2010年08月31日

「スーザン・ソンタグ」を借りる

スーザン・ソンタグの名前を初めて耳にしたのは、写真塾の昨年度の講座に出席した時のことだった。講師の写真家・北田英治氏が、一冊の本を取り出して見せてくれた。氏が撮影した「スーザン・ソンタグ」の横顔が表紙になっている、「同じ時のなかで」」というハードカバーの単行本だった。

それ以来、スーザン・ソンタグが、「写真論」という著作も持つアメリカの著名な作家・評論家であることも分かってきたが、彼女の著作を読む機会はなかった。なんとなく敷居が高いような気がして、なかなか読んでみようという気にはならなかった。

地元の図書館の蔵書検索システムで必要な本を探している時、ふとソンタグのことが頭をよぎり、ためしに検索してみたところ、彼女の著作が収蔵されていることが分かり、2冊借りてきたのだった。

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「同じ時のなかで」の「訳者あとがき」(木幡和枝)には、次のように記されていた。

『北田英治氏には、ソンタグ最後の訪日時の建築見学ツアーに同行した際の写真を表紙カバーにご提供いただき、感謝する。』

「同じ時のなかで」
2009年9月発行
NTT出版

「良心の領界」
2004年3月発行
NTT出版
 
posted by 里実福太朗 at 23:39| 写真

今年のナシのできばえは?

スーパーのナシを何回か買い求めて食したが、いずれも甘みが少なく、今年は猛暑の影響で味が今ひとつなのかもしれないと感じていた。

昨日買い物に行く途次で立ち寄った梨園の人の話によれば、8月も末の今の時期は、もう豊水が出回っていなければならないのだが、今年は9月中旬頃にならないと収穫できないということだった。たしかに店頭には、幸水しか並んでいなかった。酷暑・小雨の影響で、ナシの収穫時期はかなり遅れていた。

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一袋千円の幸水ナシを買い求め、冷蔵庫で十分冷やしておいた。頃合いを見はからっていよいよ食べてみると…みずみずしさは十分だった。しかし、幸水ナシ独特の甘みはもの足りないものだった。たった一つ食べただけで結論を出すのは早計かもしれず、もう一つ食べてみた。甘みがないというのではないが、やはり物足りなさが残った。

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posted by 里実福太朗 at 22:54| 里ふくろうの日乗

今日のゴーヤ

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〔2010-08-29〕
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posted by 里実福太朗 at 17:58| 里ふくろうの日乗

2010年08月30日

大人の国高祭のTVCM

「ビートたけしのTVタックル」という番組の放映時間帯で、「やります、大人の国高祭。」のTVCMが流れたのは先週のことだった。いろいろな場所で国高同窓生に呼びかけ、「大人の国高祭」の開催を告知するという内容だった。

ある事情通からの情報によると、そのCMがそれなりにまとまっていたのは、制作にその道のプロが関わっていたからなのだそうだ。国高OBの中には、広告分野で活躍している人もいるのだろう。

また事情通によれば、新聞広告も含めた宣伝費用の財源は、甲子園に出場した時の寄付の余剰金ではなく、千葉の館山にあった寮を売却して得たものなのだそうだ。そんな海沿いに寮があったなんて、初耳だった。
 
posted by 里実福太朗 at 23:53| 里ふくろうの日乗

ゴーヤ観察日記

熱中症で命を落とす人もあるというのに、この猛暑の中で元気いっぱいなのがゴーヤだ。毎日驚くべき速さで、成長を続けている。そこで、夏休みの宿題の定番「朝顔の観察日記」に倣って、「ゴーヤ観察日記」をつけてみることにした。といっても、毎日デジカメで成長記録写真を撮っていくだけのことである。

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比較の便のため、昨日撮った写真を再掲しておく。

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posted by 里実福太朗 at 23:03| 里ふくろうの日乗

2010年08月29日

日本全国沖縄化

ご近所の家の囲いに巻き付いたゴーヤは、かなりの長さになってきた。その成長の早さは驚くべきもので、あれよあれよ言う間に、囲いの一面の半分ほどの長さになってしまった。

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〔ゴーヤの花〕
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知らなかったなァ、「ゴーヤ」はもとは沖縄の方言らしい。和名としては「ツルレイシ」というれっきとした名前があるそうだが、日本全国どこへ行っても、もう「ゴーヤ」と言った方が通りがいいに違いない。

先日あるお宅からゴーヤを10本ほどいただいた。我が家だけでは食べきれそうにもないから、隣近所にお裾分けしようとしたが、いづれのご家庭もゴーヤが台所にあふれているそうで、夫人は手にしたゴーヤを持ち帰らざるを得なかった。

ゴーヤが家庭の台所にあふれていたり、スーパーの野菜売り場に山積みになっているのは、はてしなく続きそうな猛暑のせいで、沖縄のような南国だけでなく、日本全国いたるところで豊作となっているからなのだろう。つまり日本各地が沖縄化しているからなのだ。

ゴーヤの栽培の仕方について、ウィキペディアでは次のように説明している。

『梅雨以降の夏場で日照が強くて気温が高く、雨も豊富な時期であれば、露地でキュウリなどの在来作物同様に種を蒔いて栽培することができる。』

ゴーヤにとってはこの連日の猛暑こそが、立派な実をみのらせるためになくてはならないものだったのだ。ご近所の囲いに巻き付いたゴーヤが、大きな実をみのらせているのは、まさに(どこかの首相の口癖が移ってしまった)この猛暑のおかげだったのだ。

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posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年08月27日

中塚雅晴写真展「WORK SONG」

六本木ヒルズ森タワー展望フロアーからの360度ビューを、小型デジカメで撮ってみた。

森タワー52階360度ビュー

ここを過ぎて時計回りにさらに進んで行くと、展望ギャラリーが見えてくる。写真展「WORK SONG/上海環球金融中心を創る人、育てる人」は、上海の超高層ビル建設の模様を、2年間に亘り撮影したものである。撮影に至るまでのいきさつは、次のように記されていた。

『5年前、上海に展望台高さ世界一の超高層ビルが建設中と知り、是非とも撮影をしたいと思いました。
 自分の写真家としてのテーマである「建築工事」を撮り続けてきましたが、いくら「撮影したい建築工事」があっても、たやくす撮影出来るものではありません。
 そのような中、私の考える「建築工事を通して、現在の建築技術の素晴らしさや、建設従事者の情熱や誇りを伝える写真」を森ビルの方々に理解いただき、念願の超高層建築の工事写真を撮影する事ができました。』

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posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

夜の秋

朝、ツクツクホウシの鳴き声で目が覚めた。セミの鳴き声で目が覚めるなどということは、生まれて初めての経験だった。

今夏初めてツクツクホウシの鳴き声を聞いたのは、8月9日のことだった。珍しく雨が降り、冷気を感じ取ったそそっかしいツクツクホウシが、秋が来たのだろうと勘違いして鳴いたようだった。鳴いたのはその日だけで、連日の猛暑続きでは、ツクツクホウシも地上に出る機会を失っていたのだろう。

俳句の季語に「夜の秋」というものがある。季節は晩夏である。夏も終わりに近づいたころ、日中は夏の暑さが居座っているものの、夜になるとどことなく秋めいた涼しい風が吹いてくることがある。そういう時期のことを、「夜の秋」と呼ぶ。

ホトトギスの歳時記では、季節の分け方を次のようにしている。
 春…2月〜4月
 夏…5月〜7月
 秋…8月〜10月
 冬…11月〜1月

このような四季の分け方は、すでに実際の季節の変化とはずれが生じているが、近年の温暖化により、さらにいっそうそのずれに拍車がかかってきている。特に今夏は暑さが厳しく、気象情報によれば、9月に入っても猛暑が続くそうだ。このような傾向が続けば、早晩、四季の分け方も変えなければならなくなるかもしれない。例えば、夏の季節が延びて、秋が極端に短くなるという具合に…。

 夏…5月〜9月
 秋…10月

今のところ猛暑が一休みしてくれる気配は感じられないが、それでも夜になれば、ときおり涼しい風が通り抜けていくこともある。ただ「夜の秋」と呼ぶには、いささか風量が乏しいうえに、その頻度も低い。八月の末になっても、まだまだ「夜の秋」と呼ぶことはできそうにもない。これではやはり、夏の季節を延長しなければなるまい。
 
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年08月26日

スカイツリーと東京タワーのツーショット

以前、神楽坂のアユミギャラリーで、中塚雅晴氏の「WORK SONG」という写真展が開かれたことがあった。高層ビルの建設現場を撮影した写真、気の遠くなりそうな高所で働く人々をとらえた写真は、印象に強く残った。

その中塚氏から、六本木ヒルズ森タワーの52階展望ギャラリーでひらかれる写真展の案内状をいただいた。52階では、森アーツセンターギャラリーで「地球最古の恐竜展」も行われている。そこで私は写真展、夫人は恐竜展に行くことにして、炎暑などものともせず六本木まで出かけたのだった。

〔六本木ヒルズ森タワー〕
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恐竜の足跡をたどっていくと、52階へのエレベーター乗り場に行き着く。

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白飛びの写真になってしまったが、それがかえって不思議な感じを与える。

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エレベーターに乗り、52階のシティービューへ、展望フロアへの入場料は1500円。

RICOHのGR-DIGITALVで撮影したスカイツリーと東京タワーのツーショット写真、一眼レフを持ってくればよかった。

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展望フロアには、恐竜も展示されていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:51| 里ふくろうの日乗

2010年08月25日

古くなったガス管の交換(3)

見積書には以下の項目の金額が示されていた。これらの中で最も金額がはるのは、ガス管に関する項目で、全体の金額の約8割程度を占めていた。

ガス管見積もり費
 基本工事費
 PE管 25A
 カラー鋼管 20A
 カラー鋼管 25A
 露出管撤去工事費
付帯工事費A
 メータ固定
諸経費

この見積書を見てある疑問が生じた。工事費は「付帯工事費A」だけで、これは「メータ固定」の作業費で、しかもその金額が微々たるものなのだ。つまり地面を掘り起こして、新しいPE管(ポリエチレン管)に交換する作業費は、見積書には表記されていないのだ。

ガス会社の担当者が見積書を持って来た時、その点を尋ねてみた。
「ガス管交換の工事費が入っていないようなんですが…」
「工事費は、ガス管の金額の中に含まれているんです」
「材料費と作業費とは分けて記載するのが普通の見積もり方だと思いますが、どうなんでしょうか」
「ガス工事はそういう費用の算出の仕方はしないで、ガス管の価格の中に作業費を加えて算出します」
「なんだかおかしいですね」
「ガス工事費は他の工事とは違って、以前からそういうやり方なんです」

つまり、こういうことのようだ。
 ガス管価格=ガス管材料費+作業費

千葉ガスのホームページによれば、敷地内のガス管は土地所有者の財産ということだった。
http://www.chiba-gas.co.jp/customer/guide/equipment/index.html

敷地内のガス管がそのような扱いになっているならば、所有者である利用者にその価値(価格)示すのが筋ではないかと思うのだが、現在の見積書の記載の仕方にはそのような配慮は見られない。こういう矛盾をはらんでいるのだから、ガス管価格の中に工事費用を含ませるという従来からのやり方は、そろそろ改めるべきではないだろうか。

なお見積もり費用は予想よりも低く、10万円を下まわっていた。1メートル当たりの工事費が8000円程度と聞いていたが、それは面倒な工事の場合の費用なのだそうだ。ガス管埋設の状態によって、工事費用は当然変化する。例えば地面がコンクリートで覆われていれば、工事費が高くなるであろうことは容易に想像できる。その点我が家は障害となるものが無く、単純な工事ですむことから見積額が低くなったということだった。
posted by 里実福太朗 at 23:29| 里ふくろうの日乗

2010年08月24日

古くなったガス管の交換(2)

家の北側に回り込むと、ガスメータの下にはすでに小さな穴が掘られていた。
「もっと腐食している思ったんですが、意外といい状態でした」
穴を覗いてみると、ガス管の一部が露出していた。少し青味を帯びた白っぽい管の表面には、ところどころに錆と思われるものが付着していた。

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埋設から30年以上も経過しているのに、腐食の程度がそのくらいですんでいるのは、土がアルカリ性であることもその要因のようだ。さいわいにして最悪の状態ではなかったが、下された判定はできるだけ早く交換した方がいいということだった。埋設された時期を思えば、この機会に交換しておいた方がよさそうだった。

現在用いられているガス管は、ポリエチレン管というものだそうだ。それ以前は、白ガス管と呼ばれる亜鉛メッキ鋼管で、千葉ガスのホームページによれば、埋設環境により差があるが、およそ20年が取り替えの目安ということだ。我が家のガス管が、30年以上も経っているのにまだ現役であることは、珍しいことなのかもしれない。

ガス管を交換した人の体験談が載っていないものかとウェブを検索してみると、こんなことが書いてあるページが見つかった。

『計量器までのパイプはガス会社の負担となり、個人消費者の負担は計量器から戸内のガス栓までのものだと思います』
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212178007

千葉ガスの担当者の説明とは食い違っている。彼は敷地内のガス管は、居住者の財産で、ガスメータまでの交換費用も、利用者が負担しなければならないということだった。念のため千葉ガスのホームページで確認してみると、ガスメーターは千葉ガスの所有物だが、それ以外の敷地内のガス設備(ガス管など)は利用者の財産であると記されていた。

さて問題は、交換費用がどの程度かかるのかということだ。その時の説明では、メートルあたり8000円ということだった。ガスメーターは、表通りから庭をまたいだ家の裏側にあるから、15メートルは超えているだろう。仮に20メートルとすると、ガス管の交換費用だけで16万円になってしまう。

あまりにも費用が掛かりすぎるのであれば、腐食程度を勘案して、交換時期を再考しなければならない。見積書はお盆が開けてから持参するということ話だった。そして、昨日あの担当者がやって来たのだった。
posted by 里実福太朗 at 23:43| 里ふくろうの日乗

2010年08月23日

古くなったガス管の交換(1)

ガス工事の見積書が届いた。敷設してから30年以上が経過しているガス管を交換する費用の見積もりだ。

千葉ガスから委託されているガス工事会社の担当者が来たのは、お盆前のことだった。彼の説明によれば、ガス会社が保管している資料によると、敷地内のガス管はすでに30年以上も前に敷設されたもので、腐食の進行が心配されるということだった。

横浜から千葉に転居したのは30年ほど前のこと、中古住宅での購入だったから、ガス管を敷設してからたしかに30年以上は経過している。現に隣近所の家では、すでにガス管を交換したところもあるそうだ。

ガス工事会社の担当者が、地面を掘って腐食の程度を調べるというので、現場に立ち会うことにした。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年08月20日

マリンスタジアムは「花火スペシャル」

8月20日の対オリックス戦は「花火スペシャル」の初日、入場口で配布された特殊なメガネをかけて花火を見ると、花火の光に反応してマーくんのイラストが浮かび上がって見えた。となるはずだったが、どういうワケか私には見えなかった。隣に座っていた夫人は、見えたそうだ。

それでもメガネをかけていると、花火がかなり立体的に見えて、迫力満点だった。

花火の模様を撮影した動画を載せておきます。

花火スペシャル
 
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年08月19日

マリンスタジアムの夕景

試合前日にシート貼りをして入場列の順番を確保しておけば、当日、西日を浴びながら開場を待つことは避けられる。明日は気温が少し下がるという予報だが、それでも厳しい暑さの中で待つことは避けられないだろうし、悪くすれば熱中症になるおそれもある。ない知恵を絞って考え、前日にシート貼りをしておいた方が得策だという結論に達した。

もう一つ、マリンスタジアムの夕景も撮っておきたいということも、シート貼りに出かけた理由だった。シート貼りは夜7時から、たとえそれ以前に入場ゲート前に着いたとしても、シートを貼ってはいけない。係員の指示に従って、7時キッカリから銭湯の人から順にシートを貼っていく。ただ、席取りはしておいてもいいようだ。

私がゲート前に着いた時には、すでにシート貼りの列はできていたが、だれもいなかった。荷物だけの列ができていた。私も席取り用の荷物を置き、撮影に出かけたのだった。

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子猫が二匹いた。
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陽が落ちると、涼しい風が吹いてきた。明日もこんな海風が吹いてくれれば、野球観戦を快適に楽しむことができるにちがいない。

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子どもを連れてシート貼りに来ていたヤンママは、友だちが持って来てくれた缶ビールを一緒に飲みながら、おしゃべりに興じていた。夏の夕暮れの風情にひたり、涼しい海風に吹かれながら飲むビールの味はさぞ美味だったことだろう。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2010年08月18日

お昼は都バスに揺られながら

大学図書館に行ってきた。前回と同様、権藤はな子に関する資料を探すためだった。なお権藤はなよのペンネームは、今後は「権藤はな子」で統一することにする。今回は久しぶりで上野から都バスを利用した。

上野までは京成電車の特急、昼時の電車は京成船橋を出るとかなりすいた。年の頃50歳前後の女性が、斜め前に座った。座るなり手提げバッグからいなり寿司が三個入った容器を取り出し、躊躇することなく食べ始めた。

車内で水分を補給したり、お菓子類を遠慮がちに口にする姿はよく目にするが、堂々といなり寿司をぱくつく姿は初めてみた。長いシートが対面式になっている車両で食事をとるのは、多くの目が注がれてしまうためか、多くの人にとっては抵抗感があると思われる。その女性が食べ始めた時は奇異に感じられて注視していたが、何はばかることなく堂々食べている様子は、すぐに平凡な日常の光景へと変貌してしまった。

上野の街も暑かった。小滝橋車庫行きのバスには、上野広小路のバス停から乗る。

〔上野広小路のバス停から上野のお山方面の望む〕
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バスの到着時刻にはまだ少し余裕があったが、店に入って食事するだけの時間はない。昼食は大学近くの店でとろうかとも思ったが、なるべく図書館で過ごせる時間を長くとりたいので、大学最寄りのバス停で降りたら図書館へと直行したい。さてどうしようかと思案していると、バス停のすぐ後にコンビニがあることに気づいた。そうだ、電車で見掛けたオバさんのように、バスの車内で昼食をとればいいのだ。

ということで、コンビニでおにぎりなどを購入して、すいているバスの後部座席でお昼にしたのだった。バスの後部座席は、電車と違って二人掛けの前向き座席なので、食事をするには都合が良い。都バスに揺られながらおにぎりを食べ、三十分ほどの小旅行を楽しんだのである。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年08月15日

大人の国高祭

朝日新聞の全面広告、それもカラー版の掲載費用はいったいいかほどなのか、「やります、大人の国高祭。」という広告を目にした時、真っ先に頭に浮かんだのはそのことだった。かなりの金額であることは間違いなさそうだ。一都立高校の同窓会が、どうしてそんな大金をポィと出すことができるのか。やりくりして何とか暮らしている身にとっては、まずもってそんな疑問が頭をかすめるのは仕方がないことだ。

都立国立高校が甲子園に出場したのは昭和55年のこと、その時は家に応援ツアー参加の誘いの電話があったそうだ。しかし、ちょうど出張中のこととて、参加することはなかった。

国高は一回戦で敗退した。勝ち進むことを願って数多く寄せられた寄付金は、かなりの金額が残ってしまったと風の噂で聞いた。その詳らかな金額は知らないが、ひょっとしてそれが今回の全面広告の費用に充てられたのだろうか。

それにしても派手なことをするね。在学していたころは、学校周辺の環境とか校風とかにも、まだまだ素朴な感じが残っていた。卒業以来一度も訪ねたことがないから、今の様子は分からない。

詰め襟の学生服を制服としている高校など、近頃はほとんどないのだろうが、当時は帽子も制服の一部となっていた。下校時には、生活指導の先生が校門に立っていて、帽子をかぶっていない生徒は厳しい注意を受けた。その場では渋々帽子をカバンから出してかぶるけれど、国立駅に着くまでには、再びカバンの中におさめられてしまうのだった。

生まれ育った吉祥寺を離れて、何回か転居を繰り返しているうちに、いつのまにか国高の同窓会とは、音信不通の状態になってしまった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年08月14日

「権藤はな子」は「権藤はなよ(はな代/花代)」

地元の市立図書館を通して、県立図書館に予約しておいた本が、入ったという連絡がメールで届いた。受取りに行った本は、以下の2冊。「雪こんこお馬」の方は、予約した後、別ルートで入手できていた。

「権藤はな子童謡集 雪こんこお馬」
(凡人會、昭和7年9月発行)
…復刻版「叢書 日本の童謡」(分売不可)所収
…大空社、1996年9月発行

「日本 童謡のあゆみ」
…大空社、1997年3月発行
…「叢書 日本の童謡」の別巻(分売可)

「雪こんこお馬」の著者「権藤はな子」は、もちろん「権藤はなよ」のペンネームである。私も権藤はなよについて調べ始める前は、「はな子」という名前で作品を発表していることは知らなかった。分かっていたのは、「たなばたさま」を作詞したのが「権藤はなよ」ということだけだった。

こころみに、「たなばたさま」をキーワードとして検索してみると、名前の表記の仕方に揺れがあることが分かる。

 はなよ
 はな代
 花代

以上の三つの表記が多く使われている。ちなみにウィキペディアでは、「花代」となっていた。「はなよ」が本名だから、他の二つはペンネームということになるだろう。

このように表記が揺れているのは、作品を発表する際の名前を、権藤はなよ自身が、時代の移り変わりに従って変えて使っていったこともその理由としてあるのだろう。

独身時代
…「笛吹き川」など=伊藤はなよ
結婚後
…「窓」など=権藤はな代
…「雪こんこお馬」など=権藤はな子

いろいろと迷っていたことが伺われるが、最終的には「権藤はな子」で落ち着いたようだ。

ただ、かつての私がそうであったように、この「権藤はな子」が、「たなばたさま」を作詞した「権藤はなよ」と同一人物であることは、あまり知れ渡っていないように思われる。ウェブの世界でも、「権藤はな子」で検索した場合と「権藤はなよ」で検索した場合とでは、その検索結果が明らかに違う。

最終的に落ち着いた名前が「権藤はな子」であるならば、いっそのこと「たなばたさま」の作者名も、「権藤はな子」にしてしまった方が調べる側にとっては都合が良いのだが…。乱暴すぎると危惧するむきもありそうなので、せめて「権藤はなこ子」と「権藤はな代」が結びつけられるようにしておくことは、最低限必要なことなのだろう。ということで、このようなブログを書いてみた。
 
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

神田大イトザクラ

2010年8月2日 午後

中央本線の下り電車が小淵沢駅に近づくと、進行方向右側の車窓から、「神田(しんでん)大イトザクラ」と呼ばれる立派な桜の樹が見えるそうだ。穴山からの帰途、そのイトザクラを見るため、アカイヌ山荘オーナーさんの道案内で田園地帯を走った。

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大イトザクラは、この猛暑の影響もあるのだろうか、かなり疲労困憊した姿をさらしていた。周囲の半分ほどには、樹勢回復のための防風ネットが設置してあった。

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…山梨県指定天然記念物(昭和34年指定)
…樹齢約400年

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posted by 里実福太朗 at 22:47| 里ふくろうの日乗

2010年08月13日

権藤はなよの故郷の墓地

2010年8月2日 午後

権藤はなよは、山梨県北巨摩郡穴山村(現在は韮崎市穴山町)に生まれた。先祖がその地で暮らし始めた時期は不明だが、少なくとも祖父母の代、江戸時代末期まではさかのぼることができるようだ。その祖父母を始めとする一族が眠る墓地に、お参りすることが今回の目的の一つだった。

甲府在住の従妹が作成したという地図を頼りに、アカイヌご夫妻と共にその墓地に向かった。地図によれば、緑の屋根の家を目印に進めば、そこからほど遠くないところに墓地はあるということだ。その緑の屋根の家を見つけ出すのに少し手間取ったが、それを右手に見ながら畑中の小道を抜けて行くと、年経る墓石が建ち並ぶ墓地へと行き着いた。

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従妹夫婦がその墓地を発見した時は、土葬された状態のままで、墓石には戒名だけが刻まれていたそうだ。戒名と生前の名前とを照らし合わせて、埋葬されている人が確認できたということのようだ。それに基づいて墓誌を建て、整地して墓地としての体裁を整えたと聞く。

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posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年08月11日

北田英治氏のスーザン・ソンタグ(2)

神楽坂のアユミギャラリーでは、現在、企画写真展「時」が開催されている。写真塾の塾長・講師の先生、塾生の写真などのほかに、さまざまな写真家の力作が展示されている。

暑い夏のひとときを、冷房の効いた室内で、写真を見てはいろいろなことに思いをはせ、ユッタリと過ごすのもなかなかいいものだ。

昨日のブログでは、北田英治氏が撮影したスーザン・ソンタグの写真についてふれたが、今回の写真展では、氏が撮ったスーザン・ソンタグの写真と直に対面することができる。

ギャラリーを入った左手奥に、その写真は展示されている。「同じ時のなかで」の表紙カバーの写真、朝日新聞掲載の写真、その両者とはまた違った凄みのある表情が、見る者の心をとらえて離さない。

彼女の折り畳まれた右手は、画面左下から右上へとのび、こぶし越しに虚空に注がれる鋭いまなざしは、まるで何ものかに怒りをぶつけているかのような激しさを湛えている。

撮影年月日は、2002年5月1日となっていた。

〔アユミギャラリーの中庭〕
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posted by 里実福太朗 at 23:58| 里ふくろうの日乗

昼餉は神谷バーにて

スカイツリーは400メートル越えせしも、吾妻橋のたもとから見れば、いまだ隣なるビールジョッキ型ビルの泡よりも低く見えたり。

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昼餉は、神谷バーの二階レストランでランチを食す。650円なり。

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小さきグラスに注がれしは、食前酒なるハチブドウ酒。懐かしき味にて、いとうまし。
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

スカイツリーは408メートル

神楽坂に向かう途中、夏の青空に誘われて押上で途中下車、久しぶりでスカイツリーを見に行った。

地下駅から地上に出れば、そこは灼熱地獄。7月の佃島での撮影会の時より暑い。気をつけなければ熱中症になってしまうかもしれない。

スカイツリーの手前では、新しいビルを建築していた。
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スカイツリーは、現在408メートル。
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逆さスカイツリーを見られるという西十間橋へ。
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スカイツリーと逆さスカイツリーとの両方を入れて撮ることはもう無理だった。
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そこで、逆さスカイツリーだけ。
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すでに1時間以上は炎暑の中を歩き、体はそろそろ熱中症への臨界点に近づきつつあることを察し、体を冷やすために地下駅に下りる。地下鉄は、涼を取るためには都合がよい。そのまま電車に乗って浅草へ向かう。涼しい車内に身を置いても、体内に蓄積された暑熱はいっこうに引くことはなかった。

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posted by 里実福太朗 at 23:53| 里ふくろうの日乗

2010年08月10日

北田英治氏のスーザン・ソンタグ

メモ用紙を整理していたら、こんな書き付けが見つかった。

 8/4前後
  スーザン・ソンタグ

たったこれだけしか書かれていない。メモには日付を書き添えておくようにしているのに、それも書き忘れたらしい。日付があれば、それを頼りに記憶をたどることができるかもしれないが、これではせっかくメモしておいても、何の役にも立たないことになってしまう。

「8/4」は、8月4日のことだろう。「スーザン・ソンタグ」…どこかで聞いたことのある名前だ。写真に関する評論も書いているアメリカの批評家の名前が、たしか「スーザン・ソンタグ」だった。その人の名前を初めて知ったのは…そこまで考えて、そのメモを書いた場面がパッとよみがえってきた。

ジミー&ベティの「ジャンバラヤライブ」が行われた7月30日の夕暮れ時、アユミギャラリーの中庭で、写真塾講師の北田英治氏と立ち話をしている時のことだった。その時、氏が撮影したスーザン・ソンタグの写真が、8月4日前後の朝日新聞に掲載されるということを伺い、いくら何でも忘れることはないだろうとは思うものの、念のためメモしておいたのだった。

その時は、忘れることは絶対ないと確信していたが、八ヶ岳地方を旅行している間に見事に忘れてしまった。さらに悪いことに、せっかくメモしておいたのに、それを見ても最初は何が何やらかいもく見当がつかない体たらく、メモの仕方をもう少し工夫しなければなるまい。

さて物置の扉を開き、積み重ねられているはずの過去の新聞を探そうとしたのだが、その新聞の束が見つからない。夫人に尋ねると、今日は古紙回収業者がまわって来る日ということで、すでに門の前に出してあるという返事。スワッ一大事とおもてに飛び出すと、さいわい新聞の束はまだそこにあった。

北田氏撮影のスーザン・ソンタグの写真は、8月4日付け朝日新聞・夕刊に掲載されていた。

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氏が撮影したスーザン・ソンタグの写真は、2009年に出版された「同じ時のなかで」(NTT出版)の表紙カバーの写真としても使われている。どことなく近寄りがたさを感じさせるその写真とはちがい、保育園で撮影されたという新聞掲載の写真の方は、たぶん幼い子どもたちを見ているのだろう、自然にこぼれた柔和な笑みが印象に残る。

同じ時のなかで
 
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

古新聞紙の物質的価値

8月4日の新聞を探し出してからしばらくして、古紙回収業者がやってきた。

門の前に出しておいたのは、新聞紙二束、そして段ボールが少々。それらが消えた後には、トイレットペーパー4個とポケットティシュー1個とが置かれていた。

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2010年08月09日

「異常な朝焼け」と「ツクツクホウシの初鳴き」

息子の言によれば、今朝5時頃、「シャー」という大音響で目が覚め、外を覗くと空が異常な色に覆われていたということだ。

それを耳にした夫人が、以前から時々訪問している「宏観現象」に関する掲示板を見たところ、千葉県地方で強烈な朝焼けを見たという書き込みがあったということだ。とすると異常な色に染まった空は、朝焼けによるものだったのだろう。

そこで私も検索してみたところ、「宏観現象画像掲示板」に、『朝焼けがありました』という書き込みと投稿画像(ゆぅさん)が見つかった。

『千葉県太平洋沿岸部にて4時半頃撮影しました。携帯で撮ったので画質が心配ですが…… 』

〔画像〕

無気味なオレンジ色に染まった空は、朝焼けではすますことができないほどの迫力がある。音に関する書き込みはなかった。

台風4号の影響なのだろうか、今日は大気の状態が不安定で、冷気が入り込んで久しぶりに雨が降った。午後、今年初めてツクツクホウシの鳴き声が聞こえた。二度鳴いたきりだった。

大気に冷気が忍び込み少し涼しくなったものだから、夏の終わりが近づいたのだろうと勘違いしたツクツクホウシだったのかもしれない。セミの世界にも、はやとちりのそこつ者がいるようだ。

ツクツクホウシのことは、以前その特別な鳴き方について書いたことがあった。
 「ツクツクホウシの起承転結」
 
posted by 里実福太朗 at 23:18| 里ふくろうの日乗

2010年08月08日

明野のひまわり

2010年8月1日(日)〜8月2日(月)
明野村で一泊。

以前ヒマワリを見に来たことがあったけれど、宿泊するのは初めて。その時はまだ明野村だった。その後市町村合併により、北杜市明野町になった。

明野町は日本で一番日照時間が長く、富士山・南アルプス・八ヶ岳連峰が一望できる眺望の良さを誇る。もちろんそれが可能になるのは晴れていればのことであって、宿泊した日も次の日も、残念ながら空は一面の雲に覆われていた。

夏には60万本のヒマワリが咲き誇り、今年は「サンフラワーフェス2010」が三つの会場で行われる。
 7月25日〜8月31日
 8時〜18時

私たちが訪ねた時は、南アルプスをのぞむ山の斜面は、ヒマワリの花ですべて埋め尽くされているという状態にはほど遠く、時期としてはまだ早かったようだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

ほおずき

鳥取から届いた宅配便に、ほおずきが入っていた。

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posted by 里実福太朗 at 21:10| 里ふくろうの日乗

2010年08月07日

佐倉市民花火大会2010

花火見物は、今年もまたあのカモ夫婦が住む親水公園横の高台に行くことにした。

去年も同じ場所で花火見物するつもりだったのだが、花火の打ち上げが始まってしばらくすると、火薬のけむりが印旛沼周辺にモウモウとたちこめ、しまいには花火がまったく見えない状態になり、終了時間を待たずに家路に着いたのだった。

今年は適度の風が吹いていたのだろう、煙に邪魔されることはなく、最後の花火まで見ることができた。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

お墓参り

2010年8月1日(日)

2時過ぎに甲府の市内に入り、夫人とともに菩提寺にてお墓参り。甲府在住の従妹夫婦も、わざわざリンドウの花を携えて来てくれた。

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甲府の夏はいつも暑い。今年は輪をかけて暑かった。その暑さの中でも、墓石のコケは、手桶から水をかけてあげると、みずみずしい緑の色を取り戻した。

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遠くに甲斐の山並みが見える。
 
posted by 里実福太朗 at 14:04| 里ふくろうの日乗

渋滞を避けて甲府へ

2010年8月1日(日)

休日1000円を利用して、さらに渋滞を回避するにはどうしたらよいか、この難問を解決するため、家を出発する日時を詳細に検討した。その結果以下のことが分かった。

【ルート】
東関東自動車道「千葉北インター」

京葉道路

首都高

中央高速

○東関東自動車道の千葉北インターに午前10時ごろ入ると、以下のように渋滞に巻き込まれる。
 中央自動車道(八王子−大月JCT)
  …渋滞78分(通常35分)

○10時30分
 中央自動車道(八王子−大月JCT)
  …渋滞69分(通常35分)

○10時45分
 渋滞解消

以上のことから、「千葉北」に10時45分ころ入れるように家を出れば、渋滞に巻き込まれることなく目的地に着けることが分かった。

この渋滞情報は「ドラぷら」(http://www.driveplaza.com/)によるものだが、この予測はかなり正確で、今回もそれを参考にして走ったところ、渋滞につかまることなく目的地・甲府に着くことができた。

posted by 里実福太朗 at 13:40| 里ふくろうの日乗