マルタ共和国の首都バレッタからスリーシテイを望む。
今日はあいにくの雨。
2012年11月28日
2012年11月27日
風邪
マルタ旅行が間近に迫ってきたというのに、風邪をひいてしまった。その間、ブログの方もお休みしたが、幸いなことに、出発する前にどうやら復活できそうな感じにはなってきた。
始まりはいつも通りだった。ノドのいがらっぽい感じが2〜3日続き、目の痛み・首筋の痛み、そして倦怠感におそわれた。その時はまだ風邪の前兆とは思わず、パソコン依存症による疲労が蓄積されたのだろうと思っていた。
その後、水のような鼻水が…「水」という語が重なってしまったが、それほど水のようだったのだ…出るようになった。ここに至って初めて風邪をもらったことに気づいた。この後、風邪は重症化していくのだろうか。マルタ旅行が近いのだから、高熱でも発するようになれば面倒なことになる。
記憶をたぐり寄せてみれば、たしか去年も同じような症状の風邪をひいたことがあった。ノドのいがらっぽさ、目などの痛み、そして鼻水へと症状が推移していった。その後、高熱を発することはなく、2〜3日で症状は治まったのだった。
丸一日、水のような鼻水が続いた後、翌日はそれがピタリと止まった。念のため熱を測ってみたところ平熱だった。今までの所は、今年も去年と同じような推移をたどっているのだ。となれば、二日ほどおとなしくしていれば、重症化することなく直るはずだ。
念のため、お医者さんに行って薬をもらってきた。処方してくれた三種類の薬は、去年とまったく同じだった。
始まりはいつも通りだった。ノドのいがらっぽい感じが2〜3日続き、目の痛み・首筋の痛み、そして倦怠感におそわれた。その時はまだ風邪の前兆とは思わず、パソコン依存症による疲労が蓄積されたのだろうと思っていた。
その後、水のような鼻水が…「水」という語が重なってしまったが、それほど水のようだったのだ…出るようになった。ここに至って初めて風邪をもらったことに気づいた。この後、風邪は重症化していくのだろうか。マルタ旅行が近いのだから、高熱でも発するようになれば面倒なことになる。
記憶をたぐり寄せてみれば、たしか去年も同じような症状の風邪をひいたことがあった。ノドのいがらっぽさ、目などの痛み、そして鼻水へと症状が推移していった。その後、高熱を発することはなく、2〜3日で症状は治まったのだった。
丸一日、水のような鼻水が続いた後、翌日はそれがピタリと止まった。念のため熱を測ってみたところ平熱だった。今までの所は、今年も去年と同じような推移をたどっているのだ。となれば、二日ほどおとなしくしていれば、重症化することなく直るはずだ。
念のため、お医者さんに行って薬をもらってきた。処方してくれた三種類の薬は、去年とまったく同じだった。
posted by 里実福太朗 at 16:05| 里ふくろうの日乗
2012年11月21日
銀杏
今年も近くの神社のイチョウの木には、銀杏が鈴なりについただろうか。去年はしこたま拾い集めたが、今年はとうとう行かずじまいだった。
銀杏は、種の中身を食するまでには気の遠くなるような手間が掛かる。まずもって、くさい果肉を取り除き種を取り出すことからして、なかなか大変なことなのである。
昨年拾ってきた銀杏は、土に埋めておいた。土の中の微生物が、果肉を発酵・分解してくれるからだ。少し経ってから掘り返してみたが、もとの丸いままで実はまったく見えなかった。仕方なく、もう一度土をかけておいた。その後、銀杏を埋めておいたことはすっかり忘れてしまった。
今年になって、銀杏を埋めておいた場所から芽が出て…ほんとうのところは、芽が出たことには気づかなかったのだが…どんどん成長して、細いなりにも幹が伸び枝を広げ、生意気にもあのイチョウの葉の形をした葉をつけた。そして、秋を迎えて黄葉までしたのだった。まあ、元がイチョウの木の実だから当たり前のことではあるが、なんだかとても不思議なことに思えた。かくして、せっかく拾ってきた銀杏ではあったが、種を取り出してギンナンを食することはできなかった。
かように、銀杏から種を取り出すことは生やさしいことではないのだ。ところがそのギンナンを、ある人からどっさりいただいた。その人は、公園で暮らすあの自由人だったのだ。
公園には、イチョウの木が何本もある。居を定める場所としては、大きなイチョウの木の下が一番の適地なのだ。重なり合って茂るイチョウの葉は、油分を含んでいて雨をはじいてくれるからだ。このことは自由人から聞いたことだが、仮設簡易住宅を組み立てる場所は、どこでもいいわけではないということなのである。
玉にきずは、雌の木は秋に果実をつけ、それが臭気を放つ点だか、それとてギンナンという自然の恵みをもたらしてくれるのだから、自由人にとってはありがたい木なのだ。そういう貴重なギンナンを、いただいてしまったのだ。
ビニール袋いっぱいに入ったギンナンを見た時、これはとうてい受け取るわけにはいかないなと思って辞退したのだが、
「なにもないので、これを…」
と相手もゆずる気配がないので、とうとう受け取ってしまったのだった。先日家から持って来た寝袋のお礼だったのかもしれない。
ギンナンではち切れんばかりのビニール袋は、手にした時、かなりの重さを感じた。ギンナンの重さだけでなく、きっと量ることのできない別のモノが、ずっしりとした重みを加えていたからなのだろう。
銀杏は、種の中身を食するまでには気の遠くなるような手間が掛かる。まずもって、くさい果肉を取り除き種を取り出すことからして、なかなか大変なことなのである。
昨年拾ってきた銀杏は、土に埋めておいた。土の中の微生物が、果肉を発酵・分解してくれるからだ。少し経ってから掘り返してみたが、もとの丸いままで実はまったく見えなかった。仕方なく、もう一度土をかけておいた。その後、銀杏を埋めておいたことはすっかり忘れてしまった。
今年になって、銀杏を埋めておいた場所から芽が出て…ほんとうのところは、芽が出たことには気づかなかったのだが…どんどん成長して、細いなりにも幹が伸び枝を広げ、生意気にもあのイチョウの葉の形をした葉をつけた。そして、秋を迎えて黄葉までしたのだった。まあ、元がイチョウの木の実だから当たり前のことではあるが、なんだかとても不思議なことに思えた。かくして、せっかく拾ってきた銀杏ではあったが、種を取り出してギンナンを食することはできなかった。
かように、銀杏から種を取り出すことは生やさしいことではないのだ。ところがそのギンナンを、ある人からどっさりいただいた。その人は、公園で暮らすあの自由人だったのだ。
公園には、イチョウの木が何本もある。居を定める場所としては、大きなイチョウの木の下が一番の適地なのだ。重なり合って茂るイチョウの葉は、油分を含んでいて雨をはじいてくれるからだ。このことは自由人から聞いたことだが、仮設簡易住宅を組み立てる場所は、どこでもいいわけではないということなのである。
玉にきずは、雌の木は秋に果実をつけ、それが臭気を放つ点だか、それとてギンナンという自然の恵みをもたらしてくれるのだから、自由人にとってはありがたい木なのだ。そういう貴重なギンナンを、いただいてしまったのだ。
ビニール袋いっぱいに入ったギンナンを見た時、これはとうてい受け取るわけにはいかないなと思って辞退したのだが、
「なにもないので、これを…」
と相手もゆずる気配がないので、とうとう受け取ってしまったのだった。先日家から持って来た寝袋のお礼だったのかもしれない。
ギンナンではち切れんばかりのビニール袋は、手にした時、かなりの重さを感じた。ギンナンの重さだけでなく、きっと量ることのできない別のモノが、ずっしりとした重みを加えていたからなのだろう。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年11月20日
子ネコに関する意外な事実
高貴な血が流れているネコは飽きっぽい性格なのか、ひとしきり遊んだ後、振り返りもせずプイと去って行ってしまった。実にあっけらかんとした感じだった。行動パターンを確認するために後をつけていこうとした時、エサ場の方から、
「ワぁ、かわいい」
という若い女の子たちの歓声があがった。その声に気を取られているうちに、機敏なアビはサッと姿を消してしまっていた。
その歓声は、エサ場にいる自由ネコたちを見て発せられたものだった。そしてそのネコたちの中心にいたのは、フウ太の名付け親の女性だった。彼女のお気に入りの猫はもちろんフウで、そのフウを膝の上にのせてご満悦の表情だった。「かわいいわね〜」と口々に言う女の子たちに、「フウを膝の上にのせられるのは私だけなのよ」とでも言いたげに、得意顔を作っているようにも見えた。
彼女に会うのは久しぶりだったが、挨拶をすればすぐに「あァ」という表情になった。
「フウ太のケガはどうなりました?」
声を掛けるきっかけは、やはりフウ太の話題が一番いいのだ。
「もう、大丈夫」
「最近ネコが三匹捨てられたそうですね」
「そうよ。アビショウ、ウナギ…」
「ウナギ?」
「アビシニアンのことよ、体が細長くてウナギに似ているから」
あの高貴な血をひくネコがウナギでは、いくらなんでもかわいそうだ。心の中ではそう思ったが、口に出して反論することは避けておいた。
「あと一匹は子ネコで、二人組のダンナさんの方が連れて帰ったそうですね」
「それが、違うのよ」
と言って、意外なことを話してくれた。
結論から言えば、その子ネコは捨てられた三匹のうちの一匹ではなかったのだ。ある日、捨てた張本人である老婦人が現れ…やはり捨てた三匹のネコのことが心配になったらしい…以前から面識のあったフウの名付け親から子ネコのことを聞き、飼っていた三匹目は大きなネコで、子ネコではないことを明らかにしたのだ。ということは、ほぼ同時期に子ネコが捨てられ、それをあのダンナさんが老婦人が飼っていたネコだと勘違いして引き取ったのだった。
入居した新しいアパートでの生活にもやっと慣れ、気持ちにもゆとりが生まれてくれば、気がかりは手放さなければならなくなったネコたちのこと、そこで旧知のフウの名付け親がネコ公園に来ることの多い曜日を選んで、様子を見に来たのだった。
その老婦人は、実際には6匹のネコを飼っていた。二人組のネコサポーターは、エサ代が月に5〜6万円は掛かると言っていた。6匹のネコのエサ代はかなりの額になるはずだから、生活保護を受ける身では面倒を見続けることはできない。また、6匹もネコを飼っているのでは、特に高価なアビシニアンやアメリカンショートヘアーなどがいたら、金銭的な余裕があると見なされ、保護を切られてしまうかもしれない。自分が生きていくためには…そのための答えはおのずと導かれた。三匹はこのネコ公園に、残りの三匹は浅草の方に連れて行った。
「アッ、仕事に行かなくっちゃ」
時計を見ながら、フウの名付け親あわただしくその場を去って行った。仕事場に行く前に、ネコ公園に立ち寄って自由ネコたちと接する時間が、彼女にとって何かの大切な意味を持つひとときになっているのかもしれない。取り残されたフウは、彼女の後ろ姿を見送っていた。
「ワぁ、かわいい」
という若い女の子たちの歓声があがった。その声に気を取られているうちに、機敏なアビはサッと姿を消してしまっていた。
その歓声は、エサ場にいる自由ネコたちを見て発せられたものだった。そしてそのネコたちの中心にいたのは、フウ太の名付け親の女性だった。彼女のお気に入りの猫はもちろんフウで、そのフウを膝の上にのせてご満悦の表情だった。「かわいいわね〜」と口々に言う女の子たちに、「フウを膝の上にのせられるのは私だけなのよ」とでも言いたげに、得意顔を作っているようにも見えた。
彼女に会うのは久しぶりだったが、挨拶をすればすぐに「あァ」という表情になった。
「フウ太のケガはどうなりました?」
声を掛けるきっかけは、やはりフウ太の話題が一番いいのだ。
「もう、大丈夫」
「最近ネコが三匹捨てられたそうですね」
「そうよ。アビショウ、ウナギ…」
「ウナギ?」
「アビシニアンのことよ、体が細長くてウナギに似ているから」
あの高貴な血をひくネコがウナギでは、いくらなんでもかわいそうだ。心の中ではそう思ったが、口に出して反論することは避けておいた。
「あと一匹は子ネコで、二人組のダンナさんの方が連れて帰ったそうですね」
「それが、違うのよ」
と言って、意外なことを話してくれた。
結論から言えば、その子ネコは捨てられた三匹のうちの一匹ではなかったのだ。ある日、捨てた張本人である老婦人が現れ…やはり捨てた三匹のネコのことが心配になったらしい…以前から面識のあったフウの名付け親から子ネコのことを聞き、飼っていた三匹目は大きなネコで、子ネコではないことを明らかにしたのだ。ということは、ほぼ同時期に子ネコが捨てられ、それをあのダンナさんが老婦人が飼っていたネコだと勘違いして引き取ったのだった。
入居した新しいアパートでの生活にもやっと慣れ、気持ちにもゆとりが生まれてくれば、気がかりは手放さなければならなくなったネコたちのこと、そこで旧知のフウの名付け親がネコ公園に来ることの多い曜日を選んで、様子を見に来たのだった。
その老婦人は、実際には6匹のネコを飼っていた。二人組のネコサポーターは、エサ代が月に5〜6万円は掛かると言っていた。6匹のネコのエサ代はかなりの額になるはずだから、生活保護を受ける身では面倒を見続けることはできない。また、6匹もネコを飼っているのでは、特に高価なアビシニアンやアメリカンショートヘアーなどがいたら、金銭的な余裕があると見なされ、保護を切られてしまうかもしれない。自分が生きていくためには…そのための答えはおのずと導かれた。三匹はこのネコ公園に、残りの三匹は浅草の方に連れて行った。
「アッ、仕事に行かなくっちゃ」
時計を見ながら、フウの名付け親あわただしくその場を去って行った。仕事場に行く前に、ネコ公園に立ち寄って自由ネコたちと接する時間が、彼女にとって何かの大切な意味を持つひとときになっているのかもしれない。取り残されたフウは、彼女の後ろ姿を見送っていた。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年11月19日
これがアビシニアン
それでも、いつもよりは早い時間にネコ公園に着いた。ポン太は午前中の早い時間帯にはいると自由人から聞いていたので、ほんとうはもっと早く行きたかったのだけれど、いつも夜更かしをしている身にとって、早起きほど辛いものはなく、ずるずると家を出るのが遅くなってしまったのだった。
三文の得とまではいかないが、多少でも早く行けばいいことはある。ポン太はもう去ってしまったようだったが、まだチラッとしか見たことのなかったアビシニアンを間近で見ることができたのだ。それどころか、じっくりと写真まで撮ることができたのだ。
アメショウの方は、どうやらそのあたりの縄張りの一員に潜り込むことができたようだったのだが、アビの方は、いまだに建物の裏の方に身を潜めて、なかなか表の方に出てこなかったのだ。あの日チラッと見えたアビは、ほんとうに古代エジプトのバステト神のような気品をたたえていた。しかし、陽光の下で見るといささか印象が異なっていた。黄金に輝いて見えた毛並みは、ありふれた茶色に見えて、雑種の血が少し混じっているのかもしれなかった。しかし、ピンと張った大きな耳は、古代エジプトから続く血の流れを物語っているようで、そんなネコが、ある日突然住み慣れた家を離れ、路頭に迷うようになってしまったことを思うと、その行く末が案じられてくるのだった。
しばらくこちらの様子を凝視していたが、危害を加える人物ではないと見極めがついたのだろうか、一転して旧知の仲のような感じですり寄ってきた。そして、大胆にも地面にコテンと横になり、枯れ葉が体に着くのも気にするふうもなく、コロコロ転がってみたあと毛づくろいを始めたのだった。
三文の得とまではいかないが、多少でも早く行けばいいことはある。ポン太はもう去ってしまったようだったが、まだチラッとしか見たことのなかったアビシニアンを間近で見ることができたのだ。それどころか、じっくりと写真まで撮ることができたのだ。
アメショウの方は、どうやらそのあたりの縄張りの一員に潜り込むことができたようだったのだが、アビの方は、いまだに建物の裏の方に身を潜めて、なかなか表の方に出てこなかったのだ。あの日チラッと見えたアビは、ほんとうに古代エジプトのバステト神のような気品をたたえていた。しかし、陽光の下で見るといささか印象が異なっていた。黄金に輝いて見えた毛並みは、ありふれた茶色に見えて、雑種の血が少し混じっているのかもしれなかった。しかし、ピンと張った大きな耳は、古代エジプトから続く血の流れを物語っているようで、そんなネコが、ある日突然住み慣れた家を離れ、路頭に迷うようになってしまったことを思うと、その行く末が案じられてくるのだった。
しばらくこちらの様子を凝視していたが、危害を加える人物ではないと見極めがついたのだろうか、一転して旧知の仲のような感じですり寄ってきた。そして、大胆にも地面にコテンと横になり、枯れ葉が体に着くのも気にするふうもなく、コロコロ転がってみたあと毛づくろいを始めたのだった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年11月16日
マンボウ・マブゼ共和国を旅する
どくとるマンボウこと北杜夫さんが、「マンボウ・マブゼ共和国」という独立国家を、世田谷のご自宅内に建国したことはご存じの方も多いであろう。
「マブゼ共和国 建国由来記」によれば、独立を宣言したのは昭和56年1月1日だった由、その後広く世間に周知してもらうため、「三時のあなた」という番組に、自ら出演交渉して番組内で独立宣言をした。司会は、つい最近お亡くなりになった森光子さんだったということだ。
あらかじめ用意してあった紙幣・貨幣・特製煙草・手錠を示し、もと阪神の掛布選手のバットに、マンボウ夫人ご手製の国旗を括り付けて掲揚した。建国の由来を述べ、最後に国歌「ドンブラコ節」を歌ったのだった。
「マブゼ共和国 建国由来記」には、こんな奇抜な建国騒動の一部始終が語られている。マンボウ氏自身が明らかにしているが、氏が躁状態の時の所行だったそうだ。むべなるかな、である。
マンボウ氏なき今、そのマブゼ共和国は消滅したものと思っていたが、まだその影響力は衰えていることはなく、展覧会場には、そのマブゼ共和国が支配する地域があった。
マブゼ領に入国するためには、もちろんパスポートが必要となるのだが、所持している人など皆無であろう。そこで、その点はちゃんと配慮されていて、入国審査所にはVISA刻印カウンターが設置されていた。しかし無人であったため、自分で手続きをしなければならなかった。
マブゼ共和国領内には、かつて栄華を誇った時代を彷彿とさせる品々が陳列されていた。どくとるマンボウの夢の消え残る地を旅して、人の世の栄枯盛衰に思いをよせ、しばし流れ去った日々に愁いをつなぐのであった。
「マブゼ共和国 建国由来記」によれば、独立を宣言したのは昭和56年1月1日だった由、その後広く世間に周知してもらうため、「三時のあなた」という番組に、自ら出演交渉して番組内で独立宣言をした。司会は、つい最近お亡くなりになった森光子さんだったということだ。
あらかじめ用意してあった紙幣・貨幣・特製煙草・手錠を示し、もと阪神の掛布選手のバットに、マンボウ夫人ご手製の国旗を括り付けて掲揚した。建国の由来を述べ、最後に国歌「ドンブラコ節」を歌ったのだった。
「マブゼ共和国 建国由来記」には、こんな奇抜な建国騒動の一部始終が語られている。マンボウ氏自身が明らかにしているが、氏が躁状態の時の所行だったそうだ。むべなるかな、である。
マンボウ氏なき今、そのマブゼ共和国は消滅したものと思っていたが、まだその影響力は衰えていることはなく、展覧会場には、そのマブゼ共和国が支配する地域があった。
マブゼ領に入国するためには、もちろんパスポートが必要となるのだが、所持している人など皆無であろう。そこで、その点はちゃんと配慮されていて、入国審査所にはVISA刻印カウンターが設置されていた。しかし無人であったため、自分で手続きをしなければならなかった。
マブゼ共和国領内には、かつて栄華を誇った時代を彷彿とさせる品々が陳列されていた。どくとるマンボウの夢の消え残る地を旅して、人の世の栄枯盛衰に思いをよせ、しばし流れ去った日々に愁いをつなぐのであった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年11月15日
齋藤茂吉と『楡家の人びと』展
現在、世田谷文学館で「斎藤茂吉と『楡家の人びと』展」がひらかれている(12月2日まで)。世田谷文学館には、かつて一度行ったことがある。その時は車だったが、今回は京王線を利用して、芦花公園駅から歩いて行った。
芦花公園駅の南口の改札を出て階段を下る(エスカレーターもある)と、南北に通っている千歳通りがすぐ目の前に見える。右に曲がって南方向に5〜6分歩くと、左側に「芦花翠風邸」という老人ホームが見えてくる。これは、以前「久保邸」と呼ばれたお屋敷跡に建てられたらしい。現在は、かろうじて表門だけが残っている。世田谷文学館は、その表門の右奥にある。車で来た時は、こういった周辺の様子が分からなかった。
着いた時は、3時をかなり回っていた。ネコ公園で自由人に会い、いろいろ聞きたい話はあったのだが、今日は行くところがあるので、と言って早めに切り上げて公園を出るつもりだった。ところがその途中で、二人組のネコサポーターと出会い、付き合っているうちについつい長居をしてしまったため、遅くなってしまったのだ。
展示資料は予想以上に充実していた。丁寧に観てまわるには、かなりの時間を見込んでおかなければならない。ネコ公園に寄ってから行こうなどと予定を立てたのが間違いだった。
特に充実していたのは、生原稿・自筆ノート・書簡類で、斎藤茂吉の愛用の品なども展示されていた。また、茂吉の故郷である山形の自然を写した写真も多数展示されていた。撮影したのは写真家中村太郎氏で、茂吉関連では、没後50周年記念出版として2003年に『茂吉の山河』を求龍堂から出版している。
齋藤茂吉と言えば、近代短歌のみならず近代文学にも大きな影響を与えた大歌人である。その大歌人を父に持つ北杜夫が、齋藤家三代にわたる人々をモデルにして書いたのが「楡家の人びと」という小説だった。もちろんその中心には精神科医でもあった齋藤茂吉がいるのだが、今回の展示では、追悼の意味も込められているのだろう、昨年10月に急逝した作者北杜夫に関する資料も多数展示されていた。
生原稿・自筆ノートなどに記された字体を見ながら、茂吉の字とは大きな違いがあることに興味がひかれた。茂吉の書は、近代文学者の中でも特に優れていると言われているそうで、会場に展示されていた「寫生道」と力強く記された書は、身の丈をはるかに超える大きさであることも手伝って、圧倒的な迫力で観る者を圧倒した。「白き山」の歌稿の文字なども、マス目いっぱいにしっかりとした書体で丁寧に記されていた。
一方、北杜夫の生原稿に記された字は、マス目の中に小さくこぢじんまりと行儀良くおさまっているのだ。メモ帳などに記されていた字も同様であった。ドクトルマンボウシリーズの奔放な作風からは想像できないような、几帳面な小さな字で書かれていたことが深く印象に残った。
芦花公園駅の南口の改札を出て階段を下る(エスカレーターもある)と、南北に通っている千歳通りがすぐ目の前に見える。右に曲がって南方向に5〜6分歩くと、左側に「芦花翠風邸」という老人ホームが見えてくる。これは、以前「久保邸」と呼ばれたお屋敷跡に建てられたらしい。現在は、かろうじて表門だけが残っている。世田谷文学館は、その表門の右奥にある。車で来た時は、こういった周辺の様子が分からなかった。
着いた時は、3時をかなり回っていた。ネコ公園で自由人に会い、いろいろ聞きたい話はあったのだが、今日は行くところがあるので、と言って早めに切り上げて公園を出るつもりだった。ところがその途中で、二人組のネコサポーターと出会い、付き合っているうちについつい長居をしてしまったため、遅くなってしまったのだ。
展示資料は予想以上に充実していた。丁寧に観てまわるには、かなりの時間を見込んでおかなければならない。ネコ公園に寄ってから行こうなどと予定を立てたのが間違いだった。
特に充実していたのは、生原稿・自筆ノート・書簡類で、斎藤茂吉の愛用の品なども展示されていた。また、茂吉の故郷である山形の自然を写した写真も多数展示されていた。撮影したのは写真家中村太郎氏で、茂吉関連では、没後50周年記念出版として2003年に『茂吉の山河』を求龍堂から出版している。
齋藤茂吉と言えば、近代短歌のみならず近代文学にも大きな影響を与えた大歌人である。その大歌人を父に持つ北杜夫が、齋藤家三代にわたる人々をモデルにして書いたのが「楡家の人びと」という小説だった。もちろんその中心には精神科医でもあった齋藤茂吉がいるのだが、今回の展示では、追悼の意味も込められているのだろう、昨年10月に急逝した作者北杜夫に関する資料も多数展示されていた。
生原稿・自筆ノートなどに記された字体を見ながら、茂吉の字とは大きな違いがあることに興味がひかれた。茂吉の書は、近代文学者の中でも特に優れていると言われているそうで、会場に展示されていた「寫生道」と力強く記された書は、身の丈をはるかに超える大きさであることも手伝って、圧倒的な迫力で観る者を圧倒した。「白き山」の歌稿の文字なども、マス目いっぱいにしっかりとした書体で丁寧に記されていた。
一方、北杜夫の生原稿に記された字は、マス目の中に小さくこぢじんまりと行儀良くおさまっているのだ。メモ帳などに記されていた字も同様であった。ドクトルマンボウシリーズの奔放な作風からは想像できないような、几帳面な小さな字で書かれていたことが深く印象に残った。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年11月13日
捨てられた子ネコの行方
さて、捨てられた三匹のネコのうち、アメショー(アメリカンショートヘアーの略)とアビ(アビニシアンの略)の姿は確認できた。アビは、ネコサポーターの女性が、「エサなんか絶対にやらない」と怒りをあらわにしていた時に、ほんの一瞬だったけれど姿を見せた。
チラッと見えた姿は、ネコの姿をした古代エジプトのバステト神のような気品をたたえていた。これほどのネコであれば、引き取ってくれる人は必ず出て来るはずで、やむを得ない事情があったにせよ、捨てる前に何か手立てあったはずだと思われる。
残りの一匹は子ネコだった。実はそのネコは、もう公園にはいない。ある人に引き取られ家ネコとしての暮らしを始めている。そのある人とは、傷を負ったフウが戻って来た時、折よく現れたあの二人組のネコサポーターのうちの一人だったのだ。
「娘さん、元気にしてる」
とアメショーを目の敵にしている資料館の女性が声を掛けると、
「ああ、やっと慣れてきたよ」
と、少し照れながら答えた。娘さんとは、捨てられた子ネコのことなのである。
三匹のネコはなかなか姿を現さなかったが、ある日、二人組がエサをやっていると子ネコが現れて、その人のもとに走り寄り、膝の上にのったのだ。いつも苦虫をかみ殺したような顔をして、相棒がエサをやっているのを見ている方が多かった。自分はネコに好かれないタイプだと思っているような節もあった。それなのに初対面の子ネコが、彼をめがけてまっしぐらに駆け寄ってきたのだ。その瞬間、彼はネコに心を奪われてしまった。懐に子ネコを抱きながら、家に連れて帰ろうと思った。ただ、そのまま懐に入れて電車に乗るわけにはいかないので、タクシーで連れ帰ったのだった。タクシー代は、3500円だった。
これが、情報通の自由人から聞いたことの顛末だ。二人組は、いつもは時間をかけてゆっくりとエサをやるのに、その日はそそくさとエサやりを済ませ、急ぎ足で娘が待つ家へと帰っていった。
チラッと見えた姿は、ネコの姿をした古代エジプトのバステト神のような気品をたたえていた。これほどのネコであれば、引き取ってくれる人は必ず出て来るはずで、やむを得ない事情があったにせよ、捨てる前に何か手立てあったはずだと思われる。
残りの一匹は子ネコだった。実はそのネコは、もう公園にはいない。ある人に引き取られ家ネコとしての暮らしを始めている。そのある人とは、傷を負ったフウが戻って来た時、折よく現れたあの二人組のネコサポーターのうちの一人だったのだ。
「娘さん、元気にしてる」
とアメショーを目の敵にしている資料館の女性が声を掛けると、
「ああ、やっと慣れてきたよ」
と、少し照れながら答えた。娘さんとは、捨てられた子ネコのことなのである。
三匹のネコはなかなか姿を現さなかったが、ある日、二人組がエサをやっていると子ネコが現れて、その人のもとに走り寄り、膝の上にのったのだ。いつも苦虫をかみ殺したような顔をして、相棒がエサをやっているのを見ている方が多かった。自分はネコに好かれないタイプだと思っているような節もあった。それなのに初対面の子ネコが、彼をめがけてまっしぐらに駆け寄ってきたのだ。その瞬間、彼はネコに心を奪われてしまった。懐に子ネコを抱きながら、家に連れて帰ろうと思った。ただ、そのまま懐に入れて電車に乗るわけにはいかないので、タクシーで連れ帰ったのだった。タクシー代は、3500円だった。
これが、情報通の自由人から聞いたことの顛末だ。二人組は、いつもは時間をかけてゆっくりとエサをやるのに、その日はそそくさとエサやりを済ませ、急ぎ足で娘が待つ家へと帰っていった。
posted by 里実福太朗 at 23:45| 里ふくろうの日乗
2012年11月12日
雨の夜のフウとチビ
アビニシアンは、エサを食べながらしきりに周囲を気にしていた。こちらも気になって、そちらに目を向けると、フウとチビが並んで座っているのが見えた。名前を呼んでも顔をこちらに向けるだけ、エサとちらつかせても近づいては来なかった。手の傷の状態は確かめようがなかったが、とりあえず悪化していない様子であることは確かめられた。
雨の降る寒い夜に、どうしてそんなところに座っているのだろうか。さがせばもっと暖かい場所はあるだろうに…体を寄せ合って座っている二つの影に悲哀の念はかき立てられ、降り出した雨のように止みそうにもない。
雨の降る寒い夜に、どうしてそんなところに座っているのだろうか。さがせばもっと暖かい場所はあるだろうに…体を寄せ合って座っている二つの影に悲哀の念はかき立てられ、降り出した雨のように止みそうにもない。
posted by 里実福太朗 at 02:08| 里ふくろうの日乗
2012年11月11日
これがうわさのアメショー
椎名町駅は、西武池袋線の池袋駅から一駅の所にある。現在は椎名町という町名は失われてしまったが、かつてはその椎名町の周辺に点在したアトリエ村などを拠点として、さまざまな人による創作活動が行われた時期があった。近くには池袋という繁華街があり、地形的にも低地にあって…西武池袋線の中では一番海抜が低い…パリのモンパルナスに似ていることから、その地域は「池袋モンパルナス」と呼ばれた。命名したのは詩人の小熊秀雄だと言われている。
こんなにわか仕込みの知識を頭に入れて、写真塾の撮影会に臨んだのだった。担当講師の写真家の北田さんから、「路地にはネコがいますよ」と教えていただいた通り、実際に歩いてみると多くのネコと遭遇した。いづれそのネコたちの写真も、このブログにアップしたいと思っている。
さて話は変わって帰途立ち寄ったいつものネコ公園のこと、気がかりは手に傷を負ったフウ太のこと、そして新顔アメショーとの争いの行方だった。公園に着いたのは、そろそろ自由人が組立式簡易住居の設営をはじめる頃だった。辺りはすでに暗く、おまけに予報通り雨も降り出してきた。
園内灯のわずかな光に浮かび上がったのは、一匹のネコの姿だった。そっと近づき目を凝らして見ると、今までに見たことのない顔だった。毛並みは茶トラに似ているが、腹の部分の模様は大きく弧を描いていた。目には、長い間自由ネコとして暮らしているネコが持つ険がなかった。十分に愛情を注がれ、大切に飼われていたことを示す穏やかな顔をしていた。
捨てられたアメリカンショートヘアーに違いなかった。近づいてもうなり声をあげることもなく、逆に物欲しそうな顔でニャーと鳴いた。ネコサポーターの女性が、エサは絶対にやらないわ、と言っていたあのネコだ。しかし、腹を空かせているネコが目の前にいるのでは、エサをやらないわけにはいかなかった。
こんなにわか仕込みの知識を頭に入れて、写真塾の撮影会に臨んだのだった。担当講師の写真家の北田さんから、「路地にはネコがいますよ」と教えていただいた通り、実際に歩いてみると多くのネコと遭遇した。いづれそのネコたちの写真も、このブログにアップしたいと思っている。
さて話は変わって帰途立ち寄ったいつものネコ公園のこと、気がかりは手に傷を負ったフウ太のこと、そして新顔アメショーとの争いの行方だった。公園に着いたのは、そろそろ自由人が組立式簡易住居の設営をはじめる頃だった。辺りはすでに暗く、おまけに予報通り雨も降り出してきた。
園内灯のわずかな光に浮かび上がったのは、一匹のネコの姿だった。そっと近づき目を凝らして見ると、今までに見たことのない顔だった。毛並みは茶トラに似ているが、腹の部分の模様は大きく弧を描いていた。目には、長い間自由ネコとして暮らしているネコが持つ険がなかった。十分に愛情を注がれ、大切に飼われていたことを示す穏やかな顔をしていた。
捨てられたアメリカンショートヘアーに違いなかった。近づいてもうなり声をあげることもなく、逆に物欲しそうな顔でニャーと鳴いた。ネコサポーターの女性が、エサは絶対にやらないわ、と言っていたあのネコだ。しかし、腹を空かせているネコが目の前にいるのでは、エサをやらないわけにはいかなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗
2012年11月10日
その後のフウとチビ
先週、フウとチビが消えてしまったことで、たいそうな騒ぎとなってしまったことはまだ記憶に新しい。もうその二匹には会えないものと思っていたが、意外にもチビの姿はいつもの場所にあったのだ。ただ、いつもは一緒にいるフウの姿は相変わらず見えなかった。
緩衝材で覆われた段ボール箱の上で眠りこけているチビに声を掛けてみると、薄目を開けただけですぐ目を閉じてしまった。二週間ぶりで見るチビは、体がさらに一回り大きくなったようには見えるが、顔に傷一つなく、体が薄汚れていることもない。以前とまったく同じチビだった。あの騒ぎは一体何だったのだろうか。
そこに、先週悲嘆に暮れていたネコサポーターの女性がやってきた。
「いるでしょ」
「いますね、いつ戻ってきたんですか」
と尋ねると、「次の日」とちょっと恥ずかしそうに言った。それはそうだろう、あれだけ騒いでいたのに、次の日にはもう姿を現したのだから。
「だけどね、フウはずっと姿を見せてないの。アメショー、あいつのせいよ」
と怒気を含んだ声で言った。
「アメショー?」
ペットを遺棄することは禁じられているというのに、最近三匹のネコが捨てられたそうだ。なんでも高齢の女性が置いていったらしい。勤めていた店がつぶれ収入の道が閉ざされ、とうとう生活保護を受けることになった。それに伴って、アパートも変わざるを得なくなった。あいにくそのアパートでは動物を飼うことができず、泣く泣く飼っていた三匹のネコを手放さなければならなくなってしまった。
そのネコサポーターが、どうしてここまで詳しいことを知っているのか、本当の話だろうかと疑念が生じないこともないが、真顔で話しているところを見ると、まんざら作り話でもなさそうだ。ひょっとすると、情報通の自由人あたりが出どころなのかもしれない。
さて、捨てられた三匹のネコの一匹は子ネコ、そしてアビニシアン、さらに三匹目がアメリカンショートヘアーだった。「アメショー」とは、このアメリカンショートヘアのことなのだ。新顔が加わったことで、縄張りの力の均衡がくずれた。すぐさま新勢力と旧勢力との争いが始まり、穏やかな性格のフウが負けるのに時間はかからなかった。かくして日米決戦に敗れたフウは、チビを引き連れて住み慣れた縄張りを出て行った。チビの方だけが次の日に戻ってきたのは、まだ子ネコだったからアメショーも相手にしなかったのだろう。
「ほんとに、憎たらしい。フウたちが仲良く暮らしていたのに、追い出すんだから。アメショーなんかにエサは絶対にやらない」
と、息巻くことしきりだった。
「連れてきてあげたわよ」
私たちに声を掛けてきた人は、中年の肉付きの良い女性だった。初めて見る人だった。
「あっちの方にいたのよ」
と西の方を指さしながらさらに言葉を続けた。
「なんかオドオドしてかわいそうだったから、あっちに戻りましょ、と言ったら私の後をつい来るじゃないの」
彼女のすぐ後ろには、あのフウがいた。しきりに周囲の様子をうかがっていたが、ネコサポーターの歓迎の声に迎えられて、いつもの人なつっこいフウに戻った。
「やっぱりアメショーに追い出されて、戻ってこられなかったのね」
「こっちに来る時、歩き方がちょっと変で、左手をかばって歩いてたのよ。怪我してるのかしら」
「アメショーにやられたんじゃないの、憎たらしいッたらありゃしない」
この騒ぎを聞きつけて、何ごとかと人が集まってきた。
ある人は、
「フウ、帰って来たの」
と言い、またある人は、
「フウの顔を見にここに来てたのよ」
と言う。フウは女性の間では、ハチ以上の人気者になっていた。
そして、フウの帰還を喜び盛り上がっているところに、折良く二人組のネコサポーターがやってきたのだった。
緩衝材で覆われた段ボール箱の上で眠りこけているチビに声を掛けてみると、薄目を開けただけですぐ目を閉じてしまった。二週間ぶりで見るチビは、体がさらに一回り大きくなったようには見えるが、顔に傷一つなく、体が薄汚れていることもない。以前とまったく同じチビだった。あの騒ぎは一体何だったのだろうか。
そこに、先週悲嘆に暮れていたネコサポーターの女性がやってきた。
「いるでしょ」
「いますね、いつ戻ってきたんですか」
と尋ねると、「次の日」とちょっと恥ずかしそうに言った。それはそうだろう、あれだけ騒いでいたのに、次の日にはもう姿を現したのだから。
「だけどね、フウはずっと姿を見せてないの。アメショー、あいつのせいよ」
と怒気を含んだ声で言った。
「アメショー?」
ペットを遺棄することは禁じられているというのに、最近三匹のネコが捨てられたそうだ。なんでも高齢の女性が置いていったらしい。勤めていた店がつぶれ収入の道が閉ざされ、とうとう生活保護を受けることになった。それに伴って、アパートも変わざるを得なくなった。あいにくそのアパートでは動物を飼うことができず、泣く泣く飼っていた三匹のネコを手放さなければならなくなってしまった。
そのネコサポーターが、どうしてここまで詳しいことを知っているのか、本当の話だろうかと疑念が生じないこともないが、真顔で話しているところを見ると、まんざら作り話でもなさそうだ。ひょっとすると、情報通の自由人あたりが出どころなのかもしれない。
さて、捨てられた三匹のネコの一匹は子ネコ、そしてアビニシアン、さらに三匹目がアメリカンショートヘアーだった。「アメショー」とは、このアメリカンショートヘアのことなのだ。新顔が加わったことで、縄張りの力の均衡がくずれた。すぐさま新勢力と旧勢力との争いが始まり、穏やかな性格のフウが負けるのに時間はかからなかった。かくして日米決戦に敗れたフウは、チビを引き連れて住み慣れた縄張りを出て行った。チビの方だけが次の日に戻ってきたのは、まだ子ネコだったからアメショーも相手にしなかったのだろう。
「ほんとに、憎たらしい。フウたちが仲良く暮らしていたのに、追い出すんだから。アメショーなんかにエサは絶対にやらない」
と、息巻くことしきりだった。
「連れてきてあげたわよ」
私たちに声を掛けてきた人は、中年の肉付きの良い女性だった。初めて見る人だった。
「あっちの方にいたのよ」
と西の方を指さしながらさらに言葉を続けた。
「なんかオドオドしてかわいそうだったから、あっちに戻りましょ、と言ったら私の後をつい来るじゃないの」
彼女のすぐ後ろには、あのフウがいた。しきりに周囲の様子をうかがっていたが、ネコサポーターの歓迎の声に迎えられて、いつもの人なつっこいフウに戻った。
「やっぱりアメショーに追い出されて、戻ってこられなかったのね」
「こっちに来る時、歩き方がちょっと変で、左手をかばって歩いてたのよ。怪我してるのかしら」
「アメショーにやられたんじゃないの、憎たらしいッたらありゃしない」
この騒ぎを聞きつけて、何ごとかと人が集まってきた。
ある人は、
「フウ、帰って来たの」
と言い、またある人は、
「フウの顔を見にここに来てたのよ」
と言う。フウは女性の間では、ハチ以上の人気者になっていた。
そして、フウの帰還を喜び盛り上がっているところに、折良く二人組のネコサポーターがやってきたのだった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
小春日のネコ公園
今週の七日が立冬だった。いよいよ寒さも本番ということだが、ここ二・三日は、暖かい陽射しに恵まれ小春日が続いた。そんな小春のひと日、ネコ公園を訪ねた。自由人と交わした約束を果たすためと、消えたフウとチビとのその後を確かめるためだった。
かつて勤めを持っていた頃、子供たちと一緒にキャンプに行くために、アウトドアグッズをせっせと買い集めていた時期があった。しかしなかなかその機会は訪れず、キャンプ道具だけが増えていった。そうこうしているうちに、子供たちはあっという間に成長して、親と出かけることを避ける年頃になってしまった。そして、買いためたキャンプグッズは、いつしか防災グッズへとその用途を変えたのだった。
次第に寒さが厳しくなってくれば、自由ネコにとっても自由人にとっても寒さを防ぐ手立てが必要になってくるはずだ。公園の近辺には24時間営業の店舗もある。ネコは、そういう店舗の裏手辺りにある暖かい場所をさがして潜り込めば、暖をとることができる。しかし自由人は、どのようにして冬を乗り切るのだろう、そんなことをとりとめもなく思っている時、ふと寝袋のことが思い浮かんだ。買ったきりでほとんど使わずじまいだった寝袋が、どこかで眠っているはずなのだ。それがあれば、寒さを少しはしのぐことができるのではないだろうか。
さがしてみたところ、なんと五つも出てきた。防災用として二つは確保しておく必要がある。一つはほつれている箇所があったので、残りの二つを自由人に寄付することにした。ただ自由人が必要するかどうか分からないので、前もって確かめてみたところ、あると助かるということだった。それでは持って来ますと約束したのが、先週のことだった。そして今週、その約束を果たしたのだった。
二つの寝袋を渡してから、とある公園の場所をもう一度確かめておいた。その公園は現在工事中で、周囲を取り囲む工事用フェンスに、ネコや犬の写真が展示されているということなのだ。先日酔っぱらいに痛めつけられた腰や胸の痛みがようやくひいて、どうにか歩けるようになり、足慣らしのために散歩に出た時偶然見つけたそうだ。時間があれば、そこに行ってみるつもりだった。
用件の一つ済んだが、もう一つ確認しなければならないことがある。そう、消えたフウとチビのその後のことだ。自由人に別れを告げ、仲良しフウ・チビのお気に入りだった場所へと向かったのだった。
かつて勤めを持っていた頃、子供たちと一緒にキャンプに行くために、アウトドアグッズをせっせと買い集めていた時期があった。しかしなかなかその機会は訪れず、キャンプ道具だけが増えていった。そうこうしているうちに、子供たちはあっという間に成長して、親と出かけることを避ける年頃になってしまった。そして、買いためたキャンプグッズは、いつしか防災グッズへとその用途を変えたのだった。
次第に寒さが厳しくなってくれば、自由ネコにとっても自由人にとっても寒さを防ぐ手立てが必要になってくるはずだ。公園の近辺には24時間営業の店舗もある。ネコは、そういう店舗の裏手辺りにある暖かい場所をさがして潜り込めば、暖をとることができる。しかし自由人は、どのようにして冬を乗り切るのだろう、そんなことをとりとめもなく思っている時、ふと寝袋のことが思い浮かんだ。買ったきりでほとんど使わずじまいだった寝袋が、どこかで眠っているはずなのだ。それがあれば、寒さを少しはしのぐことができるのではないだろうか。
さがしてみたところ、なんと五つも出てきた。防災用として二つは確保しておく必要がある。一つはほつれている箇所があったので、残りの二つを自由人に寄付することにした。ただ自由人が必要するかどうか分からないので、前もって確かめてみたところ、あると助かるということだった。それでは持って来ますと約束したのが、先週のことだった。そして今週、その約束を果たしたのだった。
二つの寝袋を渡してから、とある公園の場所をもう一度確かめておいた。その公園は現在工事中で、周囲を取り囲む工事用フェンスに、ネコや犬の写真が展示されているということなのだ。先日酔っぱらいに痛めつけられた腰や胸の痛みがようやくひいて、どうにか歩けるようになり、足慣らしのために散歩に出た時偶然見つけたそうだ。時間があれば、そこに行ってみるつもりだった。
用件の一つ済んだが、もう一つ確認しなければならないことがある。そう、消えたフウとチビのその後のことだ。自由人に別れを告げ、仲良しフウ・チビのお気に入りだった場所へと向かったのだった。
posted by 里実福太朗 at 01:25| 里ふくろうの日乗
2012年11月09日
最後の柿の実
庭に出ると、「ギーコギーコ」とノコギリを挽く音が聞こえてきた。見ると、今日も隣家のご主人が柿の木の枝を切っていた。ここ何日か続けて柿の枝を切っている。
聞くところによれば、こういうことのようだ。はしごに登って高いところの実を採ろうとすると、近ごろはフラフラすることがある。寄る年波のためなのか、柿の実を採ることがだいぶしんどくなって来た。柿採りはもう今年限りで終わりにしたい。思い切って、根元から切ってしまう心づもりを固め、それは専門家に頼むとして、その準備として四方八方に長く伸びている枝を切っておく。そこでご主人が、毎日のように枝を切っているということなのだ。
太い枝を切るのには、かなり難渋しているらしい。毎年柿をいただいていた者としては、傍観しているわけにはいかない。「お手伝いしましょうか」と声を掛けてみた。口の中で「いやいや…」とモゴモゴおっしゃっていたが、辞退しているようにも見受けられない。手には小さなノコギリが握られていた。我が家にあるノコギリの半分程度の大きさだった。ノコギリを取ってきて、手伝うことに決めた。
枝を切りながらご主人に訊けば、柿の木は植えてから30年以上経つという。それだけの年数をかけて、秋にはたくさんの黄金色の実をつけるようになったのに、来年からはそれを見ることができなくなる。寂しさが心をよぎるが、歳を重ねればいずれはそういう日を迎えることになるのだから、こればかりは仕方がない。歳をとるということは、何かをあきらめて手放していくことなのでしょう。歳を重ねれば重ねるほど、失うものは増えていく。
聞くところによれば、こういうことのようだ。はしごに登って高いところの実を採ろうとすると、近ごろはフラフラすることがある。寄る年波のためなのか、柿の実を採ることがだいぶしんどくなって来た。柿採りはもう今年限りで終わりにしたい。思い切って、根元から切ってしまう心づもりを固め、それは専門家に頼むとして、その準備として四方八方に長く伸びている枝を切っておく。そこでご主人が、毎日のように枝を切っているということなのだ。
太い枝を切るのには、かなり難渋しているらしい。毎年柿をいただいていた者としては、傍観しているわけにはいかない。「お手伝いしましょうか」と声を掛けてみた。口の中で「いやいや…」とモゴモゴおっしゃっていたが、辞退しているようにも見受けられない。手には小さなノコギリが握られていた。我が家にあるノコギリの半分程度の大きさだった。ノコギリを取ってきて、手伝うことに決めた。
枝を切りながらご主人に訊けば、柿の木は植えてから30年以上経つという。それだけの年数をかけて、秋にはたくさんの黄金色の実をつけるようになったのに、来年からはそれを見ることができなくなる。寂しさが心をよぎるが、歳を重ねればいずれはそういう日を迎えることになるのだから、こればかりは仕方がない。歳をとるということは、何かをあきらめて手放していくことなのでしょう。歳を重ねれば重ねるほど、失うものは増えていく。
posted by 里実福太朗 at 01:01| 里ふくろうの日乗
2012年11月05日
消えたフウ太とチビ
ポン太に久しぶりで会ったのは先週のことだった。今までは、公園の北側を縄張りとしていたからそのあたりで姿を見ることが多かった。しばらくしてから、南の方に少し移動して、そのあたりを縄張りにしていたアユと一緒に過ごすことが多くなっていた。ところがその日は、さらに南側にいたから少々驚いた。その辺りを縄張りとしていたネコは、以前から住み着いている古顔のネコで、近ごろはフウ太とチビもそのグループに加わっていた。かなりネコ密度が高く、他のネコが入り込むにはかなり敷居の高い場所だった。そういう場所にポン太がいたから、少々驚いたのだった。
「ミャー」
と鳴いてこちらを見上げるから、
「ひさしぶりだな、元気にしてたか」
と声を掛けてあげた。一段と風格が出てきた感じだ。
しばらくポン太を撮ることに没頭していると、近くの資料館からネコサポーターの一人である女性が急ぎ足で出てきて、こちらに向かってきた。
「たいへんなの、フウ太がいなくなっちゃったのよ、チビも」
と、困惑・憤慨・落胆・悲傷などがこもごもわき起こってくる様子で話しかけてきた。
「いつのことですか」
と尋ねれば、
「昨日はいたのよ。今朝から姿が見えないのよ。朝来たら、いつもはすぐ近寄ってくるのに、なんかいつもと雰囲気がちがうのね。おかしいなと思って、見回してもどこからも出て来やしない」
「ちょっと家出したんじゃないですか」
「いや〜誰かが連れて行ったのかもしれない。人を怖がらなくなっていたから…きっとそうよ」
「私が抱こうとすると、逃げましたよ」
「だから、きっと女の人。女の人には抱かれていたから」
その日は、夕方まで園内で過ごしたが、フウ太とチビはとうとう姿を現さなかった。ほんとうに誰かに連れて行かれたのかもしれなかった。
「ミャー」
と鳴いてこちらを見上げるから、
「ひさしぶりだな、元気にしてたか」
と声を掛けてあげた。一段と風格が出てきた感じだ。
しばらくポン太を撮ることに没頭していると、近くの資料館からネコサポーターの一人である女性が急ぎ足で出てきて、こちらに向かってきた。
「たいへんなの、フウ太がいなくなっちゃったのよ、チビも」
と、困惑・憤慨・落胆・悲傷などがこもごもわき起こってくる様子で話しかけてきた。
「いつのことですか」
と尋ねれば、
「昨日はいたのよ。今朝から姿が見えないのよ。朝来たら、いつもはすぐ近寄ってくるのに、なんかいつもと雰囲気がちがうのね。おかしいなと思って、見回してもどこからも出て来やしない」
「ちょっと家出したんじゃないですか」
「いや〜誰かが連れて行ったのかもしれない。人を怖がらなくなっていたから…きっとそうよ」
「私が抱こうとすると、逃げましたよ」
「だから、きっと女の人。女の人には抱かれていたから」
その日は、夕方まで園内で過ごしたが、フウ太とチビはとうとう姿を現さなかった。ほんとうに誰かに連れて行かれたのかもしれなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年11月04日
実りの秋
実りの秋を迎えて、隣家の柿の実も黄金色に色づいている。今年も豊作のようで、枝もたわわに実っている。道路近くにのびた枝などは、手を伸ばせば届きそうなほどにしなっている。そろそろ収穫した方がいいのにな、と心配しながら見上げることもしばしばだった。
いつも行くスーパーの果物売り場には、梨・リンゴ・バナナなどと一緒に柿も並べられていた。果物の中でも柿は好物の一つだ。きれいに並べられた柿に食指が動いたが、買うのはグッと我慢した。隣家の柿取りの光景が蘇ってきたのだ。先ほど買い物に出る時に隣家の前を通ると、ちょうどご夫妻で柿の実を取っているのが見えたのだ。買い物を終えて家に戻る頃には、きっと大量の柿が収穫されているに違いない。
買い物を済ませて帰宅したあとしばらくしてから、予想通り隣家の奥さんが、もぎ取ったばかりの柿を、垣根越しに手渡してくれた。やはりスーパーで柿を買わなくて良かったのだ。夫人が奥さんから聞いた話では、例年に比べて今年は実のなり方が少ないということだった。
我が家には柿の木はないが、鉢植えのミカンの木はある。そのミカンの木に、今年は二つも実がなった。もっとたくさんの実をつけるようになれば、柿のお礼として隣家にも差し上げることができるのだが、残念ながらそれは当分先のようだ。
いつも行くスーパーの果物売り場には、梨・リンゴ・バナナなどと一緒に柿も並べられていた。果物の中でも柿は好物の一つだ。きれいに並べられた柿に食指が動いたが、買うのはグッと我慢した。隣家の柿取りの光景が蘇ってきたのだ。先ほど買い物に出る時に隣家の前を通ると、ちょうどご夫妻で柿の実を取っているのが見えたのだ。買い物を終えて家に戻る頃には、きっと大量の柿が収穫されているに違いない。
買い物を済ませて帰宅したあとしばらくしてから、予想通り隣家の奥さんが、もぎ取ったばかりの柿を、垣根越しに手渡してくれた。やはりスーパーで柿を買わなくて良かったのだ。夫人が奥さんから聞いた話では、例年に比べて今年は実のなり方が少ないということだった。
我が家には柿の木はないが、鉢植えのミカンの木はある。そのミカンの木に、今年は二つも実がなった。もっとたくさんの実をつけるようになれば、柿のお礼として隣家にも差し上げることができるのだが、残念ながらそれは当分先のようだ。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年11月02日
上野「すしざむらい」の半額セール
京成上野駅近くに、「すしざむらい」という鮨チェーン店の上野店がある。昼時に、ときどき「すし半額セール」をやっている。そのうち入ってみようとは思っていたのだが、なかなかその機会を持てなかった。
先日お昼過ぎに上野に行った時、たまたま半額セールをやっていた。店の前で、メニューを掲げて半額であることを道行く人にアピールしていたスタッフに、半額セールについて訊いてみた。メニューのあるページを開きながら、そのページに載っているお好み寿司(にぎり寿司)がみな半額であることを一生懸命説明してくれた。
カウンターに座って適当なネタを注文すれば、職人さんがすぐに握ってくれるという。そういう寿司の食べ方を一度はしてみたいと思ったこともあったが、その時はもっと手軽に、たとえば寿司桶で用意されたものを食べたくて、一つ一つ注文しながら食べるのは面倒だなという気持ちがあった。そのことを言うと、テーブル席があって、そこに用意してある注文用紙で好みのネタをまとめて選ぶこともできる、ということをこれまた一生懸命説明してくれたのだった。
店の間口は狭かったけれど、カウンター席の横を通り過ぎ奥のテーブル席に進むと、そこにはゆったりと整えられた空間が広がっていた。さっそく用意されていた注文用紙を手に取ってみる。にぎり寿司は、上は417円の大トロなど、下は102円のサーモンなど、そのほか手巻き寿司も注文できる。
注文したのは、にぎり九つと手巻き二つ、半額だということで、気持ちが大きくなってちょっと多くなりすぎた。手巻き寿司は余計だった。中トロなどのちょっと高価なネタをたのんでしまったので、お会計は800円を少し超えた。もっと節約したいのなら、102円のネタを8〜9貫頼めばよい。その程度の量が腹八分目で体にも良く、ワンコインでおつりもくる。
先日お昼過ぎに上野に行った時、たまたま半額セールをやっていた。店の前で、メニューを掲げて半額であることを道行く人にアピールしていたスタッフに、半額セールについて訊いてみた。メニューのあるページを開きながら、そのページに載っているお好み寿司(にぎり寿司)がみな半額であることを一生懸命説明してくれた。
カウンターに座って適当なネタを注文すれば、職人さんがすぐに握ってくれるという。そういう寿司の食べ方を一度はしてみたいと思ったこともあったが、その時はもっと手軽に、たとえば寿司桶で用意されたものを食べたくて、一つ一つ注文しながら食べるのは面倒だなという気持ちがあった。そのことを言うと、テーブル席があって、そこに用意してある注文用紙で好みのネタをまとめて選ぶこともできる、ということをこれまた一生懸命説明してくれたのだった。
店の間口は狭かったけれど、カウンター席の横を通り過ぎ奥のテーブル席に進むと、そこにはゆったりと整えられた空間が広がっていた。さっそく用意されていた注文用紙を手に取ってみる。にぎり寿司は、上は417円の大トロなど、下は102円のサーモンなど、そのほか手巻き寿司も注文できる。
注文したのは、にぎり九つと手巻き二つ、半額だということで、気持ちが大きくなってちょっと多くなりすぎた。手巻き寿司は余計だった。中トロなどのちょっと高価なネタをたのんでしまったので、お会計は800円を少し超えた。もっと節約したいのなら、102円のネタを8〜9貫頼めばよい。その程度の量が腹八分目で体にも良く、ワンコインでおつりもくる。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2012年11月01日
冬桜あるいは狂い花
今朝の朝日新聞のちば版に、「花を咲かせるフユザクラ」という記事が載っていた。それによると、千葉市の「青葉の森公園」で桜の花が咲いているそうだ。名前は「フユザクラ」といい、9月頃から4月頃まで咲く品種ということだった。
このブログでも、10月19の「上野の桜の迷い咲き」という記事の中で、桜の花が咲いたことを扱ったことがある。その時はちょうど「全国都市緑化フェアTOKYO」が開催されていて、そのスタッフらしき人が季節外れの桜の花が咲いていることを教えてくれた。教えてくれた人も、その桜を「迷い咲き」と言っていたから、桜は桜でも違う品種であるという認識はなかったと思われる。
ほんとうにフユザクラという品種があるのだろうかと気になって、ちょっと調べてみた。まず、歳時記に「フユザクラ」という季語は載っているだろうか。三省堂の「ホトトギス新歳時記」(第三版)には、「冬桜」という季語が載っていた。
冬開く桜の一種。木は小さく花は白色の一重咲きで彼岸桜に似ている。十一月ごろから一月ごろまで、雪や霜の中でも咲いている。寒桜ともいう。
ネットで検索してみると、以下のようなページがヒットした。
【十月桜 (じゅうがつざくら)】
http://www.hana300.com/jyugat.html#2
•開花時期は、10/20 〜 翌 1/10頃。(二度咲き→ 3/20 〜 4/10頃)。
•花弁は八重で、白、または、うすピンク色。
•全体のつぼみの3分の1が10月頃から咲き、残りの3分の2は春に咲く。1年に2回楽しめる。
•秋から冬にかけて咲く桜が「冬桜」。…一重で、花びらは5枚。
•十月桜も含めて、秋から冬にかけて咲く桜のことを総称して「冬桜」と呼ぶこともあるようだ。
【冬桜】…>WEBLIO>桜図鑑
http://www.weblio.jp/content/%E5%86%AC%E6%A1%9C
花は中輪、一重咲きで白色。開花期は4月上旬、11〜12月。
春と秋、年2回花を咲かせる桜で、群馬県鬼石町の桜山公園にはこの桜が多数植えられており、「三波川の冬桜」として有名です。
【冬桜と紅葉が一緒!鬼石・桜山公園【群馬】】
http://allabout.co.jp/gm/gc/19218/
ここでは冬と春の2度花を咲かせるという冬桜を見ることができます。桜の品種は「フユザクラ」で、日本の国内でよく見かける代表的な桜「ソメイヨシノ」と比べると、花の大きさは少し小さめ。
以上のいくつかの説明から、「冬桜」の特徴を以下のようにまとめてみることができそうだ。
★花の大きさはソメイヨシノより少し小さめ、花は一重で花びらが五枚、そして白色である。
この特徴を頭に置いて、上野で撮った桜の写真をもう一度確かめてみた。三枚の写真を並べてみると、白色・うすピンク色・ピンク色という具合に、三種類の花が咲いている。ただ、ピンク色の花とうすピンク色の花とが、一つ枝に一緒に咲いているのはどういうことなのか。
白色の一重咲きが「冬桜」であれば、最初の写真の花がそれということになるのだが、そうなると残りの花は、季節外れに咲いた花ということになるのだろうか。ますます分からなくなり、頭がこんがらかって狂おしさが募ってくる。こうなったら、いっそまとめて「狂い花」とでも言ってしまおうか。
なお上記歳時記では、季語「冬桜」は一月に分類されている。また別に、「帰り花・忘れ咲・狂い花・狂い咲・返り咲」という季語もあり、こちらは十一月になっている。『初冬の小春日和のころに時ならぬ花を開くのをいう。単に帰り花といえば桜のことで、…』と説明されている。無味乾燥な感じの「冬桜」より、こちらの方が心を漂よわせる感じがあって好ましい。
このブログでも、10月19の「上野の桜の迷い咲き」という記事の中で、桜の花が咲いたことを扱ったことがある。その時はちょうど「全国都市緑化フェアTOKYO」が開催されていて、そのスタッフらしき人が季節外れの桜の花が咲いていることを教えてくれた。教えてくれた人も、その桜を「迷い咲き」と言っていたから、桜は桜でも違う品種であるという認識はなかったと思われる。
ほんとうにフユザクラという品種があるのだろうかと気になって、ちょっと調べてみた。まず、歳時記に「フユザクラ」という季語は載っているだろうか。三省堂の「ホトトギス新歳時記」(第三版)には、「冬桜」という季語が載っていた。
冬開く桜の一種。木は小さく花は白色の一重咲きで彼岸桜に似ている。十一月ごろから一月ごろまで、雪や霜の中でも咲いている。寒桜ともいう。
ネットで検索してみると、以下のようなページがヒットした。
【十月桜 (じゅうがつざくら)】
http://www.hana300.com/jyugat.html#2
•開花時期は、10/20 〜 翌 1/10頃。(二度咲き→ 3/20 〜 4/10頃)。
•花弁は八重で、白、または、うすピンク色。
•全体のつぼみの3分の1が10月頃から咲き、残りの3分の2は春に咲く。1年に2回楽しめる。
•秋から冬にかけて咲く桜が「冬桜」。…一重で、花びらは5枚。
•十月桜も含めて、秋から冬にかけて咲く桜のことを総称して「冬桜」と呼ぶこともあるようだ。
【冬桜】…>WEBLIO>桜図鑑
http://www.weblio.jp/content/%E5%86%AC%E6%A1%9C
花は中輪、一重咲きで白色。開花期は4月上旬、11〜12月。
春と秋、年2回花を咲かせる桜で、群馬県鬼石町の桜山公園にはこの桜が多数植えられており、「三波川の冬桜」として有名です。
【冬桜と紅葉が一緒!鬼石・桜山公園【群馬】】
http://allabout.co.jp/gm/gc/19218/
ここでは冬と春の2度花を咲かせるという冬桜を見ることができます。桜の品種は「フユザクラ」で、日本の国内でよく見かける代表的な桜「ソメイヨシノ」と比べると、花の大きさは少し小さめ。
以上のいくつかの説明から、「冬桜」の特徴を以下のようにまとめてみることができそうだ。
★花の大きさはソメイヨシノより少し小さめ、花は一重で花びらが五枚、そして白色である。
この特徴を頭に置いて、上野で撮った桜の写真をもう一度確かめてみた。三枚の写真を並べてみると、白色・うすピンク色・ピンク色という具合に、三種類の花が咲いている。ただ、ピンク色の花とうすピンク色の花とが、一つ枝に一緒に咲いているのはどういうことなのか。
白色の一重咲きが「冬桜」であれば、最初の写真の花がそれということになるのだが、そうなると残りの花は、季節外れに咲いた花ということになるのだろうか。ますます分からなくなり、頭がこんがらかって狂おしさが募ってくる。こうなったら、いっそまとめて「狂い花」とでも言ってしまおうか。
なお上記歳時記では、季語「冬桜」は一月に分類されている。また別に、「帰り花・忘れ咲・狂い花・狂い咲・返り咲」という季語もあり、こちらは十一月になっている。『初冬の小春日和のころに時ならぬ花を開くのをいう。単に帰り花といえば桜のことで、…』と説明されている。無味乾燥な感じの「冬桜」より、こちらの方が心を漂よわせる感じがあって好ましい。
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗