる。
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2008年04月12日

今季初の野球観戦

旧暦;3月7日
はれ・くもり・深夜になって雨

◆「マリーンズ対ファイターズ戦」観戦
場所:千葉マリンスタジアム
開始:午後2時
会場:午前11時
試合結果:2対1でマリーンズのサヨナラ勝ち
勝利投手:成瀬 善久(2勝1敗)
ホームラン:里崎 智也(2号)
サヨナラヒット:大松 尚逸

今期初めてマリンスタジアムで野球観戦。
高速料金節約のため、一般道を通って幕張へ行く。
家を出たのが11時少し過ぎ、メッセの駐車場には12時頃入る。すでにかなりの車がとまっていた。(土曜日のデーゲームは11時開場)
マー君弁当を食す。(楽天のマー君ではなく、もちろんロッテのキャラクターのマー君)

試合は「成瀬×藤井」の投手戦。6回里崎のソロホームランで先取点が入る。成瀬投手の調子からみて、この一点を守りきってマリーズが勝つものと思われた。

後の席のおじさん(シニアらしい)が、酎ハイを何杯も飲んでいい気分になり、大きな声でヤジを連発したり、外野応援席の歌に合わせて、気が向いたときだけ大きな声で歌い出す。そのたびに、斜め前の席に座っていた小学生が心配そうな顔で振り返る。

藤井投手が打たれると、
「泣いていいぞ、ハンカチかしてあげようか」
と、機に乗じてヤジで攻め立てる。

里崎がホームランを打てば、夫人にハイタッチを求め、不運にも振り向いた私もハイタッチをせざるを得なくなった。すると前に座っていた小さな女の子を連れてきていた父親が私たちの方に振り向き両手を挙げるものだから、やはりハイタッチを無視するわけにもいかない。

ロッテの外野応援団の応援の仕方は、昨年よりは整理され、応援初心者にもわかりやすくなった。そういう改良があったからだろうか、応援に参加する人が、内野自由席の方にも多く見受けられるようになった。チャンスになれば、応援の歌に合わせて、手を遠慮がちに動かしている姿がそこここにあった。

9回表、最初のバッターは平凡なサードへのゴロ。しかし捕球した今江が、一塁へ悪送球。ノーアウト一塁となってしまった。後のヨッパライおじさんが、
「バカァー」
と少しくたびれた声でどなった。ここから悪夢が始まり、ついに同点とされてしまう。

9回裏、先頭打者の角中が四球で出塁。橋本三振のあと、堀がヒット。今江に打順が回り、絶好の名誉挽回のチャンスだったのに、フライを打ち上げてしまって、2アウト。うなだれてベンチに戻る今江に、ヨッパライおじさんが、
「給料、返せ」
と追い打ちをかける。そして延長ムード漂う中、代打大松が、観客を総立ちにさせるサヨナラヒットを放つ。またしてもヨッパライおじさんと、ハイタッチをしてしまった。

◆「サンクス シニア」デー
年齢:60歳以上
実施日:火曜(4月…15、22、29)
当日券割引:内野自由席が1000円
*.同伴の孫(中学生以下)2名まで無料
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2008年04月11日

ネットワークは二律背反

旧暦;3月6日
はれ

昨日のお昼頃、ノートパソコンが宅配便で届いた。現在夫人が使っているノートパソコンの買い換え用として、注文しておいたものだ。昨年末、自分用に購入したノートパソコンは、ヒューレットパッカード製のものだったが、今回はNECのものにした。

昨日の午後からそのノートパソコンにかかり切りになり、今日の夜、やっと夫人が使える状態になった。こんなに時間が掛かるとは思っていなかった。一番手こずったのは、無線LANの設定だった。そのほかメールデータの移動、英語辞書「英辞郎」をVISTAパソコンで使えるようにすることなどに時間を喰われた。

現在使用しているブロードバンドルーターは、セキュリティをかなり高めに設定している。ルーターの発する電波が、家の外の悪意を持った人に拾われて、悪用され可能性もあるので、防御機能をできる限り設定してある。

そんなふうにしてあるものだから、いざ無線LANにつなごうという段になると、そのセキュリティの壁を、今度は自分自身がクリアーしていかなければならなくなる。セキュリティの設定情報をきちんとまとめて記録してあればよいのだが、そのルーターはかなり前に購入した物で、必要な情報をさがし出すのにも時間をとられてしまう。

このように、セキュリティを高めるのはいいのだが、逆にそれによって使いづらい面が生じてしまうことになる。セキュリティと使いやすさとは、二律背反の関係にあるということなのである。どちらかを重視すれば、片一方がおろそかになる。その逆もまた然りなのである。

この二律背反性は、ネットワーク化された集合体では必ず生起する根源的な問題である。人と人とがネットワーク化されることで形成される人間の社会も例外ではない。「あちら立てればこちらが立たぬ」という言葉を思い浮かべてみれば、一目瞭然である。

インターネットというネットワーク、人間社会というネットワーク、どのようなネットワークであれ、この二律背反性というものを、完全に解決する術を持てないのなら、極端に走るのも一つの方法である。しかし両方のバランスをとるために、ブレを修正することを未来永劫繰り返すことは、ネットワークを維持する方法としては、より難しい方法であり、賢明な方法であろう。
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2008年04月10日

火曜と木曜の朝は

旧暦;3月5日


また6時頃目が覚めてしまった。そのまま床の中にいても、なかなか眠りが訪れてきてくれない。それでもしばらくは、次から次へと結んでは解けていく映像を、そのままほったらかしにしながら、横になっていた。

最寄り駅のホームに立って、上りの普通電車を待っている時刻が近づいてきた。席をとるのが上手だった女子高生は、卒業していなければ3月までと同じように、一つ前方のドアから乗り込むに違いない。大和田駅から乗り込んでくる中年の女性は、八千代台駅で必ず席を立つと目星をつけている乗客の前に、スルリと体を割り込ませるだろう。

携帯電話男は、今朝も八千代台駅から乗り込むだろうか。消音モードにしていないから、ボタンを押すたびに、「ピッ、ピッ、ピッ」という音がやけに大きく車内に響く。そして大きな声で、
「○○先生、いらっしゃいますか?」
と電話を掛ける。6時台に出校している教員がいるのだろうか、周囲の人のいぶかしく迷惑そうな視線が集まっても、平然として携帯電話を耳に当てている。

「そうですか…わかりました」
どうやら相手は不在だったらしい。目を虚空に泳がせたまま、身じろぎもせず携帯電話を持ち続けている。ひょっとして、ただボタンを押すだけで、実際に電話は掛けていないのかもしれない。

こんなふうに色々なことが頭を駆け巡っているうちに、再び眠りに落ちていくはずなのだが、いっこうに眠気が戻ってこない。かえって体中の筋肉が張り詰めてきて、頭もさえてくる。ついに我慢できなくなり、起きることにした。

居間に入っていくと、夫人がこんなふうに言った。
「今日は、木曜日ね」
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2008年04月09日

中古でも現役

旧暦;3月4日
くもり・はれ

午前中、自転車で銀行に行く。その自転車は、勤めていた時、勤務先の最寄り駅と職場との往復に使っていた自転車だ。退職する際、家まで車で運んだ。それ以来、近くに行くときは、時々使っている。

車体がどっしりと重みがあり、ちょっとやそっとでは壊れそうにもない感じがする。荷物入れも大きく、使いやすい。たまたま自転車屋さんの店先で売りに出されていた中古自転車だが、かなりお買い得な自転車だった。
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2008年04月08日

暴風雨の朝の早起き

旧暦;3月3日
風雨

昨夜、と言ってももう今日になっているが、2時頃床についたのだけれども、珍しく6時頃目が覚めてしまった。この歳になると、一般的には早く目が覚めるものらしいが、いっこうにそういう気配がない。いくらでも寝ていられる。正規の勤めを持っていた時は、睡眠不足の連続だったので、その不足分を今取り戻しているのかもしれない。

3月までの1年間、火曜日は出勤日でに当たり、朝は早い時刻に起きていたので、体内時計がまだその時間を、憶えているのかもしれない。あるいは台風並みの激しい風雨が騒いでいることも影響して、目覚めを早くしたのかもしれない。

朝が早いと、一日が永く感じられる。自由に使える時間が、午前中も午後もたっぷりと用意されていて、午後5時頃にその時間を使い切る頃には、疲れの中にも充足感が訪れてくる。

4月5日、川越で行われた大学ゼミの同期会について、少し遅れてしまったが、その散策コースをこのブログにまとめておいた。
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2008年04月07日

同期会の残酷さ

旧暦;3月2日
くもり・雨

降り出した雨は、明日いっぱい続くらしい。週末満開になった桜も、その落花の様を惜しむいとまもなく、雨があがったあとは、一気に若葉の季節を迎えていることだろう。ただ、これから見頃の季節を迎えるところもある。先月下旬に行った甲府では、例年一週間遅れで満開になり、そこから500メートルほど上のにのぼった韮崎では、さらに一週間ほど遅れるという。

この季節、晴れた日には、家の中にいるのがもったいないと感じられて、ついフラフラとどこかに行ってみたくなってしまうのは仕方がないことだが、雨が降れば、浮き立つ気分も湿り気を帯び、落ち着いた気持ちでたまっていた雑事をかたづけることもできる。

先週の土曜日、大学のゼミの同期会があり、卒業以来まったく会っていなかった人とも再会の機会を持てた。永い間会っていなかった人は、修正が加えらるないまま、40年前のイメージがそのまま残っている。目の前の姿との違いの大きさに驚くのは相手も同じに違いないのだが、自分のことは棚に上げ、つい相手の変貌ぶりを言いつのってしまう。

しかし40年間の空白を埋めるには、それほど時間を必要としない。しばらく学生時代の思い出を語ったり、来し方のこと尋ね合い、話の端々から現在の暮らしぶりを窺っているうちに、若い頃の顔が目の前にある顔とピッタリと重なり合ってくる。

昨年、ゼミ仲間の一人が亡くなったことを、今回の幹事さんが教えてくれた。誰にも知らせないでくれと言い残して逝き、仏事がすべて終わったあと、遺族から幹事さんにだけ連絡があったそうだ。定年で退職してすぐのことだったらしい。人生の第二ステージの入口で命が尽きてしまう、そういう悲運を思うと気の毒でならない。

川越のうなぎ屋さんで夕食をとっているときに、誰かが言った。
「これからは、仲間が増えることはないんだな。減るだけだな」
減るだけで増えることがないのは、卒業以来一貫していることで、今に始まったことではないが、そういう当たり前なことでも、一人の死を耳にしたばかりの時は、妙な説得力をもって心に迫ってくる。

考えてみれば、同期会というものは残酷な面を持っている。毎年繰り返すうちに、一人欠けまた一人欠けるという具合に、だんだん人数が減っていく。参加していると、その冷酷な現実を目の前に突きつけられる。最後に残る一人は誰なのだろうか。

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2008年04月06日

カワセミをさがして

旧暦;3月1日
はれ

カワセミがやって来る川があるということを人づてに聞いて、買い物がてら見に行った。江戸時代に入ってから、利根川の流れが人為的に銚子方面に向くように変えられてから、印旛沼に流れ込むその川は氾濫するようになったと聞く。しかし今は、護岸工事も行われ洪水の心配はない。

川の流れに沿って、かなり長い距離を歩いた。途中、釣りをしているお年寄りと出会った。その人の顔が、市民大学で佐倉の地名などについて講義してくれたT氏に、面影が通うような気がした。先祖代々この土地に住み着き、周辺には同じ姓を持つ家も多い。脈々とつながってきた血筋は、その一族の顔にも共通の特徴をもたらしているに違いない。

「あの釣りをしている人、Tさんという名前だと思うよ」
と夫人に言ってはみたものの、わざわざ声をかけて、
「ひょっとして、Tさんですか?」
などと訊くわけにもいかない。

少し離れた所に立ち止まり、釣果が訪れてくるのを見守った。イヌを連れて通りかかった散歩の人も、成り行きを見定めるために立ち止まった。しばらくして、ウキが動いた。Tさんと思しき老人が竿をあげると、銀色にかがやく小さな魚が川面から飛び出てきた。

「何という魚ですか」
イヌを連れた男が尋ねた。
「?????」
魚の名前を言っているようだが、聞き取れない。そこで、尋ねた男に近づき、
「何という名前だったんですか」
きいてみると、
「イヤ、よく分からなかったんですよ」

カワセミとは、結局出会うことはできなかった。名前は分からなかったが、Tさんと思しき老人が釣り上げた小魚は、きっとカワセミの好物にちがいない。カワセミは、それを求めてこの小さな川にやって来るのだろう。
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2008年04月05日

同期会は川越で

旧暦;2月29日
はれ

大学のゼミの同期会が、幹事さんの地元の川越であった。幹事さんの案内で、川越の名所を歩きまわり、その後早めの夕食をとるという予定だった。

集合は東武東上線の「川越市駅」、一つ手前に「川越駅」があるので間違えないようにと、幹事さんから二度もメールで連絡があった。池袋駅から川越市駅までは急行で約40分ほどかかる。

ゼミのメンバーはたぶん18人程度だったと思うが、集まったのは7人だった。連絡先不明の人、昨年退職後すぐに亡くなってしまった人などもいて、7人集まればまずは上々なのかもしれない。

川越市駅

蓮馨寺
…小江戸川越着物コンテストが行われていた。

くらづくり本舗
…はやばやとお土産購入。

成田山別院

喜多院
…ちょうど桜が見頃だった。

浮島神社
…ここで一休み。小さな公園で、桜の本数も少なかったが、静かにさくら花を眺めることができた。

川越本丸御殿
初雁公園
三芳野神社
…「とうおりゃんせの唄」発祥の地だそうだ。

時の鐘

蔵造り通り

亀屋
…ここでもお土産購入。「芋せんべい初雁焼」は、固いけれども、よくかみしめると素朴な味わいがありおいしかった。

小川菊(おがぎく)
…文化文政期創業のウナギ一筋の店。店構えはお世辞にもきれいとは言えないけれど、うなぎはふんわりと柔らかくおいしかった。(売り切れ次第、閉店)

川越プリンスホテル1F「ウインザー」

川越市駅
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2008年04月04日

御殿山の頂上を極める

旧暦;2月27日
はれ・くもり

さて東金に出かけたのは、お花見が主目的ではなく、また東京庵でお蕎麦を食べるのも主目的ではなかった。父親の歌碑の状態を確認するのが主な目的だった。

昨年も同じ桜の季節に東金に行った。その際、折れ曲がりあるいは朽ち果てて、歌碑の周囲に乱雑に散らばっていた孟宗竹を可能な限り取り除いた。あれから1年が過ぎ、その間に背後の山の斜面が崩れ落ちることだって、あったかもしれない。そんなことも心配になり、お花見を兼ねて八鶴湖に来たのだった。

東金高校脇の細い道を入っていくと、御殿山への入口となる所に門がある。「回顧探勝の士」を招き入れるために、門はハの字型に開かれていた。左に東金高校の校舎、右に石碑群を見ながら進んで行くと、途中から急な上り坂になる。去年と違うのは、大きな木の根っこ部分が、掘り起こされたまま放置され、道の半分ほどをふさいでいることだった。そのうちに取り除くのだろうか。

急坂を上り詰め、右に折れてさらに登った左側に、歌碑は去年と変わらない姿で立っていた。しかし、去年折れて腐った竹を苦労して取り除いたのに、歌碑の後にまた太い竹が乱雑に散らばっていた。

去年と同じように交替で歌碑の前に立ち、互いに写真を撮った。歌碑の姿は変わっていないが、前に立つ二人の姿は、この1年の間にどの位変わったのだろうか。来年またここに立つときは、どのようになっているのだろうか。

去年はこの場所で引き返して、山をおりたが、なぜかさらに登ってみたくなった。御殿山はさほど高い山ではない、頂上を極めるのも難しいことではないだろう。そんなふうに思って登り始めたが、急坂が続き途中で2回ほど休んだ。

頂上は十数畳の広さだった。「御殿山神社奥院」と刻まれた石碑があった。いくつかのベンチも置いてあった。こんな寂しい所に、中学生らしい年頃の女の子が二人いたが、私たちが足を踏み入れると、すぐにおりて行った。

周囲は木立に囲まれ、見晴らしは良くない。見上げると、木々の梢が丸く連なり円を成し、青空を円形に切り取っている。桜が、その丸い青空の中に、花に飾られた枝をのばしていた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年04月03日

再び東金の東京庵にて

旧暦;2月27日
おだやかに晴れた、心地よい春の一日だった。

絶好のお花見日和だったが家居。東金に行った日が、今日のような天気であれば良かったのだが、自然が相手ではなかなか思うようにいかない。

思いがけない失敗で、東金には到着が大幅に遅れてしまった。平日だというのにかなりの混雑で、八鶴湖畔の無料駐車場はもちろんのこと、東金高校前あたりの空き地も車で埋まっていた。駐車場所を求めて、八鶴湖を一周したが空いている場所はなかった。そこで、とりあえず昼食をとり、しばらく時間を稼ぐことにした。

特に相談したのではなかったが、車はそこに行くのが当然というふうに「東京庵」に向かった。以前一度来た時、夫人の注文した分が忘れられてしまったということはあったが、そのミスを帳消しにするサービスをしてくれたので、悪い印象は残っていなかった。

昼時はもうとっくに過ぎているのに、店内には待っている客が2組みほどいた。しかしそれほど長い時間は待たずに順番がきた。夫人はご飯物、私は「咲福(しょうふく)コース」というものを注文した。

〔咲福コース〕
 蕎麦屋のお料理三点盛り
 (蕎麦豆富・だし巻玉子・肉じゃがきんちゃくと煮豆のおまけ)
 天ぷらの盛り合わせ
 お蕎麦

注文を受けた人がこう言った。
「レディースコースの方がお得ですよ」
怪訝な顔をしていると、
「デザート盛り合わせ、飲み物が加わって同じお値段ですよ」
レディースコースということだから、夫人にすすめているのだろうが、それにしても少し強引な気がした。

店の人は、レディースコースのメニューを示しながら、熱心に説明してくれる。「咲福コース」に、デザート盛り合わせ・飲み物が加わったものがレディースコースだった。
「それじゃあ、レディースセットにしてしまえば?」
強引にすすめられて注文の品を変えてしまうのもシャクにさわるが、創業120年の老舗の蕎麦屋さんに来たのだから、蕎麦屋さんらしいメニューの「咲福コース」を、私のほうから夫人にすすめた。

すると今度は店員さんが少し困ったような顔をして、「咲福コースよりレディースコースの方がお得ということですが」というようなことを、モゴモゴと言っている。そんなことは、さっき聞いて分かっていると言いたかったが、夫人がすべてを理解して助け船を出してくれた。不審だったことが、すべてそれで氷解した。

「レディースコースは、男性が注文してもいいんですか?」
店員さんは頷いた。それならどうして「レディースコース」などと名付けたのだろう。誤解はすべてそこから始まった。

まづ「蕎麦屋のお料理三点盛り」が運ばれてきた。先ほど注文をとりに来たのは、調理服をを着た男の人だったが、こんどは威勢のよい中年の女性だった。
「最初に、蕎麦豆富を召し上がってくださいね」
食べる順番なんてこちらで選ぶから、余計なお節介などしないでほしいなと思いながら、目の前に立つ店員さんを見上げると、真剣そのもののまなざしを私に投げかけていた。視線が合った瞬間、心に浮かんだことは引っ込んでしまった。

結局言われるままに、蕎麦豆富を最初にいただいた。適度に冷えてさっぱりとした味わいの蕎麦豆腐は、最後に食べて口の中を清める方がふさわしいような気がした。しかし、店としては最初に蕎麦の香りを味わってほしいのだろう。あとで、店の人に最初に食べる理由を訊いたところ、甘い物・味の濃いものを食べる前に味わってもらいたいので、というようなことを言っていた。

レディースコースにしたおかげで、最後はコーヒーまで飲むことができた。店内に流れるジャズを聞きながらコーヒーを飲んでいると、そこが蕎麦屋さんであることを忘れてしまうほどだった。

〔蕎麦口福 東京庵〕
http://www.tokyoan.chiba.walkerplus.com/
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2008年04月02日

久しぶりの「どくとるマンボウ」氏

旧暦;2月26日
はれ・くもり

夜のニュースを見ていたら、久しぶりでどくとるマンボウこと北杜夫氏のご尊顔を拝むことができた。もう80歳ということだから、話し方におぼつかなさはあっても、焦点のボケたことはおっしゃってなかった。

どくとるマンボウ氏は、旧制松本高校時代昆虫採集に熱中した。その時集めた昆虫の標本が、このたび「どくとるマンボウ昆虫展」で展示されるそうだ。

場所:栃木県営 日光だいや川公園 緑の相談所展示ホール      
期間:2008年4月2日(水)〜14日(月) 火曜日休館
入館無料
 http://nikkonkyo.org/event/drmanbou.html

マンボウ氏の昆虫好きは、「どくとるマンボウ昆虫記」に詳しい。実はこの「どくとるマンボウ昆虫記」が、北杜夫氏との最初の出会いだった。このことは、以前書いたことがあるような気がするので省略する。

どくとるマンボウ氏が建国した国がある。「マブゼ共和国」というミニ独立国である。これに触発されて初めて作ったサイトが、「ふくろう共和国」なのだった。先日この「ふくろう共和国」の手直しを始めたのだが、xhtmlとcssで作成するのがはじめてのこともあり、あと一歩のところで滞っていた。

そこで今日は少し頑張って、一気に仕上げてアップまでもっていった。まだ手直しが必要なところもあるのだが、追々修正していくことにする。なお、里ふくろうコムのサブドメインを割り当てたので、URLが以下のものにかわる。
 
 ふくろう共和国 http://fukuro.sato296.com
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2008年04月01日

資格喪失証明書を忘れるなんて

旧暦;2月25日
はれ、強い風が吹いた。その風も、午後には少し弱まった。

強い風の吹くなか、東金に行ってきた。11時頃家を出たのだが、市役所の出張所に寄って国民健康保険の加入手続きに手間取り、結局東金に向かったのは、12時を過ぎていた。

健康保険の保険料は、前年度の収入によって決められるので、退職によって収入が減っても、退職後の保険料は退職前とかわらない。だから、退職時に国民健康保険に切り替えるより、1年間は任意継続加入者となった方が負担を軽減できる。昨年の退職時にこのようなことが分かり、今まで加入していた健康保険の任意継続の手続きをした。

任意継続の加入期間は、2年間である。しかし2年目も1年目と同じ高い保険料なのである。収入が減ったのに、在職中と同じ高い保険料を支払うということは、とうてい容認できるものではない。過去の退職者も、みな1年間は任意継続加入者となり、2年目は国民健康保険に切り替えたそうだ。

私も、3月に入ってから、任意継続加入者資格喪失の手続きをした。その手続きをすると、資格喪失証明書が郵送されてくる。その証明書が、国民健康保険の加入申請する際に必要となるのである。

今日、国民健康保険の加入手続きに手間取ったのは、すでに3月中旬頃に受け取っていた資格喪失証明書を持っていくのを忘れてしまったからだった。申請に必要なものは電話で問い合わせて、書類ケースの中にすべて入れたはずだった。
 ・資格喪失証明書
 ・認印
 ・身分を証明するもの(運転免許証など)
 ・年金証書

上記のものを、いったんは確かに書類ケースに入れたのだが、資格喪失証明書はコピーを取っておくために取り出し、そのあとケースに戻すのを忘れてしまったらしい。我ながらお粗末なことをしてしまったものだ。そのために1時間以上も、時間を無駄に費やしてしまった。

東金に行く気持ちも萎えそうになったが、午後になり風も少し弱まってきたのを幸いに、気を取り直して行くことにした。
(つづく)
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗