以前、「ふらんこにあログ」の校長先生が、拙作「時の忘れがたみ」をアマゾンでさがしたけれど見つからなかったということを、ブログに載せていた。それを読み、「なぜアマゾンにないのか」と題して、貧弱な知識に基づいてその理由について書いたことがあった。ところが、それを訂正しなければならなくなった。
たまたま検索で見つかったのだけれど、「amazon.co.jp」に商品として登録されていたのだ。販売/出版は以下の2社。
amazon.co.jp
花王書堂
(アマゾンでの検索結果はこちら)
「amazon.co.jp」の方のコンディションは新品となっているが、「花王書堂」の方は「中古商品−ほぼ新品」となっている。ただし、出品者のコメントには、「『新品未読』の未使用品のため大変きれいな商品です」となっているので、まあ新品ということなのだろう。
それにしても、どういうルートで出品されることに至ったのだろう。発行してからまだ2ヶ月しか経っていないのに、もう中古市場に出ているということなのだから、狐につままれたような心境になりますね。価格は2111円、配送料が340円かかるから、合計で2451円になってしまう。書き手としては、まあ定価より安くなっていないことには救われるのですが、どうしてこういうことになるのか疑問は尽きません。
2009年09月30日
アマゾンで見つかった
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月29日
写真教室の秋講座
今日から、写真教室の秋講座が始まった。講座名に「ステップアップ」が冠されている通り、春講座を受講した人が、さらなるレベルアップをめざすためのものだ。定員は30名だったが、希望者が多く35名に増やしたそうだが、その後キャンセルがあったようで、結局最初の定員の30名が受講することになった。
受講者の多くは春講座の修了生で、新顔の人は数人だった。あの仕事を抜け出して参加していた人は、今回は不参加。少しまずいことになってきたらしく、ほとぼりが冷めた頃にまた受講したいと、春講座の打ち上げの際に言っていた。
初回の今日は、人数は少ないものの新顔の人もいることなので、春講座の初回の時とはぼ同じ内容だった。ただ、講師の先生の自己紹介の時、先生の作品をプロジェクターで映し出して見せてくれた。その中には、テレビCMにも登場した指揮者の西本智実さんの写真も含まれていた。
今回の講座では、最後に受講者の写真展が予定されている。会場を確保できて、日程が以下のように決まったそうだ。
12月7日〜12日
春講座では、終了してからバスで上野に出て、上野公園に立ち寄るとまだ明るかったが、9月も末になると、さすがに日の暮れるのが早くなる。今日はまだ薄暮の光が不忍池を包んでいたが、これからは日没が早まってきて、上野に着く頃には不忍池も闇に抱かれ、春講座の時とはまったく違う趣を漂わせているにちがいない。


受講者の多くは春講座の修了生で、新顔の人は数人だった。あの仕事を抜け出して参加していた人は、今回は不参加。少しまずいことになってきたらしく、ほとぼりが冷めた頃にまた受講したいと、春講座の打ち上げの際に言っていた。
初回の今日は、人数は少ないものの新顔の人もいることなので、春講座の初回の時とはぼ同じ内容だった。ただ、講師の先生の自己紹介の時、先生の作品をプロジェクターで映し出して見せてくれた。その中には、テレビCMにも登場した指揮者の西本智実さんの写真も含まれていた。
今回の講座では、最後に受講者の写真展が予定されている。会場を確保できて、日程が以下のように決まったそうだ。
12月7日〜12日
春講座では、終了してからバスで上野に出て、上野公園に立ち寄るとまだ明るかったが、9月も末になると、さすがに日の暮れるのが早くなる。今日はまだ薄暮の光が不忍池を包んでいたが、これからは日没が早まってきて、上野に着く頃には不忍池も闇に抱かれ、春講座の時とはまったく違う趣を漂わせているにちがいない。



posted by 里実福太朗 at 00:00| 写真
2009年09月28日
蒼い新高
梨の季節もそろそろ終わりを迎える。その最後を飾るのが、大型のナシ「新高」。ナリはでかいが、果汁たっぷりで甘みも強い。その新高を求めて、買い物に出たついでに、16号線を少し入った所にある梨園に立ち寄ってみた。以前、幸水と豊水とを合わせて1000円で買い求めた梨園だ。
以前は梨園の直売所で購入したこともあったが、スーパーでも千葉県産のナシを扱っていて、味もあまり変わらないように感じられ、値段も安めだったので、近頃はもっぱらスーパーで買うようになっていた。ところがその梨園で買い求めた幸水と豊水とがとてもおいしくて、梨園の直売所をあらためて見直したのだった。
その梨園では、自然の味に特にこだわりを持っていて、魚骨(マグロ・スケソーダラ・アミノ酸)栽培を守っているそうだ。店に行くと、農家のオバさんとはまったく違った雰囲気を漂わせている女性、絵でも描いていそうな感じだな、そんな感じの人が店番をしている。
「新高は、出始めですね。まず、こちらを試食してみませんか。そこにある、変わった色のナシ、それなんです。普通の新高とは違っていますでしょ、それでも新高なんですよ。これはそろそろ終わりです」
青みがかったそのナシは、「蒼い新高」と名付けられていた。青りんごを大きくしたようで、酸味が強いかもしれないと思うと、口中に唾液が広がった。
勧められるままに試食用の一片を口に入れると、想像とはうらはらに、みずみずしい甘みが口の中を満たした。そのあと茶色の普通の新高を試食してみると、甘みにかなりの違いがあった。
「その新高も、本当は甘いんですよ。試食する順番が逆でしたね、すみませんね」
店の人はそう言ったけれど、こちらはこちらでサッパリとした味わいがあった。「蒼い新高」の少しねっとりとした甘みを、洗い流してくれた感じだった。
蒼い新高
以前は梨園の直売所で購入したこともあったが、スーパーでも千葉県産のナシを扱っていて、味もあまり変わらないように感じられ、値段も安めだったので、近頃はもっぱらスーパーで買うようになっていた。ところがその梨園で買い求めた幸水と豊水とがとてもおいしくて、梨園の直売所をあらためて見直したのだった。
その梨園では、自然の味に特にこだわりを持っていて、魚骨(マグロ・スケソーダラ・アミノ酸)栽培を守っているそうだ。店に行くと、農家のオバさんとはまったく違った雰囲気を漂わせている女性、絵でも描いていそうな感じだな、そんな感じの人が店番をしている。
「新高は、出始めですね。まず、こちらを試食してみませんか。そこにある、変わった色のナシ、それなんです。普通の新高とは違っていますでしょ、それでも新高なんですよ。これはそろそろ終わりです」
青みがかったそのナシは、「蒼い新高」と名付けられていた。青りんごを大きくしたようで、酸味が強いかもしれないと思うと、口中に唾液が広がった。
勧められるままに試食用の一片を口に入れると、想像とはうらはらに、みずみずしい甘みが口の中を満たした。そのあと茶色の普通の新高を試食してみると、甘みにかなりの違いがあった。
「その新高も、本当は甘いんですよ。試食する順番が逆でしたね、すみませんね」
店の人はそう言ったけれど、こちらはこちらでサッパリとした味わいがあった。「蒼い新高」の少しねっとりとした甘みを、洗い流してくれた感じだった。
蒼い新高

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月27日
タイヤの空気圧
午後、いつものガソリンスタンドで給油・洗車・空気圧の調整。洗車場は意外にも空いていた。
ガソリン価格:121円/1L
WTIの原油先物価格は、70ドル前後で推移していたが、現在は少し下がって66ドル。
空気圧を測ったところ、4輪ともにほぼ2.0だった。6月に新しいタイヤに交換した時は、前輪が2.4だった。タイヤの空気圧は、ひと月に0.1ほど減るということだが、ほぼ4ヵ月間に2.0に減少したということは、その通りだったということになる。
「2.4」という数字は、タイヤ交換した直後に手帳にメモしておいた数字だ。その時、後輪は「2.5」だった。ところが運転席側にのドアに貼ってあるシールには、以下のように記されていた。
前輪 2.2kgf
後輪 2.4kgf
0.1〜0.2の違いがあるのはなぜだろうか。ネットで調べてみると、新しいタイヤの場合は、少し高めの空気圧にしておくこともあるそうだ。タイヤが新しタイプのものになったことも、その理由としてあるのかもしれない。
なお「kgf」は、日本で使われている空気圧の単位、、ただ最近は「kpa」、キロパスカルが主流になりつつあるらしい。
ガソリン価格:121円/1L
WTIの原油先物価格は、70ドル前後で推移していたが、現在は少し下がって66ドル。
空気圧を測ったところ、4輪ともにほぼ2.0だった。6月に新しいタイヤに交換した時は、前輪が2.4だった。タイヤの空気圧は、ひと月に0.1ほど減るということだが、ほぼ4ヵ月間に2.0に減少したということは、その通りだったということになる。
「2.4」という数字は、タイヤ交換した直後に手帳にメモしておいた数字だ。その時、後輪は「2.5」だった。ところが運転席側にのドアに貼ってあるシールには、以下のように記されていた。
前輪 2.2kgf
後輪 2.4kgf
0.1〜0.2の違いがあるのはなぜだろうか。ネットで調べてみると、新しいタイヤの場合は、少し高めの空気圧にしておくこともあるそうだ。タイヤが新しタイプのものになったことも、その理由としてあるのかもしれない。
なお「kgf」は、日本で使われている空気圧の単位、、ただ最近は「kpa」、キロパスカルが主流になりつつあるらしい。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月26日
新ブログ「里ふくろうのフォト漫遊記」
本当のところは、「歌碑まいり」の続きを書かなければならないところだが、グズグズしているうちに今日も夜の12時を迎えようとしている。それ以外に、写真塾で行った益子のことも書かなければならないのに、いつの間にか2週間も経ってしまった。昨日は、旅行用のスーツケースを求めに秋葉原に行ってきたのだから、昨日のうちにそれについても書かなければならないのだが、日々の時間の過ぎ方は早く、書くことがそれに追いついていかない。
このままでは過ぎ去った過去について書くことに追われてしまって、今という時間を味わいながら過ごしていくことができない。やはり今を大切にしなければ、この世に生まれてきたかいがないというものだ。そこで、今日からは、こういうふうにすることにしました。「里ふくろうの日乗」では、その日のことを簡単に記し、外出した時の詳細は新たにページを設けて、そちらに何日かあるいは何ヶ月かを費やして書くことにしました。
で、カメラをかついで外を歩き回った時のことは、「里ふくろうのフォト漫遊記」という新しいブログに載せていきます。リンクを「里ふくろうコム」のトップナビゲーションの最後に追加しておいて、とりあえず「歌碑まいり」を再録しておきました。
このままでは過ぎ去った過去について書くことに追われてしまって、今という時間を味わいながら過ごしていくことができない。やはり今を大切にしなければ、この世に生まれてきたかいがないというものだ。そこで、今日からは、こういうふうにすることにしました。「里ふくろうの日乗」では、その日のことを簡単に記し、外出した時の詳細は新たにページを設けて、そちらに何日かあるいは何ヶ月かを費やして書くことにしました。
で、カメラをかついで外を歩き回った時のことは、「里ふくろうのフォト漫遊記」という新しいブログに載せていきます。リンクを「里ふくろうコム」のトップナビゲーションの最後に追加しておいて、とりあえず「歌碑まいり」を再録しておきました。
posted by 里実福太朗 at 23:59| 里ふくろうの日乗
2009年09月25日
歌碑まいり
さて、やっと東金の歌碑参りについて書く段になったのだけれど、どうもタイピングの指が動かない。理由は分かっている。年寄り二人が、いやもとい、夫人までを年寄り呼ばわりするのでは申し訳ない、年寄りでなくてもいいんだけれど、要はブラリブラリと散策したことを書くには、「だ・である体」では重くなってしまうのだ。
「話すように書く」ではないけれど、イヌ・ネコがいれば挨拶し、小石があればつまずいてヨロヨロし、石仏でもあればすぐにカメラをかまえるという具合に、散歩しているかのように書くにはどうしたらいいのか、そんなことを考え始めると収拾ががつかなくなってしまうのだ。しかしそういう時は、考えているだけではいつまでたってもラチが明かない。ともかく最初の一歩を踏み出すにしくはない。
ネコの写真なんか撮っていたものですから、出発が遅れてしまいました。ドライバーの皆さんの多くは高速道路で渋滞に巻き込まれているはずですから、下の道の車はその分減っていて、スイスイという感じで途中渋滞などはありませんでした。東金に着いたのは12時過ぎ。そのまま蕎麦屋さん「東京庵」に直行してお昼にしようと思ったのですが、店の前の駐車場は満車、仕方なく最福寺横の駐車場にとめて、そこから歩いて行くことにしました。
駐車場も空いていましたよ。お花見の季節には、お昼頃ノコノコ行ったのでは、今頃来たってダメだよ、と満杯の車たちが口々に言っています。だいたい今の季節は、紅葉狩りにはまだ早すぎて、中途半端な時期なんですね。だから空いているのももっともなことなんでしょう。
以前読んだ新聞記事で、今、八鶴湖は湖水の浄化プロジェクトが進行中であることは知っていました。6月ごろには水がすべて抜かれ、湖底が見える状態だったそうですが、今はなみなみとというわけにはいかないですけれど、水がたたえられていました。ただ、水草がだいぶ生い茂っていましたね。

向こう岸に見えるのは八鶴亭

対岸に見えるのは本漸寺、後ろが御殿山です
「東京庵」に慌てて行っても、待っている人が店の外にはみ出ているに違いありません。そこで湖の畔を少し歩いてみると、こんな説明板がありました。

『私たち「八鶴湖浄化プロジェクト会議」では、八鶴湖の水をきれいにするための事業を進めています。』
事業は以下のように進めるということです。
湖水の放流
↓
湖底の乾燥(ヘドロの乾燥)
↓
雄蛇ヶ池から引水
湖に水がたまっているということは、現在は水を引き入れている段階なんですかね。生い茂っている水草はどうなるんでしょう。放置しておくと、どんどん増えるでしょうね。そんなことを思案しながら、東京庵に向かったのでした。
「話すように書く」ではないけれど、イヌ・ネコがいれば挨拶し、小石があればつまずいてヨロヨロし、石仏でもあればすぐにカメラをかまえるという具合に、散歩しているかのように書くにはどうしたらいいのか、そんなことを考え始めると収拾ががつかなくなってしまうのだ。しかしそういう時は、考えているだけではいつまでたってもラチが明かない。ともかく最初の一歩を踏み出すにしくはない。
ネコの写真なんか撮っていたものですから、出発が遅れてしまいました。ドライバーの皆さんの多くは高速道路で渋滞に巻き込まれているはずですから、下の道の車はその分減っていて、スイスイという感じで途中渋滞などはありませんでした。東金に着いたのは12時過ぎ。そのまま蕎麦屋さん「東京庵」に直行してお昼にしようと思ったのですが、店の前の駐車場は満車、仕方なく最福寺横の駐車場にとめて、そこから歩いて行くことにしました。
駐車場も空いていましたよ。お花見の季節には、お昼頃ノコノコ行ったのでは、今頃来たってダメだよ、と満杯の車たちが口々に言っています。だいたい今の季節は、紅葉狩りにはまだ早すぎて、中途半端な時期なんですね。だから空いているのももっともなことなんでしょう。
以前読んだ新聞記事で、今、八鶴湖は湖水の浄化プロジェクトが進行中であることは知っていました。6月ごろには水がすべて抜かれ、湖底が見える状態だったそうですが、今はなみなみとというわけにはいかないですけれど、水がたたえられていました。ただ、水草がだいぶ生い茂っていましたね。

向こう岸に見えるのは八鶴亭

対岸に見えるのは本漸寺、後ろが御殿山です
「東京庵」に慌てて行っても、待っている人が店の外にはみ出ているに違いありません。そこで湖の畔を少し歩いてみると、こんな説明板がありました。

『私たち「八鶴湖浄化プロジェクト会議」では、八鶴湖の水をきれいにするための事業を進めています。』
事業は以下のように進めるということです。
湖水の放流
↓
湖底の乾燥(ヘドロの乾燥)
↓
雄蛇ヶ池から引水
湖に水がたまっているということは、現在は水を引き入れている段階なんですかね。生い茂っている水草はどうなるんでしょう。放置しておくと、どんどん増えるでしょうね。そんなことを思案しながら、東京庵に向かったのでした。
posted by 里実福太朗 at 00:03| フォト漫歩計
2009年09月23日
庄野潤三さん旅立つ
昨日東金から帰る車の中で、拙作「時の忘れがたみ」をありがたくもお読みくださった方の感想に関連して、庄野潤三さんのことがちょっと話題にのぼった。庄野さんは近頃新作を発表していないが、お元気だろうか。もうかなりのご高齢だから、書くことは難しくなっているのかもしれない。そんなことを話したのだが、それは虫の知らせによるものだったのかもしれない。今朝の朝日新聞に、庄野潤三さんが亡くなったことを知らせる記事が載っていた。
記事によると、『21日、老衰のため死去した。88歳だった』ということだった。死因は老衰ということだから、晩年の作風通りの穏やかな日々の暮らしの中で、安らかな眠りにつかれたことと思う。
庄野潤三さんは戦後文学史の中では、「第三の新人」のと呼ばれていた。第二次大戦後に新たに登場した作家たちは、まず「第一次戦後派」と呼ばれ、それに遅れて登場した新人たちは、「第二次戦後派」と呼ばれた。その後、昭和二十年代後半に入り、三番手の新人作家たちが台頭してくる。「もはや戦後ではない」という言葉が経済白書で使われて、それが流行語となったのが1956年のこと、戦後三番目に登場してきた新人作家たちを、もはや第三次戦後派とは呼ぶことのできない時代となっていた。そこで彼らにつけられた名称が、「第三の新人」というものだった。
若い頃から現在に至るまで親しんできた作家たちには、いわゆる「第三の新人」と呼ばれていた人たちが多い。彼らの作品には派手なドラマがあるわけではないが、しかし一読すれば抵抗なくスーッと心にしみ通ってくる。それは頭で理解するのではなく、五感で受け止めイメージを想起しながら読むことでもたらされものなのだろう。
同時代の作家たちの多くは、すでに他界してしまった。吉行淳之介さんも亡くなり、今回、庄野潤三さんが亡くなり、健在なのは安岡章太郎さんだけになってしまった。庄野潤三さんより一年早い1920年生まれだから、もう89歳になっている。今どのように暮らしておられるのだろうか。自らを劣等生と称していたが、その劣等生が一番長生きすることになった。
記事によると、『21日、老衰のため死去した。88歳だった』ということだった。死因は老衰ということだから、晩年の作風通りの穏やかな日々の暮らしの中で、安らかな眠りにつかれたことと思う。
庄野潤三さんは戦後文学史の中では、「第三の新人」のと呼ばれていた。第二次大戦後に新たに登場した作家たちは、まず「第一次戦後派」と呼ばれ、それに遅れて登場した新人たちは、「第二次戦後派」と呼ばれた。その後、昭和二十年代後半に入り、三番手の新人作家たちが台頭してくる。「もはや戦後ではない」という言葉が経済白書で使われて、それが流行語となったのが1956年のこと、戦後三番目に登場してきた新人作家たちを、もはや第三次戦後派とは呼ぶことのできない時代となっていた。そこで彼らにつけられた名称が、「第三の新人」というものだった。
若い頃から現在に至るまで親しんできた作家たちには、いわゆる「第三の新人」と呼ばれていた人たちが多い。彼らの作品には派手なドラマがあるわけではないが、しかし一読すれば抵抗なくスーッと心にしみ通ってくる。それは頭で理解するのではなく、五感で受け止めイメージを想起しながら読むことでもたらされものなのだろう。
同時代の作家たちの多くは、すでに他界してしまった。吉行淳之介さんも亡くなり、今回、庄野潤三さんが亡くなり、健在なのは安岡章太郎さんだけになってしまった。庄野潤三さんより一年早い1920年生まれだから、もう89歳になっている。今どのように暮らしておられるのだろうか。自らを劣等生と称していたが、その劣等生が一番長生きすることになった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月22日
出発前の記念撮影
高速道路は深夜になっても、20キロメートルをこえる渋滞が続いているそうだ。連日渋滞が続く光景をテレビで見ながら、かつてはわが家もそういう渋滞の中にいたことを思い出す。渋滞に巻き込まれ、疲れ果てて家の車庫に車を駐めた時には、連休に遠出することはもうこりごりだと思う。しかし何ヶ月か経ってまた連休が訪れると、性懲りもなくハンドルを握る。そんなことを繰り返していた時期があった。
このお彼岸の時期に、甲府の菩提寺に車で出かけるには、片道8時間かかることを覚悟しなければならない。今はもうそんな体力も忍耐力もない。そこでお墓参りではなく歌碑参りをすることにして、東金の御殿山に行くことにした。歌碑までの案内図を書いてくれた本屋さん「福屋」のご主人にも、「時の忘れがたみ」をお届けすることにしよう。
車に乗ろうとした時に、家の陰からネコが出てきた。庭に出入りするネコを見るのは久しぶりなので、コンパクト・デジカメを取り出して撮らせてもらうことにした。ネコの場合でも、まずコミュニケーションを成立させてから撮影に臨まなければならないのは、イヌの場合と同じである。
まず、
「やあ、こんにちは」
と声を掛ける。すると当然のこと、オヤという表情をつくって身構える。

「写真を一枚撮らせてくれないかな」
と笑顔を作りながら、人差し指を一本立ててみせる。ネコという動物は猜疑心が強いから、笑顔にはなかなかだまされない。そこで、さらに懐柔策を試みるのだ。
「一枚だけでいいんだけれどな。無断で庭に入り込んだんだから、そのくらいいいじゃないか、いじめたりしないからさ」
こんなふうに話かけると、いつでも逃げられる体勢をとりながら、どうしようかと思案している。そこで、あと一押し。
「それじゃ撮るよ」

すると意外にも、ネコは両手を地面にそろえて腰をおろし、ポーズをとってくれるではないか。チャンと視線もレンズに向けてくれている。ネコは気まぐれだから、気が変わらないうちに素早くカメラを構えてシャッターを切った。そして「ありがとう」と声をかけて車に乗ったのだった。
このお彼岸の時期に、甲府の菩提寺に車で出かけるには、片道8時間かかることを覚悟しなければならない。今はもうそんな体力も忍耐力もない。そこでお墓参りではなく歌碑参りをすることにして、東金の御殿山に行くことにした。歌碑までの案内図を書いてくれた本屋さん「福屋」のご主人にも、「時の忘れがたみ」をお届けすることにしよう。
車に乗ろうとした時に、家の陰からネコが出てきた。庭に出入りするネコを見るのは久しぶりなので、コンパクト・デジカメを取り出して撮らせてもらうことにした。ネコの場合でも、まずコミュニケーションを成立させてから撮影に臨まなければならないのは、イヌの場合と同じである。
まず、
「やあ、こんにちは」
と声を掛ける。すると当然のこと、オヤという表情をつくって身構える。

「写真を一枚撮らせてくれないかな」
と笑顔を作りながら、人差し指を一本立ててみせる。ネコという動物は猜疑心が強いから、笑顔にはなかなかだまされない。そこで、さらに懐柔策を試みるのだ。
「一枚だけでいいんだけれどな。無断で庭に入り込んだんだから、そのくらいいいじゃないか、いじめたりしないからさ」
こんなふうに話かけると、いつでも逃げられる体勢をとりながら、どうしようかと思案している。そこで、あと一押し。
「それじゃ撮るよ」

すると意外にも、ネコは両手を地面にそろえて腰をおろし、ポーズをとってくれるではないか。チャンと視線もレンズに向けてくれている。ネコは気まぐれだから、気が変わらないうちに素早くカメラを構えてシャッターを切った。そして「ありがとう」と声をかけて車に乗ったのだった。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月21日
逆パターンの行動原理
午後十時を過ぎても、首都圏周辺の高速道路は激しい渋滞が続いているらしい。まだ連休は二日残っているというのに下りが混むということは、ドライバーたちの魂胆は、連休後半はわが家でゆっくり過ごそうということなのだろう。
「ドラぷら」で、夏、山梨に行った時に利用したコースの渋滞予想時間を調べてみた。小淵沢で中央高速にのり、外環道を回って、常磐道の柏に至るコースだ。出発は15時としてみた。休みなしで走ったとして、柏まで5時間ほどかかってしまった。休憩時間と自宅までに要する時間とを加えると、8時間以上はかかることになる。家に着くのは11時を過ぎてしまう。いやはやたいへんなことだ。
15:00 小淵沢
中央自動車道(西宮線)
[76.9km] 渋滞85分(通常62分)
16:25 大月
中央自動車道(富士吉田線)
[35.4km] 渋滞123分(通常28分)
18:28 八王子JCT
圏央道(八王子−川島)
[11.6km] 9分
18:37 日の出
圏央道(八王子−川島)
[28.5km] 22分
18:59 鶴ケ島JCT
関越自動車道
[27.0km]渋滞29分(通常16分)
19:28 大泉JCT
東京外環自動車道
[29.6km] 26分
19:54 三郷JCT
常磐自動車道
[10.8km] 7分
20:01 柏
テレビのニュースによると、今回の渋滞は今までとは違う面があるそうだ。今日は上りが混雑しただけでなく、下りも混雑したというのだ。想像してみるに、ドライバーたちは夏の渋滞で懲りて、連休前半は混雑が予想されるとして連休後半に遠出をしようと考えたのだろう。
渋滞を避けるためには、他の人と同じような行動パターンをとっていたのではダメだ。まったく逆のパターンで行動しなければ、効果は得られない。5日という限られた期間内で、逆パターンで動くことがではたしてきるのか、そう考えて得られた結論が、連休半ばから遠出をしようというものだ。
ところが、今日下りが渋滞したということは、同じように考えた人が多かったということなのだろう。せっかく絞り出したアイデアも、同じように考える人が多ければまったく意味がなくなってしまうというものだ。
なんとかして、渋滞を避けて遠出をするためにはどうしたらよいのだろうか。この問は、ドライバー諸氏の永遠のテーマであるに違いない。果たして答えはあるのだろうか。わたくしの長年の経験によれば、都合の良い答えなどあるはずはないということに行き着く。
普通のサラリーマン生活を送っているならば、退職するまでは渋滞なしでドライブすることは、まあ断念するより仕方がない。退職すれば、外が混雑する休日は家の中でひっそりと暮らし、すいている平日に出かけるという逆パターンを活用することが可能となるのだ。ただ近頃は、団塊の世代の退職者が急激に増え、以前のように逆パターンで動いても、あまり利点がないという面が生じてきているような気もする。
「ドラぷら」で、夏、山梨に行った時に利用したコースの渋滞予想時間を調べてみた。小淵沢で中央高速にのり、外環道を回って、常磐道の柏に至るコースだ。出発は15時としてみた。休みなしで走ったとして、柏まで5時間ほどかかってしまった。休憩時間と自宅までに要する時間とを加えると、8時間以上はかかることになる。家に着くのは11時を過ぎてしまう。いやはやたいへんなことだ。
15:00 小淵沢
中央自動車道(西宮線)
[76.9km] 渋滞85分(通常62分)
16:25 大月
中央自動車道(富士吉田線)
[35.4km] 渋滞123分(通常28分)
18:28 八王子JCT
圏央道(八王子−川島)
[11.6km] 9分
18:37 日の出
圏央道(八王子−川島)
[28.5km] 22分
18:59 鶴ケ島JCT
関越自動車道
[27.0km]渋滞29分(通常16分)
19:28 大泉JCT
東京外環自動車道
[29.6km] 26分
19:54 三郷JCT
常磐自動車道
[10.8km] 7分
20:01 柏
テレビのニュースによると、今回の渋滞は今までとは違う面があるそうだ。今日は上りが混雑しただけでなく、下りも混雑したというのだ。想像してみるに、ドライバーたちは夏の渋滞で懲りて、連休前半は混雑が予想されるとして連休後半に遠出をしようと考えたのだろう。
渋滞を避けるためには、他の人と同じような行動パターンをとっていたのではダメだ。まったく逆のパターンで行動しなければ、効果は得られない。5日という限られた期間内で、逆パターンで動くことがではたしてきるのか、そう考えて得られた結論が、連休半ばから遠出をしようというものだ。
ところが、今日下りが渋滞したということは、同じように考えた人が多かったということなのだろう。せっかく絞り出したアイデアも、同じように考える人が多ければまったく意味がなくなってしまうというものだ。
なんとかして、渋滞を避けて遠出をするためにはどうしたらよいのだろうか。この問は、ドライバー諸氏の永遠のテーマであるに違いない。果たして答えはあるのだろうか。わたくしの長年の経験によれば、都合の良い答えなどあるはずはないということに行き着く。
普通のサラリーマン生活を送っているならば、退職するまでは渋滞なしでドライブすることは、まあ断念するより仕方がない。退職すれば、外が混雑する休日は家の中でひっそりと暮らし、すいている平日に出かけるという逆パターンを活用することが可能となるのだ。ただ近頃は、団塊の世代の退職者が急激に増え、以前のように逆パターンで動いても、あまり利点がないという面が生じてきているような気もする。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月19日
季節はずれのアブラゼミ
今年の中秋の名月は、10月3日らしい。去年は9月14日、来年は9月22日、10月に入ってから中秋の名月を仰ぐのは、2006年以来のことになる。早いもので、もう秋も半ばなのである。ところが今朝、夫人が季節はずれのセミを発見した。
その話を聞いてさっそく確かめてみると、縁の下の上部に、抜け殻がしがみついていた。そしてそこから羽化したと思われるセミが、踏み石の陰からチョコンと顔をのぞかせていた。この涼しさでは、もう弱ってしまっているのかもしれない。指ではさんで持ち上げると、意外にも元気よく羽ばたいて、手の中から逃れていって、庭木の下の方にとまった。


夫人がブログで書いていたように、例年になく早く咲き始めた彼岸花は、お彼岸の入りを前にして、すでに盛りを過ぎてしまっていた。

庭におりたついでに、ミカンも撮っておいた。春にはたくさんの花が咲いたが、実を結んだのは二つだけだった。そのうちの一つは、表面が茶色くなっているから、食べられそうなのはたった一つだけということになりそうだ。

その話を聞いてさっそく確かめてみると、縁の下の上部に、抜け殻がしがみついていた。そしてそこから羽化したと思われるセミが、踏み石の陰からチョコンと顔をのぞかせていた。この涼しさでは、もう弱ってしまっているのかもしれない。指ではさんで持ち上げると、意外にも元気よく羽ばたいて、手の中から逃れていって、庭木の下の方にとまった。



夫人がブログで書いていたように、例年になく早く咲き始めた彼岸花は、お彼岸の入りを前にして、すでに盛りを過ぎてしまっていた。

庭におりたついでに、ミカンも撮っておいた。春にはたくさんの花が咲いたが、実を結んだのは二つだけだった。そのうちの一つは、表面が茶色くなっているから、食べられそうなのはたった一つだけということになりそうだ。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月18日
シルバーウィーク
明日から「シルバーウィーク」が始まるそうだ。「ゴールデンウィーク」であれば、5月の大型連休のことだとすぐに分かるが、「シルバーウィーク」という言葉を初めて聞いた時は、何のことか皆目分からなかった。
「シルバー」は、たとえば「シルバーシート」などと使われ、年寄りを意味することが多い。さすれば「シルバーウィーク」とは、「年寄り週間」ということになる。敬老の日だけでは足りずに、ついに何日にもわたって年寄りを大切にしていこうということになったのだろうと、その言葉の由来について深慮したのだった。
これは年寄りにとって、良いことなのか、それともありがた迷惑なことなのか。電車にシルバーシートが設けられて久しくなるが、近頃電車に乗ると、真っ先にそこに座るのが若者、しかも男であるのを見ると、そういう週間を設けざるを得ない時代になったのかなとも思う。本当のところは、シルバーシートなどというものもないほうが良いのだが。
しかしわたしの想像はまったくの見当違いだった。「シルバーウィーク」とは、9月の連休をさす言葉だったのだ。明日の土曜日が休みの人は、5日間の連休となる。ゴールデンウィークほどではないが、そこそこの連休となるので、「ゴールデン」に対して「シルバー」と名付けたらしい。
高速道路は、夏のお盆の期間のようにまた大渋滞となるのだろうか。あの渋滞を経験した人たちはもう懲りているはずだから、出かけるにしても他の交通手段を利用するのかもしれない。しかし、渋滞に巻き込まれた時のつらさは、もうのど元を過ぎてしまって、同じことが繰り返されるのかもしれない。
先週の土曜日、、バス一台を貸り切って写真塾・建築塾のメンバーと一緒に益子方面に行ってきた。往路・復路ともに常磐道を利用した。首都高に続く料金所前のあたりで少し混んだが、そこ以外ではまったく渋滞に巻き込まれることはなかった。ETC車載器を設置した乗用車について、土・日・祝日の高速道路通行料が1000円を上限とする措置はまだ続けられているが、ひと頃よりはドライバーたちの熱狂が覚めたからなのかもしれない。
明日からのシルバーウィークで、高速道路はどの程度の混雑になるのだろうか。新政権が料金の無料化を公約として掲げてもいることだから、ドライバーたちの動向を追ってみるのも、家でごろころしている身にとっては、良い暇つぶしになるかもしれない。
「シルバー」は、たとえば「シルバーシート」などと使われ、年寄りを意味することが多い。さすれば「シルバーウィーク」とは、「年寄り週間」ということになる。敬老の日だけでは足りずに、ついに何日にもわたって年寄りを大切にしていこうということになったのだろうと、その言葉の由来について深慮したのだった。
これは年寄りにとって、良いことなのか、それともありがた迷惑なことなのか。電車にシルバーシートが設けられて久しくなるが、近頃電車に乗ると、真っ先にそこに座るのが若者、しかも男であるのを見ると、そういう週間を設けざるを得ない時代になったのかなとも思う。本当のところは、シルバーシートなどというものもないほうが良いのだが。
しかしわたしの想像はまったくの見当違いだった。「シルバーウィーク」とは、9月の連休をさす言葉だったのだ。明日の土曜日が休みの人は、5日間の連休となる。ゴールデンウィークほどではないが、そこそこの連休となるので、「ゴールデン」に対して「シルバー」と名付けたらしい。
高速道路は、夏のお盆の期間のようにまた大渋滞となるのだろうか。あの渋滞を経験した人たちはもう懲りているはずだから、出かけるにしても他の交通手段を利用するのかもしれない。しかし、渋滞に巻き込まれた時のつらさは、もうのど元を過ぎてしまって、同じことが繰り返されるのかもしれない。
先週の土曜日、、バス一台を貸り切って写真塾・建築塾のメンバーと一緒に益子方面に行ってきた。往路・復路ともに常磐道を利用した。首都高に続く料金所前のあたりで少し混んだが、そこ以外ではまったく渋滞に巻き込まれることはなかった。ETC車載器を設置した乗用車について、土・日・祝日の高速道路通行料が1000円を上限とする措置はまだ続けられているが、ひと頃よりはドライバーたちの熱狂が覚めたからなのかもしれない。
明日からのシルバーウィークで、高速道路はどの程度の混雑になるのだろうか。新政権が料金の無料化を公約として掲げてもいることだから、ドライバーたちの動向を追ってみるのも、家でごろころしている身にとっては、良い暇つぶしになるかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月15日
初日から遅刻しないでよかったね横粂クン

細めのスーツに身を包んだ青年は、近頃テレビに登場することがあるので、後ろ姿でも誰なのか見当がつくかもしれない。衆議院選挙の際、小泉元首相の次男と横須賀の小選挙区で激しく争った横粂議員である。
JR有楽町の京橋口を出て、しばらく行くと小柄な青年が急ぎ足でこちらに向かってきた。右隣には、ビデオカメラを構えた女性が、これまた歩調を合わせて横並びでやって来た。それが横粂青年だったのだ。
インタビューを受けているにしては、あまりにも慌ただしく目の前を通り過ぎていった。その後も歩みを止めることはなく、まとわりつくビデオカメラのレンズを避けるかのように、小走りでズンズン進んで行った。その光景に気づいた人たちは、彼の顔を見て一様にオヤッという表情をつくり、中には笑みを浮かべる人もいた。
後ろ姿しか写真におさめることができなかったが、正面から見た彼は、テレで見たままの生真面目そうな青年だった。テレビで見たままとは、我ながらつまらない感想だとは思うけれど、事実なんだから仕方がない。
横粂青年とビデオカメラを構えた女性とは、競争し合うように先を急ぎ、しばらく併走してから地下鉄の駅に通じる階段を下りていった。それを見届けてから、ITOUYAに向かったのだった(私もヒマだね)。
夜のニュースでは、民主党の両院議員総会の模様を伝えていた。それが開かれたのが午後5時頃、その3時間ほど前の2時頃からは、新人議員たちへのガイダンスが行われたそうだ。その様子も映し出され、インタビューを受けている横粂青年の映像も流れた。
有楽町で見かけた横粂青年は、そのガイダンスに向かう途中だったのだろう。写真を撮影した時間を確認してみたところ、12時58分だった。ガイダンスが始まるまで約1時間しか残されていない。だからあんなに早足で通り過ぎていったのだろう。どんな用事があって有楽町にいたのかは分からないけれど、もう少し時間に余裕をもたせて動いた方が良いんじゃないかな、横粂クン。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月11日
奇跡体験
千葉ロッテマリーンズの成瀬投手は、とても粘り強くなってきた。若いのに偉いものだ。昨日の対福岡ソフトバンクホークス戦は、もともと小林宏之投手が先発予定だったのだが、インフルエンザに倒れたため急きょ登板することになったそうだ。
実は招待券が手に入り、昨日この試合を観戦した。2回までに3点を奪われ、味方打線は満塁の好機に拙攻で無得点で終わってしまうことを繰り返す。それでも辛抱強く投げ続けたおかげで、味方の得点に恵まれ、ついに完投勝利を収めたのだった。これで9勝目、二桁勝利も見えてきた。
6回、逆転の可能性がかかった絶好の好機で、バッターボックスに立つはずの井口選手にピンチヒッターが送られた。
「4番打者に代打かよ」
という声が後ろの方から聞こえた。そしてバッターボックスに立った橋本選手が、みごとヒットを打ち逆転したのだった。ロッテファンはが驚喜したのはもちろんのことだが、どこかに引っかかるものがあった。メジャー帰りの井口選手は、どういう気持ちでこの場面を見ていたのだろうか。
今朝の朝日新聞に、こういう記事が載っていた。
『井口(ロ)が途中交代
発熱による体調不良で6回に代打を送られた』
代打が送られた理由が分かり、その点では一安心ではあるが、発熱という状態が心配だ。ヒョッとして小林投手のように、インフルエンザに感染したのではないだろうか。ファイターズでも多くの感染者がでて、戦力ダウンに追い込まれ、負けが続いたことがあった。ここ3カード、2勝1敗のペースできていたのに、そんなことになると、また最下位になってしまうというおそれもある。インフルエンザの球団内での集団感染が危惧される。
ジェット風船は、8月にアカイヌご夫妻と一緒に観戦した時は、夏空に乱舞する様子を眺めることができたが、夏だというのに感染者が増加していることの影響で、再び自粛されていた。
さて、ここまでが前置きである。これからが本題となる。昨日の試合は、ファウルボールが多かった。運良くボールが飛んでいったところでは、ボールの争奪戦が起こり、まれにナイスキャッチする人がいると、その周囲で拍手がわき起こった。手に入れたファウルボールは、その人にプレゼントされるのだから、ファウルボールが多ければ多いほど喜ぶ人も増える。ファンサービスという一面もあるのかもしれない。
センターを守った早川選手は、打率が1割台に落ちてしまっていたが、昨日はファウルボールを打ちながらよく粘り、2安打を放った。
ファウルボールというものは、飛ぶ方向を見極めるのが案外難しい。こちらの方に飛んでくると思えば、かなり手前で落ちてしまう。あるいは大きくカーブして見当はずれの方向に行ってしまう。早川選手が打ったファウルボールも、最初はそんなふうに飛んでいくだろうと思っていた。
ところがそのファールボールは、バットから放たれてから、まるで狙いを定めたかのように、白い尾をひきながらこちらに向かって飛んできた。そのうち違う方角にそれていくだろうと見守っていても、まったくその気配が見えない。ただひたすらこちらに向かってくる。かなりのスピードで飛んでくるはずなのに、ときどき止まることを繰り返し、ゆっくりゆっくり近づいてくるように感じた。まるでこちらに求心力があって、こちらが引き寄せているかのように正確に目標に近づいてきた。
もうこちらに目標を定めていることを確信した。それならすぐにボールをよける体勢をとらなければならない。しかし不思議なことに、白い飛翔体を見つめ続けていたら、よけなければ危ないぞ、という考えは浮かんでこなかった。それどころか無意識に右手を斜め上に挙げ、捕球の体勢をとっていた。
ボールを手のひらの真ん中でとらえたら、たぶんスッポリと手の中におさまっていたことだろう。しかし中央から少しそれて、小指の付け根にあたりに当たったため、はじかれて座席の下に落ちてしまった。すかさず夫人がイスの下に手を入れてボールを捕ろうとした。隣のオジさんが手を伸ばしてきて横取りしようとしたが、夫人はすばらしい敏捷性を発揮して、確保することに成功した。
次の写真がめでたく手にすることのできたファウルボールである。汚れている箇所は、たぶん早川選手のバットと衝突してできたものだろう。

昨日の球場は、空席が目立つような気がしたが、入場者数は1万5千人ほどだった。仮に観客席に飛び込んだファイルボールの数を50個とすると、手に入れられる確率は、1/300となりかなり確率は高いとも言えるかもしれない。でもやっぱり滅多にないことであるには違いないのだから、奇跡的な体験をしたと思っていたい。
実は招待券が手に入り、昨日この試合を観戦した。2回までに3点を奪われ、味方打線は満塁の好機に拙攻で無得点で終わってしまうことを繰り返す。それでも辛抱強く投げ続けたおかげで、味方の得点に恵まれ、ついに完投勝利を収めたのだった。これで9勝目、二桁勝利も見えてきた。
6回、逆転の可能性がかかった絶好の好機で、バッターボックスに立つはずの井口選手にピンチヒッターが送られた。
「4番打者に代打かよ」
という声が後ろの方から聞こえた。そしてバッターボックスに立った橋本選手が、みごとヒットを打ち逆転したのだった。ロッテファンはが驚喜したのはもちろんのことだが、どこかに引っかかるものがあった。メジャー帰りの井口選手は、どういう気持ちでこの場面を見ていたのだろうか。
今朝の朝日新聞に、こういう記事が載っていた。
『井口(ロ)が途中交代
発熱による体調不良で6回に代打を送られた』
代打が送られた理由が分かり、その点では一安心ではあるが、発熱という状態が心配だ。ヒョッとして小林投手のように、インフルエンザに感染したのではないだろうか。ファイターズでも多くの感染者がでて、戦力ダウンに追い込まれ、負けが続いたことがあった。ここ3カード、2勝1敗のペースできていたのに、そんなことになると、また最下位になってしまうというおそれもある。インフルエンザの球団内での集団感染が危惧される。
ジェット風船は、8月にアカイヌご夫妻と一緒に観戦した時は、夏空に乱舞する様子を眺めることができたが、夏だというのに感染者が増加していることの影響で、再び自粛されていた。
さて、ここまでが前置きである。これからが本題となる。昨日の試合は、ファウルボールが多かった。運良くボールが飛んでいったところでは、ボールの争奪戦が起こり、まれにナイスキャッチする人がいると、その周囲で拍手がわき起こった。手に入れたファウルボールは、その人にプレゼントされるのだから、ファウルボールが多ければ多いほど喜ぶ人も増える。ファンサービスという一面もあるのかもしれない。
センターを守った早川選手は、打率が1割台に落ちてしまっていたが、昨日はファウルボールを打ちながらよく粘り、2安打を放った。
ファウルボールというものは、飛ぶ方向を見極めるのが案外難しい。こちらの方に飛んでくると思えば、かなり手前で落ちてしまう。あるいは大きくカーブして見当はずれの方向に行ってしまう。早川選手が打ったファウルボールも、最初はそんなふうに飛んでいくだろうと思っていた。
ところがそのファールボールは、バットから放たれてから、まるで狙いを定めたかのように、白い尾をひきながらこちらに向かって飛んできた。そのうち違う方角にそれていくだろうと見守っていても、まったくその気配が見えない。ただひたすらこちらに向かってくる。かなりのスピードで飛んでくるはずなのに、ときどき止まることを繰り返し、ゆっくりゆっくり近づいてくるように感じた。まるでこちらに求心力があって、こちらが引き寄せているかのように正確に目標に近づいてきた。
もうこちらに目標を定めていることを確信した。それならすぐにボールをよける体勢をとらなければならない。しかし不思議なことに、白い飛翔体を見つめ続けていたら、よけなければ危ないぞ、という考えは浮かんでこなかった。それどころか無意識に右手を斜め上に挙げ、捕球の体勢をとっていた。
ボールを手のひらの真ん中でとらえたら、たぶんスッポリと手の中におさまっていたことだろう。しかし中央から少しそれて、小指の付け根にあたりに当たったため、はじかれて座席の下に落ちてしまった。すかさず夫人がイスの下に手を入れてボールを捕ろうとした。隣のオジさんが手を伸ばしてきて横取りしようとしたが、夫人はすばらしい敏捷性を発揮して、確保することに成功した。
次の写真がめでたく手にすることのできたファウルボールである。汚れている箇所は、たぶん早川選手のバットと衝突してできたものだろう。


昨日の球場は、空席が目立つような気がしたが、入場者数は1万5千人ほどだった。仮に観客席に飛び込んだファイルボールの数を50個とすると、手に入れられる確率は、1/300となりかなり確率は高いとも言えるかもしれない。でもやっぱり滅多にないことであるには違いないのだから、奇跡的な体験をしたと思っていたい。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月09日
「時の忘れがたみ」はなぜアマゾンにないか
ログスクール「ふらんこにあログ」の校長先生が、拙作「時の忘れがたみ」を読んで、その読後感をご自身のブログ「お気に入りの…」に載せてくれた。さっそくそのブログのコメント欄に、こんなふうに書き込ませていただいた。
---------------------------------
拙作「時の忘れがたみ」お読みいただきありがとうございます 『とても読みやすくて一気に読んでしまいました。』とあって、書いた者としてはありがたい限りです
せっかくアマゾンでさがしていただいたのに、見つからなくて申し訳ありません ちょっとした事情があってアマゾンだけには登録されていませんが、「bk1」などの他のオンライン書店には登録されています
八ヶ岳地方では、朝晩はかなり涼しくなっていることと思います お体に気をつけてお過ごしください
では、いづれまた
---------------------------------
確かに多くのオンライン書店では、書籍検索すれば「時の忘れがたみ」は見つかるが、「Amazon.co.jp(アマゾン)」では見つけることができない。それもそのはずで、アマゾンの書籍データベースには登録されていないから、当然そのような結果になるのだ。このことは、実は出版を考え始めたころから分かっていたことで、アマゾンだけが違う販売ルートを採用しているからだった。
書籍は一般的には、次のようなルートで読者の手元に届く。
出版社→取次(日販、トーハンなど)→(オンライン)書店→読者
出版社が新刊の見本を取次に入れると、それに基づいて書誌データが作成され、そのデータが書籍データーベースに組み込まれる。オンライン書店は、そのデータベースを利用して独自の書籍検索システムを構築する。
ところがアマゾンはこの販売ルートから、取次を省いてしまった。
出版社→アマゾン→読者
アマゾンは取次を経由しないで、直接出版社から仕入れる。そのため出版社は、アマゾンと新たに契約を結ばないと、書籍を扱ってもらえないということになったのだ。このような販売手法は、既存の販売システムを破壊することになるのだから、まあアマゾンのような巨大な倉庫を持つオンライン書店でないとできないことなのだろう。
出版不況といわれている昨今、旧来の販売システムはもう曲がり角を迎えているのかもしれないが、今後どんなかたちになっていくのだろうか。本を出す側としては、気軽に利用できて、必要としている読者の方にできるだけ早く本を届けることのできる出版システムというものを望むのである。
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拙作「時の忘れがたみ」お読みいただきありがとうございます 『とても読みやすくて一気に読んでしまいました。』とあって、書いた者としてはありがたい限りです
せっかくアマゾンでさがしていただいたのに、見つからなくて申し訳ありません ちょっとした事情があってアマゾンだけには登録されていませんが、「bk1」などの他のオンライン書店には登録されています
八ヶ岳地方では、朝晩はかなり涼しくなっていることと思います お体に気をつけてお過ごしください
では、いづれまた
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確かに多くのオンライン書店では、書籍検索すれば「時の忘れがたみ」は見つかるが、「Amazon.co.jp(アマゾン)」では見つけることができない。それもそのはずで、アマゾンの書籍データベースには登録されていないから、当然そのような結果になるのだ。このことは、実は出版を考え始めたころから分かっていたことで、アマゾンだけが違う販売ルートを採用しているからだった。
書籍は一般的には、次のようなルートで読者の手元に届く。
出版社→取次(日販、トーハンなど)→(オンライン)書店→読者
出版社が新刊の見本を取次に入れると、それに基づいて書誌データが作成され、そのデータが書籍データーベースに組み込まれる。オンライン書店は、そのデータベースを利用して独自の書籍検索システムを構築する。
ところがアマゾンはこの販売ルートから、取次を省いてしまった。
出版社→アマゾン→読者
アマゾンは取次を経由しないで、直接出版社から仕入れる。そのため出版社は、アマゾンと新たに契約を結ばないと、書籍を扱ってもらえないということになったのだ。このような販売手法は、既存の販売システムを破壊することになるのだから、まあアマゾンのような巨大な倉庫を持つオンライン書店でないとできないことなのだろう。
出版不況といわれている昨今、旧来の販売システムはもう曲がり角を迎えているのかもしれないが、今後どんなかたちになっていくのだろうか。本を出す側としては、気軽に利用できて、必要としている読者の方にできるだけ早く本を届けることのできる出版システムというものを望むのである。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月08日
桃源郷
鷲神社からフルーツランドに行く途中には、墓地や栗林などがあって、ちょっとした山道を行く気分になる。そして山道が尽きた所では急に視界が開け、別の世界が待ちうけている。先祖伝来と思われるゆったりとした広い土地に、どっしりとした構えの家が建っている。庭の一部は畑として使われ、その広さは家庭菜園と呼ばれるものの比ではない。





今までに何回かこの地区を訪れているが、そのたびに「桃源郷」の話が頭をよぎった。もちろん違いはある。川沿いに林立する桃の木はなく、春に桃の花が咲き乱れることはない。かわりに栗の木があるだけである。一度は偶然行き着いた桃源郷は、二度と探し当てることはできなかったが、その地区は思い立てばいつでも行くことができる。
こんな違いはあるのだけれど、長い間外部の人との接触を拒み、自然とみごとに調和して、豊かな自給自足の暮らしを続けてきたに違いない、そんなふうに想像してみれば、せせこましい環境で窮屈に生きている者にとっては、一種の桃源郷のように思われてくるのだった。





今までに何回かこの地区を訪れているが、そのたびに「桃源郷」の話が頭をよぎった。もちろん違いはある。川沿いに林立する桃の木はなく、春に桃の花が咲き乱れることはない。かわりに栗の木があるだけである。一度は偶然行き着いた桃源郷は、二度と探し当てることはできなかったが、その地区は思い立てばいつでも行くことができる。
こんな違いはあるのだけれど、長い間外部の人との接触を拒み、自然とみごとに調和して、豊かな自給自足の暮らしを続けてきたに違いない、そんなふうに想像してみれば、せせこましい環境で窮屈に生きている者にとっては、一種の桃源郷のように思われてくるのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| フォト漫歩計
2009年09月06日
お化けカボチャ三兄弟
久しぶりで先崎の方面に行ってきた。夫人がその辺りの畑で大きなカボチャがとれたという情報を仕入れてきて、そのお化けカボチャを見に行ったのだ。なんでもその巨大なカボチャで、ハロウィンのカボチャランタンを作るのだそうだ。聞くところによると、カボチャがあるのはブドウ直売店ということだった。先崎にブドウ直売店があるとは知らなかった。何度か散策したが、ブドウ棚らしきものを見かけたこともはなかった。そこではブルーベリー摘みもできるらしい。
その情報をもたらしてくれたイギリス女性は、その土地の名称「先崎」を「ききざき」と言ったらしいが、正しくは「まっさき」である。私たちも佐倉に来て初めてその地名に接した時、「せんざき」などと読んでしまったのだから、読み間違えるのも無理ないことなのだ。
鷲神社に車をとめて、教えられたとおりに歩いて行くと、10分ほどでブドウ直売所のノボリが見えてきた。今まで何度か歩いたことのあるコースから外れて、細い道を入ったところにその果樹園があった。「フルーツランド出山(いでやま)」という果樹園だった。「フルーツランド」などとなっているから、大きな果樹園が思い浮かんでくるが、こじんまりとしていて、それでも車4・5台分ほどの駐車スペースはあった。
店の女性に伺うと、最初は柿から始めたそうで、かれこれ20年ほど経つということだ。近くにある鷲神社は、承平7年(937)に慈恵僧正が創建したと「佐倉風土記」に記されているそうだから、先崎という土地は、古くから人が住み着いて暮らしてきた歴史ある土地なのだ。そういう永い歴史をもつ土地の果樹園としては、まだまだ歴史が浅い。
さてそのカボチャだが、形はいびつなところがあるが、確かに大きい。ブドウ棚入口の台の上に三つ並んでいるうちで、一番大きくて色が鮮やかなカボチャを購入することにして、今日のところは予約だけしておいた。

その情報をもたらしてくれたイギリス女性は、その土地の名称「先崎」を「ききざき」と言ったらしいが、正しくは「まっさき」である。私たちも佐倉に来て初めてその地名に接した時、「せんざき」などと読んでしまったのだから、読み間違えるのも無理ないことなのだ。
鷲神社に車をとめて、教えられたとおりに歩いて行くと、10分ほどでブドウ直売所のノボリが見えてきた。今まで何度か歩いたことのあるコースから外れて、細い道を入ったところにその果樹園があった。「フルーツランド出山(いでやま)」という果樹園だった。「フルーツランド」などとなっているから、大きな果樹園が思い浮かんでくるが、こじんまりとしていて、それでも車4・5台分ほどの駐車スペースはあった。
店の女性に伺うと、最初は柿から始めたそうで、かれこれ20年ほど経つということだ。近くにある鷲神社は、承平7年(937)に慈恵僧正が創建したと「佐倉風土記」に記されているそうだから、先崎という土地は、古くから人が住み着いて暮らしてきた歴史ある土地なのだ。そういう永い歴史をもつ土地の果樹園としては、まだまだ歴史が浅い。
さてそのカボチャだが、形はいびつなところがあるが、確かに大きい。ブドウ棚入口の台の上に三つ並んでいるうちで、一番大きくて色が鮮やかなカボチャを購入することにして、今日のところは予約だけしておいた。


posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月04日
赤い鳥居
遠出をしなくても、身近なところに不思議な物体はころがっているものだ。たとえば近くの食品スーパーに行く途中で見掛けた物。小さな鳥居であることは一見して分かるけれど、いったい何のために置いたんだろうか。

石段下の両側に置かれているから、石段の上に神社があるのかなと想像を巡らす人もいるかもしれない。けれど石段を登っていっても神社が姿を現すことはなく、平凡な住宅地が広がっているだけだ。となれば本来の鳥居としての役割を担っているのではなく、別の目的があるに違いないと考える。そして地元の人は、ハハァーンと気づくのだ。
鳥居のあるこの小道は、犬たちの散歩道なのだ。夕方には、いろいろな種類の犬たちが闊歩している。となれば、犬の習性の犠牲となる場所が、小道の両側に発生することになる。大の方は飼い主が処理するが、小となるとそのまま放置されてしまう。
イヌに訊いてみなければ本当のところは分からないが、どうもイヌが好む場所があるようだ。電信柱しかり、塀の角もしかり。その石段下も、いかにもイヌの好みそうな場所なのだ。実際に目撃したわけではないが、その小道を通る犬たちは、石段下で必ず立ち止まったことだろう。
その赤い鳥居を拡大してみよう。向かって右側の鳥居は、マアマアのできだ。左側はどうだろうか。確かめてみると、ご覧の通り一番上の横棒がなんだかおかしい。どうやら木材が足りなくなって、枝の切れっぱしをどこかから拾ってきて代用としたようだ。


さて、赤い鳥居の効果はあったのだろうか。見るところ色が黒ずんだり、よごれたりという箇所は見当たらない。イヌは鳥居の持つ意味などは分からないだろうが、飼い主には分かるはずだから、それなりの効果はあったのだろう。

石段下の両側に置かれているから、石段の上に神社があるのかなと想像を巡らす人もいるかもしれない。けれど石段を登っていっても神社が姿を現すことはなく、平凡な住宅地が広がっているだけだ。となれば本来の鳥居としての役割を担っているのではなく、別の目的があるに違いないと考える。そして地元の人は、ハハァーンと気づくのだ。
鳥居のあるこの小道は、犬たちの散歩道なのだ。夕方には、いろいろな種類の犬たちが闊歩している。となれば、犬の習性の犠牲となる場所が、小道の両側に発生することになる。大の方は飼い主が処理するが、小となるとそのまま放置されてしまう。
イヌに訊いてみなければ本当のところは分からないが、どうもイヌが好む場所があるようだ。電信柱しかり、塀の角もしかり。その石段下も、いかにもイヌの好みそうな場所なのだ。実際に目撃したわけではないが、その小道を通る犬たちは、石段下で必ず立ち止まったことだろう。
その赤い鳥居を拡大してみよう。向かって右側の鳥居は、マアマアのできだ。左側はどうだろうか。確かめてみると、ご覧の通り一番上の横棒がなんだかおかしい。どうやら木材が足りなくなって、枝の切れっぱしをどこかから拾ってきて代用としたようだ。


さて、赤い鳥居の効果はあったのだろうか。見るところ色が黒ずんだり、よごれたりという箇所は見当たらない。イヌは鳥居の持つ意味などは分からないだろうが、飼い主には分かるはずだから、それなりの効果はあったのだろう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2009年09月01日
ハルワさんのミイラ

これは一体なんだろうね。東京都美術館の入口近くにあったんだ。今までに何回かそのあたりを通ったことがあるけれど、そんな物があることに気づいたのはその日が初めてだったんだ。背後にポンプ室のようなものが見えるから、消火用設備だったのかもしれない。もう使ってないようだけれど、どうして残っているんだろうね。上野の山には、今はもう無用の長物となったものが、まだまだ残っているような気がするね。
ほんとうのところ、「トリノ・エジプト展」はぜひ観たいと思っていたんじゃないんだ。お昼を食べた動物園脇のお店から一番近かったのが、都の美術館だったというわけさ。そんな調子だったから、どの程度の規模の展覧会なのかとか、目玉は何なのかとか、まったく予備知識がなかったんだけれど、展示物が充実していてかなり規模の大きな展覧会だったね。

パンフレットに「門外不出のツタンカーメン、上野で公開中」と書かれているんだから、王の系統図から抹消されたあの少年王が一番の呼び物であることは間違いなく、たしかに美しい彫像の前で歩みを止めて見入っている人も多かった。像の周囲に鏡を設置してあったけれど、なにしろ人が多くて鏡が見えなくなってしまい、その演出はトリノ美術館のマネをしたらしけれど、残念ながらあまり効果はなかったね。
一番心にズシンと響いたのは、ハルワという人のミイラかな。全身が亜麻布でくるまれているけれど、ところどころ黒ずんでいて、テカテカ光っているような感じさえもするんだよ。そんなふうに感じ始めると、ミイラはガラスケースにおさめられているんだけれど、ガラス越しに異臭が漂ってくるようにもおもえてきたよ。だからあまり近寄って見るのはやめたんだ。
エジプトの人は死後の復活を信じてミイラとなったらしい。しかしそのことがかえって仇となり、ハルワさんの墓は掘り起こされ、こうやって変わり果てた姿を公衆の面前にさらすことになってしまった。気の毒なことだね。死後の世界でも安らかに過ごせないなんて、哀れな末路だ。ハルワさんはこんなことになろうとは、想像さえしてなかっただろうね。やっぱり死んだら灰になってしまった方がいいよ。
おまけにハルワさんの頭部が、復元されて展示されていたんだ。彫りが深くて精悍な顔だったよ。生前の顔が蘇ったということは、考えようによってはまあ不完全ではあるけれど、望み通り復活することができたと言えるかもしれないね。ミイラはトリノ博物館に戻ってからも、ずっと展示されているのかな。調査が終わったら、もと通り埋葬してあげた方が良いように思うけれどね、そうしてあげないと死者もうかばれないと思うよ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗