2008年10月30日

大豊作

今年は果物が大豊作らしい。平年に比べて気温が高く、ゲリラ豪雨は頻発したが台風の上陸がなく、被害を被ることがなかったことなどがよかったようだ。ただ、地球温暖化による**が気に掛かるが…。

お隣の柿の木も、鈴なりの実が枝から重そうに垂れ下がっている。庭に段ボール箱を積み上げて中身を整理していた時、お隣のダンナさんが道路に脚立を持ち出して、柿の木の枝をいじっていた。実の色づき具合からは、まだ実を取るには早すぎる感じで、何をしているのかはよく分からなかった。

30年近く隣同士で暮らしていたというのに、お隣のダンナさんとはほとんど口をきいたことがなかった。しかし柿の実のなり方が余りにも見事なので、つい声をかけてしまった。別に下心があったわけではない。
「今年は、大豊作ですね」
「ええ、えへへへ…」
隣のダンナさんは、ニコニコ笑いながらそう言うだけだった。
「やっぱり陽がよくあたる枝に、実がたくさんなっていますね」
「ええ、えへへへ…」
やはり、同じようにニコニコ笑いながらそう言うだけだった。

何日か前、柿の実が道路の両側に散乱していた。鈴なりの実がなっている枝が道路までせり出ていたので、車高の高い車が通った際、車体がぶつかり実を枝から振り落としてしまったものと思った。

夫人にそのことを言うと、
「小学生が一口食べて捨てていってしまうのよ」
と教えてくれた。
「家の人に断って取っているのって訊いたら、そうだというのよ。あとでダンナさんにきいたら、断った子は一人もいないそうよ」
どうやら小学生たちが、塀によじ登り柿を無断で頂いてしまうらしい。

脚立を持ち出して枝をいじっているということは、そういうことがあったからだろうか。隣のダンナさんの仕事が終わってから、柿の木の枝の具合を確かめてみたところ道路にはみ出ていた部分はなくなっていた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月29日

太郎ちゃんまんじゅう

新橋駅から東京タワーを経由する都バスは、以下の二路線。
 B番乗り場…目黒駅行き
 D番乗り場…渋谷駅行き

私たちはB番乗り場の渋谷行きに乗った。出発時は、私たち二人だけだったが、停留所ごとに、徐々に乗客が増えていった。ちょうどお昼時で、虎ノ門あたりのビジネス街の往来には、サラリーマン諸氏の姿が数多く見えた。30年以上も前のサラリーマン時代、このあたりに勤め先のビルがあって一時期毎日通っていた。森ビルの一つなのだが、貸しビルの森ビルはたくさんあって、何番の森ビルであったのか、その番号は忘れてしまった。

バス停「東京タワー入口」で降りたのだが、あたりを見回しても東京タワーは見えなかった。ビルとビルとの間の階段をのぼって行ってみることにした。しかしのぼって行けども、ビルが目隠しになっているのだろうか、東京タワーは見えない。心配になり、ちょうど階段を下りてきた女性に尋ねたところ、
「だいじょうぶですよ、東京タワーに行けますよ」
と親切に教えてくれた。

平日だけれど、けっこう来館者はいた。一番多かったのは、修学旅行だということが一目で分かる学生服・セーラー服姿、そのほかの団体さんも多かった。まっさきに一階のタワーレストランで昼食をとった。
 親子丼…750円
 アジフライ定食…900円

大枚500円を投じて、蝋人形館も見てきた。入口を入るとまず外国の映画スターの人形が並んでいた。マリリンモンロー、ジェームスディーン、三船敏郎、オードリーヘップバーン、エリザベステーラー、ジュリアロバーツ、シャロンストーン、アーノルドシュワルツェネッガー、それらしい顔かたちで作られているのだが、肝心な何かが足りないのだろう、ソックリだと感嘆の声があがるものはほとんどなかった。政治家のコーナーに展示されていたブッシュ大統領などは、別人と言った方がよかった。

お土産は、「祝誕生 太郎ちゃんまんじゅう」、バカバカしいと思ったがつい買ってしまった。包装紙の絵の中では、太郎ちゃんがりっぱなイスに座って、「日本を明るく強くするぜ!」と言っている。夜な夜な高級ホテルのバーに出入りしているそうだから、こういう庶民向けのおまんじゅうは、お口に合わないでしょうね。「さよなら 純ちゃんまんじゅう」もあったが、こちらはすでに過去の人なので今さらという感じで、触手は伸びなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:08| 里ふくろうの日乗

2008年10月28日

東京タワー

おだやかに晴れた秋日和、東京タワーに行ってきた。昨日行く予定だったが、幼い子をあずかることになって一日先延ばしにした。

東京タワーのような定番観光スポットは、何かのきっかけがないと行く機会は訪れないもの、たとえば映画「オールウェイズ三丁目の夕日」を見て、なつかしさの余り上ってみたいと思ったりというような。わざわざ出かけて行くことになったのは、東京タワー水族館の無料招待券が手に入ったからだった。

10時半頃家を出て、京成電車と浅草線で新橋駅まで行き、そこからは都バスを利用した。都バスなら、運賃は一律200円、PASUMOも使える。地下鉄の地下駅から長い階段をのぼって地上に出て歩くより、バス停から歩いた方が近いし楽なのだ。

水族館の入館料は1000円だった。ただその料金にそれに見合う展示内容であるかどうかは疑問符がつく。値札がついている水槽もあって、魚の種類によっては販売対象になっている。高いものでは100万円近くする魚もあった。そういう点も普通の水族館と違っていて、むしろ町中のペットショップの拡大版という感じだった。

東京タワーは、テレビ放送が完全ディジタル化された後は、テレビ放送施設としての役割を終え、ディジタル放送用としては、「スカイツリー」というテレビ塔が計画されているそうだ。その後はどうなるのだろうか、展望台などの営業は続けられるのだろうか。

これから先もう一度東京タワーに行くことはないかもしれない。で、大展望台にも上ってみることにした。大展望台は地上150メートルでそこからの眺めは820円、、さらにその上に特別展望台があり、そこは250メートル。ただしそこに行くには、500円の展望券を購入しなければならない。怖い思いをするためにさらに500円払わなければならない、などという間尺に合わないことはしなかった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月25日

都立墨東病院

脳内出血をおこした身重の女性が、都内の八つの病院に受け入れを断られ、最後に受け入れた病院で亡くなってしまうという痛ましいことがあった。最後に受け入れたのは都立墨東病院で、その病院は最初に受け入れを断った病院でもあった。

墨東病院の名前は、以前一度聞いたことがあった。その時のことはブログにも書いた。調べてみたところ、去年の5月の夜のことだった。銀座で行われた結婚を祝する会で、花嫁さんが飲み過ぎて倒れてしまったのだ。急性アルコール中毒だったのだろう。

店長さんが救急車を呼んでくれたのだが、最初にやってきたのは消防自動車だった。聞くところによると、救急車は全部出払っていて、窮余の策で、まずは消防自動車に救急隊員を乗せて来たということだった。その言葉通り、しばらくしてから救急車がやってきた。

ここまでは非常に迅速にことが運ばれた。花嫁さんは担架で救急車で運ばれ、花婿さんが付き添った。しかし救急車はいっこうに発車する気配がない。運転席をのぞき込んでみると、救急隊員が携帯電話でどこかに連絡を取っていた。そしてほかの隊員に向かって、
「ダメだって」
と言ってから、ほかの病院に連絡をとりはじめた。

何回も首を振ることを繰り返し、やっと受け入れ先が決まったのは、救急車が到着してからだいぶ経ってからのことだった。せっかく消防自動車が救急隊員を運んできたというのに、それが無駄になってしまった。

発車する際救急車の助手席が開き、救急隊員が、
「墨東病院」
と教えてくれた。その時は、ずいぶん遠くの病院に運ぶのだなと思ったが、銀座から隅田川までは近いのだから、墨東という地もそれほど遠くはなかったのだった。

新入生歓迎会で一気飲みを繰り返し、急性アルコール中毒で命を落とす若者もいるのである。顔から血の気が失せ、体温も低下していたらしい花嫁さんの様子は、最悪の場合をも想像させたが、幸い命に別状はなかった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月22日

達成感を味わうための手軽な方法

南側の廊下に、天井近くまで積み重ねられた段ボール箱を整理することになったのは、もう少し日の光を部屋の中に取り込みたいと思ったからだった。そのためには、庭から差し込む陽の光をさえぎっている棚を動かす必要があった。

段ボール箱を二列分どければ、棚を東側の壁にピッタリとつけることができる。しかし問題は、その二列分の段ボール箱の扱いだ。すべて廃棄するのであれば、こんなに楽なことはないのだが、そんなことはできるはずがない。保存しておきたいモノもあるはずだから、半分も捨てることはできないだろう。いろいろと考えた末、棚を有効利用することも考慮して、一列だけどけることが適当だという結論に到ったのだった。

いったん段ボール箱を庭におろして廊下にスペースを確保して、棚を横にずらして移動した。そこまでは力を必要とするだけで、短時間で終えることができた。あとは段ボール箱の数を減らさなければならない。ところがこれがなかなか難しいことなのだ。

それらの段ボール箱の中には、2階にあったもの以外の箱も含まれていた。以前住んでいた横浜を経由して、ここ千葉に運び込まれた段ボール箱だ。それは元を正せば、吉祥寺の家から運び出されたものだ。何回かの引っ越しというフィルターをかいくぐり、千葉にたどり着いたのだ。40年間という長い年月にわたって、命拾いを繰り返してきた強者ばかりだ。いまさら捨ててしまうことなどできるはずがない。

段ボールの中には、祭に関する父親の研究資料、あるいは昭和20年代からのアサヒグラフなどが収められていた。さらに祖父が主催していた「美知思波」も含まれていた。目を通しておきたいものばかりで、捨てることなどできないものばかりだ。

しかしそれでも段ボール箱は少なくしなければならない。結局押し入れの中を整理し、空きスペースを捻出していくつかの段ボール箱の中身をそこに押し込んだ。あとは段ボール箱に入れたまま、必要度の低いものから順に下から積んでおいた。

段ボール箱一列分だけ棚を壁側に寄せたことで、外界への開口部が大きくなり開放感が増した。わずかな距離を移動させただけだが、得られた効果は大きく、それが久しぶりの達成感をもたらしてくれた。「片付け」という作業は、手軽に達成感を味わうことのできる最も身近な手段なのであった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月21日

片付けの第二段階

気持ちよく晴れて、絶好の「片付け日和」だった、と言いたいところだが、少し暑すぎた。陽差しを受けながら、廊下に高々と積み上げられている段ボール箱を庭に運び降ろしていると、すぐに汗ばんできた。

勤め先から持ち帰ったものを捨てるものは捨て、保存しておくものは保存するという具合に分別して整理してきた。部屋の中に空きスペースをなんとか確保して、保存しておくべきものを押し込め、とりあえず片付けの第一段階が終了した。

以前、この1階の部屋は母親が亡くなるまで使っていた。その後子どもが大きくなり、一人で使える部屋を提供しなければならなくなり、2階の部屋を明け渡し、母親が使っていた部屋を私が使うことにしたのだ。

居間の東側にあるこの部屋は、横浜から千葉に転居して以来ずっと母親が使っていた部屋であり、最期を看取った部屋でもある。そういう記憶がこびり付いている部屋を使うということには、何らかの抵抗感があり、それが抜けきるには相当長い期間を要するのではないかと思っていた。ところが案じたことは、ほとんど杞憂だった。部屋の中にモノが増えていくにつれて、自分の部屋らしくなってきた。

片付けの第二段階は、2階からこの1階の部屋に運びおろした荷物の整理である。運び降ろす際は、雑多なモノを段ボール箱の中に乱雑に入れた。とりあえず荷物を1階の部屋におろし、その後おもむろに整理するつもりだった。ところがダンボール箱は、庭に面した廊下に積み重ねられたまま開けられることはなかった。いよいよそれを整理する段になったのだ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月20日

プリンターその後

昨晩はプリンターと格闘してエネルギーを使い果たし、ブログを書く気力が萎えてしまった。今朝はどういうわけかいつもより早く目が覚め、頭にエネルギーが補充されていて、昨日書けなかったブログをアップした。

プリンターも一晩寝かせておいたのだから、ヒョッとして復活してるかもしれないと、およそ非合理的なことを思いついて、テスト印刷してみたが、そんなことは起こるはずもなかった。

思い出してみれば、黒インクが少なくなっていたという表示は、何日か前から出ていた。昨夜とうとうインクが尽きて、カートリッジを交換するようメッセージが出たのだった。そしてインクを補充してからおかしくなったのだ。実はその時、黒以外の2色が少なくなっているという表示が出ていた。ただその表示が出てからもしばらくは使うことができるので、そのまま放っておいた。

新しいプリンターを購入すると、今使っている補充用のインクは使えなくなる。どうせ廃棄してしまうことになるのなら、ダメでもともと、少なくなっている2色のインクを補充して、テスト印刷してみることにした。結果は、思いがけないものだった。調子が悪くなる前の状態できれいに印刷できたのだ。何かの加減で、インクがすっかりなくなっていることを、認識できなくなっていたのだろう。そう考えるよりしかたがない。
posted by 里実福太朗 at 21:50| 里ふくろうの日乗

2008年10月19日

プリンターが壊れた?

昼間、地元のコミセンで行われた「佐倉国際交流パーティ」に顔を出し、「民族衣装ファッションショー」を撮影してきた。家に帰ってからさっそくその写真を印刷していると、その途中でインクが切れてしまった。補充用のインクを入れて、印刷を再開してみると、カラーで印刷されるはずなのに、モノクロ調になってしまった。

写真の印刷をすると、特にインクの減り具合が激しい。新しいインクカートリッジを購入すると費用がかさむので、補充用のインクを買い求め自分でカートリッジに注入する。今まではそのやり方で問題なく、きれいに印刷できていた。

なんど試してみてもうまく印刷できない。そこでモノクロの原稿を印刷してみたところ、それはきれいに印刷できた。今使っているプリンターは、カラー印刷用の黒色と、モノクロ印刷用の黒色とは別々のカートリッジを使うようになっている。黒色のカートリッジは2個使うタイプなのだ。だから文字だけの文書を印刷する時は、それ専用の黒色カートリッジを使うから、うまく印刷できるということのようだ。

以前、複数のパソコンから印刷できるように、プリントサーバーを使っていた。そのプリントサーバーにつなぐためにはパラレルコードが必要で、プリンター側ではパラレルインターフェースを備えている必要があった。その当時からすでに多くの機種がUSB接続で、パラレル接続可能な機種は、キャノンの「IP4100」という機種ぐらいしかなかった。

現在は、そのプリントサーバーはお払い箱となり、家庭内LANでプリンターを共有して、複数のパソコンからでも印刷できるようにしている。だからパラレル接続可能な機種を選択する必要性はなくなった。もっとも現在はもうそういうインターフェースを備えている機種はないのかもしれないが。

さて、どうしたものか。もう一度ヘッドクリーニングをなどを行って、それでもダメならいよいよ買い換えなければならないのか。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月17日

戦後教育

アンケートに、一番印象に残った展示文書は何かという質問項目があったので、そこには「教育基本法」と記入しておいた。2006年(平成18年)12月22日に公布・施行された現行の基本法ではなく、1947年3月31日に施行された教育基本法のことである。

国立公文書館では、現在秋の特別展「学びの系譜」(10月4日〜10月23日)が行われている。交通費が往復で2000円近くかかるのでは、都心に出るのもままならないが、期日が迫っているので今日その特別展を見てきた。なお、入館料は無料である。

江戸時代後期から明治・対象をへて戦後に到るまでの、学校と教育の歴史に関わる文書の展示されていた。ただ江戸期の資料は少なく、明治維新後の文書が圧倒的に多かった。また「学びの系譜」と称しているのだから、実際に使われていた教科書類も展示されているのだろうと期待していたのだが、その点では当てがはずれた。公文書館は公式の文書を保存しておくところだから、まあもっともなことではあります。

さて、展示されていた教育基本法の原本は、2年前に新しい基本法が制定され公布・施行されたため、旧法となったものである。開かれていた頁には、以下の文言が記され、最後に内閣総理大臣・文部大臣の書名があった。

朕は、枢密顧問の諮詢を経て帝國議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

裕仁

  昭和二十二年三月二十九日
   内閣総理大臣 吉田 茂
   文部大臣   高橋誠一郎

言うまでもないが、吉田茂は現在の麻生首相の祖父である。私たち戦後生まれは、彼の祖父である吉田茂元首相が署名した、教育基本法に基づいた学校教育を受けてきたのである。

なお旧教育基本法は、昭和二十二年一月十五日に起案されている。起案者の欄には、「安嶋」の印が押されていた。

中山元国交相は、大臣辞任・議員辞職のきっかけとなった問題発言で、次のようなことを言った。
(成田空港の反対運動に関して)
『…ごね得というか、戦後教育が悪かったと思うが…』

「ごね得」という風潮を広めたのは小泉元首相だと思うのだが、それを戦後教育のせいにしていることからして認識が誤っていると言わざるを得ない。戦後教育を受けた多くの人たちが、その言葉をどう受け止めると思っているのだろうか。

戦後教育が悪かったという言葉の中には、道徳教育を行わなかったのが悪かったという意味が含まれているのは明らかだ。戦後教育を受けた者は、道徳心がないと言いたいのだろう。しかしここで注意しなければならないのは、道徳心・道徳教育を持ち出す御仁にかぎって、ご本人には道徳心が欠如しているという事実なのだ。

中山氏が議員辞職をしてからの言動を見聞きすれば、そのことの真偽はすぐに明らかになる。次の選挙では立候補しないと言ったその舌の根も乾かないうちに、出馬すると言い出す始末、そしてその直後にまた出馬を取り消した。「不出馬撤回を撤回」と迷走し、道義心のカケラもないことを露呈してしまった。

このようにことさら道徳ということを持ち出す人は、要注意人物なのだ。そのことを世間に知らしめたという点では、中山氏に功績があったと言って差しつかえないだろう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月15日

ガソリン代節約術

いつものセルフガソリンスタンドで給油した夫人の報告によると、ガソリン価格は以下の通りだった。
 149円(現金会員)
ようやく140円台に戻った。現在原油元売り価格は70ドル台半まで下がっているのだから、小売価格はまだまだ高い。

ガソリン価格が180円まで高騰したのは、つい最近のことだった。いったいあの騒ぎは何だったのだろう。まあ、今後ガソリン価格がさらに下落していっても、消費者がいったん身につけたガソリン代節約術は、そのまま継続されていくのだろう。

燃費を少しでも良くするためには、急発進・急ブレーキを避けることも有効な方法であるが、そのほかに車体重量を軽くすることも、もちろん考えた方がいい。以前は、万一の時のために防災用品一式をはじめとして、さまざまなものをトランクに積み込んでいた。しかしガソリン価格が異常な値上がりを始めてからは、必要最低限のものだけを残して、そのほかのものは車からおろした。

さらに身軽になる方法はないかと考えた時、あることが閃いた。ガソリンは満タンにすると、普通乗用車の場合60リットルぐらい入る。60リットルといえば、1リットルの牛乳パック60本分、牛乳とガソリンとは重さが違うがかなりの重量になるはずだ。調べたところ、ガソリン1リットルは0.75キログラムだった。
 60×0.75=45
つまり、60リットルのガソリンは、45キログラムとなる。まあ女性一人分の重量なのである。

ということで、車を軽くするには、ガソリンを満タンにしない方がいいということだ。満タンの重量である45キログラムの三分の一程度にするためには、20リットル程度をガソリンタンクに入れておけばいい。リッター150円とすると、3000円分になる。

こんなことを考えて、我ながらすばらしい思いつきだと一人悦に入っていたのである。しかしすぐに次の閃きが頭上に舞いおりた、世の中は広く頭のいい人は多いのだから、この程度のことはきっと誰かが思いついているに違いないと。そこでインターネットで調べてみた。予想通り、かなりの数の人が同じことを考えておりました。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月14日

容疑者Xの献身

夫婦50割引を利用して、「容疑者Xの献身」を見てきた。夫婦50割引とは、どちらかが50歳以上なら、割引料金が適用されるというサービスである。午後1時から始まる回の観客は20〜30名程度、平日としては多い方だろう。ただその中には、中学生と思われる若い人も含まれていたた。たぶん体育の日に運動会が行われ,今日はその代休なのだろう。

この「容疑者Xの献身」は、中学生には難しかったかもしれない。1年前に放映されていたテレビドラマの「ガリレオ」は、たまに見るだけだったが、ストーリーの展開が軽快で、ところどころにフッと笑いを誘う場面が用意されていて、楽な気持ちで見ることができた。そのテレビドラマの印象をそのまま持ち込んで「容疑者Xの献身」を見ると、当てがはずれたということになるかもしれない。

ミステリーには殺人事件はつきものではあるが、チャンバラ映画の殺陣で人が斬られても、そこに残酷さが感じられないのと同じように、ドロドロとした生臭さとは無縁なところで、犯人捜しのロジックを楽しむという面があるものだ。しかし「容疑者Xの献身」は、犯人の内面に深入りしすぎた。そういう点が、中学生に難しいと思わせる要因になったに違いない。

犯人の内面に深入りし過ぎた結果、映画全体の印象が重苦しいものとなり、さらに主人公が、湯川学(福山雅治)から石神哲哉( 堤真一)へと入れ替わってしまうことを招いた。つまりこの映画で重要な役割を演じているのは、福山雅治ではなく堤真一なのだ。まあ二枚目には二枚目としての役割があるから、福山雅治がこの「容疑者Xの献身」で主人公を演じるのは、土台ムリと言った方がよいのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 23:43| 里ふくろうの日乗

2008年10月12日

佐倉の秋祭り

昨日暗くなってから、自分の部屋のテレビの位置を変えた。そのテレビは母親が存命中に使っていたブラウン管方式のもので、もうかなり古ぼけたものとなってしまった。今までそれを南側の庭に面した棚に置いていた。当然のことながら、ガラス戸から差し込むはずの陽の光はさえぎられて、部屋の中は昼でも暗い状態になっていた。そのテレビを部屋の西側に移動したのだった。

今朝部屋に入った時、今までとはまったく違った光景が目の前にあった。テレビがなくなってポッカリとあいた空間を通して、朝日が部屋の隅々まで光を届けてくれていたのだ。それだけのことで部屋の印象が一変したのだった。イスに座って体を庭に向ければ、ちょうど咲いていたキンモクセイの花が見えた。

佐倉のお祭りは、午後三時から始まる。昼食をとって食休みしてから電車で出かけた。佐倉の駅前ロータリーを市立美術館の方向へ歩く。沿道には出店が途切れることなく並び、すでに見物客が道を埋めていた。

山車は市立美術館から佐倉駅方面に向かって引かれていく。私と夫人はその流れに逆らって歩いて行くことになり、人の流れを避けながら歩かなければならなかった。沿道の出店は食べ物屋さんばかりでつまらない。金魚すくいの店があることは、夫人が教えてくれた。子ども頃よく行った吉祥寺の八幡さまのお祭りでは、食べ物屋さんより、綿菓子・金魚すくい・お面・風船細工などのお店が多かった。

先日上野公園に行った際、下町風俗資料館で行われていた「知ってる?子どものむかしの遊び」展を見た。そこに地球ゴマが展示されているのを見て、子どものころ八幡さまのお祭りで、「地球ゴマ」を買って遊んだことを思い出し、懐かしさのあまり「あゝ」と吐息が漏れてしまった。もうお祭りで「地球ゴマ」を売ることなどないのだろう。

ついでながらその展示会で見た懐かしいものといえば、こんなもの。
・型抜き遊びで使った抜き型
・日光写真
・先端の5本の釘で編むリリアン
・パチンコ台を寝かせたようなコリントゲーム
 
今年の人出は例年になく多かったらしい。市立美術館前の麻賀多神社に向かう道路は、人でギッシリと埋まっていた。麻賀多神社にはまだ一度も行ったことがなかった。さぞかし混んでいることだろうと思っていたが、近づくにつれてだんだん人少なになってきて、境内は人影がまばらだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月11日

捨てる技術・叱る老婦人

昨日から佐倉のお祭りがはじまった。佐倉に30年近く住んでいるのに、江戸時代から行われているというそのお祭りにまだ行ったことがない。昨日行こうと思っていたが雨、今日は午後から空が明るくなってきたが、出鼻をくじかれて億劫になり結局出かけなかった。明日が最終日、天気予報によれば秋晴れの一日となりそうなので出かけてみることにしよう。

お祭りに行くかわりに、しばらく休んでいた部屋の片付けを再開した。勤めを退いた時は、仕事関係の書類がゴミと化した。それと同じように、何かをやめるとそれに関係するものがいらなくなる。今までは、捨てずに取っておけば何かの役に立つだろうと思って捨てることができなかったものでも、あっさりと捨てることができる。そんなわけで、今日の片付けはなかなかはかどった。

以前「捨てる技術」という本がベストセラーになったことがあった。書類を整理するための技術に関しては、さまざまな人がさまざまな方法を提言することはあったが、捨てるということにも技術が必要だということは、あまり論じられることはなかった。

しかし捨てるためには、技術などは必要ないのだ。何かをあきらめたり、やめたりすればいいのだ。それだけで今まで後生大事に抱えていたものがゴミと化し、簡単に捨てることができてしまうようになる。捨てる技術について考えたりするのは、まだまだあれもしたい、これもしたいと欲張っているというだけのことなのだ。

片付けが一段落ついたところで、居間のソファにゴロリと横になって一休みしていると、近所の家からヒステリックな怒鳴り声が聞こえた。例の、人間で言えばもう100歳は越えている老犬を飼っている家からである。怒鳴り声の主は、もうかなりの年の老婦人である。
「だめよ!そんなところに顔突っ込んじゃ。何度言ったら分かるのよ!」
その老犬はもう目が不自由なのだ。見えないものだから、いつもそんなふうに叱かられている。

何度叱られても相手はイヌなのだから、聞き分けがないのは仕方ないことなのだ。しかし再び執拗に叱りつける声が聞こえた。
「何やってるのよ、ダメじゃない!」
すると、思いがけない声が聞こえた。
「なんで私に八つ当たりするのよ、やめてよ!」
イヌが叱られた後、イヌと同じように叱られたのは、どうやら老婦人の娘さんのようだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月09日

銀行窓口

今日のガソリン価格:151円(現金会員価格)
これからはたぶん一週間ごとに価格が下がっていくのだろうから、一回の給油は2000円分だけということにしておく。

午前中は、夫人につきあって銀行へ行ってきた。大体のところ、ATMを利用することが多い。窓口を利用すると、近頃は資産運用を勧められることが多いので、どうしても足が遠のいてしまう。だいたい資産運用にまわすことができる資金など、潤沢にあるはずないのである。マアそうではあるのだが、やむなく銀行に出向いて用を足す必要に迫られることもある。

応対してくれた窓口の女性は、先日わざわざ投資を勧める電話をかけてきた女性だった。さっそく投資信託を勧められた。昨日はたった一日で、日経平均株価が1000円近く下がったばかりというのに、いくら勧められてもその手に乗るわけにはいかない。

「元金は保証されますよ」
食い下がる窓口の女性が放った言葉に、心が少し反応したが、どうせ高い手数料を取られ、元本からその手数料を引けばマイナスになってしまうのが落ちだと思い直し、投資の話は打ち切りとした。営業スマイルが消えた窓口で、手続きが終わるのを待つ時間が長く感じられたのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月06日

姥が池のハス

歴史民俗博物館図書館から少し足をのばせば、佐倉図書館がある。先日地元の図書館に行って、「バスにのって」という田中小実昌氏の本を探したところ、見つかったのだが所在は佐倉図書館だった。どうせ佐倉方面に行くならちょうどよい機会だから、佐倉図書館まで行って、その本を借りることにしたのだった。

必要な本が、分類番号通りの棚にのっていないことがたまにある。以前、「ネコのダイエット」(村松友視、河出書房新社)を返却したあと、もう一度借りようと思って該当する分類番号の棚を探したのだが、結局見つからなかったということがあった。さいわい「バスにのって」はすぐに見つかった。1999年に青土社から発行されているから、十年近く前の本なのだが新刊本のようにきれいだった。

佐倉図書館から市立図書館までは、歩いて5分とかからない。本を借りてから、そちらで行われている「佐倉市郷土の先覚者パネル展」を見ていくことにした。顔写真・肖像画が展示され、彼らの経歴が簡単にまとめられている説明板があるだけというパネル展だった。

さて、寄り道をして歴博の駐車場に車をとめ、姥が池へ向かっている時、思いがけずツクツクホウシの鳴き声が聞こえた。自宅の周辺では、すでにセミの声は聞こえなくなっていた。歴博のある城址公園は、永い歳月を経たと思われる大木がそこかしこに残っていて、セミにとっては恵まれた環境なのだろう。

しかしそれにしても、もう10月に入っているというのにセミの声である。姥が池に到る急坂を下っていく途中で、今度はアブラゼミの声も聞こえてきた。さらにミンミンゼミの鳴き声まで聞こえた。

姥が池の水面には、ハスの葉を思い描く時のそのイメージのままで、ハスの葉がほぼ池の面を覆って浮いていた。白い花もところどころで葉の上に姿を見せていた。上野公園のハスの葉の状態とはまったく異なっていた。両者のこの甚だしい違いはなぜ生じるのだろうか。不忍池の異様な光景を思い出しながら、池のほとりのベンチに座ってハスの葉をしばらく眺めていた。池の周囲の鬱蒼と茂った木立では、ツクツクホウシとミンミンゼミが競演していた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月05日

空を支えるハスの葉

朝、六時頃目が覚めてしまった。たまにこういうことがある。そのまま床の中で愚にもつかぬ思いを巡らしていると、いろいろな思いつきが湧いてくる。その時はすばらしい思いつきだ、天才かもしれないと思うのだが、起きてから思い返してみると、まったく取るに足りないことばかりである。

たとえばこんなことである。平安の昔、女性たちが書いた日記は、後世の学者先生たちによって、文学として扱われるようになり、日記文学という地位を与えられた。同じように旅行記は、紀行文学と呼ばれるようになった。ならば、散歩する日々を書き綴ったものは、散歩文学と呼ばれるようになる日が来るかもしれない。

あるいは、ブログ。その語の成り立ちから自明なことではあるが、もちろん日記的な要素は持ってはいる。だが日記であると言い切ってしまうこともできない。ブログは、やはりブログと言うしかない。ならば、ブログは新しくブログ文学というジャンルを打ち立てることになるのだろうか。

まあこんなことをツラツラと思っていたのだ。時計を見ると7時、起きるにはまだ少し早い。そこで一昨日上野に行った時のことを、日暮里駅で誤って下車してしまった時から始めて、時間を追ってなぞってみた。車内のほとんどの人が降りたのに釣られて降りてしまったことは、マアそういうこともあるのかなとは思う。しかしその後改札を出るまで気づかなかったということは、あの世界に一歩足を踏み入れたのかもしれないナ…

マルチメディア上野店で必要なものを買い求め、上野広小路あたりのお店で軽い昼食をとり、上野公園に足を踏み入れると、目の前には異様な光景が広がっていた。ハスの葉が、不忍池を覆い尽くして、まるで空を支えるように池一面に広がっているのだ。ハスの葉といえば、普通は水面にピッタリとはりついて浮かんでいる。ところが一面のハスの葉は、水面からかなりの高さまで伸び上がっている。それが密生しているものだから水面もよく見えず、そこが池であることを忘れてしまう。まるで、

ハスというものは、花の季節を過ぎてしまうと、こんなにもおどろおどろしい状態で池を覆い尽くしてしまうものだろうか。それとも異常な自然に反応した結果なのだろうか。あるいは、上野の不忍池のハスは、一般的なイメージのハスとは違った種類のものなのだろうか。

佐倉城址公園に、姥が池という不忍池よりかなり小さな池がある。そこにもハスがあったはずだ。その姥が池のハスは、今どういう状態になっているのだろうか。不忍池のように異様な光景を呈しているのだろうか。そんなことが気になってくると、やはり城址公園に行って確かめてみたくなってくる。よし、午前中に行って確かめてみようと意を決して起きたのだった。
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2008年10月03日

上野行き

車のガソリン残量メーターに、ガソリンスタンドのマークが出てしまった。給油を我慢するのも限界ということにあいなって、上野に行った帰り、いつものセルフスタンドに立ち寄った。

今日のガソリン価格:154円(現金会員)

二年ほどのブログを見直していたら、ガソリン価格が、「とうとう140円になってしまった」と書いている箇所があった。その頃は140円でも高いと思っていたのだ。

先週の金曜日は京橋のフィルムセンターに行ったが、一週間も千葉の奥の方で毎日過ごしていると、また東京の方においでという声が、どこからともなく聞こえてくる。そこで、上野の駅前に、今年の4月にヨドバシのマルチメディア上野店がオープンして以来、一度も行ったことがなかったので、遅ればせながら出かけてみることにしたのだった。

乗った電車は快速羽田空港行き、京浜急行の車両だった。各車両の前後に4人掛けのボックス席がある。そこに座ることができた。車窓から見える景色は、もう数え切れないほどみたはずだが、ボックス席に座って見ると、視点が変わるためだろう、違った風景に見えてくる。窓が大きく、広い空が見えたこともあったかもしれない。

退職したばかりのころは、平日の昼間に電車に乗るということになんとなく後ろめたさを感じたが、近頃はそういう気持ちも薄れてきた。

青戸で乗り換えないと押上経由の地下鉄となってしまう。「次は押上」という構内アナウンスを聞き慌てて快速をおりて、隣のホームに停車中の普通電車に乗り換えた。もうそのまま乗っていれば、上野まで運んでくれる。

電車がスピードを緩めて駅に到着する間際になると、乗客たちの多くが降車の準備を始めた。ボーッとしている間に、上野駅に着いたようだった。下りる人たちが多く、ドア近辺の人の流れが滞っていて、車内に乗客が残っているというのに、もう発車のアナウンスがあった。私も遅れてはならじと急いで降りた。

ホームを歩きながら、周囲の様子がどうもおかしいと感じることはあった。いたるところで工事をしているのだ。はて、上野駅で工事など予定されていたのだろうかとは思うが、こちらが知らなかっただけかもしれない。流れに身をまかせて、進んで行く。

エスカレーターを上りきったところで、流れが二手に分かれた。私はもちろん出口に進んだ。出口に進む人はわずかだった。改札を出たところで見た駅の光景は、今までに見たことのないものだった。その時やっと事態が理解できた。その駅は日暮里駅だった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年10月01日

整理に着手

お昼頃、夫人が外出先から帰ってくると、いつも行くガソリンスタンドがまだ157円だったことを教えてくれた。ガソリンスタンドの地下にあるタンクには、まだ値段の高いガソリンが残っているのだろう。それが捌けないと、ガソリンは安くならないということだ。あと何日かは待たないと、値段は下がらないのだろう。

午後、整理用ファイル用品を求めにジョイフルホンダに行った。乱雑に積み上げられたさまざまな文書を整理するためには、ファイル用品が必要になる。それがないと整理を始められない。未整理のまま積み上げられた文書の山を、今年の3月と同じように、その山ごと捨ててしまえば部屋も心もすっきりすることだろう。でもそんなことはできそうにもないのだ。

「文書の山平行移動整理法」を使うための余分なスペースも、部屋の中にはもう残されていない。まあコツコツと要不要の分別をしながら、整理するしかない。冬の晴れた日、南側のガラス戸を通して室内にふりそそぐ陽光、それを全身で浴びて午睡する姿を思い浮かべながら、整理にいそしむことにしよう。
posted by 里実福太朗 at 23:26| 里ふくろうの日乗