2010年01月29日

東京スカイツリーの今

家を出る時は、直接銀座方面に向かうつもりだった。ところが電車が地下にもぐる直前、あることを思いつき途中下車することにした。押上駅でおりて、東京スカイツリーの写真を撮っておこうと思ったのだった。

完成して変化することをやめてしまったものは、その姿をいつでも撮ることができる。しかしその途中にあるものは、時間の流れと共にたえずその姿を変えてとどまることがない。だからその途中の姿は、二度と撮ることができないのだ。

着工:2008年(平成20年)7月14日
竣工:2011年(平成23年)12月予定

完成すると、高さ634mになるらしい。工事地域の周辺に置かれた「ご近隣の皆様へ」という表示板には、平成21年12月末現在地上約250メートル、平成22年1月末(予定)地上約290メートルと記されていた。

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小生が見物に行った29日は、工事現場に281メートルと表示されていた。

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完成予想図
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以下、寒い冬の日にもかかわらず、周囲を時計回りに一回りして撮った写真を載せておくことにしましょう。

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「押上通り商店街」
このあたりも、タワーが完成する頃には様変わりしているんでしょうねェ。

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下を流れるのは、「北十間川」です。流れの先には隅田川、それを渡れば浅草だ。

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写真を撮ることに没頭していると、
「全部入りますか?」
と見知らぬオジさんが声を掛けてきた。
「ええ、なんとか」
「この前までは、デジカメの画面に全体を入れることができたんですがね」
と言いながら、小生の新しいコンデジをジロジロと見ている。たしかに今以上に高くなると、もうコンデジで全体像を撮ることはできなくなりそうだ。そうなると広角レンズの出番となる。
「よくいらっしゃるんですか」
「まァ、ひと月に一度は来てますね」
世の中には、やはりヒマ、いや熱心な人がいるものだ。

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記念写真を撮っている夫婦連れもいましたね。この奥さんのように、後に反らないとタワーの上まで入れることはできません。しゃがんだ方がいいかもしれませんがね。

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「東武橋」の橋の上。上ばかり見ていると、首が痛くなりそうですね。
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東武伊勢関線の最寄り駅は、「業平橋駅」。大横川(現在は埋め立てられている)に架かる橋として、「業平橋」という名称が現在も残っている。また、吾妻橋の別称とも言われているけれど、業平橋という名前からすれば、隅田川に架かっていた方がふさわしい気がしますね。

もともとは大川橋と呼ばれていて(江戸の人々は、隅田川を大川と呼んでいたからでしょうね)、その後吾妻橋となったそうだ。京成線が乗り入れている都営浅草線には、押上駅の一つ東京寄りに「本所吾妻橋」という駅がある。

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高架線を走るのは東武電車、高架下に「安全地蔵尊」が安置されている。
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〔おまけ〕
去年、写真塾の撮影会で撮った吾妻橋の写真。アサヒビールのビルが見えますね。
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写真下に見えるのは、O先生の頭。
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吾妻橋の下はこんな感じ。
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2010年01月28日

東京ドイツ村のイルミネーション

久しぶりの雨が降り、生暖かい風が吹いた。「アート・フォト・サクラ」に出品した写真が、佐倉市立美術館に展示されているはずだが、一泊旅行などもあってなかなか見に行く機会がなかった。展示期日が31日までと残り少なくなってきたので、お天気模様は思わしくないけれど出かけてみることにした。

作品応募は、昨年に引き続き2回目となる。昨年同様、出品した2点の中から1点が選ばれ、美術館からその旨の連絡があった。ヨーロッパで撮影した写真を応募しようかとも思ったが、2点とも佐倉市内で撮影したものにした。

展示点数は155点、佐倉市以外からの応募作品もあった。その中に、イルミネーションを写した写真があった。青白い光を放つ小さな球体の弧が、幾重にも連続する様子をとらえたものだ。実はこれと同じような写真を、小生も東京ドイツ村で撮ったのだ。その写真も、たぶんドイツ村で撮影したものだろう。

初めてドイツ村に行った時は、イルミネーションのことは知らず、陽が落ちてきたころになって、イルミネーションの光が徐々に輝きを増してくる様子に驚嘆したのだった。イルミネーションを見ることは予定に含まれていなくて、ざっと見るだけでドイツ村をあとにした。こういうことがあったので、今回はじっくりと見て回ろうと心づもりして、三脚も車につんできたのだった。

昼間はたいして混んでいなかったのに、陽が西に傾くにつれて、どんどん入場者が増えてきた。イルミネーションの光の中に設けられた板敷きの通路は、ラッシュアワーのホームのような混雑を呈した。その人波の中で三脚の足を大きく広げるのはさすがにためらわれた。慣れない夜間撮影で、三脚の足を気にかけつつ撮ったのだけれど、まあまあ満足できる写真が撮れたと思う。

200万球に明かりが点されるのは4時半から、その頃はまだ空に十分な光が残っている。

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地上に闇が広がってくるにつれて、光が徐々に浮き上がってくる。

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左の写真に見える丘の上には、ロマンティック街道がある。今でも以前訪れた時と同じ状態のようで、もう一度歩いてみようという気持ちにはならなかった。

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西の空に残るあかね色が尽きてしまうと、地上は闇で覆われる。

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東京ドイツ村のイルミネーションのスケジュール
 2月4日までは、金・土・日のみ
 2月5日〜2月14日までは、毎日開催

今季は、以上で終了となるようだ。

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2010年01月27日

久留里城

書き忘れていたが、「大江戸温泉物語・君津の森」の大浴場は、「里見の湯」と名付けられていた。私こと「里実」が、「里見の湯」に入ったということになったのだ。他人からすれば、なんだバカらしいということでも、当人にとっては意義深いことだってあるのだ。

さて、二度目となる東京ドイツ村で朝から夜まで一日過ごすのでは、時間を持て余すことになりそうだ。そこで、近くにある久留里城に立ち寄ることにした。宿から坂道を下って10分ほど車を走らせれば、里見氏も一時期本拠地とした久留里城に至る。

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麓の駐車場に着いたのは、9時40分頃だった。そこから本丸までは、歩くことが困難な人を除いて、自力で上っていかなければならない。周辺案内図によれば、ルートは二つある。一つは山道、もう一つは舗装された道路、山道の方は登り口が丸太でできた階段で、上を見上げるとうす暗い道に続いていて、それを見ると少しひるんだが、少し思案の後山道を選んだ。

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久留里城本丸までは、640メートル。平地なら10分もかからない距離だけれど、険しい山道ではその倍ぐらいは掛かるのだろうか。二人ともかなり息が荒くなってきた。だから舗装道路を選べばよかったんだという声が、心の中から聞こえてきた。

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眼下に見えるのは久留里の市街地、かなり高い地点まで登ってきた。

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やっとたどり着いた平らな場所は「天神曲輪(くるわ)」、時刻は10時をまわっていた。ここまで30分ほどかかったことになる。なお曲輪とは、城内の平らな場所を指し、城の付属施設を造ったり、戦の際に兵士を配備したりする場所を言うそうだ。目の前の階段を登り切れば、本丸が見えてくるはずだ。あと一息だ。

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★男井戸・女井戸
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この「男井戸・女井戸」を左側に見て登っていくと、久留里城が見えてくる。城は明治に入り(5年)いったんとり壊されたが、その後昭和54年に再建された。「雨城(うじょう)」という別称があるのは、城の落成から三日に一度づつ21回雨が降ったという伝説に基づくのだそうだ。

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本丸の内部は、無料で公開されている。一階には、日本全国の古城の写真が展示されていた。
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2010年01月26日

受験村

夕方図書館から帰る途中、週刊誌を買い求めるため駅ビルに立ち寄ったところ、ビル内のスーパーマーケットの前で、「絶対合格」という文字が目に入ってきた。合格祈願ではなく、大きく「絶対合格」となっていた。そう書かれたボードの下には、紙製の絵馬が何枚か吊されていた。

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その右奥には、受験村が設けられていた。今までも、スーパマーケットの周囲には自由に利用できるイスやテーブル置かれていて、学校帰りの高校生が参考書をひろげていることもあった。受験シーズンともなれば、連日受験生に専有されることになるかもしれないとビル管理会社が考えて、そういう場所を設置したのかどうかは分からない。

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ちょっと覗いてみると、中には誰もいなかった。そして、受験生風の高校生は、つい立ての外のイスに座って勉強していた。
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2010年01月25日

一泊旅行

先週の金曜日から一泊で近場の温泉に行ってきた。「大江戸温泉物語・君津の森」というホテルで、車で2時間程度の房総の山の中にある。名称に温泉という文字が入っているが、天然温泉ではなく「人工光明石温泉」というものらしい。

今回の計画の発端は、そのホテルで「2周年記念特別プラン」を行っていることを、新聞の折り込み広告で知ったことからだった。それによると、通常価格9700円のところ5000円になるということなのだから、今の身分ではありがたい話だ。ただし、一日二組限定という狭き門なので、希望の日に予約が取れるかどうかが気がかりだった。

一泊した翌日、東京ドイツ村のイルミネーションを見物することも予定に組んでいた。こちらも駐車料金無料・入園料半額のチラシが手に入ったからで、こういうことでもなければなかなかその気にはなれない。今の時期、ドイツ村のイルミネーションは「金・土・日」の限定で、ホテルの特別プランの方は土曜日は除外日だから、自ずと日程は決まってくる。金曜日に「君津の森」に一泊するのが、一番望ましい計画ということなのだ。

問い合わせの電話をしたのは、1週間ほど前のことだった。間近であったにもかかわらず、奇跡的に一部屋空いていた。ふだんの行いが良いと、こういう幸運が訪れるということの証だ。折り込み広告によると、部屋はダブルルームということだった。ところが応対してくれた人の話では、部屋はシングル用でそこにダブルベッドを入れてあるということだった。ちょっと話が違うような気もしたが、一晩のこと、半額で利用できるのだからマア我慢するかと思い直し、予約したのだった。

金曜日のお昼過ぎに家を出た。高速道路を利用すれば2時間ほどで着くのだから、朝早く出発することもない。年寄りには、こういうユッタリとした計画がふさわしい。途中、市原サービスエリアで一休みして、「君津IC」で高速をおりて、10分ほど走ればホテルに到着するはずだったが、道を間違えてしまった。結局「君津の森」に着いたのは、4時を少しまわっていた。

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ホテルの前に、おもしろい形の
木製のイスが置いてあった。
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部屋はシングル用ということだから、その広さは想像できたが、ダブルベッドの方は想像を超えていた。少し大きめのシングルベッドという感じだった。寝返りをうった時、転落するおそれもありそうなほどだった。横になる際、念のためイスをベッドの脇にピッタリとつけて、転落防止用としておいた。

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窓からの眺め
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夕食はバイキング形式で5時半から9時まで利用できる、とチェックインの際に説明があった。また、6時を過ぎると混みだし、7時半を過ぎると欠けてくる料理もでてくるらしい。ヨーロッパ旅行で、食事は先手必勝であることを学んだので、夕食開始時間の5時半に食事場所に行くことにした。

朝食の方も、ヨーロッパでの記憶が生々しく残っていたので、遅れをとらないように、開始時刻の7時には食事場所に行った。そのおかげで、他の宿泊者に邪魔されることなく、ゆっくりと料理の品定めをして選ぶことができた。

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バイキングになると、どうも食べ物を取りすぎてしま傾向がある。戦後生まれで、食糧難の時代に幼少期を過ごしたせいなのかもしれない。プレートをテーブルに置き、いざ食べようとした時、欲張って取りすぎたかもしれないと思った。家での朝食は、牛乳にパンとプラスαという程度だから、見た目では明らかに多すぎた。しかし「案ずるより食べるは易し」で、全部腹の中に入ってしまった。
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2010年01月21日

もう三ヶ月経った

成田からヨーロッパに旅だったのが昨年の10月21日、早いものでもう丸三ヶ月も経ってしまった。なのにまだやり残したことがある。「里ふくろうのフォト漫遊記」は、12月22日の「ヴィース教会」の記事を最後に、更新がまったく滞ったまま。旅の記憶がそろそろ薄れてくるおそれもあり、焦る気持ちが日増しに強まってくる。

旅行中撮影した写真の方は、この3ヵ月ほぼ毎日のように現像・プリントを繰り返してきたこともあって、旅行最終日の分までとりあえず終えることができた。こんなに時間がかかったのは、枚数が多かったこともあるが、それだけではなく画像データをRAW形式で保存したことにもある。

RAWは、画像データを電気信号のままで保存したもので、それを画像として見るためには、現像するためのソフトウェアが必要となる。RAWデータはカメラごとに異なるため、現像ソフトはカメラメーカら提供されることが多い。そのほかに、「フォトショップ(エレメンツ)」などの、いわゆる画像処理ソフトと呼ばれるものを使う手があるが、自分の使用しているカメラのRAWデータが、このソフトで処理可能かどうかを確認しておく必要がある。

以前からこういったソフトを使っていた。ところが、写真の枚数が多くなってくると、RAWデータを一つ一つ読み込んで、現像しては印刷あるいは保存するということを繰り返していたのでは、時間が掛かって仕方がない。そこで今は、画像管理・現像・プリントという作業を一連の流れの中で行うことのできる、「Rightroom」という専用ソフトをもっぱら使っている。このソフトのおかげで、作業をかなりスムーズに行うことができるようになった。それでも、ヨーロッパ旅行の写真をプリントしてアルバムに整理するのには、3ヵ月掛かってしまった。

気に掛かっていたことが一つ終わり、さてこれからは気持ちを新たにして、中途半端な形で放り出してある「里ふくろうのフォト漫遊記」の続きを書いていくことにしよう。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年01月18日

ふたたびマカロンを求めて

ネットで調べて、船橋近辺でマカロンを扱っている洋菓子屋さんがあることが分かった。7個入りが900円(税込み)だから、一つの値段はスターバックスよりかなり安い。ただ最寄り駅が海神で普通電車しかとまらないのがちょっと不便だけれど、そのうちに機会をつくって行ってみようと思っていた。

先日、写真展「Lighthaouse」を見に行った帰途、わざわざ京成八幡駅で快速特急から普通電車に乗り換えて、立ち寄ってみた。その時乗った電車が、今ではほとんど見掛けることのない「赤い京成電車」だった。なつかしさのあまり、新たに購入して、今試し撮りをしているコンパクトデジカメで撮っておいた。

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千葉に移り住んでから30年近く経つが、海神駅で下車するのは初めてのことだった。船橋からわずか一駅しか離れていないのに、駅舎は都会から遠く離れたひなびた駅の雰囲気を漂わせていた。ホームは、静かに降る夕暮れの雨の中で、しっとりと濡れて黒く光っていた。乗ってきた電車が「赤い京成電車」であったことも手伝って、走り去っていく姿を見送っていると、一昔前にタイムスリップしたようにも思われてくる。

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マカロンとそのひなびた駅の雰囲気はうまく結びつかないけれど、「菓子工房アントレ」はその駅の近くにある。改札を通り抜けて踏切を渡り、5分も歩かないうちに店が見えてきた。しかしネオンが点っていない。火曜日は定休日だった。

先週の土曜日、神保町での寒い撮影会の帰りに、再度立ち寄ってみた。雨は降っていなかったが、体に貼り付いていた冷気はまだ残っていた。生菓子が売り切れると、閉店時刻になっていなくても店を閉めてしまうそうだ。とくに土・日はそうなってしまうことが多いらしい。踏切をわたって、店の明かりが見えてきた時はホッとした。

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「マカロンはありますか?」
「もちろんございいます」
店員さんが指し示したマカロンをみて、おもわず「アッ」と言いそうになってしまった。小さかったのだ。フランスで見たマカロンよりも、スタバで買ったマカロンよりも、あまりに小さかったのだ。直径はそれらの半分にも満たない。少し大きめの「おはじき」といったところだ。ホームページにはもちろん写真が載っていたが、それほど小さいとは想像だにしていなかった。しかしそのマカロンは、今まで食べたマカロンに比べて甘すぎることはなく、逆に一つではもの足りない感じがした。これならば私でも、普通の大きさのものを丸ごと一つ食べることができそうだった。

こうして一度目は無駄足を踏み、二度目にして手に入れたマカロンは、結局はスタバより高くついてしまったのだった。

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2010年01月17日

神田神保町の撮影会

写真塾の撮影会は、神田神保町の古書街周辺で行われた。天気は良かったんだけれど、なにしろ寒かった。集合場所の岩波ビルの前には、30分ほど前に着いたが、陽の当たらない寒々とした場所で待っていたのでは、凍死してしまうかもしれない。そこでコーヒー店にでも入ろうかと少し歩くとドトールがあったので、すぐ店内に入って暖をとったのだった。

今回はO先生もいらっしゃったが、この寒さでは街歩きなどしない方がいいだろうなと思ったが、集合場所でスタッフからの説明があったあと、カメラを肩に掛けて街に出て行かれた。

再集合は3時間後、その間ずっとこの寒さの中に身を置き続けていたのでは身が持たない。途中、何回か暖かい場所に逃げ込むことにしようと考えていたのだが、歩き始めて撮影をしていると、なかなかそういう機会が訪れてこない。結局2時間ほどが経過して、アウトドア用のコートを着ていたのに、肩から背中にかけてびっしりと冷気が入り込み、これ以上外にいると風邪を引き込むおそれがもあり、撮影は断念して近くのコーヒー店に逃げ込んだのだった。

4時半に、岩波ビル前に再集合した時、O先生の発した第一声は、
「今度は、暖かいところでやろう」
だった。数名は戻ってこなかった。聞くところによると、3時間前ここで解散したあとすぐに、体を芯から温めてくれる飲料を求めて、どこかに行ってしまったそうだ。

ちょうど「神田雪ダルマフェアー」が行われていて、靖国通りの歩道に、大きな雪だるま(正確に言えばダルマではないけれど)が置かれていた。

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posted by 里実福太朗 at 00:00| 写真

2010年01月16日

東京スカイツリー

新しい電波塔「東京スカイツリー」は、完成すると634メートルになるということだ。竣工予定は、2011年12月から翌年の早春頃になるらしい。建設途中のその姿は、京成電車の・押上線の車内から見ることができる。

写真塾の撮影会に行く途中、青戸で押上線に乗り換えて、電車が押上駅に近づいた時、進行方向右側に中途半端な高さの「東京スカイツリー」が見えてきた。電車は押上から地下にもぐる。見えた時間は1分足らず、その間にバッグからカメラを取り出し、3回シャッターを押した。次の写真は、その中の1枚。

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2010年01月14日

「国民」とは誰のこと?

昨日のニュース番組は、東京地検特捜部が小沢幹事長の事務所を捜索したことで大騒ぎだった。あるテレビ局などは、幹事長の乗った車を追跡して、その映像を流していた。

朝日新聞の広告で、週刊朝日が「小沢vs検察」という特集を組んでいることを知り、、朝日新聞社と同じ系列の週刊誌ではあるけれど買って読んでみようと思い、火曜日に都心に出た際、書店に立ち寄ったのだが、すでに売り切れていた。昨年の衆議院選挙前のころにも、こういうことがあった。

近くのコンビニに行ってみたところ、まだあったのだが、一冊ごとに梱包用ヒモで十文字に結ばれていた。マンガ本などでは、こんなふうに立ち読み防止策が講じられていることはよく見掛けるが、週刊誌ではあまり見たことがない。

人間の情報入力器官である五感から得られる一次情報は、世の中に充満する情報量に比べれば、ほんのわずかでしかない。もちろんそれだけでは不十分だから、新聞・テレビ・週刊誌、さらに口コミなどの2次情報をかき集めて補完しようとする。

ただ2次情報というものは、他人の手を介して伝えられるものだから、情報操作が行われているおそれがある。そのことを念頭に置き、たえずその信憑性に気を配らなければならない。しかしこんなことは今さら言うことでもなく、世の中の人は、マスコミの流す情報が常に正しいとは限らないことに、とっくに気づいている。国民は衆愚ではないのだ。

今うっかり「国民」という言葉を使ってしまったが、近頃この「国民」という言葉が、安易に都合よく使われている例が多い。2次情報だが、今日の朝日新聞から、その例を拾ってみよう。

民主党愛知県連のパーティで、小沢幹事長は次のように挨拶したそうだ。
『…法に触れるようなことをしたつもりはありません。それは国民も理解してくれたと思う。…』

日本国のすべての人々が、そう理解していると思っているのだろうか、まさかそんなことはないだろうが、自分の立場を正当化するために使っているのだろう。これに対して自民党の幹事長がテレビニュースの映像で、国民を愚弄している、と息巻いていた。これもまた、「国民」の気持ちを代弁している体ではあるが、結局は自分たちの立場を正当化しようとしているのだろう。

今回の強制捜査に関して、4人の方の話が紙面に載っていた。そして驚くことに4人中3人までが「国民(世論)」という言葉を使っていた。

『世論がもっとも注目しているのは、…』(岩井奉信氏)
『…不幸なのは国民だ』(浅川博忠氏)
『…国民が納得できるものにはなっていない。…』(熊崎勝彦氏)

だいたいすべての国民が、同じ気持ち・考えであることはまず考えられない。そんなことは分かりきったことなのに、国民という言葉を使って、国民の代弁者であるかのように振る舞うのは、自分の考え・意見にお墨付きを与えたいがためなのだろう。

しかし実際には、それを使っただけでは、正当性の確保にはまったくつながらない。便利だからといって安易に使ってしまうと、この人のいうことは信用できないな、と思われるのが落ちなのである。だから、「国民」などという言葉は使わないように心がけ、「国民」という言葉を使う人の話は、信用しないようにするのが、<民>の持つべき知恵なのだ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年01月10日

主役と脇役

昨年12月に行われた写真塾の講評会では、「主役と脇役」ということに関する話があった。「力のある写真」という言葉もその話の中に出てきたが、自己流に解釈してみれば、主役がはっきりしていて、その主役が見る者に強く迫ってくるような写真ということなのだろうか。

「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展」の図録の表紙と裏表紙には、それぞれ木村伊兵衛が撮影したアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真、アンリ・カルティエ=ブレッソンが撮影した木村伊兵衛の写真が載っている。

前者は、写真中央にアンリ・カルティエ=ブレッソンが置かれ、今まさにカメラを構えようとしている彼が、唇の端を少し引きつらせたように持ち上げ、笑顔なのかどうなのか判然としない表情を浮かべた一瞬をとらえている。その写真を一目見た人は、主役がアンリ・カルティエ=ブレッソンであることを、たちどころに了解することだろう。

一方後者は、ところどころはげ落ちている家壁に梯子を立て掛け、そこにのぼって右に向かってカメラを構えている木村伊兵衛の姿を撮った写真である。長いコートを身につけて、革靴を履いたまま梯子の中段に足を掛けている彼の姿を見れば、高所恐怖症の人はそんなことまでして写真を撮りたくないと思い、そうでない人も、写真家は納得できる写真を撮るために、そういった苦労をものともしない人種なのだなと思い至ることだろう。そしてその写真でも、主役は木村伊兵衛であると思うに違いない。

第一印象ではそのように思うのだが、何回も見直しているうちに、疑問が生じてくる、ほんとうに主役は、木村伊兵衛なのだろうかと。梯子にのって被写体に眼を向けている彼は、写真の中央から右寄りにずれているからだ。右の方向に視線を向けている人物を画面の中に配置する場合は、中央より左側に置いて右側のスペースを広くとるのが定石なのだろう。そういう定石に反して、右側のスペースの方が狭いのだから、木村伊兵衛だけを見ていればアンバランスな画面構成と言わざるをえない。

木村伊兵衛の足の下、梯子のすぐ脇には、身をかがめた母親と小さな3人の子どもとが写っている。その母子4人と、梯子の上の木村伊兵衛とを含めて、5人全員をひとまとまりとして改めて画面構成をとらえ直してみると、実に見事にバランスがとれていることに気づくのだ。

こうなってくると、もはや木村伊兵衛が主役だとは言えなくなってくる。アンリ・カルティエ=ブレッソンは、彼一人を撮ったのではなく、彼を含めたその場の様子を撮ったのだと言った方がよいということなのだ。さらに、次のような点にまで言及することが可能になるかもしれない。

3人の子どもたちの内の一人は、まるで睨み付けるように、撮影者であるアンリ・カルティエ=ブレッソンに視線を向けている。技術的なことはさておき、人物を撮影する場合の大切なことの一つとして、撮影者と被撮影者とのコミュニケーションのとりかたということがあるとすれば、その写真に登場する人物の中で、撮影者と関係性が生じているのはその女の子ただ一人なのだ。

アンリ・カルティエ=ブレッソンは、木村伊兵衛を撮っているようでいて、彼の視線は実はその睨み付けるようなまなざしの女の子に向けられていたにちがいない。そういう意味では、主役はその女の子だと言ってもよいのだろう。
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2010年01月07日

木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展

東京都写真美術館で「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展」をみてきた。写真美術館に行ったのは今回でたぶん3回目になる。最初に訪れたときは写真ではなく、アンリ・カルティエ=ブレッソンのドキュメンタリー映画をみたと記憶している。

彼の名前を知ったはいつだったのか、今となってはもうすっかり忘れてしまった。あるいは、彼を一躍有名にした写真として、「決定的瞬間」という作品があることを知ったときかもしれない。その後、国立西洋美術館で催された写真展にも出かけたことがある。

決定的瞬間をとらえるためには、構図などを考えている余裕はないものと思われるが、彼の写真の構図はすみずみまで計算し尽くされているという印象を与える。二十歳のころ絵画を学んだことがあり、そのことが彼の写真に影響を及ぼしているのかもしれない。

今までそういうスキのない写真を見ては、もう無条件に感心していたのだけれど、今回展示会場で彼の写真を見続けていて、大げさに言えば窮屈さと息苦しさを憶えることもあった。そういう時に木村伊兵衛の写真を見ると、なんとなくホッとする気分をもたらしてくれた。

言うまでもないが、木村伊兵衛が構図に無頓着であったなどということではない。彼は、構図をある程度のところまで固めると、そのあとは自分の感覚・気分をたよりに、エイヤッと撮ってしまったのかもしれない。そういう写真は、見る方も身構えたりする必要もなく、直感的に受け止めて、それが醸し出す気分を味わっておけばいいのだ。

シャッターを押すまで理詰めで押し通す(たぶん)アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は、見る方も頭を論理的にして見なければならない。そして一枚の写真のすみずみにまで眼を配っている鋭いまなざしを感じて、「スゴイな」と思わずつぶやくのだ。彼の何枚もの写真を見続けて、いい加減頭がくたびれた時、木村伊兵衛の写真見ると、なんとなくホッとする気分をもたらしてくれるのも、故ないことではないのだ。

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東京都写真美術館のある恵比寿ガーデンプレイスへは、JR恵比寿駅から動く歩道をを乗り継いで行くのがお定まりのコースだが、今回はそれに乗らずに地べたを歩いて行った。街の様子を見たかったのだけれども、あまり面白みはなかった。それに加えて途中で道に迷ってしまったのだからどうしようもない。

体内方位計が、違う方向に歩いているのではないかとしきりに警告を発していたので、ベビーカーを押して来るヤングママに道を尋ねたところ、まったく逆の方向に向かっていたことがわかった。私の体内方位計も、まだ狂いは生じていないようだ。

そういえば、ガーデンプレイスには小さな子どもを連れたヤンママの姿を見掛けることが多かった。あるいは道を教えてくれたヤンママも、そこに行く途中だったのかもしれない。かえりは、おとなしく恵比寿駅まで動く歩道を利用した。

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2010年01月05日

鷲神社の周辺

鷲神社を祀る地区は「先崎(まっさき)」と呼ばれ、東に細長く延びた地形の付け根部分にある。昔使われていた小字名では「宮ノ越」、その西側には「領替」という小字名がある。

2年ほど前に入学した市民大学で、講師の先生が「領替」という地名の所には城があったはずだとおっしゃっていた。先崎の領替には、先崎城という臼井城の支城があったらしいということもその時知った。

城といえば石垣を積み重ねて造った大げさなものを想像しがちだが、先崎城は空堀を巡らし土塁を築いた程度のものだったらしい。その城があったと推測される場所は、谷津を見下ろす小高い所に位置しているから、臼井方面への不審者に睨みをきかせていたものと思われる。

このように先崎は永い歴史を有する地区で、鷲神社の周辺にもそのことを思い起こさせてくれるような耕作地が広がっている。

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近頃とんとお目にかかることのない、カラスウリを見つけた。

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2010年01月03日

鷲神社境内

ケヤキの大樹
(佐倉市指定文化財天然記念物)

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里人は、安産子育ての「ねね子様の木」と呼んでいるそうだ。

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大晦日の夜は、里人が集まりたき火で暖ををとりながら新年を迎える。2・3年前に二年参りをした時のこと、たき火を囲む里の人たちは、見ず知らずの私たちに、甘酒を飲んで暖まっていかないかと声を掛けてくれた。

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2010年01月02日

鷲神社本殿

鷲神社本殿は、有形建造物として佐倉市の文化財に指定されている。「佐倉風土記」によれば、鷲神社そのものは奈良時代までさかのぼることができるようだが、現存する本殿は江戸幕府12代将軍家慶の時代に再建されたそうだ。

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大工統領は八千代市下高野村の立石菊右衛門元隆
周囲の彫刻は幕府彫刻師の星野理三カ政一

本殿正面の柱の彫刻、右側は男龍
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左側は女龍
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西側下部彫刻
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二人の子どもが亀に酒を飲ませている図
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父を慕い這い出した子を母親がとがめている図
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(以上、鷲神社のパンフレットを参照)
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2010年01月01日

初詣

初詣は例年通り、アカイヌ・ふくろう両夫人と共に鷲神社に参拝した。

近年、市内は宅地造成が急速に進み、昔から伝えられてきた風景があちらこちらで失われつつある。この地区の地形的な特色である谷津が埋め立てられ、耕作が放棄された谷津田も増えてきて、そこには雑草がはびこっている始末なのだ。

それでもなお新興住宅地から少し奥に入れば、昔ながらの風景に出会うことができる。今となってはすでに遅きに失した感もあるが、そういう場所を訪ね歩き、写真に撮って残しておくことも意味のないことではないだろう。その手始めの場所として、毎年初詣で訪れている鷲神社を選んで見るのもいいかもしれない、そんなことを思いながら今年は、鷲神社本殿・境内・周辺の様子を、今までより念入りに撮影しておいた。

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