2009年06月25日

マリンスタジアムのシート貼り

いよいよ明日は、マリンスタジアムで「360°ビアスタジアム」がひらかれる日となった。ほんの一部の席を除いて、全席が自由席となる。「内野指定席SS」も、もちろん開放され自由席となる。さらにビール・ソフトドリンクが半額となる。

こんなにうれしいイベントを逃す手はないと、チケットはすでに2枚購入済みである。あとは試合当日、つまり明日ですな、いかにして良い席を確保するかだ。ほぼ全席自由席だから、先着順で席は埋まっていくということになる。そのためには入場列の順番が、できるだけ前になるようにしなければならない。そのためには、できるだけ早く球場に駆けつけなければならない。となると、一週間も前から球場前にテントを設営するような気合いが入りすぎた人も現れるかもしれない。

球団側もそういう事態が起こるかもしれないことを危惧して、チャンと手を打って、順番確保のためのある手段を認めているのである。それが「シート貼り」という順番確保の方法なのだった。最初はなんのことか良く分からなかったが、良い席を確保するために必死で調べてやっと分かった。

前日に試合がない時は、「シート貼り」は前日の午後7時から行って良いことになっている。そこで夕方、明日の「360°ビアスタジアム」のために、わざわざ幕張のマリンスタジアムまで出かけて行き、シートを貼ってきたのだ。

家を出たのは5時少し過ぎ、電車を乗り継いで海浜幕張駅についたのは6時頃だった。7時までにはまだ間があるので、駅前のコーヒー店で時間をつぶし、外を行き交う人の姿を眺めて過ごした。会社がひけて家路をたどるサラリーマン諸氏が、列をなして通り過ぎていった。なんだか懐かしさを感じる光景だった。

夕闇せまる海浜幕張駅前
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ここでノンビリと時間を浪費したのが良くなかった。6時50分頃にマリンスタジアムに着き、入退場ゲートに向かうと、そこにはもうかなりの列ができていた。数えてみるとざっと80人くらいは並んでいた。7時からシート貼りが始まるのだから、それまでに行けばいいやと思っていたのが間違いだった。シート貼りの前から、すでに順番取りは始まっていたのだ。

7時までの10分足らずの間に、私の後に十数人の人が並んだ。7時になると、先頭に並んだ人から順に、用意してきたシートをコンクリートの床に貼った。シートの大きさは、特に指定されていなかったので、人それぞれでいろいろな大きさのものを貼るのだ。A4用紙程度の大きさのものでも小さいなと感じるのに、もっと小さいものを貼り付けている人もいた。

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私といえば、家でブルーシートに氏名と人数をあらかじめ書き付け、持参していた。ほかの人が貼り付けているものと比べてみると、持参したものがいかにも大きく、そのまま貼るのがためらわれ、ブルーシートの周囲を折り曲げて、できるだけ小さくして貼り付けた。

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20分ほどで、7時前から並んでいた人は、すべて貼り終わってしまった。その後も一人二人とパラパラやって来くることは来たが、たいした人数ではなかった。7時半頃には、ゲートの周辺には人気がなくなった。いささか拍子抜けの感であった。これでは、7時半頃に来たとしても、入場列の順番はたいして違いはなかった。

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ここが先頭
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2009年06月24日

不忍池のカモメ

近頃は、パソコンで写真データの整理に費やす時間が増えて、図書館から借りてきた本をゆっくり読むこともできない。おまけに写真整理のために長時間ディスプレイの画面を見続けていると、しまいには目がショボショボとなってしまう。そういう状態になることは、もちろん今までもあったが、歳とともにそれが早くやってくるようになった。

そんなわけで一日が終わり次の日を迎える頃、目はすでに就寝モードに入っていて、ブログを書く余力は残されていない。これからはもう少し早い時間帯から書き始めた方がよさそうだ。まあ、6月に入り書く回数が減少したことの言い訳でもありましたが…。

写真教室・写真塾に通い始めてから、撮影枚数がかなり増えて、写真整理に要する時間が増えたのは事実だ。この前の日曜日に、「みんなの<楽しい>英語」という国際交流の催し物に、ボランティアのカメラマンとして行き、かなりの枚数を撮影した。

記録メディアはCF(コンパクトフラッシュ)で、容量が8GBのものを使っているが、JPEGとRAWデータを同時に保存すると、400枚足らずの撮影枚数でいっぱいになっってしまう。もちろんいっぱいになったとしても、それをパソコンに取り込めばまた白紙の状態に戻り、400枚近くの写真を書き込むことができるようになる。そしてそれを繰り返せば、撮影枚数は無限大となっていく。

ところがそううまいことばかりではない。取りこむ側のパソコンのハードディスクの残り容量がどんどん少なくなってしまうのだ。やがてパンクしてしまうのは必定のことなのである。こうして新しい問題が惹起することになったのだった。この悩ましい問題は、一枚の容量が100GB程度のリムーバルメディアが登場でもしない限りは解決されそうにもない。

前置きが長くなりすぎた。本題は、昨日見掛けた鳥のことなのだ。写真教室の帰りにいつも通り上野公園を通った。「東京大衆歌謡楽団」の歌声は聞こえてこなかったが、かわりネコの鳴き声が聞こえてきた。もともと上野公園にはノラネコが多いから、鳴き声が聞こえてきても不思議なことではないのだが、チョット変な感じがあった。

猫の声にしては甲高く余韻に乏しい。聞こえてくる方角もおかしい。地上ではなく空中から聞こえてくるのだ。ほんとうにネコの鳴き声なのだろうか、という疑念を抱きながら歩を進めていくと、前方から白い物体が低空で飛翔してきて、私の頭をかすめて飛び去って行った。鳥だった。

上野公園にはハトが多いが、それよりはずっと大型の鳥だった。ネコのような鳴き声から推定すればウミネコということになりそうだが、不忍池に海鳥が飛来するなどということは考えられない。可能性として考えられるのは、ユリカモメあたりだろうか。

その鳥が、池のほとりの金属製の柵にとまっているのを見つけて、近寄って写真を撮った。かなり近くまで寄っても、多少は警戒する様子は見せたが、飛び去ってしまうことはなかった。

ネットで調べてみると、どうやらカモメの一種らしいことが分かった。ユリカモメはクチバシも脚も赤いから、ユリカモメではない。普通のカモメかもしれないが、ウェブに載っていた写真では、クチバシの先端が赤くなく、写真の鳥のクチバシの先端が赤くなっていることから考えると、それでもないようだ。

クチバシの先端が赤いこと、鳴き声がネコに似ていたことからするとウミネコということになるのだが、やはりそれを肯定することには無理があるのだから、カモメの一種とでもしておくより仕方ない。

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2009年06月19日

柵と紫陽花

カーポートと庭との境目に、竹製の柵を立てた。近くのホームセンターで木製の杭を3本、1メートル四方ほどの柵を二つ、すでに購入してあった。それらを組み合わせて一続きの柵を作れば、あとはただ立てるだけだ。我ながらほれぼれする手際の良さで、組み立てから実際に境目に立てるまで、2時間ほどで完了した。

3時過ぎから始めたので、終わった時はすでに夕暮れ時となっていた。柵の近くには白い紫陽花が今を盛りと咲いている。白い紫陽花は、曇り空の下そして夕暮れ時に、白さがひときわ映えて見える。そこでさっそく、柵と紫陽花とを一緒に入れて写真を撮ることにしたのだった。

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2009年06月18日

マスクの品不足はいつまで続くのか

5月16日に、日本国内で初めての新型インフルエンザ感染者の発生が確認されてから、すでに一ヶ月以上が経過した。最初の感染者が確認された当座は、連日大騒ぎだったが、その喧噪もいつの間にか遠ざかり、マスメディアに大きく取り上げられることもなくなった。

ところがその間、ウイルスは着実に感染者を増やしていた。先日(6月12日)、世界保健機関(WHO)が新型インフルエンザの警戒度を最も高い「フェーズ6」に引き上げた。「フェーズ6」は、なにしろ世界的大流行(パンデミック)を示す警戒レベルなのだから、これはもう重大な局面を迎えていることになるのだが、世の中はいたって静かなのだ。世間の人は皆、冷静に対応する術を身につけてしまったらしい。

千葉県の「県内の新型インフルエンザ関連情報」によると、ここ佐倉市の発生状況は「2」のままだった(6月18日20時現在)。成田空港内の飲食店で働く女性2名が感染して以来、感染者は増えなかったことになる。感染者数が一番多いのは船橋市の42名で、次に多いのが柏市・成田市の6名である。千葉県内の合計数は76名だった。

【詳細はこちら(PDFファイル)】
http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/c_kenfuku/kikikanri/pdf/kakuteisuu.pdf

街からもマスクを着けている人の姿がめっきり少なくなった。病院にお見舞いに行く際にはまだマスクが必要となるから、いくらなんでももうマスクの品不足も解消されているだろうと思い、薬局に買い求めに行くのだが、マスクがあるべき棚にはこんな貼り紙がしてある。
『マスクの供給量が不安定なため、入荷時期は未定』

花粉が舞い散る季節には、街にはマスクをした花粉症患者があふれていた。それでも薬局にいけば、50枚入りのマスクの箱が店頭に積まれていた。品不足など生じていなかったのだ。それを思えば、今はもうマスクの品不足が解消されていてもいいようなものだが、そうなってはいないのだ。実に不思議なことだ。マスクを適正な価格で購入できるようになるのは、いったいいつのことなのだろうか。
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2009年06月17日

イチョウの木の下で

オープンカレッジの写真教室は、昨日で8回目を迎え、残すところあと2回となった。前回撮影した写真は一枚だけを選びCD−ROMに焼き、講義の最後に提出した。データで提出しない人は、来週行われる講評会に印刷したものを提出することになっている。

先週より一本早いバスに乗り、道路も比較的空いていたため、講義が始まる時間までかなり余裕があった。そこで大学キャンパスに隣接するコーヒー店で時間をつぶすことにした。店の外にもイスとテーブルが設けられていて、折よく隅の方に空いた席があった。

すぐ目の前に、直径1メートル半以上はありそうなイチョウの大木がそびえ立っていた。学校説明会でもあったのだろうか、大学生より高校生の姿の方が多く見受けられた。近くの席で、中東からやって来たと思われる留学生がタバコをすっていた。一人の男が彼に近づいていった。その男が身につけているシャツもズボンも白なのだが、かなりくたびれた感じで汚れも目立っていた。
「スミマセン、タバコ一本いただけませんか」
と、言葉づかいは丁寧だが、相手に有無を言わせない押しつけがましさがあった。断ったところで後で面倒なことに引き込まれるかもしれず、それをおそれたのだろうか、留学生は以外にあっさりとタバコを一本渡した。さらにご親切なことに、火までつけてあげた。男は、煙を漂わせながら立ち去って行った。

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イチョウの木の横では、二人の男が、必死さを丸い背中に漂わせながら仕事をしていた。前の男は、しばらくしてからテーブルの上の本やらノートやらを整理して、カバンに入れ始めた。その中に、オープンカレッジの受講者に一冊づつ配布されたノートが混じってた。ということは、たぶん何かの講座を受講しているのだろう。それにしても、それほど必死で予習しておかなければならないとは、一体どんな講座なのだろうか。

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2009年06月15日

第2回写真塾

昨日は、二回目の写真塾が行われ、隅田川・荒川・東京湾から見た東京の水辺の景觀をカメラにおさめてきた。9時に浅草橋の船宿「三浦屋」に集まり、3時間の予定のところそれを大幅にオーバーして、午後1時までの4時間にわたるクルーズだった。建築塾・美術塾と合同で行われ、参加者は100人近くに膨れあがった。

梅雨空のもと、まず隅田川を北上して荒川に入り、荒川を南下して東京湾に入り、東京湾を一回りしてからお台場沖から再び隅田川に入り、北上して浅草橋に戻るというコースだった。陽がさすことはなかったのに、家に帰り腕時計をはずすと、その跡が白く残っていた。

船内にいたのは最初の10分程度で、その後は船首に陣取りシャッターを押し続けた。昼を過ぎることろには、人差し指が硬直してきて、もみほぐさなければならなくなった。500枚以上の写真を撮ったが、これほどの枚数を一度に撮ったことは今までにない。整理に少し時間を要するので、後日まとまったところでアップすることにしたいと思う。
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2009年06月10日

「梅雨入り宣言」は何のため?

関東地方も梅雨入りしたらしい。「らしい」という言葉を使ったのは、気象庁の発表が『梅雨入りしたとみられる』というような煮え切らない表現だからだ。去年も同じ表現が使われていた。

すでに何日も前から曇り空を見ることが多くなり、雨が降る日も多くなっていた。肌に湿気が絡みつく不快を感じることも増えていた。そういう気候変化を感じるたび、今年も梅雨の季節がやってきたなとうすうす気づいていた。だから特に梅雨入り宣言がなくても、雨が降るおそれがあればカサを持って外出するように心がけていた。別に梅雨入り宣言などがなくても、そのための対策は自ずととるようになるものなのだ。

そこで疑問がわき上がる。なぜ梅雨入り宣言をするのだろうか。その宣言がなければ、なにか立ちゆかなくなることでもあるのだろうか。梅雨入り宣言する必要性はどこにあるのだろうか。こんな具合に疑問は尽きない。

夏場の水不足が心配されている地域では、雨が降ってくれることを待ちわびていても、梅雨明け宣言が出たところで雨が降り始めるわけではない。どこかの誰かには必要なのかもしれないが、それがはっきりしないのでは、梅雨入り宣言は、どうしても必要なものとは思われない。いっそやめてしまった方が、気象庁も気が楽になることだろう。

昨日は写真教室があった。エクステンションセンターに隣接する大学キャンパス内で、「発見」をテーマに撮影実習を行った。どんよりと重く立ちこめた空から、今にも雨が落ちてきそうな梅雨空だったが、実習が終わるまでなんとか持ちこたえてくれた。

帰りは先週と同じように、上野公園の中を通ったが、東京大衆歌謡楽団のミニライブはなかった。先週聞いた話によると、土曜日あるいは日曜日に行うことが多いそうだ。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2009年06月08日

東京大衆歌謡楽団

先週の火曜日に行われた写真教室の帰途、バスで上野広小路まで出て、不忍池のほとりを通って京成上野駅に至る道を歩いた。その途中で、若者3人組みが懐かしい昭和の歌謡曲を演奏しているところに出遭った。まだ演奏を始めたばかりだったようで、観客はわずかだった。そのまま通り過ぎようとしたが、どうしたことか足が自然に止まり、しばらく耳を傾けることになった。

直立不動の姿勢を崩さずに唄う若者は、東海林太郎の歌唱スタイルを彷彿とさせる。細面の顔に丸いメガネを掛けているところをみると、意識的に模倣しているのだろう。彼の向かって右側にはベース奏者、左側にはアコーディオンを抱えた青年が座って演奏していた。

東海林太郎の歌声は、かつて「懐かしのメロディー」といった類の番組からはよく聞こえてきたが、絶えて久しく耳にすることはなくなっていた。おもわず足が止まったのは、とっくに記憶の底に沈みホコリをかぶっているに違いない彼の姿が、まだ二十代と思しき若者によって再現されていることに、物珍しさを感じたからかもしれない。

東海林太郎の持ち歌ではないが、若者が「上海帰りのリル」を歌い出した頃には聴衆はかなり増えていた。何人かの人は、一緒に口ずさんでいた。

この唄は、幼い頃にはやったものなのだが、妙に耳にこびり付いて残っていた。若者の歌は現代風にアレンジしたものではなく、昔の唄の雰囲気を再現することに努めていたことを思わせた。しかし懐かしのメローディーという感じではなく、かえってとても新鮮な響きを伴って聞こえてきた。

一曲歌い終えると水で喉をうるおし、彼の熱唱は繰り返され、最後の唄を歌い終えると、聴衆たちからはアンコールの声が自然とわきあがった。それに応えて歌った曲は、先日85歳の生涯を閉じた作詞家・石本美由紀さんの「憧れのハワイ航路」だった。私は写真を撮ることに心を奪われていたが、聴衆の多くは、手拍子を打ちながら共に歌った。

野外でのミニライブが終わると、後片づけをしている彼らに近寄り、私にとっては滅多にないことではあるが、突撃取材を試みてみた。まづ彼らのグループ名を尋ねたところ、
「大げさな名前で恥ずかしいのですが」
と言いながらも、手作りの名刺を手渡してくれた。

以下、彼らに取材して得られた情報をまとめておく。写真掲載の可否を尋ねたところ、まだ彼ら自身のホームページがないこともあって、かまわないということだった。

グループ名…東京大衆歌謡楽団
メンバー
 唄  :高島孝太郎…昭和58年生
 ACC :高島雄次郎…昭和60年生
 BASS:高島玲(あきら)…昭和54年生


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posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

再開予告

先週は俗事に追い回され、ブログを書く余裕すらなかったが、今週から、やっと普段の生活のペースに戻れそうだ。

そんなわけで書く材料はあったのだが、なかなか書くことができなかった。書かなければそれらの材料は、ブログというものの性格上どんどん鮮度が失われ、使い物にならなくなってしまう。こういうところは、デイリー商品と同じだ。ただ、見切り販売ができないところが、デイリー商品とは違う。

廃棄処分となってしまった材料は、何かの機会に再利用することにして、まだ鮮度が保たれている材料として、「東京大衆歌謡楽団」というグループに関することを、後ほど書いておくことにする。
posted by 里実福太朗 at 10:33| 里ふくろうの日乗