2012年01月31日

「大辻」画像の更新

更新した画像は、以下のものです。

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この「大辻」には、舌が二枚あった。

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2012年1月25日の【佐倉市井野の「辻切り」】の記事の写真も、今年のものに更新しておきました。

【佐倉市井野の「辻切り」】

posted by 里実福太朗 at 23:51| 里ふくろうの日乗

未確認飛行物体?

■未確認飛行物体?
「大辻」の写真は、八体のすべてをこのブログに掲載したが、その中で一体だけは去年撮影した写真を利用した。しかし、それでは統一性を欠くので、改めてその「大辻」を撮影してきた。

撮影に行く途中、高層マンションにまとわりつくように浮かんでいる飛行物体を目撃した。その飛行物体は、自らの力で飛行することはできないようで、風に吹かれるまま左に右に向きを変えながら漂っていた。

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アドバルーンなのだろうか。しかし、宣伝文句は見えないから、広告用のアドバルーンではあるまい。それでは何を目的として飛んでいるのだろうか。

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雲をお供に飛ぶ姿は、なかなか優雅なものだった。

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posted by 里実福太朗 at 22:56| 里ふくろうの日乗

2012年01月30日

ホームから関東山地を望む

JR中央線「東小金井駅」の高架ホームから、関東山地の山並みが見えた。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2012年01月28日

「大辻」の数の訂正

先日(1月25日)の「辻切り」の記事で、「大辻」の数を七体と書いたが、あと一体あることが分かった。従って、佐倉市井野地区の「辻切り」の行事で作られる「大辻」の数は、合計八体である。

1月25日の「辻切り」の記事は、訂正しておきました。
【佐倉市井野の「辻切り」】
posted by 里実福太朗 at 17:00| 里ふくろうの日乗

2012年01月26日

たずねネコ

スーパーの次に立ち寄った100円ショップに、「たずねネコ」のポスターが貼ってあった。夫人に教えられてそれを見た刹那、あの自由ネコの思い出した。その顔が、ポン太に見まがうほどに酷似していたのだ。ひょっとして、あの公園で暮らす前は、そのポスターを作った飼い主さんの家で寝起きしていたのではなかろうかと思ったぐらいだ。

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口と鼻まわりが八の字になっている点、目の色や形、それらがポン太にそっくりだった。さらに頬のふくらみ方、下あご近辺の肉付きの良さ、それらもポン太の特徴に酷似している。

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しかし、腕の色が違っていた。ポスターのネコの腕は白だが、ポン太の腕はクロなのだ。さらに付け加えれば、黒い毛の比率は、ポン太の方が高い。ポン太の方が黒い毛の量が多い。そういう違いはあるが、顔だけを見れば、まさしくポン太そのものだった。

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飼い主さんその嘆きは、いかほどか。さぞ寂しいつらい日々を送っていることだろう。それを思うと、内田百閧フ「ノラや」という随筆を思い出す。行き方知らずになった愛猫ノラを探すため、百閧ウんは、ポスターを作るなどして八方手を尽くした。しかし、結局ノラは見つからなかった。その顛末が、感情移入過多とも受け取られかねない文章で記されているのが、「ノラや」という作品なのである。

先週、写真塾の撮影会でドーモアラベスカを訪ねた際、住人の方から同じような話を伺った。愛猫が行方不明となり、ポスターを作ったりして手を尽くしたそうだ。その話を書くとなると長くなりそうなので、いずれ項をあらためて、ということにしておく。

posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

スーパー犬

とあるスーパーの駐車場で出会った犬。カメラを向けても、泣き叫ぶこともなく、いたっておとなしいワンちゃんでした。

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こちらの写真は、ちょっとボケてしまった。

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posted by 里実福太朗 at 18:32| 里ふくろうの日乗

2012年01月25日

佐倉市井野の「辻切り」

佐倉市井野には、「辻切り」という習俗を、現在も伝え守っている地区がある。「辻切り」の「辻」という言葉には、もちろん道に関わるものとしての意味もあるが、その習俗の中では、「蛇」という意味も合わせ持っている。

村人たち(今は、もちろん佐倉市民である)は、村につながる数カ所の辻に、ワラで作った大辻(大蛇)を備え置く。大辻(大蛇)は、高くて立派な木に巻き付けられ、高所から不審なモノの侵入に目を光らせる。そして、霊的な威力で邪鬼の進入を防ぎ村を守ってくれる。そんな民間信仰に基づく習俗を、「辻切り」と呼び習わしている。

大辻は、一年ごとに付け替えられる。その日が、1月25日なのである。去年も付け替えの現場におじゃまして、その様子を撮影させていただいた。今年で二回目になる。

【大辻】

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上の写真の大辻は、まだ舌が入っていない。舌が入らないと、完成とはならない。

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大辻は全部で八体、そのうちの一体だけは、他の大辻とは違う特殊な形をしていて、頭部がない。しかし、その場所が分からなかった。今日、大辻を付け替えている人に伺って、やっとその場所が分かった。教えてくれた女性は、分かりにくい場所にあるからと言って、わざわざその場所に案内してくれた。谷津田から林の中の小道を上り、里へと続くその道の途中にあった。

(8)
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普通の形をした七体の写真を、以下に載せておく。

(1)
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(2)
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(3)
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(4)
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(5)
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(6)2012年1月31日更新
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(7)2012年1月28日追加
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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

都心は今期初めての冬日

都心では、今期初めての冬日となったそうだ。ここ佐倉でも、深夜から早朝にかけて−2度となり冬日となった。

久しぶりで谷津田に行ってみるとみると、北側の斜面、あるいは谷津田の日の当たらない場所には、雪がはだら模様になって残っていた。田のところどころでは、氷が薄く張っていた。

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最強の寒波が襲来しているらしい。何日か少し暖かい日があってホッとしていたが、また底冷えのする日が続くらしい。イヤになってしまう。八月生まれとしては、寒さは本当にイヤなのだ。

次の写真は、去年の1月26日に撮影したものだ。スイセンは咲き、梅も開花し始めていた。今年は、春の到来が遅くなりそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 22:18| 里ふくろうの日乗

2012年01月24日

庭も冬景色

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球根から顔を出した芽が、雪間から顔をのぞかせていた。芽の周囲だけ雪が溶けているのは、球根が自ら発する熱のためなのだろうか。

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posted by 里実福太朗 at 23:28| 里ふくろうの日乗

佐倉でも積雪

昨日、佐倉地方に出された大雪注意報は、午前3時45分に解除され、積雪量は心配されたほどではなかった。都心そして千葉は、1センチということだった。

積雪量はその程度ですんだが、路面が凍結して、各地でスリップ・転倒事故が発生したらしい。「47ニュース」によると、首都圏で転倒・搬送された人は、160人にも及ぶそうだ。

【雪の首都圏、転倒・搬送160人 交通も混乱】
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012401001254.html
2012/01/24 12:59 (共同通信)

転倒事故といえば、去年の12月の北海道旅行中に、目の前で高齢の男性が転倒したのを目撃したことがある。函館の元町を散策中のことだった。元町は坂道の多い場所、これは滑りそうだなと思っていた矢先、少し前を行く男性の体が突如後ろに倒れた。そして、動かなくなった。周囲の人は何が起こったのか、よく分からなかったのだろう、ただ見守っているだけだった。

なかなか体を起こす気配を見せない。やっと男性の異常に気づいた人が、「大丈夫ですか」と声をかけた。しばらくして、男性はやっと体を起こした。後頭部をしたたか打って、脳しんとうを起こしたのだと思われる。脳しんとうなら、すぐ駆け寄って体をゆすったりしなかったのは、かえって良かったのだろう。幸いその後は何事もなく、ツアーの行程をこなしていた。

札幌のJRタワーからホテルに戻る際、地下鉄を乗り継いでいたのでは、集合時間に遅れるおそれがあったので、駅前からタクシーを利用した。車の中で、運転手さんからいろいろな話を伺った。
曰く、
・雪は、降り始めが危ない。
・凍結している道路より、表面がうっすらと溶けている方が滑りやすい。
・横断歩道の白く塗られた部分は、とても滑りやすいから踏まないようにする。
・年寄りは転倒事故を避けるため、特に冬はタクシーを利用することが多い。
などなど。

雪道の歩き方に関して、次のような動画が「YouTubu」に載っていた。
【小料理屋北海道 雪道の歩き方編】

posted by 里実福太朗 at 22:39| 里ふくろうの日乗

2012年01月23日

雪になった

先ほどから、雨が雪に変わった。かなり降っている。

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posted by 里実福太朗 at 22:16| 里ふくろうの日乗

雨の阿佐ヶ谷

生まれてから二十歳を少し過ぎるまで、吉祥寺で暮らした。都心に出るには、もちろん中央線を利用するのだが、新宿までの途中駅ではほとんど下車したことがなかった。阿佐ヶ谷駅もその例外ではなく、写真塾の撮影会のために下車したのが、記憶が間違っていなければ初めてのことになる。

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阿佐ヶ谷に下り立った日は、冷たい雨が降る土曜日だった。撮影場所の「ドーモ・アラベスカ」は、阿佐ヶ谷駅南口から歩いて15分ばかりの所にある。そこに至る道は二つ、南口ロータリーから南へ真っすぐにのびる中杉通り、あるいはそれとほぼ並行する商店街「パールセンター」。屋根に覆われた後者を選べば、途中までは濡れずにすみそうだ。南口に下り立つまでは、その道を行こうと思っていた。

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ところが、みごとなケヤキ並木が続く中杉通りを見て、考えが変わった。雨の降る日は、雨の中を傘をさして歩くのもよい。道に沿って、個性的な店が軒を並べる中杉通りを、歩いて行ったのだった。

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posted by 里実福太朗 at 20:00| 里ふくろうの日乗

2012年01月20日

入場券NO.000001

写真展「ストリート・ライフ」の入場券の下に刻印されている六桁の数字、その数字を見て驚いた。「000001」なのだ。いったいどうして1番なのだろう。

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そういった類の数字は、初日からのの入場者数の累計だと思っていたのだが、私が最初の入場者ということは、これは絶対にあり得ない。とすると、1000001人目なのだが、6桁で表記するという制限があって、頭の「1」をカットして「000001」としたのだろうか。ただ、今までに100万人も入場したのだろうか、という疑問が残る。

疑問は残るけれども、こんなことは滅多にないことに違いない。今年は春から縁起がいいと前向きに考えて、宝くじでも買ってみることにしようか。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

ストリート・ライフ

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東京写真美術館
posted by 里実福太朗 at 17:11| 里ふくろうの日乗

都心は雪

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教室のある5階の窓から
posted by 里実福太朗 at 14:51| 里ふくろうの日乗

久しぶりのお湿り

久しぶりで雨が降っている。毎日乾燥した日が続き、聞くところによれば35日間雨が降らなかったそうだ。テレビの画面では、都心の雪景色を映し出しているが、ここ佐倉では、まだ雪にはなっていない。

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これから都心方面に出かける予定、雪景色の中に身を置くことになるのだろうか。
posted by 里実福太朗 at 10:24| 里ふくろうの日乗

2012年01月18日

ウィキペディア(英語版)ブラックアウト実施中

ウィキペディア創設者のJimmy Wales(ジミー・ウェールズ)氏が予告したとおり、日本時間の午後2時から(2012.01.18 PM14)画面がブラックアウトの状態になった。氏は先立つ17日に、学生・生徒たちに「早く宿題を片付けてしまうように」とツイートしていた。

『 Student warning! Do your homework early. Wikipedia protesting bad law on Wednesday! 』

午後2時過ぎに、実際にウィキペディアにアクセスしてみると、最初のわずかな時間は普通の画面が表示されたが、すぐ次のような画面に切り替わってしまった。

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日本語版には、次のようなメッセージが表示されている。

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ウィキペディアがこのようなストを行った理由は、現在アメリカ議会で検討されている二つの法律案にある。氏はそれを「bad law」と指摘している。その法案は、SOPA(Stop Online Piracy Act)およびPIPA(PROTECT IP Act)、日本語に直せば「オンライン海賊行為防止法案」と「知的財産保護法案」となる。『海賊行為』とか『知的財産保護』という字面だけ見れば、なにやら結構な法案のような感じを受けるが、実態はインターネット上の表現の自由をかなり制約してしまうおそれのあるやっかいな法案のようなのだ。

インターネットは、自由で開かれた場を提供することで爆発的に成長してきた。そこに危険性が潜んでいることは言わずもがなではあるが、それでもなおインターネットが、自由で開かれた場であり続けることの方がより重要である。中国のように、アクセスが制限されるような事態を招く端緒となるかもしれないものを許してはいけないのだ。想像するに、そういう危惧を抱いて、今回のブラックアウトを行ったということなのだろう。

明日の午後2時まで、英語版ウィキペディアは使えない状態が続く。
posted by 里実福太朗 at 23:11| 里ふくろうの日乗

2012年01月16日

ストロベリーフロマージュ

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フレッツ光メンバーズクラブのポイントが少したまったので、初めてそれを商品と交換してみた。いろいろな商品の中から、自由が丘のケーキ屋さんの「ストロベリーフロマージュ」を選んで申し込んだところ、お店からお礼のメールが送られてきて、それから数日後に宅配便で届いたのだった。

おいしいおいしいベリースイーツでした。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年01月15日

飼い主のいないネコ(自由・地域ネコ)対策

今年に入って初めてのフランス語講座からの帰途、また例の公園に立ち寄ってみた。相変わらず寒い日が続いているが、少し傾き始めた日差しが、池のほとりの遊歩道を暖かそうな色に染めていた。

ポン太のお気に入りの場所に行ってみたが、姿は見えなかった。この前のように少し待っていれば、そのうち「ミャーオ」となきながら現れてくるかもしれない、そう思って少し待ってみたが、いっこうに姿を現さなかった。モミジとミコだけは、奥まったところの草むらで、日向ぼっこをしていた。彼らにポン太の行方を尋ねてみても、応えてくれるはずもなく、ただ薄目を開けてこちらの様子をうかがったあとは、ふたたび目を閉じて眠りを貪るばかりだった。

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ポン太に会うことはあきらめて、引き上げることにした。駅に向かう途中、こんな張り紙を見つけた。

【愛情はたっぷりと 責任はしっかりと】
この地域では、ボランティアの方の協力で、「飼い主のいない猫」対策に取り組んでいます。皆様のご理解をお願いします。
ボランティアの活動とは…
@飼い主のいない猫の増加を防ぐための不妊・去勢手術
A地域のゴミ箱等を荒らさないための衛生的な餌やり、片付け
Bできる限りのフンの始末
…などを行っています。
これら、@不妊・去勢手術A食べ残しの片付けBフンの掃除等ができない方は、猫ちゃんに餌を与えないでください。
当町会では、住みよい町づくりのために、地域の美化に取り組んでいます。

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例の自転車男から聞いた話では、不妊・去勢手術をしたネコは、目印として耳の先端をカットするということだ。たしかに、そのような耳のネコを何匹も見たことがある。どんな人がその処置をするのかということも聞いてみたが、事情通の彼でも知らなかった。その張り紙によれば、地域のボランティアの人たちによって行われているということのようだ。

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こんな掲示物もあった。
【置きエサ禁止!】
置きエサは、カラスに荒らされたり、ハエの発生源となるため不衛生です。食べ残しとフンを片付けてから帰りましょう。

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posted by 里実福太朗 at 23:56| ねこ

2012年01月13日

税を上げるアンポんたん

もともと記憶力はあまり良くなかったことに加えて、記憶力が歳とともに低下して、フランス語の新しい単語を覚えるのに四苦八苦している。一つ覚えれば、前に覚えた単語が頭からはじき出されてしまうというていたらくで、語彙がなかなか増えない。

ワラにでもすがる思いで買い求めたのが、「ダジャ単 シル・ヴ・プレ」というフランス語の単語集だった。ただし、普通の単語集ではない。書名に「ダジャ単」とあるのだから、お察しの通り、ダジャレで覚えてしまおうという魂胆の単語集なのである。

たとえば、表題にあげた「税を上げるアンポんたん」、これもダジャレなのである。「アンポんたん」の「アンポ」は、フランス語での表記は「impôt」、そしてその意味は、「税」なのである。そこで、「impôt」の意味を覚えるために、「税を上げるアンポんたん」「税を上げるアンポんたん」と繰り返すというわけである。

野田改造内閣が発足して、着々と消費税アップへのレールが整えられつつある。国の借金が、どうしようもないほどの規模に膨れあがり、いずれはギリシャのようになってしまうおそれがあると言われれば、それは大変だと増税に賛同しそうになり、増税の前に無駄の削減に取り組むべきだという意見を聞けば、そちらの方がもっともなことだと思い直す。

振り返れば、最初、消費税は3パーセントだった。それが5パーセントに上がり、消費税法案が成立すれば、平成26年4月に8%、27年10月に10%と2段階で引き上げられることになる。経済の動向を見極めて実施するという条項が加えられたそうだが、適当な理由がつけられて、いずれは反古にされてしまうような気もする。

濡れ手で粟の消費税は、原発立地自治体への交付金のようなもので、一度その甘い蜜を吸えば、それによる収入増を期待する気持ちは歯止めがきかなくなる。10%でストップする保証はなく、一度許せば、その後も引き上げられていくことは覚悟しなければならない。消費税アップの必要性を少しは感じていたとしても、簡単にそれを許してしまえば、なし崩し的に消費税は上がっていくことになるだろう。

ちなみにフランスの消費税は、19.6%である。フランスだけに限らず、ヨーロッパは一般的に高い。そのヨーロッパでは、今、経済が低迷している。ヨーロッパ並みに消費税を引き上げていけば、日本もいずれはヨーロッパ化していくことになるのかもしれない。


そこで、表題の「税を上げるアンポんたん」は、次のように直す方がよさそうだ。

  増税を安易に許すアンポんたん

「ダジャ単 シル・ヴ・プレ」からもう一つ紹介しておく。

  年金がもらえなくて乱闘

   乱闘はrente(ラントゥ)= 年金

◆「ダジャ単 シル・ヴ・プレ」
発行所:駿河台出版社
発行日:2009年10月20日

◆世界の国々の消費税税率
http://www.777money.com/torivia/syouhizei_world.htm


posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年01月12日

「風景の記録」展

「風景の記憶」では文学の香りが漂い、情緒に流されてしまう。やはり「風景の記録」が、展示タイトルとして妥当なところなのだろう。歴史民俗博物館で開催されている「風景の記録」という企画展示を見て回りながら、そう思った。

写真という媒体が持つ役割の一つとして、記録性というものがある。ある瞬間を切り取ってそれを記録媒体に定着する、そういう写真の持つ原初的な機能を思い出せば、その記録性こそ写真に求められるもっとも大切な役割と言ってよいのだろう。

人によっては、記録性を重視した写真を、無味乾燥な単なる資料として片付けてしまうかもしれない。しかし、歴史という時間の流れの中にそういう写真を置いてみると、ある時代のある瞬間を切り取った写真というものは、単なる資料という枠を超えて、見る者の心を強く揺り動かすのだ。

展示の第一章は「広がる風景ー江戸・東京の町並みー」、幕末に日本を訪れたイタリア人の写真家フェリーチェ=ベアトという人物が、愛宕山から撮影したパノラマ写真である。江戸の眺望の名所と言われた愛宕山から眺めた江戸の町は、想像をはるかに超えた美しい町並みを形成していた。江戸の町は、かくも整然と、そして途切れることのない甍の波で覆われていたのか。それは、江戸名所絵図などを見ても、決して伝わってくることのない別の種類の驚きだった。

写真の価値をどうとらえるのか、人によってその見方は多種多様であろう。ただ、時間という濾過装置を通ることで、よりいっそう輝きを増すものが、真に優れた作品であるとするならば、記録写真と呼ばれる作品群の中にこそ、そういった優れた写真の原石が潜んでいるのだろう。

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【風景の記録 − 写真資料を考える −】
http://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年01月11日

佐倉市の核性能実験(アメリカ)に対する抗議文

アメリカ合衆国は、昨年、夏と11月に新型の核性能実験を行った。佐倉市の公式ウェブサイトによれば、これに抗議して、佐倉市長はアメリカの駐日大使宛に、「新型の核性能実験に対する抗議について」という抗議文を送付したそうだ。

【アメリカ合衆国が行った新型の核性能実験に対する抗議文について】

posted by 里実福太朗 at 21:39| 里ふくろうの日乗

2012年01月09日

自由ネコたちの新年(3)

三匹のネコたちそれぞれに、
「またくるからネ」
と声をかけ別れを告げた。すると、ポン太がトコトコと後を追って来るではないか。そこの角まで送ってくれるのか、行かないでくれと追いかけてくるのか、それともまた来てくれということなのか、彼の本意は分からないが、なんとも後ろ髪を引かれる感じがして、
「またくるから、ね」
と、もう一度繰り返さなければならなかった。

園内で営業するその店を利用するのは、初めてのことだった。店の奥には、暖房の効いた室内の食事処があるが、冬の凍てついた空気の中ですするラーメンは、一際おいしく感じられるに違いない、そう思って池に面した外のテーブルを利用することにした。

セルフサービスのラーメンは650円、のっている具の中にカニかまがあった。近ごろは、カニかまを見ると、すぐにポン太たちのことを思い出す。今さっき、家から持って来たカニかまをポン太に供したばかりだったから、なおさらのことだ。わずか一本だけでは、腹の足しにはならなかったに違いない。そう思った時、もう手はバッグの中のタッパーに伸びていた。周囲の目が多少気になったが、カニかまをタッパーの中に入れた。

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ラーメンを食べ終わり店を出ると、足は自然にポン太たちがいる場所に向いていた。あれほど別れを惜しんだ後だから、姿を見せれば嬉々として駆け寄ってくるに違いないと思っていたが、姿を現さない。かろうじて植え込みの中に、モミジの姿を認めることができただけだった。

近づいてみると、モミジは一心不乱に何かを食べていた。それは、紙製の皿に山のように盛られたキャットフードだった。ポン太はすでにご馳走をたらふく食べて、どこかで午睡でもしているのだろう。残りもの、残りものといってもまだかなりの量が残っていたが、それをモミジが食べているのだった。

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週に三日ほど、餌を与えに来るお年寄りがいる、これも自転車男から聞いた情報だが、その老女が来る曜日ではなかった。ほかの誰かが、与えた餌なのだろうか。ともかく、この公園には自由ネコたちの面倒を見ている人がいるのだから、ポン太たちが餓死してしまう心配はなさそうである。


posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

旅行の写真は「里ふくろうフォトギャラリー」で

北海道旅行記をブログに載せていたのだが、風邪をひいたこともあって続きのアップが滞ってしまった。振り返ってみると、ヨーロッパ旅行しかり、サイパン旅行しかり、去年夏の北海道旅行しかりという具合に、そのうち、そのうちと思っているうちに月日は流れ、結局、旅行の最終日まで書き切った例しがないということになってしまった。

言い訳めいてしまうが、今でもそのうち書こうと思ってはいる。ただ、それがいつになるのか、自分でも分からない。そこで応急策として、『里ふくろうコム』の「里ふくろうフォトギャラリー」に、せめて写真だけでも載せておくことにした。一気に載せるのはとても無理だから、少しずつアップしていくことにします。そちらもご覧いただければありがたいと思います。

里ふくろうコム
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2012年01月07日

自由ネコたちの新年(2)

そんな期待を抱きながら写真を撮っていると、ほんとうに「ミャーオ」というなき声が聞こえるではないか。小走りで駆け寄ってきたのは、まぎれもなくポン太だった。体が一回り大きくなっていることと、鼻の頭に小さな傷ができていることをのぞけば、まったく変わりがなかった。

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すぐ近くまで来て、「ミャーオ、ミャーオ」と繰り返しすものだから、頭を撫で、首を揉んでから、背中をこすってあげた時、以前とは違う感触に気づいた。毛がかなり硬くなっていて、厚みのある毛の層がビッシリと体を覆っていた。ポン太の体は、もうすっかり冬仕様になっていたのだ。手の動きを止めて、手のひらを少し強く体に押し当ててみると、ほのかな暖かみが伝わってきた。

以前、煮干しを買い求めて写真のモデルになってくれた謝礼としてあげてみたが、見向きもされなかったことはすでに書いた。そこで今日は、バッグの中に忍ばせたタッパーに、魚肉ソーセージを乱切りにしたものを入れてあった。かつて房総の無人駅で、腹を空かせた子猫たちに与えたところ、うなり声をあげるほどの喜びようで、瞬く間に平らげてしまったことがあったので、それならば舌の肥えた自由ネコでも喜ぶだろうと胸算用したのだった。

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タッパーを取り出す音に気づいたポン太は、期待を込めてこちらのバッグから取り出すものを凝視していた。ところが、取り出したものはポン太の期待を裏切ってしまった。鼻先を近づけて慎重ににおいをかいでいたが、結局食べようとはしなかったのだ。

そこで、そういうこともあるかもしれないと思い、念のためタッパーに入れておいたカニかまを取り出し与えてみた。これは、家を出る時、冷蔵庫の中に二本残っていたカニかまを、一本だけ失敬しておいたのだ。すると、カニかまはお気に召したらしくて食べ始めた。カニかまを食べ終わったポン太は、池を見渡せるお気に入りの場所に行き、日だまりにの中で丁寧に身繕いを始めた。

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ポン太がいなくなったのを見計らって、今度はモミジがやってきて、魚肉ソーセージに鼻先を近づけた。そして、何回もにおいを嗅いでから、それを食べ始めたのだ。

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グループ内の序列に従って、食べる順番が決まっているのだ。最初はポン太、残りをモミジあるいはミコ、ポン太が全部食べてしまえば、あとのネコは食事にありつけないということなのだ。それが自由ネコたちの世界の現実なのだった。

日差しは暖かいが、冬の空気はやはり冷たい。その冷気の中に身を置けば、風邪の養生のため、家の中でぬくぬくと正月を過ごした身にとっては、体が冷え切ってしまうことが気にかかる。家を出る時に、軽い昼食だけしかとっていなかったことを思い出せば、一刻も早く何か温かいもので胃袋を満たす必要があると気がせく。何かに引き寄せられるかのように目を転じれば、少し離れた店の前のラーメンと記したのぼりが目に飛び込んできた。



posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

2012年01月06日

自由ネコたちの新年

年が改まってから、まだ一度も都心方面に出かける機会がなかった。喉の痛みはとっくにひいたが、鼻づまりが続き、どうもすっきりしないせいもあったが、佐倉くんだりから都心に行くと、交通費だけでもバカにならないから、出る機会がなければそれに越したことはない。ただ、一つだけ気がかりなことがあった。

察しの良い方はもうお分かりだと思うが、そう、あの自由ネコ「ポン太」のことなのだ。去年の秋は暖かい日が続いた。ところが年末になり、急激に寒くなり、年が明けても寒さが続いている。この寒さの中、ポン太とその仲間たちは無事年を越せただろうか、それが気がかりだった。

気温は昨日と同じ程度、ただ風がなく、病み上がりの身にとっては、おあつらえ向きの日和だった。今年になってから、シャッターボタンを一度も押すことのなかった一眼レフを担いで、撮り初めにあの公園に出かけたのだった。

池の畔には、穏やかな冬の日差しが注いでいた。平日なのに人出が多いのは、まだ松の内だからなのだろう。子供たちの姿もそこかしこに見受けられる。いつものように、ネコの姿を探しながら遊歩道を歩いていく。

ポン太が自由に行き来している場所が彼の縄張りだとすると、池の畔のかなり広い一角を占有しているということになる。ネコの縄張りというものが、一般的にどの程度の広さであるのかは知らないが、彼の縄張りの広さからすると、そのあたり一帯では、かなり顔が利く存在ではあるようだ。

ポン太のお気に入りの場所には、その姿はなかった。カメラを持った先客がいて、何かに向かってカメラを構えていたから、たぶんそのレンズの先にはネコがいるのだろう。横から入って邪魔するのも悪いので、その人が立ち去るまで待つことにした。

去年の秋、この場所で遭遇したあの自転車男は、公園のネコに関していろいろなことを教えてくれた。公園に居住する自由ネコたちの名前も、たくさん知っていた。、トラノスケ・アユ・チャコ・カエデ・ハチ・ポンちゃん・クロ・トラ・ミクロ・ミケそしておっかさん…という具合に、淀みなくネコの名前を挙げていった。聞けば彼が考えた名前ではなく、いつしかそんな名前で呼ばれるようになり、そのように呼ばれているのを聞き知って、覚えたということだった。それにしても、たいした記憶力だ。

ポン太と行動をともにしている二匹のネコの名前も、その中に含まれている。ただしここでは実名は避けて、「モミジ」「ミコ」と呼ぶことにする。その「モミジ」と「ミコ」という二匹のネコは、ポン太の仲間と言って良いのか、配下なのか、それとも家族なのか、そのあたりはよく分からないが、いつもポン太の近くにいて、争うこともなく過ごしているから、とりあえず仲間としておく。

粘り強く写真を撮っている女性がやっと立ち去った。彼女が撮っていたのは、その「モミジ」と「ミコ」だった。「モミジ」は、落ち葉が降り敷く日だまりに丸くなって眠りこけていた。「モミジ」も、落ち葉を布団代わりに座って、日差しを体いっぱいに浴びていた。「モミジ」のふっくらと丸みを帯びた体は、以前とまったく変わっていなかった。

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仲間の二匹のネコが無事ならば、ポン太も寒さをものともせず、たくましく生き延びているに違いない。どこからかひょっこり現れて、ミャーオとなきながら近づいてくるかもしれない。

(つづく)
posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

2012年01月04日

「軽」に乗り換えます

我が家の車はステップワゴン、子供が成長した今は、家族そろってドライブに出る機会はめっきり減った。皆無と言った方がいいかもしれない。乗り心地は悪くないのだが、なにせ維持費がかかる。月々のガソリン代、年ごとの自動車税、そして任意保険、さらに今年は7年目の車検もある。8人乗りの車に、夫婦二人だけが乗ってスーパーマーケットに行くのが主な用途だから、無駄であることこの上ない。

以前から、小さな車に乗り換える機会を見計らっていた。そんな折、昨年の末にホンダから新しい軽自動車がでるというニュースを聞きつけ、ステップワゴンの下取り価格を査定してもらったところ、予想以上の値をつけてくれた。発売前に予約すればさらに下取り価格を上乗せするというので、この機会を逃すまじと購入を決断した。

というわけで、新しい軽自動車「NBOX」に乗り換えることにしたのは、昨年末のこと、販売店にはまだ展示車もない時期だから、カタログを見たり、営業の人の話を聞いたりするだけで決断するより仕方がない。実物を見ないで判断することには多少の不安もあったが、身の丈にあった車にした方がいいにきまっている、という内心の声に押されて決断したという次第だ。

年末に、販売店から展示車が入ったという連絡をもらったが、風邪を引き込みそれもままならず、今日になってやっと店に足を運んだのだった。「軽」にしてはかなりボディが大きいと聞いていたが、実物を見ると、たしかに今までの「軽」のイメージより一回り大きい。ステップワゴンを一回り小さくしたと言っても良いだろう。

運転席に座ってみる。これも聞いていたことだが、たしかに運転席からの視点の高さは、ステップワゴンと大差ない。座高の高い私でも、頭上には余裕のスペースがあり、「軽」にありがちな圧迫感はまったくない。

後部座席に座ってみた。運転席同様、頭上には広いスペースがひろがり、足下にも広々とした空間が確保されていた。今乗っているステップワゴンの後部座席の足もとより広々としていて、窮屈な感じはまったくない。

実物を見るまでは心配だった点も解消し、これなら大きな違和感もなくスムーズに乗り換えることができるだろうと思った。NBOXが我が家に来るまでにはもう少し時間がかかりそうだが、これで安心して待っていられそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年01月03日

この雲は宏観現象?

年が明けてから初めて近所のスーパーに買い物に出た。屋上の駐車場から見上げた空には、筋状・放射状の雲が描かれていた。宏観現象に興味を持っている人が、この雲を見たら、どんな感想を持つのだろうか。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年01月01日

昨年末のこと

年末にひきこんだ風邪が長引き、年が明けて元旦を迎えてもまだすっきりしない。ただ、喉の痛みはだいぶ和らいできたから、快癒するのももうすぐのことだろう。

さかのぼること一週間ほど、12月25日のクリスマスの日から、それは始まった。まず水のような鼻水が流れ始めた。ちょうど花粉症に陥ったときに流れ落ちるあの鼻水とまったく同じで、粘りけがまったく無く、油断していると床にポトリと落ちてしまう。だから、両方の鼻の穴に、ティッシュペーパーを丸めて栓をしておかなければならなかった。

夜になって、喉に痛みを感じだした。床に入っても痛みはやまず、かえって今までに味わったことのないような強烈な痛みに襲われた。それと同時に、体の内部で何かが燃えているよう熱さを感じ始めていた。

これと同じような状態になったことは、今までにもある。そういう時は、喉の痛みがピークを越えると、痛みは感じなくなるが、その代わりに高熱が襲ってくきた。今回も同じような経過をたどるのだろうか、喉の痛みは耐え難いが、高熱にうなされるのもいやだ、だが、どちらかと言えば、高熱よりは喉の痛みの方が我慢できそうだ、そんなことを思っていると、耐え難い喉の痛みは一晩中続いたが、高熱に襲われることはなかった。

翌朝を迎えるころには、すでに気持ちは固まっていた。この尋常でない喉の痛みをなんとかしなければ、また同じように苦しい、いやもっと耐え難い夜を迎え迎えることになるかもしれない、だから、朝一番で医者に行った方がいいだろう、と。最近は、お医者さんの世話になったこともなく、医者嫌いとしてはありがたい日々を送っていたが、ここに至っては仕方がない、覚悟を決めて近所の医院に行ったのだった。

診察を受け、処方してもらった喉の痛みを和らげる薬などが効いたのか、日ごと痛みは感じなくなっていった。しかし倦怠感が体に重くのしかかり、書く材料はいくつかあったのだが、キーボードに向かう気力がなかなか蘇ってこなかくて、ブログ更新が滞ったという訳なのだった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

震度4の年賀状

最初はかすかな地響きのようだった。そのかすかな揺れはしばらく続いた。そして、おさまるどころかかえって少しずつ強まっていくころになって、やっと地震だと思うに至ったのだった。ちょうどサッカー天皇杯のテレビ中継が行われているときだった。

その後も揺れは続き、久しぶりで味わう大きな地震であることを確信した。部屋に常備しているヘルメットをかぶり、これ以上激しくならないようにと願いながら、テレビの地震速報が表示されるのを待った。しかし、サッカー天皇杯の中継画面が流れているだけだった。

強い揺れはかなり長く続いた。その間、あの去年の3月11日の地震がよみがえってきたことは言うまでもない。揺れがさらに激しくなってゆくのか、それとも次第に弱まってくるのか、そればかりはもう天に任せるより仕方がない。

幸いにして、揺れは徐々に弱まってきた。テレビに目を向けると、いつの間にか地震速報が流れていた。千葉県北西部は、「震度4」だった。震源地は、意外にも鳥島近海で、マグニチュードは7という大きな地震だった。

発生時刻:1月1日 14時28分
震源地:鳥島近海
位置:緯度 北緯31.4度
   経度 東経138.6度
震源:マグニチュード M7.0
深さ:約370km

【tenk.jp】
http://tenki.jp/earthquake/detail-9462.html?r=rss20120101143715

今年も、地震の恐怖と隣り合わせの暮らしが続くのだろうか。地震の多い日本の国土では、原子力発電所などというものは無用の長物であり、一刻も早く廃炉にした方がよいという意味を込めた賀状代わりのメッセージだったのだろうか。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗