2010年06月30日

京成電車から見える東京スカイツリー

家を出る時は梅雨空だったが、電車が都心に近づくにつれ次第に晴れ間が広がってきた。向かう先は東京都写真美術館、現在は世界報道写真展などが催されている。

上野行きの特急電車が京成高砂駅を出たあたりから、車窓が切り取る青空の中に、東京スカイツリーの姿が見えてきた。今までも押上線に乗った時は、京成曳舟駅と押上駅の間で見ることができたが、青砥から上野に向かう本線を利用した時は、スカイツリーに気づくことはなかった。現在の高さは398メートル(2010.06.26現在)、もう少しで400メートルを超える。高さになったことで、よりハッキリと見えるようになったからだろう。

特急電車は青砥駅を出ると、日暮里駅まで止まらない。そして混んでいる。車内で適当な撮影位置を確保することもままならず、いったん日暮里駅まで行ってから、乗客のまばらな下りの普通電車に乗り換えて、車窓から見えるスカイツリーを撮影したのだった。

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2010年06月27日

思いで語り

ドアを開けると、懐かしい曲が迎えてくれた。聞き覚えのあるその曲は、カーペンターズが歌って日本でもヒットした『イエスタデイ・ワンス・モア』、たぶん今は亡きポール・モーリアのオーケストラが演奏したものだったのだろう。

バロンの店内に流れるBGMは、かつてFM東京の「ジェットストリーム」で聞いたことのあるイージーリスニングが多かった。一世を風靡したポール・モーリアとかレイモン・ルフェーブルなどの穏やかな曲を聞いていると、まだサラリーマンをしていた昭和40年代のころが蘇ってくることもあった。

運ばれてきたコーヒーを半分ほど飲んだところで、先週一眼レフで取り直した写真をカバンから取り出し、店主に声を掛けた。何枚かを見終わったあとで、彼女が語り始めたのは、思いがけない話だった。ただその時はそう思ったが、今思い返してみると、その物語はあらかじめ用意されていたかのようで、いかにもバロンという喫茶店にふさわしいものだった。

数葉の写真を見たところで、彼女の手が止まった。
「そうそう、この自動車ね…」
しかしそう言ったきり、言葉が途切れてしまった。しばらくその写真を見つめていてから、再び口を開いた。
「この自動車のタイヤ、このタイヤの部分は、排水溝の部品を使って作ったのよ。横の銀色の部分は、瞬間湯沸かし器のジャバラ、みんな台所にあるものを使って作ったの」
「エッ、手作りなんですか!」
「みんな手作りなんですよ、ここにあるものは」
「どなたがお作りになったんですか」
その問には答えず、同じ言葉を繰り返した。
「全部手作りなんですよ、こういうお人形さんとかね、全部自分で作ったんです」

彼女は『自分』という言葉を使ったが、彼女自身を指しているのではないことは、言葉の端々からも明らかだった。
「こんなの、よく作りますよね」
「あの船も手作りですか」
「あれ大変だったんですよ。持ってみると、ものすごく重いんですよ。どこからか自分で木を拾ってきて、3年間ベランダに置いて乾かして、それから削ったんですよ。何の木を使ったのか分からないんですけど、重たいんですよ」

BGMの曲が変わった。今でもときどき聴くことのあるレイモン・ルフェーブルの『悲しみの終わりに』だった。

「そこにモジリアニ風の絵がありますでしょ」
「複製画でしょうか」
「それはね、買ったもんでも、もらったもんでも、何でもないんですよ。開店して間もない頃、雨がものすごく降っていた日に、うちの前にそれが置いてあったんですよ。誰かが置き忘れたのかなと思って、中に入れておいたんですけどね、何日たっても、何ヶ月たっても誰も取りに来ないんですよ。なんだか気味が悪いんですけど、捨てることもできないでしょ、だからとりあえず飾っておいて、取りに来るのを待つことにしたんですけど、今だに取りに来ないんです」

店内に飾られているものは、すべてが何らかの物語をかたりかけてくる品々だった。彼女の話はまだまだ続いた。今それらすべてを記すとなると、夜が明けてしまうことになるだろう。そこで彼女の思い出の品々の写真を載せておくことにして、読者諸氏ご自身でそれを見て、想像の翼を羽ばたかせていただくことにしよう。

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2010年06月26日

春講座最後の日

フランス語講座は、春講座10回分が昨日で終了した。動詞の活用に入ってからというもの、憶えることが急激に増えて、ここ何回かの授業は青息吐息の状態だった。引き続き、夏講座が予定されていて、春講座の復習を行うということであったが、復習なら自分のペースでした方が効果があがるだろうと思い、パスすることにした。

先生は、オープンカレッジの授業のあと、文学部の授業があるということで、懇親会は4時半過ぎから始めることなった。場所は近くのホテルのラウンジ、かつてそこに勤めていた先生の教え子を通して予約したそうだ。

集合は大学正門前に4時半、それまでの2時間ほどはどこかで時間をつぶさなければならない。向かうところは、もちろんバロンに決まっている、遅い昼食を「メルシー」ですませてから、プリントした写真の数葉を携えてバロンのドアを開けたのだった。

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2010年06月25日

学生街の中華料理店

近頃は街を歩いていても、フランス語が目に入ってくると、即座にそれに反応してしまう。

昼食場所をさがして大学周辺を歩き回っていると、「メルシー」という看板が見えてきた。なにしろ「メルシー」ですからね、てっきりフランス料理店だと思ったが、さにあらず中華料理店でした。

中華料理店だからといって、○○飯店というような店名にしなければならない理由はないけれど、「メルシー」ではいかにも不似合いだ。ともかく店に入ってみれば、命名理由のヒントが見つかるかもしれない。

店内はかなり古びた雰囲気が漂っていた。ありふれたパイプイスそして使い込んだテーブル、きっと何世代もの学生たちが、そこでラーメンをすすったことだろう。壁に貼ってあったメニューに記されていた品数は、さほど多くはなかったがいづれも安価だった。

ラーメン 400円
野菜ソバ 500円

一番高いのが五目ソバで、660円だった。野菜ソバを注文したあと、店内をゆっくりと見まわしてみたが、店名の由来を示すものは何も見当たらなかった。

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ウェブの口コミには、かつて近くの大学で学んだあの吉永小百合さんも利用したことがある、というような書き込みがあったたけれど、ほんとかなー
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2010年06月23日

映画「パリ20区、僕たちのクラス」

朝から台風並みの強い風と雨、お昼近く、ようやくおさまってきたころを見はからって出かけた。夜の気象情報によると、千葉県が最も激しい風雨だったそうだ…どうりで。

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出かけたところは神田・神保町の岩波ホール、現在上映中の「パリ20区、僕たちのクラス」を観るためだった。

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チケット売り場で訊ねたところ、指定席ではないけれど一回ごとの入れ替え制で、開場は上映開始時間の30分前ということだった。まだ雨が残っていたので、近くの飲食店で昼食をとって時間をつぶし、開場10分前頃に、10階のホール入場口に行くと、驚くことにすでに長蛇の列が階段にまでのびていた。列の最後を求めて階段を下っていくと、9階におりたところでやっと最後尾にたどり着いた。

行列に並んでいたのは、京橋のフィルムセンターで同じように行列を作っていた人たちと同年齢層の高齢者が多かった。「パリ20区、僕たちのクラス」は、近頃マスコミでも取り上げたこともあって、ドッと押し寄せたのかもしれない。

かく言う私は、前々から観ようと思っていたのであって、それはこの映画が、フランスの中学校を舞台としていて、国語の授業がドキュメンタリータッチで描かれていると耳にしていたからだった。

オープンカレッジのフランス語の先生は、授業の際、フランスの小学生のことをよく引き合いに出す。
「フランスの小学生たちも、憶えるのに苦労していますよ」
憶えなければならないことが次々と出てきて、受講生たちが閉口しているらしいことを察して、こんなことを言って励ましてくれる。私たちが今習っていることは、フランスの小学生レベルの内容であるのだ。

映画の舞台は小学校ではなく中学校だから、授業内容のレベルはかなり高くなっているはずだけれど、フランスの国語の授業では、どのようなことを教えているのだろうか、という興味もあった。そういう面での収穫は少しはあったが、見終わってみれば、担当教師と生徒たちとの対立、その果てにある一生徒の退学という結末、それが重苦しい気分を引き起こし、ホールを出て雨のあがった古書の街に出てからもずっと尾を引いていた。

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2010年06月22日

北田英治写真集「サレジオ」

写真家・北田英治氏は、現在写真塾の講師をつとめられていて、撮影会の折、あるいは講評会の際などでなにかとお世話になり、塾終了後の懇親会でも何回かご一緒させていただいて、お話する機会があった。

そんな縁があったので、氏の写真集「サレジオ」に目を通してみたいと思ったものの、家の近くの図書館にはなく、オンライン書店では購入できないとなっていた。Amazonのマーケットプレイスには中古品として出品されていたが、状態の良いものだと定価の3倍近い価格になっていた。そこで国立国会図書館に出かけていって閲覧したのだった。

そんなことを何かの折りにお話したところ、北田氏の手元にはまだ何冊かあるということが分かり、これ幸いとばかり一冊頒けていただくことをお願いした。そして先日の撮影会の折りに、北田氏から手渡していただいたという次第、さらにサインまで書いていただいた。

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「サレジオ」
著者:北田英治
発行所:TOTO出版
発行日:1996年7月20日

この写真集の内容に関しては、本の帯に記されている推薦文が、簡潔で要を得ている。国会図書館で見た時には、帯はなかった。その文には、厚生大臣をつとめていたころの菅直人氏(現首相)の名前が添えられていた。

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2010年06月21日

東京スカイツリーの新たな撮影スポット

東京スカイツリーの建設現場周辺は、どの程度の混雑ぶりなのだろうか。ちかごろとんとご無沙汰しているので、現況はよく分からない。ただ現場に行かなくても、かなり高くなってきているはずだから、それが見える範囲はどんどん拡大していて、いろいろな場所から見えるようになっていることだろう。

先週の土曜日、写真塾の撮影会で下町を歩いた際、何ヶ所かで東京スカイツリーの姿が見えたことがあった。その姿を見ると、条件反射のようについカメラを向けてしまう。

旧安田庭園
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浅草・伝法院通り
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合羽橋商店街
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2010年06月20日

心のいごこち

忙しい週末だった。金曜日はフランス語講座、土曜日は写真塾の撮影会で両国や浅草を歩き回り、夜にはワールドカップの対オランダ戦があった。フェリックス・ティオリエ写真展についても、まだ本題に入っていない。ブログの材料がどんどん溜まっていくばかりで、更新することもままならない。

そんなことならいっそのこと書くことなどにこだわらず、すべてをキッパリとゴミ箱に捨ててしまえばよさそうなものだが、なかなかそういうわけにもいかない。心に引っかかっているさまざまな出来事が、いつまでも消化されることなく漂い続けていると、何かを置き去りにしているような感じにつきまとわれて、どうにも心の居心地が悪い。

こんなことを書いていたら、徒然草の一節を思い出した。

『おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつあぢきなきすさびにて、かつ破(や)り捨(す)つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。 』
…里実文庫(T期)「徒然草」第十九段
 http://bunko1.satobn.net/syoko/koten/kenko/turezure/f-main.htm

思っていることを言わないのは、お腹が膨れているような気分になるので、筆にまかせてはつまらない慰み書きをしている、あの兼好法師もこんなことを言っている。「折節(をりふし)の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ」で始まる第十九段の一節である。

兼好法師の場合は、腹が膨れても『日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば』、腹の中のものは消化できたのだろうが、凡人となるとそういうわけにもいかない。働きの鈍った頭で考えていると、腹の中のものは消化されるどころか、頭の方に血がのぼったままになってしまって、かえって消化不良が高じてくることにもなりかねない。

そういう心配はあるけれど、心の居心地が悪いままでは精神衛生上よろしくない。明日は、たまっていた材料をできるかぎり消化することにしよう。
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2010年06月17日

アジェとブラッサイの写真集

アジェとブラッサイの写真集

フェリックス・ティオリエの写真展を見終わったあと、ミュージアムショップに立ち寄ると、アジェとブラッサイの写真集を販売していた。さぞかし高価だろうと思ったが、よく見ると「SPESIAL PRICE」となっていた。手にとって価格を見ると、たしかにお手頃価格だった。

ただし、奥付には「Printed China」の文字、だからこの価格で提供できたということなんだろうと納得。中国製品は、ついに書籍の分野にも広がってきた。冷凍ギョウザのように食品ではないのだから、購入するにしくはなしということで、買い求めておいた。

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2010年06月16日

世田谷美術館のフェリックス・ティオリエ写真展

世田谷美術館でフェリックス・ティオリエ写真展を見てきた。写真展そのものにつてはまたの日ということにして、とりあえず美術館にたどり着くまでに撮影した写真を載せておくことにする。

http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

千葉県佐倉地方から行くにはいくつかのルートがある。今日利用したのは次のコース。

佐倉地方
 ↓ 京成押上線
京成押上駅
 |
地下鉄押上駅
 ↓ 半蔵門線
(相互乗り入れ)
 ↓ 田園都市線
用賀駅
…押上駅より420円
…急行は、用賀駅には止まらない。それを知らず、二子多摩川駅まで乗り過ごしてしまった。

まったく今までの話とは関係ないけれど、このブログを書きながらテレビ東京のニュース番組「WBS」を見ていたら(ナガラ族なんです)、フランス南部で洪水が発生したことを伝えていた。新幹線TGVも運行を停止しているそうで、それを伝える際、男性アナウンサーがTGVのことを「テージェーヴェー」と言っていた。

フランス語の先生が「WBS」を見ていたら、きっと喜んだろうな。よけいなことだけれど、そのアナウンサー、「テージェーヴェー」と言う時にちょっと言いにくそうだった。まあ、フランス語のアルファベットの発音の仕方を、すこし練習しておきましょう。

用賀駅
 ↓ バス
美術館
…210円。都バスより高い。
…途中関東中央病院に寄るため、少し遠回りとなる。

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終点の「美術館」でバスを降りると、すぐ近くに砧公園の入口が見える。世田谷美術館は、砧公園の一角にある。

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小暗い小道を歩いて行くと、世田谷美術館に着く。

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2010年06月14日

懐かしのフレンチポップス(3)…フランス・ギャル

フレンチポップスを代表する歌手としては、フランス・ギャル(France Gall)もいましたね。「夢見るシャンソン人形」が、日本でもヒットしました。生まれた年は1947年ですから、団塊の世代の一期生と重なります。

次の映像のフランス・ギャルは、およそアイドルとは言い難く、フランスの片田舎から上京してきて、まだ素朴さを残しているといった雰囲気の女の子に見受けられます。ところが実際にはパリの生まれで、音楽的環境に恵まれた家庭で育ったようです。

1965年
Poupée de cire, Poupée de son(夢見るシャンソン人形)



日本語版バージョン



その後アイドルへの道を着実に歩んだのでしょう。次の二つの映像では、アイドル化したフランス・ギャルの姿を見ることができます。

1968
france gall der computer nr 3

この映像の説明には、『France Gall performed this song during a live TV show on German TV in 1968.』とありました。ドイツのテレビショウに出演した時の映像のようです。歌の間に、観客席のオジさんたちの顔がアップで写りますが、みな硬い表情で見入っています。ドイツのオジさんたちは、アイドルの歌を聴く時も、生真面目な姿勢は崩さないようです。



1969
Ein bisschen Goethe, ein bisschen Bonaparte
次の映像も、ドイツの音楽祭で録画されたものです。







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2010年06月13日

懐かしのフレンチポップス(2)…シルヴィ・バルタン時代順映像集

【シルヴィ・バルタン時代順映像集】
YouTubeに投稿されている Sylvie Vartan(シルヴィ・バルタン)の映像を、時代順に集めてみました。投稿した方々、ありがとうございました、Merci beaucoup。

1962
TOUS MES COPAINS(おセンチな17才)



1962
Le Locomotion(ロコモーション)
(アメリカンポップスを歌いながらツイストを踊るシルヴィ・バルタン)


1963
En Ecoutant La Pluie(悲しき雨音)



1964
La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)
この映像には、ビートルズも映っています。



1965
わんさか娘
レナウンのアニメのCMで使われていました。



1967
Comme Un Garcon(男の子のように)



1968
Irresistiblement(あなたのとりこ)



1969
Les Hommes(悲しみの兵士)



1976
Qu'est ce qui fait pleurer les blondes(そよ風のブロンド)



(1963−1996)
La Plus Belle Pour Aller Danser(アイドルを探せ)
「アイドルを探せ」が大ヒットした19歳の頃の映像から始まって、50歳を越えた頃の映像までが一続きにまとめられています。かつてのアイドルは、五十歳代に入ってそれなりの重み持つ歌唱力を身につけていました。



2008
アンコールに応えて「NICOLAS(初恋のニコラ)(1979)」を歌う。もう64歳くらいになっているはずだけれど、元気そうですね。


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2010年06月12日

なつかしのフレンチポップス

歯の治療が今日でひとまず終了した。4月19日の夕食時にとれたブリッジは、新たに釘のないものを造り直してもらい、すでに先週はめてもらった。今日は前歯に小さな虫歯があったのでそれを治療してもらい、憂いの種だった歯科通いから解放された。

ダニエル・ビダルの「オ−シャンゼリゼ」が、日本でヒットしたのは1970年(昭和45年)のころ、それ以前にも日本のヒットチャートを飾ったフランス語で歌われた曲が数多くあった。1960年代から1970年代にかけて流行したそれらの歌は、まとめて「フレンチポップス」と呼ばれることもある。

代表的なところでは、「アイドルを探せ」のシルヴィ・ヴァルタン、「夢見るシャンソン人形」のフランス・ギャルなど。YouTubeの映像で、当時にタイムスリップしてみることにしよう。

まずはシルヴィ・ヴァルタン。1944年8月生まれということだから、団塊の世代よりは少し年上、父親はブルガリア人・母親はハンガリー人で、のちにフランスに亡命したそうだ。「アイドルを探せ」は1964年の大ヒット曲、日本では中尾ミエなどがカバーした。

●アイドルを探せ
http://www.youtube.com/watch?v=LBSI2KNiIbQ
(埋め込みコードが無効になっていたのでURLを載せておきます)

この映像を初めてみた時、記憶に残っていたイメージとずいぶんと違っていると感じたが、よくよく考えてみればシルヴィ・ヴァルタンの顔を見たことはなかったのだ。その当時、ラジオから流れてくる歌声を聞いて勝手にイメージを造りあげ、そしていつの間にかそれが実像であると錯覚するようになっていったということなんだろう。ということで、シルヴィ・ヴァルタンの顔を見るのは初めてもことだったのだ。

この映像を見て、前歯のことがどうにも気になって仕方がなかった。失礼をかえりみずにより具体的に言えば、前歯のすき間が気になって仕方がなかったのだ。おまけに歯並びをよく見て下さいと言わんばかりに、口をアップにするものだかから、なおさら気になってしまうのだ。うら若き女性の口元をわざわざアップして、歯のすき間を強調するなんて、どういう魂胆なんだろうね。

今日歯医者さんから戻り、虫歯の治療をしてもらった前歯の様子を鏡で確かめている時、ある事実を思い出した。実は、私も前歯にすき間があるのだ。生まれた時から歯が一本足りなくて、そのため前歯にすき間ができてしまった。想像をたくましくすれば、ひょっとするとシルヴィ・ヴァルタンも歯が一本足りなかったのかもしれない。シルヴィ・ヴァルタンの前歯の映像を見ながら、くだらないことを想像したのでした。

次の映像も、意味の分からない場面が出てくる。突然変な男が登場して、花を生けるのだ。歌詞と何かの関係があるのかもしれないが、まだフランス語を習い始めたばかりで、歌詞の意味などまったく分からないから、理解のしようがない。



そこで、訳詞付きの映像がないものかとさがしてみたところ、ありました。ありましたが、それを見てもひげ面の男が花を生ける場面は、謎のままでした。


 
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2010年06月11日

「オーシャンゼリゼ」の「オ」は感嘆詞?

サッカーワールドカップ南アフリカ大会が始まった。現在テレビでは、第一試合の南アフリカ対メキシコ戦を中継している。メキシコは突破口を見いだせず、パス回しをしている間にボールを奪われて、カウンター攻撃を受けてしまう。まるで日本の試合を見ているような試合展開だった。ところが、今メキシコがゴールを決めた。

さて、フランス語講座の冒頭で、先生自ら懇親会のことを切り出した。懇親会を行う場合は、いくばくかの補助が出ること、講義の最終回の日に行う場合は、この授業のあとで文学部の授業があるから、開始時間が5時頃になってしまうこと、夏の講座の期間中であれば、大学は夏休みに入るから講義終了後すぐ懇親会を始めることができること、そんなことを口早に説明したあと、名簿を受講生に回した。適当な日に丸をつけもらって日程を決めるためだった。

今日習ったことの一つに、「前置詞と定冠詞の縮約」ということがあった。次のような規則のことをいう。

【規則】
前置詞「à」のあとに、定冠詞の「le」または「les」が続くと、前置詞と定冠詞は必ず合体する。

 à+le(男性単数) → au(オ)
 à+les(複数) → aux(オ)

例 
 un cafè au(à+leの縮約形) lait 
  … カフェオレ(牛乳の入ったカフェ)

 au cafè … カフェで

 aux(à+lesの縮約形) Champs-Èlysèes
  … シャンゼリゼで 

フランス語の先生は、最後の例に関してこんなことをおっしゃった。

『「オーシャンゼリゼ」の「オ」は、英語からの発想で、感嘆詞の「oh」だと思っている人が多いですね。カラオケで、「オ」のところで声を張り上げる人がいますが、あれはおかしいですよ、感嘆詞ではないですからね』

あいにくカラオケで、「オ」のところで声を張り上げて歌っている人を見掛けたことがないから、その点についてはなんとも言えないが、私も「オ」を感嘆詞だと思っていたことは認めなければならない。

「オ−シャンゼリゼ」は、フランスのダニエル・ビダルという女の子が歌って、日本でも大ヒットした。1970年、昭和45年のことだった。



次の映像は、翌年7月日本にきたときのもの。



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2010年06月09日

そろそろ梅雨入り?

ホンダのハイブリッドカー「インサイト」は、ブレーキシステムのクセに慣れれば、乗りこなすのはそれほど難しくはなさそうだ。ただ、車の言いなりになって運転しているような感じは、まだ残っている。やはり車は、人間の言いなりになって動いてもらいたいものだ。

朝からどんよりと暗い雲が垂れ込めて、日中は雨がシトシトと降り続いた。雨の降る中、夫人を市の施設に送り届ける時にインサイトを利用したが、それ以外は車庫で眠っていた。車庫の近くのアジサイの花が、雨に打たれて輝きを増していた。白いアジサイの花は、やはり雨の日がよく似合う。

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6月も、もう三分の一が過ぎた。今日の雨の降り方は、そろそろ梅雨の季節が近づいて来たことを思わせる。去年のことを調べてみると、10日のブログに、梅雨入りのことが書いてあった。

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2010年06月08日

「インサイト」が我が家にやって来た

ホンダのハイブリッドカー「インサイト」がやってきて、我が家の車庫におさまった。

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それが本当ならうれしいのだが、実は我が家のスーパーカーを車検に出して、その代車としてやってきただけのこと。

さて、近くのホンダの営業所に車を預けて、インサイトを運転するうえで注意すべき点を教えてもらい、さっそくハンドルを握って家に戻った。ガソリン車と違うところは以下の点。

●信号待ちなどで停止するとエンジンが止まる。ブレーキペダルから足をはなせば、エンジンは自動的に再始動する。

ガソリン車と違う点はそれだけなのだから、難しいことはない。エンジンをかけて、アクセルペダルに足をのせ軽く踏み込んだ。車は発進した。ここでガソリン車との最初の違いを体感した。アクセルを踏んでも、おしとやかにしずしずと動いていくのだ。これでは後の車はイライラするかもしれないと思い、さらにペダルを踏み込むと、静かに力強く加速していった。

営業所から出て最初の赤信号にさしかかった。ブレーキの効き具合が分からないから、ゆっくりとやさしくペダルを踏み込んでいった。その時の減速の様子をグラフに描いてみると、速度ゼロを示す横軸に少しずつ近づいていくというなめらかな曲線になったことだろう。そんな減速の仕方では、信号の停止線を越えてしまいそうな感じがしたので、足に強い力を加えてみた。

車は減速の度合いを早めて、ディジタル速度計はゼロに近づいていった。ところがそこで思いがけないことが起こった。ブレーキペダルを踏む足の力は弱めていないのに、制動力がゆるんで氷上をすべるように進んで行くのだ。慌ててペダルを強く踏み込むと、車は止まった。

トヨタ車のブレーキシステムがアメリカで問題視されたことがあったが、このような現象のことを指していたのだろうか。我が家のガソリン車を運転する際には、ガクと止まることを避けるため、止まる直前にブレーキペダルから足をほんのわずかだが浮き上がらせるということはよくするけれど、それと同じことを、ブレーキシステムをコントロールするコンピューターが、自動的に行っているのだろう。

しかし運転者の意志に関わりなく、コンピューターが勝手にスピードをコントロールすると、制御不能になったのかもしれないと思って、かなり狼狽してしまう。我が家のスーパーカーを運転する時のように、自分自身でブレーキペダル操作して、足の力の入れ具合に車が敏感に反応してくれれば、すべてが自分のコントロール下にあるということが実感できて、そのことが安心感をもたらしてくれる。

たしかに人間は過ちを犯すことがあるが、コンピューターは、プログラムに誤りがなければ、制御システムに確実に指示を出し間違うことはない。しかしなんでもかんでもコンピュータで制御してしまおうという考え方は、かなりお節介なやり方であると言わざるを得ない。なによりも大切なのは、車のすべてが自分がコントロール下にあると意識できることであり、それが運転する者の安心感につながるのである。

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2010年06月06日

三回目のバロン

「一週間たつのは、早いですね」
店に入ってイスに腰掛けると、オーダーをとりにきた女店主がそう言った。バロンに立ち寄るのはこれで3回目、先週も金曜日に立ち寄ったことを憶えていて、先方から声を掛けてきた。

店内には、腕を組み目を閉じて座っている年配の人、学生らしい二人組、ケータイをいじっている男がひとり、先週よりは少なめだが、バロンとしては多い方なのだろう。年配の人は、2週間前初めてバロンに入った時にもいた。やはり何かの講座を受講している人だろうか。

学生たちは何かのサークルに入っているのだろう、新学期になってかわいいコが入って来たらしく、しきりにその女子学生のことを話していた。話の内容がすべてハッキリと聞こえたわけではないけれど、こんなことも話していたようだった。
「あのコ、どう思う」
「新しく入ってきたコ?」
「そうだよ」
「いいんじゃない、かわいいと思うよ」
「そうだよナー」
「思い切ってコクって、砕けて散るしかないね」
そんなことを話している時、仲間らしい学生が店に入ってきて、その話は終わりとなった。

女店主のことを、これからはバロン夫人と呼ぶことにして、そのバロン夫人が、頼んでおいたコーヒーを運んできてくれた時に、店のことを訊ねてみた。
「開店当初から、店の雰囲気はこんな感じだったんですか」
「そうですねェ…」
少し時間をおいてから、こんなことを話してくれた。
「最初のころは、カウンター側の方だけで、半分のスペースだったんですよ。こちら側は、洋書屋さんでしてね、何年かして出世なさって都心の方に移ったんです」
さらに言葉を続けた。
「この建物は、もうずいぶんと古いものでしてね、戦後すぐのころ、昭和21年に建てられたものなんです」
「ちょうど私が生まれたころですね」
バロン夫人は、なにか言葉をさがしているかのように黙っていた。しばらくしてから、
「ちょっと計算してしまいました」
と言い残して、カウンターの方に戻って行った。

開店当時の昭和43年のころは、学生運動が盛んで、この大学は特にその運動が激しかったはずだ。校舎の周囲には机やイスのバリケードが築かれ、毎日のようにアジ演説がおこなわれ、休校状態が長く続いたはずだ。どうしてそんな時代に喫茶店を始めたのか、その当時、大学周辺はどんな雰囲気だったのか、そういうことも聞きたかったのだが、また次の機会に訊くことにしよう。

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右側の部分が、洋書店だったところ。
 

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2010年06月05日

チャンさんはどこにいる?

フランス語講座は、昨日でもう7回目となった。6月いっぱいで前期の10回分の講義は終わりとなるから、残すところあと3回で長い夏休みとなる。去年の写真講座の時は、途中で顔が見えなくなった人が何人かいたが、今年のフランス語講座は、今のところ落伍者はいないようだ。

かつて大学の講義では、授業開始時刻より遅れて来て、終了時刻より早く終わる先生もいた。このご時世にそんなことをすれば、学生による教員評価は最悪となってしまうに違いない。去年の写真講座の先生は、開始時間ピッタリに授業を始めた。今年のフランス語の先生も、5分ほど前に教室に入ってきて、1時になると同時に授業を始める。

授業の最後は、出席確認のための点呼が行われる。名前を呼ばれると、手を挙げて返事をする。すると先生が、声の方をチラッと見て顔を確認する。点呼ではもちろん日本人の名前が呼ばれていくのだが、途中で一回だけこんな名前が呼ばれる。
「チャンさん」
受講している人は、日本人だけではなかったのだ。

フランス語入門のこの講座は、日本語で授業が進められる。だから日本人以外の人が受講しているなどとは思ってもみなかった。チャンさんが仮に日本語に堪能であったとしても、なぜ日本でフランス語を学ぶのだろうか。そんな疑問を抱きながら、チャンさんと呼ばれて返事をするその声の主を確かめようと見まわすのだが、確かめることができずにいた。

昨日、授業に少し遅れて来た人がいた。三人掛けの机は、八つともすべて真ん中を空けて両端は埋まっていた。どこかが窮屈な思いをしなければ、その人は座ることができない。すでに授業が始まっているのだから、キョロキョロと見まわして席を選ぶいとまはない。出入り口に一番近い最後列の机に座った。

授業が終わり点呼が始まった。今日こそ、チャンさんを発見しようと思いながら、耳をそばだてていた。私は5番目に呼ばれる。私に続いて、さらに何人かが呼ばれた後、その人の名前が呼ばれた。
「チャンさん」
返事をしたのは、遅れて教室に入って来て、私の隣に座った人だった。
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2010年06月03日

「思い」を語りすぎた鳩山氏

退陣を表明した鳩山氏は、「思い」という言葉をよく使った。聴いている者の耳にタコができるくらい頻繁に使ったのだから、きっと鳩山氏の頭の中では、それこそたくさんの「思い」が渦巻いていたことだろう。

この「思い」という言葉を耳にするたびに、どうしてそんな言葉を繰り返し使ってしまうのだろうか、政治家がそんな言葉を不用意に使っていいものだろうかと思うことがよくあった。周囲の人の中に、「思い」などという言葉は、めったやたらに使ってはいけないと進言する人はいなかったのだろうか。もう過去の人になりつつある彼に、今さら言っても仕方のないことなのだが…

「思い」という言葉には、たとえば青白い顔をした文学青年が、机に頬杖を立てて思いに沈んでいる姿を想像させるような、どことなく文学的な響きがある。思うことばかり続けていると、いつの間にか心は閉ざされ、閉ざされた心は次第に現実の世界から離れて、空想の世界へと向かっていく。

さらに悪いことに、「思い」という言葉は、思いに沈んでいる自分自身に陶酔している、そういう印象を与えてしまう言葉でもあるのだ。自分は、これだけいろいろなことを思っているんだぞということを暗に匂わせて、格好を気取っているとさえ言ってもいいだろう。

「思い」というものは、うすぼんやりと頭の中にあって、漠然としていて、たえず流動していて、とりとめのないものなのだ。多くははかなく消え去ってしまうものなのである。そんな「思い」というものは、文学の世界で語るのにふさわしくて、政治の世界で語るのにはふさわしくないものなのだ。

ただ思っているだけ、「思い」を持っているだけ、「思い」を語るだけでは、一歩たりとも先に進んでいくことはできない。そこを出発点として、現実の世界に目を向け、考えを組み立て、試行錯誤を繰り返すことによって、初めてかすかな光が前方に見えてくるものなのだ。

「思い」はあっても、地に足をつけて、粘り強く考えて考え抜くということをおろそかにすると、「思い」は思うだけで終わってしまう。鳩山氏は、「思い」を雄弁に語ることは得意であった。さらに「思い」を越えたところにある「考え」を述べることができれば、結末は違うものになっていたかもしれない。
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2010年06月02日

「パリより愛をこめて」は西部劇だ

これほどタイトルと内容とが違う映画は、あまりないに違いない。「パリより愛をこめて」という映画のことである。「パリ」という言葉に敏感に反応して、映画の内容をよく確かめもせず、わざわざバスと電車を乗り継いで、八千代緑が丘の映画館まで出かけて行ったというのに、残念ながら期待はずれということになってしまった。

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(二枚ともスマートフォン「SC-01B」で撮影)

ジョン・トラボルタが演ずるCIAの特別捜査官が、テロ計画を阻止するためパリで大暴れする、簡単に言ってしまえばこんな内容の映画なのだ。パリが舞台になっているのだから、全編にわたってパリの街が映し出される。しかし見終わったあと、パリの街の印象があまり残っていない。目にこびり付いているのは、トラボルタがすさまじい勢いで拳銃を発射しているシーンばかりだった。

ともかく撃って撃って撃ちまくる。そして人がバタバタと倒れていく。これはもう舞台をパリに移し、時間を現代に設定しただけの西部劇と言った方がよい。そうであるならいっそのこと、トラボルタにカーボーイの格好をさせたほうが、サマになったかもしれない。
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2010年06月01日

カマキリの子とバラの花

何日か前に、夫人が庭で見つけたカマキリの子を、スマートフォン「SC-01B」で撮ってみた。

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以下の写真は、オリンパスの一眼レフで撮ったもの。

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写真では大きく見えるが、実際には大型の蚊ほどの大きさ、それでもカマはそれなりの形を整えていて、全体の姿もチャンとカマキリになっている。

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バラの花のこともブログに書いていたので、フェンスから道路に顔を向けて咲いているバラの写真も撮っておいた。こちらは、RICOHのデジカメで撮ったもの。

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