2013年01月31日

出戻りアメちゃん

アメショウのアメちゃんは、一週間ほど前にネコサポーターの一人に約束通り引き渡されたそうだ。その後、アメちゃんを引き取りたいという人が現れ、その人にもらわれていくことになった。ところがその受け渡しの際、ちょっとしたスキに腕の中からスルリと抜け出して逃げて行ってしまったということだ。かくしてアメちゃんは再びネコ公園の住猫となり、自由ネコとしての生活を送ることになったのだった。

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家の中で過ごしていれば、寒さに震えることもなくエサの心配をすることもない。新しい飼い主に引き取られれば一生ぬくぬくと暮らしていけるはずなのに、自らその機会を捨て去ってしまった。アメちゃんは、家ネコとしての安定した生活を捨てて、自由ネコとしての生き方を選んだということになろうか。

以前吉祥寺に住んでいた頃、猫を飼っていたことがある。家に出入りすることのできる床下の通路があって、家の中と外とを自由に行き来していた。本来、猫は束縛されるのを嫌う動物だから、家の外を勝手気ままに徘徊することができる環境は、猫にとっては好ましく住みやすい環境であるはずだ。

ところが昨今は、放し飼いにしておけば近隣の住民から苦情を寄せられることもあり、猫は家の中に閉じ込められ、狭い空間の中での生活を余儀なくされるようになった。猫好きにとっては飼いにくく、猫にとっても住みづらい世の中になってしまった。

そういった不自由な生活を送っていた猫が、いったん屋外の自由な生活を享受するとどうなるか、猫本来の野生を取り戻し、息の詰まる室内での暮らしには二度と戻りたくないと思うようになるのかもしれない。アメちゃんがそう思ったかどうかは定かではないが、安定した生活より外での自由な生活を選んだのかもしれないと想像したくはなる。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年01月30日

木に登る女

近ごろポン太の姿を見ていない。自由人によれば、ポン太は早朝にはエサをもらいにやって来るそうだが、千葉くんだりからでは始発に乗っても間に合いそうにもない。日中でも場合によっては姿を現すそうだから、出会えることを期待して園内を歩き回ってその機会が訪れるのを待つより仕方がない。

ポン太の姿を求めて園内を行ったり来たりしていたある日、不思議な光景に出くわした。奇妙な化粧をほどこしたうら若い女性が、木に登って上を向いたり下を向いたり、枝に頬をすり寄せたりしているのだ。たった一人でそんなことをしていれば、通報する人がいてもおかしくない状況であるが、近くでカメラを構えている人を認めれば、心配するには及ばないと思い直すことだろう。

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それにしてもどういう意図で、木に登らせて撮影しているのだろう。木に登るネコに擬しているのだろうか、しかしメークの仕方からはネコを想像することはできない。身につけている衣装も、ネコの姿を模したものではない。しばらく遠目から眺めていたが、結局分かることはなく、かえって手前の木の枝振りのおもしろさの方に目が惹きつけられたのだった。

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posted by 里実福太朗 at 22:55| 里ふくろうの日乗

2013年01月28日

雪かき用具三兄弟

今年二度目の雪が降った。深夜から降り始めて朝方まで降り続いたそうだが、雪が降っていることにまったく気づかず、朝起きて雨戸を開けてやっと気づいた。前回の雪は水分を多く含んでいた。屋根に降り積もった雪が時おり自身の重みで滑り落ち、ドスンドスンという音をたてていた。ところが今回はさらさらの雪質で、音もなく降り続いていて気づかなかったのだろう。

今年は降雪が多いという予報なので、先週ホームセンターに行った際、新雪用の幅の広いタイプの雪かき用具を購入しておいた。それがさっそく役に立ったのである。

準備を整えて雪かき作業に取りかかった。まず新たに購入した新雪用で、ふわふわのフトンのような雪を一気に取り除く。雪をすくう部分が広いだけあって、おもしろいように作業がはかどる。しかしその下の道路の表層には、少し固い部分がこびりついていて、それを取り除くには新雪用では無理だった。そこで、それからは残りの二種類の雪かきスコップの出番となった。

雪かきをする箇所は、隣近所の人と相談して決めるのではなく、慣習的にそれぞれの家の担当箇所が決まっている。基本的には自分の家の敷地に面する道路の雪かきをすることになっていて、道路の向こう側に家があれば、道路の中央で分割して、それぞれの家が自分の敷地側の道路半分の雪かきをすることが暗黙の了解となっている。

ただそうはいっても、この住宅団地でも年寄り世帯が増えてきて、腰痛などの持病を抱えている人もいるから、そういう人には除雪作業などを期待することはできない。しかしそのまま放置しておけば、凍結してスリップ事故の原因ともなってしまう。隣家のダンナさんも体調がすぐれない様子で、近ごろはあまり姿を見かけない。前回もそうしたのだが、今回もまとめて雪かきをしておいた。老齢化が進めば、さらに雪かきができない世帯が増えてくることだろう。

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posted by 里実福太朗 at 16:47| 里ふくろうの日乗

アルカディアのレジシステム

アルカディアのレジのシステムは、日本のスーパーマーケットとはちょっと違う点がある。購入商品をレジカゴに入れて持って行くところまでは同じだが、そこから先が違うのだ。

各レジには担当者が一人ずつ座っている。その前には、幅の広いベルトが横たわっていて、客自身がカゴの中の商品を取り出してそのベルトの上に置く。直前の客の品物との間には、区別するための仕切り用の棒が置かれる。そして前の客の精算が終わると、レジ係がベルトを手動で前に送って次の商品のブロックを手もと近くに導く。

レジ係は商品を一つ一つベルトから取り上げてスキャンしていく…これは日本と同じ。スキャンが終わったものは、その先のスキャン済みの商品溜まりに転がす。少し傾斜があって商品がコロコロと転がっていくのだ。客はそれを待ち受けて、レジ袋に入れていく。

商品溜まりのものがすべて捌けてから、レジ係は次の客の品物をスキャンして転がす。だから、手際よくどんどん袋に入れていかないと、レジ係の仕事を遅らせることになってしまう。

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最初は物珍しさも手伝って、転がっていく様子をボンヤリと見ていた。全部の商品が転がり落ちてから、おもむろに袋に入れ始めたのだが、それでは遅かった。入れ始めた時には、レジ係はもう次の客の品物を手にして、こちらの袋詰め作業が終わるのを待っていたのだ。焦りながら袋に入れている時、チラッと見たレジ係の顔は明らかに苛立っていた。

レジにどんと座っている係は、若い女性が多かった。一様に無表情で、袋詰めでまごまごしている客がいて、スキャンの流れが滞るといらだちを隠そうとしなかった。座りっぱなしで単純作業を繰り返していれば、ストレスはどんどんたまって無愛想になっていくはずで、その点は理解できる。ただそうであっても、無愛想な顔を見せられればこちらも不愉快な気持ちになってしまう。

これは、やはりレジシステムに問題があるということなのだろう。前の客が袋詰めを完了してからでないと、次の客のスキャンに取りかかれない点に問題があるのだ。この点を改善しないと、レジ係のストレスが消えることはなく、客が不愉快な気持ちになるという悪循環を断ち切ることはできないであろう。

posted by 里実福太朗 at 01:21| ★マルタ紀行

2013年01月27日

富士山を見に印旛沼へ行ってみた

冬の晴れた日には、印旛沼から富士山が見えるらしい。新聞に載っていた富士山の写真を見て、印旛沼へ行ってみようと夫人が言う。厳しい寒さが毎日続き、どうも気が進まなかったが、買い物に出たついでに行ってみることにした。

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印旛沼のほとり、少し小高い所にある野鳥の森からなら見えるかもしれないと見当を付け、急な坂道を息を切らしながら登った。眼下に印旛沼を一望できるところまでようやく登りきり、目を西の彼方に転ずれば、ユーカリが丘の高層マンション群は見えたが、残念ながら富士山は見えなかった。

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posted by 里実福太朗 at 23:44| 里ふくろうの日乗

2013年01月26日

今年の大辻は小ぶり

毎年一月二十五日は、大辻の掛け替えの日、その翌日の今日、新しい大辻を見に行って来た。五箇所の大辻を確認したが、例年に比べて小ぶりになっているのが気になった。昨日は平日で人出が足りなかったのだろうか。

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去年・一昨年は大辻の制作過程を見学させていただいた。地区の人たちが集まって作業をした集会所は、この一年の間に建て替えられすっかりきれいな建物になっていた。

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また、大辻が掛けられたり置かれたりしている場所は例年と同じだったが、無残にも木が切られてしまった場所もあり、枝の代わりとして金属製の棒が使われ、それに蛇が巻き付けられていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:56| 里ふくろうの日乗

2013年01月25日

フードストア「アルカディア」

ポルトマッソタワーの足もとにあるの「アルカディア(arkadia)」は、食料品を中心にしたスーパーマーケットで、生鮮食料品からお総菜類まで何でもそろっていた。酒類も扱っていてワインの品数も多く、その陳列棚の前に立つとさてどれにしようかと悩むことになる。

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調理して食べるというわけではないので、手軽に食べられる物、たとえば果物・チーズ・調理パン・サンドウィッチそれからお寿司なども買った。リンゴなどは買おうと思えば一個から買うこともできる。売り場には専属の店員さんがいて、買いたい物を選んで持って行くと料金を計算して袋に入れてくれる。それをほかの商品と一緒にレジに持って行き、まとめて精算する方式だった。

なにしろ店員さんは一人で対応しているから、混雑してくると待たされることがある。日本のようにきちんと行列するという習慣はないのだろう、店員さんをぐるりと取り囲むようにして待つことになる。待っている人は、次は自分の番だなと見当を付けて待っているのだが、ズルをして順番をごまかそうとする輩もいる。

いよいよ夫人の順番が回ってきた時、すぐ横にいた若者がすばやく店員さんに商品を渡そうとした。虚を突かれてひるんでいると、その若者の横にいた年配の女性が、その若者に何やら強い口調で言い始めた。もちろん英語だから、当方にその内容は分からなかったが、それを聞いた若者は、店員さんに差し出した品物を引っ込めた。そして順番通り夫人が料金を計算してもらうことができたのだった。あとで夫人に確かめたところ、その年配の女性は若者に順番を守るようにたしなめたということだった。

セルフサービスが主の店だから、店内に入って商品を選び、レジで精算して店の外に出るまで一言も英語を話さずに用をすませることもできる。ただし商品によっては、多少の英語を使わなければならない場面もある。といっても、英語で表記されている商品名と購入個数を店員さんに告げるだけではあるが…

店内を物色しながら歩き回っていると、調理パンを販売しているコーナーがあった。陳列ケースにはおいしそうなミートパイが並んでいた。それを食べたいという欲求がムラムラとわき上がり、その願望を押しとどめることができなくなってしまった。

奥の方にいた若い女性店員に「エクスキューズミー」と声を掛け、陳列ケースを指さしながら、
「ミートパイ」
と言ってみた。それだけで通じたらしく、店員はミートパイを取り出し皿の上に置いた。個数を言うのを忘れたことに気づき、
「ワン」
と付け加えた。ところが店員は、首をかしげて不可解な顔をしている。一個だけでいいんだよ、と心の中で思ってもそういう複雑なことを英語で言えないからもう一度、
「ワン」と言った。店員は、さらに続く言葉を待っている様子なので、
「ディス ワン、ワン」
と言ってやったのだ。何回も続けざまにワンワンを繰り返したものだから、イヌにでもなった気分だった。ところがそれだけワンを繰り返したのに、店員は首をかしげるばかりだった。

このやり取りを聞いていた少し年かさの女性店員が、若い店員に何やら耳打ちをした。それを聞いた店員は、先ほどお皿にのせたミートパイを電子レンジに入れて温め始めた。そして年かさの店員が、
「チャイニーズ?」
と訊くものだから、
「ノン、ジュ ヌ スュイ パ シノア。ジュ スュイ ジャポネ」
と答えておいた。英語はダメだけれど、フランス語なら少しは話せるのだ。

ミートパイ一つを買うために、こんなに苦労するとは思ってもみなかった。あの若い女性店員は、客扱いになれていない学生アルバイトだったのかもしれない。なおミートパイは、2ユーロ50セントだった。現在1ユーロは120円を超えてしまったが、その頃はまだ100円をすこし超える位だったから、日本円で250円ほどだった。

またミートパイは贅沢品に入るようで、18%の消費税が加えられていた。18%の消費税はかなり高い感じがするが、生活必需品には軽減税率が採用されているから、マルタの人は重税が課せられているという意識はあまり持っていないのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2013年01月23日

第三のネコ

先週はインフルエンザでダウンして寝込んでいたため、ほぼ二週間ぶりのネコ公園だった。その間のことを何人かの人から聞いたところ、いくつかの変化があった。

自由人は元気に過ごしていた。ポン太へのエサやりは続けてくれていた。先週の大雪の日は、たいへんだったらしい。公園の管理事務所から、避難勧告が出されたということなのだ。水分を多く含んだ雪は、木の枝に降り積もるとその重みで枝を折ってしまうことも考えられ、下にいる人がケガをするおそれもある。そうなれば管理者の責任問題にもなるので、皆公園から追い出されてしまったらしい。

さて追い出された自由人たちは、降り続く雪を避けるためには、とりあえず屋根のある所にもぐり込まなければならない。近くのマックに行ってみたが、すでにマック難民であふれかえっていた。漫画喫茶も満員、仕方がなくあり金をはたいてカプセルホテルで一夜を明かしたそうだ。

アメリカンショートヘアーのアメちゃんのその後のことが分かった。ある女性にもらわれていったのだが、ペットショップに持ち込んでみたものの、雑種の血が混じっていることが分かり引き取ってもらえなかったのか、再びネコ公園に戻ってくることになった。自由人によれば、そんなことをやりそうな感じの人だったそうだ。

戻ってきたアメちゃんの扱いについて、ネコサポーターたちが相談した結果、ネコサポーターの一人が引き取ることになった。二人組のネコサポータは、すでに二匹の自由ネコを引き取っているので、もう新たに飼う余力はないということで、そういうことになったらしい。

去年、ネコ公園に置き去りにされたネコは三匹だった。そのうちの一匹がアメちゃんで、もう一匹がアビシニアンのアミちゃんだった。その二匹は新しい飼い主が決まり自由ネコの生活からは抜け出すことができた。残りの一匹の第三のネコは、家ネコであったのに警戒心がとても強く、建物の裏側に隠れ住みめったに姿を見せなかった。

チラッと姿を見た人によれば、ポン太によく似た毛並みのネコだったらしい。人前に出て来ることがほとんどなかったのでそのネコの存在すら忘れていたのだが、やっとそのネコを撮影することに成功した。

黒と白の毛並みは確かにポン太に似ているが、顔はかなり違っていた。そもそも鼻の先端が黒いのだ。アゴも角張って長く、鼻筋が太い。このようにポン太とはかなりの違いあったが、仮にケン太とでもしておこうか。

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ケン太が表に出て来られるようになったのは、チビがいなくなったからだろうか。チビがいなくなったのは、あの大雪となった日の前日だったそうだ。誰かが連れて行ったのか、それとも放浪の旅に出たのか。チビといつも一緒に過ごしていたフウは、どことなく元気がないように見受けられた。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年01月21日

アルカディアの猫は誰を待つ

陽のあるうちにホテルを出ても、アルカディアに着く頃にはネオンが輝き始めている。その日の夕方もそんな感じだった。夫人はすでに店の中に入っていったが、私といえば、店の隅に置かれた開店・閉店時間を知らせる案内板の影に、何やらうごめくものがいるのに気づき、それからというものは買い物に来たことをほぼ忘れ、その場に留まっていたのだった。

その案内板には、次のように記されていた。
OPENING HOURS
 MONDAY-SATURDAY
  8AM-9PM
 SUNDAY
  8AM-8PM
多くの商店は、土日は休業となるということだから、朝早くから夜遅くまで、そして休日も営業しているということは旅行者にとってもありがたいことだ。

さて、案内板の影にちらっ他見えた姿は、にょきっと延びるシッポが見えるに及び、それが猫であることが分かった。そんなところで何をしているのか、勢いよく飛び出して来て全身があらわになったことでそれも分かった。猫は、小さく丸められた紙つぶてを追いかけ回して遊んでいたのだ。

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店に出入りする人を気にすることもなく一心不乱に遊び続けていた。さすがに疲れたのだろうか、動きがピタリとやみ階段にごろりと横になってしまった。そしてやおら身を起こすと、店に向かって居ずまいを正した。

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店の中にいる誰かを待っているのだろうか。何人もの人が店から出てきたが、猫を見て足を止める人はなく、みな脇を通り過ぎて行った。それでも、根気強く待ち続けていた。夫人が店の中に入ってから、もうだいぶ時間が経ったはずだ。店内を覗いてみたが、まだレジには姿が見えなかった。

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店の前で、猫が人待ち顔で座っている光景は、ここではありふれた光景なのだろうか。その後も猫に近寄る人は誰一人となく、それでも猫は根気強く座り続けていたが、とうとう諦めたのだろうか、店を後にして車道を渡って向かい側の家の階段を上り始めた。そして壁を伝って窓枠の縁に座った。

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その家の飼い猫なのだろうか、それともエサをくれることがあるのだろうか。家の中から人の気配が感じられることはなかったのだろう、こんどはあっさり諦めて今来た道を後戻りして地上に戻った。そして夜の街へ姿を消した。この後の行方は分からない。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2013年01月17日

インフルエンザ闘病記

大雪となった月曜日、その日の起きた時にノドと気管支の上部にちょっとした違和感があった。喉の炎症はは珍しくないが、その奥までとなるとあまり経験したことがなかった。それでもじき直るだろうと高をくくり、降り続ける雪と眺めたり、雪の写真を撮ったりしていた。

夕刻になっても雪は降り止まない。このまま降り続けば積雪はかなりの量になるに違いない。今、雪かきをしてもそのそばから雪は降り積もる。予報では、明日には止むということだから、どうせなら止んでからの方がよくはないだろうか。だがその場合、つもりに積もった雪はかなりの重さになっているはずだから、ただでさえ雪かきはたいへんな作業なのに、より一層の重労働を強いられることになりそうだ。

そんなことを思案している間も、雪は間断なく降り続く。おまけに日も暮れて暗くなってきた。意を決して、防寒具を二枚着込み、下には暖パンをはき、着ぶくれ状態で雪かきをすることにした。今しておけば、一晩降り続いたとしてもまとめてやるよりはだいぶ楽になるに違いない。若い時ならいざ知らず、歳相応のやり方があるのだ。

夜遅くなってから、雪はみぞれに変わった。雪が降り止んだことはありがたいが、これはこれで問題がある。路面が凍結して、氷を取り除くことに難渋することになるのだ。そこで再び防寒具に身を固め、シャーベット状の氷雪を取り除く作業に取りかかった。久しぶりの力仕事で、終わった時にはうっすらと汗をかいていた。

次の日の朝、ニュースでは大雪のことで持ちきりだった。路面が凍結して滑りやすくなっていることを繰り返し注意を喚起していた。本格的な風邪となってしまったのだろうか、喉の痛みは増していた。肩こり、筋肉痛、腰痛などの痛みも出てきた。だだし、これは昨日の雪かきが原因とも考えられる。もうしばらく様子を見ることにした。

昨晩はどういうわけか熟睡することができず、眠りが浅いまま一晩が過ぎた。そのためか日中はほとんど横になって、眠りに吸い込まれては目が覚めるという状態を繰り返した。夕方になっても痛みの改善はみえず、熱っぽさを感じるようにさえなった。全身の倦怠感は増すばかりで、夕食をとろうという気さえ起きてこなかった。

ここに至って、やっとこれは普通の風邪ではないなと思い始めた。先ほど悪寒を感じていたので、かなり熱が出たのではないかと思われた。念のため体温を測ってみたところ、38.3度もあった。38度以上の熱を出すことなど、絶えて久しくなかったことだ。大人が38度の熱を出すと、これほどの苦しさを味わうことになるとは思ってもみなかった。


インフルエンザの疑いが濃厚となってきた。すぐにでも病院に駆けつけたいところであるが、かかりつけの医者の診察時間はすでに終わっていた。市販の風邪薬でも飲んで、症状が軽減されることを期待するより仕方がない。熱っぽい体を横たえ眠れない長い夜を過ごさなければならないことを思うと、暗澹たる気分になってくる。

翌日は、あいにくなことにかかりつけの医者は休診日だった。少し離れた別の医院…初めて利用する…で診察を受けた。受付を済ませると、すぐに診察室でもなく待合室でもない一室に連れて行かれた。カーテンで仕切られたその部屋には、ロッカーがいくつか並んでいた。その一つには「旧カルテ」と記載されたラベルが貼ってあった。パイプイスが三つと旧式の石油ストーブが置かれていた。

だいぶ待たされてから隣の大きな部屋に移された。ベッドが二台と治療器具などが置かれていた。横になって待つために用意されているベッドではなかった。そこでもだいぶ待たされた。

看護師を従えて入ってきた医師は、受付で記入した問診票の内容を確認すると、口の奥をのぞき込んだ。
「だいぶ赤いな、インフルエンザの疑いがありますね。念のため検査しましょう」
と言って、いったん部屋の外に出て行った。戻ってきた時には、長い綿棒のようなものを手にしていた。それを鼻の奥に差し入れて何回かグリグリしてから引き出し、再び部屋の外に出て行った。

検査の結果は、やはりインフルエンザだった。それを告げたあと、医師は治療薬について説明してくれた。
「イナビルという薬を出すようにします。これは口から吸う薬で、一回分を吸うだけで治ります」
そんなすごい薬が開発されたのかと驚いていると、
「吸う時は、慎重にそして大胆に」
と言うものだから、どんなフウに吸ったらいいのだろうかと考え込んでしまっった。

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家に帰りすぐイナビル…2容器で一回分…を吸入した。ほんとうにすぐ治るのだろうか。気のせいだったのかもしれないが、スーとノドの痛みが和らいでいくような感じがした。服用1時間後の体温は37.7度だった。

確かに効き目はあった。服用5時間後の午後5時には36.9度まで下がった。一気に下がったのはそこまでで、今朝は少し上がって37度だった。喉の痛みなどは軽減され味覚も戻ってきた。これを書いている今(午後10時頃)、36.5度だった。これが平熱に近い体温なのだろう。

一回の吸入で治るということについては、少し注釈をいておいた方がいいようだ。イナビルは一回吸入すれば、その効果が五日間は持続するらしい。だから、一回の吸入で治るということは間違いであるとは言えないが、治り方には個人差があるはずだから、その点は誤解しないようにするべきだろう。
posted by 里実福太朗 at 22:10| 里ふくろうの日乗

2013年01月14日

雪降り続く

お昼前から降り出した雪は、今(13分50分頃)も降り続いている。かなり積もりそうな気配だ。

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posted by 里実福太朗 at 13:58| 里ふくろうの日乗

2013年01月13日

ホテル「ラディソン ブル リゾート」からスーパーマーケット「アルカディア」までの徒歩ルート

ホテルに着いて一休みしてから、添乗さんがマルタでは数少ないスーパーマーケットの「アルカディア」まで連れて行ってくれるというので、私たちもその一行に加わった。ホテルのレストランを利用しないということになれば、外食か食料を買い込んで部屋で食事をとるということになる。当方は後者、部屋食派を通したのでアルカディアにはだいぶお世話になった。

アルカディアまでは約1.6キロメートル、Googleマップ のルート案内では徒歩で20分となっている。実際に歩いてみると、もう少々かかるような気がする。帰りは坂道を上るので、往復で1時間はかかると思っておいた方が良い。

マルタで一番背の高いポルトマッソタワーの直下にあるから、もし道に迷ったらそのタワーを見つけて…スカイツリーのようにいろいろな場所から見える…そこを目指して行けば必ずたどり着ける。

〔ホテルの敷地内からはこんなふうに見える〕
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大きな地図で見る

Googleストリートビューの撮影隊は、まだマルタには行っていないようで、写真は載ってはいるが今ひとつセントジュリアンの街の様子がつかめない。そこで、歩きながらパチパチ撮っておいた写真を、道順に従って載せておくことにする。

〔さあ出発〕
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…左側はマリーナホテル、カフェでパンやケーキを二度ばかり購入
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…前方の赤いバスは、「ホップオン・ホップオフ」という巡回観光バス
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…セントジョージア湾を左下に見ながら進む、前方左上にタワーの先端が見える
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…坂を下るとセントジョージア湾の人工の砂浜が見えてくる
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…右側の道はベイストリート、この道の方が近道になるが、湾沿いの道を進む
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…ルート120のバスが通る
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…左に「Westin Dragonara Hotel」
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…タワーが間近に迫ってきた、もうすぐ到着だ
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…右にAlexandra Hotel が見える
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…黒猫発見
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…猫を追いかけているうちにアルカディアに到着
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posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2013年01月12日

柿の木の運命

先日の早朝、8時前のことだった。勤めている頃ならば、早朝とは言えない時間だが、近ごろの私にとっては、かなりの早朝だと言った方が良い。そんな時間に、突然しじまを引き裂く大きな音が聞こえてきて、うつつの世界へと引きずり出されてしまった。

オートバイのエンジン音のような騒音の正体は、すぐ見当がついた。いよいよ始まった、ということなのだろう。雨戸を開けて確かめれば音の発生源ははっきりするが、そうするまでもなかった。とぎれとぎれに耳を突き刺す騒音を聞いているうちに、その音の正体を確信するようになってきた。

隣家では、大きくなりすぎた柿の木を切ることに決めていた。遠目からではさほど太いとは見えないが、間近でその幹を見れば、とうていノコギリなんぞで切り倒すことはできそうにもないと分かる。昨年、その柿の木の枝を切り落とす手伝いをした時に、そう思った。

植えてからほぼ40年も経ち、大木に成長して毎年たくさんの実をつけるようになった。人間も柿の木と共に歳を重ね、年ごとに柿の実をとることがしんどくなり、とうとうその木を切ることにしたのだった。

ただ素人がおいそれとできる仕事ではない。隣家の奥さんが、我が家に来るシルバーの植木屋さんに聞いてみたところ、できないとにべもなく断られたそうだ。近くの家に来る本職の植木屋さんに頼んだところ、やっと引き受けてくれたそうだ。

それが去年の年の瀬の話、正月が過ぎてやっと柿の木を切る仕事に取りかかったということなのだろう。そのオートバイのエンジンのような音は、チェインソーが発する音に違いない。まだ眠気がとれない頭で、そんなふうに推理してみたのだった。そして、推理が一通り終わると、再び夢の世界へと誘われていったのだった。

起きてから隣家の庭を見たところ、柿の木は以前と同じ姿で立っていた。朝聞こえたチェインソーの音は、夢の中の出来事だったのだろうか。いや、そんなことはない。確かにチェインソーの音は聞こえた。夢まぼろしではなかったはずだ。

釈然としないまま何日かが過ぎた。たまたま隣家の奥さんが回覧板を持って来た時に、応対に出た夫人に柿の木の話をしたらしい。それによれば、結局柿の木は切らないことにしたという。お正月に、すでに嫁いでいる娘さんが来て、柿の木を切ることに反対して熱弁をふるったそうだ。娘さんにとって柿の木は、自分と成長を共にしてきた木なのだから、幼なじみを失ってしまうような気持ちになったのかもしれない。植木屋さんも、40年も経った木を切るのは気が進まなかった、と言っていたそうだ。

かくして、隣家の柿の木は一命を取り留めることになったのである。なお、先日聞こえた早朝の音は、以前切り落とした枝を小さくするために、チェインソーを使った時の音だった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年01月11日

ネコ公園の惨事

表面的には平穏なうちに松の内が過ぎたように思われたが、実はそうとも言えない出来事があったらしい。以下何人かの目撃者から聞いた話をまとめておくことにする。

夕陽がビルの谷間に沈み始めた頃だった。池のほとりにポツンと置かれたベンチに一人のお年寄りが腰をおろし、池の対岸にそびえるビルをじっと眺め続けていた。その人は、先ほどまでそのビル内で診察を受けていた。体にはペースメーカーが埋め込まれていて、定期検診を受診したかえりにこの公園に立ち寄ったのだった。

日中は陽射しに助けられて、陽だまりにいると寒さはあまり感じないが、陽が落ちてくると急激に冷え込んでくる。自由ネコの姿も見えなくなり、行き交う人も少なくなってきた。厚手のコートを着込んでいても、冷気は容赦なく忍び込んできて体の芯を突き刺す。

お年寄りはやっとベンチから腰を上げた。何歩か歩みを進めた時、急に足がもつれてフラフラと足もとが定まらなくなった。まるで飲み過ぎた酔客が歩いているようだった。酔っぱらいならば、倒れそうになってもなんとか体勢を持ち直し、フラフラしながらも歩き続けていくものだが、その人はそうではなかった。防御する姿勢をとることもなく頭から弧を描くように倒れてしまったのだった。

倒れたところが悪かった。近くの円形の花壇の脇だったのだ。そして運が悪いことに、その石製の花壇の縁に頭を打ちつけてしまった。手をつけば少しは衝撃を和らげることができたのかもしれないが、そういう体勢をとれなかったということは、その時はすでに意識を失っていたのかもしれない。

頭の周囲には、みるみる血が広がっていった。それを見た通りがかりの人が、慌てて119番通報した。ほどなくして救急隊が来た。搬送先はすぐ決まった。倒れた人が先ほど定期検診を受けた病院だった。近ごろは、搬送先の病院がなかなか決まらずたらい回しされることもあると聞くが、その病院に連絡したところ、すぐに受け入れてくれることが決まった。救急車を見送りながら、誰かが、無理かもしれないな、とつぶやいた。

私が公園を訪れた時には、おびただしく流れた血はあらかた洗い流されていたが、その跡がうっすらとしみついている箇所がわずかながら残されていた。

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posted by 里実福太朗 at 01:29| 里ふくろうの日乗

2013年01月10日

エリザベスカラーのワンちゃん

松の内が過ぎて正月の賑わいも消え、ネコ公園にも普段の暮らしが戻ってきた。自由ネコたちの顔ぶれにも変わりはなく、ネコサポーターたちが与えてくれるキャットフードをたらふく食べ、ポン太も食後のひとときを池のほとりを行き来する人びとを眺めて過ごしていた。

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ネコ公園では、ネコだけでなくイヌが散歩させてもらっている姿もよく見かける。その日は、こんなワンちゃんと遭遇した。

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顔を足で掻いてしまうからそれを防ぐために、ラッパ状のものを付けているのだろうか、そう思って動き回るその柴犬の顔をやっとのことで確かめてみると、顔には傷一つなかった。

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リードを持っていたおばさんに訊いたところ、顔ではなくシッポをかじってしまって、どんどん毛が短くなるから、それを防ぐために付けているということだった。シッポを見ると、確かに包帯が巻いてあった。

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今年の春、二歳になるという。もうちょっと大人になればシッポをかじることもなくなるそうだ。マメシバよりもう少し大きな犬種らしいが、今より大きくなることはないらしい。なお首まわりに付けているものは、エリザベスカラーと呼ばれる保護具ということだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年01月08日

マルタのホテル「ラディソン ブル リゾート」

やっとたどり着いたマルタ島セントジュリアンのホテル「ラディソン ブル リゾート」、このホテルで数日間を過ごす。それだけにホテルの居心地が気になるところだ。客室の広さ・設備そしてスタッフの宿泊客への接し方などだ。なにしろ格安ツアーだから多くは期待できないにしても、マルタでは五つ星ホテルの範疇に入るということだから、ある程度は期待したくもなる。

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それで実際にはどうだったのか。いくつか不便・不満と感じた点はあったが、全体的な大雑把な印象でとらえれば、まァ及第点だったと言えよう。減点要素の一つはレストラン、料金設定が比較的高く、利用した人の話によれば日本人にとっては量がかなり多いということだった。もう少し気軽に利用できるレストラン、あるいは軽食をとることのできるカフェのような施設があればよかった。

また客室内の冷蔵庫、一時代前の日本の旅館・ホテル方式で、中のものを取り出すと(動かすと)課金されるという旧式な仕組みだった。日本の気の利いた旅館・ホテルなら空の冷蔵庫が置かれていて、スーパー・コンビニなどで買い込んできた品物を入れて冷やすことができるようになっていることも多い。500ミリリットル入りのミネラルウオーターが一本5ユーロもするのでは、利用する人は誰もいまい。使われない冷蔵庫を部屋の飾りとして置いておくという無駄を考えれば、有効に利用してもらえる方法に転換した方がホテルに対するイメージもずっとよくなる。

ついでながらミネラルウオーターについて言えば、滞在中よく利用したスーバーマーケットのアルカディアでは、2リットル入りのものを四十数セントで売っていたと、同行の若者が教えてくれた。それを購入しておいて、500ミリリットル入りの容器がカラになったら継ぎ足すというやり方をすれば、一番安上がりで飲料水を確保できるということになる。

ホテルの立地場所が繁華街から離れているのは、街の喧騒が届いて来ないから穏やかなホテル生活を送ることができるという利点はあるものの、その一方街に買い出しに行く際には、かなり歩かなければならない…帰りは坂を上らなければならない…という不便さがあった。買い出しといっても、20〜30分ほど歩いてアルカディアに行く程度であるが、観光が終わってホテルに戻ってからまた外出するのは、なかなか応えることではあった。

以上のような点を除けば、部屋も広くて清潔で、スタッフも親切で、ブッフェスタイルの朝食も日本人の味覚に合い、総じて心地よく過ごすことができた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2013年01月07日

ラルナカからマルタへ

ラルナカ空港発 11:30(日本時間…18:30)
マルタ空港着  13:20(日本時間…21:20)

マルタまでの所要時間は約3時間、ラルナカでの日本との時差は7時間、それがマルタではさらに1時間増えて8時間となる。ヨーロッパの他の都市、ロンドンやパリなどと同じ時差である。ということは、日本から一気にそれらの都市に飛んでしまえば、あとは時差の壁なしでマルタへ行くことができるということだ。

徐々に時差が増えていく飛行ルートと一気に到達してしまう場合とでは、どちらが体にとって楽なのだろうか。何年か前のヨーロッパ旅行では、最初に着いたのはパリのドゴール空港だった。日本とはすでに8時間の時差がある。以後、時差8時間の地域を回ったが、特段時差を意識することもなく、現地の時間の流れにすんなりと入っていくことができた。

今回のマルタでは、そういうわけにはいかなかった。夕食をとるとすぐに眠気が差してきて、食後の一眠りをしようと思って横になるとそのまま深い眠りに落ちてしまった。目が覚めるのは深夜…日本時間では午前中の時間帯…それからお風呂に入り荷物の整理などをすることになる。そんなことをして2時間ほどを過ごし、その後再び眠りにつくのである。このパターンがずっと続き、最後までマルタ時間に適応できなかった。

〔 Emirates Airline LCA - MLA EK107, part 2 〕


エミレーツ航空EK107便は、予定通り午後1時半頃にマルタ国際空港に翼をおろした。入国審査の際に提出する入国カードは機内で配布されると聞いていたが…マルタ観光局のウェブサイトにもそう記されていたが…実際には配られることはなく、到着後の空港内で入国審査の前に記入した。また審査時には、指紋の採取と顔写真の撮影もなかった。

〔出入国〕…マルタ観光局
http://www.mtajapan.com/immigration.html

かくしてマルタ空港に到着してから約1時間後の午後3時頃(日本時間の午後11時頃)、やっとホテルに到着した。成田を飛び立ってから26時間後のことだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2013年01月06日

ラルナカ空港にて

ぐずぐずしているうちに、マルタ旅行記はとうとう年を越えてしまいました。いままでは途中まで書いて挫折してしまうことが多かったのですが、今回はネコの島マルタですから、途中で投げ出すわけにはいきません。

さてエミレーツ航空EK107便は、やっとドバイ空港を飛び立って、キプロスのラルナカ空港へと向かっているのでした。所要時間は約4時間、ドバイでの日本との時差は5時間、それがラルナカではさらに増えて7時間となる。つまり、2時間も時間を遡ることになる。

ドバイ発  08:10(日本時間…13:10)
ラルナカ着 10:15(日本時間…17:15)
ラルナカ発 11:30(日本時間…18:30)

ラルナカ空港での駐機時間は1時間15分、かくも長い時間をなぜ待たなければならないのか、その疑問はラルナカに着く前からずっと続いていた。待っている時間は、機内に留まっていなければならず、キプロスの空気を吸うこともできない。そもそもドバイからマルタへ直行すれば、1時間以上も早く着くことができるのだ。

【 landing- larnaca airport.wmv 】




〔ラルナカ空港〕
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【Larnaca Airport 】



ラルナカで下りた人は少なからずいて、空席が目立つようになった。しばらくしてから、座席上部の収納棚から自分の手荷物を降ろして、身近に置いておくようにと言われた。頭の中では疑問符が駆け巡っていたが、ともかく指示された通りに荷物を下ろした。そしてCAが、荷物一つ一つに対してその持ち主の確認をして廻った。次に、忘れ物のチェックなのだろうか、収納棚の中を一つ一つ確認しはじめた。最後にCAが、小さなスプレー缶を機内の上部に向けて噴霧させた。

駐機中に行われたことは、それだけではなかった。制服を着た男女数人が後部の方から乗り込んできて、機内の清掃を始めた。トイレ掃除まで始めるものだから、急を要した乗客の一人がトイレを使おうとしたが、CAに制止されていた。なかなか終わらないものだから二・三度CAに訴えているようだったが、そのたびに待っているようにと言われたのだろう、ドアの前でいらだちの表情を浮かべて待っていた。

トイレ掃除が終わると、新たな乗客が乗り込んできた。風貌からみて、旅行客ではない感じの人が多かった。彼らの中には、マルチーズが混じっていたのかもしれない。そしてようやくラルナカ空港を離陸して、マルタへと機首を向けたのだった。

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【Trip from Larnaca (LCA) to Malta (MLA) on Emirates Airlines EK107 - A330-243 】

posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行

2013年01月01日

初詣は鷲神社で

例年通り鷲神社で初詣、久しぶりで義兄を加えて四人で参拝した。

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昨夜は地区の年当番の人たちが、新年の参拝客を迎える準備をしたのだろう。その人たちが暖をとったたき火の跡が残っていた。

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これも例年通り、本殿下部に小さな丸餅が供えられていた。おそらく地元の人が供えたものだろう。

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鷲神社のご神木は樹齢1000年余と言われているケヤキの大木、その根元近くにお賽銭が置かれているのも毎年のこと。何年か前にお参りした際、地元のお年寄りが供えて手を合わせているのを目にしたことがあった。ご神木にあやかって長寿を願っていたのだろうか。毎年何ヶ所かに供えられていたが、今年は一ヶ所だけだった。これからお参りに来て、お供えするのかもしれないが…

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近くの小道でネコを見つけた。今年もネコとの良い出会いがあるように。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

明けましておめでとうございます


本年もよろしくおねがい申し上げます

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