2013年06月02日

カエデが消えてから

自由人によるとカエデがいなくなったのは10日ほど前のことだったそうだ。その話をネコサポータの年配の女性にしたところ、その後の二日間、カエデはエサを食べに来ていたという。ショルダーバッグから手帳を取り出して、
「金曜日のところに、『カエデが来なかった』と書いてあるから、間違いないわよ」
と確認してくれた。

その人は毎日エサやりに来ているから、その情報の信憑性は高い。高いというよりは、そちらの方が正しいといった方がいいだろう。ということは、自由人はカエデのいなくなった日を正確に把握していなかったということになる。毎朝エサをやっていると言っていたが、それもどうやら怪しくなってきた。

カエデのことはもう諦めた方がいいのだろう。猫は死期が迫ると、自らそれを自覚して姿を消すという話はよく耳にする。ネコ公園のどこかを死に場所と定め、そこで最期の時を迎えたのだろうか。

長いことエサやりを続けている男性のネコサポーターに聞いたことだが、その人は園内で猫の亡骸を何回も見たことがあるそうだ。ある亡骸は、カラスにつつかれ無残な姿になっていたという。実際のところは、死に場所を求めて行く余裕などはない状態で命が尽きてしまうのかもしれない。

カエデとチャコはいつも一緒にいた。二匹とも人間に心を許すことなく、いつもビルの敷地内に設置されている室外機の上に並んで座っていた。公園とは柵で仕切られているその場所は、人間が侵入して来ない安全な場所なのだ。しかし今その場所には、チャコの姿だけしか見ることができない。

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エサをもらう時も、人間のそばで食べるということはしなかった。エサの近くに人間がいると、決して近寄ってこなかった。それが分かっているネコサポーターは、エサを置くとその場から離れて行った。しばらくすると、辺りをうかがいながらソロリソロリとエサに近寄って来るのだった。

カエデがいなくなってから何日かが経ったある日の夕方、「ニャー」という鳴き声が聞こえた。見ると、珍しいことにチャコが2メートルぐらいの所まで近寄って来ていた。「チャコ」と呼ぶと、また「ニャー」と鳴いた。エサをほしがっているのだろうと思い、持っていってあげると少し遠ざかったが、今までのように遠くに逃げてしまうことはなかった。エサを置いてその場を離れると、すぐ戻ってきてエサを食べ始めた。

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2013年06月01日

岩合光昭写真展「ねこ歩き」

今、日本橋の三越で、岩合光昭写真展「ねこ歩き」が開催されている。岩合さんの写真展には、今までに何回か行ったことがあるが、いつでも入場者が多く混雑していた。平日に出かけたのだが、やはり今回も混雑していた。

会場を出てから写真集「ねこ歩き」を買い求めたところ、サイン会の整理券を渡してくれた。訊けばサイン会は、ギャラリートークが終わってから行われるという。まだ1時間以上ある。昼食はまだだったので、三越を出て少し歩いたところの裏通りの店でカレーを食してから、早めに7階の会場に戻った。ギャラリートークが終われば、それを聴いていた人たちがなだれうって出てきて行列を作るに違いないと予想して、それが終わる前にサイン会の準備の進み具合を確かめたかったのだ。

ギャラリートークは3時から始まり、30分ほどで終わる予定となっていた。会場に戻ったのは3時10分頃、すでに準備は整えられ、6人ほどが並んでいた。会場内からは岩合さんの声が聞こえて来た。その声が絶えると、かわって人のざわめきが次第に大きくなり、それとともに出口からぞろぞろと人が出てきた。そしてあっという間に、長い行列ができたのだった。やはりギャラリートークが終わる前に並ぶのが正解だったのだ。

私の前に並んでいた人は、「ねこ歩き」を5冊と犬の写真集を二冊、合計7冊を抱えていた。岩合さんは一冊ごとにネコのスタンプを押し(犬の写真集の場合は、その場で犬のイラストを描いていた)、その下に実に丁寧にサインを書き、そして握手した。先着100名となっていたが、行列はそれを超えているように見えた。そんなペースでは、いったいどのくらいの時間が掛かるのだろうか。

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2013年05月30日

消えたカエデ

自由人によれば、先週の水曜日からカエデの姿が見えなくなったそうだ。私がその前日に訪れた時には、エサをもらっているカエデの姿があった。それから一週間もの間姿を現さなかったという。突然いなくなって、何日か後にヒョッコリ姿を現すということもあるそうだから、今後姿を現す可能性はまったくないとはいえないが、自由人は死に場所を求めて出て行ったのではないかと言う。私も、そうなのかもしれないと思っている。

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クロちゃんに比べれば、カエデは極めて小食だ。クロのお腹がいつもふくれているのに対して、カエデは食事の後でもほとんど変化がない。その時も、短い時間で食事を終えてすぐ去っていった。その時の後ろ姿が妙に印象に残ったのを覚えている。

〔先週のカエデ〕
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以前からカエデは、右の後ろ足を少し引きずるようにして歩いていた。いつ頃からそんな歩き方をするようになったのかは分からない。私が初めてカエデを見た時には、すでにそんな歩き方をしていた。カエデを最後に見た時も、右後ろ足を引きずっていたが、少し気になることがあった。いつもより大きく引きずっているように見えたのだ。ただその時は、あまり気にとめなかった。今思えば…まだカエデが死んでしまったと断定はできないが、かなり具合が悪くなっていたのかもしれない。

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2013年05月27日

城址公園の猫

アオバズクの姿は確認できなかったが、公園内および周辺で3匹の猫と出会った。

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そのうちの一匹の猫は見覚えがあった。三番目の写真の猫だ。顔の模様に特徴があるので記憶に残っていたが、その猫を撮ったのが何年くらい前のことだったのか、その記憶が薄れている。そこで今までに撮った猫写真をさかのぼって確かめてみたところ、4年ほど前にその猫を撮っていた。ノラネコは一般的に寿命が短いと聞くが、よくぞ生き延びていたものだ。

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その当時と外見上に違いはあまり認められなかったが、ある点で大きな変化があった。息をするたびにヒュウヒュウゼーゼーという音が漏れてくるのだ。あのネコ公園にも、同じように哀れさを誘う黒猫がいる。その音を聞くと、いつも石川啄木の次の一首が思い出されてきて、なおいっそう哀れさがつのるのだった。

 呼吸(いき)すれば、
 胸の中にて鳴なる音あり。
  凩(こがらし)よりもさびしきその音!
            (里実文庫より)

4年前に写真を撮らせてくれたことなど覚えているはずもなく、近づくと逃げ出すほどではなかったが、背を向けて遠ざかって行ってしまった。そこでバッグからカリカリの入ったタッパーを取り出し、カタカタと音がするほど振ってみたところ、現金なもので脇目も振らずに戻ってきた。

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城址公園には、飼い主のいない猫が何匹か生息しているようで、今までにも何度かホームレス猫を見たことがある。またそういう猫たちの面倒をみている人たちもいるようだ。佐倉市のノラネコ対策はどうなっているのだろうか。園内の樹木には、エサやりマナーに関するこんな注意書きが貼ってあった。

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2013年05月26日

そろそろアオバズクが渡ってくる季節

日に日に木々の緑が深くなってゆく。もう五月も末なのだから当たり前な季節の変化なのだが、今年は激しい寒暖の差が繰り返されたことが、季節の移り変わりに混乱をもたらして、その当たり前な変化をあまり感じることもなくここまで来てしまった。

青葉の季節になれば、南の国からフクロウの仲間のアオバズクが渡ってくる。それは毎年繰り返されてきた。彼らが暮らす南の国ではどうだったのだろうか。この国の例年とは違う季節の変化に惑わされることなく、いつも通り海を渡って来るのだろうか。

昨年、長年の願いが叶ってアオバズクを見ることができたのは、7月1日のことだった。ただその時は、すでに親鳥が抱卵している時期だった。だからそれ以前に日本に来ていることになるのだが、それはいつ頃のことなのだろうか。

疑問は次から次へとわいてくる。相手は彼の国で見つけ、夫婦そろって飛び立って来るのだろうか、それともこの国で相手を見つけるのだろうか。いったいどのくらいの日数をかけて日本に渡ってくるのだろうか。今ごろはもう海の上を飛んでいるのだろうか、それともすでに日本に来ているのだろうか。

まだ時期としては早いと思ったが、去年アオバズクが巣として利用した樹胴のある木を訪れてみた。アオバズクは専ら母鳥が卵を温めるという。その間オスはエサを運んだり、近くの枝で見張りをしている。アオバズクの姿を見ることができるのは、そういう時なのだ。しかし去年その姿があった枝に、鳥の影を見ることはなかった。

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2013年05月23日

井口・西岡選手のTシャツ

昨夜の試合は5時間にも及んだが結局引き分け、そうなると今日の試合はホームのマリーンズの方が有利だろうとふんでいたが、あにはからんやタイガースが7対1で勝利をおさめた。それにしてもマートンは憎たらしいほどよく打つ。西岡も、古巣のマリーンズ相手によく打つもんだ。

阪神の選手は、球場にはバスを2台連ねて乗り込んできた。禁煙車が1台、そして喫煙車が1台だった。バスから降りてくる選手をタイガースファン出迎えて、さかんに激励していた。なかでも西岡選手への声援が一番多かった。熱狂的な阪神ファンに混じってそんな様子を見物していたその際、うっかりマリーンズの野球帽をかぶっていたのだが、幸いなことに見とがめられることはなかった。

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以前アカイヌさんからプレゼントされたマリーンズのTシャツがある。そのTシャツには、井口と西岡の名前が並んで染め抜かれている。アメリカ帰りの西岡が阪神に移籍してしまった今となっては、それを身につけてマリンフィールドで応援することはためらわれるが、もう二人の名前が並んだTシャツが販売されることはないことを思えば、かえって貴重な品となって喜ばしいことなのである。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年05月22日

マリーンズ対タイガース

五回終了時までは1対6と点差を広げられていた。しかし今年のマリーンズは粘り強い。6回裏に、井口・今江の連続ホームランなどで4対6とした。その後チャンスは作っても点が入らず、今日はこれまでと見切りをつけて家路についた。

帰宅してからスポーツニュースを見ると、なんと9回裏に井口が2本目のホームランを打ち同点となっていた。そしてそのまま引き分けたのだった。

それにしても、阪神の応援はすごかった。試合も最初は分が悪かったけれど、応援の方も…言いたくはないけれど…終始押され気味だった。

写真は現在現像中。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

ゴーヤの花が咲いた

咲くのはまだまだ先のことだろうと思っていたゴーヤの花が、意外にも咲いた。今年は葉の裏側に何かの虫のたまごがたくさん産み付けられていて、その所為なのだろうか、しおれた感じで元気のない葉が目につく。そのうち枯れてしまうかもしれないと心配していた矢先のことだった。

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最初に植えたのは4株だったが、欲が出て最終的には7株に増えてしまった。品種の種類は4種類、それぞれまちまちの育ち具合で、成長の早いものは50センチは超えている。そろそろネットを継ぎ足してやらなければならなくなってきた。
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2013年05月21日

シート張り

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明日はマリーンフィールドで対阪神戦。今日シート張りをして順番を確保しておけば明日が楽だ。
シート張りは7時から。今、10人ほどが待っている。
posted by 里実福太朗 at 18:49| 里ふくろうの日乗

2013年05月20日

早稲田南町辺りの猫

「肴屋三四郎」が店を構えるのは早稲田榎町、そこからほど近い南町に夏目漱石が転居したのは1907年(明治40年)、40歳の時だった。以後、胃病に悩まされながらも作品を発表し続け、その地で死を迎えた。1916年(大正5年)、漱石49歳の冬のことだった。漱石山房と呼ばれた書斎は、東京大空襲で夏目邸と共に消失の憂き目に遭い、現在その跡地の一部は、漱石公園となっている。ちなみに新宿区は、夏目漱石生誕150周年の平成29年に向けて、そこに「漱石山房」記念館(仮称)を整備する計画を進めているそうだ。

早稲田スコットホールギャラリーへと歩を進め、その早稲田南町あたりにさしかかった時、猫の気配を感じた。気配といってもはっきりしたものではなく、なんとなく猫がいそうだなと感じただけだったが、あたりを見回してみるとすぐ視界の中にネコの姿が入ってきた。

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道路の縁に居ずまいを正しているのだが、座っている向きがおかしい。ふつう猫は、顔を道路側に向けて道行く人を眺めていることが多いのに、その猫は住宅側に顔を向けているのだ。変な猫だと思いつつも、写真は撮らせてもらった。初対面の人間に警戒心を抱いて逃げ出すこともせず、わざわざカメラの方に顔を向けてくれた。

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そこへ年配の女性がやってきて、
「その子はかわいそうなんですよ」
と、これまた初対面の私に向かって話しかけてきた。
「もともと家の中で飼われていたのに、家を建て替えてからは外に出されてしまってねェ」
その猫の視線は、かつて自分が住み、そして今は綺麗に立て替えられた家に向けられていたのだった。

そこへ、今度は中年の女性がやって来た。
「チビちゃん、ご飯食べる?」
手の上の器には、ネコ用のエサが入っていた。
「お腹すいたでしょ、食べなよ」
と言って、器をその家の玄関先に置いた。てっきりチビの飼い主だろうと思っていたが、どうやらその家の住人ではなかったようだ。家を追い出され路頭に迷うチビに同情して、ボランティアで世話をしている近所の人だったのかもしれない。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年05月19日

神楽坂から早稲田まで

写真塾の新しい年度が始まった。何人かの人が去り、何人かの人が新しく入塾した。講座の終了後、早稲田スコットホールギャラリーで開催されている『北田英治写真展「東京エッジ」』の会場まで歩いて行くことになった。神楽坂と早稲田は地下鉄で一駅だから、歩いてもそうたいした距離ではない。

北田英治写真展「東京エッジ」
 会場:早稲田スコットホールギャラリー
 期間:2013年5月17日(金)〜29日(木)
    …23日(木)休廊
http://www.hoshien.or.jp/gallery/exhibitions/comming_exhibitions/exhibitions130517.html

ギャラリーには、冷えたワインが用意されているらしい。もちろん北田さんの魅力的な写真を見るために行くのだが、歩いて汗ばんだ体をワインで冷やすことも魅力的なことだと言わねばなるまい。

せっかく冷えたワインが待っているのだから、酒の肴の一つや二つはあった方が良いだろうと心に掛けて、Yさんと並んで歩き始めた。人生の先輩でもあるYさんは、早稲田界隈の地理・歴史にも詳しい。ご一緒させていただくと、いろいろなことを教えていただける。

進む道は、「東京エッジ」という写真展を見に行くのにふさわしく、淀橋台とその北側に広がる低地との境目、まさにエッジと言うべき道を歩いていくことになるのだ。

神楽坂のアユミギャラリーを出てすぐの所で、我が地元の千葉から来たという若者が、「づけ大根」なるものを扱っていたのでそれを買い求めた。次はYさんが歴史を感じさせる肴屋さんで、小鯛の酢〆などを求めた。そのお店「肴屋三四郎」は、創業したのが享保8年(1723年)8月6日、初代「三四郎」は三河の人という。夏目漱石の小説「三四郎」は、同店からとったと言われているそうだ。

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さらに「たまごパン 焼きたて」という看板に引き寄せられ、途中から合流したAさんが、八百屋さんの店先に並べられていたイチゴを見て歩みを止めたのだった。

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2013年05月16日

文京区のノラネコ対策

観潮楼跡の東側、藪下道沿いに小さな公園がある。簡易なイスが置いてあって一休みするにはちょうど良い。そこにこんな注意書きが掲示されていた。

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 野良猫や野良犬にはエサをやらないでください
  文京区

こういう注意書きを見るたびに、ノラネコ対策を真剣に考えているのだろうかと疑いの眼差しを向けたくなってしまう。というのは、ただ単に注意書きを掲示して、それで一件落着としたいと思っているのではないかという疑問がつきまとうからだ。

猫へのエサやりを禁じても、都会にはエサとなり得るものがそこら中に存在する。いよいよとなれば近ごろ都会に増えているらしいネズミを捕まえて空腹を満たすことだってできる。人間がエサをやらなくても、猫たちは命をつないでいく術を持っているのである。

そうやって命をながらえた猫たちは、子孫をどんどん増やしていく。強い繁殖力を持つという猫は、次のような試算によれば、1ペアの野良猫は10年後には100万匹を超える数になるそうである。

『猫の繁殖力は高く、生まれた子猫は通常半年で性成熟に達し、年に2-3回出産可能です。その上、1度の出産で3-8匹を出産すると言われています。
 仮に1ペアの野良猫が年に2回繁殖し、毎回8匹の子猫を出産(そのうち70%が死産)、子猫が半年で性成熟し、産まれてきた猫も同じ条件で繁殖を繰り返し、野良猫の寿命を3年とした場合、10年後には100万匹を超える数になります。』
…【犬猫殺処分の現状】
 http://www.conoass.or.jp/situation/osaka.html

こういう数字を見れば、『野良猫や野良犬にはエサをやらないでください』という注意書きを掲げるだけの対策は、対策という名に値せず、ただ問題を放置しているだけだと言わざるを得ない。ただエサやりを禁じるだけでは、ますますノラネコは増えていくのである。

ネコ公園のある台東区では、文京区が行っているような効果を期待できない中途半端な方法から抜け出し、すでにノラネコが増加しないようにするための方策の実践へと踏み出している。それは、行政とボランティアの人たちが協同して、動物愛護という面だけでなく、ノラネコたちを適正に管理して、恵まれない不幸な猫たちが増えないようにするという活動である。具体的には、毎年「地域猫講習会」を開いてエサやりマナーなどの周知に努めたり、飼い主のいない猫の不妊去勢手術助成事業なども実施しているのである。

かつて千駄木町(現在:文京区向丘)には夏目漱石が住まいして、出世作「吾輩は猫である」を書いて世に認められた。猫がいなければ「吾輩は猫である」は生まれなかったわけである。その後、小説家として大家を為すには至らなかったかもしれない。そのように大切な役割を果たした猫を、文京区はどうして邪険に扱うのだろうか。少しは台東区の活動を見習ってほしいものである。

次に、東京都の動物に関わる条例の冒頭部分を引いておく。

【東京都動物の愛護及び管理に関する条例】
 平成一八年三月九日
 条例第四号
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1013637001.html

第一章 総則
(目的)
第一条 この条例は、動物の愛護及び管理に関し必要な事項を定めることにより、都民の動物愛護の精神の高揚を図るとともに、動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止し、もって人と動物との調和のとれた共生社会の実現に資することを目的とする。

posted by 里実福太朗 at 23:41| 里ふくろうの日乗

2013年05月15日

ロクにリュックを乗っ取られる

愛用のリュックのそばをちょっと離れたスキに、ロクがその上にチャッカリ乗っていた。「チョット、どいてくれないかな」と言っても何食わぬ顔、リュックを少し揺すっても、いっこうにどいてくれそうにもない。仕方がないから、好きなようにさせてあげた。

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ロクは「猫語の教科書」(ポール・ギャリコ)の教え通り、当方愛用の品をまんまと自分の居場所にしてしまったのだ。

『人間は、何か自分のものをとられるのは猫に好かれている証拠、と思いこむらしいのです。』

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年05月13日

藪下道の猫

藪下道を根津神社方面に下って行く途中でのこと、小走りで道を横切っていく一匹の猫と遭遇した。声を掛ければ速度を早めて駆け足になりそうな様子だったので、ともかく写真だけは撮っておこうとカメラを構えた。

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家猫なのかノラちゃんなのかは分からない。塀の上に飛び乗るとあったいう間に姿を消してしまい、残念ながら声は掛けずじまいだった。

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もう一匹の猫は、藪下道の崖下の民家の車庫スペースにいた。そこに行くには急な階段を下りていかなければならない。猫の写真は撮れたとしても、その階段を上って藪下道へ戻るには、かなりのエネルギーを費やすことになるに違いない。それを思うとためらいが先に立つ。

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そんな意気地のないことを思っていると、階段下に年配の婦人が姿を現し、手すりを掴みながら上り始めたではないか。よろけることもなく階段を一歩一歩確実に踏みしめながら登ってくる。そしてとうとう私が立つ場所まで上りきり、大きくフウと息をついた。呼吸はあまり乱れていなかった。その様子を見て、やっと意を決して階段を下りたのだった。

猫は私の姿を認めると、すぐブルーシートの下にもぐり込んで、その隙間からさぐるような目でこちらを注視していた。

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posted by 里実福太朗 at 23:45| 里ふくろうの日乗

2013年05月11日

「猫の家」

前回の記事の最後に載せた写真は、藪下道への入り口の角に設置されている案内標識を撮ったものだった。その地図は、藪下道の所在を示すものというよりも、むしろ「猫の家」への道順を案内するものと言った方がよいだろう。

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「猫の家」とは…いまさらこんな説明を加える必要などないのだろうが、かの夏目漱石が英国留学から帰国後に住まいした家で、その家で「我が輩は猫である」を執筆したことで後にそう呼ばれるようになった。現在その家は明治村に移築され、今はその跡地の一角に旧居跡を示す碑が建っている。

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私は根津裏門坂から医科大学の横を通って行ったが、あの解剖坂を通った方が近道となるようだ。鴎外の観潮楼とは目と鼻の先なのだ。こういう距離感は実際に歩いてみないと分からない。ちなみにその家は、10年ほど前まで鴎外も住んでいたそうである。

「我が輩は猫である」で思い出したことがある。内田百閧ノ「贋作吾輩は猫である」という作品があるが、はるか昔のこと、私も「我が輩は猫である」をまねて文章をものしたことがあった。中学二年生の頃だっただろうか、夏休みに作文の宿題が出されて、ちょうどその頃家で飼っていた猫をモデルに書いたとおぼろげに記憶している。

中学生の分際でそんな大それたことをしたのは、夏休みも残り少なくなり、切羽詰まって身近にいる猫のことならなんとか書けそうだと思ったのかもしれない。どんな内容であったのか、書いたことさえ忘れてしまっていたのだから、今はもう一言半句も思い出せない。そういえばあの原稿どうなったのだろうか、提出した後、自分の手もとには戻ってこなかった。

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題字は、川端康成筆


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2013年05月09日

藪下道を歩く

昔荷風が歩いた…いや荷風だけではない…観潮楼を訪れる文人たちが通った藪下道を歩いてみた。観潮楼跡の前にある説明板の標題は「藪下通り」となっていたが、以下の説明をには『「藪下道」とよばれて親しまれている』と記されていた。

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荷風が「日和下駄」で、『片側は樹と竹藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ落ちはせぬかと危まれるばかり』と形容した藪下道は、むろん昔日の面影など残されているはずはなく、舗装された一方通行の道が根津神社の方向に延びていた。ただ、地形の形状は当時と変わりないとみえ、『足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を透して谷底のような低い処にある人家の屋根が小さく見える』と描写したとおりの情景が見渡される。

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観潮楼跡前の崖下には、文京区立第八中学校そして歩を進めれば汐見小学校が続く。右側には上り斜面の傾斜地、そこを登って行けば、その先には東京大学のキャンパスが広がっているはずだ。ここはつまり本郷台地の東側斜面なのである。その斜面の中腹に、この藪下道が通っているということなのだ。

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なだらかな下り道を下りきると、道は平坦になる。逆方向(根津神社方面)から自転車に乗ってきた人は、そのあたりで自転車から降りて押して登っていく。そして道の両側には人家が増えてくる。「文京区の坂(6)」…http://www.tokyosaka.sakura.ne.jp/bunkyoku6-sendagikomagome.htm…によると、下ってきた坂道は「汐見坂」と呼ぶそうだ。

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そこからしばらく歩くと右側に急な石段が見える。同じく「文京区の坂(6)」のよれば、この坂道は「解剖坂」、そのあたりから両側に日本医科大学の関連施設が建ち並んでいるから、そんな不気味な名前がついている所以も自ずと知れてくる。

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向かって左側が高度救命救急センター、右側が医科大学の付属病院、その両者を道路を跨いでつなぐ通路をくぐると、やがて藪下道は根津神社裏門通りへと至る。実はその角に、案内標識が設置されていて、そこには「藪下通り」の文字がはっきりと記されていた。

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2013年05月06日

マリーンズ大嶺投手が1040日ぶりの勝利

昨日の対ホークス戦で、先発した大嶺投手が実に1040日ぶりで勝利投手となった。前回の勝利が2010年6月30日のこと、今季二度目の登板でほぼ3年ぶりの勝ち星を手にした。その日5月5日は、長嶋茂雄さんと松井秀喜さんへの国民栄誉賞の表彰式が行われた日でもあった。また中村紀洋選手が通算2000本安打を記録した日でもあった。

大嶺投手は1988年生まれの「ハンカチ世代」…そう呼ばれることを嫌う選手もいるらしいが…その世代を代表する投手は、もちろん斎藤佑樹そして彼と甲子園で投げ合った田中将大、そして前田健太もその世代だ。

2006年のドラフトでは、本人が入団を希望していたホークスではなくマリーンズが交渉権のクジを引き当ててしまった。当時の監督はあのバレンタインさん、大嶺投手に惚れ込み彼とホークスとの間に割り込んで、結局彼を獲得してしまったと聞く。

田中投手そして早稲田大学に進学したハンカチ王子こと齋藤投手が、それぞれ期待通りの活躍をしたというのに、大嶺投手の入団後の成績は振るわなかった。バレンタイン監督が強引に獲得した選手だから、プロでも十分通用する素質は有していたはずだ。それなのに、なぜか勝ち星に恵まれなかった。

彼の登板した試合では、せっかく好投していてもそれが勝ちに結びつかないことが多かった。あらためて言うまでもないことだが、勝負事の世界では実力だけでなく運も味方に付けなければ、勝利を手にすることができないこともある。彼の負け試合を見ていると、勝敗の分かれ目の大事な場面で運がスルリと逃げていってしまった、そんなふうに感じることがよくあった。運も実力のうちとよく言われるが、彼に運を引き寄せるための何かが欠けていたのだろうか。

昨年のシーズンは一度も一軍での登板はなかった。このままプロの世界から消えていってしまう瀬戸際まで追い込まれていたのかもしれない。そんな彼が今季から指揮を取る伊藤新監督のもと、一軍での再スタートを切ったのだ。最初の登板は4月28日の対ホークス戦、この試合は残念ながら負け投手となってしまったが、5月5日の二回目の登板でみごと勝利投手となった。

今のところマリーンズは調子がいい。今日もホークス相手に5対2で勝った。この良いチーム状態をオールスター戦以後も続けていくためには、大嶺投手が先発投手陣の一人として活躍していくことが必須であるはずだ。出身地の石垣島の人びとのため、マリーンズのファンのため、そして自分のため、今後の活躍を期待したいと思う。大嶺祐太投手、応援していますよ。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年05月03日

憲法記念日に「天声人語」の劣化を思う

「天声人語」といえば言わずとしれた朝日新聞の看板コラム、小論文のお手本とされ書き写しノートまで発売されている。
「天声人語書き写しノート」
http://mana-asa.asahi.com/tensei/material.html

ところが、その「天声人語」が劣化して、昔の輝きが失われているとネット上で取り上げられている。検索してみれば、すぐそういう記事が見つかるので読んでみると、なるほどなとその指摘に納得がいく。

だから今日の天声人語を読んでここはおかしいと思っても、またヘンテコリンなことを書いているな、ということで済ませてしまおうかと思っていたが、時間が経つにつれてこれは看過できないと思い直したのだった。以下、その部分を引用する。

『…▼きのうの紙面に、「女性の61%が9条維持」という世論調査結果が載っていた。逆に「変える」は男性の50、60代で高かった。万一戦争になっても、もう行くトシではない――からか。政権内の人も多くは同じ世代である▼…』

憲法9条に関して、女性の場合は、「変えないほうがよい」が61%であると具体的な数字を示しているのに対し、男性の場合は、ただ『男性の50、60代で高かった』とだけ述べている。女性の場合と同じように具体的な数字をあげずに『高かった』と述べているだけなのだから、読んだ人の印象では、男性の50・60代では「変える」と答えた人が特別多かったと受け止められてしまうおそれがある。

それでは男性の場合は、実際にはどうだったのか、新聞で確かめてみると以下のような結果となっていた。

〔調査方法〕
・全国の有権者から3000人を選び郵送法で実施
・有効回答は2194
・対象者の選び方は、層化無作為2段抽出法

「変える方がよい」
 全体……50%
  50代…55%
  60代…53%
「変えない方がよい」
 全体…43%

「変える」としたのが全体の50%、50・60代は53〜55%、その差は3〜5%である。これをどうみたらよいのだろうか。ほかの世代に比べて『なかでも高い』ということになるのだろうか。

この点について考えるために、統計処理をした際の誤差について内閣府のウェブページで確認してみた。

【世論調査結果を読む際の注意】(内閣府)
http://www8.cao.go.jp/survey/y-chuui.html

〔単純任意抽出法(無作為抽出)を仮定した場合の誤差(95%は信頼できる誤差の範囲)〕
回答者数2000の場合
 回答比率50%の質問…誤差 +2.2〜−2.2

これだけの誤差が想定されているのである。朝日新聞の場合は層化無作為2段抽出法だから、上記の誤差は若干増減する。また、誤差には調査員のミスや回答者の誤解などによる計算不能な非標本誤差もある、ということだ。

こういう誤差を考慮に入れても、なお50・60代は『高い』と言いきってしまっていいのだろうか、大いなる疑問である。

天声人語の次に続く部分は、悪意さえ感じられよりタチが悪いと言った方がいいだろう。50・60代が『高い』ことの理由として、こんなことが書かれているのである。

『万一戦争になっても、もう行くトシではない――からか。』

『からか』を申し訳程度に付けているが、だからといってこんなものの言い方が許されていいわけがない。子や孫のことを思えば、平和が続くことを望むのが人の常ではないか。こじつけに満ち、これほど雑に書かれた文章は、往年の天声人語とはもはや別ものと言わざるを得ない。






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2013年05月01日

藪下道はどこだ

先週に引き続き、今週も「藪下道」を探すために根津方面に赴いた。先週はその道への入り口が分からず難渋した末に結局は見つからず、出直すことになったのだった。

そこで今回は、熟慮の結果妙案を思いつきそれを実行に移した。と書くと大袈裟のそしりを受けそうだが、森鴎外の観潮楼が藪下道沿いにあったのだから、それを目印として探せば見逃すおそれはないとふんだのだ。実に単純な方法なのである。

最寄り駅は地下鉄千代田線の千駄木駅、そこが団子坂下である。かつて鴎外が居を構えた観潮楼は、団子坂を上り詰めた坂上にある。まずはそこを目指すのである。

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いつものことだが、地下鉄の駅から地上に出ると方向感覚を失ってしまう。団子坂下の交差点で、進むべき道を探してウロウロしているとき、都合良く道案内役を引き受けてくれたのが、交差点脇に設置されていた地図板だった。

それによれば、森鴎外記念館は平成24年に開館予定になっていて(すでに昨年の11月に開館)、その下に観潮楼跡とあり、さらに目を下に転ずれば、そこには「藪下通り」の文字が記されているではないか。その通りは観潮楼跡に接して東側に位置している。「藪下道」とは、荷風・鴎外の記述から私が適当に呼んでみただけであって、実際には藪下通りと呼ばれていたのだろう。

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団子坂下から団子坂上までは歩いて5分程度、その道の途中に団子坂の説明板が設置されている。坂上の信号を左折すれば、案内図に記されていた藪下通りに入るはずである。一方通行の狭い道を少し歩くと、右側に記念館の東側の出入り口が見えてきた。この道が藪下通りであることは、もう疑いようもない。

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観潮楼は、はるか遠くに東京湾の入り江が見えたことによってそう呼ばれるようになったと聞く。観潮楼跡に立ちそのまま振り返りみれば、下は断崖絶壁を思わせる急傾斜地に階段が連なり、ビルに挟まれた下の道の先、そこに見えるは東京湾の潮にあらず、はるか遠く隅田川を東に越えた地に建つスカイツリーが、ビルの谷間に小さく細く見えたのだった。

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2013年04月30日

荷風お気に入りの藪下道

永井荷風の「日和下駄」に、根津権現(根津神社)に関する記述がある。第九の「崖」という章のその部分を引用してみる。

『根津の低地から弥生ヶ岡と千駄木の高地を仰げばここもまた絶壁である。絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の路がある。私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている。』

この中に出て来る『根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の路』が、藪下道と呼ばれている古道である。荷風がその道について興味を示している理由は、引用部分の続きを読めば自ずと察せられる。その道の今の姿を確認してみたくて、つつじ苑にも寄らずに先を急いでいたのだ。

『片側は樹と竹藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ落ちはせぬかと危まれるばかり、足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を透して谷底のような低い処にある人家の屋根が小さく見える。されば向は一面に遮るものなき大空かぎりもなく広々として、自由に浮雲の定めなき行衛をも見極められる。左手には上野谷中に連る森黒く、右手には神田下谷浅草へかけての市街が一目に見晴され其処より起る雑然たる巷の物音が距離のために柔げられて、かのヴェルレエヌが詩に、
  かの平和なる物のひびきは
  街より来る……
といったような心持を起させる。』

荷風がこんなふうに描いた藪下道は、現在ではすっかり変貌して昔の面影など留めてはいないと思われるが、説明板が設置されているかもしれず、それに望みを託して探し歩いてみた。

しかし、歩き回っても手がかりは得られなかった。地元の人と思われる通りがかりの人にも、声を掛けて尋ねてみた。しかし藪下道を知る人はいなかった。これで分からなければ出直すことにしようと決めて声を掛けたのは、品の良い年配の女性だった。根津神社周辺の地理には詳しいということなので、さっそく藪下道のことを訊いてみた。ちょっと思案顔を作ってから、
「そこの信号を渡って真っ直ぐ進み、左側に教会が見えたら、その角を左に折れ、急な坂道を下りきったところでぶつかる道をちょっと歩くと、右側に小道があります。その道です」
と教えてくれた。こちらが予想していた方向とはまったく逆の方向だった。不審に思ったが、あまりにもはっきりと自信に満ちている口調だったので、疑問を呈するわけにもゆかなかった。

その女性が教えてくれた道を辿ってみたところ、藪下道は見つからず、結局振り出しに戻ってしまった。つまり、根津神社の表参道鳥居前に出てしまったのだ。藪下道を尋ねるのではなく、その道の先にある鴎外記念館の所在を尋ねた方が良かったのかもしれない。

ただ、その道を歩いたことで、鴎外の「青年」に描かれている権現坂(新坂、S坂)を確認することができた。

『純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。二三歩すると袂から方眼図の小さく折ったのを出して、見ながら歩くのである。
…右は高等学校の外囲、左は角が出来たばかりの会堂で、その傍の小屋のような家から車夫が声を掛けて車を勧めた処を通り過ぎると、土塀や生垣を繞らした屋敷ばかりで、その間に綺麗な道が、ひろびろと附いている。
…坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている。純一は坂の上で足を留めて向うを見た。』

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この『割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して』と描かれていることから、「S坂」とも呼ばれるようになったということである。

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そのあと純一は坂を下って根津神社に入る。

『坂を降りて左側の鳥居を這入る。花崗岩を敷いてある道を根津神社の方へ行く。下駄の磬のように鳴るのが、好い心持である。剥げた木像の据えてある随身門から内を、古風な瑞籬で囲んである。故郷の家で、お祖母様のお部屋に、錦絵の屏風があった。その絵に、どこの神社であったか知らぬが、こんな瑞垣があったと思う。社殿の縁には、ねんねこ絆纏の中へ赤ん坊を負って、手拭の鉢巻をした小娘が腰を掛けて、寒そうに体を竦めている。純一は拝む気にもなれぬので、小さい門を左の方へ出ると、溝のような池があって、向うの小高い処には常磐木の間に葉の黄ばんだ木の雑った木立がある。濁ってきたない池の水の、所々に泡の浮いているのを見ると、厭になったので、急いで裏門を出た。』

裏門から出た純一は、そのあと藪下の道に入る。やはり裏門付近にそこへのはいり口があったのだ。最後に訊いた女性は、見当違いの方向を教えてくれたのだった。

『藪下の狭い道に這入る。多くは格子戸の嵌まっている小さい家が、一列に並んでいる前に、売物の荷車が止めてあるので、体を横にして通る。右側は崩れ掛って住まわれなくなった古長屋に戸が締めてある。九尺二間というのがこれだなと思って通り過ぎる。』

(引用作品の出典は、ともに青空文庫)
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年04月29日

根津神社の「つつじまつり」

ムーミンおじさん(ムーミン作者が書いた小説本をくれたおじさん、あるいは水森かおりの宣伝担当のおじさんのこと)は、ご本人の言によれば根津神社の氏子なのだそうだ。話の最後で、その根津神社で開かれている「つつじまつり」のことを教えてくれた。曰く、4月25日の頃が見頃だと。

そこでネコ公園に行ったついでに、根津神社に行ってみることにしたのだ。ただ、根津神社にはまだお参りしたことがない。家で行き方を調べておけば良かったのだが、うっかりそのことを忘れてしまい当日を迎えてしまった。しかし大丈夫、そういう時頼りになるのが自由人なのだ。なにしろ毎日のように空きカン集めで歩き回っているから、周辺の道には詳しい。彼に訊けば、分からないはずはない。仮に知らなかったとしても、大判の地図帳を持っているから、すぐに調べてくれるに違いない。

「やあ、どうも」
と挨拶を交わし、
「根津神社のつつじは、今日あたりが見頃らしいですね」
と話を向けて、根津神社の場所を訊いてみると、即座に道順を詳しく教えてくれた。そして、
「これから、神社近くのスーパーに空きカンをもらいに行くんですよ、もうちょっとしたら…」
道案内しますからいっしょに行きませんか、と誘っているようにも聞こえた。それでは一緒に行きましょうと言えば、すぐ話はまとまるのだろうと思われたが、
「よく分かりました。それじゃ、あまり時間もないので一足先に行ってます」と礼を言って別れ、一人根津神社へと向かったのだった。

自由人に教えてもらったおかげで、根津神社には迷わず行くことができた。本殿の前にはお参りの善男善女の列ができていた。私もその列の最後に並び、まずはお参りしたのだった。

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境内のつつじ苑には、昔は無料で入ることができたが今は有料になっていると、ムーミンおじさんが言っていた通り、入り口の看板には「神苑整備ご寄進お一人二百円お納めください」とあった。つつじ苑を外側から見上げると、まだ見頃にはなっていない様子だった。加えて、ゆっくり見て回る時間もない故、またの機会に譲ることにしたのだった。なお「つつじまつり」は、5月6日まで開催されている。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

ジャーマンアイリスが咲いた

ジャーマンアイリスが一輪咲いた。ジャーマンと呼ばれるだけあって、背丈は高く花の姿は大柄である。イチハツは風が吹いたり雨が降ったりすると、自身の花の重みに堪えかねてすぐお辞儀をしてしまうが、ジャーマンアイリスは茎も太くそのような心配はなさそうだ。これで庭のアヤメ類はすべて咲いたことになる。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2013年04月27日

水森かおりから藤圭子まで

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水森かおりという歌手を調べてみたところ、こちらが知らなかっただけでかなり名の売れている演歌歌手だった。2003年に「鳥取砂丘」という曲が大ヒットしたそうで、そして紅白歌合戦には10年連続で出場しているらしい。紅白はあまり見ないから、そんなことはまったく知らなかった。

その水森かおりを、ムーミン作者の小説集をくれたオジサンがどうして応援しているのか、そのあたりの事情は今度会う機会があったら訊いてみることにしようか。

それでは水森かおりの「鳥取砂丘」をYouTubeで聴いてみることにしよう。


次の曲は、昔、藤圭子が歌ってヒットした「京都から博多まで」のカバー。


こちらは本家本元の藤圭子の「京都から博多まで」。


この曲がヒットしたのは昭和47年(1972年)のこと、その頃はまだ青梅のソフトウェア工場でプログラムを組む毎日を過ごしていた。そしてその年にはいろいろなことがありました。
・グアム島で元日本兵の横井庄一さん救出
・札幌で第11回冬季オリンピック
・連合赤軍による浅間山荘事件
・ノー−ベル賞作家の川端康成さん自殺
・田中角栄氏「日本列島改造論」発表
・第20回オリンピック(ミュンヘン大会)
・上野動物園でパンダ2頭公開

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年04月26日

殺処分される前に

ポンタの写真を撮っていると、突然声を掛けられた。
「そいつは強いぞ。そこが縄張りだった猫を追い出して、居座っちゃったんだからな」
たしかにポンタは、ちかごろ資料館の近くで過ごすことが多くなった。そのため、いままでその辺りで暮らしていたネコたちは、居場所を変えざるを得なくなった。

声を掛けてきた男は、先ほどからコップ酒を手にしてグビグビと飲み続けていた。以前から時々見かける顔だったが、話をしたことはなかった。いつも自転車の後ろに、水森かおりという女性演歌歌手のポスターを立てていた。どういう縁で彼女の宣伝活動の一翼を担っているのだろうか。

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無視して絡まれるのもイヤだから、
「そうですかァ」
と返事をしたのが良くなかった。話し相手になってくれそうだと思ったのか、自分の身の上話を始めたのだ。おかげで、ポンタの写真を撮ることは諦めなければならなくなった。

彼が話してくれたことはプライバシーに関わることも含まれているので、ここで詳らかにすることはできないが、少しだけふれておくと、なんでも根津で生まれ、現在は湯島に住んでいるのだという。高層マンションの最上階に住んでいるということを、何度も繰り返して言ったのだった。

「おまえさん、本はいらないか」
と言って、近くにあった数冊の本を指し示した。カバーの背に図書分類番号のシールが貼ってあった。
「どうしたんですか」
「リサイクル本…近所の図書館からもらってきた。もらい手がいなければ製紙工場で溶かされてトイレットペーパーだろうな、そんなもんになっちゃうんだよ、もったいないだろ」
本には、確かに「リサイクル」の印が押されていた。

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熱心に勧めるので、むげに断るのはできそうにもない。一通りタイトルを確認してから、読みたい本はないと言って断ると、
「一冊でもいいからもらってくれよ、溶かされちゃうんだぜ、トイレットペーパーになっちゃうんだぜ」
と、酔いのせいなのか食い下がって諦めない。
「それじゃァ、この一冊だけいただきます」
と言って手に取ったのは、「軽い手荷物の旅」という筑摩書房で出版した本だった。その本を選んだのは、筑摩で出したハードカバーのしっかりした本で、比較的きれいに扱われていた感じだったから、「トーベ・ヤンソン」という作者名にひかれたのではなかった。

あとで調べて分かったことだが、トーベ・ヤンソンはあのムーミンの作者、ムーミンはもちろん知っていたが、その作者がトーベ・ヤンソンであるとは知らなかった、むろん、そんな小説を書いていることも…。

彼が図書館からその本をもらい受けてこなければ、そしてその日、彼と私とがネコ公園で出会うことがなければ、遺棄されて引き取り手のない猫が殺処分されてしまうように、「軽い手荷物の旅」も同じ運命を辿ることになってしまったのだろう。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年04月22日

イチハツが咲いた

昨日の段階で蕾が半分ほど開いていたから、明日には咲くだろうと思っていたところ、予想通りイチハツが今日咲いた。昨年は4月30日の開花、ほぼ一週間早かった。

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毎年毎年イチハツが咲けば、正岡子規の歌をひいてきた。能のないことではあるが、年中行事のようなものと思い直し、今年も子規のイチハツの歌を載せておくことにする。

 いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす

いちはつの花が咲き始め、わたしにとっては今年限りとなりそうな春がゆき過ぎようとしている…イチハツの季節が終われば、もう夏が近くで待ち受けている。

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posted by 里実福太朗 at 23:38| 里ふくろうの日乗

2013年04月19日

緑のカーテン計画

去年植えた四つの苗は、たくさんの収穫をもたらしてくれて、我が家の食卓を賑わしてくれた。四つの苗は同一品種で、実は小さかった。今年は苗の組み合わせを工夫して、去年同様小さな実がなる品種を二つ、大きな実がなる品種を二つ、合計四つを近所のホームセンターで買い求めてきた。この計画が功を奏すれば、夏には大小二種類のゴーヤーが収穫できるはずなのである。

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ゴーヤーの栽培は、今年で三回目となる。同じ場所に植えると連作障害が発生するそうなので、去年は、一昨年植えた場所とは違う場所に植えた。たぶんそれが良かったのだと思うが、連作障害などとは無縁のみごとな豊作となった。今年も去年とは違う場所に植えた方がいいのだが、なにぶん狭い庭なので、植える場所は限られている。となると、一昨年植えた場所に戻るということになるのだが、一年間隔を置けば大丈夫なのだろうか、その点が心配である。

念のため、土壌改良をしておいた方がいいのだろうか。あるいは、植える位置を少しずらすぐらいのことはできそうだから、そうすれば大丈夫なのだろうか。苗は買ってきたものの、この問題を解決しないと庭の土に移すことができない。2〜3日のうちに決断しないと、延びてきているツルが行き場を失ってしまいそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年04月18日

ダッチアイリスが咲いた

ダッチアイリスが、何の予告もなしに咲いた。とはいうものの、実際には突然咲くなどということはあり得ないのだから、ニオイイリスとイチハツにばかり気を取られているスキに、こっそり蕾をふくらませていたのだろう。


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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

新緑のネコ公園

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花見の季節が慌ただしく過ぎ去り、ネコ公園は新緑に包まれていた。その中で紅の色を添えていたのは、八重桜だった。なんだか季節外れの花のような感じがするが、ソメイヨシノがあまりにも早く咲き始めてしまったのでそのように感じるだけのことだろう。ちなみに八重桜は、ソメイヨシノに比べて開花時期が1〜2週間ほど遅いとされている。

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自由人も花見の季節の仕事から解放されて、日常を取り戻しているようだった。以前よりふっくらとした感じで、血色も良かった。多少は懐具合も良くなったのではないかと思われたが、話を聞くと去年より実入りは少なかったそうだ。

空きカン集めに大忙しだったのは、花見の季節の最初の二日ほどだけで、その後は寒い日が続いて花見客の出足が鈍り、当てが外れてしまったという。そして、もう一つふるわなかった理由があるということだった。それは、三月中に満開となってしまったことだ。

三月末といえば、企業は年度末の忙しい時期、サラリーマン諸氏は仕事が忙しくて花見どころではなかったのだ。テレビのニュース番組を見ていると、花見の宴会はかなりの盛り上がりがあったかのような印象を受けてしまうが、実情はそれほどではなかったのだ。

posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2013年04月16日

ニオイイリスが咲いた

今朝は珍しいことに、7時前に床を離れた。朝早く目が覚めても、床の中でしばらく我慢していれば、再び夢の世界に誘われていくのが常であるが、今朝はそういうわけにはいかなかった。いつまで待っても眠りが訪れてきてくれない。そんな時に、ニオイイリスとイチハツのことが思い浮かび、そろそろ咲き始めてもいい時期だなと思い至り、二度寝ではなく花の写真を撮ることの方を選んだのだった。

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ニオイイリスとイチハツのつぼみがふくらみ始めたと書いたのは一週間前のことだった。その時はイチハツの方が先に咲きそうだとしたが、結局例年通りニオイイリスの方が早く咲いた。昨年より九日早かった。朝方は半分ほどの開花状態だったが、午後には満開となった。

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なおイチハツの開花には、もう少し時間が掛かりそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 22:32| 里ふくろうの日乗

2013年04月14日

味気ない生活、その後

味覚を失ってからというもの、物を食べる喜びが失われてしまった。三度三度の食事はとるけれど、何を食べても味が感じられないのだから、ただ空腹を満たすための惰性的な行為と成り下がってしまった。

それに味が分からないと、不思議なことにいつもと同じ量を食べても満腹感が得られない。お腹がいっぱいと感じられないのだから、さらに食べてしまう。その結果、食べ過ぎという事態を招いてしまう。どうやら味が分かってはじめて、十分食べたという満足感が得られるもののようだ。

当方と同じ症状に陥りゴボゴボと咳をしている夫人が、かつて味覚を消失したことのある人が身内にいることを思い出し、メールでその時の様子を訊いてくれた。その人は男性で、私とほぼ同じ年齢である。以下、メールの内容を簡単に記しておこう。

味覚障害になったのは、10年ほど前のことだった。仕事で秋田に行き旅館に泊まった際、夕食に出された料理の味が分からなかった。体調が悪いということはなかった。インターネットで調べて、亜鉛いりの飴などをなめていたら、一ヶ月後ぐらいにまず甘い味が分かってきた。その後、コーヒーなどの味も分かるようになり、完治するのに三ヶ月ほどかかった。原因は、ある外国製の煙草だったのかもしれないと疑っている。健康によさそうだと思ってその煙草を吸い始めたのは、その味覚障害を発症した約一ヶ月前のことだった。

亜鉛が味覚障害にいいということは、インターネットで調べて分かっていた。しかし、亜鉛が一番多く含まれるものはカキなのだ。カキは苦手なものの一つだから、さて困ったと思っていた。亜鉛入りの飴というものがあり、それをなめていたら治ったということだから、これはありがたい話だ。さっそく今日あたり買い求めにいってみようと思っていたところ、今朝、食事の際に飲んだオレンジジュースの味が分かるようになったのだ。

やっと咳き込むことが少なくなり、どうやらしつこい風邪も峠を越えたようでヤレヤレと思っていたら、味覚障害まで治ったのだからなんという僥倖だろう。やはり当方の味覚消失は、風邪によって引き起こされたものだと考えてよさそうだ。

ただ、完治したとはまだ言えそうにもない。100パーセントオレンジジュースのようにきつい味のものはよく分かるのだが、薄口のものはまだその味が判然としない。そして喜んだのもつかの間、夕方になると再び味が分からなくなってしまった。たぶん一進一退を繰り返しながら、徐々に味覚が戻ってくるということなのだろう。このまま味覚が一生戻ってこなかったら、食べる喜びどころか生きがいまでも失われてしまうかもしれないと怯えていたのだ。たとえ一時的であっても、治る兆しが見えたのだからもって瞑すべしである。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年04月11日

味気ない生活

困ったことに、何を食べても味が分からない。酸いも甘いも、辛いも苦いも分からない。食欲がないわけではない。体調が底だった時期には食欲も落ちたが、徐々に元に戻ってきているというのに、味覚は死んだままなのである。

風邪などをひいて発熱を伴った時に、一時的に味が分からない状態になることは今までもあった。今回も多少熱っぽさを感じたこともあったから、最初はそれに起因する味覚障害かもしれないと思っていた。

しかし、その後も味覚は戻らなかった。食欲は元に戻り、普通に食べることができるようになったのに、味覚が帰ってこないのだ。味が分からないのでは、何を口に入れても食べる喜びがわいてこない。ただ空腹を満たすだけに食べるなんて、文字通り味気ない所業であるにすぎない。

依然続いている咳がおさまってくれば、それに伴って味覚障害も治ってくるものと期待しているのだが、こう味気ない生活が続いてくると、もう二度と味覚が戻ってくることはないのかもしれないなどという焦りも生じてくる。

「味覚障害」について、いくつかのサイトで調べてみた。症状にはいろいろなタイプがあるそうで、たとえば岩手県・岩手県医師会健康増進情報の味覚障害のページでは、以下のように分類してある。

味覚減退……… 食物の味が薄く感じる 
味覚消失……… 味が全くわからない
自発性異常味覚…何も食べていないのに、いつも苦い味がする
悪味症………… 食物が何とも表現できないいやな味になる
異味症………… ある食べ物や飲み物の味が本来の味と変わった味がする
解離性味覚障害…甘味だけがわからないと訴え、検査でも甘味のみ傷害されている

〔味覚障害〕より
http://www.iwate.med.or.jp/kenkouzoushin/38/mikakushougai.html

私の場合は、味をまったく感じることができないので、「味覚消失」ということになろう。さてその原因だが、同ページには以下のような項目ごとにその説明が加えられている。
(1)食事の内容による味覚障害
(2)薬剤による味覚障害
(3)全身の病気による味覚障害
(4)口腔の病気による味覚障害
(5)心因性味覚障害
詳しい内容は上記ページを見ていただくとして、それでは私の場合はどれに当てはまるのだろうか。

今回の味覚消失は、冷気に長時間身をさらしたことにより風邪をひいて体調をくずしている時に生じた。そのことを思い出してみれば、「(4)口腔の病気による味覚障害」ではないかと疑われる。その項目の説明にはこうある。

『舌の病気である舌炎や舌苔(ぜったい)・口内乾燥症・かぜによるのどの病気でも味覚障害をおこします。』

思い起こしてみれば、鼻水・咳・筋肉痛という症状が現れる前に、強烈な喉の痛みを感じたことがあった。そして口内が異常に乾燥した。寝る時は枕元に水筒を用意しておき、夜中に何度となくその水を飲んだ。喉の痛みはちょくちょくあることだから、おとなしくしていれば通り過ぎてしまうだろうと思っていたが、実はそれが後の不調の前兆だったのだ。今はもう喉の痛みは感じないが、喉周辺のハレはひいていないようで、咳も依然と続いている。

ということで、当方の素人判断によれば、風邪による口腔の不調が引き起こした味覚消失ではないかということになる。この判断の正誤については、咳がおさまり口腔の調子も良くなった時点で味覚がどうなるかが分からないと、その判定を下すことができない。今日のように気温の低い日が続くようでは、もう少し味気ない生活を辛抱しなければならないようだ。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年04月09日

つぼみがもうふくらみ始めた

今年は花の咲く時期が早まっているのだろうか。東京の桜は、3月16日に開花宣言が出て、3月22日あたりで満開となった。昨年は、開花日が3月31日、満開日は4月6日と遅く、最近の10年間をならすと、3月23日が開花日で、3月31日が満開日となるようだ。昨年と比較すれば2週間も早く、最近10年間と比較しても1週間も早い。

先日確かめた時には、蕾の「つ」の字も見えなかったのに、庭のニオイイリスとイチハツのつぼみがふくらんできた。当方が体調を崩して家居を余儀なくされた数日の間に、慌ただしく開花の準備を整えたらしい。

イチハツ
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ニオイイリス
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例年なら、4月下旬あたりだったと記憶している。念のため、昨年のことをこのブログで振り返ってみると、ニオイイリスの開花が4月25日、イチハツは4月30日のことだった。今日のつぼみのふくらみ方では、あと数日で咲きそうな気配だ。桜と同じように例年よりかなり早く咲くのは確実と言っても良いだろう。

開花の時期だけでなく、もう一つ例年と違う点がある。ニオイイリスもイチハツも共にふくらみ始めているのだが、イチハツの方は先端がすでに紫に色づき始めているのだ。

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「イチハツ」という名は、アヤメ類の中では一番早く咲き出すことでその名があるという説もあるが、昨年も含めて今までの例では、ニオイイリスの方が早く咲き出していた。今年はどうやらその順序が逆になりそうなのだ。

今年の春は寒暖の差が大きく、それが桜の開花を早めたと聞く。それは桜以外の花々にも影響を与えているのかもしれない。昨年の末から春にかけて、例年になく体調を崩すことが重なったのも、歳のせいだけでなく、急激な温度の変化に影響されたのかもしれない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年04月05日

マリンの風は冷たかった

今期のマリーンズの成績は、最下位と予想する解説者が多い。その根拠は、昨季も成績がふるわなかったのに、戦力補強がほとんどなされなかったという点にあるようだ。たしかに選手の顔ぶれはほとんど変わらない。依然として投手の層は薄く、大砲も補充されていない。また、ベテラン選手の力にかげりが見え始め、それに代わる若手の成長も今ひとつパットしない。これでは、最下位と予想されても仕方がない。

シーズンが始まったばかりというのに、どうにも気弱な話から始まってしまったが、そういう懸念を吹き飛ばすように、開幕戦から二戦連続で延長12回でのサヨナラ勝ちを見せてくれた。選手たちも最下位予想を覆そうと必死で戦っているようだ。

抽選で当たった無料のチケットを懐に、今季初めてマリンフィールドに向かった。今までの経験から、四時頃までに着けば球場前の駐車場に車を止めることができる。今回もその時刻を目指して家を出たが、球場に着いた時にはすでに満杯、それでも球場横の駐車場に入ることができた。平日であっても、子どもたちは春休み、家族連れが多くて出足が早かったようだ。

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近ごろ寒い日が続き、ノド・鼻の状態が思わしくない。この前の日曜日、冷たい風が吹く公園で、花見客の喧噪におそれをなして隠れていたネコたちのご機嫌を取るために長時間過ごしていた時に、調子を悪くしたようだった。

だいぶ調子も良くなり、暖かい日和をこれ幸いと出かけたのだったが、4月初めのマリンフィールドは、夜ともなれば冷たい海風が吹き渡り、すっかり体が冷え切ってまたノドが痛み出し鼻水がタラタラと流れることになってしまった。

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先発の唐川がピリッとせず、中田にホームランを打たれた後、四球を連発して満塁となり、交替した荻野が押し出しの四球、そして満塁ホームランを打たれてしまった。この時点で試合の勝敗はほぼ決まり、寒さにも耐えられなくなり7回終了時で球場を後にしたのだった。結局、試合は5対8でマリーンズの負けであった。

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〔4月4日の試合結果〕
http://www.marines.co.jp/gamelive/result/2013040401/
 
なお、あの大谷君は、練習の時はいい当たりを何本も飛ばしていたが、試合には出てこなかった。
 
posted by 里実福太朗 at 23:32| 里ふくろうの日乗

2013年04月01日

国立科学博物館のシアター360

上野に出たついでに国立科学博物館まで足をのばしたのは、夫人がシアター360をぜひ見たいと言うからだった。何でも360度の全方位に映し出される映像を体験できるそうだが、そんなふうに聞いただけではどれ程のものなのか想像もつかなかった。

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シアター360は、日本館の地下一階にある。日曜日ということもあって、シアターの前には行列ができていた。子供たちが多かったが、外国からの観光客と思しき人の姿もチラホラ見受けられた。待ち時間は20分から30分、そんなに待っても映写時間は10分ほどだから、待つ時間の方がはるかに長い。それでも待ち続けたのだった。

シアターは大きな球体でできていて、その中にブリッジが渡され、観客はその上に乗って360度全方位の映像世界を体験するという仕組みになっていた。球体の壁面に映写される映像が動き出すと、ブリッジごと自分の体が動き出すような錯覚が生じてくる。さらに、下方にも映像が途切れることなく続いていることで、あたかも空中に浮かんでいるかのような浮遊感にも襲われてくる。

その浮遊感に身を任せてしまえば、空中を自由に飛び回る開放感を味わうことができるのかもしれないが、高所にいるという意識が邪魔をする。そして、高い場所に身を置いた時の恐怖心が蘇ってきて、足がすくんでくる。いったんそういう気持ちになってくると、それを押しとどめようとしても際限なく津波のように押し寄せてくる。こうなるともう腰をおろしてしまうより仕方がない。あとで、どうして座り込んだのと聞かれたら、浮遊感に襲われて気持ちが悪くなったと言っておけばいいのだ。

腰をおろしても、なにしろ全方位に映像が映し出されるのだから、鑑賞するのに不都合はない。ブリッジに乗って、いや、空飛ぶ絨毯に乗って空と海との間を自由に飛行することだって味わうことができたのだった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年03月31日

鈴本演芸場早朝寄席

上野にはちょくちょく行くのに、鈴本演芸場に足を運ぶのは今日が初めてだった。ナマの落語を聞くことも、かなり昔のことになるけれど新宿末廣亭に行ったことがあるぐらいで、絶えて久しくなかったことだ。それなのにどうして、朝が苦手な私が早起きして行こうと思い立ったのか。話せば、いや、書けば長いことになるが、簡単に言ってしまえば猫が取り持ってくれた縁だった。

毎週日曜日に開催されている「鈴本早朝寄席」は、開場が9時半、開演が10時で、千葉くんだりから行く身にとってはちょっとばかりきついが、木戸銭がワンコイン(500円)とあっては仕方がない。

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鈴本に着いたのは9時15分頃、その頃すでに4〜5名が並んでいた。その後も列は徐々に長くなり、屋根のない外へと伸びて小雨降る中で待つ人も出てきた。ガラスのドア越しに見える館内には、何やらうごめく人の姿がある。目を凝らしてよく見れば、出演者とおぼしき落語家さんがチラシをまとめているところだった。入場の際、落語家さんからそのチラシを受け取り、別の落語家さんから木戸銭と引き替えに鈴本演芸場の定席割引券(400円引き)を受け取った。

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座席数は285席で、広すぎもせず狭すぎもせず適度な広さだと感じた。各席の背には飲食用のテーブルが付属していて、最初は垂れ下がっているが使う時に水平に固定して利用する。開演時間が近づくと空席はかなり減ってきて、最終的には8割程度が埋まったようだった。

この早朝寄席は、落語協会のホームページによると二ツ目さんの勉強会ということで、毎回4人の二ツ目さんが出演する。本日の主演者は、以下の通り。
 柳亭市江
 川柳つくし
 台所鬼〆
 柳家ほたる

早朝寄席の最後を務めた柳家ほたるさんの出演時間はほぼ30分、熱演でした。落語というものを、久しぶりでじっくりと聞くことができました。その後、夫人が観たいものがあるというので、国立科学博物館へと向かったのだった。
posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2013年03月28日

花見の季節はかき入れ時(2)

焼きそばを半分ほど食べ進んだ時、カンがいっぱい詰まった大きめのビニール袋を抱えながら戻ってきた。こちらの姿を認めると、オヤッという表情を見せたがすぐには近寄ってこないで、抱えていたビニール袋から大きなビニール袋へと空きカンを流し移した。

「忙しそうですね」
「かき入れ時だからね」
とい言いながら、視線をチラッと焼きそばに落としたので、
「さっき、相棒さんに焼きそばとトッポギを差し入れておきました」
と言ったのだった。さきほど桜エビ焼きそばを求めた時、いっしょに二人の分も買っておいたのだ。相棒さんが少し離れたところで、出店から出て来くる使用済みの段ボール箱などを整理しているのを見つけて、それを渡しておいた。
「温かいうちに食べた方がいいですよ…そうそう、話は変わりますが、最近テレビの取材を受けたことはなかったですか」
と、例のテレビ番組のことを尋ねてみた。心当たりがあるのかないのか判然としない様子だったので、その番組で紹介された内容を告げると、
「それ、オレだ。○○テレビじゃない? 朝早い番組じゃなかった?」
「私は見てなかったんですが、家の者が見てたんですよ」
「去年も取材されたんだ。今年は政権が交代して、暮らしぶりに変化があったかどうかって訊かれたから、オレたちは惰性で生きているんだから、まったく関係ないよって言ったんだよ。それでも取材させてくれっていうから、顔にぼかしを入れるなら写していいよって…去年はそうしてくれなかったから、やはりナーまずいよ」

いつもなら、ベンチに腰掛けてポツリポツリと言葉を交わすのだが、
「まだ、廻るところがあるんで」
と言ったなり、空になったビニール袋をもって急ぎ足で立ち去っていった。詳しい話はあまり聞けなかったが、ともかく確認だけはできた。朝のテレビ番組に登場したのはやはり自由人だったのだ。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年03月27日

花見の季節はかき入れ時

何日か前の朝のテレビ番組で、ネコ公園の住人で空きカン集めの仕事をしている人を扱った映像が流れたそうだ。それを見ていた夫人の言によれば、その人は現在64歳、3年ほど前からその仕事をしていると紹介されたという。ひょっとしてあの自由人なのだろうか、そう思って顔の特徴を訊いてみたが、顔にはボカシ入っていたということだった。

ネコ公園の住人のすべての人と言葉を交わしたことはないが、外見上の印象では、テレビのインタビューを受ける度胸のありそうな人は、あの自由人をおいてほかにはいそうにもない。そんな確信めいたものはあったが、実際に自由人に尋ねてみないと断定することはできない。そこで、それを確かめるために、勇躍花見客で賑わう公園へと出かけたのだった。

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例年にない早さで満開を迎えた桜は、このところの花冷えでどうにか持ちこたえていた。組み立て式仮設住居の近くには、彼の姿はなかった。その近辺のベンチに姿をさがしてみたが、花見客で占められていて彼の姿は見あたらなかった。

近くの木の根元には、空きカンの入った大きなビニール袋がうず高く積まれていた。花見の季節は空きカン集めの繁忙期なのだと、以前、自由人から聞いたことがある。目の前の空きカンの山を見れば、たしかに彼の言に間違いはない。たぶん、園内を走り回ってカン集めに精を出しているのだろう。少し待っていれば集めたカンを置きに戻ってくることだろう。

ともかく少し待ってみることにした。そう心を決めると、急に空腹感に襲われ、園内の出店で一つ500円也の焼きそばを買い求め、かろうじて空いていたベンチの端で食したのだった。桜の季節にふさわしい桜エビ焼きそばは、美味だった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年03月24日

アユミギャラリーは猫びより

神楽坂のアユミギャラリーでは、現在「神楽坂写真塾 写真展」が開催されている(3月27日まで)。そのアユミギャラリーの中庭に猫が現れた、と然る方が教えてくれた。なんという僥倖、おかげさまでギャラリーの建物を背景に猫写真を撮ることができました。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年03月23日

昨日の雲は地震雲?

 
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撮影日時:2013年3月22日 17:08


昨日、上野公園で見た異常雲は、3月18日に横須賀でも観測されたそうだ。

[神奈川県横須賀で地震雲の目撃情報!阪神淡路と同じか?]
http://hukugyou-toraripi.seesaa.net/article/347659249.html
(2013年03月18日)

1995年(平成7年)1月17日(火) 早朝に発生した兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の8日前に、同じような雲が観測されたらしい。さらに東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でも、数日前に同様の雲が観測されたらしい。

[あのとき、東北地方太平洋沖地震@巨大地震の前兆異常雲]
http://blog.livedoor.jp/vivit_2012/archives/4022003.html#more
( 2012年03月10日00:30)

こんな事実を見せつけられると、大地震の前触れとなる地震雲ではないかと思いたくもなる。このことがどれほどの信憑性があるかどうかは不明であるが、そう遠くない将来に地震が発生する確率は高いと言われているのだから、用心するに越したことはない。防災用品・非常食などのチェック、避難場所の確認なども再度しておくことにしよう。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年03月22日

不思議な雲

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上野公園で不思議な雲を目撃。
posted by 里実福太朗 at 18:51| 里ふくろうの日乗

桜は満開

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江戸川公園を流れる神田川沿いの桜並木は満開。
posted by 里実福太朗 at 12:27| 里ふくろうの日乗

2013年03月21日

佐原猫(3)

近くに奇妙な場所があった。建造物があるわけではなく、一見すると空き地のような感じがする。しかし子細に見ると、花が生けられていたり、卒塔婆様のものが建っていたり、その一帯の周辺を墓石のような四角い石が囲んでいたりして、何らかの用途で使われているのかもしれないとも思われて来る。

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無縁仏の墓地なのだろうか。しかし、無縁仏にせよ少々乱雑に過ぎる。折よく親子連れが通りかかった。子供はそこにいたネックに興味を持ったようで、腰をおろして動こうとしない。父親と思しき男性に、
「この場所のこと、ご存じですか。花が生けてあったり、卒塔婆が建っていたり、なんだか奇妙な場所ですが…」
「地元の人間ではないので分かりませんが、たしかに変ですね」

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路地の奥の家から、そこの主と思われる人が出てきてこちらの様子をうかがっている。話し声が聞こえて怪訝に思い、けだし確かめに出てきたのだろう。そういう時は、先手を打ってこちらから話しかけるに限る。
「そこは、何かに使われているんですか」
「そこはね、動物のお墓です」
と、不審顔ではあったが教えてくれた。

近隣で飼っているペットが死んだ時、この場所に弔ってあげるのだろう。そう思って再度子細に見直してみれば、卒塔婆の横にジョンと記された区域もあった。たしかにペット用の墓地であった。

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昔、吉祥寺の家で飼っていた猫が死んだ時は、庭の片隅に葬ってあげた。アパートやマンションに住んでいる家庭では、ペット用の公園墓地にでも埋葬するのだろうが、この地のように自分たちの居住地域内にペット用墓地を設けるという例はあまり聞いたことがない。

そのペット用墓地について、もっと詳しい話を聞いておきたかったが、その人はそそくさと路地の奥に戻って行ってしまった。親子連れも去ってしまった。ネックだけが、行かないでと懇願するような表情でその墓地に座っていた。

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もう少し一緒に過ごしていたいけれど…

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posted by 里実福太朗 at 01:30| 里ふくろうの日乗

2013年03月20日

半額タイムセール

ちょっとした用事があって近くのスーパーに行ったところ、衣料品売り場は半額タイムセールの真っ最中だった。そのあたりは黒山の人だかり、と言ってしまったら大袈裟となるが、でもそれに近い混雑ぶりだった。人の集まっている所へ興味が惹きつけられる質のようで、ついフラフラと足が向いてしまった。

売れ残り冬物の最終処分タイムセールで、
「もうすぐ終了時間になりますからお早めに」
と係の人が客の気持ちをあおり立てていた。人混みをかき分け、進んでいくとマフラーコーナーがあった。ここ二〜三年、地味な柄のものがほしいと思っていたのだが、なかなか手に入れることができなかった。

マフラーなどは、冬物処分セールが始まれば何割引きかで手に入るだろうと楽観視して、毎年、目星をつけたものがセール品になるのを虎視眈々と待っていた。ところが敵もさる者、こちらが目星をつけたマフラーは、いつまで経っても定価販売だった。そうこうしているうちに誰かに買われて無くなってしまうか、売れ残っていたとしても暖かくなるころには売り場から消えてしまうのだった。かような事情で、いまだにマフラーを首に巻くことは叶っていなかった。

なかなか気に入るものがなくて諦めかけた時、カシミヤ100%という表示のあるマフラーが目に入った。処分セールといえどもカシミヤ100%なのである、かなり値が張るだろうなと思いながら値札シールをみると1500円となっていた。半額セールだからその半分、750円になる。購入を即断したのはいうまでもない。係の人に半額シールを貼ってもらいレジに向かったのだった。

さて、750円で購入したカシミヤ100%のマフラーの定価はいくらだったのだろうか。値札シールは、何回か値段を変更してそのたびに新しいシールを上に貼っていったため、分厚くなっていた。一番上は1500円、そこから一枚一枚はがしていけば、一番下に最初の価格を示すシールが現れるはずだ。

我ながら暇つぶしの所行だとは思うが、一枚ずつ注意深くはがしてみた。
 ¥1500
 ¥2000
 ¥3000
 ¥3480
 ¥4980
最初の価格は4980円だった。4回値下げしても買い手は現れず、半額セールでやっと私の手に落ちたのだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:31| 里ふくろうの日乗

2013年03月18日

佐原猫(1)

「佐原にも猫はたくさんいますよ。私の家でも猫を飼っています。」という話を聞いたのは、小野川沿いの歴史を感じさせるお店に入った時だった。土産の品を買い求めようとして店内に入った時、視線がすい寄せられていったのは、店の一角に設けられていた猫コーナーだった。手作りと思われる猫グッズが並べられていた。

冒頭の話を伺ったのは、店主と思しき女性からだった。
「猫が集まる場所はありますか」
と尋ねると、記念館の駐車場にいるかもしれないと教えてくれた。猫を撮るために佐原に来たのではなかったが、たまたま入ったお店に猫グッズを扱うコーナーがあり、女性店主が猫好きだったのだ。これも何かの縁なのだろう。

早速くだんの駐車場に行ってみたが、残念ながらネコの姿はなかった。ただ、女性店主が話していた通り佐原には猫が多く生息しているようで、その姿を見かけることが多かった。しかし警戒心が強く、こちらが近づこうとするとすぐ逃げ出すことが多かった、一匹のネコを除いて…

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2013年03月17日

佐原訪問

写真塾と美術塾との合同合宿に参加して、佐原に行ってきた。去年は打越・江ノ島で行われたが、雨にたたられた二日間だった。その前の三浦海岸の合宿では、暴風雨に襲われて一夜を過ごした。合同合宿は天候に恵まれないことが多かったが、今回の佐原は穏やかな日和に恵まれ、江戸情緒が今でも残る小野川のほとりを気持ちよく散策することができた。

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あの東日本大震災では、佐原でも大きな被害を受けた。屋根瓦が壊れ、壁も崩れる憂き目に遭った歴史的建造物も少なくなかったそうだ。丸二年経った今でも、屋根にブルーシートがかけられたままの建物も残されていた。今回の合宿は、そういう復興途中の佐原を応援するために企画されたものでもあった。

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ちょうど「さわら雛めぐり」も開催されていて、旧家に代々伝えられてきた雛人形が、通りに面した店先や小野川の船着き場に飾られていた。

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2013年03月13日

春の嵐

一日中、春の嵐が暴れまくった。ネコ公園でも、強い風が吹き抜けるたびに、土埃が舞い上がった。こんな日には、ネコたちもどこかに避難しているようで、姿を確認できたのは、アメちゃんだけだった。その後、お昼のエサやりの時間が近づくと何匹かが顔を見せたが、風が吹くたびに、緊張した面持ちでいつでも逃げられるようにと身構えていた。

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気象庁のホームページに掲載されているデータによると、東京の風速の最大値は、以下のようになっていた。

風速:27.4m/s
風向: 南南西
観測時分:13:05

上には上があるもので3月の過去の最大値は、同じく気象庁のデータによれば、2006年3月19日の33.4 m/s(北北西)となっていた。今日をはるかにしのぐその時の強風は北風、さぞかし身も凍える冷たさを味わったであろうと思われるが、まったく記憶に残っていない。

「里ふくろうの日乗」というタイトルにする前は、「ふくろうの足あと」と題して一年間ほど書いていた。3月19日の記事を確かめてみると、書くのをサボっていた。前々日の3月17日をみると、次のような記事が載っていた。

[春の嵐]  3月17日 (金)
ふくろうの傘立てが、昨夜の強風のため倒れてひびがはいってしまった。そのことを朝勤めに出る時に、夫人から聞いた。その傘立ては、円筒形の陶器の周囲にふくろうが描かれている。玄関のドアの手前に置いてあった。
昨夜は、この近辺でも強風の被害がいろいろあったようだ。

また、3月20日には以下の記述があった。

[桜は一分咲き] 3月20日(月)
勤務先に向かう途中で通る桜並木の下で、自転車をこぎながら梢を見上げる。つぼみの先端から、わずかに花の色が顔をのぞかせている。すこし顔を出して、あたりの様子を注意深くうかがっているという感じだ。一年に一度、自分の華やかな姿を見てもらうのだから、慎重にならざるを得ない。暖かい日が戻れば、いっきに開花しそうな気がする。

今日、袴腰広場のオオカンザクラは、ほぼ満開に近かった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年03月11日

オオカンザクラ

昨日の東京は、暖かいというより暑かった。最高気温は25度を超えて今年初めての夏日を記録した。観測史上最も早い夏日だったということだ。なのに今日は一転して冬に逆戻り、寒いのはイヤだけれど花粉症持ちにとってはありがたい。

上野公園不忍口の袴腰広場の桜(オオカンザクラ)は五分咲きほどで、一足早い華やかな雰囲気を周囲に漂わせていた。

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2013年03月10日

自由ネコとのお付き合いマナー

ネコ公園のネコサポータの中には、エサやりマナーの講習会を受講したことのある人が多い。以前その話をうかがって、これからも自由ネコたちとのお付き合いを続けていくからには、そういった講習会に参加して、多少なりとも飼い主のいないネコたちを支える活動への理解を深めておくことも必要であろう。

台東区は、飼い主のいないネコたちへの取り組みにおいて、当方が居住する市よりかなり積極的な活動をしている。その活動は、「動物愛護」だけでなく、飼い主のいない猫を適正に管理することで、住みやすい「まちづくり」を目指していこうとするものである。

ただこの活動は、まだ広報の行き届かない面もあって、活動に携わるネコサポーターが地域住民とのトラブルに巻き込まれることもあるそうだ。そのような事態を招くことのないように、以下のポイントを押さえて活動しつつ、地元住民の理解を得られるように進めて行く必要があるということだ。

[頭数管理]…野良猫の不妊去勢手術
[餌やりルール遵守]…エサの食べ残しの片づけ
[衛星管理]…糞の掃除
[遺棄犯罪防止]…捨て猫防止パトロール
[里親探し]…子猫の飼い主探し

また台東区では、「飼い主のいない猫の不妊去勢手術費助成事業」を来年度(平成25年度)も継続していくそうだ。

[助成条件]
○台東区民であること
○台東区内に生息する飼い主のいない猫であること

事業計画(予定)によれば、条件を満たせば以下の助成を受けられるらしい。
○不妊手術(メス):10000円/頭
○去勢手術(オス):5000円/頭
(個人・地域団体申請の双方に頭数制限あり)

なお詳細についての問い合わせ先は、「台東保健所 生活衛生課 環境衛生」である。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年03月08日

エリザベスカラーのワンちゃん

あのエリザベスカラーのワンちゃんとまた出会った。あいかわらずカラーを首に巻いていたが、シッポの包帯はとれていた。このワンちゃんは、自分で自分のシッポをかじってしまうので、エリザベスカラーを付けられていたのだった。

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飼い主さんは、もう疲れたから帰ろうよ、と言ってリードを引っ張るがなかなかいうことをきかない。こちらがカメラを構えれば、興味を示してますます帰ろうとしない。飼い主さんはかなり疲れている様子で、引きとどめるのは申し訳ないのでその場を立ち去ることにした。ワンちゃんは名残惜しそうに、いつまでもこちらを見続けていた。

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2013年03月05日

キジバトの初鳴き

夢うつつのまどろみの中で、キジバトの「ホウホウ」と鳴く声を聞いた。今年に入ってから初めて聞いた鳴き声だった。あるいは気がつかなかっただけで、すでに鳴いたことがあったのかもしれないが、耳にしたのは今朝が初めてだった。

おりもおり、今日は啓蟄だった。地中の虫がやっと長い眠りから覚めて動き出すと言われている日に合わせて、キジバトも鳴き始めたのだろうか。虫たちはまだ寝ぼけまなこをこすっているかもしれないのに、鳥たちは早くも求愛の準備を始めたのだろうか。

去年は、ヒヨドリとキジバトが庭木に巣をかけて卵を産み、ヒナが無事かえって巣立っていった。その時の成功体験を忘れずに、今年も同じ木に巣を作るかもしれない。そうそう、そういうこともあるかもしれないと思って、去年の巣はそのまま残してあったのだ。年末に植木屋さんが来た折りに事情を話して、その木の手入れをする時は巣を壊さないように、と夫人が頼んでおいてくれたのだった。

雪が降ったり、強風が幾たびも吹いたりで、朽ち果ててしまったか吹き飛ばされてしまったかもしれない。庭に出て巣がかけられていた枝を確かめてみたところ、かなり隙間ができて去年の形状とは異なっていたが、あることはあった。かろうじて残っていたその巣を利用すれば、少しは巣作りの労力を省くことができるかもしれない…鳥がどう考えるかは分からないが…さて今年はどうなることだろう。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗