2010年05月31日

やっとメールが使えるようになった

普通のケータイであれば、購入してすぐにiモード・メールが使えるようになるのに、スマートフォン「SC-01B」を購入してから4日目、やっとメールが使えるようになった。ドコモのスマートフォンは、「moperaU」というインターネット接続サービスのメールが使えるが、それはスタンダードプラン以上の場合であって、月額315円のライトプランではメールを使うことができない。今回200円を節約するために、そのライトプランに申し込んだため、すぐにはつかえなかったのだ。

スマートフォン「SC-01B」では、「moperaU」以外のプロバイダのメールも利用できる。現在常用しているプロバイダのメールが利用できるということなら、またグーグルのGmailも使えるはずだから、iモード・メールを使い続ける必要性はない。そう考えてライトプランにしたのだった。

補足しておくと、ドコモのスマートフォンに対応しているプロバイダーであれば、新たに「moperaU」と契約しなくても、プロバイダ・メールを利用できるようだが、その点についてはよく確認してから判断することにした。

さて、メールを使えるようにするために、説明書で設定の仕方を確認したのだが、次のような場合に該当する説明が載っていない。
●moperaUを契約している
●一般のプロバイダのメールを利用する

そこで、「一般プロバイダのメールアカウントを設定する場合」の手順に従って設定を行ってみたのだが、何度試してみても送信できない旨のエラーメッセージが返ってきてしまうのだ。

携帯電話ネットワークを使ってSMSを送受信することはもちろんできるので、それを使わざるを得ないかなと半ばあきらめかけていた時に、ドコモのウェブサイトにもっと詳しい情報が載っているかもしれないと思いつき、チェックしてみると次のようなページが見つかった。

【Outbound Port 25 Blocking (OP25B) の設定】
http://smartphone.nttdocomo.co.jp/faq/SC-01B/manual/op25b/

この手順の中で一番大切なところは以下の点で、ここをきちんと設定したら使えるようになった。

※サブミッションポートを設定する際、送信メールサーバーを入力後「:587」と入力して下さい。
例)mail.mopera.net:587

もちろん「mail.mopera.net」は、契約しているプロバイダーの送信サーバー名に変える。また次の図では、「送信サーバで認証を要求する」の項目にチェックが入っていないが、説明にある通りチェックを入れることを忘れてはならない。

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posted by 里実福太朗 at 00:23| 里ふくろうの日乗

2010年05月30日

一週間ぶりのバロン

金曜日のこと、フランス語講座が終わり、大学キャンパス内を歩いて行くと、正門あたりの広場で、古本市が開かれていた。去年、写真講座を受講していた時にも、この時期に開かれていた。その時、店の人に尋ねてみたところ、大学周辺の古書店が集まって、店を出しているということだった。今年も同じようなやり方で、出店しているのだろう。去年は、たしか吉行淳之介の対談集を買い求めたと記憶している。

今までは、神田の古書店などで買い求める本は、ほとんどが文学関係のものだったが、写真に関わるようになってからは、写真関係の本にも目が止まるようになった。その日は、次の新書版の本を購入した。価格は200円だった。

戦後写真史ノート
…写真は何を表現してきたか。
著者:飯沢耕太郎
出版社:中央公論社
…中公新書
発行…1993年1月
定価:680円

遅い昼食は、エクステンションセンターの近くの立ち喰いソバ屋さんで簡単にすませた。バロンに行くことを予定していたので、適当な店をさがして歩き回る時間はなかった。先週は小型のデジカメしか持っていなかったので、あらためて取り直そうと思って、わざわざ重い一眼レフをかついできていたのだった。

かけソバ…270円
トッピングのコロッケ…100円

さて、腹を満たし意気込んでバロンに行ったのだが、残念ながら当てが外れてしまった。先週は閑散としていた店内に、10人以上のお客さんがいたのだ。そんな状態では、カメラを構えて動き回ることもできない。仕方なく先ほど買い求めた本を読みながら、すいてくるのを待っていたが、一組出て行けば別の一組が入ってくるという具合で、いつまでたっても店内は混み合っていた。

新しく入って来た人が、席に座るなりカバンからノートパソコンを取り出して、いざ使おうとした時、あの女主人から何かを言われていた。すぐにノートパソコンをカバンに戻したところをみると、使わないように言われたのかもしれない。キーボードを打つ音は意外と響くから、それを嫌う客もいるのかもしれない。一眼レフのシャッター音は大丈夫だろうか。

しばらく待っても客が減ることはなく、とうとう撮影をあきらめて、店を出ることにした。
「今日は、にぎやかですね」
帰りしなに女主人に声をかけると、
「ヒマな日と、忙しい日があって、極端なんですよ」
と言っていた。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年05月29日

スマートフォン・デビュー

スマートフォンをついに買ってしまいました。二日ほど、ブログをお休みしたのは、その間、その新しいスマートフォントと格闘していて、記事を書く余裕がなかったからです。

スマートフォンといえば、アップルのiPhoneが横綱格だけれど、へそが曲がっている人間はそういった機種には手を出さない。たとえ世の中の流れからはずれていても、あくまでも自分の好みと用途に適した機種を選ぶのだ。

こんなふうに言うと、かなりこだわりを持つ人間なんだなと思われてしまうかもしれないが、実際のところは、経済的な面とか、新しい入力方式になかなかなじめそうもないという面もがあることは、自ら認めざるを得ない。

小さな字を見ることが辛くなってきて、何年か前にドコモの「らくらくフォン」を使うようになった。若い人に、文字が表示されているらくらくフォンの画面を見せると、
「でっかい文字だな!」
と一様にビックリする。普通のケータイを使っている人には、それほど大きく感じられるのだ。

そういう大きさの文字に慣れた身には、もう普通のケータイに戻ろうという気は起こってこない。こんなことを書くと、
「いや、それはおかしい。スマートフォンは、ケータイよりかえって文字がちいさいのではないか」
と言う人もいるかもしれない。しかし、それは大きな誤りなのだ。スマートフォンは超小型のパソコンとでも言うべきもので、ケータイに比べればはるかにカスタマイズの自由度が高いのだ。現に今回購入した機種も、文字の大きさを自由に変更できて、らくらくホンに匹敵する大きさの文字も表示可能なのだ。

ケータイは、実はあまり使わない。家にいる日の方が多く、メールはパソコンで、ウェブ・ブラウジングもパソコンで、ということだから自ずとそういうことになる。だから、毎月のケータイ使用料は、基本料金を超えることはほとんどない。料金プランは最安のものだから、もうこれ以上使用料を下げることはできない。しかし、それでもなお使用料は安い方がよい。

パケット通信料を低くおさえられる料金体系としては、たとえばドコモの「パケ・ホーダイダブル」がある。今年の4月からは、スマートフォンでも利用できるようになった。これだと、ほとんど使わない月は390円、たくさん使っても上限額5985円をこえることはない。まったく使わない月はないにしても、現在よりも使用料を下げられる可能性はある。そうなれば2年ほどで、スマートフォンの購入費用を回収できるはずなのだ。

小人閑居して「不善をなす」ではなく、「浪費をなす」ということかもしれないが、使用料を下げるという目標を掲げ、スマートフォンを買うことを決断したのだった。

機種は「SC-01B」、韓国のサムスン電子製のものにした。残念ながら日本製の機種には意に叶うものはなかった。躍進めざましいサムスン製品を使うのは初めてのことだった。まだ2日しか使っていないが、今のところはそれも故あることだなと思っている。

「SC-01B」を選んだ決め手は、QWERTYキー搭載のスマートフォンであるということだった。iPhoneの文字入力は、画面にタッチして行うソフトキーボード方式、しかし時代遅れだと言われても、形のあるキーを指先で押して、その手応えを感じながら入力したかった。私の使い方では、きっと文字入力が多くなるだろうと予想していたから、なおさらその点にこだわったのだった。

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2010年05月28日

中塚雅晴写真展「WORK SONG」

六本木ヒルズ森タワー展望フロアーからの360度ビューを、小型デジカメで撮ってみた。

森タワー52階360度ビュー

ここを過ぎて時計回りにさらに進んで行くと、展望ギャラリーが見えてくる。写真展「WORK SONG/上海環球金融中心を創る人、育てる人」は、上海の超高層ビル建設の模様を、2年間に亘り撮影したものである。撮影に至るまでのいきさつは、次のように記されていた。

『5年前、上海に展望台高さ世界一の超高層ビルが建設中と知り、是非とも撮影をしたいと思いました。
 自分の写真家としてのテーマである「建築工事」を撮り続けてきましたが、いくら「撮影したい建築工事」があっても、たやくす撮影出来るものではありません。
 そのような中、私の考える「建築工事を通して、現在の建築技術の素晴らしさや、建設従事者の情熱や誇りを伝える写真」を森ビルの方々に理解いただき、念願の超高層建築の工事写真を撮影する事ができました。』

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2010年05月26日

JR新宿駅東口

コニカミノルタプラザは、JR新宿駅東口の出入口と目と鼻の間、新宿高野ビルの4階にある。
http://konicaminolta.jp/plaza/access/index.html

東口に降り立つのは、何年ぶりのことだろう。学生時代は、まだ吉祥寺に住んでいたから、大学からの帰りなどに新宿に立ち寄ることもあった。社会人になってからは、横浜へ移り住み新宿駅を利用することはめっきり減った。その後、新宿に立ち寄ることはたぶん何回かはあったのだろうが、記憶に残っていない。だから東口周辺の街の様子を思い浮かべようとすると、記憶はいっきに学生時代へと戻ってしまう。

その当時、東口駅前には芝生広場があって、ヒッピーと呼ばれた長髪の若者たちが寝転がっていた。彼らの中にはビニール袋を口に当てているものもいて、それをスーハースーハーしている光景を目にすることもあった。広場の前には、まだスタジオアルタはなく、もちろん「笑っていいとも!」も始まっていなかった。

新宿東口からスタジオアルタをみる。
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振り返れば、新宿駅東口。
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「馬の水飲み場」は、荷馬車を引く馬のために明治39年に設置され、その後震災の被害を受けたこともあって各地を転々として、昭和39年に今の場所に移設されたらしい。正式には「馬水槽」と呼ぶらしいが、「馬の水飲み場」と憶えていた。昭和39年に新宿東口に移設されたということだから、私が学生時代に見た「馬の水飲み場」は、移設されて間もないころのものだったのだ。
http://www.shinjukuku-kankou.jp/map_shinjuku_01.html

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東に少し歩けば、すぐにコニカミノルタプラザの入口が見えてくる。
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2010年05月25日

「コニカミノルタプラザ」の写真展

新宿の「コニカミノルタプラザ」では、現在、以下の三人の写真展が開かれている。久しぶりで新宿に出かけて、その写真展を見てきた。

◇ギャラリーA
「終わらない劇場」
…地頭所和徳(じとうしょ・かずのり)
http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2010may/gallery_a_100520.html

◇ギャラリーB
「人生最期の1%」
…國森康弘(くにもり・やすひろ)
http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2010may/gallery_b_100520.html

◇ギャラリーC
「空へ続く道」
…HABU 羽部恒雄(はぶ・つねお)
http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2010may/gallery_c_100520.html

三人の写真家のレンズが向かうところを簡単な言葉で言い表してみると、「終わらない劇場」は「群衆」、「人生最期の1%」は「終末期高齢者」、「空へ続く道」は「地平線」、このように三者三様でそれぞれの視線が向かうところは大きく異なる。

群衆を撮るということは、たぶん難しいことなんだろう。空を飛ぶ鳥の群れ、あるいは草原を疾走する野生動物の群れ、そういった群れは集団としての統一性があるから、そこに何らかの意味を見いだして、写真に付与することは可能なことでなのであろう。

しかし、人間の群れの場合は単純ではない。特に都会を浮遊する人間の場合は、関係性はほとんど皆無の場合が多いから、その群れに意味を見いだすことはなお一層難しくなるに違いない。そういう困難に挑戦したのが、地頭所氏の「「終わらない劇場」ということなのだろう。ただその試みは、まだ中途の段階だということなのかもしれない。

「人生最期の1%」は、訴えかける力はずば抜けていたとは思うが、死という重いテーマを扱っているところからもたらされる、という面もあるのだろう。死に限りなく近づいた老人たちは、写真の中では決して暗い表情を見せない。観る者はそのことに救われるのではあるが、それでもなお、最期の姿はそういう穏やかなものなのだろうか、という疑念が消えないのはなぜだろう。

個人的な好みで言えば、羽部氏の「空へ続く道」がよかった。まだ歩いたことのない道が、自分自身の前に延びていくというイメージは、若い人たちのためだけにあるのではなく、高齢者にとっても必要なものなのだろう、それがこの世の道ではないとしても。羽部氏は1955年生まれで、三人の中では唯一の50歳代だけれど、その写真には若々しい心が感じられた。

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2010年05月24日

「マダム」と「マドモワゼル」

ブック・デザイナーの栃折久美子さんが、ベルギーのブリュッセルに留学して、ルリユールという伝統的装丁術を学んだのは、1972年のことだった。滞在した期間は約5ヵ月、その間、国立高等建築視覚芸術学校そしてチェケルールという老先生のアトリエで実習を重ねた。「モロッコ革の本」は、その時の体験をまとめたものである。

まだ機械製本が発達していなかったヨーロッパでは、仮とじの形のままの本を買い求め、それを製本師に依頼して、自分好みの革製の美装本に仕立てたということだ。そういう需要が多くあったから、製本技術が磨かれ高度化されていったのだろう。しかし機械製本の発達とともに、手作りの革製本の需要は減少していき、減少するにつれてルリユールに関わる人も少なくなっていった。

ルリユールという言葉さえ知らなかったのに、こんなふうに知ったかぶりができるのも「モロッコ革の本」を読んだおかげだが、ただ技術的な点にふれている箇所もかなりあるので、そういうくだりは、装丁をしてみたいと思っている人にとっては興味深いのかもしれないが、私のようにその気のないものにとっては、読み通すのには根気を必要とする。

そういうようなわけで、次のような箇所に興味をひかれてしまうのは仕方がない。

たとえば、こんなところ。
『つい今しがた、五十メートルほど離れたところにあるキャフェ・バーへ行き、パリへ電話がかけられるかと聞いたが断られた。』

パリとブリュッセルとの間は、特急で2時間程度の距離だそうだ。そのパリから来るはずの人を待っていた。二日間アパートから出ずに待っていたのに、その人が来ない。そこで連絡を取ろうとしたのだった。店の人に、向かいのホテルで頼んでみたらと言われたが、そのホテルでも『ノン』と一言で断られた。その理由を尋ねてみても、無視されてしまう。

『親切じゃないのね、と言いたかったけれど、メルシイ・マダムとホテルを出た。なぜこんな時メルシイと言わなければならないのか。』
どんなにささいなことでも、メルシイとかパルドンと声を掛け合う習慣を好ましく思ってはいても、筆者は冷たくあしらわれたことを腹立たしく思うだった。

たとえば、こんなところも。
『四年前の旅の時は、マダムと呼びかけられることは稀でしたが、こんどはマドモワゼルが七にマダムが三くらいの割合。ことに子供からは例外なしにマダムと呼ばれます』
こんなふうに「マダム」と呼ばれることが増えたのは、筆者が4歳年輪を重ねたことが理由ではないのだろう。

フランス語の先生によると、いまだに「マダム」の意味を「既婚女性」と説明している辞書があるけれど、大きな間違だそうだ。近年、「マダム」とは自立した女性のことを指し、既婚・未婚とは関係ないそうだ。

「マドモワゼル」という言葉には、まだ未熟ですねというような意味合いが含まれているらしくて、大人の女性に対してそう呼ぶのは失礼に当たるということだ。どちらを使えばよいのだろうと迷った時に、「マドモワゼル」と言っておけば、相手も若く見られて喜ぶだろうと思うのは、日本人的発想なのかもしれない。なお、カップルの女性に対しては、未熟そうに見えても「マダム」、男と付き合っていれば一人前と見なされるそうだ。

「マダム」と聞けば、酒場のカウンターの中で、タバコをふかしている厚化粧の女性が目に浮かんできて、二十歳そこそこの女性に「マダム」と呼びかけるのは、やはり釈然としない気持ちの方が先立ってしまう。パリの街を、背筋をピンと伸ばして颯爽と歩く女性は、やはり「マドモワゼル」と呼ぶのがふさわしい。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年05月22日

学生街の喫茶店(2)

昨日東京地方は、日中30度近くまで気温が上がった。授業が終わって校舎の外に出ると、新緑の木々が地面に濃い影を落としていた。教室内は空調が効いていて、授業を受けている間はしばし外の暑さを忘れさせてくれたが、授業についていくためにフル回転させた頭は、慣れないことをしたせいで、逆に熱くなっていた。

校舎を出てから、頭を冷やすために木陰のベンチに座って少し過ごすことにした。
次の授業に向かう学生たちが、あるいは下校する学生たちが、いくつもの群れを作って、目の前を流れて行くのをぼんやりと眺めていた。次の授業の開始時間が過ぎ、学生の流れが途切れてきたところで腰を上げ、あの喫茶店に向かった。大学のキャンパスからはさほど離れてはいなかったが、強い陽差しのせいで店の前に来た時にはジットリと汗ばんでいた。

喫茶店の名前は「ロダン」、店名からして昭和の香りが漂ってきます。
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店内に入ると、先週ドア越しに目が合った人が席まで案内してくれた。その人以外には従業員はいなかった。たぶんその人が、女店主ということなのだろう。柔らかな物腰の穏やかな感じの人で、先週とはまったく違う印象を受けた。背筋はビンとのばしているが、もう六十歳台に入っているようにも見受けられた。店内の客は、先ほどチラッと見えた年配の男性が一人だけだった。

ドアを開けっぱなしにしているくらいだから、店内には空調は入っていない。健康のためにはその方がいいけれど、汗をかいていたので上着を脱いだ。するとそれを見た女主人は、わざわざウチワを持って来てくれた。ウチワでパタパタと煽るなんてことは、初めて経験することだったけれど、これもいかにも昭和っぽい感じです。

食べるものはパン類しかないということなので、コーヒーとトーストを注文した。運ばれてくるのを待っている間、ウチワで扇ぎながら店内をゆっくり眺め渡してみた。学生街にある喫茶店だけれど、思い描いていた「学生街の喫茶店」とは違っていた。イスもテーブルも調度類も、確かに昭和という時代の雰囲気を漂わせてていたが、「学生街の喫茶店」としては豪華する感じだった。

店内の写真を撮っておきたいところだけれど、無断で撮るわけにもいかない。一言断ってからにしようかと思案して、かつての私ならそこで終わってしまい行動には移さなかっただろう。実際に声を掛けてみたのは、写真塾に通って少々度胸がついてきたからに違いない。頼んでみて断られれば、引き下がればいいだけのことで、そんなふうに押してみることも必要なのだ。

「店内の写真を撮ってもいいですか」
そう訊ねた刹那、女店主は目を大きく見開いて、まばたきすることを忘れていたが、すぐに、
「お好きなところを、どうぞ」
と言ってくれた。

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「ゲーム機がありますね」
「それは、こわれています」
壊れてもう使い物にならないところが、こういう喫茶店にはふさわしい。
「このゲーム機は、あの…」
そこまで言いかけると、女主人は先手を打って
「インベーダーゲームではありません」
と言ったのだった。

帰りしな、店のことについて訊いてみたところ、昭和43年に始めたそうだ。昭和43年といえば学生運動が盛り上がり、授業ボイコットそしてバリケードによる校舎封鎖などが行われ、全国的に大学紛争が広がった時期だった。そういう時代に喫茶店を開き、爾来40年以上も続けてきたということだ。その頃のことも伺ってみたい気もしたが、それはまたの日に残しておいて店を出たのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年05月21日

学生街の喫茶店(1)

むかしむかし、もう40年以上も昔に、ガロという3人組みのフォーク・グループが歌った「学生街の喫茶店」という曲があった。昭和47年に発売され、翌年になって大ヒットして、ガロはその年の紅白歌合戦に出場した。

近頃はセルフサービスのコーヒーショップが増えて、散歩の途中で立ち寄って一休みするには値段も手頃で、いつもお世話になっている。しかしたまには、「学生街の喫茶店」がヒットしたころの喫茶店、昭和の雰囲気を残している店に入ってみたいと思うこともある。ところがそういう店は、めっきり少なくなってしまってなかなかみつからない。絶滅危惧種になってきているというとなのだろう。

フランス語の講義は1時から始まり、2時半に終わる。昼食をとるのは、いつも講義が終わってからのこと、講義前だとちょうど世間の昼食時間とぶつかって、店は芋の子を洗うような混雑だし、また、講義前に腹を満たすと、授業中にこちらの意志とは無関係に眠くなるおそれもある。集中力を保つためには、腹は満たさない方がいいのだ。まあそういうわけで、授業が終わってからということにしている。お昼時の混雑が去った店内で、ゆったりとした気分で食事をするのはなかなかいいものだ。

大学周辺は学生たちの腹を満たすために、ボーリュームのあるメニューをそろえている店が多い。中途半端な時間だから、夕食のことを考えると重い料理は避けた方が良い。適当な料理を出してくれそうな店を、金曜日ごとに探し求めて、歩き回ることを重ねてくるうちに、大学周辺にはまだまだ古風な喫茶店が残っていることが分かってきた。

先週、そういう喫茶店の一つに目をつけ、近くまで行ってみた。入口のドアは開けっ放しになっていた。店内を覗き込んでみると、間が悪いことに、入口付近のイスに座っていた店の人と目が合ってしまった。その目が、妖しい光を発しながら、おいでおいでと誘いかけてくるように思われ、中に足を一歩踏み入れれば、アリ地獄の穴に落ちてしまいそうな気もした。慌てて目をそらし、足早に通り過ぎてしまったのだった。

そんなことがあったのだけれど、店構えが妙に印象に残っていたがために、性懲りもなく今日も行ってみた。入口のドアは、今日も開いていた。店内が見えるようにするためだったのかもしれない。中をチラッと覗くと、人影が見えた。年配の人が本を読んでいるようだった。それを確かめてから、意を決して店内に足を踏み入れてみると、目の前には、店構えからは想像もつかないほどの別の世界が広がっていた。(続く)

ガロの「学生街の喫茶店」(原曲)


1973年紅白歌合戦の映像


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2010年05月19日

ひたち海浜公園ネモフィラの丘

遅くなりましたが、国営ひたち海浜公園のネモフィラの丘の写真を載せておきます。ひたち海浜公園へのルートは以下の通りです。

↓ 16号線
柏インター
↓ 常磐自動車道
友部ジャンクション
↓ 常陸那珂有料道路
ひたち海浜公園インター

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連休期間中は晴天に恵まれたが、終わると同時に天気が崩れた。450万本ものネモフィラ・ライトブルーは、やはり五月晴れのもとで見たい。天気予報に注意して、晴天の日の見当をつけて予定を組んだ。近頃の天気予報は大きく外れることは少なく、その日も予報通り晴天に恵まれ、晴れ男の面目躍如ということになった。

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posted by 里実福太朗 at 23:09| 里ふくろうの日乗

2010年05月18日

「café」はキャフェ?

図書館から借りてきた大活字本シリーズ「モロッコ革の本」(栃折久美子著)を読み始めた。文庫本程度の字の大きさでも読めないことはないのだが、やはりちょっとつらい。そこで近頃は、大活字本シリーズを利用することが増えてきた。このシリーズは、社会福祉法人「埼玉福祉会」が発行しているもので、「モロッコ革の本」は、ちくま文庫を底本としている。

大きな字で快適に読み進めていくうちに、
『キャフェを探して入り、コーヒーを二杯飲む。』
という箇所でフランス語の先生の話を思い出した。

「キャフェ」はフランス語で表記すれば「café」です。発音記号は〔kafe〕なのだから、「カフェ」と発音した方が良い。「キャ」と聞こえるかもしれませんが、「キャ」と発音してはダメですよ。日本の随筆などで、『キャフェに入った』と書かれているのをよく目にすることがありますが、フランス語の発音にそった日本語表記は、「キャフェ」ではなくて「カフェ」です。

試みに「パスポート初級仏和辞典」(白水社)をひいてみると、
@コーヒー
Aカフェ、喫茶店
となっていた。

去年、ヨーロッパ旅行に行く前に買った「まずはこれだけフランス語」(国際語学社)でも調べてみた。その本は、買ったものの旅行前にはほとんど目を通すことはなく、現地に行ってからバスの中あるいはホテルで勉強することにしたのだが、結局はまったく開くことなく日本に持ち帰ったのだった。

それが今になって、やっと役に立つことになり、調べてみると「キャフェ」となっていた。この本を使って前もって真面目に勉強していたら、「キャフェ」という発音を憶えてしまい、フランスでコーヒーを注文する時、
「アン キャフェ」
などと言ってしまって、変な顔をされるのがオチだったことだろう。不勉強であることも、時には役に立つというものだ。

栃折さんは、フランス人についてフランス語を習っていたそうだから、たぶん「café」は正しく発音できたのだろう。「モロッコ革の本」では、世間に通用していた表記の仕方に倣って、「キャフェ」と書いただけのことだったのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年05月17日

深川「みの家」

先週会食した「みの家」は馬肉料理の老舗で、もう四代続いているらしい。店をかまえる森下は、深川と本所の境にあって深川発祥の地であった。葦の生い茂る低湿地を埋め立て、そこに移住してきたのが深川八郎右衛門、その姓をとって「深川」と名付けられたそうだ。

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最寄り駅は、地下鉄・都営新宿線/大江戸線「森下駅」、そこから徒歩2〜3分のところにある。

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集合は店内に5時、1時間ほど森下界隈ぶらついた後、5時少し前にを店に入れば、なつかしい顔はすでにそろっていた。旧交を温める前に、さっそく馬刺しとさくら鍋をたのみ、まずはビールで乾杯。運ばれてきた鍋の真ん中には、味噌が小さな山をつくり、コンロに火が入れば、すぐに味噌をかき混ぜるようにと店の人にせかされる。

さくら鍋をつつき、座がほんのりとさくら色となったところで、いよいよ写真を見せ合って上達のほどを確かめることとなった。写真教室が終わってからすでに半年ばかりが過ぎ、その間に撮りためた写真を持ち寄るという話だったのに、3人が取り出したのはいづれも3葉ばかりの写真、私が20枚ほどの写真を持参したのに比べれば大きな違いだった。

ひとしきり写真の話が続いたあと、話題は世界経済を揺るがしているギリシャ問題へと移り、三人の会話が弾んでいくのにつれて、そういった話題についていけない私は、次第に無口になっていくのだった。さくら鍋がすでに底を見せていても満腹感にはほど遠く、なんとも中途半端な気持ちで耳を傾けているより仕方がなかった。

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posted by 里実福太朗 at 22:43| 里ふくろうの日乗

2010年05月16日

大橋富夫写真集「東京−変わりゆく町と人の記憶」

以前から小耳にはさんでいたが、いよいよ塾長の大橋富夫先生の写真集が、秋山書店から刊行されることになったそうだ。昨日塾生たちに配られた「新刊のご案内」によると、その内容は以下の通りだ。

 写真アーカイブ
「東京−変わりゆく町と人の記憶」

発行所:秋山書店(有)
…四六倍版 240頁
…6月中旬発売予定
定価:2940円(税込み)

〔目次〕
 材木のまち・木場(現存せず)
 神田青果市場(現存せず)
 東京証券取引所(現存せず)
 両国・立浪部屋(建て替え)
 篠原演芸場(建て替え)
 新富町・佐藤理髪店(現存せず)
 人形町清水湯(現存せず)
 国鉄上野駅
 都電荒川線電車営業所
 酒亭・伊勢藤
 酒亭・暮六つ
 酉の市 浅草・鷲神社
 行商に生きる京成電鉄成田線
 「かつぎ屋電車」(電車は廃止)
 仮設の店 深谷(現存せず)
 銀座露地裏
 神田ショパン
 東京の河川
 本郷元町公園
 本郷菊坂界隈
 東京芸術大学奏楽堂
 目白ケ丘教会
 台東区立坂本小学校

昭和五十年代の東京の町の写真がおさめられているそうだ。タイトルに「街」ではなく、あえて「町」という字を使っているところに、大橋先生のこだわりがあるように思われる。講座修了後の親睦会では、大橋先生から「酒亭・伊勢藤」で撮影した時のお話を伺うこともできた。その写真集を広げながら、その当時のことをいろいろとお聞きする機会も、またあることだろう。

パリを撮った写真家は数多くいる。すぐに浮かんでくるのは、アジェ、カルティエ=ブレッソン、そして木村伊兵衛など、彼らが撮ったパリの写真は、写真史の中で「パリ写真」という一つのジャンルを形成しているとする研究者もいるようだ。

同じように東京という都市の写真も数多くの写真家が撮ってきたが、「東京写真」というキーワードで束ねて、日本の写真史のなかに位置づけようとする試みはまだ行われていないようだ。しかしそのうち、誰かが言い出すに違いない。もしそうなれば、大橋富夫写真集「東京−変わりゆく町と人の記憶」も、「東京写真」の中に名を連ねることになるかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年05月15日

2010年度写真塾開講

写真塾は4月で昨期の講座が終わり、5月から新しい講座期間が始まるという予定だった。ところが先月の時点では、開講が危ぶまれていたのだ。

その日、いつも使っている地下の部屋に入ると、事務局のSさんが暗い表情で座っていた。その理由はほどなく分かった。来期の受講申し込みが定員に届いていなかったのだ。私を含めて4人しか申し込みがなかったというのだ。この人数では、来期は開講できなくなってしまう。

全12回の講座の最後となるその日は、修了式も行われるというのに、開始予定時刻の1時半を過ぎてもなかなか人が集まらない。こうなってくると、来期の休塾は現実味を帯びてくる。
「これから来る人は、拍手で迎えることにしましょうか」
こんなことを大真面目で口にすることもあった。

重苦しい時間が流れるなか、それでも一人二人と到着して、まだ申し込みをしていない人は継続の手続きをした。その結果、10名程度が来期も参加することになった。しかし、その日は募集定員には届かなかった。

その後12名にまでなんとか漕ぎつけ、メールで開講の知らせが届いた。そして昨日、第1回目の講座が開かれたのだった。人数は15名に増えていた。新人は、青年と大橋先生とほぼ同年齢の人の2名だった。去年は私が塾生最高齢の記録を更新したが、今年はその人に最高齢の記録を破られてしまった。

私は塾生として2期目に入り、今期からは研究生に進級した。研究生となっても心構えを新たにする必要はなく、今までと同様、マイペースで参加していけばよさそうだ。
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2010年05月14日

フリーペーパー編集会

水曜日から明日の土曜日まで、毎日何かしらの用事があって外出が続く。予定が重なる時はこんなものだ。

水曜日:写真教室で知り合った人たちと、久しぶりの再会の席を持った。
木曜日:ひたち海浜公園に行き、ネモフィラの丘を見てきた。
金曜日:フランス語講座の4回目。
明日:平成22年度写真塾の第一回目。

フランス語講座は、今日で「Leçon un」が終わった。「Leçon un」の内容は以下の通り。

1.名詞の性と数
2.冠詞
3.主語人称代名詞
4.動詞「être」の直説法現在
5.形容詞の性と数(1)
6.名詞につく形容詞の位置

憶えなければならないことがびっしりと並んでいて、ついていくのがだんだん厳しくなってきた。すでに頭の中はクモの巣がかかっている状態で、今のうちに追いつかないとどうしようもない状態に陥ってしまうおそれがある。

講義時間の最後に、先生が一人一人の名前を呼んで出席をとる。去年の写真教室では、出席カードに氏名を記入して提出した。先週までは、欠席者はいなかったが、今日は席が一つ空いていた。そろそろ落伍者が出てきた、ということなのだろうか。

講義が終わったあと、キャンパス内を歩いて大学創始者の銅像近くまで来ると、大きな声を張り上げて、小冊子を配っている学生がいた。彼が叫んでいたのは、学生向け情報雑誌の名前だった。息子が属していたサークルは、そのフリーぺーパーの編集会だった。

学生向けの雑誌だから、とうてい学生とは見えない人間にも渡してくれるかどうかは分からなかったが、こころみに声を掛けてみた。
「一部いただけますか」
こざっぱりした髪型の学生は、すぐに手渡してくれた。
「私の息子も、このサークルに入っていたんですよ」
「ほんとうですか、いつのことですか?」
「今年の3月に卒業して、今は働いていますよ。里実です」
「編集長をしていた里実さんですか!送別会の時に花束を渡したんですよ」
花束?、はて、息子が花束を家に持ち帰ったことがあっただろうか。
「お名前は?」
「○○です。今2年です。◇◇駅から通っています」
「なんだ、それじゃァ私の家とあまり離れていないですね」
「こないだ、里実先輩が自転車に乗っているところを見ましたよ」
「後輩の皆さんが、こうやってがんばっていることを息子に伝えておきますね」

そんなふうに励まして、彼とは別れた。家に帰ってから、その雑誌を居間のテーブルの上に載せておいた。仕事から帰ってきた息子は、目ざとくその雑誌を見つけて、すぐ手に取ったのだった。
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2010年05月11日

フランス映画、「アメリ」と「夏時間の庭」

夫人が借りてきたフランス映画のDVDを、夕方から夜にかけて2本いっきに見てしまった。ふだん英語にふれることは多少はあっても、フランス語に接することは皆無に近い。だからフランス映画を観ることは、意味は分からなくてもフランス語の発音に耳を慣らすためには、無駄なことではないのだろう。

アメリ:2001年フランス映画
…DVDは2002年8月発売

夏時間の庭:2008年フランス映画
…DVDは2009年11月発売

「アメリ」は内向的で夢見がちな女性が恋を成就させるまでの物語、「夏時間の庭」は莫大な遺産の相続をめぐる物語で、オルセー美術館開館20周年記念作品。こんなふうに簡単にまとめてしまうと、共にどこにでもありそうなお話になってしまうけれど、「アメリ」の方が作品としての面白みがあった。

「アメリ」は、映像の面でもかなり凝っていた。思いがけない視点からの構図、そして光と影とを巧みに使った映像を観ていると、その場所に行って写真を撮ってみたいという気分にもなってきた。

観た後で調べてみたところ、「アメリ」は、フランス映画史上最大のヒット作となったらしい。
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2010年05月10日

立夏過ぎの花々

イチハツの花の季節は終わり、庭では今、同じアヤメの仲間のジャーマンアイリスが咲いている。ニオイイリス・イチハツと比べてかなり背丈が高く、花も葉も大きくて、すべての面で大柄だ。

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ジャーマンアイリスの近くに、小さな真っ白な花を、びっしりと付けている木があった。ミカンの木だった。つい先だってまでは、つぼみが顔を出す予兆はまったくなく、不意をつかれた感じだった。細い枝に点々と付く白いつぼみは、なにやら無気味さな雰囲気を漂わせていた。

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オダマキは、すでに何日か前から咲いている。伊勢物語の三十二段に登場する花だ。

 むかし、ものいひける女に、年ごろありて、

   いにしへのしづのをだまきくりかへし
      昔を今になすよしもがな

 といへりけれど、なにとも思はずやありけむ。

冷めてしまった相手の心を、昔のようにもう一度自分に向けたいものと、オダマキをクルクル回すように繰り返し願っても、そんな都合のよい願いは相手に届くはずもなく…未練がましい男の物語でした。

「をだまき」とは、つむいだ糸を丸く巻き内部が中空となっているもののことで、この歌では「をだまき」までが、次の「くりかえす」の序詞となっている。オダマキの花が、「をだまき」の形に似ているところから、そのように名付けられたそうだ。

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2010年05月08日

「テジェヴェ(TGV)」に乗って、ジュネーブからパリへ

去年のヨーロッパ旅行では、ジュネーブからパリへ移動する際に、「テジェヴェ(TGV」)を利用した。その時のことを、写真で振り返ってみることにする。

2009年10月25日、現地時間で朝の9時過ぎ、ジュネーブの駅前の様子です。

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フランクフルトからジュネーブまで、ツアー一行を乗せて走り続けたバスともお別れです。腕に自信があるのか、少々スピードを出しすぎるきらいもあったけれど、ともかく無事故で私たちをスイスまで連れてきてくれた。そのドイツ人ドライバーに感謝しつつ、彼の運転するバスを見送った。

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いよいよテジェヴェに乗り込みます。
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10時20分頃ホームを離れ、一路パリ・リヨン駅へ向かいます。いろいろなところで落書きを見ましたが、ここにもありました。

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車内の様子、日本の新幹線より狭い感じです。
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前方のドアの先に、洗面所があります。トイレの流水レバーは、ちょっと分かりにくい位置にありました。足もとにあって、足で踏み込むペダル式でした。
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上の写真に写っている青年は、最初のうちはペラペラと一人でしゃべりまくっていたが、しばらくして横になるや、そのままパリまでぐっすりと寝入っていた。
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パリ・リヨン駅にもうすぐ到着です。
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午後2時頃、パリ・リヨン駅に到着。

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ちょうど秋休み(万聖節)の初日で、パリは大混雑だった。
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駅構内を出て、バスに向かいます。
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バスに乗って、これからパリ市内の観光です。
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2010年05月06日

「TGV」の日本語流発音

明日は2週間ぶりでフランス語の授業がある。先週の金曜日は、連休の谷間だったけれど、授業はお休みだった。先生の教え通り毎日「Alphabet(フランス語の発音はアルファベ)」の発音練習をしたかと問われれば、もちろんしたと言いたいところだが、うっかり忘れてしまったこともあるかもしれない。

この二週間の間に、初心者用の仏和辞典を買い求め、以前から持っていた電子辞書に、追加コンテンツの仏和辞典もインストールした。インストールの際には、ちょっとしたトラブルに見舞われたが、なんとか使えるようになった。

このように明日からの授業への備えは万全なのだ。しかし念のため教科書を開いて、前回の授業でしたことをもう一度確認したところ、すっかり忘れていたけれど宿題があったのだ。

フランス語では、すべての名詞に文法上の性があり、男性と女性とに分けられる。性別がはっきり分かれる生物は、原則として自然の性と文法上の性とが一致するが、それ以外は性別を暗記しなければならない。そして性別に従って、名詞につける冠詞が異なるということなのだ。宿題はその冠詞に関することだった。まあ、辞書で調べればすぐ分かることだ。

教科書を見返していると、こんなことも思い出した。自分の名前を一字一字区切ってスラスラと発音できるようにしておかなければならなかったのだ。英語式の発音回路が強固にできあがっているから、どうしてもそれに引きずられてしまい、自分の名前のローマ字綴りも英語流に発音してしまうことになる。しかしフランス語流の発音では以下のようになる。

 fukutaro
 エフ ウ カ ウ テ ア エる オ
 satomi
 エス ア テ オ エム イ

略語の発音も、英語式になりがちだから注意しなければならない。たとえば、フランスの超高速列車「TGV」、去年の海外旅行で、スイスのジュネーブからパリ・リヨン駅に移動する際に利用した。この発音は、
 『テ・ジェ・ヴェ』
となる。フランスの駅の窓口で、これを英語流に「ティ・ジ・ヴィ」と言うと、駅員はそっぽを向いているということだ。駅員は「TGV」のことだろうと分かっていても、無視するんだそうだ。

訳知り顔にこんなことを言う人もいる。
「フランス人は、自分たちの言葉に誇りを持っているんですよ。『ティ・ジ・ヴィ』なんて言われて、怒っているんですよ」
フランス人のこういうところが、ダメなんだろうな。自国の言葉を大切に思うのは、どの国でも同じなんだよ。日本人なら、きちんとした発音で聞き返してあげるよ、きっと。

フランス語の先生は、日本のアナウンサーが、「TGV」を『ティ・ジ・ヴィ』と発音することを憂えて、訂正を求めてわざわざテレビ局に電話をかけたそうだ。ところが『テ・ジェ・ヴェ』では、視聴者には分かりにくいから採用できないと断られたそうだ。フランス語の先生は、苦情受付係であしらわれたことにも、憤りを感じていたようだった。

外国の言葉を日本語の体系の中に取り入れる際、できるだけその国の発音に合わせるようにしたほうが良いのだろう。この連休中に打棒が爆発したマリーンズの金泰均選手は、韓国語の発音にそって「キム テギュン」と呼ばれている。

「TGV」は略語だけれど、やはりフランス語の発音にそって『テ・ジェ・ヴェ』と発音する方が良いんでしょうね、フランス語の先生が主張するように。しかし、こんなことはフランス人自身が言うべきことだと思うけれどね。誇り高きフランス人は、どう思っているんだろうか。
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2010年05月05日

連休最終日

いよいよ連休の最後の日となった。連休中は毎日五月晴れに恵まれ、行楽地はどこもかしこも混雑を極めたらしい。天気が良いから、どこかへ遠出したいと思うけれど、テレビニュースなどでそういう光景を目にすると、二の足を踏んでしまい結局どこにも行かなかった。

連休中無聊をなぐさめてくれたのは、マリーンズの試合を観戦することだった。球場に足を運ぶと混雑に巻き込まれるから、そんなことはしない。テレビで試合を見ようとしても、野球中継は巨人戦ばかり、頼みの綱はネットの動画中継なのだ。現在はまだ無料で視聴することができる。

〔パ・リーグ ライブTV〕
http://pa.tv-live.jp/isp/yahoo/

イチハツは次々に花を開き、つぼみを二つ残すのみとなった。替わって違う種類のものが、つぼみをふくらませている。そしてサツキも咲き始めた。

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2010年05月03日

マリーンズの勢いはいつまで続くか

見事なスタートダッシュで首位を走り続けたマリーンズであったが、開幕から1ヵ月が経過する4月下旬の頃になると、さすがに息が切れてきたのか、連敗を喫することがあったり故障者が出てきたりして、2位に転落することもあった。

開幕からそこそこの勝率を残していても、連休頃から調子が悪くなり、交流戦あたりではなんとか持ちこたえていても、それを過ぎると坂を転がり落ちるように下位を低迷するようになり、その状態がシーズン終わりまで続く。こんな状態が毎年続いていた。

負けが多くなってからというもの、今年もそのパターンになるのかもしれないという考えが頭をよぎり、今年もダメか、と早々と悲観的なムードがマリーンスタジアム全体を覆っているかのような気分となってきたのだった。

しかし、昨日は福岡でホークスに勝ち首位に返り咲き、今日はホームに戻りファイターズとの3連戦の頭をとり首位を守った。こうなると、ヒョッとして今年のマリーンズは今までとは違うのかもしれない、とまた思い直すのだった。当分の間、マリーンズファンの多くは、きっとこういった揺れ動く気持ちを抱えながら過ごしていくことになるのだろう。

今日の試合では、金泰均が大当たり。2打席連続でホームランを放った。

〔大盤振る舞い!金泰均、2打席連続HRはライトへ! 5月3日 ロッテ-日本ハム〕


〔テギュンの2発でロッテ快勝! 5月3日 ロッテ8-5日本ハム 試合ハイライト〕

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2010年05月01日

「日本橋のキリン像」

アカイヌ王国から、日本橋のキリン像に関する情報が寄せられた。
(朝日新聞:「日本橋のキリン像」…5月1日朝刊「山田五郎のワケあり!」)
そのキリン像については、以前、このブログでもふれたことがあった。ただ、ビルの片隅にキリン像が設置されている理由については分からなかった。

〔2010年2月10日〕
http://fukulog.sato296.com/archives/20100210-1.html

キリン像が設置されているのは、ブリジストン美術館が見える交差点の一画、東京駅八重洲口から八重洲通りを東に進み、中央通りと交差する所だ。

キリン像のある交差点からブリジストン美術館を臨む。
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反対側の交差点からキリン像を臨む。
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その新聞記事によると、キリンはビルの吹き抜けの天井を照らすために設けられたそうだ。天井を照らすためには、ある程度の高さが必要になる。その高さを確保するためにキリンが採用された。照らすための照明器具は、キリンの頭にのっている王冠ということだ。高さを確保するだけなら、べつにキリンでなくてもよいのだが、キリンという動物を採用した点に、作者である彫刻家・安藤泉氏の独創があるということなのだろう。

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〔安藤泉さん〕
http://www.city.yamato.lg.jp/shakai/yib/at/andou/andou2.html
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