2011年01月31日

LIGHTROOM3

デジカメで撮影した画像は、近ごろではもっぱらRAW形式で保存してから現像処理している。その際重宝しているのが、写真処理・管理ソフトの「ADOBE PHOTOSHOP LIGHTROOM」だ。今まではバージョン2を使っていたが、最近バージョン3にアップグレードした。

一般にRAW形式の画像は、画像処理ソフトで現像しないとパソコンの画面で見ることができない。撮影した枚数が多いと、現像するだけでかなりの時間がかかってしまう、RAWで保存する利点は分かっていても、それを思うとRAW形式で保存するのはどうしても躊躇してしまう。

ところが「LIGHTROOM」を使い始めてから、RAWで保存することが全く苦にならなくなった。撮影した画像を「LIGHTROOM」に取りこむと、自動的にプレビュー画像を生成してくれるのだ。この機能が、画像を一枚一枚現像して確かめる手間を省いてくれる。あとはそのプレビュー画像を見て写真を選び、現像処理をしてからjpg形式やtiff形式で保存しておけばよいのだ。元のRAW画像は、劣化することなく、撮影されたときの状態のままで残る。ということで、今では手放せないソフトの一つになった。

ただ未熟な写真を、そこまでして保存しておく必要性があるのだろうかと問われると、答えの言葉を失ってしまう。まァそこを突き詰めていくと気持ちが萎えてしまいますので、気休めのためにしているのだということにしておきましょう。

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posted by 里実福太朗 at 23:37| 里ふくろうの日乗

2011年01月29日

CFカード海外パッケージ

サンディスク社製の400倍速(60MB/s)コンパクトフラッシュカードは、 例えばヨドバシでは8GBタイプで1万円を超えてしまう。他のネット通販でも同じような価格で販売されている。

ところが海外パッケージ製品だと半額程度になってしまう。海外パッケージは、海外で販売されている製品のことで、それが輸入されて日本で販売されているのだ。例えばアマゾンでそれを注文すると、現在のところ4780円で購入できる。円高効果ということもあるのだろうが、驚きの価格だ。海外用の製品であっても、日本での使用には全く問題はない。

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posted by 里実福太朗 at 23:52| 里ふくろうの日乗

2011年01月26日

「辻切りの里」を歩く

「大辻」は地区内の8箇所で、木に巻き付いて鎌首をもたげながら、邪悪な侵入者に目を光らせている。その「大辻」たちを見るために、昨日に引き続き井野の里を訪れた。

今までにも、「大辻」を探し求めて井野の里を歩き回ったことはあった。ただその時見たのは、雨風に打たれてくたびれた姿をさらしている「大辻」だった。付け替えられてまだ生き生きとした姿をとどめているうちに、確かめておきたいと思ってのことだった。

〔井野原1組〕
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谷津田に沿って歩く。振り返ると、ユーカリが丘のマンション群が、西に傾いた陽を浴びてそびえ立っていた。

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〔2番組〕
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谷津田では、農作業が始められていた。昨秋の稲の刈り入れから眠り続けて年を越した田に、耕作機械のツメが黒く太い線を描きながら耕していく。折りしも、谷津田の東側をモノレール「ボナ」がゆっくりと走って行った。今めかしい乗り物と田園風景との対比がおもしろい。

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〔1番組(2)〕
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谷津田から集落に続く坂道を上ると、梅の花の香りが鼻をつく。今年の冬は、例年に比べて冷え込む日が多いが、日当たりの良い場所では、春の訪れを感じさせる花が、一足早くほころび始めている。

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通りに面した家の垣根に、「小辻」の姿が見えた。昨日「辻」作りを見学した場所で作られたものなのだろう。

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昨日は、ワラ打ちから始まり、完成した「大辻」を木にかけるまでの一部始終を見学させていただいた。それが掛けられている場所は、昼でも小暗い坂道、現在の8箇所の中では、一番重い役割を課せられている「大辻」なのだ。

〔3番組〕
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陽もだいぶ西に傾いてきた。子どもたちに帰宅を促す曲が、どこからか流れてきた。すべての「大辻」を見ることは、もう難しい時刻になってしまった。残りの三体はまたの日ということにして、今日のところは5体目の「大辻」を見て帰途に着くことにしよう。

〔5番組〕
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posted by 里実福太朗 at 23:40| 里ふくろうの日乗

2011年01月25日

辻切り

佐倉市の井野地区では、「辻切り」という古くから伝わる習俗が、現在でも行われている。「辻」という言葉は、一般的には十字路あるいは人の行き来する道といった意味で使われるが、地元の人によれば、「辻」とはワラで作った蛇のことも指しているらしい。

ワラで作られた「辻」は、地区に通じる辻のかたわらの木に掛けたり(大辻)、家の門の近くに掛ける(小辻)。邪悪なものの侵入を防いでくれることを願い、加えて五穀豊穣を祈願するための伝統的な行事なのだ。

毎年1月25日、持ち回りの年当番の人たちが、地区の各所に集まり、ワラで大小の「辻」を作る。そして新しく作られた「辻」は、それまでの一年間、地区の暮らしを守ってきてくれた古い「辻」と取り替えられる。

お疲れさまでした
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一年間よろしくお願いします
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posted by 里実福太朗 at 23:40| 里ふくろうの日乗

2011年01月24日

カメラ・オブスキュラ

カメラ・オブキュラ/オブスクラ(camera obscura、camerae obscurae)とは、ラテン語で「暗い部屋」(カメラ…部屋、オブキュラ/オブスクラ…暗い)という意味らしい。現在のカメラの出発点となった原始的な装置で、原理はピンホールカメラと同じそうだ。

そのカメラ・オブキュラの大きな模型が、佐倉市立美術館の玄関ホールに設置されている。大人が二人入っても、まだ十分な空きスペースが残るほどの大きな箱なのだ。

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美術館に行ったついでに、実際に入って体験してみた。真っ暗な箱の中に入り次第に目がなれてくると、ピンホールを通って外の光景が上下逆さまの像となって目の前にぼんやりと浮かんできた。



posted by 里実福太朗 at 23:40| 里ふくろうの日乗

2011年01月21日

神楽坂出窓物語

開演は午後7時、アユミギャラリー内にはイスが所狭しと並べられ、満員の盛況ぶりだった。振る舞われた温かい生姜酒は、スッキリとした飲み口で、冷えた体を温めてくれた。以下、配られたパンフレットに従って、朗読劇「神楽坂出窓物語〔大寒篇〕」を紹介させていただくことにする。

作・演出/北河原梓
朗読/奈佐健臣、鈴木喜一
アコルデオン/高橋さとみ

このあと物語のあらすじの紹介へと続いていくのが順当なところだか、ここでは登場人物をただ列挙するだけにとどめておくことにする。その方が、人それぞれ自由に物語の世界を思い描くことができることだろう。

【登場人物】
主:本屋アユミ堂の店主
僕:本屋アユミ堂の現在の旅人職員
青年RG:神楽坂に住み、おでんを食べ、ギンコさんに恋する大学生
ギンコさん:おでん屋サカイの看板娘
スマコさん:おでん屋サカイの女店主

ちょうど鈴木喜一さんの水彩画展が開かれていて、ぐるりの壁には、モロッコ・ラオス・ベトナムなどで描かれた水彩画が数多く架けられていた。それらの絵と、高橋さとみさんが奏でるアコルデオンの音色とがあいまって、神楽坂を舞台にした物語であるのに、まるで異国の地の物語であるかのような気分に誘ってくれる。

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冒頭、「主」がアコルデオンの伴奏でうたう場面がある。そのうたは「大寒町」、少しかすれた声で、そしてすこし頼りなげに歌う。そこがなかなか味わい深い。

「You TUBE」に、あがた森魚さんの歌う「大寒町」がのっている。




俳優の奈佐健臣さんの語りは、聴衆を徐々に物語の世界へと引きずり込み、そして聞き入っている人たちは、いつしか一人芝居の観客となっていた。奈佐健臣さんは、近く関東でも公開される映画「青い青い空」にも出演している。

〔公開スケジュール〕
お台場シネマメディアージュ:3月5日(土)〜
TOHOシネマズ流山おおたかの森:4月9日(土)〜

詳しくは「青い青い空」公式HP
http://www.shodogirls.jp/top.html
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年01月19日

アジェの小屋

西荻窪「坂の上のけやき公園」にある一本のけやき「トトロの樹」の根もとには、そこが整地される前、かなり年季の入った小屋があったらしい。「トトロの樹とアジェの小屋」というウェブページを見ると、そう記されていた。そしてその小屋は、タイトルにあるように「アジェの小屋」と名付けられている。

トトロの樹とアジェの小屋

どうしてその小屋を「アジェの小屋」と名付けたのか、その点についてもウェブサイト「西荻大全」の作成者の方は記してくれていた。

『トトロの樹の生えている作業場も小さいときからそのままですが、樹下には素晴らしい小屋が建っています。フランスのシュールレアリズムの先駆者・写真家「ユジューヌ・アジェ」の写真集に出てきそうなたたずまいです。私はこの小屋を「アジェの小屋」と呼んできました。12・10・31』

アジェは、20世紀前後のパリの様子を30年間撮り続け、約8000枚の写真を残したと伝えられている。そしてパリという都市を撮影した写真家として、写真史にその名をとどめている。かつて「トトロの樹」の樹下にあった小屋が、そのアジェの写真集に出てきそうなたたずまいであったこと、その点が命名の理由なのだった。

アジェの写真集の中に、その小屋と同じような小屋の写真が実際に載っているというわけではなさそうだが、手元にあったアジェの写真集を開いてみることにした。以前世田谷美術館でフェリックス・ティオリエの写真展を観に行った時に購入したものだ。

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「Paris Eugène Atget」(アジェのパリ)
 出版社:TASCHEN(タッシェン)


おさめられている写真は1897年から1926年までのもの、フランス第三共和政の時代のパリを写した貴重な写真である。永い時間の堆積を感じさせる建物や路地の写真も多く含まれていて、ページを追っていくうちに西荻窪散策で訪れた同潤会住宅のことを思い出していた。

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関東大震災(1923年)後に設立された同潤会は、東京・横浜に鉄筋コンクリート造りのアパートを建設したが、戸建ての住宅も提供したそうだ。西荻窪に残る同潤会住宅は後者の戸建て住宅で、星霜を経たその姿は、「アジェのパリ」に収録されている写真の雰囲気に重なるものだった。

写真集の終わり近く、196・197ページに小屋の写真があった。その小屋が本来の「アジェの小屋」であり、「トトロの樹」の樹下にあった小屋を「アジェの小屋」と名付けた人が思い浮かべたのは、その小屋の写真だったのかもしれない。西荻窪の「アジェの小屋」は、きっとパリの「アジェの小屋」に通うものがあったのだろう。その小屋をそのままアジェの撮ったパリの街角に移しても、なんの違和感もなくスッポリとおさまるような気がする。
 

posted by 里実福太朗 at 23:40| 里ふくろうの日乗

2011年01月18日

西荻窪フォト散歩

今朝テレビをつけたところ、ちょうど「ちい散歩」をやっていて、地井さんが自転車屋さんに立ち寄った場面が流れていた。昨夜サッカーの試合を見て、チャンネルがそのまま10(まだアナログなんです)になっていたんでしょう。散歩の場所は西荻窪、なんという偶然でしょうか、西荻窪といえば先週の土曜日、神楽坂写真塾の撮影会で歩き回ってきたところなです。

撮影会で歩いたコースは、講師の北田さん選定のスペシャルコースだったが、地井さんはどんなコースを歩いたのか、比べてみようと番組のウェブサイトで確認してみると以下のようになっていた。

〔ちい散歩コース〕
八百松→なずな屋(古本)→アロー・トレイディング(オリジナル自転車)→坂の上のけやき公園→物豆奇(喫茶店)


一方、塾生たちが歩いたコースは以下の通りで、共通しているのは「坂の上のけやき公園」だけだった。

〔北田スペシャルコース〕
JR西荻窪駅

伊勢屋美術(ギャラリー寿庵)

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外観は高価な骨董品を扱っているお店にいかにも似つかわしく、カメラバックをたすき掛けにして、さらに小型リュックを背負っている身では、店内の貴重な品を傷つけるおそれがあり、入口から店内を覗き込むだけにとどめておいた。

伊勢屋さんの旦那さんは、西荻窪の商店会会長をなさっていて、日夜、町の活性化に奔走されているそうだ。吉祥寺と荻窪に挟まれ、土・日・祝日には快速電車が止まらないという立地条件を、街の活性化を妨げる要因としてとらえるのではなく、逆にそういう町の特性を良い方向に伸ばし、温かみを感じることのできる町づくりをしていきたいとあつく語っていらっしゃった。

私が生まれ育った吉祥寺は、すこし繁華になりすぎた。毎日がお祭りのようでは、いつもせき立てられているような感じで、ゆったりと歩いて回ることもできず、せっかく訪れても人波の印象だけが残ってしまいそうだ。会長さんのお話をうかがってから町を一巡りしてみて、立地条件をを逆手にとってうまく利用すれば、西荻窪は吉祥寺とは違った落ち着いた温かみのある町としてさらに発展する可能性を秘めていると感じた。

アトリエベガ(町の鍛冶屋さん)

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アトリエの中に入り、実際に溶接作業をしている様子を見学させていただいた。

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骨董通り

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同潤会住宅あたり

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善福寺川

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坂の上のけやき公園(トトロの樹)

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一時期伐採の憂き目に遭いそうになったこともあるらしく、その時は保存の署名運動がおこり、なんとか伐採されることは免れたそうだ。その後、現在のように整地されたということだ。以下のページに、以前の状態が分かる写真が掲載されている。ちなみに「アジェ」とは、古いパリの姿を写真にとどめた写真家のアジェ、「謎の書庫」とは荒正人氏の書庫ということだ。

トトロの樹とアジェの小屋
トトロの樹と謎の書庫

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茶舗あすか(駅前案内所)

JR西荻窪駅

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西荻窪駅に戻ったころ、町にはあかりが灯り始めていた。他にも足を止めた場所はあったが、主だった立ち寄りスポットはざっとこんなところだった。




posted by 里実福太朗 at 23:30| フォト漫歩計

2011年01月14日

岡本太郎のアトリエ

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岡本太郎記念館のある南青山の地は、1996年に岡本太郎さんが84歳で亡くなるまでの生活の場であり、そして創作の場でもあった。さかのぼれば、岡本一平・かの子夫妻が暮らした場所でもある。旧居は、戦火により灰燼に帰したということだ。

記念館の一階の東南の端にあるアトリエは、現在も公開されている。たぶん使用されていた当時と同じ状態のままなのだろう。中にまで入ることはできないが、入口のところから部屋全体の様子を眺めわたすことができる。

主を失うのと同時に、アトリエの空気まで死に絶えてしまったかのように、ひっそりと静まりかえっていた。「芸術は爆発だ」と叫ぶエネルギッシュな太郎さんの姿が印象に残っているが、そういう姿を目の前の空間から想像するとことは難しい。

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今年は岡本太郎の生誕100年、3月8日から5月8日まで東京国立近代美術館で「岡本太郎展」予定されている。
 
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posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

2011年01月13日

岡本太郎記念館

地下鉄「表参道駅」からゆっくり歩いて10分ほど、骨董通りを北に一本入った通りに「岡本太郎記念館」がある。

一昨年のヨーロッパ旅行の際に立ち寄ったルーブル美術館では、自由に写真撮影ができた(フラッシュは不可)が、日本では禁止している美術館が多い。ところが「岡本太郎記念館」では写真撮影ができるということを耳にして、そのうち行ってみたいと思っていた。

恵比寿ガーデンプレイスに行った日、ばかにならない交通費を有効活用するために、「つゆ焼きそば」を食べたあと青山まで足をのばして、「岡本太郎記念館」を訪れてみたのだった。



岡本太郎記念館のウェブサイトの解説によれば、壁の上に凸レンズ形の屋根がのっているユニークな建物は、ル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉準三の設計によるものだそうだ。

ル・コルビュジェといえば、建築界ではその名を知らない人はいないというほどの偉大な建築家らしい。ただ私がその名を知ったのは神楽坂写真塾に入ってからで、講師の北田英治さんが写真を撮り下ろした「ル・コルビュジェのインド」でその建築家の存在を知ったのだった。

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観覧料は600円。チケット売り場の係りの人が、こちらが訊ねる前に撮影可であることを伝えてくれた。多くの美術館が撮影不可としているのに、どうして許可しているのだろうか、そこにはどういう意図があるのだろうか、岡本太郎さんがそうするようにと言い残したのだろうか、出かける前はそのことを訊ねてみようと思っていたのだが、すっかり忘れてしまった。

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敷地内のカフェ

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posted by 里実福太朗 at 23:46| フォト漫歩計

東横線5000型第1号車両

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渋谷ハチ公前広場に設置されている東横線の車両は、昭和29年に登場した5000型の第1号車、昭和45年まで東横線を走った。

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運転席のフロントガラスから広場の先に視線をのばすと、スクランブル交差点を行き来する人波が見える。

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posted by 里実福太朗 at 22:23| フォト漫歩計

2011年01月12日

つゆ焼きそば

社員食堂は12時を過ぎれば混み合う。11時半ごろには恵比寿ガーデンプレイスに着きたかったが、家を出るのが予定していた時刻より少し遅くなってしまって、着いた時は12時を回っていた。案の定、たいそうな混みようで、ネクタイを締めたサラリーマン諸氏が、広い店内を埋めていた。

お目当ての「つゆ焼きそば」は、560円だった。プリぺイドカードの残金は540円、新たに1000円をチャージした。

いただきます

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麺がツユにひたっていれば、ラーメンとなるはずだが、一口すすったその味は、焼きそばのそれだった。あげ玉がたっぷりとかかっていて、たぬきソバも連想させる。いっそのこと「たぬき焼きそば」としてしまった方がいいかもしれない。

焼きそばをつゆに浸す必然性は…そんなことは考えても仕方がない、おいしければそれでよい。おいしいのかそうでないのか、その点は微妙なところかもしれないが、戦後の食料難の時代に生まれ育った者には、なんでもおいしく感じられてしまう。ラーメンを食べようか、それとも焼きそばにしようか、どっちつかずで迷ったときは、どっちつかずの「つゆ焼きそば」を食べればいいのだ、ということにしておこう。

ごちそうさまでした

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「グラムデリ」のコーナーには、先日初めて利用した際、勝手が分からずまごまごしていた私に、丁寧に利用方法を説明してくれた親切なオバさんが、今日もいた。コーナーの前を通る時、こちらを見てニコニコしているので、
「先日はありがとうございました」
と礼を言っておいた。また写真博物館に来た時、利用させていただきますよ、そんな意味を込めて。

posted by 里実福太朗 at 23:30| フォト漫歩計

受験シーズン

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京成電車の車内にて

 
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

2011年01月08日

ガーデンプレイス「エスパシオ」の来週のメニュー

恵比寿ガーデンプレイスタワー3F「エスパシオ」の来週(1月11日〜14日)のメニューです。

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「グラムデリ」のバイキングでは、「1」で終わる日は1.2円/1gが1.0円/1gになる。来週は、1月11日(火)がそのサービスデーに当たる。

またラーメンコーナーでは、12日水曜日のメニューが「つゆ焼きそば」、近ごろ汁に浸った焼きそばをだす店があるそうだが、そういった種類の焼きそばなのだろうか、ちょっと興味が引かれる。

posted by 里実福太朗 at 17:55| フォト漫歩計

2011年01月07日

昼食はガーデンプレイスの「g-DELI(グラムデリ)」で

恵比寿ガーデンプレイス内には、もちろんレストランはあるのだが、館内案内板にのっている店は、いづれも高級店の雰囲気が漂っていて、庶民的な店を好む者にとっては敷居が高い。

さてどうしよう、と思案しながら歩いていると、偶然「g-DELI(グラムデリ)」という店の看板を見つけた。西新宿の「Organic House」と同じシステムの店のようだが、こちらは1gが1.2円となっていた。「Organic House」は10g28円だから半額以下だ。さらにこちらはグラム単位なのだ。

「g-DELI(グラムデリ)」は、ガーデンプレイスタワー3階の「エスパシオ」内にある。ところが、恵比寿ガーデンプレイスのウェブサイトには載っていない。「エスパシオ」が商業施設ではなく、社員食堂という性格の施設であることがその理由のようだ。社員食堂ではあっても、もちろん一般の人も利用可能である。

「エスパシオ」内には、和食・洋食・中華を提供するコーナーがあり、「g-DELI(グラムデリ)」もそのコーナーの一つである。あらかじめ入口でプリペイドカードを購入し、すべてのコーナーでの支払いは、プリペイドカードで行う。最初はとまどったが、お金のやり取りをしなくてすむので、かえって清潔で便利である。

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和洋中を取りそろえて、しめて460円だった。1gが1.2円でこの値段だから、西新宿の「Organic House」では1000円を超えてしまうことになる。そういうことなんだナー。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

恵比寿ガーデンプレイスなう

SNC00351.jpg今年に入って初めての都心、写真美術館のある恵比寿ガーデンプレイスに来ています。
posted by 里実福太朗 at 14:18| フォト漫歩計

2011年01月06日

ウィキペディアの重要性

ウィキペディアがジミー・ウェールズ氏によって創設されてから、今年で10年になるそうだ。そのことに関して氏の感謝の言葉が、ウィキペディアに掲載されている。

ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズよりの感謝の言葉

ウィキペディアの運営資金が寄付金に依存していることは周知のことだが、その「感謝の言葉」によると、今年の寄付金は過去最高額を記録して、1600万ドルを調達できたということだ。また、寄付金に関する統計情報も紹介されているので、それを引用しておく。

*ウィキメディア財団への寄付の件数、50万件以上
*ウィキメディア地域別協会への寄付の件数、およそ13万件
*ウィキペディアができてからこれまでの一日あたりの寄付金額1位と2位の更新
*平均寄付金額、およそ22ドル

平均の寄付金額よりは少しばかり多い程度であるけれど、実は私の寄付金もその中に含まれているはずである。今までウィキペディアに寄付したことはなかったのだが、ある危機感から寄付しようと思い立ったのだった。今回特に多くの寄付金が集まったということは、ネット上で提供される情報が、特定の企業によって独占されることになるかもしれない、という危機感を持った人が多かったからなのかもしれない。

ある事柄に関してる調べようとする場合、一番手軽な方法は検索サイトを訪問して、検索窓にキーワードを入力して検索ボタンをクリックすることである。そうすれば、たちどころに情報の在りかをリストアップして示してくれる。事柄の種類によっては、ウィキペディアの該当ページが、検索リストのトップあるいは上位に表示されることもある。

去年のこと、ある人物について調べるため、まずある検索エンジンを利用してみた。ところがヒットしない。そこでもう一つの検索エンジンで検索してみると、ウィキペディアの該当ページがヒットした。ウィキペディアにはその人物に関する情報が掲載されているのに、最初に使った検索エンジンでは見つけることができなかった。なぜだろうか、そんな疑問を抱きながら何日かが過ぎた。

数日後、その人物についてもう少し確認したいことがあったので、再度検索してみた。まず最初の検索エンジンで、以前検索した時はまだデーターベスに登録されていなかったのかもしれない、そんなふうに思いつつ検索してみたがやはりヒットしなかった。そして、二番目の検索エンジンを使ってみたところ、以前はヒットしたのに、今回はヒットしなくなっていたのだ。

念のためウィキペディア内で検索してみたところ、当然のことながらヒットした。その人物の情報は、実際にはネット上に存在するのだ。しかし、検索エンジンで探しても見つからない情報というものは、その情報自体がネット上にないに等しいと思い込んでいる人にとっては、その人物に関する情報は、もうネットの世界には存在しないことになってしまう。世の中には、そう受け取ってしまう人も多いのではないだろうか。

ここからは推測になる。一般的に検索サイトの運営資金の多くは、広告収入によるものだと聞く。資金基盤がスポンサーに依存するものであれば、スポンサーの意向を無視できない場合もあるだろう。それが検索結果に影響を与える、ということも考えられる。ウィキペディアに登録されている情報が、スポンサーにとって都合の悪い情報であった場合どうなるのか、検索リストからはずされてしまうことだって可能性としてはある。

ウィキペディアの重要性を再認識したのは、こういうことがあったからだった。寄付金によって運営されていれば、外部のなんらかの影響力によって、情報が操作されてしまうというおそれもない。今後、特定の企業による情報の寡占化が進んで行けば、ますますウィキペディアのような存在の重要性が増していくことだろう。
 
posted by 里実福太朗 at 23:46| 里ふくろうの日乗

2011年01月04日

「フランス短編24」

撮りためた写真は、気に入ったものを何枚か選んでA4写真用紙に印刷する。そして、それを居間のソファの背もたれの上に立て掛けておいて、毎日のように眺めている。もちろん、ただボーと眺めているだけではない。露出・アングルなどについて、あるいはシャッターチャンスをうまくとらえているかなどなど、頭を右に傾けたり左に傾けたりしながら、沈思黙考すること長時間に及ぶこともある。ときどき頭の片隅から、「下手の考え休むに似たり」という声が聞こえてくることもあるが、それは無視する。

今日も里見駅で撮った子ネコの写真を眺めながら過ごすこと数分間、ふと目をあげてソファの後の本棚の上を見上げると、「フランス短編24」という本のタイトルが目に入った。いつ頃買ったものか、どうして買うことになったのか、頭のどこをたたいても記憶が甦ってくることはなかった。

手に取ってみると、本はホコリにまみれ、忘れ去られてからかなりの年数が経っていることは明らかだった。その本の存在をすっかり忘れていたということは、きっと買うだけ買って一度も目を通したことはなかったのだろう。とりあえずホコリを払い奥付を確かめると、以下のようになっていた。

現代の世界文学 フランス短編24
1975年2月28日第一刷発行
1980年4月10日第三刷発行
編者−−−渡辺一民

購入したのは1980年以降になる。三十代半ばの頃のことになるが、その頃フランス文学に特に興味を持った記憶もない。今までフランス文学にかかわることなどなかったけれど、モーパッサンの短編小説はきっと24作品の中に入っているに違いない、と見当をつけて目次を開いてみたが、そこにモーパッサンの名前はなかった。

編者の渡辺一民氏による巻末の解説文に、その理由が詳しく述べられていた。それを自己流に解釈してみると、このようになるだろうか。…モーパッサンに代表される短編小説は、あらかじめ作者が決めた結末へ向かって、物語の進展に寄与する要素だけが注意深く採用され、一切の無駄は排除されて語られていく。つまり、作者が全知全能の神となって、小説の世界をすべて支配する。それが19世紀の短編小説の傾向だった。

ところが20世紀に入り、そういう作者の在り方に懐疑の目が向けられるようになる。作者は全知全能の神ではなく、作品世界は作者にとっても未知のものであり、小説の現実の中を作者も共に歩んでいく。そしてたどり着く先は、作者にも分からない。従って結末は、読者の想像に委ねられる。…結末がない小説、結末は読者まかせ、そういう小説が新しい20世紀の小説ということのようだ。

さて、それでは30年ぶりに「フランス短編24」をひもといて読んでみることにしよう。少しは見覚えのある作家の名前もある。まずはそういう作家の作品から読んでみることにしようか。例えば、アナトール・フランス、マルセル・プルースト、アンドレ・ジッド、そしてジャン・コクトーなど、途中で投げ出して最後まで読み通せなかったら、活字が小さくて目が痛くなったということにしておこう。
 
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2011年01月01日

初詣

初詣は、例年通り鷲神社に参拝した。

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陽はすでに西に傾き、境内は冷気に包まれていた。参拝の人はときおり訪れてくるだけで、鳥たちの声が、深閑とした林の奥からやけに声高に聞こえてきた。

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境内の隅に、たき火をした跡が残っていた。近くの寺から除夜の鐘が聞こえる頃、土地の人たちがそこで暖をとりながら、新年のお参りをする人たちに甘酒をふるまっていたのだろう。何年か前の深夜、二年参りでこの神社に参拝したときに、甘酒をいただいたことがあった。

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鷲神社本殿の彫刻は、何度見てもその精巧な出来映えに驚きを新たにする。手前の供え物は、夫人が家から持ってきて置いたもの、それと引き換えににすでに置いてあった小さな鏡餅をいただいた。そのように交換することは習わしとして許されることだそうで、そのことは以前境内で出遭った土地の人から伺ったことがあった。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

あけましておめでとうございます

「里ふくろうコム」の「ようこそ」部分の画像を、卯年用のものに更新しました。

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ブログを書き始めたのが2006年のこと、タイトルは「福朗の足あと」から「里ふくろうの日乗」に変わりましたが、今年で6年目に入ります。更新の頻度は以前より低くなりましたが、これからも飽きもせず書いていきます。お時間のある時にでも、ちょっと立ち寄ってみてください。
posted by 里実福太朗 at 02:26| 里ふくろうの日乗