2009年07月31日

墓場のヒグラシ

昨日とは打って変わって、涼しい朝を迎えた。午後になって陽差しが戻ってきたが、大気はヒンヤリとした状態が続き、短パンで過ごしているとときどきクシャミが出るほどで、とうとう我慢できず長いものに着替えた。

気温が下がると、とたんに蝉の鳴き声が聞こえなくなる。こんなふうに気温の上下がエレベーター状態を繰り返すのでは、暗黒の地下から地上に出てきて、羽根をのばして大空高く舞い上がり、思いっきり大きな声で歌い、セカンドステージを満喫しようとしていたセミにとっても、予想外の厳しいに夏になってしまうのかもしれない。

八ヶ岳南麓の小淵沢でも、もちろんセミの声は聞こえた。ダイニングレストラン「tomato」で夕食をとっている時には、窓の外からヒグラシの声が聞こえてきた。「tomato」は、比較的交通量の多い道路を曲がって少し入ったところにある。周囲には人家もなく、道の両側には手を加えられていない森が続く。そんな所に「tomato」の灯がポツンと点っていて、その明かりのとどかない森の中からカナカナという物悲しい響きが聞こえてきた。

以前、ヒグラシの鳴き声がほかのセミに比べて、あまりにも物悲しい響きをもっていることから、ヒグラシ族というセミの一族は、なにかしらとても悲しい歴史を背負っているのかもしれない、などと思ったこともあった。食後のコーヒーを飲みながらヒグラシの声に耳を傾けていると、そんなことも思い起こされ、なおいっそうのこと物悲しく聞こえてくるのだった。

そんな時、一緒に食事をしていた山荘の主がポツリと話し出した。だいたいのところ、次のような話だった。

彼は山陰地方の日本海側の土地で生まれ育った。陽が落ちてあたりがうす暗くなってくるころ、墓地に行き、灯籠に明かりを点すのは小さな子どもの役割だった。今のように区画整理され整然と墓石が並ぶ墓地ではなく、当時はまだ土葬が行われていて、死霊が一面に充ち充ちていそうな墓場と言った方がよさそうな場所だった。恐怖心というものは、いったんそれを意識すると、際限もなく膨れあがってきてしまうものだ。死霊たちが、子どものちっぽけな心を、恐怖心であふれさせてしまうことなどわけもないことなのだ。おまけに、薄暗闇を好むヒグラシが鳴き始めれば、恐怖の底に突き落とすための舞台装置はすべて整ってしまったも同然なのである。怖くて怖くてしかたなかったが、それでも灯籠に火を点しに行かなければならなかった。今でもヒグラシの鳴き声を聞くと、その時の恐怖心が蘇ってくる。

ヒグラシの鳴く薄暗闇の中、墓場の灯籠に火を点しに行くなどということは、想像しただけでも身の毛がよだつことだ。しかし考えようによっては、ヒグラシが鳴く場所は、墓場が最もふさわしいと言えるかもしれない。とぎれとぎれに響くヒグラシの悲しい声は、先祖の霊を呼び覚まし、灯籠の明かりのともる現世へといざなってくれるのだ。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗