ヴァレッタのアッパー・バラッカ・ガーデンは、マルタで一番眺めの良い場所なのだそうだ。たしかに、庭園のテラスから眺めおろす景色はすばらしい。眼下に広がるグランドハーバーから目を上に転ずれば、対岸のスリーシティーズが一望に見渡される。
こういう場所には、きっと猫が住み着いているだろうと見当をつけ、園内を見学しながら猫の気配をとらえるべく五感を研ぎ澄ませていると、三毛猫が目の前を急ぎ足で通り過ぎて行った。追いかけてみたものの、残念ながら植え込みに姿を消してしまった。
2013年04月03日
アッパー・バラッカ・ガーデンの猫
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年03月03日
城塞都市バレッタ
ヴァレッタは、マルタ島東部シベラス半島にあるマルタ共和国の首都である。シベラス半島は北東に細長く突き出た半島で、その南東の対岸には三つの小さな半島が北西に突き出ている。一番西側の半島にある町がセングレア、その東隣の半島にあるのがヴィットリオーザ、それらの南側にあるのがコスピークワ、以上の三つの町をまとめてスリーシティーズと呼ぶ。聖ヨハネ騎士団が最初に築いた町々である。
グーグルの航空写真で見ると、その地勢は一目瞭然である。
▼バレッタのアッパーガラッカガーデン展望デッキから望むグランドハーバーと対岸のスリーシティーズ
地中海の真ん中に位置するマルタは、交通の要所としての重要性から、さまざまな国に侵略され支配されてきた。16世紀に入り、聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)が領有することなった後も、オスマン帝国からの攻撃を受け、騎士団はヴァレットなる人物を団長に据え、4ヶ月に及ぶ戦闘の末撃退する。バレッタという首都名は、彼の名前に由来する。
この時の経験を元に、さらに強固な難攻不落の都市として計画されたのがバレッタなのである。半島の周囲は急峻な崖で囲まれ、天然の要塞を成している。さらにその上端は分厚い防塁が取り囲み、敵の侵入を拒んでいる。城塞都市と呼ばれるゆえんである。
城壁の内側に設けられた急な石段を登っていくと、バレッタ中心部の平坦な街並みが迎えてくれる。その中心街に、先ほどの騎士団長の館や聖ヨハネ准司教座聖堂などの歴史的建造物が残されている。
▼騎士団長の館
▼聖ヨハネ准司教座聖堂
バレッタは、ホテルのあるセントジュリアンズから見れば東南の方角にある。街の外れの高台からその方角を眺めると、はるか遠くにあの食品スーパー「アルカディア」が入っている高層ビル「ポルトマッソタワー」が見えた。
▼バレッタから見る「ポルトマッソタワー」
▼海上から見るバレッタ
グーグルの航空写真で見ると、その地勢は一目瞭然である。
▼バレッタのアッパーガラッカガーデン展望デッキから望むグランドハーバーと対岸のスリーシティーズ
地中海の真ん中に位置するマルタは、交通の要所としての重要性から、さまざまな国に侵略され支配されてきた。16世紀に入り、聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)が領有することなった後も、オスマン帝国からの攻撃を受け、騎士団はヴァレットなる人物を団長に据え、4ヶ月に及ぶ戦闘の末撃退する。バレッタという首都名は、彼の名前に由来する。
この時の経験を元に、さらに強固な難攻不落の都市として計画されたのがバレッタなのである。半島の周囲は急峻な崖で囲まれ、天然の要塞を成している。さらにその上端は分厚い防塁が取り囲み、敵の侵入を拒んでいる。城塞都市と呼ばれるゆえんである。
城壁の内側に設けられた急な石段を登っていくと、バレッタ中心部の平坦な街並みが迎えてくれる。その中心街に、先ほどの騎士団長の館や聖ヨハネ准司教座聖堂などの歴史的建造物が残されている。
▼騎士団長の館
▼聖ヨハネ准司教座聖堂
バレッタは、ホテルのあるセントジュリアンズから見れば東南の方角にある。街の外れの高台からその方角を眺めると、はるか遠くにあの食品スーパー「アルカディア」が入っている高層ビル「ポルトマッソタワー」が見えた。
▼バレッタから見る「ポルトマッソタワー」
▼海上から見るバレッタ
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年02月19日
バレッタの街並み
マルタから二ヶ月以上もかかってやっと届いたの例の絵はがきについて、アカイヌさんが新たな情報を夫人に教えてくれたそうだ。それによれば、絵はがきの消印は、
2012年12月1日 午後7時
となっていて、37セント(1ユーロは100セント)の切手が二枚貼られていたそうだ。
ということは、絵はがきはホテルから郵便局へとちゃんと届けられたということで、その後何らかの問題が発生したものと思われる。それにしても長い寄り道だった。二通の絵はがきは仲よくどこをどう巡ってきたものか、想像するのもおもしろい。
さて、マルタ共和国の首都バレッタのことに戻ろう。バレッタまでは、ホテル近くのバス停から小一時間かかる。ホテル周辺は郊外の新興住宅地という感じだが、バレッタには古い建物がいたるところに残っていて、歴史の重みを感じさせる街並みが続く。
地図で見れば一目瞭然だが、通りは碁盤目のように整然と区切られている。バスターミナルから北東に延びるメインストリートは人通りが多いが、それと直角に交わる路地に入っていくと、無人の街に足を踏み入れたような錯覚に陥るが、時おり通り過ぎる人の姿や、出窓に見える物などが、人びとの暮らしがそこにあることを教えてくれる。
2012年12月1日 午後7時
となっていて、37セント(1ユーロは100セント)の切手が二枚貼られていたそうだ。
ということは、絵はがきはホテルから郵便局へとちゃんと届けられたということで、その後何らかの問題が発生したものと思われる。それにしても長い寄り道だった。二通の絵はがきは仲よくどこをどう巡ってきたものか、想像するのもおもしろい。
さて、マルタ共和国の首都バレッタのことに戻ろう。バレッタまでは、ホテル近くのバス停から小一時間かかる。ホテル周辺は郊外の新興住宅地という感じだが、バレッタには古い建物がいたるところに残っていて、歴史の重みを感じさせる街並みが続く。
地図で見れば一目瞭然だが、通りは碁盤目のように整然と区切られている。バスターミナルから北東に延びるメインストリートは人通りが多いが、それと直角に交わる路地に入っていくと、無人の街に足を踏み入れたような錯覚に陥るが、時おり通り過ぎる人の姿や、出窓に見える物などが、人びとの暮らしがそこにあることを教えてくれる。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年02月17日
マルタからやっと届いた絵はがき
マルタから日本のアカイヌさんに送った絵はがきが、最近になってやっと届いたそうだ。夫人によれば、マルタの宿泊先のホテルから、日本に戻る前に届くようにとエアーメールで送ったそうだが、日本に帰ってからアカイヌさんにたずねてみたらまだ届いていない由、都心に住む息子にも出してあった故、確かめてみると、そんなもんは届いてないよ、と素っ気ない返事だったそうだ。
依頼したフロントの女性が、まだ新米さんのようでまごまごしていたから、何かの手違いで船便になってしまったのだろうか、もし船便扱いになってしまったのなら、マルタから日本までどのくらいの日数が掛かるのだろう。しかし、大きな荷物ならともかく、絵はがきを船便で送る人などいるのだろうか。
夫人は確かにエアーメールと表書きしたという。船便扱いになってしまった可能性が低いとすれば、フロント係の女性が何らかのミスをして、ほかの書類の中に紛れ込んでしまい、まだホテル内のどこかに留まっている可能性だってあるかもしれない。
重ねられた書類の中なのか、船に乗せられてどかの海をのんびりと航海しているのか、それとも乗るべき飛行機を間違えて、地球のどこかを飛んでいるのだろうか、マルタから帰って来た当座は、多少の興味をもって絵はがきの行方を想像してみたりしたのだが、年が改まりマルタ旅行の記憶が薄れていくにしたがって、いつしか絵はがきのことも忘却の彼方へと遠ざかっていってしまった。
その絵はがきが、二ヶ月も経ってやっと届いたということなのだ。アカイヌさんに届いたなら、息子にも届いているかもしれないと問い合わせてみたら、最初は届いてないという返事だったが、その後もう一度郵便受けを確かめに行ってみたら、絵はがきが入っていたそうだ。
かくしてマルタから日本に宛てた二通の絵はがきは、二ヶ月にも及ぶ長旅を終え、やっと日本にたどり着いたのだった。一体どこを巡りめぐって来たんだろうと疑問は尽きないが、その一方でよくぞ無事に届いたものだという驚きも禁じ得ず、ここは長旅の労苦をねぎらってやることにしておこうか。
我が身を顧みれば、絵はがきのことばかり責めるわけにはいかない。当方のマルタの旅も、やっとバレッタに着いたところで止まってしまっていたのだから。そろそろネコをさがしに、バレッタの町を歩きまわってみようか。
依頼したフロントの女性が、まだ新米さんのようでまごまごしていたから、何かの手違いで船便になってしまったのだろうか、もし船便扱いになってしまったのなら、マルタから日本までどのくらいの日数が掛かるのだろう。しかし、大きな荷物ならともかく、絵はがきを船便で送る人などいるのだろうか。
夫人は確かにエアーメールと表書きしたという。船便扱いになってしまった可能性が低いとすれば、フロント係の女性が何らかのミスをして、ほかの書類の中に紛れ込んでしまい、まだホテル内のどこかに留まっている可能性だってあるかもしれない。
重ねられた書類の中なのか、船に乗せられてどかの海をのんびりと航海しているのか、それとも乗るべき飛行機を間違えて、地球のどこかを飛んでいるのだろうか、マルタから帰って来た当座は、多少の興味をもって絵はがきの行方を想像してみたりしたのだが、年が改まりマルタ旅行の記憶が薄れていくにしたがって、いつしか絵はがきのことも忘却の彼方へと遠ざかっていってしまった。
その絵はがきが、二ヶ月も経ってやっと届いたということなのだ。アカイヌさんに届いたなら、息子にも届いているかもしれないと問い合わせてみたら、最初は届いてないという返事だったが、その後もう一度郵便受けを確かめに行ってみたら、絵はがきが入っていたそうだ。
かくしてマルタから日本に宛てた二通の絵はがきは、二ヶ月にも及ぶ長旅を終え、やっと日本にたどり着いたのだった。一体どこを巡りめぐって来たんだろうと疑問は尽きないが、その一方でよくぞ無事に届いたものだという驚きも禁じ得ず、ここは長旅の労苦をねぎらってやることにしておこうか。
我が身を顧みれば、絵はがきのことばかり責めるわけにはいかない。当方のマルタの旅も、やっとバレッタに着いたところで止まってしまっていたのだから。そろそろネコをさがしに、バレッタの町を歩きまわってみようか。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年02月05日
バスに乗ってバレッタまで
マルタには電車がない。公共交通機関はバスだけである。移動手段は、徒歩・自転車・バス・タクシーそしてフェリーである。ホテルから首都バレッタに行くには、バスかタクシーを利用することになる。ただし、タクシーはまず値段交渉しなければならないと聞いていたので、そんな面倒なことはしたくないから、自ずとバスを利用することになってしまう。
以前は、バスの持ち主が路線バスを運行するという珍しいシステムだったそうだが、今は普通の運行システムになっている。運賃は乗車距離で決まるのではなく、以下のように時間で決められている。
2時間券…2.20ユーロ
一日券…2.60ユーロ
7日券…12.00ユーロ
ホテルにからバレッタへ行くには、ルート13のバスを利用する。一番近いバス停は、Pembroke「Portanier」で、ホテルから歩いて10分足らずの所にある。
前ドアから乗車し、チケットを前もって購入していない場合は、ドライバーから購入する。降車する場合は、次のバス停を示す車内の電光表示板を確認して、日本のワンマンカーと同じようにボタンを押して知らせる。
途中で乗り込んできた二人連れの女性と、向かい合わせに座ることになった。どんなきっかけだったのかは思い出せないが、夫人と会話が弾み…当方はどんな話をしているのかほとんどチンプンカンプンだったが、二人が親子でイギリスから来ているということは分かった。バレッタの手前で二人が下車する際、その老婦人は、夫人の頬に顔を寄せてキスをした、そして私にまで…当方にとっては思いがけないことではあったが、その老婦人が暮らす国では自然な別れの挨拶だったのかもしれない。
【バレッタのバスターミナル】
以前は、バスの持ち主が路線バスを運行するという珍しいシステムだったそうだが、今は普通の運行システムになっている。運賃は乗車距離で決まるのではなく、以下のように時間で決められている。
2時間券…2.20ユーロ
一日券…2.60ユーロ
7日券…12.00ユーロ
ホテルにからバレッタへ行くには、ルート13のバスを利用する。一番近いバス停は、Pembroke「Portanier」で、ホテルから歩いて10分足らずの所にある。
前ドアから乗車し、チケットを前もって購入していない場合は、ドライバーから購入する。降車する場合は、次のバス停を示す車内の電光表示板を確認して、日本のワンマンカーと同じようにボタンを押して知らせる。
途中で乗り込んできた二人連れの女性と、向かい合わせに座ることになった。どんなきっかけだったのかは思い出せないが、夫人と会話が弾み…当方はどんな話をしているのかほとんどチンプンカンプンだったが、二人が親子でイギリスから来ているということは分かった。バレッタの手前で二人が下車する際、その老婦人は、夫人の頬に顔を寄せてキスをした、そして私にまで…当方にとっては思いがけないことではあったが、その老婦人が暮らす国では自然な別れの挨拶だったのかもしれない。
【バレッタのバスターミナル】
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年02月04日
マルタ島サンジュリアンズのベイストリートあたり
マルタ島サンジュリアンズのベイストリートあたりは、マルタで2番目の繁華街らしい。すれ違う人と肩が触れ合いそうになるほど狭い坂道の両側には、ネオンまたたく飲食店が軒を並べ、坂道にしつらえられた階段を上り下りしていると、たしかにそのことが実感となって伝わってくる。
その雰囲気は、渋谷や新宿などの繁華街と相通じるものがあると感じられる。坂道を伴うという点を入れれば、より渋谷に近いと言うべきであろうか。ただ、繁華な街並みが続くのはそれほど広くない限られた地域である。渋谷をかなりコンパクトに圧縮したという感じの街である。
posted by 里実福太朗 at 23:40| ★マルタ紀行
2013年02月03日
黒猫のエサ場はドアの前
アルカディアの行き来には、ベイストリートを経由することが多かった。海沿いの道と所要時間はあまり違わなかったが、ある日の宵、アルカディアからベイストリートへ向かう途中で、黒猫と出会うことがあって、もう一度そんな機会が訪れることを願ってのことだった。
その時黒猫は、とある家の戸口の前で夕ごはんをもらって食べていた。その家の飼い猫であるのかどうかは分からない。ただ、ドアの外でエサをもらっているところをみると、いわゆる地域猫として面倒をみてもらっていたのかもしれない。
近づいてカメラを構えても逃げようとはせず、一心不乱に食べていた。警戒心を抱かせないように言葉を掛けながら撮影していると、その声が聞こえたのだろうか、ドアが開いて人の影が見えた。初老の人のようで、顔は逆光でよく見えなかったが、全体的な様子からは穏やかそうな雰囲気の人に感じられた。
「グッドイブニング」とでも挨拶すればよかったのかもしれないが、こちらの様子をジッと見据えている様子なので、猫を撮っているのだということを分かってもらうために写真を撮り続けていた。しばらく張り詰めた空気が漂っていたが、こちらが猫に害を及ぼすことはなさそうだと見て取ったのか、そのうち家の中に入っていった。
その後何回かベイストリートを通ることがあったが、その黒猫と出会うことはなかった。
その時黒猫は、とある家の戸口の前で夕ごはんをもらって食べていた。その家の飼い猫であるのかどうかは分からない。ただ、ドアの外でエサをもらっているところをみると、いわゆる地域猫として面倒をみてもらっていたのかもしれない。
近づいてカメラを構えても逃げようとはせず、一心不乱に食べていた。警戒心を抱かせないように言葉を掛けながら撮影していると、その声が聞こえたのだろうか、ドアが開いて人の影が見えた。初老の人のようで、顔は逆光でよく見えなかったが、全体的な様子からは穏やかそうな雰囲気の人に感じられた。
「グッドイブニング」とでも挨拶すればよかったのかもしれないが、こちらの様子をジッと見据えている様子なので、猫を撮っているのだということを分かってもらうために写真を撮り続けていた。しばらく張り詰めた空気が漂っていたが、こちらが猫に害を及ぼすことはなさそうだと見て取ったのか、そのうち家の中に入っていった。
その後何回かベイストリートを通ることがあったが、その黒猫と出会うことはなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:53| ★マルタ紀行
2013年01月28日
アルカディアのレジシステム
アルカディアのレジのシステムは、日本のスーパーマーケットとはちょっと違う点がある。購入商品をレジカゴに入れて持って行くところまでは同じだが、そこから先が違うのだ。
各レジには担当者が一人ずつ座っている。その前には、幅の広いベルトが横たわっていて、客自身がカゴの中の商品を取り出してそのベルトの上に置く。直前の客の品物との間には、区別するための仕切り用の棒が置かれる。そして前の客の精算が終わると、レジ係がベルトを手動で前に送って次の商品のブロックを手もと近くに導く。
レジ係は商品を一つ一つベルトから取り上げてスキャンしていく…これは日本と同じ。スキャンが終わったものは、その先のスキャン済みの商品溜まりに転がす。少し傾斜があって商品がコロコロと転がっていくのだ。客はそれを待ち受けて、レジ袋に入れていく。
商品溜まりのものがすべて捌けてから、レジ係は次の客の品物をスキャンして転がす。だから、手際よくどんどん袋に入れていかないと、レジ係の仕事を遅らせることになってしまう。
最初は物珍しさも手伝って、転がっていく様子をボンヤリと見ていた。全部の商品が転がり落ちてから、おもむろに袋に入れ始めたのだが、それでは遅かった。入れ始めた時には、レジ係はもう次の客の品物を手にして、こちらの袋詰め作業が終わるのを待っていたのだ。焦りながら袋に入れている時、チラッと見たレジ係の顔は明らかに苛立っていた。
レジにどんと座っている係は、若い女性が多かった。一様に無表情で、袋詰めでまごまごしている客がいて、スキャンの流れが滞るといらだちを隠そうとしなかった。座りっぱなしで単純作業を繰り返していれば、ストレスはどんどんたまって無愛想になっていくはずで、その点は理解できる。ただそうであっても、無愛想な顔を見せられればこちらも不愉快な気持ちになってしまう。
これは、やはりレジシステムに問題があるということなのだろう。前の客が袋詰めを完了してからでないと、次の客のスキャンに取りかかれない点に問題があるのだ。この点を改善しないと、レジ係のストレスが消えることはなく、客が不愉快な気持ちになるという悪循環を断ち切ることはできないであろう。
各レジには担当者が一人ずつ座っている。その前には、幅の広いベルトが横たわっていて、客自身がカゴの中の商品を取り出してそのベルトの上に置く。直前の客の品物との間には、区別するための仕切り用の棒が置かれる。そして前の客の精算が終わると、レジ係がベルトを手動で前に送って次の商品のブロックを手もと近くに導く。
レジ係は商品を一つ一つベルトから取り上げてスキャンしていく…これは日本と同じ。スキャンが終わったものは、その先のスキャン済みの商品溜まりに転がす。少し傾斜があって商品がコロコロと転がっていくのだ。客はそれを待ち受けて、レジ袋に入れていく。
商品溜まりのものがすべて捌けてから、レジ係は次の客の品物をスキャンして転がす。だから、手際よくどんどん袋に入れていかないと、レジ係の仕事を遅らせることになってしまう。
最初は物珍しさも手伝って、転がっていく様子をボンヤリと見ていた。全部の商品が転がり落ちてから、おもむろに袋に入れ始めたのだが、それでは遅かった。入れ始めた時には、レジ係はもう次の客の品物を手にして、こちらの袋詰め作業が終わるのを待っていたのだ。焦りながら袋に入れている時、チラッと見たレジ係の顔は明らかに苛立っていた。
レジにどんと座っている係は、若い女性が多かった。一様に無表情で、袋詰めでまごまごしている客がいて、スキャンの流れが滞るといらだちを隠そうとしなかった。座りっぱなしで単純作業を繰り返していれば、ストレスはどんどんたまって無愛想になっていくはずで、その点は理解できる。ただそうであっても、無愛想な顔を見せられればこちらも不愉快な気持ちになってしまう。
これは、やはりレジシステムに問題があるということなのだろう。前の客が袋詰めを完了してからでないと、次の客のスキャンに取りかかれない点に問題があるのだ。この点を改善しないと、レジ係のストレスが消えることはなく、客が不愉快な気持ちになるという悪循環を断ち切ることはできないであろう。
posted by 里実福太朗 at 01:21| ★マルタ紀行
2013年01月25日
フードストア「アルカディア」
ポルトマッソタワーの足もとにあるの「アルカディア(arkadia)」は、食料品を中心にしたスーパーマーケットで、生鮮食料品からお総菜類まで何でもそろっていた。酒類も扱っていてワインの品数も多く、その陳列棚の前に立つとさてどれにしようかと悩むことになる。
調理して食べるというわけではないので、手軽に食べられる物、たとえば果物・チーズ・調理パン・サンドウィッチそれからお寿司なども買った。リンゴなどは買おうと思えば一個から買うこともできる。売り場には専属の店員さんがいて、買いたい物を選んで持って行くと料金を計算して袋に入れてくれる。それをほかの商品と一緒にレジに持って行き、まとめて精算する方式だった。
なにしろ店員さんは一人で対応しているから、混雑してくると待たされることがある。日本のようにきちんと行列するという習慣はないのだろう、店員さんをぐるりと取り囲むようにして待つことになる。待っている人は、次は自分の番だなと見当を付けて待っているのだが、ズルをして順番をごまかそうとする輩もいる。
いよいよ夫人の順番が回ってきた時、すぐ横にいた若者がすばやく店員さんに商品を渡そうとした。虚を突かれてひるんでいると、その若者の横にいた年配の女性が、その若者に何やら強い口調で言い始めた。もちろん英語だから、当方にその内容は分からなかったが、それを聞いた若者は、店員さんに差し出した品物を引っ込めた。そして順番通り夫人が料金を計算してもらうことができたのだった。あとで夫人に確かめたところ、その年配の女性は若者に順番を守るようにたしなめたということだった。
セルフサービスが主の店だから、店内に入って商品を選び、レジで精算して店の外に出るまで一言も英語を話さずに用をすませることもできる。ただし商品によっては、多少の英語を使わなければならない場面もある。といっても、英語で表記されている商品名と購入個数を店員さんに告げるだけではあるが…
店内を物色しながら歩き回っていると、調理パンを販売しているコーナーがあった。陳列ケースにはおいしそうなミートパイが並んでいた。それを食べたいという欲求がムラムラとわき上がり、その願望を押しとどめることができなくなってしまった。
奥の方にいた若い女性店員に「エクスキューズミー」と声を掛け、陳列ケースを指さしながら、
「ミートパイ」
と言ってみた。それだけで通じたらしく、店員はミートパイを取り出し皿の上に置いた。個数を言うのを忘れたことに気づき、
「ワン」
と付け加えた。ところが店員は、首をかしげて不可解な顔をしている。一個だけでいいんだよ、と心の中で思ってもそういう複雑なことを英語で言えないからもう一度、
「ワン」と言った。店員は、さらに続く言葉を待っている様子なので、
「ディス ワン、ワン」
と言ってやったのだ。何回も続けざまにワンワンを繰り返したものだから、イヌにでもなった気分だった。ところがそれだけワンを繰り返したのに、店員は首をかしげるばかりだった。
このやり取りを聞いていた少し年かさの女性店員が、若い店員に何やら耳打ちをした。それを聞いた店員は、先ほどお皿にのせたミートパイを電子レンジに入れて温め始めた。そして年かさの店員が、
「チャイニーズ?」
と訊くものだから、
「ノン、ジュ ヌ スュイ パ シノア。ジュ スュイ ジャポネ」
と答えておいた。英語はダメだけれど、フランス語なら少しは話せるのだ。
ミートパイ一つを買うために、こんなに苦労するとは思ってもみなかった。あの若い女性店員は、客扱いになれていない学生アルバイトだったのかもしれない。なおミートパイは、2ユーロ50セントだった。現在1ユーロは120円を超えてしまったが、その頃はまだ100円をすこし超える位だったから、日本円で250円ほどだった。
またミートパイは贅沢品に入るようで、18%の消費税が加えられていた。18%の消費税はかなり高い感じがするが、生活必需品には軽減税率が採用されているから、マルタの人は重税が課せられているという意識はあまり持っていないのかもしれない。
調理して食べるというわけではないので、手軽に食べられる物、たとえば果物・チーズ・調理パン・サンドウィッチそれからお寿司なども買った。リンゴなどは買おうと思えば一個から買うこともできる。売り場には専属の店員さんがいて、買いたい物を選んで持って行くと料金を計算して袋に入れてくれる。それをほかの商品と一緒にレジに持って行き、まとめて精算する方式だった。
なにしろ店員さんは一人で対応しているから、混雑してくると待たされることがある。日本のようにきちんと行列するという習慣はないのだろう、店員さんをぐるりと取り囲むようにして待つことになる。待っている人は、次は自分の番だなと見当を付けて待っているのだが、ズルをして順番をごまかそうとする輩もいる。
いよいよ夫人の順番が回ってきた時、すぐ横にいた若者がすばやく店員さんに商品を渡そうとした。虚を突かれてひるんでいると、その若者の横にいた年配の女性が、その若者に何やら強い口調で言い始めた。もちろん英語だから、当方にその内容は分からなかったが、それを聞いた若者は、店員さんに差し出した品物を引っ込めた。そして順番通り夫人が料金を計算してもらうことができたのだった。あとで夫人に確かめたところ、その年配の女性は若者に順番を守るようにたしなめたということだった。
セルフサービスが主の店だから、店内に入って商品を選び、レジで精算して店の外に出るまで一言も英語を話さずに用をすませることもできる。ただし商品によっては、多少の英語を使わなければならない場面もある。といっても、英語で表記されている商品名と購入個数を店員さんに告げるだけではあるが…
店内を物色しながら歩き回っていると、調理パンを販売しているコーナーがあった。陳列ケースにはおいしそうなミートパイが並んでいた。それを食べたいという欲求がムラムラとわき上がり、その願望を押しとどめることができなくなってしまった。
奥の方にいた若い女性店員に「エクスキューズミー」と声を掛け、陳列ケースを指さしながら、
「ミートパイ」
と言ってみた。それだけで通じたらしく、店員はミートパイを取り出し皿の上に置いた。個数を言うのを忘れたことに気づき、
「ワン」
と付け加えた。ところが店員は、首をかしげて不可解な顔をしている。一個だけでいいんだよ、と心の中で思ってもそういう複雑なことを英語で言えないからもう一度、
「ワン」と言った。店員は、さらに続く言葉を待っている様子なので、
「ディス ワン、ワン」
と言ってやったのだ。何回も続けざまにワンワンを繰り返したものだから、イヌにでもなった気分だった。ところがそれだけワンを繰り返したのに、店員は首をかしげるばかりだった。
このやり取りを聞いていた少し年かさの女性店員が、若い店員に何やら耳打ちをした。それを聞いた店員は、先ほどお皿にのせたミートパイを電子レンジに入れて温め始めた。そして年かさの店員が、
「チャイニーズ?」
と訊くものだから、
「ノン、ジュ ヌ スュイ パ シノア。ジュ スュイ ジャポネ」
と答えておいた。英語はダメだけれど、フランス語なら少しは話せるのだ。
ミートパイ一つを買うために、こんなに苦労するとは思ってもみなかった。あの若い女性店員は、客扱いになれていない学生アルバイトだったのかもしれない。なおミートパイは、2ユーロ50セントだった。現在1ユーロは120円を超えてしまったが、その頃はまだ100円をすこし超える位だったから、日本円で250円ほどだった。
またミートパイは贅沢品に入るようで、18%の消費税が加えられていた。18%の消費税はかなり高い感じがするが、生活必需品には軽減税率が採用されているから、マルタの人は重税が課せられているという意識はあまり持っていないのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年01月21日
アルカディアの猫は誰を待つ
陽のあるうちにホテルを出ても、アルカディアに着く頃にはネオンが輝き始めている。その日の夕方もそんな感じだった。夫人はすでに店の中に入っていったが、私といえば、店の隅に置かれた開店・閉店時間を知らせる案内板の影に、何やらうごめくものがいるのに気づき、それからというものは買い物に来たことをほぼ忘れ、その場に留まっていたのだった。
その案内板には、次のように記されていた。
OPENING HOURS
MONDAY-SATURDAY
8AM-9PM
SUNDAY
8AM-8PM
多くの商店は、土日は休業となるということだから、朝早くから夜遅くまで、そして休日も営業しているということは旅行者にとってもありがたいことだ。
さて、案内板の影にちらっ他見えた姿は、にょきっと延びるシッポが見えるに及び、それが猫であることが分かった。そんなところで何をしているのか、勢いよく飛び出して来て全身があらわになったことでそれも分かった。猫は、小さく丸められた紙つぶてを追いかけ回して遊んでいたのだ。
店に出入りする人を気にすることもなく一心不乱に遊び続けていた。さすがに疲れたのだろうか、動きがピタリとやみ階段にごろりと横になってしまった。そしてやおら身を起こすと、店に向かって居ずまいを正した。
店の中にいる誰かを待っているのだろうか。何人もの人が店から出てきたが、猫を見て足を止める人はなく、みな脇を通り過ぎて行った。それでも、根気強く待ち続けていた。夫人が店の中に入ってから、もうだいぶ時間が経ったはずだ。店内を覗いてみたが、まだレジには姿が見えなかった。
店の前で、猫が人待ち顔で座っている光景は、ここではありふれた光景なのだろうか。その後も猫に近寄る人は誰一人となく、それでも猫は根気強く座り続けていたが、とうとう諦めたのだろうか、店を後にして車道を渡って向かい側の家の階段を上り始めた。そして壁を伝って窓枠の縁に座った。
その家の飼い猫なのだろうか、それともエサをくれることがあるのだろうか。家の中から人の気配が感じられることはなかったのだろう、こんどはあっさり諦めて今来た道を後戻りして地上に戻った。そして夜の街へ姿を消した。この後の行方は分からない。
その案内板には、次のように記されていた。
OPENING HOURS
MONDAY-SATURDAY
8AM-9PM
SUNDAY
8AM-8PM
多くの商店は、土日は休業となるということだから、朝早くから夜遅くまで、そして休日も営業しているということは旅行者にとってもありがたいことだ。
さて、案内板の影にちらっ他見えた姿は、にょきっと延びるシッポが見えるに及び、それが猫であることが分かった。そんなところで何をしているのか、勢いよく飛び出して来て全身があらわになったことでそれも分かった。猫は、小さく丸められた紙つぶてを追いかけ回して遊んでいたのだ。
店に出入りする人を気にすることもなく一心不乱に遊び続けていた。さすがに疲れたのだろうか、動きがピタリとやみ階段にごろりと横になってしまった。そしてやおら身を起こすと、店に向かって居ずまいを正した。
店の中にいる誰かを待っているのだろうか。何人もの人が店から出てきたが、猫を見て足を止める人はなく、みな脇を通り過ぎて行った。それでも、根気強く待ち続けていた。夫人が店の中に入ってから、もうだいぶ時間が経ったはずだ。店内を覗いてみたが、まだレジには姿が見えなかった。
店の前で、猫が人待ち顔で座っている光景は、ここではありふれた光景なのだろうか。その後も猫に近寄る人は誰一人となく、それでも猫は根気強く座り続けていたが、とうとう諦めたのだろうか、店を後にして車道を渡って向かい側の家の階段を上り始めた。そして壁を伝って窓枠の縁に座った。
その家の飼い猫なのだろうか、それともエサをくれることがあるのだろうか。家の中から人の気配が感じられることはなかったのだろう、こんどはあっさり諦めて今来た道を後戻りして地上に戻った。そして夜の街へ姿を消した。この後の行方は分からない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年01月13日
ホテル「ラディソン ブル リゾート」からスーパーマーケット「アルカディア」までの徒歩ルート
ホテルに着いて一休みしてから、添乗さんがマルタでは数少ないスーパーマーケットの「アルカディア」まで連れて行ってくれるというので、私たちもその一行に加わった。ホテルのレストランを利用しないということになれば、外食か食料を買い込んで部屋で食事をとるということになる。当方は後者、部屋食派を通したのでアルカディアにはだいぶお世話になった。
アルカディアまでは約1.6キロメートル、Googleマップ のルート案内では徒歩で20分となっている。実際に歩いてみると、もう少々かかるような気がする。帰りは坂道を上るので、往復で1時間はかかると思っておいた方が良い。
マルタで一番背の高いポルトマッソタワーの直下にあるから、もし道に迷ったらそのタワーを見つけて…スカイツリーのようにいろいろな場所から見える…そこを目指して行けば必ずたどり着ける。
大きな地図で見る
Googleストリートビューの撮影隊は、まだマルタには行っていないようで、写真は載ってはいるが今ひとつセントジュリアンの街の様子がつかめない。そこで、歩きながらパチパチ撮っておいた写真を、道順に従って載せておくことにする。
〔さあ出発〕


…左側はマリーナホテル、カフェでパンやケーキを二度ばかり購入

…前方の赤いバスは、「ホップオン・ホップオフ」という巡回観光バス

…セントジョージア湾を左下に見ながら進む、前方左上にタワーの先端が見える

…坂を下るとセントジョージア湾の人工の砂浜が見えてくる

…右側の道はベイストリート、この道の方が近道になるが、湾沿いの道を進む



…ルート120のバスが通る

…左に「Westin Dragonara Hotel」

…タワーが間近に迫ってきた、もうすぐ到着だ

…右にAlexandra Hotel が見える


…黒猫発見

…猫を追いかけているうちにアルカディアに到着

アルカディアまでは約1.6キロメートル、Googleマップ のルート案内では徒歩で20分となっている。実際に歩いてみると、もう少々かかるような気がする。帰りは坂道を上るので、往復で1時間はかかると思っておいた方が良い。
マルタで一番背の高いポルトマッソタワーの直下にあるから、もし道に迷ったらそのタワーを見つけて…スカイツリーのようにいろいろな場所から見える…そこを目指して行けば必ずたどり着ける。
大きな地図で見る
Googleストリートビューの撮影隊は、まだマルタには行っていないようで、写真は載ってはいるが今ひとつセントジュリアンの街の様子がつかめない。そこで、歩きながらパチパチ撮っておいた写真を、道順に従って載せておくことにする。
〔さあ出発〕



…左側はマリーナホテル、カフェでパンやケーキを二度ばかり購入

…前方の赤いバスは、「ホップオン・ホップオフ」という巡回観光バス

…セントジョージア湾を左下に見ながら進む、前方左上にタワーの先端が見える

…坂を下るとセントジョージア湾の人工の砂浜が見えてくる


…右側の道はベイストリート、この道の方が近道になるが、湾沿いの道を進む



…ルート120のバスが通る

…左に「Westin Dragonara Hotel」

…タワーが間近に迫ってきた、もうすぐ到着だ

…右にAlexandra Hotel が見える


…黒猫発見


…猫を追いかけているうちにアルカディアに到着

posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年01月08日
マルタのホテル「ラディソン ブル リゾート」
やっとたどり着いたマルタ島セントジュリアンのホテル「ラディソン ブル リゾート」、このホテルで数日間を過ごす。それだけにホテルの居心地が気になるところだ。客室の広さ・設備そしてスタッフの宿泊客への接し方などだ。なにしろ格安ツアーだから多くは期待できないにしても、マルタでは五つ星ホテルの範疇に入るということだから、ある程度は期待したくもなる。
それで実際にはどうだったのか。いくつか不便・不満と感じた点はあったが、全体的な大雑把な印象でとらえれば、まァ及第点だったと言えよう。減点要素の一つはレストラン、料金設定が比較的高く、利用した人の話によれば日本人にとっては量がかなり多いということだった。もう少し気軽に利用できるレストラン、あるいは軽食をとることのできるカフェのような施設があればよかった。
また客室内の冷蔵庫、一時代前の日本の旅館・ホテル方式で、中のものを取り出すと(動かすと)課金されるという旧式な仕組みだった。日本の気の利いた旅館・ホテルなら空の冷蔵庫が置かれていて、スーパー・コンビニなどで買い込んできた品物を入れて冷やすことができるようになっていることも多い。500ミリリットル入りのミネラルウオーターが一本5ユーロもするのでは、利用する人は誰もいまい。使われない冷蔵庫を部屋の飾りとして置いておくという無駄を考えれば、有効に利用してもらえる方法に転換した方がホテルに対するイメージもずっとよくなる。
ついでながらミネラルウオーターについて言えば、滞在中よく利用したスーバーマーケットのアルカディアでは、2リットル入りのものを四十数セントで売っていたと、同行の若者が教えてくれた。それを購入しておいて、500ミリリットル入りの容器がカラになったら継ぎ足すというやり方をすれば、一番安上がりで飲料水を確保できるということになる。
ホテルの立地場所が繁華街から離れているのは、街の喧騒が届いて来ないから穏やかなホテル生活を送ることができるという利点はあるものの、その一方街に買い出しに行く際には、かなり歩かなければならない…帰りは坂を上らなければならない…という不便さがあった。買い出しといっても、20〜30分ほど歩いてアルカディアに行く程度であるが、観光が終わってホテルに戻ってからまた外出するのは、なかなか応えることではあった。
以上のような点を除けば、部屋も広くて清潔で、スタッフも親切で、ブッフェスタイルの朝食も日本人の味覚に合い、総じて心地よく過ごすことができた。
それで実際にはどうだったのか。いくつか不便・不満と感じた点はあったが、全体的な大雑把な印象でとらえれば、まァ及第点だったと言えよう。減点要素の一つはレストラン、料金設定が比較的高く、利用した人の話によれば日本人にとっては量がかなり多いということだった。もう少し気軽に利用できるレストラン、あるいは軽食をとることのできるカフェのような施設があればよかった。
また客室内の冷蔵庫、一時代前の日本の旅館・ホテル方式で、中のものを取り出すと(動かすと)課金されるという旧式な仕組みだった。日本の気の利いた旅館・ホテルなら空の冷蔵庫が置かれていて、スーパー・コンビニなどで買い込んできた品物を入れて冷やすことができるようになっていることも多い。500ミリリットル入りのミネラルウオーターが一本5ユーロもするのでは、利用する人は誰もいまい。使われない冷蔵庫を部屋の飾りとして置いておくという無駄を考えれば、有効に利用してもらえる方法に転換した方がホテルに対するイメージもずっとよくなる。
ついでながらミネラルウオーターについて言えば、滞在中よく利用したスーバーマーケットのアルカディアでは、2リットル入りのものを四十数セントで売っていたと、同行の若者が教えてくれた。それを購入しておいて、500ミリリットル入りの容器がカラになったら継ぎ足すというやり方をすれば、一番安上がりで飲料水を確保できるということになる。
ホテルの立地場所が繁華街から離れているのは、街の喧騒が届いて来ないから穏やかなホテル生活を送ることができるという利点はあるものの、その一方街に買い出しに行く際には、かなり歩かなければならない…帰りは坂を上らなければならない…という不便さがあった。買い出しといっても、20〜30分ほど歩いてアルカディアに行く程度であるが、観光が終わってホテルに戻ってからまた外出するのは、なかなか応えることではあった。
以上のような点を除けば、部屋も広くて清潔で、スタッフも親切で、ブッフェスタイルの朝食も日本人の味覚に合い、総じて心地よく過ごすことができた。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年01月07日
ラルナカからマルタへ
ラルナカ空港発 11:30(日本時間…18:30)
マルタ空港着 13:20(日本時間…21:20)
マルタまでの所要時間は約3時間、ラルナカでの日本との時差は7時間、それがマルタではさらに1時間増えて8時間となる。ヨーロッパの他の都市、ロンドンやパリなどと同じ時差である。ということは、日本から一気にそれらの都市に飛んでしまえば、あとは時差の壁なしでマルタへ行くことができるということだ。
徐々に時差が増えていく飛行ルートと一気に到達してしまう場合とでは、どちらが体にとって楽なのだろうか。何年か前のヨーロッパ旅行では、最初に着いたのはパリのドゴール空港だった。日本とはすでに8時間の時差がある。以後、時差8時間の地域を回ったが、特段時差を意識することもなく、現地の時間の流れにすんなりと入っていくことができた。
今回のマルタでは、そういうわけにはいかなかった。夕食をとるとすぐに眠気が差してきて、食後の一眠りをしようと思って横になるとそのまま深い眠りに落ちてしまった。目が覚めるのは深夜…日本時間では午前中の時間帯…それからお風呂に入り荷物の整理などをすることになる。そんなことをして2時間ほどを過ごし、その後再び眠りにつくのである。このパターンがずっと続き、最後までマルタ時間に適応できなかった。
〔 Emirates Airline LCA - MLA EK107, part 2 〕
エミレーツ航空EK107便は、予定通り午後1時半頃にマルタ国際空港に翼をおろした。入国審査の際に提出する入国カードは機内で配布されると聞いていたが…マルタ観光局のウェブサイトにもそう記されていたが…実際には配られることはなく、到着後の空港内で入国審査の前に記入した。また審査時には、指紋の採取と顔写真の撮影もなかった。
〔出入国〕…マルタ観光局
http://www.mtajapan.com/immigration.html
かくしてマルタ空港に到着してから約1時間後の午後3時頃(日本時間の午後11時頃)、やっとホテルに到着した。成田を飛び立ってから26時間後のことだった。
マルタ空港着 13:20(日本時間…21:20)
マルタまでの所要時間は約3時間、ラルナカでの日本との時差は7時間、それがマルタではさらに1時間増えて8時間となる。ヨーロッパの他の都市、ロンドンやパリなどと同じ時差である。ということは、日本から一気にそれらの都市に飛んでしまえば、あとは時差の壁なしでマルタへ行くことができるということだ。
徐々に時差が増えていく飛行ルートと一気に到達してしまう場合とでは、どちらが体にとって楽なのだろうか。何年か前のヨーロッパ旅行では、最初に着いたのはパリのドゴール空港だった。日本とはすでに8時間の時差がある。以後、時差8時間の地域を回ったが、特段時差を意識することもなく、現地の時間の流れにすんなりと入っていくことができた。
今回のマルタでは、そういうわけにはいかなかった。夕食をとるとすぐに眠気が差してきて、食後の一眠りをしようと思って横になるとそのまま深い眠りに落ちてしまった。目が覚めるのは深夜…日本時間では午前中の時間帯…それからお風呂に入り荷物の整理などをすることになる。そんなことをして2時間ほどを過ごし、その後再び眠りにつくのである。このパターンがずっと続き、最後までマルタ時間に適応できなかった。
〔 Emirates Airline LCA - MLA EK107, part 2 〕
エミレーツ航空EK107便は、予定通り午後1時半頃にマルタ国際空港に翼をおろした。入国審査の際に提出する入国カードは機内で配布されると聞いていたが…マルタ観光局のウェブサイトにもそう記されていたが…実際には配られることはなく、到着後の空港内で入国審査の前に記入した。また審査時には、指紋の採取と顔写真の撮影もなかった。
〔出入国〕…マルタ観光局
http://www.mtajapan.com/immigration.html
かくしてマルタ空港に到着してから約1時間後の午後3時頃(日本時間の午後11時頃)、やっとホテルに到着した。成田を飛び立ってから26時間後のことだった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2013年01月06日
ラルナカ空港にて
ぐずぐずしているうちに、マルタ旅行記はとうとう年を越えてしまいました。いままでは途中まで書いて挫折してしまうことが多かったのですが、今回はネコの島マルタですから、途中で投げ出すわけにはいきません。
さてエミレーツ航空EK107便は、やっとドバイ空港を飛び立って、キプロスのラルナカ空港へと向かっているのでした。所要時間は約4時間、ドバイでの日本との時差は5時間、それがラルナカではさらに増えて7時間となる。つまり、2時間も時間を遡ることになる。
ドバイ発 08:10(日本時間…13:10)
ラルナカ着 10:15(日本時間…17:15)
ラルナカ発 11:30(日本時間…18:30)
ラルナカ空港での駐機時間は1時間15分、かくも長い時間をなぜ待たなければならないのか、その疑問はラルナカに着く前からずっと続いていた。待っている時間は、機内に留まっていなければならず、キプロスの空気を吸うこともできない。そもそもドバイからマルタへ直行すれば、1時間以上も早く着くことができるのだ。
【 landing- larnaca airport.wmv 】
【Larnaca Airport 】
ラルナカで下りた人は少なからずいて、空席が目立つようになった。しばらくしてから、座席上部の収納棚から自分の手荷物を降ろして、身近に置いておくようにと言われた。頭の中では疑問符が駆け巡っていたが、ともかく指示された通りに荷物を下ろした。そしてCAが、荷物一つ一つに対してその持ち主の確認をして廻った。次に、忘れ物のチェックなのだろうか、収納棚の中を一つ一つ確認しはじめた。最後にCAが、小さなスプレー缶を機内の上部に向けて噴霧させた。
駐機中に行われたことは、それだけではなかった。制服を着た男女数人が後部の方から乗り込んできて、機内の清掃を始めた。トイレ掃除まで始めるものだから、急を要した乗客の一人がトイレを使おうとしたが、CAに制止されていた。なかなか終わらないものだから二・三度CAに訴えているようだったが、そのたびに待っているようにと言われたのだろう、ドアの前でいらだちの表情を浮かべて待っていた。
トイレ掃除が終わると、新たな乗客が乗り込んできた。風貌からみて、旅行客ではない感じの人が多かった。彼らの中には、マルチーズが混じっていたのかもしれない。そしてようやくラルナカ空港を離陸して、マルタへと機首を向けたのだった。
【Trip from Larnaca (LCA) to Malta (MLA) on Emirates Airlines EK107 - A330-243 】
さてエミレーツ航空EK107便は、やっとドバイ空港を飛び立って、キプロスのラルナカ空港へと向かっているのでした。所要時間は約4時間、ドバイでの日本との時差は5時間、それがラルナカではさらに増えて7時間となる。つまり、2時間も時間を遡ることになる。
ドバイ発 08:10(日本時間…13:10)
ラルナカ着 10:15(日本時間…17:15)
ラルナカ発 11:30(日本時間…18:30)
ラルナカ空港での駐機時間は1時間15分、かくも長い時間をなぜ待たなければならないのか、その疑問はラルナカに着く前からずっと続いていた。待っている時間は、機内に留まっていなければならず、キプロスの空気を吸うこともできない。そもそもドバイからマルタへ直行すれば、1時間以上も早く着くことができるのだ。
【 landing- larnaca airport.wmv 】
【Larnaca Airport 】
ラルナカで下りた人は少なからずいて、空席が目立つようになった。しばらくしてから、座席上部の収納棚から自分の手荷物を降ろして、身近に置いておくようにと言われた。頭の中では疑問符が駆け巡っていたが、ともかく指示された通りに荷物を下ろした。そしてCAが、荷物一つ一つに対してその持ち主の確認をして廻った。次に、忘れ物のチェックなのだろうか、収納棚の中を一つ一つ確認しはじめた。最後にCAが、小さなスプレー缶を機内の上部に向けて噴霧させた。
駐機中に行われたことは、それだけではなかった。制服を着た男女数人が後部の方から乗り込んできて、機内の清掃を始めた。トイレ掃除まで始めるものだから、急を要した乗客の一人がトイレを使おうとしたが、CAに制止されていた。なかなか終わらないものだから二・三度CAに訴えているようだったが、そのたびに待っているようにと言われたのだろう、ドアの前でいらだちの表情を浮かべて待っていた。
トイレ掃除が終わると、新たな乗客が乗り込んできた。風貌からみて、旅行客ではない感じの人が多かった。彼らの中には、マルチーズが混じっていたのかもしれない。そしてようやくラルナカ空港を離陸して、マルタへと機首を向けたのだった。
【Trip from Larnaca (LCA) to Malta (MLA) on Emirates Airlines EK107 - A330-243 】
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2012年12月29日
ドバイからラルナカへ
ドバイからマルタまでの旅程はまだ道半ばであって、これから再び苦難の道が待ち受けているのである。マルタまで一気に飛んでくれればまだしも、途中、キプロスのラルナカ空港に下りて、そこで1時間以上も待つということなのだ。乗り継ぎをするのでもなく、その間機内で待っていなければならないということが分かると、疲れがどっと出てきた。
搭乗場所へ向かう移動バスは、もう30分以上も走り続けている。エミレーツ航空の機体が窓の外に見えて、やっと着いたかと思うのもつかの間、バスはそこを通り過ぎてさらにさらに走って行く。そんなことを何回か繰り返してから、やっとだだっ広い殺風景な場所で止まった。そこは、地方都市のローカル空港と言った方がよさそうな雰囲気が漂っていた。ちゃんと飛んでくれるのだろうかという一抹の不安を抱きながら、むき出しのタラップを上った。
エミレーツ航空EK107便は、そんな心配を知ってか知らずか、定刻の8時10分(日本時間13時10分)に離陸して、眼下に超高層ビルのブルジュ・ハリーファを見ながらキプロスのラルナカを目指したのだった。
〔エミレーツ航空EK107便〕
…YouTubeより
飛行機が水平飛行に入ると、さっそくあのお手ふきの儀式が始まった。朝食劇場の幕開けである。YouTubeにその様子を撮った動画が載っていた。お手ふきを何かでつまんでいるようだが、私たちの時はもっと長いピンセット状のものだった。それでつまむとダラーンとたれさがるものだから、よりいっそう奇妙な感じがした。
〔エミレーツ航空機内の様子と機内業務(おしぼり)〕
…YouTubeより
搭乗場所へ向かう移動バスは、もう30分以上も走り続けている。エミレーツ航空の機体が窓の外に見えて、やっと着いたかと思うのもつかの間、バスはそこを通り過ぎてさらにさらに走って行く。そんなことを何回か繰り返してから、やっとだだっ広い殺風景な場所で止まった。そこは、地方都市のローカル空港と言った方がよさそうな雰囲気が漂っていた。ちゃんと飛んでくれるのだろうかという一抹の不安を抱きながら、むき出しのタラップを上った。
エミレーツ航空EK107便は、そんな心配を知ってか知らずか、定刻の8時10分(日本時間13時10分)に離陸して、眼下に超高層ビルのブルジュ・ハリーファを見ながらキプロスのラルナカを目指したのだった。
〔エミレーツ航空EK107便〕
…YouTubeより
飛行機が水平飛行に入ると、さっそくあのお手ふきの儀式が始まった。朝食劇場の幕開けである。YouTubeにその様子を撮った動画が載っていた。お手ふきを何かでつまんでいるようだが、私たちの時はもっと長いピンセット状のものだった。それでつまむとダラーンとたれさがるものだから、よりいっそう奇妙な感じがした。
〔エミレーツ航空機内の様子と機内業務(おしぼり)〕
…YouTubeより
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2012年12月28日
ドバイ国際空港にて
ドバイ国際空港は、アラブ首長国連邦のドバイにある空港で、エミレーツ航空が拠点とする巨大ハブ空港である。2011年の旅客数は5,000万人を超えて過去最高を記録し、2012年の上半期は、2011年の同時期と比べると、13%増の2800万人近い旅客数を記録したそうだ。
それに対して成田国際空港は、2011年の旅客数は前年比17%減の2800万人を超える程度であった。成田空港では夜間・早朝便が制限されていることや、震災の影響で外国人客が大幅に減少したことを考慮しても、ドバイ空港との差は歴然としている。
巨大ハブ空港という名に違わず、早朝の4時過ぎの到着にかかわらず、きらびやかな照明が真昼より明る光をまき散らし、歳末の繁華街のように搭乗待ちの客たちでごった返していた。
ドバイ空港を立つのが現地時間の8時10分だから、4時間近くここで過ごさなければならない。ともかくだだっ広いから、何かを買い求めるというあてもなく端から端まで歩き回り、たまに店の中に入って冷やかしたりしているうちに、特に退屈することもなく時間は過ぎていった。
前回の旅行で使い残したドル紙幣を持って来たので、それを使って買い物をしてみることにした。ドルは使えるが、おつりは現地の通貨であるディルハムになると聞いていた。なるべくかさばらないものを物色していると、折よく本屋さんがあったので旅の記念にUAEの地図と来年のカレンダーを買い求めることにした。念のため若い男性店員に(カタカナ部分はかたことの英語)、
「スミマセーン、ドルハ使エマスカ」
と尋ねたところ、使えるという返事だった。そこで買い求めたのが次の地図…55ディルハム、日本円で1200円程度(1ドル80円として)…と、カレンダー…45ディルハム…だった。
帰国時にも立ち寄ったドバイ空港で、時間つぶしにお土産品を見ながらブラブラ歩いていると、
「こんにちは」
と日本語で声を掛けられた。どうせろくでもない物を高い値段で売りつける魂胆だろうと思い、無視して通り過ぎた。少し歩みを進めてから、旅行中チャイニーズと間違われることが多かったのに、ジャパニーズと見極めて日本語で声を掛けてくれたのだから、話だけでも聞いてみようと思い直してきびすを返したのだった。
声を掛けてきた若い男性は、チョコレート製のサンタクロースの人形を示して、
「コレハ日本製デアルヨ」
と勧めてくれる。
「日本ニ行ッタコトアリマス」
「エッ、ドコ?」
「北海道」
暑い国に暮らす人は、寒い所に行ってみたいらしい。
そんな縁もあって、日本製だと言って勧めてくれているのかもしれないが、日本から来て、日本製だと分かっている物をお土産として買って帰っても、笑い話にもならない。相手にしてみればリップサービスでそう言ったのかもしれないが、日本製だと言われても買おうという気持ちなど起こってこない。そう言うと…夫人の通訳で…
「ホントハ、スイス製ダヨ」
と何食わぬ顔で言い直した。変わり身の早さにいまいましさを感じたものの、日本に来てくれたことだし、調子がいいだけで人はよさそうな若者だったので、二つ買い求めたのだった。
そのチョコレート製のサンタクロース人形は、一つ20ディルハム、今度はユーロで支払った。
それに対して成田国際空港は、2011年の旅客数は前年比17%減の2800万人を超える程度であった。成田空港では夜間・早朝便が制限されていることや、震災の影響で外国人客が大幅に減少したことを考慮しても、ドバイ空港との差は歴然としている。
巨大ハブ空港という名に違わず、早朝の4時過ぎの到着にかかわらず、きらびやかな照明が真昼より明る光をまき散らし、歳末の繁華街のように搭乗待ちの客たちでごった返していた。
ドバイ空港を立つのが現地時間の8時10分だから、4時間近くここで過ごさなければならない。ともかくだだっ広いから、何かを買い求めるというあてもなく端から端まで歩き回り、たまに店の中に入って冷やかしたりしているうちに、特に退屈することもなく時間は過ぎていった。
前回の旅行で使い残したドル紙幣を持って来たので、それを使って買い物をしてみることにした。ドルは使えるが、おつりは現地の通貨であるディルハムになると聞いていた。なるべくかさばらないものを物色していると、折よく本屋さんがあったので旅の記念にUAEの地図と来年のカレンダーを買い求めることにした。念のため若い男性店員に(カタカナ部分はかたことの英語)、
「スミマセーン、ドルハ使エマスカ」
と尋ねたところ、使えるという返事だった。そこで買い求めたのが次の地図…55ディルハム、日本円で1200円程度(1ドル80円として)…と、カレンダー…45ディルハム…だった。
帰国時にも立ち寄ったドバイ空港で、時間つぶしにお土産品を見ながらブラブラ歩いていると、
「こんにちは」
と日本語で声を掛けられた。どうせろくでもない物を高い値段で売りつける魂胆だろうと思い、無視して通り過ぎた。少し歩みを進めてから、旅行中チャイニーズと間違われることが多かったのに、ジャパニーズと見極めて日本語で声を掛けてくれたのだから、話だけでも聞いてみようと思い直してきびすを返したのだった。
声を掛けてきた若い男性は、チョコレート製のサンタクロースの人形を示して、
「コレハ日本製デアルヨ」
と勧めてくれる。
「日本ニ行ッタコトアリマス」
「エッ、ドコ?」
「北海道」
暑い国に暮らす人は、寒い所に行ってみたいらしい。
そんな縁もあって、日本製だと言って勧めてくれているのかもしれないが、日本から来て、日本製だと分かっている物をお土産として買って帰っても、笑い話にもならない。相手にしてみればリップサービスでそう言ったのかもしれないが、日本製だと言われても買おうという気持ちなど起こってこない。そう言うと…夫人の通訳で…
「ホントハ、スイス製ダヨ」
と何食わぬ顔で言い直した。変わり身の早さにいまいましさを感じたものの、日本に来てくれたことだし、調子がいいだけで人はよさそうな若者だったので、二つ買い求めたのだった。
そのチョコレート製のサンタクロース人形は、一つ20ディルハム、今度はユーロで支払った。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2012年12月22日
マルタまでの時空飛行…成田からドバイ
成田からマルタまではほぼ24時間、丸一日機内と空港内とで過ごすのだから、体力的にも精神的にも忍耐を強いられ、これではもう二度とマルタに行くことはできないだろうなと思っていた。それでも帰国後二週間あまりが経って体調も元の状態に戻り、その辛かったマルタまでの記憶が薄れてくるにつれて、出会ったマルタ猫たちのことが懐かしく思い出されてくるのだった。
日本からマルタまでは、日出づる東の国から西へ西へと飛行する空の旅である。それは、過ぎ去っていく時間を追いかける飛行でもあった。時空を遡る旅でもあった。
エミレーツ航空機が成田国際空港を飛び立ったのは、21時20分だった。1時間も経たないうちに機内食が出た。時間的には夜食なのかもしれないが、それにしては量が多かった。機内食が配られる前に、CAが金属製のプレートの上の小さな筒状に巻かれたものを、ピンセットでつまんで一人一人に配り始めた。受け取ってみると、ガーゼ製のお手ふきであった。神妙な顔をしてピンセットでつまんで渡すところが、ちょっと滑稽な感じでもあり、またどことなく異様な感じでもあった。
機内で次のような三点セットが配られた。機内で長時間過ごす際に必要となるもので、アイマスク・クツシタ・歯磨きの三つが小さなケースに入っていた。クツシタはスリッパ代わりなのだろう。特に歯みがきは役に立った。
機内食はドバイに着く前にも出た。やはり、儀式めいたお手ふきサービスが前もってあった。日本時間でいえば、朝食ということなのだろう。ドバイまでの所要時間は約12時間、到着時刻は日本時間で翌日の9時15分だった。ドバイとの時差は−5時間だから、現地時間では4時15分という早朝の到着である。5時間も時間を遡ったことになる。
日本からマルタまでは、日出づる東の国から西へ西へと飛行する空の旅である。それは、過ぎ去っていく時間を追いかける飛行でもあった。時空を遡る旅でもあった。
エミレーツ航空機が成田国際空港を飛び立ったのは、21時20分だった。1時間も経たないうちに機内食が出た。時間的には夜食なのかもしれないが、それにしては量が多かった。機内食が配られる前に、CAが金属製のプレートの上の小さな筒状に巻かれたものを、ピンセットでつまんで一人一人に配り始めた。受け取ってみると、ガーゼ製のお手ふきであった。神妙な顔をしてピンセットでつまんで渡すところが、ちょっと滑稽な感じでもあり、またどことなく異様な感じでもあった。
機内で次のような三点セットが配られた。機内で長時間過ごす際に必要となるもので、アイマスク・クツシタ・歯磨きの三つが小さなケースに入っていた。クツシタはスリッパ代わりなのだろう。特に歯みがきは役に立った。
機内食はドバイに着く前にも出た。やはり、儀式めいたお手ふきサービスが前もってあった。日本時間でいえば、朝食ということなのだろう。ドバイまでの所要時間は約12時間、到着時刻は日本時間で翌日の9時15分だった。ドバイとの時差は−5時間だから、現地時間では4時15分という早朝の到着である。5時間も時間を遡ったことになる。
posted by 里実福太朗 at 23:30| ★マルタ紀行
2012年12月19日
マルタの猫…ホテル周辺(2)
朝食をとったあと、出発までの時間を利用して、ホテルの脇の小道を通って海側に出てみた。海に通じるその道の途中に駐車場があって、そこにマルタ猫がいたのだ。この猫も警戒心が強く、近づくと逃げて行ってしまった。
ジャンプして飛び乗った背の低い塀の後ろ側に、エサ入れの器がいくつか置かれていた。食べ残されたエサを見たところ、ネコ公園の自由ネコなら口にすることはたぶんなさそうなものだった。マルタの猫も口に合わず、食べ残したのかもしれない。
またの日の朝、再びあの駐車場に行ってみたところ、今度は別の猫がいた。こちらは初対面にもかかわらず逃げるそぶりも見せず、逆に近寄ってきた。腹部に渦巻き模様があるところから推測すると、アメリカンショートヘアーの血が混じっているのかもしれない。いやいや、もともとはヨーロッパからアメリカに渡ったそうだから、こちらの方が元の種に近いのかもしれない。
耳の横にパンチを入れた痕とおぼしき切り込みがあった。ネコ公園のネコたちと同じように、避妊手術をしたという目印なのだろう。
朝食は1階のレストランが食事場所で、ビュッフェスタイルだった。広いガラス窓越しにテラス席が見え、その彼方に地中海が見えた。夏の季節であれば、そのテラス席で海を見ながら朝食をとることもできるのだろうが、冬場とてそのようにする人は見受けられなかった。
そのテラス席を猫がうろついていた。それに気づいた人は、ドアを開けて外に出て写真を撮っていた。夏場、テラス席で食事をする人からおこぼれをもらうこともあるのだろう、人慣れしている感じでカメラを向けても逃げることはなかった。
私たちも、食後外に出てそのネコの写真を撮った。なかなか品のある顔立ちのネコで、このネコの耳にも、避妊手術を受けた印があった。
ジャンプして飛び乗った背の低い塀の後ろ側に、エサ入れの器がいくつか置かれていた。食べ残されたエサを見たところ、ネコ公園の自由ネコなら口にすることはたぶんなさそうなものだった。マルタの猫も口に合わず、食べ残したのかもしれない。
またの日の朝、再びあの駐車場に行ってみたところ、今度は別の猫がいた。こちらは初対面にもかかわらず逃げるそぶりも見せず、逆に近寄ってきた。腹部に渦巻き模様があるところから推測すると、アメリカンショートヘアーの血が混じっているのかもしれない。いやいや、もともとはヨーロッパからアメリカに渡ったそうだから、こちらの方が元の種に近いのかもしれない。
耳の横にパンチを入れた痕とおぼしき切り込みがあった。ネコ公園のネコたちと同じように、避妊手術をしたという目印なのだろう。
朝食は1階のレストランが食事場所で、ビュッフェスタイルだった。広いガラス窓越しにテラス席が見え、その彼方に地中海が見えた。夏の季節であれば、そのテラス席で海を見ながら朝食をとることもできるのだろうが、冬場とてそのようにする人は見受けられなかった。
そのテラス席を猫がうろついていた。それに気づいた人は、ドアを開けて外に出て写真を撮っていた。夏場、テラス席で食事をする人からおこぼれをもらうこともあるのだろう、人慣れしている感じでカメラを向けても逃げることはなかった。
私たちも、食後外に出てそのネコの写真を撮った。なかなか品のある顔立ちのネコで、このネコの耳にも、避妊手術を受けた印があった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2012年12月14日
マルタの猫…ホテル周辺(1)
マルタに入国してから初めて猫を見たのは、宿泊するホテルでチェックインの手続きが済むのを待っている時だった。このことについては、すでに現地からリアルタイムで画像をアップしてお知らせした。第一発見者は夫人で、今回のマルタ旅行では夫人の方が猫を発見するのが早く、何回も「あそこにネコがいる」と教えてくれた。
部屋が決まって荷物を置いてから、さっそくその猫を探しに行ってみた。ホテルの裏手、ゴミ運搬車が出入りする通路の脇に、海岸に下りる階段があった。そこを下りたところは岩場だった。海が荒れれば波に洗われそうな場所に、その猫の住まいがあった。
板状のもので覆っただけの粗末な小屋ではあったが、せめて雨風だけでもしのげるようにと思いやってのことだろう。ホテルの従業員の誰かが世話をしているのだろうか。突然の侵入者に驚いた猫は、少し離れたところに逃げていってしまった。
部屋が決まって荷物を置いてから、さっそくその猫を探しに行ってみた。ホテルの裏手、ゴミ運搬車が出入りする通路の脇に、海岸に下りる階段があった。そこを下りたところは岩場だった。海が荒れれば波に洗われそうな場所に、その猫の住まいがあった。
板状のもので覆っただけの粗末な小屋ではあったが、せめて雨風だけでもしのげるようにと思いやってのことだろう。ホテルの従業員の誰かが世話をしているのだろうか。突然の侵入者に驚いた猫は、少し離れたところに逃げていってしまった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行
2012年12月12日
マルタのキャットショウ
マルタ観光局のフェースブックに、キャットショウの記事が載っていた。
〔Grand International Cat Showのお知らせ〕
期日:2012年12月16日(日)
場所:セントジュリアンズのRadisson Hotel
料金:フリー
キャットショウの行われるホテルは、今回のツアーで利用したホテル「ラディソン ブル リゾート マルタ セントジュリアンズ」なのだ。マルタ滞在中にこういう催し物があればよかったのに、と少々残念な気もするが今となっては仕方がない。
→【マルタ観光局 MTA Japan】
https://www.facebook.com/MTAJAPAN
〔Grand International Cat Showのお知らせ〕
期日:2012年12月16日(日)
場所:セントジュリアンズのRadisson Hotel
料金:フリー
キャットショウの行われるホテルは、今回のツアーで利用したホテル「ラディソン ブル リゾート マルタ セントジュリアンズ」なのだ。マルタ滞在中にこういう催し物があればよかったのに、と少々残念な気もするが今となっては仕方がない。
→【マルタ観光局 MTA Japan】
https://www.facebook.com/MTAJAPAN
posted by 里実福太朗 at 00:08| ★マルタ紀行
2012年12月11日
マルタの冬
今回のマルタツアーが格安なのは、季節が冬で観光のオフシーズンになっていることも、その要因の一つなのだろう。地中海性気候のマルタにも冬はあるのだ。もちろん日本よりずっと温暖ではあるが、1・2月には最低気温が10度を下まわることもある。また10月から3月は雨期で、天候がくずれて強風を伴って激しく雨が降ることもある。
4日目の観光で、マルタの冬の悪天候を経験することになってしまった。その日の午前中は、青の洞門(ブルーグロット)と二カ所の巨石神殿を見学する予定が組まれていた。ホテルを出る時は、すでに空はどんよりと暗い雲に覆われていた。バスで目的の地を目指して進むうちに雨が降り出し、到着した時は吹き降りの嵐模様の天気になってしまっていた。
遊覧船に乗って海上から青の洞門を見ることなどは当然のごとく中止となり、透明度が高く地中海ブルーに透き通る海面を間近に見ることはかなわず、険しい崖の上から眺めおろすことだけがかろうじてできたのだった。
世界遺産の巨石神殿の見学の際も雨風はおさまらず、百円ショッップで買い求めたポンチョは、強風にバタバタと激しく踊り、雨よけとしての用をなすことはまったくなかった。
雨期である冬には、このように冷たい雨が降ることもあるが、滞在中に降られたことはこの一回だけだった。好天に恵まれた日には、日中は冬とは思えない陽射しが照りつけ、その光を受けながら動き回るとすぐに汗ばんでくる。そういう時は、長袖のシャツにベスト着用くらいがちょうど良い。
一行の中に、いつも半袖のシャツを着ている男性がいた。一見すると中国人のような押しの強さが感じられたが、日本人だった。そういえば、店で買い物をしていると、
「チャイニーズ?」
と訊かれることが多かった。そういう時は力を込めて、
「ノゥ、ジャパニーズ」
と答えておいた。あまりにも訊かれることが多かったので、ある時などは機先を制して訊かれる前に「ジャパニーズ」と言うこともあった。マルタにも中国人が多いのだろうか。
話が横道にそれてしまったが、くだんの男性に、
「半袖で寒くないですか」
と尋ねてみると、
「まったく問題ないね、気持ちいいよ」
と自信満々だった。その後彼を注意して見ていていてが、たしかにいつも半袖シャツだった。見かけとは違ってかなりの洒落者のようで、しゃれたピンク色の半袖シャツを着ていることもあった。
ところがある日の夕方、昼間の暖かさとはうって変わってかなり冷え込んでくることがあった。彼を見ると、暗い色のブルゾンを着込んでいた。それはマルタで買い求めたものではなかろうか、マルタは常夏の島と勘違いして、半袖シャツしか持ってこなかったのではないだろうか、と私はにらんだのだった。
このようにマルタの冬は、昼間は暖かくて海水浴をする人もいるほどで…実際に水着になっている人を目撃した…ところが日が落ちると急激に冷え込んでくる。ホテルへの帰着が遅くなりそうな時、あるいは夕方から夜にかけて外出する時は、セーターとかウィンドブレーカーなどを用意しておいた方が良いだろう。気温の差が大きいので、重ね着で調節するのが良いと思う。
4日目の観光で、マルタの冬の悪天候を経験することになってしまった。その日の午前中は、青の洞門(ブルーグロット)と二カ所の巨石神殿を見学する予定が組まれていた。ホテルを出る時は、すでに空はどんよりと暗い雲に覆われていた。バスで目的の地を目指して進むうちに雨が降り出し、到着した時は吹き降りの嵐模様の天気になってしまっていた。
遊覧船に乗って海上から青の洞門を見ることなどは当然のごとく中止となり、透明度が高く地中海ブルーに透き通る海面を間近に見ることはかなわず、険しい崖の上から眺めおろすことだけがかろうじてできたのだった。
世界遺産の巨石神殿の見学の際も雨風はおさまらず、百円ショッップで買い求めたポンチョは、強風にバタバタと激しく踊り、雨よけとしての用をなすことはまったくなかった。
雨期である冬には、このように冷たい雨が降ることもあるが、滞在中に降られたことはこの一回だけだった。好天に恵まれた日には、日中は冬とは思えない陽射しが照りつけ、その光を受けながら動き回るとすぐに汗ばんでくる。そういう時は、長袖のシャツにベスト着用くらいがちょうど良い。
一行の中に、いつも半袖のシャツを着ている男性がいた。一見すると中国人のような押しの強さが感じられたが、日本人だった。そういえば、店で買い物をしていると、
「チャイニーズ?」
と訊かれることが多かった。そういう時は力を込めて、
「ノゥ、ジャパニーズ」
と答えておいた。あまりにも訊かれることが多かったので、ある時などは機先を制して訊かれる前に「ジャパニーズ」と言うこともあった。マルタにも中国人が多いのだろうか。
話が横道にそれてしまったが、くだんの男性に、
「半袖で寒くないですか」
と尋ねてみると、
「まったく問題ないね、気持ちいいよ」
と自信満々だった。その後彼を注意して見ていていてが、たしかにいつも半袖シャツだった。見かけとは違ってかなりの洒落者のようで、しゃれたピンク色の半袖シャツを着ていることもあった。
ところがある日の夕方、昼間の暖かさとはうって変わってかなり冷え込んでくることがあった。彼を見ると、暗い色のブルゾンを着込んでいた。それはマルタで買い求めたものではなかろうか、マルタは常夏の島と勘違いして、半袖シャツしか持ってこなかったのではないだろうか、と私はにらんだのだった。
このようにマルタの冬は、昼間は暖かくて海水浴をする人もいるほどで…実際に水着になっている人を目撃した…ところが日が落ちると急激に冷え込んでくる。ホテルへの帰着が遅くなりそうな時、あるいは夕方から夜にかけて外出する時は、セーターとかウィンドブレーカーなどを用意しておいた方が良いだろう。気温の差が大きいので、重ね着で調節するのが良いと思う。
posted by 里実福太朗 at 23:24| ★マルタ紀行
マルタツアーの費用
日本から遠く離れた地中海の真ん中の小国マルタへ行こうなどと思い立ったのは、何がきっかけだったのだろうか。もう薄れかかってきた記憶をたぐり寄せてみれば、やはり発端はネコのことだったと思う。どこで仕入れた情報だったのかもう定かには思い出せないが、マルタにはネコがたくさんいるということを知り、そのうち機会があれば行ってみようかと漠然と思っていた。
ただ、ネコの写真を撮るためという理由だけでは、夫人の心を動かすには弱すぎる。ちょっと調べてみると、マルタは地中海地方の国としては珍しく公用語が英語だった。英語が使えるなら、夫人も少しは乗り気になるかもしれない。
それに日本は寒い冬だが、マルタは地中海気候の温暖の地で過ごしやすい点もプラス材料だ。そして何より決定的だったのが、マルタへの格安ツアーが見つかったことだった。
マルタツアーを募集していた旅行社は、めぼしいところでクラブツーリズム・JTB・阪急交通社の3社だった。
クラブツーリズムのツアーは、ドバイで一泊して日程の面ではゆったりとした感じだったが一番費用がかさみ、JTBの旅物語は、燃油サーチャージを入れて15万円ほどから20万円を少し超える範囲に収まるが、ロンドン経由で、そのロンドンでの乗り継ぎ時間が5時間以上もかかり、行程も欲張りすぎてビッシリと詰まっていて、ネコの写真などを撮っている余裕などはあまりなさそうだった。
阪急交通社のツアーは、最低費用が約13万円と一番安く、またオプションの現地ツアーを申し込まなければ、自由時間を一番多く確保できそうだった。ユーロ安とはいえ、燃油サーチャージを入れてその費用で地中海まで行って、五つ星ホテルに泊まれるのだから、かなりお得なツアーなのだ。ということで、このツアーに申し込んだのだった。
ただ、ネコの写真を撮るためという理由だけでは、夫人の心を動かすには弱すぎる。ちょっと調べてみると、マルタは地中海地方の国としては珍しく公用語が英語だった。英語が使えるなら、夫人も少しは乗り気になるかもしれない。
それに日本は寒い冬だが、マルタは地中海気候の温暖の地で過ごしやすい点もプラス材料だ。そして何より決定的だったのが、マルタへの格安ツアーが見つかったことだった。
マルタツアーを募集していた旅行社は、めぼしいところでクラブツーリズム・JTB・阪急交通社の3社だった。
クラブツーリズムのツアーは、ドバイで一泊して日程の面ではゆったりとした感じだったが一番費用がかさみ、JTBの旅物語は、燃油サーチャージを入れて15万円ほどから20万円を少し超える範囲に収まるが、ロンドン経由で、そのロンドンでの乗り継ぎ時間が5時間以上もかかり、行程も欲張りすぎてビッシリと詰まっていて、ネコの写真などを撮っている余裕などはあまりなさそうだった。
阪急交通社のツアーは、最低費用が約13万円と一番安く、またオプションの現地ツアーを申し込まなければ、自由時間を一番多く確保できそうだった。ユーロ安とはいえ、燃油サーチャージを入れてその費用で地中海まで行って、五つ星ホテルに泊まれるのだから、かなりお得なツアーなのだ。ということで、このツアーに申し込んだのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:36| ★マルタ紀行
2012年12月10日
マルタってどこにあるの?
「今度マルタに行くんだ」
と人に言うと、
「マルタ? どこにあるの? どこの国にあるの?」
という具合で、マルタが独立国であることすら知らない人もいる。マルタの正式名称はマルタ共和国で、小さいながらもれっきとした独立国家なのである。
ただし独立を勝ち取るまでには、ながらく他国から支配されていた。古くはフェニキア人、その後ビザンチン帝国、ノルマン人、アラゴン人、聖ヨハネ騎士団とフランス人、そして最後はイギリス人だった。その結果さまざまな文化が入り交じり、複雑な文化が形成された。そのような歴史を持つマルタの公用語は、マルタ語と英語である。
マルタ共和国はシチリア島から南に約90qほど、地中海の真ん中に位置する。共和国を構成する主な島は三つ、マルタ島・ゴゾ島・コミノ島である。一番大きな島はマルタ島であるが、そのマルタ島でさえ東京23区の半分ほどの大きさである。首都バレッタは、そのマルタ島にある。
大きな地図で見る
大きな地図で見る
大きな地図で見る
人口は40万人を少し超える程度、そして人口の半分ほどの自動車が狭いマルタの国土にひしめき合っている。おまけにマルタ人の運転は概して荒々しい。狭い道をかなりのスピードで駆け抜けていく。ちょっとでも渋滞ができると、すぐクラクションが鳴り響く。
ただし、感心したことが一つある。横断歩道に人が立っていると、荒々しい運転をしていた車でも必ず止まってくれるのだ。横断歩道に人が近づいて行く場合でも、その人が横断歩道の前に着いて渡りきるまで停車して待っていてくれる。横断歩道の近くにいるだけで止まってくれるので、渡るつもりがない時などはなんだか申し訳ない気分になる。
夕方、ホテルから歩いて二十数分程度の所にあるスーパーに買い出しに行った時、ちょうど二人の警官が交通取り締まりを行っていた。いわゆる「ネズミ取り」だったのだろうか。横断歩道の手前でうっかり一時停止をし忘れて、それを警官に見とがめられると、厳しいおとがめが待っているかもしれないということが、一時停止を遵守することに繋がっているのだろうか。
なおマルタ人は、マルチーズと呼ばれる。犬にもマルチーズという犬種があるが、それと同じである。犬のマルチーズは、マルタが発祥の地でそのように呼ばれるようになったらしい。
と人に言うと、
「マルタ? どこにあるの? どこの国にあるの?」
という具合で、マルタが独立国であることすら知らない人もいる。マルタの正式名称はマルタ共和国で、小さいながらもれっきとした独立国家なのである。
ただし独立を勝ち取るまでには、ながらく他国から支配されていた。古くはフェニキア人、その後ビザンチン帝国、ノルマン人、アラゴン人、聖ヨハネ騎士団とフランス人、そして最後はイギリス人だった。その結果さまざまな文化が入り交じり、複雑な文化が形成された。そのような歴史を持つマルタの公用語は、マルタ語と英語である。
マルタ共和国はシチリア島から南に約90qほど、地中海の真ん中に位置する。共和国を構成する主な島は三つ、マルタ島・ゴゾ島・コミノ島である。一番大きな島はマルタ島であるが、そのマルタ島でさえ東京23区の半分ほどの大きさである。首都バレッタは、そのマルタ島にある。
大きな地図で見る
大きな地図で見る
大きな地図で見る
人口は40万人を少し超える程度、そして人口の半分ほどの自動車が狭いマルタの国土にひしめき合っている。おまけにマルタ人の運転は概して荒々しい。狭い道をかなりのスピードで駆け抜けていく。ちょっとでも渋滞ができると、すぐクラクションが鳴り響く。
ただし、感心したことが一つある。横断歩道に人が立っていると、荒々しい運転をしていた車でも必ず止まってくれるのだ。横断歩道に人が近づいて行く場合でも、その人が横断歩道の前に着いて渡りきるまで停車して待っていてくれる。横断歩道の近くにいるだけで止まってくれるので、渡るつもりがない時などはなんだか申し訳ない気分になる。
夕方、ホテルから歩いて二十数分程度の所にあるスーパーに買い出しに行った時、ちょうど二人の警官が交通取り締まりを行っていた。いわゆる「ネズミ取り」だったのだろうか。横断歩道の手前でうっかり一時停止をし忘れて、それを警官に見とがめられると、厳しいおとがめが待っているかもしれないということが、一時停止を遵守することに繋がっているのだろうか。
なおマルタ人は、マルチーズと呼ばれる。犬にもマルチーズという犬種があるが、それと同じである。犬のマルチーズは、マルタが発祥の地でそのように呼ばれるようになったらしい。
posted by 里実福太朗 at 23:50| ★マルタ紀行