【日和下駄】
著者…永井壯吉
発行所…東都書房
発行年…昭和32年5月25日
その中の一枚に、浅草で撮った写真がある。地下鉄銀座線・浅草駅の出入り口付近で撮られたものだ。その写真のキャプションは、以下のように記されている。
浅草(現・台東区)の地下鉄駅付近にて
昭和三十年十一月
その場所は吾妻橋の西詰めのあたりで、その古い写真を見ると、浅草駅への地下出入り口の建物が、当時とほぼ同じ形状を保ったまま現在も使われていることが分かる。ただ周辺の店は変わっている。その写真には、向かって左側(南側)は「牛肉の店相模屋」、その西隣には「つり具」の看板が写っている。現在のそのあたりは、下の写真で分かるように、「羽ネル屋」という店になっている。



先日、写真塾の一泊の写真撮影会で三浦半島に行った時のこと、古顔のKさんとこんな話になった。
「明日はどうしますか」
「どうしようかなァ、このあたりをブラブラ歩きながら写真を撮って、そのあとは上大岡にでも行ってみようかな」
「上大岡ですか」
「若い頃、上大岡に住んでたことがあるんですよ。思い出の地を訪ねてみようかな」
「わたしのおじいさんも、亡くなる前にそんなことを言っては、いろんな所に出かけて行きましたよ」
「そうそう、そういう気持ちになるんですよ」
「おじいさんは、1年くらい経ってから亡くなってしまいましたよ」
「………」
「昔のことを振り返るのは、まだ早いですよ。先に向かって進みましょうよ」
「そうですか、1年後に亡くなりましたか」
とつぶやきながら、上大岡で途中下車することは取りやめにしたのだった。
昭和30年11月といえば、荷風は75歳、亡くなる4年前のことだ。晩年にさしかかると、思い出の地を再訪してみたくなるのは人の常なのだろうか。あの荷風も、その例外ではなかったということなのだろうか。