昭和11年、父親は山梨の歌人・伊藤生更の長女と結婚した。新居を構えたのは、武蔵野市吉祥寺十一小路503番地、4年後の昭和15年には吉祥寺富士見通1881番地に転居、以後昭和43年に他界するまでそこに居住した。
実はその家は、権藤円立・はなよ夫妻が住んでいた家だった。権藤夫妻が五日市街道の北側に少し入った所の家に転居したあと、長女・次女を引き連れた両親が、その富士見通の家を借りて移り住んだのだった。
その吉祥寺の家を立ち退くはめになった事情は、書き始めると長くなるので別の機会に譲ることにして、このあとは昨日久しぶりで吉祥寺を訪れたことを書き留めておくことにする。「たなばたさま」を作詞した権藤はなよが、亡くなるまで住んでいた家はまだ残っているのだろうか、今はどうなっているのだろうか、そんなことを心に思い描きながら吉祥寺駅の北口に降り立ったのだった。

下の写真の左前方に、「ダイヤ街」への入口が見える。「ダイヤ街」は、吉祥寺に住んでいたころからすでにあった。
