2010年09月30日

秋霖

秋雨前線の影響で、このところ雨の日が多い。「秋雨」は俳句では秋の季語となっているくらいだから、梅雨時の雨とは違った趣で降るこの季節の雨は、昔から人々の印象に残ってきたのだろう。長々と降り続く秋雨は、「秋霖」とも呼ばれる。

今日の日中、気温は20度を超えなかった。これは11月上旬の気温ということだ。先週の水曜日までは、最高気温が30度を超えることがあったが、それ以後は皆無で、最低気温は10度台を推移した。

季節は、その移ろいの帳尻を無理矢理合わせてきた。しかし今夏の猛暑で痛めつけられた体は、まだ熱暑の残滓をその芯に残していて、急激に気温が下がっても、季節の移ろいにすんなりと溶け込んで行くことができない。

お彼岸が過ぎても、庭では彼岸花が依然として鮮やかさを保っている。朝顔がまだ咲き続けるなか、秋の花「アメジストセージ」が、「あかまんま」を紫色に塗り替えたように花を咲かせていた。

2010090108.jpg

2010090109.jpg

2010090107.jpg
 
posted by 里実福太朗 at 23:10| 里ふくろうの日乗

2010年09月23日

宮代町・進修館とコスプレ

身の丈に合った町政を目指している宮代町には、他の市町村には見られない独創的な施設がある。コミュニティセンターの進修館もその一つと言ってよいだろう。

 コミュニティーセンター「進修館」

この建物は、「象設計集団team ZOO」が設計して、日本建築家協会が主催する2008年度(第8回)JIA25年賞を受賞したそうだ。その賞の重みの程度は分からないが、大きく弧を描いた建物の全景は、多くの市町村に見られるコミセンとは一線を画した独特の景観を生み出していた。

2010090102.jpg

2010090100.jpg

2010090103.jpg

こういう環境がコスプレ愛好家の目に止まったのだろうか、撮影会のあった土曜日にはたくさんのコスプレイヤーが新修館に集まっていた。

お蕎麦屋さんを出てから、新修館の事務室に用事があるという先生の後について芝生広場に入ると、そこかしこにさまざまな衣装を身にまとったコスプレイヤーがいた。コスプレイヤーを撮っているのは、これまたコスプレイヤー、互いに写真を撮り合っているそうだ。

そういう間を通り抜けて行くのは、なにしろ人数が多い上に初めての経験だから、どうしても身構えてしまう。うっかりカメラを取り出そうものなら、すぐ主催者の係員がやって来るそうだから、カメラバックを吊している身ではなおさら気をつけなければならないという心境になる。

しかし先生は場数を踏んでいるとみえて、意に介さずズンズンと進んでいく。考えてみれば、ここはコミュニティセンターという公共の施設、一般の人が立ち入るのはいっこうに構わないはずだ。建物内にも、コスプレイヤーに対するこんな注意書きがいろいろな場所に掲示してあった。

2010090105.jpg

主催者にいくばくかの金銭を支払えば、撮影することができるという話も聞いたが、写真塾の塾生の中にそれを希望する人はいなかった。「笠原小学校」や「新しい村」を訪ねたあと、再び新修館に戻ってきた時には、もうコスプレイヤーの姿はなかった。視線を新修館の芝生広場が尽きる先に向けると、コスプレを脱いだ若者たちが駅へと向かって行く姿が見えた。

2010090106.jpg

当日行われたコスプレ大会
〔COS-MIX! in 進修館〕

 会場:宮代町コミュニティーセンター「進修館」
 開催日時:2010年9月18日 10:00 〜 16:30
 
参加したコスプレイヤーの写真
 
 
posted by 里実福太朗 at 23:00| 写真

秋は突然やってきた

昨日は最高気温が32度をこえて真夏日になったというのに、今日は一日中雨が降り、昼間の気温は20度をこえることはなかった。一気に秋が深まったという感じの一日だった。

千葉のいすみ市では、祭の最後に小学校の校庭にみこしが集結した際、カミナリが落ちて三十数名が負傷したそうだ。ここ佐倉では、かすかにカミナリの音が聞こえただけだった。
posted by 里実福太朗 at 22:17| 里ふくろうの日乗

2010年09月22日

宮代町の蕎麦屋「一茶」

昼食をどこでとろうかと迷ったが、結局、東武動物公園駅に着いてから駅の周辺の店に入ることにした。ところが駅周辺には適当な店がない。駅前から南の方にブラブラ歩いて行くと、お蕎麦屋さんの看板が目に入った。

看板にはこう記されていた。

昔の味
純手打そば 一茶 宮代

2010090098.jpg

2010090099.jpg

そういえば前回の講座で、講師の北田先生が今回の撮影会のことを説明した時に、このお蕎麦屋さんのことを言っていた。そのことを思い出すと、足は自ずと「一茶」に向かった。注文したのは天ざる、950円だった。ソバはかなり太く、蕎麦打ち体験で素人が切ったソバのように太さがまちまちだった。まあこれが、昔の味・純手打そばというものなんだろう。

2010090096.jpg

2010090097.jpg

食べている途中で、講師の先生が店に入ってきた。写真塾の誰かとバッタリ会うかもしれないとは思っていたが、先生と顔を合わすことになろうとは予想していなかった。先生は何年かに亘って、ここ宮代町を撮影し続けているそうだ。宮代町に来た時は、いつも「一茶」の暖簾をくぐっていたのかもしれない。

2010090094.jpg

2010090095.jpg
posted by 里実福太朗 at 00:00| 写真

2010年09月20日

曳舟からスカイツリーを見る

今月の写真塾は東京を離れて、埼玉県宮代町に撮影場所を移して行われた。集合場所は東武伊勢崎線の東武動物公園駅、伊勢崎線の始発駅は東武浅草駅だが、佐倉地方からは京成押上線の押上駅での乗り換えが便利だ。押上駅からは急行に50分ほど乗れば東武動物公園駅に着く。

ただその日は、少し手前の京成曳舟駅で降りて、東武の曳舟駅まで歩いた。というのも、曳舟周辺から見える東京スカイツリーを撮っておこうと思ったからで、そのために家を少し早く出てきたのだった。

〔京成曳舟駅〕
2010090087.jpg

〔墨田区曳舟文化センターあたり〕
2010090088.jpg

〔東武線 曳舟駅〕
2010090089.jpg

〔曳舟駅ホームにて〕
2010090090.jpg 2010090091.jpg

2010090092.jpg

2010090093.jpg
posted by 里実福太朗 at 23:24| 写真

2010年09月19日

豊水ナシは完売

昨日は写真塾の撮影会で、埼玉県の宮代町へ行ってきた。好天に恵まれたのはよかったが、少し暑くなりすぎた。撮影してまわるのは田園地帯、太陽の陽差しをさえぎってくれるものは少ないだろうと予想して、帽子をかぶって行こうと思っていたのだが忘れてしまった。東武動物公園駅に着いてから、急きょ駅前で帽子を買い求めた。

さて、昨日のことはあらためて…ということにして、ナシのこと。近くの梨園の直売所で、さる方へナシの配達をお願いしたのは、8月末のことだった。梨園の人が言うことには、幸水の収穫時期は終わり、これからは豊水になるということだった。おいしいナシを届けたいので十分熟してから収穫したい、そのため配達できるのは9月中旬頃になってしまうということだった。

その言葉通り、さる方から9月15日に届いた旨の連絡があった。そしてこんなお礼の言葉もいただいた。
『甘くてほんとうにおいしいナシでした』
当方はまだ今年の豊水は食べたことがない。そんなにおいしいナシならば、ぜひとも食べてみたいものだと思っただけでヨダレが流れ落ち、買い物ついでにくだんの梨園に立ち寄ったのだった。

ところが、ところがである、直売所の店頭には、
「豊水は完売しました」
と表示されているではないか。目を疑いましたね、車から降りて店の人に執念く確認すると、今年の豊水はほんとうにもう終わりということだった。

しかし、水もしたたる甘いナシを食べられるものと思った胃袋は、豊水をあきらめさせてくれなかった。その梨園直売所からスーパーマーケットに向かって車を少し走らせた所で、ナシ直売所のノボリが見えるやいなや、車一台がやっと通れるほどの小道にハンドルを切ってしまったのだった。

その直売所には、さいわいにしてまだ豊水があった。店の中にいたのは、日に焼けた健康そうな中年の女性、その人の話によると、やはり豊水はもう終わりということだった。

そして、一袋1000円のナシを買い求めると、小さいとか形が悪いとかで売り物にならないというナシを、五つも添えてくれた。直売所のナシの値段はスーパーのナシより値段は高めだが、こういうオマケが付くことがうれしい。

2010090086.jpg
左がオマケのナシ
 

posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2010年09月17日

インテルCMのバス停「虎の口」

インテルのCMが新たな展開を見せた。自由大好き人間の女流作家は、連載の原稿を引き受けようという気持ちなどさらさらなく、若い編集者クンは、色香漂う作家の家にとどまって、気が変わるのを待たねばならないハメに陥るのだった。

こんなふうに話が次第に進展していく連作CMは、近頃はやりのようで、その代表格がソフトバンクの白戸家シリーズ、このインテルのCMが柳の下で二匹目のドジョウを捕まえられるかどうかは、<まさに>これからのストーリー展開にかかっていると言えよう。

テレビの前の人の興味をつなぐのは、若い編集者クンの行く末、女流作家の誘惑に負けて、仕事を放り出して一緒に住むことになってしまうのではないかと妄想がかきたてられる。

その編集者クンが、さとみ駅からバスに乗り、降りた所はバス停「虎の口」、そもそも「虎の口」というバス停がなんとも不穏な行く末を予感させる。「虎の口」とは、非常に危険な場所、絶体絶命の危機のこと、つまり若い編集者クンが非常に危険な場所に足を踏み入れたことを暗示しているのだ。いやがうえにも妄想がかき立てられてしまうように仕組まれているのだ。

さて、里見駅を発着するバスの路線に、「虎の口」というバス停はあるのだろうか。調べてみると小湊バスに、上総牛久駅と湯原・里見駅とを結ぶ路線があった。一日に3本しか運行されていない。バス停は以下の通り、その中に「虎の口」というバス停はなかった。

里見駅−加茂中学校−大戸−飯給坂上−東飯給−腰越−加茂農協−里見小学校−斎藤病院−湯原−富山小学校−中の橋−林−吉沢入口−新井−新井橋−神社前−山小川−田尾−高滝入口−下田尾−旭ダイヤモンド前−鶴舞局−鶴舞商業高校前−鶴舞公民館−循環器病センター−鶴舞病院入口−鶴舞小学校−富岡−大蔵屋団地−富士台−江子田−南総中学校−上宿−マーケット前−駅入口−牛久駅

http://www.eris.ais.ne.jp/~kunyu/bus/kominato/ushiku0.htm
 
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト紀行

彼岸花が咲いた

台風9号が日本列島を横断したあと、猛暑は少しずつ衰えを見せ、先日の激しい雷雨の翌日からは、朝晩はめっきり過ごしやすくなってきた。もうすぐ秋の彼岸の入り、猛暑の夏が長引くと思われたが、隆盛を誇った酷暑の夏は思いがけない速さで遠ざかり、寒さ暑さも彼岸までの言葉通り、秋が急ぎ足で近づいてきた。

お彼岸の入りまではまだ少し間があるが、庭に彼岸花が咲いた。例年より早く咲いたと言いながら、夫人が教えてくれた。

2010090081.jpg

彼岸花を撮るために庭におりたついでに、ミカンもついでに撮っておいた。十数個の実が付いたが、結局最後まで残ったのは二つだけだった。

2010090080.jpg 2010090079.jpg

小さな虫も撮っておいた。名は分からない。

2010090082.jpg

ゴーヤは、猛暑が去ってもまだ成長を続けている。

2010090085.jpg
 
 
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年09月16日

電子テキスト関連リンク集の更新

里実文庫用のメールアドレスに、メールが一通届いていた。滅多にないことだから送信者の見当がつかなかった。開いてみると「菊池眞一研究室」から送られたもので、研究室のホームページのURLが変わったことを知らせてくれたものだった。

 菊池眞一研究室

里実文庫をXHTMLで作り直そうと思い立ったのは、去年の春のことだった。里実文庫用のドメインを取得して、ホームページのレイアウトを固め、作品ファイルもいくつかXHTMLで記述しなおしてアップした。そしてそれ以前の里実文庫は、第T期里実文庫としてそのままの形で残しておいた。

「菊池眞一研究室」へのリンクは、第T期の里実文庫に設けておいたものだった。さっそく里実文庫第T期の「テキスト関連リンク集」を更新して、さらに「里ふくろうコム」の「情報ポータル」内の項目「電子テキスト」を更新しておいた。

 里実文庫第T期
 > テキスト関連リンク集

 里ふくろうコム>情報ポータル>電子テキスト
 

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年09月15日

ギョーザ

夕食に、ギョウザが一品加わった。外出先からの帰途、最寄り駅の駅ビルの中華料理店で買い求めたものだ。

2010090078.jpg
(300円/人)

その中華料理店のギョウザがおいしいという話しを聞いたのは、先月のことだった。その日は千葉マリンで、アカイヌ山荘オーナーご夫妻と一緒に、マリーンズ対バッファローズの試合を見る予定があり、オーナー夫人は我が家に立ち寄ってから我々と一緒に球場に向かうことになっていた。

最寄り駅に着いたという電話を受けて駅に向かってみると、駅階段下のベンチで、オーナー夫人は見知らぬ老婦人と何やら話しをしていた。はて知り合いなのだろうか、怪訝に思いながら車を近くに寄せて、オーナー夫人を車内に招き入れた。

オーナー夫人によれば、その老婦人は、こんなことを話していたそうだ。
『タクシーに乗って、駅ビルの中華料理店に、わざわざギョウザだけを買いに来た。その店のギョウザはとてもおいしい。家は駅からそれほど離れていない。しかし歩いて帰るのはしんどい。帰りもタクシー利用するつもりだ。空車が来るのを待っているが、なかなか来ない』

わざわざタクシーを利用して買いに来るほどだから、その店のギョウザは極めておいしいに違いない。ただその老婦人のように、ギョウザをだけを買うために駅ビルに行こうとは思わない。何かのおりに買ってみようと心に決めていた。その機会が、今日おとづれたのだった。

さて、本当にそのギョウザはおいしかったのか。その点については次の事実を示せば、答えは自ずと明らかになってくるはずである。夫人は夕食の準備をしながら、一人分五つのところ、三つをペロリと食べてしまったのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2010年09月13日

雷鳴

ここ佐倉地方は、夜10時少し前から激しい雷雨にみまわれた。

2010090077.jpg

以前近くの工事現場にカミナリが落ち、作業をしていた人の何人かが負傷して病院に搬送されたことがあった。カミナリが鳴るとそのことを思い出す。

10時半ごろには雷鳴も遠のき、雨も次第に小降りになった。さいわいこの辺りでは、落雷による被害はなかったようだ。

佐倉地方の雷鳴
 
posted by 里実福太朗 at 23:07| 里ふくろうの日乗

2010年09月12日

再会の夜は市川駅南口で待ち合わせ

昨夜は元職場のかつての同僚たちと、久しぶりで市川の焼き肉店で再会して、暑気払いの杯を酌み交わした。マッコリがおいしくて、飲みやすいものだから、飲み過ぎてしまったようだった。

マッコリといえば、日本酒の濁り酒と同じように白濁しているものと思っていたが、元同僚がこの店には黒マッコリがあると言う。ものは試しと、さっそく注文してみた。黒というよりは、うす茶色という感じの色だった。口に含むとかすかな酸味が感じられ、サッパリとした味わいが口の中に残った。飲み口がいいから、飲み過ぎてしまうことには注意していたが、それも最初だけのことでいつしか杯は重なっていった。

2010090075.jpg

久しぶりで訪れた市川駅の南口は劇的に変わっていた。かつて、南口の駅前の一等地に建っていたビルの一階では、パチンコ屋が営業していた。そのビルは取り壊され、駅前には広いロータリーが整備されていた。そのロータリーを取り囲むビル群の一角には、図書館も設置されていた。

2010090070.jpg

2010090071.jpg

3階の歩行者専用連絡通路からは、東京スカイツリーがおぼろげに見えた。

2010090069.jpg
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

2010年09月09日

新国会丼

今日の昼食は、国会図書館で新国会丼を食した。以前食べたことのある「国会丼」は、牛丼とカレー丼とを盛り合わせたものだったが、この「新国会丼」なるものは、カツ丼と親子丼とを盛り合わせたものだった。こちらの方が見た目もよく、丼物としてのまとまり感があった。

2010090068.jpg

値段は600円(国会丼は500円)。新国会丼の注文コーナーには、短いながらも行列ができていて、売れ行きは、国会丼よりも好調のようだった。
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

2010年09月08日

雨が降った

台風9号の影響で、朝から雨が降った。本当に久しぶりのことだった。気温も30度を超えることなく、猛暑日の連続記録もやっと途絶えた。

2010090065.jpg

庭に雨が降る様子などつまらないありふれた光景だけれど、猛暑が続いたせいなのだろう、とても新鮮な感じに見えるのも不思議なことだった。

2010090067.jpg

2010090066.jpg
 
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2010年09月07日

インテルのテレビCM「さとみ」駅

近頃流れているテレビCMに、「さとみ」という駅が登場するものがある。そのことに最初に気づいたのは夫人だった。話しを聞き、実在する駅なのか、漢字ではどう表記するのか、当方も「里実」という名前でブログなどを書いているから、そんなことが気になった。

そのCMは、あのインテルが提供するものだった。連載を取ってこいという上司の命を受けて、若い編集者が、「さとみ」という辺鄙な場所を思わせる駅に降り立つ。訪ねた家の玄関から覗いた顔は、華やかな都会風な顔立ちで、ひなびた土地柄にはどうもふさわしくない。

相手は売れっ子の女流作家のようで、そういう先生はわがままで自由奔放であると相場が決まっているものだが、ご多分に漏れず、連載に縛られるのはイヤだとのたまうのだった。ひなびた土地では、さぞかし不便だろうと思われるが、さにあらずブロードバンドでネットにつながっていれば、世界中とテレビ電話だってできてしまうのだ。

若い編集者が訪ねた時は、ノートパソコンの画面にむかって、フランス語でやり取りしていた。英語ではなくて、なぜフランス語なんだろうか。10月からは、フランス語の後期講座はじまる。勉強不足ゆえの焦る気持ちを抑えなければならなかった。結局CMを最後まで見ても、「さとみ」という駅が実在するかどうかは分からなかった。

当方の「里実」という名前は、実は「里見八犬伝」の「里見」からいただいたものだ。ただ、そのまま「里見」を使ってしまっては里見一族に申し訳ない。字を少しかえることにした。「里実」にするのか、「里美」にするのか、それが問題だった。

身の程をわきまえず大げさに言えば、「実(じつ)」をとるのか、それとも「美」をとるのかということ、さらに大言壮語すれば、写実主義なのか浪漫主義なのかという選択だった。そして最終的には、「里実」に落ち着いたのだった。

さて、CMの「さとみ」が「里見」であれば、その駅は実在する。千葉県の小湊鉄道の「里見駅」である。現在は無人駅となっている。駅舎は木造平屋の古めかしい建物で、都市近郊という立地にもかかわらず、郷愁の念を誘う雰囲気を醸し出していて、映画とかCMの撮影で利用されることもあるそうだ。インテルのCMで使われている「さとみ駅」は、この「里見駅」のことなのかもしれない。
 
posted by 里実福太朗 at 23:01| フォト紀行

2010年09月06日

夜の浅草寺(asakusa sensoji)

〔撮影日:2010-09-01〕

2010090047.jpg

2010090048.jpg

2010090049.jpg

2010090061.jpg

2010090055.jpg

2010090050.jpg

2010090060.jpg

2010090052.jpg

白いシャツを着たサラリーマンがお参りしていた。仕事帰りに、何を祈っているのだろう。

2010090059.jpg

若い二人連れの女の子に、写真を撮って下さいと頼まれた。礼を言って去って行った二人連れは、デジカメの画像を覗き込みながら、意味の分からない言葉を交わして仲見世を歩いて行った。中国語のようだった。頼まれた時は日本語だったので、日本人だとばかり思っていた。

2010090062.jpg
 
posted by 里実福太朗 at 23:30| フォト漫歩計

写真の会は神谷バーで

去年写真教室で机を並べた生徒たちが、それぞれ撮りためた写真を持ち寄って、勝手なことを言い合う会を神谷バーでやろうということは、前回の集まりで決まっていた。集合場所は雷門前で時間は5時、その約束の時間にメンバー全員が集まった。5人が向かうは神谷バー、まとめ役がすでに3階の「割烹神谷」を予約していた。

2010090063.jpg

http://www.kamiya-bar.com/01.html

アルコールが少し入ったところで、写真の批評会を始めることにした。わたしは、前回の写真塾の講評会に出した写真を持参していた。ある人が、以前浅草の伝法院通りで撮った夕暮れ時の写真を取り上げ、これが一番好きだと言ってくれた。前回もそうだったが、写真の話はどちらかというと低調で、海外旅行の話しなどで盛り上がるのだった。

近々スイスに行くという人がいて、最近鉄道事故があったものだから、聞いている人はたぶんそのことを思い出したに違いない。旅行保険の話しになった。事故があったばかりだから、鉄道会社も運行には十分注意いているだろう。しかし念のため、救援・治療の保険サービスに入っておいた方がいいと、旅のベテランからの発言があった。

「クレジットカードには、付帯の保険サービスがあるからそれで十分だと思っていたんですが、それではダメなんですか」
とスイス旅行予定者から質問があった。
「障害死亡の場合には、かなりの額が出ますが、病気になった時とか、救援の費用などは微々たるものですよ。外国で治療を受ける場合、そんなものでは全然足りません。さらにクレジット会社は、なかなか保険料を出してくれないですし、事故の責任が現地の会社にある場合は、知らんぷりですよ」
旅のベテランはさらに話しを続けた。
「保険会社の海外旅行保険に申し込めばいいんです。保険の種類は、『治療・救援費用保険』だけでいいと思いますよ」
みなクレジットカード付帯の保険サービスだけで十分と思っていたらしく、口々にこれからは「治療・救援費用保険」に入ってから海外旅行に行くと言っていた。

会がお開きになったあと、皆と別れて一人浅草寺に向かった。夜になると、浅草寺・五重塔はライトアップされる。それを撮影しようという心づもりがあったのだ。
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

新仲見世からスカイツリーを見る

仲見世と新仲見世とが交差する所は、アーケードの屋根が途切れて空が覗く。その空間に、400メートルを超えた東京スカイツリーの先端部分が、スッポリとおさまっていた。

完成すると634メートル、その先端は、きっとアーケードの屋根に阻まれて見えなくなっていることだろう。

2010090046.jpg

2010090044.jpg
 
posted by 里実福太朗 at 18:11| フォト漫歩計

2010年09月05日

浅草寺境内からスカイツリーを望む

新奥山を抜けて、浅草寺境内に入る。東京スカイツリーが、ほぼ正面に見えた。

2010090040.jpg

2010090036.jpg

2010090037.jpg

2010090035.jpg

2010090042.jpg

仲見世を抜けて、雷門へと向かう。待ち合わせは5時だ。

2010090043.jpg
 
posted by 里実福太朗 at 23:59| フォト漫歩計

2010年09月03日

「里からの便り…滝かつとし園長の神楽坂動物園…展」

神楽坂アユミギャラリーと同じ敷地内にたつ高橋ビル、その地下一階に「アートガレー カグラザカ(ART GALLEY KAGURAZAKA)」がオープンしたのは、8月27日のことだったらしい。アラン・ゴールディング氏の写真展「ELEMENTS」を見たあと、案内板のかわいらしいネコとイヌの絵に誘われて、開廊記念展「里からの便り…滝かつとし園長の神楽坂動物園…展」をのぞいてみることにした。

2010090029.jpg

2010090030.jpg

アユミギャラリーの中庭から階段を下りてドアをかけると、そこはカフェ、ギャラリーはその奥に設けられていた。ゴールディング氏の写真の残像、そして彼との遣り取りがまだ尾を引いていたものだから、ゆっくりコーヒーを飲んで、頭をリセットしてから画廊に足を運んだ。

2010090032.jpg

「アートガレー カグラザカ(ART GALLEY KAGURAZAKA)」
http://art-galley.craps.co.jp/index.html


2010090033.jpg

ちょうど滝かつとし氏が在廊中で、お話しする機会を持つことができた。氏は1949年の生まれということだから、いわゆる団塊の世代に属する。会社勤めをしながら絵の勉強を続け、2004年に初めて個展を開いたそうだ。その後作家活動に入り、現在は故郷の茨城県大子町で制作に打ち込んでいるということだった。

ネコとイヌの絵が多かったが、フクロウの絵も三点あった。その中の一点に、新緑をまとった木の枝にフクロウの親子が仲良く並んでいる様子を描いた絵があった。その絵を見ながら、フクロウに興味を持っていることや、フクロウの子どもは若葉の季節に巣立っていくことなどを話したのだった。

七枚セットのポストカードを買い求めたが、その中にフクロウの絵は含まれていなかった。セット販売ではない2Lほどの大きさの絵の方にはフクロウの絵があった。それを買い求めようとしたところ、おもいがけなくも氏が口にした言葉は、「さしあげますよ」というものだった。

先ほどは、アラン・ゴールディング氏から写真をいただき、こんどは滝かつとし氏からフクロウの絵をいただくことになったのだ。こういうこともあるんですね。本当に炎暑の中、出かけてきた甲斐があったと再び思うのだった。

2010090034.jpg

開廊記念展 里からの便り…滝 かつとし園長の神楽坂動物園…展
http://art-galley.craps.co.jp/exibition1.html#current
 
posted by 里実福太朗 at 23:50| フォト漫歩計

浅草・新奥山から望むスカイツリー・五重塔

【新奥山について(説明板より)】
江戸の昔、今の浅草寺本堂の西北一帯は、俗に「奥山」と呼ばれ、江戸の盛り場として、大道芸人や見世物小屋で大いに賑わう著名な場所であった。

奥山の名の由来は記録にないが、おそらくその位置が本堂の奥にあることから名付けられたと思われる。

明治以後、その賑わいは浅草寺西側の浅草公園六区へと移り、六区は日本一の工業外・映画のメッカとして栄えたが、その前身が奥山だったといわれる。

現在は、この地を「新奥山」として整備し、諸碑が建立されている。この中には、往時の浅草の賑わいを伝える記念碑も建てられている。

 金龍山 浅草寺

2010090024.jpg

2010090026.jpg

2010090025.jpg

2010090027.jpg

2010090028.jpg
 
posted by 里実福太朗 at 22:05| フォト漫歩計

今日のゴーヤ

〔2010-09-03〕
2010090023.jpg

〔2010-08-30〕
2010080079.jpg
 
posted by 里実福太朗 at 21:24| 里ふくろうの日乗

2010年09月02日

写真展「ELEMENTS」エレメンツ / 瞬間の元素

神楽坂のアユミギャラリーでは、昨日(2010-09-01)まで、英国の写真家・ALAN GOLDING氏の写真展が開かれていた。夜、ちょっとした会合の予定があったので、その前に足を運んでみることにした。

2010090020.jpg

http://www.ayumi-g.com/ex10/1030.html

引き戸を開けてギャラリーの中に足を踏み入れたとき、ゴールディング氏は南向きの出窓の前で、ノートパソコンの画面に見入っていた。日本語はどの程度話せるのだろうか、英語で挨拶した方がいいのだろうか、簡単に「hi」とでも言っておこうか、そんなことを考えていると、彼の方から、
「こんにちは」
ときれいな発音で声をかけてきた。

大小さまざまな写真は、さまざまな工夫を施され、展示スペースの隅から隅まで所狭しと並べられていた。展示されていた作品の何点かは、彼のホームページにも掲載されているものだった。作品傾向をつかむには、そのホームページにアップされている写真を見るのが一番手っ取り早いだろう。

http://www.alangoldingphotography.com/gallery.htm

彼がパソコンに見入っている席の背後にも、写真は展示されていた。順次見て回っていき、その場所に近づいた時、彼は何も言わずに席を立ちそこを離れていった。彼の無言の配慮のおかげで、すべての写真をじっくりと時間をかけて見終わることができた。

テーブルの上に、案内用のポストカードが積まれていた。もちろん無償で配布するためのものなのだろう。断りなしにいただいてもかまわないと思われたが、念のため声をかけておくことにした。
「これをいただけますか」
さきほどきれいな発音で「こんにちは」と言っのだから、日本語はある程度分かるのだろうと勝手に思い込んでいたが、彼は空中に視線を泳がせたまま固まっていた。どうやら日本語はほとんど分からないようだった。

困ったことになった。ポストカードをもらうためには、英語で何と言ったらよいのだろうか。ポストカードを左手で持ち、右手の人差し指で自分を指してみても、彼の理解の手助けにはならなかった。そこで、
「give me」
と言ってみたら、彼は大きく頷いた。そして、テーブルの上に無造作に置いてあった数葉のL判の写真を指さした。それも持っていっていいよ、ということのようだった。数葉の中から、海岸を歩く二人の女性が写っている写真を選び取って、いただくことにした。

2010090021.jpg

なんともありがたいことで、炎暑の中、足を運んだ甲斐がああったというものだ。
「ありがとうございました」
と礼をいうと、
「どういたしまして」
と、澄んだライトブルーの目をこちらに向けて、またきれいな発音で言葉を返したのだった。

posted by 里実福太朗 at 23:00| 写真

つくばエクスプレス「浅草駅」から「新奥山」まで

【徒歩ルート】
〔つくばエクスプレス「浅草駅」出入口5〕
 ↓
〔浅草演芸ホール〕
〔浅草電気館ビル〕
 ↓…六区通り
 ↓…公園本通り
 ↓…五重塔通り
〔新奥山〕

〔つくばエクスプレス「浅草駅」出入口5〕
2010090009.jpg

地下駅から地上に出て少し歩くと、スカイツリーの先端が見えた。

2010090013.jpg


〔浅草演芸ホール〕
2010090002.jpg

2010090012.jpg

2010090004.jpg

〔浅草電気館ビル〕
2010090010.jpg

〔楽天地浅草ボウル〕
2010090011.jpg

…すしや通り
2010090001.jpg

…六区通り
2010090003.jpg

…公園本通り
2010090005.jpg 2010090006.jpg

…五重塔通り
〔木馬亭〕
2010090007.jpg

〔新奥山〕
2010090008.jpg

posted by 里実福太朗 at 17:42| フォト漫歩計