午後、近くのスーパに買い出しに行った。スーパーの出入り口には、病院で使われているポンプ式の消毒薬が設置されていた。昨日佐倉市で、新型インフルエンザの感染者がでたので、それへの対応かもしれないと思ったが、夫人によれば以前から設置されていたそうだ。店内はふだん通りの雰囲気で、マスク姿の人は見当たらなかった。
夕方になると、店内の商品陳列ケースには、いわゆる「デイリー品」が見切り販売されていることも多い。賞味期限がせまった商品が、賞味期限までの残り時間に応じて、10%引きとか、20%引きとかで売られるようになる。しかし、やはり品物は新鮮であるにこしたことはないという固定観念に押されて、製造時間の新しいものをつい買い物カゴに入れてしまう。
賞味期限がせまってもまだ売れ残っている商品は、廃棄される運命にある。もったいないことこの上ないが、製造時間と賞味期限を明示する今の販売システムでは如何ともしようがない。
せめて少しでも廃棄される量を減らすためには、見切り販売品に対する意識の持ち方を少し変えた方がいいのではないだろうかと、最近考えるようになった。見切り販売品を買うということは、廃棄される商品が少なくなり、食べ物を大切に扱うことに加えて、ゴミの量を減らすことにつながり、近頃はやりの言葉で言えば、「地球に優しい」買い物の仕方になる。そういう意味で、積極的に見切り商品を買うようにした方がいいのだ。もちろんお金の節約にもなる。
そんなことを思いながら、20%引きの見切り品を手にとって、まさに買い物カゴ入れようとした時、突然脇の方からこんな声が聞こえた。
「チョット待って下さい。半額のシールを貼りますよ」
顔をそちらに向けると、かなり高齢の女性店員が、シール貼りの道具を持って立っていた。タイミング良く追加値引き対象の商品を選んだのだった。それを店員さんに手渡すと、その場で半額値引きのシールを貼ってくれた。
「ラッキー」
とおもわずつぶやいてしまった。
私たちが半額値引き商品を運良く手に入れたのを遠目で見ていたのだろう、女性店員の周りには、数人の買い物客が集まってきた。次に半額シールを貼る商品はどれなのか、シールが貼られたらいち早くそれをゲットしようとねらっていたのであった。
値引き販売は、地球にも店側にも買い物客にとっても利点のある販売方法なのであるが、セブンイレブンではその販売方法を、加盟店に対して制限していたというのだ。毎日新聞のウェブ版「毎日JP」によれば、『取引上の優位的地位を利用して、消費期限が近づいた弁当やおにぎりを値引きして売る「見切り販売」を不当に制限していたとして、公正取引委員会は独占禁止法違反(不公正な取引方法)で排除措置命令を出す方針を決めた。』ということだ。
〔毎日新聞 2009年5月28日 22時05分〕
(最終更新 5月29日 8時21分)
本来、見切り販売は加盟店側の裁量で自由でできるのだが、セブン−イレブンジャパンはそれを不当に制限していたということなのだ。見切り販売の品物だけをねらう購入者が増えることを危惧しているのかもしれないが、そういう心配などする前に、地球環境改善への取り組み姿勢を見せることの方が、企業イメージを上げるためには大切なことではないだろうか。
2009年05月30日
千葉県で感染者
車内あるいはホームでマスクをしている人は、かなり減った。榊原記念病院の面会受付でも、咳・発熱の有無を訊かれることはなく、院内でのマスク着用も任意となっていた。
このように新型インフルエンザの流行は、現時点では衰退の方向に向かっている。そんなふうに思っていたところ、深夜のニュースで新たに女性の感染者が発生したことを伝えていた。成田空港の飲食店で働く19歳の女性で、こともあろうに佐倉市在住ということだ。
新たな感染者は、木曜日に咳がでるようになり、金曜日には39度の熱がでて、現在成田市内の病院に入院しているそうである。さらに詳しい情報は、明日になれば分かってくることだろう。
このように新型インフルエンザの流行は、現時点では衰退の方向に向かっている。そんなふうに思っていたところ、深夜のニュースで新たに女性の感染者が発生したことを伝えていた。成田空港の飲食店で働く19歳の女性で、こともあろうに佐倉市在住ということだ。
新たな感染者は、木曜日に咳がでるようになり、金曜日には39度の熱がでて、現在成田市内の病院に入院しているそうである。さらに詳しい情報は、明日になれば分かってくることだろう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年05月27日
ライティング実習
写真教室は昨日で5回目となり、全10回の講座の半分が終了した。昨日は教室を変えて、いままでより3倍程度広い部屋で、ライティングの実習をした。その教室は、エクステンションセンターから5分程度歩いたところに建つ校舎の中にある。本来は学生用の教室がある建物だが、その一部をオープンカレッジ用として転用している。
廊下で前の講義が終わるのを待っている時、見知った顔の年配の女性がやって来て、その人に軽く会釈をしたことがきっかけとなり、しばらく立ち話をすることになった。講義の際にたびたび発言して、特に印象に残っていた人だ。こういう時はだいたいのところ、軽く会釈しただけで、その後は共にだんまりを決め込むことが多いのだが、立ち話をすることになったのは、その人が話し好きだったからだろう。立ち話といっても、相手が一方的に話す時間の方が長く、こちらは聞き役となっていることが多かった。
聞くところによれば、その人はもう10年間もオープンカレッジに通っているということだった。大学と違って、オープンカレッジには卒業ということがないから、10年間もの長きに亘って通い詰めることできるのだ。各講座には単位数が割り振られていて、一定の単位数を取得すると修了証が授与される。ということだから、その人はすでに何枚かの修了証を手にしているかもしれない。
オープンカレッジには、3万人近くが在学していること、将来の少子化を見越して、20年前にオープンカレッジを開校したのは先見の明があったこと、そんなことを拝聴していると、そこへ写真教室の先生が、山登りにでも使いそうな大きなリュックサックを背負い、両手にはヨドバシカメラの大きな紙袋をさげてやって来た。と、その人はツカツカと駆け寄り、大きな紙袋を先生の手からムリヤリ奪ってしまった。そうなると、黙って見ているわけにも行かない。今度はその人から、紙袋の一つを奪うことになった。
あとで分かったことだが、大きなリュックサックの中には、三脚が2本、ライト用のスタンドが4本入っていた。すでに写真集も出し、プロの写真家として食べていける身分になっているにちがいないのだから、こんな苦労などしなくてもよさそうなものなのにと思う反面、どんな初心者に対しても、手抜きをせずに相対するのは、指導する立場にある者の務めでもあるな、などとも思うのだった。
ライティングの実習は、被写体となる器をのせるための机だけを残して、すべて教室の片側に寄せ、カーテンを閉め、部屋の明かりを消して行われた。その模様の詳しい説明は省略する。
ライティング実習の様子

作品の一部

ISO:100 絞り:3.4 露出時間:1/5秒 焦点距離:23o

ISO:800 絞り:3.9 露出時間:1/10秒 焦点距離:46o
廊下で前の講義が終わるのを待っている時、見知った顔の年配の女性がやって来て、その人に軽く会釈をしたことがきっかけとなり、しばらく立ち話をすることになった。講義の際にたびたび発言して、特に印象に残っていた人だ。こういう時はだいたいのところ、軽く会釈しただけで、その後は共にだんまりを決め込むことが多いのだが、立ち話をすることになったのは、その人が話し好きだったからだろう。立ち話といっても、相手が一方的に話す時間の方が長く、こちらは聞き役となっていることが多かった。
聞くところによれば、その人はもう10年間もオープンカレッジに通っているということだった。大学と違って、オープンカレッジには卒業ということがないから、10年間もの長きに亘って通い詰めることできるのだ。各講座には単位数が割り振られていて、一定の単位数を取得すると修了証が授与される。ということだから、その人はすでに何枚かの修了証を手にしているかもしれない。
オープンカレッジには、3万人近くが在学していること、将来の少子化を見越して、20年前にオープンカレッジを開校したのは先見の明があったこと、そんなことを拝聴していると、そこへ写真教室の先生が、山登りにでも使いそうな大きなリュックサックを背負い、両手にはヨドバシカメラの大きな紙袋をさげてやって来た。と、その人はツカツカと駆け寄り、大きな紙袋を先生の手からムリヤリ奪ってしまった。そうなると、黙って見ているわけにも行かない。今度はその人から、紙袋の一つを奪うことになった。
あとで分かったことだが、大きなリュックサックの中には、三脚が2本、ライト用のスタンドが4本入っていた。すでに写真集も出し、プロの写真家として食べていける身分になっているにちがいないのだから、こんな苦労などしなくてもよさそうなものなのにと思う反面、どんな初心者に対しても、手抜きをせずに相対するのは、指導する立場にある者の務めでもあるな、などとも思うのだった。
ライティングの実習は、被写体となる器をのせるための机だけを残して、すべて教室の片側に寄せ、カーテンを閉め、部屋の明かりを消して行われた。その模様の詳しい説明は省略する。
ライティング実習の様子

作品の一部

ISO:100 絞り:3.4 露出時間:1/5秒 焦点距離:23o

ISO:800 絞り:3.9 露出時間:1/10秒 焦点距離:46o
posted by 里実福太朗 at 00:00| 写真
2009年05月25日
白いバラ

「バラがきれいネー」
と言葉を交わしながら通りすぎていった。
先週、そのバラの花の写真を撮った。赤いバラは案外うまく撮れたのだが、白いバラは失敗した。そこで翌日取り直したところ、今度はうまく撮れたのだった。その白いバラの写真をブログに載せようと思っていたのだが、すっかり忘れてしまっていた。通りすがりの人が、そのことを思い出させてくれた。
以下のすべての写真について
ISO:200
露出優先モード
絞り:11.0 焦点距離:12o 露出時間:1/125 露出補正:0.0

1(左)‥絞り:4.0 焦点距離:49o 露出時間:1/1250 露出補正:0.0
2(右)‥絞り:4.0 焦点距離:49o 露出時間:1/1000 露出補正:0.3


3(左)‥絞り:4.0 焦点距離:49o 露出時間:1/800 露出補正:0.7
4(右)‥絞り:4.0 焦点距離:49o 露出時間:1/640 露出補正:1.0


露出補正を1.0にした「4」の写真が、一番白色が明るく輝いて写っているが、花びらの輪郭が少しぼやけた感じになっている。白のあざやかさは少し劣るが、露出補正が0.7の「3」の写真の方が、花びらの輪郭がはっきりと映し出されている。ということで、1〜4の写真の中から一枚選ぶとすれば、「3」を選びたい。
posted by 里実福太朗 at 23:41| 里ふくろうの日乗
2009年05月24日
マスクは無料配布を!
昨日は初夏を思わせる暑さだったが、今日はうって変わって、雨の降る寒い日となった。
新型インフルエンザ騒動は、日本国内で初めての感染者が報告されて以来一週間が経ち、落ち着きを取り戻しつつある。「毎日JP」によると(2009年5月24日21時03分の記事)、国内感染者は337人、成田空港の検疫で感染確認された5人(日本人4人+韓国人1人)を加えると342人となったらしい。また、世界保健機構などによると(日本時間24日午後8時現在)、感染者は48カ国・地域で12,523人、死者は4カ国で92人となっているそうだ。
昨日の土曜日、入院している人を見舞うために、京王線の飛田給まで電車を利用した。車内あるいはホームには、マスクをつけた人の姿が先週より多く見受けられた。京成では駅員さんをはじめとして、運転手さんまでもマスクをつけていた。運転室ではたった一人なのに、マスクをしなければならない必然性というものがあるのだろうか。せめて運転中だけでも、マスクなどしなくてもいいようなものだが。
病院の面会受付では、咳や熱はないかと尋ねられた。今まではそのようなことはきかれなかった。さらに院内ではマスクをつけるよう言われた。もちろんマスクは持参していたので問題はなかったのだが、マスクを持ち合わせていない場合はどうなったのだろうか。マスクをもらうことができたのだろうか、それとも面会を断られたのだろうか。
ICUとかCCUでは、その区域に入る際、手を消毒してマスクを着用することが義務付けられていた。マスクについては、消毒器具の側にサージカルマスクが用意されていて、それを利用することができた。
マスクは、相変わらず品切れ状態が続いている。感染予防対策としてマスクの大切さが喧伝されているというのに、肝心のマスクが品切れで手に入らないというのではまったく意味がない。マスク着用をすすめるなら、行政はいち早くマスク供給のための手を打ち、病院とか薬局を通じて無料で配布して、混乱を避けるべきなのである。そういうところにこそ、税金を使うべきなのである。
新型インフルエンザ騒動は、日本国内で初めての感染者が報告されて以来一週間が経ち、落ち着きを取り戻しつつある。「毎日JP」によると(2009年5月24日21時03分の記事)、国内感染者は337人、成田空港の検疫で感染確認された5人(日本人4人+韓国人1人)を加えると342人となったらしい。また、世界保健機構などによると(日本時間24日午後8時現在)、感染者は48カ国・地域で12,523人、死者は4カ国で92人となっているそうだ。
昨日の土曜日、入院している人を見舞うために、京王線の飛田給まで電車を利用した。車内あるいはホームには、マスクをつけた人の姿が先週より多く見受けられた。京成では駅員さんをはじめとして、運転手さんまでもマスクをつけていた。運転室ではたった一人なのに、マスクをしなければならない必然性というものがあるのだろうか。せめて運転中だけでも、マスクなどしなくてもいいようなものだが。
病院の面会受付では、咳や熱はないかと尋ねられた。今まではそのようなことはきかれなかった。さらに院内ではマスクをつけるよう言われた。もちろんマスクは持参していたので問題はなかったのだが、マスクを持ち合わせていない場合はどうなったのだろうか。マスクをもらうことができたのだろうか、それとも面会を断られたのだろうか。
ICUとかCCUでは、その区域に入る際、手を消毒してマスクを着用することが義務付けられていた。マスクについては、消毒器具の側にサージカルマスクが用意されていて、それを利用することができた。
マスクは、相変わらず品切れ状態が続いている。感染予防対策としてマスクの大切さが喧伝されているというのに、肝心のマスクが品切れで手に入らないというのではまったく意味がない。マスク着用をすすめるなら、行政はいち早くマスク供給のための手を打ち、病院とか薬局を通じて無料で配布して、混乱を避けるべきなのである。そういうところにこそ、税金を使うべきなのである。
posted by 里実福太朗 at 23:33| 里ふくろうの日乗
2009年05月21日
ガソリン値上がりの原因
近頃、WTIの原油先物価格が値上がりしている。すこし前までは、50ドルを割っていたのだが、60ドルあたりまで上がっている。この値上がりの原因は、たぶん新型インフルエンザがメキシコで発生したからだろう。
去年、メキシコ湾でハリケーンが発生した時も、一時的に原油価格が高騰した。これはWTIの原油先物価格が、西テキサス地方で産出される原油量に依存しているためだ。ハリケーンの被害に遭い、生産量が減少するのではないかと危惧されたからだった。
今回の原油値上がりも、インフルエンザが引き金となったのだろう。午後、いつも利用するセルフのガソリンスタンドに行って給油したのだが、リッターあたり109円だった。来週には、もう少し値上がりするかもしれない。メキシコ・アメリカ南部でのインフルエンザ流行がおさまれば、再び50ドル以下に戻ると思われる。
ガソリン給油後、引き続きドラッグストア「カワチ」に行った。マスクは、花粉症対策でまとめ買いしておいたものが、まだかなり残っている。当面マスクを購入する必要はなかったが、価格がどの程度になっているかという興味があったので、売り場をさがしてみた。マスクは全くなく、入荷待ちという貼り紙があった。
たまたま花粉症でマスクが手放せない時期があったことで、未使用のマスクが手元に残っていた。それが役に立つことになったのだ。こんなところで、花粉症であることの恩恵を受けられるとは思ってもみなかった。
去年、メキシコ湾でハリケーンが発生した時も、一時的に原油価格が高騰した。これはWTIの原油先物価格が、西テキサス地方で産出される原油量に依存しているためだ。ハリケーンの被害に遭い、生産量が減少するのではないかと危惧されたからだった。
今回の原油値上がりも、インフルエンザが引き金となったのだろう。午後、いつも利用するセルフのガソリンスタンドに行って給油したのだが、リッターあたり109円だった。来週には、もう少し値上がりするかもしれない。メキシコ・アメリカ南部でのインフルエンザ流行がおさまれば、再び50ドル以下に戻ると思われる。
ガソリン給油後、引き続きドラッグストア「カワチ」に行った。マスクは、花粉症対策でまとめ買いしておいたものが、まだかなり残っている。当面マスクを購入する必要はなかったが、価格がどの程度になっているかという興味があったので、売り場をさがしてみた。マスクは全くなく、入荷待ちという貼り紙があった。
たまたま花粉症でマスクが手放せない時期があったことで、未使用のマスクが手元に残っていた。それが役に立つことになったのだ。こんなところで、花粉症であることの恩恵を受けられるとは思ってもみなかった。
posted by 里実福太朗 at 22:34| 里ふくろうの日乗
2009年05月20日
東京都で感染者が出て、バラが咲いた
ついに東京都でも、新型インフルエンザの感染者が出た。昨日ニューヨークから帰国した八王子在住の女子高生ということだ。昨日は写真講座に出席するため、京成線を利用した。その女子高生が京成線を利用したとなると、同じ車両に乗り合わせたという可能性が、全くないとは言い切れない。そのことが気になってニュースを注視していたところ、その女子高生は、成田からリムジンバスで帰宅したということだった。
しかしこれからも感染帰国者が京成線を利用する可能性はあるかもしれないので、注意を怠らないようにするに越したことはないだろう。
庭の道路際に、紅白のバラの花が咲いた。撮影の練習にとって、うってつけの被写体の出現を逃す手はない。さっそく仕入れた知識を試してみた。赤い花は比較的うまく撮れたのだが、白い花がむずかしい。いわゆる白飛びという現象なのだろう、花びらの輪郭が消えてしまって、花としての姿が失われてしまう。ホワイトバランスの設定を変更する必要があるのだろう。

絞りを開いて背景をぼかし、深みのある赤を出すために、マイナスの露出補正をしてみた。

下の写真は、すこし明るすぎた。
しかしこれからも感染帰国者が京成線を利用する可能性はあるかもしれないので、注意を怠らないようにするに越したことはないだろう。
庭の道路際に、紅白のバラの花が咲いた。撮影の練習にとって、うってつけの被写体の出現を逃す手はない。さっそく仕入れた知識を試してみた。赤い花は比較的うまく撮れたのだが、白い花がむずかしい。いわゆる白飛びという現象なのだろう、花びらの輪郭が消えてしまって、花としての姿が失われてしまう。ホワイトバランスの設定を変更する必要があるのだろう。

絞りを開いて背景をぼかし、深みのある赤を出すために、マイナスの露出補正をしてみた。

下の写真は、すこし明るすぎた。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年05月18日
マスクが足りない
以前エクステンションセンターから送られてきたハガキには、人から人への感染が確認された時点で休講となる旨が記載されていた。すでに関西地方では、特に高校生を中心に、人から人への感染が急速に拡大している。従ってハガキによる連絡によれば、明日の講座は休講になるところだ。
しかしそのハガキには、センターのホームページを頻繁に確認して下さいとも記されていたので、念のためチェックしてみた。今のところ、関東地方では感染者は報告されていない。そういうことも理由の一つとしてあるのだろう、ホームページには今日の日付で、18日以降の講座は予定通り開講するというお知らせが載っていた。
先週の土曜日には写真塾が始まり、毎土曜日に訪問していた榊原記念病院に行くことができなかった。その振り替えとして、今日お見舞いに行ってきた。関東地方ではまだ感染者が発生していないが、感染予防対策としてマスクを持って出かけた。成田空港発の特急は避け、普通電車を利用することにした。乗り込んだ車両には、マスクを掛けている人が6人と、予想に反して少なめだった。
途中津田沼駅で、快速特急の待ち合わせがあり、そちらに乗り換えようかなとも思ったが、入線してきた電車を見ると、かなり混雑していたので断念した。各駅停車で上野まで行くには時間がかかりすぎるので、八幡駅で地下鉄新宿線に乗り換えることにした。
関東地方でもマスクが品不足になっているそうだ。ある人の話によると、マスクを買い求めに行ったところ、サージカルマスクが一枚30円で、一人5枚までだったそうだ。以前花粉症対策として、近所のスーパーマーケットで営業している薬局で、サージカルマスクを50枚入りの箱で買ったのだが、その時の価格は500円だったと思う。ただし中国製で業務用となっていた。日本製のものは価格が高いそうだから、ある人が買い求めたものは、日本製だったのかもしれない。ただ、バラで売っていたそうだから、製造国の確認はできない可能性がある。
こういう状況になることを見越して、すでにマスクをたっぷりと買い占めて、一儲けすることを企んでいる人間もいるかもしれない。そうなるとマスクはさらに品不足となり、価格が高騰することになってしまう。かつてのトイレットペーパー騒動の再現とならなければよいのだが。
しかしそのハガキには、センターのホームページを頻繁に確認して下さいとも記されていたので、念のためチェックしてみた。今のところ、関東地方では感染者は報告されていない。そういうことも理由の一つとしてあるのだろう、ホームページには今日の日付で、18日以降の講座は予定通り開講するというお知らせが載っていた。
先週の土曜日には写真塾が始まり、毎土曜日に訪問していた榊原記念病院に行くことができなかった。その振り替えとして、今日お見舞いに行ってきた。関東地方ではまだ感染者が発生していないが、感染予防対策としてマスクを持って出かけた。成田空港発の特急は避け、普通電車を利用することにした。乗り込んだ車両には、マスクを掛けている人が6人と、予想に反して少なめだった。
途中津田沼駅で、快速特急の待ち合わせがあり、そちらに乗り換えようかなとも思ったが、入線してきた電車を見ると、かなり混雑していたので断念した。各駅停車で上野まで行くには時間がかかりすぎるので、八幡駅で地下鉄新宿線に乗り換えることにした。
関東地方でもマスクが品不足になっているそうだ。ある人の話によると、マスクを買い求めに行ったところ、サージカルマスクが一枚30円で、一人5枚までだったそうだ。以前花粉症対策として、近所のスーパーマーケットで営業している薬局で、サージカルマスクを50枚入りの箱で買ったのだが、その時の価格は500円だったと思う。ただし中国製で業務用となっていた。日本製のものは価格が高いそうだから、ある人が買い求めたものは、日本製だったのかもしれない。ただ、バラで売っていたそうだから、製造国の確認はできない可能性がある。
こういう状況になることを見越して、すでにマスクをたっぷりと買い占めて、一儲けすることを企んでいる人間もいるかもしれない。そうなるとマスクはさらに品不足となり、価格が高騰することになってしまう。かつてのトイレットペーパー騒動の再現とならなければよいのだが。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年05月17日
人から人へ
新型インフルエンザは、ついに人から人への二次感染が兵庫で発生して、新たな段階に入った。その後またたくまに感染者が増え、また大阪でも発生し、現在(午後11時過ぎ)の時点で56人となった。
外国から持ち込まれた「H1N1亜型由来豚インフルエンザの菌」は、誰の体に入り込んで関西まで運ばれたのだろうか。感染経路はまだ把握されていないが、運ばれていく途中で、インフルエンザ菌は息をひそめ、しめしめとほくそ笑んでいたことだろう。その様子を思い浮かべると、不謹慎とは思いつつも、なんとなくおかしみを感じてしまう。ただ、こんな適当なことを思っていられるのも、我が身に菌が入り込んでいないからで(たぶん)、体の節々に痛みを感じて熱が出てくれば、そんな余裕はなどなくなってしまうことだろう。
ここまで入力した時(11時15分)、テレビに速報が流れた。大阪で感染者が増え、合計で78人になったということだ。
何日か前に都心に出た際、京成電車の快速特急を利用したのだが、心配していた外国帰りの人あるいは外国からの観光客の姿は見えなかった。次の日、神田小川町に、壊れたレンズの修理依頼に行った際、また快速特急を利用した。今度は昼過ぎの時刻だったせいか、大型のスーツケースを携えた人がたくさん席を占めていて、車内にはいつもとはまったく違った雰囲気が漂っていた。
彼らは成田空港での検疫で問題なしとなった人たちであるのに違いないのだが、彼らの中には発症していないだけで、菌を保有している人がかもしれない。そう想像すると、車内に菌が充満しているような気分になり、急に息苦しさを感じてきた。これからは外出の際にはマスクをカバンに入れ、電車に乗る時はマスクをかけるようにしようと思うのだった。
外国から持ち込まれた「H1N1亜型由来豚インフルエンザの菌」は、誰の体に入り込んで関西まで運ばれたのだろうか。感染経路はまだ把握されていないが、運ばれていく途中で、インフルエンザ菌は息をひそめ、しめしめとほくそ笑んでいたことだろう。その様子を思い浮かべると、不謹慎とは思いつつも、なんとなくおかしみを感じてしまう。ただ、こんな適当なことを思っていられるのも、我が身に菌が入り込んでいないからで(たぶん)、体の節々に痛みを感じて熱が出てくれば、そんな余裕はなどなくなってしまうことだろう。
ここまで入力した時(11時15分)、テレビに速報が流れた。大阪で感染者が増え、合計で78人になったということだ。
何日か前に都心に出た際、京成電車の快速特急を利用したのだが、心配していた外国帰りの人あるいは外国からの観光客の姿は見えなかった。次の日、神田小川町に、壊れたレンズの修理依頼に行った際、また快速特急を利用した。今度は昼過ぎの時刻だったせいか、大型のスーツケースを携えた人がたくさん席を占めていて、車内にはいつもとはまったく違った雰囲気が漂っていた。
彼らは成田空港での検疫で問題なしとなった人たちであるのに違いないのだが、彼らの中には発症していないだけで、菌を保有している人がかもしれない。そう想像すると、車内に菌が充満しているような気分になり、急に息苦しさを感じてきた。これからは外出の際にはマスクをカバンに入れ、電車に乗る時はマスクをかけるようにしようと思うのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年05月16日
写真塾開講
いよいよ写真塾が開講した。一回目の今日は、開校式と神楽坂のロケが予定されていた。開校式はギャラリー中庭で行われることになっていたが、寒空から今にも雨が落ちてきそうな空模様なので、急きょビルの地下二階に変更となった。中庭のベンチに座って待っていると、スタッフの若者が呼びに来てくれた。
参加者は16人、男性が5人女性が11人だった。年代は私を除き、20代(たぶん)から50代(たぶん)と、写真教室に比べて幅が広かった。同年代の人がいないのが少しさびしい。最も遠隔の地から参加した人は、伊那の女性だった。
まずはお決まりの自己紹介があったが、話の内容で分かったことがあった。この写真塾への参加回数が、2〜5回目の人が多かったのだ。新人は5人だけだった。その後ビールで乾杯してから親睦会に移り、しばらく雑談して過ごした。
神楽坂ロケでは、写真塾にすでに複数回参加している人たちは、適当にグループを作り街に散らばっていった。新人は、講師の先生と一緒に歩きながら説明を聞いたり、先生が撮影する様子を注意深く観察したりという具合に、ゾロゾロと歩いて行った。このくらいの人数であれば、カメラを持ってパチリパチリとやっていても、まあ不審者に思われることはないだろう。
神楽坂で出会ったイヌ

参加者は16人、男性が5人女性が11人だった。年代は私を除き、20代(たぶん)から50代(たぶん)と、写真教室に比べて幅が広かった。同年代の人がいないのが少しさびしい。最も遠隔の地から参加した人は、伊那の女性だった。
まずはお決まりの自己紹介があったが、話の内容で分かったことがあった。この写真塾への参加回数が、2〜5回目の人が多かったのだ。新人は5人だけだった。その後ビールで乾杯してから親睦会に移り、しばらく雑談して過ごした。
神楽坂ロケでは、写真塾にすでに複数回参加している人たちは、適当にグループを作り街に散らばっていった。新人は、講師の先生と一緒に歩きながら説明を聞いたり、先生が撮影する様子を注意深く観察したりという具合に、ゾロゾロと歩いて行った。このくらいの人数であれば、カメラを持ってパチリパチリとやっていても、まあ不審者に思われることはないだろう。
神楽坂で出会ったイヌ


posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年05月14日
新入社員の研修期間
車の12ヵ月点検のために、ホンダの営業店に行ってきた。ハイブリッドカーの売れ行きが好調で、それを裏付けるように、平日というのに店内には先客が二組ほどいた。
応対してくれた店員さんと、待っている間に少し雑談した。彼は4月に入社した新入社員だった。現在はまだ研修期間で、たまたまその営業所に配置されたらしい。3ヶ月間の研修期間は、去年までは、まづ工場で研修が行われたそうだが、今年は工場があまり忙しくないので、営業店で行われているということだった。自動車の販売不振が、研修にも影響を及ぼしているのだった。
もう40年ほど前になるが、4月に新入社員になった時、やはり3ヵ月の研修があった。その時は、東京近辺の工場をいくつも見学した。さらに青梅の電子計算機工場で、実際に部品の組み立てラインに入り、工場勤務の人たちと一緒に部品組み立ての作業をした。
細かい作業は苦手ではないのだが、決められた時間内に決められたペースで作業をしなければならないことは一番の苦手だった。一定間隔で次から次へと送られてくる部品を、何が何でも一定のスピードで処理しないと、私のところにどんどんたまってしまうことになる。そういう状態にならないように必死で作業する。そんなふうにせかされながら、追い立てられながら作業をすることが一番の苦手なのだ。
ある一定時間内に処理する部品数が決められていて、その時間内に、ある時は早くある時はゆっくりというふうに、自分でペースを調節しながら、その数をこなすという仕事のシステムだったなら、たぶんそれほどの緊張感を味わうことはなかっただろう。
向き不向きということは、どうしようもないことで、そのまま部品組み立てラインの仕事が長期間続くようだったら、研修期間が終わる前に退職してしまったかもしれない。研修期間内の限られた日数だったから耐えることができたのだろう。
12ヵ月点検は、2時間弱ほどかかる。研修期間の大切な時間を、いつまでも当方の雑談に付き合ってもらうのも悪いので、適当な頃合いを見計らって切り上げ、隣の市の図書館まで歩いて行き、時間をつぶしたのだった。
応対してくれた店員さんと、待っている間に少し雑談した。彼は4月に入社した新入社員だった。現在はまだ研修期間で、たまたまその営業所に配置されたらしい。3ヶ月間の研修期間は、去年までは、まづ工場で研修が行われたそうだが、今年は工場があまり忙しくないので、営業店で行われているということだった。自動車の販売不振が、研修にも影響を及ぼしているのだった。
もう40年ほど前になるが、4月に新入社員になった時、やはり3ヵ月の研修があった。その時は、東京近辺の工場をいくつも見学した。さらに青梅の電子計算機工場で、実際に部品の組み立てラインに入り、工場勤務の人たちと一緒に部品組み立ての作業をした。
細かい作業は苦手ではないのだが、決められた時間内に決められたペースで作業をしなければならないことは一番の苦手だった。一定間隔で次から次へと送られてくる部品を、何が何でも一定のスピードで処理しないと、私のところにどんどんたまってしまうことになる。そういう状態にならないように必死で作業する。そんなふうにせかされながら、追い立てられながら作業をすることが一番の苦手なのだ。
ある一定時間内に処理する部品数が決められていて、その時間内に、ある時は早くある時はゆっくりというふうに、自分でペースを調節しながら、その数をこなすという仕事のシステムだったなら、たぶんそれほどの緊張感を味わうことはなかっただろう。
向き不向きということは、どうしようもないことで、そのまま部品組み立てラインの仕事が長期間続くようだったら、研修期間が終わる前に退職してしまったかもしれない。研修期間内の限られた日数だったから耐えることができたのだろう。
12ヵ月点検は、2時間弱ほどかかる。研修期間の大切な時間を、いつまでも当方の雑談に付き合ってもらうのも悪いので、適当な頃合いを見計らって切り上げ、隣の市の図書館まで歩いて行き、時間をつぶしたのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
レンズが壊れた
今日はバレンタイン監督の59歳の誕生日、それをプロ入り初完封で祝ったのが大嶺投手だった。さらに5本のホームランを九州の空に打ち上げて、誕生日を祝福した。そしてめでたく最下位を脱出して、いっきに4位に浮上した。
近頃常用している標準レンズの具合が悪くなってしまった。シャッターボタンを半押してピントを合わせようとしても、焦点が合ったことを示す赤い丸マークが点滅を続けていて、いつまでたっても点灯しない。その間レンズからはカシャカシャという変な音が聞こえてくる。土曜日からは写真塾が始まるというのに、まったく困ったことになった。
このレンズは昨年の12月に購入した。オリンパスの「ZUIKO DIGITAL ED12-60mm」という製品だ。写真塾への参加申し込みをして、せめてレンズだけでももう少し明かるくて良いものにしておきたいと思い、無けなしの金をはたいて購入したのだった。保証期間は1年なのに、わずか4ヵ月あまりで故障してしまった。まあ保証期間内であったことを喜ぶべきかもしれないが‥‥。
オリンパスのサービスステーション(パーソナル製品)は、神田小川町にある。ネットで調べて、持ち込んで修理を依頼することができることも分かった。もちろん送付して修理を依頼することもできるが、急ぐ必要があるので持ち込むことにした。
午後のサービスステーションには、受付の人が二人だけで閑散としていた。係りの人がカメラを手にとって確認したところ、こちらの予想通りレンズのAF(オートフォーカス)の障害であるらしく、引き取り修理となった。保証期間内だからもちろん修理代は無償だ。
修理預かり書ができあがるのを待っている間に、アウトドア用のベストを身につけた年寄りが部屋に入ってきた。そして私のレンズより、大きさも重さも価格も2倍以上もありそうなレンズをカウンターにのせて、苛立ちを周囲にまき散らしながら障害の内容を説明しだした。購入時期は私と同じく昨年の12月だった。係りの人は、そのレンズを持って奥の部屋に入り、しばらくしてから出てきて、モーターの故障だろうと説明した。
修理預かり書には、こちらに引き渡される予定日が5月22日となっていた。それ以前に修理が完了することもあるそうだが、土曜日の写真塾には間に合いそうにもない。悪くすると来週火曜日の写真教室にも間に合わないかもしれない。それまでは古いレンズを使っているより仕方がない。
近頃常用している標準レンズの具合が悪くなってしまった。シャッターボタンを半押してピントを合わせようとしても、焦点が合ったことを示す赤い丸マークが点滅を続けていて、いつまでたっても点灯しない。その間レンズからはカシャカシャという変な音が聞こえてくる。土曜日からは写真塾が始まるというのに、まったく困ったことになった。
このレンズは昨年の12月に購入した。オリンパスの「ZUIKO DIGITAL ED12-60mm」という製品だ。写真塾への参加申し込みをして、せめてレンズだけでももう少し明かるくて良いものにしておきたいと思い、無けなしの金をはたいて購入したのだった。保証期間は1年なのに、わずか4ヵ月あまりで故障してしまった。まあ保証期間内であったことを喜ぶべきかもしれないが‥‥。
オリンパスのサービスステーション(パーソナル製品)は、神田小川町にある。ネットで調べて、持ち込んで修理を依頼することができることも分かった。もちろん送付して修理を依頼することもできるが、急ぐ必要があるので持ち込むことにした。
午後のサービスステーションには、受付の人が二人だけで閑散としていた。係りの人がカメラを手にとって確認したところ、こちらの予想通りレンズのAF(オートフォーカス)の障害であるらしく、引き取り修理となった。保証期間内だからもちろん修理代は無償だ。
修理預かり書ができあがるのを待っている間に、アウトドア用のベストを身につけた年寄りが部屋に入ってきた。そして私のレンズより、大きさも重さも価格も2倍以上もありそうなレンズをカウンターにのせて、苛立ちを周囲にまき散らしながら障害の内容を説明しだした。購入時期は私と同じく昨年の12月だった。係りの人は、そのレンズを持って奥の部屋に入り、しばらくしてから出てきて、モーターの故障だろうと説明した。
修理預かり書には、こちらに引き渡される予定日が5月22日となっていた。それ以前に修理が完了することもあるそうだが、土曜日の写真塾には間に合いそうにもない。悪くすると来週火曜日の写真教室にも間に合わないかもしれない。それまでは古いレンズを使っているより仕方がない。
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2009年05月10日
唐川投手楽天を完封
関東地方では気温が27・28度程度まであがり、暑い一日となった。連休後の最初の日曜日で、連休疲れを癒した人もいたのではないだろうか。新型ウイルスの日本人感染者がついに発生して、現在のところ4人となった。カナダから帰国した高校生3人とその引率の先生一人ということだ。成田の赤十字で隔離されているそうだ。
成田に住んでいる人は、あまりいい気はしないことだろう。ここ佐倉は成田からは離れているが、成田空港発の電車が通るので、過剰反応は良くないということは重々承知はしていても、よほどの用事でもない限り電車を利用しない方がいいかな、などとも思ってしまうのだ。
久しぶりで「とんでん」で食事をした。近頃ファミリーレストランがふるわないということを耳にするが、5時半を過ぎるとかなりの混雑となり、「とんでん」は不況風が吹く中がんばっているようだった。寿司・蕎麦・天ぷらのセットが、1500円前後で食べられるのだからありがたいことだ。
ノムさんの東北イーグルスとは相性が良く、この三連戦は2勝1敗で終わった。今日は成田高校出身で、プロ二年目19歳の唐川が完封した。開幕以来、先発投手陣が不振で最下位を低迷していたが、渡辺、清水が勝利をつかみ、光が少し見えてきた。交流戦前に最下位を脱出して、得意な交流戦で上位をねらって欲しいものだ。
雲行きがあやしいスタジアム上空

寒空のもと、ダンスショウが正面ステージで

お弁当を食べながら練習を見つめる。
この時は陽がさしていたのだが‥‥

とうとう雨が降り出した

小雨降る中、オープニングダンスが行われる

クールが観客席に乱入

雨がやみ試合再開

再開後、新加入の井口選手が2塁打を打つ

雨のため中止になった花火も復活

花火の煙で試合が中断

成田に住んでいる人は、あまりいい気はしないことだろう。ここ佐倉は成田からは離れているが、成田空港発の電車が通るので、過剰反応は良くないということは重々承知はしていても、よほどの用事でもない限り電車を利用しない方がいいかな、などとも思ってしまうのだ。
久しぶりで「とんでん」で食事をした。近頃ファミリーレストランがふるわないということを耳にするが、5時半を過ぎるとかなりの混雑となり、「とんでん」は不況風が吹く中がんばっているようだった。寿司・蕎麦・天ぷらのセットが、1500円前後で食べられるのだからありがたいことだ。
ノムさんの東北イーグルスとは相性が良く、この三連戦は2勝1敗で終わった。今日は成田高校出身で、プロ二年目19歳の唐川が完封した。開幕以来、先発投手陣が不振で最下位を低迷していたが、渡辺、清水が勝利をつかみ、光が少し見えてきた。交流戦前に最下位を脱出して、得意な交流戦で上位をねらって欲しいものだ。
雲行きがあやしいスタジアム上空

寒空のもと、ダンスショウが正面ステージで

お弁当を食べながら練習を見つめる。
この時は陽がさしていたのだが‥‥

とうとう雨が降り出した

小雨降る中、オープニングダンスが行われる

クールが観客席に乱入

雨がやみ試合再開

再開後、新加入の井口選手が2塁打を打つ

雨のため中止になった花火も復活

花火の煙で試合が中断

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2009年05月07日
白山御殿町から小日向台町まで
夏目漱石ほど作中人物を歩かせる作家はいないだろう。永井荷風は自分自身で東京を歩き回ったが、漱石は書斎に座って、作品の中で登場人物を歩き回らせる。昨日「琴のそら音」の粗筋を紹介したが、その作品中でも、漱石は「私」が歩く様子を実況中継している。
「琴のそら音」の「私」が歩いたのは、友人津田の下宿がある「白山御殿町」から、自宅のある小石川の奥の「小日向台町」までだ。御殿町を出たのが夜の11時に近い頃、家に着いたのが12時近くだから、1時間ほどの行程だった。それではこれから本文をたどって、「私」が歩いた道筋を確かめてみることにしよう。
なお、本文の引用は、「里実文庫」収録のもの(テキストの入力は「青空文庫」)を利用した。
琴のそら音:http://satobn.net/text/soseki/kotonosorane/v2kotonosorane-ruby-utf8n.html
■11時に近い頃
『「いずれその内婆さんに近づきになりに行くよ」と云う津田君に「御馳走をするから是非来たまえ」と云いながら白山御殿町の下宿を出る。』
●【白山御殿町】
現在「御殿町」という町名は失われている。現在の小石川植物園を含んでその北側に位置した町だったようだ。
■11時
『外套(がいとう)の襟(えり)を立てて盲唖(もうあ)学校の前から植物園の横をだらだらと下りた時、どこで撞(つ)く鐘だか夜の中に波を描いて、静かな空をうねりながら来る。十一時だなと思う。』
●【植物園の横のだらだら坂】
この坂は、「御殿坂」だろう。小石川植物園の東側を沿う坂である。この坂を下って行く時に、鐘の音を聞いて11時だろうと推測する。
『足早に交番の角を曲るとき、冷たい風に誘われてポツリと大粒の雨が顔にあたる。』
●【交番】
実在した交番だろうが、現在はそのあたりに交番はない。「私」そは交番のある角を右折する。しばらく進むと、現在は小石川植物園の正門がある。見学する場合は、道を隔ててすぐ近くにあるタバコ屋さんで入場券を求める。
『極楽水はいやに陰気なところである。近頃は両側へ長家(ながや)が建ったので昔ほど淋(さみ)しくはないが、その長家が左右共闃然(げきぜん)として空家(あきや)のように見えるのは余り気持のいいものではない。』
『こうやって極楽水を四月三日の夜の十一時に上(のぼ)りつつあるのは、ことによると死にに上ってるのかも知れない。――何だか上りたくない。しばらく坂の中途で立って見る。』
●【極楽水(ごくらくみず)】
右折した「私」は、小石川植物園に沿って歩き、新福寺あたりに至り左折する。新福寺は、かつて漱石が下宿したことのある寺で、このあたりの地理には詳しかったと思われる。そして極楽水近くの坂を登のぼるのだが、その坂の名前は記されていない。
極楽水という地名は、宋慶寺の極楽之井からわき出る名水を由来とする俗称だから、そのあたりの坂を通ったことになる。そうなると、「吹上坂」と考えるのが妥当なところだろう。現在は「小石川パークタワー」というマンションが近くにあり、そこにある小公園内に、「極楽之井」とされる井戸枠がある。
『竹早町を横ぎって切支丹坂(きりしたんざか)へかかる。なぜ切支丹坂と云うのか分らないが、この坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。』
●【竹早町】
竹早町という地名はすでに失われている。現在の小石川4丁目あたりである。古い地名が失われるのは、ほんとうに残念なことである。この町を横切って小日向に入って行く。
『坂道は暗い。滅多(めった)に下りると滑(すべ)って尻餅(しりもち)を搗(つ)く。険呑(けんのん)だと八合目あたりから下を見て覘(ねらい)をつける。暗くて何もよく見えぬ。左の土手から古榎(ふるえのき)が無遠慮に枝を突き出して日の目の通わぬほどに坂を蔽(おお)うているから、昼でもこの坂を下りる時は谷の底へ落ちると同様あまり善(い)い心持ではない。榎は見えるかなと顔を上げて見ると、あると思えばあり、無いと思えば無いほどな黒い者に雨の注ぐ音がしきりにする。』
●【切支丹坂】
現在の地図によると、切支丹坂は「切支丹屋敷跡」の北側の坂となっている。ただ、この位置にあると、竹早町を横切ったあとわざわざ遠回りすることになる。雨にも降られて一刻も早く家に帰り着きたいのだから、遠回りとなる道を選ぶはずはない。切支丹坂の南側にある庚申坂ならば、遠回りせずに小日向台町へと向かうことができるのだが…。
この疑問を解決してくれたのが、〔漱石の東京〕(武田勝彦、早稲田大学出版部、1997年5月)だった。
『昔の小日向茗荷谷町(現在の小日向一丁目十四、十六と二十四の間)にあった通商幽霊坂が正真正銘の切支丹坂である。従って、漱石自身も急旧版注釈者も切支丹坂に就いては黒星で、彼らが切支丹坂と思っていたのは庚申坂である。私の子どもの頃などは夜は怖くてこの坂は避けたものだ。』
本物の切支丹坂より庚申坂の方が、切支丹屋敷の怖ろしいイメージに似合っていることから、武田勝彦氏は、
『漱石はわざと誤謬と知っていても、小説のなかであるので、庚申坂を切支丹坂としたのかもしれない。』
とも述べている。
『この暗闇(まっくら)な坂を下りて、細い谷道を伝って、茗荷谷(みょうがだに)を向(むこう)へ上(あが)って七八丁行けば小日向台町(こびなただいまち)の余が家へ帰られるのだが、向へ上がるまでがちと気味がわるい。』
●【茗荷谷】
この谷には、現在、地下鉄の引き込み線が延びている。その下をトンネルが横切っているが、それが「私」がビクビクしながら伝って行った『細い谷道』である。
『坂を下り切ると細い谷道で、その谷道が尽きたと思うあたりからまた向き直って西へ西へと爪上(つまあが)りに新しい谷道がつづく。』
●【茗荷谷の新しい谷道】
武田勝彦氏によれば、この『新しい谷道』が、いわゆる「切支丹坂」ということになる。
■12時近い頃
『どこをどう歩行(ある)いたとも知らず流星のごとく吾家(わがや)へ飛び込んだのは十二時近くであろう。』
●【小日向台町(こびなただいまち)】
雨でぬかる坂道を、赤い火に怯えながら『息を切らして駆け上が』ったあとは、半ば無意識で歩いてやっとの思いで家にたどり着く。この間に歩いた道は、はっきりしない。
「琴のそら音」の「私」が歩いたのは、友人津田の下宿がある「白山御殿町」から、自宅のある小石川の奥の「小日向台町」までだ。御殿町を出たのが夜の11時に近い頃、家に着いたのが12時近くだから、1時間ほどの行程だった。それではこれから本文をたどって、「私」が歩いた道筋を確かめてみることにしよう。
なお、本文の引用は、「里実文庫」収録のもの(テキストの入力は「青空文庫」)を利用した。
琴のそら音:http://satobn.net/text/soseki/kotonosorane/v2kotonosorane-ruby-utf8n.html
■11時に近い頃
『「いずれその内婆さんに近づきになりに行くよ」と云う津田君に「御馳走をするから是非来たまえ」と云いながら白山御殿町の下宿を出る。』
●【白山御殿町】
現在「御殿町」という町名は失われている。現在の小石川植物園を含んでその北側に位置した町だったようだ。
■11時
『外套(がいとう)の襟(えり)を立てて盲唖(もうあ)学校の前から植物園の横をだらだらと下りた時、どこで撞(つ)く鐘だか夜の中に波を描いて、静かな空をうねりながら来る。十一時だなと思う。』
●【植物園の横のだらだら坂】
この坂は、「御殿坂」だろう。小石川植物園の東側を沿う坂である。この坂を下って行く時に、鐘の音を聞いて11時だろうと推測する。
『足早に交番の角を曲るとき、冷たい風に誘われてポツリと大粒の雨が顔にあたる。』
●【交番】
実在した交番だろうが、現在はそのあたりに交番はない。「私」そは交番のある角を右折する。しばらく進むと、現在は小石川植物園の正門がある。見学する場合は、道を隔ててすぐ近くにあるタバコ屋さんで入場券を求める。
『極楽水はいやに陰気なところである。近頃は両側へ長家(ながや)が建ったので昔ほど淋(さみ)しくはないが、その長家が左右共闃然(げきぜん)として空家(あきや)のように見えるのは余り気持のいいものではない。』
『こうやって極楽水を四月三日の夜の十一時に上(のぼ)りつつあるのは、ことによると死にに上ってるのかも知れない。――何だか上りたくない。しばらく坂の中途で立って見る。』
●【極楽水(ごくらくみず)】
右折した「私」は、小石川植物園に沿って歩き、新福寺あたりに至り左折する。新福寺は、かつて漱石が下宿したことのある寺で、このあたりの地理には詳しかったと思われる。そして極楽水近くの坂を登のぼるのだが、その坂の名前は記されていない。
極楽水という地名は、宋慶寺の極楽之井からわき出る名水を由来とする俗称だから、そのあたりの坂を通ったことになる。そうなると、「吹上坂」と考えるのが妥当なところだろう。現在は「小石川パークタワー」というマンションが近くにあり、そこにある小公園内に、「極楽之井」とされる井戸枠がある。
『竹早町を横ぎって切支丹坂(きりしたんざか)へかかる。なぜ切支丹坂と云うのか分らないが、この坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。』
●【竹早町】
竹早町という地名はすでに失われている。現在の小石川4丁目あたりである。古い地名が失われるのは、ほんとうに残念なことである。この町を横切って小日向に入って行く。
『坂道は暗い。滅多(めった)に下りると滑(すべ)って尻餅(しりもち)を搗(つ)く。険呑(けんのん)だと八合目あたりから下を見て覘(ねらい)をつける。暗くて何もよく見えぬ。左の土手から古榎(ふるえのき)が無遠慮に枝を突き出して日の目の通わぬほどに坂を蔽(おお)うているから、昼でもこの坂を下りる時は谷の底へ落ちると同様あまり善(い)い心持ではない。榎は見えるかなと顔を上げて見ると、あると思えばあり、無いと思えば無いほどな黒い者に雨の注ぐ音がしきりにする。』
●【切支丹坂】
現在の地図によると、切支丹坂は「切支丹屋敷跡」の北側の坂となっている。ただ、この位置にあると、竹早町を横切ったあとわざわざ遠回りすることになる。雨にも降られて一刻も早く家に帰り着きたいのだから、遠回りとなる道を選ぶはずはない。切支丹坂の南側にある庚申坂ならば、遠回りせずに小日向台町へと向かうことができるのだが…。
この疑問を解決してくれたのが、〔漱石の東京〕(武田勝彦、早稲田大学出版部、1997年5月)だった。
『昔の小日向茗荷谷町(現在の小日向一丁目十四、十六と二十四の間)にあった通商幽霊坂が正真正銘の切支丹坂である。従って、漱石自身も急旧版注釈者も切支丹坂に就いては黒星で、彼らが切支丹坂と思っていたのは庚申坂である。私の子どもの頃などは夜は怖くてこの坂は避けたものだ。』
本物の切支丹坂より庚申坂の方が、切支丹屋敷の怖ろしいイメージに似合っていることから、武田勝彦氏は、
『漱石はわざと誤謬と知っていても、小説のなかであるので、庚申坂を切支丹坂としたのかもしれない。』
とも述べている。
『この暗闇(まっくら)な坂を下りて、細い谷道を伝って、茗荷谷(みょうがだに)を向(むこう)へ上(あが)って七八丁行けば小日向台町(こびなただいまち)の余が家へ帰られるのだが、向へ上がるまでがちと気味がわるい。』
●【茗荷谷】
この谷には、現在、地下鉄の引き込み線が延びている。その下をトンネルが横切っているが、それが「私」がビクビクしながら伝って行った『細い谷道』である。
『坂を下り切ると細い谷道で、その谷道が尽きたと思うあたりからまた向き直って西へ西へと爪上(つまあが)りに新しい谷道がつづく。』
●【茗荷谷の新しい谷道】
武田勝彦氏によれば、この『新しい谷道』が、いわゆる「切支丹坂」ということになる。
■12時近い頃
『どこをどう歩行(ある)いたとも知らず流星のごとく吾家(わがや)へ飛び込んだのは十二時近くであろう。』
●【小日向台町(こびなただいまち)】
雨でぬかる坂道を、赤い火に怯えながら『息を切らして駆け上が』ったあとは、半ば無意識で歩いてやっとの思いで家にたどり着く。この間に歩いた道は、はっきりしない。
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2009年05月06日
許嫁のインフルエンザ
今日で、なにかと騒がしかった連休も終わりとなる。騒がしさの原因の第一はインフルエンザ、そのほかには1000円渋滞もあった。「毎日が日曜日」の人以外でも、今回の割引き対象外の大型トラックの運転手さんなども、さぞかしホッと胸をなで下ろしていることだろう。
土日祭日にETCを利用すれば、高速道利用料が1000円になるという割引きは、いったい何時まで適用されるのだろうか。予算には限りがあるのだから、いつまでも割引きが続くはずはない。いっときの甘い砂糖を味わったあとには、増税という苦い仕打ちが待っていることだろう。今、1000円という頭金だけを支払い、あとで残金の高額な請求書を突きつけられようなものだから、かえって高くつくことになる。
新型インフルエンザの感染者は、現在のところ全世界で1700人程度らしい。なんだ、騒いだ割にはたいしたことはないな、と思いたいところだが、流行がゆるやかに始まり、しばらくして下火になったとしても、秋以降に流行の第二波がやってきて、猛威をふるうという可能性もあるらしい。まだまだ安心はできないということのようだ。
たまたま夏目漱石の「琴のそら音」を読んだところ、「インフルエンザ」という言葉が使われてた。「琴のそら音」は、明治38年に発表された短編小説だ。「インフルエンザ」は、比較的新しい言葉ではないかと漠然と思っていたところに、今から100年以上も前の作品の中で、思いがけなくそんな言葉に接したものだからびっくりした。
調べてみると、1892年に北里柴三郎らが病原体の候補となる細菌を分離し、インフルエンザ菌と名付けたらしい。「琴のそら音」が発表される10年少し前のことだ。だから漱石がこの言葉を使うことには、なんら疑問を差し挟む余地はない。ただ、人々がインフルエンザの恐ろしさを知ることになるのは、1918年から1919年にかけて大流行したいわゆる「スペインかぜ」だった。
「琴のそら音」は、主人公の「私」が友人「津田」の下宿を訪ねた場面から始まる。許嫁のいる「私」は一軒の家をかまえ、身の回りの世話をしている老婆と一緒に暮らしている。迷信を信じるその『婆さん』は、野良犬の遠吠えに怯え、何か不吉なことが起きるのではないかと不安に思っている。
「津田」との雑談は、幽霊の話から始まり、「私」の未来の妻君の病気に関する話へと進んで行く。津田に『しかし病人は大丈夫かい』と尋ねられた「私」は、こう答える。
『大丈夫にきまってるさ。咳嗽(せき)は少し出るがインフルエンザなんだもの』
「私」は、インフルエンザだから大丈夫だと答えたのだ。インフルエンザに関しては、たいした病気ではないという甘い認識を示している。これに対して、やり取りは以下のように続く。
「インフルエンザ?」と津田君は突然余を驚かすほどな大きな声を出す。今度は本当に威嚇(おど)かされて、無言のまま津田君の顔を見詰める。
「よく注意したまえ」と二句目は低い声で云った。初めの大きな声に反してこの低い声が耳の底をつき抜けて頭の中へしんと浸(し)み込んだような気持がする。なぜだか分らない。細い針は根まで這入(はい)る、低くても透(とお)る声は骨に答えるのであろう。
「いや実はこう云う話がある。ついこの間の事だが、僕の親戚の者がやはりインフルエンザに罹(かか)ってね。別段の事はないと思って好加減(いいかげん)にして置いたら、一週間目から肺炎に変じて、とうとう一箇月立たない内に死んでしまった。その時医者の話さ。この頃のインフルエンザは性(たち)が悪い、じきに肺炎になるから用心をせんといかんと云ったが――実に夢のようさ。可哀(かわい)そうでね」と言い掛けて厭(いや)な寒い顔をする。
このやり取りでは、単なる風邪とインフルエンザとの区別をどのようにつけていたのか、その点は判然としない。ただ、風邪のような症状をインフルエンザと決めつけ、さらにたいした病気ではないと考えている節がうかがえる。
こんなふうに津田に注意された「私」は、とたんに許嫁の病状が気になってくる。「津田」の白山御殿町の下宿を出て、夜道を小日向台町の家に向かう時も、家に帰り着きイヌの遠吠えを聞きながら永い夜を過ごす間も、そのことが頭を離れることはなかった。
眠れぬ夜を過ごした翌朝、「私」は我慢できずついに四谷坂町の許嫁の家まで全速力で駆けつけてしまう。しかし許嫁は、『あら靖雄(やすお)さん!』とあっけに取られた風で「私」を迎える。
「インフルエンザは?」
「ええありがとう、もうさっぱり……」
「何ともないんですか」
「ええ風邪(かぜ)はとっくに癒(なお)りました」
どのようにしてインフルエンザではないと判断したのかはよく分からないが、ともかく単なる風邪だったようだ。話はもう少し続くが、このあたりで筋を追うのは終わりにしておこう。新型インフルエンザの流行が懸念されているこの時期に、たまたま読んだ漱石の作品に、インフルエンザのことが描かれていたのも奇妙なことでおもしろい。
土日祭日にETCを利用すれば、高速道利用料が1000円になるという割引きは、いったい何時まで適用されるのだろうか。予算には限りがあるのだから、いつまでも割引きが続くはずはない。いっときの甘い砂糖を味わったあとには、増税という苦い仕打ちが待っていることだろう。今、1000円という頭金だけを支払い、あとで残金の高額な請求書を突きつけられようなものだから、かえって高くつくことになる。
新型インフルエンザの感染者は、現在のところ全世界で1700人程度らしい。なんだ、騒いだ割にはたいしたことはないな、と思いたいところだが、流行がゆるやかに始まり、しばらくして下火になったとしても、秋以降に流行の第二波がやってきて、猛威をふるうという可能性もあるらしい。まだまだ安心はできないということのようだ。
たまたま夏目漱石の「琴のそら音」を読んだところ、「インフルエンザ」という言葉が使われてた。「琴のそら音」は、明治38年に発表された短編小説だ。「インフルエンザ」は、比較的新しい言葉ではないかと漠然と思っていたところに、今から100年以上も前の作品の中で、思いがけなくそんな言葉に接したものだからびっくりした。
調べてみると、1892年に北里柴三郎らが病原体の候補となる細菌を分離し、インフルエンザ菌と名付けたらしい。「琴のそら音」が発表される10年少し前のことだ。だから漱石がこの言葉を使うことには、なんら疑問を差し挟む余地はない。ただ、人々がインフルエンザの恐ろしさを知ることになるのは、1918年から1919年にかけて大流行したいわゆる「スペインかぜ」だった。
「琴のそら音」は、主人公の「私」が友人「津田」の下宿を訪ねた場面から始まる。許嫁のいる「私」は一軒の家をかまえ、身の回りの世話をしている老婆と一緒に暮らしている。迷信を信じるその『婆さん』は、野良犬の遠吠えに怯え、何か不吉なことが起きるのではないかと不安に思っている。
「津田」との雑談は、幽霊の話から始まり、「私」の未来の妻君の病気に関する話へと進んで行く。津田に『しかし病人は大丈夫かい』と尋ねられた「私」は、こう答える。
『大丈夫にきまってるさ。咳嗽(せき)は少し出るがインフルエンザなんだもの』
「私」は、インフルエンザだから大丈夫だと答えたのだ。インフルエンザに関しては、たいした病気ではないという甘い認識を示している。これに対して、やり取りは以下のように続く。
「インフルエンザ?」と津田君は突然余を驚かすほどな大きな声を出す。今度は本当に威嚇(おど)かされて、無言のまま津田君の顔を見詰める。
「よく注意したまえ」と二句目は低い声で云った。初めの大きな声に反してこの低い声が耳の底をつき抜けて頭の中へしんと浸(し)み込んだような気持がする。なぜだか分らない。細い針は根まで這入(はい)る、低くても透(とお)る声は骨に答えるのであろう。
「いや実はこう云う話がある。ついこの間の事だが、僕の親戚の者がやはりインフルエンザに罹(かか)ってね。別段の事はないと思って好加減(いいかげん)にして置いたら、一週間目から肺炎に変じて、とうとう一箇月立たない内に死んでしまった。その時医者の話さ。この頃のインフルエンザは性(たち)が悪い、じきに肺炎になるから用心をせんといかんと云ったが――実に夢のようさ。可哀(かわい)そうでね」と言い掛けて厭(いや)な寒い顔をする。
このやり取りでは、単なる風邪とインフルエンザとの区別をどのようにつけていたのか、その点は判然としない。ただ、風邪のような症状をインフルエンザと決めつけ、さらにたいした病気ではないと考えている節がうかがえる。
こんなふうに津田に注意された「私」は、とたんに許嫁の病状が気になってくる。「津田」の白山御殿町の下宿を出て、夜道を小日向台町の家に向かう時も、家に帰り着きイヌの遠吠えを聞きながら永い夜を過ごす間も、そのことが頭を離れることはなかった。
眠れぬ夜を過ごした翌朝、「私」は我慢できずついに四谷坂町の許嫁の家まで全速力で駆けつけてしまう。しかし許嫁は、『あら靖雄(やすお)さん!』とあっけに取られた風で「私」を迎える。
「インフルエンザは?」
「ええありがとう、もうさっぱり……」
「何ともないんですか」
「ええ風邪(かぜ)はとっくに癒(なお)りました」
どのようにしてインフルエンザではないと判断したのかはよく分からないが、ともかく単なる風邪だったようだ。話はもう少し続くが、このあたりで筋を追うのは終わりにしておこう。新型インフルエンザの流行が懸念されているこの時期に、たまたま読んだ漱石の作品に、インフルエンザのことが描かれていたのも奇妙なことでおもしろい。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年05月05日
もうすぐ写真塾が始まる
写真塾の案内のハガキが届いた。第1回目の講座の内容の再確認と、講座修了後に行われる懇親会の案内などが記されていた。
この写真塾の受講は、昨年の12月にはやばやと申し込んでおいた。募集定員は20名、申し込み順に受講者が決まっていくというので、募集開始と同時に申し込んだのだった。ただ、意気込んで申し込んでも、最少催行人数が10名なので、その人数に満たなければ中止となる。こうして案内が来たのだから、10名以上集まったのだろう。
この写真塾は、4月から始まった写真講座とはもちろん違うものだ。写真講座の方は、教室での講義が多く、写真の理論面が中心となる。一方写真塾は、教室内の講義より外に出て実際に撮影することの方が多く、実践面が中心となる。両方の講座を通して、写真に関する理論を修得し、実践を通して写真撮影の経験を積むことをもくろみ、理論と実践を同時にモノしようという欲張りな計画なのだ。
写真講座の講義は、連休中を除き毎週行われ、6月末で終了となる。写真塾は月に1回のペースで、一年をかけて実施され、来年の4月に終了となる。今のところ予定されている撮影場所は以下の通りだ。
多摩動物園…もちろん動物を撮る
花火大会…どこの花火大会だろうか
横浜…古い建物を撮る
東京タワー…撮影地点はどこだろうか
秩父…紅葉を撮る
お茶の水・神保町…建物を撮る
隅田川…橋を撮る
京都・伊根…一泊の撮影旅行
この写真塾の受講は、昨年の12月にはやばやと申し込んでおいた。募集定員は20名、申し込み順に受講者が決まっていくというので、募集開始と同時に申し込んだのだった。ただ、意気込んで申し込んでも、最少催行人数が10名なので、その人数に満たなければ中止となる。こうして案内が来たのだから、10名以上集まったのだろう。
この写真塾は、4月から始まった写真講座とはもちろん違うものだ。写真講座の方は、教室での講義が多く、写真の理論面が中心となる。一方写真塾は、教室内の講義より外に出て実際に撮影することの方が多く、実践面が中心となる。両方の講座を通して、写真に関する理論を修得し、実践を通して写真撮影の経験を積むことをもくろみ、理論と実践を同時にモノしようという欲張りな計画なのだ。
写真講座の講義は、連休中を除き毎週行われ、6月末で終了となる。写真塾は月に1回のペースで、一年をかけて実施され、来年の4月に終了となる。今のところ予定されている撮影場所は以下の通りだ。
多摩動物園…もちろん動物を撮る
花火大会…どこの花火大会だろうか
横浜…古い建物を撮る
東京タワー…撮影地点はどこだろうか
秩父…紅葉を撮る
お茶の水・神保町…建物を撮る
隅田川…橋を撮る
京都・伊根…一泊の撮影旅行
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年05月03日
由来豚インフルエンザ
写真講座は2回行われたあと、連休中はお休みになっていた。ところが昨日エクステンションセンターからハガキが届いた。さて何ごとかと思い確かめてみたところ、次のような標題になっていた。
メキシコ:H1N1亜型由来豚インフルエンザ発生による注意事項について(重要)
今、世界中で大騒ぎとなっているブタインフルエンザに関するものだった。
『…今後、日本国内で人から人への感染が確認された段階で、すべての講座を休講とし、本学の全キャンパスを立ち入り禁止とします。…』
日本では現在のところ、何人かは豚由来の新型インフルエンザ感染を疑われたが、詳しい検査の結果、いづれも既知のインフルエンザであることが分かったということだ。今後海外からの帰国者の中から感染者が確認され、さらに国内での人から人への感染が発生した場合は、キャンパスへの立ち入り禁止処置がとられることになる。今回の新型ウィルスに対しては、そのくらいの厳しい対応をとる必要があるということだろう。
大学でさえそのような対応を予定しているのだが、小・中・高などの学校も同様の対応を予定しているのだろうか。そのあたりのことが、新聞・ニュース等でまったく伝えられないので見えてこない。学校に通う子どものいる家庭には、学校から何らかの連絡が入っているのだろうか、対応が後手後手になることだけは避けなければならない。
メキシコ:H1N1亜型由来豚インフルエンザ発生による注意事項について(重要)
今、世界中で大騒ぎとなっているブタインフルエンザに関するものだった。
『…今後、日本国内で人から人への感染が確認された段階で、すべての講座を休講とし、本学の全キャンパスを立ち入り禁止とします。…』
日本では現在のところ、何人かは豚由来の新型インフルエンザ感染を疑われたが、詳しい検査の結果、いづれも既知のインフルエンザであることが分かったということだ。今後海外からの帰国者の中から感染者が確認され、さらに国内での人から人への感染が発生した場合は、キャンパスへの立ち入り禁止処置がとられることになる。今回の新型ウィルスに対しては、そのくらいの厳しい対応をとる必要があるということだろう。
大学でさえそのような対応を予定しているのだが、小・中・高などの学校も同様の対応を予定しているのだろうか。そのあたりのことが、新聞・ニュース等でまったく伝えられないので見えてこない。学校に通う子どものいる家庭には、学校から何らかの連絡が入っているのだろうか、対応が後手後手になることだけは避けなければならない。
posted by 里実福太朗 at 23:52| 里ふくろうの日乗
2009年05月01日
連休前の散策
今日から5月、明日の土曜からは多くの人が連休に入る。しかし勤めていた時は連休が待ち遠しかったが、毎日が日曜日の生活になってからは、連休はうれしいどころか疎ましいものになってしまった。まあ今に始まったことではないが、行楽地は混み、そこにたどり着くまでの交通機関も混み、という具合に良いことは何一つとしてない。連休中はどこにも出かけず、家の中でジットしているのが一番良い。
連休前の今日は、天気があまりにも良く、家に籠もっているのはあまりにももったいない故、まだ訪れたことのない地元の寺社巡りをした。市立図書館近くの駐車場に車を置き、2時間ほど歩き回った。歩数8087歩の散策だった。
左側の小さな社が「鷲宮神社」、右の階段を登ると八幡神社がある。

鷲宮神社

八幡神社

西福寺

天御中主神社

疲れた。
連休前の今日は、天気があまりにも良く、家に籠もっているのはあまりにももったいない故、まだ訪れたことのない地元の寺社巡りをした。市立図書館近くの駐車場に車を置き、2時間ほど歩き回った。歩数8087歩の散策だった。
左側の小さな社が「鷲宮神社」、右の階段を登ると八幡神社がある。

鷲宮神社

八幡神社


西福寺


天御中主神社


疲れた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗