2010年04月30日

イチハツ百態

イチハツをさまざまな角度から撮ってみました。

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後に写っている白い花はニオイイリスです。花や葉の形を比べてみても違いはよく分かりません。しかし全体的な花の姿は、かなり違うような気がします。

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posted by 里実福太朗 at 14:21| 里ふくろうの日乗

2010年04月29日

イチハツ記念日

ついにイチハツが咲いた。去年、夫人の知り合いから分けていただいた時は、うまく根付いて、来年の春、花を咲かせてくれるだろうかと心配したが、天候不順を乗り越えて見事に花が開いた。今日を「イチハツ記念日」と呼ぶことにしよう。

今年は天候不順で寒い日が多く、例年より春が短く感じられた。それでも春が終わりを迎えるのに合わせて咲き、季節が移り変わることを教えてくれた。イチハツが咲けば、正岡子規が詠んだように春はもう終わりとなり、季節は初夏に一歩近づく。

 いちはつの花咲きいでて
   我目には今年ばかりの春行かんとす

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posted by 里実福太朗 at 17:31| 里ふくろうの日乗

現在開花中

イチハツの花が、咲き始めた。午前中の時点で、半分ほど開いた。

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ニオイイリスは、年々株数が増えている感じだ。外国種は繁殖力が強いのだろうか。この分では、数年のうちに庭がニオイイリスで埋め尽くされるかもしれない。

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posted by 里実福太朗 at 13:10| 里ふくろうの日乗

2010年04月28日

今日のイチハツ

イチハツがもうちょっとで咲きそうだというのに、昨日も今日も雨降りの一日だった。雨に打たれたつぼみの状態が気になり、小雨になったところで庭におりて確かめてみた。

〔玉のしずくをまとった蕾〕
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posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年04月27日

マスコミの影響力を映し出す鏡としての世論調査

ついに桝添氏が自民党を離党して、新党を旗揚げした。正確に言えば新党ではなく、既存の政党「改革クラブ」に加わり、名称を変えてそこの党首におさまったということのようだ。桝添氏は自民党に離党届を提出したが、その後自民党は氏を除名処分とした。

さてその桝添氏は、マスコミの世論調査によれば、首相になってもらいたい人物の第一位になるほどの高い人気を得ていた。しかし自民党内では世論調査の結果とはまったく逆で、『オオカミ中年』と呼ばれたり、離党すれば『ウミ』が出ていったとまで酷評されているのである。またあるニュース番組で、その人気は『虚像』にすぎないとあるとコメンテーターが言い切ったり、かつて妻であった人が、週刊誌に氏の本性を暴くインタビュー記事を載せたりという具合に、近頃は桝添氏に対するバッシングが続いている。

こういう状況を見るにつけ、世論調査による総理期待度NO.1であった人物に対して、手のひらを返すようなうバッシングが行われるのはなぜなんだろうか、と素朴な疑問がわいてくる。そこには政治的な意図も隠されているのだろうが、そういうことよりも氏はほんとうに人気NO.1だったのだろうか、という世論調査そのものの信頼性に対する疑問も生じてくる。世論調査というものは、世の中の動向を映す鏡となっているのだろうか。

こんな疑問をかかえながら過ごしていたある日、必要となった本を探すために「ツンドク(積ん読)」用の本の山をひっくり返していると、こんな本が見つかった。以前買い求めたものの、読む機会がなくてそのままツンドク用になってしまったものと思われる。

「データの罠 世論はこうしてつくられる」
著者:田村秀
発行:集英社…集英社新書
   2006年9月

その第一章「世論調査はセロンの鏡か?」に、こんなことが書かれていた。
『世論調査はすべて客観的に実施されていると思いがちであるが、実際には、その多くに手法などの面で問題がある』
『誤った調査結果を垂れ流すマスコミの責任は重大であるが、我々も世論調査の結果を鵜呑みにせず、注意深く読み取る術を身につけなければならないのである』

新聞社やテレビ局が行う世論調査は、電話によるRDD法、サンプル(調査対象)数が1000人、有効回答率が50%〜60%程度の場合が多いようだ。同書によれば、サンプル数が384人程度であれば、誤差がプラス・マイナス5%を超える確率はわずかであるそうだ。だからサンプル数1000人という数値は、特に問題がないと考えられる。

また有効回答率は60%以上が望ましいそうだ。各社が行う世論調査では、60%を超える例はまれだが、50%〜60%の間に入ることは多い。何とか信憑性を保つ回答率ではあるのだろう。

一番の問題点は、電話法という調査方法なのだろう。これは乱数によって発生させた電話番号が、実際に一般家庭で使用されているものであり、さらにその家庭に調査条件に合う人がいる場合に行われる調査方法である。

この調査方法では、いわゆるイエデンのある家庭が調査対象になるということだから、携帯電話が普及した現在では、調査対象が非常に限定されてしまう。このようにかなり偏ったサンプルで行われた調査では、到底客観性を有する世論調査とは言えないことになるだろう。

新聞社やテレビ局が行う世論調査が、こういう問題点をかかえていたとしても、ある程度は「世の中」を映す鏡となっていると言えるのかもしれない。しかしそうだとしても、「世の中」の人たちは、情報源としてのマスコミの影響を受けているのだから、伝えられる情報を鵜呑みにしていると、マスコミが行う世論調査というものが、マスコミの影響力を測るために、マスコミ自身で行っている調査、ということになってしまう。

そうならないためには、新聞・テレビなどの大マスコミだけから情報を得るのではなく、それとは違う系列の情報源を活用する必要があるのだろう。上杉隆氏の近著「記者クラブ崩壊」(小学館、2010年4月発行)を読むと、そういうことがほんとうに大切であると強く思われてくる。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年04月26日

結婚式二次会パーティの服装

今日は、息子の初めての給料日。忘れもしない、私の初任給は3万3000円だった。

歯の治療の二回目。1センチほどの釘が刺さっていた歯は、根が傷んでいて、治療しても治る確率は5・6割程度だと、先週言われた。今日の所見によると、根の治療をすれば、あと1回はブリッジの柱として利用できそうだということだった。

先週の金曜日に雨が降った次の日から、3日間晴天が続いた。その間に、ニオイイリスは次々に花が開いた。しかし、イチハツはいっこうに咲かない。

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昨日は、結婚式の二次会パーティーに招かれて、横浜に行ってきた。先日有楽町のビックカメラの近くで、バッタリ出会ったあの人の結婚パーティーで、ラウンドマークタワーの5階のレストランで行われた。式は身内だけであげて、披露宴に替わるものとして行われたパーティーだった。

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〔5階レストランからの眺め〕
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今まで会費制の二次会パーティというものに出席したことがないので、まず服装のことが気になった。結婚式場とかホテルとかで行われる披露宴であれば、礼服を着用すればいいのだが、二次会パーティーとなるとまったく見当がつかなかった。何を着ていこうかと決めかねて、そのことが心の片隅に居座り続けていた。

そんな時に、彼女と偶然出遭ったのだった。立ち話をしているうちに服装のことを思い出し、彼女に尋ねてみたところ、形式張ったことを嫌ってパーティー形式にしたのだから、礼服を着用するには及ばないということだった。
「それではスーツにするか」
「それで十分ですよ、もっとラフな格好でも大丈夫ですよ」

そんなふうに言われて礼服はやめたのだが、ネクタイは白いものにした。どうにも中途半端な選択だけれど、ラフな格好で出席することには、やはり抵抗感を憶えるのだから仕方ない。

パーティ会場で見まわしたところ、参加者の多くはダークスーツに普通のネクタイを締めていた。しかし中には、ラフな格好の人もいて、ノーネクタイとかジーンズの人もいた。礼服・白ネクタイの人は一人もいなかった。

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2010年04月24日

二回目のフランス語講座

まず、訂正。前回『フランス語では語頭の「h」は発音しないけれど』と書いたが、語頭に限らず「h」は発音しないそうだ。ということは、フランス語には「ハ行」の音はないということになり、多くのフランス人は「はひふへほ」を発音したことがないのだ。

「はじめましょう」が「あじめましょう」となっても、言いたいことが文脈から察しが付くからよかったが、場合によっては違う意味になったり、意味不明となることもあるだろう。

あい色(藍色?)の青春時代
 → はい色(灰色)の青春時代
仕事のいきつぎ(息継ぎ?)
 → 仕事のひきつぎ(引き継ぎ)
うえた(植えた?)花
 → ふえた(増えた)花
えび(海老?)が怖い
 → へび(蛇)が怖い
おこりっぽい(怒りっぽい?)
 → ほこりっぽい(埃っぽい)

日本語の勉強をしようと思い立ったフランス人には、まずハ行の発音の練習を、繰り返し行うことを提言しておくことにしよう。

4月も下旬となり、新入生たちもそろそろ大学に慣れてきたところだろう。しかし慣れてきたにしろ、まだまだ新人という雰囲気を体中から発散しているから、サークルの勧誘学生の網の目にすぐ掛かってしまう。

昨日は先週より少し早く大学に着いた。お昼時のキャンパスでは、各サークルが新入生たちの獲得合戦を繰り広げていた。あちらこちらでビラを持った先輩学生が待ち構えていて、人混みの中から新入生をめざとく見つけ出し、ビラを手渡したり声を掛けたりしていた。

私も何かを渡されそうになった。いくら何でも学生には見えるはずはないのに、いったいどういう了見だったのだろう。受け取るのは辞退したけれど、何の勧誘だったのかを確かめるために、受け取っておけばよかったと今は思う。

次回の授業は、2週間後になる。そのとき、またビラを渡されそうになったら、その時は受け取ってみることにしよう。
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2010年04月22日

「フランス語の難しい発音」

今日は木曜日、従って明日は金曜日でフランス語講座の2回目の授業がある。一週間が過ぎ去る速さは、「矢」の飛ぶ速さどころではなかった。

「r」の発音は、やはりなかなかうまくできない。ノドの奥をうまく震わせて発音できることもあるが、それは時々のことであっていつもできるとは限らない。何度も練習しているうちに、ウガイ音・嘔吐音に加えて、イビキ音にも似ているような気がしてきた。フランス語は洗練されたきれいな言葉なんて誰が言ったんだろう。

だいたい言葉なんて、原初に立ち戻れば、鳴き声とか叫び声から出発した。それが次第に整理され洗練されていくうちに、動物的な発声部分が失われ、言葉としての体系を整えてく。ところがフランス語では、その過程で原始的な発音が一つ残ってしまった。それが「r」なのである。まあ、こんなふうにも想像してみたくもなるりますね。

ネット上に「r」の発音を丁寧に説明しているサイトはないものだろうかと探してみたところ、YouTubeにこんな動画が投稿されていた。

「フランス語の難しい発音」

ビデオを作成したのは、流ちょうに日本語を操るフランス青年、どういう立場の人なのだろうか。彼はこんなふうに話を始める。

「こんにちは、皆さんお元気ですか…じゃーこれから〔あ〕じめましょう」
フランス語では語頭の「h」は発音しないけれど、日本語では発音するから、「〔あ〕じめましょう」ではなく、「〔は〕じめましょう」と言うんだぞ。

「日本人にとってはとても難しいから、このレッスンをする前に何か飲んでおいた方がいいと思う」
と言って自分でもコップを持ち上げて何かを飲む。ノドの奥を震わせるから、ノドに湿り気を与えて、なめらかに動くようにしておいた方がいいということなのかもしれない。自分まで飲む必要があるかどうかは疑問だが、まあ親切心の発露なんだろう。

「じゃあ、〔あ〕じめましょう」
また、〔あ〕と言った。フランス人にとって、「ハ行」の発音は難しいのだろうか。

そして「r」の発音の練習が始まる。「r」の発音を習得したい初心者にとっては参考になるだろう。


 
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2010年04月21日

いちはやく咲いた花は…

アヤメ科の花で、いちはやく咲いたのはイチハツではなかった。ニオイイリスだった。

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ニオイイリスの写真を撮ったあと、あらためて庭を眺め渡すと、ジャーマンアイリスも咲いていた。さて、どちらが先に咲いたのか、それが分からない。

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イチハツは、まだつぼみを閉じていて、咲くまでにはもう少し時間が掛かりそうだ。

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いろいろな花が咲き出すと、蝶や蜂などが飛んでくるようになった。ジャーマンアイリスを撮っている時、まず蝶が飛んできて、続いて蜂が飛んできた。うまい具合にその両方の瞬間を撮ることができた。

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以上の他にも、こんな花々が庭に彩りを添えてくれている。

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2010年04月20日

Bonjour[ボンジューる]

フィルムセンターに行った日のこと、銀座中央通りから東銀座に向かって歩いていると、フランス料理の店がちらほらと目に付く通りがあった。このあたりは、フランス料理のお店が固まっているのかなと思いつつ歩いて行くと、すこし先の方で外国人が道行く人に、
「ムシィユ」
と呼びかけていた。かかわるとなんだか面倒なことになりそうに思われ、前を歩く人の様子を注意深く見ていると、その外国人は、
「ボンジューる」
と挨拶の言葉を掛けながら、ハガキ大の紙を渡した。受け取った人は、引き留められることなくそのまま行き過ぎて行った。特に警戒する必要はなさそうだったので、私も受け取ってみた。「エコールサンパ」というフランス語会話学校の案内用紙だった。

そんなことがあった二日後、オープンカレッジのフランス語講座の第一回目の授業があった。去年受講した写真講座は、大学キャンパス外のオープンカレッジ用ビルの一室が教室だったが、今回のフランス語講座は、大学キャンパス内の教室棟の一室が会場となっていた。

授業は1時から始まる。昼休みのキャンパス内は、行き交う学生たちで混雑していた。その間をぬって歩いていくと、学生時代に戻ったような気分にもなってくる。息子も授業がある時は、この学生たちと同じように、授業を受ける教室に向かうこともあったのだろう。

ゼミにでも使っている教室なのだろうか、縦二列に並んだ3人掛けの16脚の机が、所狭しと置かれていた。全部の席が埋まれば24人となる。出席者の人数をきちんと数えたわけではないが、一つの机に二人づつ腰掛ける座り方でほぼ席が埋まっていたから、14〜15人程度が受講したようだった。受講者はやはりシニア層が多く、それより下の年齢層の人も何人か見受けられた。

先生は授業開始時間ピッタリに入って来た。去年の写真講座では生徒による自己紹介があったが、教科書の説明が少しあったあとは、すぐ発音の説明に入り、そのまま90分間ほぼしゃべり続けた。もちろんその間には、CDを聞いて発音を確かめたり、先生のあとについて実際に発声してみるということは行われた。

フランス語には、17音の子音があるということだ。それらの発音の多くは、日本人にとってあまり難しいものではない。しかし日本語の発音にはなく、最もやっかいなのが「r」で、これをラ行の「ラ」と発音してしまうとフランス人には通じないという。

「r」の発音は、舌先を下前歯の裏につけ、舌の後部分を持ち上げ、口腔の奥を震わせて発声する。こんなふうに言葉で説明されてもよく分からないが、うがいをする時の音に似ていると聞けば、なんとなく感じが分かってくる。さらに汚い例では、口腔内の状態は物を吐く時の様子に似ているそうだけれど、この例は酔っ払って吐いた経験のない人には分からないだろうな。

まあそんな説明を受けて、全員で「r」の発音練習を繰り返し行った。このとき廊下を通った人がいたら、うがいの音やら、嘔吐音やらが聞こえてきて、無気味に思いながら足早に教室の前から立ち去ったことだろう。「r」の発音の練習をする際には、場所を選んだ方がよさそうだ。

◇「r」を含む語の例
Paris…発音[パり]
注:「り」は平仮名の「り」です。発音を示す際はカタカナで表記しますが、「r」はラ行ではないことを示すためにひらがなで表記します。

Merci…発音[メるスィ]
「r」の発音がうまくできなかったら、いっそのこと「r」の発音を省いてしまった方が、フランス人には通じやすいということだ。つまり「メスィ」、もっと簡略化して「メシ」、漢字で書けば「飯」、こんなふうに言えば良いのだ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年04月19日

ブリッジがとれた

晩ご飯を食べている時、ブリッジがはずれてしまった。そのブリッジを見て、愕然とした。長さ1センチほどの釘が付いているのだ。そんなものが私の口の中に刺さっていたとは…ほんとうに驚きました。

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このブリッジは二代目で、最初のものは二十代の頃にかぶせた。爾来30年以上にわたって食生活を支えてくれた。数年前限界を迎え造り直したのだが、それがとれてしまったのだ。こうなってしまった以上さっそく明日には、歯医者さんに行かねばなるまい。歯医者には何歳になっても苦手意識が抜けない。気が重いな〜
posted by 里実福太朗 at 22:29| 里ふくろうの日乗

2010年04月18日

忙しかった

週末の二日間は忙しかった。金曜日はフランス語講座の第一回目、土曜日は写真塾の十二回目、昨年5月から始まった講座の最終回だった。今日一日、頭の中では二日間のことがクルクル回りながら断片的に蘇ってきて、収拾がつかなかった。

フランス語の先生は、こんなふうにおっしゃった。今日学んだことはすぐに忘れます。確実に忘れます。忘れたらまた憶え直せばいいのです。その繰り返しです。必ず毎日フランス語にふれるようにして下さい。そうしないと、一週間後にはすべてがリセットされた状態で、授業に臨むことになります。そんなことでは、毎回出席してもフランス語はものにならず、最終的には授業を受けたという印象だけだが記憶に残ります。

もっともなことだ。しかし、昨日は写真教室の今期最終回、先生お手製の修了証書をいただいたあとは、場所を変えて反省会に時間を費やし、フランス語を思い出すヒマはなかった。これを書いている今は、もう夜の12時をまわっているから本当は今日ではないのだが、これから少しフランス語の勉強をすることにしよう。

そこで、この二日間のことは日を改めて書くことにして、今日の分のブログはこれにて終わり。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年04月15日

映画「江分利満氏の優雅な生活」

文学作品というものは、それを映画化しても、作品のおもしろさ興行面でも成功を収めるのは難しいものなのだろうと漠然と思っていた。確たる根拠を持ってそんなふうに思っていたのではないけれど、文学作品を原作とした映画をいくつか見ているうちに、そんな印象が残ってしまったのだろう。

それらがどのような作品であったのか、その記憶はすでに忘却のかなたに旅立ってしまっているから、誰かからそんなことはないと言われれば、それに反論することもできなかったにちがいない。しかし昨日からは、その例を一つ挙げることができるようになった。

小林桂樹が主演した映画「江分利満氏の優雅な生活」の原作は、山口瞳氏が書いた直木賞受賞作品である。以前読んだことはあるのだが、サラリーマンの日常生活を描いた作品だったことを憶えているだけで、詳しい内容はすっかり忘れてしまった。部屋のどこかにあるはずだと思い探してみたが見つからない。見つかれば、原作と映画との違いを確認できるのだがそれができない。だから、推量での物言いとなってしまうのは避けられないところだ。

とここまで書いて、行き詰まってしまった。このまま書き続けたとしても、かなり時間が掛かってしまいそうにも感じられた。そこで一息入れるため、お風呂に入ることにした。そして湯船につかりながら、続きを考えた。考えているうちに、続きを書くことが面倒になってきた。お風呂から出た時には、続きを書くのはあきらめることになっていた。

(お風呂から出て)
それで、映画「江分利満氏の優雅な生活」はおもしろかったのかと人に問われれば、否と答えるより仕方がない。もともと原作がサラリーマンの日常を描いた作品だから、原作の雰囲気を活かそうとすれば、血湧き肉躍るようなドラマチックな展開などないことは必定なのだ。

映画の内容は別にして、興味をそそられたのは、観客たちの反応だった。平日の午後だから観客の多くはシニア層で、まれに学生風の若者の姿も見えた。私よりかなり年上の人たちも多く、奇異に感じられたのは彼らの笑い声が起こるタイミングだった。

深刻な場面が映し出されていても、かすれたような笑い声が聞こえてくるのだ。もちろん深刻な場面が、かえって笑いを誘うということは大いにあり得ることだけれども、そうではない場合でも笑い声が聞こえてくるのだ。どうしてそういう場面で笑うのだろう、そんなことが気になって仕方がなかった。

彼らは笑うことを求めて、映画を見に来ているのかもしれない。笑うために来ているんだから、どんな場面でも笑わなければ損だ、そんなふうに思っているのかもしれない。いや、そういうことではなくて、多くの人と一緒に笑い合うことのできる場を求めて、ここに足を運んでいるのかもしれない。映画が始まる前、ロービーで開場を待っている時に見た彼らの顔のいくつかを思い出してみると、その想像がまんざら的外れではないようにも思われてきた。

彼らの笑い声に気をとられ、映画と現実との間を行ったり来たりしているうちに、映画は最後の場面にさしかかり、小林桂樹の演技にもなおいっそう熱がこもってきた。主人公は今までにない激しさで、こう叫んでいた。

「白髪の老人たちを、絶対に許さないぞ」
「美しい言葉でだまして、若者たちを戦地に送った白髪の老人たちを、オレは絶対に許さないぞ」

血湧き肉躍る華々しい場面ではなくても、ここがこの映画のクライマックスだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年04月14日

偶然が重なる確率

京橋のフィルムセンターで、小林桂樹主演の「江分利満氏の優雅な生活」を見たあと、カメラ関係の小物を買い求めるため、有楽町のビッグカメラに向かった。

有楽橋の交差点を通り、JRの線路をくぐり抜けたところで、誰かから声を掛けられた。あまりにも突然のことで、その人の顔を見ても焦点がなかなか合わず、しばらく頭の中に像が結ばなかった。その時間がとても長く感じられたが、実際にはほんの一瞬のことだったのかもしれない。

たぐり寄せた一つの記憶が、目の前の顔と結びついた時、さまざまな思い出が数珠つなぎとなって現れてきた。その人がまだ高校生だった時のこと、社会人になってから友人と共に私の職場を訪れた時のこと、その友人の結婚式で顔を合わせた時のこと、雨の降る冬の寒い夕刻に職場の最寄り駅で偶然出遭った時のこと、退職祝いに駆けつけてくれた夜のこと、それらの場面がフラッシュバックのように目に浮かんできた。

「こんなことが本当にあるんだね」
「わたしの勤め先、この近くなんです」
「前にも、こんなことがあったな」
「…」
「たしかそちらがロンドンから帰ってきた時、駅の改札口の近くでバッタリ出遭ったことがあったよ」

彼女は、仕事の関係でロンドンで働いていた時期があった。その後、日本に戻り転職したと人づてに聞いた。その時も思いがけない再会だったが、今回はその時以上の驚くべき再会だった。今日という日に、フイルムセンターに映画を見に行き、午後三時過ぎに有楽町付近を歩くということがなければ、彼女と出遭うことはなかったのだから。

「結婚式までもうわずかだね」
「そうですね」
「どういう服を着ていけばいいのかな、披露宴なら礼服なんだろうが、二次会パーティーということだから、礼服だと浮き上がってしまうかもしれないし」
「平服で大丈夫ですよ」
彼女は近々結婚式を挙げることになっていた。先日その案内状が届き、出席する旨の返事を出してあった。

以前、駅で偶然再会した時は、彼女の人生が大きな転機を迎える時だった。今回も結婚という大きな転機を迎える時に、偶然再会したのだった。このような偶然が重なる確率は、どの程度のものなのだろうか。たぶん限りなくゼロに近い確率だと思われるが、それが現実となってしまったのだから、そら恐ろしくさえなってくる。

「明日から大阪に出張なんですよ」
「結婚を間近にひかえて、たいへんだね。これから会社に戻るんでしょ、立ち話が長引くとまずいね」
もう少し話を聞いてみたい気もしたが話を切り上げ、最後に、結婚パーティーを楽しみにしてますよ、と声を掛けて別かれたのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年04月13日

ふくろうの里を彩る花々

昨日とは打って変わって暖かい日だった。明日はまた寒くなるということだから、「一寒一温」の繰り返しが続く。

昨年夫人の知り合いの人から、イチハツの株を分けていただき、庭の一隅に夫人が植えた。はたして無事冬を越してくれるだろうか、と心配をしながら過ごしていた。今年に入って、根付きの状態、生育の様子を確かめてみると、葉の一部が茶色に変色していていかにも元気のない様子に見えた。

〔1月10日〕
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その後もイチハツのことを思い出しては、庭におりて様子を確かめてみた。天候不順のせいで寒暖が繰り返されるせいか、いつ見てもあまり変化がなく、このまま朽ち果ててしまうのではないかとまで思うこともあった。

〔2月23日〕
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〔3月5日〕
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〔3月30日〕
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3月30日になって、今までと比べて葉が増えてきたように見えたが、まだうす茶色に変色したものもあって、気を許せない状態が続いていた。4月に入り東京地方では桜の満開宣言が出された。それからというもの桜花の方に心を奪われ、上野公園や隅田川河畔に出かけることが多く、イチハツのことはすっかり忘れていた。

桜の花が風に舞うようになってハッと気がつけば、もう4月も半ば。急激な温度変化を警戒して、イチハツは天候が安定するのをジッと待っていることだろう、と花の気持ちを勝手に推し測ってみたが、アヤメの仲間の中で、真っ先にいちはやく咲くからイチハツと名付けられたのだということを思い出し、4月も半ばになれば、なんらかの開花の兆候が現れていても良いはずだ、と思い直して庭におりてみた。

驚くことにイチハツは、さすがにその名に恥じず、こちらが桜に浮かれいる間に、様相をすっかり変えていた。剣型の葉は、鋭く天に向かって伸び、つぼみは茎の先で大きく膨らみ、その先端はすでにうす紫に色づいていた。

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以前イチハツだと思い込んでいたニオイイリスも、つぼみを膨らませていた。

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そのほかの庭を彩る花々の写真を載せておきます。

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2010年04月12日

「マネとモダン・パリ」展

このところ日替わりで、暖かくなったり寒くなったり。春さきの寒暖の繰り返しは三寒四温と言われるけれど、それに倣えば一寒一温とでも言ったらよいのだろうか。

さて、三菱一号館美術館で行われている「マネとモダン・パリ」展については、まだ書いてなかった。今回の展覧会では、マネの作品に加えて、写真をはじめとするさまざまなジャンルの作品群が展示されている。単なる絵画展ではなく、会場を一巡りすれば、マネという変革期の画家を核として、マネが生きた19世紀後半のパリという都市の変貌の様子が伝わってくる。

本展のホームページを見ると、チケットとして当日券として日時指定券の二種類が載っている。ともに同じ金額が記されていて、料金の面では違いがない。それでは何が違うかというと、日時指定券はオンライン上で購入できて、購入者が希望した日時に行列に並ぶことなく入場できるという点にあるということのようだ。指定した日時以外でも入場は可能だが、入場の際の優先権はなくなってしまうらしい。

入場者が多い場合は、日時指定券を購入しておいた方がスムーズに入場できるが、そうでなければあまり意味がない。そう思って、混雑していれば写真だけ撮って帰ってしまおうと心を決め、窓口で当日券を買うことにした。

美術館の入口は二箇所にある。一つは大通りに面した正面入口、こちらは日時指定券を購入した人が利用できる。

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当日券の購入窓口は、中庭にまわって、「広場側入り口」から入らなければならない。

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チケット購入窓口は小さな部屋の中に設けられていて、購入後3階の展示室に行くためには、その部屋を出て、エレベーター乗り場に移動しなければならない。その動線がうまく整理されていないので、入館者が殺到するとかなり混乱するにちがいないと思われる。

そういう様子を見て、日時指定券をネット上であらかじめ購入しておいた方がよかったと思った。正面入口から入った方が、エレベーター乗り場にも近い。これから「マネとモダン・パリ」展に行こうと思っている人には、日時指定券をネット上で購入することをお勧めしますよ。

 http://mimt.jp/manet/ticket/index.html

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2010年04月11日

佐倉城址公園の花

長い間楽しませてくれた今年の桜も、今日がいよいよ見納めの日曜日となるのだろう。佐倉城址公園の桜は、強い風が吹くとハラハラと舞い散って、桜見物の家族連れが集うブルーシートや散策路の上に降り敷いていた。

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園内にひときわあざやかな赤色の花が咲いていた。皆がカメラを向けているその花は「はなもも」、桃の花にしては色が濃すぎるのは、観賞用に品種改良された品種だからなのだろう。

〔はなもも〕
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中国の最も古い詩集「詩経」は、五経の一つに数えられている。その中に「桃夭」という嫁ぐ娘を祝福する詩がある。その一節に、桃の花をうたっている箇所がある。

 『灼灼たり 其の華』

「灼灼たり」とは、花の色が赤々と光り輝く様子をいう言葉だから、一般的な桃の花のような淡い色とは結びつかない。桃の原産地中国では、古くは「はなもも」のようなあざやかな赤い色だったのだろうか。「はなもの」は、まさに「灼灼たり」という形容がぴったりの花の色だった。

〔はなもも〕
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〔すみれ〕
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〔つばき〕
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2010年04月09日

東京駅丸の内周辺と三菱一号館

老朽化が進み昭和43年に解体された三菱一号館が、このほど復元されて三菱一号館美術館として再出発の歩みを踏み出した。開館記念として、現在「マネとモダン・パリ」展が開かれている。会期は4月6日から7月25日まで、まだ始まったばかりだが、お天気が回復した昨日さっそく行ってみた。

最寄り駅は東京駅、丸の内側は折しも改修工事の真っ最中で、レンガ造りの駅舎は工事用シートで覆い尽くされ、なんとも無味乾燥な姿をさらしていた。

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東京駅は、創建時から昭和20年までは3階建ての駅舎だった。空襲によって3階部分を消失し、戦後の昭和22年に2階建てで修復され、その状態がずっと続いていたということだ。

 丸の内駅舎創建時・写真

現在行われている工事は、その2階建ての丸の内駅舎を、創建当時の3階建てに復元するためのものなのだ。東日本のプレスリリース(2002年2月15日)によれば、完成予定は今年度(2010年度)末ということだ。

「東京駅及び周辺の整備計画について」
  
  東京駅及び周辺の整備計画(1)
  東京駅及び周辺の整備計画(2)

東京中央郵便局の旧局舎については、かつて再開発の計画が持ち上がった際、伴い取り壊すのか、保存するのかで一悶着あったが、結局旧庁舎の保存部分を拡大したうえで再開発を進めるということになったと記憶している。その後政権が変わってから、この旧庁舎の問題はどうなったのだろうか。近頃はそれに関する情報が、さっぱり伝わってこない。

東京中央郵便局の再整備計画について(2008年6月25日)

歴史的建造物を後世に残すことが、その時代を生きる人たちの責務であることは、いつの時代であっても変わらないことだろう。たとえそのことによって目先の効率化が妨げられたとしても、それらの建造物は時を経ることによって、次の世代に別の価値をもたらしてくれるに違いない。

三菱一号館が復元されたことも、そういう意味で喜ばしいことだ。建造物というものは、たとえ復元されたとしても、それが資料館・博物館の中で展示されているだけでは、あまりおもしろみはない。街の景観の一部として、人々の日常の暮らしの中に存在することによって輝きを放ってくるのだ。

〔三菱一号館〕
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2010年04月07日

~谷バーのAさん

去年の春先、かつて勤めていた職場の先輩が定年退職することになり、そのお祝いに飲み仲間、と言っても飲んべえばかりの集まりではないけれど、その数名が~谷バーに集まって職を全うしたことを祝した。

幹事役の人が、かつて若い頃に~谷バーでアルバイトをしていたことがあって、彼がそこを選んだのだった。その時に、Aさんという人にとてもお世話になったことを、彼から何度も聞かされたことがあった。そしてそのAさんは、まだ神谷バーで働いているという話だった。

会が終わって店を出ると、幹事役の彼は、~谷バーの外に設けられているお土産売り場に一同を連れて行き、Aさんを紹介してくれた。Aさんは黒の服に黒の蝶ネクタイ、髪をきれいになでつけて、謹厳実直を絵に描いたような姿で店の中に立っていた。Aさんに接したのはそれが最初のことだった。

幹事役の彼がアルバイトをしていた時期は、もう30年以上も前のことになるはずだ。Aさんはいつの頃から、土産物売り場の店頭に立っているのだろうか。細長くて狭い売り場の中から、吾妻橋の交差点を行き交う人たちの姿を、どれほどの年月眺め続けてきたのだろうか。

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それ以来、しばらく浅草に行く機会はなかった。今年に入って、東京スカイツリーの写真を撮りに出かけた際、足をのばして浅草に立ち寄ることがあった。その時にAさんのことを思い出し、~谷バーの土産物売り場に行ってみた。Aさんは以前見た時とまったく同じ姿で、その狭い店の中に立っていた。電氣ブラン(オールド)を買い求めてから、声を掛けようとしたが名前が出てこない。初対面に等しい人間が、親しげに声を掛けることもためらわれ、釣り銭を受け取ってその場をあとにしたのだった。

その時買い求めた電氣ブランの小ビンの中身は、すでになくなってしまった。電氣ブランはキリリと冷やしてストレートで飲むものらしいが、なにしろアルコール度数が40度、とてもストレートでは飲めないので、お湯割りにしてみたところ、薬草のような香りが立ち上がってきて、その香りに慣れると飲みやすく感じられてきた。

先日1年ぶりで幹事役の彼と飲む機会があり、その時のことを話して、彼が世話になった人の名前を確かめておいた。浅草に行く機会があったら、また電氣ブランを買い求め、Aさんに声を掛けてみることにしよう。

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2010年04月06日

「東京大衆歌謡楽団」の今

東京大衆歌謡楽団のライブが終わったあと、彼らのもとに近づき再会の挨拶を交わした。別れ際にいただいたパンフレットの記載内容などにもとづいて、彼らの活動状況をまとめておくことにする。

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◇バンド結成
2009年4月に結成された。小生が上野公園で彼らと出会ったのは、昨年の6月のことだから、結成後2ヵ月ほど経過した頃のことになる。

◇メンバー
高島孝太郎(昭和58年生まれ)・雄次郎(60年生まれ)の兄弟と、高鳥玲(昭和54年生まれ)とが加わった3人で編成、担当パートは以下の通り。

ウッドベース……高鳥玲
唄……………………高島孝太郎
アコーディオン…高島雄次郎

◇CD&カセット発売
発売日…平成21年12月16日
収録曲…東京ラプソディ・森の小径・啼くな小鳩よ・美しき天然
発売元…チェスターフィールドレコード

◇公演予定
日時
…2010年4月17日(土)、4月27日(火)
…開場:15:30 開演:16:00(両日とも)

場所
アミューズミュージアム(浅草)1階
 二天門シアター

料金
…当日:\2000 前売り:\1500
 (ワンドリンク付き)

予約・問い合わせ
 こちら

今のところは、昭和歌謡のコピーバンドという位置づけになるのだろう。ものごとを始めるには、模倣から入るのが常道だけれど、彼らがさらに飛躍するためには、やはりオリジナル曲が必要となる。近い日に、その曲が耳に入ってくることを願いつつ、今後のさらなる活躍を期待することにしよう。

ホームページができていました。


YouTubeにも動画が投稿されていました。




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2010年04月05日

隅田川界隈フォト漫歩(2)


〔桜橋〕
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〔桜橋からの眺め〕
遠くに見える水色の橋は、言問橋。
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桜橋を渡り切って、西側の墨堤に出る。そして隅田川に沿って、下流に向かって歩く。しばらく歩くと人だかりが見えてきて、そのあたりから「なつかしのメロディー」が流れてきた。耳をすますとアコーディオンの音色にのせて、東海林太郎を彷彿とさせる歌声が聞こえてきた。ヒョッとして、あのグループかもしれないと思い足早に近づいていくと、果たして予想した通りだった。

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「東京大衆歌謡楽団」の3人とは、去年、写真教室の帰りに上野公園に立ち寄った際に話を交わしたことがあった。その時のことを、6月8日のブログに書いた。以下にそのページへのリンクをはっておくが、メンバーの一人の名前が変わったということなので、そこは変更してある。

東京大衆歌謡楽団

彼らの近況については、日を改めて紹介することにして、日の暮れかかってきた墨堤を、さらに下流へと進んで行くことにしよう。

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吾妻橋あたりの隅田川に面したコーヒーショップに入り、明かりが灯る頃までコーヒーを飲みながら待つことにした。薄暮の空にそびえる東京スカイツリーが、店の窓から桜の花越しに見えた。

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一休みして、さあこれから夜景を撮ろうと勇んで店の外に出ると、意地悪な空は、予想外の雨を降らせていた。
「雨が降るなんて、天気予報で言ってたかしら」
すれ違った人の不満そうな声が聞こえた。

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結局夜景の撮影は断念して、家路についた。
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2010年04月04日

隅田川界隈フォト漫歩

先日上野公園に行った時は空模様が思わしくなく、昨日、再度桜の撮影に行ってきた。何回も桜の写真を撮りに行っているのは、実は写真塾で出された宿題だからなのだ。次回の写真塾の開催日までに、用意しておかなければならず、そこで足繁く桜の名所に出かけているのだ。本当のところは野に咲く一本桜を撮ってみたいところだが、なかなかそういう桜の木は見つからない。

撮影の出発地点は東京スカイツリー、そこから北十間川に沿って歩いて隅田川に出た。そしてライトアップされた隅田川河畔の桜を撮ることを計画していた。近頃マスメディアで取り上げることが多くなってきた東京スカイツリーは、土・日ともなれば周辺は見物客でごった返しているそうだ。昨日の土曜日は、人々の関心が花見の方に向いてしまったのか、想像とは違いそれほどの混雑ではなかった。

〔京成橋〕
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〔東武橋〕
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〔東武線業平橋駅〕
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以前これと似たような写真を載せた時は、線路に降りて写真を撮っているのだろうと思ったが、実際にはそうではなくて、ホームの端で撮っていたのだった。訂正しておきます。

〔小梅橋〕

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〔源森橋〕
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〔隅田公園〕
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〔牛嶋神社〕
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〔言問橋〕
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〔墨堤東側〕
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撮影隊に遭遇、腕章には「朝日映像」と記されていた。近くの出店から白髪のお年寄りが出てきて、手にしていた綿あめを、撮影隊の青年にあげた。もらった青年、とてもうれしそうな顔をしていたね。

〔綿あめをゲット〕

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墨堤の東側に並んでいる店は、東側の店とは違って、地元商店の人たちが出店しているようだった。値段もこちらの方が安い。たとえば、私が食べた焼き鳥は1本100円、西側だと4本セットで500円となる。

〔焼き鳥を食べながら一休み〕
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2010年04月02日

外国人花見客

昨夜から今日の午前中にかけて、台風並みの暴風雨が荒れ狂った。これほどの嵐に見舞われたのは、撮影旅行で三浦半島に出かけた時以来2回目のことだ。交通機関にも大きな影響がでたらしい。

さて、上野公園では外国人観光客の姿もそこかしこに見受けられた。

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桜並木の下を進んで行く花見客の大集団に、正面からカメラを向けるのは、どうしてもためらう気持ちが先立ってしまい、なかなか難しいものなのだ。ところが彼らの中には、台の上にのって堂々と高所からレンズを構えたり、三脚を立てて撮影している人もいた。

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そこで小生も彼らをまねて撮ってみたのが下の写真。多くの人は花に気をとられて、カメラを意識していない。

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家族の記念写真を撮っておきたいと思うのは万国共通、日本語が分からなければ「撮っていただけないでしょうか」と頼むこともできず、自国の言葉が通じそうな人を探して撮影を依頼することになる。

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小生もいくつかのグループに撮影を依頼された。カメラを首から吊していると、それも一眼レフだと、いかにも写真を撮るのが上手であるかのように見えるのかもしれない。若い韓国人の男女のグループは、日本語で話しかけてきた。そこで、まずこんなふうに尋ねる。
「ピントはどこに合わせましょうか」
返事はすぐにはかえってこない。
「両方にしましょう、花と人物の」
どこまで理解しているか分からないが、手渡されたカメラを構えれば、彼らはポーズをつくる。
「ワン・ツウ・スリーのスリーでシャッターを押しますよ」

ヨーロッパ旅行でも、ツアー客同士で写真を撮り合うことが良くあった。そして撮影後は、必ずその場で撮った写真を相手に確認してもらうことが、一種の礼儀のようになっていた。それ以来日本でも、撮影を頼まれるとそのようにしていた。彼らにも手振りを交えて意を伝え、確かめてもらったところ、液晶画面をのぞき込んでうなずいた。取り直しになることは、今まで一度もなかった。

その後、母親と娘と思われる二人連れからも撮影を頼まれた。やはり韓国の人で、母親の方は日本語を話せた。同じように撮影後、写り具合を確かめてもらったところ、なんとそのオバさんは、
「もう一枚」
と元気よく言うではないか。そんなふうに言われるのは初めてのことだけれど、まあ仕方がない、もう一枚撮ってあげたのだった。液晶画面で写真を確かめたあと、そのオバさんは思いがけないことを言った。
「お撮りしましょうか」
こんなことを言われるのも初めてのことだったけれど、丁重にお断りした。
「お花を撮っているんですね」
と少し残念そうな口ぶりだった。

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日本を訪れた外国人観光客の人数は、日本政府観光局(JNTO)のまとめによると、2008年の集計で約835万人、全世界での順位は28位だったそうだ。1位はフランスで、約7,930万人ということだ。

http://www.jnto.go.jp/jpn/tourism_data/global_tourism_trends.html

ただフランスは、観光客数1位であってもいばることはできない。フランス人たちが外国を訪ねた際、その訪問地の人たちにどう思われているかというと、その評価は最悪なのだ。

「世界最良の観光客」2007-2009年度 国別ランキング
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-379.html

2007年
1位……日本
28位…フランス

2008年
1位……日本
29位…フランス

2009年
1位……日本
27位…フランス
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2010年04月01日

上野の山はとのぐもり

今日は多くの企業で入社式が行われた。通勤電車そして街には、新しいビジネススーツに身を包み、新しいビジネスバックを手にさげた若者たちの姿が見受けられたことだろう。息子も初めて出社して、社会人としての一歩を踏み出した。

寒い日が続いて、桜が満開になる時期が遅れていたが、東京地方では今日満開宣言が出たということだ。それに引き替え、ここ佐倉は咲き具合がかなり遅れている。火曜日市立美術館に行く用事があって、その際駐車場にある桜の樹を眺めたところ、つぼみの多くはまだ固く閉じていた。

昨日は久しぶりで上野公園に行ってみた。天気予報では暖かくなるということで、それを期待して出かけたのだけれど、一面の曇り空で、気温もあまり上がったようには感じられなかった。

 桜咲き上野の山はとのぐもり

この句は、水原秋桜子の『梨咲くと葛飾の野はとのぐもり』という句をまねて詠んでみたもの、しかし残念ながら元の句には及ぶべくもありませんな。

満開に近い桜の花を撮ってみたものの、背景がとのぐもりの空では、どうにも桜の花が映えません。言い古されたことだけれど、「写真は光が命」ということを改めて実感したのだった。お天気を見極めて、もう一度行かずばなるまい。

気温も低くお天気模様も今ひとつだったが、人出だけは満開だった。そういう日は桜を見るよりも、花見客の人間模様を見る方に興味がひかれてしまう。

〔上野駅も桜満開〕
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〔大道芸人〕
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〔桜のトンネル〕
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〔花冷えなどなんのその〕
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〔行き倒れ?〕
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女の子がつついてみたり、あるいは木の陰の女性が高笑いをしたりしているところを見ると、たぶんお父さんが酔っぱらって寝入ってしまったんでしょう。

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〔席取り〕
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〔用意周到〕
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〔春眠〕
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