2013年07月31日

鈴木喜一さんを悼む

あまりにも突然の訃報だった。八ヶ岳から帰って来た次の日の午後、アユミギャラリーから一通のメールが届いた。タイトルは「訃報ご連絡」となっていた。どなたかがお亡くなりになったことを知らせるメールであることは分かるが、どなたなのだろうか、そんな疑問を抱きながら開いてみると、以下のような文言が記されていた。

鈴木喜一、病気療養中の処 7月30日午前3時48分永眠致しました(享年64歳)

鈴木喜一さんのブログ「大地の家」が、7月4日から更新されていないことが気がかりではあったが、いずれ新しい記事が載るものと思っていただけに、その知らせはすんなりと受け入れがたいものだった。

知らせていただいた内容に誤りなどあるはずはないのに、それを受け入れるためには少し時間が必要だった。アユミギャラリーのウェブサイトにアクセスして、トップページにリンクされていた「訃報について 2013.07.30」という記事を読み、次にブログ「大地の家」の「訃報ご連絡」に目を通し、さらにfacebookの[訃報告知]を確かめて、記載されている内容がすべて同じであることをが確認できれば、もはや事実として受け入れるより仕方がなかった。

〔訃報ご連絡〕
http://daichinoie.blog6.fc2.com/
大地の家 2013.07.30

写真塾に入ったことが鈴木さんとの接点を持つきっかけとなった。4年ほど前のことだ。以後、写真塾の講座の際、講座修了後の居酒屋での歓談の際などでご一緒したことがあった。そんな時、喜一さんは風のように現れ、ケータイ(後にスマートフォン)で写真を何枚か撮り、現れた時と同じく風のように去って行くことが多かった。そして、会がはねてから家に帰り「大地の家」を見ると、その時の記事が写真とともにアップされているのだった。

多才な人だった。ブログ「大地の家」には、こんな自己紹介が載っている。
『建築家×旅人×画家×文筆家×大学教師×神楽坂建築塾×ギャラリー運営他さまざまな活動を同時多発的に展開する。静岡出身の東京人、というか神楽坂を拠点とする地球人。』

怠惰な生活を送っている人間からみれば、そんなに仕事を抱えて大丈夫なのだろうか、と余計な心配をしてしまうほどの仕事量、何かに衝き動かされていなければ到底こなすことのできないほどの仕事量だったと想像する。

先日行われた写真塾の6月講座「お茶の水から神田須田町へ」が終わってから、「みますや」で歓談している時、例によってヒョッコリ喜一さんが姿を現した。その時は、こんな言葉を残してすぐ帰ってしまった。
「病気なんですよ」
最初は冗談めかして言ったのかと思ったが、様子を見て冗談ではないことが分かった。いつもの喜一さんではなかった。その時が、生前の喜一さんにお目にかかった最後となってしまった。

〔神楽坂写真塾の6月☆お茶ノ水から神田須田町へ〕
http://daichinoie.blog6.fc2.com/blog-entry-8102.html

今まで積み重ねてきた仕事が熟していくはずのその矢先で燃え尽きてしまった。私より二つ年下、早すぎる死と言わざるを得ない。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗