2011年04月28日

今日のイチハツ

イチハツは、いっきに五つの蕾が開花して、ニオイイリスと華を競っている。

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posted by 里実福太朗 at 23:28| 里ふくろうの日乗

2011年04月27日

イチハツが咲いた

昨夜来の暴風が吹き荒れる中、イチハツが開花した。昨年開花したのは4月29日、我が家にイチハツが来てから初めて咲いたその日を、勝手に「イチハツ記念日」に制定したのだった。その記念日より一日早かったが、同じ時期に開花したと言っても良いだろう。

大地震があって世の中が大混乱に陥る中、桜の季節はあっという間に過ぎ去ってしまった。時の流れの早さが、よりいっそう加速度を増したように感じられる。しかしそんな世情の騒がしさをよそに、自然はいつもの年と同じように正確に時を刻んでいたのだった。

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地面すれすれのところまで頭を下げているのは、強い風に負けて、茎が折れてしまったのではなかった。風圧をまともに受けないように、風下の方に体をなびかせていたのだった。自然の力にあらがうよりは、いっ時はそれになびいてやり過ごす方が得策ということだってあるのだ。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年04月26日

Le Petit Prince

フランス語講座の2年目が、先週から始まった。東日本大震災のため、予定されていた開講日より一週間遅れてのスタートだった。前年度からの継続講座だから、講師の先生も同じ、教科書も引き続き同じものを使う。当然受講者も同じとなるはずだが、脱落した人もいて、初回に顔を見せた人は半分ほどに減っていた。そして意外なことに、今年度から新たに加わった人が3人もいた。

昨年度は、大学キャンバス内の教室で授業が行われた。最初のうちは、教室に向かう学生たちと肩を並べながら歩いて行いると、何となく場違いなところに足を踏み入れてしまったような気分になることもあったが、慣れてくれば、学生気分を味わうのにはちょうど良かった。

今年度は、キャンパスから少し出たところにある大学の関連施設で受講することになった。建物は新しく、7階にある教室からの眺めは良い。以前より狭くなったが、机が「ロの字」に並べられていて、ふだんは演習用の教室として使っているのだろう。

2年目を迎えた今年は、ある目標を個人的に設けた。あの「星の王子様」を、原文で読んでみることにしたのだ。どうせ子供向きの読み物だから、小学生程度のフランス語能力があれば、読みこなすことはできるだろうと踏んだのだった。それが証拠に、岩波の「星の王子さま」(昭和37年発行)は、小学上級以上になっている。

しかし今日、フランス語版「Le Petit Prince」と一緒に届いた「対訳 フランス語で読もう 星の王子様」の『はじめに』には、次のように記されていた。

『本書は、初級文法をひととおり習い終えた方々、中・上級レベルの読解力を身につけたい方々を対象に、「永遠の名作 Le Petit Princeのフランス語の美しさを味わってみよう」という趣旨で企画されました。』

作者サンテグジュペリの母国フランスでは、この物語はどんな年齢層の人たちが読んでいるのだろう。同書の『あとがき』で、『サンテグジュペリの文体の格調高さと古風さ』と指摘している点を思えば、小学生上級どころか、人生経験を重ねた大人が読むのにふさわしいと言った方がいいだろう。

作者も、次のような献辞を巻頭に記している。
『子どもだったころのレオン・ウェルトに』(岩波版)

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年04月24日

ニオイイリスが咲いた

イチハツより一足早く、ニオイイリスが開花した。

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posted by 里実福太朗 at 23:56| 里ふくろうの日乗

2011年04月23日

今日のイチハツ

蕾の先端部分が、だいぶ濃い紫色になってきた。

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posted by 里実福太朗 at 17:00| 里ふくろうの日乗

上野のお山は若葉の季節へ

バロンを出てからは、都バスで上野公園まで出た。去年もよく利用した帰宅コースだ。上野公園に立ち寄ると、すでにソメイヨシノの季節は終わり、新緑の季節へと移って、4月中旬から下旬にかけて咲く遅咲きの桜が、ちょうど見頃になっていた。

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向かって左が「一葉」、右が「関山」


一葉・関山の花の下には、大きなブルーシートが敷かれ、席取り担当のサラリーマンが、所在なさげに座っていた。いくら花の下とはいえ、今ではもう「すさまじ」という感じだ。

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posted by 里実福太朗 at 02:01| 里ふくろうの日乗

2011年04月22日

久しぶりのバロンで

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久しぶりで訪ねたバロンは、何も変わっていなかった。あの大地震でも、被害はまったくなかったそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 15:26| 里ふくろうの日乗

新学期始まる

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大学の正門前では、クラブの勧誘の人混みで、大にぎわい。

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posted by 里実福太朗 at 12:33| 里ふくろうの日乗

2011年04月21日

罹災証明書

千葉県東方沖を震源とする地震が、22時37分頃に発生した。ちょうどテレビをつけている時で、画面に緊急地震速報が表示されたが、その時はすでに揺れ始めていた。千葉県沖を震源とする地震は、3月11日の大地震以後ちょくちょく発生したが、今回のは特に大きかった。千葉県北西部は震度4だった。

発生日時:21日22時37分頃
震央地名:千葉県東方沖
マグニチュード:M6.0
最大震度:震度5弱(千葉県北東部)



加入していた地震保険の方は、すでに担当者が来てくれて、家屋の損傷程度を鑑定してくれた。保険金の請求をするためには、公の機関から発行される罹災証明書が必要になるのだろうと予想していたが、その鑑定だけで保険金が支払われることになった。

屋根のムネの一部が壊れ、外壁の数カ所にヒビが入った我が家の損害の程度は、保険会社の鑑定人によれば、一部損ということだった。

結局のところ罹災証明書は必要なかったが、今後なにかの折りに必要になるかもしれないので、念のため罹災証明書の申請をしておくことにした。それが先週のことで、すぐ市役所の担当者が二人して来てくれて、被害状況を確認してくれた。そして今週に入り、その結果が郵送されてきた。被害程度は、一部損壊だった。

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なお佐倉市のウェブサイトによると、罹災証明書の申請には、以下のものが必要とされているが、実際の申請の際には建物図面は必要なかった。

【用意していただくもの】
・印鑑
・写真(被害がわかるもの)
・建物図面

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

開花を競う

イチハツもニオイイリスも、蕾がだいぶ膨らんできた。もうすぐ開花を迎えそうだ。

イチハツ
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ニオイイリス
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posted by 里実福太朗 at 22:00| 里ふくろうの日乗

2011年04月20日

片付けは福を招く

一階自室の南側にある板敷きには、かなりの量の段ボール箱が積み重ねられている。二階の納戸の段ボール箱をここで受け入れるためには、その段ボール箱のいくつかを減らさなければならない。

ただこれらの段ボール箱は、退職時に運び込んだものなども含まれて入れ、それらの中にはの比較的新しい資料などが納められて、おいそれと処分してしまうわけにもいかない。中身を確かめながら、地道にコツコツと片付けていかなければならず、納戸の整理よりは時間がかかりそうだ。

薄汚れた書類の束なんか、そのままドサッとゴミ袋に投げ入れてしまえば、ストレスを発散できて気分的にもすっきりする。だからそのようにしたいのは山々なのだが、その気持ちをおさえて、一枚一枚めくりながら分別する。

そんな地味な作業を続けているとき、茶色のシミが少し浮いている薄汚れた封筒がでてきた。そのままゴミ袋に放り込もうとしたが、なんとなく心に引っかかるものがあって、中身を確認してみることにした。

なんという僥倖だろう、中から福沢諭吉が顔を覗かせたのだ。封筒の中に閉じ込められて、早く自分を見つけてくれと、何年もの間言い続けて来たのだろう。私の手によって、やっと太陽の光を浴びることができるようになった。

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この薄汚れた封筒は、ひょっとすると福を招いてくれるかもしれない。福沢さんはさっそく財布に移し、封筒は大切にしまっておくことにした。
posted by 里実福太朗 at 20:53| 里ふくろうの日乗

2011年04月18日

今日のイチハツとニオイイリス

蕾がさらにふくらみ、紫色の部分も広がった。

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こちらは、ニオイイリス。

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posted by 里実福太朗 at 23:48| 里ふくろうの日乗

いちはやく咲いたのは

イチハツは、アヤメ科の中でも「いちはやく」花を咲かせることから、そう名付けられたという説がある。しかし我が家に庭でいち早く咲き始めたのは、ダッチアイリス(オランダアヤメ)だった。

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昨日はまだ蕾の状態だった。

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*ダッチアイリス




posted by 里実福太朗 at 14:57| 里ふくろうの日乗

2011年04月17日

イチハツの季節がやってきた

イチハツが我が家の庭に居を定めてから、二年目の春を迎えた。

それ以前は、ニオイイリス(たぶん)をイチハツと勘違いしていて、長い間、我が家にはイチハツがあるのだとばかり思い込んでいた。勘違いであることが分かったいきさつは、すでに書いたことがあるのでここでは省略して、イチハツ関連の記事へのリンクを載せておくことにする。

【「イチハツ」と「ニオイイリス」】
2008年04月23日
http://fukulog.sato296.com/article/14350398.html

【イチハツでなくても】
2008年04月24日
http://fukulog.sato296.com/article/14386382.html

【イチハツが咲かないなんて】
2008年05月07日
http://fukulog.sato296.com/article/14726638.html

【いちはつの花】
2009年04月20日
http://fukulog.sato296.com/article/28589659.html

【イチハツが来た】
2009年07月01日
http://fukulog.sato296.com/article/30230267.html

【現在開花中】
2010年04月29日
http://fukulog.sato296.com/article/37445562.html

【イチハツ記念日】
2010年04月29日
http://fukulog.sato296.com/article/37448056.html

何日か前に、庭のイチハツの様子を確かめたところ、まだ蕾の「つ」の字も出ていなかった。ところがここ何日かの暖かさによって、一気に姿を現し始めた。まだ蕾と呼べるほどの丸みを帯びた状態ではないけれど、先端部分が紫色にいろづき始めている。
 
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年04月14日

吉祥寺の家

木製の重い本棚は、生まれ育った吉祥寺の家の居間に置かれていた。居間の広さは四畳半程度、中央に大きな掘りごたつが切ってあったから、その周囲の残されたスペースはそれほど広くなかった。北側の壁際に置かれた二本の本棚、東側の一本の本棚が、さらに自由に使える空間を奪っていた。

父親は北側の本棚に背を向ける位置、南側の庭の見える場所に座った。母親は東側、子供たちはその他の場所に座ることになる。本棚には文学関係の本が並んでいた。父親がいるときは、その背中で隠れてしまう場所に、斎藤茂吉の「赤光」の初版本から改選三版までの数冊が並んでいた。父親がいなければ、必ずその書名が目に入ってくるのだから、いつの間にか斎藤茂吉の名前と「赤光」という歌集名が、記憶に刻まれることになった。

もともとこの吉祥寺の家には、権藤円立・花代夫妻が住んでいた。両親がその家を借り受けて長らく暮らすことになったのは、昭和15年(1940年)のことだった。私たち家族はその部屋を、居間として使ったり食事をとったりする部屋として利用したが、部屋の造りからすると、もともとは円立氏の書斎だったようだ。

くだんの本棚がその部屋に置かれた時期は不明である。今となっては、もう確かめようがない。ただその家で生まれた私が、物心ついた頃には、すでに「赤光」の数冊が本棚におさまっていた。

三本の本棚を分解しながら、こんなことを思い出していたのだった。分解されて長細い板の塊になった本棚は、庭に運び出しておいた。これで納戸も、抱えていた重さの幾ばくかは軽減されたことだろう。

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さて、片付けの第二段階に入ったところで、横浜からここ佐倉に転居して以来、一度も開けることがなかった段ボール箱の中から、思いがけないものが見つかった。あの吉祥寺の居間を撮った写真が見つかったのだ。重なっていた写真に張り付いている部分があって、注意深くはがしたのだが、一部残ってしまった。次の写真が、スキャナで読み込み、パソコンで多少修復した写真である。

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たぶん私が撮った写真だと思われるが、撮影したときのことが思い出せない。撮影した時期も忘れてしまっている。しかし、写真に写っていることからから、ある程度見当をつけることはできる。

晩年の父親は、お銚子一本程度の晩酌ですぐに真っ赤になり、東側に頭を向けて、掘りごたつと本棚との間におさまって寝てしまうのが常だった。ところがその写真を見ると、父親が横になって頭を置いたその場所に、黒い小さなちゃぶ台が置いてあるのだ。ということは、写真は父親が亡くなってから撮られたものということになる。また、昭和43年1月に父親が亡くなってからしばらくして、長年抱えていたその土地にまつわる問題に決着がついて、その家を去ることになった。

つまり、父親が亡くなってから転居するまでの間に撮影した、ということなのだろう。想像するに、いよいよその家を去ることになって、最後に記念として撮影しておいたのかもしれない。そんなふうに想像してみると、次第にそれが当て推量ではなくて、確かにそういう気持ちで撮っておいたのだ、と思われてくるのだった。
posted by 里実福太朗 at 01:49| 里ふくろうの日乗

2011年04月13日

整理の第二段階は玉突き方式で

昨日・一昨日と大きな余震があり、緊急地震速報が発令されるたびにヘルメットをかぶり、柱につかまりながら揺れがおさまるのをひたすら待った。そんなことを何回か繰り返した。緊急地震速報は肩すかしをくうことがあって、以前はあまり当てにしていなかった。しかし的中することもあって、近頃は当たらなければ幸いと思うようにして、それに注意することにした。

大地震の際、家の中で一番大きな被害を被った部屋は、二階の納戸だった。納めてあったのは主として書籍類だった。本棚が倒れ、床に本が散乱してしまって、中に足を踏み入れることができないほどだった。片付けようにも、どこから手をつけたらよいのか考える気力さえ沸いてこず、一週間ほどはそのまま放置していた。

しかしそのまま放置しておくわけにはいかない。手はつけないまでも、頭の中では着々と整理の計画は進んでいたのだ。

第一段階:平行移動方式
…これは以前から用いている方法で、片付け対象物を、ある場所からある場所へと移動して、とりあえずスペースを確保するための方法である。つまり、納戸内の床に散乱している書籍類を、いったん段ボール箱に移し替えてスペースを確保するのだ。

その際、不必要なもの、本来不必要なものなどないのだが、強いて不必要だと思いなして、そういうものは処分する。ただそのようにしたところで、モノの総量は大して減少しない。

今回の福島原発事故では、放射能で汚染された水の扱いが大きな問題となった。いろいろなタンクに移したところで、その総量は変わらない。結局、比較的汚染の度合いが低い水が貯蔵されていたタンクから汚染水を海に放出して、そこに高濃度の汚染水を貯蔵することにしたのだった。

この方法を玉突き方式と名付けるとすれば、納戸整理の第二段階も、この玉突き方式で行い、モノの総量をすこしは減らす算段をしなければならない。

第二段階:玉突き方式
…納戸にギッシリと詰まっていたモノの総量を減らすために、段ボール箱のいくつかを階下の自室に移す。その後、もともと自室にあったモノも含めて、要・不要の線引きをして、強いて不要と思いなしたモノを廃棄処分にする。

大地震発生から二ヶ月目に入り、第一段階の作業はほぼ終了した。書籍の8割程度は、段ボール箱に移した。空いた本棚は、分解して廃棄処分にした。この本棚は木製でとても重く、吉祥寺に住んでいたときから使われていたものだ。以来転居のたびに引っ越し荷物の一部となり、吉祥寺から横浜、横浜から千葉へと居処を変えてきた。

posted by 里実福太朗 at 18:31| 里ふくろうの日乗

2011年04月12日

柏井浄水場・東側施設で放射性ヨウ素不検出

4月12日の千葉県水道局技術部浄水課の発表によると、柏井浄水場の西側施設で4月11日に採取した浄水からは、放射性ヨウ素が不検出という分析結果が得られたということだ。これでやっと東側・西側の両施設で不検出ということになる。

〔4月11日採水分〕
柏井浄水場 (東側施設) 9時10分採水 不検出
柏井浄水場 (西側施設) 9時10分採水 不検出

第71報-千葉県水道局水道水における放射線量の測定結果について(平成23年4月12日)
http://www.pref.chiba.lg.jp/suidou/souki/0311dannsui-71.html

【柏井浄水場における水道水放射線量の推移】

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posted by 里実福太朗 at 11:33| 里ふくろうの日乗

千葉県東方沖で8時8分地震発生

今朝、千葉県東方沖を震源とする地震が発生した。

発生日時:12日08時08分頃
震央地名:千葉県東方沖
マグニチュード:M6.3
最大震度:震度5弱

http://www.jma.go.jp/jp/quake/3/20110412081006353-120808.html
http://tenki.jp/earthquake/detail-4711.html?r=rss20110412081915

千葉県北東部あるいは千葉県東方沖を震源とする地震は、3月11以降かなりの頻度で発生していたが、今回の地震は今までにない強い揺れを感じた。突然強い揺れが襲ってきたことで、震央が近いことは見当がついた。体感的には5弱程度ではないかと思ったが、千葉県北西部は震度4だった。

じわじわと大地震の震央が千葉に近づいてくるようで、多くの人が不気味な感じを抱いているような気がする。

posted by 里実福太朗 at 10:43| 里ふくろうの日乗

2011年04月11日

17時16分頃震度6弱の地震発生

11日17時16分頃、震度6弱の地震が発生した。

発生日時:平成23年04月11日17時16分頃
震央地名:福島県浜通り
マグニチュード:M7.0(暫定値)
最大震度:震度6弱

http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html

気象庁の発表によれば、千葉県北西部は震度4ということだったが、揺れはかなり激しく震度5弱程度だと思った。

1ヶ月前の大地震では、ガスのマイコンメータが地震を検知して赤ランプが点滅することはなかった。隣家では、赤ランプが点滅してガスが止まり、復帰の操作をしたそうだ。それを聞き、我が家のマイコンメータが故障しているのではないかと思い、千葉ガスに確かめたところ、メータが設置されている土壌の状態によって反応したりしなかったりするということだった。

ところが今回の地震では、赤ランプが点滅してガスが止まったのだ。先月の大地震とは揺れ方が違うようだったので、その違いによるものだったのだろうか。ともかくすぐに復帰の手順に従って操作したところ、3分ほど経ってから点滅は消えてガスが使えるようになった。

【マイコンメータの復帰の手順】
1.すべてのガス機器を止める。
 (マイコンメータの元栓は閉めない)
2.復帰ボタンのキャップを外す。
3.復帰ボタンを奥まで押して、すぐ指を離す。
 →ボタンは元に戻り、赤ランプは再び点滅する。
4.3分経過後に点滅が消えていれば、ガスは使用可能。

◎ガス栓の閉め忘れや、ガス機器の止め忘れがないのに復帰できない場合は、ガス漏れの可能性があるので、ガス会社に連絡しなければならない。

posted by 里実福太朗 at 18:19| 里ふくろうの日乗

「午後2時46分」

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居間の時計は、すこし傾いたまま「午後2時46分」を迎えた。
posted by 里実福太朗 at 15:20| 里ふくろうの日乗

2011年04月10日

柏井浄水場・西側施設は放射性ヨウ素不検出

柏井浄水場・西側施設の浄水は、3月31日にいったん放射性ヨウ素が不検出となった。しかしその後の検査では、放射性ヨウ素が検出される日が続いていた。そして4月10日の千葉県水道局技術部浄水課の発表によると、柏井浄水場の西側施設の4月9日に採取した浄水からは、放射性ヨウ素が不検出という分析結果が得られたということだ。

〔4月9日採水分〕
柏井浄水場 (東側施設) 9時10分採水 9.3ベクレル(Bq)/kg
柏井浄水場 (西側施設) 9時00分採水 不検出

第69報-千葉県水道局水道水における放射線量の測定結果について(平成23年4月10日)
http://www.pref.chiba.lg.jp/suidou/souki/0311dannsui-69.html

【柏井浄水場の測定結果推移】

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posted by 里実福太朗 at 18:49| 里ふくろうの日乗

キスは業平橋で

遠く平安の昔に書かれた伊勢物語の主人公は、在原業平がモデルであるとされている。真偽のほどは分からないが、その時代を代表する美女が小野小町、業平は美男の代表と言われている。

その業平が、京の都をあとにして東の方に旅立った理由は、伊勢物語では『身をえうなきものに思ひなして』とだけ記されいる。政争に敗れてのことだったのか、あるいは失恋の痛手をいやす旅だったのだろうか。幾多の苦難をくぐり抜けてやっとたどり着いたのが、『武蔵の国と下つ総の国との中』を流れる大きな川、すみだ川だった。

簡単にまとめてしまえば、これがいわゆる「東下り」と呼ばれている段の話なのである。そしてこのすみだ川の場面に由来する地名、あるいは橋の名前などが現在でも残されているのである。「業平橋」もその一つであることは言うまでもない。

東京スカイツリーへの最寄り駅は、東武鉄道では業平橋駅になる。近くに「業平橋」があることから、そういう駅名になったのであろう。駅名をひとたび耳にすれば、すぐにあの美男と呼ばれた在原業平のことを思いだし、さらに連想は伊勢物語の東下りの段へと続いていく。

かように歴史を背負う名前を駅名に持ちながら、東武鉄道は「業平橋駅」を「とうきょうスカイツリー駅」というような妙ちくりんな駅名に変えようと画策したのだ。なぜ自ら歴史の重みを否定する暴挙に出たのだろうか、業平さんがそのことを耳にしたら、きっと落涙して『いざ言問はむ』と歌ったことだろう。

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これが現在の「業平橋駅」だ。駅の改修は必要だとしても、駅名まで変えてしまうということは、ほんとうに許し難いことである。

さて、業平橋へと歩みを進めることにしよう。この橋の名前はいくらなんでも、「とうきょうスカイツリー橋」なんてことにはならないでしょうね。そんな危惧が現実のものにならないことを祈りつつ、業平橋から眺めた東京スカイツリーの姿を写真におさめておいた。

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634メートルに到達したスカイツリーの、全体像を撮るのはなかなか難しい。四苦八苦しながらアングルを工夫しているとき、タクシーが一台、業平橋のたもとに横付けした。車の中から和服姿の中年女性、そして高齢の男性が出てきた。どうやらスカイツリーを見るために、タクシーで乗り付けたらしい。男性の方はすこしふらつく足取りで、女性に手を取られながら数歩進んで空を見上げた。男の目には、そびえ立つスカイツリーの姿が映ったはずである。

その刹那、信じがたい光景を目にしたのだった。男が女性の肩を引き寄せて、キスをしたのだ。しかも軽く触れるというような程度ではなく、かなり濃厚なやり方だったのだ。目にした方が、思わず羞恥の情をもよおして目をそらしたくなった。女性の方は、拒むふうもなくはた目には自然な感じで、相手を受け入れていた。花柳小説の一場面が、目の前に繰り広げられているような錯覚に陥ったのだった。

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ひとしきりスカイツリーを眺めたあと、二人は待たせてあったタクシーに乗ってその場を去っていった。あまりにも生々しい光景を見せつけられた後遺症は、すこしばかり尾を引いていた。

気を取り直して思いを巡らしてみれば、そこは「業平橋」、若い恋人たちが、肩を寄せ合ってスカイツリーを眺める場所として、「業平橋」は格好の場所なのかもしれない。「なりひらばし」ということばの響きが、きっと現代と業平が生きた時代とを結びつけ、みやびな世界に二人を招いてくれることだろう。
posted by 里実福太朗 at 02:07| 里ふくろうの日乗

2011年04月08日

スカイツリーの足元でも地震被害

東京スカイツリーが完成時の高さである634メートルに到達したのは、3月18日午後1時半過ぎのことだった。東日本大震災が発生しなければ、メディアも大きく扱ったのだろうが、大地震から一週間だけしか経っていない時点ではそれどころではなく、ひっそりとその日を迎えた。

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スカイツリーは、なにしろ600メートルを超える高さである。地震発生時にどのようにゆれたのだろうか。揺れを低減するために、スカイツリーでは五重塔のような制震構造を採用しているらしい。塔の中央部に設けられた「心柱」と呼ばれるコンクリート製の円筒は、揺れを低減するために十分機能したのだろうか。その点に関する情報をぜひ公表していただきたいものである。

スカイツリーの建設地は、様々な検討を経て、最終的に現在の東京都墨田区に決まった。その過程では、その地区の地盤の弱さを指摘する声もあった。確かに江東エリアは、歴史をさかのぼれば武蔵野台地と下総台地とに挟まれた低湿地だった。周辺を流れる河川が氾濫を繰り返し、堆積した土砂によってできた土地なのだ。

現在はその地の東西を、荒川・隅田川が流れている。その二つの河川の歴史を調べてみると、いろいろ興味深いことが分かってくる。現在荒川と呼ばれている河川は、以前、荒川放水路と呼ばれた人工河川だった。その人口河川は、昭和39年に荒川放水路から荒川に名称が変更された。そして自然河川としての荒川は、あらためて隅田川と呼ばれるようになったそうだ。

荒川放水路 → 荒川(人工河川)
荒川(自然河川) → 隅田川

さて今回の大地震は、東日本の広域にわたって甚大は被害を及ぼした。ここ千葉県でも、浦安地区で液状化が発生して大きな被害を被った。そして東京では、荒川下流の河川敷(東側)でも亀裂・液状化が発生していたのだ。次のビデオに、その状態がレポートされている。映像の中には、スカイツリーの姿が遠くの方に映っていた。

[角田が行く]大震災後の荒川にも爪痕 (YouTube)



昨日、久しぶりでスカイツリーの建設現場に行ってきた。634メートルに達してから初めてのことである。そして以前歩いたことのあるコース、業平橋から大横川親水公園を再び歩いてみた。その途中、地震の影響ではないかと思われる場所があった。

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写真で分かるように、地面が波打っていた。中に入ってその周囲の状態も確かめてみたかったのだが、立ち入り禁止になっていた。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

7日23時32分震度6強発生

発生日時:平成23年04月7日23時32分頃
震央地名:宮城県沖
マグニチュード:M7.4
最大震度:震度6強

気象庁…地震情報(震源・震度に関する情報)
http://www.jma.go.jp/jp/quake/20110407233637384-072332.html

日本気象協会…地震情報
http://tenki.jp/earthquake/detail-4575.html

近頃は余震の回数が減り、最大震度もあまり大きくなくて、やれやれと思っていた矢先の大きな地震だった。千葉県北西部は震度4だった。

前回の3月11日の地震でもそうだったが、揺れが始まってからしばらくは、揺れがあまり大きくなりそうな感じはなく、そろそろおさまるかなと思っていたところ、あにはからんや揺れは次第にどんどんどん大きくなっていき、その状態がかなり長い間続いた


今回もそうだった。そろそろおさまるだろうと思っていても、揺れはなかなかおさまらなかった。すぐに手近にあったヘルメットをかぶった。ヘルメットは、最近買い足しておいた。すぐに外に出られるように、玄関のドアを開けておいた。

揺れは30秒ほど続いただろうか、さいわい前回のように船が大きく揺れるような状態にはならなかった。家具が倒れたり、本棚の本が飛び出して床に散乱するという事態には至らなかった。
 
posted by 里実福太朗 at 00:30| 里ふくろうの日乗

2011年04月05日

柏井浄水場の放射性ヨウ素が減らないのは、なぜ?

柏井浄水場は、佐倉市水道水の35%をまかなっている。その柏井浄水場の放射性ヨウ素131Iは、西側施設で一度不検出となった。しかし、その後、増減を繰り返していてなかなか不検出の状態に戻らない。ただ、国が示す指標値(乳児を含める)は下まわっている。

最新の測定結果は、4月5日午後2時現在のもので、以下の数値だった。

〔4月4日採水分〕
柏井浄水場 (東側施設) 9時10分採水 27ベクレル(Bq)/kg
柏井浄水場 (西側施設) 9時00分採水 33ベクレル(Bq)/kg

http://www.pref.chiba.lg.jp/suidou/souki/0311dannsui-62.html

〔これまでの水道水の放射線量の測定結果〕
http://www.pref.chiba.lg.jp/suidou/souki/documents/sokuteiichiran0405.pdf

【柏井浄水場の放射性ヨウ素測定結果の推移のグラフ】


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posted by 里実福太朗 at 19:03| 里ふくろうの日乗

2011年04月04日

久しぶりで都心方面へ

大地震以後、地元に引きこもって過ごす日々が続いていたけれど、昨日は、久しぶりで都心方面に出てみた。以下見聞きしたたことを、簡単に記しておくことにする。

最寄りのバス停までの間、我が家と同じように屋根瓦が崩れていたり、外壁にヒビが入っている家が何軒かあった。

地下鉄東西線は、計画停電に伴う特別ダイヤで運行。休日は、普通電車のみで快速はなし。

車内アナウンスによれば、緊急地震速報が発令されたときは、急ブレーキをかけて、緊急停車するということだった。さいわい乗車中、緊急停車することはなかった。

神楽坂の路地に足を踏み入れると、かなり年季の入ったアパートを目にすることもある。外観から想像すると、今回のような大きな揺れに耐えられそうにもないと思われる建物も、その姿をつなぎ止めていた。

しかし中には、我が家と同じように屋根の一部を応急処置している家もあった。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2011年04月01日

大地震発生から3週間目の今

大地震発生から3週間が経ち、もう四月になってしまった。2週目以降のことを、簡単にまとめておくことにする。

◇被災者数
〔警察庁発表〕4月1日午後9時現在
死亡:11,734人
安否不明:16,375人

◇余震
4月1日20時58分頃 岩手県沖    M5.9 震度4
4月1日19時49分頃 秋田県内陸北部 M5.1 震度5強
4月1日07時17分頃 宮城県沖    M4.3 震度3
4月1日02時21分頃 福島県沖    M4.5 震度3


◇屋根の修理
地震のため崩れた屋根瓦の応急処置をしてもらったのは、もう2週間ほど前のことになる。それ以来連絡のなかったが、朝の9時過ぎに工務店から派遣された職人さんが来てくれた。二人とも、前回とは違う人だった。今回は、屋根の修理費用を算出するための下見ということで、20分ほどで帰った。

◇地震保険
先週、契約している地震保険会社の査定員が、わが家の損傷程度を確かめに来た。地震発生以降査定員も多忙を極めているらしくて、いつ来てくれるか分からないということだったが、意外に早く来てくれた。

地震による被害は、屋根のムネの部分だけではなく、外壁にも細いひび割れが入っていることが分かった。以前はそのようなひび割れには、気がつかなかった。たび重なる余震によるものなのか、それとも、3月11日の震度5強の地震の際に、すでにひび割れが生じたが、それに気づかなかっただけなのか。

地震保険の保険金は、損害の程度を3段階に分け、その段階に応じて一定の金額が支払われる。我が家の場合は、一部損と認定された。一部損の場合は、建物の地震保険金額の5%(時価の5%が限度)が支払保険金となる。中古で購入して、約30年も住んでいる家だから、その額もたかがしれている。

〔一部損〕…地震等により被害を受け、主要構造部の損害の額が、その建物の時価の3%以上20%未満となった場合。

ひび割れは、ホームセンターで充填剤を購入してきて、応急処置をしておいた。

◇水道水
佐倉市の水道水の35%をまかなっている柏井浄水場で、放射性ヨウ素131Iが検出されたのは、先週のことだった。柏井浄水場の東側施設で、3月25日午前9時に採水した浄水から、130Bq(ベクレル)/kgの放射性ヨウ素131Iが検出されたのだ。厚生労働省が示した乳児による水道水の摂取を控える指標は100Bq/Kg、それを超える数値だった。水道水は乳児に飲ませることができなくなり、スーパではミネラルウォーターが品不足になった。

さいわい放射性ヨウ素は次第に減少して、3月31日採水分の測定結果は、柏井浄水場の西側施設では不検出、東側施設では24Bq/Kgとなった。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

柏井浄水場・西側施設は放射性ヨウ素不検出

4月1日9時30分、千葉県水道局技術部浄水課がウェブに発表した浄水の測定結果によると、柏井浄水場の西側施設では、放射性ヨウ素131Iがやっと不検出となった。

【千葉県水道局水道水における放射線量の測定結果について(平成23年4月1日)】
 千葉県水道局技術部浄水課
 平成23年4月1日9時30分現在
http://www.pref.chiba.lg.jp/suidou/souki/0311dannsui-57.html

◇測定結果(3月31日採水分)
〔浄水場〕      〔放射性ヨウ素131I〕(単位:Bq/kg)
ちば野菊の里浄水場    不検出
栗山浄水場         6.1
柏井浄水場 (東側施設)   24
柏井浄水場 (西側施設)   不検出
北総浄水場         18
福増浄水場        不検出

posted by 里実福太朗 at 11:25| 里ふくろうの日乗