ゼミでのご指導、そして就職の際にもお世話になったのに、卒業以来一度もご挨拶しないままになってしまうかもしれないと思い、出席に丸をつけたのだった。同じような思いを抱いた人が多かったのだろう、今回の出席者は例年の3倍ほどの人数だったそうだ。受付でいただいた出席者一覧表には、100人以上の氏名が記されていた。
こんなに参加者が多かったのに、同期の参加者は誰もいなかった。クラブと違ってゼミは縦のつながりが希薄だから、同期がいないとなると、「やあやあ、ひさしぶり」と言って談笑する相手もいない。手持ちぶさたを慰めるため、写真ばかり撮っていた。それにしても、ゼミ同期会には10人前後は集まるというのに、先生にもお会いできるゼミOBの全体会に一人も来ないのは、どういうことなんだろうか。
昨年に引き続き、今年も新卒者の就職難は続き、内定先が決まった学生はまだ57%程度らしい。その原因の一端が、大手の企業をねらうという学生たちの安定志向にあるにせよ、100社以上の採用試験をうけたという話を聞くと、過酷な状況に置かれた若者たちの将来を思い暗澹たる気持ちにもなってくる。
40年ほど前はまだコンピュータ産業の黎明期で、企業の多くは、コンピュータ関連の技術者候補学生を必要としていた。そういう社会状況の中で、同期の人たちの就職先は、東芝・日立・NEC・三菱、毎日新聞社・TBS、東京銀行、第一生命というような世間的に名の通った企業に次々と決まっていった。
しかし、私たちの就職先の多くは、自分たちで選んで決めたものではなかった。ゼミの先生から、○○クンはこの会社、○○さんはあの会社、という具合に割り当てられたものだった。先生からすれば、それぞれの学生の適正を見極めて会社を選んだのかもしれないが、自分がその会社を受験するに至った理由は分からなかった。
現在では、求人情報は就職課でまとめたものを学生たちに公開しているのだろうが、当時は企業の人事担当者が、直接ゼミの先生のもとに依頼したのだろう。割り振られた会社を拒否することもできたのかもしれないが、名の通った会社への就職が約束されている機会を、敢えて拒む学生はいなかった。
さて、就職してから5年が経ち、私は退社した。コンピュータ業界とはまったく違う世界、文学の分野に身を置いてみたいと思うに至ったからだった。同期の人たちの中にも、先生から紹介された会社を去っていった人は多かった。他の会社に移った人、退職して起業した人、あるいは郷里に戻って実家の商いを継いだ人、宗教の道に身を投じてしまった人もいた。卒業以来一貫して同じ会社に勤め、サラリーマン人生を全うした人の方がむしろ少なかった。
せっかく先生が紹介してくれた企業を、惜しげもなく捨てて別の道に進んだ同期の人たちは、そのことで先生に会うことへのためらいの気持ちが生まれ、OB会から足が遠のいていってしまったのかもしれない。
先生と二言三言の言葉をかわし、写真も十分撮ってしまってからは見の置き所もなくなり、会の途中で早々にいとま乞いをしたのだった。
