昨夜から今日の未明にかけて、台風17号が吹き荒れた。そして今日は、台風一過のさわやかな秋空が広がるだろうと思っていたが、台風が夏を呼び戻し、雲一つない青空が広がって、真夏を思わせる暑い一日となった。
強風のため、庭の草花は少し荒らされたが、そのほかの被害は、ゴーヤーの実が一つ、強風に煽られて落ちた程度だった。
2012年09月27日
庭は夏と秋とが混在だ
ゴーヤーは、まだがんばっている。二階のベランダまでのびたツルは、まだその先へのびようとしている。屋根の上には、大きくなった実が二つ寝転がり、さらに小さな実が新たに二つ生まれた。
彼岸花は続々と花を咲かせ、庭の一隅を赤く染め、それと競うようにアメジストセージが青紫の花を増やしている。それらの秋の花の上に、南国生まれのゴーヤーの実がぶら下がっている。
ミカンの実が二つ、かなり大きくなってきた。
彼岸花は続々と花を咲かせ、庭の一隅を赤く染め、それと競うようにアメジストセージが青紫の花を増やしている。それらの秋の花の上に、南国生まれのゴーヤーの実がぶら下がっている。
ミカンの実が二つ、かなり大きくなってきた。
posted by 里実福太朗 at 22:52| 里のつれづれ
2012年09月24日
2012年09月17日
ゴーヤー復活
今年のゴーヤーはこれで終わりだなと思った時期もあったが、9月に入っても真夏を思わせる暑い日が続き、ゴーヤーに元気が戻ってきた。昨日は3個を収穫し、2・3日後に収穫できそうなのがまだ5・6個ある。今日また、屋根の近くに子供が生まれているのを発見した。
木の上の方にからみついているゴーヤーは、脚立を使っても、さらに長バサミを使っても届きそうにもないから、熟すに任せてある。すでに割れ目が入っているから、そろそろ落下して来るに違いない。
ゴーヤーがたくさん採れるのはうれしいが、もうそろそろ終わりになってくれてもいいかな。この異常な暑さに終止符が打たれるなら、はなはだ身勝手ながら、ゴーヤーの季節が終わってくれる方が良い、そんな気分なのである。
なお、季語としての「苦瓜(ニガウリ)/茘枝(れいし)/ゴーヤー」は、ホトトギスの新歳時記(三版)では、秋の季節に入っている。秋は、8月〜10月をさす。確かに暦の上での立秋は過ぎたけれど、実感としてはまだ夏ですね。願いを込めて、腰折れを一句。
苦瓜や黄色くはじけて夏おわる
木の上の方にからみついているゴーヤーは、脚立を使っても、さらに長バサミを使っても届きそうにもないから、熟すに任せてある。すでに割れ目が入っているから、そろそろ落下して来るに違いない。
ゴーヤーがたくさん採れるのはうれしいが、もうそろそろ終わりになってくれてもいいかな。この異常な暑さに終止符が打たれるなら、はなはだ身勝手ながら、ゴーヤーの季節が終わってくれる方が良い、そんな気分なのである。
なお、季語としての「苦瓜(ニガウリ)/茘枝(れいし)/ゴーヤー」は、ホトトギスの新歳時記(三版)では、秋の季節に入っている。秋は、8月〜10月をさす。確かに暦の上での立秋は過ぎたけれど、実感としてはまだ夏ですね。願いを込めて、腰折れを一句。
苦瓜や黄色くはじけて夏おわる
posted by 里実福太朗 at 17:53| 里のつれづれ
2012年09月11日
ひでりの夏にゴーヤは豊作
雨の降らない暑い日が続き、首都圏の水瓶である利根川水系のダムの貯水量が激減し、取水制限が始まった。ここ佐倉でも状況は同じで、市の水道部から節水を呼びかけるメールが届いた。
この辺り一帯には、わき水に関係すると思われる地名も残っていて、以前は井戸を利用する家も多かったようで、その跡を見かけることもある。我が家の前の住人も、井戸を掘って使っていた。その井戸は、今も現役で働いてくれている。ここに転居してからしばらくは飲料水としても使っていたが、今は衛生面の心配から、庭の水まきなどにだけ使っている。
ひでりの今夏、ダムの水が干上がりそうになっても、その井戸は、今のところ涸れそうな気配はない。今日の夕方も、いつも通り、庭に水をまくことができた。
毎日…もちろん雨の降った日はしないが、そういう日はあまりなかった…水をまきながら、ゴーヤーの生育状態をチェックしてきた。そのゴーヤーも、すぐ数え終わってしまうほど少なくなってきた。今日のところで五つほど、花もあまり咲かなくなり、葉も黄ばんだものが多くなってきた。採るタイミングを逸して真っ黄色になったゴーヤーも、今はもうそのままぶら下げておいて、自然に落花するに任せている。
黄色に熟したものを含めて、40〜50位はなっただろうか、植えた苗は四つだったから、単純に平均すれば、一つの苗から、10個以上は採れたことになる。
この辺り一帯には、わき水に関係すると思われる地名も残っていて、以前は井戸を利用する家も多かったようで、その跡を見かけることもある。我が家の前の住人も、井戸を掘って使っていた。その井戸は、今も現役で働いてくれている。ここに転居してからしばらくは飲料水としても使っていたが、今は衛生面の心配から、庭の水まきなどにだけ使っている。
ひでりの今夏、ダムの水が干上がりそうになっても、その井戸は、今のところ涸れそうな気配はない。今日の夕方も、いつも通り、庭に水をまくことができた。
毎日…もちろん雨の降った日はしないが、そういう日はあまりなかった…水をまきながら、ゴーヤーの生育状態をチェックしてきた。そのゴーヤーも、すぐ数え終わってしまうほど少なくなってきた。今日のところで五つほど、花もあまり咲かなくなり、葉も黄ばんだものが多くなってきた。採るタイミングを逸して真っ黄色になったゴーヤーも、今はもうそのままぶら下げておいて、自然に落花するに任せている。
黄色に熟したものを含めて、40〜50位はなっただろうか、植えた苗は四つだったから、単純に平均すれば、一つの苗から、10個以上は採れたことになる。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ
2012年08月20日
ゴーヤーのなるミカンの木
ゴーヤーのツルが四方八方にのびて、いろいろな枝にからみついていることは、すでに記事にした。そして、そのツルにゴーヤーの実がなり、かなりの大きさになってきた。
ミカンの木には、二つの実がなった。そろそろ収穫してもよさそうなほど大きくなってきた。サザンカには、やはり二つの実がなった。そのうちの一つは、すでに収穫ずみだ。葉の重なりに隠れてぶら下がっている実もある。まだまだ、どこかの枝でひっそりとぶら下がり、日々生長を続けている実があるかもしれない。去年もそういう実があって、真っ黄色に熟してからやっと発見できたというようなこともあった。そうならないように、注意を怠らないようにしていくことにしよう。
ミカンの木には、二つの実がなった。そろそろ収穫してもよさそうなほど大きくなってきた。サザンカには、やはり二つの実がなった。そのうちの一つは、すでに収穫ずみだ。葉の重なりに隠れてぶら下がっている実もある。まだまだ、どこかの枝でひっそりとぶら下がり、日々生長を続けている実があるかもしれない。去年もそういう実があって、真っ黄色に熟してからやっと発見できたというようなこともあった。そうならないように、注意を怠らないようにしていくことにしよう。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ
2012年08月19日
にわか雨
庭でゴーヤーの撮影をしていた11時40分頃、にわかに空の雲行きが怪しくなり、どす黒い雲が青空を隠し始めた。ポツリと一滴の雨粒が、顔を打った。大型の双発飛行機が低空で飛行してきて、騒音を残して黒い雲の中へと消えていった。
昨日の10時過ぎ、市からお知らせメールが届いた。大雨・洪水注意報が発表されたことを知らせる内容だった。その日は、午後に写真塾の講座が予定されていて、メールを受け取ったあと出かけてしまった。実際に大雨が降ったかどうかの確認はできなかった。帰宅後、夫人から聞いた話では、雷が二回に分けて鳴り響き、雨も強く降ったということだった。
しかし今日は、大雨のお知らせメールは送られていなかった。黒い雲が出ているのは空の一部だけで、空の大部分は青空が占めていた。この分では大雨に襲われることはないだろう、と思っていたところ、12時をちょっと過ぎたころ、大粒の雨が屋根を打ちつけ始めた。間髪を入れず、隣の奥さんの、
「里実さん、雨ですよ!」
という叫び声が聞こえ、我が家も慌てて洗濯物の取り入れに庭に走った。
雨が激しく降っているというのに、空にはまだ青空が見えていた。ほんとうに局所的な雨だったのだろう。十数分間激しく降り続いたあと、ケロリと泣き止む子どものように、何ごともなかったかのように雨は降り止んだのだった。
昨日の10時過ぎ、市からお知らせメールが届いた。大雨・洪水注意報が発表されたことを知らせる内容だった。その日は、午後に写真塾の講座が予定されていて、メールを受け取ったあと出かけてしまった。実際に大雨が降ったかどうかの確認はできなかった。帰宅後、夫人から聞いた話では、雷が二回に分けて鳴り響き、雨も強く降ったということだった。
しかし今日は、大雨のお知らせメールは送られていなかった。黒い雲が出ているのは空の一部だけで、空の大部分は青空が占めていた。この分では大雨に襲われることはないだろう、と思っていたところ、12時をちょっと過ぎたころ、大粒の雨が屋根を打ちつけ始めた。間髪を入れず、隣の奥さんの、
「里実さん、雨ですよ!」
という叫び声が聞こえ、我が家も慌てて洗濯物の取り入れに庭に走った。
雨が激しく降っているというのに、空にはまだ青空が見えていた。ほんとうに局所的な雨だったのだろう。十数分間激しく降り続いたあと、ケロリと泣き止む子どものように、何ごともなかったかのように雨は降り止んだのだった。
posted by 里実福太朗 at 13:20| 里のつれづれ
2012年08月15日
終戦67年目の空
猛暑が戻り、庭に出ると強い日ざしが肌を射す。その強烈な日ざしのせいだろうか、それとも昨日まで吹きすさんだ強風のせいだろうか、ゴーヤーの葉の一部が黄ばんできて、中には枯れて茶色になるものさえ出てきた。ただ、実の生育状態に異常はなく、今日も5つを収穫して、収穫数はこれで合計10個となった。
こんな日には、航空機騒音もなおいっそう不快に響いてくる。高度を高くして飛んでくれれば、騒音もかなり軽減されるのに、不快指数が高い日に限って低空を飛行して騒音をまき散らす。
天気予報によれば、明日はさらに気温が上がり、熱中症に十分な注意が必要な日になるそうだ。そんな日には、節電のためにも家のエアコンを止めて、図書館にでも行って読書にいそしむことにしようか。
こんな日には、航空機騒音もなおいっそう不快に響いてくる。高度を高くして飛んでくれれば、騒音もかなり軽減されるのに、不快指数が高い日に限って低空を飛行して騒音をまき散らす。
天気予報によれば、明日はさらに気温が上がり、熱中症に十分な注意が必要な日になるそうだ。そんな日には、節電のためにも家のエアコンを止めて、図書館にでも行って読書にいそしむことにしようか。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ
2012年08月10日
今年もゴーヤーは豊作
回覧板を持って来た近所の人が、庭のゴーヤーを見るなり、
「お宅のゴーヤー、凄いことになっていますね」
と驚嘆の声を上げ、それが居間にいる私の耳にも響いてくる。
確かにゴーヤーは凄いことになっている。四方八方に伸びたツルは、あるものは屋根を越え、キジバトが巣をかけた庭で一番高い木のてっぺんに届き、サツキの枝に複雑にからみつき、椿の枝を経由して朝顔用のネットを横取りするほどになっている。
以前は雄花ばかりが咲いて、はたして実はなるのだろうかと心配した時期もあった。しかし、そんな心配は過去のものとなった。近ごろは、実を数えるのが日課となっている。今日も数えたところ、22個は確認できた。すでに三つ収穫しているから、それを加えると25個となる。
「お宅のゴーヤー、凄いことになっていますね」
と驚嘆の声を上げ、それが居間にいる私の耳にも響いてくる。
確かにゴーヤーは凄いことになっている。四方八方に伸びたツルは、あるものは屋根を越え、キジバトが巣をかけた庭で一番高い木のてっぺんに届き、サツキの枝に複雑にからみつき、椿の枝を経由して朝顔用のネットを横取りするほどになっている。
以前は雄花ばかりが咲いて、はたして実はなるのだろうかと心配した時期もあった。しかし、そんな心配は過去のものとなった。近ごろは、実を数えるのが日課となっている。今日も数えたところ、22個は確認できた。すでに三つ収穫しているから、それを加えると25個となる。
posted by 里実福太朗 at 23:38| 里のつれづれ
2012年08月05日
東の空に浮かぶ奇妙な雲
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里のつれづれ
2012年08月04日
今夏初収穫のゴーヤー
今年植えたゴーヤーの苗は、小振りの実がなるという品種だった。ネットから垂れ下がった実が、今よりさらに大きくなることは、もう期待できそうにもない。先端もかなり白っぽくなってきているので、思い切って収穫することにした。
今晩の夕食には、ゴーヤーチャンプルーが一品加わることになるだろう。
今晩の夕食には、ゴーヤーチャンプルーが一品加わることになるだろう。
posted by 里実福太朗 at 13:32| 里のつれづれ
2012年08月01日
猛暑を力にゴーヤーは育つ
posted by 里実福太朗 at 17:24| 里のつれづれ
2012年07月26日
猛暑の中ゴーヤはいよいよ元気
猛暑が続くなか、ゴーヤーは、追肥したことも功を奏したのか、青々とした葉を茂らせ、グッタリしている人間をよそ目に、ますます勢いが盛んになってきた。ただツルが四方八方に広がり始めた時に、交通整理しなかったのがたたり、近くの木に絡みつき好き勝手にのび放題、こうなってはもう彼らの思し召すままにさせておくより仕方がない。
雄花だけが咲いて雌花が咲かないのは以前と同じだ。去年の今の時期には、大きな実がたくさんなったいたのに、どうしたのだろうか。去年苗を植えた場所から少し離れた場所を選んで苗を植えたのだが、それでも連作障害が発生したのだろうか。それとも、買い求めた苗が、去年とは品種が違う安いものだったからか。
肝心のゴーヤの実は、今のところまだ二つ、うち一つはかなり大きくなった。写真手前が小さなもので、奥にもう少し大きなものがぶら下がっている。
雄花だけが咲いて雌花が咲かないのは以前と同じだ。去年の今の時期には、大きな実がたくさんなったいたのに、どうしたのだろうか。去年苗を植えた場所から少し離れた場所を選んで苗を植えたのだが、それでも連作障害が発生したのだろうか。それとも、買い求めた苗が、去年とは品種が違う安いものだったからか。
肝心のゴーヤの実は、今のところまだ二つ、うち一つはかなり大きくなった。写真手前が小さなもので、奥にもう少し大きなものがぶら下がっている。
posted by 里実福太朗 at 23:42| 里のつれづれ
2012年07月18日
2012年07月14日
セミの初鳴き
佐倉の城址公園で、今年初めて、ニイニイゼミの鳴き声を聞いた。そのことを、お孫さん(たぶん)をつれてトンボ採りに来ていたご老人に言ったところ、その近辺では二〜三日前に聞いたという話だった。
アオバズクのヒナを見ることを諦めて帰ろうとした時、その二人とすれ違った。虫かごにトンボがウジャウジャ入っているのを見かけて、
「たくさん採りましたね」
と声を掛けたところから、話がいろいろな方向に広がったのだった。その人の話では、ヒグラシの鳴き声も聞いたということだった。
家に帰ってからのこと、遠くの林の方からヒグラシの鳴き声が聞こえた。そろそろ梅雨明けが近づいているのだろう。
アオバズクのヒナを見ることを諦めて帰ろうとした時、その二人とすれ違った。虫かごにトンボがウジャウジャ入っているのを見かけて、
「たくさん採りましたね」
と声を掛けたところから、話がいろいろな方向に広がったのだった。その人の話では、ヒグラシの鳴き声も聞いたということだった。
家に帰ってからのこと、遠くの林の方からヒグラシの鳴き声が聞こえた。そろそろ梅雨明けが近づいているのだろう。
posted by 里実福太朗 at 23:49| 里のつれづれ
2012年07月05日
暑い日の過ごし方いろいろ
梅雨空はどこへ行ったのか、昨日も今日も蒸し暑い日だった。ネコは涼しい場所を見つける天才だが、自由ネコたちも、知恵を絞って涼しい場所を探し当て、思いおもいに過ごしていた。
ただ、ポン太に会うことはできなかった。ネコサポーターをはじめとして、いろいろな人に尋ねてみたが、多くは最近見てないという返事だった。夕べエサをもらいに来たらしいと言う人もいたが、その人が実際に見たということではないので、真偽のほどは定かではない。
ただ、ポン太に会うことはできなかった。ネコサポーターをはじめとして、いろいろな人に尋ねてみたが、多くは最近見てないという返事だった。夕べエサをもらいに来たらしいと言う人もいたが、その人が実際に見たということではないので、真偽のほどは定かではない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ
2012年06月30日
2012年06月21日
台風の贈り物の行方
台風4号が残していった傷だらけのブリキ板は、我が家の一部が強風に剥ぎ取られて飛んだものではなかった。当方で一時的に保管してはいるものの、どこかに所有者がいるはずだから、拾得物になる。となれば、勝手に処分することはできないということにもなる。
ただ、へこんだり折れ曲がったりで、哀れな状態になったブリキ板は、もう再生利用は望むべくもなかった。粗大ゴミとして廃棄するより仕方のない状態なのだ。所有者も分からないそんな状態のものは、もう処分するより仕方ないのだが、ところが処分するにしても、その費用がかかる。
台風4号の迷惑な置き土産は、どう扱ったらよいのか…いろいろ考えてみたが、なかなか良い解決策が浮かばなかった。このまま我が家であずかっているわけにもいかず、そこで、とりあえず市役所に相談してみることにした。
市役所には、いろいろな課があって、それぞれ担当する業務が細かく分かれている。ホームページで調べても、細分化され過ぎていてなかなか相談部署の見当がつかない。今思えば、まず代表電話番号にかけて、担当部署を教えてもらえばよかったのかもしれない。しかしホームページの迷路に入り込んでしまっては、なかなかそこから抜け出すことができない。結局、それらしい名称の課に電話をかけてみたのだった。
電話をかけた課では、そのようなものの扱いについては分からないということだったが、応対した職員は、担当部署を調べてみるから、いったん電話を切り改めて連絡すると返答してくれた。程なく、電話がかかってきた。先ほどの人ではなく、廃棄物を担当する部署の人だった。すぐにトラックで、落下物を受け取りに行くということだった。
30分ほどして、緑色のトラックが家の前で止まった。こうして台風の迷惑な贈り物は、トラックで運ばれていったのだった。予想外のすばやい展開で、あれよあれよという間に事は進み、一件落着となった。
ただ、へこんだり折れ曲がったりで、哀れな状態になったブリキ板は、もう再生利用は望むべくもなかった。粗大ゴミとして廃棄するより仕方のない状態なのだ。所有者も分からないそんな状態のものは、もう処分するより仕方ないのだが、ところが処分するにしても、その費用がかかる。
台風4号の迷惑な置き土産は、どう扱ったらよいのか…いろいろ考えてみたが、なかなか良い解決策が浮かばなかった。このまま我が家であずかっているわけにもいかず、そこで、とりあえず市役所に相談してみることにした。
市役所には、いろいろな課があって、それぞれ担当する業務が細かく分かれている。ホームページで調べても、細分化され過ぎていてなかなか相談部署の見当がつかない。今思えば、まず代表電話番号にかけて、担当部署を教えてもらえばよかったのかもしれない。しかしホームページの迷路に入り込んでしまっては、なかなかそこから抜け出すことができない。結局、それらしい名称の課に電話をかけてみたのだった。
電話をかけた課では、そのようなものの扱いについては分からないということだったが、応対した職員は、担当部署を調べてみるから、いったん電話を切り改めて連絡すると返答してくれた。程なく、電話がかかってきた。先ほどの人ではなく、廃棄物を担当する部署の人だった。すぐにトラックで、落下物を受け取りに行くということだった。
30分ほどして、緑色のトラックが家の前で止まった。こうして台風の迷惑な贈り物は、トラックで運ばれていったのだった。予想外のすばやい展開で、あれよあれよという間に事は進み、一件落着となった。
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里のつれづれ
2012年06月20日
台風4号の贈り物
台風四号は過ぎ去ったが、午後になっても時おり強い風が吹く。気温は28度、台風一過の蒸し暑さとなった。
昨夜は、台風の影響で叩きつけるように雨が降ることもあったが、それより増して我がもの顔に吹きすさんだのは風だった。突風は、荒波がひいてはまた押し寄せるように、間歇的にそして執念くうなり声をあげた。
夜半過ぎ、何か金属製の物が地面に叩きつけられる音が聞こえた。先ほどから強風が吹くたびに、家のそこかしこから不気味な音が聞こえてきて、家の一部が剥ぎ取られ、風にさらわれていってしまうのではないかと、不安に駆られている矢先の出来事だった。
すぐさま、手近に用意してあったヘルメットをかぶり、懐中電灯を手にして、風が渦巻く庭に出た。あの3.11の大地震以来、ヘルメットと懐中電灯はいつも身近に置いていたから、こんな時にも役に立つ。
庭をサッと見回してみたが、不審な物はなかった。
「道路の方よ」
二階から教えてくれたのは、夫人だった。かなり大きな音だったので、やはり気になったようだった。ただ、近隣の家々は、雨戸を固く閉めていて、明かりさえ漏れていなかった。
ほそ長い物体が、街灯の下に吹き寄せられていた。依然として衰えを知らない強風下では、放置しておけばまた吹き飛ばされて、住宅地のどこかに被害をもたらすかもしれない。回収して、とりあえず我が家の庭の隅に保管しておいた。
自分の家のどこかが壊れて飛ばされたのなら、修理をする必要があるかもしれない。家の回りを一巡りしてチェックしてみたが、そういう形状の物を使っていそうな箇所は見あたらなかった。近隣の家を、道路側からざっと見て回っても、何らかの被害を受けている様子は見つからなかった。となると、あの強風のために、もっと遠くの方から飛ばされてきた可能性も否定できない。
以下は再現画像。こんな具合に、街灯の下にあった。
昨夜は、台風の影響で叩きつけるように雨が降ることもあったが、それより増して我がもの顔に吹きすさんだのは風だった。突風は、荒波がひいてはまた押し寄せるように、間歇的にそして執念くうなり声をあげた。
夜半過ぎ、何か金属製の物が地面に叩きつけられる音が聞こえた。先ほどから強風が吹くたびに、家のそこかしこから不気味な音が聞こえてきて、家の一部が剥ぎ取られ、風にさらわれていってしまうのではないかと、不安に駆られている矢先の出来事だった。
すぐさま、手近に用意してあったヘルメットをかぶり、懐中電灯を手にして、風が渦巻く庭に出た。あの3.11の大地震以来、ヘルメットと懐中電灯はいつも身近に置いていたから、こんな時にも役に立つ。
庭をサッと見回してみたが、不審な物はなかった。
「道路の方よ」
二階から教えてくれたのは、夫人だった。かなり大きな音だったので、やはり気になったようだった。ただ、近隣の家々は、雨戸を固く閉めていて、明かりさえ漏れていなかった。
ほそ長い物体が、街灯の下に吹き寄せられていた。依然として衰えを知らない強風下では、放置しておけばまた吹き飛ばされて、住宅地のどこかに被害をもたらすかもしれない。回収して、とりあえず我が家の庭の隅に保管しておいた。
自分の家のどこかが壊れて飛ばされたのなら、修理をする必要があるかもしれない。家の回りを一巡りしてチェックしてみたが、そういう形状の物を使っていそうな箇所は見あたらなかった。近隣の家を、道路側からざっと見て回っても、何らかの被害を受けている様子は見つからなかった。となると、あの強風のために、もっと遠くの方から飛ばされてきた可能性も否定できない。
以下は再現画像。こんな具合に、街灯の下にあった。
posted by 里実福太朗 at 14:00| 里のつれづれ
2012年06月18日
つぎはぎだらけのゴーヤネット
ゴーヤの背丈が1メートルを超えてきて、いよいよネットを張らなければおいつかなくなってきた。昨年使ったネットは、どこかにしまっておいたはずなのだが、先日探してみたけれど見つからなかった。ところがその後、ひょんなことから庭の物置に入っているのが見つかった。
ネットは、去年とは違う場所に張ることにした。それは、一つにはゴーヤには連作障害があること、もう一つには緑のカーテンにするため、こういう二つの意図があってのことなのだ。それ故、ネットは昨年より多めに用意なければならないのだが、とりあえず、見つかった去年のネットだけを再利用してみることにした。
当然のことネットは、それを張る場所によって形状を工夫しなければならない。庭から二階のベランダにのばして張るためには、去年使ったネットのままではうまくできない。そこで切ってはつなぎ、切ってはつなぎ合わせることを何回か繰り返して、どうやら緑のカーテンにふさわしい形状に仕立て直すことができた。小一時間ほどかかってしまった。もちろんそれで終わりではない。次に、ネットを張る作業がある。こちらも意外と手間取って、さらに小時間を費やすことになってしまった。
バス停に行く途中にも、ゴーヤを育てている家がある。そこのゴーヤは、すでに黄色い花をつけていた。当方のゴーヤは、まだその気配はないが、そのうち、去年のようにたくさんの花をつけて、立派なゴーヤをたくさん実らせてくれることだろう。苦労して張ったゴーヤネットを見上げていると、青々と茂った葉の間から、大きなゴーヤがいくつも垂れ下がっている光景が目に浮かんできた。
ネットは、去年とは違う場所に張ることにした。それは、一つにはゴーヤには連作障害があること、もう一つには緑のカーテンにするため、こういう二つの意図があってのことなのだ。それ故、ネットは昨年より多めに用意なければならないのだが、とりあえず、見つかった去年のネットだけを再利用してみることにした。
当然のことネットは、それを張る場所によって形状を工夫しなければならない。庭から二階のベランダにのばして張るためには、去年使ったネットのままではうまくできない。そこで切ってはつなぎ、切ってはつなぎ合わせることを何回か繰り返して、どうやら緑のカーテンにふさわしい形状に仕立て直すことができた。小一時間ほどかかってしまった。もちろんそれで終わりではない。次に、ネットを張る作業がある。こちらも意外と手間取って、さらに小時間を費やすことになってしまった。
バス停に行く途中にも、ゴーヤを育てている家がある。そこのゴーヤは、すでに黄色い花をつけていた。当方のゴーヤは、まだその気配はないが、そのうち、去年のようにたくさんの花をつけて、立派なゴーヤをたくさん実らせてくれることだろう。苦労して張ったゴーヤネットを見上げていると、青々と茂った葉の間から、大きなゴーヤがいくつも垂れ下がっている光景が目に浮かんできた。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ
2012年06月13日
停電の原因は何だ
朝の六時前に、夫人の声で目が覚めた。いつもならまだ深い眠りに落ちている時刻に起こされたものだから、いっこうに頭が回らない。なかば夢うつつの状態でやっと理解したことは、ブレーカーが落ちてしまって電気が使えないということだった。
配電盤のある洗面所に行く途中で、以前にも同じようなことがあったことを思い出した。あの時もブレーカーが落ちてしまって、その原因を特定するのに手間取ったのだった。ヒョッとしてあの時と同じことが発生したのだろうか、と半信半疑ながらも記憶をさぐって、その時と同じように原因追及の手順を試してみた。
家の電気系統の配線は、五ブロックに分かれていて、それぞれのブロックに配電盤のスイッチが割り振られている。その五つのスイッチを、いったんすべてオフにしておいて、ブレーカーをオンに戻す。その後スイッチを一つ一つオンにしていき、あるスイッチをオンにした時にブレーカーが落ちれば、そのスイッチに対応した配線ブロックに何らかの問題があるはずなのだ。
スイッチ1on → 問題なし
スイッチ2on → 問題なし
スイッチ3on → 問題なし
スイッチ4on → 問題なし
この結果、スイッチ5に対応した配線ブロック5に問題があることが分かった。ブロック5には、井戸水汲み上げ用の電動モーターが設置されている。前回もこの電動モータに問題があった。今回もその可能性が高い。
電動モータの電源をオフにしてから、スイッチ5をonにしてみた。ブレーカーは落ちない。ブロック5内の電気器具は、問題なく使える。そこで、電動モーターのスイッチを入れてみたところ、ブレーカーは落ちてしまった。これで原因は特定できた。やはり前回と同じ箇所に問題があったのだ。
こうなると、問題を生じさせた原因も見当がつくというものだ。多分、アイツが悪さをしたに違いない。そう予想して、電動モータのカバーを取ってみたところ、やはりアイツがいた。部品と部品とをつなぐ配線の狭くなった部分に、アイツがへばりついていた。コイツの体を電流が流れて、ショートさせていたのだろう。ソイツを取り除けば一件落着となるに違いない。
前回もそうだった。コイツ一匹のためにブレーカーが落ちて、家の電化製品のすべてが使えなくなってしまったのだ。細長いヘラで、ナメクジを取り除き、あらためてスイッチ5をonにしてみた。今度は、ブレーカーは落ちなかった。
ナメクジ一匹のせいで、朝っぱらから大騒動となった。梅雨のジメジメした季節には、ナメクジが発生して、こんな事件を引き起こす。二度あることは三度ある、ということにならないように、ナメクジを防ぐ手立てを、考えておかねばなるまい。
配電盤のある洗面所に行く途中で、以前にも同じようなことがあったことを思い出した。あの時もブレーカーが落ちてしまって、その原因を特定するのに手間取ったのだった。ヒョッとしてあの時と同じことが発生したのだろうか、と半信半疑ながらも記憶をさぐって、その時と同じように原因追及の手順を試してみた。
家の電気系統の配線は、五ブロックに分かれていて、それぞれのブロックに配電盤のスイッチが割り振られている。その五つのスイッチを、いったんすべてオフにしておいて、ブレーカーをオンに戻す。その後スイッチを一つ一つオンにしていき、あるスイッチをオンにした時にブレーカーが落ちれば、そのスイッチに対応した配線ブロックに何らかの問題があるはずなのだ。
スイッチ1on → 問題なし
スイッチ2on → 問題なし
スイッチ3on → 問題なし
スイッチ4on → 問題なし
この結果、スイッチ5に対応した配線ブロック5に問題があることが分かった。ブロック5には、井戸水汲み上げ用の電動モーターが設置されている。前回もこの電動モータに問題があった。今回もその可能性が高い。
電動モータの電源をオフにしてから、スイッチ5をonにしてみた。ブレーカーは落ちない。ブロック5内の電気器具は、問題なく使える。そこで、電動モーターのスイッチを入れてみたところ、ブレーカーは落ちてしまった。これで原因は特定できた。やはり前回と同じ箇所に問題があったのだ。
こうなると、問題を生じさせた原因も見当がつくというものだ。多分、アイツが悪さをしたに違いない。そう予想して、電動モータのカバーを取ってみたところ、やはりアイツがいた。部品と部品とをつなぐ配線の狭くなった部分に、アイツがへばりついていた。コイツの体を電流が流れて、ショートさせていたのだろう。ソイツを取り除けば一件落着となるに違いない。
前回もそうだった。コイツ一匹のためにブレーカーが落ちて、家の電化製品のすべてが使えなくなってしまったのだ。細長いヘラで、ナメクジを取り除き、あらためてスイッチ5をonにしてみた。今度は、ブレーカーは落ちなかった。
ナメクジ一匹のせいで、朝っぱらから大騒動となった。梅雨のジメジメした季節には、ナメクジが発生して、こんな事件を引き起こす。二度あることは三度ある、ということにならないように、ナメクジを防ぐ手立てを、考えておかねばなるまい。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里のつれづれ
2012年06月12日
咲いたのはこんな花
昨日のつぼみが花開いて、その姿を見せてくれた。花の形はアヤメ(アイリス)の系統に連なるようだが、庭で見るのは今年が初めてのような気がする。アヤメ系統の花は、四月下旬のニオイイリスに始まり、イチハツを経てジャーマンアイリス・ダッチアイリスで終わることが例年の常だったから、6月に入って咲き始める花の記憶はなかった。
同じアヤメ系の花にカキツバタがあって、ちょうど今ごろ咲くけれど、水中で生育するのだから我が家の庭で咲くはずはない。アヤメ系統の花で、六月頃に咲くものとしては、花菖蒲がある。それも湿地を好むとされているが、咲いた花の中央下部に黄色の筋があるところからみて、花菖蒲と考えて良いのだろう。梅雨の頃の代表的な花の一つということだから、季節の面でも合っている。さて花の種類は分かったが、今年に限ってどうして花菖蒲が咲いたのだろうか、という疑問は残る。
同じアヤメ系の花にカキツバタがあって、ちょうど今ごろ咲くけれど、水中で生育するのだから我が家の庭で咲くはずはない。アヤメ系統の花で、六月頃に咲くものとしては、花菖蒲がある。それも湿地を好むとされているが、咲いた花の中央下部に黄色の筋があるところからみて、花菖蒲と考えて良いのだろう。梅雨の頃の代表的な花の一つということだから、季節の面でも合っている。さて花の種類は分かったが、今年に限ってどうして花菖蒲が咲いたのだろうか、という疑問は残る。
posted by 里実福太朗 at 15:20| 里のつれづれ
2012年06月11日
2012年05月10日
ヒョウが降る
電気量販店で買い物をすませ、車で家に戻る途中のことだった。にわかに空が黒い雲で覆われ、ほどなく雨が降り出した。信号待ちしている間に、雨は激しさを増して吹き降りとなり、空を見上げれば、黒い雲が猛スピードで流れていく。風に煽られて、車が揺れ始める。ぴょっとして、竜巻が近づいているのかもしれない。数日前にあったばかりの竜巻被害の映像が蘇ってきた。
家に向かって走っていいる間にも、雨風はさらに強まり、夕暮れ時のように暗くなってくる。ライトをつけて走る車が増えてくる。フロントガラスに、白く光る小指大のつぶてが当たり、パシパシと音を立て始める。運転席の周囲四方を、パンパンという衝撃音が取り囲む。せっかくの新車が、デコボコ状態になりはしないかと心配になる。
家の駐車スペースに車を駐めた時も、ヒョウは降り続いていた。雷も鳴っている。逃げ込むように家に入り、テレビをつけて情報収集、しかしどの局もノンビリとしたもので、この事態への対応のお粗末さを露呈していた。千葉テレビも、地元のケーブルテレビもそうだった。緊急時に、いち早く情報を提供できる即時性がこういったメディアの命なのに、みずからそれを捨ててしまっているのだった。
夜のニュース番組では、ヒョウがかなり広範囲で降ったことを伝えていた。竜巻の被害は、さいわい今回はなかったようだ。車には被害はなかったが、ただ一つ咲き残っていたイチハツの花は、茎が途中で折れて地面を向いて垂れ下がっていた。ゴーヤは、無事だった。
家に向かって走っていいる間にも、雨風はさらに強まり、夕暮れ時のように暗くなってくる。ライトをつけて走る車が増えてくる。フロントガラスに、白く光る小指大のつぶてが当たり、パシパシと音を立て始める。運転席の周囲四方を、パンパンという衝撃音が取り囲む。せっかくの新車が、デコボコ状態になりはしないかと心配になる。
家の駐車スペースに車を駐めた時も、ヒョウは降り続いていた。雷も鳴っている。逃げ込むように家に入り、テレビをつけて情報収集、しかしどの局もノンビリとしたもので、この事態への対応のお粗末さを露呈していた。千葉テレビも、地元のケーブルテレビもそうだった。緊急時に、いち早く情報を提供できる即時性がこういったメディアの命なのに、みずからそれを捨ててしまっているのだった。
夜のニュース番組では、ヒョウがかなり広範囲で降ったことを伝えていた。竜巻の被害は、さいわい今回はなかったようだ。車には被害はなかったが、ただ一つ咲き残っていたイチハツの花は、茎が途中で折れて地面を向いて垂れ下がっていた。ゴーヤは、無事だった。
posted by 里実福太朗 at 23:30| 里のつれづれ
2012年04月30日
イチハツや佐倉の里の侘住まい
今日、イチハツが咲いた。イチハツが咲くと、条件反射のように正岡子規の次の歌を思い出す。
いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす
病床にある子規がイチハツの花を見て、この歌を詠んだのが根岸の里でのこと、俳句の革新にも足跡を残した子規を偲び、次のような句をひねり出してみた。
イチハツや佐倉の里の侘住まい
実は、当方は俳句のたしなみなどないから、「根岸の里の侘住まい」を、ちょっと拝借したのだ。この言い回しは実に便利で、頭に適当な五音を付け加えるだけで、たちどころに一句を物することができる。たとえば、中村草田男の有名な句、
降る雪や明治は遠くなりにけり
から「降る雪や」を借りてくれば、
降る雪や根岸の里の侘住まい
ということになり、なぜかピッタリとおさまってしまう。かように便利な言葉なのであるが、当方が居住する地は佐倉なので、「佐倉の里の侘住まい」としたのである。
私が目覚めた時には、一つだけ咲いたイチハツの花は、すでに仏前に供えられていた。庭で咲いた状態を撮りたかったのだが、当方が遅く起きたのだから、仕方がない。足腰が弱って、自由に庭に下りていくことができなくなった母親が、生前、庭に咲くイチハツを見て、子規と同じように歌を詠んだことがあったのだから、イチハツが咲けば、まず仏前の備えるのが道理なのである。
いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす
病床にある子規がイチハツの花を見て、この歌を詠んだのが根岸の里でのこと、俳句の革新にも足跡を残した子規を偲び、次のような句をひねり出してみた。
イチハツや佐倉の里の侘住まい
実は、当方は俳句のたしなみなどないから、「根岸の里の侘住まい」を、ちょっと拝借したのだ。この言い回しは実に便利で、頭に適当な五音を付け加えるだけで、たちどころに一句を物することができる。たとえば、中村草田男の有名な句、
降る雪や明治は遠くなりにけり
から「降る雪や」を借りてくれば、
降る雪や根岸の里の侘住まい
ということになり、なぜかピッタリとおさまってしまう。かように便利な言葉なのであるが、当方が居住する地は佐倉なので、「佐倉の里の侘住まい」としたのである。
私が目覚めた時には、一つだけ咲いたイチハツの花は、すでに仏前に供えられていた。庭で咲いた状態を撮りたかったのだが、当方が遅く起きたのだから、仕方がない。足腰が弱って、自由に庭に下りていくことができなくなった母親が、生前、庭に咲くイチハツを見て、子規と同じように歌を詠んだことがあったのだから、イチハツが咲けば、まず仏前の備えるのが道理なのである。
posted by 里実福太朗 at 23:23| 里のつれづれ