2013年08月29日

ブログに替えて「フォトダイアリー」

今後、ブログを書くことに費やしていたエネルギーは、ほかの方面に向けることにして、日々のことは、「里ふくろうコム」の「フォトダイアリー」に気が向いた時に載せることにします。

「里ふくろうコム」は省エネルギーを目ざし、自動的に更新されるモジュールを中心としています。また「フォトダイアリー」は、老骨にむち打つ必要がないように写真と短いコメントだけというシンプルな内容です。
posted by 里実福太朗 at 23:59| 里ふくろうの日乗

「里実文庫」のURL変更

◇「里実文庫」のURLを変更しました。
旧:satobn.net

新:http://bunko2.sato296.com

ドメイン「satobn.net」は廃止します。


◇「里実文庫T期」(旧里実文庫)のURLも変更しました。
旧:bunko1.satobn.net

新:http://bunko0.sato296.com


posted by 里実福太朗 at 16:54| 里ふくろうの日乗

2013年08月27日

デジタルからアナログへの回帰

鈴木喜一さんが急逝したのは、7月30日のことだった。早いものでその日からそろそろ1ヶ月ちかくが経とうとしている。その間、喜一さんのブログ「大地の家」を覗いてみることが何回かあった。

もちろんブログが更新されている、などということはあり得ない。書き手が亡くなったあとそのブログはどうなるのだろうか、閉鎖されてしまうのだろうか、あるいはそのままの形で残されているのだろうか、そんなことが気に掛かってのことだった。

喜一さんの手で更新されることがなくなってから何日か経って、そのブログに変化があった。つまり記事が追加されていたのだ。そしてその状態が保たれたまま現在まで続いているのである。追加された記事は、スポンサーサイトの広告のページだった。そこにはこう記されていた。

 上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
 新しい記事を書く事で広告が消せます。

〔大地の家〕
http://daichinoie.blog6.fc2.com/

ブログの書き手本人がすでにお亡くなりになっているのだから、無理難題が突きつけられていると言わねばなるまい。ほかの人が書けばその広告を消すことはできるのだが、喜一さんが一人で書き継いできたブログだからそういうわけにはいくまい。だから、ページのトップに広告があるのは目障りだけれど、それは我慢してこのままの状態で残しておくより仕方がないということなのだろう。とりあえずそうしておけば、喜一ワールドにいつでもアクセスすることができるのだ。

この「里ふくろうの日乗」の場合はどうなるのだろうか。月々賃料を払ってサーバースペースを借りているのだから、書き手が亡くなってもトップページに広告記事が掲載されることはないだろう。しかし、銀行口座に預金があるから維持できているわけで、死後時を経て預金が底をついてしまえば、ネット社会の藻くずとなってはかなく消えてしまうのは明らかなことだ。

男性の平均寿命の歳を迎えるまではまだ間があるけれど、そろそろネット社会に見切りをつけて、現実の世界に軸足を移した方が良いのかもしれない。ネットの世界に息苦しさ・重苦しさが漂い始めてきた今が、その時期なのだろう。それはとりもなおさず、ネットというデジタル社会からアナログの世界へと回帰することを意味している。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

ヒカリエより渋谷の街を俯瞰する

〔9階より〕
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〔8階より〕
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posted by 里実福太朗 at 00:38| 里ふくろうの日乗

2013年08月26日

猛暑一服、ゴーヤーは季節の先取り

昨日と今日は最高気温が30度をきり、さしもの猛暑も勢いが衰えてきたことがうかがえる。昨夜はいつもは回す扇風機を止め、薄い上掛けを一枚足してやすんだ。やはり気温が30度を下まわると過ごしやすくなる。ただ予報では、この涼しさも明日まででまた暑い日が戻ってくるらしい。

食卓を飽きるほど賑わしてくれたゴーヤーも、その勢いにかげりが見え始めた。あおあおとした葉に黄化した部分が増え、茶色に変色して網棚からダラリと垂れ下がってしまった葉も増えている。あいかわらず雄花・雌花は咲き続けているがいるが、その数は減少傾向にあり、せっかく受粉しても成長する気配を見せずにそのまま朽ちてしまうものも多くなってきた。今年は紅葉する時期がかなり早まっている。

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posted by 里実福太朗 at 23:08| 里ふくろうの日乗

2013年08月25日

藤圭子さんの人柄を偲ばせる映像

藤圭子さんが西新宿のマンションから身を投げた日は、ちょうど私の誕生日の日だった。昨年、父親が亡くなった時の歳に並び、それから一年、父親にとって生きることのできなかった月日を重ねて、オヤジより一つ年上になった。そんな日に命を絶った人がいる。来年、またその日を迎えることができたなら、、きっとその人のことが思い出されてくるような気がする。

YOUTUBEで藤圭子さんの動画を探していたら、故人の人がらを偲ばせるような映像にたどり着いた。以下にリンクを設けておく。

〔面影平野〕 1978年
井上順が司会をしている番組に藤圭子さんが出演した時の映像。
北海道に住む祖母とスタジオで再会する場面がおさめられている。その、おばあさんのほほえましいキャラクターが心に残ります。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fl4flamTTQ4

〔面影平野★宇崎チーム☆藤 圭子〕
宇崎竜童のバンドをバックにツナギ(?)を着て熱唱する藤圭子。隣には若き日の宇崎竜童さん、アンちゃんぶりが板についています。
ウタダヒカルが、『ユーチューブで見たかーちゃんかっこよかったのに、削除されてた』とつぶやいたとか、真偽のほどは分かりません。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gplqmF8-498

〔乱れ髪〕
いつも直立不動に近い姿勢で歌うのに、珍しく振りをつけて歌う。歌い終わったあと、照れくさそうに小走りで逃げるように席に戻る様子がほほえましい。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=S52RHqEDAsU

posted by 里実福太朗 at 01:00| 里ふくろうの日乗

2013年08月24日

岩合光昭写真展「ねこ」

日本橋に続き渋谷でも、岩合ねこが猫好きの人の心に笑顔を届けていた。

渋谷ヒカリエ9Fのヒカリエホールで開催されている岩合光昭写真展「ねこ」展(8月25日まで)は、日本橋三越で行われた時と同様かなりの人で混雑していたが、会場が広かったせいか、少し離れたところから、そして近づいて繰り返し観るゆとりがあって、岩合さんの猫ワールドを堪能することができた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月23日

船橋市ご当地ゆるキャラ「ふなっしー」

船橋駅近くの文具・生活雑貨の大型店に、ゆるキャラ・ご当地キャラグッズのコーナーが設けらている。一番広いスペースが割り当てられているのは、船橋のキャラクターであることはもちろんのことである。

船橋のキャラクターには二種類があって、一つは公認キャラの「船えもん」、もう一つは非公認の「ふなっしー」である。船橋市が公認している「船えもん」の人気がいまひとつで「ふなっしー」に及ばないことから分かるように、公認されているからといって優位に立てるわけではない。「ふなっしー」の人気の源は、立場の弱い方を応援しようという判官贔屓の心情にあるのかもしれないが、それだけではなくキャラクターの斬新さにもよるのだろう。

さてくだんのご当地キャラグッズコーナーで大々的に販売されていたのは、当然の成り行きとして「ふなっしー」の方だった。近ごろは猫グッズ意外のものにはあまり興味を示さないのだが、そのコーナーを一通り見て回ってから不覚にも二つ買い求めてしまった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月22日

藤圭子さんを悼む

歌手の藤圭子さんが、マンション13階のベランダから転落して死亡したそうだ。午前7時頃のことで、飛び降り自殺ではないかとみられている。

【藤圭子さんが飛び降り自殺か 東京・新宿のマンションから転落死】
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130822/crm13082213100016-n1.htm
…msn・産経ニュース

今では宇多田ヒカルの母親と紹介されることの方が多いが、昭和44年に「新宿の女」でデビューして、翌年に「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットしたころのことを知っている者にとっては、藤圭子の娘が宇多田ヒカルなのである。

昭和44年・45年といえば、駆け出しのサラリーマンの時代で、川崎の小向工場でコンピュータのプログラム開発を担当していた。いわゆる高度経済成長第二期の中程にさしかかったころで、今のような閉塞感に覆われた社会情勢ではなかった。藤圭子が登場したのは、そんな時代を背景にしていた。

その時、藤圭子はまだ17・18歳で、幼さと鄙の雰囲気を漂わせていた。しかしそういう外見とはうらはらに、暗い色をたたえた瞳とドスのきいたハスキーボイスが、いかにも新鮮に響いたのだった。

作家の五木寛之さんが、亡くなった藤圭子さんに寄せたコメントが、朝日新聞デジタルに載っていた。

「藤圭子の衝撃、まちがいなく怨歌」五木寛之さん
http://www.asahi.com/culture/update/0822/TKY201308220390.html
…朝日新聞デジタル 2013年8月22日23時20分

「1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。これは『演歌』でも、『艶歌』でもなく、まちがいなく『怨歌』だと感じた。」

そうだ、その当時、五木さんは藤圭子の歌を『怨歌』と評していた。この記事を読んで、そんな40年以上も前のことを思い出した。

昭和46年8月に出版された「ゴキブリの歌」は、五木寛之さんの「風に吹かれて」に次ぐ随筆集で、毎日新聞の日曜版に連載された文章をまとめたものである。その中に「艶歌と援歌と怨歌」と題された一文がある。

その一文は「演歌」の原義を説くことから始まり、仇花としての「艶歌」への共感、また「援歌」への嫌悪感が綴られる。そして最後の部分で藤圭子が登場するのである。その部分を少し引用してみよう。

『藤圭子という新しい歌い手の最初のLPレコードを買ってきて、夜中に聴いた。彼女はこのレコード一枚残しただけで、たとえ今後どんなふうに生きて行こうと、もうそれで自分の人生を十分に生きたのだ、という気がした。…略…彼女のこのLPは、おそらくこの歌い手の生涯で最高の短いきらめきではないか、という気がした。』

そして少しおいて、藤圭子の歌を<艶歌>でも<援歌>でもなく、正真正銘の<怨歌>であると述べるくだりが続くのである。そして、藤圭子の行く末に不吉な予感を感じるのだった。

『だが、しかし、この歌い手が、こういった歌を歌えるのは、たった今この数ヶ月ではないか、という不吉な予感があった。これは下層からはいあがってきた人間の、凝縮した怨念が、一挙に燃焼した一瞬の閃光であって、芸として繰り返し再生産し得るものではないからだ。彼女は酷使され、商品として成功し、やがてこのレコードの中にあるこの独特の暗く鋭い輝きを失うのではあるまいか。』

藤圭子さんのその後の人生をたどってみれば、五木さんの予感とは遠からずと言っても良さそうな生き方だった。突然引退を表明して歌手の道を捨ててアメリカに渡ってみたり、芸名を変えて芸能界に復帰したり、再びもとの藤圭子に戻したりと、出口の見えない迷い道に入り込んでしまったかのような人生を送っている。

しかし、実は進んで行く道は見えていたのかもしれない、五木さんが指摘した彼女の不吉な道が。目を瞑ってその道に入り込まないようにしたことが、結局迷い道にばかり入り込んでしまうことにつながったのかもしれない。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=f9QsJo-j17c

〔圭子の夢は夜ひらく〜京都から博多まで〕youtube
http://www.youtube.com/watch?v=PpRthIn_IvM
1970年紅白 圭子の夢は夜ひらく 演奏 小野満とスイングビーバーズ
1972年紅白 京都から博多まで 演奏 ダン池田とニューブリード

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月18日

切手をはり忘れたハガキ

残暑見舞いのハガキを、切手を貼らずに出してしまった。裏面に写真を印刷するのに適したタイプのハガキで、50円切手を貼らなければならないのだが、それをうっかり忘れてしまったのだ。

たくさん実ったゴーヤーの写真をそのハガキに印刷している時は、切手を貼るのを忘れないようにと思っていたが、そのことを思い出したのは、ポストに投函して家に帰ってからのことだった。猛暑のせいなのか、それともいよいよボケが始まったということなのか。

料金の不足している郵便物はどう扱われるのか、持ち合わせている知識を呼び出してみても、こんなことしか思い浮かばない。
・不足料金は受取人が払う。
・ただし、受け取りを拒否することはできる。

相手の顔を思い浮かべてみれば、受け取りを拒否するとは思われず、結局のところ不足料金を払うことになってしまう可能性が大なのである。そうならば、すぐにでも不足分を送り届けるのが最善の策なのかもしれない。いったんはそう思ったが、すぐ思い直した。そういう場合、郵便局はどのように処理されるのだろうか、念のため調べてみることにした。

〔Q3. 料金不足の手紙はどうなるの?〕
料金不足の郵便物の場合下記の方法がとられます。
1)受取人に届く前に差出人に返送される
2)受取人に届いて不足額を支払う
3)受取人が不在だったり、支払いを拒否したりすると差出人に返送される
(郵便局のウェブサイトより)
http://www.post.japanpost.jp/navi/mame_faq.html

これによれば、『1)受取人に届く前に差出人に返送される』ことがあるということだ。それはどういう場合なのだろうか、その点については詳細が示されていない。他のウェブページを参照すると、次のような具体的な説明が示されていた。以下にポイント要約しておくことにする。

◇投函したポストの場所によって扱い方が異なる
1.差出人の住所が集配郵便局の配達管内である場合
 →差出人に返送される
2.差出人の住所が集配郵便局の配達管内ではない場合
 →受取人に配達される

今回切手なしのハガキを投函したのは、自宅から近い市内のポストだったから「1」の場合になりそうだ。案の定、次の日に以下のような注意書きが貼られて戻ってきた。おかげさまで、相手に不名誉な失態をさらけ出すことは避けることができた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月13日

血圧

身近なところに、毎日血圧を測って記録している人がいる。そういう人たちからお話を伺い、当方も寄る年波で健康に自信がある方ではないから、念のため血圧を測ってみようかと思い立ったのだった。買い求めた血圧計は、血圧計のベストセラーとされている製品で、さる方が使っていたものと同一のものだった。ついでに20秒で測れるという体温計も購入した。

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ヒョッとして血圧が高くて、脳卒中のリスクを抱えているかもしれないというような不安におびえながら暮らしていると、頭の中の血圧計がどんどん高くなって、それがもとでほんとうに高血圧になってしまうかもしれない。心因性高血圧というものもあるそうだから、自分の普段の血圧くらいは分かっていた方が良いに決まっている。というわけで、特に差し迫った事情があるというわけではないが、血圧をはかることを日課としたのだった。

血圧は、一般的に朝高く夜低いという傾向があるということだ。しかし私の場合は、朝が低く夜が高かった。毎日はかっているが、必ずそのような結果となった。

昔から朝が苦手で、朝のうちは頭がボンヤリとして、お昼が近づく頃になってやっと頭が回転し始めるのが常だった。勤めていた時は、そういう自分の傾向が分かっていたので、逆に早起きを心がけていた。エンジンが掛かるのに時間を要するのだから、少なくとも始業時間の3時間以上前には起床するようにしていた。だから勤めを辞めてうれしかったことの一つは、朝早く起きる必要がなくなり、自分の体の自然に逆らう必要がなくなったことだった。

今までは、朝起きるのが苦手だということは、朝のうちは血圧が低いことが理由なのかもしれないと漠然と思っていただけだった。しかし何日か血圧を測ってみて、朝の方が血圧が低いということが実際に数値として示されたのだから、やはり血圧と関連している可能性があるのだろうと理解しておいてもよさそうだ。

〔血圧 正常値・適正値を知りましょう〕



posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月11日

ネコ公園の新顔ミケちゃん

以前から、三毛の子ネコがエサをもらいにやって来るということは耳にしていた。ただ姿を現すのは早朝あるいは深夜ということだから、その姿を目にしたことはなかった。道路を挟んだお山の方からやって来るらしい。

自由人によればまだ警戒心が強く、エサを置いてその場を離れてあげないと食べに来ないということだ。エサをやる時間を工夫してもらって、昼間の時間帯に姿を現すように警戒心をといていくには少し時間が掛かりそうだった。

ある日のこと、自由人が
「来てる」
と言って慌ててエサを取りに行った。その三毛猫は、まだ鉄柵の向こう側にいた。エサを手にした自由人は、柵の手前の少し離れたところに置いて引き上げてきた。しばらくしてミケちゃんは、あたりを注意深くうかがいながらやっと出てきた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月10日

ネコ公園はセミしぐれ

今夏最も暑い日という昨日の予報の通り、都心では最高気温が37.4度を記録した。ネコ公園の猫たちは、今日も少しでも涼しい場所を求め、ダラリと身を横たえて過ごすよりしかたがなかっただろう。

この猛暑を喜んでいるのはゴーヤーだけではなかった。二・三日前、熱気に包まれたネコ公園を訪れた時、暑さを力にしてひときわ大きな声で鳴き続けていたのはセミだった。

陽射しを避けて大樹の陰のベンチで休んでいる時、ふと地面に目を落とすと、そこにはたくさんの小さな穴が口を開けていた。セミの穴である。薄明の頃には、その穴から幼虫たちがぞろぞろと抜け出して、木に登って脱皮する姿がそこかしこに見られることだろう。

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蒸し暑さのせいなのか、それともチクチクと背中に感じる痛みのせいなのか、たぶんその両方のせいなのだろう、テントの中の自由人は、まだ夜の明けきらないうちに目が覚めてしまった。背中の痛みの原因は何なのか。それを確かめようとして、恐る恐る手を背中にまわしてみた。

指先に触れたのは、少し大きな昆虫のようなものだった。毒を持つ虫だと面倒なことになる、慌ててシャツを脱いで薄明かりの中でその正体を見極めてみれば、意外にもセミの幼虫だった。
(オレの背中で脱皮しようとするなんて、間違うのにも程がある)
とつぶやきながら、シャツから引きはがして近くの木にとまらせてあげたのだった。

以上のことは、自由人から聞いた本当の話である。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

元気なのはゴーヤーだけ

この猛暑をものともせず、ますます勢いを増しているのはゴーヤーである。一時期その勢いが止まったかに見えたことがあったが、この暑さのおかげなのかまた勢いが戻ってきて、現在大小とり混ぜて30個ほどが網棚にぶら下がっている。

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今までで最大と思われるゴーヤー、長さ約30p、周囲約21p。

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posted by 里実福太朗 at 00:30| 里ふくろうの日乗

2013年08月09日

炎暑のネコ公園

池を渡る風が吹いてくれれば暑さも幾分かは和らぐのだが、その風がまったく吹いてくれない。池のほとりでは体温に近い空気がよどみ、身にまとわりつく熱気を払いのけようと扇子であおいでも、熱風がわき起こるだけでかえって暑さが増してくる始末なのである。

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涼しい場所を捜し出すことが得意な猫も、こうなってはお手上げで、人の目もはばからず無防備な姿をさらしていた。

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大食漢のネコも、好物の小魚の入ったエサを前にしても食欲がわかないのだろう、うつろな目を向けるだけだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月06日

朝から雷鳴が轟いた。今、各地で被害を出している局地的集中豪雨に見舞われそうな大気の状態だったが、さいわいなことにしばらくすると雷鳴は遠のいていった。

午後には再び雲行きが怪しくなり、千葉県北西部には大雨警報が出された。買い物から戻る頃には雨もひとしきり降ったが、豪雨とはならなかった。

雨があがった東の空に、虹がかかった。明日からは再び猛暑が復活するそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 22:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月05日

権藤はなよの詩碑巡り

権藤はなよ作「たなばたさま」の詩碑は、JR穴山駅の近く「穴山さくら公園」内に建つ。駅の南側に変電所があり、それをはさんでさらに南側にその公園がある。平成19年度に完成した新しい公園で、公園の北側には駐車場もある。この「穴山さくら公園」で詩碑の除幕式が行われたのは、七月七日の七夕の日のことだった。

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権藤はなよの詩碑は、この「たなばたさま」の碑のほかに8基、合計9基が穴山の里に点在している。今回の旅行では、そのうちの5基を確認することができた。以下、詩碑の写真とそこに刻まれている詩を載せておく。

1.穴山さくら公園
〔たなばたさま〕

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ささの葉 さらさら
のきばに ゆれる
お星さま きらきら
きんぎん すなご

ごしきの たんざく
わたしが かいた
お星さま きらきら
そらから みてる

2.夏目公民館
〔ないしょ ないしょ〕

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山葡萄 みつけた
まだまだ 青い
葉っぱのかげに かくせ
ないしょ ないしょ ないしょよ

山ぐみ 見つけた
まだまだかたい
葉っぱをかぶせて かくせ
ないしょ ないしょ ないしょよ

だれにも 言うな
小鳥も食むな
葉っぱのかげで あかく
こっそり こっそり こっそりよ

3.石水公民館
〔雲雀の子〕

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ちらほら麦の穂 出る頃は
雲雀の子供が 巣立ちます
ピーチク ピーチク ピーチクピ
朝もはよから 唄げいこ

そよそよ麦の穂 そよぐころ
雲雀の子供が 巣立ちます
一とび 二とび ぴょんととび
日暮れ頃まで とびげいこ

4.いとーくる伊藤窪公民館
〔願かけた〕

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お宮の石段 百五段
蟻の子供が 上ってく
切られたおひげの 伸びる様に
願かけませうと 言っていく

二十五段で 日が暮れて
五十五段 月が出た
月の明かりで 蟻の子は
宮に参って 願かけた

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5.穴山公民館(ふれあいホール)
〔雪こんこお馬〕

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雪こんこ降るに お馬が行くよ
お馬の鞍にゃ 雪こんこ白い

雪こんこお馬 冷たくないの
お馬の首も 雪こんこ白い

雪こんこお馬 どこまで行くの
お馬よ急げ 雪こんこ積もる

この詩碑が建つ穴山公民館(ふれあいホール)は、旧穴山小学校の跡地にある。穴山小学校は平成2年3月に廃校となり、116年の歴史に幕を閉じて校舎は取り壊された。今も残されているのは、校門の門柱・屋内運動場・グランドなどである。

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〔穴山小学校閉校之碑〕
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穴山の里の高台にあり、グランドからは甲斐の山々を見晴らすことができる。権藤はなよは、この穴山小学校を卒業したのち、東京に出て行くまでの一時期ここで教鞭をとった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月03日

「まるげ(○げ)」にまつわる不思議な偶然

告別式に参列したあと、アユミギャラリーへと向かった。折しも、企画写真展「蒼」が初日を迎え、故鈴木喜一さんの写真も展示されている。夕刻に予定されているオープニングパーティの時間までにはかなり間があるが、告別式の人波の中に身を置いて高ぶった心を鎮めるには、そのくらいの時間は必要だった。

ギャラリーに一歩足を踏み入れた時、思わず「げ」っと叫びそうになってしまった。居合わせた写真塾のYさんが身につけていたTシャツの背中に、大きく「まるげ」と記されていたからだ。先日訪ねた穴山でも、それと同じように「げ」を丸で囲んだ奇妙なマークに出くわしたことがあったのだ。

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うり二つの「○げ」を目にして、穴山で見たものと何らかの共通点があるかもしれない、と期待を込めてYさんに尋ねてみた。
「そのTシャツは、ひょっとして山梨の穴山のお店で買いました?」
唐突にそんなことを訊かれて、首をかしげているYさんの返事を聞く前に、あまりにも不思議な偶然に気が急いて、穴山で見た「○げ」について話し始めてしまったのだった。

墓参のために山梨に行った際、穴山まで足をのばして権藤はなよの詩碑を訪ねた。甲府と同じく穴山も暑かった。詩碑は全部で九基建立されたそうだが、同行の人の健康状態も気がかりなので、今回は半分程度を見て回ることにした。

「穴山さんぽ道−権藤はなよの世界−詩碑を訪ねて」という小冊子に載っていた地図を詩碑巡りの参考にした。その地図には、権藤(旧姓伊藤)はなよの生家あとも記されていた。同行の姉が、戦時中に穴山に疎開した際、その家にお世話になったということだった。

実は、以前穴山を訪ねた際にも探してみたことはあったが、藁葺き屋根だったその家は見つけ出せなかった。長い時を経て、取り壊されてしまったのかもしれなかった。しかしその地図には、はっきりと「権藤はなよ生家あと」と記されているのだから、何らかの痕跡が残されているのではないだろうか、あるいはすべてが失われてしまったとしても、記念碑のようなものが設けられているかもしれない、と手がかりを求めて穴山の里の曲がりくねった細い道を、NBOXは進んで行ったのだった。

「穴山さんぽ道」という地図はかなり大雑把で、そのせいだとは言いたくはないが、やはり道に迷って水田地帯へと出てしまった。青々と育ったイネを見ながら農道を走り、やっと里への上り口を見つけ急な坂道を上るあたりから、こんな標識が見え始めた。
「○げまで**m」
一体全体どんな意味を持つ標識なのか、ただ丸の中に「げ」があるだけでは皆目見当がつかない。

坂を登り切ったところにも同じような標識が立っていて、距離は短くなっていた。地図上の「権藤はなよ生家あと」が近づくにつれて、「○げ」までの距離数が次第に減ってゆく。そして最後に行き着いたのは、「○げ」用の駐車スペースだった。そこは「cafe ○げ」用として設けられていたのだった。

人騒がせな「○げ」は、どうやらカフェのようだった。それにしても、どうしてこんな人跡まれな山里にカフェなどがあるのだろうか。そんな疑問がわいてきたが、そこから少し歩いてみれば、たしかに古民家を改装したような造りの「○げ」があった。昼時を過ぎて空腹を覚えてきたところで、これ幸いと引き戸を開けようと試みたが鍵が掛かっていた。

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同行の義兄が、その家は屋根の形から想像すれば元は藁葺きだったかもしれない、場所的にも権藤はなよの生家あとの可能性が高いと言う。たしかに屋根の傾斜などを見れば、その説にはかなりの信憑性があると思われた。ただ残念なことに、そのことを示す説明板などは見あたらなかった。

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長々と話してしまったが、要はYさんが着用している「○げ」のTシャツは穴山のカフェ「○げ」と関係があるのではないかということを確かめたかったのだ。しかし、その答えは意外なものだった。
「この『○げ』は、サンダル屋さんですよ」
ネットで調べてみたところ、確かに「○げ」というサンダル屋さんがあった。葉山のビーチサンダル専門店だった。

〔げんべい〕
http://www.genbei.com/index.html

なお穴山の「○げ」は、ネットで調べてみると、隠れ家的カフェレストランとしていくつかの紹介記事が見つかった。それらによると、欧風料理を提供する店のようだった。営業時間は、18時から深夜2時までとなっていた。

〔食べログ〕
http://tabelog.com/yamanashi/A1902/A190202/19000153/

〔山梨珈琲日記〕
http://46324885.at.webry.info/200809/article_4.html

〔楽天ブログ〕
http://plaza.rakuten.co.jp/tokiwin/diary/200901220000/
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗