年末にひきこんだ風邪が長引き、年が明けて元旦を迎えてもまだすっきりしない。ただ、喉の痛みはだいぶ和らいできたから、快癒するのももうすぐのことだろう。
さかのぼること一週間ほど、12月25日のクリスマスの日から、それは始まった。まず水のような鼻水が流れ始めた。ちょうど花粉症に陥ったときに流れ落ちるあの鼻水とまったく同じで、粘りけがまったく無く、油断していると床にポトリと落ちてしまう。だから、両方の鼻の穴に、ティッシュペーパーを丸めて栓をしておかなければならなかった。
夜になって、喉に痛みを感じだした。床に入っても痛みはやまず、かえって今までに味わったことのないような強烈な痛みに襲われた。それと同時に、体の内部で何かが燃えているよう熱さを感じ始めていた。
これと同じような状態になったことは、今までにもある。そういう時は、喉の痛みがピークを越えると、痛みは感じなくなるが、その代わりに高熱が襲ってくきた。今回も同じような経過をたどるのだろうか、喉の痛みは耐え難いが、高熱にうなされるのもいやだ、だが、どちらかと言えば、高熱よりは喉の痛みの方が我慢できそうだ、そんなことを思っていると、耐え難い喉の痛みは一晩中続いたが、高熱に襲われることはなかった。
翌朝を迎えるころには、すでに気持ちは固まっていた。この尋常でない喉の痛みをなんとかしなければ、また同じように苦しい、いやもっと耐え難い夜を迎え迎えることになるかもしれない、だから、朝一番で医者に行った方がいいだろう、と。最近は、お医者さんの世話になったこともなく、医者嫌いとしてはありがたい日々を送っていたが、ここに至っては仕方がない、覚悟を決めて近所の医院に行ったのだった。
診察を受け、処方してもらった喉の痛みを和らげる薬などが効いたのか、日ごと痛みは感じなくなっていった。しかし倦怠感が体に重くのしかかり、書く材料はいくつかあったのだが、キーボードに向かう気力がなかなか蘇ってこなかくて、ブログ更新が滞ったという訳なのだった。
震度4の年賀状
最初はかすかな地響きのようだった。そのかすかな揺れはしばらく続いた。そして、おさまるどころかかえって少しずつ強まっていくころになって、やっと地震だと思うに至ったのだった。ちょうどサッカー天皇杯のテレビ中継が行われているときだった。
その後も揺れは続き、久しぶりで味わう大きな地震であることを確信した。部屋に常備しているヘルメットをかぶり、これ以上激しくならないようにと願いながら、テレビの地震速報が表示されるのを待った。しかし、サッカー天皇杯の中継画面が流れているだけだった。
強い揺れはかなり長く続いた。その間、あの去年の3月11日の地震がよみがえってきたことは言うまでもない。揺れがさらに激しくなってゆくのか、それとも次第に弱まってくるのか、そればかりはもう天に任せるより仕方がない。
幸いにして、揺れは徐々に弱まってきた。テレビに目を向けると、いつの間にか地震速報が流れていた。千葉県北西部は、「震度4」だった。震源地は、意外にも鳥島近海で、マグニチュードは7という大きな地震だった。
発生時刻:1月1日 14時28分
震源地:鳥島近海
位置:緯度 北緯31.4度
経度 東経138.6度
震源:マグニチュード M7.0
深さ:約370km
【tenk.jp】
http://tenki.jp/earthquake/detail-9462.html?r=rss20120101143715
今年も、地震の恐怖と隣り合わせの暮らしが続くのだろうか。地震の多い日本の国土では、原子力発電所などというものは無用の長物であり、一刻も早く廃炉にした方がよいという意味を込めた賀状代わりのメッセージだったのだろうか。
その後も揺れは続き、久しぶりで味わう大きな地震であることを確信した。部屋に常備しているヘルメットをかぶり、これ以上激しくならないようにと願いながら、テレビの地震速報が表示されるのを待った。しかし、サッカー天皇杯の中継画面が流れているだけだった。
強い揺れはかなり長く続いた。その間、あの去年の3月11日の地震がよみがえってきたことは言うまでもない。揺れがさらに激しくなってゆくのか、それとも次第に弱まってくるのか、そればかりはもう天に任せるより仕方がない。
幸いにして、揺れは徐々に弱まってきた。テレビに目を向けると、いつの間にか地震速報が流れていた。千葉県北西部は、「震度4」だった。震源地は、意外にも鳥島近海で、マグニチュードは7という大きな地震だった。
発生時刻:1月1日 14時28分
震源地:鳥島近海
位置:緯度 北緯31.4度
経度 東経138.6度
震源:マグニチュード M7.0
深さ:約370km
【tenk.jp】
http://tenki.jp/earthquake/detail-9462.html?r=rss20120101143715
今年も、地震の恐怖と隣り合わせの暮らしが続くのだろうか。地震の多い日本の国土では、原子力発電所などというものは無用の長物であり、一刻も早く廃炉にした方がよいという意味を込めた賀状代わりのメッセージだったのだろうか。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗