2009年08月31日

夏の終わりの上野公園(2) …二人だけの同窓会

台風の影響で夜の9時頃に雨風のピークがくるという話だったけど、9時過ぎても外で嵐が吹き荒れている感じではないんだ。天気図で確かめてみたら、房総半島をめざして北上していた台風11号は、三宅島のあたりで進路を北東に変えて、房総半島の東方海上を通り過ぎて行ったようだった。直撃されたらたいへんだからね、助かったよ。

台風とともに、残暑なんてどこかに吹っ飛んじゃった感じだね。気温が下がってクシャミが出るほどで、長袖のシャツ・長ズボンを着込んだよ。上野公園に行った日と比べると雲泥の差だ。このまま一気に秋になってしまうのかナー、もしそうなら、あの日が夏らしい日の最後となってしまうかもしれない。行く夏を惜しんで、その日に撮った写真を何枚か載せておくことにしよう。

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このイスにカリスマ店員が座っていたんだ。大きな木が作ってくれる日陰の外に出ていて、暑そうだね。ちょっと内側に移動すれば日陰に入るのに、そうしないんだ。肩が出ている服だから、日焼けすると思うんだけど、そんなことはお構いなしという感じなんだ。だけど顔は日陰に入っていたな。

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チャラチャラした感じの彼女が、こんなことを話していたんだ。聞き耳をたてていたんじゃないよ、席が隣り合っていたから自然に聞こえてきただけさ、ホントだよ。
「こないだ、サーフィンに行ったの。そしたらねー、なんか自然に活かされているって思ったのよ」
タンクトップは何も言わずに聞いている。
「海に浮かんでると、なんか自然の一部って感じになるのね。自分って、なんてちっぽけなんだろうって…仕事はいつも一生懸命やってるけど、そんな自分ってちっちゃいのよねー、世界のかたすみでチマチマと動いているっていう感じがして…イヤになっちゃったの」
「もう一杯飲もうか」
「ウン飲もうか」
いったんはタンクトップの提案にのったんだけど、その外見とはうらはらに難しい顔をして考え込んでこう言ったんだ。
「だけど動物を見れなくなっちゃうかなー」

どうやら二人は、動物を見るために上野動物園にやって来たようなんだね。若い女性が二人連れだって動物見物って、どうしてなんだろうって思うよね。それでこんなふうに想像してみたんだ。

二人は地方の高校の同級生で、卒業後、東京で仕事を見つけるため一緒に上京したんだ。着いたのは上野駅、その足で上野公園に入り、ブラブラ歩きながらこれからのことを話したんだろうな。歩いてるうちに動物園の前に出て、動物でも見ていこうかということになったんだろう。だから二人にとって、上野公園の動物園は東京暮らしの出発点になった所なんだ。その後、二人は別々の道に進んだけど、暮らしていく上で何か迷いが生じると、西郷さんの銅像の前で待ち合わせて、動物園に行くようになった。上野公園の待ち合わせ場所は、西郷さんのところでないとね。こういう訳さ。

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話が途切れると、二人はそれぞれのデジカメを取り出して、お互いを撮りあったんだ。そしてテーブルの上にカメラを置いて、セルフタイマーをセットして、二人そろって女子高生のようにVサインをつくってカメラにおさまったんだ。
「撮りましょうか」
と声を掛けてあげればよかったかなと思ったりもしたけれどね、頼まれもしないのに口を出すのは、せっかく楽しそうにカメラにおさまっているんだから、お節介かななんて思ったりしてね。

記念撮影が終わると、テーブルの上をティッシュで拭いて、連れだって動物園の中に消えていったんだ。昔のように集団就職で上京する人はいないけど、今でも上野駅とか上野公園に特別な思いを抱いている人はいるんだろうな。

彼女たちを見送ったあと、しばらく来園者たちの様子を見ながら、このあとどうしようかと考えた。なにしろ午後2時といえば暑いさなかだからね、涼しいところで過ごしたいと思うのは人の常さ。マアそういうわけで、東京都美術館に行って「トリノ・エジプト展」を観ることにしたんだ。

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posted by 里実福太朗 at 00:00| フォト漫歩計

2009年08月29日

夏の終わりの上野公園

しばらく涼しい日が続いていたんで、そろそろ散歩を再開しようかなと思って、散歩エリアを上野公園周辺に決めてたんだけど、昨日から、また暑さがぶり返しちゃったんだ。どうしようかと迷ったんだけれど、暑いから取りやめにするのもなんだかなー、だらしない感じがするよね。だいたい暑い時に散歩をお休みにするというのも、本当のところダメだよ、散歩は毎日続けなくっちゃ。写真も毎日続けなくっちゃいけないそうだから、まあ出かけることにしたんだ。

くだけた感じで書いてきたんだけど、どうかなー。いつも同じ感じだと飽きるからね。「しゃべるように書く」と言ったのは、佐藤春夫だったかな。だけど無口な人間は、しゃべるようになんて書けないから、すべての人におすすめできる方法ではないかもね。だけど無口な人間は、普段あまりしゃべらない分、かえって饒舌になるかもしれないかな。

いつもはこんなしゃべり方はしないんだけど、使ってみるとなんかクセになりそう。「です・ます体」とか「だ・である体」という文末表現なんか、明治に入って言文一致運動の中から生まれてきて、それがいつの間にかどちらかに統一して書かなければならないなんて決められてしまって、窮屈になってしまったんだな。昔は、文末で使われる助動詞とか助詞がたくさんあって、もっと豊かな表現ができたんだろうね。

おっと、調子に乗って脱線してしまったよ、散歩のことだった。上野公園はセミ時雨だった。声が聞こえないのは、ニイニイゼミ・ヒグラシぐらい、アブラゼミもミンミンゼミもツクツクホウシも、みんな負けず劣らず大きな声で鳴いていた。いいねー、みんな元気で。もう夏も終わりだから、思いっきり鳴いた方がいいよ。

不忍池のハスは、かなり背が伸びていて池を覆い尽くしてさ、ところどころで花が咲いてたんだ。カメラを構えている人もいて、まあハスの花への礼儀として何枚か撮っておいたよ。

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それから上野のお山に登って、暑いからね、ブラリブラリと歩きながら、まてよ、「ブラリブラリ」は、ひらがなで「ぶらりぶらり」と書いた方が、そぞろ歩きの感じが出るね。で、ぶらりぶらりと歩きながら、パチリパチリと撮ったんだ。

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上野公園はいいねー、いろんな日常が同居しているところが魅力だよ。外国人観光客とか美術館やら博物館やらに来た人は、目的があるけれどさ、路上で生活していそうな人がいたり、ただヒマそうにしている人もいて、そういう人たちが醸し出すフンイキというのは確かにあるね。上野公園には、いろんな人生が凝縮されているってことかな。

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いやー、暑いね。もう1時を過ぎて腹もすいたことだし、動物園の入場門脇のお店で一休み、ピザ専門店だった。一番安いピザとアイスコーヒーを頼んだんだけど、飲み物はドリンクバーでおかわり自由なんだって、ファミレスみたいだね。

動物園の入口がよく見える席が、大きな木の下にあって、そこに座ってピザをほおばっていると、声をかけてくる人がいるじゃないか。
「このイス、おかりしてもいいですか」
黒のタンプトップ姿の二十代半ばくらいの女の人だったんだ。お借りするもなにも、そのイスはもともとは隣のテーブル用のものが、少しずれてこちらのテーブルの近くにきてたんだから、そんなに丁寧に訊くまでもなく断りなしに使えばいいのに。だけどまあ訊かれたから、
「どうぞ」
と言っておいたけどね。

その人には連れがいたんだ、だからもう一つイスが必要だったんだね。ビールがなみなみと注がれた紙コップを持ってきた連れの女の人も、年格好は同じくらいだった。涼しげで短めなワンピースを身につけていて、髪はアゲアゲヘアー、頭のてっぺんでトグロを巻いておダンゴを一つ作っていた。渋谷あたりのカリスマ店員ってところかな。
(つづく)
posted by 里実福太朗 at 00:00| フォト漫歩計

2009年08月26日

地震誤速報

庭にトンボが飛んでくるようになった。夜になれば、虫のすだく声がここかしこから聞こえてくる。半袖・短パンでは肌寒さを感じることもある。昼間は、陽を受けながら体を動かすと汗ばんでくるが、夜はもう秋とでも言った方が良いような気候になった。

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昨日の早朝、緊急地震速報が気象庁から出され、各テレビ局が、まもなく強い揺れがあると報じた。それを見ていた夫人は慌てふためいて、スヤスヤと心地よい眠りに浸っていた私を起こしに来た。
「地震よ!」
「揺れてないじゃないか」
「これから地震が来るのよ、大きな揺れが来るんだって」
それは大変だと思い、半身を起こしながら揺れを待っていた。ところが揺れは襲ってこない。しばらくそのままの姿勢でいたが、待ちくたびれていつのまにか夢の世界にいざなわれてしまった。

結局、6時37分に出されたその地震速報は、誤報だった。今朝の新聞に、誤報を出してしまった気象庁の言い訳が載っていた。それによると、地震計のソフトウェアの改修を依頼した電気会社が、依頼範囲をこえて変更を加え、なおかつその変更部分にプログラム上のミスがあったというのだ。さらにその変更作業は気象庁に無断で行われたということだった。緊急地震速報のシステムも、誤報の責任もみなその業者に丸投げしたのだった。

以前は、市販のソフトウェアにもプログラムミスがあって、そのために無駄な時間を費やすことも多かったが、近頃はテストランを十分繰り返し、プログラムに潜むムシをしらみつぶしにつぶしているのだろう、そういうことに悩まされることは少なくなった。

20代の頃、電気会社のコンピュータ工場で、毎日プログラムを書き、ムシ取り作業を繰り返していたことがある。その時の経験によれば、いろいろな条件を設定して、テストランを繰り返し、もうこれで絶対にプログラムミスはないだろうと思っていても、そのプログラムが実際にユーザーに使われる段になると、予想もしないエラーが起こり、プログラムミスが発見されることがあった。

テストランを繰り返したのに、ミスのあるプログラムをユーザーに納入してしまった経験が実際にある。その時は工場近くの独身寮で暮らしていた。プログラムの納入先で問題が発生したが、作成者でなければプログラムミスは解決できそうにもないということになり、深夜というのに、営業の人がタクシーで独身寮まで迎えに来たのだった。

プログラムミスというものは、それを発見するのに長い時間を要することが多い。その夜は、徹夜の覚悟、悪くすれば次の日も納入先でカンヅメになるかもしれなかった。納入先の人も遅くまで残っていて迎えてくれる。言葉に出して言うことはないが、腹の底で思っていることを想像すると、冷たい視線を浴びているような心地悪さを感じた。

その時のプログラムミスは、さいわいすぐに見つかった。得意顔を作りたくなるが、プログラムミスをした張本人だから、鼻を高くなどしてはいられない。営業の人と乗った帰りのタクシーの中では、二人とも押し黙ったままだった。ミスをしたことに関しては、なんのおとがめもなかった。

このようにプログラムにミスがあるのは、ある程度仕方のないことではあるが、今回の誤報の原因となったプログラムミスは、避けることはできなかったのだろうか。気象庁の言い訳を読んでいると、テストランをきちんと順序立てて行っていれば、必ず避けられたミスだったのだろうと思われてならない。

気象庁の説明によれば、地震の振幅を表す単位を、本来「マイクロメートル」であるべきところ、「ミリメートル」としてしまったところに、今回の誤報の原因があるということだった。その事実から浮かび上がってくる疑問点は、プログラムのテストランを、十分行わなかったのではないかということだ。

実際の地震でテストランをすることはできないが、地震発生装置を使えば、地震の強さに応じてプログラムが正しい情報を伝えるかどうかを確認することなど、たやすくできるはずなのだ。今回の誤報騒ぎは、そういう最も基本的な確認作業を省いてしまったことから発生したと言わざるを得ない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2009年08月24日

写真塾の講評会(2)

コンクリートの流し込み作業はすでに先週行っていたので、もうないだろうと思っていたところ、午後、またコンクリートミキサー車とポンプ車とが連れ立ってやって来た。作業が始まってしばらくすると、急に強い雨が降ってきた。「tenki.jp」で雨雲の動きを確認してみると、千葉県全体図の佐倉市周辺部分だけに赤い印がつけられていた。全国各地で被害を出している局地的なゲリラ豪雨に見舞われのだった。小一時間ほど降り続いたが、この辺りではさいわい被害はなかった。

さて写真塾の講評会では、写真の「切り方」について、それが必要なとなる写真ごとに具体的な説明があった。講師の先生はよく「切る」とおっしゃっていたが、もちろんトリミングのことである。

撮影した画像に手を加えることは、好ましいことではないという観念が、いつ頃からなのかは分からないが、ともかく頭に染み込んでしまって、固定観念となっていたような気がする。もちろん撮影したままの生画像が、そのままの形で作品となるのが望ましいのだが、撮影経験の乏しい者にとってはなかなか難しいことだ。

写真教室でも、生画像を加工することの是非について、質問が出たことがあった。加工するということは、心の中で思い描くイメージにできるだけ近づけるためにすることだから、表現手段として行ってもかまわないというのが、先生の答えだった。ただし、そういう処理が許されない分野の写真があることも事実ではある。

トリミングすることも、必要性があれば積極的に行ってもよいのだ。それによって印象が大きく変わることもあるし、主役がよりはっきりと浮かび上がることもある。塾生の写真を実際に切ってしまうわけにはいかないので、L字型に切られた二枚の白い紙を使って、不必要な部分を隠して見せてくれると、そういうことが実感として分かってくる。

具体例として、3回目の撮影会「ベリーダンサーを撮る」の私の写真を取り上げてみる。ただし肖像権のことがあるので、あらかじめ上部を取り除いてある。

A−元の写真
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B−トリミング後の写真
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先生の指摘によれば、Aの写真の問題点は、木の左側に白い線が出ていることだ。それは舞台として使用されている板が伸びて木の左側に出ているのだが、それがあることによって、横に延びる白い線が強調されて目障りなものとなってしまう。そこで、木の左側の白い部分を切ったのがBの写真である。確かに視線が分散されることがなくなり、意識を人物に集中できるようになる。

昨日・今日とトリミングをいろいろな写真で試してみた。以下は、トリミングによって主役をはっきりと示すことができるようになった写真の例だ。Aが元の写真、Bが一回目のトリミングを行った写真、もう少し主役が目立つように二回目のトリミングを行ったのが、Cの写真だ。


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2009年08月23日

写真塾の講評会(1)

還暦をこえてからは、誕生日などというものは、気がつかないうちに通り過ぎてもらいたいと思うのだが、8月に入り、同じ誕生日の有名人の顔を見たりすると、どうしても思い出してしまう。誕生日の祝いなども、もう今さらという感じがするので、家族で外に食べに行くことですませてしまう。昨日が誕生日だったのだが、ちょうど写真塾のある日だったので今日食べに出かけた。

昨日の写真塾は、過去3回の撮影会で撮りためた写真の講評会だった。午後1時半から始まり4時過ぎまでかかった。各回ごとに3点づつ選び、部屋の壁際にはられたヒモにクリップで留めてたらす。写真用紙にクリップ跡がつくのではないかとチョット気になったが、たいした写真ではないし、またプリントアウトすればいいことなので、気にしないことにした。

写真教室でも講評会はあった。そのときは講師の先生が、一枚づつ手で掲げて皆にみせた。写真を持つ時、指紋がつかないようにと白い手袋をはめていた。ピントがボケけているような写真でも、常にそのように丁寧に扱っていたことを思い出す。

2段に並んだ写真をまず塾生たちが見て、気に入った写真の下に付箋を貼っていく。投票権は一人あたりて3枚だ。私の写真は、最高4枚、最低0枚という成績だった。最も得票数の高かった写真は、付箋が6〜7枚だったと思う。一枚でも付箋を貼ってくれる人がいると、うれしいものである。

塾生たちが選び終わったあと、講師の先生が一枚ずつ講評をしていく。先生がどういう基準で評価を下していくのか、ということに興味を抱きつつ講評を聞いていたが、そのことをみ見極めるのはなかなか難しかった。最高点を取った写真に関しては、あまりよい評価を出さなかった。逆に誰も付箋を貼らなかった写真を取り上げ、一番の賛辞を送った。

その写真は、特に趣向を凝らした写真ではなく、ただ素直にありのままを撮ったという印象の写真だった。そういう写真を選びとったということは、その選択の仕方に何かのメッセージを込めているのだろうか。奇をてらわずに素直に撮った写真の方が良いのだよ、ということを伝えようとしているのだろうか。それともただ単に、塾生の多くが選んだ写真に賛意を示すことを避けただけのことだったのだろうか。そういったことを見極めるためには、もう少し大橋先生とお付き合いする必要がありそうだ。
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2009年08月21日

深紅のキノコの生きる知恵

アカイヌ王国から一通のメールが届いた。八ヶ岳南麓・アカイヌ山荘の前の赤松林で、真っ赤なキノコを発見したというのだ。別便で届いた写真を見ると、たしかに毒々しい赤い色をしていた。その写真をここにアップしたいのだが、写真を利用させていただくことを確認してなかった。今から連絡することもできないので、ネットでさがしてみると、そっくりな赤いキノコが見つかった。たぶん同じ種類のキノコだろう。

http://mash-room.jp/kinoko2/tamagotake3.jpg

全身で「ワタシは毒キノコだぞ」と主張している、そんふうに思ってしまうほどの毒々しさである。メールーの続きを読んでいくと、なんとこのキノコを食べたと書いてあるではないか。ビックリして腰が抜けるほどだった。フライパンにオリーブオイルを引いてサッと焼き、塩・コショウで食べたところ、クセがなくおいしかったというのだ。

ナマコを最初に食べたという某国の偉い人の勇気は賞賛に値するが、それと同等のいやそれ以上の勇気ある行動だと思った。しかし、素人が山に入ってキノコを採り、それを食して命を落としたというようなことをよく聞くから、赤いキノコの写真を見た時、すぐにそのことが思い浮かんだ。しかしそんな危惧をよそに、おいしく食べたということだから、まずはよろこばしいことだが、そんな毒キノコもどきを、どうして食べることになったのだろう。

メールの続きを読めば、以前その赤いキノコを食べた人がいて、命を落とすというようなことはなく、今でもピンピンしているということが書いてあった。山荘の隣人が、天ぷらにするとおいしいと教えてくれたそうだ。それはそうでしょう、いくらなんでもそういう情報がなければ、あんな無気味なキノコを食べてみようとはしないでしょうねェ。

さてネットの情報によると、このキノコは「タマゴダケ」という名前がつけられているらしい。たしかにカサが開く前は、色は違えどタマゴにそっくりだ。

http://mash-room.jp/kinoko2/tamagotake.htm

上記のページには、こんな記事が載っていた。
『生食での注意:中空の柄に時々虫が入ってるので..確認してからにしてネ』
ということは、生でも食べられるということか。しかし、山で道に迷ってさまよい歩き、食糧が底をついてしまったということなら話は別だが、この「タマゴダケ」を生で食べる人はマズいないでしょう。

ところで「タマゴダケ」は食用に適しているというのに、どうして毒キノコ然とした毒々しい色をしているのだろうか。マツタケやシイタケのように落ち着いた色をしていれば、食用のキノコとしてもっと多くの人の口に入るだろう。そのことについて一日中考えた結果、自分で誉めるのもなんだが、すばらしい答えがみつかった。

結論から言えば、赤い毒々しい色は一種の保護色の役割をしているのだ。いかにも毒々しい色をしていれば、人間とか山に住む動物などは恐れをなして手をだそうとしないだろう。それをねらったのだ。キノコだって子孫を残すために知恵を絞った結果、あの色になったのだ。

こういう「タマゴダケ」のモクロミを見破って、最初に食べた人はいったい誰なのだろうか。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2009年08月20日

新型インフルエンザ流行のきざし

お盆休みが明ければ、例の建て替え工事が再開されるだろうと思っていたのだが、月曜日になっても、火曜日になっても以降に工事の音が聞こえてこなかった。工事が再開されれば、ブログのネタに困ることはなくなるだろう。騒音に悩まされることはイヤだけれど、ネタを提供してくれるならそれも少し我慢しよう。そんなふうに思っていたのだが、当てが外れてしまった。寝ていてもネタが入ってくることなどを期待していることが、そもそも間違いだったのだ。

ネタはいらないから、このまま騒音のない静かな生活が続くことを願っていたところ、とうとう今日から始まってしまった。コンクリートミキサー車とコンクリ−トポンプ車がやって来て、一日がかりでコンクリートを注入していった。

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夏だというのに、新型インフルエンザが流行の兆しをみせている。そしてその影響が思わぬところにも出てしまった。北海道ファイターズの主力選手の数人が感染して、試合に出られなくなってしまったのだ。戦力低下は避けられず、今日の対楽天戦では「1−4」で負けてしまった。

ファイターズはマリーンズに対してはめっぽう強く、というよりはマリーンズが弱すぎるのだが、今のところ15勝2敗という具合に一方勝ちなのだ。パリーグのペナントレースをつまらなくしたロッテの責任は重い。ロッテにはやたらに強いファイターズも、新型インフルエンザにはあまりにも弱かったということだ。しかし、なぜファイターズだけなんだろう。今後ほかの球団からも感染者が出て来るのだろうか。

マリーンスタジアムでは少し前まで、ラッキーセブンの風船飛ばしを自粛していた。新型インフルエンザの菌をまき散らすことにならないための措置だった。ところが、先週の木曜日(8月13日)に観戦した試合では、7回にジェット風船が夜空に舞った。その日はお盆休みの家族連れが多くて、2万8千人の観客がスタンドを埋めた。真っ白なジェット風船が子どもたちの手を離れて、いっせいに夜空にのぼっていく様は壮観だった。ただ、流行が危惧される事態に至ったのでは、再び自粛せざるを得ないだろう。

千葉県の感染者数を調べてみたら、合計で243人(平成21年7月31日13時現在)となっていた。かつて佐倉市在住の成田空港で働いていた人が感染して、かなり騒がれたこともあった。しかし次第に新型インフルエンザのことは頭の片隅に追いやられてしまった。ところがその間も、菌は着々と勢力範囲を広げていたのだ。

千葉市……19
船橋市……57
柏市………16
習志野市……6
八千代市……7
市川市……17
松戸市……15
佐倉市………5
成田市……17
(以下略)
合計……243
posted by 里実福太朗 at 00:43| 里ふくろうの日乗

2009年08月18日

写真の選び方

ここのところ風に涼しさを感じる日が続き、なんとなく秋の気配が感じられてきたと思っていたところ、今日庭でツクツクホウシが鳴いた。以前にも一度だけ鳴き声が聞こえたことがあったが、あれは地上に出て来る時期を間違ってしまったツクツクホウシだったのだろう。今度こそ、ほんとうに秋の気配を察して鳴き始めたに違いない。

それにしても、子どもたちの夏休みがまだ2週間ほども残っているこの時期に、ツクツクホウシが鳴くということは、例年にはないことだ。今年の夏は短く、秋の到来が早まりそうだ。

今週末には、第4回写真塾が予定されている。今回は、第1回から第3回までに撮影した作品の講評会が行われる。その日までに、各回につき作品を「約3点」ずつ選んでおかなければならない。「約」となっているところが写真塾らしいところで、あまり堅苦しいキマリを設けないのが写真塾の流儀のようだ。

すでに終了した写真教室では、必ず一枚だけ選んでくるよう指示された。撮影者自身で一枚の写真を選ぶということは、難しいことだけれどとても良い勉強になる、と講師の先生はいつも力を込めておっしゃっていた。ナルホドもっともなことだと納得して、ウンウン唸りながらやっと一枚に絞ったのだった。

一枚だけ選ぶということは、他人が見ればどれを選んでも同じように見えるかもしれないが、本人にとっては皆愛着のある写真だからほんとうに難しいことなのだ。実際に選んで見て、一枚に絞るということは、自分で撮った写真を客観的に見る訓練になると思ったりもした。

写真塾の講評会では、普段撮っている写真を持参してもよいということだから、今までに撮りためておいた写真も何点か持っていこうと思っている。最終的には撮影者自身が一枚に絞り込むにしても、その過程でプロの写真家の目で評していただくことは、これはこれで勉強になるに違いない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 写真

2009年08月17日

「時の忘れがたみ」贈呈分発送

「時の忘れがたみ」の第一次贈呈分を、クロネコメール便で発送してきた。先週の水曜日に、東京・武蔵野市の秋山書店に車で出向き、必要部数をこちらに運んできた。その日から発送準備を始めたのだが、途中野球観戦に出かけた日などもあって、意外と日数を要してしまった。

本を送るために今回「クロネコメール便」を利用した。「ゆうメール」を使うという選択肢もあるが、本を一冊送る程度ならメール便を使った方が安くつく。

クロネコメール便(普通便)
…厚さが2p以下で、大きさがA4以内なら160円

参考(出典−http://www.kuronekoyamato.co.jp/mail/mail.html
【クロネコメール便の規格】
長辺40cm以内・厚さ2cm以内の縦+横+厚さの合計が70cm以内で重量1,000g以内のもの。
A4サイズは角2封筒以内のサイズとなります。(角2封筒=縦:24cm・横:33.2cm以内)
B4サイズは片辺でもA4サイズをオーバーしたもので最大サイズ以内のものとなります。

本を2冊送る場合は、厚さが2pをこえてしまうので、宅急便扱いになってしまう。従ってその場合は、「ゆうメール」を利用した方が良い。

さて、「クロネコメール便」で本を送るためには、出荷票というものに必要事項を記入しなければならない。ふつう出荷票は、荷物一つに対して一枚書かなければならない。荷物が10個あれば10枚が必要となる。メール便もそれと同じだとすれば、10冊送るためには10枚書かなければならないことになる。

やれやれ本を送るのも大変なことだと思いながら、ヤマト運輸の営業所行くと、「いらっしゃいませ」という明るい歯切れのよい声が向かえてくれた。多分受付の女性が発した声なのだろう。段ボール一箱と手提げバック二つを受付カウンターにのせ、発送数を告げた。受付の人は出荷票を2枚だけ手渡してくれた。不審に思って、
「2枚だけですか?」
と尋ねると、
「1枚で25冊まで送れます」
と説明してくれた。

本が入っている厚紙封筒に、出荷シールを貼る作業が終わるのを待っていると、自動ドアが開いて、荷物を抱えた新しい客が入って来た。
「いらっしゃいませ」
と、さっきと同じ声が聞こえた。その方向に目をやると、そこには少しばかりふくよかな少年が座っていた。若い女性の声だろうとばかり思っていたが、小学生だったのだ。

どういうわけか彼の右手にはハエたたきが、左手にはピンセットが握られていた。今までのことから想像するに、彼はハエ取り要員あるいは声かけ要員としての仕事を任されているのだろう。さらに想像すれば、彼はそこで働いているパートの人の子どもなのだろう。夏休み中である故、母親について来たもののヒマを持て余し、あてがわれたのが、その二つの仕事なのだろう。

先ほど入って来た客が用事をすませて出て行く時、彼は、
「ありがとうございました」
と、よく通る高い声で送り出した。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2009年08月12日

「時の忘れがたみ」取り扱いオンライン書店

秋山書店から出版した「時の忘れがたみ」が、複数のオンライン書店で購入できるようになった。町の書店での委託販売は行っていないので、購入していただくには、出版元の秋山書店に直接注文するか、あるいはオンライン書店に注文していただくことになる。

書誌データが登録されて、最初にウェブで注文できるようになったのは、たぶん「ビーケーワン」だった。その後、「e-hon」「本の特急便 ブックライナー」で注文可能となった。さらに今日までに、「紀伊国屋書店BookWeb」「セブンアンドワイ」「ブックサービス」「楽天ブックス」「本やタウン」などでも注文できるようになった。

それらの中でも「紀伊国屋書店BookWeb」では、他のオンライン書店より親切に本の紹介をしている。書名・著者名には、「トキノワスレガタミ」・「サトミフクタロウ」とルビをふってくれたり、「詳細」という項目を設け、そこには目次を載せてくれている。

序   時の忘れがたみ
第一章 春のきざし
第二章 いちはつの花
第三章 悲しき雨音
第四章 セミのセカンドステ ージ
第五章 消えた顔
第六章 歌碑さがし
第七章 万葉の春
第八章 早春挽歌
第九章 夢にログイン
終章  いちはつの花ふたたび

■オンライン書店
ビーケーワン
 http://www.bk1.jp/
e-hon
 http://www.e-hon.ne.jp/bec/EB/Top
本やタウン
 http://www.honya-town.co.jp/hst/HT/index.html
本の特急便 ブックライナー
 https://www.bookliner.co.jp/bl/customer/view/initDisplayCustomerMenuAction.do
紀伊国屋書店BookWeb
 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/
セブンアンドワイ
 http://www.7andy.jp/all/
ブックサービス
 http://www.bookservice.jp/bs/PSRGTP0101.do?doInit=book
楽天ブックス
 http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/index.html
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2009年08月10日

65ミリ(1時間あたり)の降雨量

昨日に引き続き、今日も佐倉地方は猛烈な雷雨にみまわれた。最も激しく降った時には、1時間に65ミリの降雨量を記録した。この記録は全国で2番目の降雨量だったそうだ。

わが家では、植木鉢が水につかった(夫人談)程度で大きな被害はなかったが、例の工事現場では、板でくい止めていた積土が、土流となって板を押し倒し、道路に流れ出ていた。昨夜の地震も影響していたのかもしれない。

午後になり雨は弱まってきた。小やみになるのを待っていたのだろう、作業服を着た人がやってきて、現場をチェックしていた。柵で囲まれた部分には、昨日までに鉄筋が敷き詰められていて、豪雨あるいは地震があったため、現場の状況が気になっていたにちがいない。その人が帰った後、流土はきれいにかたづけられ、板はもと通り立てられていた。

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佐倉市周辺地域の降雨量(午前9時〜12時)を、tenki.jpで調べてみると、佐倉市以外にも1時間あたりの降雨量が65ミリを記録した地域が複数あった。こういうことなのに、佐倉市だけがテレビニュースで取り上げられるのは、なぜなのだろうか。

午前9時から12時までの降雨量(1時間あたり)
65ミリ
…佐倉市、酒々井町、四街道市、成田市、八街市、富里市、印旛村、本埜村、八千代市

30ミリ
…千葉市

18ミリ
…習志野市、船橋市、市川市、松戸市

12ミリ
…印西市、白井市、柏市
posted by 里実福太朗 at 23:04| 里ふくろうの日乗

2009年08月09日

震度4

ここ千葉県北西部は、なんの因果か、今日は何かにたたられたような一日だった。朝から強い雨が降ったりやんだりを繰り返し、午後、近くのスーパーに行く時には、道路の一部が冠水していた。

夜には、大きな揺れに襲われた。最初、ゆらーりゆらーりという感じの揺れが10秒ほど続いて少し弱まった。今までは、それで揺れがおさまるのだが、今夜はそれでは終わらず、また10秒ほど揺れた。今までにない大きな揺れだった。

テレビの速報によれば、震度4ということだった。震度3の地震は、今までに何回かあったが、震度4となるとあまりない。震度4ともなると、揺れている時間が長くなり、揺れの中に身を置いていると、この先この揺れがどこまで大きくなるのだろうかという不安がよぎってくる。いつもとは違うぞ、ということがはっきりと分かる大きな相違が震度4にはあった。
posted by 里実福太朗 at 23:23| 里ふくろうの日乗

2009年08月07日

どう猛な犬を手なづける方法

午後6時頃のテレビニュースで、都心の土砂降りの様子を中継していた。それから25分ほど経ってから、ここ佐倉でも激しい雨とカミナリにみまわれた。都心を襲った雷雲が30分もかからずにここに至ったわけだから、移動のスピードはかなりのものである。30分ほど暴れ回って、去っていった。途中で停電が一度あったが、すぐ復旧した。

例の建て替え現場は、遅遅として進んでいない。先日は作業の人が一人で、終日敷地内を歩き回っていた。やみくもに歩き回っているのではなく、歩数を数えながら、縦・横に規則正しく歩いていた。そのうちに敷地の中央あたりに座り込み動かなくなった。どうやら何かを思案している様子だった。そんなふうな仕事ぶりだから、その日はたいした変化もなく暮れてしまった。

その後、柵に囲まれた部分に砂利が敷き詰められ、その上がシートで覆われた。今日は3人で動き回ったり、地面に座り込んで何やら作業をしていたが、やはり大きな変化はなかった。

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「ふらんこにあログ」の校長先生が、自ら手掛けている八ヶ岳南麓のログハウス建設現場の方は、このところ晴れの日が続いて順調に進展しているようだ。私たちが訪問した時は、最後の一段となるログを積み上げようとしているところだった。

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このログハウス建設現場に、ロダンという名のイヌがいる。ログハウスの依頼主(俳優さんらしい)の飼い犬で、全身真っ黒な毛で覆われていて甲斐犬ということだ。甲斐犬といえば、気性が荒く俊敏で狩猟犬としても活躍した犬種だ。

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そういう血統を引き継いでいるためか、甲斐犬ロダンは、見知らぬ人間が現れるとすぐにけたたましく吠えたてる。番犬としての役割を担っているのだから、吠えることがロダンの仕事で、彼はそれを忠実に実行しているだけのことだろう。しかしその迫力がかなりすさまじく、吠えられると思わず後ずさりしてしまう。

私はそういうイヌを見ると、なんとかして手なずけて、吠えないようにしたいものだと血が騒ぐ。凶暴な犬などには、かかわらない方が得策だと思う人もいるだろうが、どうにもそういう衝動を抑えられないのだから困ったものだ。

イヌの中には、人間の情を解さないのもいて、そういうイヌとはいくらがんばってもお近づきにはなれない。その見極めをしなければならない。まず少し離れたところからイヌを正面に見て、ジッと目を見るのである。いくら見つめていても、吠えることをやめないイヌは脈がないものとしてあきらめる。視線を合わしているうちに目をそらし、あらぬ方角を見てしまうイヌは大いに脈がある。

ここで注しておくべき点は、一気にイヌに近づいてはいけないことである。いったんそっぽを向いたからといって油断してはいけない。近づくとまた激しく吠えたてる可能性もある。ポイントはイヌに話しかけながら近づくという点だ。話す内容はイヌの状態などに応じて創意工夫すれば良いのだが、忘れてはいけない重要な注意点がある。イヌをほめる言葉を必ず入れることである。
「君の名前は、なんていうの? ピンと真っ直ぐのびて立派なシッポだねエ、毛並みも黒光りしていて、なんという美しさだろう」
こんなことを言いながら徐々に近づいていくのだ。こういうことを言いながら近づくと、イヌに対する親愛の情が自然とにじみ出てきて、それを感じてイヌも警戒心を解いてくれるのである。

なんとマアいい加減なことを言っているのだろう、とお思いの方もいらっしゃるかもしれない。しかし実際にその方法で、甲斐犬ロダンに近づくことに成功したのだから、なによりもその事実が正しさを証明してくれるのだ。

近づくことに成功したら、次はイヌの体に触れて、さらにイヌとの接触を深めるのである。この時も、イヌに話しかけることを忘れてはいけない。ここまでできれば、イヌはもう二度と吠えたてることはしないはずだ。念のためにつけ加えておくと、この方法はいつでも成功するとは限らず、悪くすると噛まれる危険性もあることを常に念頭に置いておくべきだろう。

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さて、甲斐犬ロダンと仲良しになって、体に手を置いておしゃべりをしていると、折悪しく飼い主さんがやって来た。実は、そんなことにならないように、飼い主さんのいない時に試みたのだが見つかってしまった。彼は、こちらを見ると足を止めてこう言った。
「アレ、なついてる」
なにしろ甲斐犬は、飼い主ただ一人に忠誠を尽くすと言われているのだから、ほかの人間と仲良くしている様など見せつけられたら、それこそ驚愕・落胆して再起不能となってしまうかもしれない。だからこそ飼い主さんに気づかれないようにしていたのだ。

私はすぐに甲斐犬ロダンの側を離れて、その場から立ち去った。後ろを見ずにしばらく歩いてから、意を決して振り返ってみた。飼い主さんは、ロダンの首を両手で抱え、何かを言い聞かしているようだった。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2009年08月04日

「時の忘れがたみ」発行

秋山書店から本が届いた。このブログの右側に載せておいた「時の忘れがたみ」というタイトルの本だ。この本の内容に関しては、出版元の秋山書店のホームページ(http://www.akiyamashoten.com/akiyamashotenfiles/tokino.html)で、手際良いまた身に余るほどの紹介文を載せてくれているので、そちらをお読みいただいた方が良いと思う。ここでダラダラと説明していると、それこそ蛇足となるおそれがある。

本を出したいと思い始めた時期は、記憶を掘り起こしてみれば、二十代にまでさかのぼるかもしれないが、そんな若い時に叶えられるはずもなく、ずっと心の奥底にしまい込んでいた。その気持ちが再び顕在化してきたのは、退職ということが現実のものとして目の前に迫ってきて、退職後のことをあれこれと考え始めざるを得なくなったからだろう。

長い間続けてきた仕事から退くということはこれから先もうないことだから、その時の気持ちを書き残しておくことは、二度とできないことだろう、そんなことを思って、退職を翌年にひかえた年の3月ごろから、ブログ形式で書き始めた。

今までに日記を書いてみようと思い立ったことは何回かあったが、いずれも三日坊主で終わってしまった。その時も、果たして続けられるかどうか、自分自身でも半信半疑だったが、思いがけず続けることができた。パソコンで文章を書くことが性に合っているのかもしれない。キーボードに向かえばどうにか文章をものすることができたのが、長続きした理由かもしれない。

翌年の三月末に退職の日を迎えたあと、ほぼ一年間にわたって書きためた文章を、とりあえず一つのファイルにまとめておいた。そして一呼吸置いた6月から、そのファイルに手を加えて、少しはまとまりのある文章にするための作業に取りかかった。その過程で、書きためていた文章の半分ほどを削り、全体の流れが滞らないように、新たに書き足すということも行った。

思いおこせば去年の夏は毎日部屋にこもって、ときには呻吟しながらパソコンに向かっていた。そして夏が去り秋がきて、慌ただしい年の瀬が押し寄せてくる頃、やっと形を整えることができた。そして私家版を作ることに着手したのだった。

年が改まり、表紙の作成に入った。本のデザインは、秋山書店の担当者の方にすべてお任せしたが、その元になった表紙の絵は、夫人が描いた原画に私が色を入れて作成した。そのほか、かわいらしいフクロウのカットも夫人が描いたものを使った。なお、出版社は秋山書店になったが、その橋渡しをしてくれたのがアカイヌ王国だった。

1月に秋山書店社主が入院・手術という事態を迎え、その後、予想に反して入院生活が長引くということがあった。ちょうどその期間が、本の編集時期と重なってしまい秋山書店にはご迷惑をかけることになったが、闘病のかいあって無事退院の日を迎えられ、それと軌を一にして出版の日を迎えることができた。いろいろな人を引きずり込んでしまいましたが、こうして出版の日を迎えられたことに謝意を表したいと思います。なんだか本のあとがきのような感じになってしまった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2009年08月03日

工事再開

例の建て替え工事は一休みとなったようで、このところ騒音のない静かな日々だった。ところが今朝から工事が再開された。庭の中に木の柵が設けられ、そこにパワーシャベルが運び込まれ、土を掘り返していた。

しばらく工事の進捗状態を書き込んでいなかったので、今日の分を含めて載せておくことにしよう。

7月24日
仮設水道・仮設トイレが設置された。
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7月25日
法事のために甲府に出かける直前、早朝4時54分に撮影した写真。
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千葉に帰った日も同じ状態で、その日以来昨日までそのままだった。

今日
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posted by 里実福太朗 at 23:53| 里ふくろうの日乗

2009年08月02日

佐倉市民花火大会

気候が不安定だと、自然界にもいろいろな影響を及ぼす。今日のお昼頃、庭の木でミンミンゼミの鳴く声が聞こえた。午後1時40分には、ツクツクホウシの鳴き声まで聞こえてきた。すでにニイニイゼミ・アブラゼミ・ヒグラシの鳴き声は、以前から聞こえている。この地で毎年聞くことができる蝉の声が、さほど時期を違えずして聞こえてきたことになる。

本来なら季節の変化に従って、セミが地上に出てきて鳴き始める順序は、ほぼ決まっているものだ。だからセミの鳴き声で、季節の微妙な変化を感じることもできた。ところが今年は、その順序が狂っている。というよりも、順序がなくなっているといったほうがいいかもしれない。やはり気候が不安定で、気温が上下することの影響なのだろう。

昨夜は、佐倉市民花火大会に出かけた。といっても印旛沼のほとりまでわざわざ出かけたのではない。かなり前になるが、車で近くまで行って花火見物するつもりだったが、ひどい渋滞に巻き込まれ懲りたことがあったので、それ以来少し離れたところから、遠くの方に小さく輝く光の輪を見ることで我慢していた。

昨夜は、カモが三羽暮らしている例の調整池に行ってみた。近くの少し小高い場所には、古い城跡を整備した公園があり、そこに登れば遠く離れた印旛沼の花火を望むことができるのではないかと思ったのだ。

世の中には、同じことを考える人がいるもので、公園の駐車場に車を止めた時には、城址公園の斜面の中腹のあたりに、いくつかのグループの姿が遠目に見えた。これは期待が持てそうだ。斜面を登り、彼らに近づいてみると、用意の良いことに折りたたみ式のイスに座って、すでに花火見物の準備は整っている感じだった。

念のため、子ども連れの若奥さんに尋ねてみた。
…ここから花火は見えますか
…たぶん
『たぶん』とはどういうことだろう、見えるからイスまで用意して座っているのではないか。
…今年、初めてなんです。皆さんがいるので、たぶん見えるのだろうなと思ったんです。
訊く人をまちがえたようだ。しかしこんなやり取りが聞こえたのだろう、少し離れた所から、
…去年はよく見えたよ
と、どこかのオバさんが教えてくれた。わざわざ『去年』とことわっている点が気になったが、ともかく車に戻って、カメラと三脚を持ってくることにした。

小淵沢の「tomato」で夕食をとったあと、花火大会があるということで、暗闇の中を車で走り回り、適当な場所をやっとさがしだして花火見物をした。ただ三脚がなくて花火の写真が撮れず悔しい思いをしたので、こちらに帰ってから、「価格.com」で売れ筋商品の中から適当な三脚を選び、最低価格で提供しているお店に注文して、それが金曜日にとどいたのだった。

その三脚を初めて使うのだ。まだ操作に慣れていないため、セッティングに手間取り、その間に夜空に花火が開き始めてしまった。あのオバさんが言った通りよく見えた。離れているため少し小さく見えるが、それでも高く打ち上げられた時は、その姿が欠けることはなく、きれいな円を描く様子を見ることができた。

ところが、セッティングが終わりいよいよ撮影しようとした時、異変が起こった。光の輪のほんの一部を残して、花火が見えなくなってしまったのだ。理由はすぐ分かった。煙がどんどん広がり、それが視界を遮っていたのだ。あいにく私たちがいる場所は、打ち上げ地点の風下の方角になっていた。風向きが変われば見えるようになるのだが、風は向きを変えてくれなかった。風に冷たさを感じてきた8時頃、引き上げることにした。

花火はこんなふうに、一部しか見えなかった。
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花火の代わりに、モノレールを撮ってみた。
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posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗