2011年05月31日

震災復興特別委員会

まだ余震が続く昨今、それでもやっと震災復興の途についたというのに、政治の世界では、はや政局が動き始め、被災地のことそっちのけで権力の座を巡って風雲急を告げる事態になっている。

明日にでも野党が内閣不信任案を提出するそうで、マスコミも連日その件を取り上げている。今この時期にそれはないだろう、政治家とはほんとうに困った人種だとは思うけれど、国の将来にも関わることだから、その成り行きにはどうしても目が向いてしまう。

ニュース番組でも、もちろん国会での論戦を伝えることはあるが、短く編集されてしまっていて、ほんの一部分、時間にして2〜3分も扱われればいい方なのだ。テレビ局の思わくで、編集はかなり意図的に行われ、そういう報道を観てもなかなか論戦の全体像が見えてこないから、偏った印象を持ってしまうことになる。

そういうわけで、いつもはあまり観ることのない国会中継を観る仕儀となった。夕方以降のニュース番組で、各テレビ局がどの部分を切り取って、どのように伝えるのかという興味もあった。

今日行われる予定だった会議のうち、「震災復興特別委員会」がテレビ中継された。勤めを持っている人、長時間にわたる中継を見続けるのが難しい人は、「衆議院TV」のビデオライブラリに、会議の模様を収録したビデオが掲載されているから、それを観るのがいいだろう。

自民党の質問時間は、合計で2時間以上だった。ただ、そのうちの多くの時間は、あの「55分間の海水注入中断」に関するものだった。その件については、先週の会議で谷垣氏が、首相の指示で中断したのではないかと追求したものの、その後海水注入が続けられていたことが発覚して、谷垣氏が熱弁を振るったことは徒労となってしまったのだった。

そういう経緯があったにもかかわらず、またその件を取り上げ蒸し返すのは、時間と労力の無駄と思わざるをえなかった。午後に再開された会議でも、公明党の質問者がまたまたその件を取り上げ、同じようなことを問いただし、同じような答えが戻ってくるというやり取りが繰り返されるに及んでは、もう観続ける意欲も失せてしまった。

【衆議院TV】
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php

左フレームの「5月31日」をクリック
↓(次の画面で)
「震災復興特別委員会」をクリック
(ビデオ再生ソフトは、メディアプレイヤーまたはリアルプレイヤーを選択)

【震災復興特別委員会】
案件(議題順):
 東日本大震災復興基本方針・組織法案(177国会閣70)
 地方自治法の規定に基づき、現地対策本部設置に関し承認を求めるの件(177国会承認5)
 内閣法・内閣府設置法改正法案(177国会閣71)
 東日本大震災復興再生基本法案(177国会衆8)

◆説明・質疑者等(発言順):   開始時間  所要時間
 黄川田徹(震災復興特別委員長)    9時 00分  02分
 階猛(民主党・無所属クラブ)  9時 02分  15分
 田中康夫(国民新党・新党日本)  9時 17分  17分
 中川秀直(自由民主党・無所属の会)  9時 34分  1時間 09分
 西村康稔(自由民主党・無所属の会)  10時 43分  1時間 03分
 大島理森(自由民主党・無所属の会)  11時 46分  20分
 黄川田徹(震災復興特別委員長)    14時 00分  01分
 斉藤鉄夫(公明党) 14時 00分  50分
 高橋千鶴子(日本共産党) 14時 50分  31分
 阿部知子(社会民主党・市民連合)   15時 21分  18分
 浅尾慶一郎(みんなの党)       15時 39分  22分

◆答弁者等
大臣等(建制順)
 菅直人(内閣総理大臣)
 松本剛明(外務大臣)
 野田佳彦(財務大臣)
 高木義明(文部科学大臣)
 細川律夫(厚生労働大臣)
 海江田万里(経済産業大臣 原子力経済被害担当)
 松本龍(環境大臣 防災担当大臣)
 枝野幸男(内閣官房長官 沖縄及び北方対策担当大臣)
参考人等(発言順):
 武藤栄(参考人 東京電力株式会社 取締役副社長 原子力・立地本部長)
 班目春樹(参考人 原子力安全委員会委員長)

(出典:衆議院TV)

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

日本語入力システムが使えなくなったKさんのパソコン

同じ町内会のKさんから、パソコン・ヘルプの連絡があった。聞くところによると、ワープロソフトを立ち上げても、日本語の入力ができなくなってしまったそうだ。電話で状況を尋ねてもラチがあかないので、自転車を飛ばして行ってみることにした。

「いつもすまんねぇ」
ちょっと憔悴した表情を浮かべながら、招き入れてくれた。Kサンの家は、我が家とは違って、いや私の居室とは違って、いつもきちんと整理されている。
「いつもきれいになさっていますね」
「目障りなものがあると、すぐ捨てたくなってしまうだけのことだよ」
「そうですか」
「ただね、パソコンの中だけはなかなか整理できなくてね」
私のハードディスクは、内容ごと、あるいは日付ごとにフォルダを作り、さらに階層構造化して整理している。部屋の片付け具合ではKさんにかなわないが、ハードディスク内の整理の仕方では、私の方が一歩も二歩も先んじている。

不具合の原因は、Kさんの内に潜む片付け魔がしでかしたことだった。ある日、「Cドライブの残り容量が少なくなりました」というメッセージを見るや、Kさんはハードディスク内の整理をしようと思い立ったのだった。あまり使ったことのないソフトを削除することにして、マニュアルと首っ引きで作業を進めた。

まず「コントロールパネル」を開き、「プログラムの追加と削除」の画面を表示して、あまり見かけたことのないソフト名を探し出し、ファイル容量の大きなソフトから順に、せっせとアンインストールを進めていった。

オフィス系のソフトはワープロソフトや表計算ソフトなどが統合されていて、ソフト全体の容量はかなり大きい。Kさんはそれに目をつけた。「ワード」はよく使っていたが、「オフィス」にその「ワード」が含まれているとはつゆ知らず、部屋のものをどんどん捨てるやり方で、潔く躊躇することなく削除してしまったのだった。それが、大失敗だった。そのために、日本語入力システムが使えなくなってしまったのだ。いくら整理好きでも、こんなふうにやり過ぎてしまっては、かえって面倒なことになる。

「オフィス」の再インストールを試みたが、エラーメッセージが表示されてインストールできない。インストーラーが壊れているようなので、ダウンロードしてそれをインストールしてから再度試みたが、やはりインストールできなかった。

「システムツール」の「システムの復元」機能を使って、「オフィス」をアンインストールする前の状態に復元してみたが、やはり日本語入力システムが働かない。こうなった以上、もう「ウィンドウズ」の再セットアップしか道は残されていない。その最後の手段を試みることにした。

再セットアップには、小一時間ほどを要する。パソコンが一所懸命働いてくれている間、Kさんの入れてくれたコーヒーを飲みながら、世間話をして時間をつぶすことになった。
posted by 里実福太朗 at 02:11| 里ふくろうの日乗

2011年05月29日

今日のゴーヤー(2)

関東地方が梅雨入りしたのは、関西方面が梅雨入りした翌日、5月27日(金)のことだった。その後台風2号が、今の時期には珍しく日本を直撃しそうなコースに乗って、どんどん勢力を強めていった。そのままの勢力で進んで来れば、大きな被害は避けられない状況だった。しかし幸いなことに、四国の沖の方で勢いを失い、熱帯低気圧になった。

ここ佐倉地方でも、台風の影響で梅雨前線が刺激され、午後になって時折強い雨が降った。ただ想像していたような暴風雨になることはなかった。雨が小降りになったとき、庭に出てゴーヤーの成長具合を確かめてみたところ、すくすくと育って53センチにもなっていた。なんという生命力・成長力なのだろう。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年05月27日

滝かつとし展…里からの便り

神楽坂の「アートガレーkakurazaka」では、現在「滝 かつとし展…里からの便り」が開催されている(5月29日まで)。ゆったりと広がる里の風景にひたってみたり、かわいらしい猫の絵とともに過ごす静かな時間を持ちたいと思っている人にとっては、滝かつとしさん描くところの「里からの便り」展は、その願いをきっと叶えてくれるにちがいない。

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「アートガレーkakurazaka」は、アユミギャラリーと同じ敷地内に建つ高橋ビルの地下一階にある。ギャラリーにはカフェが併設されているので、コーヒーを飲んでから隣接の会場に足を運んでもよく、また絵を見てからコーヒーを飲んで疲れをいやしてもよい。さらに、絵を見ている途中で疲れたら、コーヒーを飲みながら一休みするというような利用の仕方もある。

コーヒーを好まない人は、カフェの中を通ってギャラリーに行くことをためらうかもしれない。そういう場合は、高橋ビルの正面入口から入り、階段を地下一階まで下りると、別のギャラリー出入り口がある。そこを利用すると、カフェを経由しないで直接ギャラリーに入ることができる。

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滝かつとしさんは、東京での会社勤めのかたわら絵の勉強を続けられたそうだ。2004年に初の個展を開催したのち、作家活動に専念する決意を固め、2006年に故郷である茨城県の大子町に戻り、以後その地で制作活動を続けていらっしゃる。

絵に描かれている猫は、滝さんが飼っていた猫なのだそうだ。まだ東京に住んでいた頃、自宅の縁の下で生まれた子猫を、家族の一員として迎え入れ共に暮らすようになった。爾来14年、残念ながら今年の4月にあの世へと旅だった。奇しくも大震災のあの日から一ヶ月後のことだった。

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フクロウもいるよ。

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なお、「アートガレーkakurazaka」での展覧会は5月29日で終了するが、6月1日からは仙川にある「ギャラリー蔵」でpart2が開催される。

【滝かつとし展…里からの便り】part2
期間…2011年6月1日(水)〜6月6(月)
場所…ギャラリー蔵
http://chofu.com/units/36243/19721205/#LINK
開廊時間…11:00〜18:00
(最終日17:00まで)
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年05月26日

関西方面は梅雨入り

午後2時の気象庁の発表によると、中国地方・四国地方・近畿地方が梅雨入りしたらしい。いづれの地も、昨年より18日も早く梅雨に入ったということだ。

【tenki.jp】
http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-3371.html

庭のアジサイが咲いた。梅雨の気配をいち早く察して、花を開いたのだろう。アジサイとしては珍しく、毎年真っ白な花をつける。ただ、ふっくらとした白い花が咲きそろうのは、もう少し先のことになりそうだ。

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5月14日の時点では、まだこんなに小さかった。

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posted by 里実福太朗 at 23:32| 里ふくろうの日乗

今日のゴーヤー

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ゴーヤ−のツルは、笹の葉の方に巻き付いてしまった。そちらの方が、巻き付くには適当な太さだったということなのだろうか。

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posted by 里実福太朗 at 21:48| 里ふくろうの日乗

2011年05月25日

五月晴れは今日が最後?

ときどき思い出したように発生する余震に気をとられて過ごしているうちに、もう5月も残り少なくなってきた。福島原発では、今ごろメルトダウンが明らかになり、安定冷却への道筋はまだ見えていない。天気予報では、今日を最後として梅雨入りまで晴れの日は望めないそうだ。ならば今日の晴天を逃しては、青空の下で谷津田の風景を撮しておくことができなくなってしまう。そう思うと、家にこもってフランス語の勉強をする気分になれるはずはなく、カメラを担いでいつもの散策コースに出かけたのだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:47| 里ふくろうの日乗

2011年05月22日

いま描き残す日本の近代建築−鈴木喜一水彩画展

フランス語講座の授業が終わってから、ほんのちょっと足を伸ばして、早稲田奉仕園に立ち寄ってみた。その敷地内にあるスコットホールギャラリーでは、現在開廊特別展として「いま描き残す日本の近代建築−鈴木喜一水彩画展」が行われている。

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【早稲田開廊特別展】
http://www.hoshien.or.jp/gallery/exhibitions.html
http://daichinoie.blog6.fc2.com/blog-entry-6329.html

早稲田奉仕園スコットホールをはじめとして、全国に残る近代建築を現地で描きとめた水彩画約40点が展示されている。

期間:2011年5月19日(木)〜31日(火)
…5月25日(水)休館
開館時間:12:00〜19:00
…日曜日は18:00まで

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2011年05月20日

余震は続く

コーヒーを入れるためにお湯を沸かしている時、揺れた。久しぶりで味わう少し強めの揺れだった。すぐにテレビをつけた。以前はもう少し早く地震情報が表示されたような気がするが、近頃では何分か経たないと表示されない。震源は茨城県沖、最大震度は4、千葉県北西部は震度3だった。午後にも、震度4クラスの地震が2回あった。

以下に、今日(2011年5月20日)発生した地震を、時系列順に一覧表にまとめておいた。データの出典は、tenki.jpの地震情報である。

発表時刻 発生時刻 震源地     M  最大震度
〔2011年5月20日〕
4時35分 4時30分 青森県下北地方 M2.8 2
4時46分 4時42分  福島県沖    M3.9 2
7時00分 6時55分  宮城県中部   M2.4 1
7時06分 7時02分  宮城県沖    M3.8 1
7時09分 7時04分  福島県浜通り  M3.1 1
7時43分 7時38分  宮城県中部   M2.6 1
8時57分 8時52分  福島県浜通り  M3.6 1
9時07分 9時02分  茨城県北部   M3.3 1
9時14分 9時10分  宮城県沖    M4.4 2
9時56分 9時46分  茨城県沖    M5.8 4
12時39分 12時35分 秋田県内陸南部 M2.3 1
12時54分 12時50分 福島県沖    M3.9 2
13時53分 13時48分 茨城県北部   M3.5 2
14時09分 14時04分 秋田県沿岸南部 M2.7 1
15時09分 15時05分 福島県浜通り  M2.6 1
16時33分 16時28分 福島県沖    M5.2 4
16時41分 16時36分 福島県沖    M3.5 1
18時01分 17時53分 茨城県南部   M4.6 4
19時40分 19時36分 富山県西部   M2.8 1
20時08分 20時04分 茨城県沖    M3.3 1
20時21分 20時16分 茨城県沖    M4.0 2
20時47分 20時42分 宮城県沖    M4.3 2
21時35分 21時31分 宮城県沖    M3.4 1
22時03分 21時59分 福島県沖    M3.5 1
22時25分 22時20分 茨城県北部   M2.7 1
23時18分 23時13分 新潟県中越地方 M2.5 1
23時53分 23時49分 福島県浜通り  M3.3 1

鴨長明が書いた「方丈記」には、「元暦の大地震」の発生後、余震は3ヶ月ぐらい続いたと記されている。これからもまだまだ余震が続くことは、覚悟しておかなければならない。

『かくおびたゝしく振る事は、しばしにてやみにしかども、そのなごりしばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうゝゝ間遠になりて、或は四五度、二三度、若しは一日まぜ、二三日に一度など、おほかたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。』
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年05月19日

屋根修復工事は梅雨明け頃

大地震発生から2ヶ月以上経ったが、屋根瓦の崩れた部分は依然として応急処置をしただけで、復旧には至っていない。

工務店の人が見積書を持ってきてくれたのが、4月の中旬頃のことだった。崩れたムネの一部分を修復する費用として、見積書には40万円以上の金額が記されていた。見積書には工事内容の詳細は記されていなかったので、工務店を介して瓦業者に説明を求めたら、次の週に来てくれた。

説明によれば、ムネのすべての瓦を交換するため、その金額になったということだった。崩れた部分だけでなく、瓦がずれている部分もあるので、この際すべて交換した方がいいでしょうと言う。屋根全体のバランスを崩さないためには、全体を交換した方がいいとも言う。

見積書通りの工事を依頼すると、その工事費は地震保険によって支払われる保険金を軽くオーバーしてしまう。頭の中でソロバンをはじきながら難色を示していると、崩れた箇所を含む水平部分のムネだけを修復する場合の金額を、その場ではじき出してくれた。その場合は、最初の見積もりの半額程度になってしまうのだった。

見積書の再提出を依頼してから、着工時期をたずねたところ、梅雨が明けてからになってしまうということだった。雨が降れば工事はできない。さらに余震が続いていると、工事に入るタイミングを見計らうのが難しいそうだ。せっかく瓦を交換しても、余震があると、また瓦がずれてしまうおそれがあるからだ。ということで、工事は遅々として進まないことになってしまう。

できれば梅雨入り前に直しておきたかったが、依頼件数が100軒以上ということであれば仕方がない。近頃は天候が安定傾向にあり、余震の震度も小さくなってきているので、瓦交換工事もはかどっているにちがいない。工事が早まることを期待して待っていることにしよう。
posted by 里実福太朗 at 23:15| 里ふくろうの日乗

2011年05月17日

ゴーヤーを植えた

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午後、ゴーヤーを庭に移植した。もちろんただ植えただけではなく、ずんずん伸びていくはずのツルを絡ませてあげる支柱も立てておいた。それから、ホームセンターの説明員のおじさんが、ゴーヤーの植え方・育て方について得意そうに説明してくれた際、ポケットから出して渡してくれた試供品の肥料もまいておいた。

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この株は、ツルが伸び始めていた。もう少し伸びたら、支柱に誘引した方がよさそうだ。


posted by 里実福太朗 at 17:37| 里ふくろうの日乗

2011年05月16日

ゴーヤー

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去年の夏は、向かいの家の道路に面した柵に、ゴーヤーのツルがあれよあれよとのびていき、大きくて立派な実がたくさんなった。まるまると実ったゴーヤーを見ながら、来年は我が家でもゴーヤーを栽培しようとひそかに思ったのだった。

昨日近くのホームセンターに行った際、ゴーヤーのポット苗が売られているのを見つけ、さっそく買い求めた。いくつ買ったらよいのか思案しているとき、「説明員」の腕章をつけたおじさんの姿が目に入り、これ幸いとその点を尋ねてみた。70〜80センチ程度のの間隔で植えるとよいということだったので、三つほど買い求めた。

去年、向かいの家のゴーヤーが豊作だったのは、異常に暑い夏だったのがその理由なのかもしれない。ゴーヤーの生育のためには、今年も暑い夏を期待したいところだが、今夏は大震災の影響で節電しなければならないから、それを願うわけにもいかない。

さて、何本くらい収穫できるだろうか。10本以上を願いたいところだが、捕らぬ狸の何やらにならないためには、まずは地面に移植しなければ話にならない。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年05月14日

復興応援メニュー

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「餃子の王将」で野菜煮込みラーメンを注文すると、代金550円のうち100円が義援金として被災地に送られる。このメニューは、震災後の仙台で「餃子の王将」が炊き出し用として提供したラーメンを再現したものだそうだ。野菜不足になりがちな被災地の食生活を考慮してのことなのだろう、麺の上に野菜がたっぷりとのっていた。

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posted by 里実福太朗 at 01:25| 里ふくろうの日乗

2011年05月13日

浜岡原発停止の妥当性

浜岡原子力発電所の停止要請つについては、あまりにも唐突すぎるとか、手順を踏んでいないとか、エネルギー政策の議論を尽くしてから行うべきだったなどと否定的な考えを述べる人もいる。ニュースステーションを見ていたら、寺島実郎氏も政策面での欠如を指摘していた。しかし、仮にこういった指摘が当たっていたとしても、浜岡原発を止めたことの妥当性を覆すことはできないと言うべきだろう。

東日本地域の地震発生の可能性について、地震調査研究推進本部が提示した発生予想確率は非常に高いものだった。そして、実際にあの大震災が発生したのだった。こういう事実を突きつけられれば、同じく地震調査研究推進本部が示した想定東海地震の地震発生確率「87%」は、無視することができなくなってしまう。

浜岡原発は、その想定震源域のど真ん中に建設されているのだから、手順に従って事を進めたり、エネルーギー政策について議論を重ねたりする時間的余裕などはない。ともかくまず原発を止める以外に、採るべき方策などないと言わざるを得ない。そこからエネルギー計画を再起動するより仕方がないのだ。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年05月12日

東南海地震発生確率87%の典拠

菅首相が記者会見で、浜岡原子力発電所の全面停止を要請したことを明らかにしたのは、5月6日のことだった。その会見の冒頭で、首相は次のように発言した。

『文部科学省の地震調査研究推進本部の評価によれば、これから30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫をしております。』

菅内閣総理大臣記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201105/06kaiken.html
平成23年5月6日、政府インターネットテレビ

中部電力はこの要請を受けて、5月9日に運転停止要請を受諾した。具体的な数値を示してその危険性が指摘されたのだから、当然の決断ということなのだろう。そして、停止作業は13日未明から開始するそうだ(フジテレビ系(FNN)5月12日(木)12時55分配信)。

さてこの「87%」という数値は、今までに聞いたことがなかった。首相会見では、文部科学省の地震調査研究推進本部で算出された数値ということだったが、いつ頃この数値を発表したのだろうか。地震調査研究推進本部のウェブサイトで確認したところ、今回の東日本大震災発生以前の2011年1月1日が、算定基準日になっていた。

地震調査研究推進本部
http://www.jishin.go.jp/main/index.html

↓ (トップページの左下)

地震予測地図
ウェブサイト全国版
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/index.html


【中部地方】
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/chubu/chubu.htm

(ページ中程へスクロールダウン)
地震のリスト(以下の順にクリック)
→海溝型地震
→南海トラフ
→想定東海地震

 マグニチュード 8程度
 地震発生率 87%(参考値)

ここに「87%」という予想値が載っていた。算定基準日は2011年1月1日になっていた。

想定東海地震の想定震源域
「もしこの地震が発生したら」
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kaiko/k23_tokai.htm

この地震調査研究推進本部のウェブサイトには、全国のデータも掲載されている。そこで、東日本の地震発生率についても確認してみたところ、「三陸沖から房総沖」の地域では、特に「三陸沖北部(固有地震以外のプレート間地震)」・「宮城県沖」・「三陸沖南部海溝寄り」が高い地震発生確率を示していた。

三陸沖北部(固有地震以外のプレート間地震)
 マグニチュード:7.1〜7.6
 地震発生確率(30年以内):90%程度

宮城県沖
 マグニチュード:7.5前後
 地震発生確率(30年以内):99%

三陸沖南部海溝寄り
 マグニチュード:7.7前後
 地震発生確率(30年以内):80〜90%

地震調査研究推進本部は、平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災によって明らかになった課題を踏まえ、地震防災対策の強化・推進を進めるために設置されたそうだ。

算定基準日の2011年1月1日には、上記のように非常に高い確率で地震発生の可能性が予想されていたのだから、それを広く周知させることはできなかったのだろうか。地震発生の予想の難しさは言うまでもないことだが、せっかくの調査・研究の成果が生かされなかったのは、かえすがえすも残念なことである。

「地震調査研究推進本部とは」
http://www.jishin.go.jp/main/p_shokai01.htm#1

なお、千葉県周辺についても確認してみたところ、茨城県沖で以下のようになっていた。今回の三陸・宮城沖の地震と連動して発生した地震のことなのだろうか。

茨城県沖
 マグニチュード:6.7〜7.2
地震発生確率(30年以内):90%程度以上
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kanto/kanto.htm

将来の地震発生の可能性
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kaiko/k07_ibarakioki.htm
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年05月09日

初夏を迎えた谷津田

イチハツは最後の二つの蕾が開いた。イチハツの季節が終われば、もう初夏に入る。天気予報によれば、明日から天気が崩れて終日間は晴れ間を見ることができないらしい。雨が降り始める前に、今日も谷津田に行ってみた。

谷津田に沿うように、時にはまたぐようにモノレールが走り、急速に都市化が進んでいる佐倉地方ではあるけれど、少し奥に入ればまだまだ谷津が残っていて、その地形を利用した谷津田では、今でも稲作が行われている。ただ農作業に従事している人たちは、ご多分に漏れず高齢の人が多く、谷津田が耕作放棄地となってしまうことも危惧される。

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posted by 里実福太朗 at 23:39| 里ふくろうの日乗

2011年05月07日

絵画展

同じ職場で仕事をした元同僚から、絵画展の案内状をいただき、会場となった船橋市民ギャラリーに行ってきた。退職してから絵画教室に通いはじめ、水彩画の勉強をしているということは以前から聞いていた。その教室で学ぶ生徒たちのグループ展に、初めて出展したということだった。

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posted by 里実福太朗 at 22:00| 里ふくろうの日乗

2011年05月06日

第二回フランス語講座

フランス語講座が行われている教室前の廊下から、キャンパス近くのロータリーを見下ろす。

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posted by 里実福太朗 at 22:00| 里ふくろうの日乗

田植えが始まった

毎年、五月の連休のころ、周辺の谷津田では田植えが行われる。大震災があり、さらに土壌の放射能汚染も心配されたが、今年も例年通り田植えが始まった。

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posted by 里実福太朗 at 02:03| 里ふくろうの日乗

2011年05月05日

ジャーマンアイリスが咲いた

我が家の庭に咲くアヤメの仲間の最後を飾って、ジャーマンアイリスが咲いた。

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咲いた順序をまとめておくと、以下の通りだった。

ダッチアイリス
ニオイイリス
イチハツ
ジャーマンアイリス

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写真には、手前から奥に向かって、イチハツ、ニオイイリス、そしてジャーマンアイリスが写っている。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2011年05月04日

鴨長明の地震体験記

近頃は余震の回数が減り、震度も1・2であることが多く、やれやれと思っていると、その心を見透かすようにやや強い震度4の地震が起こったりする。地震学者が、まだ大きな地震の発生する可能性を指摘しているのだから、当分の間は気持をゆるめることなく、地震に備える心構えを保っておいた方がよさそうだ。しかし、忘れっぽいからな…鴨長明も方丈記にこんなふうに記している。

『月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、言ひ出づる人だになし』

元暦二年七月九日(1185年8月6日)、山城・近江地方で大地震が発生した。源氏・平氏の戦いが繰り広げられていた平安時代末期のことで、とくに京都の白河周辺での被害が大きく、多くの建物が損壊して多数の死者が出た。

方丈記に、その被害の模様が記されていることは、今回の東日本大震災に関連して言及されることが多かったので、方丈記をあらためて読んでみた人もいるかもしれない。ここでは、まだ目を通していない人のために、「元暦の大地震」の部分を抜粋しておくことにする。読み進めていくにつれて、今回の大地震の悲惨な光景がよみがえってきて、長明が描く地震の光景と重なってくることだろう。

【方丈記】
「元暦の大地震」

また元暦二年のころ、大地震(おほなゐ)振ること侍りき。そのさま、世のつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、巌(いはほ)われて谷にまろび入り、なぎさ漕ぐふねは浪にただよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。

いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或は倒れたる間、塵灰立ちあがりて盛んなる煙のごとし。地の振ひ家の破るる音、雷(いかづち)にことならず。

家の中に居れば、忽にうちひしげなむとす。走り出づればまた地われ割く。羽なければ、空へもあがるべからず。龍ならねば、雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、ただ地震なりけるとぞ覚え侍りし。

その中に、ある武士(もののふ)のひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、築地(ついぢ)のおほひの下に小家(こや)をつくり、はかなげなる跡なしごとをして遊び侍りしが、俄に崩れ埋められて、あとかたなく平(ひら)にうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かかへて、声もをしまず悲しみ合ひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみには、猛(たけ)きものも恥を忘れけりと覚えて、いとほしく理(ことわり)かなとぞ見はべりし。

かくおびただしく振ることは、しばしにて止みにしかども、その余波(なごり)しばしば絶えず。世の常におどろくほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日二十日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、もしは一日(ひとひ)まぜ、二三日に一度など、大かたその余波(なごり)、三月ばかりや侍りけむ。

四大種の中に、水火風は常に害をなせど、大地に至りては殊なる変をなさず。むかし、齊衡(せいこう)のころかとよ。大地震(おほなゐ)振りて、東大寺の仏の御頭(みぐし)落ちなどして、いみじきことども侍りけれど、猶このたびにはしかず、とぞ。

すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、言ひ出づる人だになし。

〔この文章について〕
校註日本文學大系の「方丈記」を元版として用い、青空文庫の「方丈記」を参照して変更した部分があります。
posted by 里実福太朗 at 01:29| 里ふくろうの日乗

2011年05月03日

働くシボレー

歌舞伎座横に、たいそう存在感のある車が止まっていた。その車は、遠目には廃車寸前のように見えたが、まだ現役で働いているChevroletだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2011年05月02日

いわて銀河プラザ

歌舞伎座から道路を隔てた南側に、岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」がある。今さら言わずもがなのことだが、今回の大震災では、岩手県も大きな痛手を負った。その後、被災地の経済を元気づけるため、物産品を買い求めに訪れる人も多いと聞く。

店の入り口を入ってすぐのところで、お弁当の販売をしていた。
「作りたてですよ、まだ温かいですよ」
という声に引き留められて、「さんりく弁当」(三浦屋製造販売)なるものを購入した。ウニ・イクラ・ホタテがのっているお弁当で、ウニ・イクラは好んで食べるものではなく、ちょっと躊躇したが、結局買い求めたのだった。

家に持ち帰って食べたところ、ウニの生臭さは消えていて、味付けも好ましく、持て余してしまうようなことはなかった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

歌舞伎座の今

歌舞伎座は取り壊されて姿を消し、現在その場所では立て替え工事が行われている。辺り一帯は一気に見晴らしが良くなったけれど、殺風景な場所へと姿を変えてしまっていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:23| 里ふくろうの日乗

2011年05月01日

銀座ホコ天にて

連休前半の銀座中央通りでは、歩行者天国が実施されていた。

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例年のゴールデンウィークに比べれば、まだ人出は戻っていない。ちょっと寂しい感じがする。

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この宝くじボックスは、あの高級ブランド店「カルティエ」の真ん前で、堂々と店開きをしていた。カルティエの前で店開きをするのには、なにか理由があってのことなのだろうか。みごと大金を手にした暁には、カルティエでブランド品を買いたいもんだと夢見る人が、そのボックスの前で足をとめて買い求めていくのかもしれない、そんなふうに想像しながら少し眺めていたが、宝くじを買っていく人はいなかった。

アップルの店舗の前にも、宝くじボックスがあった。ということは、人が集まるところで店開きをしているということなのかもしれない。

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こちらはまだ準備中
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posted by 里実福太朗 at 23:44| 里ふくろうの日乗