9月7日から26日まで、東京ミッドタウンのFUJIFILM SQUAREで、「昭和の記憶」という写真展が開催された。
八人の写真家が、激動の昭和という時代(昭和7年〜昭和44年)をそれぞれの視点で切り撮った写真が、次のテーマに沿って展示されていた。
1.モダン東京と下町
2.戦時下の東京
3.廃墟からの出発
4.復興する街
5.もはや戦後ではない
6.子どもが沢山いたころ
7.政治の時代
8.所得倍増計画
9.いざなぎ景気
〔写真家〕
木村伊兵衛
土門 拳
濱谷 浩
林 忠彦
薗部 澄
長野重一
田沼武能
熊切圭介
それらの写真には、歴史に名を残した人物は登場しない。皆、市井の人々の日常風景を写した写真ばかりだ。それらは、たしかに同時代を生きていた人たちにとっては、変哲のない平凡な光景だったに違いない。復興・繁栄の先の先ばかりを見ていた人たちが…そういう時代だったから仕方がないのだけれど…足を止めて見るようなドラマチックな光景ではない。
しかし、戦後六十数年経った今、それらの古い写真は、新たな輝きを放って見る者の心をとらえる。かつて、同時代の人々が足を止めて見ようともしなかったありふれた光景、今、その写真の前で足を止め、食い入るように見入る人の姿が、写真展の会場に数多くあった。
すでに写真展は終了してしまったが、その時に展示された写真が、写真集としてまとめられている。
【昭和の記憶 写真家が捉えた東京】
発行日:2012年9月20日
発行所:株式会社クレヴィス
2012年09月30日
写真集「昭和の記憶」
posted by 里実福太朗 at 23:51| 写真
2012年09月27日
庭は夏と秋とが混在だ
ゴーヤーは、まだがんばっている。二階のベランダまでのびたツルは、まだその先へのびようとしている。屋根の上には、大きくなった実が二つ寝転がり、さらに小さな実が新たに二つ生まれた。
彼岸花は続々と花を咲かせ、庭の一隅を赤く染め、それと競うようにアメジストセージが青紫の花を増やしている。それらの秋の花の上に、南国生まれのゴーヤーの実がぶら下がっている。
ミカンの実が二つ、かなり大きくなってきた。
彼岸花は続々と花を咲かせ、庭の一隅を赤く染め、それと競うようにアメジストセージが青紫の花を増やしている。それらの秋の花の上に、南国生まれのゴーヤーの実がぶら下がっている。
ミカンの実が二つ、かなり大きくなってきた。
posted by 里実福太朗 at 22:52| 里のつれづれ
2012年09月26日
自由人の仕事のお手伝い
先週は、ハチに会うことができなかった。エサやりをネコサポーターから頼まれている自由人に尋ねると、
「毎朝来ていますよ」
と言う。
「近ごろは、親分気取りで、黒ネコを二匹引き連れて来ます」
とも言う。
「エサは、いつ頃あげるんですか」
「6時ごろかな。まだこちらが寝ている時に、シートをガリガリ引っ掻いたり、ニャーニャー鳴いたりすることもあって…エサの催促だね、まいっちゃうよ」
それにしても、6時は早い。だいぶ前になるけれど、始発電車で行ったことがあったが、それでも公園に着いた時は、6時を回っていた。
「それにしても、6時は早すぎるナ〜始発でも間に合いません」
「いや、もっと遅く来ても大丈夫ですよ、しばらく近くにいますから」
そこで、午前中の早い時間帯に行ってみることにしたのだった。
自由人たちも、仕事はしている、空き缶集めが主たる仕事であるが…ある時、中年のおばさんが、ビニール袋を持って来て、自由人に手渡したことがあった。
「何を持って来たんですか」
「空き缶」
「空き缶? 何の空き缶ですか」
「アルミ缶、スチール缶はダメ、アルミ缶だけ」
缶を集めることで、どれほどの収入が得られるのかは分からない。わずかなものなのかもしれない。ただ、彼らは一生懸命それに打ち込んでいる。秋葉原まで、さらに神田川が隅田川に流れ込むあたりの柳橋まで、あるいは池袋あたりまで行くこともあるという。もちろん歩いて行くのだ。
このことを聞いていたから、家でアルミ缶を集めてもらっていた。少したまったので、あのおばさんのようにビニール袋に入れて持参したのだった。いつもの場所で朝のひとときを過ごしていた自由人は、近ごろは当方の姿を認めると、「やァ」という感じで軽く黙礼する。
「これ、わずかばかりですが」
「すみません、ありがとうございます」
と言いながら、うれしそうにビニール袋を受け取った。
「ポン太はいるよ」
とあたりを見回したが、姿は見えない。
「あれ、今までいたんだよ…今朝は、3匹並んでエサを食べてたんだけどな〜」
残念ながら、一足遅かったようだ。
「じゃ、また夕方来ます」
と告げて、次の目的地に向かったのだった。今日は、二つの写真展を観てまわることにしていたのだ…六本木そして銀座という順序で。
「毎朝来ていますよ」
と言う。
「近ごろは、親分気取りで、黒ネコを二匹引き連れて来ます」
とも言う。
「エサは、いつ頃あげるんですか」
「6時ごろかな。まだこちらが寝ている時に、シートをガリガリ引っ掻いたり、ニャーニャー鳴いたりすることもあって…エサの催促だね、まいっちゃうよ」
それにしても、6時は早い。だいぶ前になるけれど、始発電車で行ったことがあったが、それでも公園に着いた時は、6時を回っていた。
「それにしても、6時は早すぎるナ〜始発でも間に合いません」
「いや、もっと遅く来ても大丈夫ですよ、しばらく近くにいますから」
そこで、午前中の早い時間帯に行ってみることにしたのだった。
自由人たちも、仕事はしている、空き缶集めが主たる仕事であるが…ある時、中年のおばさんが、ビニール袋を持って来て、自由人に手渡したことがあった。
「何を持って来たんですか」
「空き缶」
「空き缶? 何の空き缶ですか」
「アルミ缶、スチール缶はダメ、アルミ缶だけ」
缶を集めることで、どれほどの収入が得られるのかは分からない。わずかなものなのかもしれない。ただ、彼らは一生懸命それに打ち込んでいる。秋葉原まで、さらに神田川が隅田川に流れ込むあたりの柳橋まで、あるいは池袋あたりまで行くこともあるという。もちろん歩いて行くのだ。
このことを聞いていたから、家でアルミ缶を集めてもらっていた。少したまったので、あのおばさんのようにビニール袋に入れて持参したのだった。いつもの場所で朝のひとときを過ごしていた自由人は、近ごろは当方の姿を認めると、「やァ」という感じで軽く黙礼する。
「これ、わずかばかりですが」
「すみません、ありがとうございます」
と言いながら、うれしそうにビニール袋を受け取った。
「ポン太はいるよ」
とあたりを見回したが、姿は見えない。
「あれ、今までいたんだよ…今朝は、3匹並んでエサを食べてたんだけどな〜」
残念ながら、一足遅かったようだ。
「じゃ、また夕方来ます」
と告げて、次の目的地に向かったのだった。今日は、二つの写真展を観てまわることにしていたのだ…六本木そして銀座という順序で。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ
2012年09月24日
2012年09月23日
絵本『大連のうた』
尖閣の国有化に端を発し、あれほど吹き荒れた中国の暴動が、ピタリとやんだ。メディアによれば小規模なデモは散発しているようだが、暴徒化した群衆が破壊・焼き打ちの狼藉の限りを尽くすことはなくなったようだ。
中国全土の多くの地で過激なデモが発生したが、大連という街では、暴動も起こらなかったし、それを警戒する武装警察などの姿も見えなかった、と今日の朝日新聞が次のような見出しを付けて報じている。
「反日」聞こえぬ街 大連
ひらがな看板も隠さず営業
戦前の大連には、多くの日本人が住んでいた。大連の人口338,872人(1938年)のうち、日本人は84,794人を占めていたということだ。
出典:ウィキペディア「満州国」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E3.81.AE.E4.BA.BA.E5.8F.A3
戦後60年以上も経った今、大連には再び多くの日本人が居住し、日系企業も多いそうだ。その大連で、今回、反日デモが起こらなかった理由を、その記事では、『ある外交関係者は、地元当局が当初からデモ発生を厳しく封じ込めようとしていた』と伝えている。
この記事に接した時、あまりにもタイミングが良すぎるな、と少々驚いたのだった。というのは、たまたま昨日のこと、『大連のうた』という絵本の原画展を見てきたばかりで、その次の日に、この記事に接したからだ。
絵本『大連のうた』(1978年刊)は、故・川崎忠明氏が幼少期を過ごした大連を描いた作品である。この企画展には、その絵本に収められている30点あまりの原画が展示されている。いずれの絵も、我が子に故郷の思い出を語り伝えるために描いたものである。
奥様の川崎キヌ子先生(和洋女子大学名誉教授)が、『大連のうた』が誕生するまでのいきさつを記したパンフレットがある。それによれば、氏は、昭和7年に大連で生まれ、終戦までを大連で過ごした。終戦後、日本に引き揚げた。以来年月を経るに従って、望郷の念はますます募り、記憶をたぐり寄せながら、大連で過ごした幼い頃の思い出を描いていった。三十数年前に一度、原画展を開催して、その後一冊の絵本としてまとめられた。
これは直接川崎先生から伺ったことだが、その原画展を見ながら涙を流す人の姿があったそうだ。みな大連から引き上げてきた人たちで、川崎先生が、
「思い出しながら描いた絵だから、記憶違いがあるかもしれません」
と言うと、
「間違っているところなどありません。当時の様子が正確に描かれています」
という答えが返ってきたということだった。
「大連神社のまつり」「けんかこおろぎ」「猿まわし」「露天市場の小鳥売り」「そりすべり」「アカシヤ並木」などの絵からは、、楽しそうに遊ぶ子供たちの姿を通して、大連の街での平穏な暮らしぶりがうかがわれる。戦時色が濃くなるにつれて、絵の色調も暗さを増し、終戦間際にソヴィエトが参戦してくると、絵にもロシヤ兵が登場してくる。「ロシヤ町」「わるいロシヤ兵」「まちかど」「女ロシヤ兵」「酔っぱらい」などがそうだ。そして最後は「さよなら大連」…引き揚げ船の甲板で手を振りながら、中国の子供たちとの涙ながらの別れとなる。
平成24年度 和洋女子大学文化資料館企画展
『おとうさんの絵本 大連のうた ー平和を感じる絵本展ー』
会場:和洋女子大学文化資料館
…東館17階
会期(第二期):9月21日(金)〜11月4日(日)
開館時間:10時〜16時30分
…第1・3・5土曜日は12時まで
休館日:日曜日・祝日
臨時開館:9月22日、10月8日、11月3・4日
臨時休館:9月27日
入館料:無料
手続き:キャンパス守衛所で受付・記名
中国全土の多くの地で過激なデモが発生したが、大連という街では、暴動も起こらなかったし、それを警戒する武装警察などの姿も見えなかった、と今日の朝日新聞が次のような見出しを付けて報じている。
「反日」聞こえぬ街 大連
ひらがな看板も隠さず営業
戦前の大連には、多くの日本人が住んでいた。大連の人口338,872人(1938年)のうち、日本人は84,794人を占めていたということだ。
出典:ウィキペディア「満州国」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E3.81.AE.E4.BA.BA.E5.8F.A3
戦後60年以上も経った今、大連には再び多くの日本人が居住し、日系企業も多いそうだ。その大連で、今回、反日デモが起こらなかった理由を、その記事では、『ある外交関係者は、地元当局が当初からデモ発生を厳しく封じ込めようとしていた』と伝えている。
この記事に接した時、あまりにもタイミングが良すぎるな、と少々驚いたのだった。というのは、たまたま昨日のこと、『大連のうた』という絵本の原画展を見てきたばかりで、その次の日に、この記事に接したからだ。
絵本『大連のうた』(1978年刊)は、故・川崎忠明氏が幼少期を過ごした大連を描いた作品である。この企画展には、その絵本に収められている30点あまりの原画が展示されている。いずれの絵も、我が子に故郷の思い出を語り伝えるために描いたものである。
奥様の川崎キヌ子先生(和洋女子大学名誉教授)が、『大連のうた』が誕生するまでのいきさつを記したパンフレットがある。それによれば、氏は、昭和7年に大連で生まれ、終戦までを大連で過ごした。終戦後、日本に引き揚げた。以来年月を経るに従って、望郷の念はますます募り、記憶をたぐり寄せながら、大連で過ごした幼い頃の思い出を描いていった。三十数年前に一度、原画展を開催して、その後一冊の絵本としてまとめられた。
これは直接川崎先生から伺ったことだが、その原画展を見ながら涙を流す人の姿があったそうだ。みな大連から引き上げてきた人たちで、川崎先生が、
「思い出しながら描いた絵だから、記憶違いがあるかもしれません」
と言うと、
「間違っているところなどありません。当時の様子が正確に描かれています」
という答えが返ってきたということだった。
「大連神社のまつり」「けんかこおろぎ」「猿まわし」「露天市場の小鳥売り」「そりすべり」「アカシヤ並木」などの絵からは、、楽しそうに遊ぶ子供たちの姿を通して、大連の街での平穏な暮らしぶりがうかがわれる。戦時色が濃くなるにつれて、絵の色調も暗さを増し、終戦間際にソヴィエトが参戦してくると、絵にもロシヤ兵が登場してくる。「ロシヤ町」「わるいロシヤ兵」「まちかど」「女ロシヤ兵」「酔っぱらい」などがそうだ。そして最後は「さよなら大連」…引き揚げ船の甲板で手を振りながら、中国の子供たちとの涙ながらの別れとなる。
平成24年度 和洋女子大学文化資料館企画展
『おとうさんの絵本 大連のうた ー平和を感じる絵本展ー』
会場:和洋女子大学文化資料館
…東館17階
会期(第二期):9月21日(金)〜11月4日(日)
開館時間:10時〜16時30分
…第1・3・5土曜日は12時まで
休館日:日曜日・祝日
臨時開館:9月22日、10月8日、11月3・4日
臨時休館:9月27日
入館料:無料
手続き:キャンパス守衛所で受付・記名
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗
2012年09月21日
今シーズン初のマリンフィールド
千葉マリーンズのファンクラブ「TEAM26」に継続入会して、招待券が一枚送られてきた。しかし、今シーズンはまだ一度も球場に足を運んだことがなく、その招待券を使う機会がなかった。今年は熱帯夜が続き、マリンフィールドのナイターも、蒸し暑さのなかでの観戦になるのではなかろうかと想像すると、どうしても足が遠のいてしまうのだった。
そうこうしているうちに、前半は調子の良かったマリーンズは、オールスターを境に、次第に順位が下がり、終盤の大切な時期に連敗を重ね、とうとう5位になってしまったのだ。マリーンズの場合、よくあるパターンで、応援しがいのないことこの上ないが、かといって招待券を無駄にしてしまうのもおしい。
ファンクラブに入っている者としては、チームが低迷している時にこそ応援するべきではないか、そう思い直し、大枚1600円(内野自由席の会員価格)をはたいてわざわざチケットを購入して、今シーズンに入ってから初めて試合を見に行ったのだ。対戦相手はオリックス、5位と6位の試合だから、閑古鳥が鳴いているだろうと踏んでいたが、さにあらず、予想外の人出だった。
去年は、震災の影響で閉鎖されていた球場脇の駐車場は、利用できるようになっていた。幕張メッセの駐車場は1000円、こちらは球場に近くて600円で断然お得なのだ。ただし駐車台数が多くないから、早めに行かないと満車になってしまうおそれがある。4時前に着いた時には、料金所前に車の行列ができていて心配したが、駐車場に入ってみれば、まだ半分ほどしか埋まっていなかった。
しばらく足が遠のいていた間に、いろいろな面で今までとは違う点が生じていた。
○おばさんの観戦者が増えていた。2〜3人のグループで来て、お弁当を食べ、ビールを飲み、そして意外なことに…と言っては失礼に当たるかな…野球談義に花を咲かせていた。
○小さな女の子たちが、一生懸命応援していた。
○里崎の極端に体を開く打撃フォームが、さらに程度が甚だしくなっていた。そのせいかどうかは分からないが、2三振・ヒットなしと、いいところがなかった。
○ラッキーセブンの風船飛ばしのタイミングが変わっていた。今までは、カウントダウンしてから風船を飛ばしていたが、カウントダウンすることもなく、すぐに始まってしまった。
○サブローの呼び出しアナウンスが、「サブロー〜〜〜」と極端に長くのばすようになっていた。
試合は、西村マリーンズが、3対1で岡田オリックスをくだした。勝ち投手は成瀬だった。
そうこうしているうちに、前半は調子の良かったマリーンズは、オールスターを境に、次第に順位が下がり、終盤の大切な時期に連敗を重ね、とうとう5位になってしまったのだ。マリーンズの場合、よくあるパターンで、応援しがいのないことこの上ないが、かといって招待券を無駄にしてしまうのもおしい。
ファンクラブに入っている者としては、チームが低迷している時にこそ応援するべきではないか、そう思い直し、大枚1600円(内野自由席の会員価格)をはたいてわざわざチケットを購入して、今シーズンに入ってから初めて試合を見に行ったのだ。対戦相手はオリックス、5位と6位の試合だから、閑古鳥が鳴いているだろうと踏んでいたが、さにあらず、予想外の人出だった。
去年は、震災の影響で閉鎖されていた球場脇の駐車場は、利用できるようになっていた。幕張メッセの駐車場は1000円、こちらは球場に近くて600円で断然お得なのだ。ただし駐車台数が多くないから、早めに行かないと満車になってしまうおそれがある。4時前に着いた時には、料金所前に車の行列ができていて心配したが、駐車場に入ってみれば、まだ半分ほどしか埋まっていなかった。
しばらく足が遠のいていた間に、いろいろな面で今までとは違う点が生じていた。
○おばさんの観戦者が増えていた。2〜3人のグループで来て、お弁当を食べ、ビールを飲み、そして意外なことに…と言っては失礼に当たるかな…野球談義に花を咲かせていた。
○小さな女の子たちが、一生懸命応援していた。
○里崎の極端に体を開く打撃フォームが、さらに程度が甚だしくなっていた。そのせいかどうかは分からないが、2三振・ヒットなしと、いいところがなかった。
○ラッキーセブンの風船飛ばしのタイミングが変わっていた。今までは、カウントダウンしてから風船を飛ばしていたが、カウントダウンすることもなく、すぐに始まってしまった。
○サブローの呼び出しアナウンスが、「サブロー〜〜〜」と極端に長くのばすようになっていた。
試合は、西村マリーンズが、3対1で岡田オリックスをくだした。勝ち投手は成瀬だった。
posted by 里実福太朗 at 23:59| 里ふくろうの日乗
2012年09月20日
猫好きの中国娘
二人組のネコサポーターがやってきたのは、四時近くになってからだった。二人が来ると、どこからともなくネコたちが集まってくる。みな顔なじみのネコばかりだ。チー・ミー・ボンちゃん、それにフーちゃんが、ユッタリとした足取りで近づいてくる。新顔の子ネコのチビは、エサには興味を示さず、ぴょんぴょん跳ねて遊んでいる。
満腹になれば、少し離れた場所へ移動して、顔を洗うのがお決まりの行動パターン。ところが近ごろのフーは、食べ終わってもその場にとどまり、ネコサポーターの近くで寝そべって、池を眺めながら安寧なひとときを過ごすことが多くなった。
「こうなると、家ネコと同じだな」
と、サポーターがひとりごちた。通りすがりの人は、
「ネコがいる」
「かわいい」
などと言ってケータイのカメラを向けるが、近寄ってくる人はあまりいない。だから、二人連れの女の子が近づいてきた時には、一同の目はいっせいにその二人に釘付けになった。
二人は躊躇する様子も見せずに近づいてくると、フーにケータイカメラを向けてひとしきり撮り、そして大胆にも頭とか背中を撫で始めた。フーは、今はだいぶ慣れてきておとなしくなり、人に爪を立てることは少なくなったが、以前はエサをあげるネコサポーターにも、引っ掻いたりかみつくことがあった。
ところが、その若い女の子が撫でても、まったく爪を立てず、拒絶しようとする態度は示さない。かえってゴロンと横になり、お腹を出して見せるのだ。そして気持ちよさそうにさすってもらうのだった。ちなみに、フーは去勢手術を受けているオスである。
二人がボソボソと小さな声で話しているのが聞こえた時、ネコサポーターの表情が険しくなったように感じられた。見つめる視線に、鋭さが加わったようだった。聞こえてきたのは、中国語だった。
中国語が耳に入った刹那、彼の脳裏に、中国での反日デモ…中国政府扇動の騒乱と言った方がいいのかもしれないが…その悲惨な光景が浮かんだのかもしれない。たぶんそうだったのだろう、連日その映像がテレビで流され、新聞もその記事に多くの紙面をさいていたのだから。
中国に在留している日本人は、戦々恐々として暮らしていると伝えられている。日本にいる中国人は、どうなのだろうか。中国人ほどではないにしても、日本人の中にも熱くなりやすい人がいるから、多少の不安を感じている人がいるかもしれない。
目の前の二人組の中国娘は、彼の表情の変化を知る由もなく、無邪気にネコとじゃれ合って、平穏無事にその場を離れていった。
満腹になれば、少し離れた場所へ移動して、顔を洗うのがお決まりの行動パターン。ところが近ごろのフーは、食べ終わってもその場にとどまり、ネコサポーターの近くで寝そべって、池を眺めながら安寧なひとときを過ごすことが多くなった。
「こうなると、家ネコと同じだな」
と、サポーターがひとりごちた。通りすがりの人は、
「ネコがいる」
「かわいい」
などと言ってケータイのカメラを向けるが、近寄ってくる人はあまりいない。だから、二人連れの女の子が近づいてきた時には、一同の目はいっせいにその二人に釘付けになった。
二人は躊躇する様子も見せずに近づいてくると、フーにケータイカメラを向けてひとしきり撮り、そして大胆にも頭とか背中を撫で始めた。フーは、今はだいぶ慣れてきておとなしくなり、人に爪を立てることは少なくなったが、以前はエサをあげるネコサポーターにも、引っ掻いたりかみつくことがあった。
ところが、その若い女の子が撫でても、まったく爪を立てず、拒絶しようとする態度は示さない。かえってゴロンと横になり、お腹を出して見せるのだ。そして気持ちよさそうにさすってもらうのだった。ちなみに、フーは去勢手術を受けているオスである。
二人がボソボソと小さな声で話しているのが聞こえた時、ネコサポーターの表情が険しくなったように感じられた。見つめる視線に、鋭さが加わったようだった。聞こえてきたのは、中国語だった。
中国語が耳に入った刹那、彼の脳裏に、中国での反日デモ…中国政府扇動の騒乱と言った方がいいのかもしれないが…その悲惨な光景が浮かんだのかもしれない。たぶんそうだったのだろう、連日その映像がテレビで流され、新聞もその記事に多くの紙面をさいていたのだから。
中国に在留している日本人は、戦々恐々として暮らしていると伝えられている。日本にいる中国人は、どうなのだろうか。中国人ほどではないにしても、日本人の中にも熱くなりやすい人がいるから、多少の不安を感じている人がいるかもしれない。
目の前の二人組の中国娘は、彼の表情の変化を知る由もなく、無邪気にネコとじゃれ合って、平穏無事にその場を離れていった。
posted by 里実福太朗 at 23:56| ねこ
2012年09月18日
「マルタ島の猫」と「マルタ島の砂」
地中海のヘソと呼ばれているマルタ共和国には、ネコがたくさんいるらしい。国の総面積は300平方キロメートルを少し超えるぐらい(淡路島の約半分)で、人口は約41万人ということだ(外務省のウェブサイト情報)。嘘か誠か、その小さな島国に、人口の倍ほどのネコがいるそうだ。ただし、この情報の出どころはもう忘れてしまった。その真偽を確かめるためには、現地に飛んで直接この目で確かめるのが一番良いのだが…
とりあえずネットで検索してみると、出てくる出てくる、やはりマルタにはネコがたくさんいた。ただ、ネットにはネコの写真がたくさん載ってはいるが、ほんとうに人口の倍ほどのネコが生息しているのだろうか。マルタにネコが持ち込まれたのは、ペストがはやった時のことだとか…ペスト菌を媒介するネズミを駆除するためだったそうだ。以来、ネコたちは大切に扱われ、どんどん増えていったそうな。
【マルタ共和国 ネコ探し旅行記】2004.5~5.1
http://www.stella-stella.com/malta/01.htm
【マルタ猫だらけ♪】2006.11.04
http://4travel.jp/traveler/canossa1077/album/10103070/
【地中海で出会ったネコさんシリーズ マルタ2009編vol.1】2009.9
http://omushimejitrip.blog71.fc2.com/blog-category-20.html
話はかわるが、昔、「マルタ島の砂」という曲がはやったことがあった。トランペットを中心とした器楽による曲で、その軽快なリズムが記憶に残っている。調べてみると、「ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス」というグループが演奏して、1970年にヒットした曲だった。
「ハーブ・アルパート」、聞き覚えがありますね。その曲を聴いてみたくて調べてみたら、YouTubeにアップされていました。
【マルタ島の砂The Maltese Melody/Herb Alpert & Tijuana Brass (1970年) 】
http://www.youtube.com/watch?v=A80tM_3_C0w
この曲を聴いていて、若かりし時にお世話になった深夜番組「オールナイトニッポン」のテーマ曲を思い出した。「マルタ島の砂」と同じく、トランペットで奏でられた軽快な曲だった。ついでにそれも調べてみたら、こちらもYouTubeにアップされていた。曲名は「 bitter sweet samba」、演奏はやはりハーブ・アルパートとティファナ・ブラスだった。
【 オールナイトニッポンのテーマ曲 】
http://www.youtube.com/watch?v=3gqHExUQmUI&feature=related
【ビバヤング オールナイトニッポン 】
http://www.youtube.com/watch?v=FuxZo1cOuPk&feature=related
とりあえずネットで検索してみると、出てくる出てくる、やはりマルタにはネコがたくさんいた。ただ、ネットにはネコの写真がたくさん載ってはいるが、ほんとうに人口の倍ほどのネコが生息しているのだろうか。マルタにネコが持ち込まれたのは、ペストがはやった時のことだとか…ペスト菌を媒介するネズミを駆除するためだったそうだ。以来、ネコたちは大切に扱われ、どんどん増えていったそうな。
【マルタ共和国 ネコ探し旅行記】2004.5~5.1
http://www.stella-stella.com/malta/01.htm
【マルタ猫だらけ♪】2006.11.04
http://4travel.jp/traveler/canossa1077/album/10103070/
【地中海で出会ったネコさんシリーズ マルタ2009編vol.1】2009.9
http://omushimejitrip.blog71.fc2.com/blog-category-20.html
話はかわるが、昔、「マルタ島の砂」という曲がはやったことがあった。トランペットを中心とした器楽による曲で、その軽快なリズムが記憶に残っている。調べてみると、「ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス」というグループが演奏して、1970年にヒットした曲だった。
「ハーブ・アルパート」、聞き覚えがありますね。その曲を聴いてみたくて調べてみたら、YouTubeにアップされていました。
【マルタ島の砂The Maltese Melody/Herb Alpert & Tijuana Brass (1970年) 】
http://www.youtube.com/watch?v=A80tM_3_C0w
この曲を聴いていて、若かりし時にお世話になった深夜番組「オールナイトニッポン」のテーマ曲を思い出した。「マルタ島の砂」と同じく、トランペットで奏でられた軽快な曲だった。ついでにそれも調べてみたら、こちらもYouTubeにアップされていた。曲名は「 bitter sweet samba」、演奏はやはりハーブ・アルパートとティファナ・ブラスだった。
【 オールナイトニッポンのテーマ曲 】
http://www.youtube.com/watch?v=3gqHExUQmUI&feature=related
【ビバヤング オールナイトニッポン 】
http://www.youtube.com/watch?v=FuxZo1cOuPk&feature=related
posted by 里実福太朗 at 23:39| ねこ
2012年09月17日
ゴーヤー復活
今年のゴーヤーはこれで終わりだなと思った時期もあったが、9月に入っても真夏を思わせる暑い日が続き、ゴーヤーに元気が戻ってきた。昨日は3個を収穫し、2・3日後に収穫できそうなのがまだ5・6個ある。今日また、屋根の近くに子供が生まれているのを発見した。
木の上の方にからみついているゴーヤーは、脚立を使っても、さらに長バサミを使っても届きそうにもないから、熟すに任せてある。すでに割れ目が入っているから、そろそろ落下して来るに違いない。
ゴーヤーがたくさん採れるのはうれしいが、もうそろそろ終わりになってくれてもいいかな。この異常な暑さに終止符が打たれるなら、はなはだ身勝手ながら、ゴーヤーの季節が終わってくれる方が良い、そんな気分なのである。
なお、季語としての「苦瓜(ニガウリ)/茘枝(れいし)/ゴーヤー」は、ホトトギスの新歳時記(三版)では、秋の季節に入っている。秋は、8月〜10月をさす。確かに暦の上での立秋は過ぎたけれど、実感としてはまだ夏ですね。願いを込めて、腰折れを一句。
苦瓜や黄色くはじけて夏おわる
木の上の方にからみついているゴーヤーは、脚立を使っても、さらに長バサミを使っても届きそうにもないから、熟すに任せてある。すでに割れ目が入っているから、そろそろ落下して来るに違いない。
ゴーヤーがたくさん採れるのはうれしいが、もうそろそろ終わりになってくれてもいいかな。この異常な暑さに終止符が打たれるなら、はなはだ身勝手ながら、ゴーヤーの季節が終わってくれる方が良い、そんな気分なのである。
なお、季語としての「苦瓜(ニガウリ)/茘枝(れいし)/ゴーヤー」は、ホトトギスの新歳時記(三版)では、秋の季節に入っている。秋は、8月〜10月をさす。確かに暦の上での立秋は過ぎたけれど、実感としてはまだ夏ですね。願いを込めて、腰折れを一句。
苦瓜や黄色くはじけて夏おわる
posted by 里実福太朗 at 17:53| 里のつれづれ
2012年09月14日
蚊に好かれるネコとそうでないネコ
チェシャ猫の写真を撮っている時、自転車に乗って、例のネコサポーターが通りかかった。当方の姿を認めて、話しかけてきた。
「木の上に、ネコがいるよ」
「いま、そのネコを撮ってたんですよ」
「さっきエサを食べて、それから木に登っていったんだ。チビちゃん、目をあけてごらん、かわいく撮ってもらいな」
そのチェシャ猫は、チビという名前だったのだ。すでにチビという名のネコは3匹いるから、これで4匹目となる計算だ。チビと名付けられているからには、いずれも子ネコの時に、この公園に捨てられたのだろう。
「こいつは、耳の後が真っ赤なんだなァ」
「どうしたんですか」
「蚊にやられたんだよ。かゆいから引っ掻くだろ。こないだ薬を塗ってあげようとしたら、逃げられたよ。それ以来、警戒されちまった…」
「涼しくなって、蚊が出なくなれば、なおるんでしょうね」
「あァ、なおるだろう」
耳の後ろが赤くただれたようになっているネコは、何匹か見たことがある。みな、同じように蚊に刺されたのだろう。ただ、蚊の被害に遭っていないネコもいる。その違いは、どこにあるのだろうか。人間にも蚊に刺されやすい人と、そうでない人がいるように、ネコにもそういう違いがあるのだろうか。
耳以外に、鼻を刺されたネコもいる。鼻に赤い点々のあるネコがいたので、ネコサポーターに訊いたところ、蚊にやられたということだった。鼻も、刺されているネコと、そうでないネコとがいる。「フウ」という名のネコも、以前はきれいな顔だったのに、今年は蚊にやられてしまった。
「木の上に、ネコがいるよ」
「いま、そのネコを撮ってたんですよ」
「さっきエサを食べて、それから木に登っていったんだ。チビちゃん、目をあけてごらん、かわいく撮ってもらいな」
そのチェシャ猫は、チビという名前だったのだ。すでにチビという名のネコは3匹いるから、これで4匹目となる計算だ。チビと名付けられているからには、いずれも子ネコの時に、この公園に捨てられたのだろう。
「こいつは、耳の後が真っ赤なんだなァ」
「どうしたんですか」
「蚊にやられたんだよ。かゆいから引っ掻くだろ。こないだ薬を塗ってあげようとしたら、逃げられたよ。それ以来、警戒されちまった…」
「涼しくなって、蚊が出なくなれば、なおるんでしょうね」
「あァ、なおるだろう」
耳の後ろが赤くただれたようになっているネコは、何匹か見たことがある。みな、同じように蚊に刺されたのだろう。ただ、蚊の被害に遭っていないネコもいる。その違いは、どこにあるのだろうか。人間にも蚊に刺されやすい人と、そうでない人がいるように、ネコにもそういう違いがあるのだろうか。
耳以外に、鼻を刺されたネコもいる。鼻に赤い点々のあるネコがいたので、ネコサポーターに訊いたところ、蚊にやられたということだった。鼻も、刺されているネコと、そうでないネコとがいる。「フウ」という名のネコも、以前はきれいな顔だったのに、今年は蚊にやられてしまった。
posted by 里実福太朗 at 23:51| ねこ
2012年09月13日
チェシャ猫
そのネコは、その日も同じ木の上で気持ちよさそうに寝ていた。今夏、そういう場面に遭遇したのは、これで3回目のことだった。去年の夏にも、同じ木の上で眠りを貪るネコを見たことがあった。茶トラのネコだったから、たぶん同じネコなのだろう。
ネコは、ネコだから木に登ることは得意であるはずなのに、木の上で寝ているネコはあまり見たことがない。日の当たらない地面の上で、丸くなって寝ている姿を見ることの方が多い。ヒンヤリとして、その方が気持ちがいいのかもしれない。
さて、そのネコの写真を撮って夫人に見せたところ、「チェシャ猫」に似ていると言って、ネットに載っていた「チェシャ猫」の絵を印刷して見せてくれた。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に登場する「Cheshire-Cat」だった。
【[アリス]チェシャ猫劇場】
http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20070813/p1
木の上から女の子を見下ろしているネコは、例のネコと同じトラ猫だった。物語の中の「チェシャ猫」は、ニヤニヤ笑いながら、しっぽの先からゆっくりと消えてゆく。そして、ニヤニヤ笑いの顔も消えてゆく。ところが猫は消えても、ニヤニヤ笑いだけはしばらく残っていた。
トラ猫であること、木の上から見下ろしていること、この点は「チェシャ猫」と同じだが、ニヤニヤ笑いながら消えてゆき、あとにニヤニヤ笑いだけを残すなどという芸当は、その猫にはできそうにもなかった。しばらくこちらの様子をうかがってから、舌を出しながら不気味な薄笑いを残し、再び目を閉じて眠りに落ちていった。
ネコは、ネコだから木に登ることは得意であるはずなのに、木の上で寝ているネコはあまり見たことがない。日の当たらない地面の上で、丸くなって寝ている姿を見ることの方が多い。ヒンヤリとして、その方が気持ちがいいのかもしれない。
さて、そのネコの写真を撮って夫人に見せたところ、「チェシャ猫」に似ていると言って、ネットに載っていた「チェシャ猫」の絵を印刷して見せてくれた。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に登場する「Cheshire-Cat」だった。
【[アリス]チェシャ猫劇場】
http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20070813/p1
木の上から女の子を見下ろしているネコは、例のネコと同じトラ猫だった。物語の中の「チェシャ猫」は、ニヤニヤ笑いながら、しっぽの先からゆっくりと消えてゆく。そして、ニヤニヤ笑いの顔も消えてゆく。ところが猫は消えても、ニヤニヤ笑いだけはしばらく残っていた。
トラ猫であること、木の上から見下ろしていること、この点は「チェシャ猫」と同じだが、ニヤニヤ笑いながら消えてゆき、あとにニヤニヤ笑いだけを残すなどという芸当は、その猫にはできそうにもなかった。しばらくこちらの様子をうかがってから、舌を出しながら不気味な薄笑いを残し、再び目を閉じて眠りに落ちていった。
posted by 里実福太朗 at 23:56| ねこ
2012年09月12日
金券ショップでユーロに両替
11月下旬にユーロ圏に旅行することが決まり、少しずつ準備を始めたところだ。ユーロ通貨も、あらかじめ日本で両替して、用意しておいた方がいいだろう。
ひと頃は、90円台後半へ落ち込んでいたユーロも、近ごろやっと持ち直してきて、100円前後を行ったり来たりしている。2009年秋にヨーロッパに行った時は、135円ほどだった。
その時は、ユーロ通貨はあまり持って行かなかった。現金はあまり持ち歩かないようにして、クレジットカードを使った方がいいと聞いていたからだが、実際にはクレジットを使う機会はなくて、現金で支払うことの方が多かった。大きな買い物などすることはなかったのだから、当然といえば当然のことだった。
ユーロはすぐに底をつき、かなり苦労して、パリの街中のATMで調達した。ヨーロッパに長年住んでいる人から、街中のATMでは、カードが機械に吸い込まれたまま出てこないこともあると言われ、その人の忠告通りに銀行内のATMを使おうとしたら、信じられないことに使用不可となっていた。結局大きな通りに面した場所に設置してあったATMで、四苦八苦しながらやっとユーロを引き出すことができたのだった。
そんな苦い経験があったから、今回はあらかじめ日本で、ある程度の額は両替しておくことにした。家を出る時の為替レートは100円ほど、金券ショップの店頭には103.98円と表示されていた。
硬貨は、前回のヨーロッパ旅行の際に、使い切れずに持ち帰ったものの一部。硬貨は、こちらでは両替できない。特に50セントとか1ユーロは、チップとして利用する機会が多いので、貴重なのだ。
ひと頃は、90円台後半へ落ち込んでいたユーロも、近ごろやっと持ち直してきて、100円前後を行ったり来たりしている。2009年秋にヨーロッパに行った時は、135円ほどだった。
その時は、ユーロ通貨はあまり持って行かなかった。現金はあまり持ち歩かないようにして、クレジットカードを使った方がいいと聞いていたからだが、実際にはクレジットを使う機会はなくて、現金で支払うことの方が多かった。大きな買い物などすることはなかったのだから、当然といえば当然のことだった。
ユーロはすぐに底をつき、かなり苦労して、パリの街中のATMで調達した。ヨーロッパに長年住んでいる人から、街中のATMでは、カードが機械に吸い込まれたまま出てこないこともあると言われ、その人の忠告通りに銀行内のATMを使おうとしたら、信じられないことに使用不可となっていた。結局大きな通りに面した場所に設置してあったATMで、四苦八苦しながらやっとユーロを引き出すことができたのだった。
そんな苦い経験があったから、今回はあらかじめ日本で、ある程度の額は両替しておくことにした。家を出る時の為替レートは100円ほど、金券ショップの店頭には103.98円と表示されていた。
硬貨は、前回のヨーロッパ旅行の際に、使い切れずに持ち帰ったものの一部。硬貨は、こちらでは両替できない。特に50セントとか1ユーロは、チップとして利用する機会が多いので、貴重なのだ。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年09月11日
ひでりの夏にゴーヤは豊作
雨の降らない暑い日が続き、首都圏の水瓶である利根川水系のダムの貯水量が激減し、取水制限が始まった。ここ佐倉でも状況は同じで、市の水道部から節水を呼びかけるメールが届いた。
この辺り一帯には、わき水に関係すると思われる地名も残っていて、以前は井戸を利用する家も多かったようで、その跡を見かけることもある。我が家の前の住人も、井戸を掘って使っていた。その井戸は、今も現役で働いてくれている。ここに転居してからしばらくは飲料水としても使っていたが、今は衛生面の心配から、庭の水まきなどにだけ使っている。
ひでりの今夏、ダムの水が干上がりそうになっても、その井戸は、今のところ涸れそうな気配はない。今日の夕方も、いつも通り、庭に水をまくことができた。
毎日…もちろん雨の降った日はしないが、そういう日はあまりなかった…水をまきながら、ゴーヤーの生育状態をチェックしてきた。そのゴーヤーも、すぐ数え終わってしまうほど少なくなってきた。今日のところで五つほど、花もあまり咲かなくなり、葉も黄ばんだものが多くなってきた。採るタイミングを逸して真っ黄色になったゴーヤーも、今はもうそのままぶら下げておいて、自然に落花するに任せている。
黄色に熟したものを含めて、40〜50位はなっただろうか、植えた苗は四つだったから、単純に平均すれば、一つの苗から、10個以上は採れたことになる。
この辺り一帯には、わき水に関係すると思われる地名も残っていて、以前は井戸を利用する家も多かったようで、その跡を見かけることもある。我が家の前の住人も、井戸を掘って使っていた。その井戸は、今も現役で働いてくれている。ここに転居してからしばらくは飲料水としても使っていたが、今は衛生面の心配から、庭の水まきなどにだけ使っている。
ひでりの今夏、ダムの水が干上がりそうになっても、その井戸は、今のところ涸れそうな気配はない。今日の夕方も、いつも通り、庭に水をまくことができた。
毎日…もちろん雨の降った日はしないが、そういう日はあまりなかった…水をまきながら、ゴーヤーの生育状態をチェックしてきた。そのゴーヤーも、すぐ数え終わってしまうほど少なくなってきた。今日のところで五つほど、花もあまり咲かなくなり、葉も黄ばんだものが多くなってきた。採るタイミングを逸して真っ黄色になったゴーヤーも、今はもうそのままぶら下げておいて、自然に落花するに任せている。
黄色に熟したものを含めて、40〜50位はなっただろうか、植えた苗は四つだったから、単純に平均すれば、一つの苗から、10個以上は採れたことになる。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ
2012年09月09日
再度、北杜夫さんの死について
今朝の朝日新聞に、昨年他界した北杜夫さんに関する記事が載っていた。
北杜夫さんは窒息死?
昨年10月 説明不適切、解剖せず
北さんの死因については、当初、腸閉塞と伝えられていた。ただ、あまりにも急な死だったので疑問に思い、ご息女の齋藤由香さんのエッセイなどをもとにして、死に至るまでの経緯をまとめてみたこともあった。
【ドクトル・マンボウの死について】2012年3月30日
http://fukulog.sato296.com/article/54734505.html
由香さんは、当初から嘔吐物による窒息死だと疑っていた。しかし結局、病理解剖して確認することはなかった。そしてそれは、医師の解剖をしないようにと仕向ける説明の仕方によるものだったと考えていた。
朝日新聞の今回の記事では、当時、北さんが救急搬送された東京医療センターが、遺族側に謝罪した内容を、以下のように伝えている。
『医師が不適切な説明をしたため病理解剖は行われず、病院は死因を確定できなかったことなどについて遺族に謝罪した』
北さんが亡くなってから一年近く経ってからの謝罪、どうして今ごろになって、とは誰しも思うことだろう。由香さんがエッセイに記した死因に対する疑問が、大きな力となって病院側を動かしたのだろう。もう死因を確かめる手立てはないが、遺族の方の直感は正しいような気はする。
北杜夫さんは窒息死?
昨年10月 説明不適切、解剖せず
北さんの死因については、当初、腸閉塞と伝えられていた。ただ、あまりにも急な死だったので疑問に思い、ご息女の齋藤由香さんのエッセイなどをもとにして、死に至るまでの経緯をまとめてみたこともあった。
【ドクトル・マンボウの死について】2012年3月30日
http://fukulog.sato296.com/article/54734505.html
由香さんは、当初から嘔吐物による窒息死だと疑っていた。しかし結局、病理解剖して確認することはなかった。そしてそれは、医師の解剖をしないようにと仕向ける説明の仕方によるものだったと考えていた。
朝日新聞の今回の記事では、当時、北さんが救急搬送された東京医療センターが、遺族側に謝罪した内容を、以下のように伝えている。
『医師が不適切な説明をしたため病理解剖は行われず、病院は死因を確定できなかったことなどについて遺族に謝罪した』
北さんが亡くなってから一年近く経ってからの謝罪、どうして今ごろになって、とは誰しも思うことだろう。由香さんがエッセイに記した死因に対する疑問が、大きな力となって病院側を動かしたのだろう。もう死因を確かめる手立てはないが、遺族の方の直感は正しいような気はする。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗
2012年09月07日
「バステト」の像
イエネコの発祥の地は、古代エジプトだと言われてきたが、近年、キプロス島が、最初に飼い慣らした地であるとする説(「サイエンス」、2004年)が発表されたそうだ。
それはそれとして、古代エジプト人たちもネコを敬愛し、エジプトの神話には、ネコが神格化されて、「バステト」という女神となって登場するということだ。その女神「バステト」の像が、実は手もとにあるのだ。
先日のこと、上野公園からの帰りに、京成上野駅の構内で買い求めた。現在開催されているツタンカーメン展を記念して…便乗して、なのかな…臨時に出店しているらしい(9月30日まで)。その優美な曲線を描くネコの姿態を一目見るなり、その像の前で足が釘付けとなり、ためつすがめつ眺めたあげく、衝動買いしてしまったのだった。
その「バステト」の像は、店番をしていた女性によれば、手作りのものらしい。台座の裏には、なにやらアラビア文字も記されている。エジプトのお土産店で売られていたものを、店のスタッフが買い付けてきたものかもしれない。
そんなことを思いながらも、よくよく見れば、「CHINA」の文字も見える。これは一体どういうことなんだろうか。エジプトで売られているお土産品は、中国で製造されたものなのか、それとも製造元の中国から直接日本へ輸入されたものなのか。
手のひらに載せれば、小さいながらもズッシリとした重みが伝わってくる。素材は石なのだろうか。台座の金色が少しはげているのは気にしないことにしよう。そして、どこで造られたものなのかということも詮索しないことにしよう。なめらかに磨き上げられた、たおやかな姿を見ていれば、そんなことはどうでもいいことのように思われてくる。
それはそれとして、古代エジプト人たちもネコを敬愛し、エジプトの神話には、ネコが神格化されて、「バステト」という女神となって登場するということだ。その女神「バステト」の像が、実は手もとにあるのだ。
先日のこと、上野公園からの帰りに、京成上野駅の構内で買い求めた。現在開催されているツタンカーメン展を記念して…便乗して、なのかな…臨時に出店しているらしい(9月30日まで)。その優美な曲線を描くネコの姿態を一目見るなり、その像の前で足が釘付けとなり、ためつすがめつ眺めたあげく、衝動買いしてしまったのだった。
その「バステト」の像は、店番をしていた女性によれば、手作りのものらしい。台座の裏には、なにやらアラビア文字も記されている。エジプトのお土産店で売られていたものを、店のスタッフが買い付けてきたものかもしれない。
そんなことを思いながらも、よくよく見れば、「CHINA」の文字も見える。これは一体どういうことなんだろうか。エジプトで売られているお土産品は、中国で製造されたものなのか、それとも製造元の中国から直接日本へ輸入されたものなのか。
手のひらに載せれば、小さいながらもズッシリとした重みが伝わってくる。素材は石なのだろうか。台座の金色が少しはげているのは気にしないことにしよう。そして、どこで造られたものなのかということも詮索しないことにしよう。なめらかに磨き上げられた、たおやかな姿を見ていれば、そんなことはどうでもいいことのように思われてくる。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ
2012年09月06日
上野のお山は大混雑
さしも続いた猛暑も、ここのところやっと衰えが見えてきた。古人が「夜の秋」と言った通り、夜ともなれば、涼風が軒をかすめて忍び込み、室内のほてりをしずめてくれる。
ただ、昨夜は久しぶりで蒸し暑く寝苦しい夜だった。扇風機のタイマーを1時間にセットしても、その1時間のうちに寝付くことができず、もう一度セットし直した。そのうち朝刊を配るバイクの音が聞こえ始めてきた。もう朝刊を配っているのかと思ったのは覚えているが、その後ようやく眠りに落ちたようだった。
昼間の上野のお山も暑かった。避暑地として格好の映画館も、観たかったフランス映画を上映しているところは満席の盛況ぶり、ならば都美術館の「マウリッツハイス美術館展」にて名画を鑑賞しようと赴いてみれば、予想はしていたがやはり行列ができていた。
それではと、上野の森美術館の「ツタンカーメン展」に歩を進めてみた。入館料が一般で2700円も取られるのでは、敬遠されて入場者数はさほどのびないのではないかと予想していたが、さにあらず長い行列ができていた。
当方は冷やかし気分で行っただけだから、もちろん行列の人となる気はさらさらなかった。それにしても、直射日光をさえぎるものもない場所で、長時間並んでいることは、苦行以外のなにものでもないと思われるのだが、何が彼らをそこに並ばせるのだろうか。
せめて、行列が近くの林にのびるように導けば、彼らの暑さもいくらかは和らぐはずなのに、ハンドスピーカーを持った水色Tシャツ係員は、
「整理券はこちらです」
と、がなっているばかりだった。
ただ、昨夜は久しぶりで蒸し暑く寝苦しい夜だった。扇風機のタイマーを1時間にセットしても、その1時間のうちに寝付くことができず、もう一度セットし直した。そのうち朝刊を配るバイクの音が聞こえ始めてきた。もう朝刊を配っているのかと思ったのは覚えているが、その後ようやく眠りに落ちたようだった。
昼間の上野のお山も暑かった。避暑地として格好の映画館も、観たかったフランス映画を上映しているところは満席の盛況ぶり、ならば都美術館の「マウリッツハイス美術館展」にて名画を鑑賞しようと赴いてみれば、予想はしていたがやはり行列ができていた。
それではと、上野の森美術館の「ツタンカーメン展」に歩を進めてみた。入館料が一般で2700円も取られるのでは、敬遠されて入場者数はさほどのびないのではないかと予想していたが、さにあらず長い行列ができていた。
当方は冷やかし気分で行っただけだから、もちろん行列の人となる気はさらさらなかった。それにしても、直射日光をさえぎるものもない場所で、長時間並んでいることは、苦行以外のなにものでもないと思われるのだが、何が彼らをそこに並ばせるのだろうか。
せめて、行列が近くの林にのびるように導けば、彼らの暑さもいくらかは和らぐはずなのに、ハンドスピーカーを持った水色Tシャツ係員は、
「整理券はこちらです」
と、がなっているばかりだった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年09月04日
三代目「チビ」
例の新顔の子ネコは、ネコサポーターたちが細心の注意を払って接してきた甲斐あって、少しずつ慣れてきて極端に怖がることが少なくなってきた。
名前は、まだない。小さいから、どうしてもチビちゃんと呼んでしまうが、もしこのままチビという名前が定着すると、三代目ということになる。
初代のチビは、ネコサポーターが引き取り、自宅で面倒をみているそうだ。二代目は、まだ自由ネコとして公園で暮らしている。共に、まだ小さい時に捨てられて、この公園の住人となったから、チビと呼ばれるようになったと思われる。
好奇心旺盛で、遊びたい盛りなのだろう、小枝の先を小刻みに動かすと、腰をさげて左右に振り、飛びかかろうとするる体勢をとる。そして小枝の動きを止めると、チャンスとばかりに飛びかかってくる。何度繰り返しても、飽きずに飛びかかってくる。
遊びに熱中している時は、人目など眼中にない無防備さなのだが、まだ人間への警戒心が残っているのか、時おり我に返って、ピョンと跳びはねるようにして逃げていく。今が大切な時期なのだろうか。この時期に恐怖心を植え付けてしまうと、いつまでたってもネコサポーターにさえ心を許すことがなくなってしまうのかもしれない。
名前は、まだない。小さいから、どうしてもチビちゃんと呼んでしまうが、もしこのままチビという名前が定着すると、三代目ということになる。
初代のチビは、ネコサポーターが引き取り、自宅で面倒をみているそうだ。二代目は、まだ自由ネコとして公園で暮らしている。共に、まだ小さい時に捨てられて、この公園の住人となったから、チビと呼ばれるようになったと思われる。
好奇心旺盛で、遊びたい盛りなのだろう、小枝の先を小刻みに動かすと、腰をさげて左右に振り、飛びかかろうとするる体勢をとる。そして小枝の動きを止めると、チャンスとばかりに飛びかかってくる。何度繰り返しても、飽きずに飛びかかってくる。
遊びに熱中している時は、人目など眼中にない無防備さなのだが、まだ人間への警戒心が残っているのか、時おり我に返って、ピョンと跳びはねるようにして逃げていく。今が大切な時期なのだろうか。この時期に恐怖心を植え付けてしまうと、いつまでたってもネコサポーターにさえ心を許すことがなくなってしまうのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ねこ
2012年09月03日
上野公園のピザ店「SAVOIA」
さて、上野公園で一休みしたい時に立ち寄るお店は、「STARBUCKS COFFEE」では街中と同じになってしまうし、さりとて「PARK SIDE CAFE」に入る気にはならない。やはり、園内で昔から営業しているお店が、周囲の風景に溶け込んでいて、ノンビリゆったりと過ごすことができる。
そういうお店の一つ「SAVOIA」は、上野動物公園の正面出入り口の右側にある。外観は多少古びた感じはするが、夏の盛りに、濃い樹影の中に身を置けば、ホッと一息付ける。それでも暑さを感じるなら、冷房の効いた室内で過ごすこともできる。
少し腹の足しになるものを食したい時は、ピザを注文するとよい。注文を受けてから焼くから少し待たされるが、熱々のピザが、皿代わりの厚い木製の円盤にのせられて出てくる。大きすぎることも、小さすぎることもなく、おなかが空いている時は、ペロリと一枚食べきってしまえるほどの適度な大きさのピザなのである。ただし、小食の人なら、二人で分けていただくのがいいだろう。
ピザ 650円〜700円
ドリンクバー 300円
…など
そういうお店の一つ「SAVOIA」は、上野動物公園の正面出入り口の右側にある。外観は多少古びた感じはするが、夏の盛りに、濃い樹影の中に身を置けば、ホッと一息付ける。それでも暑さを感じるなら、冷房の効いた室内で過ごすこともできる。
少し腹の足しになるものを食したい時は、ピザを注文するとよい。注文を受けてから焼くから少し待たされるが、熱々のピザが、皿代わりの厚い木製の円盤にのせられて出てくる。大きすぎることも、小さすぎることもなく、おなかが空いている時は、ペロリと一枚食べきってしまえるほどの適度な大きさのピザなのである。ただし、小食の人なら、二人で分けていただくのがいいだろう。
ピザ 650円〜700円
ドリンクバー 300円
…など
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年09月01日
上野公園の「竹の台広場」
上野公園の大噴水広場は、長らく整備工事のため閉鎖されていたが、次第に完成時の姿が現れてきた。そのうちの一つ、大噴水は規模が少し小さくなって、国立博物館側に設置された。その手前の部分はまだ工事中ではあるが、「上野恩賜公園再生整備事業」に関するPDFファイルを見ると、大広場となるようで、最大1万人に対応する文化イベントの会場としても利用できるようになるらしい。
〔上野恩賜公園再生整備事業について(PDF)〕
この大広場を中心とする周辺地域は、「竹の台(うてな)広場」と呼ばれ、噴水・大広場のほかに樹林地があり、さらに二カ所にオープンカフェが設けられ、すでに営業を開始している。広場に向かって右側が「PARK SIDE CAFE」、左側が「STARBUCKS COFFEE」である。
スターバックスのコーヒーの値段は見当がつくが、パークサイドカフェの方は分からないので確かめに行ってみたところ、一杯500円を超えていた。上野でこの値段は高すぎるが、あんがいお客さんは入っていた。
そういえば、この付近で自由人への炊き出しをしていたはずだか、それはどうなっているのだろう。機会があれば、ネコサポーターがポン太へのエサやりを頼んでいる自由人に訊いてみることにしよう。
〔上野恩賜公園再生整備事業について(PDF)〕
この大広場を中心とする周辺地域は、「竹の台(うてな)広場」と呼ばれ、噴水・大広場のほかに樹林地があり、さらに二カ所にオープンカフェが設けられ、すでに営業を開始している。広場に向かって右側が「PARK SIDE CAFE」、左側が「STARBUCKS COFFEE」である。
スターバックスのコーヒーの値段は見当がつくが、パークサイドカフェの方は分からないので確かめに行ってみたところ、一杯500円を超えていた。上野でこの値段は高すぎるが、あんがいお客さんは入っていた。
そういえば、この付近で自由人への炊き出しをしていたはずだか、それはどうなっているのだろう。機会があれば、ネコサポーターがポン太へのエサやりを頼んでいる自由人に訊いてみることにしよう。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗