2008年06月30日

明治の教科書

旧暦;5月26日
はれ

新潟の旧家からお借りした書籍のうち、2冊目の画像取り込みが終わった。明治中頃に出版された小学校用の教科書で、日本の歴史をまとめたものである。

書名:帝國小史
   (甲号)巻之一
著者:山縣悌三郎
印刷:明治二十五年六月二十日
出版:明治二十五年六月二十一日
発行兼印刷人:小林義則
発売:文學社
印刷所:文學社工場

目次 
第一 我が國
第二 神武天皇
第三 日本武尊
第四 神功皇后 漢學の伝来
第五 仁徳天皇
第六 聖徳太子
第七 天智天皇
第八 和気清麿
第九 桓武天皇
第十 菅原道真
第十一 紫式部
第十二 八幡太郎義家

緒言に『児童に了解しやすくして』とあるが、仮名より漢字の方が多いのである。当時の小学生は、こんなに難しい教科書を使っていたのかと驚かされる。今の小学生の力では、とうてい読みこなすことはできない。『読誦に便ならしめんと力めたり』とも書いてあるから、繰り返し音読することを主に行っていたのかも知れない。
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2008年06月29日

雨に咲く花

旧暦;5月25日
雨、夜に入り強く降る。
レイモン・ルフェーブル氏、死去。城達也氏がナレーションをつとめていた頃のFM東京「ジェットストリーム」でも、彼の「グランド・オーケストラ」が演奏する曲がよく流れた。

雨の日は、庭の白い紫陽花がひときは映えて見える。紫陽花の花は、咲き始めから終わりにかけて色が変化するが、この白い紫陽花は最初から最後まで色が変わらない。夫人によれば、先日近所の人が、一枝譲って下さいと言って来たこともあったそうだ。

昔、「雨に咲く花」という歌がはやったことがあった。歌手が誰であったのか、歌詞に紫陽花が使われていたのか、そういったことはすっかり忘れてしまった。ウェブで調べてみたところ、「You Yube」に青江三奈の歌う「雨に咲く花」のビデオがのっていた。

青江三奈といえば、「伊勢佐木町ブルース」「恍惚のブルース」などのヒット曲が思い出される。しかし「雨に咲く花」もを歌ったということは記憶になかったが、とりあえずビデオを再生してみた。

歌謡番組を録画したもののようで、画質・音はあまり良くないが、青江三奈があのハスキーな声で、丁寧にそして思い入れたっぷりに歌う「雨に咲く花」は、懐かしさも手伝って、繰り返し何度でも聞きたいと思わせるのに十分なものだった。

最後まで聞いても、次のような歌詞はあったが、紫陽花はでてこなかった。雨に打たれて咲いているのは、紫陽花ではなく、涙に濡れるおよばぬ恋ごころだった。
 雨に打たれて 咲いている
 花がわたしの 恋かしら

さて、さらに調べてみると、「雨に咲く花カバー」というタイトルが見つかった。カラオケバージョンだが、歌手は井上ひろしとなっていた。記憶をたどり思い出してみれば、最初に歌ってヒットさせたのは井上ひろしの方だったはずだ。そこでさらに調べてみると、1960年に井上ひろしの歌った「雨に咲く花」がヒットしていた。ただし、それはリバイバルヒットで、もともとは『昭和10年(1935)10月に公開された新興キネマ作品「突破無電」』の主題歌(出典‥二木紘三、http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_9174.html)だったそうだ。

蛇足だが、「伊勢佐木町ブルース」も「恍惚のブルース」も、詩を書いたのはあの川内康範氏だった。

青江三奈の「雨に咲く花」
http://jp.youtube.com/watch?v=kpdtl96KmC8&feature=related

井上ひろしの「雨に咲く花」
http://jp.youtube.com/watch?v=DSGm7hFhN4g
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2008年06月27日

すさまじきもの、梅雨時の暑中見舞い

旧暦;5月23日
くもり、はれ

自動車販売の営業所から、早々と暑中見舞いが届いた。

暑中お見舞い申し上げます
  平成二十年 盛夏

いくら何でも早すぎるのではないかと思ったが、旧暦では5月の半ばを過ぎている。4〜6月が夏なのだから、盛夏としてもあながちおかしいとすることはもできない。しかしそうではあっても、まだ梅雨も明けていないのに、暑中見舞いを受け取っても時節外れの感はぬぐえない。こういう挨拶状は、「すさまじきもの」ということになるのだろう。

久しぶりで千葉のヨドバシに行ってきた。Tシャツ転写シート等を購入する用事があった。今までパソコン関係の物品を購入する場合は、秋葉原に行くこともあったのだが、あの惨劇のあった場所に行くことはまだためらわれる。

最寄り駅に、次のようなお知らせが掲示されていた。
 6月28日〜7月9日
 テロ防止対策のため、ゴミ箱を封鎖します。

最初はその意図が分からなかったが、たぶん北海道洞爺湖サミット開催に伴う警備強化のためなのだろう。いろいろなところで警備が強化されているようだ。

駅前に、またギョウザ専門店がオープンするようだ。今川焼きが売れずに閉店、ギョウザでもダメで閉店、次にマッサージの店がオープンしたが、すぐに閉店となってしまった。その後、しばらくテナント募集となっていた例の駅前の場所に、店を開くというのだ。

一度ギョウザで失敗したあの店主が、再挑戦するということは、いくら何でもないだろう。「近日オープン」の横に、「アルバイト募集」の貼り紙もあった。
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2008年06月26日

マリーンス・オリジナルTシャツ

旧暦;5月22日
くもり。半袖では肌寒く感じた。

マリーンズフラッグ用につくった絵を使ってオリジナルTシャツをつくってみた。準備したものは以下の通り。

・Tシャツ
・Tシャツ転写用紙(A4)
・アイロン
・新聞紙朝刊一日分(台紙用)
・端切れ(A4より大きめのもの×2)
・作業台(アイロンで転写する際、体重をかけて強い圧力を加えるので、頑丈なもの)

Tシャツは白の無地のものと指定されていたが、試しにグレーと赤のものを使ってみた。結果はある程度予想はできたが、実際に試してみないと納得できない性分なので、無駄になるのは仕方がない。

グレーの方は、かなりきれいに色がのって見栄えも良かったが、赤の方は絵がTシャツの赤色の中に埋没してしまった。不透明な転写紙があれば、カラーのTシャツでも問題はないのだろうが、今回使ったキャノンの転写用紙には、そういった種類のものはない。現状ではやはり白のTシャツが、一番きれいに絵が転写されるということのようである。
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2008年06月25日

留守番

旧暦;5月21日
くもり

昨夜の1時半ごろ、電話が突然鳴った。電話というものは、何の前ぶれもなく鳴るものだから、突然であることは当たり前なのだが、深夜に鳴るということは滅多にないことだらギクッとした。ところが一度鳴っただけで、それきり鳴り止んでしまった。そうなると、誰からかかってきたのかがまた気になるが、受信履歴が残らないので確かめようもない。

夫人にとって一週間で一番忙しいのが水曜日、必然的に家にいる方が留守番役になる。留守番という役割を、ただ家にいるだけだから、なにも難しいことはないとバカにすることは間違いで、なかなか重要な役目なのだ。

宅急便が届けばそれを受け取らなければならない。仮に誰もいなければ、配達の人は不在届けを郵便受けに入れて、仕事を一つ片付けられなかったことを残念に思いながら引き返さなければならない。留守した方も、帰宅後再配達の依頼をしなければならないという仕事を、一つ増やすことになってしまう。

水曜日は、宅急便の受け取りというような飛び入りの仕事ではなく、必ずしなければならない仕事が予定されている。食料品の宅配サービスで届けられた品物を受け取るという仕事である。言うまでもなくこれも重要な仕事なのである。

重要ではあるが、仕事そのものは単純である。配達の人から品物を受け取り、台所に運ぶだけである。それらの中には、すぐ冷凍室に入れなければならないものもあるのではないかと、ご心配する向きもいらっしゃるかも知れないが、野菜類・冷蔵庫に入れるべきもの・冷凍庫に入れるべきものという具合にちゃんと分別されて袋に入っているから、それぞれを適切な場所に入れれば良いのである。

しかしたまには、面倒なことも発生する。すべての品物を受け取って、「お世話様でした」を言う段になって、配達の人がこんな問を発したのだ。
「どうでしょう、たとえばお肉のお味などはどうでしょうか」
やれやれこれで今日の仕事は終わりだな、と思っているときに思いがけない質問を投げかけられたのだから、戸惑ったのはもちろんのことである。

予定もしていないことが起こると周章狼狽するのは人の常である。こういうとき、適確な答えを即座に用意して、理路整然と述べることほど難しいことはない。だから、わけの分からないことを口走ってしまうことになる。

さて、どんなふうに答えたのか。実はその時のことを思い出してみようとしても、記憶に残っていないのである。わけの分からないことは、記憶にとどまりにくいという
性質を有する。思い出せないのは、このことが原因なのであろう。
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2008年06月23日

アウトラインプロセッサ

旧暦;5月19日
くもり、ときどき薄日がさした。

ブログを書き始めてから、早いものでもう3年目に入っている。この先いつまで続くか分からないが、書きためてきた文章は本人にとっては大切なものなのだから、何らかの方法で整理・保存しておいた方がいいのだろう。そう思って何を使おうかと思案した結果、やはりアウトラインプロセッサを使うことにした。

アウトラインプロセッサとは、文章の構成を階層構造として示すためのもので、一般的には、画面の左側に項目を階層化して示すウィンドウ、右側に各項目に対応する内容を示すウィンドウを設けるスタイルのものが多い。

今まで使ってきたアウトラインプロセッサとして、「ツリーバインダー」というものがある。このフリーソフトは、かつてよく使わせていただいたのだが、もうだいぶ前に開発が止まっていて現在は入手できなくなっている。

「ツリーバインダー」は文章構成用として使うことより、オートバインダー機能を使ってメモを階層化して整理する用途で重宝した。資料の必要部分をドラッグ・コピーするだけで、自動的に見出しが立てられメモとして保存でき、さらに階層化して整理することももちろんできた。「ツリーバインダー」のほかには、このような機能をもったアウトラインプロセッサにはなかなかお目にかかられなかった。

今回使うことにしたのは、「VerticalEditor」というフリーソフトだ。「ツリーバインダー」と同様にオートバインダー機能を備えているうえに、アウトラインプロセッサとしても高い機能を持っている。

横組み・縦組みのさまざまなスタイルを登録して、それらを自由に選択することもできるし、あらかじめ原稿用紙のスタイルも用意されていて、それを選択すればマス目を一字一字埋めていくように入力していくことができる。また、これらのスタイルは別ファイルとして保存され、階層化された文章本体はテキストファイルとして保存されるので、それを別のテキストエディタで編集することもできる。このようにいいこと尽くめのソフトなのである。

VerticalEditorはこちらから
http://truestories.hp.infoseek.co.jp/
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2008年06月21日

偶奇假名引節用集

旧暦;5月17日
一日中雨模様だった。

先日の新潟旅行の際、泊めていただいた旧家から、蔵にあった古い書物を数冊借りてきた。その中の一冊、一番厚い本をスキャナで読み取る作業がやっと終わった。

書名:偶奇假名引節用集

書名に含まれる「偶奇」とは、偶数・奇数を意味するということは見当がつくが、それが本の内容とどう関わるのかということになると見当がつかない。凡例が載っているのだが、くずし字で書かれていて、変体仮名を含んだ仮名の部分はどうにか読めるのだが、漢字の部分が半分以上分からない。

「偶奇」とはどういうことだろう。それについては、漢字の配列の仕方で見当がついた。1頁は、漢字を6行8列で配列している。さらに上3行と下3行とが、二重線で区分けされている。漢字の読みは、各漢字の右側に示されている。その読みを示す仮名の数が上三行が偶数、下三行が奇数となっているのである。

このような分類の仕方は、必要な漢字を早く探しだすための工夫なのだろうが、ただそれがどの程度の効果を持つのか、その点については今の段階ではあまりよく分からない。

「節用集」を日本語大辞典でひくと、以下のような説明が載っていた。
…国語辞典の一つ。いろは引きで日常語に関して、その用字や簡単な語釈を記した辞書の総称。室町時代に始まり江戸時代に広く行われた。

この「偶奇假名引節用集」は、確かに漢字がいろは順に配列してあり、その音読み・訓読みは記されているが、語釈は載っていない。漢字字典とするのが適当だろう。

奥付は以下の通りである。
 官許享和二壬戌年
 文政三庚辰年補刻
    江戸 前川六左衛門
 書林 京都 出雲寺文治郎
    大阪 柏原屋與左衞門
       萬屋安兵衛

享和あるいは文政は、江戸後期、一九世紀初頭で今から200年ほど前である。どんな状態で保存されていたのだろうか、全体はホコリで覆われ、はらってもはらってもホコリっぽい状態は解消されない。頁を一枚づつ繰っていけば、そのたびにホコリがユラユラと立ちのぼっていく感じがする。しかしそのホコリも、200年もの年月の堆積を示すものであることを思えば、有り難みさえも感じてくるのも不思議なことだ。
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2008年06月19日

不条理な世の中

旧暦;5月15日
くもり

(昨日の続き)
東海林さだお氏の「ペットボトル持ち歩くなッ」について書くには書いたのだが、どうにもすっきりしないものが残っていて、気持ちの始末がつかない。パソコンを使っていても、東海林氏のイライラのことが気になって、とうとう続きを書くことになってしまった。

定年退職者らしい3人組みが、中央線の車内で歓談しながらペットボトルの水をチビリチビリと飲む様子を見て、東海林氏のイライラは募るのである。そういう東海林氏をよそに、3人組みはハハハハと笑いながら、相変わらずチビリチビリと飲み続ける。

その3人組みは、自分たちのせいで極度にイライラしている人間がいるなどということはもちろん知る由もない。自分たちが楽しげに振る舞えば振る舞うほど、まったく面識のない赤の他人の気持ちを、なおいっそうささくれ立ったものにするということなどにはまったく思いは及ばない。

イライラの主が東海林氏であったことは、3人組みにとって幸いであった。氏はイライラを募らせていくが、それが暴発するところまでは到らなかった。もしイライラを押さえることを好まず、すぐにそれを解消しようとする人物であったら、3人組みは手痛い仕打ちを受けていたであろう。ただ、東海林氏が後日その時のことを週刊朝日に書いてしまったのだから、肉体的と心的という違いはあるが、手痛い仕打ちを与えたという点では同じであると言った方が良いのだろう。

怒りを暴発させた側は、その行為に到った理由を理解しているが、突如としてそれを被ることになった側は、まったくわけが分からず、痛みをこらえながら途方に暮れる。そしてこう叫ぶ。
「こんな不条理なことがあっていいものか!!」

こういう状況は、実は誰にでも起こり得ることなのである。自分がそこに存在するだけで、他者を不快な気分に陥れてしまう、さらに不幸をもたらしてしまうかもしれないということは、人間というものが社会的動物である以上、避けられないことだからだ。そういう危険性と隣り合わせの状態で、わたしたちは社会的な営みを続けているのである。

だから楽しげな歓談の傍らで、他人にははかり知れない理由でイライラを募らせている人物がいるかもしれないのである。そのことをときどき思い出してみる必要性を、東海林氏の「ペットボトル持ち歩くなッ」というコラムが教えてくれる。

それにしてもペットボトルの水の飲み方について、東海林氏ほど難癖をつける人はまずいないと言ったほうがいいだろう。さもないと、ペットボトルの水を飲むときには、絶えず周囲の様子をうかがい、自分の飲み方に鋭い視線を注ぐ人がいないかどうかを確かめなければならなくなり、おちおちノドの乾きを潤すことすらできなくなってしまう。
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2008年06月18日

「ペットボトル持ち歩くなッ」の読み方

旧暦;5月14日
晴れ

先日、本やら新聞やら封筒やらが崩れ落ちた際、落下物の中に週刊誌も含まれていた。こちらはまだ比較的新しく、週刊朝日の5月2日号だった。東海林さだお氏のコラム「あれも食いたいこれも食いたい」に付箋が貼り付けられていて、タイトルは「ペットボトル持ち歩くなッ」であった。

このコラムに附箋を貼っておいた理由ははっきりと憶えている。言いたい放題、あまりにも勝手なモノ言いで、このまま言わせてなるものか、そのコラムで取り上げられている年寄り3人組みの名誉を、すぐさま回復しなければならないと、義憤に駆られたからだった。しかし「すぐさま」と思った割には、その時からすでに一月以上が経ってしまった。

東海林氏が忌み嫌うのは、ペットボトルを手で持ったり、ディ・パックの網ポケットに入れて持ち歩く人なのだそうだ。
『あれ嫌いなんです。不愉快。』
『あれやめて欲しい。見るのも嫌。』
『あの用心深さが嫌。』
『その小心ぶりが嫌。』
『この臆病者。』

冒頭部分だけでも、ペットボトルを持ち歩く人に、こんなにも罵詈雑言を浴びせかけているのである。そしてさらに念を入れて、こんな結論を無理矢理導くのである。
『ペットボトルを持ち歩いている人は、自分が臆病者で小心者であることを世間に表明しながら歩いていることになるのだ。』

さらにその嫌悪感を増幅させるのは、ペットボトルを持ち歩いている人は、必ず水をチビチビ飲むという点なのである。水というものは、喉が渇いたときにゴクゴクと飲むもので、100回にも分けて飲むなどということは、東海林氏にとってはとうてい許すことができないしみったれた行為となるのである。

このあとも、ありがたくもさらに非難の言葉は続いていく。電車の中で見かけた定年退職者らしき3人組みが、ペットボトルを持っていた。人のよさそうな感じの彼らに対しては、会社ではあまり出世しなかったであろうと、まことに失礼な言辞を弄するのである。

ペットボトルを持って楽しそうに談笑しながら、ペットボトルのふたをとり、チビリチビリと飲む様子をこと細かに観察してはイライラを募らせ、
『電車の中で晩酌してんのかー』
と声にならない叫びをあげる。

山が崩れてそこからこの週刊誌が見つかったのは、何の落ち度もないのに、だだペットボトルの水を晩酌するようにチビリチビリと飲みながら談笑していただけなのに、東海林氏にあれほどまでに蔑まれてしまった哀れな3人組の怨念がそうさせたのだろう。そう思って、ペットボトルを持ち、チビチビと飲む人びとを擁護するためにキーボードにむかったのである。

しかしかつて燃えさかった義憤は、すでに姿を消していた。一ヶ月という時間が、冷静さを取り戻してくれていたのである。理不尽な言いがかりに対しては、理路整然と反論を述べたところで効果は期待できない。それよりも、なぜ東海林氏がペットボトルを持つことを、そしてチビチビと飲むことを、子どもが悪態をつくように書いたのか、そのことを考えてみた方がおもしろいのではないかと思うようになったのである。

なんども読み返して思いついたことは、こんなことだった。東海林氏は、気の毒にも標的にされてしまった3人組みを巧みに使って、イライラを募らせていく様子を自ら演じているのである。それによって読み手を惹きつけようとしているのである。自作自演の文章を読んで、義憤に駆られて憤怒の炎を燃やしてしまっては、彼の術中にまんまとはめられたことになってしまう。だから私たちは、役者としてイライラを演じる彼を、観客として冷徹に見つめ、その演技の優劣を判断すればよいのである。
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2008年06月16日

「それなりログ工房」は震度5弱

旧暦;5月12日
晴れ

今回の「岩手・宮城内陸地震」は、発生から時間が経つにつれてその破壊力のすごさが明らかになってきた。赤チンさんの「それなりログ工房」の所在地がこちら方面だったことを思い出し、赤チンさんとは面識もなくそこを訪れたこともなかったが、被害状況が気になってホームページをのぞいてみた。

「ニュース&雑記帳」に地震の記事が載っていた。6月14日の記事は、『●ログ工房は無事です』という赤い見出しがつけられていた。「それなりログ工房」は、震源から50キロメートルほど離れていて、震度は5弱だったそうだ。

赤チンさんは脱サラして、このセルフビルド実践教室を運営しているらしい。以前「ふらんこにあログ」の掲示板にときどき書き込みをしていたことで、その存在を知ったのだが、霞でも食べて生きているような、なんだか不思議な人だなと思っていた。ともかく大きな被害がなかったことは、人ごとながらよろこばしいことである。

それなりログ工房「ニュース&雑記帳」
http://www15.plala.or.jp/sorenari/news/news2008/news2008-06/news2008-06.html
それなりログ工房 案内図
http://www15.plala.or.jp/sorenari/access/access.html
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2008年06月15日

1年前の都知事選

旧暦;5月11日
晴れ

机の右側のラックに雑然と積み上げておいた本やら封筒やら新聞やらの山の中から、必要な本を探しだそうとしたら、山の途中部分が横に押し出され、そこから滝が流れ落ちるように次々と床の上に落下してしまった。

その山は大体のところA4程度の大きさのものが積み重ねられていたが、途中に文庫本が入り込んでいて、そこが山の安定性を奪ったのだと思われる。文庫本がそこに入り込んでいることは前々から分かっていたのだが、そのまま放置していたのがまずかった。しかしこういうことでもないと、なかなかモノを整理するというきっかけが生まれてこない。

カーペットの上に乱雑に散らばった雑多なモノの中に、古い新聞が混じっていた。何かの記事を切り抜こうと思ってとっておいたのだろうが、付箋も印もつけられていないので、何が必要だったのかが分からない。一面から一枚づつめくって調べていったのだが結局分からなかった。

一面に都知事選の記事が載っていた。この記事が必要だっということはないと思うが、今あらためて読み直してみて、石原氏以外の人が選ばれていたらどうなっていたかと、外野席から想像してみるのもおもしろい。

2007年3月16日 朝日新聞朝刊
『都知事選 4氏の公約そろう』
◇新銀行東京
〔浅野史郎氏〕解体的見直し計画を策定する。
〔石原慎太郎氏〕2年後には必ず立て直す。
〔黒川紀章氏〕民間に売却し、財政再建を図る。
〔吉田万三氏〕都からの出資金と預金者の保護を前提に、処理を進める。
◇五輪招致
〔浅野史郎氏〕招致見直しチームをつくり賛否を明らかにする。
〔石原慎太郎氏〕招致に向けて全力を尽くす。
〔黒川紀章氏〕中止。福祉や街づくり、環境対策が先決。
〔吉田万三氏〕現行計画は白紙撤回。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年06月14日

歴博講演会「旅から旅行へ」

旧暦;5月10日
晴れ

国立歴史民俗博物館で行われた講演会を聴く。

時間:14:00〜16:00
場所:講堂
演題:旅から旅行へ
   −旅行案内所を中心として−
講師:歴史民俗博物館研究部教授 山本光正
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/ichiran/yamamoto.html

近頃はシニア人口が増えて、無料の講演会はすぐ満員になってしまうことも多い。この講演会も無料で先着順200名ということだったので、1時間ほど前に歴博に着いたのだが、開場は1時半だった。ミュージアムショップで時間をつぶし、1時半少し前に講堂入り口に戻ったら、いつのまにか行列ができていた。数えてみたら30人ほど並んでいた。

講演会が始まる頃には、200の座席がほぼ埋まった。山本氏は、フーテンの寅さんのように、ハットをかぶり大きな革製のバッグを携えて、演台の前に立った。そのバッグの中には、講演で使う江戸時代から近代までの旅行案内書が入っていた。

山本氏は7月1日から始まる「旅−江戸の旅から鉄道旅行へ−」の準備のため、現在睡眠不足の毎日でフラフラの状態であるそうだ。フラフラになるほどの睡眠不足の原因は、もっぱら著作権処理のために時間が費やされてしまうからだとぼやいていた。

講演会の終了後は、城址公園の菖蒲田で開催されていた「菖蒲まつり」に足を運んだ。イチハツをさがしに来たときとはうって変わり、菖蒲田は一面の菖蒲の花で埋まっていた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年06月12日

水たまり

旧暦;5月9日
雨、くもり、晴れ

久しぶりで幼い子をあずかることになった。天気が良ければ、公園にでも連れて行って遊ばせるのだが、雨ではそういうわけにもいかない。おのずと家の中で過ごすことになる。

昼食のあと、お昼寝でもしてくれると助かるのだが、気持ちが高ぶっているのか、ますます元気に家の中を我が物顔に動き回る。しかし家の中では、有り余ったエネルギーは持て余しものになり、行き着くところは姉妹喧嘩ということになる。

このままでは収拾がつかなくなるおそれがあるので、雨がやんだ頃を見はからって、散歩に連れ出した。歩いたところは、かつて谷津であったけれども、埋め立てられたまま放置されているところ、今でも舗装されてない小道が残されている。

たぶんそのような道は、あまり歩いたことはないに違いない。道の真ん中で大きなカタツムリを見つけては喜び、所々にできた水たまりを飛び越えては、濡れずに飛び越えられたことを自慢したり、シジミチョウを捕まえようとしてみたりという具合に、遊具が整えられた公園などより生き生きと振る舞っているように見えた。

水たまりが連続しているところでは、水たまりを避けながら注意深く進まなければならない。小さな子にとっては、目の前に次々と現れる自分の体よりも大きな水たまりを、次々とクリアーしていくことは、きっと大冒険なのであろう。

自然にできた水たまりは、不規則に並んでいる。そういう水たまりひとつひとつに対して、回避のための最適な道筋を瞬時に見極めなければならない。子どもにとってそのことは、大人が想像する以上に、神経を集中して行わなければならない難しい判断なのだろう。

遊園地のように子どものために用意された場所は、安全性を保つために遊びが管理されている。しかし管理された遊びからは、未知の環境に柔軟に対応したり、生命をおびやかすかもしれない危険を予知して、それを未然に回避する能力というものが、欠落していってしまうような気がする。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年06月11日

無料会員のシステム

旧暦;5月8日
くもり

千葉テレビの野球中継で、対広島戦を見る。今日は初芝さんの解説。渡辺俊介投手が良く投げて、完封勝利。久しぶりの3連勝。

ついに「TEAM26」に入会してしまった。といっても「マリーンズ会員」なので、年会費は無料なのである。無料ではあっても、すこしは特典がある。たとえばチケットを会員価格で購入できること(試合につき1枚だけ)、ただこれはあまり有り難みを感じない。

当日券をマリンスタジアムで購入する際、「カモメの窓口」を利用できる方がむしろありがたい。「カモメの窓口」だと一般窓口より30分早く販売が開始されるからだ。老いた身にとっては、当日券売り場で立って待つ時間が、30分でも短くなるのはありがたいことなのだ。

無料なのにどうして特典を受けられるのか。なんの見返りを求めることがないなどということは、この世の中ではまず考えられない。たぶんこういうことなのであろう。会員になるためには、住所・氏名等の個人情報を登録しなければならない。つまり個人情報を差し出す代わりに、特典が享受できるということなのだろう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年06月10日

ファンサービス

旧暦;5月7日
はれ

ロッテはやっと3連勝したが、まだパリーグの最下位だ。この勝ちに勢いづいて、上昇気流に乗れるかどうかは、今までの戦いぶりから見て、まだまだ分からない。

先日「サンクスシニアデー」にマリンスタジアムに行ったとき、思いがけない人と出会った。夕食用のお弁当を買うために、売店が並ぶ一階の通路を歩いていると、前方からやけに姿勢の良い男が、ダークスーツでビシッと身を固めて、正面に視線を据えたままこちらの方に進んで来た。彼の前には、カメラを構えながら後ずさりしてくるカメラマンがいた。

このまま進んで行くと正面衝突するおそれがあったので、少し進路を変えた。歩いて行くに従って、彼の顔が次第に鮮明になってきた。間近に来たとき、やっと彼が長嶋一茂氏であることに気づいた。

そのまま歩を進め、すれ違うまで彼の顔を注視し続けていたが、一茂氏は正面に向けた視線をまったくそらすことなくそのまま行き過ぎた。彼のすぐ脇を通りすぎたのだが、私が彼の視界に入っていたのかどうかも疑わしい。一茂氏とすれ違ってから、立ち止まってしばらく彼を見送っていたのだが、その姿勢を崩さず遠ざかって行った。

一茂氏がマリーンスタジアムに姿を現したのは、その日が対巨人戦だったからだろうとその時は思っていた。もちろんそれも理由の一つだったのだろうが、ほかの事情もあったことが、今日のニュースステーション見ていて分かった。

一茂氏は、ときどきニュースステーションに出演する。今日出演したコーナーのタイトルは、「3年で観客2倍! ファンサービス最前線」だった。それの取材でマリンスタジアムを訪れたのだった。

ロッテがまだ川崎球場をホームにしていたころは、ガラガラの客席で麻雀をしていたり、鍋をつついていたりと、いまでは考えられない状態があった。千葉に移っても、ファンサービスの予算がゼロで、低迷する時期が続いた。転機は、球場の運営権を県から譲り受け、外部から人材を招き入れ、ファンサービスに力を注ぎ始めてから訪れた。

そのコーナーはこんな内容であった。マリンスタジアムで見た時とは別人のような一茂氏は、高いチケットを買ってもらうためには、巨人もマリーンズのようにさまざまなファンサービスを試みていかなければならないと語っていた。

負けが込んでいるロッテであっても、ほぼ昨年同様の観客を動員しているのも、「ファンサービス検討会議」を設けてファンサービスに力を注いでいるからであろう。しかしそこに落とし穴があるように思えてならない。

確かに、負け続けても観客減とならないのは、ファンサービスに力を入れたことによるのだろうが、しかしそれはファン獲得の王道ではないのだ。ファン獲得のための最も良い方法は、試合に勝つことなのだ。ファンサービスの効果に頼って、試合に勝つことをおろそかにしていると、見放されてしまうのは火を見るより明らかなのである。ファンを2倍にするのに3年かかったそうだが、ファンを失うのは1年もかからないだろう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年06月08日

先崎のラベンダーまつり

旧暦;5月5日
くもり

一日中ドンヨリと曇って、今にも降り出しそうな空模様だった。さいわい午後になっても雨が降ることはなかったので、「ラベンダーまつり」に行ってみた。今年が第一回目で、昨日と今日の二日間、佐倉市先崎の水田地帯で行われていた。

ユーカリが丘から先崎に通じる道は、いつもより交通量が多かった。小竹川を渡る少し手前で、車が列をなしていた。駐車場に入るための列だった。列の先頭には、車を誘導する人が、ラベンダー色のジャンパーを着て立っていた。200台の駐車スペースが用意されているということで、それほど待たされることなく車をとめることができた。

先崎という地区は、「崎の先」という地名の通り、細長く伸びた丘陵の先端部分にある。周囲の低地は干拓されて水田となり、現在は田植えも終わり青々とした光景が広がっている。その水田の一部に、ラベンダーが植えられているのである。すでに紫色の花で埋まっている区画もあったが、ラベンダー畑全体が紫色で染まるには、もう少し日数がかかりそうだった。

交通整理をしている人の中に、どこかで見かけた顔があったのだが思い出せない。ラベンダーまつりが先崎で行われていることを基に、いろいろと記憶をたどっていくと、今年の正月に鷲神社で行われた出初め式に行き着いた。その人は、今はラベンダー色のジャンパーを着ているが、それを祭はんてんに着替えさせれば、出初め式が行われる前、笛・太鼓の練習の指揮をとっていた人に間違いなかった。たぶんその人を含めて、先崎地区の人たちがこのラベンダーまつりの運営に関わったのであろう。
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2008年06月07日

胎内高原ビール園

旧暦;5月4日
はれ

新潟への旅行の最終日に胎内パークホテルに泊まったのは、胎内川を隔てた向こう岸のほとりにある「胎内高原ビール園」で、作りたてのビールを飲みたかったのも理由の一つだった。去年初めてここのビールを飲んで、ふだん飲んでいるビールに比べて、正確に言うと発泡酒なので比べるのが無理というものかもしれないが、そのおいしさが際だっていることが印象に残っていたのだった。

「胎内高原ビール園」への足は車ということになるのであるが、ビールを飲んでしまっては車の運転ができなくなってしまう。そこで胎内パークホテルの駐車場に車をとめ、そこから歩いて急な坂を下り、胎内川に架かる橋を渡ってビール園に行くという計画を、ない知恵を絞ってひねり出したのだった。ビール園につく頃には、一汗かいてビールもひときわおいしくなるだろうということも、深慮の結果その計画に含まれていたのはもちろんのことである。

しかしその日は、あいにくの曇り空で今にも雨が降り出しそうな寒い日だった。一汗かくどころの話ではなく、帰る時に雨にでも降られたら、ビールの酔いによるおぼつかない足取りで、あの急な坂道を上るとき、足を滑らせてしまうかもしれない、そんな余計な心配をしなければならなかった。ところがフロントでビール園までの道順を尋ねたとき、ありがたいことに雨が降ったときには、車でビール園まで迎えに来てくれるということだった。

胎内パークホテルでも、夕食の時にこの高原ビールを注文して飲んだのだが、ビール園で飲んだものの方がおいしいような気がした。開放的な窓から見える胎内川の流れ、あるいは鳥のさえずりをがビールの味を引き立てたのかもしれない。ビール園でのことはすでに書いたので、ここでは「胎内高原ビール園」のことを少し紹介しておこう。
出典:http://www.tainaibeer.com/shop_beer/shop_beer.html

胎内高原ビール園では開園にあたり、ドイツからブラウマイスターを招いた。ブラウマイスターとは、ドイツの専門栄養機関でビール作りの知識・技術を習得したビール職人に与えられる称号で、そのブラウマイスターから約1年間かけてビール作りの技と職人気質を吸収したそうである。

胎内高原ビールは、ピルスナー、ヴァイツェン、アルト、クッパーの4種類がある。それぞれのビールの特徴を、ウェブページとメニューの説明からまとめると以下の通りである。

●ピルスナー
チェコのピルゼン地方で作られるビール。
ホップの効いたキレのある味が特徴。
世界で最も普及しているタイプ。

●ヴァイツェン
ドイツのバイエルン地方が発祥地。
大麦と小麦を使用して作ったビール。
苦みが少なくフルーティーな味わいが特徴。

●アルト
ドイツのデュッセルドルウフ地方が発祥のビール。
濃い色でホップを抑えた芳醇なコクが特徴。
アルコール分が7・8%で少し高め。

●クッパー
胎内高原ビール園のオリジナル。
胎内産六条大麦を使用した銅褐色のビール。
味はまろやかな深みが特徴。
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2008年06月06日

散策は都バスに揺られて

旧暦;5月3日
はれ

旅行中の写真を整理するためのアルバムを買い求めに、久しぶりで銀座の「ITOYA」に行ってきた。今まで銀座に出るときは、京成線直通の地下鉄浅草線を利用して、東銀座駅で下車することが多かったが、今日は一つ手前の宝町駅でおりて歩いてみることにした。

宝町から中央通りに出て、京橋記念碑の前を通り、そのまま真っ直ぐ南に進めば、じきに「ITOYA」についてしまう。「ITOYA」までの距離は、地図で見ると東銀座と宝町とではあまり差がないようだったが、実際に歩いてみると、宝町からの方が近いような気がした。

帰りは銀座四丁目から都バスを利用して東京駅まで出た。直接上野に行く路線があればよいのだが、都バス路線案内の「みんくるガイド」で調べてみてもそういう路線は見あたらなかった。

「みんくるガイド」は、都バスの営業所、都営地下鉄の各駅(一部除く)で配布している。そのことを都バスのホームページで知り、宝町の改札口付近でさがしてみたが見あたらなかった。そこで駅事務室をのぞき込み、駅員さんに尋ねてみたらすぐ持ってきてくれた。

蛇腹状に折り畳まれている「みんくるガイド」を広げると、A2番程度の大きさになる。片面のほぼ全体は、都バスが走っている地域の地図が載っていて、それだけでも東京の地図としての利用価値がある。

都心を散策する際、今までは地下鉄を利用することが多かった。しかし、小石川植物園の行き帰りに利用したことで、都バスもなかなかいいものだと見直すようになった。渋滞にまき込まれれば到着時間が遅れることにもなるが、時間に追われる生活とは無縁になった身には、街の様子をゆっくり眺められる良い機会ということになるのである。

都バスの好ましい点を思いつくままにあげてみる。
●街の景色を眺めることができる。
●道路脇の停留所からすぐ乗車できる。地下鉄のように長い階段の上り下りをしなくてすむ。
●料金が、200円均一である。
●PASMOがが使える。
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2008年06月04日

初めてのお散歩

旧暦;5月1日
はれ

新潟への旅行に出る前日、飼い主の家の庭で横たわっていた老犬は、私たちが帰ってくるまで命を長らえることができるだろうかと危ぶまれたが、今日もヨロヨロとではあるが庭を歩く姿が見えた。

Aさんの愛犬もかなりの高齢で、もう耳がよく聞こえないらしいが、吠え方は力強く、歩き方もしっかりしていている。Aさん宅に着いた日は、私たちに向かって吠えたが、しばらくすると警戒心を解いて吠えなくなった。以後庭に出たときは、まずその老犬のもとに行き頭をなでてやり、親密さが深まるように心がけた。猫は飼ったことがあるが、イヌとこのように接することは初めてのことだった。

Aさん宅をおいとまする日の朝、田んぼのはずれにニジマスの養殖場があるといことなので、三人で見物に出かけた。しばらくして家に帰ると、留守番をしていた老犬が珍しく吠えた。その吠え方がいつもと違っていた。ワンと吠えたあと、顔を上げて空に向かって「ワォーン」と続けたのだ。

それを人間の言葉に翻訳すると、たぶんこういうことだろう。
「オイ、ドウシテイッショニツレテイッテクレナカッタンダヨー」
そこで、
「よしよし、いっしょに行きたかったんだな」
と言いながら頭をなでてあげると、
「ワン、ワォーン」
と再び吠えた。

今までイヌを飼ったことがなかったのだから、イヌを散歩に連れて行くということなどしたこともない。その私が散歩に連れて行ってあげることになった。以前Aさんの息子さんが散歩に連れ出したことがあったそうだが、その時は言うことを聞かず、歩きだそうとしなかったそうだ。そこでエサを前方に投げると、そこまでは歩い行く。ところがエサを食べてしまえば、そこから先には進まない。仕方がないので、またエサを投げる、すると歩き始める。こんな具合だったそうだ。

こんなことを聞いていたので、はたして一緒に歩いてくれるかどうかが心配だったが、私が鎖を握るとなんのためらいもなく歩き始めてくれた。それは良かったのだが、私の先をどんどん歩いていくので、イヌに引きずられている感じになってしまった。

イヌと接するときには、あくまで人間が主人なのだという主従関係を保つことが大切だと、どこかで耳にしたことがある。そのことを思い出し、イヌに先導されている状態は良くないと思い、追い越して先にたとうとしたが、そのようにすると立ち止まって草むらに鼻を突っ込んで動かなくなる。鎖を引き寄せても動こうとしない。どの程度の力を入れて引いてよいのか、そのあたりの力加減が分からないので、結局イヌの好きなようにさせることになってしまう。草むらに鼻を突っ込んで思う存分ニオイをかいだあとは、また先頭になって歩き始めてしまう。そしてAさん宅からそれほど離れていない所で、引き返してしまった。

私の初めてのイヌとの散歩は、あっけなく終わってしまった。あまりにも早く終わってしまったことを残念に思うよりは、ホッとした気持ちのほうがすこしばかりまさっていた。
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2008年06月03日

こっちの血はう〜まいぞ

旧暦;4月30日

関東甲信越地方は、昨日梅雨入りした。梅雨入り宣言が出た翌日、快晴となった年もあったが、ことしは宣言通り一日中雨が降った。マリンスタジアムはせっかくのシニアデーだったが、対中日戦は中止となった。

(つづき)
胎内パークホテルに来る途中で、Aさんからいただいた竹の子をクール宅急便で送るため、コンビニに立ち寄ったのだった。そのコンビニの駐車場で、夫人が奇妙な生物を発見した。

ミミズを思わせる軟体動物なのだが、体型が異なっているので明らかにミミズではない。体の中央部分の周辺は丸々と異常に膨れ、体の片一方の先端は、ネズミの尻尾のように徐々に細くなっている。体全体が赤黒くテカテカと光っていた。

今までに見たこともない無気味な生き物が、コンビニの駐車場にとめた車のすぐ近くを、シャクトリムシのように体を伸ばしたり縮めたりして動いている。そしてあろうことか、私の足もとの方に少しづつ近づいて来るではないか。最初は、どこかに身を隠そうとして、たまたま私の方に向かってきたのだろうと思ったが、一直線に近づいて来る様子からは私の足を目がけているように思われた。

にじみ出てくる血を眺めているうちに、コンビニの駐車場で発見したその無気味な生き物のことが急によみがえってきた。その瞬間、その生物の正体に思い至った、たぶんそれは、ヒルではなかろうかと。

ヒルは一度も見たことがなかった。しかし、体が丸みを帯びて細長く、血を吸う生き物であるという程度の知識は持っていた。駐車場で見た赤黒い無気味な生き物を思い出し、その姿を反芻しているうちに、その思いつきは確信へと変わっていった。

体が丸々と太っていたのは、私の血をたっぷりと吸ったからだろう。よほど私の血がおいしかったとみえて、欲張って吸いすぎたのだろう。そのために、車から降りて歩き始めたとき、その振動で自分の重みを支えきれずに駐車場の地面にポトリと落ちてしまったのだろう。私の足もとに近づいて来たのは、私の血の味を忘れられず、もう一度吸い付くためだったと思われる。

さて、出血の原因の見当はついたが、この後どのように処置したらよいのかが分からない。一応洗浄綿で拭いておいたが、それだけでよいのか。悪い血を出すために、わざとヒルに血を吸わせることもある、ということを聞いたことがある。それが事実ならば、毒を持っていることはなさそうだが、しかしそれが事実であるという保証はない。

ホテルに戻り、フロントにヒルに噛まれた場合の処置を尋ねたところ、薬局を紹介してくれた。しかし二人ともビールを飲んでいるため、車の運転はできない。そこでホテルの人が、薬局まで送り迎えをしてくれることになった。

運転手を務めてくれた人は、ホテルの総務課に所属している50代の男性だった。能登の出身だということで、ヒルについても一応の知識は持っているようだった。またやけに歴史に詳しく、行き帰りの車の中では、来年の大河ドラマの舞台が新潟で、上杉謙信の家臣である直江兼続が主人公であることから始まって、歴史に関する話がとぎれなく続いた。

「若い人は、こういう話は聞こうとしないから、聞いてくれる人がいることはありがたいんですよ」
私たち二人が、彼の話に耳を傾け、ときどき相づちをうったり、質問してあげたりすることがストレス解消になるということだった。わざわざ車で送り迎えをしてもらうことに肩身の狭さを感じていたところだったので、それを聞いて、そういう負い目もすこし和らいのだった。

薬局に着き、薬剤師の若い女性にヒルに噛まれたことを告げると、手際よく消毒薬と虫さされ用の軟膏をすすめてくれた。ついでに、ヒルに噛まれて薬を買いに来る人がいるかどうか尋ねてみると、首を横に振っていた。今どきヒルに噛まれる人なんてあまりいないのだろう。

ヒルが私の足に食い付いた場所としては、いくつかが考えられる。まず、Aさんと一緒に行った草深い山道、雨に濡れてジトジトとしていて、いかにもヒルが好みそうな場所だった。あるいは、Aさんが裏山でとってきた竹の子を庭で仕分けした時、竹の子にヒルが付着していたのかもしれない。そして、イヌを散歩に連れて行ってあげたときも、可能性としてはないことはない。

ヒルに血を吸われてからもう一週間も経つが、その傷口の周辺がうすく赤みを帯びてきて、かゆみを感じるようになった。直りきるまではもう少し時間がかかりそうである。
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2008年06月02日

原油バブルはいつはじけるのか?

旧暦;4月29日
くもり、雨

ガソリン価格がやはり上がった。それも尋常なあがり方ではない。ユーカリのガソリンスタンドでは、150円台から一気に170円にまで上がってしまった。この高値はいつまで続くのだろうか。こういう質問に対して、経済評論家は口をそろえて、「200円」と言う。

専門家である彼らが口にした価格は、一般の人にため息をもって受け止められるが、そういう予想価格を繰り返し聞くうちに、専門家が言うのなら仕方がないと、その予想を次第に受け入れ始めてしまう。実際のガソリン価格も、人びとのそういうあきらめムードをよいことに値上がりを続け、結局は経済評論家が言った価格に吸い寄せられていってしまう。

こんなシナリオが覆ることはないのだろうか。価格というものが、需要と供給の関係で決まってくることは、専門家でなくても誰もが知っている原理である。現在、原油は十分な量が供給されていると聞く。それなのに高騰するのは、原油が投機のの対象となっていることが原因らしい。

しかしいつまでも、石油が投機の対象としての魅力を有していることはあり得ない。新たに魅力的な投資対象が出現して、原油がその座を奪われる時代がやって来るはずである。そうなれば、かつて土地バブルがはじけたのと同じように、原油バブルがはじけ、ガソリン価格は暴落することになるのだろう。

経済評論家は、いたずらに価格高騰を予想して、ガソリン価格の高騰に荷担するだけでなく、原油バブルがはじけ、ガソリン価格が暴落する可能性についても言及してもらいたいものである。

今日は「血が止まらない」の続きを書こうと思っていたが、ガソリン価格のことにふれたら、ついそちらの方に話がそれていってしまった。続きは明日書くことにしよう。
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2008年06月01日

血が止まらない

旧暦;4月28日
晴れ

久しぶりで小竹方面を散策した。いつもは昼食後一休みしてから出かけ、帰りに買い物をするというパターンが多いのだが、珍しいことに今日は8時半頃家を出た。

昨日は三月下旬の気温で、雨が一日中降り続いた。舗装された道路を歩くときは昨日の雨の影響はないが、陽のあたらない林の中の細い道にそれると、雨をたっぷり吸い込んだ土はぬかり、油断するとすべってしまいそうな場所がいたるところにあった。

去年の今ごろ、胎内で行われたコノハヅクの声を聞く会に参加した時に泊まったのが、展望台の外壁にフクロウのマークが描かれている胎内パークホテルだった。今年もその会に誘われたが、時期的に折り合いがつかず、それへの参加は見送った。しかし胎内の自然と胎内高原ビール園のビールをもう一度味わいたくて、新潟旅行の最終日に一泊したのだった。

その日の午前中は、Aさん所有の土地を案内していただき、別れの際には、Aさんが朝早く山に入って取ってきた竹の子をドッサリいただいた。そして胎内高原ビール園で少し遅めの昼食をとったのだった。

団体客が帰ったあとで店内は客も少なく、4種類のビールを飲み比べながら、目の前を流れる胎内川を眺め、ときおり広い窓を横切る鳥の姿を目で追っていれば、酔いも手伝って恍惚の人となってしまうのだった。しかしその恍惚状態は、店を出るときに至って、いっぺんに吹き飛んでしまうことになるのであった。

夫人が会計を済ませている間、出口近くに置いてあったイスに腰掛け、ウットリと余韻に身をゆだねていた。その時、ズボンの裾に赤い汚れがついているのに気づいた。知らないうちに足を切って、その血がズボンについたのかもしれないと思って裾をまくってみると、想像を超えた量の血がベットリと足に付着していた。靴下もかなりの量の血を吸い込んでいた。

これほどの量の出血がありながら、酔いが感覚を麻痺させているからだろうか、痛みはまったくない。ともかく血を洗い流すために洗面所に行った。さぞかし深い切り傷があるだのだろうと、おそるおそる水をかけて血を洗い流すと、意外にもごま粒よりも小さな傷口が見えるだけだった。

水で洗い流しても、すぐにまた血がにじみ出てくる。洗い流しても洗い流してもすぐににじみ出てきて、そのままにしておくと血がしたたり落ちてきてしまう。夫人のいる所に戻り、新たににじみ出ていた血を清浄綿でぬぐい取り、バンドエイドをはって血を止めようと試みても、バンドエイドに血の色がにじむ。

このような出血の状態から見て、普通の傷ではないのだろう。出血の割には痛みがない。血には凝血作用があるはずなのだが、いつまで経っても血が固まりそうな気配がない。いったいどうして、こんなことになってしまったのだろうか。
(以下続く)
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