2012年08月30日

90歳の写真家

写真塾の先生は、めでたくも傘寿をお迎えになったそうだ。長寿を祝すると共に、写真の腕前では難しいが、せめて年齢ぐらいは並びたいものだと思っている。ところが上には上があるもので、90歳を超えてもなおカメラを構えている写真家もいるのだ。報道写真家の福島菊次郎氏である。

銀座シネパトスで上映されている「ニッポンの嘘」は、その菊次郎氏を追いかけたドキュメンタリーだ。映画は主として菊次郎氏へのインタビューと、それに挟み込まれる菊次郎氏撮影の写真で構成されている。

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写真のことはさておけば、まずは、そのすさまじい生き方に圧倒される。パンフレットに載っている年譜から、一部を抜粋・要約しておくことにする。

1921:山口県生。
1946:初めてヒロシマを撮影。
1951:ヒロシマの被爆者を撮影。以後、10年以上に亘る。
1961:写真集【ピカドン ある原爆被災者の記録】
1969:写真集【ガス弾の谷間からの報告】(学生運動に取材)
1970:写真集【迫る危機:自衛隊と兵器産業を告発する】。暴漢に襲われ負傷、不審火による家の火事。
1977:写真集【戦場からの報告 三里塚・終わりなきたたかい】
1978:写真集【原爆と人間の記録】
1980:写真集【公害日本列島】、写真集【戦後の若者たち 叛逆の現場検証】
1981:写真集【天皇の親衛隊】、写真集【戦後の若者たちPart2 リブとふうてん】
1982:瀬戸内海の無人島で自給自足の生活。
1987:胃がん宣告。
1988:胃がん手術。
1989:写真集【瀬戸内離島物語】
2003:『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』
2005:『写らなかった戦後2 菊次郎の海』
2006:写真集【鶴のくる村】
2010:『写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな』
2011:フクシマを撮影。

これまでの生涯を貫く強靱な反骨精神は、何によって支えられているのだろう。それは、凡人には理解の及ばないところにあるに違いない。しかし、一つだけ想像することを許していただけば、それは、写真集【ピカドン ある原爆被災者の記録】の被爆者「中村さん」の無念さをはらしたい、という強烈な思いなのかも知れない。映画の中村さんの墓前での一場面、そこに映る号泣する写真家の姿を見ると、そんなふうにも思われてくる。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 写真

2012年08月28日

三原橋地下街の銀座シネパトス

銀座に「シネパトス」という映画館がある。地下鉄東銀座駅と銀座駅との中間辺り、もう少し具体的に言えば、晴海通りに沿って、改築中の歌舞伎座と銀座三越との中間辺りに位置している。

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現在は「シネパトス1・2・3」の三館からなる複合施設だが、もともとは1952年に三原橋地下街に開設された「テアトルニュース」と「銀座ゲームセンター」だったそうだ。

その後1967年に、「テアトルニュース」は「銀座名画座」となり、「銀座ゲームセンター」は「銀座地球座」となった。さらに1989年年に、「銀座名画座」は「シネパトス1」に、「銀座地球座」は二つに分割されて「シネパトス2・3」になったそうだ。

この三原橋地下街は、東京のど真ん中の銀座にあり、日本で一・二の古さをほこる。周囲が時代とともに近代的な高層ビルに生まれ変わるなか、開発の波にさらされることなく、古い時代の雰囲気を今に伝え続けてきた。しかし、それも限界が近づいてきた。ついに来年(2013年)三月末をもって老朽化のため取り壊されることになった。

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以上のことを書くにあたって、主として以下のウェブサイトを参照させていただきました。

【ハマちゃんのがらくた箱】
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/index.html

〔地下鉄日比谷線の上に謎の映画館!?〕
(1)三原橋地下街の謎
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-ima-3-1.htm
(2) 地下鉄日比谷線の建設
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-ima-3-2.htm

この地に、地下街が造られた経緯が、古い時代の地図や写真と共に詳しく説明されていて、とてもおもしろく読ませていただいた。たとえば、戦後直後の三原橋の写真 (昭和21年4月)、埋立中の三十間掘川(昭和23年4月)など…三原橋は、埋め立てられる前の三十間掘川にかかっていた橋だったのだ。

さて、くだんの「シネパトス1」では、現在、90歳の報道写真家ー福島菊次郎を描いた「ニッポンの嘘」が上映されている。

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posted by 里実福太朗 at 23:43| 里ふくろうの日乗

2012年08月26日

樹胴に棲むカエル

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 動物

セミの羽化

セミの羽化の瞬間には、今までに何回か立ち会ったことがあった。その時間は、多くは早朝、あるいは深夜だった。今回は、まだ明るい時分に、羽化直後のセミに遭遇した。

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posted by 里実福太朗 at 23:47| 動物

セミとり

この暑さの中、幼い子供が遊びに来た。熱中症になるのが心配で、昼日中は外に連れ出すこともできない。日が傾くのを待って、近くの総合公園に出かけてみた。昔、子供がまだ同じくらいに小さい時、よく遊びに行った公園だ。一時代が過ぎ去って、再び同じような時間が巡ってきた。

その公園を選んだのは、セミとりをするためだった。「マムシ注意」という注意板があるほどだから、自然は多く残されている。マムシが出そうな所に近づかないようにすれば、セミとり場所としては昔から格好の場所なのだった。

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釣りならばまさしく入れ食い状態、アブラゼミ・ミンミンゼミ・ツクツクボウシが次々に網に入ってきた。虫かごは、またたく間にセミであふれた。孫娘は、セミとりには尻込みしたが、セミの抜け殻とりに熱中して、網の中に大量の抜け殻を集めた。

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posted by 里実福太朗 at 23:28| 動物

2012年08月24日

齢かさねて父親と並ぶ

「とうとう」と言ったら良いのか、「もう」と言ったら良いのか、その両方であるような気もするが、ともかく父親がなくなった時の年齢に達した。ただ、この年齢に達してから、父親は何ヶ月かは生き続けたはずだから、厳密に言えば、まだ父親が生きた歳月には達していない。

父親が、生前主催していた短歌雑誌「雪炎」の追悼号の巻末に、年譜が載っている。母親がまとめたものだ。それによれば、父親の誕生日は7月2日である。祥月命日は忘れることはないが、親の誕生日は記憶に残っていない。そういうものかもしれない。

亡くなったのが次の年の1月23日だから、誕生日から数えて、ほぼ7ヶ月後に没したことになる。父親が生きた歳月を超えるには、来年の3月まで待たなければならないということなのである。

当時はまだ学生で、親と同居していた。だからといって、親の健康状態を事細かに把握していたわけではない。その年ごろの常として、親とは別の世界で生きていたようなものだったから…。今の私と同年齢の、最後の誕生日を迎えた頃から死に至るまでの父親の様子は、母親がまとめた年譜を読むことで、想像するよりしかたがない。

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昭和41年
1月7・8日…家族で安房鴨川へ旅行。
  13日…膵臓炎にてM病院に入院。絶食一週間。
2月10日…全快退院。
  18日…夕方より胃部激痛。
  19日…再度膵臓炎にてM病院に入院。絶食四日。
3月19日…退院

(以後、たびたび胃の激痛に襲われる。検査の結果は、いつも膵臓炎)

昭和42年
2月15〜20日…秋田県湯沢市へ講演旅行。
(体調がかなり悪かったようで、旅行の件で母親と話し合っていたことを覚えている)
6月12日…兄、永眠。
9月5日…レントゲン撮影。胃潰瘍がやや大きくなっているという診断。
  14日…胃カメラによる検査。
  18日…診断結果は、絶対に胃がんではなく、膵臓炎からくる胃潰瘍のため、膵臓を治さないと胃潰瘍も治らないということだった。

(この時、胃がんであることが分かっていれば、まだ手の打ちようがあったのかもしれない。明らかな誤診と言うべきだろう。以後、仕事の合間に、レントゲン撮影・胃カメラ検査を繰り返す)

12月4・5日…M病院にて、日大病院への入院に関する打ち合わせ。
   6日…日大病院にて入院手続き。
   7日…入院。
   19日…手術。胃がんと判明。手遅れにて、何もせずに縫合。

昭和43年
1月23日…日大病院にて永眠。
3月23日…遺稿集『万葉の春』出版。
 
posted by 里実福太朗 at 01:25| 里ふくろうの日乗

2012年08月23日

新顔の子ネコ

ネコ公園に、最近、見なれない子ネコがいることは複数のネコサポーターから耳にしていた。そのうちの一人から、
「今、エサを食べているわよ」
と教えられ行ってみると、こちらの気配を感じて、エサ場を離れてしまった。聞いていた通りまだ人を警戒していて、近づくとすぐ逃げ出してしまう。時間をかけて少しずつ間合いを詰め、仕切りの網越しになんとか撮ることができた。

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公園には、「動物の遺棄・虐待は犯罪です。」と注意書きした立て看板が設置されている。動物を捨てる行為は厳に戒められるべきことなのに、捨て猫とおぼしき子ネコが公園の新住民となってしまった。
 
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posted by 里実福太朗 at 12:03| ねこ

2012年08月22日

真っ黄色なゴーヤ

去年のことがあるから、毎日念入りにチェックしていたつもりだったが、今年も見落としてしまった。夫人が、サザンカの木に真っ黄色に熟したゴーヤーを発見したのだ。

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ちょうど目の高さのところに、そのゴーヤーは確かにあった。サザンカの木の周辺は、毎日必ずチェックしていた。葉の重なりのちょっと奥ではあるが、見つからない方がおかしいような場所である。一部ででも黄色に変色してくれば、気づいてもよさそうな場所なのである。それでも黄変するまで気づかなかったのだから、狐につままれたような感じがする。

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posted by 里実福太朗 at 18:45| 植物

2012年08月21日

池のほとりはセミ時雨

木々は強い日ざしを浴びて、黒の際立つ濃い影を地面に落とし、公園の風景は、あたかもコントラストの強い写真を見ているようだった。涼風が池を渡って吹いてくれれば、人心地もつくというものだが、十二分に熱気を含んでしまった大気は、池のほとりをどんよりと包み込み、まったく動こうとしなかった。そして、響き渡るアブラゼミの大合唱が、暑さを倍加させていた。

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ネコサポーターからポン太へのエサやりを頼まれている自由人は、暑さのためなのだろうか、いくぶん赤みの差した顔をしてでいつもの場所で過ごしていた。
「エサは足りていますか」
「だいじょうぶですよ、いつもの人が、毎日来てくれますから」
「この暑さなのに、毎日ですか…今日はまだ姿が見えないようですが」
「旅行に行くといってましたよ」

以前、二人組のネコサポーターから、旅行の話は聞いていた。一ヶ月に一度、都心からさほど遠くない温泉地へ、泊まりがけで行っているそうだ。一日目は午後出発して、温泉につかって疲れをとり、翌日の午後、まだ日が高い時分に戻ってくるということだった。

「それにしても異常な暑さですね…体調はどうですか」
「マァ、なんとか」
「飲み物は足りてますか…あァ、そこに野菜ジュースがありますね」
自由人の傍らに、紙パック入りの野菜ジュースが数本並んでいた。
「これ? これは、賞味期限が切れてるんですよ」

公園で暮らす自由ネコには、ネコサポーターがエサを提供して、その命を支えている。そして、エサやりができない時は、自由人にエサを預けて、ネコが姿を現した時にエサをやってくれるよう頼んでいる。見方によっては、人間様よりネコの方が大切に扱われていることにもなる。そのことを、温厚そうな自由人はどう思っているのだろうか。表面的には、エサやりを嫌っているようには見えなかったが…。

熱中症にならないようにするためには、ノドの渇きを覚える前に水分を補給しておいた方が良い。自由ネコの世話をしてくれているせめてのお礼という名目で、近くのコンビニで飲み物を買い求め、差し入れとしたのだった。

posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

2012年08月20日

ゴーヤーのなるミカンの木

ゴーヤーのツルが四方八方にのびて、いろいろな枝にからみついていることは、すでに記事にした。そして、そのツルにゴーヤーの実がなり、かなりの大きさになってきた。

ミカンの木には、二つの実がなった。そろそろ収穫してもよさそうなほど大きくなってきた。サザンカには、やはり二つの実がなった。そのうちの一つは、すでに収穫ずみだ。葉の重なりに隠れてぶら下がっている実もある。まだまだ、どこかの枝でひっそりとぶら下がり、日々生長を続けている実があるかもしれない。去年もそういう実があって、真っ黄色に熟してからやっと発見できたというようなこともあった。そうならないように、注意を怠らないようにしていくことにしよう。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ

2012年08月19日

にわか雨

庭でゴーヤーの撮影をしていた11時40分頃、にわかに空の雲行きが怪しくなり、どす黒い雲が青空を隠し始めた。ポツリと一滴の雨粒が、顔を打った。大型の双発飛行機が低空で飛行してきて、騒音を残して黒い雲の中へと消えていった。

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昨日の10時過ぎ、市からお知らせメールが届いた。大雨・洪水注意報が発表されたことを知らせる内容だった。その日は、午後に写真塾の講座が予定されていて、メールを受け取ったあと出かけてしまった。実際に大雨が降ったかどうかの確認はできなかった。帰宅後、夫人から聞いた話では、雷が二回に分けて鳴り響き、雨も強く降ったということだった。

しかし今日は、大雨のお知らせメールは送られていなかった。黒い雲が出ているのは空の一部だけで、空の大部分は青空が占めていた。この分では大雨に襲われることはないだろう、と思っていたところ、12時をちょっと過ぎたころ、大粒の雨が屋根を打ちつけ始めた。間髪を入れず、隣の奥さんの、
「里実さん、雨ですよ!」
という叫び声が聞こえ、我が家も慌てて洗濯物の取り入れに庭に走った。

雨が激しく降っているというのに、空にはまだ青空が見えていた。ほんとうに局所的な雨だったのだろう。十数分間激しく降り続いたあと、ケロリと泣き止む子どものように、何ごともなかったかのように雨は降り止んだのだった。
 
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posted by 里実福太朗 at 13:20| 里のつれづれ

2012年08月17日

激安インクカートリッジ

今年度最初の講評会が近づいてきた。準備しておくことは、過去三回の撮影会で撮った写真をプリントしておくこと、ここ二・三日、そのことに時間を費やしてきた。

以前なら、プリンター用インクの消耗度がとても気になった。というのも、メーカー純正のインクカートリッジが高価で…6000円近くした…、おまけに容量が少なく、カラになってしまうのが早いからだった。

そこで、互換カートリッジを使ったり、補充用インクを使ったりした。互換カートリッジであっても、純正品の三分の二程度の価格では、ふところ事情に悪影響を及ぼし、補充用インクは、それよりは安くても補充作業が面倒で、いくら注意していても手がインクで汚れてしまった。

プリンター本体に比べて、べらぼうに高いインクを呪う日々が続いたある日、以前からその存在を知ってはいたが、なかなか手を出す気にならなかった激安インクを、試してみようという気にとうとうなったのだった。

何しろその価格は、純正品の十分の一以下、いくら何でも安すぎる、実用とはならない粗悪品ではないだろうか、そんな心配を抱いていた。ただ、たとえ粗悪品だとしても、たいした出費にはならない。一度は試してみる価値はありそうだ。

世界最大級の品ぞろえをほこるネット通販の最大手で、さっそく注文してみた。何日かして出品者から届いた商品は、簡易包装の茶封筒に入っていた。プリンターが、仮に目詰まりでも起こして使い物にならなくなっても、それは諦めるより仕方がない。そう覚悟を決めて、インクカートリッジをセットしたのだった。

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激安インクカートリッジは、さいわい問題なく使えた。色の調子も、見た目では問題なさそうだった。その後、激安インクを使い続けているが、今に至るまで不良品に出くわしたことはない。プリンターに、不具合が生じたこともない。再生品の激安インクカートリッジは、写真修行を続けるうえで、強力な味方となったのだった。


 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年08月15日

終戦67年目の空

猛暑が戻り、庭に出ると強い日ざしが肌を射す。その強烈な日ざしのせいだろうか、それとも昨日まで吹きすさんだ強風のせいだろうか、ゴーヤーの葉の一部が黄ばんできて、中には枯れて茶色になるものさえ出てきた。ただ、実の生育状態に異常はなく、今日も5つを収穫して、収穫数はこれで合計10個となった。

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こんな日には、航空機騒音もなおいっそう不快に響いてくる。高度を高くして飛んでくれれば、騒音もかなり軽減されるのに、不快指数が高い日に限って低空を飛行して騒音をまき散らす。

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天気予報によれば、明日はさらに気温が上がり、熱中症に十分な注意が必要な日になるそうだ。そんな日には、節電のためにも家のエアコンを止めて、図書館にでも行って読書にいそしむことにしようか。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ

2012年08月14日

FUKUTAROの島ぞうり

以前、沖縄に行った時、宿の売店で見つけた島ぞうり、真ん中に「福」の字が刻印されていて、その下に「FUKUTARO」と記されていた。価格シールは、980円となっていた。

さっそくレジに持っていき、買い求めようとしたところ、「1」の字が薄くなっていて、ほんとうは「1980円」だったのだ。それはちょっと話が違う、と文句の一つでも言いたいところだが、よくよく見てみれば、たしかに「1」の字がかすかに見える。ただ、ゾウリ一つに2000円を出費するのは、もったいないことではないかと逡巡していると、レジの男が、
「どうしますか、やめますか」
と決断を迫る。「FUKUTARO」という名前入りのゾウリなど、今後お目にかかる機会などないかもしれない。「エイッ、ヤッ」と気合いを入れて、結局買うことにしたのだった。

それ以後、土産物店に立ち寄るたびに、島ぞうりの値段を確かめてみたところ、意外と高いことが分かった。買い求めた「FUKUTARO」の島ぞうりは、ゾウリの値段としては、特段高いものではなかったと言ってもよさそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 22:17| 里ふくろうの日乗

2012年08月12日

夜の上野動物園でパンダを見る

上野動物公園では、8月11(土)から16日(土)まで、終了時間を3時間延長して、夜の8時まで開園している。夜行性の動物を見るのには良い機会だと思い、初日の昨日、勇躍出かけてみたのだった。

お目当てはフクロウ、正門を入り、ジャイアントパンダの展示館を通り過ぎて、道なりに右方向に進んで行くと、フクロウ館があるはずだ。

すでに日は落ちて、園内は暗さを増していた。すぐ目の前にあるジャイアントパンダ舎には、展示は終了したと思わせるほど、行列はまったくできていなかった。ここで心が動いた。上野動物園には、何度か入園したことはあるが、パンダはまだ一度も見たことがなかったのだ。

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中国に高額な賃料を払い、赤ちゃんが生まれて成長すれば中国に返さなければならないと聞き、頭の中に、借りることへの疑問符が浮かんでいた。別にパンダが悪いわけではないけれど、なんとなくいやな感じがして、行列までして見たいとは思っていなかった。

ただ、目の前のパンダ舎には行列もまったくなく、フラッシュをたかなければ撮影は可となっているものだから、とうとうそちらに足が向いてしまった。そして実物を見てみれば…パンダは愛くるしく、しぐさはとても可愛らしかったことは認めなければならない。

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〔リーリー〕
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〔シンシン〕
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一度見てから、レンズを替えてもう一度入り直して、パンダ撮影にかなりの時間を費やしてしまったため、フクロウ館に行くのがだいぶ遅くなってしまった。途中、念のため係員に場所を確認したところ、なんと18時20分で終了してしまったということだった。動物によっては展示が早く終了することはあるにせよ、夜行性のフクロウは、これから活発に動き回るはずなのだ。いかにも残念なことであった。
posted by 里実福太朗 at 23:55| 動物

上野公園の蓮の花

不忍池の蓮の花が、今、盛りを迎えつつある。西側では、すでに一ヶ月ほど前から咲き始めていたが、東側はまだ蓮の葉がまばらで、池の面が見えている箇所もあるという状態だった。枯れ始めている葉もあった。

〔一ヶ月ほど前の西側の蓮の花〕
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今年は天候不順で、蓮の生育状況が悪いのかなと思っていたが、池を長年見続けている人によれば、毎年、蓮の開花は西側から始まり次第に東側に移っていくという話だった。そして今年も、はたしてその通りとなったのだった。


〔東側〕
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posted by 里実福太朗 at 23:36| 植物

2012年08月10日

今年もゴーヤーは豊作

回覧板を持って来た近所の人が、庭のゴーヤーを見るなり、
「お宅のゴーヤー、凄いことになっていますね」
と驚嘆の声を上げ、それが居間にいる私の耳にも響いてくる。

確かにゴーヤーは凄いことになっている。四方八方に伸びたツルは、あるものは屋根を越え、キジバトが巣をかけた庭で一番高い木のてっぺんに届き、サツキの枝に複雑にからみつき、椿の枝を経由して朝顔用のネットを横取りするほどになっている。

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以前は雄花ばかりが咲いて、はたして実はなるのだろうかと心配した時期もあった。しかし、そんな心配は過去のものとなった。近ごろは、実を数えるのが日課となっている。今日も数えたところ、22個は確認できた。すでに三つ収穫しているから、それを加えると25個となる。

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posted by 里実福太朗 at 23:38| 里のつれづれ

2012年08月09日

自由ネコたちも夏ばて?

昼下がりのネコ公園は、まるで夏ばてしたように動きが止まっていた。池のほとりに設営された仮設テントでは、骨董市が開かれていたが(8月12日まで)、ひやかし客も少なく店の人も所在なさそうな感じだった。

自由ネコたちへのエサやり時間はもう過ぎてしまったのか、ネコサポーターの姿もネコたちの姿もなかった。ポン太を求めて、先日再会を果たした辺りに足を向けて行くと、ネコサポーターがエサやりを依頼している自由人の姿が目に入った。その人とは、ポン太の件で何度か声を交わしたことがあった。

こちらから声を掛ける前に、先方から軽く会釈をしてきた。それに応えながら近づき、
「ポン太は元気ですか」
と尋ねると、
「元気ですよ」
と言いながら後を振り返った。しかし、そこにポン太の姿はなかった。
「さっきまでいたんですよ…」
なんとなく申し訳なさそうな口ぶりだった。
この自由人は、穏やかな感じの人で、知的な印象もある。どうしてこのような生活を送っているのか、そのあたりのことを訊いてみたい気もするが、赤の他人が、そういった微妙な部分にズケズケと入り込んいくことは、まだ避けた方がよさそうだった。
「いえ、元気であればいいんですよ。また来ます」
それだけ言って別れたのだった。

骨董市を横目で眺めながら来た道を引き返し、テントが尽きる辺りまで来ると、そこに一匹のネコの姿があった。今までに何度か見かけたことはあるが、ネコサポーターにもあまり慣れてなくて、エサをもらう時だけ来て、食べ終わるとすぐに去って行ってしまうようなネコだった。

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黒ネコも現れていた。ネコサポーターが、クロちゃん…なんの工夫もない名前だが…と呼んでいるネコだ。以前、冬の寒い時期、呼吸するたびにゼーゼーという音を喉の奥から出していたが、またその時と同じような音を出していた。

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近くの建物の裏に回ってみると、「チーちゃん」と呼ばれているネコが、日陰を見つけて寝ころんでいた。名前を呼ぶと、「ニャー」となきながら近づいてきた。警戒心の強いネコで、そのように近づいてきたことは今までになかった。右目からは、目やにが出ていた。顔の右側が、腫れているようだった。

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何かを訴えかけるようなまなざしを向けるのは、何か食べるものを求めているからだろうか。近くのコンビニに走り、カニカマを買い求めて与えてみたが、チーズが入っているのが気にくわなかったのだろうか、臭いをかいだだけで食べようとはしなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ

UENO3153

かつてレストラン「聚楽台」が入っていた西郷会館は、2008年に老朽化のため取り壊され、立て替え工事が行われていた。その間、西郷さんの像が工事の現場監督よろしく立って、上野の街を見下ろしている様子が見えていた。その工事も最終段階に入り、新しい建物が立ち上がってくると、その姿は下からは見えなくなった。ちょっと残念な気もする。

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壁面の左上には「UENO3153」の文字が見える。「3153」という数字が何を意味するのか、最初見た時は見当がつかなかったが、あとで分かった。「さ・い・ごう・さん」つまり、西郷さんのことなのだ。

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この「UENO3153(西郷会館)」は、9月15日にオープンを予定しているそうだ。地上3階、地下2階のビルには、主に飲食店が入るらしい。

3階:精養軒、さつま魚鮮
2階:ねぎし、叙々苑、ペッパーランチ
1階:ファミリーマート、ロッテリア、コージーコーナー
地下1階:銀座ライオン、旭鮨
地下2階:鳥よし
posted by 里実福太朗 at 21:48| 里ふくろうの日乗

2012年08月08日

お別れの会

近ごろ深夜のテレビ五輪観戦が続き、いささか寝不足気味になっている。今週に入り、サッカーの女子・男子の試合が続き、「なでしこ」は勝ったものの、男子が応援のしがいもなくメキシコに敗れて、寝不足に敗戦の無念さが加わるのでは、疲れも倍加するというものだ。

おまけに昨日は、都心で行われたある会合に出席するため、いつもより早く起きなければならず、試合が始まる25時頃には睡魔に襲われる始末だった。応援する気力は長続きせず、これではミスを重ねる選手たちを責めるわけにもいかない。応援する方も、気力を充実させておかなければ、はるかロンドンまで気を送ることはできない。

さて、都心で行われた集まりとは、かつての勤務先で理事長を勤められていた方が最近お亡くなりになり、その方を偲ぶ「お別れの会」であった。行年100歳、まさしく天寿を全うされたということになろう。

一時代を築いた芸能人などが亡くなると、よく「お別れの会」が催され、その模様が芸能ニュースなどで伝えられることもある。そういった映像で、親交のあった役者さんが弔辞を読む場面に接することもある。演技することを専門とするのだから、実に巧みに遺影に向かって語りかける。大切な人を失った悲しみに偽りなどなくても、上手に読めば読むほど、ドラマの一場面のような印象を受けてしまう。

芸能人の場合は特有の事情があるのかもしれないが、それでも弔辞などというものは無ければ無いに越したことはない。今回の「お別れの会」は、そういった意味で好ましいものだった。会が行われている時間内の都合の良い時間に会場に入り、献花にて故人にお別れするという簡素なものだった。隣接する部屋に立食形式の席が設けられていて、他の参列者と故人の思い出話を交わすことができた。

その職場に、縁があって採用試験を受けることになり…試験といっても面接だけだったが…その際、面接したのが故人だった。二十代の頃にコンピュータ業界に身を置いたことのあった関係で…その後まったく別の分野に転身したのだが…屋舎の全面改築の際、建設委員会の一員として、ネットワーク関係の立案等に関わり、構築費用の見積もりなども行った。何しろ何千万といういう費用がかかるのだから、理事長もおいそれとは決済印を押すことはできない。何度か説明を求められ、理事長室に出向いたこともあった。

定年前の退職を決意した年のある日、すでに理事長の職を辞していた故人から、自宅に電話がかかってきたことがあった。不審に思いながらも電話口に出てみれば、早期退職することはないでしょうね、と釘を刺す内容の話だった。

恩ある人が理事長の職にある間は、定年前に退職することにはためらいがあった。しかしその人が去れば、もう思いとどまる理由はなかった。密かに退職する決意を固め、職場の人に漏らすこともなかった。それなのに電話がかかってきたのは、なぜなのだろう。うっかり口を滑らせてしまって、それが誰かを経由して伝わったのだろうか。しかし、口を滑らせたことは記憶になかった。

想像するに、察しのよい故人のこと、自分が理事長の職を去れば、タガが外れて退職を考える人間が出てくるかもしれない。そう案じて、電話をかけてきたのかもしれない。電話口では言葉を濁しておいたが、その時はもう心は決まっていた。

参列者野中にはには、私より前に退職した人、後に退職した人、あるいはまだ現役の人などがいて、それぞれいくつかのグループを作ってテーブルを囲んでいた。

『時の忘れがたみ』にも登場した、あのイヌを極端に怖がり、平家の末裔だと自慢する人物とも再会した。風の便りに、重要な役職に就いたものの体をこわして入院したと聞いていたが、仕事を変わってから体調も元に戻ったそうで、日焼けした元気な姿を見せていた。そして饒舌であることも、変わっていなかった。モデルとなってくれた彼には、もちろんその本を送ったのだった。
「続編は出さないのですか」
開口一番こう尋ねられて、
「今度は、フォトエッセイ集を出すかもしれませんよ」
と、とっさに答えたものの、本当のところはまだ出す当てはない。

徐々に人少なになっていく会場をあとにして、お堀端に建つ会館の外に出た時は、まだ強い日ざしが照りつけていた。時間はまだ早い。心は自ずとネコ公園へと向かっていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年08月05日

東の空に浮かぶ奇妙な雲

帰途立ち寄った世田谷のマンションから、東の空に、横に真っ直ぐのびる雲が浮かんでいるのを目撃した。あまり見たことのない奇妙な形状の雲だった。

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手前の線路は小田急線で、左方面が新宿。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里のつれづれ

一周忌

昨夏、七十歳で他界した姉の一周忌。一月前に、次男の家庭に三番目の命が誕生して、今日、その孫娘と墓前での初めての対面となった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ

2012年08月04日

今夏初収穫のゴーヤー

今年植えたゴーヤーの苗は、小振りの実がなるという品種だった。ネットから垂れ下がった実が、今よりさらに大きくなることは、もう期待できそうにもない。先端もかなり白っぽくなってきているので、思い切って収穫することにした。

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今晩の夕食には、ゴーヤーチャンプルーが一品加わることになるだろう。

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posted by 里実福太朗 at 13:32| 里のつれづれ

2012年08月01日

甲府の格安ホテル

甲府での宿泊先は、夕食・朝食付きの一泊料金が6000円ほどで、お寺さんに近いという立地の良さで予約したのだった。

このホテルの所在地を地図で確認してみたところ、以前何度か利用したことのあるホテルと、同一の場所のようだった。そのホテルは厚生年金福祉施設で、法事の際によく利用したことがあった。

ホテルのホームページを見ると、外観そしてホテル内のレストランなどは、見覚えのあるものだった。同一のホテルのようだが、名称が異なっている。推察するに、経営主体が変わって、名称が変更されたということなのだろう。

当方の墓参のためなら絶好の立地なのだが、甲府駅からは少し遠く、少し車で5分程度のところに温泉施設はあるが、ホテル内にはない。こういった点がマイナス要素になって赤字がふくらみ、整理対象施設になったのだろうか。そうであるならば、公的年金保険料が年金給付以外の用途に使われ、結局、保険料の無駄遣いという結果で終わってしまったということになる。

厚生年金保険料を贅沢に投入したのだろう、ビジネスホテルとはひと味違う、こぢんまりとした落ち着いた雰囲気を漂わせているホテルである。そういったホテルを格安料金で利用できるのも、保険料を無駄遣いしてくれたおかげとは、なんとも皮肉なことである。

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posted by 里実福太朗 at 22:53| 里ふくろうの日乗

猛暑を力にゴーヤーは育つ

八ヶ岳で何日か過ごしているうちに、二つのゴーヤーはすくすくと育っていた。さらに、ゴーヤーの子供が四つも生まれていた。

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posted by 里実福太朗 at 17:24| 里のつれづれ