2008年08月24日

国際大会の『公平な環境』

北京オリンピックは、今日閉会式を迎えた。今花火が打ち上げられたが、開会式の足型花火がコンピューターグラフィックであったことを思い出せば、それらにも疑いの目を向けてしまう。凝った趣向などいらないから、あとはすんなりと終わってほしいと願うのだが、また開会式同様ショーが始まってしまった。

男子サッカーは予選リーグで全敗、野球はかろうじて決勝リーグに進めたが、そこでは一度も勝てなかった。野球は次回のロンドン大会では、公式競技からははずれるそうだ。それを残念に思う人もいるかもしれないが、イライラしながら観戦することが無くなるのだから、かえっていいのかもしれない。

そのイライラの原因は、準備不足とか、調子を崩している選手をわざわざ選ぶというようなことにもあるが、一番の原因は、『公平な環境』のもとで試合が行われなかったことにありそうだ。試合中の『公平な環境』を維持するのは審判員の役割だ。その審判員があやふやなジャッジをするなら、『公平な環境』は維持されない。

野球の審判はいろいろな国から選ばれていたのだが、彼らのジャッジがかなりぶれていた。今までボールと判定されていたコースが、あるとき急にストライクになってしまったりするのだ。たった一球で試合の流れが大きく変わってしまうことがあるのは、いまさら言うまでもないだろう。

テレビのコメンテーターの中には、選手がジャッジに対する不満を言うと、
「ジャッジのことを言ってはいけませんね」
などと、お決まりのセリフを言う御仁もいらっしゃる。そう言っておけば、コメンテーターの役割を果たしているとでも思っているようだ。しかし一番苦労した監督・選手たちがそれを口にしなければ、審判員の問題はいっこうに解決されないに違いない。

ジャッジに疑問が生じた場合には、ビデオで確認する競技もある。今後、野球もオリンピック以外で国際大会を行うこともあるだろう。審判員の問題をどうにかしないと、つまらない国際大会になることは必定である。そうならないように、『公平な環境』を維持できるような取り組みを始めてもらいたいものである。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗