2009年12月31日

マカロン

みりんが無くなったというので、夫人のお使いで近くのスーパまで買いに走った。用事を仰せつかって使いに出ても、物見高い眼で売り場を歩き回っているうちに、肝心の用事を忘れてしまうということが時たまあるので、頭の中で「みりん・みりん」と繰り返して、脳みそに深く刻んでおいたのだった。

大晦日の夕刻のスーパーは思いのほかすいていて、かえって普段の日曜日の方が混雑しているな〜などと思いながら、スーパに併設されているスターバックスの近くを通った時、ふとマカロンのことを思い出した。2・3日前ここにマカロンについて書いたこと、ヨーロッパ旅行から帰国後、スタバで偶然見つけて買い求めたことなどが、マカロンを思い出させたのだろう。

スタバなら、どの店でもマカロンを扱っているのだろうか、どうでもいいことかもしれないが、そんなことも確かめてみたくて店内に吸い込まれてしまった。店内は空席が多く、そして席を占めているのは、主として二十代の若い人たちだった。窓際の席では、参考書らしきものをひらいて勉強している若者がいた。少し離れた席では、年賀状を仕分けしている若者もいた。私でさえ年賀状はもう投函したというのに、大晦日のそれもたそがれ時にそんなことをしているのでは、元旦に届くことはないだろう。

マカロンは、注文カウンターの上、小さなカゴの中に十個程度おさまっていた。その中から四つほどを取り出して、
「このマカロンをください…持ち帰ります」
と若い店員さんに告げると、
「これ、マカロンというんですか」
「フランスのお菓子のようですよ」
ここでもまた最近得た知識が役立ったのだ。
「知りませんでした。ボクが知ってるのは、これくらいです」
と言いながら指し示したのは、バームクーヘンだった。それならこの私だって知っている。スタバの店員さんが、扱っている商品を知らないのでは、ちとまずかろうと思うけれども、そんなふうに正直に言ってしまうということは、たぶんアルバイトの人なんだろう。
「お好きなんですか」
と訊ねられ、グッと言葉に詰まってしまった。好きというほどではない。甘みが強く感じられ、小さなかけらを口に入れればそれで十分なのだ。とても好きだとは返事することはできない。
「家のものが好きなんです」
と、とっさに答えておいた。

なおこのマカロンの包装袋には、販売者はスターバックスと記されていたが、製造者は示されていなかった。

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2009年12月30日

年の瀬のミノムシ

門松を家の前に飾った。といっても本物の門松ではなく、紙に印刷されたもので、何年か前から、市で用意してくれて住民に無料で提供してくれているものだ。先日図書館に行った際、市役所の出張所でもらってきたのだった。

門松を貼っている時、小さな物体がぶら下がっているのに気がついた。よくよく見ると小さなミノムシだった。よりによってブロック塀を居場所にするなんて、どういうつもりなんだろうと不審に思ったが、その事情はミノムシに聞いてみないと分からない。まあ、ミノムシの世界にも、変わり者がいるということにでもしておこう。

以前はよく見掛けたけれど、近頃はその姿を見ることはなく、その存在すら忘れかけていた。大量に発生して葉を食い荒らすこともあって、害虫と見なされることもあるようだが、粗末なミノの家(ミノムシにとっては御殿なのかもしれないが)に入って、冷たい北風を避けている姿を見ると、無事年を越してくれるといいのだがと、なんとなく感傷的になってしまうのも年の瀬だからなのかもしれない。

今までの暖かさはどこへやら、近頃はめっきり冬らしくなってきて、冷たい北風が吹きすさぶ日もある。強い風にでも吹き飛ばされて、わが家にやって来たのかもしれない。そのうち、またどこかに飛ばされてしまうかもしれず、そうなる前にその姿をとどめておこうと思い立ち、すぐさまカメラを持ちだして撮っておいた。

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2009年12月29日

今年を振り返って

年末の洗車場はいつも混雑する。午前中に洗車をすませておきたいと思っていたのだが、結局午後になってしまった。いつも利用するガソリンスタンドの洗車場へ行くと、案の定すでにかなりの車の列ができていた。

洗車をすませてからスーパーに立ち寄ったところ、もう福袋を売り出していた。今まで値引き販売をしていなかったブランドものの衣料品が、30パーセント引きで売られていた。来年の一月に入れば、きっと半額あたり売られることになるのだろう。

今年も残すところあと二日となってしまった。去年はどんなことがあったのだろうかと思い出してみようとしても、なかなか頭に浮かんでこない。ところがこの1年間を振り返ると、すぐにいろいろなことが思い浮かんでくる。1年前のことより、今年のことの方が記憶が鮮明に残っているのは、当たり前と言えば当たり前なことなのだが、それにも増して今年は大きな出来事が重なったことが、その要因になっている気がする。その中から私のベストスリーを選ぶと、以下のようになる。

☆心臓の手術をした人を、ほぼ毎週見舞って、それが半年以上続いたこと
☆「時の忘れがたみ」を出版したこと
☆初めてヨーロッパ(ドイツ・スイス・フランス)に行ったこと

ここのところ、今までに撮りためた写真を整理することに時間が奪われていて、「フォト漫遊記…ヨーロッパ紀行」の更新が滞ってしまっている。前回の記事が22日の「ヴィース教会」だから、一週間も間隔があいてしまったことになる。

ウェブ上のヨーロッパ旅行もいよいよ佳境に入り、写真の数も増えてきて、撮影したRAWデータを現像して、採用する写真を選択して、ウェブ用に圧縮処理などをしているとかなりの時間がかかってしまう。ウェブ上の旅行は、年を越えて来年の春頃にやっと帰国の途に着けるということになりそうだ。

もう一つ忘れていることがあった。写真教室・写真塾に入り、「露出・構図・シャッターチャンス」などを意識して写真を撮り始めたことも今までにないことだった。この一年間に撮った写真の数は約12000枚になり、これほどの枚数を撮ったのも初めてのことだった。
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2009年12月28日

神楽坂から江戸川橋へ

写真塾の事務局から、作品展の案内状をいただいた。場所は写真塾を主宰するギャラリー、スタッフの人が漆を使った作品を展示しているということだった。秋葉原のヨドバシで用事をすませたあと、飯田橋まで足をのばし神楽坂をブラブラと歩きながら、途中中華の「五十番」であんまん・肉まんを買い求めたりして、作品展をのぞいてきた。

漆塗りの器といえば、箸とかお椀が一般的で、もちろんそういう作品も展示されていたが、一目見ただけでは漆塗りだとは分からないようなものもあった。青みがかった不思議な色調の「時計」と題されている作品を見ながら、
「こういう色を出すのは難しいんでしょうね」
と作者である写真塾スタッフの人に声を掛けると、薬品を混ぜたものを塗って磨き込んでいくとそういう風合いになると説明してくれた。

「マカロン」と題された作品があった。フランスに行くまではマカロンというお菓子を知らなかったのに、さも前から知っていたんだぞという顔で、
「お菓子のマカロンのことですか」
と訊ねると、そうだという返事だった。小物入れだというその淡いクリーム色の器は、フランスで食べそこなったマカロンを思い出させてくれた(帰国後スターバックスで売っていたものを食べたが)。
「小物じゃなくて、マカロンを入れたらいいんじゃないの、と言う人もいて」
マカロンより二まわりほど大きい器は、たしかにマカロンがスッポリと入りそうだった。

帰途はバスを利用してみることにした。少し南に歩けば、江戸川橋に出て上野方面行きのバス停があるはずだ。早稲田の写真教室に通っていた時は、上野からバスを利用することが多かった。途中、江戸川橋を経由したから、必ずバス停があるだろうと見当をつけたのだった。

神楽坂を上りきって新潮社のある矢来町あたりまで来ると、通りの賑わいも引いてきて、渡辺坂を下れば山吹町、そこを西に折れると大隈講堂に至るが、そのままさらに南下して行くと、「地蔵通り商店街」が右に見えてくる。商店街の入口には「子育て地蔵」がまつられていて、お参りがてら一休みする。

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さらに進むとすぐに江戸川橋の交差点が見えてくる。警察官の姿が見えるのは、ここからしばらく進むと、あの「音羽御殿(鳩山会館)」があるからだろうか。

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高速道路の下を流れる川は、現在は「神田川」と呼ばれているが、かつては「江戸川」と呼ばれていた。

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2009年12月25日

写真集

図書館から借りた写真集は、まだすべてに目を通していなかったが、すでに一度延長手続きをしたので、再度延長することはもうできない。午後図書館に行き、返却してきた。

〔返却図書〕
 木村伊兵衛のパリ
 土門拳の「早稲田1937」
 林忠彦写真全集

この3人の写真家は、写真に多少なりとも興味を持った人なら、必ずその名前に接したことがあるに違いない。写真にあまり関わることのない人でも、その名前を知っている人は少なくはないと言ってもよいのだろう。

写真塾の先生は、土門拳と林忠彦に師事したらしい。ウェブに掲載された今年度の募集要項で、そのように紹介されていた。以前写真塾の撮影会で、益子の陶芸家の工房を訪ねたことがあった。その時に撮影した写真の講評会の席で、塾生の写真を見ながら、
「師匠は、職人は手を……」
とおっしゃったことがあった。この「師匠」とは、たぶん土門拳のことを指すのだろう。

〔借りた図書〕
 東京猫町…荒木経惟
 土門拳の世界…岸哲男
 ウジェーヌ・アジェ回顧
 のすたるぢや…萩原朔太郎
 里山物語…今森光彦
 東大寺…土門拳

いづれも写真集なのだが、著者の中に詩人が一人含まれている。言うまでもなく萩原朔太郎で、娘さんの萩原葉子さんによると、手品やマンドリンのほかに写真にも凝ったらしい。ただしその写真は立体写真機で撮られたもので、それをステレオスコープで覗くと立体的に浮き上がって見えて、終生手元に置いてそれで見るのを楽しみとしていたそうだ。
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2009年12月24日

アイデアはどういう時に生まれるか?

どういう商品のCMだったのか、その点についてはまったく憶えていない。そういう点ではCMとしての役割は果たしていないのかもしれないが、おもしろさはあった。

アイデアが生まれる場面をいくつか描いていく。お風呂に入っている時、バスに乗っている時、トイレに入っている時、会議の席など、もっといろいろあったと思うが忘れてしまった。そしてそれぞれの場面で、アイデアが生まれるパーセントが示される。会議の場合は0パーセント、まあ当然と言ってもいいのだろう。

勤めていた頃は、行き帰りの電車の中でいろいろなことが頭に浮かんだ。退職して、そういう機会が失われてしまったのは、残念な感じもする。そうであるならば、アイデアを得るために電車に乗ればいいのはないかということになるかもしれないが、話はそう簡単ではない。

もちろん今でも電車に乗ることはある。しかしどういう訳か、アイデアが浮かんでくることはない。勤めていた頃とは違って毎日電車に乗ることがなく、たまに利用すると、窓外の景色の映り変わる様子や、車内の様子が珍しく、そういうものに心が奪われてしまう。そのため、アイデア発生装置のフタが閉じられたままになってしまうのだろう。

建築家今井兼次氏の業績を紹介する会場には、設計図と共に多くのスケッチが展示されていた。もちろん設計図は、トレーシングペーパーに精緻に記されているが、それらのスケッチは実にいろいろな紙に描かれていた。当たり前に画用紙に描かれているものもあったが、それ以外のものに描かれたものも数多くあり、かえってそちらの方に興味がそそられた。

たとえばこんなもの…ホテルの便せん、原稿用紙裏、封筒裏、広告裏、包装紙裏、ガリ版用紙裏など、かえってこちらの方が多かった。ともかく何かの「裏」がお好きなようで、浮かんだイメージが消えてしまわないうちに、すぐさま手近にある紙の裏に書きとどめておいたのだろう。メモ用紙裏に描いたものもあって、これなどもメモ用紙ではなく、一度使ったメモ用紙の「裏」を使っているところなどは、アイデアを逃すまいと慌てふためいている様子がうかがわれておもしろい。

長い時間をかけて、高い運賃を費やして、せっかく「建築家 今井兼次の世界V −祈りの造形−」展を見に行ったのに、スケッチが紙の裏に描かれていることに興味を示して帰って来たのでは、天に召された建築家に、一体何を見に来たのだ、と言われてしまいそうな気もする。
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2009年12月23日

「建築家 今井兼次の世界V」展

先週の土曜日に、今年最後の講座が行われ、その際先生から、多摩美術大学美術館で開催されている「建築家 今井兼次の世界V −祈りの造形−」展のパンフレットをいただき、建築家今井兼次氏が設計した「日本二十六聖人殉教記念館」を撮影した写真を展示しているということを伺った。「日本二十六聖人殉教記念館」は長崎にある。長崎には何回か行ったことがあり、記念館に入館したことはないが、26聖人の記念碑は見たことがあった。

多摩美術大学美術館の最寄り駅は多摩センター駅、千葉の佐倉くんだりから行くにはいかにも遠い。しかし、もう75歳は越えている写真家が、わざわざ長崎まで行って撮影してきたのだから、遠いなどと言って尻込みしていたのでは申し訳ない。

多摩センター駅へは、小田急線でも京王線でも行けるが、今回は久しぶりで小田急線を利用してみた。新宿から「快速急行」という不思議な名称の電車に乗ると、代々木上原・下北沢に停車したあとは新百合ヶ丘までノンストップ、そして唐木田行きに乗り換えれば数駅で多摩センター駅に着く。意外と早く着いた。

今まで建築の世界とはほとんど縁がなく、丹下健三とか黒川紀章、あるいは安藤忠雄といった名前くらいは知っていたが、今井兼次は知らなかった。しかし今回の展示を見て、派手な活動からは身を遠ざけて、堅実な建築作品を設計した建築家であることが分かった。早稲田大学図書館・大隈記念館・碌山美術館・遠山美術館など多くの設計を手掛ける傍ら、早稲田大学などで教鞭をとり、教育者としても大きな足跡を残した建築家ということだ。

写真塾で接する先生は、建物の写真を撮る際の型というものを壊してみたいということをよくおっしゃっていたが、宗教に関わる建造物の写真というものは、やはり遊びは許されないものなのだろう、乱れのない正攻法の写真が展示されていた。写真歴の浅い者がいろいろと言うのもはおそれ多いので、このあたりで…

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2009年12月22日

柚子湯

冬至。
夕食にカボチャを食し、柚子が浮かんでいる風呂に入る。数えてみたら全部で15個、皆お隣からの頂き物だ。隣の垣根近くに植えてある柚の木が、今年もたくさんの黄金色の実をつけてくれたおかげで、十分すぎる量がわが家にも届けられ、こうしてぜいたくな柚子湯に入ることができた。
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2009年12月10日

ハチ公前からBunkamura、そして表参道へ

「ロートレックコネクション」が開催されている「Bunkamuraザ・ミュージアム」に行くには、まず渋谷駅前のスクランブル交差点を渡り道玄坂方面に向かう。左側の写真は歩行者用信号が赤の時の状態、信号が青に変わると人々がいっせいに動き出す。

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道は三叉路に至り、そこにはマルキュウことファッションビル「109」がそびえ立つ。三叉路の鋭角の頂点という立地条件を利用して建てられていて、スクランブル交差点から歩いて来ると否が応でも目に入ってくる。その三叉路を左側に進むと道玄坂、右側に進むと文化村通りとなり、そのまま進んで行くと東急百貨店本店に至り、その背後にbunkamuraがある。

ローマ字綴りで書けば「Bunkamura」だが、漢字で書けば「文化村」、かつてその「文化」という言葉には、西欧の文化を取り入れた新しい時代のモノという響きがあり、「文化住宅」「文化包丁」といった具合に使われたりしたが、時代の流れと共にホコリが次第に積もってきたような気もする。

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19世紀末の文化の香りを伝えるロートレックの作品展が、「Bukamuraザ・ミュージアム」で開催されるのもおもしろいめぐり合わせかもしれない。ロートレックという名前は聞いたことがあっても、慣れ親しんだ画家ではなかった。そもそも絵画の世界に深く関わりを持つことは少なかったけれど、写真に心を寄せている身にとって、多少なりとも役立つことがあるかもしれないとなどと思って出かけたのだった。


■ロートレック・コネクション
愛すべき画家をめぐる物語
2009年11月10日〜12月23日

 作品リスト(Bunkamuraのサイト)

Bunkamuraをあとにして向かったのは原宿、表参道のイルミネーションを見るのを計画していた。一応東京生まれ(と言っても都下だが)の東京育ちだけれど、竹下通りをぶらついたり、明治神宮に初詣に行ったこともない。表参道を歩いたこともない。そこでJR原宿駅から竹下通りを抜けて、イルミネーション輝く表参道へとお上りさんコースを歩いたのだった。

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新潟の物産店があったので、お土産を購入。
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ワセダギャラリーからハチ公前まで

夫人と共に、ワセダギャラリーで開催中の写真展に足を運んだ。受付担当の人は毎日二人が割り当てられている。その内のお一人から、展示してある作品の中で、私の写真が一番好きだというありがたいお言葉をいただいた。こういう写真がを撮りたいんですよ、とも言われた。もっともそう言ってくれたのは彼一人だけだったが、一人でもそう言ってくれる人がいることはありがたいことだ。

昼食は、ギャラリー近くの尾張屋さんでとった。数人の学生がテーブルを囲んで、口角泡を飛ばすというほどではなかったが、しきりに難しそうな話をしていた。ゲームか何かの話だったのかもしれないが、こちらが理解できない話題だと、さも高尚な話をしているかのように聞こえる。大学周辺の店では、今でもそういう光景は珍しくないのだろうが、なんとなく懐かしさを感じた。

バスでJR高田馬場駅に出た。都バスは200円均一なのだが、この区間は170円。「Bunkamura」で開催中の「ロートレックコネクション」をみるため、山手線で渋谷に向かう。

渋谷駅に降りたつのは本当に久しぶりのことだった。久しぶりの渋谷駅は、駅構内から外への動線が不明確なため右往左往しなければならず、こんなにも乱雑な駅だったかと思うぐらいだった。

渋谷に出たら、やはり「ハチ公」の姿を拝まなければならない。

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ハチ公広場に、東横線を走った5000型電車第1号車のモニュメントが置かれていた。この型の電車は、昭和29年10月に登場して、昭和45年3月まで活躍したそうだ。

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2009年12月08日

写真教室の最終回

写真展は今日から始まったが、「ステップアップ写真術」の講座は今日が最終回、講座は終わっても写真展は土曜日まで続く。

アカイヌご夫妻に写真展の案内状を出したところ、今日来てくれるということになり、講義が始まる前に見ていただいたのだった。そのあと昼食を共にして、別れたあとアカイヌご夫妻は大学構内を散策するということだった。そして、そのあとの予定がすごい。なんとも羨ましいことに、品川の超高級ホテルに一泊するそうだ。そのあたりの経緯は、「アカイヌ王国」のウェブサイトに載っている。

最終回の講義のテーマは、写真の整理・保管に関することだった。特に保管に関しては、受講生からさまざまな発言が相次ぎ、収拾がつかないような状況になったこともあった。

写真撮影に関しては、技術的にも経験の長さでも先生にはもちろんかなわない。ところがディジタル関係の話になると、
「私は、コンピュータ業界に30年以上身を置いてきた人間ですから、半永久的に保管することなど不可能と言わざるを得ないですね。3年先さえ、どうなっているか分かりませんよ。せっかくあるメディアに保存しておいても、そのメディアからデータを読み込む機械がなくなっているかもしれませんから」
というようなことを言う人もいて、侃々諤々の議論がわき起こった。
「結局プリントして、紙で保管しておくのが一番いいんですよね」
「それも、だめですよ。用紙が劣化して、色が褪せてきます」
「そうなると、違った味が出てきてかえっていいかもしれませんね」
「色が褪せる前に、私たちの方が先に褪せてきて、この世から消えてなくなってしまうかもしれません」
これを聞き、一度は声を合わせて笑ったものの、みな現実に引き戻されたのか、その後は黙りこんでしまった。20年・30年先のことを心配しても仕方がないことに気づいたのだった。

「いろんな意見が出てきて、今日は非常に有意義な時間を持てましたね。学生では、こういう具合には行きませんよ。いろんな経験を積んでこられた方がいらっしゃるからですね」
とまとめたのは、懇親会の取りまとめをしてくれた人だった。

講義終了後お疲れさん会をしようと声を掛けられ、5人が中華料理店に寄り集った。私を含めた3人は、今までに何回か飲み会をもったことがあったが、残りのお二方とは初めて顔を合わせた。講座は終わってしまったが、これからも時々顔を合わせる機会をもっていこうという話になり、とりあえず来年の3月ごろに、撮りためた写真を持ち寄って、合評会を行うことにした。
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2009年12月07日

展示準備

いよいよ明日から写真展が開催される。今日はその準備の日で、作品搬入・展示準備を行った。準備の日を含めて展示期間の5日間のお手伝いは、あらかじめ受講生が申し出た希望日を集計して、エクステンションセンターの担当者が割り当ててくれた。

私は、今日の割り当て、つまり準備を手伝うことになった。ただ午後の担当者は私一人だけ、どの程度の作業量となるのか見当がつかず、どうなることやらと思いつつ、会場となる「ワセダギャラリー」に出かけた。結局集合したのは8人で、作業を進める上ではちょうどいい人数だった。内訳は、講師の先生と会場レイアウトの担当者、センターから二人、午前中から引き続きお手伝いの受講生二人、手伝い日を変更した人、そして私の8人。

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私が行った時は、写真はソファあるいは床に並べられていた。その後、配列順序を決め、天井からワイヤーで吊るし、照明の位置を調整した。大ざっぱに言えばこういう手順で行ったのだが、もっとも時間がかかったのは写真の配列の仕方だった。

最初は、撮影対象をカテゴリー別に分類して並べてみたのだが、単調すぎておもしろみがないということで、レイアウト担当の人の意見に従って、配置変えを何回も何回も繰り返し行った。

すべての作業が終わったあと、その方からレイアウトに関する説明があった。一見すると無秩序にランダムに並べているようだったが、そこにははっきりとした意図が忍ばされていた。心の中にストーリーを思い浮かべながら、また、隣接する作品同士が、お互いに相手を引き立て合うように配列することが重要だということだった。確かに最初の配列の仕方と比べると、作品点数にはもちろん変化はないのに、展示会場全体が広く豊かな空間へと変化したように感じられた。

真っ先に配置を決めたのは、順路の1番目の位置ではなかった。それでは、その位置はどこなのか。また、そこにどういう作品を選んだのか。もちろんそこにも必然性があった。そういうことを考えながら、展示会場(あまり広くはないが)を回って行くのもおもしろいかもしれない。

展示されているのは31作品、講師の先生の作品が最後を飾る。
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2009年12月04日

第七回写真塾…井の頭公園の秋

ちょっと、いやだいぶ遅くなりましたが、第七回写真塾の撮影会の記事です。

日時:11月21日(土)
   13:00〜
場所:井の頭公園

O先生は忙しいということで、欠席。なぜ忙しいのか、だいたいのところは見当がつく。たぶん〆切りに追われているのだろう。そこで講師は、益子の撮影会の時にお世話になったK先生が担当。

生まれ育った吉祥寺ではあるけれど、転居したあと中央線が高架となり、すさまじい変貌を遂げた今では、昔日の面影はほとんど残っていない。今年に入って、入院していた人を見舞った帰りに立ち寄ったことがあったけれど、平日であるのに北口駅前は人の波で埋め尽くされ、思い出に浸ることさえ許してくれなかった。

今回は井の頭公園の秋を撮るので、駅の南口に出た。こちらもたいそうな変わりようで、駅前から公園へと続く小道の両側には、しゃれた店が建ち並び、動く歩道に乗った時のように、こちらの意思とは無関係に押し流されていくより仕方がなかった。公園入口近くの右側に、焼き鳥の「いせや公園店」があった。

集合したあとK先生から、撮影ポイントの説明などがあり、1時間ほど各自自由に撮影して、弁財天に再集合することになった。K先生が真っ先に言ったことは、「光をとらえること」の重要性、秋の午後の陽の動き注意して、光の変化のおもしろさをとらえることの大切さだった。

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お茶の水
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大道芸
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弁財天に集まった後、K先生が言ったことも「光」に関することだった。陽が西に傾きはじめるこれからの時刻は、「光」が大きく変化する。残りの時間を、池の面をジット見つめて過ごすのもいいかもしれない。一番良い光が訪れた時に、シャッターを押す。こんなことを話してくれたのだが、一時間以上もじっと池だけを見続けているのは、無駄な時間を過ごしているようにも思われた。しかし、K先生の顔は冗談を言っている顔ではなかった。

弁財天
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撮影会終了後は、希望者だけが北口に出て、ハーモニカ横町に寄っていくことになった。ハーモニカ横町も様変わりしていた。戦後の闇市から続いている店はほとんどなくなり、こちらも今風なしゃれた店が並んでいた。戦後から営業を続けている「清水屋」で漬け物を買い求め、行列ができていたタイ焼き屋さんで数匹を買い求め、飲み屋さんに吸い込まれていった人たちと別れて家路についた。

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ハーモニカ横町
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漬物店「清水屋」
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北口駅前
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清水屋」


物店「清水屋」
漬物店「清水屋」「清水屋」店「清水屋」
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