2008年11月29日

堀田正睦と佐藤泰然

第四回 リレー講座
 
演題:堀田正睦と蘭医佐藤泰然
講師:酒井シヅ順天堂大学名誉教授
場所:臼井公民館
内容
・佐倉藩、堀田正睦公の魅力
・江戸で開業していた佐藤泰然、佐倉に移住した理由 など

講師の酒井シヅ氏は、週刊朝日の11月28日号で紹介されていた。「私と司馬さん」と題されたそのインタビュー記事で、司馬遼太郎が三重大学医学部に招かれて記念講演をした時の思い出が紹介されていた。

今日のお話では、佐藤泰然が佐倉に来た理由は、あまりはっきりしないということだった。週刊朝日の「歴史を変えた医学」という記事では、簡単に『1843年(天保14)年に佐倉藩に招かれている』と書き流している。しかし、本当に招かれたのか、あるいは泰然の方から出仕を働きかけたのか、そのあたりが判然としないということだった。

天保14年に佐倉藩の「客分」となり、最初は一人扶持だった。招かれたというのでは、あまりに低い給料ということになる。こういう点からも、招かれたのではなかったのではないかという疑問が生じるということだ。そこでもし招かれたのでなければ、佐倉に行った理由は何かということになる。その理由を考える際に、「西洋堀田」とあだ名を付けられた佐倉藩主堀田正睦が登場してくることになるのである。

残念ながら、話の核心に入って来た頃に、予定の時間となり、用意されていたスライドは残っていたのだが、終わりとなってしまった。10分遅れで始まったのだから、もう少し延ばして、なんとか最後まで話を聞きたかったとは思うのだが、講演が半分ほど過ぎた頃から、咳き込むことが多くなり、声を出すのが辛そうな状態がありありと見えるようになってきたのでは、そこで打ち切るのは仕方ないことだった。1935年のお生まれということだから、70歳を越えていらっしゃる。わざわざ埼玉からおいでになったということもあり、2時間に亘る講演は、やはり重労働なのだろう。

今までは江戸末期の時代背景に関わることが取り上げられていたため、堀田正睦の周りをウロウロと歩き回っているという感じだった。今回の講演で、やっと堀田正睦に出会えた感じがした。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月28日

ぐるっとパスはもうすぐ期限切れ

「ぐるっとパス」の有効期限が残り少なくなってきた。下町風俗資料館で購入したのが、10月3日だった。有効期限はたったの2ヵ月なのだ。12月2日までに未使用の入場券・割引券をすべて使い切るのは、とうてい無理という事態に至った。

そもそも有効期限が2ヵ月というのは、いくら何でも短かすぎるのではないだろうか。全部で61の施設を、すべて回ることができるのは、よほど時間に余裕のある人だろう。そんなことは分かりきったことなのに、あえて2ヵ月にしているのは、何か理由があるのだろう。無効になってしまったら、また購入してくださいということかもしれない。

さて、そんな不満をつぶやいていても仕方がないので、残りの期間内にできるだけ美術館巡りをしようと思い立ったのだ。できるだけ効率的に回れるように、地図とニラメッコで巡回コース決めた。

三井記念美術館(日本橋)

ブリジストン美術館(京橋)

出光美術館(丸の内)

相田みつを美術館(丸の内)

フィルムセンター(京橋)

今日は、以上の5箇所を回る予定を立てたのだが、やはり無理だった。二つめのブリジストン美術館で、かなりの時間を費やしてしまい、また足に疲れを覚えて、残りの三箇所に行くのは断念した。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月25日

腰痛と武家屋敷

今日は、腰の痛みがだいぶ和らいだ。日曜日の夜に、痛みが出て、昨日は外出を避けて家の中で過ごした。まったく動けないということでもなく、一日休んだだけで痛みが軽くなったのだから、たいしたことはなかったのだろう。

袋田の滝に行ったのはもう1週間も前のことだ。しゅうかんまえのことだ。時、急な階段を登って生瀬の滝に行ったのだったが、そのあと筋肉痛になることはなかった。まだまだ衰えていないな、と自分の体力に自信を持ったのだった。ところが腰に痛みがきたということは、その時の疲れが残っていたのだろうか。先週の土曜日に麻賀多神社や武家屋敷を訪ねて歩き回った。その時の疲れが、さらに加算されて今回の腰痛につながったということなのだろうか。

腰痛の直接の引き金になったのは、必要があって漢文関係の書籍を探したことだった。部屋の中はかなり片付いて、歩き回ることができるようになっているとはいえ、まだ整理されないまま積み重ねられている本も多い。その中から必要なものを探しだすとなると、これが一筋縄ではいかないのだ。後ろに隠れている本は、前の本をどかさなければ書名を確認することができない。そのために腰をなんども折り曲げたことがよ良くなかったようだ。

まあ結局は、たまにどかっと歩き回る「どか歩き」が良くないのだろう。腰痛になった時だけ、殊勝にもそんなふうに反省するのだ。だけどそれが難しいのです。

武家屋敷は、麻賀多神社から歩いて10分ほどの所にありました。
見学料:210円(税込み)

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posted by 里実福太朗 at 23:43| 里ふくろうの日乗

2008年11月23日

秋色のネコ

今日の灯油価格:1680円
2週間前より、100円下がっていた。

リレー講座「開国から近代へ」の3回目を聴講してきた。昨日は大失敗をしてしまったが、今日はそのおかげで、中央公民館周辺の地理も頭に入り、まったく迷うことなく開始30分前には会場に到着できた。

中央公民館への道順は、鏑木交差点を曲がるのではなく、一つ先の信号を曲がった方が分かりやすい。角に印旛合同庁舎があるところだ。坂を登っていくと佐倉厚生園に向かうが、途中のT字路度を折すれば公民館に到る。

演題:「諸藩の藩政改革と佐倉藩」
講師:根岸茂夫 國學院大学教授

(続き)
秋祭りの喧噪がウソのような麻賀多神社では、
七五三の記念写真を撮っている母と娘の一組だけ。
父親の姿が見えないのが、ちょっと気になりましたが…。

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御神木のイチョウが見事に色づいていた。
樹齢は推定800年だそうだ。

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境内で出会ったネコ。
落ち葉の中で、物思いに沈んでいるようだった。
秋の色の中に、しっくりと溶け込んでいた。

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posted by 里実福太朗 at 22:44| 里ふくろうの日乗

2008年11月22日

リレー講座

三回目のリレー講座は、中央公民館で行われる予定だった。臼井から佐倉へとのびる新しい道路を、鏑木交差点で左折する。地図によれば、最初の信号の鏑木坂下Y字路で右折すれば、中央公民館に到るはずだ。ところが左折はできるのだが、右折できない。仕方なく通りすぎたところ、道路の下で細い道が交差しているのが見えた。たぶん左折してから坂を下り、大きく右にカーブして今通っている道路の下をくぐって行くのだろう。

そのまま進んで行っても、Uターンするのに適当な場所がなく、仕方なく京成佐倉駅前を通り、市営美術館を経由して新町に至り、鏑木坂下Y字路に戻った。その後は予想したとおりだった。

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とんだ寄り道をしたので、公民館に着いた時は、開始時間を2・3分過ぎていた。かなり大きな駐車場には、車はあまり駐まっていなかった。急いで建物に入ったのだが、講演会への案内表示が見当たらなかった。場所をさがしている余裕はない。受付にいた人にすぐに尋ねた。
「リレー講座はどちらですか」
男は首をかしげながら、書類を確認している。たぶん施設予約表なのだろう。
「リレー講座ですか、ウーン」
とうなっている。すると、部屋の隅の方にいた別の男がこういった。
「リレー講座は明日ですよ」

リレー講座は、今までは土曜日に行われていた。今回もてっきり土曜日だと思い込んでいて、日にちを間違ってしまったのだった。

こんな間違いをするなんて、だいぶ惚けてしまったのだろうか。いや、まだまだ惚けるには早すぎる。そうではないだろう。単なる早とちりというものだろう。

それにしても、在職中は慎重居士を全うして、誤ることなどない人間と思われていたのに、この体たらくはどうしたことなのだろう。職を離れたことで、たがが外れたとしか思えない。

このまま帰るのもシャクなので、市立美術館前の駐車場に車を止めて、少しブラブラすることにした。

(蔵の右側が市立美術館)
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posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月20日

友部のイヌ

今まで暖かい日が続いていたというのに、急に寒くなった。例年のこの時期に比べて、気温がかなり下がった地方が多かったそうだ。極端な上がり下がりを示すところなど、なんだか株価に似ている。

今日のガソリン価格:117円(会員価格)
WTI原油先物価格:52.10ドル

袋田の滝へのコースは以下の通り。
常磐道を利用する際は、いつもなら16号線を利用して、柏インターから入ることが多かった。今回は、4号線を北上した。4号線は途中から48号線になる。牛久阿見インターから圏央道にのり、つくばジャンクションから常磐道に入る。そこからは常磐道をひた走り、那珂インターで降りる。そして久慈川に沿って118号線を北上するのだが、袋田の滝までかなり時間がかかる。帰りはこの118号線が大渋滞となった。

常磐道では、友部サービスエリアで昼食をとった。トイレの近くでイヌが寝そべっているのを見つけた。
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飼い主がトイレに行っている間、そこで待たせているのかと思ったが、首輪はつけているが綱はなく自由放任の状態だった。近所のイヌが入り込んだのだろうか。
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それほど凶暴な犬とも見えない。そこで声を掛けてみた。
「どこから来たの?」
しかし返事はない。もう一度尋ねてみた。
「どうしてここにいるの?」
やはり反応はなかった。
食事を終えて、再びそこに来てみると、依然としてぼんやりと座っていた。頭をなでてやって、別れの挨拶をした。
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posted by 里実福太朗 at 23:39| 里ふくろうの日乗

2008年11月17日

袋田の滝2

袋田の滝の周辺も、紅葉が見頃でした。
かなりの人出で、新しい観瀑台へのエレベータは長蛇の列。そこから見るのはあきらめ、旧観瀑台から紅葉に囲まれた別名「四段(四度)の滝」を眺めました。

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(説明板より)
袋田の滝は幅73m、高さ120mあり日本三大瀑布の一つとなっています。西行法師が秋の季節に訪れ「この滝は四季に一度づつ来てみなければ本当のよさは味わえない」といって春、夏、冬と三度の季節にも滝を見に来たので別名「四度の滝」とも呼ばれています。また一説では滝が四段になっているので、その呼び名が出たともいわれています。

「花紅葉 よこたてにして 山姫の 錦織りなす 袋田の滝」
   西行法師

吊り橋の上に見えるのが旧観瀑台です。吊り橋は、中央あたりに来るとかなり揺れました。
高いところが苦手な人は、要注意。

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袋田自然研究路の急な階段を、休み休み登っていきます。

(下を覗いてみるとこんな具合)
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20〜30分ほどで「生瀬の滝」の見える所に到ります。

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posted by 里実福太朗 at 22:18| 里ふくろうの日乗

2008年11月15日

情報伝達手段としての通詞

まだ筋肉痛は出てこない。昨日は袋田の滝を見てから、吊り橋を渡り(怖ろしいことに、渡っている途中でかなり揺れた、ように感じた)、袋田自然研究路の底辺の角度が60度ぐらいの急階段を200メートル以上も登り、生瀬(なませ)の滝を見たあと、その階段をくだったのだった。膝が笑うことはなかったが、後遺症の筋肉痛に襲われることは必至の感じだった。

このまま筋肉痛にが出てこなければ、万々歳ではあるが、まあそんなことはあるまい。いつごろ出てくるのか、もちろんそんなことを期待しているのではないが、久しぶりの筋肉痛を味わうことに、ちょっとばかり興味が湧いているのである。

リレー講座「開国から近代へ」の2回目を聴講してきた。

演題:「幕末の情報戦争 ペリー来航前後の情報世界」
講師:岩下哲典 明海大学教授
内容
・アヘン戦争情報
・パレンバン号事件
・「捨足軽」とは何か
・ペリー来航予告情報
・浦賀奉行所の対応能力
・偽文書「白旗書簡」
・森山栄之助の活躍

演題に「情報」という言葉が含まれていることから容易想像できるが、「情報」という視点から、幕末の動乱を読み解いていくという試みだった。ただ、そういう意図は分かるのだが、「情報」という言葉が、単に冠言葉として使われているという印象が残った。もう少し「情報」と絡ませて扱うことで、意図がはっきりと伝わったのではないだろうか。

たとえば通詞として活躍した森山栄之助については、情報伝達という視点で捉えてみるのも一つの方法だろう。外国との情報のやりとりが、通訳を介してのみ可能となる時代にあっては、通訳は、情報を伝達する媒体としての機能を果たすのである。つまり通訳は情報伝達手段なのである。

通訳は血の通う人間である。翻訳機械ではない。情報伝達手段である通訳が、感情を有していることが問題を引き起こす原因となることもあるかもしれない。自分の利益のために意図的に訳を変えて、情報を操作することもあるかもしれない。このように考えれば、情報が正しく伝達されるかどうかということは、通訳に依存すること大なのである。

幕末の日米交渉の際、森山栄之助が誤訳したことが、その後、日米の認識のズレを招くことにことにつながったらしい。プロジェクターで提示された日本語の文章と英語の文章は確かに異なる箇所があった。

その違いは、森山訳が「双方の国が」となっているのに対して、英文では「どちらか一方の国が」となっている点だった。英文の該当箇所では「either」が使われているのだから、当然「どちらか一方の」という訳にするべきであろう。それを「双方の」と誤って訳してしまうことは、果たして起こりうることなのだろうか。そんな疑問が浮かんだのだが、終了の時間が迫っていたこともあったのだろう、誤訳の指摘だけで終わってしまった。

この森山栄之助の誤訳以外にも、通訳が情報伝達手段としてうまく機能しなかったために引き起こされた問題はあったかもしれない。こう考えてみると、幕末という時期は、通詞は情報伝達という面で、非常に重要な役割を担っていたと考えて良いのだろう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月14日

袋田の滝

袋田の滝は遠かった。朝10時頃に家を出て、夜の8時頃家に帰り着いた。片道4時間ほどかかり、八ヶ岳まで往復したようなものだった。

ただ、袋田の滝は一見の価値があった。天気も良く、加えて紅葉もちょうど見ごろだった。平日というのに見物客が多く、新しい観瀑台は長蛇の列だった。待ち時間が30分から40分というのでは、そこからの眺めはあきらめるより仕方なかった。

汗をかきかき長く険しい階段を登って、上流の滝を見に行ったりして、少しがんばりすぎた。詳細はまたの日ということにして、おやすみなさい。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月11日

フェルメールの描いた瞬間

たまに薄い陽が差すことがあったが、昨日に引き続きほぼ一日中どんよりと曇った寒い日だった。明日は強い風が吹き、今日以上に寒い一日になるそうだ。昨日は紅葉狩りに行こうと思っていたのだが、天気が悪く断念して延期することにした。

原油価格が60ドルを割り込んだ。現在(22時)は、59.89ドル。

フェルメールあるいはオランダの小都市デルフトの画家たちが描いた画のおもしろさはどこにあるのだろう、そんな疑問が、上野の展覧会に行った時から頭の片隅に残っていた。何日かすれば次第に焦点を結んでくるのではないかと思って、そのまま放っておいた。

あくまでも専門的な知識を持ち合わせていない人間が、画を見て面白いなと思ったことでして、それは二点ということになりました。一つは、描かれた場面に登場している人物の表情、もう一つは画に小動物、特に多いのがイヌという点だった。

最初の点については、フェルメールの「ワイングラスを持つ娘」と「リュートを調弦する女」が教えてくれる。描かれているのは共に平凡な日常の一コマである。

「ワイングラスを持つ娘」では、赤いドレスを着た若い女性が、中年の男にワインを勧められている。背をかがめて顔を女性に近づけ、のぞき込むように食い入るように見つめる男から顔をそむけ、女性は顔を正面に向ける。その顔は困惑して、誰かに助けを求めているようにも見える。またこの女性の表情からは、見ようによっては、すでにワインの酔いが回って、嬌態を周囲に振りまいているようにも感じられる。

いずれにしても、日常のある断面を切り取って描くことで、その断片の背後に隠れているさまざまな物語を想起させる。もちろん静止画であるから、描かれているのはある瞬間である。ところがその選ばれた瞬間が、鑑賞者に無限の、と言ったら大げさですが、ともかくこれから起こるかもしれないさまざまなドラマを想像させてくれるのだ。

「リュートを調弦する女」も同じことだ。リュートを抱えながら窓の外に顔を向ける女性は、何を見つけたのだろうか。待ち人の姿を見い出したのだろうか。あるいは少し上目遣いで見て、心もち下卑た微笑を浮かべているように見える顔からは、何かをこっそりと盗み見ているような印象をも与える。この絵を見る人も、やはりさまざまなドラマを想起するに違いない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月09日

お昼は澄んだ秋空の下で

ライオンズが日本一になった。ウェンツ君、おめでとう。

今日のガソリン価格:123円(現金会員価格)
近々遠出をひかえているということもあって、久しぶりで満タンにした。

今日の灯油価格:1780円(18リッター)
先週より少し下がった。

(つづき)
家を出た時は、雨はやんでいたがドンヨリと暗い雲が空を覆っていた。ところが上野公園に着いた時は、汗ばむほどの天気になっていた。昼食をとる場所は、噴水広場と決めていた。ここなら都美術館にも近い。ベンチはほぼ埋まっていたが、幸いにも一つ空いているものを見つけた。

秋は修学旅行の季節、先日行った東京タワーにも修学旅行生の姿が見えたが、上野公園にも複数の学校の修学旅行生たちの姿があった。女子高生の中には、キャッキャッと笑い転げてヨロヨロと歩いていく生徒もいる。なにがそう面白いのかと思うが、まあそれがその年ごろの女の子というものだろう。サンドイッチをつまみ、コーヒーを飲んでいると、チラッチラッと見て通って行く子もいる。

そういうグループがいくつも通って行った。茶髪は一人もいなかった。スカート丈は膝の少し上、紺のソックスはたるみもなく、靴をスリッパ状にしているものも一人としていなかった。

女子高生に気をとられている間に、左隣のベンチには、黒のスーツ姿の女性が、座ってお弁当を食べていた。えんじ色のしゃれた二段重ねのお弁当箱が、膝の上にのせられていた。たぶん自分で作ったお弁当なのだろう。

ベンチの前は、女子高生をはじめとして、外国人観光客などさまざまな人が通って行く。若い女性が、一人でお弁当をひろげていれば、やはりチラチラと見ていく人が多い。人の目が気になるのではないかと思うのだが、一心不乱にお弁当だけを見つめて食べ続けていた。

一度だけ顔を上げたことがあった。散歩の人に連れられたイヌが前を通った時、イヌがお弁当に視線を注いでいることに気づき、顔をイヌに向けてジッと見据えていた。犬が通りすぎると、再び視線を落として食べ始めた。

想像してみるに、彼女はサンドイッチをつまみ、さらにおにぎりをほおばっている私を見て、隣に座ったのかもしれない。いわば公衆の面前でお弁当を食べているということになるのだから、一人では心細いと思ったはずだ。さいわいベンチには、女子高生を観察しながら食事をしているシニアらしき男が一人いる。食事をしている人間が二人いれば、前を通る人の視線は、二つに分散される。きっとそんなふうに考えて、私の隣のベンチに座ったのだろう。

この想像は、あながち間違っていないようだった。その後、今度は私の右隣にシニアらしき男性が座り、サンドイッチをほおばり始めたのだ。これで視線は三分割される。

澄んだ秋空のもとでお昼を食べている人が増えてくれば、遠目からチラッと眺めている人たちは、きっとあたたかい陽差しを浴びてお昼を食べている人たちを、うらやましいと思い始めるに違いない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月08日

スキンヘッドの外国人

昨日は11時頃家を出て、特急電車で京成上野駅まで行った。円高が進みユーロ・ドルが共に下落している昨今、ヨーロッパやアメリカから日本への観光旅行は敬遠されるようになっていることだろう。それでも成田空港発の特急には、外国からの観光客が何人か乗っていた。

特急電車には、かなり目立つナリの外国の男性が座っていた。ガッシリとしたごつい体の上には、太い首に支えられたスキンヘッドがのっている。耳にはピアスが光っている。そして大きく目を見開き、周囲ににらみをきかしていた。見かけはいかにもいかついのだが、見かけ倒しということもある。その男はどうなのだろうか。

ときどきスキンヘッドに目をやると、異国の人間・風景が面白いのだろうか、いつも大きな目を見開いて、周囲への注意を怠っていなかった。うっかり目を合わせようものなら、見当違いの因縁をつけられるおそれもありそうなので、できるだけ視線を合わせないようにしていた。

ほかの外人観光客は途中駅で降りていったが、スキンヘッドは上野まで乗り続けた。エスカレーターに向かってホームを歩く私の後を、大型旅行カバンのキャスターの音が、ゴロゴロと無気味な音をたてて追いかけてくる。エスカレーターを降りて、改札口に向かって歩き始めると、ふたたびゴロゴロという音が追いかけてきた。その音に押し出されるように、足早に改札口を通りすぎた。

改札口を出てしばらく進んだ所で、ゴロゴロという音は聞こえなくなった。かわりに大きな笑い声が聞こえてきた。振り返ってみると、例のスキンヘッドが、これまたガッシリとした体格のモヒカン刈りの男と、笑いながら握手をしていた。電車の中とはまったく別人のような柔和な笑顔を浮かべていた。

あまりもの変貌ぶりにあっけに取られて足は止まり、しばらく立ち止まって眺めていた。スキンヘッドは周囲の視線などおかまいなしに、モヒカン刈りの顔をまじまじと見つめ、身振り手振りを交えながら、一心不乱に何やら話しかけていた。その後二人は、親しげに言葉を交わしながら、ゴロゴロという音を残してJRの方に歩いていった。

二人を見送った後、近くのアートコーヒーでサンドイッチ・おにぎり・コーヒーを買い求めた。フェルメール展を見る前に、腹ごしらえをしておく算段である。店内で食べるのはなく、持ち帰り用にしてもらったのは、上野公園のベンチで秋の陽を受けながら食べようと思っていたからである。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月07日

フェルメール展

駅前のカメラ屋さんが店をたたんでから、ずっとシャッターが下ろされていた。今日久しぶりで前を通ったら、ラーメン屋さんが開店したようで、店頭にお祝いの花が飾られていた。

駅前のギョウザ屋さんが閉店してから、しばらくテナント募集となっていた所は、違うギョウザ屋さんが出店した。一度ギョウザ屋さんがつぶれた所に、またギョウザを商う店を出して大丈夫かなと危ぶんでいた。

しばらくしてから出入り口の戸が閉まったままになり、そこに貼られていた紙には次のようなことが書かれてあった。
 店主入院のため、しばらく休みます
閉店に追い込まれたのではなかったが、なんとなく行く末が心配になった。ところが今日、店の前にはノボリがはためいていた。店主は復活したようだった。

展覧会の開始が8月2日で、すでに3ヵ月も経ったというのに、フェルメール展は今日も混み合っていた。以前、美術館・博物館塔共通入場券&割引券「ぐるっとパス」を購入しておいたので、それを利用すれば東京都美術館の高額な入場料も、少しは割引かれる。

一般入場券の販売窓口の前には、待ち行列ができていた。いったんそこに並んだのだが、行列整理の女性の係員がいたので、念のため訊いてみた。
「この、ぐるっとパス、使えますか」
すると、こんな答えが返ってきた。
「それはミュージアムショップの方で利用して下さい」
言われるまませっかく並んだ列を離れ、ミュージアムショップのレジに行った。
「割引券はこちらで利用して下さいと言われたのですが。こちらでも入場券は購入できるのですか」
と訊いてみたのだが、レジの女性は首をかしげている。
「入場券は、あちらの窓口でお求め下さい」
このまま、ああそうですか、と引き下がるわけにはいかない。
「そっちの列に並んだら、ミュージアムの方で買ってくださいと言われたんですよ」
といい返したところ、
「こちらでは売ってないんです」
と言うではないか。ここで大声でもだそうものなら、それこそ暴走老人になってしまうのでグッとこらえたのだが、こちらの不穏な空気を察したらしく、
「どちらの人が、そう言ったのですか、注意しておきます」
と言って、入場券売り場の方に向かった。私もその後を追った。
「どの人ですか?」
「エー、あの黒い服を着た人」
と教えてあげたのだった。結局、列の最後からもう一度並び直すハメになった。

行列の整理係の女性は、人気の高い展覧会が開催される繁忙期だけ仕事をする、派遣の人だったのかもしれない。ゴタゴタがあって時間もかかったが、手に入った割引入場券は100円引きだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月04日

日本シリーズがつまらない

お隣から柿をいただいた。数えてみたら、大きなりっぱなものが20個もあった。先日鈴なりの柿の実を見て、隣のダンナさんに贈った賛辞の言葉のお返しということなのだろうか。もちろんお返しを期待して、「大豊作ですね」と声を掛けたのではないが…

ロッテの4位が確定してからは、今季の野球シーズンは終わってしまった。日本シリーズは西武と巨人が戦っているが、遠い世界のできごとのように感じられる。それでもまあ、たまには見てみようかと思って野球中継にチャンネルを合わせてみた。

巨人が6対4で勝った。試合終了と同時に、アナウンサーがすばらしい大熱戦だったとかなんとか言って声を張り上げていたが、それとはうらはらに観ているものには白々しい感じしか残らなかった。審判のジャッジミス(意地の悪い人は意図的と考えるかもしれない)が、試合をつまらなくした。

巨人の攻撃、打球が一塁方向に転がり、捕球した一塁手がピッチャーにボールを投げ、受けたピッチャーがバッターとほぼ同時に一塁ペースに走り込んだ。ジャッジはセーフだった。しかし中継画面では、わずかにピッチャーの方が早いと見えた。スローで再生されたビデオでも、はっきりとピッチャーの方が早いことが映し出された。

最終回の西武の攻撃、クルーンの投げた速球が、バットをかすって後ろに飛び、キャッチャーのミットにぶつかり、前の方に小フライとなってあがった。キャッチャーミットに当たったのだから当然ファウルであるのだが、驚くことに審判はフェアのジャッジを下し、バッターはアウトになった。抗議を受けて審判が集まって協議したが、ジャッジが覆ることはなかった。

素人が見ていても明らかに誤りだと分かるジャッジを、プロの審判員が繰り返すのだから、試合がつまらなくなるのはあたりまえのことだ。巨人が勝ち、日本シリーズで優勝しなければならない事情があるのだろうと(その事情が何であるのかは明らかであるが)、勘ぐりたくなるのは仕方ないことだ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月02日

灯油販売

今日のガソリン価格:129円(現金会員)
やっと120円台に戻った。

朝今冬初めて灯油販売の車が通り、スピーカーから「トーユ、トーユ」という声が聞こえた。
「18リッター 税込み 1850円」
近頃は石油ストーブを使わないので、あまり価格を意識したことがなかった。昨年に比べて、この価格はどうなのだろうか。

なお、WTIの原油先物価格は、連休前に4ドル以上急激に上昇して、現在67.49ドルになっている。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2008年11月01日

木枯らし一番が吹く日の講演会

廊下においた棚を段ボール箱を一列分移動したことで、秋の陽の光が、部屋の中にたっぷりとさし込むようになった。室内から見る庭の様子も、以前より広い範囲が目に入ってくる。

庭に置いた自転車のハンドルに、トンボがとまっている。ときどきトンボの透明な羽根が、大きくねじれたり細かく震えて光る。ガラス戸を閉め切って、室内から眺めていたので分からなかったが、ときどき吹く強い風のせいだった。夜のニュースで、昼間木枯らし一番が吹いたことを伝えていた。

佐倉市・開国150周年記念事業のリレー講座、「開国から近代社会へ」を聴くために、歴史民俗博物館に行ってきた。第一回目の今日は以下の内容で行われた。
 演題:幕末開国と近代日本
 講師:松尾正人、中央大学文学部教授・副学長
 時間:13時30分〜15時30分
 定員:250名

定員250名の席は、ほぼ埋まった。参加者の多くはシニア層だった。予定されていた講演時間は2時間だったが、1時間40分ほどで終わりとして、残りの20分は質疑応答の時間としたいという旨が、講演に先だって司会者から伝えられた。

しかし講演が進むにつれて話が熱を帯びてきて、終了予定時間の5分前に話が終わった。その間休憩をはさむこともなかったから、2時間近くぶっ通しで話し続けたことになる。長い時間連続してお話を伺うことになったのだが、内容が面白く退屈することはなかった。

講演内容
1.安政五カ国条約の締結
2.開国と幕末政局
3.条約改正と私立法律学校

講演の中では、堀田様と敬意を込めて呼ばれた、佐倉藩主堀田正睦についてふれることもあった。

1953年と翌年のペリー来航のあと、1956年にアメリカ総領事ハリスがオランダ人の通訳を伴って来日する。その時ハリスと応対したのが、佐倉藩主で老中首座の堀田正睦だった。ハリスの残した日記には、堀田正睦と面会した時のことが、詳しく記されている。堀田正睦の印象は次のように記されている。

『宰相は三十五歳ぐらい、短躯で、感じのよい知的な容貌をしていた。その声は低く、やや音楽的な響きを持っていた』
(配付資料より。出典はハリス「日本滞在記」坂田精一訳)
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗