次に向かったのは神楽坂、写真塾講師の北田英治さんが、ご自身で撮った写真を投影しながら御自ら語るという興味深い講座を聴講するためだった。ただ、まだ開始時間まで間があったので、神楽坂の路地裏を一巡りしてみることにした。
先週の水曜日のこと、去年写真教室で机を並べた生徒たちが、久しぶりで新宿に集まった。会の当初の名目は、各自が撮りためた写真を見ながら、相互に感想を言い合うということだった。ただ会を重ねるに従って、写真についてそれぞれが勝手なことを言い合うことより、飲むことの方に重点が移ってきているようにも感じる。
それはまァいいこととして、その会の幹事は持ち回りで務めることになっていた。次はいよいよ私の番、近ごろは夜飲み歩くこともあまりなく、写真塾の講座終了後にギャラリー近くで一杯という程度だから、適当な場所はすぐには思い浮かばない。それでも場所の予告は大ざっぱでもいいから、とりあえず言っておかなければならない。そこで思いつくまま、次回は神楽坂にしましょうと口走ってしまったのだった。
神楽坂と言えば、はるか昔に学生時代を過ごしたところ、もちろん街の表情はその当時とは大きく変わっているに違いないし、去年から写真塾に通うようになって、何回かカメラを首から下げて歩き回り、再び少しは身近な土地になったにはなったけれど、まだまだ路地のすみずみの雰囲気までは体に染み込んでいない。だから昔ながらの神楽坂の雰囲気を残しつつ、安価でおいしい料理とお酒を出してくれるお店の見当をつけるなどということは、どだい無理なことなのかもしれない。しかし、それでも何とかしなければならない。
地下鉄東西線の神楽坂駅を出て、坂上の交差点まで下り、その近辺から路地に入り、あとは足任せに歩いて回った。昼間歩いたときはあまり気づかなかったが、夜ともなればともる明かりが、そこかしこにこじんまりとした店が軒を連ねているさまを浮かび上がらせてくれる。
本多横丁のとある店先で、エプロン姿の年配の女将が道行く人に声をかけていた。今まで歩いて来た通りでは見掛けることのなかった光景だ。耳を澄ませば、「和食ですよ」と言っているようだった。店構えは確かに和風、神楽坂の細道ある店としては好ましい雰囲気ではあったけれど、いかにも高級そうな気配が漂っていた。
ちょっと興味を持ったことを見透かされたのだろうか、声を掛けられてしまった。
「ちょいとダンナさん、どうですか」
「少人数の集まりがあるから、歩き回ってパンフレットをもらっているだけですから」
「パンフレットはないですけどね、名刺型のものならありますよ。何人ぐらいの会なんですか」
「4・5人ですが」
「じゃァちょうどいい部屋がありますよ、ちょっと見てくださいよ」
といいながら先に立って歩いて行くものだから、店の中の様子を確かめるべく後をついていった。
入って右側にカウンター席、左側には小上がりが四つほど、奥の突き当たりが少人数用の座敷(二部屋)になっていた。お客が一人もいないことが気になったが、
「平日はなじみの人で埋まるんですよ、土曜日はダメ、観光客ばかりだから」
と、先手を打って話し始めた。
以下長くなるので、女将が問わず語りに語ったことをかいつまんでまとめておくことにする。
・お店を始めてから40年ほどたつこと
・今の建物は平成に入ってから建て替えたもので、20年ほど経っていること
・現在は息子さんが調理場を任されていること
・料理には手を掛けているから自信があること
・値段が高そうで入りにくいとよく言われること
・隣は酒屋だったけれど、最近になってついに店をたたんでしまったこと
・その土地を購入したのは、あの細木数子であること
訊けば、立て替えの際にはすべて取り壊して、新たに建て直したということだった。アユミギャラリーの建物のように、昔の姿を残しておいてほしかったと思っても詮ないこと、願わくは今の姿をとどめつつ歳を重ねていかんことを。
神楽坂
日本料理 河庄
posted by 里実福太朗 at 23:50|
フォト漫歩計