2012年11月05日

消えたフウ太とチビ

ポン太に久しぶりで会ったのは先週のことだった。今までは、公園の北側を縄張りとしていたからそのあたりで姿を見ることが多かった。しばらくしてから、南の方に少し移動して、そのあたりを縄張りにしていたアユと一緒に過ごすことが多くなっていた。ところがその日は、さらに南側にいたから少々驚いた。その辺りを縄張りとしていたネコは、以前から住み着いている古顔のネコで、近ごろはフウ太とチビもそのグループに加わっていた。かなりネコ密度が高く、他のネコが入り込むにはかなり敷居の高い場所だった。そういう場所にポン太がいたから、少々驚いたのだった。

「ミャー」
と鳴いてこちらを見上げるから、
「ひさしぶりだな、元気にしてたか」
と声を掛けてあげた。一段と風格が出てきた感じだ。

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しばらくポン太を撮ることに没頭していると、近くの資料館からネコサポーターの一人である女性が急ぎ足で出てきて、こちらに向かってきた。
「たいへんなの、フウ太がいなくなっちゃったのよ、チビも」
と、困惑・憤慨・落胆・悲傷などがこもごもわき起こってくる様子で話しかけてきた。
「いつのことですか」
と尋ねれば、
「昨日はいたのよ。今朝から姿が見えないのよ。朝来たら、いつもはすぐ近寄ってくるのに、なんかいつもと雰囲気がちがうのね。おかしいなと思って、見回してもどこからも出て来やしない」
「ちょっと家出したんじゃないですか」
「いや〜誰かが連れて行ったのかもしれない。人を怖がらなくなっていたから…きっとそうよ」
「私が抱こうとすると、逃げましたよ」
「だから、きっと女の人。女の人には抱かれていたから」

その日は、夕方まで園内で過ごしたが、フウ太とチビはとうとう姿を現さなかった。ほんとうに誰かに連れて行かれたのかもしれなかった。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年11月04日

実りの秋

実りの秋を迎えて、隣家の柿の実も黄金色に色づいている。今年も豊作のようで、枝もたわわに実っている。道路近くにのびた枝などは、手を伸ばせば届きそうなほどにしなっている。そろそろ収穫した方がいいのにな、と心配しながら見上げることもしばしばだった。

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いつも行くスーパーの果物売り場には、梨・リンゴ・バナナなどと一緒に柿も並べられていた。果物の中でも柿は好物の一つだ。きれいに並べられた柿に食指が動いたが、買うのはグッと我慢した。隣家の柿取りの光景が蘇ってきたのだ。先ほど買い物に出る時に隣家の前を通ると、ちょうどご夫妻で柿の実を取っているのが見えたのだ。買い物を終えて家に戻る頃には、きっと大量の柿が収穫されているに違いない。

買い物を済ませて帰宅したあとしばらくしてから、予想通り隣家の奥さんが、もぎ取ったばかりの柿を、垣根越しに手渡してくれた。やはりスーパーで柿を買わなくて良かったのだ。夫人が奥さんから聞いた話では、例年に比べて今年は実のなり方が少ないということだった。

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我が家には柿の木はないが、鉢植えのミカンの木はある。そのミカンの木に、今年は二つも実がなった。もっとたくさんの実をつけるようになれば、柿のお礼として隣家にも差し上げることができるのだが、残念ながらそれは当分先のようだ。
 
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2012年11月02日

上野「すしざむらい」の半額セール

京成上野駅近くに、「すしざむらい」という鮨チェーン店の上野店がある。昼時に、ときどき「すし半額セール」をやっている。そのうち入ってみようとは思っていたのだが、なかなかその機会を持てなかった。

先日お昼過ぎに上野に行った時、たまたま半額セールをやっていた。店の前で、メニューを掲げて半額であることを道行く人にアピールしていたスタッフに、半額セールについて訊いてみた。メニューのあるページを開きながら、そのページに載っているお好み寿司(にぎり寿司)がみな半額であることを一生懸命説明してくれた。

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カウンターに座って適当なネタを注文すれば、職人さんがすぐに握ってくれるという。そういう寿司の食べ方を一度はしてみたいと思ったこともあったが、その時はもっと手軽に、たとえば寿司桶で用意されたものを食べたくて、一つ一つ注文しながら食べるのは面倒だなという気持ちがあった。そのことを言うと、テーブル席があって、そこに用意してある注文用紙で好みのネタをまとめて選ぶこともできる、ということをこれまた一生懸命説明してくれたのだった。

店の間口は狭かったけれど、カウンター席の横を通り過ぎ奥のテーブル席に進むと、そこにはゆったりと整えられた空間が広がっていた。さっそく用意されていた注文用紙を手に取ってみる。にぎり寿司は、上は417円の大トロなど、下は102円のサーモンなど、そのほか手巻き寿司も注文できる。

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注文したのは、にぎり九つと手巻き二つ、半額だということで、気持ちが大きくなってちょっと多くなりすぎた。手巻き寿司は余計だった。中トロなどのちょっと高価なネタをたのんでしまったので、お会計は800円を少し超えた。もっと節約したいのなら、102円のネタを8〜9貫頼めばよい。その程度の量が腹八分目で体にも良く、ワンコインでおつりもくる。

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2012年11月01日

冬桜あるいは狂い花

今朝の朝日新聞のちば版に、「花を咲かせるフユザクラ」という記事が載っていた。それによると、千葉市の「青葉の森公園」で桜の花が咲いているそうだ。名前は「フユザクラ」といい、9月頃から4月頃まで咲く品種ということだった。

このブログでも、10月19の「上野の桜の迷い咲き」という記事の中で、桜の花が咲いたことを扱ったことがある。その時はちょうど「全国都市緑化フェアTOKYO」が開催されていて、そのスタッフらしき人が季節外れの桜の花が咲いていることを教えてくれた。教えてくれた人も、その桜を「迷い咲き」と言っていたから、桜は桜でも違う品種であるという認識はなかったと思われる。

ほんとうにフユザクラという品種があるのだろうかと気になって、ちょっと調べてみた。まず、歳時記に「フユザクラ」という季語は載っているだろうか。三省堂の「ホトトギス新歳時記」(第三版)には、「冬桜」という季語が載っていた。

冬開く桜の一種。木は小さく花は白色の一重咲きで彼岸桜に似ている。十一月ごろから一月ごろまで、雪や霜の中でも咲いている。寒桜ともいう。

ネットで検索してみると、以下のようなページがヒットした。
【十月桜 (じゅうがつざくら)】
http://www.hana300.com/jyugat.html#2

•開花時期は、10/20 〜 翌 1/10頃。(二度咲き→ 3/20 〜 4/10頃)。
•花弁は八重で、白、または、うすピンク色。
•全体のつぼみの3分の1が10月頃から咲き、残りの3分の2は春に咲く。1年に2回楽しめる。
•秋から冬にかけて咲く桜が「冬桜」。…一重で、花びらは5枚。
•十月桜も含めて、秋から冬にかけて咲く桜のことを総称して「冬桜」と呼ぶこともあるようだ。

【冬桜】…>WEBLIO>桜図鑑
http://www.weblio.jp/content/%E5%86%AC%E6%A1%9C

花は中輪、一重咲きで白色。開花期は4月上旬、11〜12月。
春と秋、年2回花を咲かせる桜で、群馬県鬼石町の桜山公園にはこの桜が多数植えられており、「三波川の冬桜」として有名です。

【冬桜と紅葉が一緒!鬼石・桜山公園【群馬】】
http://allabout.co.jp/gm/gc/19218/

ここでは冬と春の2度花を咲かせるという冬桜を見ることができます。桜の品種は「フユザクラ」で、日本の国内でよく見かける代表的な桜「ソメイヨシノ」と比べると、花の大きさは少し小さめ。

以上のいくつかの説明から、「冬桜」の特徴を以下のようにまとめてみることができそうだ。

★花の大きさはソメイヨシノより少し小さめ、花は一重で花びらが五枚、そして白色である。

この特徴を頭に置いて、上野で撮った桜の写真をもう一度確かめてみた。三枚の写真を並べてみると、白色・うすピンク色・ピンク色という具合に、三種類の花が咲いている。ただ、ピンク色の花とうすピンク色の花とが、一つ枝に一緒に咲いているのはどういうことなのか。

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白色の一重咲きが「冬桜」であれば、最初の写真の花がそれということになるのだが、そうなると残りの花は、季節外れに咲いた花ということになるのだろうか。ますます分からなくなり、頭がこんがらかって狂おしさが募ってくる。こうなったら、いっそまとめて「狂い花」とでも言ってしまおうか。

なお上記歳時記では、季語「冬桜」は一月に分類されている。また別に、「帰り花・忘れ咲・狂い花・狂い咲・返り咲」という季語もあり、こちらは十一月になっている。『初冬の小春日和のころに時ならぬ花を開くのをいう。単に帰り花といえば桜のことで、…』と説明されている。無味乾燥な感じの「冬桜」より、こちらの方が心を漂よわせる感じがあって好ましい。

posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年10月30日

自由人の問わず語り

いつの間にか陽は大きく西へ傾き、おもいおもいに過ごしていた自由ネコたちの影も、西日を受けて長くのびるようになっていた。ネコ公園にエサやり時間までに帰ろうと思っていたのに、思いがけなくもここで、長い時間を費やしてしまった。今から帰っても、もうエサやりの時間には間に合いそうにもないが、自由人には会えるかもしれない。

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ネコ公園に着いた時には、もうすでに陽は落ちきり、ひと気が失せた園内は闇に包まれていた。エサ場に行ってみると、段ボールが置かれたままになっていた。その段ボールが、何時間か前にネコサポーターが来て、エサをやって帰ったことを教えてくれる。段ボールが一枚あれば、地面から伝わる冷気を防ぐことができる。ネコの体を冷気から守る座布団代わりとして、ネコサポーターはどこからか段ボールを調達してくるのだ。だから段ボールがあることが、彼らが来たことの証拠になる。

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昼間いなかった自由人は、もう戻っているだろうか。足はおのずと彼ら二人が暮らす場所へと向かう。池の周りの街灯と周囲のビルの窓明かりが、かろうじて園内の様子を浮き上がらせてくれる。薄明かりの中に、うごめく二つの影があった。ちょうど彼らは、簡易仮設住宅を組み立ているところだった。

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忙しそうに立ち働いているのを邪魔しては申し訳ないので、少し遠目から眺めていると、向こうからこちらの姿を認めて声をかけてきた。
「こんばんは」
「おじゃまじゃないですか」
「いえ…雨にやられた段ボールを全部取り替えたんですよ」
声がだいぶ出るようになっていた。前かがみになっていた姿勢も、真っ直ぐのびていた。
「胸はまだ痛みますか」
「まだ、ちょっとね。夕べ、足慣らしのためにちょっと遠出してみたけど、まあ大丈夫そうだ」
「それはよかった。動けなくなってしまったら、いよいよ生活保護を受けなければならなくなるかもしれないから、それを心配してたんですけど…」

こんな話になった時、自由人は自分の境遇を自ら話し始めた。以前はどんな仕事をしていたのか。いつ頃、なぜ、ホームレスになったのか。そんなことを、悪びれることなく淡々と問わず語りに語ったのだった。彼が語った内容はプライバシーに関わることだから、ここに記すことはできない。いずれ彼がこちらの世界に戻ってきたとき、差し支えなければ書き留めておくことにする。今は、無事その日を迎えられることを、祈っていることにしよう。

ネコが一匹やってきて、ビルの窓にそのシルエットが映った。姿格好からすると、あれはチャコかもしれない。呼んでみたが、顔をこちらに向けただけだった。

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2012年10月29日

ゲートブリッジでのネコとの遭遇

恐竜橋の途中まで歩いて行ったのだけれど、時間の関係で引き返すことにした。あくまでも時間の関係で、ということだ。決して、高所を歩き続けることに、身体的にも精神的にも限界に達したというわけではない。途中で引き返したのは、ネコ公園でのエサやり時間に遅れないようにしたいがためなのだ。それに、自由人の怪我の状態も気がかりだった。

若洲昇降施設のエレベーターで地上に戻ると、出迎えてくれたのはネコだった。逃げることなくこちらに向かってくるところを見ると、自由ネコに違いない。自由ネコが野良猫と違う点は、自分たちに危害を与えるおそれのある人間と、ネコにやさしい人間とを識別する能力に優れている点である。野良猫は、やみくもに人間を恐れて逃げ去ってしまう。

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かくして若洲公園で、自由ネコを撮影することに相成ったのである。ネコは三匹、クロとミケと茶トラという具合に、三種類の毛並みのネコがそろっていた。片方の耳の上端に、三角形の切り込みが入っている。これは、避妊手術をした印であろう。

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ミケがカメラリュックの近くにいる時、通りすがりの男女の二人連れが興味を示し、そこに座り込んだ。二人ともネコ好きなんだろう。たいして注意を払うことなく、写真を撮ることに没頭していた。時々、そちらに目を向けると、女の方がミケに覆い被さるようにしているふうだった。ちょっと気にはなったが、そのまま撮影を続けていた。

しばらくして、その男女は立ち去っていった。レンズを交換しようとして、リュックを置いた場所に戻ったところ、あることに気づいた。チャックが開いていたのだ。やられたと思った。ミケの上に覆い被さるようにすれば、すぐ横にあるリュックの上にも覆い被さることになり、こちらに気づかれないようにチャックをあけることができるのだ。

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二人はレンズには興味がなかったようで、盗まれることなくリュックの中にあった。貴重品類も、いつもショルダーバッグに入れて、撮影の時も肩からさげて動き回っているから、被害はなかった。二人は、たぶん舌打ちでもしながら立ち去ったことだろう。日本でもこういうことがあるんですね。気をつけなければ。

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2012年10月27日

新居訪問

新居は赤坂、さぞかし家賃は高く給料のすべてがその支払いで吹っ飛んでしまうのではないかと思いきや、そうでもないらしく自分の給料に見合うアパートを探したようだ。それにしても赤坂は赤坂、物価は高く日常生活を営むには不向きな土地柄ではないかと心配が先立つが、本人が下した決断だから見守っていくより仕方がない。

赤坂なんて、絶えて久しく行く機会はなかった。最寄り駅は、昔は地下鉄銀座線の赤坂見附駅くらいしかなかったと記憶しているが、今は千代田線赤坂駅などがができて、アクセスの方法も多種多様となった。

赤坂という地名通り坂が多い地形なので、年寄りが歩き回るにはちょっと辛いものがあるが、物珍しさも手伝ってお上りさん気分でウロウロ見物してきた。名のみきく赤坂サカスでは、TBSをはじめ周囲の高層ビル群を見上げ、一ツ木通りを行き来して、横道の奥に大鳥居を見つければ、その鳥居をくぐって赤坂日枝神社にも参拝した。

〔赤坂サカス〕
赤坂ギャラリーでは、被災地の小中高生たちが撮った「I TIE ☆ 会いたいプロジェクト」写真展が催されていた。
http://i-tie.jp/

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〔一ツ木通り〕
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〔赤坂日枝神社〕
お日柄も良く、結婚式や少し早めの七五三のお祝いなどで賑わっていた。

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エスカレーター
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2012年10月26日

揺れる東京ゲートブリッジ

エレベーターを8階で降りると、すぐ歩行者用道路に入ることができる。歩道は車道の北側だけに設けられている。幅はかなり広く、4・5人が横一列に並ぶこともできそうだ。恐竜橋に至るまでのアプローチ部分の柵は、女性の肩あたりまで、背の高い人間から見れば、少し低いような感じがする。

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歩いていると、揺れを感じることがあった。時おり吹く風のせいなのか、それとも通行する大型ダンプのせいなのか、どちらのせいか定かではないが確かに揺れる。そのとたん、足がすくむ。そして、自分が高い橋の上を歩いていることが意識にのぼる。水面に、我が身が吸い込まれていく場面が頭に浮かぶ。こうなると、もういけない。引き返したいと思うが、まだ歩き始めたばかり、ここは我慢のしどころだ。しかし、それにしても揺れる。

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そうだ、水面が見えないようにできるだけ柵から離れた場所、車道側を歩けばいいのではないか。実際、そのようにしてみたら、いくぶん恐怖心が和らいだ。冷静さを取り戻し、頭を上げて前方を見れば、私と同じように車道の左側にピッタリと近寄って歩いている人がいた。彼女も、きっと高所恐怖症に違いない。今の気持ち、よく分かります。もう二度と来たくない、と思っていることだろう。

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〔東京ゲートブリッジの概要〕
東京港臨海道路U期事業は、物流車両のスムーズな通行を目的として、江東区若洲と中央防波堤外側埋め立て地(4.6q)を結ぶ臨港道路を整備する事業です。

東京ゲートブリッジは臨海道路U期事業の橋梁区間(2,618m)です。
東京ゲートブリッジはフォルムが特徴的ですが、このフォルムの理由は主に2つあります。
 ・羽田空港に近接しているため、建造する高さに制限がある
 ・航路を跨ぐため、安全な船舶航行のための桁下高さが必要
このため、高い主塔が必要な吊り橋や斜張橋ではなく、「トラスト構造」を採用し、物流車両など一日に3.2万台が通行する橋梁の安定性と耐久性を確保しています。
(説明板より)

なお、別名「恐竜橋」と呼ばれるゆえんの主橋梁部の橋長は、760mである。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

東京ゲートブリッジまで

〔新木場駅まで〕
◇東京地下鉄(東京メトロ)有楽町線「新木場駅」
◇JR京葉線武蔵野線
◇りんかい線

〔新木場駅→若洲公園キャンプ場前〕
◇都バス「木11系統 若洲キャンプ場行き」
乗車:新木場駅バス乗り場@番
下車:若洲キャンプ場前
料金:200円
乗車時間:約15分
注:バスの本数は少ない

駅前ロータリーの真ん前に、NECソフトのビルがある。勤めていたころ、NECソフトのSEの人と一緒に仕事をしたことがあった。木場の方から来ているとい言っていたが、こんな所に本社ビルがあった。

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@番乗り場でバスを待っていると、次第に私と同じようなスタイルの人が集まってきた。ただし彼ら・彼女らは、皆三脚を持っていた。同じバスに乗るのであれば、ゲートブリッジの撮影に行くと思われるが、どうして三脚などが必要なのだろう。その疑問はあとで解決した。ライトアップされたゲートブリッジを撮影するためだった。

〔若洲キャンプ場前→ゲートブリッジ〕
案内板に従って、徒歩5・6分程度で「若洲昇降施設」に着く。ゲートブリッジに出るには、そのエレベーターで8階までのぼる。

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posted by 里実福太朗 at 14:46| 里ふくろうの日乗

2012年10月25日

自由人のその後

自由人の怪我の状態が気がかりで、少し早めに家を出て例の公園に行ってみた。しかし、残念ながら彼の姿は見えなかった。いつも起居を共にしているもう一人の自由人はいたが、就寝中だった。その人は、夜の方が空きカンを集めやすいということで、夜通し歩き回って集めているそうだ。きっと徹夜の仕事をのあとで、疲れ切って寝ているのだから、声を掛けて相棒の様子を尋ねることはできない。

ポン太をはじめとして自由ネコたちの姿も、まったく見あたらない。エサ場近くの建物の裏側にまわってみると、立ち入り禁止の柵の向こう側に、フウ太とチビが体を寄せ合って寝ていた。呼んでみたが、何の反応もなかった。午後になって、ネコサポータたちがやってくるまで、きっと午睡の時間は続くことだろう。

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エサやりの時間までは、まだだいぶ間がある。そういうこともあろうかと思って、時間つぶしの方策を考えておいた。以前行われた写真塾のゲートブリッジでの撮影会に、都合が悪くて参加できなかった。

ここのところ冷え込む日が増えてきて、寒風吹きすさぶ東京湾にかかる橋の上を歩くことなど、御免被りたい季節はもうそこまでやって来ている。風がなく、穏やかな陽の射す日こそ、橋の上を歩くには絶好のチャンスなのだ。

posted by 里実福太朗 at 23:57| 里ふくろうの日乗

2012年10月23日

自由人の災難

陽が西へ傾き始めたころになって、やっとフウ太とチビが動き始めた。チビは体を低くして、匍匐前進よろしくそろそろとなにかに狙いを定めて進んでいる。チビの視線の先には、カラスがいた。

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その成り行きを興味深く見守っていると、突然背後から声を掛けられた。
「こんにちは」
チビの動きに気を取られ、うしろに人がいることに気がつかなかった。振り返ってみれば、そこにはあの自由人が立っていた。先方からこんな風に声をかけてくるのは初めてのことだった。無精ひげをはやし、心持ちやつれているように見えた。

こちらから話を切り出す間もなく、いつもの穏やかな自由人とはうって変わって、語気を強めて話し始めた。話してくれたことを多少の脚色を加えてまとめてみれば、こういうことだった。

…二週間ほど前の深夜、もう一時を過ぎたころだった。一仕事終えて、ビニール袋いっぱいの空き缶を自転車にのせて、信号を待っていた。終電の時刻が近く、飲食店から出てきた人たちが、駅へと足早で向かっていく。その時、大声をあげながら、二人連れの若い男がふらふらとした足取りで近づいてきた。いやな予感がした。そう思う間もなく、男の足が空き缶でパンパンにふくれたビニール袋を蹴り上げた。酔っている割には正確なキックだった。ビニール袋は破れ、空き缶がカラカラと音をてながら転がっていった。腹が立って文句を付けたのがよくなかった。背中に二発、胸に二発、蹴りを入れられその場に倒れ込んでしまった。息もできない状態になり、これで終わりかもしれないと思った。通りの向こう側のカラオケ店の店員が、この様子を見ていて110番してくれた。パトカーが何台も来て、すごい騒ぎになった。野次馬もどんどん集まってきた。その頃には、蹴りを入れた二人組は姿をくらましていた…

ここまでを、一気に話したのだった。
「若い奴は、手加減を知らないから…まだ腰は痛むし、セキをすると飛び上がるほど痛い」
「肋骨にヒビが入っているんじゃないですか。病院へは行かれたんですか」
「病院なんか行けないよ、保険証がないし」
「被害届は出したんですか」
「おまわりさんが、被害届を出しますかと訊いてくれたんだけど、出さなかった。相手はサラリーマン風だったから、必ず治療代を取れると言ってくれる人もいるんだけど…」
「…」
「会社に知られるとまずいでしょ、だから必ず払うって」
「今からでも出した方がいいですよ」
「やっと歩けるようになって…二週間ほどカン拾いに行けなくて、そろそろ始めないといけないんだけどな…それじゃ、ちょっと行くところがあるから、これで」
「そうですか」
「管理事務所に行って、書類を書かないとならないもんで…こんな具合だから、昼間もねぐらを造ったままにしておく許可をもらいに…」
「昼間は、たたまなければならないんですか」
「そう。雨の日はそのままでいいんだけど、晴れの日は片付けなければならないから、ほんとうは。だけど、今は無理だから」
そう言って、いつも姿勢の良かった自由人は、少し腰をかがめながら去って行った。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年10月22日

登米市登米町の油麩丼

今年のB級グルメの祭典は北九州市で開催され、昨日グランプリが決まり、B-1グランプリは、 八戸せんべい汁研究所の「八戸せんべい汁」が獲得したということだ。宮城県登米市(とめし)登米町(とよままち)から出展した 登米・油麩丼の会の「油麩丼」は、残念ながらベストテンには入らなかった。

【第7回B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリin北九州」の投票結果】
http://www.b1-kitakyushu.jp/info/20121021.html

油麩丼なるものを初めて食したのは、先日の東北の被災地を訪ねる旅行の際だった。最初の訪問地である登米市で、復興共生住宅の「手のひらに太陽の家」を見学したあと、講師の日影氏から「油麩丼」のお店を教えていただき、写真塾のYさんと一緒にその店に向かったのだった

【手のひらに太陽の家】
http://taiyounoie.org/

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紹介していただいたのは「味処 もん」、しかし定休日なのか、のれんは下がっていなかった。仕方なくそのあたりを歩いてみると、「創業天保四年 海老喜」という看板が目に入った。油麩丼を扱う店ではなさそうだが、なんとなく心惹かれる感じがして入ってみた。

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偶然にもその店が、その地域の油麩丼の店を束ねて、世に広めようと活動している拠点だった。奥の方から出てきたその店のご主人らしき男性の話によると、そういうことだった。ご主人に改めて油麩丼を扱っている店を教えていただき、自宅のお土産用の油麩を買い求めて、その店「つか勇食堂」へと向かったのだった。

〔お土産の油麩〕…330円
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〔つか勇食堂の油麩丼〕
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年10月21日

フウ太とチビ

ほぼ二週間ぶりのネコ公園だった。途中でゆっくり昼食をとっていたため、着いたのは1時を過ぎていた。まず、ポン太をさがして一回りしてみた。残念ながらポン太の姿は見えなかったが、フウ太とチビの二匹の姿はいつもの場所で見ることができた。

二週間見ない間に、チビはだいぶ大きくなっていた。フウ太の方が年上で体も大きいのだが、もうじき追いつきそうな勢いで成長している。以前は、チビの方がフウ太に近づこうとすると、いつも追い払われていた。その後フウ太は、チビが近づくことを少しずつ許し始め、とうとうその日は、二匹が仲よく体を寄せ合ってウトウトしていた。

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しばらくすると体の向きを変えたフウ太が、チビの顔をなめてあげるではないか。親子ほどの年の差はないはずだから、兄が小さな弟をかわいがっているという格好だ。チビの方も気持ちよさそうな顔をしてなめてもらっている。そしてなめ疲れたのか、フウ太はチビの頭の上にあごを載せたまま寝入ってしまった。

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2012年10月19日

上野の桜の迷い咲き

「第29回全国都市緑化フェアTOKYO」が、東京都内の6カ所で開催されている。開会が9月29日で10月28までの期日となっていて、残すところあと一週間あまりとなった。

上野公園も、その緑化フェアの会場の一つとなっている。
【会場案内】
http://greeneryfair-tokyo.jp/spot/ueno/post_64.html
【計画平面図】
http://greeneryfair-tokyo.jp/about/images/uenozentai.jpg

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好天に恵まれた園内は風もなく、心地よい秋の日ざしが包み込んでいた。写真を撮ることに心を奪われていると、背後から突然声を掛けられた。振り向けば女性が二人が立っていた。身につけているものから想像するに、フェアに関わっている人のようだった。
「桜が咲いていますよ」
といいながら、花のもとへと導いてくれた。指さす方を見上げれば、たしかに数輪の花が咲いていた。
「桜の花の狂い咲きですね」
と言うと、
「ええ、迷い咲きです。目黒川の桜も咲いているそうです」
「狂い咲き」では穏やかではないので、その人は「迷い咲き」という言い方を使っていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:40| 里ふくろうの日乗

2012年10月18日

東金の「東京庵」と消えた「やっさくん」

東金駅の北側はシャッター街になって久しく、昼食場所にふさわしい店があまりない。かろうじて駅近くの「東京庵」が、おいしいお蕎麦と丼物などを提供してくれるお蕎麦屋さんで、一年に一回の御殿山詣の際は、「東京庵」を利用することが多かった。

去年は10月27日に訪れた。歌碑にお参りをして、東京庵に赴いたのだが、残念ながら定休日だった。木曜日が定休日だったのだ。今年は去年の二の舞になるならないように日を選び、水曜日に訪れたのだった。

開店時間は11時、11時半頃に店に着いたのだが、すでに駐車場は満杯状態だった。かろうじて奥まったところに一台分の空きスペースがあった。さほど待たされることなく、小上がりの四人席に案内された。店内にジャズが流れているのは、以前と同じ、蕎麦屋さんとジャズとの不思議な組み合わせは、意外と違和感は感じられない。

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東金のイメージキャラクターは「やっさくん」、去年は街角でその姿を見ることもあったが、今年はそれが町から消えていた。イメージキャラクターとしては、かなり異端な存在で、選定された当時はメディアで取り上げらこともあったが…あの陰気なキャラクターでは、東金のイメージアップにはつながらないと、お払い箱になってしまったのだろうか。

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2012年10月17日

東金の御殿山歌碑参り

息子が11月から新しい道へ進むというので、その前に、一度は連れて行って見せたいと思っていた父親…息子にとっては祖父…の歌碑のある東金の八鶴湖に行って来た。以前から思っていたことだが、なかなかその機会がなく、独り立ちする間際になってやっと実現した。

東金の八鶴湖の近くの御殿山に歌碑がたっていることは、まだ勤めを持っているころから耳にしていた。探しに行っても、見つけ出すことができずに引き返したこともあった。その後、いろいろな偶然が重なって、やっと見つけ出すことができた。その場所を教えておかなければ、息子が歌碑を見たいと思うようになった時、一から探すことになるかもしれず、今のうちに教えておきたいという気持ちがあった。

去年来た時は、八鶴湖の水はほとんど無く、ひび割れた湖底が顔を出していた。なんでも池を浄化するため、水を抜いて湖底のヘドロを取り除く、ということだった。その作業はすでに完了したのだろう、湖は静かに水をたたえていた。

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以前、山の斜面がくずれたことがあって、入山できなくなっていた時期もあったが、今日の御殿山の山門は、扉を開けて待っていてくれた。右手に石碑群を見ながら、坂道を登っていく。わずかな距離を登るだけだが、歌碑の前に立った時にはかなり息があがっていた。

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歌碑の前で記念写真を撮っていると、一人の老人がやってきて、
「何してなさるんかね」
と声を掛けてきた。そして、碑に刻まれた歌について説明を始めるではないか。その歌を詠んだのは、自分の父親であると言い出す間もなく、説明を続けるものだから、耳を傾けているより仕方がなかった。

聞くところによれば、明日40人ほどを引き連れて、八鶴湖周辺をガイドして回るそうなのだ。そのための下見にやってきたということだった。私たち相手に、ちょうど良い予行演習になったことだろう。

話が一段落したところで、やっと身分を明かすことができたのだった。それでもまだ説明は続いていく。
「この歌は、白幡の八幡神社に奉納する竹を、この御殿山から切り出す時のことを詠んだものなんです」
(それは分かっています)
「『あさまだき御殿山の竹林に
  おぼめく影は齋竹ほる人』
最初の『あさまだき』は、夜明け前の薄暗い時分のことです。最後の『さいたけ(齋竹)』の『さい(齋)』の読み方は、つい最近、辞書をひいて『いみ』という読み方があることを知りました。ただ、「いみ」では、不吉な感じがして違うような気もします」

『齋竹』の読み方は、当方も最初は『さいたけ』と思っていた。その後、なにかの機会に、『さいたけ』ではなく神事にまつわる場合、別の読み方があることが分かった。しかし、その読み方が思い出せない。
「たしかに『さいたけ』ではないですね、調べたことがあるんですが、忘れてしまいました」
「明日の説明では、『さいたけ』という読み方ではない、とだけ言っておきます」
そんなことを言えば、それではどういう読み方ですか、と質問されるに決まっていると思うのだが…

家に帰ってから、確認してみたところ、『いみたけ』という読み方で良いことが分かった。

【いむ】
忌む…不吉なこととして避ける
齋む…身を清めて慎む

なお、白幡八幡神社のある山武市のホームページに、以下のような「お竹取とりの行事」の記事が載っている。

『旧暦の9月7日、八幡宮の祭礼の御旗を結ぶ御神竹を東金の御殿山から八幡宮への奉納の行事をいう』
『お竹取りの行事は徳川家康が東金に御殿を造営し、鷹狩りにおもむいたさい、八幡神社に参詣になり、その時東金の御殿山から御旗竹を奉納されたことが初めとなったといい伝えられる』

【お竹取りの行事】
http://www.city.sammu.lg.jp/soshiki/32/n-yahatajinjasinji.html
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年10月16日

防災対策庁舎

南三陸町は、志津川町と歌津町とが合併して2005年(平成17年)に誕生した。町の中心部には、気仙沼線の志津川駅があり…あの大津波で流されてしまったが…また志津川小・中学校、志津川高校という具合に、「志津川」をその校名に持つ学校もある。


〔気仙沼線のトンネル〕
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〔高台に建つ志津川中学校〕
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佐倉市にも志津地区と呼ばれる地域があり、京成電鉄には志津駅という駅もある。また志津小学校・中学校もある。佐倉市に居住するものとしては、同じ地名を有する南三陸町の志津川地区に浅からぬ縁を感じていた。

さて、その志津川地区には、てっきり志津川という川が流れているものとばかり思っていた。ところが地図で調べても、志津川という川は見あたらない。南三陸町を流れているのは、以下の川だけだった。
 八幡川
 新井田川
 水尻川
 桜川
 折立川
 水戸辺川
 蛇王川
 伊里前川
 港川
【南三陸町(本吉郡) 河川・湖沼・海・池・ダム 】
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07001/04606/

南三陸町の中心部を襲った大津波の映像は、本吉街道の東側高台にある志津川小学校から撮影されたものと、反対側…本吉街道の西側高台にある志津川高校から撮影されたものを、YouTubeで見ることができる。津波の恐ろしさを記憶にとどめておくためには、目を覆いたくなるような惨状であっても観ておかなければなるまい。

高台にある志津川中学校から撮影された動画には、まず、中学校のすぐ下を流れる川の水が、スーと逆流して来る様子が映っている。そして、その流れに導かれるように、背後から大津波がすべてを破壊しながら押し寄せて来くる。先導役を担うかっこうになってしまったその川が、八幡川だった。

【 南三陸の大津波 10分で壊滅】


八幡川は、本吉街道に沿って流れ、その街道沿いには町の主要施設が点在していた。あの防災対策庁舎も、八幡川のほとり…本吉街道沿いにあった。写真などで何度か見たことはあったが、無残に赤い鉄骨だけをさらしている建物を実際に見上げると、平常心ではいられなくなる。あの屋上に30名ほどが避難したということだが、そこから生還できたのは10名だけだったと聞く。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年10月15日

志津川の川のほとりで

行く先々で滞在時間を超過して、最後の訪問地となったのは、石巻市釜谷地区となってしまった。予定されていた女川訪問は、残念ながら時間の関係で別の機会にゆずらざるを得なかった。

添乗員の役割を受け持ってくれたアユミギャラリーのスタッフ-A青年は、いつも時間を気にしていた。滞在時間を超過するたびに、「バスに乗ってください」呼びかけていた。しかし、被災地への未練を残す参加者は、なかなかその場を離れようとせず、スタッフ-A青年のストレスは増すばかりだったと想像する。Aさん、お疲れ様でした。扱いにくい大人が多くて、申し訳ありませんでした。

あの日の大津波で、南三陸町は壊滅的な被害を被った。丸1年7ヶ月が経過して、散乱していた瓦礫はある程度は片付けられ、姿を消したようにも見える。しかし撤去されたものも、多くは集積場所でうずたかく積まれていて、処理されるのを待っている。まだまだ、復旧途上の状況が続いている、と言った方が良いだろう。

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町を丸ごと飲み込んだ大津波が、一気に遡っていった志津川の河川は、あの日の惨劇をもう忘れてしまったかのように、細いゆるやかな流れを取り戻していた。きっと震災前も、同じような表情で流れていたのだろう。エサをねらうシラサギの姿までも見受けられた。人間の復興は遅々として進まず、自然の方が、一足早く元の姿を取り戻す。


〔上流を望む〕
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〔下流を望む〕
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年10月13日

被災地を訪ねて

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今夜は、さくらの湯で一泊。
昼間は暖かく、夜になって冷えてきた。山の一軒宿のぐるりには山並だけ、満天の星がきれいだ。
posted by 里実福太朗 at 22:02| 里ふくろうの日乗

2012年10月10日

東北被災地訪問

あの東日本大震災から、今日で一年七ヶ月が経つ。いまだに行方不明となっている方も多く、警察庁が今日10月10日の日付で公表した資料によると、2778人となっている。

【平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置】
 平成24年10月10日
 警察庁緊急災害警備本部
http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/higaijokyo.pdf

東北各県の被害は、以下の通りである。
      死者  行方不明
 青森    3      1
 岩手   4671    1204
 宮城   9528    1359
 秋田
 山形    2
 福島   1606     211

東北被災地のなかでも、死者・行方不明者が最も多い宮城県に、近々行く予定である。以前から、この目で確かめておきたいと思っていたが、あまりにも重い事実に圧倒されて、なかなか足を向けることができなかった。

一泊二日の短い訪問だから、多くの被災地を訪ねることはことはできない。2008年6月の岩手・宮城内陸地震で、大きな被害を受けた荒砥沢を訪ねたあと、登米市を経由して、南三陸町に入り志津川地区を訪ねる。その後、海岸沿いを南下して石巻市に入り、多くの児童が犠牲となった大川小学校に立ち寄り、そして20メートルを超える津波に襲われた女川町立病院などを訪ねる予定である。

大川小学校は、北上川河口から4キロほど上流に位置している。震災の日、全校児童108名のうち、74人が死亡・行方不明となった。小学校のある地区では、現在まだ38名が行方不明のままと聞く。


大きな地図で見る

一昨日、下流の長面地区で行方不明者の捜索が始まったそうだ。周辺の農地は地震の影響で地盤が沈下して、海水につかってしまった。そのため今まで捜索ができなかったということだ。

【大川小下流、ようやく捜索 海水に沈んだ石巻・長面地区】
朝日新聞デジタル 2012年10月8日19時17分
http://www.asahi.com/national/update/1008/TKY201210080232.html

被災地は、まだ復興の途上にあるはずだ。その復興を支援するための復興予算が、被災地とは無関係の方面に流用されているらしい。被災地復興のためなら仕方ないなと思っていた人も多いと思われるが、まったくもってひどい話である。

【復興予算:使途調査へ…衆院委 「被災地外」に批判】
毎日新聞 2012年10月04日 02時30分(最終更新 10月04日 09時47分)
http://mainichi.jp/select/news/20121004k0000m010111000c.html

【復興予算の出所は? 国民生活、負担長く】
東京新聞 2012年10月10日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2012101002000104.html
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年10月08日

初めてさわらせてくれた

三代目チビは、だいぶ体が大きくなってきて、オスであることが判明した。最初のころは、柵の向こう側から不安そうな目を向けていたが、今では柵の外で無邪気に飛び回る姿を見せてくれるようになってきた。

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ネコサポーターたちが、注意深く接してくれているおかげで、人間に対する恐怖心が植え付けられることもない。このまま大きく育ってくれれば、あの敵愾心に満ちたチャコのようにはならないだろう。

まだまだ遊びたい盛りのようで、物陰から小枝を動かしてみれば、目ざとく見つけて、飛びかかる。フウ太の近くに行って、「あそぼうよ」と誘ったりもするが、フウ太は悠然と構えていて、あまり相手にしない。

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遊び疲れると、木の根もとに行ってごろりと横になる。ほどなくまぶたが下りてきて、眠りに落ちてしまう。そんな時、そっと近づいて体を触ってみた。ピョンと跳ねて逃げ出すかもしれないと思っていたが、眠りから覚めることはなかった。少し力を入れて、撫でてみた。それでも、目を覚ますことはなかった。柔らかく、すべるようになめらかな毛の感触だった。

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ネコサポーターの一人によれば、面倒を見たいと言ってくれた人がいたらしいが、その話は流れてしまったそうだ。もらわれてしまえば、もうネコ公園で見ることはできなくなる。ちょっと寂しい気もするが、それは仕方がない。大きくならないうちに里親になってくれる人が現れて、この公園から去って行ける日が来ることを願っていることにしよう。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年10月07日

記憶の回路は摩訶不思議

10月2日にお亡くなりになった大滝秀治さんの追悼番組を観ていた時、画面に根津神社が映し出された。それを観て、家人が、根津には子規庵があると言うのだが、子規庵は根津ではない。それは分かるのだが、地名が出てこない。
「いやいや、子規庵は根津ではなくて…」
困ったことにあとが続かない。
「子規庵は、ほら、あそこだよ」
「どこ?」
「根津とは反対側の…」
どうしても地名が出てこない。

子規庵には、何度か行ったことがあるから、その時のことを思い出してみる。かなり前のことだけれど、イメージは鮮明に蘇ってくる。子規庵の周辺はかなり変貌していて、あろうことかラブホテルが密集していた。

ながらく病床に伏して亡くなった子規には、庭に咲くイチハツの花を詠んだ有名な歌がある。4月末に訪れた際、受付の人に、イチハツの花のことを訊いてみたところ、庭にはもうイチハツはないということだった。子規庵を保存するなら、それと表裏一体の庭も同様に扱わなければならないのではないかと思ったのだが…その後、イチハツは植えられたのだろうか。

そんなことが頭の中をグルグルと駆け巡ったのは、せいぜい1秒ほどだったのかもしれない。そして、僥倖にも記憶の回路がつながったのだ。
「思い出した!」
うれしさのあまり、そう叫んでしまった。
「子規庵は、………」
どうしたのだろう、地名が出てこない。たしかに一旦は思い出したのだ。それはほんとうなのだ。しかし、それがふたたび消滅してしまった。せっかくつながった記憶の回路が、「思い出した」などと言ったばかりに、別の回線に振り向けられてしまったのだろう。余計なことは言わずに、すぐ言ってしまえば良かったのだ。

しばらくしてから、ふたたび記憶の回路がつながった。今度は余計なことは言わずに、間髪を入れずに言ったのはいうまでもない。
「子規庵は、根岸だ」

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2012年10月01日

昭和の名残の三原橋界隈

写真集「昭和の記憶」の49ページに、田沼武能氏が昭和28年に撮影した銀座2丁目の写真が載っている。この写真は、「銀座館マート」を撮影したもので、名前はハイカラではあるが、実態は、露店をシートで覆っただけの雑な造りのものだった。

この写真については、以下のような説明が載っている。
『GHQの露店排除の名で、銀座の露店は三十間堀川の埋め立て地に建てた銀座館マートに移って営業を続けた。』

この「銀座館マート」のすぐ近くに三原橋があり、その下が埋め立てられて三原橋地下街ができたのだった。現在「銀座館マート」の跡地には、近代的な高層ビルが建てられていて、当時の様子を想像できるよすがはまったく残されていない。当時とまったく同じではないにせよ、かろうじて「三原橋地下街」だけが、当時の面影を今に伝えているのである。

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銀座の三原橋地下街について、以前このブログに記事を載せたことがある。

【三原橋地下街の銀座シネパトス】
http://fukulog.sato296.com/article/57854201.html

その時は、映画「ニッポンの嘘」を観るという目的があったので、地下街を抜けて向こう側に出てみることはしなかった。東京ミッドタウンで「昭和の記憶」展を観たあと銀座に出て、もう一つの写真展を観るついでに、再度、三原橋を訪ねてみた。

この地下街が開設されたのは、田沼氏が「銀座館マート」を撮影した1年前の昭和27年のことだった。そのことは、東京都が作成した以下の資料から確認できる。

【地域防災計画 大規模事故編】
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/tmg/plan-jiko.html

第1編 大規模事故編>第1部 総則> 第2章 市街地等の概況(PDF:1,121KB)
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/tmg/pdf/keikaku/h-jiko1-02.pdf

地下街名(通称名):三原橋地下街
所在地:中央区銀座4,5
経営主体:新東京観光梶@
開設日:S27.12.1

さて、昭和の時代に思いを馳ながら三原橋地下街を抜けて地上に出た。道路の向こう側の「銀座館マート」跡地に建てられた高層ビル群を眺めやってから、周辺を少し歩いてみた。

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すると、どこからか昭和の香りが漂ってくるではないか。その故は、ビルとビルとに挟まれて、いかにも時代を感じさせる路地が視線の端にとらえられたからだった。足は自ずとその路地へと向かって行った。そして足を踏み入れてみれば、観てきたばかりの「昭和の記憶」の世界が手招きしているのだった。そして、しばらくそこにたたずんでいると、サラリーマン風の男が、足音もなく私の脇をすり抜けて、中華店の中に吸い込まれていった。

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2012年09月23日

絵本『大連のうた』

尖閣の国有化に端を発し、あれほど吹き荒れた中国の暴動が、ピタリとやんだ。メディアによれば小規模なデモは散発しているようだが、暴徒化した群衆が破壊・焼き打ちの狼藉の限りを尽くすことはなくなったようだ。

中国全土の多くの地で過激なデモが発生したが、大連という街では、暴動も起こらなかったし、それを警戒する武装警察などの姿も見えなかった、と今日の朝日新聞が次のような見出しを付けて報じている。

 「反日」聞こえぬ街 大連
  ひらがな看板も隠さず営業

戦前の大連には、多くの日本人が住んでいた。大連の人口338,872人(1938年)のうち、日本人は84,794人を占めていたということだ。

出典:ウィキペディア「満州国」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E3.81.AE.E4.BA.BA.E5.8F.A3

戦後60年以上も経った今、大連には再び多くの日本人が居住し、日系企業も多いそうだ。その大連で、今回、反日デモが起こらなかった理由を、その記事では、『ある外交関係者は、地元当局が当初からデモ発生を厳しく封じ込めようとしていた』と伝えている。

この記事に接した時、あまりにもタイミングが良すぎるな、と少々驚いたのだった。というのは、たまたま昨日のこと、『大連のうた』という絵本の原画展を見てきたばかりで、その次の日に、この記事に接したからだ。

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絵本『大連のうた』(1978年刊)は、故・川崎忠明氏が幼少期を過ごした大連を描いた作品である。この企画展には、その絵本に収められている30点あまりの原画が展示されている。いずれの絵も、我が子に故郷の思い出を語り伝えるために描いたものである。

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奥様の川崎キヌ子先生(和洋女子大学名誉教授)が、『大連のうた』が誕生するまでのいきさつを記したパンフレットがある。それによれば、氏は、昭和7年に大連で生まれ、終戦までを大連で過ごした。終戦後、日本に引き揚げた。以来年月を経るに従って、望郷の念はますます募り、記憶をたぐり寄せながら、大連で過ごした幼い頃の思い出を描いていった。三十数年前に一度、原画展を開催して、その後一冊の絵本としてまとめられた。

これは直接川崎先生から伺ったことだが、その原画展を見ながら涙を流す人の姿があったそうだ。みな大連から引き上げてきた人たちで、川崎先生が、
「思い出しながら描いた絵だから、記憶違いがあるかもしれません」
と言うと、
「間違っているところなどありません。当時の様子が正確に描かれています」
という答えが返ってきたということだった。

「大連神社のまつり」「けんかこおろぎ」「猿まわし」「露天市場の小鳥売り」「そりすべり」「アカシヤ並木」などの絵からは、、楽しそうに遊ぶ子供たちの姿を通して、大連の街での平穏な暮らしぶりがうかがわれる。戦時色が濃くなるにつれて、絵の色調も暗さを増し、終戦間際にソヴィエトが参戦してくると、絵にもロシヤ兵が登場してくる。「ロシヤ町」「わるいロシヤ兵」「まちかど」「女ロシヤ兵」「酔っぱらい」などがそうだ。そして最後は「さよなら大連」…引き揚げ船の甲板で手を振りながら、中国の子供たちとの涙ながらの別れとなる。

平成24年度 和洋女子大学文化資料館企画展
『おとうさんの絵本 大連のうた ー平和を感じる絵本展ー』

会場:和洋女子大学文化資料館
…東館17階
会期(第二期):9月21日(金)〜11月4日(日)
開館時間:10時〜16時30分
…第1・3・5土曜日は12時まで
休館日:日曜日・祝日
臨時開館:9月22日、10月8日、11月3・4日
臨時休館:9月27日
入館料:無料
手続き:キャンパス守衛所で受付・記名

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2012年09月21日

今シーズン初のマリンフィールド

千葉マリーンズのファンクラブ「TEAM26」に継続入会して、招待券が一枚送られてきた。しかし、今シーズンはまだ一度も球場に足を運んだことがなく、その招待券を使う機会がなかった。今年は熱帯夜が続き、マリンフィールドのナイターも、蒸し暑さのなかでの観戦になるのではなかろうかと想像すると、どうしても足が遠のいてしまうのだった。

そうこうしているうちに、前半は調子の良かったマリーンズは、オールスターを境に、次第に順位が下がり、終盤の大切な時期に連敗を重ね、とうとう5位になってしまったのだ。マリーンズの場合、よくあるパターンで、応援しがいのないことこの上ないが、かといって招待券を無駄にしてしまうのもおしい。

ファンクラブに入っている者としては、チームが低迷している時にこそ応援するべきではないか、そう思い直し、大枚1600円(内野自由席の会員価格)をはたいてわざわざチケットを購入して、今シーズンに入ってから初めて試合を見に行ったのだ。対戦相手はオリックス、5位と6位の試合だから、閑古鳥が鳴いているだろうと踏んでいたが、さにあらず、予想外の人出だった。

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去年は、震災の影響で閉鎖されていた球場脇の駐車場は、利用できるようになっていた。幕張メッセの駐車場は1000円、こちらは球場に近くて600円で断然お得なのだ。ただし駐車台数が多くないから、早めに行かないと満車になってしまうおそれがある。4時前に着いた時には、料金所前に車の行列ができていて心配したが、駐車場に入ってみれば、まだ半分ほどしか埋まっていなかった。

しばらく足が遠のいていた間に、いろいろな面で今までとは違う点が生じていた。

○おばさんの観戦者が増えていた。2〜3人のグループで来て、お弁当を食べ、ビールを飲み、そして意外なことに…と言っては失礼に当たるかな…野球談義に花を咲かせていた。

○小さな女の子たちが、一生懸命応援していた。

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○里崎の極端に体を開く打撃フォームが、さらに程度が甚だしくなっていた。そのせいかどうかは分からないが、2三振・ヒットなしと、いいところがなかった。

○ラッキーセブンの風船飛ばしのタイミングが変わっていた。今までは、カウントダウンしてから風船を飛ばしていたが、カウントダウンすることもなく、すぐに始まってしまった。

○サブローの呼び出しアナウンスが、「サブロー〜〜〜」と極端に長くのばすようになっていた。

〔サブローがヒットを打ったところ〕
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〔サブローの呼び出しアナウンス〕


試合は、西村マリーンズが、3対1で岡田オリックスをくだした。勝ち投手は成瀬だった。

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posted by 里実福太朗 at 23:59| 里ふくろうの日乗

2012年09月12日

金券ショップでユーロに両替

11月下旬にユーロ圏に旅行することが決まり、少しずつ準備を始めたところだ。ユーロ通貨も、あらかじめ日本で両替して、用意しておいた方がいいだろう。

ひと頃は、90円台後半へ落ち込んでいたユーロも、近ごろやっと持ち直してきて、100円前後を行ったり来たりしている。2009年秋にヨーロッパに行った時は、135円ほどだった。

その時は、ユーロ通貨はあまり持って行かなかった。現金はあまり持ち歩かないようにして、クレジットカードを使った方がいいと聞いていたからだが、実際にはクレジットを使う機会はなくて、現金で支払うことの方が多かった。大きな買い物などすることはなかったのだから、当然といえば当然のことだった。

ユーロはすぐに底をつき、かなり苦労して、パリの街中のATMで調達した。ヨーロッパに長年住んでいる人から、街中のATMでは、カードが機械に吸い込まれたまま出てこないこともあると言われ、その人の忠告通りに銀行内のATMを使おうとしたら、信じられないことに使用不可となっていた。結局大きな通りに面した場所に設置してあったATMで、四苦八苦しながらやっとユーロを引き出すことができたのだった。

そんな苦い経験があったから、今回はあらかじめ日本で、ある程度の額は両替しておくことにした。家を出る時の為替レートは100円ほど、金券ショップの店頭には103.98円と表示されていた。

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硬貨は、前回のヨーロッパ旅行の際に、使い切れずに持ち帰ったものの一部。硬貨は、こちらでは両替できない。特に50セントとか1ユーロは、チップとして利用する機会が多いので、貴重なのだ。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年09月09日

再度、北杜夫さんの死について

今朝の朝日新聞に、昨年他界した北杜夫さんに関する記事が載っていた。

 北杜夫さんは窒息死?
  昨年10月 説明不適切、解剖せず

北さんの死因については、当初、腸閉塞と伝えられていた。ただ、あまりにも急な死だったので疑問に思い、ご息女の齋藤由香さんのエッセイなどをもとにして、死に至るまでの経緯をまとめてみたこともあった。

【ドクトル・マンボウの死について】2012年3月30日
http://fukulog.sato296.com/article/54734505.html

由香さんは、当初から嘔吐物による窒息死だと疑っていた。しかし結局、病理解剖して確認することはなかった。そしてそれは、医師の解剖をしないようにと仕向ける説明の仕方によるものだったと考えていた。

朝日新聞の今回の記事では、当時、北さんが救急搬送された東京医療センターが、遺族側に謝罪した内容を、以下のように伝えている。

『医師が不適切な説明をしたため病理解剖は行われず、病院は死因を確定できなかったことなどについて遺族に謝罪した』

北さんが亡くなってから一年近く経ってからの謝罪、どうして今ごろになって、とは誰しも思うことだろう。由香さんがエッセイに記した死因に対する疑問が、大きな力となって病院側を動かしたのだろう。もう死因を確かめる手立てはないが、遺族の方の直感は正しいような気はする。

posted by 里実福太朗 at 00:00| 里ふくろうの日乗

2012年09月06日

上野のお山は大混雑

さしも続いた猛暑も、ここのところやっと衰えが見えてきた。古人が「夜の秋」と言った通り、夜ともなれば、涼風が軒をかすめて忍び込み、室内のほてりをしずめてくれる。

ただ、昨夜は久しぶりで蒸し暑く寝苦しい夜だった。扇風機のタイマーを1時間にセットしても、その1時間のうちに寝付くことができず、もう一度セットし直した。そのうち朝刊を配るバイクの音が聞こえ始めてきた。もう朝刊を配っているのかと思ったのは覚えているが、その後ようやく眠りに落ちたようだった。

昼間の上野のお山も暑かった。避暑地として格好の映画館も、観たかったフランス映画を上映しているところは満席の盛況ぶり、ならば都美術館の「マウリッツハイス美術館展」にて名画を鑑賞しようと赴いてみれば、予想はしていたがやはり行列ができていた。

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それではと、上野の森美術館の「ツタンカーメン展」に歩を進めてみた。入館料が一般で2700円も取られるのでは、敬遠されて入場者数はさほどのびないのではないかと予想していたが、さにあらず長い行列ができていた。

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当方は冷やかし気分で行っただけだから、もちろん行列の人となる気はさらさらなかった。それにしても、直射日光をさえぎるものもない場所で、長時間並んでいることは、苦行以外のなにものでもないと思われるのだが、何が彼らをそこに並ばせるのだろうか。

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せめて、行列が近くの林にのびるように導けば、彼らの暑さもいくらかは和らぐはずなのに、ハンドスピーカーを持った水色Tシャツ係員は、
「整理券はこちらです」
と、がなっているばかりだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年09月03日

上野公園のピザ店「SAVOIA」

さて、上野公園で一休みしたい時に立ち寄るお店は、「STARBUCKS COFFEE」では街中と同じになってしまうし、さりとて「PARK SIDE CAFE」に入る気にはならない。やはり、園内で昔から営業しているお店が、周囲の風景に溶け込んでいて、ノンビリゆったりと過ごすことができる。

そういうお店の一つ「SAVOIA」は、上野動物公園の正面出入り口の右側にある。外観は多少古びた感じはするが、夏の盛りに、濃い樹影の中に身を置けば、ホッと一息付ける。それでも暑さを感じるなら、冷房の効いた室内で過ごすこともできる。

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少し腹の足しになるものを食したい時は、ピザを注文するとよい。注文を受けてから焼くから少し待たされるが、熱々のピザが、皿代わりの厚い木製の円盤にのせられて出てくる。大きすぎることも、小さすぎることもなく、おなかが空いている時は、ペロリと一枚食べきってしまえるほどの適度な大きさのピザなのである。ただし、小食の人なら、二人で分けていただくのがいいだろう。

ピザ 650円〜700円
ドリンクバー 300円
…など
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年09月01日

上野公園の「竹の台広場」

上野公園の大噴水広場は、長らく整備工事のため閉鎖されていたが、次第に完成時の姿が現れてきた。そのうちの一つ、大噴水は規模が少し小さくなって、国立博物館側に設置された。その手前の部分はまだ工事中ではあるが、「上野恩賜公園再生整備事業」に関するPDFファイルを見ると、大広場となるようで、最大1万人に対応する文化イベントの会場としても利用できるようになるらしい。

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〔上野恩賜公園再生整備事業について(PDF)〕

この大広場を中心とする周辺地域は、「竹の台(うてな)広場」と呼ばれ、噴水・大広場のほかに樹林地があり、さらに二カ所にオープンカフェが設けられ、すでに営業を開始している。広場に向かって右側が「PARK SIDE CAFE」、左側が「STARBUCKS COFFEE」である。

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スターバックスのコーヒーの値段は見当がつくが、パークサイドカフェの方は分からないので確かめに行ってみたところ、一杯500円を超えていた。上野でこの値段は高すぎるが、あんがいお客さんは入っていた。

そういえば、この付近で自由人への炊き出しをしていたはずだか、それはどうなっているのだろう。機会があれば、ネコサポーターがポン太へのエサやりを頼んでいる自由人に訊いてみることにしよう。
 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年08月28日

三原橋地下街の銀座シネパトス

銀座に「シネパトス」という映画館がある。地下鉄東銀座駅と銀座駅との中間辺り、もう少し具体的に言えば、晴海通りに沿って、改築中の歌舞伎座と銀座三越との中間辺りに位置している。

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現在は「シネパトス1・2・3」の三館からなる複合施設だが、もともとは1952年に三原橋地下街に開設された「テアトルニュース」と「銀座ゲームセンター」だったそうだ。

その後1967年に、「テアトルニュース」は「銀座名画座」となり、「銀座ゲームセンター」は「銀座地球座」となった。さらに1989年年に、「銀座名画座」は「シネパトス1」に、「銀座地球座」は二つに分割されて「シネパトス2・3」になったそうだ。

この三原橋地下街は、東京のど真ん中の銀座にあり、日本で一・二の古さをほこる。周囲が時代とともに近代的な高層ビルに生まれ変わるなか、開発の波にさらされることなく、古い時代の雰囲気を今に伝え続けてきた。しかし、それも限界が近づいてきた。ついに来年(2013年)三月末をもって老朽化のため取り壊されることになった。

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以上のことを書くにあたって、主として以下のウェブサイトを参照させていただきました。

【ハマちゃんのがらくた箱】
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/index.html

〔地下鉄日比谷線の上に謎の映画館!?〕
(1)三原橋地下街の謎
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-ima-3-1.htm
(2) 地下鉄日比谷線の建設
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-ima-3-2.htm

この地に、地下街が造られた経緯が、古い時代の地図や写真と共に詳しく説明されていて、とてもおもしろく読ませていただいた。たとえば、戦後直後の三原橋の写真 (昭和21年4月)、埋立中の三十間掘川(昭和23年4月)など…三原橋は、埋め立てられる前の三十間掘川にかかっていた橋だったのだ。

さて、くだんの「シネパトス1」では、現在、90歳の報道写真家ー福島菊次郎を描いた「ニッポンの嘘」が上映されている。

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posted by 里実福太朗 at 23:43| 里ふくろうの日乗

2012年08月24日

齢かさねて父親と並ぶ

「とうとう」と言ったら良いのか、「もう」と言ったら良いのか、その両方であるような気もするが、ともかく父親がなくなった時の年齢に達した。ただ、この年齢に達してから、父親は何ヶ月かは生き続けたはずだから、厳密に言えば、まだ父親が生きた歳月には達していない。

父親が、生前主催していた短歌雑誌「雪炎」の追悼号の巻末に、年譜が載っている。母親がまとめたものだ。それによれば、父親の誕生日は7月2日である。祥月命日は忘れることはないが、親の誕生日は記憶に残っていない。そういうものかもしれない。

亡くなったのが次の年の1月23日だから、誕生日から数えて、ほぼ7ヶ月後に没したことになる。父親が生きた歳月を超えるには、来年の3月まで待たなければならないということなのである。

当時はまだ学生で、親と同居していた。だからといって、親の健康状態を事細かに把握していたわけではない。その年ごろの常として、親とは別の世界で生きていたようなものだったから…。今の私と同年齢の、最後の誕生日を迎えた頃から死に至るまでの父親の様子は、母親がまとめた年譜を読むことで、想像するよりしかたがない。

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昭和41年
1月7・8日…家族で安房鴨川へ旅行。
  13日…膵臓炎にてM病院に入院。絶食一週間。
2月10日…全快退院。
  18日…夕方より胃部激痛。
  19日…再度膵臓炎にてM病院に入院。絶食四日。
3月19日…退院

(以後、たびたび胃の激痛に襲われる。検査の結果は、いつも膵臓炎)

昭和42年
2月15〜20日…秋田県湯沢市へ講演旅行。
(体調がかなり悪かったようで、旅行の件で母親と話し合っていたことを覚えている)
6月12日…兄、永眠。
9月5日…レントゲン撮影。胃潰瘍がやや大きくなっているという診断。
  14日…胃カメラによる検査。
  18日…診断結果は、絶対に胃がんではなく、膵臓炎からくる胃潰瘍のため、膵臓を治さないと胃潰瘍も治らないということだった。

(この時、胃がんであることが分かっていれば、まだ手の打ちようがあったのかもしれない。明らかな誤診と言うべきだろう。以後、仕事の合間に、レントゲン撮影・胃カメラ検査を繰り返す)

12月4・5日…M病院にて、日大病院への入院に関する打ち合わせ。
   6日…日大病院にて入院手続き。
   7日…入院。
   19日…手術。胃がんと判明。手遅れにて、何もせずに縫合。

昭和43年
1月23日…日大病院にて永眠。
3月23日…遺稿集『万葉の春』出版。
 
posted by 里実福太朗 at 01:25| 里ふくろうの日乗

2012年08月17日

激安インクカートリッジ

今年度最初の講評会が近づいてきた。準備しておくことは、過去三回の撮影会で撮った写真をプリントしておくこと、ここ二・三日、そのことに時間を費やしてきた。

以前なら、プリンター用インクの消耗度がとても気になった。というのも、メーカー純正のインクカートリッジが高価で…6000円近くした…、おまけに容量が少なく、カラになってしまうのが早いからだった。

そこで、互換カートリッジを使ったり、補充用インクを使ったりした。互換カートリッジであっても、純正品の三分の二程度の価格では、ふところ事情に悪影響を及ぼし、補充用インクは、それよりは安くても補充作業が面倒で、いくら注意していても手がインクで汚れてしまった。

プリンター本体に比べて、べらぼうに高いインクを呪う日々が続いたある日、以前からその存在を知ってはいたが、なかなか手を出す気にならなかった激安インクを、試してみようという気にとうとうなったのだった。

何しろその価格は、純正品の十分の一以下、いくら何でも安すぎる、実用とはならない粗悪品ではないだろうか、そんな心配を抱いていた。ただ、たとえ粗悪品だとしても、たいした出費にはならない。一度は試してみる価値はありそうだ。

世界最大級の品ぞろえをほこるネット通販の最大手で、さっそく注文してみた。何日かして出品者から届いた商品は、簡易包装の茶封筒に入っていた。プリンターが、仮に目詰まりでも起こして使い物にならなくなっても、それは諦めるより仕方がない。そう覚悟を決めて、インクカートリッジをセットしたのだった。

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激安インクカートリッジは、さいわい問題なく使えた。色の調子も、見た目では問題なさそうだった。その後、激安インクを使い続けているが、今に至るまで不良品に出くわしたことはない。プリンターに、不具合が生じたこともない。再生品の激安インクカートリッジは、写真修行を続けるうえで、強力な味方となったのだった。


 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年08月14日

FUKUTAROの島ぞうり

以前、沖縄に行った時、宿の売店で見つけた島ぞうり、真ん中に「福」の字が刻印されていて、その下に「FUKUTARO」と記されていた。価格シールは、980円となっていた。

さっそくレジに持っていき、買い求めようとしたところ、「1」の字が薄くなっていて、ほんとうは「1980円」だったのだ。それはちょっと話が違う、と文句の一つでも言いたいところだが、よくよく見てみれば、たしかに「1」の字がかすかに見える。ただ、ゾウリ一つに2000円を出費するのは、もったいないことではないかと逡巡していると、レジの男が、
「どうしますか、やめますか」
と決断を迫る。「FUKUTARO」という名前入りのゾウリなど、今後お目にかかる機会などないかもしれない。「エイッ、ヤッ」と気合いを入れて、結局買うことにしたのだった。

それ以後、土産物店に立ち寄るたびに、島ぞうりの値段を確かめてみたところ、意外と高いことが分かった。買い求めた「FUKUTARO」の島ぞうりは、ゾウリの値段としては、特段高いものではなかったと言ってもよさそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 22:17| 里ふくろうの日乗

2012年08月09日

UENO3153

かつてレストラン「聚楽台」が入っていた西郷会館は、2008年に老朽化のため取り壊され、立て替え工事が行われていた。その間、西郷さんの像が工事の現場監督よろしく立って、上野の街を見下ろしている様子が見えていた。その工事も最終段階に入り、新しい建物が立ち上がってくると、その姿は下からは見えなくなった。ちょっと残念な気もする。

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壁面の左上には「UENO3153」の文字が見える。「3153」という数字が何を意味するのか、最初見た時は見当がつかなかったが、あとで分かった。「さ・い・ごう・さん」つまり、西郷さんのことなのだ。

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この「UENO3153(西郷会館)」は、9月15日にオープンを予定しているそうだ。地上3階、地下2階のビルには、主に飲食店が入るらしい。

3階:精養軒、さつま魚鮮
2階:ねぎし、叙々苑、ペッパーランチ
1階:ファミリーマート、ロッテリア、コージーコーナー
地下1階:銀座ライオン、旭鮨
地下2階:鳥よし
posted by 里実福太朗 at 21:48| 里ふくろうの日乗

2012年08月08日

お別れの会

近ごろ深夜のテレビ五輪観戦が続き、いささか寝不足気味になっている。今週に入り、サッカーの女子・男子の試合が続き、「なでしこ」は勝ったものの、男子が応援のしがいもなくメキシコに敗れて、寝不足に敗戦の無念さが加わるのでは、疲れも倍加するというものだ。

おまけに昨日は、都心で行われたある会合に出席するため、いつもより早く起きなければならず、試合が始まる25時頃には睡魔に襲われる始末だった。応援する気力は長続きせず、これではミスを重ねる選手たちを責めるわけにもいかない。応援する方も、気力を充実させておかなければ、はるかロンドンまで気を送ることはできない。

さて、都心で行われた集まりとは、かつての勤務先で理事長を勤められていた方が最近お亡くなりになり、その方を偲ぶ「お別れの会」であった。行年100歳、まさしく天寿を全うされたということになろう。

一時代を築いた芸能人などが亡くなると、よく「お別れの会」が催され、その模様が芸能ニュースなどで伝えられることもある。そういった映像で、親交のあった役者さんが弔辞を読む場面に接することもある。演技することを専門とするのだから、実に巧みに遺影に向かって語りかける。大切な人を失った悲しみに偽りなどなくても、上手に読めば読むほど、ドラマの一場面のような印象を受けてしまう。

芸能人の場合は特有の事情があるのかもしれないが、それでも弔辞などというものは無ければ無いに越したことはない。今回の「お別れの会」は、そういった意味で好ましいものだった。会が行われている時間内の都合の良い時間に会場に入り、献花にて故人にお別れするという簡素なものだった。隣接する部屋に立食形式の席が設けられていて、他の参列者と故人の思い出話を交わすことができた。

その職場に、縁があって採用試験を受けることになり…試験といっても面接だけだったが…その際、面接したのが故人だった。二十代の頃にコンピュータ業界に身を置いたことのあった関係で…その後まったく別の分野に転身したのだが…屋舎の全面改築の際、建設委員会の一員として、ネットワーク関係の立案等に関わり、構築費用の見積もりなども行った。何しろ何千万といういう費用がかかるのだから、理事長もおいそれとは決済印を押すことはできない。何度か説明を求められ、理事長室に出向いたこともあった。

定年前の退職を決意した年のある日、すでに理事長の職を辞していた故人から、自宅に電話がかかってきたことがあった。不審に思いながらも電話口に出てみれば、早期退職することはないでしょうね、と釘を刺す内容の話だった。

恩ある人が理事長の職にある間は、定年前に退職することにはためらいがあった。しかしその人が去れば、もう思いとどまる理由はなかった。密かに退職する決意を固め、職場の人に漏らすこともなかった。それなのに電話がかかってきたのは、なぜなのだろう。うっかり口を滑らせてしまって、それが誰かを経由して伝わったのだろうか。しかし、口を滑らせたことは記憶になかった。

想像するに、察しのよい故人のこと、自分が理事長の職を去れば、タガが外れて退職を考える人間が出てくるかもしれない。そう案じて、電話をかけてきたのかもしれない。電話口では言葉を濁しておいたが、その時はもう心は決まっていた。

参列者野中にはには、私より前に退職した人、後に退職した人、あるいはまだ現役の人などがいて、それぞれいくつかのグループを作ってテーブルを囲んでいた。

『時の忘れがたみ』にも登場した、あのイヌを極端に怖がり、平家の末裔だと自慢する人物とも再会した。風の便りに、重要な役職に就いたものの体をこわして入院したと聞いていたが、仕事を変わってから体調も元に戻ったそうで、日焼けした元気な姿を見せていた。そして饒舌であることも、変わっていなかった。モデルとなってくれた彼には、もちろんその本を送ったのだった。
「続編は出さないのですか」
開口一番こう尋ねられて、
「今度は、フォトエッセイ集を出すかもしれませんよ」
と、とっさに答えたものの、本当のところはまだ出す当てはない。

徐々に人少なになっていく会場をあとにして、お堀端に建つ会館の外に出た時は、まだ強い日ざしが照りつけていた。時間はまだ早い。心は自ずとネコ公園へと向かっていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年08月01日

甲府の格安ホテル

甲府での宿泊先は、夕食・朝食付きの一泊料金が6000円ほどで、お寺さんに近いという立地の良さで予約したのだった。

このホテルの所在地を地図で確認してみたところ、以前何度か利用したことのあるホテルと、同一の場所のようだった。そのホテルは厚生年金福祉施設で、法事の際によく利用したことがあった。

ホテルのホームページを見ると、外観そしてホテル内のレストランなどは、見覚えのあるものだった。同一のホテルのようだが、名称が異なっている。推察するに、経営主体が変わって、名称が変更されたということなのだろう。

当方の墓参のためなら絶好の立地なのだが、甲府駅からは少し遠く、少し車で5分程度のところに温泉施設はあるが、ホテル内にはない。こういった点がマイナス要素になって赤字がふくらみ、整理対象施設になったのだろうか。そうであるならば、公的年金保険料が年金給付以外の用途に使われ、結局、保険料の無駄遣いという結果で終わってしまったということになる。

厚生年金保険料を贅沢に投入したのだろう、ビジネスホテルとはひと味違う、こぢんまりとした落ち着いた雰囲気を漂わせているホテルである。そういったホテルを格安料金で利用できるのも、保険料を無駄遣いしてくれたおかげとは、なんとも皮肉なことである。

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posted by 里実福太朗 at 22:53| 里ふくろうの日乗

2012年07月27日

二年ぶりの墓参

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千葉も暑かったけれど、盆地にある甲府は、輪をかけて暑かった。

お寺の近くの花屋さんは、二年前は店を開いていたが、今回はとうとう店をたたんでしまい、建物も取り壊されていた。

お花をどこかで調達しなければならない。少し歩いた所にあった仏具屋さんで、一番近い花屋さんを教えてもらい、照りつける日差しを受けながら、ヨロヨロくらくらしながら、ようやく花屋さんにたどり着いたのだった。

墓所にも、容赦なく夏の日差しが照りつけいた。苔むした墓石は熱の塊になっていたが、手桶から柄杓で水を注いであげると、みるみる青みがさしてきた。水を含んで、またたくまに生気を取り戻した苔がもたらした青さだった。

軽自動車で中央道を走るのは初めてのこと、「D」と「L」との二つギアでは、長い下り坂を走るのに不安があった。特に、笹子トンネルを出たあとの、急で長い下り坂が気になっていた。

しかし、コンピューター制御のエンジンは、ほぼ80キロの速度を保つように、自動的にエンジンブレーキをかけてくれた。軽自動車ではあるけれど、走りに不安を感じることはなく、灼熱の中央道を、お先にどうぞの精神で、のんびりと快適にドライブすることができた。

今日は甲府で一泊して、明日、八ヶ岳へ向かう。
posted by 里実福太朗 at 17:44| 里ふくろうの日乗

釈迦堂パーキングにて

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10時に家を出て、今、釈迦堂パーキング。山梨も暑い。
posted by 里実福太朗 at 14:30| 里ふくろうの日乗

2012年07月03日

羽田空港騒音問題について

羽田空港への着陸便による騒音問題については、これまでにも何回かこのブログでもお伝えした。その騒音問題に関して新たな進展ががあったので、それをまとめておきたい。

まず、飛行ルートについて、もう一度復習しておこう。千葉県のホームページには六つの飛行ルートが載っているが、騒音に対する苦情が激増しているのは、「南風好天時」の着陸ルートである。このルートには、北側から侵入するルートと南側から侵入するルートとの二つがあるが、その二つのルートが交差する千葉市では、佐倉市よりさらに激しい騒音に悩まされていることは想像に難くない。

http://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/haneda/saikakuchou/index.html

この騒音問題に関して、県と千葉市は二日、「南風好天時の高度引き上げ」について、国土交通省から試行運用の実施に関する情報提供があったと発表した。

【羽田空港・南風好天時における高度引き上げの試行運用について】
http://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/press/2012/240702.html
発表日:平成24年7月2日

国土交通省から提供された情報の詳細を、千葉県ホームページから引用しておく。

1内容
【南風好天時に南方面から千葉市上空を飛行する経路】について、高度引き上げを試行する。(添付資料・飛行ルート図のとおり)
2試行期間
平成24年8月23日(木曜日)〜11月14日(水曜日)
(各日8時〜23時までの間)
3備考
この試行運用は、国土交通省において、6月4日の連絡協議会以前から実施してきた関係者の調整を経た結果として行われるもの。
試行運用は、上記2の期間において、天候等の条件を満たし、管制機関が“安全に試行が可能”と決定した場合に実施する。
試行運用を進める中、当初想定できなかった問題が発生した場合などには、期間途中での試行の中止や、高度引き上げ案の再検討を行わざるを得ない場合もあり得る。
今後の試行運用の結果如何では、最終的に必ずしも添付資料のとおり高度引き上げが可能となるとは限らない。
(更新日:平成24(2012)年7月3日)

航空機騒音は、飛行ルートはもちろんのことだが、飛行高度にも影響される。機影が大きく見える低空飛行の時と、高度を上げて飛行する時との騒音の差はかなりある。時おり空を見上げて、その差を実感している。高度を上げることで、騒音が軽減されることにはある程度期待がもてる。

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ただ、今回の高度引き上げ試行は、南側から侵入するルートに対して行われるもので、佐倉市などの騒音被害の軽減にはつながらない。北側から侵入するルートについても、飛行高度が引き上げられることを是非とも期待したい。








posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年06月30日

キリストの墓

キリストの生誕地とされるパレスチナの「聖誕教会」と巡礼の道が、6月29日に、ユネスコ世界文化遺産に登録されることが決まったそうだ。「聖誕教会」はヨルダン川西岸ベツレヘムにあり、キリストが生まれたと伝えられる洞窟の上に建っている。

http://mainichi.jp/feature/news/20120630ddm007030094000c.html
(毎日jp、毎日新聞 2012年06月30日 東京朝刊)

この記事に興味を持ったのは、先日の「奥の細道弾丸ツアー」で、日本にはキリストの墓があるというにわかには信じがたい話を聞いたからだった。キリストの墓と伝えられている場所は、エルサレムをはじめとして何ヶ所かあるそうだが、日本にもあるという話は初耳だった。

添乗員さんがその話をしてくれたのは、奥入瀬渓谷に向かう途中だった。青森県の戸来(へらい)という地に、キリストの墓があるという話を始めた時、バスの進行方向に案内板が見えた。そこには、確かに「キリストの墓」と記されていた。

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ウィキペディアで調べてみると、青森県戸来村のキリストの墓の記述はあったが、読んでもよく分からない。ともかく奇説であることは疑いないようだ。

【キリストの墓】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E5%A2%93
 
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年06月28日

中尊寺「金色堂」



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この写真は、昼食場所の「ゆめやかた(夢館)」側から撮ったものだ。右下から左上にのびる坂道を、一台の車が上っていくのが見える。ツアー一行も、昼食後、その坂道をバスに乗って上り、金色堂に近い場所まで移動した。

本来ならば、坂道の右下にある「月見坂登口」から、表参道を上っていのだが、かなり急勾配の坂道で、高齢のツアー客の中には、登り切ることができない人が出てくるかもしれないということで、バスを利用することになっているようだった。

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芭蕉の昔は、もちろん月見坂を息を切らしながら、登っていったことだろう。ただし、「奥の細道」には、その点に関する記述はない。義経の館のあった「高舘」に登り眼下を一望した後、中尊寺に向かい、中尊寺光堂と経堂の扉を開いたことが記され、その途中の様子の記述はない。

芭蕉が訪ねた時も、金色堂は、四面を囲まれ、瓦を葺いた「覆堂」と呼ばれる建物の中に納められ、雨風をしのいでいた。現在の「覆堂」は、昭和の時代に造られたコンクリート製のものであまり風情はない。なお、芭蕉が見た当時の「覆堂」は、拝観コースの出口に向かう途中に保存されている。

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中尊寺が世界遺産に登録されたのは去年の六月、ちょうど一周年ということもあってのことだろうか、案外の人出で、覆堂の中もかなりの人で埋まっていた。金色に輝く光堂を一目見て、感嘆の声を漏らす人も少なからずいた。

しばらくして、金色堂に関するの説明テープが流され始めた。低く抑えた音量で、おだやかな口調で説明が続く。内容はパンフレットに載っている程度のもので、堂内で流す必然性には疑問符がつく感じだった。

拝観者の「ささめき」も、それば集まれば「ざわめき」となる。ましてや狭い堂内ではなおさらのことだ。ただ、アナウンスが聞こえなくなるほどではなかった。

突然、いらだちを含んだ太い声が堂内に響いた。静かにするようにと注意するアナウンスだった。スピーカーが割れるような声だった。その当座は少しざわめきはおさまったが、またすぐにざわめく。すると、またあのアナウンス、それが何回か繰り返された。

金色堂は、奥州藤原氏の墓所でもあり、静寂の中で拝観したいところだったが、注意を喚起するアナウンスが耳にビリビリと響き、そうそうに堂外に出たのだった。

「旧覆堂」に行く途中に、芭蕉の句碑があった。あの有名な句が刻まれている。


五月雨の降りのこしてや光堂

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芭蕉が平泉で過ごした時間は、ほんの3時間程度ではなかったと推測されているそうだ。その時間内に、高舘に登り、金色堂にお参りするのだから、現代のツアー旅行と同じような慌ただしい平泉訪問であったと想像される。私たちも、2時間足らずで平泉の地をあとにした。
 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年06月26日

「奥の細道」弾丸ツアー

飛行機を使えば、旅行先での滞在時間を増やすことはできるが、国内便は羽田空港を利用することになってしまう。羽田着便の航空機騒音に悩まされているというのに、その自分が、騒音をまき散らす飛行機に乗ることには抵抗感がある。ということで、今回の東北旅行は、新幹線を利用するツアーに申し込んだのだった。

先週の金曜日の朝は、始発のバスに乗るために五時に起きた。しかしあいにくの雨、それも暴風雨並みの悪天候だった。実際、千葉県北西部には、大雨警報が発表されていたのだ。さらに東京都でも、大雨・洪水警報が出されていた。

始発のバスで京成電鉄の駅に向かい、そこからは快速電車で上野まで行くことにしていた。改札を抜け、ホームに向かう途中で、構内アナウンスが聞こえた。停電のため、八千代台までの折り返し運転になっているということだった。

京成が動かなければ、上野まで行くには、勝田台駅から東葉高速・東西線を利用するしか手段がない。駅員に訊けば、日本橋駅で銀座線に乗り換えれば、上野に行くことができると教えてくれた。

大雨警報が出て、電車が停電のために不通となる、という具合に、かなり手荒なやり方で門出を祝ってくれた。芭蕉が、奥の細道の旅に出立した時とは大違いだ。ちなみに芭蕉が江戸を出立したのは弥生の二十七日(新…五月十六日)、今回のツアーの最初の見学地である平泉・中尊寺で、芭蕉が「光堂」の句を詠んだのは、五月十三日(新…六月二十九日)のこと、芭蕉も梅雨空のもと、奥の細道を旅していたのだろう。

次第に混み合ってくる東西線の車内で、日本橋で乗り換えずに大手町まで行けば、そこから東京駅までは地下道でつながっている、わざわざ上野まで行く必要はないではないか、本来の集合場所である東京駅に直接行った方がいいのではないか、しかしツアー会社にはすでに上野から乗ると連絡してある、当日の朝変更してもよいものだろうか、そんなことを考えていた。

結局、新幹線の乗車券・指定券は、参加者全員の分を東京駅からのものを手配しているはずだと思い至って、大手町まで行くことにしたのだった。大手町で下車してから、念のため、緊急連絡先に電話を入れて事情を話したら、直接東京駅の集合場所に行ってもかまわないということだった。横浜から参加予定の一名が、やはり交通機関のトラブルでキャンセルすることになり、三十九名参加のツアーとなった。

芭蕉は平泉まで約一月半ほどの日数を費やしたが、現代版「奥の細道」紀行は、新幹線で新白河駅まで行き、そこからはバスに乗り換え、平泉までは東北自動車道をひた走り、合計所要時間は五時間ほどだった。


〔開業30周年を迎えた東北新幹線〕
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家を出た時は土砂降りの悪天候だったが、北に行くにつれて天気は快方に向かい、中尊寺では青ゾロあの本での参拝時たった。

〔昼食場所の「ゆめやかた」〕
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〔平泉町営中尊寺第1P側から見た「ゆめやかた」〕
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posted by 里実福太朗 at 02:00| 里ふくろうの日乗

2012年06月12日

隅田川クルーズ

梅雨入りしてから最初の日曜日は、前日の梅雨空から一転して、初夏を思わせる好天気の朝を迎えた。

その日の午前中は、神楽坂建築塾・美術塾・写真塾の合同講座【ブラタモリの岡本哲志氏が解説する「水の都・東京」】の隅田川クルーズが予定されていて、前日から空模様が気になっていた。天気予報では空模様は思わしくなく、せめて雨だけはやんでくれないかと願っていたのだった。

浅草橋の三浦屋より乗船して、以下のルートで3時間ほどの水上散策をして戻ってくるというクルーズだった。参加者は65名ほど、そのうち写真塾は、大橋塾長をはじめとして、講師の北田先生・野口先生、そして塾生13名を含む総勢16名が屋形船に乗り込んだ。

〔浅草橋三浦屋〕
神田川
 ↓
隅田川
 ↓
日本橋川
 ↓
隅田川
 ↓
小名木川
 ↓
隅田川
 ↓
神田川
〔浅草橋三浦屋〕

いつものことながら、写真はたくさん撮ったものの、RAWデータで保存しているため、現像などのあと処理がなかなか面倒なのである。昨日から少しずつ始めたがなかなか進まず、そのうち少しずつアップしていこうとは思っているが、さて、いつになることやら…

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いよいよ、出発。屋形船は神田川を上流に向かって、遡っていく。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年06月11日

咲くのはどんな花

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posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年06月08日

新たな自由ネコとの出会い

昼食をとる店を探して歩き回っているうちに、見なれない路地に入り込んでしまった。

今までは、セルフサービスのカフェに入り、コーヒーとサンドウィッチというお決まりのパターンで軽くすませたり、あるいは、ワンコインからのランチメニューがある中華料理店を利用したりしていた。特にその中華料理店は、コーヒーの無料サービスがあり、さらにおかわりも自由なので気に入っていたのだが、さすがに少し飽きてきた。そこで、新しい店を物色していたのだ。

歩き疲れて、もうどの店でもいいや、という気分になって、「カドヤ」という店の角を曲がった時、ネコと遭遇した。道ばたで二匹の猫が、ノンビリと午後のひと時を過ごしていた。

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初対面のネコと接する時は、すぐに近寄ってはいけない。まずは遠くから様子をうかがって、警戒心を抱かれる前に、まず何枚かを撮っておく。そしてネコの顔色をうかがいながら、少しずつ近づいていく。その時、腰を浮かせて逃げる体勢をとり始めたら、多くの場合、それ以上の接近はあきらめた方が良い。

居合わせたネコの一匹は、当方に鋭い視線を向けた。これはダメだな、逃げられるなといったんは思ったが、予想に反して逃げようとする気配は見られなかった。そこで、さらに歩を進めてみたところ、もう一匹がこちらに気づいて、おもむろに腰を上げて、目の前を横切ってどこかへと姿を消した。

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残った一匹のネコは、かなり人に慣れているようだった。かなり接近しても逃げ出すことはなく、いろいろな角度から撮らせてくれた。

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ネコの写真を撮っていると、ネコ好きの人が近寄ってきて、自然な成り行きで話を交わすこともある。

「この辺りには、4匹のねこがいるんだよ」
「このネコに名前はついているんですか」
「いや、野良猫だからね、名無しだよ」
「野良猫にしては、きれいですね、だれか世話をしている人がいるんですか」
「いるようだよ。だけど、嫌いな人もいるからな。まえに、帽子を目深にかぶっている女の人がよくエサやりに来ていたんだけど、文句を言う人がいて、来なくなっちゃったよ。近くの公園のネコにエサをやりに来たついでに、こっちにも来るようになったって言ってたけどな」
「公園では、エサやりのマナー講習会を受けた人が、エサをやってもいいことになっているようですよ、こちらはそういうことはないんですか」
「ないな、みんな勝手にやってるよ。だけどな、ネコがいてくれて助かることもあるんだな。ネズミがいなくなるだろ。ネコがいると不潔になるという人もいるけど、ネズミが出る方が不潔だよ。ネコなんてきれい好きだろ」

一見したところ50歳前後の男性で、話の内容からすると、この近辺に住まいを構えている人のようだった。慣れた手つきで体を撫でたり、抱き上げたりしてひとしきりかわいがってから、「それじゃァ」と言って、閉められていた近くの店のシャッターを開けて中に入り、再びシャッターを下ろした。その店の開店時間は、夕方のようだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年06月05日

再度、航空機騒音問題について

今日も朝から夜まで、航空機音が鳴り響いた。近ごろ、ことさら騒音が耳に障るようになってきたのは、夏が近づき、南風好天時(想定運用比率37%)あるいは南風悪天時(想定運用比率3%)の運行ルートで飛行することが増えてきたからなのだろう。

そもそもこの騒音問題は、羽田空港に新滑走路ができて、飛行コースが大幅に変更されたことによる。せっかく東京湾沿いにあるのだから、海側から着陸すればいいのではないかと思うのだが、多くの航空機を安全に飛行させるためには、広いエリアを確保しなければならないからだという。そういうことならば、羽田は東京都にあるのだから、東京の上空を飛ばせばいいではないかと思うのだが、羽田空港の西側には、横田空域(米軍横田基地などを利用する飛行機を管制しているエリア)があるため、一定高度以上でないと飛行できないという。

千葉の騒音問題の遠因は、横田基地の空域にあるのだ。その横田基地でも騒音が問題となり、周辺住民が起こした訴訟は、その内の4件が決着して、政府から51億円の損害賠償金が支払われたそうだ。

【羽田空港の運用に関してよくある質問】
http://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/haneda/saikakuchou/index.html
(千葉県の公式ウェブサイトより)

【週のはじめに考える 横田基地は必要なのか】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012051302000099.html
(東京新聞 2012年5月13日)

ここ佐倉市でも、不愉快な飛行音に辟易としているのだから、もっと南の羽田に近い地域では、飛行機が高度を下げるから、さらに騒音問題は深刻な状況になっているに違いない。案の定、最近の記事に以下のようなものがあった。

【千葉、四街道など うるささ指数悪化 羽田D滑走路 騒音調査】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20120514/CK2012051402000140.html
(東京新聞 2012年5月14日)

【航空機騒音の苦情増加 ルート変更、新たな被害懸念 羽田再拡張】
http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/82807
(千葉日報 2012年5月22日)

このような状況の中、千葉県と関係25市町との連絡協議会が6月4日に開かれ、国交省から改善策が示されたそうだ。

【羽田騒音連絡協 富津沖 夜間も運用 一部高度引き上げ】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20120605/CK2012060502000143.html
(東京新聞 2012年6月5日)

『好天時に内陸部上空を避け、富津市沖合を通る飛行ルートの運用を夜間にも広げる』
『南北から進入する着陸機が交差する千葉市上空航路の高度引き上げを検討中』

【海ほたるに「航空灯台」 羽田再拡張の騒音対策 国交省】
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120604/chb12060421380003-n1.htm
(MSN産経ニュース 2012.6.4)

『東京湾アクアラインの海ほたるパーキングエリアの屋上に航空灯台を整備し、海上ルートの飛行を増やす計画を明らかにした。今年度冬季の運用開始を目指す。』
『南風好天時に千葉市上空などを通る着陸ルートの高度引き上げを検討することも明らかにした。実施時期は明示しなかったものの、「早期実施を目指したい」としている。』

これらの記事によれば、改善案のポイントは二つである。
(1)航空灯台を海ほたるパーキングエリアに設置して、富津市沖合の飛行ルートの夜間運用(今年度冬季の実現を目指す)。
(2)千葉市上空などを通る南風好天時の着陸ルートの高度引き上げ(早期実現を目指す)。

さてこれらの改善案で、夜間の騒音を解消することができるのだろうか、千葉市だけでなく、飛行コースの北側地域の騒音問題を解消することができるのだろうか。
 

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年06月04日

正体不明の花の名が分かった

以前正体不明としておいた花の名が分かった。夫人の知り合いの方が、当方のブログ記事を見て、わざわざ調べて教えてくれたのだ。

花の名は「シャリンバイ」、バラ科の常緑低木、名前の由来は、ウィキペディアによれば『枝の分岐する様子が(葉の配列の様子とも)車輪のスポークのようで花が梅に似ること』からそう名付けられたそうだ。

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上の写真は5月23日に撮影したもの、現在は、次のようになっている。花は散り落ちることなく、枯れて茶色に変色したまま枝に残っている。なんだか異様な感じを受ける。

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【シャリンバイ】…ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A4

【シャリンバイ】…Google検索結果
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A4&hl=ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=627MT66sFoTKmAXU3-iGDw&sqi=2&ved=0CHUQsAQ&biw=1280&bih=869#q=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A4&hl=ja&sa=X&tbm=isch&prmd=imvns&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.,cf.osb&fp=1&biw=1004&bih=903
posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2012年06月01日

古賀氏が語る大飯原発再稼働へのシナリオ

橋下大阪市長が、大飯原発再稼働について、過去の発言を翻し、一転して再稼働容認に舵を切った。その変身ぶりに、やはりナ、と思ったり、戸惑いを感じたり、と受け止め方はいろいろあったと思われる。

実は、今回のような結果に至ることを、前もって予想していた人物がいる。あの古賀茂明氏だ。YouTubeに投稿された『古賀茂明氏「枝野経産大臣には気をつけよ」』の中、「脱原発を掲げる橋下市長への対策」と見出しがつけられた箇所で、次のように述べている。

(再生開始後、3分経過からの内容)
◇今年の年明けの時点で、経産省は3月頃に再稼働することを決めていた。
◇誤算は、橋下市長が強硬に反対したこと、そのために遅れているが、基本路線は同じ。
◇橋下対策は、時間をかけること、時間をかければかけるほど、企業が大変になる。こういう節約をお願いしますということを、わざとギリギリまで出さずに、去年の東京の計画停電をやられたら大変なことになると思わせ、企業の不安を煽る。
◇商工会議所などに指令を出して、再稼働への圧力を強めていく。
◇時間がたてばたつほど、再稼働容認の声が高まってくる。
◇橋下市長の意見は、一部の声として無視できるようになる。

【古賀茂明氏「枝野経産大臣には気をつけよ」】
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=ZU9ErEo_3LM

以上が、古賀氏の語る大飯原発再稼働へのシナリオなのである。橋下市長の豹変ぶりを見れば、納得せざるをえない。

古賀氏は、消費税増税についても、以下の動画の中で語っている。ポイントは、「増税しなかったらギリシャのようになる」のではなく、「増税するとギリシャのようになる」という点である。

【古賀茂明氏このまま増税したら日本も確実にギリシャへの道! 】

(hidoiyononaka さんが 2011/10/21 にアップロード )
posted by 里実福太朗 at 21:26| 里ふくろうの日乗

2012年05月31日

大飯原発再稼働容認へ突き進む

5月30日に行われた関係閣僚会合(野田首相、細野・枝野各大臣、藤村官房長官、加えて仙谷由人氏も)で、野田首相は関西大飯原発の再稼働問題について、次のような考えを示した。

『関係自治体の一定のご理解が得られつつある対策と体制は整ってきております』
『安全が確保された原発は再起動させる必要がある』
『立地自治体である福井県おおい町に最大の敬意を表しつつ、立地自治体のご判断を得られれば…総理である私の責任で判断を行いたいと思います』

【20120531 「安全」はどこへ‥原発再稼動めぐる政治的思惑 大飯原発】

(Beaucoup2011 さんが 2012/05/31 に公開 )
http://www.youtube.com/watch?v=GRAsl97rFKw

これによって、とうとう関西大飯原発の再稼働に向けたお膳立てが整ってきたことになる。立地自治体のおおい町の町議会は、すでに再稼働容認を圧倒的多数で可決しているからだ。

【大飯原発:おおい町議会が再稼働容認、町長に報告へ〕】
http://mainichi.jp/select/news/20120514k0000e020157000c.html
〔毎日JP〕
(毎日新聞 2012年05月14日 11時08分(最終更新 05月14日 13時36分))

野田首相は、『福井県おおい町に最大の敬意を表しつつ』と述べたが、その採決の仕方を見れば、とても敬意を表することなどできないものであることは明白なのである。特に議長の言動が、大きな問題となっている。上記の動画にもその場面は含まれているが、その部分に焦点を絞った動画も以下に掲載しておく。

【これはひどい!! 再稼働容認 おおい町議会、驚愕の議長】

(Irving Miller さんが 2012/05/17 に公開 )
http://www.youtube.com/watch?v=sw5Z6PAOpcs

また関西広域連合も、
『暫定的な安全判断であることを前提に、限定的なものとして適切な判断をされるよう強く求める』
という声明を発表した。表現が抽象的で、再稼働についての考え方がいま一つピントと伝わってこない。再稼働については反対の立場をとり続けてきた橋下大阪市長は、この件をどのようにみているのか、5月31日の登庁時の囲み取材の動画を見て、彼の理解の仕方に耳を傾けてみよう。

【5月31日登庁時市長囲み取材 】

(cityosaka さんが 2012/05/30 に公開)
http://www.youtube.com/watch?v=bXUOv_x1F7E
…この件については、約18分後から

橋下市長は、はっきりと『再稼働容認』と述べていた。そして「限定的」という表現については、秋頃までの期間限定のことで、その時点で再度再稼働の妥当性を再度判断して、場合によっては再び停止ということはあり得ると解しているようだ。

原発の安全判断は暫定的であると言いながら、今夏の再稼働を容認するということは、結局は夏の電力不足を懸念する声に押し切られてしまったということなのだろう。

以前、大阪出身の人と、節電について話したことがある。昨夏、関東ではさまざまな知恵を出し合って節電に努めたが、今夏は、大飯原発が停止していることで、関西が節電を求められる状況になっている。そんなことが話題となった。すると、彼が言うことには、
「関西人は、節電なんかしないですよ」
と。真偽のほどは分からないが、関西生まれの人から断定的にそう言われてしまうと、そうなのかな、という気持ちにもなってくる。

その話は別にしても、関西も一度は節電を経験してみた方がいいのかもしれない。確かに去年の節電の時は、不便さを感じたこともあった。駅のエスカレーターが止まって、お年寄りが難渋している姿を見ることもあった。しかしそれによって節電意識が高まったのも事実なのだ。それは実際に節電という環境に身を置いてみないと生まれてこない、という面もあるに違いない。暫定的な安全基準などというまやかしで大飯原発を再稼働するより、関西の人も節電の夏を体験してみてはいかがだろうか。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗