2013年10月07日

「里ふくろう通信」開設

新ブログ「里ふくろう通信」を開設しました。
「ふくろう」には、千葉県佐倉市を貫く「国道296号線」の意味もこめています。
「里ふくろうの日乗」より更新の頻度は低くなるかもしれません。


【里ふくろう通信】
http://296log.sato296.com/
 
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2013年08月29日

ブログに替えて「フォトダイアリー」

今後、ブログを書くことに費やしていたエネルギーは、ほかの方面に向けることにして、日々のことは、「里ふくろうコム」の「フォトダイアリー」に気が向いた時に載せることにします。

「里ふくろうコム」は省エネルギーを目ざし、自動的に更新されるモジュールを中心としています。また「フォトダイアリー」は、老骨にむち打つ必要がないように写真と短いコメントだけというシンプルな内容です。
posted by 里実福太朗 at 23:59| 里ふくろうの日乗

「里実文庫」のURL変更

◇「里実文庫」のURLを変更しました。
旧:satobn.net

新:http://bunko2.sato296.com

ドメイン「satobn.net」は廃止します。


◇「里実文庫T期」(旧里実文庫)のURLも変更しました。
旧:bunko1.satobn.net

新:http://bunko0.sato296.com


posted by 里実福太朗 at 16:54| 里ふくろうの日乗

2013年08月27日

デジタルからアナログへの回帰

鈴木喜一さんが急逝したのは、7月30日のことだった。早いものでその日からそろそろ1ヶ月ちかくが経とうとしている。その間、喜一さんのブログ「大地の家」を覗いてみることが何回かあった。

もちろんブログが更新されている、などということはあり得ない。書き手が亡くなったあとそのブログはどうなるのだろうか、閉鎖されてしまうのだろうか、あるいはそのままの形で残されているのだろうか、そんなことが気に掛かってのことだった。

喜一さんの手で更新されることがなくなってから何日か経って、そのブログに変化があった。つまり記事が追加されていたのだ。そしてその状態が保たれたまま現在まで続いているのである。追加された記事は、スポンサーサイトの広告のページだった。そこにはこう記されていた。

 上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
 新しい記事を書く事で広告が消せます。

〔大地の家〕
http://daichinoie.blog6.fc2.com/

ブログの書き手本人がすでにお亡くなりになっているのだから、無理難題が突きつけられていると言わねばなるまい。ほかの人が書けばその広告を消すことはできるのだが、喜一さんが一人で書き継いできたブログだからそういうわけにはいくまい。だから、ページのトップに広告があるのは目障りだけれど、それは我慢してこのままの状態で残しておくより仕方がないということなのだろう。とりあえずそうしておけば、喜一ワールドにいつでもアクセスすることができるのだ。

この「里ふくろうの日乗」の場合はどうなるのだろうか。月々賃料を払ってサーバースペースを借りているのだから、書き手が亡くなってもトップページに広告記事が掲載されることはないだろう。しかし、銀行口座に預金があるから維持できているわけで、死後時を経て預金が底をついてしまえば、ネット社会の藻くずとなってはかなく消えてしまうのは明らかなことだ。

男性の平均寿命の歳を迎えるまではまだ間があるけれど、そろそろネット社会に見切りをつけて、現実の世界に軸足を移した方が良いのかもしれない。ネットの世界に息苦しさ・重苦しさが漂い始めてきた今が、その時期なのだろう。それはとりもなおさず、ネットというデジタル社会からアナログの世界へと回帰することを意味している。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

ヒカリエより渋谷の街を俯瞰する

〔9階より〕
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〔8階より〕
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posted by 里実福太朗 at 00:38| 里ふくろうの日乗

2013年08月26日

猛暑一服、ゴーヤーは季節の先取り

昨日と今日は最高気温が30度をきり、さしもの猛暑も勢いが衰えてきたことがうかがえる。昨夜はいつもは回す扇風機を止め、薄い上掛けを一枚足してやすんだ。やはり気温が30度を下まわると過ごしやすくなる。ただ予報では、この涼しさも明日まででまた暑い日が戻ってくるらしい。

食卓を飽きるほど賑わしてくれたゴーヤーも、その勢いにかげりが見え始めた。あおあおとした葉に黄化した部分が増え、茶色に変色して網棚からダラリと垂れ下がってしまった葉も増えている。あいかわらず雄花・雌花は咲き続けているがいるが、その数は減少傾向にあり、せっかく受粉しても成長する気配を見せずにそのまま朽ちてしまうものも多くなってきた。今年は紅葉する時期がかなり早まっている。

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posted by 里実福太朗 at 23:08| 里ふくろうの日乗

2013年08月25日

藤圭子さんの人柄を偲ばせる映像

藤圭子さんが西新宿のマンションから身を投げた日は、ちょうど私の誕生日の日だった。昨年、父親が亡くなった時の歳に並び、それから一年、父親にとって生きることのできなかった月日を重ねて、オヤジより一つ年上になった。そんな日に命を絶った人がいる。来年、またその日を迎えることができたなら、、きっとその人のことが思い出されてくるような気がする。

YOUTUBEで藤圭子さんの動画を探していたら、故人の人がらを偲ばせるような映像にたどり着いた。以下にリンクを設けておく。

〔面影平野〕 1978年
井上順が司会をしている番組に藤圭子さんが出演した時の映像。
北海道に住む祖母とスタジオで再会する場面がおさめられている。その、おばあさんのほほえましいキャラクターが心に残ります。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fl4flamTTQ4

〔面影平野★宇崎チーム☆藤 圭子〕
宇崎竜童のバンドをバックにツナギ(?)を着て熱唱する藤圭子。隣には若き日の宇崎竜童さん、アンちゃんぶりが板についています。
ウタダヒカルが、『ユーチューブで見たかーちゃんかっこよかったのに、削除されてた』とつぶやいたとか、真偽のほどは分かりません。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gplqmF8-498

〔乱れ髪〕
いつも直立不動に近い姿勢で歌うのに、珍しく振りをつけて歌う。歌い終わったあと、照れくさそうに小走りで逃げるように席に戻る様子がほほえましい。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=S52RHqEDAsU

posted by 里実福太朗 at 01:00| 里ふくろうの日乗

2013年08月24日

岩合光昭写真展「ねこ」

日本橋に続き渋谷でも、岩合ねこが猫好きの人の心に笑顔を届けていた。

渋谷ヒカリエ9Fのヒカリエホールで開催されている岩合光昭写真展「ねこ」展(8月25日まで)は、日本橋三越で行われた時と同様かなりの人で混雑していたが、会場が広かったせいか、少し離れたところから、そして近づいて繰り返し観るゆとりがあって、岩合さんの猫ワールドを堪能することができた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月23日

船橋市ご当地ゆるキャラ「ふなっしー」

船橋駅近くの文具・生活雑貨の大型店に、ゆるキャラ・ご当地キャラグッズのコーナーが設けらている。一番広いスペースが割り当てられているのは、船橋のキャラクターであることはもちろんのことである。

船橋のキャラクターには二種類があって、一つは公認キャラの「船えもん」、もう一つは非公認の「ふなっしー」である。船橋市が公認している「船えもん」の人気がいまひとつで「ふなっしー」に及ばないことから分かるように、公認されているからといって優位に立てるわけではない。「ふなっしー」の人気の源は、立場の弱い方を応援しようという判官贔屓の心情にあるのかもしれないが、それだけではなくキャラクターの斬新さにもよるのだろう。

さてくだんのご当地キャラグッズコーナーで大々的に販売されていたのは、当然の成り行きとして「ふなっしー」の方だった。近ごろは猫グッズ意外のものにはあまり興味を示さないのだが、そのコーナーを一通り見て回ってから不覚にも二つ買い求めてしまった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月22日

藤圭子さんを悼む

歌手の藤圭子さんが、マンション13階のベランダから転落して死亡したそうだ。午前7時頃のことで、飛び降り自殺ではないかとみられている。

【藤圭子さんが飛び降り自殺か 東京・新宿のマンションから転落死】
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130822/crm13082213100016-n1.htm
…msn・産経ニュース

今では宇多田ヒカルの母親と紹介されることの方が多いが、昭和44年に「新宿の女」でデビューして、翌年に「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットしたころのことを知っている者にとっては、藤圭子の娘が宇多田ヒカルなのである。

昭和44年・45年といえば、駆け出しのサラリーマンの時代で、川崎の小向工場でコンピュータのプログラム開発を担当していた。いわゆる高度経済成長第二期の中程にさしかかったころで、今のような閉塞感に覆われた社会情勢ではなかった。藤圭子が登場したのは、そんな時代を背景にしていた。

その時、藤圭子はまだ17・18歳で、幼さと鄙の雰囲気を漂わせていた。しかしそういう外見とはうらはらに、暗い色をたたえた瞳とドスのきいたハスキーボイスが、いかにも新鮮に響いたのだった。

作家の五木寛之さんが、亡くなった藤圭子さんに寄せたコメントが、朝日新聞デジタルに載っていた。

「藤圭子の衝撃、まちがいなく怨歌」五木寛之さん
http://www.asahi.com/culture/update/0822/TKY201308220390.html
…朝日新聞デジタル 2013年8月22日23時20分

「1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。これは『演歌』でも、『艶歌』でもなく、まちがいなく『怨歌』だと感じた。」

そうだ、その当時、五木さんは藤圭子の歌を『怨歌』と評していた。この記事を読んで、そんな40年以上も前のことを思い出した。

昭和46年8月に出版された「ゴキブリの歌」は、五木寛之さんの「風に吹かれて」に次ぐ随筆集で、毎日新聞の日曜版に連載された文章をまとめたものである。その中に「艶歌と援歌と怨歌」と題された一文がある。

その一文は「演歌」の原義を説くことから始まり、仇花としての「艶歌」への共感、また「援歌」への嫌悪感が綴られる。そして最後の部分で藤圭子が登場するのである。その部分を少し引用してみよう。

『藤圭子という新しい歌い手の最初のLPレコードを買ってきて、夜中に聴いた。彼女はこのレコード一枚残しただけで、たとえ今後どんなふうに生きて行こうと、もうそれで自分の人生を十分に生きたのだ、という気がした。…略…彼女のこのLPは、おそらくこの歌い手の生涯で最高の短いきらめきではないか、という気がした。』

そして少しおいて、藤圭子の歌を<艶歌>でも<援歌>でもなく、正真正銘の<怨歌>であると述べるくだりが続くのである。そして、藤圭子の行く末に不吉な予感を感じるのだった。

『だが、しかし、この歌い手が、こういった歌を歌えるのは、たった今この数ヶ月ではないか、という不吉な予感があった。これは下層からはいあがってきた人間の、凝縮した怨念が、一挙に燃焼した一瞬の閃光であって、芸として繰り返し再生産し得るものではないからだ。彼女は酷使され、商品として成功し、やがてこのレコードの中にあるこの独特の暗く鋭い輝きを失うのではあるまいか。』

藤圭子さんのその後の人生をたどってみれば、五木さんの予感とは遠からずと言っても良さそうな生き方だった。突然引退を表明して歌手の道を捨ててアメリカに渡ってみたり、芸名を変えて芸能界に復帰したり、再びもとの藤圭子に戻したりと、出口の見えない迷い道に入り込んでしまったかのような人生を送っている。

しかし、実は進んで行く道は見えていたのかもしれない、五木さんが指摘した彼女の不吉な道が。目を瞑ってその道に入り込まないようにしたことが、結局迷い道にばかり入り込んでしまうことにつながったのかもしれない。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=f9QsJo-j17c

〔圭子の夢は夜ひらく〜京都から博多まで〕youtube
http://www.youtube.com/watch?v=PpRthIn_IvM
1970年紅白 圭子の夢は夜ひらく 演奏 小野満とスイングビーバーズ
1972年紅白 京都から博多まで 演奏 ダン池田とニューブリード

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月18日

切手をはり忘れたハガキ

残暑見舞いのハガキを、切手を貼らずに出してしまった。裏面に写真を印刷するのに適したタイプのハガキで、50円切手を貼らなければならないのだが、それをうっかり忘れてしまったのだ。

たくさん実ったゴーヤーの写真をそのハガキに印刷している時は、切手を貼るのを忘れないようにと思っていたが、そのことを思い出したのは、ポストに投函して家に帰ってからのことだった。猛暑のせいなのか、それともいよいよボケが始まったということなのか。

料金の不足している郵便物はどう扱われるのか、持ち合わせている知識を呼び出してみても、こんなことしか思い浮かばない。
・不足料金は受取人が払う。
・ただし、受け取りを拒否することはできる。

相手の顔を思い浮かべてみれば、受け取りを拒否するとは思われず、結局のところ不足料金を払うことになってしまう可能性が大なのである。そうならば、すぐにでも不足分を送り届けるのが最善の策なのかもしれない。いったんはそう思ったが、すぐ思い直した。そういう場合、郵便局はどのように処理されるのだろうか、念のため調べてみることにした。

〔Q3. 料金不足の手紙はどうなるの?〕
料金不足の郵便物の場合下記の方法がとられます。
1)受取人に届く前に差出人に返送される
2)受取人に届いて不足額を支払う
3)受取人が不在だったり、支払いを拒否したりすると差出人に返送される
(郵便局のウェブサイトより)
http://www.post.japanpost.jp/navi/mame_faq.html

これによれば、『1)受取人に届く前に差出人に返送される』ことがあるということだ。それはどういう場合なのだろうか、その点については詳細が示されていない。他のウェブページを参照すると、次のような具体的な説明が示されていた。以下にポイント要約しておくことにする。

◇投函したポストの場所によって扱い方が異なる
1.差出人の住所が集配郵便局の配達管内である場合
 →差出人に返送される
2.差出人の住所が集配郵便局の配達管内ではない場合
 →受取人に配達される

今回切手なしのハガキを投函したのは、自宅から近い市内のポストだったから「1」の場合になりそうだ。案の定、次の日に以下のような注意書きが貼られて戻ってきた。おかげさまで、相手に不名誉な失態をさらけ出すことは避けることができた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月13日

血圧

身近なところに、毎日血圧を測って記録している人がいる。そういう人たちからお話を伺い、当方も寄る年波で健康に自信がある方ではないから、念のため血圧を測ってみようかと思い立ったのだった。買い求めた血圧計は、血圧計のベストセラーとされている製品で、さる方が使っていたものと同一のものだった。ついでに20秒で測れるという体温計も購入した。

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ヒョッとして血圧が高くて、脳卒中のリスクを抱えているかもしれないというような不安におびえながら暮らしていると、頭の中の血圧計がどんどん高くなって、それがもとでほんとうに高血圧になってしまうかもしれない。心因性高血圧というものもあるそうだから、自分の普段の血圧くらいは分かっていた方が良いに決まっている。というわけで、特に差し迫った事情があるというわけではないが、血圧をはかることを日課としたのだった。

血圧は、一般的に朝高く夜低いという傾向があるということだ。しかし私の場合は、朝が低く夜が高かった。毎日はかっているが、必ずそのような結果となった。

昔から朝が苦手で、朝のうちは頭がボンヤリとして、お昼が近づく頃になってやっと頭が回転し始めるのが常だった。勤めていた時は、そういう自分の傾向が分かっていたので、逆に早起きを心がけていた。エンジンが掛かるのに時間を要するのだから、少なくとも始業時間の3時間以上前には起床するようにしていた。だから勤めを辞めてうれしかったことの一つは、朝早く起きる必要がなくなり、自分の体の自然に逆らう必要がなくなったことだった。

今までは、朝起きるのが苦手だということは、朝のうちは血圧が低いことが理由なのかもしれないと漠然と思っていただけだった。しかし何日か血圧を測ってみて、朝の方が血圧が低いということが実際に数値として示されたのだから、やはり血圧と関連している可能性があるのだろうと理解しておいてもよさそうだ。

〔血圧 正常値・適正値を知りましょう〕



posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月11日

ネコ公園の新顔ミケちゃん

以前から、三毛の子ネコがエサをもらいにやって来るということは耳にしていた。ただ姿を現すのは早朝あるいは深夜ということだから、その姿を目にしたことはなかった。道路を挟んだお山の方からやって来るらしい。

自由人によればまだ警戒心が強く、エサを置いてその場を離れてあげないと食べに来ないということだ。エサをやる時間を工夫してもらって、昼間の時間帯に姿を現すように警戒心をといていくには少し時間が掛かりそうだった。

ある日のこと、自由人が
「来てる」
と言って慌ててエサを取りに行った。その三毛猫は、まだ鉄柵の向こう側にいた。エサを手にした自由人は、柵の手前の少し離れたところに置いて引き上げてきた。しばらくしてミケちゃんは、あたりを注意深くうかがいながらやっと出てきた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月10日

ネコ公園はセミしぐれ

今夏最も暑い日という昨日の予報の通り、都心では最高気温が37.4度を記録した。ネコ公園の猫たちは、今日も少しでも涼しい場所を求め、ダラリと身を横たえて過ごすよりしかたがなかっただろう。

この猛暑を喜んでいるのはゴーヤーだけではなかった。二・三日前、熱気に包まれたネコ公園を訪れた時、暑さを力にしてひときわ大きな声で鳴き続けていたのはセミだった。

陽射しを避けて大樹の陰のベンチで休んでいる時、ふと地面に目を落とすと、そこにはたくさんの小さな穴が口を開けていた。セミの穴である。薄明の頃には、その穴から幼虫たちがぞろぞろと抜け出して、木に登って脱皮する姿がそこかしこに見られることだろう。

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蒸し暑さのせいなのか、それともチクチクと背中に感じる痛みのせいなのか、たぶんその両方のせいなのだろう、テントの中の自由人は、まだ夜の明けきらないうちに目が覚めてしまった。背中の痛みの原因は何なのか。それを確かめようとして、恐る恐る手を背中にまわしてみた。

指先に触れたのは、少し大きな昆虫のようなものだった。毒を持つ虫だと面倒なことになる、慌ててシャツを脱いで薄明かりの中でその正体を見極めてみれば、意外にもセミの幼虫だった。
(オレの背中で脱皮しようとするなんて、間違うのにも程がある)
とつぶやきながら、シャツから引きはがして近くの木にとまらせてあげたのだった。

以上のことは、自由人から聞いた本当の話である。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

元気なのはゴーヤーだけ

この猛暑をものともせず、ますます勢いを増しているのはゴーヤーである。一時期その勢いが止まったかに見えたことがあったが、この暑さのおかげなのかまた勢いが戻ってきて、現在大小とり混ぜて30個ほどが網棚にぶら下がっている。

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今までで最大と思われるゴーヤー、長さ約30p、周囲約21p。

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posted by 里実福太朗 at 00:30| 里ふくろうの日乗

2013年08月09日

炎暑のネコ公園

池を渡る風が吹いてくれれば暑さも幾分かは和らぐのだが、その風がまったく吹いてくれない。池のほとりでは体温に近い空気がよどみ、身にまとわりつく熱気を払いのけようと扇子であおいでも、熱風がわき起こるだけでかえって暑さが増してくる始末なのである。

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涼しい場所を捜し出すことが得意な猫も、こうなってはお手上げで、人の目もはばからず無防備な姿をさらしていた。

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大食漢のネコも、好物の小魚の入ったエサを前にしても食欲がわかないのだろう、うつろな目を向けるだけだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月06日

朝から雷鳴が轟いた。今、各地で被害を出している局地的集中豪雨に見舞われそうな大気の状態だったが、さいわいなことにしばらくすると雷鳴は遠のいていった。

午後には再び雲行きが怪しくなり、千葉県北西部には大雨警報が出された。買い物から戻る頃には雨もひとしきり降ったが、豪雨とはならなかった。

雨があがった東の空に、虹がかかった。明日からは再び猛暑が復活するそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 22:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月05日

権藤はなよの詩碑巡り

権藤はなよ作「たなばたさま」の詩碑は、JR穴山駅の近く「穴山さくら公園」内に建つ。駅の南側に変電所があり、それをはさんでさらに南側にその公園がある。平成19年度に完成した新しい公園で、公園の北側には駐車場もある。この「穴山さくら公園」で詩碑の除幕式が行われたのは、七月七日の七夕の日のことだった。

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権藤はなよの詩碑は、この「たなばたさま」の碑のほかに8基、合計9基が穴山の里に点在している。今回の旅行では、そのうちの5基を確認することができた。以下、詩碑の写真とそこに刻まれている詩を載せておく。

1.穴山さくら公園
〔たなばたさま〕

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ささの葉 さらさら
のきばに ゆれる
お星さま きらきら
きんぎん すなご

ごしきの たんざく
わたしが かいた
お星さま きらきら
そらから みてる

2.夏目公民館
〔ないしょ ないしょ〕

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山葡萄 みつけた
まだまだ 青い
葉っぱのかげに かくせ
ないしょ ないしょ ないしょよ

山ぐみ 見つけた
まだまだかたい
葉っぱをかぶせて かくせ
ないしょ ないしょ ないしょよ

だれにも 言うな
小鳥も食むな
葉っぱのかげで あかく
こっそり こっそり こっそりよ

3.石水公民館
〔雲雀の子〕

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ちらほら麦の穂 出る頃は
雲雀の子供が 巣立ちます
ピーチク ピーチク ピーチクピ
朝もはよから 唄げいこ

そよそよ麦の穂 そよぐころ
雲雀の子供が 巣立ちます
一とび 二とび ぴょんととび
日暮れ頃まで とびげいこ

4.いとーくる伊藤窪公民館
〔願かけた〕

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お宮の石段 百五段
蟻の子供が 上ってく
切られたおひげの 伸びる様に
願かけませうと 言っていく

二十五段で 日が暮れて
五十五段 月が出た
月の明かりで 蟻の子は
宮に参って 願かけた

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5.穴山公民館(ふれあいホール)
〔雪こんこお馬〕

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雪こんこ降るに お馬が行くよ
お馬の鞍にゃ 雪こんこ白い

雪こんこお馬 冷たくないの
お馬の首も 雪こんこ白い

雪こんこお馬 どこまで行くの
お馬よ急げ 雪こんこ積もる

この詩碑が建つ穴山公民館(ふれあいホール)は、旧穴山小学校の跡地にある。穴山小学校は平成2年3月に廃校となり、116年の歴史に幕を閉じて校舎は取り壊された。今も残されているのは、校門の門柱・屋内運動場・グランドなどである。

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〔穴山小学校閉校之碑〕
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穴山の里の高台にあり、グランドからは甲斐の山々を見晴らすことができる。権藤はなよは、この穴山小学校を卒業したのち、東京に出て行くまでの一時期ここで教鞭をとった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年08月03日

「まるげ(○げ)」にまつわる不思議な偶然

告別式に参列したあと、アユミギャラリーへと向かった。折しも、企画写真展「蒼」が初日を迎え、故鈴木喜一さんの写真も展示されている。夕刻に予定されているオープニングパーティの時間までにはかなり間があるが、告別式の人波の中に身を置いて高ぶった心を鎮めるには、そのくらいの時間は必要だった。

ギャラリーに一歩足を踏み入れた時、思わず「げ」っと叫びそうになってしまった。居合わせた写真塾のYさんが身につけていたTシャツの背中に、大きく「まるげ」と記されていたからだ。先日訪ねた穴山でも、それと同じように「げ」を丸で囲んだ奇妙なマークに出くわしたことがあったのだ。

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うり二つの「○げ」を目にして、穴山で見たものと何らかの共通点があるかもしれない、と期待を込めてYさんに尋ねてみた。
「そのTシャツは、ひょっとして山梨の穴山のお店で買いました?」
唐突にそんなことを訊かれて、首をかしげているYさんの返事を聞く前に、あまりにも不思議な偶然に気が急いて、穴山で見た「○げ」について話し始めてしまったのだった。

墓参のために山梨に行った際、穴山まで足をのばして権藤はなよの詩碑を訪ねた。甲府と同じく穴山も暑かった。詩碑は全部で九基建立されたそうだが、同行の人の健康状態も気がかりなので、今回は半分程度を見て回ることにした。

「穴山さんぽ道−権藤はなよの世界−詩碑を訪ねて」という小冊子に載っていた地図を詩碑巡りの参考にした。その地図には、権藤(旧姓伊藤)はなよの生家あとも記されていた。同行の姉が、戦時中に穴山に疎開した際、その家にお世話になったということだった。

実は、以前穴山を訪ねた際にも探してみたことはあったが、藁葺き屋根だったその家は見つけ出せなかった。長い時を経て、取り壊されてしまったのかもしれなかった。しかしその地図には、はっきりと「権藤はなよ生家あと」と記されているのだから、何らかの痕跡が残されているのではないだろうか、あるいはすべてが失われてしまったとしても、記念碑のようなものが設けられているかもしれない、と手がかりを求めて穴山の里の曲がりくねった細い道を、NBOXは進んで行ったのだった。

「穴山さんぽ道」という地図はかなり大雑把で、そのせいだとは言いたくはないが、やはり道に迷って水田地帯へと出てしまった。青々と育ったイネを見ながら農道を走り、やっと里への上り口を見つけ急な坂道を上るあたりから、こんな標識が見え始めた。
「○げまで**m」
一体全体どんな意味を持つ標識なのか、ただ丸の中に「げ」があるだけでは皆目見当がつかない。

坂を登り切ったところにも同じような標識が立っていて、距離は短くなっていた。地図上の「権藤はなよ生家あと」が近づくにつれて、「○げ」までの距離数が次第に減ってゆく。そして最後に行き着いたのは、「○げ」用の駐車スペースだった。そこは「cafe ○げ」用として設けられていたのだった。

人騒がせな「○げ」は、どうやらカフェのようだった。それにしても、どうしてこんな人跡まれな山里にカフェなどがあるのだろうか。そんな疑問がわいてきたが、そこから少し歩いてみれば、たしかに古民家を改装したような造りの「○げ」があった。昼時を過ぎて空腹を覚えてきたところで、これ幸いと引き戸を開けようと試みたが鍵が掛かっていた。

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同行の義兄が、その家は屋根の形から想像すれば元は藁葺きだったかもしれない、場所的にも権藤はなよの生家あとの可能性が高いと言う。たしかに屋根の傾斜などを見れば、その説にはかなりの信憑性があると思われた。ただ残念なことに、そのことを示す説明板などは見あたらなかった。

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長々と話してしまったが、要はYさんが着用している「○げ」のTシャツは穴山のカフェ「○げ」と関係があるのではないかということを確かめたかったのだ。しかし、その答えは意外なものだった。
「この『○げ』は、サンダル屋さんですよ」
ネットで調べてみたところ、確かに「○げ」というサンダル屋さんがあった。葉山のビーチサンダル専門店だった。

〔げんべい〕
http://www.genbei.com/index.html

なお穴山の「○げ」は、ネットで調べてみると、隠れ家的カフェレストランとしていくつかの紹介記事が見つかった。それらによると、欧風料理を提供する店のようだった。営業時間は、18時から深夜2時までとなっていた。

〔食べログ〕
http://tabelog.com/yamanashi/A1902/A190202/19000153/

〔山梨珈琲日記〕
http://46324885.at.webry.info/200809/article_4.html

〔楽天ブログ〕
http://plaza.rakuten.co.jp/tokiwin/diary/200901220000/
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月31日

鈴木喜一さんを悼む

あまりにも突然の訃報だった。八ヶ岳から帰って来た次の日の午後、アユミギャラリーから一通のメールが届いた。タイトルは「訃報ご連絡」となっていた。どなたかがお亡くなりになったことを知らせるメールであることは分かるが、どなたなのだろうか、そんな疑問を抱きながら開いてみると、以下のような文言が記されていた。

鈴木喜一、病気療養中の処 7月30日午前3時48分永眠致しました(享年64歳)

鈴木喜一さんのブログ「大地の家」が、7月4日から更新されていないことが気がかりではあったが、いずれ新しい記事が載るものと思っていただけに、その知らせはすんなりと受け入れがたいものだった。

知らせていただいた内容に誤りなどあるはずはないのに、それを受け入れるためには少し時間が必要だった。アユミギャラリーのウェブサイトにアクセスして、トップページにリンクされていた「訃報について 2013.07.30」という記事を読み、次にブログ「大地の家」の「訃報ご連絡」に目を通し、さらにfacebookの[訃報告知]を確かめて、記載されている内容がすべて同じであることをが確認できれば、もはや事実として受け入れるより仕方がなかった。

〔訃報ご連絡〕
http://daichinoie.blog6.fc2.com/
大地の家 2013.07.30

写真塾に入ったことが鈴木さんとの接点を持つきっかけとなった。4年ほど前のことだ。以後、写真塾の講座の際、講座修了後の居酒屋での歓談の際などでご一緒したことがあった。そんな時、喜一さんは風のように現れ、ケータイ(後にスマートフォン)で写真を何枚か撮り、現れた時と同じく風のように去って行くことが多かった。そして、会がはねてから家に帰り「大地の家」を見ると、その時の記事が写真とともにアップされているのだった。

多才な人だった。ブログ「大地の家」には、こんな自己紹介が載っている。
『建築家×旅人×画家×文筆家×大学教師×神楽坂建築塾×ギャラリー運営他さまざまな活動を同時多発的に展開する。静岡出身の東京人、というか神楽坂を拠点とする地球人。』

怠惰な生活を送っている人間からみれば、そんなに仕事を抱えて大丈夫なのだろうか、と余計な心配をしてしまうほどの仕事量、何かに衝き動かされていなければ到底こなすことのできないほどの仕事量だったと想像する。

先日行われた写真塾の6月講座「お茶の水から神田須田町へ」が終わってから、「みますや」で歓談している時、例によってヒョッコリ喜一さんが姿を現した。その時は、こんな言葉を残してすぐ帰ってしまった。
「病気なんですよ」
最初は冗談めかして言ったのかと思ったが、様子を見て冗談ではないことが分かった。いつもの喜一さんではなかった。その時が、生前の喜一さんにお目にかかった最後となってしまった。

〔神楽坂写真塾の6月☆お茶ノ水から神田須田町へ〕
http://daichinoie.blog6.fc2.com/blog-entry-8102.html

今まで積み重ねてきた仕事が熟していくはずのその矢先で燃え尽きてしまった。私より二つ年下、早すぎる死と言わざるを得ない。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月26日

墓参

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やはり甲府は暑かった。
17回忌。
posted by 里実福太朗 at 08:36| 里ふくろうの日乗

2013年07月23日

巣立ちの日

待ちに待った巣立ちの日を迎えた。樹胴から出てきたヒナは三羽だったが、一羽は不幸にも落下してしまった。体がまだ小さく飛翔力が十分ではなかったのだろう。外の世界に出た刹那、大きな試練に襲われたヒナの運命はどうなったのであろうか。夕闇せまる頃にドラマチックな結末が待ち受けていたのだが、今はそれを綴るいとまがない。後日報告させていただくことになるだろう。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月21日

巣立ちはまだ

7月20日
午後に写真塾の集まりがあったが、午前中の早い時間に行ってみた。カメラは昨日よりさらに台数を増やしていた。

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五時を少し過ぎたところで、講座を抜け出し帰路についた。日没前にアオバヅクのいる公園に着いて巣立ちを見るためには、それがぎりぎりの時間だった。しかし予想ははずれて、巣立ちはまだだった。

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7月21日
公園の駐車場に着いたのは朝の6時頃、すでに半分ほどは車で埋まっていた。ざっと数えてその数30台以上だった。樹胴のある木の下には、カメラが昨日よりさらにたくさん並んでいた。公園はかなり広いから、この場所を特定するのは難しいはずなのだが、口コミでいっきに広がってしまったようだ。

今日の巣立ちは、なし。


posted by 里実福太朗 at 22:48| 里ふくろうの日乗

2013年07月19日

巣立ちは近い

去年アオバヅクが巣立った日が近づいてきた。今年もその日と同時期に巣立ちの日を迎えるなら、それはもう間近に迫っている。

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2013/07/18
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2013/07/19
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アオバヅクの写真は、同じようなものになってしまうので、集まって来ている人たちを撮ってみた。みな太くて長いレンズを、アオバズクに向けている。大砲のようなレンズを何本も向けられていては、アオバヅクも心穏やかではないかもしれない。

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夕暮れ時にもう一度行ってみた。夫人の友人によると、その頃になるといよいよ活動を始めて、飛ぶところを見ることができるということだった。鳥影がシルエットに見え始める頃、羽根をのばして準備運動を始めた。そして時を経ずして勢いよく飛び立った。フクロウは音もなく滑空するはずだが、アオバズクは羽音を残しながら、樹胴のある大樹の周囲を気持ちよさそうに飛び回った。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月16日

巣立ちはまだか

アオバヅクのメスが外に出ていることを確認したのは8日(月)のことだった。その後何回か見に行ったが、残念ながらヒナが顔を出してくれることはなかった。

7月13日
母鳥がかなり低いところに下りてきた。
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7月14日
母鳥、眠そう。
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7月15日
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posted by 里実福太朗 at 23:05| 里ふくろうの日乗

2013年07月15日

庭のコクワガタ

「コクワガタがいた」
と言いながら、夫人が手のひらにのっている小さな黒い虫をさし出した。ただコクワガタと一目で分かる大アゴがなく、何の変哲のない虫の一種のようでに見えた。
「コクワかな〜?」
受け取ってしばらく見回しているうちに、大アゴはないが小さな頑丈そうなアゴはあることに気づいた。コクワガタのメスであることには間違いなかった。

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子どもが小さい時に、近くの雑木林で見つけたコクワガタを庭に離したことはあったが、そんなことはとうの昔のことだ。その時のコクワガタの子孫が庭で生息し続けていたのだろうか。それとも、わずかながら残っているどこかの林から飛来したのだろうか。庭の木の根元あたりに離してあげたら、チョコチョコと走って小さな樹穴の中に身を隠した。
posted by 里実福太朗 at 22:53| 里ふくろうの日乗

2013年07月13日

暑くてたまらニャン

イヤー暑い。暑い日が続く。山梨県の甲州市では、昨日までの四日連続で39度を超えたそうだ。「心頭滅却」しても暑いものは暑いのだ、信玄さん。

ネコ公園では、自由ネコたちも、少しでも涼しいところをさがして昼寝三昧。

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『夜も暑くて眠れん。睡眠不足であくびばかり』
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『壁際に寝返りうって、お腹をピタッとつければ、冷たくて気持ちがいいね』
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posted by 里実福太朗 at 22:46| 里ふくろうの日乗

2013年07月09日

ヒナ誕生

アオバズクのことが気になって、昨日の夕方、城址公園に久しぶりで行ってみた。いつもの枝のいつもの場所に、あいかわらず一羽のアオバズクがとまっていた。まだ何の変化も起こっていないようだった。

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しかし、もしやと思ってさらに上の方を見上げてみると、予感は的中して別のアオバズクがとまっていた。母鳥が樹胴から出てきたのだ。ヒナがかえると母鳥は巣から出てくるから、そのことはヒナが誕生したことを意味しているのだ。

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昨年庭木に営巣したヒヨドリとキジバトの場合はヒナが誕生してから短期間で巣立っていったが、アオバズクの場合はもう少し日数が掛かるそうだ。前回公園に来たのは10日ほど前で、その時母鳥はまだ外に出ていなかった。その後、いつ頃ヒナがかえったのだろうか。それが分かれば巣立ちの日のだいたいの見当をつけられるのだが、それがはっきりしない。

今朝は早起きして、また公園に行ってみた。親鳥は昨日と同じ場所にとまっていた。やはりそろそろ巣立ちの季節だろうと見当をつけてやって来たのだろう、何人かのカメラマンが太くて長い望遠レンズを三脚に載せ、アオバズクに向けて構えていた。小一時間ほど変化が起こるのを待っていたが、ヒナは姿を見せてくれることはなかった。
 
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

ゴーヤー初収穫

今期初めて収穫したゴーヤーは、大が2本・中が1本・小が一本、合計4本だった。大きさに違いがあるのは、生育状態に差があるためではなく、複数の品種のゴーヤーを植えたためである。

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いちばん小さいのは昨年植えた品種と同じゴーヤーで、長さは13pほど、いちばん長いのは約29pだった。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2013年07月07日

「たなばたさま」の真実

近所のスーパーに行くと、店内に「たなばたさま」の曲が流れていた。今日は7月7日、今年もまた七夕の節句が巡ってきたのだ。曲を聞いているうちに、おのずとその歌詞を口ずさんでいた。そして同時に、あの作詞者にまつわるなやましい問題が思い出されてきたのだ。

グーグルなどで検索してみればすぐ分かることであるが、「たなばたさま」の作詞者の名前は以下のような三通りの形のいずれかで記載されていることが多い。

1.作詞 権藤はなよ
2.作詞 権藤はなよ 補作詞 林柳波
3.作詞 権藤はなよ/林柳波

1の場合は、作詞者は権藤はなよのみ、2の場合は権藤はなよが作詞してそれに林柳波が手を加えて完成させたことになり、3の場合は二人の共作となる。

一般的に多く見られるのは2の場合で、 ウィキペディアの林柳波の項でもそれを採用している。この記事は、 2004年11月20日に再投稿されている。その後加筆・修正が行われ、 2012年12月8日を最後として更新されていない。以下に最新版から引用する部分は、2004年11月20日の版と比べてみても重要な点での異同はないので、ある程度の信憑性はあると考えられる。

林柳波〕…ウィキペディア

『当時文部省唱歌は作者名を公表しないことになっていた。柳波は、野口雨情の弟子、権藤花代の童謡詩『タナバタサマ』が選考に漏れたのを補作して委員会で再議し、採用された。』

これだけを読めば、そういうこともあったのかなと思うだけで特に疑問を感じることはないかもしれないが、次に続く部分を読むといったいこれはどういうことなのかと疑問が頭をもたげ始めてくる。

『これは後に、第二次世界大戦後、作者名が公表されるに及んで、林柳波が盗作疑惑を受ける原因となった。』

冒頭の『これ』という指示語は何をさしているのだろうか。第一文だけを指していると受け取ることもできるが、二つの文全体を受けていると理解するのが自然である。要点をまとめれば以下のようになろう。

戦後、林柳波が盗作疑惑を受けた原因は以下の二点である。
(1)第二次世界大戦以前は、作者名は非公表であった。
(2)柳波が補作して採用された。

しかし、『補作』しただけで果たして盗作疑惑という騒動が起こるものだろうか。その間のいきさつが具体的に示されていれば納得がいくのだが、その点については一言も触れていない。そういう中途半端な書き方が、かえってこの投稿者は何か重大な事実を隠そうとしているのではないだろうかという疑念を引き起こすのだ。

林柳波が盗作疑惑を受けたことについて調べておきたいと思いつつも、なかなかその機会を持てずに今年もまた七夕の日がやって来てしまったのだった。

「たなばたさま」に関してネット上に何か新しい事実が載っていないものかと調べてみたところ、ウィキペディアの「権藤はなよ」の項が大幅に加筆・修正されていて、そこに新たな事実が記載されていた。また、「なっとく童謡・唱歌」というウェブサイトに載っている画像が、その事実の信憑性を補強することにもになっていた。

ウィキペディアに権藤はなよの記事が初めて投稿されたのは、2010年10月5日のことだった。何回かの加筆・修正が行われた後、 2011年9月14日以降は一人の投稿者が何度も何度も版を重ねて現在に至っている。その執念たるや、すさまじいものを感じる。

権藤花代〕…ウィキペディア

最新版の投稿日は2013年7月1日である。そこに記載されていることを、年代を追ってまとめてみよう。

昭和16年…作者名は不記載
『「うたのほん 下」(国民学校2年生用)に掲載された』

昭和26年〜昭和31年
『春陽堂教育出版は歌詞の「ごしきのたんざく」の部分だけを「きれいないろがみ」と書き直し、林柳波作として「たなばたさま」を五年間にわたって掲載し続けた(教科書番号109、113)』

昭和28年
『教育芸術社は、作曲者である下総皖一校閲の『一ねんせいのおんがく』(教科書番号131、136)を発行。歌詞は、国民学校教科書初掲出の「ごしきのたんざく」で、作者は、<うた ごんどうはなよ・きょく しもふさかんいち>と記載されている。』

昭和36年…権藤はなよの没年
『少年少女歌唱曲全集『日本唱歌集(4)』ポプラ社 に収録されている「たなばたさま」は、権藤花代作詞、下総皖一作曲となっており、奥付にはJASRACの印がある。』

昭和42年
『日本音楽著作権協会は〜(中略)〜『日本音楽著作権協会管理唱歌作品集』45頁に「たなばたさま」の作詞者名を「権藤花代・林柳波」と連名で記載した。』

以上の中で最も重要な点は、昭和16年「うたのほん」に採用された「たなばたさま」の一部分「ごしきのたんざく」だけを「きれいないろがみ」と変更して、さらに作者名を「林柳波」としている点だ。

これが林柳波によって補作された形なのだろうか。仮にそうであったとしても、原詩の作者はどこへいってしまったのだろう。「作詞 権藤はなよ 補作詞 林柳波」とはなっていないのである。作者は、林柳波だた一人なのである。

この盗作疑惑に関わる決定的な証拠が、前掲の「なっとく童謡・唱歌」というサイトに載っている。「たなばたさま」が林柳波作として載っている教科書の画像だ。それを見ると、たしかに『林 柳波 作詞』と記されていて、歌詞の二番の冒頭は『きれいな いろがみ』となっている。

『文部省検定済教科書『あたらしいおんがく一ねん』(春陽堂発行)昭和25年発行(教科書研究センター附属教育図書館蔵書。2013年3月27日調査)。』
…なっとく童謡・唱歌

権藤(旧姓伊藤)はなよは、山梨県の穴山村(現在は韮崎市穴山町)の出身である。かねてよりその穴山で、地元住民によって「たなばたさま」の詩碑が建てられ、七夕の日に除幕式行われる聞いていた。今日がその七夕の日、天の川の彼方からその様子を眺めているのであろうか。

〔童謡たなばたさま「発祥の地」PR 穴山住民、権藤花代の功績を碑文に〕
…山梨日日新聞 2013年06月19日(水)

なお権藤はなよの遺骨は、夫・権藤円立の出身地である九州延岡の「光勝寺」の納骨堂に納められている。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月06日

関東甲信地方は梅雨明け(したとみられる)

午前中はどんよりとした雲に覆われ、強い風が吹き荒れていた。しかし午後になると、厚い雲の切れ間から青空が顔を出しはじめ、強い陽射しが照りつけてきた。お天気キャスターが気温が非常に高くなると注意を呼びかけていたが、いつもの大騒ぎではないか思ってあまり気にしていなかったが、今回は的中した。

暑い暑いとため息をついていたら、気象庁から「関東甲信地方は梅雨明けしたとみられる」と発表された。突然のことだった。そんなことは聞いていなかった。暑さに対する心身の構えができていないうちに不意打ちをくらってしまったのだ。


関東甲信梅雨明け、過去4番目に早い
tenki.jp 〔日直予報士〕2013年7月6日 11時10分


平年より15日も早い梅雨明けなのだそうだ。今年は桜も例年より早く咲き始め、季節がいつもより2週間ほど早く変化していたから、梅雨明けもきっと早いだろうと予想しておけば良かった、今となってはもう遅いが…。

庭のゴーヤーは熱い陽射しを受けて、暑い暑いと嘆く人間とは裏腹に、ますます元気になっていくことだろう。

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posted by 里実福太朗 at 16:29| 里ふくろうの日乗

2013年07月05日

ジョイフル本田の格安「JOY宅配便」

つい最近知ったことだが、時々利用するジョイフル本田では宅配便サービスを行っているらしいのだ。店内に貼られていたポスターを夫人が見て、教えてくれた。500円で送ることができるというのだ。ある宅配サービスでは、一番小さなサイズの最低料金が740円ということだから、かなりお得な料金設定である。

ただ今回は、相手側の不在の時間を避けて時間指定で送りたいと思っていた。そういったサービスがあるのだろうか。そこでそれを電話で確かめてみた。以下、その点以外にも分かったことをまとめておく。

○地域によっては、配達の時間帯を指定できる。
○相手側が不在の場合は、不在票を郵便受けに入れておくので、再送依頼の連絡ができる。
○野菜・果物などの「生もの」は配達できない。
○タテ・ヨコ・高さの合計が160p以内または25s以下のものに限る。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月04日

「リリー」はじめまして

今回お世話になった村上の家には、「リリー」という名の猫がいる。家猫に接するのはほんとうに久しぶりのことで、いつも行くネコ公園では、ホームレス猫ちゃんたちに愛憐の情をもって接しているけれど、住む家が決まっていて何の心配もなく暮らしている猫も、それはそれで猫としてのおもしろみに欠けることはない。

その猫は「リリー」という名の通り、日本人離れした…いや日本猫離れした体型と風貌を持ち合わせている。性格までも、自己主張の強い外国娘に似ているような気がする……外国のお嬢さんのことをよく知っているわけではなく、ただ単に想像で言っているのだが…。

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「リリー」と呼べば、そのクシャクシャッとした顔には似合わず、妙に乙女チックでかわいげな鳴き声で応えてくれる。その鳴き声につられて、つい手を伸ばして撫でてしまうと、「ニャッ!」と一喝されてガンまで飛ばされてしまう。そしてフンとつぶやきながら…思い過ごしかもしれないが、立派なシッポをユサユサと揺らしながら悠然と去って行く。乙女の甘い鳴き声には注意が必要なのである。

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「リリー」は、自分の毛並みの美しさを自ら認めているに違いない。また彼女の威厳の源であるシッポも、猫並はずれて美しいものであると心の中で自慢しているに違いない。彼女がシッポを振り振り部屋の中を闊歩しているのを見ると、それが間違いでないことのように思われてくる。

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こんなことを書くと、かなり性格の悪い猫のような印象を与えてしまうかもしれない。だけど、時にはこんな姿も見せてくれる。これでは女王様の威厳も台無しだが、どんなにうわべを飾って気取っていても、「リリー」も猫なんだということにあらためて気づいて、チョットお近づきになれたような気がするのだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月02日

ヘブンアーティストTOMAさん

ネコ公園では、ヘブンアーティストと呼ばれ人が来てさまざまなパフォーマンスを見せてくれることがある。彼らは東京都が実施している審査会に合格してライセンスを取得しているので、あるレベル以上のフォーマンスを見せてくれる。

「東京都の文化政策」というウェブページでは、その目的を以下のように説明している。
『「ヘブンアーティスト事業」は東京都が実施する審査会に合格したアーティストに公共施設や民間施設などを活動場所として開放し、都民が気軽に芸術文化に触れる機会を提供していくことを目的としています』
http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/heavenartist/

最近では、TOMAことサックス奏者の苫米地義久さんが心地よい音楽を演奏してくれた。彼のウェブページを見ると幅広く活躍していて、ネコ公園近辺でも以前から演奏活動をしていたようだが、今回初めてその演奏を耳にすることができた。

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〔CD「愛しき星」より 〜南風〜〕


〔苫米地義久(サックス、作曲)さんのホームページ〕
http://www011.upp.so-net.ne.jp/toma/

〔苫米地義久 ライブ案内〕2013年6月〜
http://d.hatena.ne.jp/ytoma+live/?of=0

サックスの響きを聴いていたネコサポーターの女性が、
「カフェにでもいるようね」
と言っていた通り、おいしいコーヒでもあればほんとうにそういう気分になるに違いない。それが叶わないなら、せめて缶コーヒでも飲んでそういう気分にひたることにしよう。

ネコ公園でTOMAさんの生演奏を聴いてからというもの、彼のCDを買い求め毎日のように聴いている。写真の現像をする時、写真集をながめたり本を読んだりする時、彼の穏やかな曲がバックグランドミュージックとして流れると、ゆったりと静かな気持ちで時を過ごすことができる。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年07月01日

あいちゃんとの再会

近ごろ日本酒を口にすることはあまりないのに、「〆張り鶴」を散歩のお土産にしようと思いついたのは、昨日のことが心に残っていたからに違いない。

かつて勤務していた職場で共に働いていたK先生は、退職後千葉を離れ、村上に移り住んだ。そう決断したのは、新潟が酒処であるということ、特に村上には「〆張り鶴」という銘酒の酒蔵があるということが、その理由の一つにあるのではないかと怪しんでいた。もちろん独断と偏見の域は出ないが、今回再訪して夕食をご馳走になったおり、〆張り鶴の冷酒を満足げに飲む姿を目の当たりにして、その当て推量がまんざら外れていなかったのではないかと思ったのだった。

K先生は、正座しながら「〆張り鶴」を飲み続ける。
「一合が適量なんです」
と言いつつも、300ml入りの瓶の残りの量はどんどん減り続けた。
「お酒はお米からできているから、飲む時はご飯を食べません」
などと言いながら杯を重ね、ついに一瓶を空けてしまった。

当方は車の運転があるので、アルコールゼロのビールを飲んでいた。だからといって隣で杯を重ねるK先生を羨望の眼差しで見ていたということはない。ただ正座して泰然と「〆張り鶴」を飲み続けるK先生の姿に、感銘に近い気持ちを抱いていたと言った方がいいだろう。そんなことがあったから、酒屋さんの前を通った時、その時のK先生の姿が思い浮かんだのも当然なことなのである。

さてK先生のお宅では、現在、猫二匹・犬一頭を飼っている。以前はニワトリも飼っていて、産みたての卵が手に入る利点もあったが、さすがに今は室内飼いのニワトリはいなかった。

猫のあいちゃんは、齢十数年を重ねた今も変わることなく穏やかな日常を送っていた。五年前の訪問の時、哲学者然とした風貌と静かに庭に眺め入る姿に心ひかれたのだが、今でもその所作はいささかも揺らぐことなく、ゆったりと部屋の中を歩いて縁側に出て、そこに座って瞑想を始めるのだった。

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こちらはむむちゃん。6月6日にK先生宅に来たことからそう名付けられたと聞く。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

豊作の予感

豊作の予感
ゴーヤーが、あれよあれよという間にどんどん成長して、毎日たくさんの花が咲き、実もかなりついてきた。近ごろは雄花も雌花もそれぞれがかなりの数咲くので、受粉できるかどうかということなど、もう心配する必要はなくなった。

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一番大きな実は、12pほどに達している。
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ミカンもたくさん実をつけている。例年花はたくさん咲くけれど、最終的に実がかろうじて一つという残念な結果に終わっていた。今年は現在の時点で、まだ20個ほどの実がしっかりと枝にしがみついている。このまま大きくなってくれればありがたいのだが…

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ミニトマトもビッシリと実をつけている。すでにいくつかは収穫されて食卓に並んだ。

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2013年06月30日

村上ねこ散歩(2)

駅前から東に延びる大通りをお城山方面に向かう。

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二之町・三之町のあたりまで足をのばしたいところだが、残念ながら時間的な余裕がない。日没前には戻らなければならないから残された時間はせいぜい40分ほど、適当なカドをおれて引き返さなければならない。

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村上はお茶栽培の適地としては北限に位置し、「村上茶」は北限の茶として知られている。

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朝日岳に源を発する三面川は、村上で日本海に注ぐ。その三面川を遡上する鮭が、古くから村上に食の恩恵をもたらしてくれた。その代表格が塩引き鮭で、民家の軒下につるされた鮭が村上らしさを演出してくれている。

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そろそろ歩をお世話になっている家の方へと移さなければならない時間になってきたが、ここに至るまでに出会った猫は怪傑ゾロ猫だけ、このまま帰るのではなんとも残念な結果となってしまう。しかしその思いが天に通じたのか、ふとのぞき込んだ路地の奥にネコの姿があったのだ。

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どうもノラちゃんらしいので、警戒心を抱かれないようにゆっくり注意深く距離を詰めていった。幸いたいそうおおらかな猫のようで、警戒心を抱くどころか逆に親愛の情を示して、いろいろなポーズをつけてくれた。

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最後の最後になって二匹目の猫との出会いがあって、これで心置きなく戻ることができるというものだ。戻る途次、酒屋に立ち寄り村上の銘酒〆張鶴の「吟醸生貯蔵酒」を買い求め散歩の土産の品としたのだった。なお、このお酒は5月から7月の期間だけ販売される限定酒である。

〔宮尾酒造〕
http://shimeharitsurusake.blog59.fc2.com/
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年06月29日

村上ねこ散歩(1)

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村上はいい街だっせ
歩いて回ってくれっしゃ


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村上に着いてから二日目の夕方、夕食までの時間を利用して村上の猫との出会いを求めて町に出てみた。散歩の出発点はお世話になっている方の家だが、便宜的に村上駅から歩き始めたことにしておく。さて、小和田家ゆかりの地でもある城下町村上で、何匹の猫と遭遇することができるだろうか。

〔JR 村上駅〕
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村上駅から歩き始めてほんの二・三分、喫茶店の前で猫発見、これはさい先がいい。飼い主はそのカフェの店主のようだった。店内には、光り輝く立派な招き猫の置物が見える。

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店内からユル・ブリンナーを思い起こさせる禿頭のチョット怖そうなオニーサンが出てきたものだから、猫と一緒に当方もチョット身構えたところ、そのオニ−サンはケータイを取り出して私と並んで写真を撮り始めた。風体に似合わずネコ好きのようなので、
「怪傑ゾロのような顔をしていますね」
とつい声を掛けてしまった。しかし返事はなく、何枚かの写真を撮ってから無言で去って行った。しばらく行ったところで立ち止まり、ケータイの画面をのぞき込んでいた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年06月28日

アオバズクは抱卵中

アオバズクのヒナが巣立っていくのは、親が抱卵を始めてから50日前後だと聞く。城址公園のアオバズクが抱卵を開始した時期は定かではないが、去年の巣立ちの日を思い起こせば、まだ一生懸命卵を温めていると思われる。そうは思うものの、やはりアオバズクのことが気になって、久しぶりで城址公園を訪ねた。

こちらのそんな気持ちをよそにして、アオバズクはいつもの枝のいつもの位置に、いつもの姿でとまっていた。一目見てずいぶんほっそりした感じだと思ったが、見る角度によるものだった。場所を変えてみたところ、特徴のあるふっくらとした羽毛に包まれた変わらない姿がそこにあった。

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写真を撮っていると、通りがかりのオジサンが声を掛けてきた。聞くところによると、用事があって城址公園に来ることがあるそうで、その都度アオバズクの様子を確かめていくという。いつごろ巣立ちの日を迎えるのだろうかと聞かれたから、去年の例を教えてあげた。しばらく立ち話をしてから去って行った。

アオバズクは依然として同じ姿勢を保って枝にとまっていた。少しは動いてくれないものかと、「ほーほー」と鳴き声をまねてみた。その鳴き声に反応したのは、意外にもアオバズクではなく先ほどのオジサンだった。立ち去る歩みを止めて、こちらの方に振り向き、
「いま鳴きましたね」
と言うではないか。アオバズクの鳴き声を聞いたと思いこんでいるのだから、それをぶち壊してしまうのも忍びなく、
「ええ、聞こえましたね」
と応えてしまったのだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年06月26日

N BOXで新潟へ

新潟へ行くのは、五年ぶりのことだった。漠然とそんなに長い期間訪れていないことはないだろうと思っていたが、前回行った時にお目にかかったある人が、五年前のことだったと覚えていたのだ。ちょうどその日が、その一家の引っ越し当日だったことが記憶を鮮明に残していたのだろう。

五年前はステップワゴンに12時間ほど乗って、やっと村上にたどり着いたと記憶している。12時間かければ、成田から飛行機に乗ってパリのドゴール空港に着いてしまう。今より五歳若かったとはいえ、やはりかなりきつかった。

今回の車は昨年乗り換えた軽自動車のN BOX、近年は高速を利用して長距離ドライブをすることも減り、乗り換えた新車で高速を走ることも数えるほどしかなかった。片道450qほどの道のりを一気に走り通すことは、さすがにためらわれ、行きは湯沢で一泊、帰りは長岡で一泊したのだった。

出発時の距離メーターは5000q程度、帰宅時は約5950qになっていた。走行距離は950qを超え、久しぶりの長距離ドライブであった。

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軽自動車でこれほどの距離を走ることは初めてのこと、特に山間部での走行には不安がないわけではなかった。ギアがドライブとロウだけなので、上り坂での力不足による速度低下、逆に下り坂でのスピードの出すぎなどが心配の種だった。しかし、それらの点はまったく問題なかった。上り坂ではうなり声をあげながらも懸命に駆け上ってくれたし、下り坂ではコンピュータ制御によりエンジンブレーキがかかって速度超過に陥ることもなかった。今時の軽自動車は、ほんとうによく走ってくれる。

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2013年06月23日

今どこ

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今夜は長岡で一泊。
明日、帰千。
posted by 里実福太朗 at 19:21| 里ふくろうの日乗

2013年06月20日

新潟へ

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さいわい大雨になることはなかった。谷川岳PAに着いたのは家を出てから約6時間後、一休みしてから長い関越トンネルを抜けて新潟に入り、今夜は湯沢で一泊。
posted by 里実福太朗 at 21:39| 里ふくろうの日乗

2013年06月16日

「かんだやぶそば」の今

「かんだやぶそば」で火災が発生したのは、今年(2013年)の2月19日夜のことだった。店舗面積約600uのうち、ほぼ三分の一を消失したそうだ。1880年創業の老舗蕎麦屋さんで、1923年に再築された料亭風の建物は、東京都の歴史的建造物に指定されていた。

写真塾の撮影会でその地を訪れたのは、それから約四ヶ月後のことだった。建物は解体され、その跡地はとりあえず時間貸しの駐車場として利用されるようで、「近日OPEN」の看板が立っていた。そして近くには、「かんだやぶそば 新店舗建設予定地」という表示板もあった。

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周囲のビルの壁面には、また煤焦げたあとが残っていて、火災当日の火勢の激しさをいまだに生々しく伝えていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年06月14日

庭に花菖蒲が咲く不思議

花菖蒲と思われる花が咲いた。花の中央部分に黄色の文様があるからそうだと思われる。去年までそんな花が咲いたことはなく、夫人も植えた記憶がないという。友だちから譲り受けたかもしれず、心当たりのひとに聞いてみたがそうではなかった。

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花菖蒲は湿地帯に育つと言われているが、庭に湿地帯などはなく、梅雨に入っても雨が少なく地面はいつも乾燥していると言った方がよい。そういう場所に、どうして花菖蒲が咲いたのだろうか。不思議なことである。

折しも佐倉城址公園の菖蒲田では、6月8日・9日の両日「菖蒲祭り」が行われた。うまい具合に見頃の時期に重なって、さまざまな花菖蒲が色を競っていた。

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ゴーヤーネットを延長した

ゴーヤーの苗を購入したのは、4月20日のことだった。極端な寒暖を繰り返す異常な天候にも負けず、背丈を伸ばしていった。それから約一ヶ月後の5月22日に、初めて黄色い花が咲いた。しかし咲いたのは雌花だけで、受粉することができずに朽ちてしまった。

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その後の5月29日頃、平年より10日ほど早く梅雨入りしたが、晴天続きで一向に雨は降らず、カラ梅雨の状態が続いた。ただそれがゴーヤーにとっては幸いしたようで、七つの苗のうち特に二つがすくすくと成長し続け、とうとう我が身の丈を超えるほどになった。ツルの先端がゴーヤーネットの上端からはみ出て、ユラユラと行き場を求めてさまよい始めたのだ。ゴーヤーが早くなんとかしてくれと言ってるように思われて、いよいよゴーヤーネットを継ぎ足して延長することにした。先端は、二階のベランダの手すりに届くほどの長さになる。

近ごろは毎日のように、二つから三つほどの花が咲く。残念ながら雄花だけなので、今のところむなしく咲いては散るだけである。

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今年植えた苗は四種類、何も考えずに混在させて植えてしまったが、違う品種の雄花・雌花が受粉したらどういう実がなるのだろうか。チョット興味がわくことではある。

posted by 里実福太朗 at 23:30| 里ふくろうの日乗

2013年06月13日

あちらの世界からこちらの世界へ

自由人の誕生月は6月だそうだ。誕生日の前日に公園を訪れて彼に会った時、外見の印象が大きく変化していた。いつもは無精ヒゲをはやし、頭髪もボサボサの状態だったのに、髪は短く刈られヒゲもきれいに剃られていた。いわばスッピンともいうべき顔になっていたのだ。そんな顔は初めて見たような気がする。

「ずいぶんサッパリしましたね」
と声を掛けると、前の日曜日に無料の散髪サービスがあって、それを利用したということだった。場所は日本橋方面のとある場所だと言っていた。月に一回サービスデーがあるらしいが、今までそんなスッピンの自由人は見たことがなかったのだから、そのサービスを受けたのは今回が初めてだったのだろう。

今回に限って、どうしてそのサービスを受けたのだろうか。彼の心中を推し量ってみれば、やはり明日が誕生日だということと関連性があるのかもしれない。

俗世間を離れて隠遁者としての生活を始めてから、もう四〜五年は経つに違いない。このまま公園での生活を続けていけば、いずれは老いさらばえて死地へと赴くことになってしまう。彼の亡き後、その場所には立ち入り禁止の札が立てられ、その周りはロープで囲まれることだろう。

しかし明日の誕生日を境に、そのような将来に変革をもたらすことができるのだ。自由人が住むあちらの世界からこちらの世界へと、戻って来られる可能性が生まれるのだ。この誕生日はそういう意味で、自由人にとって一大転機となるはずの重要な日なのだ。そういう大切な日を、どうして隠遁者然としたヒゲ面で迎えられようか。

スッピンの彼は、柔和な表情を見せていた。彼の将来を照らす光が、表情を明るくしていたのかもしれない。
「あした誕生日なんだよ」
「そうでしたね、おめでとうございます。これ、誕生日のお祝いとして…」
「いや、それは…ケーキでも買うことにします」
お酒を飲まない彼は、甘党なのだろう。
「○○さんがこの公園からいなくなっても、私は猫がいる限りここに来ますよ」
「オレも…ここには世話になったから」

これからカン集めの仕事があるということなので、いとまを告げて彼の後ろ姿を見送った。猫背が一段とひどくなっていた。先年ヨッパライに足蹴にされた腰に、痛みがまだ残っているのだろうか。

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2013年06月11日

梅雨空

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あいにくの雨。
早めにチェックイン。
部屋は狭くても変な臭いはこもっていないから、まあ良しとするか。なにしろ格安だから仕方がない。
posted by 里実福太朗 at 15:18| 里ふくろうの日乗

2013年06月09日

今年もやって来た

夫人のお友達からメールが届いた。さっそく望遠レンズを携えて行ってみれば、去年と同じ木の同じ枝にとまって下を見下ろしていた。オスが外で番をして、メスは樹胴の中で卵を温め始めているのだろう。

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去年は、ヒナの巣立ちを見ることができなかった。今年は見逃さないようにしなければ…
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2013年06月06日

藤田嗣治の猫

先週は、岩合光昭写真展「ねこ歩き」のほかにもブリジストン美術館に行く予定を組んでいた。しかし岩合さんのサインをもらうために、予定していた時間を大幅に超えてしまって断念せざるを得なかった。

ブリジストン美術館の「Paris、パリ、巴里─日本人が描く 1900-1945」の開催期間は6月9日まで、今週行きそびると見逃してしまうおそれがあるのだが、先週に引き続き東京まで出て行くのが次第におっくうに感じるようになっていた。

そんな時、アカイヌさんから旅行のお土産としてレオナール・フジタ(藤田嗣治)筆の猫がデザインされた一筆箋が送られてきた。藤田嗣治といえば、長らくパリで活躍してエコール・ド・パリの画家として数えられ、また、猫を題材とした絵もたくさん描いている。

「Paris、パリ、巴里」には、もちろん藤田嗣治も取り上げられている。展覧会のウェブページを見ると、「猫のいる静物」という作品が出展されているらしい。かくして重くなった腰をあげて出かけてみることにしたのだった。

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藤田嗣治の猫が登場する絵は、二点展示されていた。
〔横たわる女と猫〕…1932年、ブラジル
〔猫のいる静物〕…1939−1940年、パリ…オルド−ネ街の画室

なお猫関係の著作としては、「猫の本」という画文集が出版されている。
【猫の本】
…2003年7月、講談社

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2013年06月04日

樹胴に住む猫

去年アオバズクが営巣した樹胴のある木を、今週も確かめに行ってみた。しかしまだアオバズクは飛来していなかった。そこで前回と同じく猫を探して園内を散策してみたところ、先週出会った猫の姿はなかったが、なんと新たに八匹の猫と出会った。

そのうちの一匹はシッポが黒くて体が白い猫、遠くからその猫の姿を認め、後について行くと太い木のかげに見えなくなった。木の周りを猫とは逆方向に回って待ち伏せようとしたのだが、一回りしても猫と鉢合わせすることはなかった。不思議なことに、姿を消してしまったのだ。

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根元を見て消えた理由が分かった。そこに空洞があって、その中で先ほどの猫が身を潜めてジッとこちらの様子をうかがっていたのだ。近くに遊歩道があって、時々犬を連れた人が通るが、樹胴に潜む猫に気づく人はいない。そこなら安心して眠りを貪ることができそうだ。

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試みにカリカリを樹胴に差し入れてみたが、警戒しているのだろう…なかなか口をつけようとしない。その場を離れてしばらくしてから戻ってみると、カリカリはだいぶ減っていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗