永井荷風の「日和下駄」に、根津権現(根津神社)に関する記述がある。第九の「崖」という章のその部分を引用してみる。
『根津の低地から弥生ヶ岡と千駄木の高地を仰げばここもまた絶壁である。絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の路がある。私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている。』
この中に出て来る『根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の路』が、藪下道と呼ばれている古道である。荷風がその道について興味を示している理由は、引用部分の続きを読めば自ずと察せられる。その道の今の姿を確認してみたくて、つつじ苑にも寄らずに先を急いでいたのだ。
『片側は樹と竹藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ落ちはせぬかと危まれるばかり、足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を透して谷底のような低い処にある人家の屋根が小さく見える。されば向は一面に遮るものなき大空かぎりもなく広々として、自由に浮雲の定めなき行衛をも見極められる。左手には上野谷中に連る森黒く、右手には神田下谷浅草へかけての市街が一目に見晴され其処より起る雑然たる巷の物音が距離のために柔げられて、かのヴェルレエヌが詩に、
かの平和なる物のひびきは
街より来る……
といったような心持を起させる。』
荷風がこんなふうに描いた藪下道は、現在ではすっかり変貌して昔の面影など留めてはいないと思われるが、説明板が設置されているかもしれず、それに望みを託して探し歩いてみた。
しかし、歩き回っても手がかりは得られなかった。地元の人と思われる通りがかりの人にも、声を掛けて尋ねてみた。しかし藪下道を知る人はいなかった。これで分からなければ出直すことにしようと決めて声を掛けたのは、品の良い年配の女性だった。根津神社周辺の地理には詳しいということなので、さっそく藪下道のことを訊いてみた。ちょっと思案顔を作ってから、
「そこの信号を渡って真っ直ぐ進み、左側に教会が見えたら、その角を左に折れ、急な坂道を下りきったところでぶつかる道をちょっと歩くと、右側に小道があります。その道です」
と教えてくれた。こちらが予想していた方向とはまったく逆の方向だった。不審に思ったが、あまりにもはっきりと自信に満ちている口調だったので、疑問を呈するわけにもゆかなかった。
その女性が教えてくれた道を辿ってみたところ、藪下道は見つからず、結局振り出しに戻ってしまった。つまり、根津神社の表参道鳥居前に出てしまったのだ。藪下道を尋ねるのではなく、その道の先にある鴎外記念館の所在を尋ねた方が良かったのかもしれない。
ただ、その道を歩いたことで、鴎外の「青年」に描かれている権現坂(新坂、S坂)を確認することができた。
『純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。二三歩すると袂から方眼図の小さく折ったのを出して、見ながら歩くのである。
…右は高等学校の外囲、左は角が出来たばかりの会堂で、その傍の小屋のような家から車夫が声を掛けて車を勧めた処を通り過ぎると、土塀や生垣を繞らした屋敷ばかりで、その間に綺麗な道が、ひろびろと附いている。
…坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている。純一は坂の上で足を留めて向うを見た。』
この『割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して』と描かれていることから、「S坂」とも呼ばれるようになったということである。
そのあと純一は坂を下って根津神社に入る。
『坂を降りて左側の鳥居を這入る。花崗岩を敷いてある道を根津神社の方へ行く。下駄の磬のように鳴るのが、好い心持である。剥げた木像の据えてある随身門から内を、古風な瑞籬で囲んである。故郷の家で、お祖母様のお部屋に、錦絵の屏風があった。その絵に、どこの神社であったか知らぬが、こんな瑞垣があったと思う。社殿の縁には、ねんねこ絆纏の中へ赤ん坊を負って、手拭の鉢巻をした小娘が腰を掛けて、寒そうに体を竦めている。純一は拝む気にもなれぬので、小さい門を左の方へ出ると、溝のような池があって、向うの小高い処には常磐木の間に葉の黄ばんだ木の雑った木立がある。濁ってきたない池の水の、所々に泡の浮いているのを見ると、厭になったので、急いで裏門を出た。』
裏門から出た純一は、そのあと藪下の道に入る。やはり裏門付近にそこへのはいり口があったのだ。最後に訊いた女性は、見当違いの方向を教えてくれたのだった。
『藪下の狭い道に這入る。多くは格子戸の嵌まっている小さい家が、一列に並んでいる前に、売物の荷車が止めてあるので、体を横にして通る。右側は崩れ掛って住まわれなくなった古長屋に戸が締めてある。九尺二間というのがこれだなと思って通り過ぎる。』
(引用作品の出典は、ともに青空文庫)
2013年04月30日
荷風お気に入りの藪下道
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2013年04月29日
根津神社の「つつじまつり」
ムーミンおじさん(ムーミン作者が書いた小説本をくれたおじさん、あるいは水森かおりの宣伝担当のおじさんのこと)は、ご本人の言によれば根津神社の氏子なのだそうだ。話の最後で、その根津神社で開かれている「つつじまつり」のことを教えてくれた。曰く、4月25日の頃が見頃だと。
そこでネコ公園に行ったついでに、根津神社に行ってみることにしたのだ。ただ、根津神社にはまだお参りしたことがない。家で行き方を調べておけば良かったのだが、うっかりそのことを忘れてしまい当日を迎えてしまった。しかし大丈夫、そういう時頼りになるのが自由人なのだ。なにしろ毎日のように空きカン集めで歩き回っているから、周辺の道には詳しい。彼に訊けば、分からないはずはない。仮に知らなかったとしても、大判の地図帳を持っているから、すぐに調べてくれるに違いない。
「やあ、どうも」
と挨拶を交わし、
「根津神社のつつじは、今日あたりが見頃らしいですね」
と話を向けて、根津神社の場所を訊いてみると、即座に道順を詳しく教えてくれた。そして、
「これから、神社近くのスーパーに空きカンをもらいに行くんですよ、もうちょっとしたら…」
道案内しますからいっしょに行きませんか、と誘っているようにも聞こえた。それでは一緒に行きましょうと言えば、すぐ話はまとまるのだろうと思われたが、
「よく分かりました。それじゃ、あまり時間もないので一足先に行ってます」と礼を言って別れ、一人根津神社へと向かったのだった。
自由人に教えてもらったおかげで、根津神社には迷わず行くことができた。本殿の前にはお参りの善男善女の列ができていた。私もその列の最後に並び、まずはお参りしたのだった。
境内のつつじ苑には、昔は無料で入ることができたが今は有料になっていると、ムーミンおじさんが言っていた通り、入り口の看板には「神苑整備ご寄進お一人二百円お納めください」とあった。つつじ苑を外側から見上げると、まだ見頃にはなっていない様子だった。加えて、ゆっくり見て回る時間もない故、またの機会に譲ることにしたのだった。なお「つつじまつり」は、5月6日まで開催されている。
そこでネコ公園に行ったついでに、根津神社に行ってみることにしたのだ。ただ、根津神社にはまだお参りしたことがない。家で行き方を調べておけば良かったのだが、うっかりそのことを忘れてしまい当日を迎えてしまった。しかし大丈夫、そういう時頼りになるのが自由人なのだ。なにしろ毎日のように空きカン集めで歩き回っているから、周辺の道には詳しい。彼に訊けば、分からないはずはない。仮に知らなかったとしても、大判の地図帳を持っているから、すぐに調べてくれるに違いない。
「やあ、どうも」
と挨拶を交わし、
「根津神社のつつじは、今日あたりが見頃らしいですね」
と話を向けて、根津神社の場所を訊いてみると、即座に道順を詳しく教えてくれた。そして、
「これから、神社近くのスーパーに空きカンをもらいに行くんですよ、もうちょっとしたら…」
道案内しますからいっしょに行きませんか、と誘っているようにも聞こえた。それでは一緒に行きましょうと言えば、すぐ話はまとまるのだろうと思われたが、
「よく分かりました。それじゃ、あまり時間もないので一足先に行ってます」と礼を言って別れ、一人根津神社へと向かったのだった。
自由人に教えてもらったおかげで、根津神社には迷わず行くことができた。本殿の前にはお参りの善男善女の列ができていた。私もその列の最後に並び、まずはお参りしたのだった。
境内のつつじ苑には、昔は無料で入ることができたが今は有料になっていると、ムーミンおじさんが言っていた通り、入り口の看板には「神苑整備ご寄進お一人二百円お納めください」とあった。つつじ苑を外側から見上げると、まだ見頃にはなっていない様子だった。加えて、ゆっくり見て回る時間もない故、またの機会に譲ることにしたのだった。なお「つつじまつり」は、5月6日まで開催されている。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
ジャーマンアイリスが咲いた
ジャーマンアイリスが一輪咲いた。ジャーマンと呼ばれるだけあって、背丈は高く花の姿は大柄である。イチハツは風が吹いたり雨が降ったりすると、自身の花の重みに堪えかねてすぐお辞儀をしてしまうが、ジャーマンアイリスは茎も太くそのような心配はなさそうだ。これで庭のアヤメ類はすべて咲いたことになる。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗
2013年04月27日
水森かおりから藤圭子まで
水森かおりという歌手を調べてみたところ、こちらが知らなかっただけでかなり名の売れている演歌歌手だった。2003年に「鳥取砂丘」という曲が大ヒットしたそうで、そして紅白歌合戦には10年連続で出場しているらしい。紅白はあまり見ないから、そんなことはまったく知らなかった。
その水森かおりを、ムーミン作者の小説集をくれたオジサンがどうして応援しているのか、そのあたりの事情は今度会う機会があったら訊いてみることにしようか。
それでは水森かおりの「鳥取砂丘」をYouTubeで聴いてみることにしよう。
次の曲は、昔、藤圭子が歌ってヒットした「京都から博多まで」のカバー。
こちらは本家本元の藤圭子の「京都から博多まで」。
この曲がヒットしたのは昭和47年(1972年)のこと、その頃はまだ青梅のソフトウェア工場でプログラムを組む毎日を過ごしていた。そしてその年にはいろいろなことがありました。
・グアム島で元日本兵の横井庄一さん救出
・札幌で第11回冬季オリンピック
・連合赤軍による浅間山荘事件
・ノー−ベル賞作家の川端康成さん自殺
・田中角栄氏「日本列島改造論」発表
・第20回オリンピック(ミュンヘン大会)
・上野動物園でパンダ2頭公開
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2013年04月26日
殺処分される前に
ポンタの写真を撮っていると、突然声を掛けられた。
「そいつは強いぞ。そこが縄張りだった猫を追い出して、居座っちゃったんだからな」
たしかにポンタは、ちかごろ資料館の近くで過ごすことが多くなった。そのため、いままでその辺りで暮らしていたネコたちは、居場所を変えざるを得なくなった。
声を掛けてきた男は、先ほどからコップ酒を手にしてグビグビと飲み続けていた。以前から時々見かける顔だったが、話をしたことはなかった。いつも自転車の後ろに、水森かおりという女性演歌歌手のポスターを立てていた。どういう縁で彼女の宣伝活動の一翼を担っているのだろうか。
無視して絡まれるのもイヤだから、
「そうですかァ」
と返事をしたのが良くなかった。話し相手になってくれそうだと思ったのか、自分の身の上話を始めたのだ。おかげで、ポンタの写真を撮ることは諦めなければならなくなった。
彼が話してくれたことはプライバシーに関わることも含まれているので、ここで詳らかにすることはできないが、少しだけふれておくと、なんでも根津で生まれ、現在は湯島に住んでいるのだという。高層マンションの最上階に住んでいるということを、何度も繰り返して言ったのだった。
「おまえさん、本はいらないか」
と言って、近くにあった数冊の本を指し示した。カバーの背に図書分類番号のシールが貼ってあった。
「どうしたんですか」
「リサイクル本…近所の図書館からもらってきた。もらい手がいなければ製紙工場で溶かされてトイレットペーパーだろうな、そんなもんになっちゃうんだよ、もったいないだろ」
本には、確かに「リサイクル」の印が押されていた。
熱心に勧めるので、むげに断るのはできそうにもない。一通りタイトルを確認してから、読みたい本はないと言って断ると、
「一冊でもいいからもらってくれよ、溶かされちゃうんだぜ、トイレットペーパーになっちゃうんだぜ」
と、酔いのせいなのか食い下がって諦めない。
「それじゃァ、この一冊だけいただきます」
と言って手に取ったのは、「軽い手荷物の旅」という筑摩書房で出版した本だった。その本を選んだのは、筑摩で出したハードカバーのしっかりした本で、比較的きれいに扱われていた感じだったから、「トーベ・ヤンソン」という作者名にひかれたのではなかった。
あとで調べて分かったことだが、トーベ・ヤンソンはあのムーミンの作者、ムーミンはもちろん知っていたが、その作者がトーベ・ヤンソンであるとは知らなかった、むろん、そんな小説を書いていることも…。
彼が図書館からその本をもらい受けてこなければ、そしてその日、彼と私とがネコ公園で出会うことがなければ、遺棄されて引き取り手のない猫が殺処分されてしまうように、「軽い手荷物の旅」も同じ運命を辿ることになってしまったのだろう。
「そいつは強いぞ。そこが縄張りだった猫を追い出して、居座っちゃったんだからな」
たしかにポンタは、ちかごろ資料館の近くで過ごすことが多くなった。そのため、いままでその辺りで暮らしていたネコたちは、居場所を変えざるを得なくなった。
声を掛けてきた男は、先ほどからコップ酒を手にしてグビグビと飲み続けていた。以前から時々見かける顔だったが、話をしたことはなかった。いつも自転車の後ろに、水森かおりという女性演歌歌手のポスターを立てていた。どういう縁で彼女の宣伝活動の一翼を担っているのだろうか。
無視して絡まれるのもイヤだから、
「そうですかァ」
と返事をしたのが良くなかった。話し相手になってくれそうだと思ったのか、自分の身の上話を始めたのだ。おかげで、ポンタの写真を撮ることは諦めなければならなくなった。
彼が話してくれたことはプライバシーに関わることも含まれているので、ここで詳らかにすることはできないが、少しだけふれておくと、なんでも根津で生まれ、現在は湯島に住んでいるのだという。高層マンションの最上階に住んでいるということを、何度も繰り返して言ったのだった。
「おまえさん、本はいらないか」
と言って、近くにあった数冊の本を指し示した。カバーの背に図書分類番号のシールが貼ってあった。
「どうしたんですか」
「リサイクル本…近所の図書館からもらってきた。もらい手がいなければ製紙工場で溶かされてトイレットペーパーだろうな、そんなもんになっちゃうんだよ、もったいないだろ」
本には、確かに「リサイクル」の印が押されていた。
熱心に勧めるので、むげに断るのはできそうにもない。一通りタイトルを確認してから、読みたい本はないと言って断ると、
「一冊でもいいからもらってくれよ、溶かされちゃうんだぜ、トイレットペーパーになっちゃうんだぜ」
と、酔いのせいなのか食い下がって諦めない。
「それじゃァ、この一冊だけいただきます」
と言って手に取ったのは、「軽い手荷物の旅」という筑摩書房で出版した本だった。その本を選んだのは、筑摩で出したハードカバーのしっかりした本で、比較的きれいに扱われていた感じだったから、「トーベ・ヤンソン」という作者名にひかれたのではなかった。
あとで調べて分かったことだが、トーベ・ヤンソンはあのムーミンの作者、ムーミンはもちろん知っていたが、その作者がトーベ・ヤンソンであるとは知らなかった、むろん、そんな小説を書いていることも…。
彼が図書館からその本をもらい受けてこなければ、そしてその日、彼と私とがネコ公園で出会うことがなければ、遺棄されて引き取り手のない猫が殺処分されてしまうように、「軽い手荷物の旅」も同じ運命を辿ることになってしまったのだろう。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2013年04月22日
2013年04月19日
緑のカーテン計画
去年植えた四つの苗は、たくさんの収穫をもたらしてくれて、我が家の食卓を賑わしてくれた。四つの苗は同一品種で、実は小さかった。今年は苗の組み合わせを工夫して、去年同様小さな実がなる品種を二つ、大きな実がなる品種を二つ、合計四つを近所のホームセンターで買い求めてきた。この計画が功を奏すれば、夏には大小二種類のゴーヤーが収穫できるはずなのである。
ゴーヤーの栽培は、今年で三回目となる。同じ場所に植えると連作障害が発生するそうなので、去年は、一昨年植えた場所とは違う場所に植えた。たぶんそれが良かったのだと思うが、連作障害などとは無縁のみごとな豊作となった。今年も去年とは違う場所に植えた方がいいのだが、なにぶん狭い庭なので、植える場所は限られている。となると、一昨年植えた場所に戻るということになるのだが、一年間隔を置けば大丈夫なのだろうか、その点が心配である。
念のため、土壌改良をしておいた方がいいのだろうか。あるいは、植える位置を少しずらすぐらいのことはできそうだから、そうすれば大丈夫なのだろうか。苗は買ってきたものの、この問題を解決しないと庭の土に移すことができない。2〜3日のうちに決断しないと、延びてきているツルが行き場を失ってしまいそうだ。
ゴーヤーの栽培は、今年で三回目となる。同じ場所に植えると連作障害が発生するそうなので、去年は、一昨年植えた場所とは違う場所に植えた。たぶんそれが良かったのだと思うが、連作障害などとは無縁のみごとな豊作となった。今年も去年とは違う場所に植えた方がいいのだが、なにぶん狭い庭なので、植える場所は限られている。となると、一昨年植えた場所に戻るということになるのだが、一年間隔を置けば大丈夫なのだろうか、その点が心配である。
念のため、土壌改良をしておいた方がいいのだろうか。あるいは、植える位置を少しずらすぐらいのことはできそうだから、そうすれば大丈夫なのだろうか。苗は買ってきたものの、この問題を解決しないと庭の土に移すことができない。2〜3日のうちに決断しないと、延びてきているツルが行き場を失ってしまいそうだ。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2013年04月18日
ダッチアイリスが咲いた
ダッチアイリスが、何の予告もなしに咲いた。とはいうものの、実際には突然咲くなどということはあり得ないのだから、ニオイイリスとイチハツにばかり気を取られているスキに、こっそり蕾をふくらませていたのだろう。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
新緑のネコ公園
花見の季節が慌ただしく過ぎ去り、ネコ公園は新緑に包まれていた。その中で紅の色を添えていたのは、八重桜だった。なんだか季節外れの花のような感じがするが、ソメイヨシノがあまりにも早く咲き始めてしまったのでそのように感じるだけのことだろう。ちなみに八重桜は、ソメイヨシノに比べて開花時期が1〜2週間ほど遅いとされている。
自由人も花見の季節の仕事から解放されて、日常を取り戻しているようだった。以前よりふっくらとした感じで、血色も良かった。多少は懐具合も良くなったのではないかと思われたが、話を聞くと去年より実入りは少なかったそうだ。
空きカン集めに大忙しだったのは、花見の季節の最初の二日ほどだけで、その後は寒い日が続いて花見客の出足が鈍り、当てが外れてしまったという。そして、もう一つふるわなかった理由があるということだった。それは、三月中に満開となってしまったことだ。
三月末といえば、企業は年度末の忙しい時期、サラリーマン諸氏は仕事が忙しくて花見どころではなかったのだ。テレビのニュース番組を見ていると、花見の宴会はかなりの盛り上がりがあったかのような印象を受けてしまうが、実情はそれほどではなかったのだ。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗
2013年04月16日
ニオイイリスが咲いた
今朝は珍しいことに、7時前に床を離れた。朝早く目が覚めても、床の中でしばらく我慢していれば、再び夢の世界に誘われていくのが常であるが、今朝はそういうわけにはいかなかった。いつまで待っても眠りが訪れてきてくれない。そんな時に、ニオイイリスとイチハツのことが思い浮かび、そろそろ咲き始めてもいい時期だなと思い至り、二度寝ではなく花の写真を撮ることの方を選んだのだった。
ニオイイリスとイチハツのつぼみがふくらみ始めたと書いたのは一週間前のことだった。その時はイチハツの方が先に咲きそうだとしたが、結局例年通りニオイイリスの方が早く咲いた。昨年より九日早かった。朝方は半分ほどの開花状態だったが、午後には満開となった。
なおイチハツの開花には、もう少し時間が掛かりそうだ。
ニオイイリスとイチハツのつぼみがふくらみ始めたと書いたのは一週間前のことだった。その時はイチハツの方が先に咲きそうだとしたが、結局例年通りニオイイリスの方が早く咲いた。昨年より九日早かった。朝方は半分ほどの開花状態だったが、午後には満開となった。
なおイチハツの開花には、もう少し時間が掛かりそうだ。
posted by 里実福太朗 at 22:32| 里ふくろうの日乗
2013年04月14日
味気ない生活、その後
味覚を失ってからというもの、物を食べる喜びが失われてしまった。三度三度の食事はとるけれど、何を食べても味が感じられないのだから、ただ空腹を満たすための惰性的な行為と成り下がってしまった。
それに味が分からないと、不思議なことにいつもと同じ量を食べても満腹感が得られない。お腹がいっぱいと感じられないのだから、さらに食べてしまう。その結果、食べ過ぎという事態を招いてしまう。どうやら味が分かってはじめて、十分食べたという満足感が得られるもののようだ。
当方と同じ症状に陥りゴボゴボと咳をしている夫人が、かつて味覚を消失したことのある人が身内にいることを思い出し、メールでその時の様子を訊いてくれた。その人は男性で、私とほぼ同じ年齢である。以下、メールの内容を簡単に記しておこう。
味覚障害になったのは、10年ほど前のことだった。仕事で秋田に行き旅館に泊まった際、夕食に出された料理の味が分からなかった。体調が悪いということはなかった。インターネットで調べて、亜鉛いりの飴などをなめていたら、一ヶ月後ぐらいにまず甘い味が分かってきた。その後、コーヒーなどの味も分かるようになり、完治するのに三ヶ月ほどかかった。原因は、ある外国製の煙草だったのかもしれないと疑っている。健康によさそうだと思ってその煙草を吸い始めたのは、その味覚障害を発症した約一ヶ月前のことだった。
亜鉛が味覚障害にいいということは、インターネットで調べて分かっていた。しかし、亜鉛が一番多く含まれるものはカキなのだ。カキは苦手なものの一つだから、さて困ったと思っていた。亜鉛入りの飴というものがあり、それをなめていたら治ったということだから、これはありがたい話だ。さっそく今日あたり買い求めにいってみようと思っていたところ、今朝、食事の際に飲んだオレンジジュースの味が分かるようになったのだ。
やっと咳き込むことが少なくなり、どうやらしつこい風邪も峠を越えたようでヤレヤレと思っていたら、味覚障害まで治ったのだからなんという僥倖だろう。やはり当方の味覚消失は、風邪によって引き起こされたものだと考えてよさそうだ。
ただ、完治したとはまだ言えそうにもない。100パーセントオレンジジュースのようにきつい味のものはよく分かるのだが、薄口のものはまだその味が判然としない。そして喜んだのもつかの間、夕方になると再び味が分からなくなってしまった。たぶん一進一退を繰り返しながら、徐々に味覚が戻ってくるということなのだろう。このまま味覚が一生戻ってこなかったら、食べる喜びどころか生きがいまでも失われてしまうかもしれないと怯えていたのだ。たとえ一時的であっても、治る兆しが見えたのだからもって瞑すべしである。
それに味が分からないと、不思議なことにいつもと同じ量を食べても満腹感が得られない。お腹がいっぱいと感じられないのだから、さらに食べてしまう。その結果、食べ過ぎという事態を招いてしまう。どうやら味が分かってはじめて、十分食べたという満足感が得られるもののようだ。
当方と同じ症状に陥りゴボゴボと咳をしている夫人が、かつて味覚を消失したことのある人が身内にいることを思い出し、メールでその時の様子を訊いてくれた。その人は男性で、私とほぼ同じ年齢である。以下、メールの内容を簡単に記しておこう。
味覚障害になったのは、10年ほど前のことだった。仕事で秋田に行き旅館に泊まった際、夕食に出された料理の味が分からなかった。体調が悪いということはなかった。インターネットで調べて、亜鉛いりの飴などをなめていたら、一ヶ月後ぐらいにまず甘い味が分かってきた。その後、コーヒーなどの味も分かるようになり、完治するのに三ヶ月ほどかかった。原因は、ある外国製の煙草だったのかもしれないと疑っている。健康によさそうだと思ってその煙草を吸い始めたのは、その味覚障害を発症した約一ヶ月前のことだった。
亜鉛が味覚障害にいいということは、インターネットで調べて分かっていた。しかし、亜鉛が一番多く含まれるものはカキなのだ。カキは苦手なものの一つだから、さて困ったと思っていた。亜鉛入りの飴というものがあり、それをなめていたら治ったということだから、これはありがたい話だ。さっそく今日あたり買い求めにいってみようと思っていたところ、今朝、食事の際に飲んだオレンジジュースの味が分かるようになったのだ。
やっと咳き込むことが少なくなり、どうやらしつこい風邪も峠を越えたようでヤレヤレと思っていたら、味覚障害まで治ったのだからなんという僥倖だろう。やはり当方の味覚消失は、風邪によって引き起こされたものだと考えてよさそうだ。
ただ、完治したとはまだ言えそうにもない。100パーセントオレンジジュースのようにきつい味のものはよく分かるのだが、薄口のものはまだその味が判然としない。そして喜んだのもつかの間、夕方になると再び味が分からなくなってしまった。たぶん一進一退を繰り返しながら、徐々に味覚が戻ってくるということなのだろう。このまま味覚が一生戻ってこなかったら、食べる喜びどころか生きがいまでも失われてしまうかもしれないと怯えていたのだ。たとえ一時的であっても、治る兆しが見えたのだからもって瞑すべしである。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2013年04月11日
味気ない生活
困ったことに、何を食べても味が分からない。酸いも甘いも、辛いも苦いも分からない。食欲がないわけではない。体調が底だった時期には食欲も落ちたが、徐々に元に戻ってきているというのに、味覚は死んだままなのである。
風邪などをひいて発熱を伴った時に、一時的に味が分からない状態になることは今までもあった。今回も多少熱っぽさを感じたこともあったから、最初はそれに起因する味覚障害かもしれないと思っていた。
しかし、その後も味覚は戻らなかった。食欲は元に戻り、普通に食べることができるようになったのに、味覚が帰ってこないのだ。味が分からないのでは、何を口に入れても食べる喜びがわいてこない。ただ空腹を満たすだけに食べるなんて、文字通り味気ない所業であるにすぎない。
依然続いている咳がおさまってくれば、それに伴って味覚障害も治ってくるものと期待しているのだが、こう味気ない生活が続いてくると、もう二度と味覚が戻ってくることはないのかもしれないなどという焦りも生じてくる。
「味覚障害」について、いくつかのサイトで調べてみた。症状にはいろいろなタイプがあるそうで、たとえば岩手県・岩手県医師会健康増進情報の味覚障害のページでは、以下のように分類してある。
味覚減退……… 食物の味が薄く感じる
味覚消失……… 味が全くわからない
自発性異常味覚…何も食べていないのに、いつも苦い味がする
悪味症………… 食物が何とも表現できないいやな味になる
異味症………… ある食べ物や飲み物の味が本来の味と変わった味がする
解離性味覚障害…甘味だけがわからないと訴え、検査でも甘味のみ傷害されている
〔味覚障害〕より
http://www.iwate.med.or.jp/kenkouzoushin/38/mikakushougai.html
私の場合は、味をまったく感じることができないので、「味覚消失」ということになろう。さてその原因だが、同ページには以下のような項目ごとにその説明が加えられている。
(1)食事の内容による味覚障害
(2)薬剤による味覚障害
(3)全身の病気による味覚障害
(4)口腔の病気による味覚障害
(5)心因性味覚障害
詳しい内容は上記ページを見ていただくとして、それでは私の場合はどれに当てはまるのだろうか。
今回の味覚消失は、冷気に長時間身をさらしたことにより風邪をひいて体調をくずしている時に生じた。そのことを思い出してみれば、「(4)口腔の病気による味覚障害」ではないかと疑われる。その項目の説明にはこうある。
『舌の病気である舌炎や舌苔(ぜったい)・口内乾燥症・かぜによるのどの病気でも味覚障害をおこします。』
思い起こしてみれば、鼻水・咳・筋肉痛という症状が現れる前に、強烈な喉の痛みを感じたことがあった。そして口内が異常に乾燥した。寝る時は枕元に水筒を用意しておき、夜中に何度となくその水を飲んだ。喉の痛みはちょくちょくあることだから、おとなしくしていれば通り過ぎてしまうだろうと思っていたが、実はそれが後の不調の前兆だったのだ。今はもう喉の痛みは感じないが、喉周辺のハレはひいていないようで、咳も依然と続いている。
ということで、当方の素人判断によれば、風邪による口腔の不調が引き起こした味覚消失ではないかということになる。この判断の正誤については、咳がおさまり口腔の調子も良くなった時点で味覚がどうなるかが分からないと、その判定を下すことができない。今日のように気温の低い日が続くようでは、もう少し味気ない生活を辛抱しなければならないようだ。
風邪などをひいて発熱を伴った時に、一時的に味が分からない状態になることは今までもあった。今回も多少熱っぽさを感じたこともあったから、最初はそれに起因する味覚障害かもしれないと思っていた。
しかし、その後も味覚は戻らなかった。食欲は元に戻り、普通に食べることができるようになったのに、味覚が帰ってこないのだ。味が分からないのでは、何を口に入れても食べる喜びがわいてこない。ただ空腹を満たすだけに食べるなんて、文字通り味気ない所業であるにすぎない。
依然続いている咳がおさまってくれば、それに伴って味覚障害も治ってくるものと期待しているのだが、こう味気ない生活が続いてくると、もう二度と味覚が戻ってくることはないのかもしれないなどという焦りも生じてくる。
「味覚障害」について、いくつかのサイトで調べてみた。症状にはいろいろなタイプがあるそうで、たとえば岩手県・岩手県医師会健康増進情報の味覚障害のページでは、以下のように分類してある。
味覚減退……… 食物の味が薄く感じる
味覚消失……… 味が全くわからない
自発性異常味覚…何も食べていないのに、いつも苦い味がする
悪味症………… 食物が何とも表現できないいやな味になる
異味症………… ある食べ物や飲み物の味が本来の味と変わった味がする
解離性味覚障害…甘味だけがわからないと訴え、検査でも甘味のみ傷害されている
〔味覚障害〕より
http://www.iwate.med.or.jp/kenkouzoushin/38/mikakushougai.html
私の場合は、味をまったく感じることができないので、「味覚消失」ということになろう。さてその原因だが、同ページには以下のような項目ごとにその説明が加えられている。
(1)食事の内容による味覚障害
(2)薬剤による味覚障害
(3)全身の病気による味覚障害
(4)口腔の病気による味覚障害
(5)心因性味覚障害
詳しい内容は上記ページを見ていただくとして、それでは私の場合はどれに当てはまるのだろうか。
今回の味覚消失は、冷気に長時間身をさらしたことにより風邪をひいて体調をくずしている時に生じた。そのことを思い出してみれば、「(4)口腔の病気による味覚障害」ではないかと疑われる。その項目の説明にはこうある。
『舌の病気である舌炎や舌苔(ぜったい)・口内乾燥症・かぜによるのどの病気でも味覚障害をおこします。』
思い起こしてみれば、鼻水・咳・筋肉痛という症状が現れる前に、強烈な喉の痛みを感じたことがあった。そして口内が異常に乾燥した。寝る時は枕元に水筒を用意しておき、夜中に何度となくその水を飲んだ。喉の痛みはちょくちょくあることだから、おとなしくしていれば通り過ぎてしまうだろうと思っていたが、実はそれが後の不調の前兆だったのだ。今はもう喉の痛みは感じないが、喉周辺のハレはひいていないようで、咳も依然と続いている。
ということで、当方の素人判断によれば、風邪による口腔の不調が引き起こした味覚消失ではないかということになる。この判断の正誤については、咳がおさまり口腔の調子も良くなった時点で味覚がどうなるかが分からないと、その判定を下すことができない。今日のように気温の低い日が続くようでは、もう少し味気ない生活を辛抱しなければならないようだ。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2013年04月09日
つぼみがもうふくらみ始めた
今年は花の咲く時期が早まっているのだろうか。東京の桜は、3月16日に開花宣言が出て、3月22日あたりで満開となった。昨年は、開花日が3月31日、満開日は4月6日と遅く、最近の10年間をならすと、3月23日が開花日で、3月31日が満開日となるようだ。昨年と比較すれば2週間も早く、最近10年間と比較しても1週間も早い。
先日確かめた時には、蕾の「つ」の字も見えなかったのに、庭のニオイイリスとイチハツのつぼみがふくらんできた。当方が体調を崩して家居を余儀なくされた数日の間に、慌ただしく開花の準備を整えたらしい。
例年なら、4月下旬あたりだったと記憶している。念のため、昨年のことをこのブログで振り返ってみると、ニオイイリスの開花が4月25日、イチハツは4月30日のことだった。今日のつぼみのふくらみ方では、あと数日で咲きそうな気配だ。桜と同じように例年よりかなり早く咲くのは確実と言っても良いだろう。
開花の時期だけでなく、もう一つ例年と違う点がある。ニオイイリスもイチハツも共にふくらみ始めているのだが、イチハツの方は先端がすでに紫に色づき始めているのだ。
「イチハツ」という名は、アヤメ類の中では一番早く咲き出すことでその名があるという説もあるが、昨年も含めて今までの例では、ニオイイリスの方が早く咲き出していた。今年はどうやらその順序が逆になりそうなのだ。
今年の春は寒暖の差が大きく、それが桜の開花を早めたと聞く。それは桜以外の花々にも影響を与えているのかもしれない。昨年の末から春にかけて、例年になく体調を崩すことが重なったのも、歳のせいだけでなく、急激な温度の変化に影響されたのかもしれない。
先日確かめた時には、蕾の「つ」の字も見えなかったのに、庭のニオイイリスとイチハツのつぼみがふくらんできた。当方が体調を崩して家居を余儀なくされた数日の間に、慌ただしく開花の準備を整えたらしい。
例年なら、4月下旬あたりだったと記憶している。念のため、昨年のことをこのブログで振り返ってみると、ニオイイリスの開花が4月25日、イチハツは4月30日のことだった。今日のつぼみのふくらみ方では、あと数日で咲きそうな気配だ。桜と同じように例年よりかなり早く咲くのは確実と言っても良いだろう。
開花の時期だけでなく、もう一つ例年と違う点がある。ニオイイリスもイチハツも共にふくらみ始めているのだが、イチハツの方は先端がすでに紫に色づき始めているのだ。
「イチハツ」という名は、アヤメ類の中では一番早く咲き出すことでその名があるという説もあるが、昨年も含めて今までの例では、ニオイイリスの方が早く咲き出していた。今年はどうやらその順序が逆になりそうなのだ。
今年の春は寒暖の差が大きく、それが桜の開花を早めたと聞く。それは桜以外の花々にも影響を与えているのかもしれない。昨年の末から春にかけて、例年になく体調を崩すことが重なったのも、歳のせいだけでなく、急激な温度の変化に影響されたのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗
2013年04月05日
マリンの風は冷たかった
今期のマリーンズの成績は、最下位と予想する解説者が多い。その根拠は、昨季も成績がふるわなかったのに、戦力補強がほとんどなされなかったという点にあるようだ。たしかに選手の顔ぶれはほとんど変わらない。依然として投手の層は薄く、大砲も補充されていない。また、ベテラン選手の力にかげりが見え始め、それに代わる若手の成長も今ひとつパットしない。これでは、最下位と予想されても仕方がない。
シーズンが始まったばかりというのに、どうにも気弱な話から始まってしまったが、そういう懸念を吹き飛ばすように、開幕戦から二戦連続で延長12回でのサヨナラ勝ちを見せてくれた。選手たちも最下位予想を覆そうと必死で戦っているようだ。
抽選で当たった無料のチケットを懐に、今季初めてマリンフィールドに向かった。今までの経験から、四時頃までに着けば球場前の駐車場に車を止めることができる。今回もその時刻を目指して家を出たが、球場に着いた時にはすでに満杯、それでも球場横の駐車場に入ることができた。平日であっても、子どもたちは春休み、家族連れが多くて出足が早かったようだ。
近ごろ寒い日が続き、ノド・鼻の状態が思わしくない。この前の日曜日、冷たい風が吹く公園で、花見客の喧噪におそれをなして隠れていたネコたちのご機嫌を取るために長時間過ごしていた時に、調子を悪くしたようだった。
だいぶ調子も良くなり、暖かい日和をこれ幸いと出かけたのだったが、4月初めのマリンフィールドは、夜ともなれば冷たい海風が吹き渡り、すっかり体が冷え切ってまたノドが痛み出し鼻水がタラタラと流れることになってしまった。
先発の唐川がピリッとせず、中田にホームランを打たれた後、四球を連発して満塁となり、交替した荻野が押し出しの四球、そして満塁ホームランを打たれてしまった。この時点で試合の勝敗はほぼ決まり、寒さにも耐えられなくなり7回終了時で球場を後にしたのだった。結局、試合は5対8でマリーンズの負けであった。
〔4月4日の試合結果〕
http://www.marines.co.jp/gamelive/result/2013040401/
なお、あの大谷君は、練習の時はいい当たりを何本も飛ばしていたが、試合には出てこなかった。
シーズンが始まったばかりというのに、どうにも気弱な話から始まってしまったが、そういう懸念を吹き飛ばすように、開幕戦から二戦連続で延長12回でのサヨナラ勝ちを見せてくれた。選手たちも最下位予想を覆そうと必死で戦っているようだ。
抽選で当たった無料のチケットを懐に、今季初めてマリンフィールドに向かった。今までの経験から、四時頃までに着けば球場前の駐車場に車を止めることができる。今回もその時刻を目指して家を出たが、球場に着いた時にはすでに満杯、それでも球場横の駐車場に入ることができた。平日であっても、子どもたちは春休み、家族連れが多くて出足が早かったようだ。
近ごろ寒い日が続き、ノド・鼻の状態が思わしくない。この前の日曜日、冷たい風が吹く公園で、花見客の喧噪におそれをなして隠れていたネコたちのご機嫌を取るために長時間過ごしていた時に、調子を悪くしたようだった。
だいぶ調子も良くなり、暖かい日和をこれ幸いと出かけたのだったが、4月初めのマリンフィールドは、夜ともなれば冷たい海風が吹き渡り、すっかり体が冷え切ってまたノドが痛み出し鼻水がタラタラと流れることになってしまった。
先発の唐川がピリッとせず、中田にホームランを打たれた後、四球を連発して満塁となり、交替した荻野が押し出しの四球、そして満塁ホームランを打たれてしまった。この時点で試合の勝敗はほぼ決まり、寒さにも耐えられなくなり7回終了時で球場を後にしたのだった。結局、試合は5対8でマリーンズの負けであった。
〔4月4日の試合結果〕
http://www.marines.co.jp/gamelive/result/2013040401/
なお、あの大谷君は、練習の時はいい当たりを何本も飛ばしていたが、試合には出てこなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:32| 里ふくろうの日乗
2013年04月03日
アッパー・バラッカ・ガーデンの猫
ヴァレッタのアッパー・バラッカ・ガーデンは、マルタで一番眺めの良い場所なのだそうだ。たしかに、庭園のテラスから眺めおろす景色はすばらしい。眼下に広がるグランドハーバーから目を上に転ずれば、対岸のスリーシティーズが一望に見渡される。
こういう場所には、きっと猫が住み着いているだろうと見当をつけ、園内を見学しながら猫の気配をとらえるべく五感を研ぎ澄ませていると、三毛猫が目の前を急ぎ足で通り過ぎて行った。追いかけてみたものの、残念ながら植え込みに姿を消してしまった。
こういう場所には、きっと猫が住み着いているだろうと見当をつけ、園内を見学しながら猫の気配をとらえるべく五感を研ぎ澄ませていると、三毛猫が目の前を急ぎ足で通り過ぎて行った。追いかけてみたものの、残念ながら植え込みに姿を消してしまった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年04月01日
国立科学博物館のシアター360
上野に出たついでに国立科学博物館まで足をのばしたのは、夫人がシアター360をぜひ見たいと言うからだった。何でも360度の全方位に映し出される映像を体験できるそうだが、そんなふうに聞いただけではどれ程のものなのか想像もつかなかった。
シアター360は、日本館の地下一階にある。日曜日ということもあって、シアターの前には行列ができていた。子供たちが多かったが、外国からの観光客と思しき人の姿もチラホラ見受けられた。待ち時間は20分から30分、そんなに待っても映写時間は10分ほどだから、待つ時間の方がはるかに長い。それでも待ち続けたのだった。
シアターは大きな球体でできていて、その中にブリッジが渡され、観客はその上に乗って360度全方位の映像世界を体験するという仕組みになっていた。球体の壁面に映写される映像が動き出すと、ブリッジごと自分の体が動き出すような錯覚が生じてくる。さらに、下方にも映像が途切れることなく続いていることで、あたかも空中に浮かんでいるかのような浮遊感にも襲われてくる。
その浮遊感に身を任せてしまえば、空中を自由に飛び回る開放感を味わうことができるのかもしれないが、高所にいるという意識が邪魔をする。そして、高い場所に身を置いた時の恐怖心が蘇ってきて、足がすくんでくる。いったんそういう気持ちになってくると、それを押しとどめようとしても際限なく津波のように押し寄せてくる。こうなるともう腰をおろしてしまうより仕方がない。あとで、どうして座り込んだのと聞かれたら、浮遊感に襲われて気持ちが悪くなったと言っておけばいいのだ。
腰をおろしても、なにしろ全方位に映像が映し出されるのだから、鑑賞するのに不都合はない。ブリッジに乗って、いや、空飛ぶ絨毯に乗って空と海との間を自由に飛行することだって味わうことができたのだった。
シアター360は、日本館の地下一階にある。日曜日ということもあって、シアターの前には行列ができていた。子供たちが多かったが、外国からの観光客と思しき人の姿もチラホラ見受けられた。待ち時間は20分から30分、そんなに待っても映写時間は10分ほどだから、待つ時間の方がはるかに長い。それでも待ち続けたのだった。
シアターは大きな球体でできていて、その中にブリッジが渡され、観客はその上に乗って360度全方位の映像世界を体験するという仕組みになっていた。球体の壁面に映写される映像が動き出すと、ブリッジごと自分の体が動き出すような錯覚が生じてくる。さらに、下方にも映像が途切れることなく続いていることで、あたかも空中に浮かんでいるかのような浮遊感にも襲われてくる。
その浮遊感に身を任せてしまえば、空中を自由に飛び回る開放感を味わうことができるのかもしれないが、高所にいるという意識が邪魔をする。そして、高い場所に身を置いた時の恐怖心が蘇ってきて、足がすくんでくる。いったんそういう気持ちになってくると、それを押しとどめようとしても際限なく津波のように押し寄せてくる。こうなるともう腰をおろしてしまうより仕方がない。あとで、どうして座り込んだのと聞かれたら、浮遊感に襲われて気持ちが悪くなったと言っておけばいいのだ。
腰をおろしても、なにしろ全方位に映像が映し出されるのだから、鑑賞するのに不都合はない。ブリッジに乗って、いや、空飛ぶ絨毯に乗って空と海との間を自由に飛行することだって味わうことができたのだった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗