2013年03月02日

春一番が運ぶもの

いよいよ3月、やっと3月、もう3月という具合に、人によってさまざまな3月の迎え方があるのだろう。春になればきっといいことがあるに違いない、と忍従の日々を過ごしていた人もきっといることだろう。

自分自身はどうなのか、インフルエンザにかかってウンウン唸っていたのが遙か昔のことのような気がしたり、寒い日が続いて早く暖かくならないかと焦がれていた身には、やれやれやっと3月になったと安堵の気持ちがおとづれたりする。

昨日、3月最初の日に強い南風が吹いた。春の到来を告げる風として、「春一番」と言い習わされているが、古来、船乗りや漁師たちが使っていた呼び方が広く使われるようになったらしい。今日も強い風が吹いた。ならば「春二番」と呼びたくなるところだが、吹いたのは冬を呼び戻す北風だったから、そう呼ぶわけにはいかない。

 野に山に春一番が運ぶもの(小川みゆき)

春一番が運んで来るものが、春の好ましいものであればうれしいのだが、ちかごろはお断りしたくなるようなものまでも運んで来てくるからいやになってしまう。中国からPM2.5と呼ばれる人体に害のある微細な粉塵、関東南部からはあの忌まわしい花粉、そして航空機騒音も南風と共にやって来る。

先日のこと、ネコ公園からの帰途の車内で、目にすこしかゆみを感じたことがあった。今年もいよいよ花粉症が始まったのかと思って暗い気分になったが、その後外出を控えていたら、そのかゆみは消えてしまった。ところが、今日また目にかゆみを感じたのだった。

近くのホームセンターに買い物に行って、帰ってきた当座は大丈夫だったのだが、夜になってかゆみに襲われた。いよいよ今年も、本格的な花粉症の季節が始まったのかもしれない。

 春一番花粉症をもたらせり


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2013年02月27日

アカイヌの散歩

ネコ公園には、アカイヌもやって来る。先日は、二頭のアカイヌさんを囲んで人だかりができていた。ともにメス犬で、片方は2歳、体の大きな方は11歳ということだった。

2歳のアカイヌは、カメラを向けるとすぐ近づいてきてなめようとするから、なかなかシャッターをきることができない。11歳のアカイヌは、二度出産を経験したそうで、さすがに落ち着きはらって堂々と構えていた。

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2013年02月26日

春のきざし

凍死者が出るほどの寒さが続いたが、その寒さもやっとゆるんだ。日中は風もなく、穏やかな陽射しが心地よい暖かさを届けてくれた。ポン太もその陽射しを浴びながら、気持ちよさそうに居眠りをしていた。その周囲の草むらを見ると、黄色い花がほころび始めていた。

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朝はかなり冷え込んだらしい。資料館の前のネコの水飲み場には、厚い氷が張ったらしく、その氷が取り除かれ脇に置いてあった。ネコが水を飲めるように誰かが除けておいてくれたのだろう。

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2013年02月25日

凍死

寒い日が続いている。暑さには比較的強いが、寒さにはまるっきり弱くて、日に何度か「寒くてホントいやになっちゃうよ」と独りごちるのは、8月が生まれ月のせいだろうか。

この寒さのせいで、自由人が暮らす公園でとうとう犠牲者が出てしまったそうだ。その人は、ネコサポーターからエサやりを頼まれている自由人とは少し離れたところで暮らしていた。人を威圧するような鋭いまなざしを、いつも行き交う人たちに向けていた。

昼間の公園では、身の回りの荷物はきちんとまとめておいて、生活の匂いを消しておかなければならない。しかしその人は、寝袋はそのまま、おまけに生活臭の漂う雑多な物をその周囲に乱雑に放置していた。そんな状態だから、園内パトロールの人に注意されていたはずなのに、改善される気配はいっこうになかった。

日が暮れてきても、自由人のように組み立て式仮設住居の設営を始めることはなく、そのまま寝袋に入って夜を迎えていた。雨の夜は、近くの建物の軒下に移動して、そこで一夜を過ごしていたようだった。

無類の酒好きで、いつもどこからか調達してきたお酒を飲んでいて、酩酊状態でいることが多かったそうだ。アルコール依存症ではないかとも言われていた。酒のために職を失い、身を持ち崩したらしいという噂も流れていた。福島大学を首席で卒業したという自慢話を耳にした人もいた。

何日か前に、賞味期限切れのカップ酒を50個ほど手に入れて、一日中飲み続けていたそうだ。酔いつぶれてしまっては、日が暮れても夜を迎える準備はできない。寒さに無防備な状態のまま寝入ってしまったのだろう。

明くる日散歩に来た人が、お尻を出したまま横たわっているその人を見て、風紀上の理由で苦情の電話をしたそうだ。連絡を受けた係の人は、現場を確認するとすぐさま救急車を呼んだ。ところが駆けつけた救急隊員は、担架に乗せて運ぶことなくそのまま帰ってしまった。入れ違いでやってきたのは、警官だった。体に傷があったので、事件性の有無を確認するため、周囲の人たちに事情聴取をしたそうだ。

その人の身元を確認できる物は何もなかった。氏名も分からないのでは無縁仏になってしまう。ところだが指紋を照合したところ、身元が割れた。やはり福島出身だった。郷里の肉親と連絡が取れ、数日経たずして遺骨を引き取りに来たということだった。

私が公園に出向いた時には、その人が縄張りとしていた場所はすでに片づけられていた。彼がそこで暮らした痕跡は、何も残っていなかった。

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posted by 里実福太朗 at 00:39| 里ふくろうの日乗

2013年02月24日

大学ネコ

ちょっとした用事があって、千葉県内のとある大学に行ったところ、校内の植え込みにネコを発見、さっそく写真を撮らせてもらった。

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黒猫が2匹、茶トラが1匹。長毛の黒猫は近寄っても逃げなかったが、ほかの2匹は警戒心をあらわにしていて、近づこうとするとすぐ逃げようとする。栄養はゆき渡っているようだから、校内で誰かが…学生たちだろうか…サポートしているのだろうか。

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posted by 里実福太朗 at 23:05| 里ふくろうの日乗

2013年02月22日

ニャンニャンニャンの日

今日は猫の日、どうして2月22日が猫の日になったのかというと、まあだいたいは察しはつきますが…「今日は何の日」には次のような説明が載っています。

英文学者の柳瀬尚紀氏らによる「猫の日制定委員会」が1987(昭和62)年に制定。ペットフード工業会が主催。
「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」の語呂合せ。全国の愛猫家からの公募でこの日に決まった。
…「今日は何の日」 http://www.nnh.to/02/22.html

人間が勝手に決めたのだから、ネコ自身がどう思っているのかは分からない。全国の愛猫家が、ネコのために祝宴を催すという話もあまり聞いたことがない。この日に、大間のマグロの赤身でも食べることができるのであれば、ネコも今日が特別な日だと少しくらいは思うかもしれない。

猫の日ということで、朝日新聞夕刊で谷中の猫を取り上げていた。東京の猫スポットとして広く知られるようになった町ではあるが、有名になりすぎてネコ写真家たちがどっと押し寄せているのではないかと勝手に想像して、なかなか足がそちらに向かない。

先日ネコ公園で出会った若手落語家さんも、谷中に行ってネコ写真を撮ったことがあると言っていた。ネコの写真を撮っていると、どこかのおばさんに…多分地元の人なんでしょうね、「かってに撮らないでよ」としかられてしまったそうだ。多分そんなことがあったから、4匹ほどのネコに囲まれて、石にデンと座っている私を見て、「ネコの写真を撮ってもいいでしょうか」と声を掛けてきたのだろう。

谷中のおばさんは、カメラを持った人間がたくさん押し寄せて来て、路地の奥深くまで入り込んで撮影する傍若無人な振る舞いをかねてより苦々しく思っていたのだろうか。それとも、自分たちがエサ代を工面して面倒みているんだという気持ちが屈折してそんな叱責の言葉を吐かせたのだろうか。そのおばさんの心中を推し量ることはできないが、有名になりすぎると往々にしてそういうことが起こる可能性があることを、わきまえておかなければなるまい。

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2013年02月13日

出会いを招く猫

先週に引き続いて降雪の予報が出ていた。ただ前回の失敗があるので、その予報はかなり慎重に出されていた。そのせいか今回も雪は降らなかったが、交通機関の混乱はなかったようだ。

日中は冷たい風が吹いていた。2月も中旬近くになれば、陽射しはどことなく春めいてくるものだが、かすかな春の恵みさえ感じられず、池のほとりでは北風が吹きすさんでいた。

そんな冷たい風を避けるためなのだろう、何匹かのネコたち…ミー・チー・アメ・ラクちゃんらが、建物横の陽だまりで思いおもいに過ごしていた。当方も彼らの仲間に入れてもらって、冷えた体を温めたのだった。

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一人の若者がカメラを携えてやってきたのは、そんな時だった。歳のころは三十代半ばくらいか、もしその見当があたっていれば、若者と呼ぶのはかえって失礼になるかもしれないが、活力に満ちた気配からは若者と呼んでも差し支えないようにも思われた。

ネコの写真を撮ってもいいかと尋ねられた。ネコの写真を撮りに来る人は数多くいるが、当方に撮影の許可を求めた人などいなかった。なんて律儀な人なんだろう、そんな気兼ねなどせず自由に撮ればいいのにと思ったが、いろいろ言葉を交わしているうちに、それなりの理由があることが分かった。

さらにいろいろ話しているうちに分かったことだが、彼は落語家さんで、近くの演芸場での高座をつとめた後、このネコ公園に来たということだった。次の出演日時を教えてもらい、都合がつけば落語を聞きに行きますよ、と言って別れたのだが、残念なことにその日は写真塾の講座の日と重なっていた。彼の落語を聞くのは、別の機会に譲るより仕方がない。
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2013年02月11日

子規庵再訪

『北田英治とゆくダウンタウン「日暮里・鴬谷を歩く」』は、建築塾の講座として企画されたものだが、ありがたいことに写真塾の受講生も参加可ということで、当方も参加させていただいた。「子規庵」にも立ち寄るということだから、参加しないわけにはいかない。

以前「子規庵」を訪れたのは、イチハツが咲くころだった。死期が近いことを思う子規は、前庭に咲くイチハツを見て、「いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす」と詠んだのだが、生前の子規が見たイチハツの花を、同じ季節に訪ねて見ておきたいと思ってのことだった。

このことはすでに書いたことではあるが、その時、子規庵保存会の方から伺った話では、現在の子規庵は当時とだいぶ植生が変わってしまい、残念ながらイチハツもすでに無くなっているということだった。

子規庵内部が撮影不可となっていることは、以前と変わりはなかったが、庭を撮ることは可能であることが分かり、随筆「小園の記」に描かれた前庭の様子を写真におさめることができた。

『園は家の南にありて上野の杉を垣の外に控へたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に広がりて雲行き鳥翔る様もいとゆたかに眺めらる。』
【小園の記】里実文庫より
http://bunko1.satobn.net/syoko/satomi/siki/syoen.html

「小園の記」によれば、庭の垣の周りには上野の杉が植えられ、近隣の家はまだ多くなく、庭の外に広がる青空を眺め渡すことができたそうだ。今では庵の周囲には杉の代わりにビルが林立し、それらに切り取られた四角い青空が見えるだけとなってしまった。

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子規庵は昭和20年4月14日の空襲により焼失したが、その後昭和26年に、ほぼ当時の姿のままでで再建されたということだ。病間前の糸瓜棚も再現され、再訪した時も大きな糸瓜がぶら下がっていた。それを見ると、あの糸瓜を詠んだ「糸瓜咲きて痰のつまりし仏かな」をはじめとする絶唱三句がいやが上にも思い出されてくる。そして病に伏せる子規にとって、痰を切ることがいかにたいへんなことであったかを想像するのである。

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2013年02月06日

雪の公園を見るつもりだったが…

予報では未明から雪が降り出し、今日は大雪になる可能性があるということだった。深夜の0時40分頃から雨の音が聞こえてきた。そのうち雪になるのだろうと思い、何度か外の様子をうかがったが、雪になりそうな気配はなかった。

もし雪になったら、ネコ公園に出かけて雪景色の中のネコたちを撮ってみようといつもより早く起きた。雨戸を開ける前から、予想はついた。雪が降り積もっていれば、わずかな音でも雪に吸い込まれ、外の世界は静寂に包まれているものだが、そういう感じがまったくなかった。

雨戸を開けて確かめてみれば、予想通り細かい雨が音もなく降っていた。雪景色を撮れないのは残念だが、出かける前に雪かきをする必要もはなく、交通機関が乱れることもなく勤めを持っている人には幸いな朝となったことだろう。

それでも出かけたのは、冷たい寒い雨に降り込められたネコたちの様子を見ることと、都の美術館で催されている「日本大判写真展」を観ておきたいという目的もあったからだった。

電車が都心に近づくにつれて、車窓には雪の影がチラチラと見え始めたが、積もるほどの量ではなく、ネコ公園でも雪のかけらなど見えるはずもなく、ただ寒々とした雨が降っているだけだった。こんなに冷たい雨の降る日、自由人はどのように過ごしているのだろうか、そして自由ネコたちはどこで雨宿りをしているのだろうか。

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2013年01月31日

出戻りアメちゃん

アメショウのアメちゃんは、一週間ほど前にネコサポーターの一人に約束通り引き渡されたそうだ。その後、アメちゃんを引き取りたいという人が現れ、その人にもらわれていくことになった。ところがその受け渡しの際、ちょっとしたスキに腕の中からスルリと抜け出して逃げて行ってしまったということだ。かくしてアメちゃんは再びネコ公園の住猫となり、自由ネコとしての生活を送ることになったのだった。

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家の中で過ごしていれば、寒さに震えることもなくエサの心配をすることもない。新しい飼い主に引き取られれば一生ぬくぬくと暮らしていけるはずなのに、自らその機会を捨て去ってしまった。アメちゃんは、家ネコとしての安定した生活を捨てて、自由ネコとしての生き方を選んだということになろうか。

以前吉祥寺に住んでいた頃、猫を飼っていたことがある。家に出入りすることのできる床下の通路があって、家の中と外とを自由に行き来していた。本来、猫は束縛されるのを嫌う動物だから、家の外を勝手気ままに徘徊することができる環境は、猫にとっては好ましく住みやすい環境であるはずだ。

ところが昨今は、放し飼いにしておけば近隣の住民から苦情を寄せられることもあり、猫は家の中に閉じ込められ、狭い空間の中での生活を余儀なくされるようになった。猫好きにとっては飼いにくく、猫にとっても住みづらい世の中になってしまった。

そういった不自由な生活を送っていた猫が、いったん屋外の自由な生活を享受するとどうなるか、猫本来の野生を取り戻し、息の詰まる室内での暮らしには二度と戻りたくないと思うようになるのかもしれない。アメちゃんがそう思ったかどうかは定かではないが、安定した生活より外での自由な生活を選んだのかもしれないと想像したくはなる。

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2013年01月30日

木に登る女

近ごろポン太の姿を見ていない。自由人によれば、ポン太は早朝にはエサをもらいにやって来るそうだが、千葉くんだりからでは始発に乗っても間に合いそうにもない。日中でも場合によっては姿を現すそうだから、出会えることを期待して園内を歩き回ってその機会が訪れるのを待つより仕方がない。

ポン太の姿を求めて園内を行ったり来たりしていたある日、不思議な光景に出くわした。奇妙な化粧をほどこしたうら若い女性が、木に登って上を向いたり下を向いたり、枝に頬をすり寄せたりしているのだ。たった一人でそんなことをしていれば、通報する人がいてもおかしくない状況であるが、近くでカメラを構えている人を認めれば、心配するには及ばないと思い直すことだろう。

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それにしてもどういう意図で、木に登らせて撮影しているのだろう。木に登るネコに擬しているのだろうか、しかしメークの仕方からはネコを想像することはできない。身につけている衣装も、ネコの姿を模したものではない。しばらく遠目から眺めていたが、結局分かることはなく、かえって手前の木の枝振りのおもしろさの方に目が惹きつけられたのだった。

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posted by 里実福太朗 at 22:55| 里ふくろうの日乗

2013年01月28日

雪かき用具三兄弟

今年二度目の雪が降った。深夜から降り始めて朝方まで降り続いたそうだが、雪が降っていることにまったく気づかず、朝起きて雨戸を開けてやっと気づいた。前回の雪は水分を多く含んでいた。屋根に降り積もった雪が時おり自身の重みで滑り落ち、ドスンドスンという音をたてていた。ところが今回はさらさらの雪質で、音もなく降り続いていて気づかなかったのだろう。

今年は降雪が多いという予報なので、先週ホームセンターに行った際、新雪用の幅の広いタイプの雪かき用具を購入しておいた。それがさっそく役に立ったのである。

準備を整えて雪かき作業に取りかかった。まず新たに購入した新雪用で、ふわふわのフトンのような雪を一気に取り除く。雪をすくう部分が広いだけあって、おもしろいように作業がはかどる。しかしその下の道路の表層には、少し固い部分がこびりついていて、それを取り除くには新雪用では無理だった。そこで、それからは残りの二種類の雪かきスコップの出番となった。

雪かきをする箇所は、隣近所の人と相談して決めるのではなく、慣習的にそれぞれの家の担当箇所が決まっている。基本的には自分の家の敷地に面する道路の雪かきをすることになっていて、道路の向こう側に家があれば、道路の中央で分割して、それぞれの家が自分の敷地側の道路半分の雪かきをすることが暗黙の了解となっている。

ただそうはいっても、この住宅団地でも年寄り世帯が増えてきて、腰痛などの持病を抱えている人もいるから、そういう人には除雪作業などを期待することはできない。しかしそのまま放置しておけば、凍結してスリップ事故の原因ともなってしまう。隣家のダンナさんも体調がすぐれない様子で、近ごろはあまり姿を見かけない。前回もそうしたのだが、今回もまとめて雪かきをしておいた。老齢化が進めば、さらに雪かきができない世帯が増えてくることだろう。

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posted by 里実福太朗 at 16:47| 里ふくろうの日乗

2013年01月27日

富士山を見に印旛沼へ行ってみた

冬の晴れた日には、印旛沼から富士山が見えるらしい。新聞に載っていた富士山の写真を見て、印旛沼へ行ってみようと夫人が言う。厳しい寒さが毎日続き、どうも気が進まなかったが、買い物に出たついでに行ってみることにした。

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印旛沼のほとり、少し小高い所にある野鳥の森からなら見えるかもしれないと見当を付け、急な坂道を息を切らしながら登った。眼下に印旛沼を一望できるところまでようやく登りきり、目を西の彼方に転ずれば、ユーカリが丘の高層マンション群は見えたが、残念ながら富士山は見えなかった。

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posted by 里実福太朗 at 23:44| 里ふくろうの日乗

2013年01月26日

今年の大辻は小ぶり

毎年一月二十五日は、大辻の掛け替えの日、その翌日の今日、新しい大辻を見に行って来た。五箇所の大辻を確認したが、例年に比べて小ぶりになっているのが気になった。昨日は平日で人出が足りなかったのだろうか。

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去年・一昨年は大辻の制作過程を見学させていただいた。地区の人たちが集まって作業をした集会所は、この一年の間に建て替えられすっかりきれいな建物になっていた。

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また、大辻が掛けられたり置かれたりしている場所は例年と同じだったが、無残にも木が切られてしまった場所もあり、枝の代わりとして金属製の棒が使われ、それに蛇が巻き付けられていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:56| 里ふくろうの日乗

2013年01月23日

第三のネコ

先週はインフルエンザでダウンして寝込んでいたため、ほぼ二週間ぶりのネコ公園だった。その間のことを何人かの人から聞いたところ、いくつかの変化があった。

自由人は元気に過ごしていた。ポン太へのエサやりは続けてくれていた。先週の大雪の日は、たいへんだったらしい。公園の管理事務所から、避難勧告が出されたということなのだ。水分を多く含んだ雪は、木の枝に降り積もるとその重みで枝を折ってしまうことも考えられ、下にいる人がケガをするおそれもある。そうなれば管理者の責任問題にもなるので、皆公園から追い出されてしまったらしい。

さて追い出された自由人たちは、降り続く雪を避けるためには、とりあえず屋根のある所にもぐり込まなければならない。近くのマックに行ってみたが、すでにマック難民であふれかえっていた。漫画喫茶も満員、仕方がなくあり金をはたいてカプセルホテルで一夜を明かしたそうだ。

アメリカンショートヘアーのアメちゃんのその後のことが分かった。ある女性にもらわれていったのだが、ペットショップに持ち込んでみたものの、雑種の血が混じっていることが分かり引き取ってもらえなかったのか、再びネコ公園に戻ってくることになった。自由人によれば、そんなことをやりそうな感じの人だったそうだ。

戻ってきたアメちゃんの扱いについて、ネコサポーターたちが相談した結果、ネコサポーターの一人が引き取ることになった。二人組のネコサポータは、すでに二匹の自由ネコを引き取っているので、もう新たに飼う余力はないということで、そういうことになったらしい。

去年、ネコ公園に置き去りにされたネコは三匹だった。そのうちの一匹がアメちゃんで、もう一匹がアビシニアンのアミちゃんだった。その二匹は新しい飼い主が決まり自由ネコの生活からは抜け出すことができた。残りの一匹の第三のネコは、家ネコであったのに警戒心がとても強く、建物の裏側に隠れ住みめったに姿を見せなかった。

チラッと姿を見た人によれば、ポン太によく似た毛並みのネコだったらしい。人前に出て来ることがほとんどなかったのでそのネコの存在すら忘れていたのだが、やっとそのネコを撮影することに成功した。

黒と白の毛並みは確かにポン太に似ているが、顔はかなり違っていた。そもそも鼻の先端が黒いのだ。アゴも角張って長く、鼻筋が太い。このようにポン太とはかなりの違いあったが、仮にケン太とでもしておこうか。

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ケン太が表に出て来られるようになったのは、チビがいなくなったからだろうか。チビがいなくなったのは、あの大雪となった日の前日だったそうだ。誰かが連れて行ったのか、それとも放浪の旅に出たのか。チビといつも一緒に過ごしていたフウは、どことなく元気がないように見受けられた。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年01月17日

インフルエンザ闘病記

大雪となった月曜日、その日の起きた時にノドと気管支の上部にちょっとした違和感があった。喉の炎症はは珍しくないが、その奥までとなるとあまり経験したことがなかった。それでもじき直るだろうと高をくくり、降り続ける雪と眺めたり、雪の写真を撮ったりしていた。

夕刻になっても雪は降り止まない。このまま降り続けば積雪はかなりの量になるに違いない。今、雪かきをしてもそのそばから雪は降り積もる。予報では、明日には止むということだから、どうせなら止んでからの方がよくはないだろうか。だがその場合、つもりに積もった雪はかなりの重さになっているはずだから、ただでさえ雪かきはたいへんな作業なのに、より一層の重労働を強いられることになりそうだ。

そんなことを思案している間も、雪は間断なく降り続く。おまけに日も暮れて暗くなってきた。意を決して、防寒具を二枚着込み、下には暖パンをはき、着ぶくれ状態で雪かきをすることにした。今しておけば、一晩降り続いたとしてもまとめてやるよりはだいぶ楽になるに違いない。若い時ならいざ知らず、歳相応のやり方があるのだ。

夜遅くなってから、雪はみぞれに変わった。雪が降り止んだことはありがたいが、これはこれで問題がある。路面が凍結して、氷を取り除くことに難渋することになるのだ。そこで再び防寒具に身を固め、シャーベット状の氷雪を取り除く作業に取りかかった。久しぶりの力仕事で、終わった時にはうっすらと汗をかいていた。

次の日の朝、ニュースでは大雪のことで持ちきりだった。路面が凍結して滑りやすくなっていることを繰り返し注意を喚起していた。本格的な風邪となってしまったのだろうか、喉の痛みは増していた。肩こり、筋肉痛、腰痛などの痛みも出てきた。だだし、これは昨日の雪かきが原因とも考えられる。もうしばらく様子を見ることにした。

昨晩はどういうわけか熟睡することができず、眠りが浅いまま一晩が過ぎた。そのためか日中はほとんど横になって、眠りに吸い込まれては目が覚めるという状態を繰り返した。夕方になっても痛みの改善はみえず、熱っぽさを感じるようにさえなった。全身の倦怠感は増すばかりで、夕食をとろうという気さえ起きてこなかった。

ここに至って、やっとこれは普通の風邪ではないなと思い始めた。先ほど悪寒を感じていたので、かなり熱が出たのではないかと思われた。念のため体温を測ってみたところ、38.3度もあった。38度以上の熱を出すことなど、絶えて久しくなかったことだ。大人が38度の熱を出すと、これほどの苦しさを味わうことになるとは思ってもみなかった。


インフルエンザの疑いが濃厚となってきた。すぐにでも病院に駆けつけたいところであるが、かかりつけの医者の診察時間はすでに終わっていた。市販の風邪薬でも飲んで、症状が軽減されることを期待するより仕方がない。熱っぽい体を横たえ眠れない長い夜を過ごさなければならないことを思うと、暗澹たる気分になってくる。

翌日は、あいにくなことにかかりつけの医者は休診日だった。少し離れた別の医院…初めて利用する…で診察を受けた。受付を済ませると、すぐに診察室でもなく待合室でもない一室に連れて行かれた。カーテンで仕切られたその部屋には、ロッカーがいくつか並んでいた。その一つには「旧カルテ」と記載されたラベルが貼ってあった。パイプイスが三つと旧式の石油ストーブが置かれていた。

だいぶ待たされてから隣の大きな部屋に移された。ベッドが二台と治療器具などが置かれていた。横になって待つために用意されているベッドではなかった。そこでもだいぶ待たされた。

看護師を従えて入ってきた医師は、受付で記入した問診票の内容を確認すると、口の奥をのぞき込んだ。
「だいぶ赤いな、インフルエンザの疑いがありますね。念のため検査しましょう」
と言って、いったん部屋の外に出て行った。戻ってきた時には、長い綿棒のようなものを手にしていた。それを鼻の奥に差し入れて何回かグリグリしてから引き出し、再び部屋の外に出て行った。

検査の結果は、やはりインフルエンザだった。それを告げたあと、医師は治療薬について説明してくれた。
「イナビルという薬を出すようにします。これは口から吸う薬で、一回分を吸うだけで治ります」
そんなすごい薬が開発されたのかと驚いていると、
「吸う時は、慎重にそして大胆に」
と言うものだから、どんなフウに吸ったらいいのだろうかと考え込んでしまっった。

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家に帰りすぐイナビル…2容器で一回分…を吸入した。ほんとうにすぐ治るのだろうか。気のせいだったのかもしれないが、スーとノドの痛みが和らいでいくような感じがした。服用1時間後の体温は37.7度だった。

確かに効き目はあった。服用5時間後の午後5時には36.9度まで下がった。一気に下がったのはそこまでで、今朝は少し上がって37度だった。喉の痛みなどは軽減され味覚も戻ってきた。これを書いている今(午後10時頃)、36.5度だった。これが平熱に近い体温なのだろう。

一回の吸入で治るということについては、少し注釈をいておいた方がいいようだ。イナビルは一回吸入すれば、その効果が五日間は持続するらしい。だから、一回の吸入で治るということは間違いであるとは言えないが、治り方には個人差があるはずだから、その点は誤解しないようにするべきだろう。
posted by 里実福太朗 at 22:10| 里ふくろうの日乗

2013年01月14日

雪降り続く

お昼前から降り出した雪は、今(13分50分頃)も降り続いている。かなり積もりそうな気配だ。

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posted by 里実福太朗 at 13:58| 里ふくろうの日乗

2013年01月12日

柿の木の運命

先日の早朝、8時前のことだった。勤めている頃ならば、早朝とは言えない時間だが、近ごろの私にとっては、かなりの早朝だと言った方が良い。そんな時間に、突然しじまを引き裂く大きな音が聞こえてきて、うつつの世界へと引きずり出されてしまった。

オートバイのエンジン音のような騒音の正体は、すぐ見当がついた。いよいよ始まった、ということなのだろう。雨戸を開けて確かめれば音の発生源ははっきりするが、そうするまでもなかった。とぎれとぎれに耳を突き刺す騒音を聞いているうちに、その音の正体を確信するようになってきた。

隣家では、大きくなりすぎた柿の木を切ることに決めていた。遠目からではさほど太いとは見えないが、間近でその幹を見れば、とうていノコギリなんぞで切り倒すことはできそうにもないと分かる。昨年、その柿の木の枝を切り落とす手伝いをした時に、そう思った。

植えてからほぼ40年も経ち、大木に成長して毎年たくさんの実をつけるようになった。人間も柿の木と共に歳を重ね、年ごとに柿の実をとることがしんどくなり、とうとうその木を切ることにしたのだった。

ただ素人がおいそれとできる仕事ではない。隣家の奥さんが、我が家に来るシルバーの植木屋さんに聞いてみたところ、できないとにべもなく断られたそうだ。近くの家に来る本職の植木屋さんに頼んだところ、やっと引き受けてくれたそうだ。

それが去年の年の瀬の話、正月が過ぎてやっと柿の木を切る仕事に取りかかったということなのだろう。そのオートバイのエンジンのような音は、チェインソーが発する音に違いない。まだ眠気がとれない頭で、そんなふうに推理してみたのだった。そして、推理が一通り終わると、再び夢の世界へと誘われていったのだった。

起きてから隣家の庭を見たところ、柿の木は以前と同じ姿で立っていた。朝聞こえたチェインソーの音は、夢の中の出来事だったのだろうか。いや、そんなことはない。確かにチェインソーの音は聞こえた。夢まぼろしではなかったはずだ。

釈然としないまま何日かが過ぎた。たまたま隣家の奥さんが回覧板を持って来た時に、応対に出た夫人に柿の木の話をしたらしい。それによれば、結局柿の木は切らないことにしたという。お正月に、すでに嫁いでいる娘さんが来て、柿の木を切ることに反対して熱弁をふるったそうだ。娘さんにとって柿の木は、自分と成長を共にしてきた木なのだから、幼なじみを失ってしまうような気持ちになったのかもしれない。植木屋さんも、40年も経った木を切るのは気が進まなかった、と言っていたそうだ。

かくして、隣家の柿の木は一命を取り留めることになったのである。なお、先日聞こえた早朝の音は、以前切り落とした枝を小さくするために、チェインソーを使った時の音だった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年01月11日

ネコ公園の惨事

表面的には平穏なうちに松の内が過ぎたように思われたが、実はそうとも言えない出来事があったらしい。以下何人かの目撃者から聞いた話をまとめておくことにする。

夕陽がビルの谷間に沈み始めた頃だった。池のほとりにポツンと置かれたベンチに一人のお年寄りが腰をおろし、池の対岸にそびえるビルをじっと眺め続けていた。その人は、先ほどまでそのビル内で診察を受けていた。体にはペースメーカーが埋め込まれていて、定期検診を受診したかえりにこの公園に立ち寄ったのだった。

日中は陽射しに助けられて、陽だまりにいると寒さはあまり感じないが、陽が落ちてくると急激に冷え込んでくる。自由ネコの姿も見えなくなり、行き交う人も少なくなってきた。厚手のコートを着込んでいても、冷気は容赦なく忍び込んできて体の芯を突き刺す。

お年寄りはやっとベンチから腰を上げた。何歩か歩みを進めた時、急に足がもつれてフラフラと足もとが定まらなくなった。まるで飲み過ぎた酔客が歩いているようだった。酔っぱらいならば、倒れそうになってもなんとか体勢を持ち直し、フラフラしながらも歩き続けていくものだが、その人はそうではなかった。防御する姿勢をとることもなく頭から弧を描くように倒れてしまったのだった。

倒れたところが悪かった。近くの円形の花壇の脇だったのだ。そして運が悪いことに、その石製の花壇の縁に頭を打ちつけてしまった。手をつけば少しは衝撃を和らげることができたのかもしれないが、そういう体勢をとれなかったということは、その時はすでに意識を失っていたのかもしれない。

頭の周囲には、みるみる血が広がっていった。それを見た通りがかりの人が、慌てて119番通報した。ほどなくして救急隊が来た。搬送先はすぐ決まった。倒れた人が先ほど定期検診を受けた病院だった。近ごろは、搬送先の病院がなかなか決まらずたらい回しされることもあると聞くが、その病院に連絡したところ、すぐに受け入れてくれることが決まった。救急車を見送りながら、誰かが、無理かもしれないな、とつぶやいた。

私が公園を訪れた時には、おびただしく流れた血はあらかた洗い流されていたが、その跡がうっすらとしみついている箇所がわずかながら残されていた。

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posted by 里実福太朗 at 01:29| 里ふくろうの日乗

2013年01月10日

エリザベスカラーのワンちゃん

松の内が過ぎて正月の賑わいも消え、ネコ公園にも普段の暮らしが戻ってきた。自由ネコたちの顔ぶれにも変わりはなく、ネコサポーターたちが与えてくれるキャットフードをたらふく食べ、ポン太も食後のひとときを池のほとりを行き来する人びとを眺めて過ごしていた。

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ネコ公園では、ネコだけでなくイヌが散歩させてもらっている姿もよく見かける。その日は、こんなワンちゃんと遭遇した。

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顔を足で掻いてしまうからそれを防ぐために、ラッパ状のものを付けているのだろうか、そう思って動き回るその柴犬の顔をやっとのことで確かめてみると、顔には傷一つなかった。

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リードを持っていたおばさんに訊いたところ、顔ではなくシッポをかじってしまって、どんどん毛が短くなるから、それを防ぐために付けているということだった。シッポを見ると、確かに包帯が巻いてあった。

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今年の春、二歳になるという。もうちょっと大人になればシッポをかじることもなくなるそうだ。マメシバよりもう少し大きな犬種らしいが、今より大きくなることはないらしい。なお首まわりに付けているものは、エリザベスカラーと呼ばれる保護具ということだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2013年01月01日

初詣は鷲神社で

例年通り鷲神社で初詣、久しぶりで義兄を加えて四人で参拝した。

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昨夜は地区の年当番の人たちが、新年の参拝客を迎える準備をしたのだろう。その人たちが暖をとったたき火の跡が残っていた。

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これも例年通り、本殿下部に小さな丸餅が供えられていた。おそらく地元の人が供えたものだろう。

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鷲神社のご神木は樹齢1000年余と言われているケヤキの大木、その根元近くにお賽銭が置かれているのも毎年のこと。何年か前にお参りした際、地元のお年寄りが供えて手を合わせているのを目にしたことがあった。ご神木にあやかって長寿を願っていたのだろうか。毎年何ヶ所かに供えられていたが、今年は一ヶ所だけだった。これからお参りに来て、お供えするのかもしれないが…

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近くの小道でネコを見つけた。今年もネコとの良い出会いがあるように。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

明けましておめでとうございます


本年もよろしくおねがい申し上げます

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posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2012年12月27日

ポン太の耳の変化

ポン太は、自由人から毎日エサを与えられ、食べるものには不自由していないはずなのだが、自由人が食べるのを楽しみにしていたサンマの塩焼きを失敬するし、ほかのネコの縄張りにまで出向いてエサをもらうこともある。以前は、これほどまでには食い意地が張ってはいなかった。

フウやチビがエサをもらっているのを、木の陰からうかがっていることがあった。それに気づいたネコサポーターが、
「ポンちゃん、こっちおいでよ、カリカリ食べな」
と声を掛けると、その言葉の意味が分かったのだろうか、チビを膝の上にのせているネコサポータの所に近づいて行ったのだ。

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こういう話もある。自由人が、
「あっちに行くと、牛乳がもらえるぞ」
と言うと、いつも牛乳を持って来てくれるネコサポーターの所に行ったというのだ。そのことを聞いたネコサポーターは、
「ポンちゃんが来たけど、こっちに行くようにいわれたから来たの! ホントなの?」
と言ってびっくりしていたそうだ。ポン太は、人間が言っていることが分かるのだろうか。

ネコ公園のネコたちは、その多くは仲間が増えないように避妊手術を受け、その印として耳に小さな切り込み…パンチ…が入れられる。マルタで出会ったネコの何匹かにも、そういうパンチが入っていた。

新参者のネコたちがパンチを入れられても、ポン太の耳にはいつまでも変化がなかった。ところが最近になって、ポン太の耳に変化があった。小さな切り込みが入っていたのだ。ポン太は決して人間の膝の上に乗らなかった。ちょっとした物音が聞こえると、すぐに身構えた。そういう敏捷性が備わっていたことが、長い間パンチを入れられることがなかった要因なのかもしれない。

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posted by 里実福太朗 at 23:40| 里ふくろうの日乗

2012年12月25日

サンマ泥棒

ネコ公園に着いたのは、もう薄暗くなっている時分だった。早稲田のギャラリーで行われている写真塾講師の方の写真展に足を運び、その帰途立ち寄ったのだった。クリスマス寒波の冷気が公園をすっぽりと包み、人の姿はまばらに見えるだけで、園内灯に照らし出されて寒々とした影を落としていた。

自由ネコたちは寒さを避けるため、きっと暖かいねぐらをさがしてもぐり込んでいるのだろう、ざっと見回してみても見なれた顔はいつもの場所にはなかった。昼寝をする際にに好んで入る植え込みの中を一つ一つ覗いてみたところ、フウとチビが一緒にいるところを見つけた。ネコサポータの人たちが枯れ葉をかき集めて、フトン代わに敷き詰めてあるのだが、この寒さの中ではせっかくの好意もあまり役に立ちそうにもなかった。

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自由人もこの寒さだから、もう簡易組み立て式住居の中に入っているかもしれないと思っていたが、薄暮の中、ペンチに座ってラジオを聴いていた。こちらを認めて、「オヤッ」という顔を向けるものだから、
「写真展を見に行った帰りなんです」
と言うと、まったく違うことを話し始めた。いつも穏やかに話す自由人とは違って、憤懣をぶちまけるという感じだった。
「あのポン太のヤロウに、またやられた」
「というと…」
「また、サンマを盗まれたんですよ」

自由人に聞いた話では、以前にもポン太とアユにサンマを盗まれたことあったらしい。近くのスーパでは夜7時を過ぎると、売れ残りの商品は、場合によっては四分の一の値段で売り出すことがあるそうだ。ある晩、売れ残りのサンマの塩焼きを買い求め、ブルーシートの下にかくしておいた。自由人にとってのご馳走は、自由ネコにとってもご馳走だった。鼻の良いポン太とアユがそのおいしそうな匂いを嗅ぎつけ、チャッカリ我が物としてしまったのだ。

いつもエサをあげている恩人が、食べるのを楽しみにしていたサンマの塩焼きを、ポン太とアユは、盗んでペロリと食べてしまったのだから、恩知らずと言われても仕方がない。

食べ損なった物は、以前より増して食べたいと思う気持ちが募るものだ。その欲求に抗しかねて自由人はまたサンマの塩焼きを買い求め、発泡スチロールの中に入れてブルーシートの下に隠した。四方に石を置き、ネコが入り込めるスキがないように念には念を入れて泥棒対策をしておいた。ところが…である。ポン太とアユは、わずかな隙間を見つけて、またもやサンマを手に入れることにまんまと成功したのである。

この話をいつもエサやりに来るおばさんに話したところ、
「ネコにやるためにサンマを買ってきてくれるんですね。ポン太とアユになり代わって、ありがとうございます」
と言われたそうだ。なけなしの金をはたいてやっと買い求めたサンマの塩焼きを、ネコに盗まれるとは何とも気の毒な話ではあるが、舌なめずりをしているポン太の顔を思い浮かべると、ご馳走にありつけてよかったね、とも思うのであった。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月22日

ミッドタウンのクリスマスイルミネーション

今回のマルタ旅行でお世話になった航空会社はエミレーツ航空、現在行われているミッドタウンのクリスマスイルミネーションは、そのエミレーツ航空の協賛である。

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私たちが観に行った木曜日もかなりの人出だった。この三連休の間は、それに輪をかけてひどい混雑となっていることだろう。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月21日

Adobe DNG Converter

撮影した写真は、近ごろではRAW形式(未加工の画像データ)で記録媒体に保存することが多くなった。その最大の理由は、撮影後に現像ソフトを使って、露出・ホワイトバランス等を補正できるという点にある。よく使われる圧縮形式の一つ「JPEG」は非可逆圧縮のファイル形式で、補正を繰り返すとそのたびに画質が劣化していく。ところがRAWは、繰り返し補正しても最初の状態に復帰することができる。この点も、RAW形式の大きな利点である。

このようにいいことずくめのRAWではあるが、困る点もある。カメラメーカーやモデルによって規格がばらばらであるという点である。そのため現像するために使うソフトが、その規格に対応している必要がある。対応していなければ、閲覧・編集はおろか読み込みさえもできないことになってしまう。

カメラメーカーは、当該製品のRAW形式に対応した現像ソフトを同梱してくれてはいる。しかし複数のカメラを所持している場合は、それぞれのカメラに応じて使用する現像ソフトを使い分けなければならない。

その煩わしさを解決してくれるのが、「Photoshop Lightroom」などの汎用ソフトなのである。たとえば「Photoshop Lightroom」であれば、さまざまなカメラメーカーのさまざまなモデルに対応していて、カメラの新製品が発売されると、ある程度の期間は要するが、それらのRAWデータに対応した新しいバージョンを提供してくれる。

Lightroom4.3(アップデート2012/12/12)のサポート対象カメラ
http://www.adobe.com/jp/products/photoshop/extend.html

この「Lightroom4.3」では、約20種の新しいカメラ機種に対応したそうだが、当方が所有しているのは「Lightroom3」、こちらの最新バージョンは「3.6」で、まだ新しいカメラ機種には対応していない。このような場合は以下の方法で、新機種のRAWデータを現像することができる。

利用ソフト:Adobe Camera Raw and DNG Converter(Windows)
http://www.adobe.com/jp/support/downloads/dngw73.html

このソフトはアドビから無償提供されていて、カメラ固有のRAWデータをDNG(Digital Negative)という公開仕様の形式に変換する機能を持つ。これを利用して、いったんDNG形式に変換しておけば、「Lightroom3.6」でも読み込んで現像することができるようになる。

カメラ固有のRAWデータ
 ↓ 〔Adobe DNG Converter〕
DNG形式のデータ
 ↓
現像…Lightroom3

〔Adobe DNG Converter〕の使い方はいたって簡単で、変換するRAWデータが保存されているフォルダと、変換したDNGデータを保存するフォルダなどを指定するだけである。

posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年12月20日

猫はここにいます

昨日の写真の猫は、中央左側の木の下にいます。

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posted by 里実福太朗 at 13:58| 里ふくろうの日乗

2012年12月18日

さよなら「アビ」

アビシニアンの「アビ」の引き取り手が現れ、ネコ公園を去ることになった。初めてアビをカメラにおさめたのが11月14日のことだから、ほぼ一ヶ月で新たな飼い主との暮らしが始まることになる。その新たな飼い主とは、あのネコサポータの二人組なのである。

家ネコとして長年暮らしていたアビは、捨てられた当初は、体験したことのない屋外の環境にとまどい、資料館の裏の方に身を潜めていた。しかしもともと人間に対する警戒心の希薄なアビは、すぐに新しい環境に適応して、今まで味わったことにない開放感を享受して、元気に飛び回っていた。

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そんなアビは、膝の上にのることが好きだった。もちろん人を見てそうするのだが、最初はソロソロと様子をうかがいながら膝の上に乗ってくる。しばらく身を立てて座っているが、しばらくすると前足を折り、姿勢を低くして伏したまま落ち着いてしまう。ほかの自由ネコたちは、そんなことは絶対にしない。やはり、家ネコとして大切に扱われていたからだと思われる。

二人組のネコサポーターの一人、髪をポニーテールに結んだ人の膝にものって、長い間おとなしく座っていた。それが決め手だった。
「この子とは、相性が合いそうだからひきとろうかな」
それを受けて相方のおじさんが、
「二匹になれば、家を空けた時でも寂しくはないだろうし」
と応じて、あっけなくもらい手が決まってしまったのだった。そして、早ければ早いほうがいいだろうと、次の日に引き取っていくということまで決まってしまったのだった。

翌日、アビが引き取られていく様子を見届けるために、当方も二日連続でネコ公園に赴いた。待ち受けるネコサポーターの女性は、アビが手の届かない所に行ってしまわないように、自分の膝にのせて二人組がやって来るのを今かいまかと待ちわびていた。約束の時間が近づいても、二人はいっこうに姿を見せない。ヒョッとして気が変わったのか、と不安がよぎる。
「遅いですねー」
「そうですねー」
と言葉を交わしながら待つことさらに10分、やっと二人は猫運搬用のバッグを持ってやってきた。

はたしてアビがおとなしくバッグの中に入ってくれるだろうかと心配したが、それはまったくの杞憂だった。うなり声をあげたり暴れたりすることもなく、おとなしくバッグの中の猫となった。そして二人は、他のネコへのエサやりを省き、「タクシーで連れて帰るよ」と言い残し慌てて帰って行った。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年12月17日

ゼミの先生の葬儀

朝から暗い雲が低く垂れ込め、いつ降り出してもおかしくないよう空模様だった。寒空のもと告別式に参列して、風邪をひきなおすことになってしまうと困るなと思い始めると、三鷹の葬祭場まで行くことにためらいすら覚えてきた。しかし、失礼することなどできるわけがない。学生時代にクラブとゼミでお世話になり、就職活動の際にも、ある大手の電機メーカーを紹介していただいた先生がお亡くなりになったのだ。

ゼミのOB会幹事のBさんから訃報がメールで送られてきたのは、12日のことだった。前日の11日に急逝されたこと、葬儀の日程などが記されていた。その後、同様の内容のメールが、クラブOB会の幹事、ゼミ同期会の世話人からも送られてきた。

H先生とは、2年前の新旧合同のOB会の席で、卒業以来初めてお会いした。それ以前にもOB会の連絡は届いていたが、仕事の関係で都合がつかないことが多く、また、無理をすれば途中からでも出席できそうなこともあったが、そこまでして出席しようという気持ちにはなれなかった。

2年前のOB会の際、先生は車イス乗っていた。そのことに関しては、進行役の人による先生の近況報告でふれられることはなかった。出席者が多く、なかなか先生と話す機会が持てなかったが、やっと車いすの脇に立ち言葉をかわすことができた。長い無沙汰を詫び、卒業後の当方の進路変更のこと、そして近況などを話しているうちに、ほどなく後ろにひかえている人と交替する時間になってしまった。

第1期卒のOBが弔辞を読み…感情を押さえながらも、その中に恩師への敬愛の情が込められたなかなか良い弔辞だった…最後に、ご子息からの挨拶があった。

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4年前に、吉祥寺の街に自転車で買い物に出た際、転倒して腰を打ってしまい、それ以来、歩行が困難となり車いすを使うようになった。最近、母に認知症の症状が出てきて、ヘルパーさんに家事の面倒をみてもらうようになっていた。ほんの十日ほど前、腰が重いと訴えることがあった。なかなか症状が改善されず、検査のため入院することになり、12日に入院する手はずを整えた。その前日の夕方、付き添っていた家族が、ちょっと外出したその間に、あまりにあっけなく唐突に息絶えてしまっていた。訪ねてきたヘルパーさんが発見して救急車を呼んだが、手遅れだった。

近ごろは、人はどのような最期を迎えるのだろうかということを思うことが多くなった。ご子息の話を聞きながら、身近にあったさまざまな死を思い出し、自分はどのような死を迎えるのだろうか、そんなことを漠然と思ったりもした。先生は、行年87歳だった。

出棺を見届け、三鷹の駅に向かう途中で、雨がポツリポツリと落ちてきた。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月13日

半月ぶりのネコ公園

マルタ旅行中に、例のネコ公園ではいろいろと変化があったそうだ。マルタから帰ってからなかなか行く機会がなく、二週間以上経ってからやっと自由人やネコサポーターたちから、その間のいろいろな出来事を聞くことができた。

まず、アメリカンショートヘヤーの「アメショー」は、ある女性にもらわれていったそうだ。アビシニアンの「アビ」の方が容姿端麗で気品も漂っている感じなので、こちらの方が先にもらい手が現れるかもしれないと思っていたが、実際はそうではなかったということだ。その女性は、毛の模様がおもしろいと言い残していったそうだが、売り飛ばすことが目的でなければ良いのだが。仮にそうであったとしても、雑種の血が混じっているそうなので、高くは売れないだろう。

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チビとアビが姿を消した期間があったそうだ。二匹が戻ってきた時には、耳に避妊手術を示すパンチが入れられていた。ただ、元の飼い主さんからの伝聞情報によると、アビはすでに去勢手術を施してあったそうだ(手術代:1万8千円)。

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チビは、より一層ふさふさの毛に覆われ、小さなライオンのようになっていた。誰かが、ペルシャ系の血が流れているかもしれないと言っていたが、大きくなるに従ってその特徴が鮮明となってきたようだ。もらい手が現れてもよさそうなものだが、自由奔放で扱いにくいところがあるのが難点なのかもしれない。フウといつも一緒にいて、じゃれ合いなのかケンカなのか定かではないが、取っ組み合いを繰り返していた。

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半月ぶりのネコ公園は、その様相をすっかり変えていた。イチョウの木はみごとに黄葉して、落ち葉が地表を覆い隠していた。自由人によると、ほんの2・3日のうちに色づいてしまったそうだ。その黄色のじゅうたんの上で、ネコは陽光をあびて眠りをむさぼり、イヌは楽しげに飛び回っていた。

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自由人は以前と変わらない暮らしを続けていた。ポン太へのエサやりも続けてくれていた。寒波が襲来して冷え込みが厳しくなったというのに、薄手のジャンパーを身につけているだけだったので、寒くはないのかと尋ねたところ、寒いという返事だった。夜は寝袋にくるまって寝るので、汗ばむこともあるほど暖かいということだが、昼間用の防寒着に困っているようだった。ほとんど手を通したことのない厚手のジャンパーが家にあるけれど、と言ってみたところ、あるとたいへん助かるという返事だったので、さっそく翌日に持参したところたいそう喜んでくれた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月07日

やっと復活の兆しが見えてきた

マルタ旅行に出かける直前にひきこんだ風邪が、旅行中もずっと尾を引いていて、今週初めに帰国した後もすっきりせず、おまけに帰りの機内で降下時の気圧の変化で耳が変調をきたして、耳の奥からツーンという音が聞こえてくる始末、かくして日本に戻ってからというもの、マルタのネコを思い出しながらグダグダと過ごしていた。

何日かを無為に過ごしたおかげで、なんとか復活の兆しが見えてきた。旅行中に撮った写真はパソコンに取り込んだだけで、まだまったく手つかずの状態で、日々の時間はこちらの都合などお構いなしに情け容赦なく過ぎていく。日本のネコ公園のことも気がかりだが、このような事情だから帰国後まだ一度も行く機会がなかった。そろそろ行ってみなければなるまい。自由人は元気だろうか。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年12月02日

海から見たバレッタ

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posted by 里実福太朗 at 04:39| 里ふくろうの日乗

バレッタの猫

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午後になって雨は上がり、バレッタの街の見学と散策、そして買い物。
急な階段を下った所に、猫を発見、全部で7匹がたむろしていた。
posted by 里実福太朗 at 04:33| 里ふくろうの日乗

2012年11月30日

首都バレッタから

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マルタ共和国の首都バレッタからスリーシテイを望む。
今日はあいにくの雨。
posted by 里実福太朗 at 20:22| 里ふくろうの日乗

マルタ島からゴゾ島へ

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30分ほどフェリーに乗って、マルタで二番目に大きいゴゾ島へ。
posted by 里実福太朗 at 13:45| 里ふくろうの日乗

マルタ猫

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ホテルのすぐ近くにいた猫。同行者が見つけた。
posted by 里実福太朗 at 13:25| 里ふくろうの日乗

マルタのホテル

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日本から24時間以上もかけてやっとたどり着いたマルタのホテル。高台にあって、ベランダからは、地中海が一望できます。
posted by 里実福太朗 at 13:19| 里ふくろうの日乗

2012年11月28日

ドバイに着いた

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12時間かかってやっとドバイに着いた。ここで4時間待って、さらに3時間飛行機に乗ってやっとこさマルタ。
猫に会うのも大変だ。
posted by 里実福太朗 at 11:37| 里ふくろうの日乗

2012年11月27日

風邪

マルタ旅行が間近に迫ってきたというのに、風邪をひいてしまった。その間、ブログの方もお休みしたが、幸いなことに、出発する前にどうやら復活できそうな感じにはなってきた。

始まりはいつも通りだった。ノドのいがらっぽい感じが2〜3日続き、目の痛み・首筋の痛み、そして倦怠感におそわれた。その時はまだ風邪の前兆とは思わず、パソコン依存症による疲労が蓄積されたのだろうと思っていた。

その後、水のような鼻水が…「水」という語が重なってしまったが、それほど水のようだったのだ…出るようになった。ここに至って初めて風邪をもらったことに気づいた。この後、風邪は重症化していくのだろうか。マルタ旅行が近いのだから、高熱でも発するようになれば面倒なことになる。

記憶をたぐり寄せてみれば、たしか去年も同じような症状の風邪をひいたことがあった。ノドのいがらっぽさ、目などの痛み、そして鼻水へと症状が推移していった。その後、高熱を発することはなく、2〜3日で症状は治まったのだった。

丸一日、水のような鼻水が続いた後、翌日はそれがピタリと止まった。念のため熱を測ってみたところ平熱だった。今までの所は、今年も去年と同じような推移をたどっているのだ。となれば、二日ほどおとなしくしていれば、重症化することなく直るはずだ。

念のため、お医者さんに行って薬をもらってきた。処方してくれた三種類の薬は、去年とまったく同じだった。

posted by 里実福太朗 at 16:05| 里ふくろうの日乗

2012年11月21日

銀杏

今年も近くの神社のイチョウの木には、銀杏が鈴なりについただろうか。去年はしこたま拾い集めたが、今年はとうとう行かずじまいだった。

銀杏は、種の中身を食するまでには気の遠くなるような手間が掛かる。まずもって、くさい果肉を取り除き種を取り出すことからして、なかなか大変なことなのである。

昨年拾ってきた銀杏は、土に埋めておいた。土の中の微生物が、果肉を発酵・分解してくれるからだ。少し経ってから掘り返してみたが、もとの丸いままで実はまったく見えなかった。仕方なく、もう一度土をかけておいた。その後、銀杏を埋めておいたことはすっかり忘れてしまった。

今年になって、銀杏を埋めておいた場所から芽が出て…ほんとうのところは、芽が出たことには気づかなかったのだが…どんどん成長して、細いなりにも幹が伸び枝を広げ、生意気にもあのイチョウの葉の形をした葉をつけた。そして、秋を迎えて黄葉までしたのだった。まあ、元がイチョウの木の実だから当たり前のことではあるが、なんだかとても不思議なことに思えた。かくして、せっかく拾ってきた銀杏ではあったが、種を取り出してギンナンを食することはできなかった。

かように、銀杏から種を取り出すことは生やさしいことではないのだ。ところがそのギンナンを、ある人からどっさりいただいた。その人は、公園で暮らすあの自由人だったのだ。

公園には、イチョウの木が何本もある。居を定める場所としては、大きなイチョウの木の下が一番の適地なのだ。重なり合って茂るイチョウの葉は、油分を含んでいて雨をはじいてくれるからだ。このことは自由人から聞いたことだが、仮設簡易住宅を組み立てる場所は、どこでもいいわけではないということなのである。

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玉にきずは、雌の木は秋に果実をつけ、それが臭気を放つ点だか、それとてギンナンという自然の恵みをもたらしてくれるのだから、自由人にとってはありがたい木なのだ。そういう貴重なギンナンを、いただいてしまったのだ。

ビニール袋いっぱいに入ったギンナンを見た時、これはとうてい受け取るわけにはいかないなと思って辞退したのだが、
「なにもないので、これを…」
と相手もゆずる気配がないので、とうとう受け取ってしまったのだった。先日家から持って来た寝袋のお礼だったのかもしれない。

ギンナンではち切れんばかりのビニール袋は、手にした時、かなりの重さを感じた。ギンナンの重さだけでなく、きっと量ることのできない別のモノが、ずっしりとした重みを加えていたからなのだろう。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年11月20日

子ネコに関する意外な事実

高貴な血が流れているネコは飽きっぽい性格なのか、ひとしきり遊んだ後、振り返りもせずプイと去って行ってしまった。実にあっけらかんとした感じだった。行動パターンを確認するために後をつけていこうとした時、エサ場の方から、
「ワぁ、かわいい」
という若い女の子たちの歓声があがった。その声に気を取られているうちに、機敏なアビはサッと姿を消してしまっていた。

その歓声は、エサ場にいる自由ネコたちを見て発せられたものだった。そしてそのネコたちの中心にいたのは、フウ太の名付け親の女性だった。彼女のお気に入りの猫はもちろんフウで、そのフウを膝の上にのせてご満悦の表情だった。「かわいいわね〜」と口々に言う女の子たちに、「フウを膝の上にのせられるのは私だけなのよ」とでも言いたげに、得意顔を作っているようにも見えた。

彼女に会うのは久しぶりだったが、挨拶をすればすぐに「あァ」という表情になった。
「フウ太のケガはどうなりました?」
声を掛けるきっかけは、やはりフウ太の話題が一番いいのだ。
「もう、大丈夫」
「最近ネコが三匹捨てられたそうですね」
「そうよ。アビショウ、ウナギ…」
「ウナギ?」
「アビシニアンのことよ、体が細長くてウナギに似ているから」
あの高貴な血をひくネコがウナギでは、いくらなんでもかわいそうだ。心の中ではそう思ったが、口に出して反論することは避けておいた。
「あと一匹は子ネコで、二人組のダンナさんの方が連れて帰ったそうですね」
「それが、違うのよ」
と言って、意外なことを話してくれた。

結論から言えば、その子ネコは捨てられた三匹のうちの一匹ではなかったのだ。ある日、捨てた張本人である老婦人が現れ…やはり捨てた三匹のネコのことが心配になったらしい…以前から面識のあったフウの名付け親から子ネコのことを聞き、飼っていた三匹目は大きなネコで、子ネコではないことを明らかにしたのだ。ということは、ほぼ同時期に子ネコが捨てられ、それをあのダンナさんが老婦人が飼っていたネコだと勘違いして引き取ったのだった。

入居した新しいアパートでの生活にもやっと慣れ、気持ちにもゆとりが生まれてくれば、気がかりは手放さなければならなくなったネコたちのこと、そこで旧知のフウの名付け親がネコ公園に来ることの多い曜日を選んで、様子を見に来たのだった。

その老婦人は、実際には6匹のネコを飼っていた。二人組のネコサポーターは、エサ代が月に5〜6万円は掛かると言っていた。6匹のネコのエサ代はかなりの額になるはずだから、生活保護を受ける身では面倒を見続けることはできない。また、6匹もネコを飼っているのでは、特に高価なアビシニアンやアメリカンショートヘアーなどがいたら、金銭的な余裕があると見なされ、保護を切られてしまうかもしれない。自分が生きていくためには…そのための答えはおのずと導かれた。三匹はこのネコ公園に、残りの三匹は浅草の方に連れて行った。

「アッ、仕事に行かなくっちゃ」
時計を見ながら、フウの名付け親あわただしくその場を去って行った。仕事場に行く前に、ネコ公園に立ち寄って自由ネコたちと接する時間が、彼女にとって何かの大切な意味を持つひとときになっているのかもしれない。取り残されたフウは、彼女の後ろ姿を見送っていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年11月19日

これがアビシニアン

それでも、いつもよりは早い時間にネコ公園に着いた。ポン太は午前中の早い時間帯にはいると自由人から聞いていたので、ほんとうはもっと早く行きたかったのだけれど、いつも夜更かしをしている身にとって、早起きほど辛いものはなく、ずるずると家を出るのが遅くなってしまったのだった。

三文の得とまではいかないが、多少でも早く行けばいいことはある。ポン太はもう去ってしまったようだったが、まだチラッとしか見たことのなかったアビシニアンを間近で見ることができたのだ。それどころか、じっくりと写真まで撮ることができたのだ。

アメショウの方は、どうやらそのあたりの縄張りの一員に潜り込むことができたようだったのだが、アビの方は、いまだに建物の裏の方に身を潜めて、なかなか表の方に出てこなかったのだ。あの日チラッと見えたアビは、ほんとうに古代エジプトのバステト神のような気品をたたえていた。しかし、陽光の下で見るといささか印象が異なっていた。黄金に輝いて見えた毛並みは、ありふれた茶色に見えて、雑種の血が少し混じっているのかもしれなかった。しかし、ピンと張った大きな耳は、古代エジプトから続く血の流れを物語っているようで、そんなネコが、ある日突然住み慣れた家を離れ、路頭に迷うようになってしまったことを思うと、その行く末が案じられてくるのだった。

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しばらくこちらの様子を凝視していたが、危害を加える人物ではないと見極めがついたのだろうか、一転して旧知の仲のような感じですり寄ってきた。そして、大胆にも地面にコテンと横になり、枯れ葉が体に着くのも気にするふうもなく、コロコロ転がってみたあと毛づくろいを始めたのだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年11月16日

マンボウ・マブゼ共和国を旅する

どくとるマンボウこと北杜夫さんが、「マンボウ・マブゼ共和国」という独立国家を、世田谷のご自宅内に建国したことはご存じの方も多いであろう。

「マブゼ共和国 建国由来記」によれば、独立を宣言したのは昭和56年1月1日だった由、その後広く世間に周知してもらうため、「三時のあなた」という番組に、自ら出演交渉して番組内で独立宣言をした。司会は、つい最近お亡くなりになった森光子さんだったということだ。

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あらかじめ用意してあった紙幣・貨幣・特製煙草・手錠を示し、もと阪神の掛布選手のバットに、マンボウ夫人ご手製の国旗を括り付けて掲揚した。建国の由来を述べ、最後に国歌「ドンブラコ節」を歌ったのだった。

「マブゼ共和国 建国由来記」には、こんな奇抜な建国騒動の一部始終が語られている。マンボウ氏自身が明らかにしているが、氏が躁状態の時の所行だったそうだ。むべなるかな、である。

マンボウ氏なき今、そのマブゼ共和国は消滅したものと思っていたが、まだその影響力は衰えていることはなく、展覧会場には、そのマブゼ共和国が支配する地域があった。

マブゼ領に入国するためには、もちろんパスポートが必要となるのだが、所持している人など皆無であろう。そこで、その点はちゃんと配慮されていて、入国審査所にはVISA刻印カウンターが設置されていた。しかし無人であったため、自分で手続きをしなければならなかった。

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マブゼ共和国領内には、かつて栄華を誇った時代を彷彿とさせる品々が陳列されていた。どくとるマンボウの夢の消え残る地を旅して、人の世の栄枯盛衰に思いをよせ、しばし流れ去った日々に愁いをつなぐのであった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年11月15日

齋藤茂吉と『楡家の人びと』展

現在、世田谷文学館で「斎藤茂吉と『楡家の人びと』展」がひらかれている(12月2日まで)。世田谷文学館には、かつて一度行ったことがある。その時は車だったが、今回は京王線を利用して、芦花公園駅から歩いて行った。

芦花公園駅の南口の改札を出て階段を下る(エスカレーターもある)と、南北に通っている千歳通りがすぐ目の前に見える。右に曲がって南方向に5〜6分歩くと、左側に「芦花翠風邸」という老人ホームが見えてくる。これは、以前「久保邸」と呼ばれたお屋敷跡に建てられたらしい。現在は、かろうじて表門だけが残っている。世田谷文学館は、その表門の右奥にある。車で来た時は、こういった周辺の様子が分からなかった。

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着いた時は、3時をかなり回っていた。ネコ公園で自由人に会い、いろいろ聞きたい話はあったのだが、今日は行くところがあるので、と言って早めに切り上げて公園を出るつもりだった。ところがその途中で、二人組のネコサポーターと出会い、付き合っているうちについつい長居をしてしまったため、遅くなってしまったのだ。

展示資料は予想以上に充実していた。丁寧に観てまわるには、かなりの時間を見込んでおかなければならない。ネコ公園に寄ってから行こうなどと予定を立てたのが間違いだった。

特に充実していたのは、生原稿・自筆ノート・書簡類で、斎藤茂吉の愛用の品なども展示されていた。また、茂吉の故郷である山形の自然を写した写真も多数展示されていた。撮影したのは写真家中村太郎氏で、茂吉関連では、没後50周年記念出版として2003年に『茂吉の山河』を求龍堂から出版している。

齋藤茂吉と言えば、近代短歌のみならず近代文学にも大きな影響を与えた大歌人である。その大歌人を父に持つ北杜夫が、齋藤家三代にわたる人々をモデルにして書いたのが「楡家の人びと」という小説だった。もちろんその中心には精神科医でもあった齋藤茂吉がいるのだが、今回の展示では、追悼の意味も込められているのだろう、昨年10月に急逝した作者北杜夫に関する資料も多数展示されていた。

生原稿・自筆ノートなどに記された字体を見ながら、茂吉の字とは大きな違いがあることに興味がひかれた。茂吉の書は、近代文学者の中でも特に優れていると言われているそうで、会場に展示されていた「寫生道」と力強く記された書は、身の丈をはるかに超える大きさであることも手伝って、圧倒的な迫力で観る者を圧倒した。「白き山」の歌稿の文字なども、マス目いっぱいにしっかりとした書体で丁寧に記されていた。

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一方、北杜夫の生原稿に記された字は、マス目の中に小さくこぢじんまりと行儀良くおさまっているのだ。メモ帳などに記されていた字も同様であった。ドクトルマンボウシリーズの奔放な作風からは想像できないような、几帳面な小さな字で書かれていたことが深く印象に残った。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年11月13日

捨てられた子ネコの行方

さて、捨てられた三匹のネコのうち、アメショー(アメリカンショートヘアーの略)とアビ(アビニシアンの略)の姿は確認できた。アビは、ネコサポーターの女性が、「エサなんか絶対にやらない」と怒りをあらわにしていた時に、ほんの一瞬だったけれど姿を見せた。

チラッと見えた姿は、ネコの姿をした古代エジプトのバステト神のような気品をたたえていた。これほどのネコであれば、引き取ってくれる人は必ず出て来るはずで、やむを得ない事情があったにせよ、捨てる前に何か手立てあったはずだと思われる。

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残りの一匹は子ネコだった。実はそのネコは、もう公園にはいない。ある人に引き取られ家ネコとしての暮らしを始めている。そのある人とは、傷を負ったフウが戻って来た時、折よく現れたあの二人組のネコサポーターのうちの一人だったのだ。

「娘さん、元気にしてる」
とアメショーを目の敵にしている資料館の女性が声を掛けると、
「ああ、やっと慣れてきたよ」
と、少し照れながら答えた。娘さんとは、捨てられた子ネコのことなのである。

三匹のネコはなかなか姿を現さなかったが、ある日、二人組がエサをやっていると子ネコが現れて、その人のもとに走り寄り、膝の上にのったのだ。いつも苦虫をかみ殺したような顔をして、相棒がエサをやっているのを見ている方が多かった。自分はネコに好かれないタイプだと思っているような節もあった。それなのに初対面の子ネコが、彼をめがけてまっしぐらに駆け寄ってきたのだ。その瞬間、彼はネコに心を奪われてしまった。懐に子ネコを抱きながら、家に連れて帰ろうと思った。ただ、そのまま懐に入れて電車に乗るわけにはいかないので、タクシーで連れ帰ったのだった。タクシー代は、3500円だった。

これが、情報通の自由人から聞いたことの顛末だ。二人組は、いつもは時間をかけてゆっくりとエサをやるのに、その日はそそくさとエサやりを済ませ、急ぎ足で娘が待つ家へと帰っていった。
 
posted by 里実福太朗 at 23:45| 里ふくろうの日乗

2012年11月12日

雨の夜のフウとチビ

アビニシアンは、エサを食べながらしきりに周囲を気にしていた。こちらも気になって、そちらに目を向けると、フウとチビが並んで座っているのが見えた。名前を呼んでも顔をこちらに向けるだけ、エサとちらつかせても近づいては来なかった。手の傷の状態は確かめようがなかったが、とりあえず悪化していない様子であることは確かめられた。

雨の降る寒い夜に、どうしてそんなところに座っているのだろうか。さがせばもっと暖かい場所はあるだろうに…体を寄せ合って座っている二つの影に悲哀の念はかき立てられ、降り出した雨のように止みそうにもない。

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posted by 里実福太朗 at 02:08| 里ふくろうの日乗

2012年11月11日

これがうわさのアメショー

椎名町駅は、西武池袋線の池袋駅から一駅の所にある。現在は椎名町という町名は失われてしまったが、かつてはその椎名町の周辺に点在したアトリエ村などを拠点として、さまざまな人による創作活動が行われた時期があった。近くには池袋という繁華街があり、地形的にも低地にあって…西武池袋線の中では一番海抜が低い…パリのモンパルナスに似ていることから、その地域は「池袋モンパルナス」と呼ばれた。命名したのは詩人の小熊秀雄だと言われている。

こんなにわか仕込みの知識を頭に入れて、写真塾の撮影会に臨んだのだった。担当講師の写真家の北田さんから、「路地にはネコがいますよ」と教えていただいた通り、実際に歩いてみると多くのネコと遭遇した。いづれそのネコたちの写真も、このブログにアップしたいと思っている。

さて話は変わって帰途立ち寄ったいつものネコ公園のこと、気がかりは手に傷を負ったフウ太のこと、そして新顔アメショーとの争いの行方だった。公園に着いたのは、そろそろ自由人が組立式簡易住居の設営をはじめる頃だった。辺りはすでに暗く、おまけに予報通り雨も降り出してきた。

園内灯のわずかな光に浮かび上がったのは、一匹のネコの姿だった。そっと近づき目を凝らして見ると、今までに見たことのない顔だった。毛並みは茶トラに似ているが、腹の部分の模様は大きく弧を描いていた。目には、長い間自由ネコとして暮らしているネコが持つ険がなかった。十分に愛情を注がれ、大切に飼われていたことを示す穏やかな顔をしていた。

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捨てられたアメリカンショートヘアーに違いなかった。近づいてもうなり声をあげることもなく、逆に物欲しそうな顔でニャーと鳴いた。ネコサポーターの女性が、エサは絶対にやらないわ、と言っていたあのネコだ。しかし、腹を空かせているネコが目の前にいるのでは、エサをやらないわけにはいかなかった。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年11月10日

その後のフウとチビ

先週、フウとチビが消えてしまったことで、たいそうな騒ぎとなってしまったことはまだ記憶に新しい。もうその二匹には会えないものと思っていたが、意外にもチビの姿はいつもの場所にあったのだ。ただ、いつもは一緒にいるフウの姿は相変わらず見えなかった。

緩衝材で覆われた段ボール箱の上で眠りこけているチビに声を掛けてみると、薄目を開けただけですぐ目を閉じてしまった。二週間ぶりで見るチビは、体がさらに一回り大きくなったようには見えるが、顔に傷一つなく、体が薄汚れていることもない。以前とまったく同じチビだった。あの騒ぎは一体何だったのだろうか。

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そこに、先週悲嘆に暮れていたネコサポーターの女性がやってきた。
「いるでしょ」
「いますね、いつ戻ってきたんですか」
と尋ねると、「次の日」とちょっと恥ずかしそうに言った。それはそうだろう、あれだけ騒いでいたのに、次の日にはもう姿を現したのだから。
「だけどね、フウはずっと姿を見せてないの。アメショー、あいつのせいよ」
と怒気を含んだ声で言った。
「アメショー?」

ペットを遺棄することは禁じられているというのに、最近三匹のネコが捨てられたそうだ。なんでも高齢の女性が置いていったらしい。勤めていた店がつぶれ収入の道が閉ざされ、とうとう生活保護を受けることになった。それに伴って、アパートも変わざるを得なくなった。あいにくそのアパートでは動物を飼うことができず、泣く泣く飼っていた三匹のネコを手放さなければならなくなってしまった。

そのネコサポーターが、どうしてここまで詳しいことを知っているのか、本当の話だろうかと疑念が生じないこともないが、真顔で話しているところを見ると、まんざら作り話でもなさそうだ。ひょっとすると、情報通の自由人あたりが出どころなのかもしれない。

さて、捨てられた三匹のネコの一匹は子ネコ、そしてアビニシアン、さらに三匹目がアメリカンショートヘアーだった。「アメショー」とは、このアメリカンショートヘアのことなのだ。新顔が加わったことで、縄張りの力の均衡がくずれた。すぐさま新勢力と旧勢力との争いが始まり、穏やかな性格のフウが負けるのに時間はかからなかった。かくして日米決戦に敗れたフウは、チビを引き連れて住み慣れた縄張りを出て行った。チビの方だけが次の日に戻ってきたのは、まだ子ネコだったからアメショーも相手にしなかったのだろう。

「ほんとに、憎たらしい。フウたちが仲良く暮らしていたのに、追い出すんだから。アメショーなんかにエサは絶対にやらない」
と、息巻くことしきりだった。

「連れてきてあげたわよ」
私たちに声を掛けてきた人は、中年の肉付きの良い女性だった。初めて見る人だった。
「あっちの方にいたのよ」
と西の方を指さしながらさらに言葉を続けた。
「なんかオドオドしてかわいそうだったから、あっちに戻りましょ、と言ったら私の後をつい来るじゃないの」
彼女のすぐ後ろには、あのフウがいた。しきりに周囲の様子をうかがっていたが、ネコサポーターの歓迎の声に迎えられて、いつもの人なつっこいフウに戻った。
「やっぱりアメショーに追い出されて、戻ってこられなかったのね」
「こっちに来る時、歩き方がちょっと変で、左手をかばって歩いてたのよ。怪我してるのかしら」
「アメショーにやられたんじゃないの、憎たらしいッたらありゃしない」
この騒ぎを聞きつけて、何ごとかと人が集まってきた。
ある人は、
「フウ、帰って来たの」
と言い、またある人は、
「フウの顔を見にここに来てたのよ」
と言う。フウは女性の間では、ハチ以上の人気者になっていた。

そして、フウの帰還を喜び盛り上がっているところに、折良く二人組のネコサポーターがやってきたのだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

小春日のネコ公園

今週の七日が立冬だった。いよいよ寒さも本番ということだが、ここ二・三日は、暖かい陽射しに恵まれ小春日が続いた。そんな小春のひと日、ネコ公園を訪ねた。自由人と交わした約束を果たすためと、消えたフウとチビとのその後を確かめるためだった。

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かつて勤めを持っていた頃、子供たちと一緒にキャンプに行くために、アウトドアグッズをせっせと買い集めていた時期があった。しかしなかなかその機会は訪れず、キャンプ道具だけが増えていった。そうこうしているうちに、子供たちはあっという間に成長して、親と出かけることを避ける年頃になってしまった。そして、買いためたキャンプグッズは、いつしか防災グッズへとその用途を変えたのだった。

次第に寒さが厳しくなってくれば、自由ネコにとっても自由人にとっても寒さを防ぐ手立てが必要になってくるはずだ。公園の近辺には24時間営業の店舗もある。ネコは、そういう店舗の裏手辺りにある暖かい場所をさがして潜り込めば、暖をとることができる。しかし自由人は、どのようにして冬を乗り切るのだろう、そんなことをとりとめもなく思っている時、ふと寝袋のことが思い浮かんだ。買ったきりでほとんど使わずじまいだった寝袋が、どこかで眠っているはずなのだ。それがあれば、寒さを少しはしのぐことができるのではないだろうか。

さがしてみたところ、なんと五つも出てきた。防災用として二つは確保しておく必要がある。一つはほつれている箇所があったので、残りの二つを自由人に寄付することにした。ただ自由人が必要するかどうか分からないので、前もって確かめてみたところ、あると助かるということだった。それでは持って来ますと約束したのが、先週のことだった。そして今週、その約束を果たしたのだった。

二つの寝袋を渡してから、とある公園の場所をもう一度確かめておいた。その公園は現在工事中で、周囲を取り囲む工事用フェンスに、ネコや犬の写真が展示されているということなのだ。先日酔っぱらいに痛めつけられた腰や胸の痛みがようやくひいて、どうにか歩けるようになり、足慣らしのために散歩に出た時偶然見つけたそうだ。時間があれば、そこに行ってみるつもりだった。

用件の一つ済んだが、もう一つ確認しなければならないことがある。そう、消えたフウとチビのその後のことだ。自由人に別れを告げ、仲良しフウ・チビのお気に入りだった場所へと向かったのだった。

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posted by 里実福太朗 at 01:25| 里ふくろうの日乗

2012年11月09日

最後の柿の実

庭に出ると、「ギーコギーコ」とノコギリを挽く音が聞こえてきた。見ると、今日も隣家のご主人が柿の木の枝を切っていた。ここ何日か続けて柿の枝を切っている。

聞くところによれば、こういうことのようだ。はしごに登って高いところの実を採ろうとすると、近ごろはフラフラすることがある。寄る年波のためなのか、柿の実を採ることがだいぶしんどくなって来た。柿採りはもう今年限りで終わりにしたい。思い切って、根元から切ってしまう心づもりを固め、それは専門家に頼むとして、その準備として四方八方に長く伸びている枝を切っておく。そこでご主人が、毎日のように枝を切っているということなのだ。

太い枝を切るのには、かなり難渋しているらしい。毎年柿をいただいていた者としては、傍観しているわけにはいかない。「お手伝いしましょうか」と声を掛けてみた。口の中で「いやいや…」とモゴモゴおっしゃっていたが、辞退しているようにも見受けられない。手には小さなノコギリが握られていた。我が家にあるノコギリの半分程度の大きさだった。ノコギリを取ってきて、手伝うことに決めた。

枝を切りながらご主人に訊けば、柿の木は植えてから30年以上経つという。それだけの年数をかけて、秋にはたくさんの黄金色の実をつけるようになったのに、来年からはそれを見ることができなくなる。寂しさが心をよぎるが、歳を重ねればいずれはそういう日を迎えることになるのだから、こればかりは仕方がない。歳をとるということは、何かをあきらめて手放していくことなのでしょう。歳を重ねれば重ねるほど、失うものは増えていく。

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posted by 里実福太朗 at 01:01| 里ふくろうの日乗