2012年12月29日

ドバイからラルナカへ

ドバイからマルタまでの旅程はまだ道半ばであって、これから再び苦難の道が待ち受けているのである。マルタまで一気に飛んでくれればまだしも、途中、キプロスのラルナカ空港に下りて、そこで1時間以上も待つということなのだ。乗り継ぎをするのでもなく、その間機内で待っていなければならないということが分かると、疲れがどっと出てきた。

搭乗場所へ向かう移動バスは、もう30分以上も走り続けている。エミレーツ航空の機体が窓の外に見えて、やっと着いたかと思うのもつかの間、バスはそこを通り過ぎてさらにさらに走って行く。そんなことを何回か繰り返してから、やっとだだっ広い殺風景な場所で止まった。そこは、地方都市のローカル空港と言った方がよさそうな雰囲気が漂っていた。ちゃんと飛んでくれるのだろうかという一抹の不安を抱きながら、むき出しのタラップを上った。

121128~_0019391-a.jpg


121128~_0019398-a.jpg  121128~_0019393-a.jpg


エミレーツ航空EK107便は、そんな心配を知ってか知らずか、定刻の8時10分(日本時間13時10分)に離陸して、眼下に超高層ビルのブルジュ・ハリーファを見ながらキプロスのラルナカを目指したのだった。

121128~_0019404-a.jpg


〔エミレーツ航空EK107便〕
…YouTubeより


飛行機が水平飛行に入ると、さっそくあのお手ふきの儀式が始まった。朝食劇場の幕開けである。YouTubeにその様子を撮った動画が載っていた。お手ふきを何かでつまんでいるようだが、私たちの時はもっと長いピンセット状のものだった。それでつまむとダラーンとたれさがるものだから、よりいっそう奇妙な感じがした。

〔エミレーツ航空機内の様子と機内業務(おしぼり)〕
…YouTubeより



121128~_0019408.jpg  121128~_0019409.jpg
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2012年12月28日

ドバイ国際空港にて

ドバイ国際空港は、アラブ首長国連邦のドバイにある空港で、エミレーツ航空が拠点とする巨大ハブ空港である。2011年の旅客数は5,000万人を超えて過去最高を記録し、2012年の上半期は、2011年の同時期と比べると、13%増の2800万人近い旅客数を記録したそうだ。

それに対して成田国際空港は、2011年の旅客数は前年比17%減の2800万人を超える程度であった。成田空港では夜間・早朝便が制限されていることや、震災の影響で外国人客が大幅に減少したことを考慮しても、ドバイ空港との差は歴然としている。

巨大ハブ空港という名に違わず、早朝の4時過ぎの到着にかかわらず、きらびやかな照明が真昼より明る光をまき散らし、歳末の繁華街のように搭乗待ちの客たちでごった返していた。

121128~_0019375.jpg  121128~_0019379.jpg


121128~_0019381-a.jpg  121128~_0019385-a.jpg


121128~_0019387.jpg


ドバイ空港を立つのが現地時間の8時10分だから、4時間近くここで過ごさなければならない。ともかくだだっ広いから、何かを買い求めるというあてもなく端から端まで歩き回り、たまに店の中に入って冷やかしたりしているうちに、特に退屈することもなく時間は過ぎていった。

前回の旅行で使い残したドル紙幣を持って来たので、それを使って買い物をしてみることにした。ドルは使えるが、おつりは現地の通貨であるディルハムになると聞いていた。なるべくかさばらないものを物色していると、折よく本屋さんがあったので旅の記念にUAEの地図と来年のカレンダーを買い求めることにした。念のため若い男性店員に(カタカナ部分はかたことの英語)、
「スミマセーン、ドルハ使エマスカ」
と尋ねたところ、使えるという返事だった。そこで買い求めたのが次の地図…55ディルハム、日本円で1200円程度(1ドル80円として)…と、カレンダー…45ディルハム…だった。

121228~_0019957-a.jpg  121228~_0019956-a.jpg


帰国時にも立ち寄ったドバイ空港で、時間つぶしにお土産品を見ながらブラブラ歩いていると、
「こんにちは」
と日本語で声を掛けられた。どうせろくでもない物を高い値段で売りつける魂胆だろうと思い、無視して通り過ぎた。少し歩みを進めてから、旅行中チャイニーズと間違われることが多かったのに、ジャパニーズと見極めて日本語で声を掛けてくれたのだから、話だけでも聞いてみようと思い直してきびすを返したのだった。

声を掛けてきた若い男性は、チョコレート製のサンタクロースの人形を示して、
「コレハ日本製デアルヨ」
と勧めてくれる。
「日本ニ行ッタコトアリマス」
「エッ、ドコ?」
「北海道」
暑い国に暮らす人は、寒い所に行ってみたいらしい。

そんな縁もあって、日本製だと言って勧めてくれているのかもしれないが、日本から来て、日本製だと分かっている物をお土産として買って帰っても、笑い話にもならない。相手にしてみればリップサービスでそう言ったのかもしれないが、日本製だと言われても買おうという気持ちなど起こってこない。そう言うと…夫人の通訳で…
「ホントハ、スイス製ダヨ」
と何食わぬ顔で言い直した。変わり身の早さにいまいましさを感じたものの、日本に来てくれたことだし、調子がいいだけで人はよさそうな若者だったので、二つ買い求めたのだった。

そのチョコレート製のサンタクロース人形は、一つ20ディルハム、今度はユーロで支払った。

201212_001.jpg



〔1ディルハム(Dhs)のコイン〕
121228~_0019958-a.jpg  121228~_0019959-a.jpg


posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2012年12月27日

ポン太の耳の変化

ポン太は、自由人から毎日エサを与えられ、食べるものには不自由していないはずなのだが、自由人が食べるのを楽しみにしていたサンマの塩焼きを失敬するし、ほかのネコの縄張りにまで出向いてエサをもらうこともある。以前は、これほどまでには食い意地が張ってはいなかった。

フウやチビがエサをもらっているのを、木の陰からうかがっていることがあった。それに気づいたネコサポーターが、
「ポンちゃん、こっちおいでよ、カリカリ食べな」
と声を掛けると、その言葉の意味が分かったのだろうか、チビを膝の上にのせているネコサポータの所に近づいて行ったのだ。

121219~_C190348-a.jpg


121219~_C190349-a.jpg  121219~_C190357-a.jpg


こういう話もある。自由人が、
「あっちに行くと、牛乳がもらえるぞ」
と言うと、いつも牛乳を持って来てくれるネコサポーターの所に行ったというのだ。そのことを聞いたネコサポーターは、
「ポンちゃんが来たけど、こっちに行くようにいわれたから来たの! ホントなの?」
と言ってびっくりしていたそうだ。ポン太は、人間が言っていることが分かるのだろうか。

ネコ公園のネコたちは、その多くは仲間が増えないように避妊手術を受け、その印として耳に小さな切り込み…パンチ…が入れられる。マルタで出会ったネコの何匹かにも、そういうパンチが入っていた。

新参者のネコたちがパンチを入れられても、ポン太の耳にはいつまでも変化がなかった。ところが最近になって、ポン太の耳に変化があった。小さな切り込みが入っていたのだ。ポン太は決して人間の膝の上に乗らなかった。ちょっとした物音が聞こえると、すぐに身構えた。そういう敏捷性が備わっていたことが、長い間パンチを入れられることがなかった要因なのかもしれない。

121219~_C190360-a.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 23:40| 里ふくろうの日乗

2012年12月25日

サンマ泥棒

ネコ公園に着いたのは、もう薄暗くなっている時分だった。早稲田のギャラリーで行われている写真塾講師の方の写真展に足を運び、その帰途立ち寄ったのだった。クリスマス寒波の冷気が公園をすっぽりと包み、人の姿はまばらに見えるだけで、園内灯に照らし出されて寒々とした影を落としていた。

自由ネコたちは寒さを避けるため、きっと暖かいねぐらをさがしてもぐり込んでいるのだろう、ざっと見回してみても見なれた顔はいつもの場所にはなかった。昼寝をする際にに好んで入る植え込みの中を一つ一つ覗いてみたところ、フウとチビが一緒にいるところを見つけた。ネコサポータの人たちが枯れ葉をかき集めて、フトン代わに敷き詰めてあるのだが、この寒さの中ではせっかくの好意もあまり役に立ちそうにもなかった。

121225~_C250094-a.jpg


自由人もこの寒さだから、もう簡易組み立て式住居の中に入っているかもしれないと思っていたが、薄暮の中、ペンチに座ってラジオを聴いていた。こちらを認めて、「オヤッ」という顔を向けるものだから、
「写真展を見に行った帰りなんです」
と言うと、まったく違うことを話し始めた。いつも穏やかに話す自由人とは違って、憤懣をぶちまけるという感じだった。
「あのポン太のヤロウに、またやられた」
「というと…」
「また、サンマを盗まれたんですよ」

自由人に聞いた話では、以前にもポン太とアユにサンマを盗まれたことあったらしい。近くのスーパでは夜7時を過ぎると、売れ残りの商品は、場合によっては四分の一の値段で売り出すことがあるそうだ。ある晩、売れ残りのサンマの塩焼きを買い求め、ブルーシートの下にかくしておいた。自由人にとってのご馳走は、自由ネコにとってもご馳走だった。鼻の良いポン太とアユがそのおいしそうな匂いを嗅ぎつけ、チャッカリ我が物としてしまったのだ。

いつもエサをあげている恩人が、食べるのを楽しみにしていたサンマの塩焼きを、ポン太とアユは、盗んでペロリと食べてしまったのだから、恩知らずと言われても仕方がない。

食べ損なった物は、以前より増して食べたいと思う気持ちが募るものだ。その欲求に抗しかねて自由人はまたサンマの塩焼きを買い求め、発泡スチロールの中に入れてブルーシートの下に隠した。四方に石を置き、ネコが入り込めるスキがないように念には念を入れて泥棒対策をしておいた。ところが…である。ポン太とアユは、わずかな隙間を見つけて、またもやサンマを手に入れることにまんまと成功したのである。

この話をいつもエサやりに来るおばさんに話したところ、
「ネコにやるためにサンマを買ってきてくれるんですね。ポン太とアユになり代わって、ありがとうございます」
と言われたそうだ。なけなしの金をはたいてやっと買い求めたサンマの塩焼きを、ネコに盗まれるとは何とも気の毒な話ではあるが、舌なめずりをしているポン太の顔を思い浮かべると、ご馳走にありつけてよかったね、とも思うのであった。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月22日

ミッドタウンのクリスマスイルミネーション

今回のマルタ旅行でお世話になった航空会社はエミレーツ航空、現在行われているミッドタウンのクリスマスイルミネーションは、そのエミレーツ航空の協賛である。

121222~midtown名称未設定.jpg


121220~_C200017名称未設定.jpg


私たちが観に行った木曜日もかなりの人出だった。この三連休の間は、それに輪をかけてひどい混雑となっていることだろう。

121220~_C200011名称未設定.jpg


121220~_C200030名称未設定.jpg


121220~_C200040名称未設定.jpg


121220~_C200061名称未設定.jpg  121220~_C200064名称未設定.jpg


121220~_C200090.jpg
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

マルタまでの時空飛行…成田からドバイ

成田からマルタまではほぼ24時間、丸一日機内と空港内とで過ごすのだから、体力的にも精神的にも忍耐を強いられ、これではもう二度とマルタに行くことはできないだろうなと思っていた。それでも帰国後二週間あまりが経って体調も元の状態に戻り、その辛かったマルタまでの記憶が薄れてくるにつれて、出会ったマルタ猫たちのことが懐かしく思い出されてくるのだった。

日本からマルタまでは、日出づる東の国から西へ西へと飛行する空の旅である。それは、過ぎ去っていく時間を追いかける飛行でもあった。時空を遡る旅でもあった。

エミレーツ航空機が成田国際空港を飛び立ったのは、21時20分だった。1時間も経たないうちに機内食が出た。時間的には夜食なのかもしれないが、それにしては量が多かった。機内食が配られる前に、CAが金属製のプレートの上の小さな筒状に巻かれたものを、ピンセットでつまんで一人一人に配り始めた。受け取ってみると、ガーゼ製のお手ふきであった。神妙な顔をしてピンセットでつまんで渡すところが、ちょっと滑稽な感じでもあり、またどことなく異様な感じでもあった。

121127~_0019358.jpg


121127~_0019362-b.jpg  121127~_0019366.jpg


機内で次のような三点セットが配られた。機内で長時間過ごす際に必要となるもので、アイマスク・クツシタ・歯磨きの三つが小さなケースに入っていた。クツシタはスリッパ代わりなのだろう。特に歯みがきは役に立った。

121210~_0019952.jpg


121210~_0019953.jpg


機内食はドバイに着く前にも出た。やはり、儀式めいたお手ふきサービスが前もってあった。日本時間でいえば、朝食ということなのだろう。ドバイまでの所要時間は約12時間、到着時刻は日本時間で翌日の9時15分だった。ドバイとの時差は−5時間だから、現地時間では4時15分という早朝の到着である。5時間も時間を遡ったことになる。

121128~_0019367.jpg


121128~_0019369.jpg
posted by 里実福太朗 at 23:30| ★マルタ紀行

2012年12月21日

Adobe DNG Converter

撮影した写真は、近ごろではRAW形式(未加工の画像データ)で記録媒体に保存することが多くなった。その最大の理由は、撮影後に現像ソフトを使って、露出・ホワイトバランス等を補正できるという点にある。よく使われる圧縮形式の一つ「JPEG」は非可逆圧縮のファイル形式で、補正を繰り返すとそのたびに画質が劣化していく。ところがRAWは、繰り返し補正しても最初の状態に復帰することができる。この点も、RAW形式の大きな利点である。

このようにいいことずくめのRAWではあるが、困る点もある。カメラメーカーやモデルによって規格がばらばらであるという点である。そのため現像するために使うソフトが、その規格に対応している必要がある。対応していなければ、閲覧・編集はおろか読み込みさえもできないことになってしまう。

カメラメーカーは、当該製品のRAW形式に対応した現像ソフトを同梱してくれてはいる。しかし複数のカメラを所持している場合は、それぞれのカメラに応じて使用する現像ソフトを使い分けなければならない。

その煩わしさを解決してくれるのが、「Photoshop Lightroom」などの汎用ソフトなのである。たとえば「Photoshop Lightroom」であれば、さまざまなカメラメーカーのさまざまなモデルに対応していて、カメラの新製品が発売されると、ある程度の期間は要するが、それらのRAWデータに対応した新しいバージョンを提供してくれる。

Lightroom4.3(アップデート2012/12/12)のサポート対象カメラ
http://www.adobe.com/jp/products/photoshop/extend.html

この「Lightroom4.3」では、約20種の新しいカメラ機種に対応したそうだが、当方が所有しているのは「Lightroom3」、こちらの最新バージョンは「3.6」で、まだ新しいカメラ機種には対応していない。このような場合は以下の方法で、新機種のRAWデータを現像することができる。

利用ソフト:Adobe Camera Raw and DNG Converter(Windows)
http://www.adobe.com/jp/support/downloads/dngw73.html

このソフトはアドビから無償提供されていて、カメラ固有のRAWデータをDNG(Digital Negative)という公開仕様の形式に変換する機能を持つ。これを利用して、いったんDNG形式に変換しておけば、「Lightroom3.6」でも読み込んで現像することができるようになる。

カメラ固有のRAWデータ
 ↓ 〔Adobe DNG Converter〕
DNG形式のデータ
 ↓
現像…Lightroom3

〔Adobe DNG Converter〕の使い方はいたって簡単で、変換するRAWデータが保存されているフォルダと、変換したDNGデータを保存するフォルダなどを指定するだけである。

posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年12月20日

猫はここにいます

昨日の写真の猫は、中央左側の木の下にいます。

121201~_0019811-b.jpg

posted by 里実福太朗 at 13:58| 里ふくろうの日乗

2012年12月19日

マルタの猫…ホテル周辺(2)

朝食をとったあと、出発までの時間を利用して、ホテルの脇の小道を通って海側に出てみた。海に通じるその道の途中に駐車場があって、そこにマルタ猫がいたのだ。この猫も警戒心が強く、近づくと逃げて行ってしまった。

121130~_2301071.jpg  121130~_2301075.jpg


ジャンプして飛び乗った背の低い塀の後ろ側に、エサ入れの器がいくつか置かれていた。食べ残されたエサを見たところ、ネコ公園の自由ネコなら口にすることはたぶんなさそうなものだった。マルタの猫も口に合わず、食べ残したのかもしれない。

121130~_2301084.jpg


121130~_2301077.jpg  121130~_2301078.jpg


またの日の朝、再びあの駐車場に行ってみたところ、今度は別の猫がいた。こちらは初対面にもかかわらず逃げるそぶりも見せず、逆に近寄ってきた。腹部に渦巻き模様があるところから推測すると、アメリカンショートヘアーの血が混じっているのかもしれない。いやいや、もともとはヨーロッパからアメリカに渡ったそうだから、こちらの方が元の種に近いのかもしれない。

121201~_0019795.jpg


121201~_0019805.jpg  121201~_0019810.jpg


耳の横にパンチを入れた痕とおぼしき切り込みがあった。ネコ公園のネコたちと同じように、避妊手術をしたという目印なのだろう。

121201~_0019801.jpg


(この写真のどこかにマルタ猫がいます)
121201~_0019811.jpg


朝食は1階のレストランが食事場所で、ビュッフェスタイルだった。広いガラス窓越しにテラス席が見え、その彼方に地中海が見えた。夏の季節であれば、そのテラス席で海を見ながら朝食をとることもできるのだろうが、冬場とてそのようにする人は見受けられなかった。

121201~_0019774.jpg  121130~_2301097.jpg


そのテラス席を猫がうろついていた。それに気づいた人は、ドアを開けて外に出て写真を撮っていた。夏場、テラス席で食事をする人からおこぼれをもらうこともあるのだろう、人慣れしている感じでカメラを向けても逃げることはなかった。

私たちも、食後外に出てそのネコの写真を撮った。なかなか品のある顔立ちのネコで、このネコの耳にも、避妊手術を受けた印があった。

121201~_0019775.jpg  121201~_0019787.jpg


121201~_0019787-2.jpg


posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2012年12月18日

さよなら「アビ」

アビシニアンの「アビ」の引き取り手が現れ、ネコ公園を去ることになった。初めてアビをカメラにおさめたのが11月14日のことだから、ほぼ一ヶ月で新たな飼い主との暮らしが始まることになる。その新たな飼い主とは、あのネコサポータの二人組なのである。

家ネコとして長年暮らしていたアビは、捨てられた当初は、体験したことのない屋外の環境にとまどい、資料館の裏の方に身を潜めていた。しかしもともと人間に対する警戒心の希薄なアビは、すぐに新しい環境に適応して、今まで味わったことにない開放感を享受して、元気に飛び回っていた。

121212~_2122173.jpg  121212~_2122185.jpg


121212~_2122195.jpg


そんなアビは、膝の上にのることが好きだった。もちろん人を見てそうするのだが、最初はソロソロと様子をうかがいながら膝の上に乗ってくる。しばらく身を立てて座っているが、しばらくすると前足を折り、姿勢を低くして伏したまま落ち着いてしまう。ほかの自由ネコたちは、そんなことは絶対にしない。やはり、家ネコとして大切に扱われていたからだと思われる。

二人組のネコサポーターの一人、髪をポニーテールに結んだ人の膝にものって、長い間おとなしく座っていた。それが決め手だった。
「この子とは、相性が合いそうだからひきとろうかな」
それを受けて相方のおじさんが、
「二匹になれば、家を空けた時でも寂しくはないだろうし」
と応じて、あっけなくもらい手が決まってしまったのだった。そして、早ければ早いほうがいいだろうと、次の日に引き取っていくということまで決まってしまったのだった。

翌日、アビが引き取られていく様子を見届けるために、当方も二日連続でネコ公園に赴いた。待ち受けるネコサポーターの女性は、アビが手の届かない所に行ってしまわないように、自分の膝にのせて二人組がやって来るのを今かいまかと待ちわびていた。約束の時間が近づいても、二人はいっこうに姿を見せない。ヒョッとして気が変わったのか、と不安がよぎる。
「遅いですねー」
「そうですねー」
と言葉を交わしながら待つことさらに10分、やっと二人は猫運搬用のバッグを持ってやってきた。

はたしてアビがおとなしくバッグの中に入ってくれるだろうかと心配したが、それはまったくの杞憂だった。うなり声をあげたり暴れたりすることもなく、おとなしくバッグの中の猫となった。そして二人は、他のネコへのエサやりを省き、「タクシーで連れて帰るよ」と言い残し慌てて帰って行った。

121213~PC130182.jpg


121213~PC130131.jpg


posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年12月17日

ゼミの先生の葬儀

朝から暗い雲が低く垂れ込め、いつ降り出してもおかしくないよう空模様だった。寒空のもと告別式に参列して、風邪をひきなおすことになってしまうと困るなと思い始めると、三鷹の葬祭場まで行くことにためらいすら覚えてきた。しかし、失礼することなどできるわけがない。学生時代にクラブとゼミでお世話になり、就職活動の際にも、ある大手の電機メーカーを紹介していただいた先生がお亡くなりになったのだ。

ゼミのOB会幹事のBさんから訃報がメールで送られてきたのは、12日のことだった。前日の11日に急逝されたこと、葬儀の日程などが記されていた。その後、同様の内容のメールが、クラブOB会の幹事、ゼミ同期会の世話人からも送られてきた。

H先生とは、2年前の新旧合同のOB会の席で、卒業以来初めてお会いした。それ以前にもOB会の連絡は届いていたが、仕事の関係で都合がつかないことが多く、また、無理をすれば途中からでも出席できそうなこともあったが、そこまでして出席しようという気持ちにはなれなかった。

2年前のOB会の際、先生は車イス乗っていた。そのことに関しては、進行役の人による先生の近況報告でふれられることはなかった。出席者が多く、なかなか先生と話す機会が持てなかったが、やっと車いすの脇に立ち言葉をかわすことができた。長い無沙汰を詫び、卒業後の当方の進路変更のこと、そして近況などを話しているうちに、ほどなく後ろにひかえている人と交替する時間になってしまった。

第1期卒のOBが弔辞を読み…感情を押さえながらも、その中に恩師への敬愛の情が込められたなかなか良い弔辞だった…最後に、ご子息からの挨拶があった。

121215~_0019955b.jpg


4年前に、吉祥寺の街に自転車で買い物に出た際、転倒して腰を打ってしまい、それ以来、歩行が困難となり車いすを使うようになった。最近、母に認知症の症状が出てきて、ヘルパーさんに家事の面倒をみてもらうようになっていた。ほんの十日ほど前、腰が重いと訴えることがあった。なかなか症状が改善されず、検査のため入院することになり、12日に入院する手はずを整えた。その前日の夕方、付き添っていた家族が、ちょっと外出したその間に、あまりにあっけなく唐突に息絶えてしまっていた。訪ねてきたヘルパーさんが発見して救急車を呼んだが、手遅れだった。

近ごろは、人はどのような最期を迎えるのだろうかということを思うことが多くなった。ご子息の話を聞きながら、身近にあったさまざまな死を思い出し、自分はどのような死を迎えるのだろうか、そんなことを漠然と思ったりもした。先生は、行年87歳だった。

出棺を見届け、三鷹の駅に向かう途中で、雨がポツリポツリと落ちてきた。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月14日

マルタの猫…ホテル周辺(1)

マルタに入国してから初めて猫を見たのは、宿泊するホテルでチェックインの手続きが済むのを待っている時だった。このことについては、すでに現地からリアルタイムで画像をアップしてお知らせした。第一発見者は夫人で、今回のマルタ旅行では夫人の方が猫を発見するのが早く、何回も「あそこにネコがいる」と教えてくれた。

121128~_2280432.jpg  121128~_0019432.jpg

部屋が決まって荷物を置いてから、さっそくその猫を探しに行ってみた。ホテルの裏手、ゴミ運搬車が出入りする通路の脇に、海岸に下りる階段があった。そこを下りたところは岩場だった。海が荒れれば波に洗われそうな場所に、その猫の住まいがあった。

121129~_2290449.jpg


板状のもので覆っただけの粗末な小屋ではあったが、せめて雨風だけでもしのげるようにと思いやってのことだろう。ホテルの従業員の誰かが世話をしているのだろうか。突然の侵入者に驚いた猫は、少し離れたところに逃げていってしまった。

121129~_2290444.jpg  121129~_2290441.jpg


121129~_2290438.jpg

posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2012年12月13日

半月ぶりのネコ公園

マルタ旅行中に、例のネコ公園ではいろいろと変化があったそうだ。マルタから帰ってからなかなか行く機会がなく、二週間以上経ってからやっと自由人やネコサポーターたちから、その間のいろいろな出来事を聞くことができた。

まず、アメリカンショートヘヤーの「アメショー」は、ある女性にもらわれていったそうだ。アビシニアンの「アビ」の方が容姿端麗で気品も漂っている感じなので、こちらの方が先にもらい手が現れるかもしれないと思っていたが、実際はそうではなかったということだ。その女性は、毛の模様がおもしろいと言い残していったそうだが、売り飛ばすことが目的でなければ良いのだが。仮にそうであったとしても、雑種の血が混じっているそうなので、高くは売れないだろう。

121114~_2140060.jpg


チビとアビが姿を消した期間があったそうだ。二匹が戻ってきた時には、耳に避妊手術を示すパンチが入れられていた。ただ、元の飼い主さんからの伝聞情報によると、アビはすでに去勢手術を施してあったそうだ(手術代:1万8千円)。

121208~_2082042.jpg  121208~_2082041.jpg


121208~_2082115.jpg


チビは、より一層ふさふさの毛に覆われ、小さなライオンのようになっていた。誰かが、ペルシャ系の血が流れているかもしれないと言っていたが、大きくなるに従ってその特徴が鮮明となってきたようだ。もらい手が現れてもよさそうなものだが、自由奔放で扱いにくいところがあるのが難点なのかもしれない。フウといつも一緒にいて、じゃれ合いなのかケンカなのか定かではないが、取っ組み合いを繰り返していた。

121212~_2122291.jpg


121212~_2122317.jpg


半月ぶりのネコ公園は、その様相をすっかり変えていた。イチョウの木はみごとに黄葉して、落ち葉が地表を覆い隠していた。自由人によると、ほんの2・3日のうちに色づいてしまったそうだ。その黄色のじゅうたんの上で、ネコは陽光をあびて眠りをむさぼり、イヌは楽しげに飛び回っていた。

121212~_2122202.jpg  121208~_2082090.jpg


自由人は以前と変わらない暮らしを続けていた。ポン太へのエサやりも続けてくれていた。寒波が襲来して冷え込みが厳しくなったというのに、薄手のジャンパーを身につけているだけだったので、寒くはないのかと尋ねたところ、寒いという返事だった。夜は寝袋にくるまって寝るので、汗ばむこともあるほど暖かいということだが、昼間用の防寒着に困っているようだった。ほとんど手を通したことのない厚手のジャンパーが家にあるけれど、と言ってみたところ、あるとたいへん助かるという返事だったので、さっそく翌日に持参したところたいそう喜んでくれた。

121208~_2082093.jpg


posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月12日

マルタのキャットショウ

マルタ観光局のフェースブックに、キャットショウの記事が載っていた。

〔Grand International Cat Showのお知らせ〕
期日:2012年12月16日(日)
場所:セントジュリアンズのRadisson Hotel
料金:フリー

キャットショウの行われるホテルは、今回のツアーで利用したホテル「ラディソン ブル リゾート マルタ セントジュリアンズ」なのだ。マルタ滞在中にこういう催し物があればよかったのに、と少々残念な気もするが今となっては仕方がない。

→【マルタ観光局 MTA Japan】
https://www.facebook.com/MTAJAPAN
 
posted by 里実福太朗 at 00:08| ★マルタ紀行

2012年12月11日

マルタの冬

今回のマルタツアーが格安なのは、季節が冬で観光のオフシーズンになっていることも、その要因の一つなのだろう。地中海性気候のマルタにも冬はあるのだ。もちろん日本よりずっと温暖ではあるが、1・2月には最低気温が10度を下まわることもある。また10月から3月は雨期で、天候がくずれて強風を伴って激しく雨が降ることもある。

4日目の観光で、マルタの冬の悪天候を経験することになってしまった。その日の午前中は、青の洞門(ブルーグロット)と二カ所の巨石神殿を見学する予定が組まれていた。ホテルを出る時は、すでに空はどんよりと暗い雲に覆われていた。バスで目的の地を目指して進むうちに雨が降り出し、到着した時は吹き降りの嵐模様の天気になってしまっていた。

121130~_2301047.jpg  121130~_2301086.jpg


遊覧船に乗って海上から青の洞門を見ることなどは当然のごとく中止となり、透明度が高く地中海ブルーに透き通る海面を間近に見ることはかなわず、険しい崖の上から眺めおろすことだけがかろうじてできたのだった。

121130~_2301114.jpg  121130~_2301122.jpg


121130~_2301120.jpg


世界遺産の巨石神殿の見学の際も雨風はおさまらず、百円ショッップで買い求めたポンチョは、強風にバタバタと激しく踊り、雨よけとしての用をなすことはまったくなかった。

121130~_2301148.jpg  121130~_2301154.jpg


121130~_2301162.jpg


雨期である冬には、このように冷たい雨が降ることもあるが、滞在中に降られたことはこの一回だけだった。好天に恵まれた日には、日中は冬とは思えない陽射しが照りつけ、その光を受けながら動き回るとすぐに汗ばんでくる。そういう時は、長袖のシャツにベスト着用くらいがちょうど良い。

一行の中に、いつも半袖のシャツを着ている男性がいた。一見すると中国人のような押しの強さが感じられたが、日本人だった。そういえば、店で買い物をしていると、
「チャイニーズ?」
と訊かれることが多かった。そういう時は力を込めて、
「ノゥ、ジャパニーズ」
と答えておいた。あまりにも訊かれることが多かったので、ある時などは機先を制して訊かれる前に「ジャパニーズ」と言うこともあった。マルタにも中国人が多いのだろうか。

話が横道にそれてしまったが、くだんの男性に、
「半袖で寒くないですか」
と尋ねてみると、
「まったく問題ないね、気持ちいいよ」
と自信満々だった。その後彼を注意して見ていていてが、たしかにいつも半袖シャツだった。見かけとは違ってかなりの洒落者のようで、しゃれたピンク色の半袖シャツを着ていることもあった。

ところがある日の夕方、昼間の暖かさとはうって変わってかなり冷え込んでくることがあった。彼を見ると、暗い色のブルゾンを着込んでいた。それはマルタで買い求めたものではなかろうか、マルタは常夏の島と勘違いして、半袖シャツしか持ってこなかったのではないだろうか、と私はにらんだのだった。

このようにマルタの冬は、昼間は暖かくて海水浴をする人もいるほどで…実際に水着になっている人を目撃した…ところが日が落ちると急激に冷え込んでくる。ホテルへの帰着が遅くなりそうな時、あるいは夕方から夜にかけて外出する時は、セーターとかウィンドブレーカーなどを用意しておいた方が良いだろう。気温の差が大きいので、重ね着で調節するのが良いと思う。

121202~_2022008.jpg  121202~_2022003.jpg

 
posted by 里実福太朗 at 23:24| ★マルタ紀行

マルタツアーの費用

日本から遠く離れた地中海の真ん中の小国マルタへ行こうなどと思い立ったのは、何がきっかけだったのだろうか。もう薄れかかってきた記憶をたぐり寄せてみれば、やはり発端はネコのことだったと思う。どこで仕入れた情報だったのかもう定かには思い出せないが、マルタにはネコがたくさんいるということを知り、そのうち機会があれば行ってみようかと漠然と思っていた。

ただ、ネコの写真を撮るためという理由だけでは、夫人の心を動かすには弱すぎる。ちょっと調べてみると、マルタは地中海地方の国としては珍しく公用語が英語だった。英語が使えるなら、夫人も少しは乗り気になるかもしれない。
それに日本は寒い冬だが、マルタは地中海気候の温暖の地で過ごしやすい点もプラス材料だ。そして何より決定的だったのが、マルタへの格安ツアーが見つかったことだった。

マルタツアーを募集していた旅行社は、めぼしいところでクラブツーリズム・JTB・阪急交通社の3社だった。

クラブツーリズムのツアーは、ドバイで一泊して日程の面ではゆったりとした感じだったが一番費用がかさみ、JTBの旅物語は、燃油サーチャージを入れて15万円ほどから20万円を少し超える範囲に収まるが、ロンドン経由で、そのロンドンでの乗り継ぎ時間が5時間以上もかかり、行程も欲張りすぎてビッシリと詰まっていて、ネコの写真などを撮っている余裕などはあまりなさそうだった。

阪急交通社のツアーは、最低費用が約13万円と一番安く、またオプションの現地ツアーを申し込まなければ、自由時間を一番多く確保できそうだった。ユーロ安とはいえ、燃油サーチャージを入れてその費用で地中海まで行って、五つ星ホテルに泊まれるのだから、かなりお得なツアーなのだ。ということで、このツアーに申し込んだのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:36| ★マルタ紀行

2012年12月10日

マルタってどこにあるの?

「今度マルタに行くんだ」
と人に言うと、
「マルタ? どこにあるの? どこの国にあるの?」
という具合で、マルタが独立国であることすら知らない人もいる。マルタの正式名称はマルタ共和国で、小さいながらもれっきとした独立国家なのである。

ただし独立を勝ち取るまでには、ながらく他国から支配されていた。古くはフェニキア人、その後ビザンチン帝国、ノルマン人、アラゴン人、聖ヨハネ騎士団とフランス人、そして最後はイギリス人だった。その結果さまざまな文化が入り交じり、複雑な文化が形成された。そのような歴史を持つマルタの公用語は、マルタ語と英語である。

マルタ共和国はシチリア島から南に約90qほど、地中海の真ん中に位置する。共和国を構成する主な島は三つ、マルタ島・ゴゾ島・コミノ島である。一番大きな島はマルタ島であるが、そのマルタ島でさえ東京23区の半分ほどの大きさである。首都バレッタは、そのマルタ島にある。


大きな地図で見る


大きな地図で見る


大きな地図で見る

人口は40万人を少し超える程度、そして人口の半分ほどの自動車が狭いマルタの国土にひしめき合っている。おまけにマルタ人の運転は概して荒々しい。狭い道をかなりのスピードで駆け抜けていく。ちょっとでも渋滞ができると、すぐクラクションが鳴り響く。

ただし、感心したことが一つある。横断歩道に人が立っていると、荒々しい運転をしていた車でも必ず止まってくれるのだ。横断歩道に人が近づいて行く場合でも、その人が横断歩道の前に着いて渡りきるまで停車して待っていてくれる。横断歩道の近くにいるだけで止まってくれるので、渡るつもりがない時などはなんだか申し訳ない気分になる。

夕方、ホテルから歩いて二十数分程度の所にあるスーパーに買い出しに行った時、ちょうど二人の警官が交通取り締まりを行っていた。いわゆる「ネズミ取り」だったのだろうか。横断歩道の手前でうっかり一時停止をし忘れて、それを警官に見とがめられると、厳しいおとがめが待っているかもしれないということが、一時停止を遵守することに繋がっているのだろうか。

なおマルタ人は、マルチーズと呼ばれる。犬にもマルチーズという犬種があるが、それと同じである。犬のマルチーズは、マルタが発祥の地でそのように呼ばれるようになったらしい。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2012年12月07日

やっと復活の兆しが見えてきた

マルタ旅行に出かける直前にひきこんだ風邪が、旅行中もずっと尾を引いていて、今週初めに帰国した後もすっきりせず、おまけに帰りの機内で降下時の気圧の変化で耳が変調をきたして、耳の奥からツーンという音が聞こえてくる始末、かくして日本に戻ってからというもの、マルタのネコを思い出しながらグダグダと過ごしていた。

何日かを無為に過ごしたおかげで、なんとか復活の兆しが見えてきた。旅行中に撮った写真はパソコンに取り込んだだけで、まだまったく手つかずの状態で、日々の時間はこちらの都合などお構いなしに情け容赦なく過ぎていく。日本のネコ公園のことも気がかりだが、このような事情だから帰国後まだ一度も行く機会がなかった。そろそろ行ってみなければなるまい。自由人は元気だろうか。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月02日

海から見たバレッタ

SNC00759b.jpg
posted by 里実福太朗 at 04:39| 里ふくろうの日乗

バレッタの猫

SNC00745b.jpgSNC00742b.jpg
午後になって雨は上がり、バレッタの街の見学と散策、そして買い物。
急な階段を下った所に、猫を発見、全部で7匹がたむろしていた。
posted by 里実福太朗 at 04:33| 里ふくろうの日乗