ドアを開けると、懐かしい曲が迎えてくれた。聞き覚えのあるその曲は、カーペンターズが歌って日本でもヒットした『イエスタデイ・ワンス・モア』、たぶん今は亡きポール・モーリアのオーケストラが演奏したものだったのだろう。
バロンの店内に流れるBGMは、かつてFM東京の「ジェットストリーム」で聞いたことのあるイージーリスニングが多かった。一世を風靡したポール・モーリアとかレイモン・ルフェーブルなどの穏やかな曲を聞いていると、まだサラリーマンをしていた昭和40年代のころが蘇ってくることもあった。
運ばれてきたコーヒーを半分ほど飲んだところで、先週一眼レフで取り直した写真をカバンから取り出し、店主に声を掛けた。何枚かを見終わったあとで、彼女が語り始めたのは、思いがけない話だった。ただその時はそう思ったが、今思い返してみると、その物語はあらかじめ用意されていたかのようで、いかにもバロンという喫茶店にふさわしいものだった。
数葉の写真を見たところで、彼女の手が止まった。
「そうそう、この自動車ね…」
しかしそう言ったきり、言葉が途切れてしまった。しばらくその写真を見つめていてから、再び口を開いた。
「この自動車のタイヤ、このタイヤの部分は、排水溝の部品を使って作ったのよ。横の銀色の部分は、瞬間湯沸かし器のジャバラ、みんな台所にあるものを使って作ったの」
「エッ、手作りなんですか!」
「みんな手作りなんですよ、ここにあるものは」
「どなたがお作りになったんですか」
その問には答えず、同じ言葉を繰り返した。
「全部手作りなんですよ、こういうお人形さんとかね、全部自分で作ったんです」
彼女は『自分』という言葉を使ったが、彼女自身を指しているのではないことは、言葉の端々からも明らかだった。
「こんなの、よく作りますよね」
「あの船も手作りですか」
「あれ大変だったんですよ。持ってみると、ものすごく重いんですよ。どこからか自分で木を拾ってきて、3年間ベランダに置いて乾かして、それから削ったんですよ。何の木を使ったのか分からないんですけど、重たいんですよ」
BGMの曲が変わった。今でもときどき聴くことのあるレイモン・ルフェーブルの『悲しみの終わりに』だった。
「そこにモジリアニ風の絵がありますでしょ」
「複製画でしょうか」
「それはね、買ったもんでも、もらったもんでも、何でもないんですよ。開店して間もない頃、雨がものすごく降っていた日に、うちの前にそれが置いてあったんですよ。誰かが置き忘れたのかなと思って、中に入れておいたんですけどね、何日たっても、何ヶ月たっても誰も取りに来ないんですよ。なんだか気味が悪いんですけど、捨てることもできないでしょ、だからとりあえず飾っておいて、取りに来るのを待つことにしたんですけど、今だに取りに来ないんです」
店内に飾られているものは、すべてが何らかの物語をかたりかけてくる品々だった。彼女の話はまだまだ続いた。今それらすべてを記すとなると、夜が明けてしまうことになるだろう。そこで彼女の思い出の品々の写真を載せておくことにして、読者諸氏ご自身でそれを見て、想像の翼を羽ばたかせていただくことにしよう。






posted by 里実福太朗 at 00:00|
里ふくろうの日乗