2011年09月26日

会津若松から帰宅まで


裏磐梯を後にして、ツアーバスは、猪苗代湖畔に建つ「世界のガラス館」に立ち寄り、その後、会津若松へと向かった。

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昼食は、飯盛山山麓の「會津とらぞう」で釜飯(オプション)。食事後、飯盛山に登り白虎隊十九士の墓に詣でる。参道の階段は約180段、老骨にむち打ち歩いて登るとあとがこわい。最後の45段を残す場所までは、あらかじめ申し込んでおいた「スロープコンベア」(オプション)で運んでもらった。

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下山後、「とらぞう」店頭で、お店のスタッフさんによる剣舞を観覧した。

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その後、武家屋敷へ。家老屋敷だけあって、壮大な邸宅だった。(見学はオプション)

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最後の立ち寄り場所は、薄皮饅頭の「柏屋」。ツアーコンダクターさんが店の入り口で、一人一人に薄皮饅頭を手渡してくれた。お茶・コーヒーなどの無料サービスもあった。

嘉永5年(1852)創業「柏屋」
http://www.usukawa.co.jp/home.html

以上でミステリーツアーの行程は、帰路を除けばすべて終了。常磐道は渋滞もなく、東京外環自動車道「三郷南インター」を出てから松戸・西船橋を経由して、京成津田沼には予定時刻より少し早く着いた。おかげさまで、最終のバスに間に合った。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年09月25日

五色沼


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五色沼の一つ、毘沙門沼から磐梯山を望む。
posted by 里実福太朗 at 11:16| 里ふくろうの日乗

二日目は10時出発


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今日も快晴、朝晩は冷え込んだが、昼間は暑くなりそうだ。
posted by 里実福太朗 at 10:04| 里ふくろうの日乗

2011年09月24日

ホテルに到着

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裏磐梯の高原ホテルに到着したのは、日もとっぷりと暮れた6時40分ごろだった。夕食は、お決まりのバイキング、食べる前は控え目にしておこうとは思うものの、食べ終わってみれば食べ過ぎているのもいつも通りのこと。
客室はかなり広くて、ぐっすりと眠れそうだ。
posted by 里実福太朗 at 20:50| 里ふくろうの日乗

大内宿

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国道400、352、121号線を走り、湯野原橋を渡ったところで横道に入り、4キロほど走れば、そこは大内宿だった。
posted by 里実福太朗 at 16:57| 里ふくろうの日乗

足湯


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西那須インターで東北道をおりて、400号線を進む。林檎庵にちょっと立ち寄り、塩原温泉の足湯「湯っ歩の湯」で、一休み。
posted by 里実福太朗 at 14:16| 里ふくろうの日乗

矢板を通過中

国道4号線を走り、矢板インターから東北道に入る。
posted by 里実福太朗 at 12:38| 里ふくろうの日乗

大前神社

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真岡インターで降りて、大前(おおさき)神社に参拝。金運の神様に、しっかり大切なことをお願いしました。このブログを見た人は、写真を見てお願いしておきましょう。日本一の恵比寿様です。
posted by 里実福太朗 at 11:54| 里ふくろうの日乗

笠間を通過中

友部ジャンクションから北関東道に入り、笠間を通過中。
posted by 里実福太朗 at 10:34| 里ふくろうの日乗

行き先ほぼ判明

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三郷ジャンクションから常磐道に入る。今のところ、渋滞は発生していない。
posted by 里実福太朗 at 09:25| 里ふくろうの日乗

ミステリーツアーの行き先は?


明日から、正確には今日から、一泊のミステリーツアーに出かける。ミステリーツアーといっても、ミステリアスな場所に行くのではない。行く先が分からない、だからミステリーツアーなのである。

旅行案内書には、次のように記載されている。
*.○○温泉、とある高原ホテルに宿泊
*.金運招福○○神社に参拝
*.ご当地○○おやつをサービス
*.宿場町○○宿を散策
…など
いったいどこへ連れて行ってくれるのだろうか。
 
posted by 里実福太朗 at 01:00| 里ふくろうの日乗

2011年09月23日

熟れきったゴーヤーの中には…


各地に大きな被害をもたらした台風15号が去ってから、我が家のゴーヤーに元気がなくなった。地面に近い所の葉っぱから枯れ始めてきていて、ゴーヤの季節もそろそろ終わりを迎える頃なのだから、元気がなくなるのは自然の摂理ではあるが、まだ青々としていた葉までもがしおれて元気がないのは、やはり台風の強烈な風雨に痛めつけられたせいなのだろう。

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ゴーヤーのツルが絡みついた木の上の方の枝に、またもや大きな黄色ゴーヤーがぶら下がっていた。ハシゴを運んできてもぎ取ろうとしたが、背の高い私でも届かない。柄の長い高枝切りばさみを使えば届くが、実が落下してして地面にたたきつけられてしまう。できれば無傷のまま手に入れたかったが、仕方がないこととして、あきらめて切り落とすことにした。

落ちてきたところを手で受け止めれば、傷つけずにすむかもしれない。しかし、そんなことを思いつかなかったのが幸いした。もし落下地点でゴーヤーを待ち受けていたら、私の全身は想像したくもないほどの悲惨な状態になったことだろう。

ツルから解き放たれたゴーヤーは、地面と衝突した刹那、ドサッと鈍い音をたてて砕け散った。そして、大きめのかけらからは、深紅の種が顔をのぞかせていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

あの猫に会うために


会期末の展覧会は混雑するものと聞いてはいたが、たしかに会期末になってノコノコ出かけるのはやめておいた方が良い。疲れた足を引きずりながら平成館の外に出ると、入館待ちの行列はまだ続いていた。そして先ほどの好天とはうってかわって、雲行きが怪しくなっていて、今にもポツリポツリと来そうな気配が漂っていた。

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実際、歩き始めてから少しして、ポツリポツリと落ちてきた。
「まいったなァ」
と、行列整理係の人がつぶやいた。雨に降られると困るのはこちらも同じだが、ただ当方の場合は、カサを持ち合わせていなかったからではなく、雨を嫌って被写体がどこかに雲隠れしてしまうかもしれないこと、それが困る理由だった。

わざわざ一眼レフを担いできたのは、お目当ての猫スポットに立ち寄って、写真を撮ろうという魂胆があったからなのだ。雨が降れば、濡れることを嫌う猫は、すぐさま姿を隠してしまうかもしれず、そうなれば目算が外れてしまう。

幸い雨は本降りとはならず、猫がいるだろうと見当をつけていた場所には、見覚えのある毛並みの猫が、小雨の中、小走りに通りすぎていく人たちの様子を眺めていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| ねこ

2011年09月22日

「空海と密教美術展」は大混雑

 
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台風一過の快晴で暑さがぶり返し、平日だというのに、国立美術館の平成館は大混雑。
posted by 里実福太朗 at 13:35| 里ふくろうの日乗

2011年09月21日

台風15号近づく

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午後、浜松近くに上陸した台風15号は、そのまま東北に進み、首都圏を暴風域に巻き込んだ。交通機関は、軒並み運行中止となっている。
ここ佐倉でも、風雨がかなり強くなり、屋根の上で風がうなり声をあげている。
posted by 里実福太朗 at 17:22| 里ふくろうの日乗

2011年09月19日

お化けゴーヤ


ヒョイと木を見上げたら、異様な物体が目に飛び込んできた。上半分は黄色、下の方が緑色の巨大な物体だった。表面はイボイボ状の突起物が取り囲んでいて、縦に細長く延びている形状はゴーヤーによく似ている。しかしその大きさは、ゴーヤーとは比べものにならないくらい巨大なのだ。

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手の届かない遙かに高いところにぶら下がっているから、脚立を運んできて確かめてみることにした。近くで見ると、その巨大な物体は、ゴーヤーであることは疑いようもなかった。ツルがゴーヤーネットからはずれて隣接の木の枝に巻き付き、上へ上へと伸びて、木のてっぺん近くで受粉した雌花から子供が生まれ、日ごとに巨大化していったのだ。その大きさになるまでに、どれほどの日数を費やしたことだろうか。

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もっと早く気づけば、実が黄色になる前に収穫できたのに、とは思うけれど、黄色い部分が生じてきたから気づいたわけだから、まあ仕方がない。

長さ:39p
太さ:22p

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posted by 里実福太朗 at 23:36| 里ふくろうの日乗

彼岸花がどんどん増える


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最初は、茎が一本だけだった。あれよあれよという間に、地面から天に向かって何本もの茎が伸びていき、それぞれの先端には、天上の花とも呼ばれる赤い花が一輪ずつ咲いた。

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posted by 里実福太朗 at 22:24| 里ふくろうの日乗

2011年09月18日

49日の法要と納骨式


姉が亡くなったのは、8月上旬のことだった。その時は、49日の法要までは1ヶ月以上もあるとのんびり構えていたが、予期しない早さでその日がやって来てしまった。

姉が亡くなった当座は、病院で闘病生活を送る姉の姿を思い出しては、いずれ快復に向かって退院する日を迎えるだろうと思うのが常だった。実際、そんな日を迎えたことが幾度となくあった。しかし今回は、思い出すたびにそれを打ち消して、死を受け入れなければならなかった。

そんなふうに思い出しては打ち消し、思い出しては打ち消すことを繰り返すうちに、いつしか打ち消す必要はなくなっていた。そして思い出されてくるのは、病室に横たわる姉の姿ではなく、慌ただしく過ぎ去った葬儀の前後の日々のことだった。

49日とは、故人が、人びとの記憶に生者として踏みとどまっている時を過ぎて、死者が死者として人びとの心に受け入れられてくる、きっとそういう時期なのだろう。身近にあって生きることを支えた人にとっては、一概にそうとは言えないかもしれないが…

49日の法要と納骨式は、十一年前に不慮の事故で先立った夫が眠る多磨霊園で行われた。夏の名残の暑さと言うよりは、夏本番の暑さと言った方がよさそうな猛暑の日だった。空には、降雨の襲来を思わせる暗い雲は浮かんでいないのに、ときおり雨がサッと降った。通り雨とも、にわか雨とも呼ぶのも気が引けるほどの刹那の雨だった。だれかが降らせた涙雨だったのかもしれない。

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49日の法要が終わり、天国で待つ夫のもとに、無事旅立っていったことだろう。
「ずいぶん早く来てしまったね。私の分まで、もっと生きてくれたらよかったのに」
姉の夫は、こんなふうに声をかけたかもしれない。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年09月15日

彼岸花が咲いた


もうすぐ彼岸の入り(9月20日)だというのに、相変わらず暑い日が続く。今日も熱中症で倒れた人が出たそうだ。そんな暑さの続くなか、庭の彼岸花が、彼岸の入りを待たずに咲き始めた。

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posted by 里実福太朗 at 22:34| 里ふくろうの日乗

2011年09月13日

鉢呂氏辞任会見での思い上がり記者の暴言


メディアによれば、鉢呂経産省大臣が辞任に追い込まれた言動は、もう一つあったとされている。「死のまち」という表現が問題となった記者会見の前日、つまり9月8日の午前のこと、福島原発の視察から議員宿舎に帰って来た際、玄関前での記者団とのやり取りの中でその言動があったそうだ。

メディアが伝えるところによれば、鉢呂氏を囲む記者の一人に、放射線防護服の袖をこすりつけるようなしぐさをみせたのだそうだ。ただ、報道されていることが事実かどうかについては、ご本人は口をにごしているため定かではない。

いずれにせよ職を辞することになった鉢呂氏は、11日に辞任会見を開いた。この会見の際、どこかの社の記者が、以下のような暴言を吐いた。質問をする場合は、所属と名前を言うことになっているはずだが、それも明らかにしていない。

所属氏名不明記者:
「一連の発言とおっしゃいますけれども、具体的に何を発言して、あなたは反省をしておやめになられるのか、具体的おっしゃってください。何でおやめになるのか分かりません」

鉢呂氏:(問題となった二つの言動を答える)

所属氏名不明記者:
「具体的にどうおっしゃったのですか? あなたねえ、ボクのためにお辞めになられるのですから、その理由ぐらいきちっと説明しなさい」

鉢呂氏:(定かな記憶がないと答える)

所属氏名不明記者:
「定かな記憶がないことでやめるんですか、定かなことだから辞めるんでしょう。きちんと説明ぐらいしなさい、最後ぐらい」

鉢呂氏:(不信の念を抱かせたことをわびる)

所属氏名不明記者:
「何を言って不信の念を抱かせたのか、説明しろと言ってんだよ」

鉢呂氏:(今話したとおりだと答える)

所属氏名不明記者:
「何を言ったからだ」

某記者:
「そんなやりたいこと…あんたやめなさいよ、記者でしょう。敬意をもって質問してくださいよ」

鉢呂氏:(自分なりに精いっぱい話しているつもりで、ご理解をいただきたいとわびる)

【鉢呂大臣辞任会見】(youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=gTYBjRutH6w&feature=related

以上のやり取りの最初の方で、くだんの暴言記者が、
『ボクのためにお辞めになられるのですから』
と言っている。ということは、鉢呂氏の問題となったしぐさの相手は、この記者なのだろうか。

また最後の方で、堪忍袋の緒が切れて、暴言記者を叱責したのは、フリージャーナリストの田中龍作氏だった。「田中龍作ジャーナル」でその時のことを、以下のように述べていることから明らかである。

『得意絶頂のあまりヤクザ言葉で鉢呂氏に答を迫る記者もいた。社名も名乗らずに無礼千万な態度で質問するのである。同業者として恥ずかしい。

 筆者はその記者をドヤシ付けてやった。後で名刺交換し社名を聞こうと思っていたが、当人は記者会見が終わるとソソクサと記者室に逃げ帰った。大手メディアの記者であることだけは確かなようだ。』

【鉢呂経産相辞任 記者クラブに言葉狩りされて】
http://tanakaryusaku.jp/2011/09/0002887

さらに、枝野・新経産大臣の会見場で、その暴言記者と遭遇したそうで、その時の模様が、同じく「田中龍作ジャーナル」に載っている。

『筆者は件の記者に名刺交換を求めたが応じてもらえなかった。社名と氏名を聞いたが答えてくれない。彼はそそくさと逃げた。それも大臣官房の広報室に逃げ込んだのである。官僚ならば“身内”だから助けてくれるとでも思ったのだろうか。

「選挙で国民から選ばれた鉢呂大臣をあなたはヤクザ言葉で罵倒したんですよ。どうして自分の名前を名乗らないのです?コソコソ逃げるのですか?」。筆者はその記者に尋ねた。』

【枝野・新経産相会見 大臣官房に逃げ込んだ暴言記者】
http://tanakaryusaku.jp/2011/09/0002912
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

原子力と「死のまち」・「死の灰」


鉢呂経産大臣が、不適切とされる発言で引責辞任に追い込まれ、その後任に枝野前内閣官房長官が起用された。わずか就任9日目での交代だった。

辞任の原因となった不適切発言とは、9日午前に経済産業省で行われた記者会見での発言だった。メディアでは「死のまち」という言葉だけが取り上げられ批判されているが、どういう文脈の中で使われたのかを検証してみたい。

【9.9(午前)鉢呂経産大臣記者会見】(youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=Gix6bzdNb1c

問題となった「死のまち」という表現は、ほぼ1分39秒後に出てくる。その前後の部分は以下の通りである。

『残念ながら周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさにまあ、「死のまち」という形でございました。私からももちろんでありますけれども、野田総理から、福島の再生なくして日本の元気な再生はないと、これを第一の柱に野田内閣としてやっていくということを、いたるところでお話しをしたところでございます。』

放射線物質に汚染され、現状では人間が住むには適さない場所となり、人影がまったく絶えてしまった現実を直視すれば、「死のまち」という表現は、あながち不適切であるとは言えない。逆に、そういう表現を批判する側に、放射能汚染の怖さを強く印象づけられることを避けたい、という思わくがあるように感じられる。

放射能汚染の怖さを表す「死の灰」という言葉がある。原子力の安全利用へと傾く時代の流れとともに、近頃あまり使われなくなった。しかし、原子力発電であっても、一歩間違えれば原子爆弾と同じように、「死の灰」を広範囲の地域にまき散らすことは、今回の福島原発の事故でも明らだ。

福島原発周辺はおろか、遠く離れた関東地方にまでも「死の灰」は降り注いだのだ。幸いにして、この辺りは線量が極端に高いことはなく、「死のまち」とは化していないが、「死の灰」が降り注いだことは紛れもない事実なのである。

放射能汚染の怖さを実感として受け止めるためにも、「死のまち」あるいは「死の灰」という表現は、原子力と結びつけて記憶にとどめておく必要があるだろう。
posted by 里実福太朗 at 14:01| 里ふくろうの日乗

2011年09月12日

千葉県産新米


販売者は兵庫県伊丹市の「ITAMI」、不思議なことに神戸の業者が千葉のお米を販売している。調べてみたところ、千葉県に精米工場を持っていた。

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posted by 里実福太朗 at 12:07| 里ふくろうの日乗

2011年09月10日

屋根のブルーシートがなくなった


東日本大震災が発生した日から数えて、今日でちょうど半年が経つ。その間、我が家の屋根の修復は遅々と進まず、半年の永きにわたってブルーシートで覆われていた。そして今日、やっとのことでそのブルーシートがなくなった。

震災直後
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応急処置後
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震災直後は、この近辺でもブルーシートをかぶった屋根が散見された。梅雨が明けてからは、徐々にその数が減り始めた。しかし、地元の工務店を介して見積を依頼した屋根やさんからは連絡もなく、夏の盛りを過ぎたころになっても何の音沙汰もなかった。

工事件数が多いから、かなりの期間待たされることは覚悟していたが、何の連絡がないまま、夏も終わりを迎えつつあった。ある雨の降る日、二階の部屋にいた夫人が、雨音がいつもより近い所から聞こえてくると言う。応急的にブルーシートで覆ってはあるが、もう一刻の猶予もできない状態になっているのかもしれない。

震災後、最初に応急処置を依頼した工務店に問い合わせた。屋根の修理のことに関しては、自分の所を通してお願いしますと聞いていたからだ。屋根屋さんが作成した修復費用の見積書も、その工務店を介して届けられていた。

工務店に連絡してみたところ、応急処置をした部分を再度修復するということになると、また費用が発生すると言う。ブルーシートは消耗品だし、人件費もかかることだから、普通なら至極当然なことではあるけれど、今回は長期間待たされているうちに修復部分が劣化したのであって、それなのにまた修復費用を取られるというのではたまらない。

工事はいつ頃になるのかと尋ねてみると、自分の所を通してくださいと言っておきながら、工事の予定は把握していないと言う。業を煮やして、それではこちらで直接屋根屋さんに連絡すると告げると、工務店の方で屋根屋さんに連絡すると言い出した。

そんなやり取りがあった後、一時間経つか経たないうちに、屋根屋さんから連絡があった。8月の下旬に工事の予定を入れたということだった。そして工事が予定されている週に入り、再び屋根屋さんから連絡があった。工事担当者に不幸があったので、一週間ほど工事の予定が延びるということだった。

延期された工事が予定されている週に入り、台風12号の影響で雨の降る日が続いた。雨が降れば屋根の工事はできない。また延びるだろうなと思っていたが、週末になっても何の連絡もない。仕方がないから週が開けてから連絡してみると、知らないうちに9月の中旬に工事が延期されていた。

腹立たしいのは、依頼主の予定に配慮することなく、まったく連絡なしで勝手に工事日を決めてしまっていることだった。さらに台風の襲来があったとはいえ、せいぜい一週間ほどの延期で済みそうなところを、大幅に先送りされている点だった。そうですか、と引き下がってしまっては、さらにズルズルと延ばされる可能性がある。ここは踏ん張りどころとかなり強く言ったところ、今日が工事日となったのだった。

昨日の夕方、交換用の瓦を運んで来た。そして今朝の9時頃から工事に入り、夕方4時頃には完了した。足立ナンバーの車でやって来た職人さんは二人、共に感じの良い人だった。

交換用の新しい瓦
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古い瓦
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修復後
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年09月09日

稲刈り始まる


佐倉のお米に安全宣言が出されてから、そろそろ稲刈りが始まるだろうと見当をつけて、2・3回様子を見に行った。ところが行くたびに予想は外れ、稲穂はまだ重く頭を垂れているままだった。

今日は朝からカラリと晴れ渡り、肌に絡みつく湿り気を帯びた空気は退き、日差しはまだまだ強いが農作業にはうってつけの日和と思われた。今度こそはと思いつつ、いつもの撮影ポイントに向かうと、まさに稲刈りが始まっていたのだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2011年09月07日

「写真の会」は神保町で


7回目を迎える「写真の会」の集まり、今回の場所は神保町の中華料理店「源来酒家」、メンバー5人が、全員集合した。

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サービスの杏仁豆腐
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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2011年09月04日

台風一過の秋の空


大型の台風12号が直撃した西日本では、大雨により河川が氾濫して、各地で被害が相次いだ。遠く離れた関東地方にもその影響は及んだが、ここ佐倉では大きな被害はなかった模様だ。

夕暮れ近くの空は、明らかに夏とは違う秋の雲に覆われていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2011年09月02日

道路ぎわのゴーヤー


今夏の猛暑も、そろそろ終わりを迎えそうな気配が漂い始め、ゴーヤ−もそろそろ終わりなのかなと思っていたところ、あにはからんや次々とかわいらしい実が生まれ続けている。ざっと数えて十数個、これらのすべてが大きく成長することはないのかもしれないが、それでも十本程度の収穫は見込めそうだ。

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こうなってくると、そんなに採れたらどうやって食べようか、という悩ましい気持ちも頭をよぎる。ゴーヤーチャンプルーばかりでは飽きるので、天ぷらにしてみた。「ゴーヤーの天ぷら」、いいアイデアではないかと思っていたが、残念ながら強い苦みが残っていて、二きれ食べるのがやっとだった。冷蔵庫で保存しておいたことで、苦みが増したのだろうか。

三つ植えたゴーヤーの苗のうち、一本が道路際の木の枝に巻き付いて成長を続けている。道路にとび出ないように、ツルが庭側の枝に巻き付くように仕向けても、太陽の光に向かって伸びていくように本能がプログラムされているようで、ツルはこちらの意図に逆らって道路側へと伸びていく。

そのうちゴーヤーの子どもが、瞬く間に成長を遂げて道路側にダラリとぶら下がるまでになった。しかし、まだ収穫するまでには、何日かはかかりそうだ。小学生でも楽に手が届くところにぶら下がっているものだから、心配の種を抱えることになってしまった。

というのも去年の秋のこと、隣家の柿の木の枝がやはり道路側に伸びていて、通りすがりの小学生が柿の実を無断でもぎ取り、さらに食べカスをそこらに捨てていったということがあったからなのだ。それを思うとちょっと心配にもなってくるが、我が家だけでは食べ切れそうにもない数の収穫が見込めるのだから、余計なことは考えないことにした。

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posted by 里実福太朗 at 23:19| 里ふくろうの日乗

2011年09月01日

放射能汚染を免れた佐倉の稲


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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

今日から「行っててきまーす」の朝


夜の2時頃床についたのに、6時頃に目が覚めてしまった。悪夢にうなされて目が覚めたのではない。蒸し暑くて目が覚めたわけでもない。

たまに、こんな時刻に目が覚めてしまうことがある。そういうときは、しばらく目を閉じてじっとしていれば、再び眠りの世界に誘われていく。しかし今朝は、いつまでも眠りが訪れてくれなかった。それでもなお、辛抱強く横になっていた。

台風12号がまっすぐ北上していれば、関東地方は直撃を受けたはずだ。ところが太平洋高気圧が意外と強く張り出していて、台風の進路を西に変えた。東日本に居住する人たちにとっては幸いなことだが、西日本では台風の襲来に備えなくてはならなくなった。

外は風が凪ぎ、雨も降っていないようだ。遠くの林からは、アブラゼミ・ミンミンゼミそしてツクツクホウシの鳴き声が響いてくる。ときおりキジバトの鳴き声も聞こえてくる。

半分覚醒、半分睡眠のような状態は、無意識と意識、あるいは夢と現実とが無秩序に訪れてきて、そんな時には、多くは役に立たないものばかりだが、たまには、これはすばらしいと自ら納得するようなひらめきが走ることもある。夢の中のひらめきは、目覚めればきれいさっぱりと消えてしまうことが多いけれど、こういう半覚醒の状態で思いついたことは、記憶に定着していることが多い。

7時頃、
「行ってきまーす」
と、元気な子どもの声が聞こえてきた。
「ランドセルが曲がっているよ」
という声が追いかけていった。

夏休みが終わり、今日から子どもたちの新学期が始まる。
 
posted by 里実福太朗 at 23:38| 里ふくろうの日乗

佐倉市の新米は出荷・販売可


新米の本調査は、8月26日(金)、29日(月)に佐倉市内で行われ、その分析結果の公表が待たれていた。8月31日に公表された調査結果にによると、全調査地点で、放射性セシウム134、放射性セシウム137のいずれも検出されることはなかったということだ。これで、新米の出荷・販売がやっとできるようになった。

佐倉市栽培地    採取日  放射性セシウム134 放射性セシウム137

岩富(旧弥富村)  8月26日  検出せず      検出せず
馬渡(旧旭村)   8月26日  検出せず      検出せず
飯重(旧千代田町) 8月26日  検出せず      検出せず
下志津(旧志津村) 8月26日  検出せず      検出せず
飯田(旧佐倉町)  8月26日  検出せず      検出せず
太田(旧根郷村)  8月26日  検出せず      検出せず
高崎(旧和田村)  8月29日  検出せず      検出せず
臼井(旧臼井町)  8月26日  検出せず      検出せず
 
佐倉市産米の放射性物質の本調査の結果について(佐倉市)
http://www.city.sakura.lg.jp/nosei/kome/komehonkennsa.html

県産米の放射性物質検査について(千葉県)
http://www.pref.chiba.lg.jp/annou/h23touhoku/kensanmai-kensa-kekka.html
 
posted by 里実福太朗 at 01:30| 里ふくろうの日乗