2012年04月30日

イチハツや佐倉の里の侘住まい

今日、イチハツが咲いた。イチハツが咲くと、条件反射のように正岡子規の次の歌を思い出す。

 いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす

病床にある子規がイチハツの花を見て、この歌を詠んだのが根岸の里でのこと、俳句の革新にも足跡を残した子規を偲び、次のような句をひねり出してみた。

 イチハツや佐倉の里の侘住まい

実は、当方は俳句のたしなみなどないから、「根岸の里の侘住まい」を、ちょっと拝借したのだ。この言い回しは実に便利で、頭に適当な五音を付け加えるだけで、たちどころに一句を物することができる。たとえば、中村草田男の有名な句、

 降る雪や明治は遠くなりにけり

から「降る雪や」を借りてくれば、

 降る雪や根岸の里の侘住まい

ということになり、なぜかピッタリとおさまってしまう。かように便利な言葉なのであるが、当方が居住する地は佐倉なので、「佐倉の里の侘住まい」としたのである。

私が目覚めた時には、一つだけ咲いたイチハツの花は、すでに仏前に供えられていた。庭で咲いた状態を撮りたかったのだが、当方が遅く起きたのだから、仕方がない。足腰が弱って、自由に庭に下りていくことができなくなった母親が、生前、庭に咲くイチハツを見て、子規と同じように歌を詠んだことがあったのだから、イチハツが咲けば、まず仏前の備えるのが道理なのである。

201204_082.jpg


201204_083.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 23:23| 里のつれづれ

2012年04月29日

今年もゴーヤを育てよう

近くのホームセンターで、ゴーヤの苗を買ってきた。去年は3株だったが、予想以上の収穫があった。それに味をしめて、今年は4株購入した。一株198円だった。

201204_080.jpg


ゴーヤには連作障害があるそうで、同じ場所に苗を植える場合は、土を改良しておかなければならない。ただ今年はネットを張る位置を変えようと思っているので、土作りの必要はない。さて、去年のように豊作となるだろうか。

posted by 里実福太朗 at 22:46| 植物

昨日・今日のイチハツ

昨日のイチハツ
201204_075.jpg  201204_081.jpg


ニオイイリスは繁殖力が強く、今年もまた花の数を増やした。
201204_077.jpg


今日のイチハツ
201204_079.jpg
posted by 里実福太朗 at 22:01| 植物

2012年04月27日

NBOX一ヶ月点検

NBOXに乗り始めてから、ほぼ一ヶ月が経過した。約7年間乗っていたステップワゴンから乗り換えて、当初は戸惑う点もあったが、今はもうすっかり慣れてきて、軽自動車の使い勝手の良さを実感している昨今である。

たとえばスーパーの駐車場で、軽自動車専用の駐車スペースが利用できるようになったり、図体の大きいワンボックスカーにはさまれた狭いスペースに楽々と駐められたり、という具合に買い出しの際の便利な足として働いてくれている。

維持費が減少したのも、ありがたい点だ。四月一日に満タンにして、それからほぼ一ヶ月が経過した今日、ガソリンを入れに行った。いつも利用するガソリンスタンドは、リッターあたり144円で、全国平均と比べればまだ低い方だが、それでも原油高騰の影響を受けて高値となっている。そういう時期に、一ヶ月に一度満タンにするだけでよく、ガソリン代が4000円ほどですむのはありがたいことだ。

NBOX(G・Lパッケージ)に乗り換えてから、一番便利さを実感したのは、エンジンキーからリモコンキーにかわった点だ。ズボンのポケットにリモコンを入れておきさえすれば、ドアのボタンを押せばロックが解除されて、エンジンボタンを押せばエンジンがかかる。便利なこと、この上ない。

ハザードボタンを押そうとして、間違えてエンジンキーを押してしまうことはなくなった。ただ、エンジンボタンを押してエンジンを切ってから、何かし忘れたことがあるのではないかという感じは、薄れてきたとはいえまだ残っている。

今までは、エンジンを切ってから、最後にキーを抜き取っていた。そのクセが依然として残っているからなのだろう、エンジンボタンを押したあと、右手がハンドル支柱の右側に伸びて、あるはずのないキーをさぐってしまうことがある。体が覚え込んだことは、なかなか修正することができない。

一ヶ月点検が終わるのを待っている間、ショールームに展示されているフリードハイブリッドを暇に任せて見てみた。見ているうちに、あることに気がついた。NBOXと同じ位置に、エンジンボタンがないのだ。ドア越しではよく分からないから、ドアを開けてのぞき込んでみた。

しばらくして、やっと見つかった。なんとハンドルの支柱の右側にあった。つまり、旧来のエンジンキーを差し込む位置に設けられていたのだ。そして、それはただ押すだけではなく、押し込んでから回すノブタイプのものだった。やはり、エンジンをスタート/ストップさせる大切なボタンは、誤操作を避けるためにも、このように旧来の位置に設けるのが正解なのだろう。
 
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年04月25日

ニオイイリスが咲いた

写真展のことに気を取られているうちに、ニオイイリスが咲いていた。ブログの記事で確認してみたところ、去年は4月24日に咲いていた。今年は、春になっても寒い日が続き、桜の開花がだいぶ遅れたが、ニオイイリスは去年よりわずか一日遅れの開花だった。

201204_071.jpg


201204_072.jpg


イチハツのつぼみも、だいぶ膨らんできて、色づき始めていた。

201204_073.jpg


花の咲き具合からすると、ダッチアイリスが一番最初に咲いたようだった。その咲き始めは、残念ながら見逃してしまった。

201204_074.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 植物

写真塾写真展終了

201204_069.jpg


神楽坂写真塾写真展は本日で終了しました。おいでいただいた皆さま、ありがとうございました。

201204_070.jpg
posted by 里実福太朗 at 23:30| 写真

2012年04月23日

大橋先生のスピーチ

先週の金曜日から始まった神楽坂写真塾の写真展は、早いもので、水曜日までの二日を残すのみとなった。土曜日には、オープニングパーティが行われ、神楽坂を少しぶらぶらした後、六時頃アユミギャラリーに着いた時には、会場内は人で埋め尽くされ、中に入るには、満員電車のように入り口付近の人を押し込むようにしなければならなかった。

今回は写真塾の写真展だから、当然のことながら大橋富夫塾長のスピーチがあって、いつも通りの名調子を拝聴した。塾生の身で、大橋先生の写真について語るのは余りにもおこがましいが、先生のお話ぶりについて触れる位のことは、許していただけることだろう。

講義の際は別にして、今までに何回ともなく、大橋先生のお話をうかがう機会があった。近くは、早稲田スコットホールギャラリーの北田英治写真展、アユミギャラリーの有地訓写真展、さらに遡って3年前、神楽坂写真塾に入塾してから何度となくお聞きする機会に恵まれた。

どんな会合にもスピーチはつきものではあるが、スピーチほど難しいものはない、そんなふうにもよく言われる。型に従って話せば堅苦しくなり、かといってくだけすぎては座がしらけてしまう。

当方も仕事を持っていたころは、やむを得ずそういう場に立ったことはあるが、今は金輪際したいとは思わない。そういう私だからなおさら、大橋先生がいやな素振りも見せずそういう場に立たれることに、尊崇の念に近いものを覚えるのであろう。

大橋先生のお話は、あちらこちらに話題が飛ぶ。あらかじめ話す内容をきっちりと固め、構成を組み立てているとはとうてい思われない。その場に立って、思い浮かぶままに話しているのかもしれないとも思ってしまう。ところが不思議なことに、言葉が風のように体を通り過ぎていったあとには、しみじみとした気分になり、ある種のまとまりのあるお話だったなという印象が残る。土曜日のオープニングパーティの際、そんなことを近くにいた北田さんに話したところ、「写真のことが軸になっているからだよ」とおっしゃっていた。

たしかにその通りなのだ。その時のスピーチで、大橋先生が熱を込めて話されていたことは、写真の本質に関わることだった。それを文字に書き留めたものが、鈴木喜一さんのブログ「大地の家」に再録されているので、そこから引用させていただくことにする。

『写真は時のある一瞬を切り取って静止させているものだが、その反面、時とともに生き続け、まるで生きているかのように年を重ねているものでもあるのだ。』
http://daichinoie.blog6.fc2.com/blog-entry-7381.html
 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 写真

2012年04月19日

明日から写真展

神楽坂のアユミギャラリーにて、明日から「第11期 神楽坂写真塾 写真展」が開催される。会場を飾るのは、塾生18名の写真と、塾長の大橋富夫先生、そして講師の北田英治先生の作品、当方も微力ながら展示作業を手伝った。

201204_068.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 23:58| 写真

2012年04月18日

書くための道具

『私は、いまこの文章を、黄色い罫の四百時詰ルビつき原稿用紙に、万年筆で書いている。万年筆は、一章の部分はパーカー75の中細を使ったが、二章からシェーファーの太字の安物に取り替えた。』

吉行淳之介の「些細なこと」と題された文章の一節である。原稿用紙は、例の山田紙店製のもの、筆記具は、最初はパーカー、途中からシェーファーの万年筆を使ったと記している。引用部分のあとの箇所では、4Bの鉛筆を使ったことがあるとも書いている。

なぜ、書いている途中で筆記具を替えるのだろうか。単に気分を変えるためではなく、このように筆記具を使い分けるのには理由があるらしい。シェーファーの太字の安物に替えたのは、文章を書きあぐねていたためだと言う。そういう時は、筆の滑りの良いもの替えるそうだ。さらに滑りがよいものが、4Bの鉛筆ということだから、その鉛筆を使う時はがどういう状態であるのかは自ずと察しがつく。

さて昨今では、原稿用紙と筆記具に替えて、パソコンを文章作成の道具として活用している人も増えている。原稿用紙にあたるものがワープロソフト、筆記具はキーボードということになろう。ただ、吉行さんが記述の進捗状況に応じて筆記具を使い分けていたのと同じように、キーボードを使い分ける人は滅多にいないだろう。多くの人は、そこまで面倒なことはしない。文章作成の最初から最後まで、同じキーボードを使う。

ただ、同じキーボードを使い続けるけれど、使いやすいものとそうではないものとがあるのは、やはり筆記具の場合と同じである。キーボードにも個性があって、使いやすさは千差万別なのだ。万年筆にこだわりを持つ人がいるように、キーボードにこだわりを持つ人もいる。

かく言う私は、別に書くことを生業としているわけではないけれど、キーボードについては、ある程度のこだわりは持っている。まず、長時間キーボードをたたくこともあるので、キータッチはやわらかくて指に負担のかからないもの、キーの間隔が十分あるもの、そしてキーボードの下部に手をのせることのできる十分なスペースがあるものなどである。

それらの条件を満たすものが、現在使っているIBM製のキーボードなのである。Lenovoになる前のIBMの時代に、注文して取り寄せた。現在使っている机は、パソコン仕様になっていて、デスクトップの下に細長い引き出し部分があって、その上にキーボードをのせて使う。IBM製のキーボードの下部には十分なスペースがあり、さらに手前に少しつき出ている部分がある。それがあることで、机の引き出し部分の縁にのせることができて、キーボードが安定して使いやすくなる。

長年使い続けて、すでにキートップが二つなくなってしまった。「9」キーも少しがたがたしてきている。ほかにも寿命が尽きようとしているキーがある。それでも使い続けている。同じ形状のものがあれば、買い換えるのだが、さがしてもなかなか見つからない。いつまで使えるか分からないけれど、壊れてしまう前に、替わりのキーボードをさがしておかなければならないと思うのだが…

201204_067.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年04月17日

神楽坂「山田紙店」の原稿用紙

『昭和二十四年に書いた処女作の「薔薇販売人」の原稿が手もとに残っている。その原稿用紙は、四百字詰、黄色い罫のルビつきで、左隅に「神楽坂 山田製」と印刷してある。』
(「石膏色と赤」 1976年、講談社)

吉行淳之介の「原稿用紙」と題された文章の冒頭である。冒頭部分以下に記されていることによれば、「山田」とは神楽坂の山田紙店のことで、吉行さんはこの文章を書いた時点で、三十年近く山田紙店の原稿用紙を使っていたそうだ。

その当時は、市谷に住んでいて、となり駅の山田紙店の噂を聞いて、使うようになったらしい。どういう噂だったのかは詳らかにしていないが、庄野潤三さんにもすすめたそうだ。

アユミギャラリーに顔を出した帰途、神楽坂を下って山田紙店をさがしてみた。神楽坂下交差点の近くに、今もその紙店はあった。こぎれいなタバコ店のすぐ脇に、店の出入り口があった。正確に言えば、店の一部がタバコ売り場となっているのだった。

201204_062.jpg


201204_063.jpg


店内に足を踏み入れると、
「いらっしゃいませ」
と、奥の方からの声が迎えてくれた。見れば、かなり高齢の人だった。現在の店主なのだろうか。タバコ店のこぎれいさとは裏腹に、店内は古色蒼然とはいかないまでも、かなり古い時代の文房具店の雰囲気を残していた。

吉行さんの使っていた原稿用紙は、まだ売られているだろうか。さがしてみるまでもなく、段々畑のような棚にノート類が並べられた一角に、なぜか足は自然とすい寄せられて行った。その一角の隅に、原稿用紙の見本が並べられていた。そして、それを見た瞬間、これが吉行さんが使っていた原稿用紙に違いないと確信した。

『四百字詰原稿用紙の中央の余白にある太い二本の横線について、意見が衝突した。私はそれがヤボな感じがすると言い、主人は頑固に頷かなかった。といっても、喧嘩したわけではない。いまでは、私にもこの二本の線が目ざわりではなくなってきた。』

その原稿用紙には、確かに二本の横線が、中央の余白に太く入っていた。外枠の線よりも太く見えるその二本の横線は、どういう意図で設けられているのだろうか、吉行さんならずとも、そんな疑問がわいてくる。

その四百字詰の原稿用紙には、罫線の色違いの二種類があった。一つは黄色、もう一つは灰色、さて吉行さんはどちらの色のものを使っていたのだろうかと、買い求める段になって迷いが生じた。文章の冒頭をしっかり読んでいれば、迷うことはなかったのだが、黄色の罫線が目に障るような気がして、落ち着いた感じの灰色のものを選んでしまったのだった。

代金の支払いの際、店の人に訊いてみた。「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた人よりは若く、五十歳代に見えた。
「この原稿用紙は、昔から変わっていませんか」
「えゝ、同じですよ」
「吉行淳之介という作家が、こちらの原稿用紙を使っていたそうなんですが、ご存じですか」
「えゝ、それでした」

くだんの「原稿用紙」という文章で、吉行さんは、
『…この店は私が小説家であるのを知らない』
と書いている。店の人は、どういう経緯で、吉行淳之介が自分の店の原稿用紙を使っていることを知ったのだろうか。

「いや、黄色の罫線の方だったかもしれませんね、調べてみれば分かることですが」
「こちらに買いに来ていたんですか」
「いえ、送り届けていました」

この点についても、
『三十年近くのあいだに、私がその店に行ったのは、十数回である。』
と書いている。応対してくれている店の人は、その頃の吉行淳之介を知らなかったということなのだろう。

「亡くなったあとも、送っていましたよ」
「なぜですか?」
「ミヤギさんが使ったようです」
「ミヤギ? あゝ、ねむの木学園の宮城まり子さんですね」

吉行さんは、冒頭に引用したように、『四百字詰、黄色い罫のルビつき』の原稿用紙を使っていたが、私が買い求めた原稿用紙は、灰色罫線のものだった。一束百枚で、税込み五百二十五円だった。

201204_064.jpg


201204_065.jpg


ただし、せっかく買い求めた原稿用紙だが、今のところ、それを文字で埋める予定はない。今は、もっぱらキーボードを打って文章を入力している。白紙の原稿用紙を見ると、めまいに襲われるが、キーボードならば何の差し障りもなく、気楽な気持ちで文章作成に集中することができる。

なお、宮城まり子さんが園長をつとめる「ねむの木学園」の近くに、吉行淳之介文学館がある。

【吉行淳之介文学館】
http://www.nemunoki.or.jp/yoshiyuki/index.html
posted by 里実福太朗 at 23:45| 里ふくろうの日乗

2012年04月15日

花見の季節は嫌いだニャ〜

気温の低い日が続き開花の時期が遅れて、今か今かと待ち望んでいた桜の花も、咲いてしまえばあとは散るだけ、かくして今年の桜の季節も過ぎていこうとしている。来週になれば、喧噪を極めた公園も、元通りの静けさを取り戻すことだろう。そして、なによりもそれを待ち望んでいたのは、公園の自由ネコたちであろう。

桜前線が東京近辺にやってきてからというもの、ネコたちが自由に闊歩していた園内は、花見客に占領され、多くのネコたちは、その居場所を失った。連日連夜、宴会が開かれ、酔客に見つけられてしまえば、何をされるか分かったものではない。毎日、見つけられないように、身を隠していなければならなかった。

201204_031.jpg  201204_032.jpg


201204_035.jpg


ネコサポーターの人たちは、餌は与えたくても、人出が多くては為す術がない。ネコたちが食べ物をもらいに集まってくれば、すぐに黒山の人だかりとなってしまうことだろう。花見の季節が早く終わらないかなと願っていたのは、ネコたちだけではなく、ネコサポーターのみなさんも同様だったのかもしれない。

花見客で賑わう昼下がり、公園内のメインストリートから外れた小道を歩いていると、目の前をネコが堂々と横切っていった。ネコの視線の先には、エサの準備をしているネコサポーターの姿があった。

201204_037.jpg


201204_059.jpg


「今日は、これ一回だけだよ。これから、どんどん花見客が増えるからな。一回だけだから、腹一杯食べておけよ」
と話しかけながら、いくつも用意してあったタッパーからごっそりエサを取り出して、与え続けた。

201204_038.jpg


ときどき「あら、ネコ」と言ってカメラを向ける人もいたが、多くの人は花に気を取られて通り過ぎていった。エサを手際よくやり続けるサポーターのおじさんの傍らで、写真を撮っているうちにいろいろな話を聞くことができた。

ねこにエサを与えることができるようになるまでには、いろいろと苦労があったそうだ。以前は、エサをやっていると嫌がらせを受けることもあったという。公園にネコを捨てていく人がいる。そのまま放っておけば子供を産み落とすネコもいて、飼い主のいないネコがどんどん増えていく。そういうネコたちを保護してあげる人がいなければ、どうなるのか。エサを与えることを禁止するだけでは、問題は何も解決されない。そして、公園を管理する部署との戦いが始まった。根気強く交渉を重ねて、やっとエサやりの了解を取り付けた。ただし、条件があった。エサやりルールの講習会に参加することだった。そして、参加者には受講証が渡され、はれてエサを与えることができるようになる。
「講習会に参加する人は、何人位いるんですか」
「この公園だけでも、50人位はいたかな」
そう言って、受講証を見せてくれた。

食べ終わったネコは、エサ場を離れ、顔を洗って毛づくろいをしてから、爪を研いでどこかへと去って行った。

201204_060.jpg


201204_061.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 23:55| ねこ

2012年04月14日

頭隠して尻隠さず

佐倉の城址公園は、例年、花の季節には多くの花見客で賑わう桜の名所である。先週末から、すでに都心の桜は散り始めていた。水曜日、花散らしの雨が降って、さらに追い打ちをかけた。城址公園の桜も、落花の憂き目にあってしまったかもしれないが、NBOXに乗り換えてから、家の近所ばかりを走り回っていたものだから、次の日にドライブがてら行ってみることにしたのだった。

201204_050.jpg


予想に反して城址公園の桜は、まだ多くの花びらをまとっていた。ただ、花はあまり衰えてはいなかったが、周囲を華やかさで包み込むような花の勢いは感じられなかった。花見客の姿があまり多くなく、どことなく物寂しい雰囲気が漂っていたからだろうか。

201204_051.jpg


201204_052.jpg


201204_053.jpg


城址公園にも、自由ネコとおぼしき姿を見かけることがある。ネコサポーターが、エサを与えている様子を見かけることもある。ネコを見かける場所はだいたい決まっているから、広大な公園の隅々を探し回らなくても、そういった場所に行けばネコに出会える確率は高くなる。

園内の駐車場もそういった場所の一つである。その日も、駐車スペースの隅の方でネコの姿を発見した。一度は通り過ぎてしまったのだが、すぐ、あれはネコかもしれないと思い直して、引き返して注意深く見てみたところ、ネコに間違いなかったのだった。

201204_054.jpg  201204_055.jpg

カメラを構えて近づくと、こちらの気配を察したのだろう、駐車場を囲む植え込みに逃げ込んだ。忍び足で近づいてみたところ、なかなか逃げ出さない。さらに一歩一歩じりじりと近づく。それでもまだ逃げない。

初対面の人間には警戒心を抱くはずなのに、なぜ逃げ出さないのだろうか。頭だけ植え込みの中に入れて、お尻は丸見えの状態なのに、自分では隠れているつもりなのだろうか。まだ見つけられていないとでも思っているのだろうか。

201204_056.jpg


201204_057.jpg


ついに、手の届く所まで接近した。ためしに触ってみようか、見つかっていないと思い込んでいるならば、ピョンと飛び跳ねて、慌てふためいて逃げるに違いない。ところが、触ってみてもピクリともしない。かなり強く押してみたが、それでも微動だにしなかった。前に回って、上からのぞき込んでみたら、鋭い目つきてこちらを睨んでいた。

201204_058.jpg

posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

2012年04月11日

落花を急ぐさくら花

昨日の上野公園は、平日なのに相変わらずの賑わいだった。桜の花は早くも満開の峠を過ぎて、下り坂にさしかかっていた。時おり吹き抜ける強い風が、桜吹雪を演出してくれた。年ごとに繰り返して感じることではあるが、満開を過ぎた散り始めのころが、いちばん華やかな印象をもたらしてくれる。

201204_044.jpg


201204_045.jpg


桜の花の下では、昼間から乾杯しても、とがめる人は誰もいない。ただ、勤めを持つ人たちにとっては、やはり、平日の昼間に花見酒というわけにはいかない。ところどころに、大きなブルーシートが広げられ、主のいない席には桜の花びらが降り敷いていた。

201204_046.jpg  201204_047.jpg

15時から
飲みます。
お願いね黒ハート
10日です!


201204_048.jpg


スーツでビシッと決めた若者が、緊張の面持ちで確保した席を守っている所もあった。すでに樽入りビールなどがふんだんに用意されているところをみると、夜には盛大な宴会になっていることだろう。

201204_049.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年04月08日

今夜も花冷え

この週末は好天に恵まれ、桜もやっと満開となった。ただ、日中は暖かくて、少し動き回るだけで汗ばんでくるほどだが、朝夕は冷え込みが強く、日中の薄着のままで夜を迎えると、風邪を引き込むことになってしまう。

201204_028.jpg  201204_029.jpg


201204_030.jpg


桜の花が満開になるころに、春らしいぽかぽか陽気が、一転して冷気に包まれ、寒い日になってしまうことがある。大陸から冷たい空気が南下して、日本列島を覆うために生じる現象らしい。昔から、桜の季節にはこういったことがあったから、「花冷え」というしゃれた言葉も生まれたのだろう。

しかし、今年の春はちょっと違う。確かに朝晩は冷え込むが、それを「花冷え」と言っていいものかと迷う。暖かい日が続いたあと、急に気温の下がる日が訪れると「花冷え」なのだから、今年のように、日中は暖かく夜になると冷え込むことを繰り返す状態は、「花冷え」とはちょっと違うように感じるからだ。

それでは、どういう言葉で言い表してみればいいのだろうと思い巡らしてみれば、「夜寒」という言葉が浮かんでくるけれど、これは晩秋のころの夜の寒さを指すのだから、これもおかしい。

今夜あたりも、冷気に包まれた花の下で、夜桜見物をする人たちからは、
「今夜は花冷えだな」
というつぶやきが漏れることがあったかもしれない。本来の意味合いからは、ずれているかもしれないが、今年は今年で、そう言うのがふさわしい感じがする。

201204_042.jpg


201204_043.jpg
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年04月06日

桜の花便り_神田川

写真展の閉館は午後7時、それを待つ時間を利用して、早稲田スコットホールギャラリーから歩いて、近くを流れる神田川まで行ってみた。その辺には椿山荘もある。早稲田に来る前に立ち寄った上野公園では、桜の花が、もう満開と言ってもよいほどにひらいていた。神田川の両岸に植えられた桜も、満開の時期を迎えて待っていてくれた。

201204_021.jpg  201204_022.jpg


201204_024.jpg


201204_020.jpg


すでに夕暮れが迫り、やわらかな西日が、満開の桜花を照らしていた。川面に届かんばかりに垂れ下がる花は、次第に暗さを増す水底を背景にして、くっきりと浮かび上がって見えた。橋のたもとからのぞき込むと、まるで漆黒の夜空に散りばめられた星に向かって咲いているかのような錯覚さえ覚えるのだった。

201204_025.jpg


201204_027.jpg


posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

北田英治写真展「ベーハ小屋」始まる

昨日(3月5日)から、北田英治写真展「ベーハ小屋」が始まった。初日の昨日、写真展が行われている「早稲田スコットホールギャラリー」に足を運び、久しぶりで北田英治さんとも会ってきた。2月の、横浜での工場見学ナイトクルージング以来のことだ。と思ったが、記憶をたどってみると、アユミギャラリーでひらかれた有地訓写真展のオープニングパーティー以来のことだった。

早稲田スコットホールギャラリーは、大正期の煉瓦をそのまま展示壁面としているため、通常の展示会場とは違った面を持っている。重厚な雰囲気を醸し出す煉瓦壁面の使い方次第では、作品がその空間に埋没してしまい、印象が薄くなってしまうのではないかという危惧を感じさせる。

また展示会場の真ん中にぽっかり空いた広いスペースは、ゆったりとした居心地の良さを感じさせるが、特に小型の展示物の場合は、作品が持つ訴えかける力を、脆弱なものにしてしまうかもしれない。

【早稲田スコットホールギャラリー】
http://www.hoshien.or.jp/gallery/index.html

マイナスの方向へと働いてしまうかもしれない面を、プラスの方向へと向かわせるためには、何らかの工夫をしなければならない。今回の写真展では、そういった面を十分踏まえて、準備がなされてきたのだろう。展示会場に一歩足を踏み入れた時から、そんなふうに思ったのだった。

201204_011.jpg


【北田英治写真展「ベーハ小屋」】
期日:2012年4月5日(木)〜4月10日(火)
開館時間:12:00〜19:00
※日曜日、祝日、最終日は18:00まで

201204_010.jpg


201204_012.jpg  201204_014.jpg


201204_017.jpg

 
閉館後は高田馬場に出て、そこを地元とする写真塾のYさんの案内で、とある居酒屋にて祝賀会、そして写真談義に華を咲かせている内に、周囲は若い人たちで埋めつくされていた。4月1日に入学式を終えた、近くの大学の学生たちなのだろう。今はちょうどサークルへの勧誘時期、歓迎コンパで集まっていたのかもしれない。

201204_015.jpg


posted by 里実福太朗 at 23:50| 写真

2012年04月03日

NBOXのスタート/ストップスイッチ

今まで乗っていたステップワゴンは、ハンドル右側下部にキーを差し込んでエンジンをスタートさせるという方法だった。初めて乗った車から、ずっとこのやり方に慣れ親しんできた。

車が電化製品に近づいてきている現今では、スイッチ操作でエンジンをスタートさせるという方式は、時代の流れに沿ったやり方なのだろう。電気製品の電源スイッチを押すのと同じ感覚で、エンジンスタートスイッチを押すということなのだ。スタートキーをまわすことから、スタートスイッチを押すことに変わっただけのことだから、それが原因で、操作手順に混乱をきたすということにはならないはずなのだ、そう思って先日書いたことを考え直してみた。ほんとうに、ボタンを押してエンジンをスタートさせる方式に変わっただけで、手順に大きな違いが生じたような戸惑いを感じてしまったのだろうか。

そんなふうに考え直してみるきっかけは、ハザードスイッチを押そうと思って、誤ってスタート/ストップスイッチを押してしまったということだった。道路脇に一時的に停車したくて、路肩に車を寄せてハザードスイッチを押そうとした時のことだった。

ステップワゴンでは、ハザードスイッチはハンドルの左側のすぐ近くに設けられていた。押す場合は、長年の習慣で自然にその位置に左手が伸びた。その位置にハザードスイッチがあることは、もう体が覚え込んでいたのだ。

ところが、乗り換えたばかりのNBOXでは、その位置にスタート/ストップスイッチがあった。ハザードスイッチは、オーディオ機器をはめ込むボックスの下部に移っていた。その位置に変更されていることは、頭では理解していた。しかし、とっさの操作では体が覚えていた位置にあるスイッチ、つまりスタート/ストップスイッチを押してしまったのだった。

201204_007.jpg


長年、右手にキーを持ち、ハンドルの右側から差し込んでエンジンをスタートさせてきた。だから、右手でエンジンをスタートさせ、右手でエンジンを停止させるという操作は、体にしみこんでしまっていた。同様に、ハザードスイッチを押す操作も、体が覚え込んでしまっていた。

だからNBOXでも、スタート/ストップスイッチがハンドルの右側、ハザードスイッチが左側の同じ位置に設けられていたら、何の問題もなく操作することができたに違いない。エンジンをスタートさせたり切ったりするスイッチは、多くのスイッチの中でも特に大切なスイッチであるはずである。そのスイッチが左側に設けられていたことが、誤ったスイッチ操作をしてしまったことの原因だった。

身の回りにある機器のスイッチは、どのような位置に設けられているのだろうかと疑問に思ったので、いくつか確認してみた。電子レンジの温めスタートスイッチは本体の右側、ファンヒーターのスタートスイッチは右側、プリンターの電源スイッチは右側、かように電源スイッチは右側に設けられることが多いようだ。

一般的にはそういう傾向があるようだが、ブレーキペダルを踏み、スタートボタンを押して、セレクトレバーを「D」に入れ、パーキングブレーキを解除するという一連のエンジン始動操作の流れからすれば、スタート/ストップスイッチは、ハンドルの左側、セレクトレバーの近くに設けた方が合理的ではある。ただその理屈は、旧来の操作が染みこんだ体には通用しなかった。

初めて車を購入した人にはこういう問題が生じることはなく、あくまでも旧来のエンジンスタート方式に慣れ親しんできた人が、体と意識とのずれを味わって頭が混乱するということなのだろう。まあ、早く慣れるより仕方がないことではあるが…
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

暴風警報

低気圧が急速に発達しながら、北東に進んでいる影響で、ここ千葉県北西部でも夕方が近づくにつれて、強い風が吹くようになってきた。今のところ、強い雨は降っていない。

【気象衛星(東日本)】

(2012年4月3日 18時0分観測)

息子の勤めている会社では、午後3時に終業として社員を帰宅させたそうで、5時少し過ぎに帰ってきた。交通機関が止まる可能性もあることから、同じような対応をとった会社も多かったようだ。

庭にとめておいた自転車が2台、強風のために倒れた。予報では、今後さらに風雨が強まってくるそうだ。

201204_009.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 18:39| 里ふくろうの日乗

2012年04月02日

NBOXはならし運転中

今まで乗っていた8人乗りのステップワゴンは、約七年前に購入した。この七年の間に、省エネ指向が高まり、それに伴い技術面でもいろいろと進展があった。NBOXもそういった技術的な進歩の恩恵を受けているのはもちろんのことだが、さらにいろいろと独自の工夫も施されていた。

201204_005.jpg


エンジンの始動は、スタートボタンを押すことで行う。車が走り出すまでの操作手順は、今までとは大きな違いはないのだが、ボタンを押してエンジンをスタートさせる方式に変わっただけで、手順に大きな違いが生じたような戸惑いが生じて、初日は手順を頭に思い浮かべながら操作したのだった。ただ、そういう状態も最初の内だけで、二日目になると今まで通り自然に手・足が動くようになった。

アイドリングストップシステムは、燃費向上や、アイドリング中の騒音低減のためのシステムで、ブレーキペダルを踏んで停車している時には、エンジンが停まり、ブレーキペダルから足を離したりすると、エンジンが自動的に再スタートするというものだ。

201204_001.jpg


信号待ちの際は、スムーズに再スタートできるが、小さな四つ角などで左右を確認していてもエンジンが止まってしまい、煩わしさを感じることもあった。いっそシステムをオフにしておこうかなどと思うこともあった。ただコツを掴んでくれば、エンジンを切ることなく曲がることもできて、次第にこのシステムの良さが分かるようになってきた。

夫人も、最初はこわごわ乗っているという感じだった。早く慣れるために、今日は夫人がハンドルを握り、当方は助手席に座って、DVDレンタル店に行ってみた。帰りは、少し遠回りをしてみた。まだ肩に力が入っているように見受けられたが、それでもだいぶ慣れてきているようだった。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年04月01日

NBOXがやってきた

注文したのが昨年末、希望の色種の車は3月発売ということで、年を越えて3月を迎えるまでは、気の遠くなるほどのながさだと、その時は思った。ところが歳のせいなのだろうか、月日は途方もない早さで過ぎ去り、もう納車の日を迎えてしまった。

201203_0205.jpg


201203_0202.jpg  201203_0203.jpg


201203_0204.jpg


以前、ディーラーで展示車を間近に見て、運転席や後部座席に座ってみて、車内の広さは体験していた。そして、納車されたNBOXのハンドルを握って、実際に街中を走ってみて、改めて視界の広さを実感した。前も横も後ろも、窓が広い。ステップワゴンでも味わうことのなかった開放感だ。

201203_0206.jpg


201203_0207.jpg  201203_0208.jpg


201203_0209.jpg


視界の面だけでなく、車内空間の広さも取り上げておかなければならないだろう。当方、決してホンダの回し者ではありませんが、軽自動車でこれほど広い車内空間を創り出したことは、特筆に値することであろう。背が高く座高も高い私でも、頭上の空間にはかなりの余裕がある。また後部座席の足もとも広く、足を組んでもつま先が前席の背もたれに触れることはない。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗