2012年05月31日

大飯原発再稼働容認へ突き進む

5月30日に行われた関係閣僚会合(野田首相、細野・枝野各大臣、藤村官房長官、加えて仙谷由人氏も)で、野田首相は関西大飯原発の再稼働問題について、次のような考えを示した。

『関係自治体の一定のご理解が得られつつある対策と体制は整ってきております』
『安全が確保された原発は再起動させる必要がある』
『立地自治体である福井県おおい町に最大の敬意を表しつつ、立地自治体のご判断を得られれば…総理である私の責任で判断を行いたいと思います』

【20120531 「安全」はどこへ‥原発再稼動めぐる政治的思惑 大飯原発】

(Beaucoup2011 さんが 2012/05/31 に公開 )
http://www.youtube.com/watch?v=GRAsl97rFKw

これによって、とうとう関西大飯原発の再稼働に向けたお膳立てが整ってきたことになる。立地自治体のおおい町の町議会は、すでに再稼働容認を圧倒的多数で可決しているからだ。

【大飯原発:おおい町議会が再稼働容認、町長に報告へ〕】
http://mainichi.jp/select/news/20120514k0000e020157000c.html
〔毎日JP〕
(毎日新聞 2012年05月14日 11時08分(最終更新 05月14日 13時36分))

野田首相は、『福井県おおい町に最大の敬意を表しつつ』と述べたが、その採決の仕方を見れば、とても敬意を表することなどできないものであることは明白なのである。特に議長の言動が、大きな問題となっている。上記の動画にもその場面は含まれているが、その部分に焦点を絞った動画も以下に掲載しておく。

【これはひどい!! 再稼働容認 おおい町議会、驚愕の議長】

(Irving Miller さんが 2012/05/17 に公開 )
http://www.youtube.com/watch?v=sw5Z6PAOpcs

また関西広域連合も、
『暫定的な安全判断であることを前提に、限定的なものとして適切な判断をされるよう強く求める』
という声明を発表した。表現が抽象的で、再稼働についての考え方がいま一つピントと伝わってこない。再稼働については反対の立場をとり続けてきた橋下大阪市長は、この件をどのようにみているのか、5月31日の登庁時の囲み取材の動画を見て、彼の理解の仕方に耳を傾けてみよう。

【5月31日登庁時市長囲み取材 】

(cityosaka さんが 2012/05/30 に公開)
http://www.youtube.com/watch?v=bXUOv_x1F7E
…この件については、約18分後から

橋下市長は、はっきりと『再稼働容認』と述べていた。そして「限定的」という表現については、秋頃までの期間限定のことで、その時点で再度再稼働の妥当性を再度判断して、場合によっては再び停止ということはあり得ると解しているようだ。

原発の安全判断は暫定的であると言いながら、今夏の再稼働を容認するということは、結局は夏の電力不足を懸念する声に押し切られてしまったということなのだろう。

以前、大阪出身の人と、節電について話したことがある。昨夏、関東ではさまざまな知恵を出し合って節電に努めたが、今夏は、大飯原発が停止していることで、関西が節電を求められる状況になっている。そんなことが話題となった。すると、彼が言うことには、
「関西人は、節電なんかしないですよ」
と。真偽のほどは分からないが、関西生まれの人から断定的にそう言われてしまうと、そうなのかな、という気持ちにもなってくる。

その話は別にしても、関西も一度は節電を経験してみた方がいいのかもしれない。確かに去年の節電の時は、不便さを感じたこともあった。駅のエスカレーターが止まって、お年寄りが難渋している姿を見ることもあった。しかしそれによって節電意識が高まったのも事実なのだ。それは実際に節電という環境に身を置いてみないと生まれてこない、という面もあるに違いない。暫定的な安全基準などというまやかしで大飯原発を再稼働するより、関西の人も節電の夏を体験してみてはいかがだろうか。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

ヒナ誕生

昨日は外出して、巣の様子は確認できなかった。今朝、窓を開けてみたところ、また親鳥がいなかった。機をのがさないように、かねてより考えていたことをやってみた。一脚の先にデジカメをつけて、リモコンコードで撮影してみようというのだ。

巣の真上に一脚をのばすと、思いがけなくピヨピヨという黄色い鳴き声が聞こえた。そして上に向けられた三つのかわいらしいクチバシが、大きく開かれた。あまりにも突然のことだったのでかなり驚いたが、ヒナが誕生していたのだった。まだ目も開いていなくて、生まれたばかりのようだった。

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クチバシが三つ見えたから、少なくとも三羽は誕生したのだろう。何羽が無事巣立つことができるのだろうか、カラスなどに狙われないように、注意深く見守ってあげることにしよう。
posted by 里実福太朗 at 11:28| 動物

2012年05月29日

今日も航空機音がうるさかった

昨日は一日中、飛行機の騒音が空から降り注いだ。「キーン」という金属音のような音が聞こえる時は、極端な低空飛行をしている時で、そういう音が何回も聞こえた。

〔JAL〕
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〔ANA〕
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夜になれば、騒音から解放されるだろうと思っていたが、10時を過ぎてもまだ大きな飛行音を轟かせながら、何機も飛来してはゆうゆうと去って行った。一日を通して、2・3分おきに飛行機が飛んでいくのだから、こういう状態が毎日繰り返されれば、イライラがつのり精神面にも悪影響を及ぼす。

一年半前の2010年10月、羽田空港で新しい滑走路(D滑走路)の供用が開始されてから、飛行コースが大幅に変更された。その影響で、新しい飛行コースの下に位置する地域では、騒音被害が深刻な問題となった。ここ佐倉でも、D滑走路供用前には頭の片隅にもなかった騒音問題が、切実な問題として浮上してきた。

〔羽田再拡張後の飛行ルートについて〕
http://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/haneda/saikakuchou/index.html

このような状況を踏まえ、県及び関係市町は、国土交通省に対し騒音軽減等を求める申し入れを、2011年2月16日に行った。

【羽田再拡張後の運用に対する申し入れ】
http://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/haneda/kyougi/moushiire/haneda-h230216.html
更新日:平成23(2011)年6月22日

*.関係25市町
千葉市・市川市・船橋市・木更津市・松戸市・野田市・茂原市・佐倉市・習志野市・柏市・市原市・流山市・八千代市・我孫子市・鎌ケ谷市・君津市・富津市・浦安市・四街道市・袖ケ浦市・印西市・白井市・大網白里町・長柄町・長南町

〔申し入れ内容〕
1.昼間時間帯の運用について
◇富津沖海上ルートの運用について
◇内陸部における着陸ルートの分散について
2.深夜早朝時間帯(23時から翌6時)の運用について
3.今後の取り組みについて

〔国土交通省の回答〕
1.昼間時間帯の運用について
◇富津沖海上ルートの運用について
…「富津沖海上ルート」の運用慣熟の促進
◇内陸部における着陸ルートの分散について
…平成23年4月7日より、北風時の到着経路について改善を図った。他の経路に関する騒音改善策についても検討を続けていく。
2.深夜早朝時間帯(23時から翌6時)の運用について
…6,000フィート未満では千葉県陸域上空を通過しない”海上ルート”を原則としている。
3.今後の取り組みについて
…平成17年確認書及び平成22年確認書2(2)にある検討項目の早期着手を図る。

その後、申し入れが功を奏したのだろう、当地の騒音は軽減され、日々の生活の中で航空機騒音を意識することは少なくなった。

ところが昨今の騒音は、一年半前のD滑走路が供用され始めた時を思い起こさせる状態なのだ。傍若無人に騒音をまき散らしているような印象すら覚える。どうして、こんな状態が再度もたらされたのだろうか。

posted by 里実福太朗 at 23:48| 里ふくろうの日乗

ただ今抱卵中(2)

お昼少し前に、窓をそっと開けてのぞいてみたら、親鳥がいなかった。そのスキに、カメラを持って裏手に回り、写真を撮らせていただいた。

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一時頃、もう一度そっとのぞいてみたら、親鳥はすでに戻っていて、巣の中に座っていた。
posted by 里実福太朗 at 14:48| 動物

佐倉市…12時47分現在 大雨・洪水・雷 注意報

14時現在、風は少々強いが、青空に積乱雲が浮かぶ快晴。予報によれば、昨日に引き続き大気が不安定で、これから天気は大きくくずれるそうだ。佐倉市には、8時20分に雷注意報、12時47分に大雨・洪水注意報が発令された。

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昨日は、歯医者さんに4時半からの受診予約を入れていた。家を出る直前に、雨が降り出し、車で歯医者さんに向かう途中で、さらに雨風が強くなった。先日のようにヒョウまで降りだすことはなかったが、ヒヤヒヤしながら運転した。
posted by 里実福太朗 at 14:40| 里ふくろうの日乗

2012年05月28日

ただ今抱卵中

家の裏手の木で、鳥が巣を作り卵を温めている。ダイニングのちょうど北側で、窓を開ければ手の届きそうな距離のところにある。夫人が今日見つけて教えてくれた。

以前から、食事の時に鳥の影が窓ガラスに映ることがあったが、あまり気にはとめていなかった。その時、セッセと巣作りをするための材料を運んでいたのだろう。

この辺りでよく見かける鳥の一種だと思われるが、鳥の種類はまだ分からない。巣の上部に見え隠れする体の様子からは、雀などよりは大型の鳥のようだ。クチバシが黄色であれば、ムクドリということで落ち着くが、クチバシは黒っぽい。

次の写真は、窓をそっと開けて網戸越しに撮影したもので、だいぶ不鮮明ではあるが、画像の左側に黒っぽく見えるものが巣である。

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posted by 里実福太朗 at 21:48| 動物

2012年05月27日

小雨降る公園にて

フランス語講座を受講していた時は、その帰途立ち寄っていたから、公園に着くのは夕方に近い頃だった。ちょうどその頃が、あのエサやり二人組が来る時間帯と重なっていた。

そのフランス語講座も、今年の冬講座で受講を打ち切り、新年度からは地元の講座を受講することにしたから、以前と同じ曜日の同じ時間帯に、公園に立ち寄ることはなくなった。

先週久しぶりで、かつてフランス語講座があった曜日に出かけてみた。ただ、お昼を少し過ぎたころだったから、あの二人組に遭遇するなどということは予想もしていなかった。

家を出た頃から小雨が降り出し、公園に着いた時は少しばかり雨が強くなっていた。淡く光る新緑の季節は過ぎ、木々の緑はだいぶ深い色になっていた。重なり合う葉影の下は、小雨程度の雨ならば、雨宿りには格好の場所だ。カサをさすことなく雨をしのぐことができる。

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緑のカサの下に身を置いてから程なくして、あの二人組が姿を現した。周囲をうかがうように見渡したものの、当方の姿にはまだ気づかないようだった。
「今日は、ずいぶん早いですね」
と、こちらから先に切り出してみた。
「しばらく来てなかったから、おなかを空かしているんじゃないかと思って、早くきたんだ」
そう言いながらも、周囲を注意深くうかがっていた。きっと、あのネコサポーターがいるかいないかをチェックしていたのだろう。

ネコサポーターのオジサンから、エサやり二人組について、こんな話を聞いたことがあった。エサを与えてかわいがってくれるのはありがたいのだが、後始末をしないのが困りもの、ペーパープレートにエサを残したまま帰ってしまうから、カラスやハトがそれを狙って食べる。エサやりにもマナーがあることを知らないようなので、マナー講習会の案内書を渡したら、捨てて行ってしまった。こんな内容の話だった。この話からすると、ネコサポーターのオジサンは、エサやりマナーのボランティア指導員なのだろうか。

二人組は、ネコサポーターのオジサンの姿が見えないことを確認してから、目で合図してバッグからエサを取り出した。すると、すぐに自由ネコたちが姿を現してきた。すでに顔を見知ったネコばかりだった。ポン太の縄張り争いの相手のネコはいたが、ポン太はいなかった。出てきたネコたちは、やはり、エサにありついていなかったのだろう、いつもはおっとりと座って、行き来する人々を眺めているのに、すさまじい必死の形相で食べ始めた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

2012年05月25日

鳴り響く飛行音

午前中、行き来する飛行機がかなり低空を飛び、飛行音がかまびすしく響き渡ることが多かった。気象条件によって、飛行経路が変わったり、高度が変わるということがあるのだろうか。曇り空の今日、いつもよりまして騒音が気になった。午後は外出したから、その後のことは分からない。

羽田空港に国際線が発着するようになってからというもの、耳に障るほどの航空機騒音が多くなったことは、まだ記憶に新しい。成田空港の国際線の利用客が羽田に奪われ、その上、羽田を利用する航空機によって騒音が千葉上空にまき散らされ、千葉県民にとっては踏んだり蹴ったりの仕打ちなのだ。

その後、寄せられた苦情に対処したことで、騒音は軽減され、うるさいと感じる頻度は減った。ただ、それでもまだ、今日のように騒音を耳にすることはあった。

庭に出て空を見上げると、灰色の空を背景に、かなり大きな飛行機が南の方へと飛んでいった。その機影が消えると、もう次の飛行機が騒音を響かせながら飛んできた。かなり短い間隔で、次から次へと飛んできた。

写真に撮って拡大してみると、航空機会社もある程度分かる。次の写真は、垂直尾翼に欠けた黄色い星が見えるから「スカイマーク」、スカイマークといえば、つい最近も、4か月間に6件もトラブルが発生し、国土交通省から厳重注意を受けたばかりだ。

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機体の横に黄色のラインが入っていて、前方下部に「北海道」の文字が見えるのは「AIR DO」、北海道の千歳空港から飛び立ち、羽田に向かっているのだろう。

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そのほかにも、いろいろな形の飛行機が、騒音とともに飛び去って行った。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月23日

正体不明の木

庭の木が、たくさんの白い花をつけた。この家に住み始めてから、もう30年以上経つ。長く住み続けているのに、今まで、この木が花をつけたのを見たことがなかった。毎年咲いていたのに、気がつかなかっただけなのかもしれない、などとも思ったが、これほどたくさんの花をつければ、いくらなんでも気づかないわけがない。

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花の名前が分からない。夫人に尋ねたが、分からない。隣家の人に夫人が尋ねてみたが、やはり分からなかった。

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木は、すでにかなりの高さになっている。この家の先住者の植えた木が、30年以上かかって、やっと花を咲かせるまでに生長したということなのだろうか…

posted by 里実福太朗 at 23:52| 里ふくろうの日乗

2012年05月21日

金環日食観察記

目覚まし時計は5時半にセットしておいた。勤めていた頃でさえ5時50分頃に起きていたのだから、在職中より早く起きることになる。この佐倉の地で太陽が欠け始めるのは6時20分頃だから、少し余裕をみて、その頃には目覚めていなければならないのだ。

久しぶりで見る早朝の陽の光は、起きたての目には少々まぶしかった。庭に出て空を見上げれば、真上には青空が広がってはいるものの、少し南に目を転じると、いまいましい灰色の雲が覆っていた。そして、雲は徐々に勢力を北にのばし、それに伴って青空も北へと追いやられていった。

軽い朝食をすませて再び庭に下りてみると、雲はすでに空一面へと広がっていた。青空は、北の彼方にわずかに残っているだけだった。今日は見えないかもしれない、とあきらめ半分、雲の切れ目から見えることもあるかもしれない、とそれに望みを託す気持ちが半分、この空を見上げている人たちの多くは、そんな気持ちを抱いていたに違いない。

幾重にも重なった雲の層は、いかにも分厚く、とうてい雲の切れ目などが生じることなどないだろうと思われたが、それでも時おりまぶしさを届けてくれる雲のスポットが生まれることもあった。その機を逃さず、観察グラスで覗いてみたところ、黒で塗り込められたグラスに浮かぶ白い小円の、右肩のわずかな部分がもう欠け始めていた。

今まではどうしようかと迷っていたのだが、これでやっと決心がついた。狭苦しい庭に三脚を立てるよりは、広い公園に行って撮影しようと計画していたのだが、ともかく行ってみようと思い定めたのだった。

ここまで一気に書いてきて、ふと我に返れば、日食のことを書こうと思ってキーボードを打ち始めたのに、まだ庭でまごまごしている。この先のことを思えば、気が遠くなってくる。しかし、そんな心配をしていても仕方がない。ともかくも、金環日食を撮るために、車を走らすことにしよう。

公園には、すでにカメラを三脚に据え付けて、撮影体勢に入っている人もいた。空は相変わらず、雲で覆われている。慌てることはないが、いつ何時雲が切れるか分からないから、手際よく撮影の準備はしておかなければならない。

準備万端整っても、雲は非情にも空を覆っている。視線を遠く北方に注げば、青空の切れ端が見える。あの空の下は埼玉の辺りだろうか、それとももっと遠く、栃木・群馬の辺りだろうか。曇りがちの天気になることは、天気予報で伝えられていた。暗いうちから車を走らせて、今ごろはあの青空の下で、思う存分日食写真を撮っている人もいるかもしれない。

もう青空を期待することは、奇跡でも起こらない限りは難しい。あとは、雲の切れ間から太陽がのぞくのを待つのみである。金環日食の時間帯は、7時35分前後、時間は刻々と過ぎていくけれど、雲は相変わらず意地悪な表情を変えようとはしない。

このまま見られずに終わってしまったら…そんな不吉な想像が頭をよぎるものだから、気を紛らすために、雲の写真を撮ってみた。頭上を飛んでゆく飛行機も撮ってみた。そういえば、飛行機に乗って、雲上から日食を観察するというツアーもあった。

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どんよりと曇った空を撮るのだから、昨日作った自作フィルターは必要ない。しかし、急に雲が切れて日が射すかもしれず、念のためファインダーは覗かず、カメラのモニターを見ながら撮影した。何枚か撮った時に、モニターに薄ぼんやりと三日月が見えた。いや、三日月ではなく欠けた太陽の影だった。雲がちょうどフィルターの代わりになって、まぶしさはかなり低減され、月のような白さをたたえていた。

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その後も太陽は、思い出したように顔を出しては、また隠れてしまった。そして、金環日食が発生する時間帯になっても姿を隠したままで、残念ながら金色のリングを写真におさめることはできなかった。ただ、日食をまったく見られないかもしれないと危惧したことを思えば、雲に邪魔されたけれど、雲が薄くかかっていたことでかえって、フィルターを装着せずに撮影できたのだから、それをもって良しとするべきだろう。

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〔自作フィルターを装着して撮った写真〕
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月20日

日食撮影用の自作フィルター

日食撮影用のフィルターは、「NDフィルター」があれば申し分ない。ただ、いろいろなネットショップで探してもすべて売り切れ、さて、どうしたものかと思案していたが、昨日の写真塾での講義・実習をヒントに、あり合わせの材料で自作してみた。

ペーパープレートを四枚重ねて中央に長方形の穴を開け、その間に太陽観察用グラスを挟み込んで作成してみた。使用するレンズは300ミリの望遠レンズ、それを使って撮影できたとしても、3ミリ程度の大きさにしか写らないそうだ。

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せっかく作っても、明朝の天気が問題だ。天気予報によれば、曇りがちということらしい。こうなったら、天に祈るしかない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

第十二期神楽坂写真塾始まる

今年度は、何人かの塾生がそれぞれの事情で去り、新たに四名の塾生を迎えた。塾長の大橋富夫先生のお元気な姿を拝見すれば、こちらも新たな意欲がわいてくる。講師の北田英治先生も出席されて、第一回目の講座「天体を撮る」がスタートした。

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二日後に金環日食があることから、撮影するうえでの注意点などを、プロジェクターを使って具体的に分かりやすく示していただいた。

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その後、ビルの屋上に出て撮影実習を行った。そして、神楽坂の町を撮影しながら散策したあとは、懇親会へと続いていったのだった。

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横寺町では、バラの花が、今年はひときわ色鮮やかに咲いていた。
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神楽坂のネコは、首輪までしゃれている。
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posted by 里実福太朗 at 23:00| 写真

2012年05月19日

ポン太は縄張り防衛で大忙し

以前は、お気に入りの場所に行けば、ほぼ100パーセントの確率で、ポン太に会うことができた。ところが最近は、そこに行っても姿を見かけることはなく、その場に何時間かとどまっていると、やっとポン太が姿を見せるという状態が多くなっていた。

その日もそうだった。公園には昼過ぎに着いたけれど、もちろんポン太の姿は見えなかった。所在ない時の過ごし方は、自由ネコたちほどは慣れていないけれど、ある程度、要領は分かってきた。そのために、文庫本とか携帯ミュージックプレーヤを持参してきたのだ。ベンチに腰掛けて、音楽を聴き、本を読み、疲れたら、公園を行き来する人たちをボンヤリと眺めていればいいのだ、いつも、ポン太がしていたように。

どのくらい時間が過ぎただろうか、枯れ葉を踏みしめるかすかな音が聞こえた。振り返ると、ポン太が前方を注視しながら通り過ぎて行こうとしていた。
「ポン太」
と声を掛けると、歩みを止めた。もう一度、
「ポンちゃん」
と言うと、「ミャー」となきながら近づいてきた。

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そして近く立っていたクイに体を何回もなすりつけた。ひとしきり親愛の情を示したあとは、丸くなって一休みすることもあるのだが、その時は違った。遠くを見つめるような表情をして、もうこちらの存在など忘れたように、一点を見つめながら急ぎ足で去って行った。

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ポン太の視線の先には、見慣れないネコがいた。どうやらそのネコに狙いを定めたようだった。ネコにとっては得意技の忍び足で、身を低くしてそのネコに近づいていった。距離を詰めると、腰を落として草むらに潜み、攻撃するチャンスを狙った。

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機は熟した。ポン太は線を引くように、全速力で敵に突進した。しかし狙い定めた相手のネコは、ポン太の攻撃をスルリとかわして、塀の上へと逃れてしまった。縄張りから出て行けば、それでよかったのだろう。ポン太は、それ以上深追いすることはなかった。

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最近ポン太が、お気に入りの場所での「眺める生活」から遠ざかっていたのは、自分の縄張りを守ることで忙しかったからなのかもしれない。

posted by 里実福太朗 at 02:28| ねこ

2012年05月18日

どうしてこうなったんだろう

自動車税を振込みに行く途中で、交通事故を目撃した。中央分離帯にまたがった車は、左前輪が分離帯の左にあり、右前輪は右側、後輪は両方とも右側にあるという不自然な状態になっていた。

つまり前輪をのぞいて、車体のほとんどは向かって右側の車線に残っていた。ところが車の向きからすると、右側は反対車線にあたる。どのように運転すれば、こんな不可思議な状態にすることができるのだろう。

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この事故に巻き込まれた車はない模様だった。車の背後に回って、なにやら確認しているドライバーにも怪我はなかったようだ。

posted by 里実福太朗 at 23:58| 里ふくろうの日乗

ミカンの花が咲いた

今日のお昼過ぎ、一天にわかにかき曇り、雨が降り出し、雷が鳴り始めた。停電にもなった。今日の深夜2時過ぎ頃にも同じような状態が発生して、またもや竜巻襲来かと、外の様子に耳をそばだてて注意をはらっていたところ、幸いにして嵐はほどなく過ぎ去っていった。上空に冷気が入り込むと、こういった不穏な気象状態になるそうだ。

通り嵐が千葉県沖に抜けた後、庭に下りてゴーヤの状態を確かめていた時、ミカンの枝に白いものがついているのを見つけた。花だった。一般的に、5月上旬に咲くと言われているが、今日はもう18日、ミカンの開花も遅れているようだ。

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去年は、花は咲いたが「みのひとつだに」ないということになってしまった。今年は、一つくらいは収穫できるといいのだが…
posted by 里実福太朗 at 23:50| 植物

2012年05月17日

太陽観察専用SUNGLASSと佐倉市での見え方

2012年5月21日が目前に迫ってきた。その日の朝、首都圏で金環日食が観察できるのだ。なにしろ、173年ぶりのことで、この地で見るのは、当方の存命中はもう無理らしい。

かなり前から、秋葉原の家電量販店のカメラ売り場で、太陽観察用のグラスが大々的に売り出されていた。またいつもの騒ぎすぎ、どうせ便乗商法だろうと高をくくって、手は出すまいと決めていた。

そもそも、日食を見るために、専用の観察グラスというものを必要とするという点が、どうにも疑わしく思われた。記憶の糸をたぐってみれば、子供のころにも日食を見る機会はあった。おぼろげな記憶によれば、その時は、ガラスの板にローソクの煤をつけて、それを太陽にかざして見た。日食の記録を調べてみると、そのころ東京で観察できたものとしては、以下の日付のものがあった。
 1955年6月20日 13:01 〜 14:23
 1957年4月30日 07:06 〜 08:45
 1958年4月19日 11:31 〜 14:58
そういう体験があるから、観察用グラスを買い求める必要などはないだろうと思ったのだった。

その後、ネットは言うに及ばず、新聞・雑誌等にも日食関係の記事が日に日に増えてきた。そして、専用グラスを使わずに太陽を見ることの危険性が喧伝されるのに及び、ついに当方の心も折れて、先週末にネットで注文したのだった。会員登録してあったカメラメーカを経由して注文したところ、600円の割引価格で手に入れることができた。
 
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【全国市町村別金環食・部分日食観測ガイド】
 http://www.annulareclipse2012.com/
 
〔千葉県佐倉市の2012年5月21日の金環食予測〕
http://www.annulareclipse2012.com/chibaken_12212.html

上記ページによれば、佐倉市では、
『市役所付近での最大食は朝7時34分58秒頃。金環食継続時間は5分04秒程度。リングの均等度合いは90.4%前後と、真円のリングが楽しめる』
となっている。

日食開始時間:06:19:12
日食終了時間:09:03:30



posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月16日

カメラ用LEDライト

光量が足りない暗所で撮影するためには、絞りを開き、シャッタースピードを遅くして、感度(ISO値)を上げる、それでもダメならフラッシュをたくことになる。ただ、フラッシュは、被写体を大光量で一瞬だけ照らし出すため、どうしても不自然な感じになってしまう。

そこで、「カメラ用LEDライト」なるものを使ってみることにした。
光源:LED56個
電源:単三電池3本
カメラのホットシューに取り付け、明るさは無段階で調節できる。

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ネコの夜間撮影用として使ってみようと思っているのだが、ライトの光を当てた時、ネコが怖がって逃げ出す可能性があるので、まずは慣れているポン太で試してみようと思っている。

とりあえず手近なもので試し撮りしてみたものを、以下に載せておく。ともに、左側がライト未使用、右側がライトを使用して撮影したものだ。

〔例1〕
絞り:f4.0
シャッタースピード:1/60秒
ISO:800

201205_064.jpg  201205_065.jpg


〔例2〕
絞り:f4.7
シャッタースピード:1/20秒
ISO:800

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 写真

2012年05月13日

有地訓写真展「BATANES」の続編「UYUGAN」

東京都写真美術館からの帰途、ちょっと寄り道をしてネコのポン太の顔を見て、それから神楽坂アユミギャラリーへ向かった。有地さんは、先日、写真展を催したばかりだというのに、もうその続編の写真展を開いたのだ。

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当方も出品して、塾生十数人が参加したグループ展でさえも、その準備に多大なエネルギーを要した。まして個展となれば、想像を絶するエネルギーが必要となる。有地さんの前回の写真展の準備の日にうかがって、そのことを実感した。常人では、なかなかこういう芸当はできない。

今回の写真展「UYUGAN」は、前回の続編で、同じくフィリッピンの最北端の州「バタネス(Batanes)」を訪れた際、その州を構成する島の一つであるバタン島のオユガン(Uyugan)という村で撮影した写真が中心となっている。


(ツイッターより)

撮影地であるフィリピンのバタネス州については、以下の説明が分かりやすい。

『バタネス州はフィリピン最北の州であり、マニラより約860km、カガヤン州アパリより約280kmに位置する。台湾までは約190kmとルソン島よりも近い。面積209.3km2、人口約16,000人でともに国内最小の州である。州本島のバタン島(Batan Is.)、州最大の島イトバヤット島(Itbayat Is.)、サブタン島(Sabtang Is.)、その他の島々を含めたバタン諸島からなっている。州都はバタン島バスコ(Basco)、人口は約6,000人である。』

出典:Higuchi's Room
http://www2b.biglobe.ne.jp/~mbx/philippines_tourism_batanes.html

展示されている作品の中で、特に心を奪われたのは、村に暮らす子供たちの屈託のない表情と、動物たちのおだやかなまなざしだった。今の日本では、子供たちに向かってカメラを構えるのもはばかられるが、写真の中の子供たちの人なつこそうな表情を見れば、オユガン村では、きっとそんなことはなかったのだろうと容易に想像がつく。もちろんそれは、撮影者の人柄によるところが大であることは、ことわるまでもない。

上記「Higuchi's Room」に記載されているバタネスへの行き方を見ると、おいそれと訪れることのできる場所ではなさそうだ。しかし、今、アユミギャラリーに行けば、バタン島オユガン村の子供たち、そして動物たちに会うことができるのだ。きっと、心いやされるひと時を、過ごすことができることだろう。

有地訓写真展「UYUGAN」は、5月16日(水)まで。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 写真

2012年05月12日

二度目のドアノー展

生誕100年記念写真展「ロベール・ドアノー」は、5月13日が最終日、今回の写真展が終われば、当分開かれることはないだろう、そう思って、昨日、再度写真美術館に赴いた。展示されている写真を、一点一点丁寧に見直すことはもちろんのこと、それに加えて今回は、展示会場全体に目を向けて、展示の仕方にも着目してみることにした。

それというのも、先日行われた写真塾展に作品を出品して、展示の仕方に多少興味を抱いたからだ。展示された作品をを観てまわるとき、普通はもっぱら作品を観ることに意識を集中しているから、展示の仕方までに注意を払うことはあまりない。ところが、作品展示の仕方を自分で考えるという経験をしてみると、意外とそれが気になってくるのだ。

まずは、観てまわる順序だ。ドアノー展では、受付の人に右側(反時計回り)からご覧くださいと言われた。右端にはコンタクトシートが三葉ばかりが展示され、最初の解説版が続く。そして以下、「パリ郊外〜城壁の外側」を写した写真が並んでゆく。撮影された年代はまちまちで、最初期の一枚は、1929年の「舗石の山」、もっとも新しいものが、1952年の「ナンテール」…壁に松葉杖を立て掛けて、座っている男性を写した写真だ。

言われた通りに右端から左回り(反時計回り)で観ていくと、たまに左側から来る人がいる。相手がこちらをよけてくれるのか、それとも自分の方が進路を開けた方がいいのか、そういったことに余計な神経を使わなければならなくなる。どうして逆方向で回るのかといぶかしく思うが、受付の人が言い忘れたのかもしれず、仕方がないとあきらめる。

本来、回る向きというものは、何を根拠に決められるものだろうか。反対回りの人と出くわすと、そんなことまで気になり始める。実は、反時計回りで回っていると、なんとなく違和感のようなものを感じていたのだ。書籍の場合なら、縦組みの本は右から、横組みの本は左側から開く。そういう本の開き方が身に染み込んでいるからなのか、洋書が横組みであるのと同様に、フランスの写真家ドアノーの作品も、左側から時計回りに観てまわる方が違和感がないように思われる。

さて、作品展示は左に向かって、「冬の時代〜占領からパリ解放まで」に移り、以下、「郊外の休日」、「パリ〜イメージの釣り人」へと続いてゆく。この時期の作品が一番多い。以下は、次のようになる。
 『ヴォーグ』の時代
 ポートレイト
 ロベール・ドアノーとカラー
 子供たち
 変貌するパリ
このように、作品配列の区分けは、撮影場所と撮影年代、さらにテーマをを組み合わせて行われている。

みな魅力に満ちた写真ばかりであるが、その中でも特に子供たちを撮った写真は、なんど観てもあきることはない。たとえば、「牛乳を買いに行く子供たち」、「初めての先生、パリ」、「増水した側溝」など、子供たちの愛くるしい仕草と、そういう子供たちに注がれるドアノーの優しいまなざしとが想像されてくる。

展示会場の入り口に立って、ひとたび前方を見渡すと、まるでパリの街中に身を置いたような錯覚に陥る。見えるのは、ドアノーの写真の中から、子供たちが写っている部分だけを切り取り拡大して、厚めのパーティションの側面に張ってある光景だ。パーティションは少しずつずらして中央の空間に設置してあるから、入り口方向から視線を注げば、それらすべてを一目で見ることができる。ドアノーが撮ったあのあいらしい子供たちがいたパリの街角を歩いている、そんな気分に誘ってくれるという趣向なのだ。

写真家がとらえた世界を、鑑賞者が擬似的に共有するしながら作品を観る、そういったことが可能となる空間を提供することも、展示方法を考える上で大切なことなのだ。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 写真

2012年05月10日

ヒョウが降る

電気量販店で買い物をすませ、車で家に戻る途中のことだった。にわかに空が黒い雲で覆われ、ほどなく雨が降り出した。信号待ちしている間に、雨は激しさを増して吹き降りとなり、空を見上げれば、黒い雲が猛スピードで流れていく。風に煽られて、車が揺れ始める。ぴょっとして、竜巻が近づいているのかもしれない。数日前にあったばかりの竜巻被害の映像が蘇ってきた。

家に向かって走っていいる間にも、雨風はさらに強まり、夕暮れ時のように暗くなってくる。ライトをつけて走る車が増えてくる。フロントガラスに、白く光る小指大のつぶてが当たり、パシパシと音を立て始める。運転席の周囲四方を、パンパンという衝撃音が取り囲む。せっかくの新車が、デコボコ状態になりはしないかと心配になる。

家の駐車スペースに車を駐めた時も、ヒョウは降り続いていた。雷も鳴っている。逃げ込むように家に入り、テレビをつけて情報収集、しかしどの局もノンビリとしたもので、この事態への対応のお粗末さを露呈していた。千葉テレビも、地元のケーブルテレビもそうだった。緊急時に、いち早く情報を提供できる即時性がこういったメディアの命なのに、みずからそれを捨ててしまっているのだった。

夜のニュース番組では、ヒョウがかなり広範囲で降ったことを伝えていた。竜巻の被害は、さいわい今回はなかったようだ。車には被害はなかったが、ただ一つ咲き残っていたイチハツの花は、茎が途中で折れて地面を向いて垂れ下がっていた。ゴーヤは、無事だった。

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posted by 里実福太朗 at 23:30| 里のつれづれ

2012年05月09日

映画「ル・アーヴルの靴みがき」について

『見ている間、幸せで心が弾み、見終わった後も浮き浮きと楽しい。こんな映画はめったにない。』(山根貞男・映画評論家)

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朝日新聞のエンドロール欄に、この「港町で起きる奇跡の魔術」と題された記事が載ったのは、ロードショウが始まる4月28日の前日のことだった。舞台はル・アーヴルという港町、そしてフランス北西部にあるということがわかれば、ユーロスペースというミニシアターのある渋谷に出かけてみようか、と心が動くのも無理はない。

ただ、期待する気持ちが煽られすぎたのだろうか、映画を観ている最中も、観終わってからも、映画評にあるように心が弾み、幸せで満たされることはなかった。観ている時は終始、戸惑いの心が疑問を招き寄せ、見終わった後は何ともすっきりしない気持ちが残った。

映し出される画面は、フランスの写真家アジェ、いや、もう少しすこし時代を下ったほうがいいかもしれない、ドアノーが撮り続けたパリの写真を想起させる。となると、ドアノーが生きた時代を背景としているのだろう、と早合点しまいそうになるのだが、観ているうちに、いや、そうではない、時代は現代なのかもしれないとうすうす気づき始め、携帯電話が出てくる場面を観れば、それは決定的となってしまう。

しかしそれでもなお、画面から受ける印象が、一昔前に逆戻りさせてしまうから、観ている者は、時代を行ったり来たりして、なんとも居心地の悪い気分を抱きながら、物語の進行に付き合っていかなければならなくなる。

一昔前の映画を思わせる撮影手法が、背景の現実と、映像が創り出す虚構の現実とのズレをさらに増幅させる。たとえば、ミュージシャンのリトル・ボブが登場する場面、かくまった少年の密航費を捻出するためのチャリティコンサートに、ボブを引っ張り出すため、靴みがきのマルセル・マルクスがボブの妻ミミと仲直りさせるカフェの場面だ。

ミミと別れ失意に沈むボブが、カウンターに座っている。窓から入る光が逆光となり、彼の横顔に影を作り表情を隠している。マルセルはそんな彼に、ミミに謝罪の言葉をかければ、きっと帰って来てくれると説得する。ボブがその言葉に頷いた時、マルセルはカフェの外で待っていたミミに合図を送る。マルセルは、あらかじめボブが謝罪してくれれば、彼の元に戻る気持ちのあることを確かめていたのだった。二人が元の鞘に戻ったことは、言うまでもない。そして、ボブの顔に光がさして、暗いカフェの中に浮かび上がってくる。

こんなふうに描かれた場面を観ると、二人が仲直りをしたことを祝福するどころではなく、どうしてこのような旧態然とした演出をしたのだろうかという戸惑いの方が先立ってしまう。物語に浸るどころではなく、演出の方に気を取られてしまうのだ。

しょせん映画も作りごとの世界、現実をありのままに描く必要もない。しかし作りごとの世界であっても、それに徹していれば、観るものは安心してその虚構の世界に浸ることができる。ウソならウソでいいのである。ウソを突き通してくれれば、それでいいのである。どっちつかずが、一ばん観るものを混乱させる。

ラストシーンで、その混乱は極限に達する。マルセルの妻アルレッティは不治の病で入院していた。マルセルにはそのことを隠していたが、日に日に衰えて死を覚悟せざるをえない状況に陥っていく。ところが急転直下、奇跡が待っていたのである。

明らかに虚構だと分かる場面を積み重ねて、このラストシーンに至るのであれば、その結末を素直に受け入れたかもしれない。しかし、突然、予想外の、そして普通なら起こりえない奇跡が訪れたのでは、それに涙するどころか、苦笑さえ浮かびそうになってしまうのだった。

パンフレットに、アキ・カウリスマキ監督からのメッセージが載っている。そこから一部分を引用してみる。

『ヨーロッパ映画はこれまで、… 中略 …EUへやって来ようとする難民たちが受ける、通常ならあり得ない、往々にして不当な扱いについて描いてこなかったのだ。(一行空き)私にも、この難題への答えがあるわけではない。それでも、このとかく非現実的な映画で、この問題を取り上げたかったのだ。』

ここで重要なのは、監督自身が『非現実的な映画』と述べている点だ。その言葉を頼りに、もう一度この映画を振り返ってみて、今までに指摘した場面、物語の展開、さらに登場人物たちが皆、無表情で感情を押し殺した人物として描かれている点、また彼らが極端に様式化された日常を生きている点などを挙げれば、非現実的な世界を描こうとしてしていることは首肯される。

しかし、ここで疑問が浮かび上がってくる。難民という深刻な問題を、こういった手法で描くことの妥当性についてである。様式化された撮影手法、様式化された人物描写、様式化された話の展開、そういった型にはまった方法では、どうしても難民問題の深刻さが伝わってこない。伝わってきた監督の意図は、難民問題を扱うことではなく、様式美を描くことではなかったのかということだけだった。

エンドロールを見終わって出口に向かう時、年配の女性が同行の人に話しかけた言葉が聞こえてきた。
「なんだか、ウソっぽい映画だったわね」
 

 
posted by 里実福太朗 at 23:30| 里ふくろうの日乗

2012年05月08日

連休明けのバスツアー

連休明けの昨日、日帰りのバスツアーに参加して、富士山周辺をまわってきた。連休中には、高速道路で大きなバス事故があった。その事故の映像の記憶が、まだ生々しく残っている時期だから、旅行会社もバス会社も、細心の注意を払っているだろうと思っていた。ただその一方で、ドライバーも添乗員もフル回転の勤務で、疲労が蓄積しているかもしれず、連休が終わればヤレヤレと安堵して、緊張感が失われているのではないかとも想像され、一抹の不安がないことはなかった。

ツアー参加者は34名、出発してまもなく添乗員から紹介されたドライバーは、一目見て、場数を踏んだベテランであることは見当がついた。昨夜までの車の渋滞の列はすでに消え、朝の東関東自動車道は順調に流れていた。湾岸道路、首都高と乗り継ぎ、中央自動車道に入ったのだが、その間、渋滞に巻き込まれることはまったくなかった。

帰路は、東名高速を利用したが、やはり渋滞とは縁がなかった。気がかりは首都高の混雑状態、しかし拍子抜けがするほど空いていて、前方に車が一台も見えないということも何度かあった。どうしてこんなに空いているのだろうと、疑問に思うほどだった。

◇花の都公園…チューリップ観賞

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◇わさびの郷…主として買い物

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◇富士山新五合目…標高2,400mからの眺め
下界は雲に覆われていて、残念ながら期待していた眺望を見ることはできなかった。展望スペース周辺に残っていた雪を、ビニール袋に入れて持ち帰った。もちろん家に着くまでには融けて水になってしまったが、それでも五合目まで登った記念の富士山の水である。

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◇山のホテル…シャクヤク・ツツジの花鑑賞
シャクヤクは、盛りをすこし過ぎていたが、それでも見応えは十分だった。ツツジは、まだ多くの蕾が固く閉じられていた。

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◇鈴廣かまぼこの里…買い物
 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月06日

ジャーマンアイリスが咲いた

ニオイイリス、イチハツが咲き、それに続いて、今日ジャーマンアイリスが咲いた。

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ニオイイリスは、雨風に痛めつけられて全滅、イチハツは残っていたつぼみが咲いた。

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posted by 里実福太朗 at 23:29| 植物

2012年05月05日

ポン太を捜し求めて

行方不明のポン太のことが気がかりで、連休中、しかもこどもの日ということで、運雑は予想されたが、いつもの公園に出かけてみた。

お花見と時ほどではないが、予想通りの混雑だった。人出が多いと、ネコは警戒して人目につくところには出てこない。かつてポン太のお気に入りのところだった場所にも、行楽客が陣取っているのでは、とても邂逅は望むべくもなかった。

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そんな状態ではあったけれど、せっかく来たのだから、空いているベンチを探して、ポン太がかつてしていたように、行き来するする人たちを眺め暮らして時間を過ごしてみようと思い直した。そのうち、ヒョッコリ姿を現してくれるかもしれない。

仕事を持っている時は、何もせずにぼんやりと過ごすことが、たいそう贅沢なことのように思われて、そんな時間を持つことを夢見ることもあった。しかし退職して、やっと束縛されない時間をふんだんに持てるようになっても、いつもせかせかと動き回っていて、結局、無為に過ごすなどということとは縁遠い毎日を過ごしてきたように思う。

ベンチに座って、行き交う人々をただ眺めていると、最初のうちは面白みもあるが、次第に退屈な時間へと変わっていく。自由ネコたちのように、眺めているだけで時間を過ごすということは、なかなか難しいことなのだ。30分もしないうちに、カメラに手が伸びて、シャッターボタンを押してしまうのだった。

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いつまで待っても、ポン太は現れなかった。バカにならない交通費をかけて、わざわざ出かけてきたのだから、無駄に帰るわけにはいかない。意を決して、カバンから自由ネコの写真帳を取り出して、あのオジサンが座っているベンチへと向かった。

そのオジサンを、見かけない日はなかった。私がポン太の写真を撮っている時、いつもベンチに座って、ある時は寝転んで、本とか雑誌とかを読んでいた。いつもこざっぱりとした身なりをしていたから、自由人_いわゆるホームレスではないようだった。たぶん毎日のように、公園に通っているのだろう。ただ、どういう事情があるのかは、分からない。そのオジサンなら、ポン太のことだって知っているだろうと見当をつけたのだ。

「すいません、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」
と言いながら、写真帳のポン太の写真を見せた。
「このネコ、ご存じではないでしょうか。ずっとこのネコの写真を撮り続けていたんですが、ここ一ヶ月ほど、姿が見えなくなったんです」
オジサンはチラッと写真を見て、意外なことを口にした。
「いや、そのネコね、いますよ」
「エッ、見たことあるんですか」
「毎日、見てますよ、朝晩に」
「どこにいましたか」
「ほら、あそこ」
と言って、ポン太のお気に入りだった場所を指さした。
「あそこで、いつもエサをもらっているよ」

オジサンの証言によれば、ポン太がいなくなったと思っていたこの一ヶ月の間、ポン太はこの公園にいたということになる。そうならば、なぜ姿を見ることがなかったのだろうか。

たぶんこういうことなのだろう。人出の多い時期が続き、ネコたちの警戒心が強まり、またネコサポーターの人たちも、エサをやっていると見物人が増えるから、人少なになるころを見計らってエサをやるようになった。私といえば、帰りがラッシュアワーにぶつかるのがイヤで、早めに公園を後にすることが多かった。ネコサポーターがエサをやりに来るのは、私が公園を去ったあとだったのだ。

いつもより遅くまで公園にとどまっていることにした。そして、あのオジサンの言の通り、日が沈みかけてくるころに、ポン太が姿を現したのだった。以前よりなおいっそう薄汚れ、いくぶん痩せたようにも見えた。肩の辺りの毛が薄くなり、耳の毛は抜け落ちていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

ユーロスペースは整理券方式

「ル・アーヴルの靴みがき」の上映開始時間前にユーロスペースにたどり着いたものの、一階にはチケット売り場はなく、どこで購入してよいやら、それが分からない。とりあえずユーロスペースのある三階に、エレベーターで行ってみることにした。

エレベーターのドアが開いた時、そこには予想もしなかった光景があった。さほど広くないロービーには、人があふれていたのだ。その多くは高齢者で、京橋のフィルムセンターと客層が重なっていた。

「整理番号、50番までの方」
怒鳴り声に近い声が響くと、何人かの人がぞろぞろと入場口の方へと移動して行った。どうやら整理券が必要となるようなのだ。それを手に入れるにはどうしたらよいのか、雑踏の中で思案に暮れていると、
「これが整理券になります」
という声がかすかに聞こえてきた。人混みをかき分け、その声の辺りに近づくと、カウンターの前で白髪の老人が券を受け取っていた。すばやくその老人の後につき、
「ル・アーヴルの靴みがき、一枚」
と言えば、
「シニアですか」
と訊くものだから、
「えゝ、そうです」
と答えた。自分から申告する前に、「シニアですか」と訊かれたのは、初めてのことだった。

チケット販売員の方から、そう言ったのだから、当方がシニア層であることは外見から判断できたということなのだろう。だから、
「年齢を証明するものが必要ですか」
と訊くまでもなかったのかもしれないが、念のためそう尋ねてみた。
「いえ、大丈夫です」
若いスタッフにハッキリそう言われて、複雑な気分で「整理No.98」と印字された券を受け取ったのだった。

しばらくしてから、
「100番までの方」
という声にうながされて劇場内に入ってみると、すでに多くの席は埋まっていた。席は自由席、自分の好む席を確保したかったら、早めに行って若い番号の整理券を手に入れておけばよいということなのだった。

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posted by 里実福太朗 at 01:24| 里ふくろうの日乗

2012年05月04日

ゴーヤを植えた

ゴーヤを買ってからというもの、用事があったり雨にたたられたりで、なかなか植える機会がなかった。今日も一日中不安定な天気が続いた。夕方近くになり、雨が降り止んだ時に苗を植えた。その直後、また雨が降り出した。

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今回植えたゴーヤの種類は、「あばしゴーヤ」と呼ばれるもので、すこし小型の実がなるそうだ。この苗を購入した「ケイヨ−D2」のチラシによれば、『小さめの実で収穫量が多い品種です』とある。また「さつま大長」は、『実が大きい品種』、「接木ちゅらゴーヤ」は『接木苗は連作障害に強く多収穫が期待できます』とあった。「接木ちゅらゴーヤ」が一番値段が高く、298円だった。多収穫が期待できるのだから、むべなるかなである。
posted by 里実福太朗 at 22:42| 植物

道玄坂の映画館まで

映画「ル・アーヴルの靴みがき」の上映館「ユーロスペース」に行くには、渋谷駅ハチ公前からスクランブル交差点を渡り、道玄坂を上っていく。そして東急本店を通り過ぎ、文化村前の交差点を左折する。

前もって調べておいた道順は、こうだった。ともかく道玄坂を上っていけば文化村のあたりに着くはずだから、迷うことはないはずだ。雨の降る中、スクランブル交差点を渡れば、すぐ「109」に至る。そのビルは三叉路の頂点に立ち、右に行こうか左に行こうか、その判断を迫られる。左に伸びる歩道には、道玄坂という標識が立っていた。そこで「109」を右に見て進んだ。

坂道をかなり上って、道玄坂上交番前まで来ても、まだ東急本店が見えない。その時はじめて道を誤ったことに気づいた。「109」の三叉路を右に行くべきだったのだ。時刻は、すでに12時45分、映画は1時から始まる。標識には交番前とあるから、近くにあるはずだが、見つからない。こうなっては仕方がない、直進すれば、三叉路から右に伸びる道ぶつかるだろうと目星をつけて、交番前交差点を右折して歩き始めた。

三叉路からのびる二本の道というものは、行けば行くほどその間隔は離れていく。パリの郊外の町で道に迷った時もそうだった。たぶん多くのフランスの町がそうであるように、その町も、中心に教会があって、そこから放射線状に道がのびていた。道を一本間違えただけだったのに、目的地からおそろしく離れた場所に行ってしまい、通りすがりの人に道をたずねるはめになった。


パリの裏通りのように、ちょっと薄汚れた感じで、どことなく猥雑さを漂わせている細い道を歩いていると、なんとなく予感めいたものがわいてきた。その映画館は、こういう雰囲気の通りにあるのがふさわしい、そのうち「ル・アーヴルの靴みがき」の看板が見えてくるに違いない…そして、実際その通りになったのだった。

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ユーロスペースは、このビルの3階にあった。

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posted by 里実福太朗 at 02:25| 里ふくろうの日乗

2012年05月03日

雨に打たれて

せっかく咲いたイチハツとニオイイリスなのに、雨に打たれて地に倒れ、無残な姿になってしまった。

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posted by 里実福太朗 at 23:30| ねこ

2012年05月02日

雨の公園

渋谷のユーロスペースで上映されている「ル・アーブルの靴みがき」を観た帰り、久しぶりでネコ公園に立ち寄ってみた。雨が降っているから、自由ネコたちは雨を避けてどこかに姿を隠しているとは思うが、雨に濡れて、みずみずしさを増している新緑の木々の間を、そぞろ歩くのも悪くない。

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ポン太の姿を最期に見たのは3月18日、その日以来、花見の季節を挟み今に至るまで、ポン太以外のネコを見ることはあっても、ポン太と会うことはなかった。どうしたのだろうと心配になり、ネコサポーターの人に訊いてもみたが、
「ポン太は、男の子だから冒険の旅に出ているのかもしれないな」
などと言って、あまり気にかけていないふうだった。それにしても、もう一ヶ月以上、姿を隠している。

昔、吉祥寺に住んでいたころ、同じ名前のネコを飼っていたことがあった。ある日、姿が見えなくなり、かなり長い間行き方知らずになってしまった。自動車にでもひかれたのかもしれない、と思ってあきらめかけていた時、ヒョッコリ帰ってきた。体は薄汚れ、野良ネコ同然の落ちぶれた姿になっていた。

飼い主に不満があるから家出する、ということではないのだろう。ネコには放浪癖があると思っておいた方がいい。ポン太も、そのうちこの公園に帰ってくることだろう。

雨の降る公園には、ポン太以外のネコの姿も見えなかった。以前、やはり雨の降る日に、公園内の建物の軒下で、雨を避けてたたずむネコの姿を見たことがあった。それを思い出して、その軒下に行ってみたところ、その時と同じネコがポツンと座っていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ