朝食をとっている時、北向きの窓の近くで、「ジッ」という短い鳴き声が聞こえた。
「セミがいるな」
「なんのセミ?」
「あれはアブラゼミだな」
「一声で分かるのネ」
そんなふうに夫人に言われて、一声でセミの種類を言い当てることは、誰にでもできることではなく、限られた人だけがそれを可能とする高度な技能を持っているのではないかと思ったのであった。
隣家の庭のセミは一声鳴いただけで、それっきり黙ってしまった。連日暑い日が続き、7月も今日で終わりというのに、セミの声は少し離れた林からは聞こえてくるのだが、家の周辺からはまったく聞こえてこない。
近頃家に籠もっていることが多く歩く時間が減っているので、運動不足解消を兼ねて周辺のセミの発生状況を調べてみることにした。近頃行われている大規模開発で、王様の木をはじめとしてたくさんの木々が伐採されていることも原因となっているのかもしれない。
まず居住する住宅地を北に向かって歩き始めた。今までなら、電信柱にもとまって鳴いていることがあるのだが、そういうセミはまったく見かけないどころか、庭木にとまって鳴いているセミもまったくいなかった。
住宅地を抜けて造成地の脇を通って行く。以前は木々が茂っていた場所は、分譲用に区画整理され、すでに売り出す準備は整っていた。もちろんそういうところにセミはいない。所々に点々と残されている林から、かろうじてセミの合唱が聞こえてくる。ただニイニイゼミが主で、アブラゼミの声はまったく聞こえてこなかった。
さらに進んで行くと、周囲をすべてネットで囲ってあるナシ畑の脇に出た。直売の店があるのだが、営業はしていなかった。ネット越しにナシ畑の中をのぞいてみると、ナシがたくさん実っているのが見えた。同時に、アブラゼミの大合唱が聞こえてきた。
ナシ畑は、セミたちにとってこの上なく住み心地の良い場所なのだろう。なにしろ周囲はネットで囲まれているから、外敵の心配はない。さらにいい年をしてセミ捕りをする人間も入ってこられない。いわばセミの保護地区とでもいうべき環境となっているのだ。
久しぶりの散策で足も軽く、一時間程度を予定していたのだが、だんだんと距離はのび、気がつけば6時を過ぎて陽も落ちてきた。今日の散策の目的は、もう一つあった。「王様の木」の根っこはどうなったのか、そのことを確かめてみたいということもあった。そこで帰りは谷津田に添った小道を行くことにした。
谷津田伝いの小道は、右側に身の丈をかなり伸ばした稲田が続き、左側に雑木林が続く。その雑木林から聞こえてくるのは、ヒグラシとニイニイゼミの鳴き声だった。歩を進めていけば新たな鳴き声が出迎えてくれて、雑木林が続く限りその声は途切れそうにもなかった。
谷津田の底に夕闇が広がり、雑木林の影が覆いかぶさった小道は暗さを増してきた。ヒグラシの鳴き声にせき立てられながら帰り道を急ぐと、突然雑木林が途切れ視界が広がった。そこから見えた広い空は、まだ十分な明るさを湛えていた。
宅地造成によって雑木林が人為的に断ち切られた所に、変わり果てた「王様の木」はあった。幹は根元から無惨に切られてしまったが、根っこだけは以前見た時と同じように、ポッカリと広がった空間の片隅に残っていた。
根っこは生気を失い、死に果ててしまったように見えた。根っこの状態をよく確認してみようと思って近づいた時、わずかに黒ずんだ部分があることに気づいた。目を近づけてみると、その黒い部分に二匹のカナブンが張り付いていた。そこは樹液が出ている所だったのだ。こんな姿になっても、「王様の木」は樹液を出して小動物の命を支えていた。
2008年07月30日
8月からのガソリン価格
先日出光興産は、8月1日から15日までの間、ガソリンの卸値を3.2円値下げすることを発表した。このことは、すでにここにも書いた。
http://www.idemitsu.co.jp/company/information/news/2008/080725.html
そして今日の朝日新聞の朝刊に、次のような記事が載った。
『ガソリン卸値5.1円引き上げ』
これは新日本石油が、石油製品の卸値を8月1日から値上げすることを伝えたものだった。ジャパンエナジーも、リッターあたり6円引き上げる。ともに1ヵ月のごとに価格見直しを行っているため、現在は価格が下落しているが、7月前半の価格高騰が影響して値上げにつながったということだ。
この値上げがそのまま小売価格に反映されると、出光興産とジャパンエナジーとの価格差はリッターあたり「9.2円」にもなってしまう。ガソリンスタンドによって、大きな価格差が生じることになる。
家の近くには出光興産のセルフスタンドはない。調べてみたところ、四街道の方にあることが分かった。わざわざガソリンを消費して、遠くのガソリンスタンドに行くのは無駄なような気もするが、1円でも安いガソリンスタンドを使いたいと思う気持ちは抑えられそうもない。まあそういうことではあるが、どこのガソリンスタンドを利用するかということは、8月1日以降の地元のガソリンスランドの価格を確かめてから判断することにしよう。
なお、下落を続けているWTIの原油先物価格は、これを書いている時点では、121.63ドルだった。
http://chartpark.com/wti.html
http://www.idemitsu.co.jp/company/information/news/2008/080725.html
そして今日の朝日新聞の朝刊に、次のような記事が載った。
『ガソリン卸値5.1円引き上げ』
これは新日本石油が、石油製品の卸値を8月1日から値上げすることを伝えたものだった。ジャパンエナジーも、リッターあたり6円引き上げる。ともに1ヵ月のごとに価格見直しを行っているため、現在は価格が下落しているが、7月前半の価格高騰が影響して値上げにつながったということだ。
この値上げがそのまま小売価格に反映されると、出光興産とジャパンエナジーとの価格差はリッターあたり「9.2円」にもなってしまう。ガソリンスタンドによって、大きな価格差が生じることになる。
家の近くには出光興産のセルフスタンドはない。調べてみたところ、四街道の方にあることが分かった。わざわざガソリンを消費して、遠くのガソリンスタンドに行くのは無駄なような気もするが、1円でも安いガソリンスタンドを使いたいと思う気持ちは抑えられそうもない。まあそういうことではあるが、どこのガソリンスタンドを利用するかということは、8月1日以降の地元のガソリンスランドの価格を確かめてから判断することにしよう。
なお、下落を続けているWTIの原油先物価格は、これを書いている時点では、121.63ドルだった。
http://chartpark.com/wti.html
posted by 里実福太朗 at 22:07| 里ふくろうの日乗
2008年07月28日
抹殺されそうになったエリス
ちょうど一年前のことになる。「アンリ・カルティエ=ブレッソン」の写真展を見に行こうと思って出かけたときのことだ。近代美術館の場所をしっかり確認しておかなかったのがよくなかった。てっきり上野公園の中にあるものと思い込み、暑い最中を探し回ることになってしまった。近代美術館は竹橋にあるのだから、いくら探し回ってもないものはないのである。
近代美術館は見つからなかったが、森鴎外の旧居跡を偶然見つけた。その時のことを、一年前の「里ふくろうの日乗」にこんなふうに書いている。
『しばらく歩くと、水月ホテル鴎外荘という看板が見えた。鴎外の旧居跡があるはずである。一度見ておきたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。思いがけないところで行き会うことになった。
現在はホテルの敷地内に取り込まれ、食事どころとして利用されているということなので果たして見学はできるのだろうかと思い、近くにいた人に聞いてみたところ、食事はしなくても見学だけでもできるということだった。そこでホテル内に入って見たが、折悪しく何かの撮影をしているということで、鴎外が「舞姫」を書いたという部屋は見ることができなかった。鴎外が暮らした家が、食事どころとなってしまっているというのが、なんとも情けない感じがする。』
そのときは撮影だけではなく、補修工事もしていて、残念ながら内部を見学することはできなかった。
鴎外がドイツ留学から帰朝してから四日後に、鴎外を追って一人の若いドイツ女性が日本にやってきた。しかしそのドイツ女性は、すぐに帰国の途についてしまう。鴎外とその女性との間に、どういう約束が交わされていたかは分からない。だが、明治という時代にわざわざ見知らぬ日本という遠い国にやってくるのには、うら若き女性であればなおのこと、よほどの覚悟がないとできないことだろう。
ところがそこまで思い詰めて遠い国までやってきた人を、一ヶ月あまりで帰国させることになるのである。その後、そのドイツ女性の名前、そして帰国までの経緯は慎重に秘匿されることになる。
しかしそこまで内密に事を処理しようとしても、皮肉なことに人には見えるはずのない心というものが、真実を明らかにしてしまう。そのドイツ女性が、「舞姫」のエリスのモデルとなった女性ではないかということは、鴎外の心が投影された「舞姫」を一読すれば自ずとしれることだからなのである。
意に反したドイツ女性との別離は、鴎外の心に深い傷を残したのは言うまでもない。そして、その傷口からあふれ出てくる悔恨の思いが、「舞姫」の創作に向かわせたのだろう。とすれば、作者が「舞姫」のエリスを発狂させてしまうという話しの展開も納得できる。
周辺の人たちが葬ってしまおうとした事実を、鴎外は「舞姫」という作品を通して、暗に世に伝えようとしたのかもしれない。歴史から抹殺されてのしまいそうになったドイツの女性は、「舞姫」の中で永遠に生き続けることになったのである。
舞姫
http://satobn.net/syoko/kindai/ogai/maihime.html
(里実文庫より)
近代美術館は見つからなかったが、森鴎外の旧居跡を偶然見つけた。その時のことを、一年前の「里ふくろうの日乗」にこんなふうに書いている。
『しばらく歩くと、水月ホテル鴎外荘という看板が見えた。鴎外の旧居跡があるはずである。一度見ておきたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。思いがけないところで行き会うことになった。
現在はホテルの敷地内に取り込まれ、食事どころとして利用されているということなので果たして見学はできるのだろうかと思い、近くにいた人に聞いてみたところ、食事はしなくても見学だけでもできるということだった。そこでホテル内に入って見たが、折悪しく何かの撮影をしているということで、鴎外が「舞姫」を書いたという部屋は見ることができなかった。鴎外が暮らした家が、食事どころとなってしまっているというのが、なんとも情けない感じがする。』
そのときは撮影だけではなく、補修工事もしていて、残念ながら内部を見学することはできなかった。
鴎外がドイツ留学から帰朝してから四日後に、鴎外を追って一人の若いドイツ女性が日本にやってきた。しかしそのドイツ女性は、すぐに帰国の途についてしまう。鴎外とその女性との間に、どういう約束が交わされていたかは分からない。だが、明治という時代にわざわざ見知らぬ日本という遠い国にやってくるのには、うら若き女性であればなおのこと、よほどの覚悟がないとできないことだろう。
ところがそこまで思い詰めて遠い国までやってきた人を、一ヶ月あまりで帰国させることになるのである。その後、そのドイツ女性の名前、そして帰国までの経緯は慎重に秘匿されることになる。
しかしそこまで内密に事を処理しようとしても、皮肉なことに人には見えるはずのない心というものが、真実を明らかにしてしまう。そのドイツ女性が、「舞姫」のエリスのモデルとなった女性ではないかということは、鴎外の心が投影された「舞姫」を一読すれば自ずとしれることだからなのである。
意に反したドイツ女性との別離は、鴎外の心に深い傷を残したのは言うまでもない。そして、その傷口からあふれ出てくる悔恨の思いが、「舞姫」の創作に向かわせたのだろう。とすれば、作者が「舞姫」のエリスを発狂させてしまうという話しの展開も納得できる。
周辺の人たちが葬ってしまおうとした事実を、鴎外は「舞姫」という作品を通して、暗に世に伝えようとしたのかもしれない。歴史から抹殺されてのしまいそうになったドイツの女性は、「舞姫」の中で永遠に生き続けることになったのである。
舞姫
http://satobn.net/syoko/kindai/ogai/maihime.html
(里実文庫より)
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月26日
ガソリン、8月1日から値上げ?値下げ?
朝日新聞の朝刊に次のような記事が小さく載っていた。紙面の隅々まで目を通さなければ、見逃してしまうところだった。
『ガソリン卸値が半年ぶり値下げ』
石油元売りの出光興産が、ガソリンなどの石油製品の卸値を8月1日から値下げするということだ。以前8月1日からまた値上げになるということが伝えられていたので、読み間違えたのかと思って、もう一度丁寧に読み直してみたが確かに値下げの記事だった。
出光は半月ごとに卸値を見直しているそうで、7月後半に原油が急落していることに迅速に対応して、8月1日〜15日までの間、7月後半と比べ3.2円下げるということだ。だから8月の前半、まだ原油価格が下落していれば、それに対応してさらに値下げすることになるのだろうが、原油先物価格の変動如何で、どうなるかは分からない。
半月ではなくて、一ヶ月ごとに価格の見直しをしている他社は、この原油価格の急激な変動に追いつくことができず、8月1日からの値上げになってしまう。利用者が、どこのガソリンスタンドに向かうことになるのか、いわずもながのことである。
出光のウェブサイト
http://www.idemitsu.co.jp/company/information/news/2008/080725.html
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月24日
WTI原油先物チャート
0時半ごろ、地震があった。最初はゆっくりと静かに揺れ始め、次第に揺れが強くなってきた。ドスンと急激な揺れがくるのではなくて、このように徐々に揺れが伝わってくる時は、震源が遠い。
ウナギの産地偽装で、国産ウナギの価格が高騰しているらしい。高いウナギはやめて、丑の日には「う」のつく食べ物がいいということだから、梅干しでもしゃぶっていることにしよう。
来月、またガソリンが値上がりするらしい。原油価格が急落しているという報道があったのにおかしいことなので、原油価格を調べてみた。
例の「WTI」の原油先物価格は、一時は「140ドル」を超えたのだが、現在は下降線をたどり、午前中の時点では「124ドル」台まで下がっていた。先物価格だから、この価格続落がガソリンの実売価格にすぐには反映されないということらしいが、値上がりする時には敏感に反応していたのに、と思う人も多いことだろう。
マスコミは価格が上がる時ばかり騒ぎ立て、下がっていることはあまり伝えない。うっかりしているとこのまま高いガソリンを買い続けることになってしまう。今の時代はインターネットで簡単に原油価格を確認できるので、チェックしておくことも無駄ではないだろう。
〔WTI原油先物チャート〕
http://chartpark.com/wti.html
ウナギの産地偽装で、国産ウナギの価格が高騰しているらしい。高いウナギはやめて、丑の日には「う」のつく食べ物がいいということだから、梅干しでもしゃぶっていることにしよう。
来月、またガソリンが値上がりするらしい。原油価格が急落しているという報道があったのにおかしいことなので、原油価格を調べてみた。
例の「WTI」の原油先物価格は、一時は「140ドル」を超えたのだが、現在は下降線をたどり、午前中の時点では「124ドル」台まで下がっていた。先物価格だから、この価格続落がガソリンの実売価格にすぐには反映されないということらしいが、値上がりする時には敏感に反応していたのに、と思う人も多いことだろう。
マスコミは価格が上がる時ばかり騒ぎ立て、下がっていることはあまり伝えない。うっかりしているとこのまま高いガソリンを買い続けることになってしまう。今の時代はインターネットで簡単に原油価格を確認できるので、チェックしておくことも無駄ではないだろう。
〔WTI原油先物チャート〕
http://chartpark.com/wti.html
posted by 里実福太朗 at 22:11| 里ふくろうの日乗
2008年07月23日
甲子夜話
連夜、熱帯夜が続く。今日も朝から暑く、蒸し暑さのためか、4時頃目が覚めてしまった。しばらく床の中でウトウトしていると、西の林の方からヒグラシの声が聞こえてきた。時計を見ると、4時15分だった。ヒグラシは、早起きだ。
昨日図書館で借りてきた「甲子夜話」(かっしやわ)を読み始めた。「甲子夜話」は、平戸藩の第9代藩主、松浦清(まつらきよし、号:清山)によって書かれた随筆集である。文政4年(1821年)11月、甲子の夜に書き始められたことから、そう名付けられた。清山61歳の時だった。以後、世を去るまでの20年間書き続けられ、全278巻の長大な随筆集となった。
平戸は何度か訪れたことのある九州の土地の中でも、素朴な落ち着いた雰囲気のある港町として特に記憶に残っている。平戸のそういった良さを味わうには、歩いて回るのが一番良いだろう。平戸の食といえば、「ひらめ・あご」があげられることが多いのだろうが、私は鯛茶漬けの味が忘れられない。
さて「甲子夜話」を読んでみたいと思い、市立図書館の図書検索サービスを利用してさがしてみたところ、1・2巻は貸し出し中だったが、3巻以降は利用可となっていた。さっそく暑い陽差しの中、ガソリン節約と健康のために、自転車で図書館に行った。
書庫にあるということだったので、カウンターの人に閲覧をお願いしたのだが、5分待っても10分待っても書庫から出てこない。さらにしばらく待っていると、やっと2冊の本を手にして出てきた。しかしその2冊は、続編の3・4巻だった。
東洋文庫として最初に出版された「甲子夜話」は全6巻であるが、そのすべてが書架からから消え、ちょうど6冊分が空いているというのだ。インターネットの検索サービスでは3巻以降は利用可となっていたのにおかしいことだ。そういうことを話し、さらにさがしてもらったのだが、結局見つからなかった。図書データーベースにエラーでも生じたのだろうか。仕方がないので、とりあえず続編の3・4巻を借りることにしたのだった。
東洋文庫(平凡社)
〔甲子夜話〕1巻〜6巻
〔甲子夜話続編篇〕1巻〜8巻
〔甲子夜話三篇〕1巻〜6巻
昨日図書館で借りてきた「甲子夜話」(かっしやわ)を読み始めた。「甲子夜話」は、平戸藩の第9代藩主、松浦清(まつらきよし、号:清山)によって書かれた随筆集である。文政4年(1821年)11月、甲子の夜に書き始められたことから、そう名付けられた。清山61歳の時だった。以後、世を去るまでの20年間書き続けられ、全278巻の長大な随筆集となった。
平戸は何度か訪れたことのある九州の土地の中でも、素朴な落ち着いた雰囲気のある港町として特に記憶に残っている。平戸のそういった良さを味わうには、歩いて回るのが一番良いだろう。平戸の食といえば、「ひらめ・あご」があげられることが多いのだろうが、私は鯛茶漬けの味が忘れられない。
さて「甲子夜話」を読んでみたいと思い、市立図書館の図書検索サービスを利用してさがしてみたところ、1・2巻は貸し出し中だったが、3巻以降は利用可となっていた。さっそく暑い陽差しの中、ガソリン節約と健康のために、自転車で図書館に行った。
書庫にあるということだったので、カウンターの人に閲覧をお願いしたのだが、5分待っても10分待っても書庫から出てこない。さらにしばらく待っていると、やっと2冊の本を手にして出てきた。しかしその2冊は、続編の3・4巻だった。
東洋文庫として最初に出版された「甲子夜話」は全6巻であるが、そのすべてが書架からから消え、ちょうど6冊分が空いているというのだ。インターネットの検索サービスでは3巻以降は利用可となっていたのにおかしいことだ。そういうことを話し、さらにさがしてもらったのだが、結局見つからなかった。図書データーベースにエラーでも生じたのだろうか。仕方がないので、とりあえず続編の3・4巻を借りることにしたのだった。
東洋文庫(平凡社)
〔甲子夜話〕1巻〜6巻
〔甲子夜話続編篇〕1巻〜8巻
〔甲子夜話三篇〕1巻〜6巻
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月21日
「銀河鉄道999」問題(その4)
「銀河鉄道999」という作品名には、「銀河」と「鉄道」という語が使われている。「銀河」も「鉄道」も、共に広く使われている言葉で、特殊な言葉ではない。しかし、それが結びついた「銀河鉄道」となると話は別である。
銀河という語は、天に輝く星々の光が川のように連なって見えることから、天の川をさす言葉として使われる。天を流れる「銀河」と、地の上を走る「鉄道」とを結びつける発想は、おいそれとは生まれ出てくるものではなく、豊かな想像力なければできないことであろう。
天を流れる「銀河」に、地を走る「鉄道」を結びつけたのは、宮澤賢治である。有名な「銀河鉄道の夜」という作品名に使われている。この「銀河鉄道」という言葉を生み出した宮澤賢治はもちろんのこと、「銀河鉄道」という言葉自体にも敬意が払われるべきなのである。
今回の裁判沙汰では、槇原敬之氏が「約束の場所」の歌詞で使った表現が、「銀河鉄道999」のセリフからの無断使用であると指摘した松本零士氏自身が、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」から借用しているのではないだろうかと疑問に思ったひともいたのではないだろうか。
そんな疑問を抱えながら、著作権についていろいろ調べてみたところ、毎日新聞の「ユニバーサロンリポート」に、それに関連する記事があった。
三田委員がリスペクトとしての保護期間延長を主張−−文化庁著作権分科会過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(第4回)
http://www.mainichi.co.jp/universalon/report/2007/0607.html
この記事の中に、作家の三田誠広氏の著作権保護期間の延長を支持する発言が載っている。その発言の中から、松本零士氏に関係する部分を取り出してみる。
『「作家にとっての創作インセンティブは金銭よりも評価」として、「銀河鉄道999」の執筆に際して松本零士氏が保護期間が終了しているにもかかわらず宮沢賢治の遺族に申し入れをした例を紹介。作家に対するリスペクト(尊敬)の表明としての保護期間の延長を主張した。 』
この発言に対して、東京大学教授の中山信弘氏が、『リスペクトは人格権の問題。著作権法が扱うのは財の問題であり、混同してはならない』と反論したそうだが、まったくその通りだろう。
上記三田氏の発言には、もう一つ疑問点がある。『銀河鉄道999」の執筆に際して松本零士氏が保護期間が終了しているにもかかわらず』というところである。宮澤賢治の作品は、死後50年が経過しているので、著作権保護期間はすでに終了している。従って松本零士氏が『保護期間が終了しているにもかかわらず』ご遺族に申し入れをしたのは、賢治の死後50年を経過した1984年以降ということになる。
「銀河鉄道999」のマンガ版は、少年画報社の「少年キング」に1977年から連載されている。1977年といえば、まだ宮澤賢治の作品の保護期間中なのである。従ってこの時にご遺族に申し入れをするのなら、それは当然のことして分かるのだが、三田氏の言によれば、保護期間終了後ということなのだ。このズレは一体どういうことなのだろうか。宮澤賢治のご遺族と何かトラブルでも生じたのだろうか。そのあたりのことモヤモヤとして、どうにもよく分からない。
なお、ご遺族とのトラブルについては、「宮澤賢治の詩の世界」2007年2月1日の記事「作者の遺族が守ろうとするもの」に、いくつか実例が載っている。夏目漱石のご遺族との考え方の違いに興味がひかれる。
http://www.ihatov.cc/blog/archives/2007/02/post_438.htm
銀河という語は、天に輝く星々の光が川のように連なって見えることから、天の川をさす言葉として使われる。天を流れる「銀河」と、地の上を走る「鉄道」とを結びつける発想は、おいそれとは生まれ出てくるものではなく、豊かな想像力なければできないことであろう。
天を流れる「銀河」に、地を走る「鉄道」を結びつけたのは、宮澤賢治である。有名な「銀河鉄道の夜」という作品名に使われている。この「銀河鉄道」という言葉を生み出した宮澤賢治はもちろんのこと、「銀河鉄道」という言葉自体にも敬意が払われるべきなのである。
今回の裁判沙汰では、槇原敬之氏が「約束の場所」の歌詞で使った表現が、「銀河鉄道999」のセリフからの無断使用であると指摘した松本零士氏自身が、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」から借用しているのではないだろうかと疑問に思ったひともいたのではないだろうか。
そんな疑問を抱えながら、著作権についていろいろ調べてみたところ、毎日新聞の「ユニバーサロンリポート」に、それに関連する記事があった。
三田委員がリスペクトとしての保護期間延長を主張−−文化庁著作権分科会過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(第4回)
http://www.mainichi.co.jp/universalon/report/2007/0607.html
この記事の中に、作家の三田誠広氏の著作権保護期間の延長を支持する発言が載っている。その発言の中から、松本零士氏に関係する部分を取り出してみる。
『「作家にとっての創作インセンティブは金銭よりも評価」として、「銀河鉄道999」の執筆に際して松本零士氏が保護期間が終了しているにもかかわらず宮沢賢治の遺族に申し入れをした例を紹介。作家に対するリスペクト(尊敬)の表明としての保護期間の延長を主張した。 』
この発言に対して、東京大学教授の中山信弘氏が、『リスペクトは人格権の問題。著作権法が扱うのは財の問題であり、混同してはならない』と反論したそうだが、まったくその通りだろう。
上記三田氏の発言には、もう一つ疑問点がある。『銀河鉄道999」の執筆に際して松本零士氏が保護期間が終了しているにもかかわらず』というところである。宮澤賢治の作品は、死後50年が経過しているので、著作権保護期間はすでに終了している。従って松本零士氏が『保護期間が終了しているにもかかわらず』ご遺族に申し入れをしたのは、賢治の死後50年を経過した1984年以降ということになる。
「銀河鉄道999」のマンガ版は、少年画報社の「少年キング」に1977年から連載されている。1977年といえば、まだ宮澤賢治の作品の保護期間中なのである。従ってこの時にご遺族に申し入れをするのなら、それは当然のことして分かるのだが、三田氏の言によれば、保護期間終了後ということなのだ。このズレは一体どういうことなのだろうか。宮澤賢治のご遺族と何かトラブルでも生じたのだろうか。そのあたりのことモヤモヤとして、どうにもよく分からない。
なお、ご遺族とのトラブルについては、「宮澤賢治の詩の世界」2007年2月1日の記事「作者の遺族が守ろうとするもの」に、いくつか実例が載っている。夏目漱石のご遺族との考え方の違いに興味がひかれる。
http://www.ihatov.cc/blog/archives/2007/02/post_438.htm
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月19日
夕方の空から舞い降りた啓示
旧暦;6月17日
晴れ
夕暮れ時、二階のベランダで空を眺めていると、西の林の方からヒグラシの鳴く声が聞こえてきた。いよいよ今年もセミたちの季節が始まった。
近頃、暑さが引いた夕刻に、ベランダに出て遠くの空を見ることを心がけている。何かの目的があってのことではなく、ただぼんやりと目を空の方に向けて、空の色の移り変わりを眺めやっているだけなのである。
そんなことをしようと思い立ったのは、一日中ディスプレイを見つめて疲れた目に、休息の時間を与えてあげる必要性を感じたからだった。それでは、それが目的ではないかと言われれば、確かにその通りなのであるが、それでもそれが目的だと言い切ってしまうことにはためらいがある。
このあたりの上空は、鳥たちの往来になっているのだろうか、右に左に大小さまざまな鳥たちが行き来する。鳥たちは、ゆったりとノンビリと飛んでいくのではなく、いかにも先を急ぐという感じで、脇目も振らずに飛んで行く。夕刻という時間帯が、そうさせるのかもしれない。
忙しい日々を送っている人から見れば、ぼんやりと空を眺め、鳥たちの飛ぶ姿を眺めていることなど、唾棄すべき行為に属するのかもしれない。あるいは逆に、滅多に持つことのできない貴重な時間として、羨望のまなざしを向ける人もいるかもしれない。非常に大ざっぱな分け方をしてしまえば、人にはそういう二種類の人間がいて、両者の間には、埋めることのできない深い溝が横たわっていると思われてならない。
空を眺めながら思索を重ねていると、いろいろなことを思いつくが、あとで考え直すと、それらのほとんどは世の中の役に立つような代物ではないことに気づく。
空高く飛ぶ鳥を眺めている時に思いついたこと、それは鳥に高所恐怖症の鳥はいないのだろうかということだった。鳥にもいろいろな種類の鳥がいるのだから、高所恐怖症の鳥がいたっておかしくはない。そういう鳥たちが、きっと飛ぶことをあきらめ、羽根が退化して飛ばない(飛べない)鳥となったのだろう。
そのことを思いついた時は、空からすばらしい啓示が舞い降りて来てくれたと思ったが、役に立たないことは言うまでもない。
晴れ
夕暮れ時、二階のベランダで空を眺めていると、西の林の方からヒグラシの鳴く声が聞こえてきた。いよいよ今年もセミたちの季節が始まった。
近頃、暑さが引いた夕刻に、ベランダに出て遠くの空を見ることを心がけている。何かの目的があってのことではなく、ただぼんやりと目を空の方に向けて、空の色の移り変わりを眺めやっているだけなのである。
そんなことをしようと思い立ったのは、一日中ディスプレイを見つめて疲れた目に、休息の時間を与えてあげる必要性を感じたからだった。それでは、それが目的ではないかと言われれば、確かにその通りなのであるが、それでもそれが目的だと言い切ってしまうことにはためらいがある。
このあたりの上空は、鳥たちの往来になっているのだろうか、右に左に大小さまざまな鳥たちが行き来する。鳥たちは、ゆったりとノンビリと飛んでいくのではなく、いかにも先を急ぐという感じで、脇目も振らずに飛んで行く。夕刻という時間帯が、そうさせるのかもしれない。
忙しい日々を送っている人から見れば、ぼんやりと空を眺め、鳥たちの飛ぶ姿を眺めていることなど、唾棄すべき行為に属するのかもしれない。あるいは逆に、滅多に持つことのできない貴重な時間として、羨望のまなざしを向ける人もいるかもしれない。非常に大ざっぱな分け方をしてしまえば、人にはそういう二種類の人間がいて、両者の間には、埋めることのできない深い溝が横たわっていると思われてならない。
空を眺めながら思索を重ねていると、いろいろなことを思いつくが、あとで考え直すと、それらのほとんどは世の中の役に立つような代物ではないことに気づく。
空高く飛ぶ鳥を眺めている時に思いついたこと、それは鳥に高所恐怖症の鳥はいないのだろうかということだった。鳥にもいろいろな種類の鳥がいるのだから、高所恐怖症の鳥がいたっておかしくはない。そういう鳥たちが、きっと飛ぶことをあきらめ、羽根が退化して飛ばない(飛べない)鳥となったのだろう。
そのことを思いついた時は、空からすばらしい啓示が舞い降りて来てくれたと思ったが、役に立たないことは言うまでもない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月18日
里ふくろうTシャツの評判
旧暦;6月14日
くもり
新聞社の招待券が2枚当たり、夫人とマリンスタジアムで野球観戦。唐川投手が、2回に大量6点を奪われ、その後ロッテも反撃したが、西武に6対8で敗れた。
2時半頃家を出て、マリンスタジアムに向かう。すこし早めに家を出たのは、3時半から県立船橋高校ジャズ同好会の演奏と、千葉商科大学のマーチングバンドの演奏が行われる予定になっていたからだ。バレンタイン監督は千葉商科大学に招かれて、客員教授として講義を持っているそうだ。そういう縁があって、マリンスタジアムで演奏することになったらしい。県船の方の事情は分からない。
高校にジャズ同好会があるのは珍しいのかも知れない。あまり聞いたことがない。舞台に登場した人数は、1・2年合わせて3〜40名程度はいただろう。一つの高校だけで、ジャズを演奏しようとする高校生がこれほどいるということは、意外なことだったが、映画「スウィング・ガールズ」の影響もあるのかも知れない。
今まで車は、メッセの駐車場にとめていたのだが、今日は幕張に着いた時間が早かったので、ヒョッとして球場前の駐車場が空いているかもしれない、ダメだったらメッセの方に行けばよいだけのことだ、と思いそちらに行ってみた。すると、まだ駐車スペースがあったのだ。さらにうれしいことに、駐車料金がメッセ駐車場より300円安い600円だったのだ。たぶん平日だから、とめることができたのだろう。
天気予報では、夕方ぐらいから雨になるだろうということだった。確かに、試合前の球場上空は、水分をたっぷり含んでいると思われる黒い雲に覆われていた。いつ雨が降り出してもおかしくない状態だった。開場を待つ列に並んで待っている時、すぐ後のおじさんが、電車で来る時、雨がサッと降りだしたことがあったと言っていた。
しかし、野球が終わり家路につくまで、雨は一滴も降らなかった。高速道路にのって佐倉方面に向かって走り始めると、雨がパラパラと降ってきた。家の近辺も雨が降った形跡が残っていた。どうやら雨は、マリンスタジアムにいる私たちを避けて降ったらしい。この事実がどういうことを意味するのか、それはもう自明のことだから、あらためてここに書くことはしない。
今日は初めて例のTシャツを着て観戦した。例のというのは、この「里ふくろうコム」のトップページの右上に載せている絵、「里ふくろう」が幕張の海で波乗りをしている絵を転写したTシャツのことだ。どの程度注目してくれるか、ということを確かめてみたいという気持ちもあった。さて反応はというと、私の方は見られていると意識するたことはあまり多くなかったが、夫人の方はかなり視線を集めたようだった。
くもり
新聞社の招待券が2枚当たり、夫人とマリンスタジアムで野球観戦。唐川投手が、2回に大量6点を奪われ、その後ロッテも反撃したが、西武に6対8で敗れた。
2時半頃家を出て、マリンスタジアムに向かう。すこし早めに家を出たのは、3時半から県立船橋高校ジャズ同好会の演奏と、千葉商科大学のマーチングバンドの演奏が行われる予定になっていたからだ。バレンタイン監督は千葉商科大学に招かれて、客員教授として講義を持っているそうだ。そういう縁があって、マリンスタジアムで演奏することになったらしい。県船の方の事情は分からない。
高校にジャズ同好会があるのは珍しいのかも知れない。あまり聞いたことがない。舞台に登場した人数は、1・2年合わせて3〜40名程度はいただろう。一つの高校だけで、ジャズを演奏しようとする高校生がこれほどいるということは、意外なことだったが、映画「スウィング・ガールズ」の影響もあるのかも知れない。
今まで車は、メッセの駐車場にとめていたのだが、今日は幕張に着いた時間が早かったので、ヒョッとして球場前の駐車場が空いているかもしれない、ダメだったらメッセの方に行けばよいだけのことだ、と思いそちらに行ってみた。すると、まだ駐車スペースがあったのだ。さらにうれしいことに、駐車料金がメッセ駐車場より300円安い600円だったのだ。たぶん平日だから、とめることができたのだろう。
天気予報では、夕方ぐらいから雨になるだろうということだった。確かに、試合前の球場上空は、水分をたっぷり含んでいると思われる黒い雲に覆われていた。いつ雨が降り出してもおかしくない状態だった。開場を待つ列に並んで待っている時、すぐ後のおじさんが、電車で来る時、雨がサッと降りだしたことがあったと言っていた。
しかし、野球が終わり家路につくまで、雨は一滴も降らなかった。高速道路にのって佐倉方面に向かって走り始めると、雨がパラパラと降ってきた。家の近辺も雨が降った形跡が残っていた。どうやら雨は、マリンスタジアムにいる私たちを避けて降ったらしい。この事実がどういうことを意味するのか、それはもう自明のことだから、あらためてここに書くことはしない。
今日は初めて例のTシャツを着て観戦した。例のというのは、この「里ふくろうコム」のトップページの右上に載せている絵、「里ふくろう」が幕張の海で波乗りをしている絵を転写したTシャツのことだ。どの程度注目してくれるか、ということを確かめてみたいという気持ちもあった。さて反応はというと、私の方は見られていると意識するたことはあまり多くなかったが、夫人の方はかなり視線を集めたようだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月16日
「銀河鉄道999」問題(その3)
旧暦;6月14日
晴れ。関東地方にも、もう梅雨明け宣言を出してもよさそうなものだが。
マリーンズ、7連勝。
〔セリフ〕
時間は夢の信頼にこたえる、夢も時間の信頼にこたえなければならない
〔歌詞〕
夢は時間の信頼にこたえる、時間も夢の信頼に必ずこたえる
時というものは絶えず過ぎ去っていくものである。そういう時というものに対して夢が信頼を寄せていることは、時間を刻み日を重ねていくうちに、「いずれは夢が実現される日を迎えさせてくれる」ということなのである。『時間は夢の信頼にこたえる』とは、そういうことなのである。
せっかくたぐり寄せた夢が、せわしい日常の時間に紛れて、時の流れとともに薄れていき、仕舞いには忘れ去られてしまうのでは、夢は時間の信頼にこたえたことにはならない。だから、夢を持ち続けることで、時間の信頼にこたえなければならないのである。
以上のことを考え合わせれば、〔セリフ〕では、「夢が実現される日は必ずやってくる。その日まで夢を持ち続けなければならない」ということを訴えてとしてよいだろう。「〜ならない」という強い意味を表す言葉が使われていることから分かることは、夢を実現するためには、強い意志が必要であるということなのである。
〔歌詞〕は、〔セリフ〕の後半部とは違い、「夢は時間の信頼にこたえる」というおだやかな表現で始まる。夢というものは、本来時間の信頼にこたえるもの、つまり時が流れても薄れていくことはないものなのである。そして〔歌詞〕の後半部では、薄れていくことがないどころか、時が移ればいつかは必ず実現されるものであることを歌う。
つまり〔歌詞〕では、「夢というものは、時の流れとともに薄れてしまうことはなく、いつかは必ずかなえられるものである」という認識を示しているのだろう。夢が成就されたということは、人知を超えた普遍的な何かから導びかれた結果なのである。だから、人間の意志が働く「〜しなければならない」という表現は用いられていないのである。
このように比較してみると、両者の違いが際だっていることが分かってくる。もう一度まとめておくと、〔セリフ〕では、夢を実現させるためには強い意志が必要であることを訴えかけ、それに対して〔歌詞〕では、夢というものがめぐりめぐって自ずと成就されることを示すのである。
このような違いが明らかにしてくれることは、両者共に『時間・夢・裏切る』という三つの言葉を使ってはいるが、まったく違う発想によってこの三語を組み合わせ、両者の主張あるいは認識を、それぞれの〔セリフ〕・〔歌詞〕に託しているということである。
槙原氏は否定しているが、仮に氏が「銀河鉄道999」のその〔セリフ〕にふれる機会があって、その〔セリフ〕が意識下に沈んでいたとしても、違う発想から生み出された〔歌詞〕を、盗用とするのは難しいように思われる。このような創作という行為にかかわる難しい問題に対して、法律家の先生方はどのような判断を下すのだろうか。
晴れ。関東地方にも、もう梅雨明け宣言を出してもよさそうなものだが。
マリーンズ、7連勝。
〔セリフ〕
時間は夢の信頼にこたえる、夢も時間の信頼にこたえなければならない
〔歌詞〕
夢は時間の信頼にこたえる、時間も夢の信頼に必ずこたえる
時というものは絶えず過ぎ去っていくものである。そういう時というものに対して夢が信頼を寄せていることは、時間を刻み日を重ねていくうちに、「いずれは夢が実現される日を迎えさせてくれる」ということなのである。『時間は夢の信頼にこたえる』とは、そういうことなのである。
せっかくたぐり寄せた夢が、せわしい日常の時間に紛れて、時の流れとともに薄れていき、仕舞いには忘れ去られてしまうのでは、夢は時間の信頼にこたえたことにはならない。だから、夢を持ち続けることで、時間の信頼にこたえなければならないのである。
以上のことを考え合わせれば、〔セリフ〕では、「夢が実現される日は必ずやってくる。その日まで夢を持ち続けなければならない」ということを訴えてとしてよいだろう。「〜ならない」という強い意味を表す言葉が使われていることから分かることは、夢を実現するためには、強い意志が必要であるということなのである。
〔歌詞〕は、〔セリフ〕の後半部とは違い、「夢は時間の信頼にこたえる」というおだやかな表現で始まる。夢というものは、本来時間の信頼にこたえるもの、つまり時が流れても薄れていくことはないものなのである。そして〔歌詞〕の後半部では、薄れていくことがないどころか、時が移ればいつかは必ず実現されるものであることを歌う。
つまり〔歌詞〕では、「夢というものは、時の流れとともに薄れてしまうことはなく、いつかは必ずかなえられるものである」という認識を示しているのだろう。夢が成就されたということは、人知を超えた普遍的な何かから導びかれた結果なのである。だから、人間の意志が働く「〜しなければならない」という表現は用いられていないのである。
このように比較してみると、両者の違いが際だっていることが分かってくる。もう一度まとめておくと、〔セリフ〕では、夢を実現させるためには強い意志が必要であることを訴えかけ、それに対して〔歌詞〕では、夢というものがめぐりめぐって自ずと成就されることを示すのである。
このような違いが明らかにしてくれることは、両者共に『時間・夢・裏切る』という三つの言葉を使ってはいるが、まったく違う発想によってこの三語を組み合わせ、両者の主張あるいは認識を、それぞれの〔セリフ〕・〔歌詞〕に託しているということである。
槙原氏は否定しているが、仮に氏が「銀河鉄道999」のその〔セリフ〕にふれる機会があって、その〔セリフ〕が意識下に沈んでいたとしても、違う発想から生み出された〔歌詞〕を、盗用とするのは難しいように思われる。このような創作という行為にかかわる難しい問題に対して、法律家の先生方はどのような判断を下すのだろうか。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月14日
「銀河鉄道999」問題(その2)
旧暦;6月9日
晴れ。今日も蒸し暑い一日だった。
『夢は時間を裏切らない』、あるいはその逆『時間は夢を裏切らない』とは、いったいどういうことなのだろうか。「銀河鉄道999」問題は、この表現が意味するところ内容を理解しないと、解決への道筋が見えてこない。
まず比較するために、問題となった箇所を列挙しておく。
〔セリフ〕‥銀河鉄道999
時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない
〔歌詞〕‥約束の場所
夢は時間を裏切らない、時間も夢を決して裏切らない
両者を比べてみると、以下のことが分かる。
1.前半部分と後半部分の順序が逆である。
2.表現上の差違が多少ある。
〔セリフ〕では「〜ならない」が使われ、〔歌詞〕では、「決して」が使われている。
このようなわずかな差違が、それぞれが意味する内容を、異なるものとするのだろうか。この点を確かめていってみたい。
表現上の特徴は、「裏切らない」という言葉の使い方である。一般的に「裏切る」という行為は、好ましくないものとして受け止められるから、否定的な意味内容を持つ言葉と考えられる。
「裏切らない」を、「裏切る」と「ない」とに分けてみると、この表現方法が意図する効果が見えてくる。
裏切らない‥‥裏切る(否定)+ない(否定)
つまり、否定に否定を重ねる二重否定の表現なのである。改めて言うまでもないが、二重否定の表現効果は、強い肯定である。何かを強く肯定したがために、「裏切らない」という表現を用いたということであるが、その「何か」が何であるかを考えるために、表現効果は失われてしまうが、「裏切らない」を普通の肯定表現に直してみることにする。
「裏切らない」を肯定的な表現に直すとどうなるのだろうか。裏切るとは、相手の信頼に対して、その信頼とは逆の仕打ちをしてしまうことだから、仮に「信頼にこたえる」にでもしておこう。
〔セリフ〕
時間は夢の信頼にこたえる、夢も時間の信頼にこたえなければならない
〔歌詞〕
夢は時間の信頼にこたえる、時間も夢の信頼に必ずこたえる
さて、こんなふうに言い換えたことで、「何か」が見えてくるだろうか。
(つづく)
晴れ。今日も蒸し暑い一日だった。
『夢は時間を裏切らない』、あるいはその逆『時間は夢を裏切らない』とは、いったいどういうことなのだろうか。「銀河鉄道999」問題は、この表現が意味するところ内容を理解しないと、解決への道筋が見えてこない。
まず比較するために、問題となった箇所を列挙しておく。
〔セリフ〕‥銀河鉄道999
時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない
〔歌詞〕‥約束の場所
夢は時間を裏切らない、時間も夢を決して裏切らない
両者を比べてみると、以下のことが分かる。
1.前半部分と後半部分の順序が逆である。
2.表現上の差違が多少ある。
〔セリフ〕では「〜ならない」が使われ、〔歌詞〕では、「決して」が使われている。
このようなわずかな差違が、それぞれが意味する内容を、異なるものとするのだろうか。この点を確かめていってみたい。
表現上の特徴は、「裏切らない」という言葉の使い方である。一般的に「裏切る」という行為は、好ましくないものとして受け止められるから、否定的な意味内容を持つ言葉と考えられる。
「裏切らない」を、「裏切る」と「ない」とに分けてみると、この表現方法が意図する効果が見えてくる。
裏切らない‥‥裏切る(否定)+ない(否定)
つまり、否定に否定を重ねる二重否定の表現なのである。改めて言うまでもないが、二重否定の表現効果は、強い肯定である。何かを強く肯定したがために、「裏切らない」という表現を用いたということであるが、その「何か」が何であるかを考えるために、表現効果は失われてしまうが、「裏切らない」を普通の肯定表現に直してみることにする。
「裏切らない」を肯定的な表現に直すとどうなるのだろうか。裏切るとは、相手の信頼に対して、その信頼とは逆の仕打ちをしてしまうことだから、仮に「信頼にこたえる」にでもしておこう。
〔セリフ〕
時間は夢の信頼にこたえる、夢も時間の信頼にこたえなければならない
〔歌詞〕
夢は時間の信頼にこたえる、時間も夢の信頼に必ずこたえる
さて、こんなふうに言い換えたことで、「何か」が見えてくるだろうか。
(つづく)
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月12日
段ボール箱に詰まった思い出
旧暦;6月9日
晴れ、雷雨
暑く蒸し暑い一日だった。4時少し過ぎに、急に辺りが暗くなり、遠くから雷鳴が聞こえてきた。稲妻が光ってから雷鳴がとどろくまでかなり時間がかかった。まだまだ近づくまでは時間がかかるなと思っているうちに、激しい雨が降り出した。大気中にたまりにたまった水蒸気が水となり、一気呵成に吐き出されたという感じの激しさだった。梅雨明けを宣言する雷雨だったのだろうか。
職場から持ち帰った段ボール箱のいくつかは、まだ手つかずの状態で部屋の中に積み重ねてある。それが妨げとなって、庭に面した戸を開けることができない。この蒸し暑さでは、その戸を開けて空気の通りを良くしなければ、とても耐えられるものではない。仕方なく、段ボール箱の整理を始めた。
その段ボール箱を開ければ、中からはこの3月まで勤めていた職場関係の書類も出て来るはずだ。もう少しねかせておいて、思い出の味わいが深まってから取り出そうと思っていたのだが、いつのまにかそんな悠長なことを言っていられない季節になってしまった。
晴れ、雷雨
暑く蒸し暑い一日だった。4時少し過ぎに、急に辺りが暗くなり、遠くから雷鳴が聞こえてきた。稲妻が光ってから雷鳴がとどろくまでかなり時間がかかった。まだまだ近づくまでは時間がかかるなと思っているうちに、激しい雨が降り出した。大気中にたまりにたまった水蒸気が水となり、一気呵成に吐き出されたという感じの激しさだった。梅雨明けを宣言する雷雨だったのだろうか。
職場から持ち帰った段ボール箱のいくつかは、まだ手つかずの状態で部屋の中に積み重ねてある。それが妨げとなって、庭に面した戸を開けることができない。この蒸し暑さでは、その戸を開けて空気の通りを良くしなければ、とても耐えられるものではない。仕方なく、段ボール箱の整理を始めた。
その段ボール箱を開ければ、中からはこの3月まで勤めていた職場関係の書類も出て来るはずだ。もう少しねかせておいて、思い出の味わいが深まってから取り出そうと思っていたのだが、いつのまにかそんな悠長なことを言っていられない季節になってしまった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月11日
「銀河鉄道999」問題
旧暦;6月8日
晴れ
先日、シンガーソングライターの槙原敬之氏と漫画家の松本零士氏との間で争いとなっている著作権の問題に関して、東京地裁で口頭弁論が行われたそうだ。松本氏が自作の「銀河鉄道999」で用いたセリフが、槙原氏の「約束の場所」の歌詞の中で無断で使われたとして、苦言を呈したことに端を発した係争である。その日がちょうど7月7日の七夕であったのは、偶然だったのだろうか。「銀河」という言葉が含まれている作品に関することだけに、勘ぐりたくなってしまうのは仕方がない。
言葉というものは、ほかの言葉と組み合わされると、本来その言葉が持っている意味・イメージを超えて、新たな意味・イメージを生み出す不思議な力を持っている。詩人たちは、言葉が持つその魔法を巧みに使って、一つの言葉では表せない豊穣な世界を創り出そうとする。だから、注意深く言葉を選び、それらの組み合わせ方に心を砕く。このようにして創り出された作品は、世に二つとないものとして認められ、それを生み出した人は、著作者として敬意をはらわれることになる。
「銀河鉄道999」のセリフの中で、松本氏は『時間・夢・裏切る』という三つの言葉を組み合わせた表現を用いた。そしてこれらの言葉の組み合わせは独自のもので、他者が考え及ぶべきものではないとして、同じく『時間・夢・裏切る』の三語を用いた槙原氏の「約束の場所」の歌詞を盗作とした。
三つの言葉を組み合わせて、そこに新たな意味・イメージを創出した松本氏の創作活動は、確かに独創的な精神的営為なのであろう。ただ、松本氏とは違う地点から出発して、結果として独自にこの三語を選ぶことになり、同じような表現にたどり着く可能性は、皆無であるとは言い切れないとも思える。
創作者としての自己の立場を脅かすことにもなりかねない問題だから、それぞれ自分の独自性を主張して譲らないのももっともなことである。著作権に関わる大きな問題だけに、裁判所がどうのような判断を示すのか興味が持たれるが、裁判は長引きそうな気配である。
晴れ
先日、シンガーソングライターの槙原敬之氏と漫画家の松本零士氏との間で争いとなっている著作権の問題に関して、東京地裁で口頭弁論が行われたそうだ。松本氏が自作の「銀河鉄道999」で用いたセリフが、槙原氏の「約束の場所」の歌詞の中で無断で使われたとして、苦言を呈したことに端を発した係争である。その日がちょうど7月7日の七夕であったのは、偶然だったのだろうか。「銀河」という言葉が含まれている作品に関することだけに、勘ぐりたくなってしまうのは仕方がない。
言葉というものは、ほかの言葉と組み合わされると、本来その言葉が持っている意味・イメージを超えて、新たな意味・イメージを生み出す不思議な力を持っている。詩人たちは、言葉が持つその魔法を巧みに使って、一つの言葉では表せない豊穣な世界を創り出そうとする。だから、注意深く言葉を選び、それらの組み合わせ方に心を砕く。このようにして創り出された作品は、世に二つとないものとして認められ、それを生み出した人は、著作者として敬意をはらわれることになる。
「銀河鉄道999」のセリフの中で、松本氏は『時間・夢・裏切る』という三つの言葉を組み合わせた表現を用いた。そしてこれらの言葉の組み合わせは独自のもので、他者が考え及ぶべきものではないとして、同じく『時間・夢・裏切る』の三語を用いた槙原氏の「約束の場所」の歌詞を盗作とした。
三つの言葉を組み合わせて、そこに新たな意味・イメージを創出した松本氏の創作活動は、確かに独創的な精神的営為なのであろう。ただ、松本氏とは違う地点から出発して、結果として独自にこの三語を選ぶことになり、同じような表現にたどり着く可能性は、皆無であるとは言い切れないとも思える。
創作者としての自己の立場を脅かすことにもなりかねない問題だから、それぞれ自分の独自性を主張して譲らないのももっともなことである。著作権に関わる大きな問題だけに、裁判所がどうのような判断を示すのか興味が持たれるが、裁判は長引きそうな気配である。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月09日
ビアスタジアム(つづき)
旧暦;6月6日
くもり
雨の降る中、辛抱強く待った甲斐あって、試合は行われることになった。4時45分に開場となった時、雨は依然として降り続いていた。
雨に濡れない席は2階フロアの後側スタンドであるが、今回1階内野席にもあることが分かった。今シーズンからマリンスタジアムには、全長296mでアジア最長と言われる帯状映像装置(marines wing vision)が設置された。そのwing visionが軒のような働きをして、真下の1列分の席だけなのだが、雨を防いでくれるのだ。ちょうど軒下で雨宿りをしている感じだ。
雨に濡れない席が確保できれば、次はビールを調達する番だ。普段の試合では、ビールは観客席まで売りに来るのだが、ビアスタジアムの日は、1階売店周辺にビールの銘柄ごとに販売所ができる。10台ほどのビールサーバーが横一列に並び、その後ろに販売担当者が一人づつ立っている。
一杯目を買いに行った時は、他の客は一人もいなかった。1枚300円の購入券を買い求め、適当なビールサーバーを利用すればいいのだが、10台も並んでいればどこを利用すればよいのか迷ってしまう。真ん中辺りを利用しようと思ってそちらに向かったところ、途中で、
「いらっしゃいませ、どうぞ」
と声をかけられた。声の主の方を見ると、ニッコリとほほ笑みをたたえてこちらを見ている。つい足を止めて、笑顔のサーバーの前に立ってしまった。ビールがゆっくりと丁寧に注がれるのを待っている間、ほかのサーバーの後ろの目が、こちらに注がれているのではないかと思い、とても長く感じられた。
雨の降り注ぐグランドを見ながら、ビールを飲むというのもなかなか風情のあるものである。しばらくすると、周囲が少し明るくなってきたような気がした。空を見上げると、濃淡さまざまに入り交じった雲が、変幻自在に形を変えながら海の方に流れていく。その変化のおもしろさに見入っていると、中天あたりの雲がポッカリと割れて、青空が少しのぞいた。雨雲がだいぶ薄くなってきているようだった。
5時半をすぎる頃には、球場の上空はほとんど薄墨色の雲で覆われるようになり、雨が止むのも時間の問題だと思われた。その予想通りしばらくすると、雲間から西日が顔をのぞかせた。そして試合開始前には、雨はすっかりあがってしまった。この点についていろいろと注釈を加えたいところであるが、自慢話になってしまいそうなので、事実だけを書きとどめておくことにする。
ビールの二杯目を買い求めに行った時も、あいにく客は私一人だけだった。こんどはどのサーバーを利用しようかと思いながらそちらの方に目を向けると、サーバーの後ろの顔はニコリともせず、まるでお葬式の列のようだった。列の手前のサーバーを利用してしまう人がきっと多いのだろうと考え、一番端を利用しようとしてそちらに足を向けた刹那、お葬式の列から明るい声が聞こえた。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
一回目と同じように、つい足を止めて、笑顔のサーバーの前に立ってしまった。ビールが注がれている間、先ほど以上にとげとげしい視線が、特に一番端の方から注がれているのを感じた。
試合はロッテが逆転して、5対2で日本ハムファイターズに勝った。三杯目のビールをどこで買い求めたのかということは、ご想像にお任せすることにしよう。
くもり
雨の降る中、辛抱強く待った甲斐あって、試合は行われることになった。4時45分に開場となった時、雨は依然として降り続いていた。
雨に濡れない席は2階フロアの後側スタンドであるが、今回1階内野席にもあることが分かった。今シーズンからマリンスタジアムには、全長296mでアジア最長と言われる帯状映像装置(marines wing vision)が設置された。そのwing visionが軒のような働きをして、真下の1列分の席だけなのだが、雨を防いでくれるのだ。ちょうど軒下で雨宿りをしている感じだ。
雨に濡れない席が確保できれば、次はビールを調達する番だ。普段の試合では、ビールは観客席まで売りに来るのだが、ビアスタジアムの日は、1階売店周辺にビールの銘柄ごとに販売所ができる。10台ほどのビールサーバーが横一列に並び、その後ろに販売担当者が一人づつ立っている。
一杯目を買いに行った時は、他の客は一人もいなかった。1枚300円の購入券を買い求め、適当なビールサーバーを利用すればいいのだが、10台も並んでいればどこを利用すればよいのか迷ってしまう。真ん中辺りを利用しようと思ってそちらに向かったところ、途中で、
「いらっしゃいませ、どうぞ」
と声をかけられた。声の主の方を見ると、ニッコリとほほ笑みをたたえてこちらを見ている。つい足を止めて、笑顔のサーバーの前に立ってしまった。ビールがゆっくりと丁寧に注がれるのを待っている間、ほかのサーバーの後ろの目が、こちらに注がれているのではないかと思い、とても長く感じられた。
雨の降り注ぐグランドを見ながら、ビールを飲むというのもなかなか風情のあるものである。しばらくすると、周囲が少し明るくなってきたような気がした。空を見上げると、濃淡さまざまに入り交じった雲が、変幻自在に形を変えながら海の方に流れていく。その変化のおもしろさに見入っていると、中天あたりの雲がポッカリと割れて、青空が少しのぞいた。雨雲がだいぶ薄くなってきているようだった。
5時半をすぎる頃には、球場の上空はほとんど薄墨色の雲で覆われるようになり、雨が止むのも時間の問題だと思われた。その予想通りしばらくすると、雲間から西日が顔をのぞかせた。そして試合開始前には、雨はすっかりあがってしまった。この点についていろいろと注釈を加えたいところであるが、自慢話になってしまいそうなので、事実だけを書きとどめておくことにする。
ビールの二杯目を買い求めに行った時も、あいにく客は私一人だけだった。こんどはどのサーバーを利用しようかと思いながらそちらの方に目を向けると、サーバーの後ろの顔はニコリともせず、まるでお葬式の列のようだった。列の手前のサーバーを利用してしまう人がきっと多いのだろうと考え、一番端を利用しようとしてそちらに足を向けた刹那、お葬式の列から明るい声が聞こえた。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
一回目と同じように、つい足を止めて、笑顔のサーバーの前に立ってしまった。ビールが注がれている間、先ほど以上にとげとげしい視線が、特に一番端の方から注がれているのを感じた。
試合はロッテが逆転して、5対2で日本ハムファイターズに勝った。三杯目のビールをどこで買い求めたのかということは、ご想像にお任せすることにしよう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月08日
ビアスタジアム
旧暦;6月5日
くもり、雨、くもり、はれ
火曜日は、本来ならシニアデーなのだが、今日はマリンスタジアム全体が巨大なビアホールと化し、ビールが半額で提供される。それだけに心を動かされたのではないが、交流戦が終了してから初めて球場に足を運んだ。
心配なことは、空模様があやしく、いつ雨が降りだしてもおかしくなかい状態だったことだ。もし、今回雨に降られてしまうような事態になれば、必ずや雨男のレッテルを貼られてしまうことだろう。
家を出る時は、曇り空ではあったが雨は降っていなかった。幕張本郷駅でバスに乗り込んだ時も雨は降っていなかった。ところが海浜幕張駅でスタジアム行きのバスを待っている時に、パラパラと雨が降り出した。二両連結のバスに乗っている時は、困ったことになってしまった、試合は行われるだろうか、そのことだけが頭を占めていた。ところが幸いなことに、バスを降りたら雨はやんでいた。
3時過ぎに球場に着いた。すでに各入場ゲートには行列ができていたが、100名程度で予想したほどではなかった。雨には苦い思い出もあるので、雨があがったといっても、すぐ気を許すほどの楽天家ではない。あらゆる状況に備えるため、すぐその列には加わらず、先に球場外のショップに行って、透明ビニール製のレインコートを買い求めておいた。
行列に並んでからしばらくして、また雨が降り出した。しかもかなり強い降り方だ。幕張の広い空は、暗く重苦しい雲で覆い尽くされた。いよいよ年貢の納め時になったようだった。それでも気を取り直し、カサをさし、買い求めたばかりのレインコートも着込んで、雨の中を辛抱強く待ち続けた。
くもり、雨、くもり、はれ
火曜日は、本来ならシニアデーなのだが、今日はマリンスタジアム全体が巨大なビアホールと化し、ビールが半額で提供される。それだけに心を動かされたのではないが、交流戦が終了してから初めて球場に足を運んだ。
心配なことは、空模様があやしく、いつ雨が降りだしてもおかしくなかい状態だったことだ。もし、今回雨に降られてしまうような事態になれば、必ずや雨男のレッテルを貼られてしまうことだろう。
家を出る時は、曇り空ではあったが雨は降っていなかった。幕張本郷駅でバスに乗り込んだ時も雨は降っていなかった。ところが海浜幕張駅でスタジアム行きのバスを待っている時に、パラパラと雨が降り出した。二両連結のバスに乗っている時は、困ったことになってしまった、試合は行われるだろうか、そのことだけが頭を占めていた。ところが幸いなことに、バスを降りたら雨はやんでいた。
3時過ぎに球場に着いた。すでに各入場ゲートには行列ができていたが、100名程度で予想したほどではなかった。雨には苦い思い出もあるので、雨があがったといっても、すぐ気を許すほどの楽天家ではない。あらゆる状況に備えるため、すぐその列には加わらず、先に球場外のショップに行って、透明ビニール製のレインコートを買い求めておいた。
行列に並んでからしばらくして、また雨が降り出した。しかもかなり強い降り方だ。幕張の広い空は、暗く重苦しい雲で覆い尽くされた。いよいよ年貢の納め時になったようだった。それでも気を取り直し、カサをさし、買い求めたばかりのレインコートも着込んで、雨の中を辛抱強く待ち続けた。
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2008年07月07日
ポンプの占領者
旧暦;6月4日
あめ、くもり、はれ、くもり
七夕。
さて漏電の発生源は分かったが、次は漏電を解決しなければならない。一番確実な方法は、電動井戸用ポンプを設置した業者さんに対応してもらうことである。夫人が調べたところ、平成4年に「T水道」というところに依頼したことが分かった。
領収書を見ると、ポンプ代が約16万円、工事費が約2万円で、合計18万ほどかかっていた。修理ですむのか、それとも交換ということになるのかは分からないが、もし交換ということになると、現在では20万円を越えてしまうかもしれない。できるだけ出費は避けたいのは当然のことで、まずはポンプの内部の状態を確認してから判断することにした。
ポンプの心臓部を覆っているカバーは、ネジ一本でとめてあるだけだったので、簡単に取り外すことができた。そして内部を見た瞬間、すぐさまカバーをかけて隠していまいたい気分に襲われた。モーターを固定しているプレートの上は、湿った土がベットリと覆い尽くし、そこかしこにナメクジが張り付いていた。漏電が発生するのも、むべなるかなである。
漏電を解決するには、この状態を解消しなければならないのは明白である。まづ、ナメクジをどうにかしなければならないのだが、一つ一つ取り除くのは気が進まない。そこで一計を案じた。このまま太陽の光の下に放置すれば、ナメクジは我が身大切さに光の当たらない場所に逃げ出すに違いないと予想したのである。湿った土も乾燥して取り除きやすくなるから、一挙両得である。
陽の光の効果があらわれるには少し時間がかかりそうなので、その間を利用して、近くのホームセンターに行くことにした。さび取り用鉄ブラシ、さび止め用オイル、さび止め効果のあるペンキなどを買い求め、家に戻って電動ポンプの内部を確認してみたところ、案の定ナメクジはすべて退散していた。
泥を可能な限り取り除き、そのあと時間をおいて湿気が十分にとんだところで、電動ポンプに電気を供給するスイッチをオンにしてみた。モーターがうなり声をあげ、それが断続的に続いた。急いで室内に入りトイレのドアを開けると、タンクに流れ込む水の音が聞こえた。
あめ、くもり、はれ、くもり
七夕。
さて漏電の発生源は分かったが、次は漏電を解決しなければならない。一番確実な方法は、電動井戸用ポンプを設置した業者さんに対応してもらうことである。夫人が調べたところ、平成4年に「T水道」というところに依頼したことが分かった。
領収書を見ると、ポンプ代が約16万円、工事費が約2万円で、合計18万ほどかかっていた。修理ですむのか、それとも交換ということになるのかは分からないが、もし交換ということになると、現在では20万円を越えてしまうかもしれない。できるだけ出費は避けたいのは当然のことで、まずはポンプの内部の状態を確認してから判断することにした。
ポンプの心臓部を覆っているカバーは、ネジ一本でとめてあるだけだったので、簡単に取り外すことができた。そして内部を見た瞬間、すぐさまカバーをかけて隠していまいたい気分に襲われた。モーターを固定しているプレートの上は、湿った土がベットリと覆い尽くし、そこかしこにナメクジが張り付いていた。漏電が発生するのも、むべなるかなである。
漏電を解決するには、この状態を解消しなければならないのは明白である。まづ、ナメクジをどうにかしなければならないのだが、一つ一つ取り除くのは気が進まない。そこで一計を案じた。このまま太陽の光の下に放置すれば、ナメクジは我が身大切さに光の当たらない場所に逃げ出すに違いないと予想したのである。湿った土も乾燥して取り除きやすくなるから、一挙両得である。
陽の光の効果があらわれるには少し時間がかかりそうなので、その間を利用して、近くのホームセンターに行くことにした。さび取り用鉄ブラシ、さび止め用オイル、さび止め効果のあるペンキなどを買い求め、家に戻って電動ポンプの内部を確認してみたところ、案の定ナメクジはすべて退散していた。
泥を可能な限り取り除き、そのあと時間をおいて湿気が十分にとんだところで、電動ポンプに電気を供給するスイッチをオンにしてみた。モーターがうなり声をあげ、それが断続的に続いた。急いで室内に入りトイレのドアを開けると、タンクに流れ込む水の音が聞こえた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月06日
漏電ブレーカーが落ちた
旧暦;6月4日
晴れ
昨夜ブログを書き始めてほどなく、突如としてパソコンの電源が落ち、家の中が真っ暗になってしまった。この近辺一帯で停電が発生したのかどうか確認するため外をうかがうと、前の通りの街灯は、周辺を明るく照らしていた。
懐中電灯を手にして配電盤を確認すると、数個あるスイッチのうち、漏電ブレーカーだけが落ちていた。そのスイッチをオンの方に上げてもすぐに落ちてしまう。どこかで漏電が発生しているということだろう。そういう時、真っ先に疑われるには私の部屋なのである。なにしろパソコン・周辺機器類・アンプなどが所狭しと並んでいてクモの巣状態になっているからだ。
主電源からの電気は、配電盤で四つのブロックに分かれて供給されている。1ブロックのスイッチから順に、スイッチをオフにして漏電ブレーカーを上げることを繰り返してみた。するとブロック4のスイッチをオフにした時、漏電ブレーカーが上がったままの状態、つまりオンになった。ということは、ブロック4で漏電が発生していることになる。
ブロック4のスイッチは、台所と私の部屋に電気を供給している。そこでコンセントからタップを抜いて、スイッチ4をオンにして漏電ブレーカーを上げてみた。ところがやはり落ちてしまう。台所の冷蔵庫などの家電製品のプラグを抜いて同じことをしてみても、やはり落ちてしまう。とうとう漏電発生箇所の特定は行き詰まってしまった。
こんな事情で、昨日の分のブログは、「たなばたさま」にまつわることを書こうと思って少し書き進めたのだが、停電とともに消えてしまった。
昨日のことが気になっていたせいなのか、今朝はいつもより少し早めに目が覚めた。どうして漏電ブレーカーが落ちたのだろう、そんなことを床の中で考えていると、あることがひらめいた。
「ヒョッとして、井戸用ポンプが漏電しているのかもれない」
庭に、井戸水をくみ上げるための電動ポンプがあり、今でも現役で働いている。以前は飲料用としても使っていたが、水質検査で大腸菌が見つかったことがあってからは、水洗トイレ用として使っている。建物の外で長年雨に打たれていれば、徐々に腐食して漏電が発生することも十分考えられる。
電動ポンプに電気を供給している経路を調べてみたところ、建物の壁面の下部にスイッチボックスが設けられていて、そこから電力線がのびて電動ポンプに続いていた。そのスイッチをオフにして、先ほど何回も繰り返したことを試してみればよい。
これで私の無実が証明されることになるかもしれない、と思えば心はたかぶり、スイッチにふれる指先に全神経が集まる。
「パチン」
という音とともに、スイッチが落ちて「OFF」と刻まれた面が現れた。ホコリにまみれていたスイッチボックスの中で、その「OFF」面だけが白く輝いていた。
急いで配電盤にむかい、ブロック4のスイッチを上げたまま、漏電ブローカーをオンにしてみた。もう、そのスイッチは落ちることはなかった。
晴れ
昨夜ブログを書き始めてほどなく、突如としてパソコンの電源が落ち、家の中が真っ暗になってしまった。この近辺一帯で停電が発生したのかどうか確認するため外をうかがうと、前の通りの街灯は、周辺を明るく照らしていた。
懐中電灯を手にして配電盤を確認すると、数個あるスイッチのうち、漏電ブレーカーだけが落ちていた。そのスイッチをオンの方に上げてもすぐに落ちてしまう。どこかで漏電が発生しているということだろう。そういう時、真っ先に疑われるには私の部屋なのである。なにしろパソコン・周辺機器類・アンプなどが所狭しと並んでいてクモの巣状態になっているからだ。
主電源からの電気は、配電盤で四つのブロックに分かれて供給されている。1ブロックのスイッチから順に、スイッチをオフにして漏電ブレーカーを上げることを繰り返してみた。するとブロック4のスイッチをオフにした時、漏電ブレーカーが上がったままの状態、つまりオンになった。ということは、ブロック4で漏電が発生していることになる。
ブロック4のスイッチは、台所と私の部屋に電気を供給している。そこでコンセントからタップを抜いて、スイッチ4をオンにして漏電ブレーカーを上げてみた。ところがやはり落ちてしまう。台所の冷蔵庫などの家電製品のプラグを抜いて同じことをしてみても、やはり落ちてしまう。とうとう漏電発生箇所の特定は行き詰まってしまった。
こんな事情で、昨日の分のブログは、「たなばたさま」にまつわることを書こうと思って少し書き進めたのだが、停電とともに消えてしまった。
昨日のことが気になっていたせいなのか、今朝はいつもより少し早めに目が覚めた。どうして漏電ブレーカーが落ちたのだろう、そんなことを床の中で考えていると、あることがひらめいた。
「ヒョッとして、井戸用ポンプが漏電しているのかもれない」
庭に、井戸水をくみ上げるための電動ポンプがあり、今でも現役で働いている。以前は飲料用としても使っていたが、水質検査で大腸菌が見つかったことがあってからは、水洗トイレ用として使っている。建物の外で長年雨に打たれていれば、徐々に腐食して漏電が発生することも十分考えられる。
電動ポンプに電気を供給している経路を調べてみたところ、建物の壁面の下部にスイッチボックスが設けられていて、そこから電力線がのびて電動ポンプに続いていた。そのスイッチをオフにして、先ほど何回も繰り返したことを試してみればよい。
これで私の無実が証明されることになるかもしれない、と思えば心はたかぶり、スイッチにふれる指先に全神経が集まる。
「パチン」
という音とともに、スイッチが落ちて「OFF」と刻まれた面が現れた。ホコリにまみれていたスイッチボックスの中で、その「OFF」面だけが白く輝いていた。
急いで配電盤にむかい、ブロック4のスイッチを上げたまま、漏電ブローカーをオンにしてみた。もう、そのスイッチは落ちることはなかった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2008年07月04日
お葬式の半額セール
旧暦;6月2日
晴れ、今年初めての真夏日
朝からムシムシする暑い一日だった。イスに座っていても、汗がジットリとにじんできた。
今年になって初めてのこと。
・短パンをはいたこと
・風呂上がりに、ベランダで夕涼みをしたこと
「里実さんのお宅でしょうか?」
という電話がかかってきたのは、夫人が外出したあとだった。落ち着いた感じの声で、かなり年配の女性であると想像された。
「パンフレットをお送りしてもよろしいでしょうか?」
葬祭場としてよく耳にする社名を言ってからそう尋ねてきた。
「どういう関係のものなんでしょうか」
「冠婚葬祭に関するものですヨ」
「今は特に必要ありませんが」
「今ご必要なくても、いつ必要になるか分かりませんのでネ、おすすめしているんですヨ」
なんだか話が分からなくなってきた。いったい何をすすめているんだろうか。葬祭関係だから、墓地購入の勧誘かも知れないと思って、
「お墓のことですか」
と尋ねてみた。
「冠婚葬祭のことですからネ、お墓ではないですヨ。今ですと半額になるんですヨ」
何が半額になるのか、よく分からない。しかしそれが明らかにされないままやりとりは続く。
「将来必要となったときに、半額期間が過ぎてしまったら何にもならないじゃないですか」
「いえネ、ずっと半額ですヨ」
「ずっと半額ということは、それが通常価格ということじゃないですか」
「いえ、そんなことはないですヨ、今だと半額ということで、それがずっと続くということですヨ」
余計なことを聞いたばかりに、話がややこしくなってしまった。最初は、パンフレットを送ってもいいかと尋ねられたのだった。それを思い出して、今までの話の流れからすると唐突という感は否めないが、
「パンフレットはいりません」
と告げたところ、少し怒気を含んだ声で、「そうですかア」と言って電話を切った。
結局、何が半額になるのか分からずじまいだった。お葬式の予約を今しておけば、将来まさかのことがあったとき、半額でできるということなのだろうか。
晴れ、今年初めての真夏日
朝からムシムシする暑い一日だった。イスに座っていても、汗がジットリとにじんできた。
今年になって初めてのこと。
・短パンをはいたこと
・風呂上がりに、ベランダで夕涼みをしたこと
「里実さんのお宅でしょうか?」
という電話がかかってきたのは、夫人が外出したあとだった。落ち着いた感じの声で、かなり年配の女性であると想像された。
「パンフレットをお送りしてもよろしいでしょうか?」
葬祭場としてよく耳にする社名を言ってからそう尋ねてきた。
「どういう関係のものなんでしょうか」
「冠婚葬祭に関するものですヨ」
「今は特に必要ありませんが」
「今ご必要なくても、いつ必要になるか分かりませんのでネ、おすすめしているんですヨ」
なんだか話が分からなくなってきた。いったい何をすすめているんだろうか。葬祭関係だから、墓地購入の勧誘かも知れないと思って、
「お墓のことですか」
と尋ねてみた。
「冠婚葬祭のことですからネ、お墓ではないですヨ。今ですと半額になるんですヨ」
何が半額になるのか、よく分からない。しかしそれが明らかにされないままやりとりは続く。
「将来必要となったときに、半額期間が過ぎてしまったら何にもならないじゃないですか」
「いえネ、ずっと半額ですヨ」
「ずっと半額ということは、それが通常価格ということじゃないですか」
「いえ、そんなことはないですヨ、今だと半額ということで、それがずっと続くということですヨ」
余計なことを聞いたばかりに、話がややこしくなってしまった。最初は、パンフレットを送ってもいいかと尋ねられたのだった。それを思い出して、今までの話の流れからすると唐突という感は否めないが、
「パンフレットはいりません」
と告げたところ、少し怒気を含んだ声で、「そうですかア」と言って電話を切った。
結局、何が半額になるのか分からずじまいだった。お葬式の予約を今しておけば、将来まさかのことがあったとき、半額でできるということなのだろうか。
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2008年07月02日
所得税・住民税の計算式
旧暦;5月28日
くもり、晴れ
電力線が、隣家の敷地上空を少しかすめて、我が家の軒下に引き込まれている。隣家の庭木が、年月を経るに従って成長し続け、その電力線に接するようになってしまった。電力会社としては、そういう状態は見過ごすことはできず、対策を講ずるため係りの人がやってきた。今回で二度目となる。
(つづき)
1.所得を求める
〔式A〕 所得=収入−収入を得るために要した費用
所得税・住民税は、所得に対してかかる税金なのだから、まず所得額を求める必要がある。所得を求める一般式は、〔式A〕で表される。「収入を得るために要した費用」は、事業者であれば必要経費ということになるのだが、サラリーマンは税金が源泉徴収されてしまうから必要経費を申告することはできない。そこで給与収入に応じて、給与所得控除が設けられている。従って、サラリーマンについては以下の〔式A’〕で求めることになる。
〔式A’〕 所得=給与収入ー給与所得控除
2.課税所得を求める
〔式B〕 課税所得=所得−所得控除
求められた所得を基にして、さらに実際の課税対象となる所得、課税所得を求める。個々の事情、たとえば家族構成などに応じて、その税額を調整するために所得控除が定められていて、所得からそのその所得控除の額を減じたものがが課税所得となる。サラリーマンの場合は、いわゆる年末調整が行われたあと課税所得が確定される。
ただし、所得税と住民税とでは、所得控除の額が異なっているため、それぞれの課税所得は異なってくる。この違いが、「人的控除の差」というものに関わってくるのである。
〔式B’1〕 所得税の課税所得=所得−所得税の所得控除
〔式B’2〕 住民税の課税所得=所得−住民税の所得控除
<所得控除の例>
(所得税) (住民税)
●基礎控除 38万円 33万円
●配偶者控除 38万円 33万円
●扶養控除 38万円〜 33万円〜
(扶養家族の年齢等により異なる)
●特定扶養控除 63万円 45万円
(16歳以上23歳未満の子ども)
(注1)人的控除とは、人間関係に関わる控除のことで、各種保険料控除などは該当しない。
(注2)所得税との人的控除の差について
例:配偶者控除の場合
38万円−33万円=5万円
3.所得税を求める
以下のように課税所得に応じて、算出のための計算式が定められている。
〔式C〕 所得税=所得に応じた計算式
(課税所得=M) (計算式)
M=<195万円 〔M×0.05〕
195万円<M=<330万円 〔M×0.1−97,500円〕
330万円<M=<695万円 〔M×0.2−427,500円〕
695万円<M=<900万円 〔M×0.23−636,000円〕
(以下略)
4.住民税を求める
〔式D〕 住民税=県民税+市民税
県民税=均等割(1,000円)+所得割
市民税=均等割(3,000円)+所得割
〔式E〕 所得割=住民税の課税所得×0.1
(内訳 県民税=0.04 市民税=0.06)
(注)税源移譲前は、課税所得に応じて3段階の税率が定められていたが、移譲後は一律10%となった。
ここまでたどり着いて、やっと住民税還付条件の意味が分かった。もう一度その条件を示しておくことにする。この二つの条件を満たしていないと、税源移譲によって増額となった住民税相当額は戻ってこない。
1.平成19年度住民税の課税所得金額が、所得税との人的控除の差の合計額より多いかた
2.平成20年度住民税の課税所得金額が、所得税との人的控除の差の合計額以下のかた
くもり、晴れ
電力線が、隣家の敷地上空を少しかすめて、我が家の軒下に引き込まれている。隣家の庭木が、年月を経るに従って成長し続け、その電力線に接するようになってしまった。電力会社としては、そういう状態は見過ごすことはできず、対策を講ずるため係りの人がやってきた。今回で二度目となる。
(つづき)
1.所得を求める
〔式A〕 所得=収入−収入を得るために要した費用
所得税・住民税は、所得に対してかかる税金なのだから、まず所得額を求める必要がある。所得を求める一般式は、〔式A〕で表される。「収入を得るために要した費用」は、事業者であれば必要経費ということになるのだが、サラリーマンは税金が源泉徴収されてしまうから必要経費を申告することはできない。そこで給与収入に応じて、給与所得控除が設けられている。従って、サラリーマンについては以下の〔式A’〕で求めることになる。
〔式A’〕 所得=給与収入ー給与所得控除
2.課税所得を求める
〔式B〕 課税所得=所得−所得控除
求められた所得を基にして、さらに実際の課税対象となる所得、課税所得を求める。個々の事情、たとえば家族構成などに応じて、その税額を調整するために所得控除が定められていて、所得からそのその所得控除の額を減じたものがが課税所得となる。サラリーマンの場合は、いわゆる年末調整が行われたあと課税所得が確定される。
ただし、所得税と住民税とでは、所得控除の額が異なっているため、それぞれの課税所得は異なってくる。この違いが、「人的控除の差」というものに関わってくるのである。
〔式B’1〕 所得税の課税所得=所得−所得税の所得控除
〔式B’2〕 住民税の課税所得=所得−住民税の所得控除
<所得控除の例>
(所得税) (住民税)
●基礎控除 38万円 33万円
●配偶者控除 38万円 33万円
●扶養控除 38万円〜 33万円〜
(扶養家族の年齢等により異なる)
●特定扶養控除 63万円 45万円
(16歳以上23歳未満の子ども)
(注1)人的控除とは、人間関係に関わる控除のことで、各種保険料控除などは該当しない。
(注2)所得税との人的控除の差について
例:配偶者控除の場合
38万円−33万円=5万円
3.所得税を求める
以下のように課税所得に応じて、算出のための計算式が定められている。
〔式C〕 所得税=所得に応じた計算式
(課税所得=M) (計算式)
M=<195万円 〔M×0.05〕
195万円<M=<330万円 〔M×0.1−97,500円〕
330万円<M=<695万円 〔M×0.2−427,500円〕
695万円<M=<900万円 〔M×0.23−636,000円〕
(以下略)
4.住民税を求める
〔式D〕 住民税=県民税+市民税
県民税=均等割(1,000円)+所得割
市民税=均等割(3,000円)+所得割
〔式E〕 所得割=住民税の課税所得×0.1
(内訳 県民税=0.04 市民税=0.06)
(注)税源移譲前は、課税所得に応じて3段階の税率が定められていたが、移譲後は一律10%となった。
ここまでたどり着いて、やっと住民税還付条件の意味が分かった。もう一度その条件を示しておくことにする。この二つの条件を満たしていないと、税源移譲によって増額となった住民税相当額は戻ってこない。
1.平成19年度住民税の課税所得金額が、所得税との人的控除の差の合計額より多いかた
2.平成20年度住民税の課税所得金額が、所得税との人的控除の差の合計額以下のかた
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2008年07月01日
住民税の減額措置の申告
旧暦;5月27日
くもり
住民税の減額措置の申告受付が今日から始まった。住民税は前年度の所得によってその税額が決まってしまうので、退職1年後の昨年は、在職中に比べて収入が減ったのにかかわらず、かなりの額の住民税を納入しなければならなかった。しかも昨年は、国から地方への税源移譲が行われ、所得税の減額と引き替えに住民税が増額された年でもあった。
佐倉市の広報誌によれば、平成19年度中の所得が減った人で、税源移譲に伴う所得税減額の影響を受けず、住民税率の変更による税負担の増加の影響のみを受ける場合があり、その場合は、すでに納付済みの住民税(平成19年度)から、税源移譲により増額となった住民税相当額が還付されるということだった。
昨年は、退職後に嘱託として勤めたのでその収入もあり、確定申告をして幾ばくかの所得税を納付していたこともあり、広報の説明に「所得税が課されなくなった人」という文言もが含まれていることが気になったが、念のため還付条件に該当するかどうか確認してみた。
対象
1.平成19年度住民税の課税所得金額(分離課税分を除く)が、所得税との人的控除の差の合計額より多いかた
2.平成20年度住民税の課税所得金額(分離課税分を含む)が、所得税との人的控除の差の合計額以下のかた
それにしても何と分かりにくいことか。『所得税との人的控除の差の合計額』とは、いったいどのようにして算出すればよいのか、ちんぷんかんぷんである。そもそも『人的控除』というような日本語は聞いたこともない。
勤めていた時は、所得税も住民税も天引きされていたので、それらの税額の算出方法などを自分で確認してみようなどということは思いもよらないことだった。納税者としては、きちんと税というものを意識しなければならないのだろうが、仕事に追われていたのでは、とても税のことまでには手が回らないのが現実なのだった。
だから基本的な税体系というものすらまったく理解していなかった。今年の春、初めて確定申告をしたときに、必要に迫られてやっと税というものに目を向けたのだった。しかしそれから半年ほどたった今、そのとき調べたことはほとんど無に帰し、また調べ直さなければならなくなっていた。
国税とか地方税とか、また所得税・住民税・市民税という具合に、税に関する用語がいろいろあって頭が混乱するので、まず用語の定義の確認からする必要がある。しばらく経つとまた忘れてしまうおそれがあるので、簡単にまとめておくことにする。今回の件に関係する税は以下の通りである。
〔租税体系〕
租税 ---国税-----所得税
---地方税(住民税)
---都道府県税(県民税)
---市町村税(市民税)
〔税額の算出手順〕
1.所得額を求める
2.課税所得額を求める
3.所得税を求める
(つづく)
くもり
住民税の減額措置の申告受付が今日から始まった。住民税は前年度の所得によってその税額が決まってしまうので、退職1年後の昨年は、在職中に比べて収入が減ったのにかかわらず、かなりの額の住民税を納入しなければならなかった。しかも昨年は、国から地方への税源移譲が行われ、所得税の減額と引き替えに住民税が増額された年でもあった。
佐倉市の広報誌によれば、平成19年度中の所得が減った人で、税源移譲に伴う所得税減額の影響を受けず、住民税率の変更による税負担の増加の影響のみを受ける場合があり、その場合は、すでに納付済みの住民税(平成19年度)から、税源移譲により増額となった住民税相当額が還付されるということだった。
昨年は、退職後に嘱託として勤めたのでその収入もあり、確定申告をして幾ばくかの所得税を納付していたこともあり、広報の説明に「所得税が課されなくなった人」という文言もが含まれていることが気になったが、念のため還付条件に該当するかどうか確認してみた。
対象
1.平成19年度住民税の課税所得金額(分離課税分を除く)が、所得税との人的控除の差の合計額より多いかた
2.平成20年度住民税の課税所得金額(分離課税分を含む)が、所得税との人的控除の差の合計額以下のかた
それにしても何と分かりにくいことか。『所得税との人的控除の差の合計額』とは、いったいどのようにして算出すればよいのか、ちんぷんかんぷんである。そもそも『人的控除』というような日本語は聞いたこともない。
勤めていた時は、所得税も住民税も天引きされていたので、それらの税額の算出方法などを自分で確認してみようなどということは思いもよらないことだった。納税者としては、きちんと税というものを意識しなければならないのだろうが、仕事に追われていたのでは、とても税のことまでには手が回らないのが現実なのだった。
だから基本的な税体系というものすらまったく理解していなかった。今年の春、初めて確定申告をしたときに、必要に迫られてやっと税というものに目を向けたのだった。しかしそれから半年ほどたった今、そのとき調べたことはほとんど無に帰し、また調べ直さなければならなくなっていた。
国税とか地方税とか、また所得税・住民税・市民税という具合に、税に関する用語がいろいろあって頭が混乱するので、まず用語の定義の確認からする必要がある。しばらく経つとまた忘れてしまうおそれがあるので、簡単にまとめておくことにする。今回の件に関係する税は以下の通りである。
〔租税体系〕
租税 ---国税-----所得税
---地方税(住民税)
---都道府県税(県民税)
---市町村税(市民税)
〔税額の算出手順〕
1.所得額を求める
2.課税所得額を求める
3.所得税を求める
(つづく)
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