2012年05月29日

今日も航空機音がうるさかった

昨日は一日中、飛行機の騒音が空から降り注いだ。「キーン」という金属音のような音が聞こえる時は、極端な低空飛行をしている時で、そういう音が何回も聞こえた。

〔JAL〕
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〔ANA〕
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夜になれば、騒音から解放されるだろうと思っていたが、10時を過ぎてもまだ大きな飛行音を轟かせながら、何機も飛来してはゆうゆうと去って行った。一日を通して、2・3分おきに飛行機が飛んでいくのだから、こういう状態が毎日繰り返されれば、イライラがつのり精神面にも悪影響を及ぼす。

一年半前の2010年10月、羽田空港で新しい滑走路(D滑走路)の供用が開始されてから、飛行コースが大幅に変更された。その影響で、新しい飛行コースの下に位置する地域では、騒音被害が深刻な問題となった。ここ佐倉でも、D滑走路供用前には頭の片隅にもなかった騒音問題が、切実な問題として浮上してきた。

〔羽田再拡張後の飛行ルートについて〕
http://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/haneda/saikakuchou/index.html

このような状況を踏まえ、県及び関係市町は、国土交通省に対し騒音軽減等を求める申し入れを、2011年2月16日に行った。

【羽田再拡張後の運用に対する申し入れ】
http://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/haneda/kyougi/moushiire/haneda-h230216.html
更新日:平成23(2011)年6月22日

*.関係25市町
千葉市・市川市・船橋市・木更津市・松戸市・野田市・茂原市・佐倉市・習志野市・柏市・市原市・流山市・八千代市・我孫子市・鎌ケ谷市・君津市・富津市・浦安市・四街道市・袖ケ浦市・印西市・白井市・大網白里町・長柄町・長南町

〔申し入れ内容〕
1.昼間時間帯の運用について
◇富津沖海上ルートの運用について
◇内陸部における着陸ルートの分散について
2.深夜早朝時間帯(23時から翌6時)の運用について
3.今後の取り組みについて

〔国土交通省の回答〕
1.昼間時間帯の運用について
◇富津沖海上ルートの運用について
…「富津沖海上ルート」の運用慣熟の促進
◇内陸部における着陸ルートの分散について
…平成23年4月7日より、北風時の到着経路について改善を図った。他の経路に関する騒音改善策についても検討を続けていく。
2.深夜早朝時間帯(23時から翌6時)の運用について
…6,000フィート未満では千葉県陸域上空を通過しない”海上ルート”を原則としている。
3.今後の取り組みについて
…平成17年確認書及び平成22年確認書2(2)にある検討項目の早期着手を図る。

その後、申し入れが功を奏したのだろう、当地の騒音は軽減され、日々の生活の中で航空機騒音を意識することは少なくなった。

ところが昨今の騒音は、一年半前のD滑走路が供用され始めた時を思い起こさせる状態なのだ。傍若無人に騒音をまき散らしているような印象すら覚える。どうして、こんな状態が再度もたらされたのだろうか。

posted by 里実福太朗 at 23:48| 里ふくろうの日乗

佐倉市…12時47分現在 大雨・洪水・雷 注意報

14時現在、風は少々強いが、青空に積乱雲が浮かぶ快晴。予報によれば、昨日に引き続き大気が不安定で、これから天気は大きくくずれるそうだ。佐倉市には、8時20分に雷注意報、12時47分に大雨・洪水注意報が発令された。

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昨日は、歯医者さんに4時半からの受診予約を入れていた。家を出る直前に、雨が降り出し、車で歯医者さんに向かう途中で、さらに雨風が強くなった。先日のようにヒョウまで降りだすことはなかったが、ヒヤヒヤしながら運転した。
posted by 里実福太朗 at 14:40| 里ふくろうの日乗

2012年05月25日

鳴り響く飛行音

午前中、行き来する飛行機がかなり低空を飛び、飛行音がかまびすしく響き渡ることが多かった。気象条件によって、飛行経路が変わったり、高度が変わるということがあるのだろうか。曇り空の今日、いつもよりまして騒音が気になった。午後は外出したから、その後のことは分からない。

羽田空港に国際線が発着するようになってからというもの、耳に障るほどの航空機騒音が多くなったことは、まだ記憶に新しい。成田空港の国際線の利用客が羽田に奪われ、その上、羽田を利用する航空機によって騒音が千葉上空にまき散らされ、千葉県民にとっては踏んだり蹴ったりの仕打ちなのだ。

その後、寄せられた苦情に対処したことで、騒音は軽減され、うるさいと感じる頻度は減った。ただ、それでもまだ、今日のように騒音を耳にすることはあった。

庭に出て空を見上げると、灰色の空を背景に、かなり大きな飛行機が南の方へと飛んでいった。その機影が消えると、もう次の飛行機が騒音を響かせながら飛んできた。かなり短い間隔で、次から次へと飛んできた。

写真に撮って拡大してみると、航空機会社もある程度分かる。次の写真は、垂直尾翼に欠けた黄色い星が見えるから「スカイマーク」、スカイマークといえば、つい最近も、4か月間に6件もトラブルが発生し、国土交通省から厳重注意を受けたばかりだ。

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機体の横に黄色のラインが入っていて、前方下部に「北海道」の文字が見えるのは「AIR DO」、北海道の千歳空港から飛び立ち、羽田に向かっているのだろう。

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そのほかにも、いろいろな形の飛行機が、騒音とともに飛び去って行った。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月23日

正体不明の木

庭の木が、たくさんの白い花をつけた。この家に住み始めてから、もう30年以上経つ。長く住み続けているのに、今まで、この木が花をつけたのを見たことがなかった。毎年咲いていたのに、気がつかなかっただけなのかもしれない、などとも思ったが、これほどたくさんの花をつければ、いくらなんでも気づかないわけがない。

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花の名前が分からない。夫人に尋ねたが、分からない。隣家の人に夫人が尋ねてみたが、やはり分からなかった。

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木は、すでにかなりの高さになっている。この家の先住者の植えた木が、30年以上かかって、やっと花を咲かせるまでに生長したということなのだろうか…

posted by 里実福太朗 at 23:52| 里ふくろうの日乗

2012年05月21日

金環日食観察記

目覚まし時計は5時半にセットしておいた。勤めていた頃でさえ5時50分頃に起きていたのだから、在職中より早く起きることになる。この佐倉の地で太陽が欠け始めるのは6時20分頃だから、少し余裕をみて、その頃には目覚めていなければならないのだ。

久しぶりで見る早朝の陽の光は、起きたての目には少々まぶしかった。庭に出て空を見上げれば、真上には青空が広がってはいるものの、少し南に目を転じると、いまいましい灰色の雲が覆っていた。そして、雲は徐々に勢力を北にのばし、それに伴って青空も北へと追いやられていった。

軽い朝食をすませて再び庭に下りてみると、雲はすでに空一面へと広がっていた。青空は、北の彼方にわずかに残っているだけだった。今日は見えないかもしれない、とあきらめ半分、雲の切れ目から見えることもあるかもしれない、とそれに望みを託す気持ちが半分、この空を見上げている人たちの多くは、そんな気持ちを抱いていたに違いない。

幾重にも重なった雲の層は、いかにも分厚く、とうてい雲の切れ目などが生じることなどないだろうと思われたが、それでも時おりまぶしさを届けてくれる雲のスポットが生まれることもあった。その機を逃さず、観察グラスで覗いてみたところ、黒で塗り込められたグラスに浮かぶ白い小円の、右肩のわずかな部分がもう欠け始めていた。

今まではどうしようかと迷っていたのだが、これでやっと決心がついた。狭苦しい庭に三脚を立てるよりは、広い公園に行って撮影しようと計画していたのだが、ともかく行ってみようと思い定めたのだった。

ここまで一気に書いてきて、ふと我に返れば、日食のことを書こうと思ってキーボードを打ち始めたのに、まだ庭でまごまごしている。この先のことを思えば、気が遠くなってくる。しかし、そんな心配をしていても仕方がない。ともかくも、金環日食を撮るために、車を走らすことにしよう。

公園には、すでにカメラを三脚に据え付けて、撮影体勢に入っている人もいた。空は相変わらず、雲で覆われている。慌てることはないが、いつ何時雲が切れるか分からないから、手際よく撮影の準備はしておかなければならない。

準備万端整っても、雲は非情にも空を覆っている。視線を遠く北方に注げば、青空の切れ端が見える。あの空の下は埼玉の辺りだろうか、それとももっと遠く、栃木・群馬の辺りだろうか。曇りがちの天気になることは、天気予報で伝えられていた。暗いうちから車を走らせて、今ごろはあの青空の下で、思う存分日食写真を撮っている人もいるかもしれない。

もう青空を期待することは、奇跡でも起こらない限りは難しい。あとは、雲の切れ間から太陽がのぞくのを待つのみである。金環日食の時間帯は、7時35分前後、時間は刻々と過ぎていくけれど、雲は相変わらず意地悪な表情を変えようとはしない。

このまま見られずに終わってしまったら…そんな不吉な想像が頭をよぎるものだから、気を紛らすために、雲の写真を撮ってみた。頭上を飛んでゆく飛行機も撮ってみた。そういえば、飛行機に乗って、雲上から日食を観察するというツアーもあった。

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どんよりと曇った空を撮るのだから、昨日作った自作フィルターは必要ない。しかし、急に雲が切れて日が射すかもしれず、念のためファインダーは覗かず、カメラのモニターを見ながら撮影した。何枚か撮った時に、モニターに薄ぼんやりと三日月が見えた。いや、三日月ではなく欠けた太陽の影だった。雲がちょうどフィルターの代わりになって、まぶしさはかなり低減され、月のような白さをたたえていた。

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その後も太陽は、思い出したように顔を出しては、また隠れてしまった。そして、金環日食が発生する時間帯になっても姿を隠したままで、残念ながら金色のリングを写真におさめることはできなかった。ただ、日食をまったく見られないかもしれないと危惧したことを思えば、雲に邪魔されたけれど、雲が薄くかかっていたことでかえって、フィルターを装着せずに撮影できたのだから、それをもって良しとするべきだろう。

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〔自作フィルターを装着して撮った写真〕
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月20日

日食撮影用の自作フィルター

日食撮影用のフィルターは、「NDフィルター」があれば申し分ない。ただ、いろいろなネットショップで探してもすべて売り切れ、さて、どうしたものかと思案していたが、昨日の写真塾での講義・実習をヒントに、あり合わせの材料で自作してみた。

ペーパープレートを四枚重ねて中央に長方形の穴を開け、その間に太陽観察用グラスを挟み込んで作成してみた。使用するレンズは300ミリの望遠レンズ、それを使って撮影できたとしても、3ミリ程度の大きさにしか写らないそうだ。

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せっかく作っても、明朝の天気が問題だ。天気予報によれば、曇りがちということらしい。こうなったら、天に祈るしかない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月18日

どうしてこうなったんだろう

自動車税を振込みに行く途中で、交通事故を目撃した。中央分離帯にまたがった車は、左前輪が分離帯の左にあり、右前輪は右側、後輪は両方とも右側にあるという不自然な状態になっていた。

つまり前輪をのぞいて、車体のほとんどは向かって右側の車線に残っていた。ところが車の向きからすると、右側は反対車線にあたる。どのように運転すれば、こんな不可思議な状態にすることができるのだろう。

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この事故に巻き込まれた車はない模様だった。車の背後に回って、なにやら確認しているドライバーにも怪我はなかったようだ。

posted by 里実福太朗 at 23:58| 里ふくろうの日乗

2012年05月17日

太陽観察専用SUNGLASSと佐倉市での見え方

2012年5月21日が目前に迫ってきた。その日の朝、首都圏で金環日食が観察できるのだ。なにしろ、173年ぶりのことで、この地で見るのは、当方の存命中はもう無理らしい。

かなり前から、秋葉原の家電量販店のカメラ売り場で、太陽観察用のグラスが大々的に売り出されていた。またいつもの騒ぎすぎ、どうせ便乗商法だろうと高をくくって、手は出すまいと決めていた。

そもそも、日食を見るために、専用の観察グラスというものを必要とするという点が、どうにも疑わしく思われた。記憶の糸をたぐってみれば、子供のころにも日食を見る機会はあった。おぼろげな記憶によれば、その時は、ガラスの板にローソクの煤をつけて、それを太陽にかざして見た。日食の記録を調べてみると、そのころ東京で観察できたものとしては、以下の日付のものがあった。
 1955年6月20日 13:01 〜 14:23
 1957年4月30日 07:06 〜 08:45
 1958年4月19日 11:31 〜 14:58
そういう体験があるから、観察用グラスを買い求める必要などはないだろうと思ったのだった。

その後、ネットは言うに及ばず、新聞・雑誌等にも日食関係の記事が日に日に増えてきた。そして、専用グラスを使わずに太陽を見ることの危険性が喧伝されるのに及び、ついに当方の心も折れて、先週末にネットで注文したのだった。会員登録してあったカメラメーカを経由して注文したところ、600円の割引価格で手に入れることができた。
 
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【全国市町村別金環食・部分日食観測ガイド】
 http://www.annulareclipse2012.com/
 
〔千葉県佐倉市の2012年5月21日の金環食予測〕
http://www.annulareclipse2012.com/chibaken_12212.html

上記ページによれば、佐倉市では、
『市役所付近での最大食は朝7時34分58秒頃。金環食継続時間は5分04秒程度。リングの均等度合いは90.4%前後と、真円のリングが楽しめる』
となっている。

日食開始時間:06:19:12
日食終了時間:09:03:30



posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月09日

映画「ル・アーヴルの靴みがき」について

『見ている間、幸せで心が弾み、見終わった後も浮き浮きと楽しい。こんな映画はめったにない。』(山根貞男・映画評論家)

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朝日新聞のエンドロール欄に、この「港町で起きる奇跡の魔術」と題された記事が載ったのは、ロードショウが始まる4月28日の前日のことだった。舞台はル・アーヴルという港町、そしてフランス北西部にあるということがわかれば、ユーロスペースというミニシアターのある渋谷に出かけてみようか、と心が動くのも無理はない。

ただ、期待する気持ちが煽られすぎたのだろうか、映画を観ている最中も、観終わってからも、映画評にあるように心が弾み、幸せで満たされることはなかった。観ている時は終始、戸惑いの心が疑問を招き寄せ、見終わった後は何ともすっきりしない気持ちが残った。

映し出される画面は、フランスの写真家アジェ、いや、もう少しすこし時代を下ったほうがいいかもしれない、ドアノーが撮り続けたパリの写真を想起させる。となると、ドアノーが生きた時代を背景としているのだろう、と早合点しまいそうになるのだが、観ているうちに、いや、そうではない、時代は現代なのかもしれないとうすうす気づき始め、携帯電話が出てくる場面を観れば、それは決定的となってしまう。

しかしそれでもなお、画面から受ける印象が、一昔前に逆戻りさせてしまうから、観ている者は、時代を行ったり来たりして、なんとも居心地の悪い気分を抱きながら、物語の進行に付き合っていかなければならなくなる。

一昔前の映画を思わせる撮影手法が、背景の現実と、映像が創り出す虚構の現実とのズレをさらに増幅させる。たとえば、ミュージシャンのリトル・ボブが登場する場面、かくまった少年の密航費を捻出するためのチャリティコンサートに、ボブを引っ張り出すため、靴みがきのマルセル・マルクスがボブの妻ミミと仲直りさせるカフェの場面だ。

ミミと別れ失意に沈むボブが、カウンターに座っている。窓から入る光が逆光となり、彼の横顔に影を作り表情を隠している。マルセルはそんな彼に、ミミに謝罪の言葉をかければ、きっと帰って来てくれると説得する。ボブがその言葉に頷いた時、マルセルはカフェの外で待っていたミミに合図を送る。マルセルは、あらかじめボブが謝罪してくれれば、彼の元に戻る気持ちのあることを確かめていたのだった。二人が元の鞘に戻ったことは、言うまでもない。そして、ボブの顔に光がさして、暗いカフェの中に浮かび上がってくる。

こんなふうに描かれた場面を観ると、二人が仲直りをしたことを祝福するどころではなく、どうしてこのような旧態然とした演出をしたのだろうかという戸惑いの方が先立ってしまう。物語に浸るどころではなく、演出の方に気を取られてしまうのだ。

しょせん映画も作りごとの世界、現実をありのままに描く必要もない。しかし作りごとの世界であっても、それに徹していれば、観るものは安心してその虚構の世界に浸ることができる。ウソならウソでいいのである。ウソを突き通してくれれば、それでいいのである。どっちつかずが、一ばん観るものを混乱させる。

ラストシーンで、その混乱は極限に達する。マルセルの妻アルレッティは不治の病で入院していた。マルセルにはそのことを隠していたが、日に日に衰えて死を覚悟せざるをえない状況に陥っていく。ところが急転直下、奇跡が待っていたのである。

明らかに虚構だと分かる場面を積み重ねて、このラストシーンに至るのであれば、その結末を素直に受け入れたかもしれない。しかし、突然、予想外の、そして普通なら起こりえない奇跡が訪れたのでは、それに涙するどころか、苦笑さえ浮かびそうになってしまうのだった。

パンフレットに、アキ・カウリスマキ監督からのメッセージが載っている。そこから一部分を引用してみる。

『ヨーロッパ映画はこれまで、… 中略 …EUへやって来ようとする難民たちが受ける、通常ならあり得ない、往々にして不当な扱いについて描いてこなかったのだ。(一行空き)私にも、この難題への答えがあるわけではない。それでも、このとかく非現実的な映画で、この問題を取り上げたかったのだ。』

ここで重要なのは、監督自身が『非現実的な映画』と述べている点だ。その言葉を頼りに、もう一度この映画を振り返ってみて、今までに指摘した場面、物語の展開、さらに登場人物たちが皆、無表情で感情を押し殺した人物として描かれている点、また彼らが極端に様式化された日常を生きている点などを挙げれば、非現実的な世界を描こうとしてしていることは首肯される。

しかし、ここで疑問が浮かび上がってくる。難民という深刻な問題を、こういった手法で描くことの妥当性についてである。様式化された撮影手法、様式化された人物描写、様式化された話の展開、そういった型にはまった方法では、どうしても難民問題の深刻さが伝わってこない。伝わってきた監督の意図は、難民問題を扱うことではなく、様式美を描くことではなかったのかということだけだった。

エンドロールを見終わって出口に向かう時、年配の女性が同行の人に話しかけた言葉が聞こえてきた。
「なんだか、ウソっぽい映画だったわね」
 

 
posted by 里実福太朗 at 23:30| 里ふくろうの日乗

2012年05月08日

連休明けのバスツアー

連休明けの昨日、日帰りのバスツアーに参加して、富士山周辺をまわってきた。連休中には、高速道路で大きなバス事故があった。その事故の映像の記憶が、まだ生々しく残っている時期だから、旅行会社もバス会社も、細心の注意を払っているだろうと思っていた。ただその一方で、ドライバーも添乗員もフル回転の勤務で、疲労が蓄積しているかもしれず、連休が終わればヤレヤレと安堵して、緊張感が失われているのではないかとも想像され、一抹の不安がないことはなかった。

ツアー参加者は34名、出発してまもなく添乗員から紹介されたドライバーは、一目見て、場数を踏んだベテランであることは見当がついた。昨夜までの車の渋滞の列はすでに消え、朝の東関東自動車道は順調に流れていた。湾岸道路、首都高と乗り継ぎ、中央自動車道に入ったのだが、その間、渋滞に巻き込まれることはまったくなかった。

帰路は、東名高速を利用したが、やはり渋滞とは縁がなかった。気がかりは首都高の混雑状態、しかし拍子抜けがするほど空いていて、前方に車が一台も見えないということも何度かあった。どうしてこんなに空いているのだろうと、疑問に思うほどだった。

◇花の都公園…チューリップ観賞

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◇わさびの郷…主として買い物

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◇富士山新五合目…標高2,400mからの眺め
下界は雲に覆われていて、残念ながら期待していた眺望を見ることはできなかった。展望スペース周辺に残っていた雪を、ビニール袋に入れて持ち帰った。もちろん家に着くまでには融けて水になってしまったが、それでも五合目まで登った記念の富士山の水である。

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◇山のホテル…シャクヤク・ツツジの花鑑賞
シャクヤクは、盛りをすこし過ぎていたが、それでも見応えは十分だった。ツツジは、まだ多くの蕾が固く閉じられていた。

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◇鈴廣かまぼこの里…買い物
 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年05月05日

ユーロスペースは整理券方式

「ル・アーヴルの靴みがき」の上映開始時間前にユーロスペースにたどり着いたものの、一階にはチケット売り場はなく、どこで購入してよいやら、それが分からない。とりあえずユーロスペースのある三階に、エレベーターで行ってみることにした。

エレベーターのドアが開いた時、そこには予想もしなかった光景があった。さほど広くないロービーには、人があふれていたのだ。その多くは高齢者で、京橋のフィルムセンターと客層が重なっていた。

「整理番号、50番までの方」
怒鳴り声に近い声が響くと、何人かの人がぞろぞろと入場口の方へと移動して行った。どうやら整理券が必要となるようなのだ。それを手に入れるにはどうしたらよいのか、雑踏の中で思案に暮れていると、
「これが整理券になります」
という声がかすかに聞こえてきた。人混みをかき分け、その声の辺りに近づくと、カウンターの前で白髪の老人が券を受け取っていた。すばやくその老人の後につき、
「ル・アーヴルの靴みがき、一枚」
と言えば、
「シニアですか」
と訊くものだから、
「えゝ、そうです」
と答えた。自分から申告する前に、「シニアですか」と訊かれたのは、初めてのことだった。

チケット販売員の方から、そう言ったのだから、当方がシニア層であることは外見から判断できたということなのだろう。だから、
「年齢を証明するものが必要ですか」
と訊くまでもなかったのかもしれないが、念のためそう尋ねてみた。
「いえ、大丈夫です」
若いスタッフにハッキリそう言われて、複雑な気分で「整理No.98」と印字された券を受け取ったのだった。

しばらくしてから、
「100番までの方」
という声にうながされて劇場内に入ってみると、すでに多くの席は埋まっていた。席は自由席、自分の好む席を確保したかったら、早めに行って若い番号の整理券を手に入れておけばよいということなのだった。

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posted by 里実福太朗 at 01:24| 里ふくろうの日乗

2012年05月04日

道玄坂の映画館まで

映画「ル・アーヴルの靴みがき」の上映館「ユーロスペース」に行くには、渋谷駅ハチ公前からスクランブル交差点を渡り、道玄坂を上っていく。そして東急本店を通り過ぎ、文化村前の交差点を左折する。

前もって調べておいた道順は、こうだった。ともかく道玄坂を上っていけば文化村のあたりに着くはずだから、迷うことはないはずだ。雨の降る中、スクランブル交差点を渡れば、すぐ「109」に至る。そのビルは三叉路の頂点に立ち、右に行こうか左に行こうか、その判断を迫られる。左に伸びる歩道には、道玄坂という標識が立っていた。そこで「109」を右に見て進んだ。

坂道をかなり上って、道玄坂上交番前まで来ても、まだ東急本店が見えない。その時はじめて道を誤ったことに気づいた。「109」の三叉路を右に行くべきだったのだ。時刻は、すでに12時45分、映画は1時から始まる。標識には交番前とあるから、近くにあるはずだが、見つからない。こうなっては仕方がない、直進すれば、三叉路から右に伸びる道ぶつかるだろうと目星をつけて、交番前交差点を右折して歩き始めた。

三叉路からのびる二本の道というものは、行けば行くほどその間隔は離れていく。パリの郊外の町で道に迷った時もそうだった。たぶん多くのフランスの町がそうであるように、その町も、中心に教会があって、そこから放射線状に道がのびていた。道を一本間違えただけだったのに、目的地からおそろしく離れた場所に行ってしまい、通りすがりの人に道をたずねるはめになった。


パリの裏通りのように、ちょっと薄汚れた感じで、どことなく猥雑さを漂わせている細い道を歩いていると、なんとなく予感めいたものがわいてきた。その映画館は、こういう雰囲気の通りにあるのがふさわしい、そのうち「ル・アーヴルの靴みがき」の看板が見えてくるに違いない…そして、実際その通りになったのだった。

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ユーロスペースは、このビルの3階にあった。

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posted by 里実福太朗 at 02:25| 里ふくろうの日乗

2012年04月27日

NBOX一ヶ月点検

NBOXに乗り始めてから、ほぼ一ヶ月が経過した。約7年間乗っていたステップワゴンから乗り換えて、当初は戸惑う点もあったが、今はもうすっかり慣れてきて、軽自動車の使い勝手の良さを実感している昨今である。

たとえばスーパーの駐車場で、軽自動車専用の駐車スペースが利用できるようになったり、図体の大きいワンボックスカーにはさまれた狭いスペースに楽々と駐められたり、という具合に買い出しの際の便利な足として働いてくれている。

維持費が減少したのも、ありがたい点だ。四月一日に満タンにして、それからほぼ一ヶ月が経過した今日、ガソリンを入れに行った。いつも利用するガソリンスタンドは、リッターあたり144円で、全国平均と比べればまだ低い方だが、それでも原油高騰の影響を受けて高値となっている。そういう時期に、一ヶ月に一度満タンにするだけでよく、ガソリン代が4000円ほどですむのはありがたいことだ。

NBOX(G・Lパッケージ)に乗り換えてから、一番便利さを実感したのは、エンジンキーからリモコンキーにかわった点だ。ズボンのポケットにリモコンを入れておきさえすれば、ドアのボタンを押せばロックが解除されて、エンジンボタンを押せばエンジンがかかる。便利なこと、この上ない。

ハザードボタンを押そうとして、間違えてエンジンキーを押してしまうことはなくなった。ただ、エンジンボタンを押してエンジンを切ってから、何かし忘れたことがあるのではないかという感じは、薄れてきたとはいえまだ残っている。

今までは、エンジンを切ってから、最後にキーを抜き取っていた。そのクセが依然として残っているからなのだろう、エンジンボタンを押したあと、右手がハンドル支柱の右側に伸びて、あるはずのないキーをさぐってしまうことがある。体が覚え込んだことは、なかなか修正することができない。

一ヶ月点検が終わるのを待っている間、ショールームに展示されているフリードハイブリッドを暇に任せて見てみた。見ているうちに、あることに気がついた。NBOXと同じ位置に、エンジンボタンがないのだ。ドア越しではよく分からないから、ドアを開けてのぞき込んでみた。

しばらくして、やっと見つかった。なんとハンドルの支柱の右側にあった。つまり、旧来のエンジンキーを差し込む位置に設けられていたのだ。そして、それはただ押すだけではなく、押し込んでから回すノブタイプのものだった。やはり、エンジンをスタート/ストップさせる大切なボタンは、誤操作を避けるためにも、このように旧来の位置に設けるのが正解なのだろう。
 
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年04月18日

書くための道具

『私は、いまこの文章を、黄色い罫の四百時詰ルビつき原稿用紙に、万年筆で書いている。万年筆は、一章の部分はパーカー75の中細を使ったが、二章からシェーファーの太字の安物に取り替えた。』

吉行淳之介の「些細なこと」と題された文章の一節である。原稿用紙は、例の山田紙店製のもの、筆記具は、最初はパーカー、途中からシェーファーの万年筆を使ったと記している。引用部分のあとの箇所では、4Bの鉛筆を使ったことがあるとも書いている。

なぜ、書いている途中で筆記具を替えるのだろうか。単に気分を変えるためではなく、このように筆記具を使い分けるのには理由があるらしい。シェーファーの太字の安物に替えたのは、文章を書きあぐねていたためだと言う。そういう時は、筆の滑りの良いもの替えるそうだ。さらに滑りがよいものが、4Bの鉛筆ということだから、その鉛筆を使う時はがどういう状態であるのかは自ずと察しがつく。

さて昨今では、原稿用紙と筆記具に替えて、パソコンを文章作成の道具として活用している人も増えている。原稿用紙にあたるものがワープロソフト、筆記具はキーボードということになろう。ただ、吉行さんが記述の進捗状況に応じて筆記具を使い分けていたのと同じように、キーボードを使い分ける人は滅多にいないだろう。多くの人は、そこまで面倒なことはしない。文章作成の最初から最後まで、同じキーボードを使う。

ただ、同じキーボードを使い続けるけれど、使いやすいものとそうではないものとがあるのは、やはり筆記具の場合と同じである。キーボードにも個性があって、使いやすさは千差万別なのだ。万年筆にこだわりを持つ人がいるように、キーボードにこだわりを持つ人もいる。

かく言う私は、別に書くことを生業としているわけではないけれど、キーボードについては、ある程度のこだわりは持っている。まず、長時間キーボードをたたくこともあるので、キータッチはやわらかくて指に負担のかからないもの、キーの間隔が十分あるもの、そしてキーボードの下部に手をのせることのできる十分なスペースがあるものなどである。

それらの条件を満たすものが、現在使っているIBM製のキーボードなのである。Lenovoになる前のIBMの時代に、注文して取り寄せた。現在使っている机は、パソコン仕様になっていて、デスクトップの下に細長い引き出し部分があって、その上にキーボードをのせて使う。IBM製のキーボードの下部には十分なスペースがあり、さらに手前に少しつき出ている部分がある。それがあることで、机の引き出し部分の縁にのせることができて、キーボードが安定して使いやすくなる。

長年使い続けて、すでにキートップが二つなくなってしまった。「9」キーも少しがたがたしてきている。ほかにも寿命が尽きようとしているキーがある。それでも使い続けている。同じ形状のものがあれば、買い換えるのだが、さがしてもなかなか見つからない。いつまで使えるか分からないけれど、壊れてしまう前に、替わりのキーボードをさがしておかなければならないと思うのだが…

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2012年04月17日

神楽坂「山田紙店」の原稿用紙

『昭和二十四年に書いた処女作の「薔薇販売人」の原稿が手もとに残っている。その原稿用紙は、四百字詰、黄色い罫のルビつきで、左隅に「神楽坂 山田製」と印刷してある。』
(「石膏色と赤」 1976年、講談社)

吉行淳之介の「原稿用紙」と題された文章の冒頭である。冒頭部分以下に記されていることによれば、「山田」とは神楽坂の山田紙店のことで、吉行さんはこの文章を書いた時点で、三十年近く山田紙店の原稿用紙を使っていたそうだ。

その当時は、市谷に住んでいて、となり駅の山田紙店の噂を聞いて、使うようになったらしい。どういう噂だったのかは詳らかにしていないが、庄野潤三さんにもすすめたそうだ。

アユミギャラリーに顔を出した帰途、神楽坂を下って山田紙店をさがしてみた。神楽坂下交差点の近くに、今もその紙店はあった。こぎれいなタバコ店のすぐ脇に、店の出入り口があった。正確に言えば、店の一部がタバコ売り場となっているのだった。

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店内に足を踏み入れると、
「いらっしゃいませ」
と、奥の方からの声が迎えてくれた。見れば、かなり高齢の人だった。現在の店主なのだろうか。タバコ店のこぎれいさとは裏腹に、店内は古色蒼然とはいかないまでも、かなり古い時代の文房具店の雰囲気を残していた。

吉行さんの使っていた原稿用紙は、まだ売られているだろうか。さがしてみるまでもなく、段々畑のような棚にノート類が並べられた一角に、なぜか足は自然とすい寄せられて行った。その一角の隅に、原稿用紙の見本が並べられていた。そして、それを見た瞬間、これが吉行さんが使っていた原稿用紙に違いないと確信した。

『四百字詰原稿用紙の中央の余白にある太い二本の横線について、意見が衝突した。私はそれがヤボな感じがすると言い、主人は頑固に頷かなかった。といっても、喧嘩したわけではない。いまでは、私にもこの二本の線が目ざわりではなくなってきた。』

その原稿用紙には、確かに二本の横線が、中央の余白に太く入っていた。外枠の線よりも太く見えるその二本の横線は、どういう意図で設けられているのだろうか、吉行さんならずとも、そんな疑問がわいてくる。

その四百字詰の原稿用紙には、罫線の色違いの二種類があった。一つは黄色、もう一つは灰色、さて吉行さんはどちらの色のものを使っていたのだろうかと、買い求める段になって迷いが生じた。文章の冒頭をしっかり読んでいれば、迷うことはなかったのだが、黄色の罫線が目に障るような気がして、落ち着いた感じの灰色のものを選んでしまったのだった。

代金の支払いの際、店の人に訊いてみた。「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた人よりは若く、五十歳代に見えた。
「この原稿用紙は、昔から変わっていませんか」
「えゝ、同じですよ」
「吉行淳之介という作家が、こちらの原稿用紙を使っていたそうなんですが、ご存じですか」
「えゝ、それでした」

くだんの「原稿用紙」という文章で、吉行さんは、
『…この店は私が小説家であるのを知らない』
と書いている。店の人は、どういう経緯で、吉行淳之介が自分の店の原稿用紙を使っていることを知ったのだろうか。

「いや、黄色の罫線の方だったかもしれませんね、調べてみれば分かることですが」
「こちらに買いに来ていたんですか」
「いえ、送り届けていました」

この点についても、
『三十年近くのあいだに、私がその店に行ったのは、十数回である。』
と書いている。応対してくれている店の人は、その頃の吉行淳之介を知らなかったということなのだろう。

「亡くなったあとも、送っていましたよ」
「なぜですか?」
「ミヤギさんが使ったようです」
「ミヤギ? あゝ、ねむの木学園の宮城まり子さんですね」

吉行さんは、冒頭に引用したように、『四百字詰、黄色い罫のルビつき』の原稿用紙を使っていたが、私が買い求めた原稿用紙は、灰色罫線のものだった。一束百枚で、税込み五百二十五円だった。

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ただし、せっかく買い求めた原稿用紙だが、今のところ、それを文字で埋める予定はない。今は、もっぱらキーボードを打って文章を入力している。白紙の原稿用紙を見ると、めまいに襲われるが、キーボードならば何の差し障りもなく、気楽な気持ちで文章作成に集中することができる。

なお、宮城まり子さんが園長をつとめる「ねむの木学園」の近くに、吉行淳之介文学館がある。

【吉行淳之介文学館】
http://www.nemunoki.or.jp/yoshiyuki/index.html
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2012年04月11日

落花を急ぐさくら花

昨日の上野公園は、平日なのに相変わらずの賑わいだった。桜の花は早くも満開の峠を過ぎて、下り坂にさしかかっていた。時おり吹き抜ける強い風が、桜吹雪を演出してくれた。年ごとに繰り返して感じることではあるが、満開を過ぎた散り始めのころが、いちばん華やかな印象をもたらしてくれる。

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桜の花の下では、昼間から乾杯しても、とがめる人は誰もいない。ただ、勤めを持つ人たちにとっては、やはり、平日の昼間に花見酒というわけにはいかない。ところどころに、大きなブルーシートが広げられ、主のいない席には桜の花びらが降り敷いていた。

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15時から
飲みます。
お願いね黒ハート
10日です!


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スーツでビシッと決めた若者が、緊張の面持ちで確保した席を守っている所もあった。すでに樽入りビールなどがふんだんに用意されているところをみると、夜には盛大な宴会になっていることだろう。

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2012年04月08日

今夜も花冷え

この週末は好天に恵まれ、桜もやっと満開となった。ただ、日中は暖かくて、少し動き回るだけで汗ばんでくるほどだが、朝夕は冷え込みが強く、日中の薄着のままで夜を迎えると、風邪を引き込むことになってしまう。

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桜の花が満開になるころに、春らしいぽかぽか陽気が、一転して冷気に包まれ、寒い日になってしまうことがある。大陸から冷たい空気が南下して、日本列島を覆うために生じる現象らしい。昔から、桜の季節にはこういったことがあったから、「花冷え」というしゃれた言葉も生まれたのだろう。

しかし、今年の春はちょっと違う。確かに朝晩は冷え込むが、それを「花冷え」と言っていいものかと迷う。暖かい日が続いたあと、急に気温の下がる日が訪れると「花冷え」なのだから、今年のように、日中は暖かく夜になると冷え込むことを繰り返す状態は、「花冷え」とはちょっと違うように感じるからだ。

それでは、どういう言葉で言い表してみればいいのだろうと思い巡らしてみれば、「夜寒」という言葉が浮かんでくるけれど、これは晩秋のころの夜の寒さを指すのだから、これもおかしい。

今夜あたりも、冷気に包まれた花の下で、夜桜見物をする人たちからは、
「今夜は花冷えだな」
というつぶやきが漏れることがあったかもしれない。本来の意味合いからは、ずれているかもしれないが、今年は今年で、そう言うのがふさわしい感じがする。

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2012年04月06日

桜の花便り_神田川

写真展の閉館は午後7時、それを待つ時間を利用して、早稲田スコットホールギャラリーから歩いて、近くを流れる神田川まで行ってみた。その辺には椿山荘もある。早稲田に来る前に立ち寄った上野公園では、桜の花が、もう満開と言ってもよいほどにひらいていた。神田川の両岸に植えられた桜も、満開の時期を迎えて待っていてくれた。

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すでに夕暮れが迫り、やわらかな西日が、満開の桜花を照らしていた。川面に届かんばかりに垂れ下がる花は、次第に暗さを増す水底を背景にして、くっきりと浮かび上がって見えた。橋のたもとからのぞき込むと、まるで漆黒の夜空に散りばめられた星に向かって咲いているかのような錯覚さえ覚えるのだった。

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2012年04月03日

NBOXのスタート/ストップスイッチ

今まで乗っていたステップワゴンは、ハンドル右側下部にキーを差し込んでエンジンをスタートさせるという方法だった。初めて乗った車から、ずっとこのやり方に慣れ親しんできた。

車が電化製品に近づいてきている現今では、スイッチ操作でエンジンをスタートさせるという方式は、時代の流れに沿ったやり方なのだろう。電気製品の電源スイッチを押すのと同じ感覚で、エンジンスタートスイッチを押すということなのだ。スタートキーをまわすことから、スタートスイッチを押すことに変わっただけのことだから、それが原因で、操作手順に混乱をきたすということにはならないはずなのだ、そう思って先日書いたことを考え直してみた。ほんとうに、ボタンを押してエンジンをスタートさせる方式に変わっただけで、手順に大きな違いが生じたような戸惑いを感じてしまったのだろうか。

そんなふうに考え直してみるきっかけは、ハザードスイッチを押そうと思って、誤ってスタート/ストップスイッチを押してしまったということだった。道路脇に一時的に停車したくて、路肩に車を寄せてハザードスイッチを押そうとした時のことだった。

ステップワゴンでは、ハザードスイッチはハンドルの左側のすぐ近くに設けられていた。押す場合は、長年の習慣で自然にその位置に左手が伸びた。その位置にハザードスイッチがあることは、もう体が覚え込んでいたのだ。

ところが、乗り換えたばかりのNBOXでは、その位置にスタート/ストップスイッチがあった。ハザードスイッチは、オーディオ機器をはめ込むボックスの下部に移っていた。その位置に変更されていることは、頭では理解していた。しかし、とっさの操作では体が覚えていた位置にあるスイッチ、つまりスタート/ストップスイッチを押してしまったのだった。

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長年、右手にキーを持ち、ハンドルの右側から差し込んでエンジンをスタートさせてきた。だから、右手でエンジンをスタートさせ、右手でエンジンを停止させるという操作は、体にしみこんでしまっていた。同様に、ハザードスイッチを押す操作も、体が覚え込んでしまっていた。

だからNBOXでも、スタート/ストップスイッチがハンドルの右側、ハザードスイッチが左側の同じ位置に設けられていたら、何の問題もなく操作することができたに違いない。エンジンをスタートさせたり切ったりするスイッチは、多くのスイッチの中でも特に大切なスイッチであるはずである。そのスイッチが左側に設けられていたことが、誤ったスイッチ操作をしてしまったことの原因だった。

身の回りにある機器のスイッチは、どのような位置に設けられているのだろうかと疑問に思ったので、いくつか確認してみた。電子レンジの温めスタートスイッチは本体の右側、ファンヒーターのスタートスイッチは右側、プリンターの電源スイッチは右側、かように電源スイッチは右側に設けられることが多いようだ。

一般的にはそういう傾向があるようだが、ブレーキペダルを踏み、スタートボタンを押して、セレクトレバーを「D」に入れ、パーキングブレーキを解除するという一連のエンジン始動操作の流れからすれば、スタート/ストップスイッチは、ハンドルの左側、セレクトレバーの近くに設けた方が合理的ではある。ただその理屈は、旧来の操作が染みこんだ体には通用しなかった。

初めて車を購入した人にはこういう問題が生じることはなく、あくまでも旧来のエンジンスタート方式に慣れ親しんできた人が、体と意識とのずれを味わって頭が混乱するということなのだろう。まあ、早く慣れるより仕方がないことではあるが…
posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

暴風警報

低気圧が急速に発達しながら、北東に進んでいる影響で、ここ千葉県北西部でも夕方が近づくにつれて、強い風が吹くようになってきた。今のところ、強い雨は降っていない。

【気象衛星(東日本)】

(2012年4月3日 18時0分観測)

息子の勤めている会社では、午後3時に終業として社員を帰宅させたそうで、5時少し過ぎに帰ってきた。交通機関が止まる可能性もあることから、同じような対応をとった会社も多かったようだ。

庭にとめておいた自転車が2台、強風のために倒れた。予報では、今後さらに風雨が強まってくるそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 18:39| 里ふくろうの日乗

2012年04月02日

NBOXはならし運転中

今まで乗っていた8人乗りのステップワゴンは、約七年前に購入した。この七年の間に、省エネ指向が高まり、それに伴い技術面でもいろいろと進展があった。NBOXもそういった技術的な進歩の恩恵を受けているのはもちろんのことだが、さらにいろいろと独自の工夫も施されていた。

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エンジンの始動は、スタートボタンを押すことで行う。車が走り出すまでの操作手順は、今までとは大きな違いはないのだが、ボタンを押してエンジンをスタートさせる方式に変わっただけで、手順に大きな違いが生じたような戸惑いが生じて、初日は手順を頭に思い浮かべながら操作したのだった。ただ、そういう状態も最初の内だけで、二日目になると今まで通り自然に手・足が動くようになった。

アイドリングストップシステムは、燃費向上や、アイドリング中の騒音低減のためのシステムで、ブレーキペダルを踏んで停車している時には、エンジンが停まり、ブレーキペダルから足を離したりすると、エンジンが自動的に再スタートするというものだ。

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信号待ちの際は、スムーズに再スタートできるが、小さな四つ角などで左右を確認していてもエンジンが止まってしまい、煩わしさを感じることもあった。いっそシステムをオフにしておこうかなどと思うこともあった。ただコツを掴んでくれば、エンジンを切ることなく曲がることもできて、次第にこのシステムの良さが分かるようになってきた。

夫人も、最初はこわごわ乗っているという感じだった。早く慣れるために、今日は夫人がハンドルを握り、当方は助手席に座って、DVDレンタル店に行ってみた。帰りは、少し遠回りをしてみた。まだ肩に力が入っているように見受けられたが、それでもだいぶ慣れてきているようだった。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年04月01日

NBOXがやってきた

注文したのが昨年末、希望の色種の車は3月発売ということで、年を越えて3月を迎えるまでは、気の遠くなるほどのながさだと、その時は思った。ところが歳のせいなのだろうか、月日は途方もない早さで過ぎ去り、もう納車の日を迎えてしまった。

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以前、ディーラーで展示車を間近に見て、運転席や後部座席に座ってみて、車内の広さは体験していた。そして、納車されたNBOXのハンドルを握って、実際に街中を走ってみて、改めて視界の広さを実感した。前も横も後ろも、窓が広い。ステップワゴンでも味わうことのなかった開放感だ。

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視界の面だけでなく、車内空間の広さも取り上げておかなければならないだろう。当方、決してホンダの回し者ではありませんが、軽自動車でこれほど広い車内空間を創り出したことは、特筆に値することであろう。背が高く座高も高い私でも、頭上の空間にはかなりの余裕がある。また後部座席の足もとも広く、足を組んでもつま先が前席の背もたれに触れることはない。

posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年03月30日

ドクトル・マンボウの死について

作家の北杜夫さんが亡くなったのは、去年の10月24日のことだった。あまりにも急に訪れた訃報だったので、俄には信じられず、その死を惜しむ前に、一体どういうことだったのだろう、死因は何だったのだろうという疑問がまっさきに浮かんできたのを覚えている。

先日、出版されたばかりの「マンボウ最後の家族旅行」(2012年3月25日、実業之日本社)を、近所の書店で買い求めた。巻末に、愛娘_斎藤由香さんが書いた「父が遺したユーモア」と題する一文が載っていた。それを読み、北杜夫さんの最期の様子の一端を知ることができて、心のモヤモヤを幾分かははらすことができた。

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当時、その突然の死が、どのように報道されたかを、まず振り返っておくことにしよう。

◇朝日新聞
【作家の北杜夫さん死去 「どくとるマンボウ」シリーズ】
http://www.asahi.com/obituaries/update/1026/TKY201110260123.html?ref=recc
(asahi.com 2011年10月26日10時39分)

『24日午前6時2分、腸閉塞(ちょう・へい・そく)のため東京都内の病院で死去した。』

【死の前夜、孫に「元気でね」 北杜夫さん、繰り返す】
http://www.asahi.com/culture/update/1026/TKY201110260670.html
(asahi.com 2011年10月27日11時29分)

『妻の喜美子さん(74)ら家族の話によると、北さんは23日の昼食後、歯磨きに立とうとしたとき、いすから床に崩れ落ちた。なかなか立ち上がれず、救急車で病院に搬送された。/同日夕、家族が見舞いに行った時は、「大丈夫?」と聞くと「大丈夫だよ」と答えた。 』

◇読売新聞
【「どくとるマンボウ」北杜夫さん死去】
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20111026-OYT8T00204.htm
(YOMIURI ONLINE 2011年10月26日 読売新聞)
…死因については触れていない。

【さよならマンボウ…夫人「したいことをした」】
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20111026-OYT8T00622.htm
(YOMIURI ONLINE 2011年10月26日 読売新聞)

『22日にインフルエンザの予防接種を受けた後、体調を崩して23日に入院。24日に容体が急変し午前6時2分、都内の病院で腸閉塞のため死去した。』

両紙ともに、死因は『腸閉塞』と伝えていた。また、読売新聞の記事では、インフルエンザの予防接種を受けた後、体調が崩れたと伝えていて、インフルエンザの予防接種が、死への端緒となったという印象を与える。

現にこの記事が配信された翌日、次のようなブログ記事も書かれている。
【◆ 北杜夫さんはインフルエンザワクチンで急変】
http://ameblo.jp/emkanayoshi/entry-11060899673.html
(田中佳先生のブログ 2011年10月27日 21時27分36秒)

さて、斎藤由香さんの「父が遺したユーモア」という一文に戻ろう。そこに記されていることに基づけば、インフルエンザの予防接種を受けたこと、また腸閉塞を起こしていたことは、たしかに事実だった。以下、要点を抜き出して事実を追っていくことにしてみる。

10月20日(木)
…マンボウ夫妻、羽根木公園に散歩に行く。

10月22日(土)
…インフルエンザの予防接種、しきりに「眠い、眠い」と言う。
…マンボウ氏だけ、娘の由香宅で夕食をともにする。刺身とエビフライ。
…夜、少しおう吐。

10月23日(日)
…朝、いつもと変わらない様子。
…昼食後、テレビを見ようとして、イスに座りそこねて床に倒れる。起き上がることができなくなる。
…夕方、救急車で東京医療センターに搬送されて、入院。
…午後6時半、由香、病院着。話すこともできて、顔色も良い。
…午後7時、孫が駆けつけた時、「大丈夫だよ」と言う。
…緊急性はないということだったので、家族は病院をあとにする。

10月24日(月)
…朝5時に、病院から容態急変の連絡。
…5時15分、血圧が下がり、心臓マッサージを行う。30分以上行っても効果はなく、家族の了承を得て、中止する。
…6時2分、死亡確認。

医師の説明によれば、見回りに行ったら心臓が止まっていたということだったそうだ。そして、その原因については、解剖してみないと分からないと言う。しかし結局、妻の喜美子は解剖を選択しなかった。ただ、娘の由香は、嘔吐物による窒息死だったのかもしれないという疑いを抱く。

『今でも思い出す。マッサージをされていた父の横には、入院した時に着ていた黄色いポロシャツが置かれ、嘔吐物がついていた。医者が入院した父をしっかり見ていてくれれば窒息死しなかったのではないだろうか。』

そして、父の傍にいれば、急変の様子に気づいたのに、とそのことを悔やむのだった。その通りだったのかもしれない。ただ、医者から緊急性はないと言われ、マンボウ氏も重篤であるようには見受けられなかったのだから、一安心して病院をあとにしたことを悔やんでも、それはもうせん無いことと言うしかない。人の死は、決まりごとのように、誰かの心に悔いを残してしまうものなのかもしれない。
 

posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年03月28日

上野公園の桜はまだか

広小路の方面から横断歩道を渡って上野公園に入ると、右側に立派な桜の木がある。交番のちょうど後ろのあたりだ。ここは南側に面していて、日当たりが良い。このところの春めいてきた日ざしを浴びて、満開となっていた。

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さらに公園の中に入っていくと、つぼみの状態の樹が多く、見頃になるのはまだまだ先のことと思われる。

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夕闇が迫り暗さを増してきた園内をさらに進んで行くと、やわらかい光を集めて、うすぼんやりと浮き上がっている場所があった。ちょうど清水観音堂の下のあたりだ。不思議なことに、そこの桜だけが、満開に近い状態で咲いていた。品種が違うのだろうか。

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お山を下って不忍池に向かうと、弁天堂へと続く参道の両側には、屋台が軒を接して立ち並び、花見客を迎える準備を急いでいた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年03月26日

ネコの総会

買い物帰りのこと、町内の駐車場の横を車で通ると、ネコが4匹集まって、なにやら相談をしている風情だった。以前我が家の庭に侵入して、密会していた二匹のネコもいる。ネコの集会と言えば、夜開かれることが多いはずだが、昼間に集まっているのは珍しい。

急いで家に帰り、カメラを持ち出して、集会の現場に戻った。ところが、すでに散会してしまったのだろう、ネコたちの姿は見えなかった。残念なことをしたと思いつつ、家の方へときびすを返した時、ブロック塀の上に一匹のネコがいることを発見した。密会していた現場を私に見つけられた、あのネコの片われだった。

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〔密会現場:2011年2月7日〕

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町内を縄張りとするネコたちも、年度末が近づいて、総会を開いていたのだろうか。
posted by 里実福太朗 at 00:17| 里ふくろうの日乗

2012年03月25日

町内会の総会

町内会の総会が昨日あった。年に一度、年度末のこの時期に行われる。今までは、夫人が出席するか、委任状を提出するかのどちらかで、当方が出席したのは過去一回か二回といったところだろう。それもずいぶんと前のことである。

総会が行われる地区の会館は、歩いて十分足らずの所にある。小雨降る中、記憶を頼りにたどり着くと、すでに多くの住民が席に着いていた。ほとんどが高齢の人だった。男性と女性の比率は、ほぼ2対3、未亡人が多いこの地区の状況を反映する数字だった。

会長をはじめとする役員は、年度ごとの持ち回りになっている。まずは、今年度の会長さんの挨拶、その冒頭、最近声がかれてきて、自分では精一杯声を出しているつもりだけれど、声が届きにくく、聞き苦しい点があるかもしれない、という断りの言葉から始まった。

活動報告は、会長さん御自ら行った。項目は、昨年度の総会から始まって、二ページにわたってビッシリと並んでいる。声がかすれてよく出ないというのに、会長さん、それを一つ一つ丁寧に説明しだした。一項目に要する時間を一分としても、ゆうに五十分はかかりそうなペースなのだ。

内容が聞き取れればまだしも、ところどころ聞き取りにくかったりすると、理解しようとする気力も失われてくる。
「後ろの方まで、聞こえますか」
と会長さんが確認すると、
「聞こえません」
と言う返事が返ってくる。声を張り上げて、
聞こえますか、ともう一度尋ねると、
「聞こえません」
と、同じ答えが戻ってくる。こうなると、「聞こえません」といった人が前の席に移った方がいいのだが…
たまりかねて、ある人が「もっと簡潔にお願いします」と言ってくれたおかげで、今度はかなり大胆に項目を飛ばして、またたく間に活動報告は終わった。

会長が、
「今までのところで、何か質問はありますか」
と言うと、
「ちょっと耳が遠いので、聞き取れなかったところがあるのですが」
と発言した男性がいた。そこで、会長が繰り返して説明する。発言者は、身を乗り出して聞き取ろうとしているが、顔を見れば分かっていないことは一目瞭然なのである。声がしゃがれてよく出ない人が、耳の遠い人に向かって説明しているのを、皆、ただ黙って見ているより仕方がなかった。

この会館のすぐ隣に、子供用の狭い公園がある。自分の子供がまだ小さかった頃、たまに子供を連れて遊びに来ることがあった。それから二十年以上が経って、現役を退いた今、当方もときどき声がしゃがれることに気づくことがある。おっつけ、耳も遠くなってくるかもしれない。そう思うと、先ほどのやり取りも、人ごとではないような気持ちにもなってくるのだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:47| 里ふくろうの日乗

春のことぶれ

週末ごとに、天気が崩れることが繰り返されたが、やっと春らしい日ざしが一日を通して射した。一時的に黒い雲が空を覆うこともあったが、好天に恵まれた日曜日だった。

庭のチューリップのつぼみが、だいぶ膨らんできた。隣家のアンズの花が、やっと五分咲き程度に開いてきた。外気はまだ冷たい。しかし遅まきながら、このあたりにもやっと春のことぶれが届き始めた。

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posted by 里実福太朗 at 21:37| 里ふくろうの日乗

2012年03月24日

江島神社

宿を引き払って、再び江ノ島に渡った。朝食前の散歩では、最初の大鳥居をくぐって少し歩いたところで、すでに7時半をまわっていたから、そうそうに宿に引き返したのだった。

先ほどとはうって変わり、「江の島春まつり」と染め抜かれたのぼりがはためき、参道は多くの参拝客で賑わっていた。急な階段を上るまでもなく、頂上まで楽に連れて行ってくれるエスカレーターもあると聞く。まだまだそんなものにはお世話になりたくはないから、果敢に急な石段を上っていくことにした。

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なんとか石段を上り切ると、予想もしない賑わいが待ち受けていた。高価そうな一眼レフを構えるカメラマンたちが列を成し、レンズの向こう側には、着飾った稚児たちが、カメラマンの注文に応じて笑顔を振りまいていた。正面には、立派な殿舎がどっしりと構えていた。これこそが江島神社の拝殿だろうと見当をつけ、歩み寄ってお参りした。

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見下ろせば、崖下には参道を歩む参拝客たちの姿が小さく見えた。かなり高いところまで上ってきたことは確かだ。お参りもすんで、さあ下山しようかと思ったが、何となく心に引っかかるものがある。お参りのすんだ参拝客たちの多くは、境内を抜けてさらに奥へと進んで行くではないか。

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徒然草に登場したあの仁和寺の法師なら、なぜなのだろうかと思っても、見過ごしてそのまま下山してしまったことだろう。不審に思った私は、立ち止まって考えた。大勢の人が奥の方へと歩を進めて行くのは、それなりの理由があるからだろう。早合点して、下山してしまわない方が良さそうだ。

辺りを見回してみると、都合良く説明版があった。それを読み、理由が分かったのだった。それには、こう記されてあった。

江島神社 三宮のご案内
辺津宮・中津宮・奥津宮の三宮を総称して江島神社と称す

三宮にお参りしないと、江島神社に参拝したことにならないということなのだ。たった今お参りしたのは、最初の宮_辺津宮だったのだ。危ういところで、仁和寺の法師の二の舞となるところだった。

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〔辺津宮〕
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気を取り直して、再び急な階段を上り始めた、と言いたいところだが、一度なえた心を復活させるのには時間がかかりそうで、心なしか足取りも重くなり、そうこうするうちに、エスカレーターの乗り場が見えたものだから、一も二もなく乗車券を買ってしまったのだった。

ちなみに、頂上に行くには、エスカレーターを三度乗り継ぎ、料金は350円である。二番目の乗り場から頂上までは、180円とほぼ半額となる。

〔中津宮〕
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〔奥津宮〕
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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

江ノ島の朝

紀伊国屋旅館での朝食は8時から、その前に散歩がてら江ノ島方面へネコを探しに行ってみた。かねてより、江ノ島にはネコがいると聞いていたからだ。

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さいわい雨は上がっていた。旅館前のすばな通りを進み、江ノ島弁天橋にさしかかる手前で、塾生の一人と出会った。聞けば、六時頃旅館を出て、江ノ島の上の方まで行ってきたということだ。
「ネコがたくさんいましたよ」
と教えてくれた。写真塾の講評会でネコの写真を提出することが多かったので、ネコ好きであるということを、認知してくれているのだろう。吹聴しておくということは、大切なことである。

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毎年恒例の「湘南江の島春まつり」が開かれる行われるということでから、かなりの人出があることだろう。しかし、朝の弁天橋を行き来する人は少なく、時おりジョギングする人が走り抜け、サーフボードを担いだ若者が、先を急ぐように早足で通り過ぎていった。

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posted by 里実福太朗 at 22:31| 里ふくろうの日乗

2012年03月22日

江ノ電

江ノ電は、江ノ島駅を出て少し走ると、急に視界が開ける。ちょうど滝口寺の参道入り口の辺りだ。そして二車線よりは少し広いだけの道路を、腰越駅までノロノロと進む。江ノ電が路面電車になるのは、この区間だけである。

江ノ島駅
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腰越駅
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学生時代の昔、たまに、飯田橋から神田_神保町まで、都電を利用して古書店をのぞきに行くことがあった。その当時の、都電がそこかしこを走っていた頃の光景に似てないことはないが、ただ道路の幅がまるで違う。

電車の軌道と車道・歩道とは、はっきりと区分けられていないから、運転手さんはいうまでもなく、通行する車も人も、注意を怠らないようにしなければならない。考え事などして歩いていると、背後から来る江ノ電にはねられてしまうおそれがある。ただそんな場合は、運転手さんが徐行して警笛を鳴らしてくれるとは思うが、運が悪ければ、電車をよけようとした車にはねられてしまうかもしれない。

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そんなことを心配していたら、志賀直哉の短編小説「城の崎にて」を思い出した。冒頭は以下のように始まる。

『山の手線の電車に跳ね飛ばされてけがをした、その後養生に、一人で但馬の城の崎温泉へ出かけた。』

実際に志賀直哉は、ここに書かれてある通り、線路のそばを歩いていたところを、後ろから電車にはねられてしまった。大正2年(1913年)のことだという。線路のそばを歩いていたということだから、線路と歩道との境目などはなかったのだろう。それにしても、いかにもドジな話ではある。

小説の最後では、
『三週間いて、自分はここを去った。』
と記されている。「城の崎にて」は、実体験に即して書かれた小説だから、城の崎温泉で三週間を過ごしのだろう。その間に体験したことがもとになって、生と死とを見つめ、名作と呼ばれる作品をものしたのだから、事故に遭ったことも無駄ではなかった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年03月20日

モノレール_湘南江の島駅から紀伊国屋旅館まで

昔の話になるけれど、会社勤めをしていた二十代の頃は、横浜に住んでいた。休みの日は、たまに湘南の海を見に行くことがあった。自宅近くのバス停から京急バスに乗って大船に出て、そこからはモノレールを利用した。終点の湘南江の島駅からは、左に江ノ電の江の島駅を見ながら、海岸に向かて一直線にのびる細い道を進んだ。昭和四十年代の頃だった。

一人きりで海を見るには、秋そして冬がふさわしい。海に向かう道の所々には、古びた写真館や旅館などがひっそりと佇んでいた。夏の盛りはとっくに過ぎて、道行く人は少なく、いっそうもの寂しい雰囲気を漂わせていた。

それからほぼ四十年が経つ。海に向かう道は、現代風に大きく変貌していた。それでも昔見た写真館は、生き残っていた。あの古びた旅館もまだ残っていたが、すでに営業はしていなかった。店先では、かつて海の幸などを供した食器類を並べて販売していた。廃業を決めたのだろう。

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一夜の宿となった「紀伊国屋旅館」も、歴史を感じさせる旅館だった。聞くところによると、創業は明治元年、五代百五十年の間、旅館業を続けてきたということだった。昔、まだ江ノ島に渡る橋がなかった時代には、この宿で島に渡る身支度を整えたという。出発の朝、玄関で宿泊客を見送る社長さんは、齢八十を数えると従業員の方から聞いた。

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〔翌朝〕

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年03月19日

上野のお山は桜の開花を待つばかり

湘南_腰越から千葉の佐倉までは、ゆうに三時間はかかってしまう。長居をしていると、どっとくり出した日曜日の行楽客の帰り時間と重なって、満員電車に揺られて帰ることになりかねない。美術塾と写真塾との合同合宿を少し早めに失礼して、江ノ電・東海道線・京浜東北線と乗り継いで、上野に着いたのは、午後四時を少しまわった頃だった。

雨もあがり、夕食に間に合うように帰るには、一時間ほどは上野で過ごす時間がありそうだ。今年は春の花の開花が軒並み遅れているから、上野のお山の桜も、まだまだその兆候はないに違いないが、様子見がてら散歩してみることにした。

JR上野駅から京成上野駅に向かう道すがら、大きな旅行用スーツケースをガラガラと引きずっていく人たちの中に、いつもより外国人が多かった。春の訪れと共に、外国人旅行者の数も増えてきているのだろうか。

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広小路方面から園内に入り写真を撮っていると、
「シャッターを押していただけないでしょうか」
と、クセのないきれいな日本語で話しかけられた。五十歳前後の人で、十人ほどの人たちが後ろにひかえていた。最年少は十歳前後の女の子、最高齢は八十歳ほどの老人、家の子郎等を引き連れて日本に観光に来たらしかった。

日本語を話せるのはその男性だけで、ほかの人が使っていたのは中国語のようだった。となると、シャッターを押す際のかけ声は、「チーズ」と言っても分からないだろうし、「イー・アル・サン」と言うのもいやだし、
「ワン・ツウ・スリー・はい…でシャッターを押しますよ」
結局、そうすることにした。皆、にこやかに笑って写真におさまった。そして、「ありがとうございました」
と丁寧なお礼の言葉を残して、そろって園内に向かっていった。

思い起こせば、去年の春は、東日本大震災直後で、花見のイベントを自粛するところが多かった。花見の名所ここ上野公園でも、震災・計画停電などに配慮するとして、お節介にも園内での宴会の自粛を呼びかける看板を設置していた。行政に言われるまでもなく、悲劇を体験した庶民は、心静かに桜を愛でる心性くらいは持ち会わせているはずなのだ。

こんなこともあった。例のナベツネ氏のことである。今年もプロ野球の開幕日まであと二週間を切ったが、計画停電に配慮して、パ・リーグは開幕日の延期を決めた。ところがセ・リーグは3月25日開幕を譲ろうとしなかった。さらに読売ジャイアンツは、東京ドームでナイターの試合を強行しようとした。その背景には、ナベツネ氏の横暴さがあったのだった。

上野公園の桜が咲くのは、かなり先のことになりそうだが、園内はすでに花見の準備が進んでいた。桜並木が続く大噴水へと通じる道の両側には、すでに提灯がつるされていて、あとは桜が咲いてくれるのを待つばかりになっていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年03月18日

ここは朝の江ノ島

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posted by 里実福太朗 at 09:28| 里ふくろうの日乗

2012年03月17日

雨の江ノ島

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こんな雨の日に
posted by 里実福太朗 at 15:04| 里ふくろうの日乗

日本橋…戦禍の跡

徒然草に登場する仁和寺の法師は、よくバカなことをしでかして、物笑いの種となることが多い。第五十二段に登場する法師もその一人なのである。この五十二段は、以下のように始まる。

『仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。』(「里実文庫第T期」より。以下同様)

この法師は、石清水に詣でるために一人で出かけた。初めての参詣だというのに、案内役を頼まなかった。

『極楽寺・高良かうらなどを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 』

極楽寺・甲良大明神は、男山という山の麓にある。この法師、麓の寺社だけを拝んで、これで長年の願いが果たせたと、さっさと帰ってしまったのだった。

『さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何ことかありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。 』

じつは、岩清水八幡宮は、男山の山頂にある。この法師は、そのことを知らずに、長年の夢が果たせたと喜んで、山頂の石清水八幡宮拝まずに帰ってしまうという失態を演じてしまったのだ。そこで、兼好おじさんは次のように教訓をたれる。

『少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。』

日本橋地域には、今までに何回も来たことがある。日本橋をはじめとして、周辺の観光スポットを、一人で歩いて写真を撮ったこともある。しかし今回、ガイドさんに案内されて歩きまわってみると、確かに兼好おじさんが言う通り、『先達(案内者)』は必要だと感じた。今までに足を向けたことのないような場所を訪れたり、あるいは今までに行ったことのある場所でも、新たな事実教えてもらったり、という具合だった。仁和寺の法師のことを笑ってばかりはいられない。

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日本橋を渡ったことは何回もあるが、日本橋の敷石に焼夷弾の跡が今でも残っていることは、今回初めて知った。ガイドさんに教えられて、足もとに目を落としてみれば、確かに敷石の一部が欠けていたり、茶色に変色したりしている箇所があった。ガイドさんによれば、それが焼夷弾が落ちた痕跡ということなのだ。修理しようという話もあったそうだが、結局残しておくことになったそうだ。東京のど真ん中の日本橋に、今なお戦争の爪痕が残っている。

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さらに鮮明な焼け焦げた痕跡があった。ガイドさんに伺うと、首をかしげていたから、焼夷弾の跡ではないのだろう。たしかに新しいもののようだった。しかし、どうしてこんな所に焦げ跡が残っているのだろうか。

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posted by 里実福太朗 at 01:11| 里ふくろうの日乗

2012年03月16日

日本橋のまち歩き

千葉県東方沖を震源とする最大震度5強の地震があった日、写真の会の集まりがあった。今までは会って・食べて・飲んでの集まりだったが、今回は幹事さんの発案で、ボランティアガイドをお願いして、日本橋界隈のまち歩きとあいなった。一汗かいた後は、いつものごとく乾杯、予定している場所は築地ということだった。

ガイドさんは、中央区文化財サポーター協会から派遣されたそれなりに歳を重ねた女性だった。銀色に輝くサングラスをかけ、スニーカーを履き、背筋をピンと伸ばした姿からは、いかにも健脚という印象が伝わってくる。

【中央区文化財サポーター協会】
協会には、中央区の養成講座を修了した人が、まち歩きボランティアガイドとして認定・登録されている。中央区の史跡・旧跡・名所などの見どころを中央区の史跡・旧跡・名所などの見どころを見て回る際、協会に申し込めば、認定ガイドさんに案内していただくことができる。

〔申込方法〕
○3人以上のグループ
○10:00から16:00間で、一回り2時間程度
○費用は300円/人
○利用日の3週間前までに、TELまたはFAXで申し込む

おすすめコースは、8つ用意されているが、それ以外のコースの希望があれば、問い合わせれば可能になる場合もあるそうだ。

今回我々が依頼したのは、基本中の基本の「江戸東京400年のルーツを歩く〜日本橋編〜」というコース、ただしカメラでパチリパチリと撮りながらの散策、おまけに、それぞれが興味の赴くままに寄り道をするものだから、予定されていたコースの全部を回りきることはできなかった。ガイドさんは、たぶんやりにくくて、ストレスがたまったことだろう。

■集合場所…コレド日本橋

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posted by 里実福太朗 at 23:00| 里ふくろうの日乗

2012年03月14日

千葉県東方沖を震源とする震度5強の地震

成田方面に向かって走っていた電車が急停車した。急停車の反動なのか、車体がユラーリユラーリと揺れ続けている。急停車の反動で、これほどの揺れが発生するものだろうか、それに左右の揺れなのだ。電車は止まったまま動かない。しばらくして揺れは収まった。かなり大きな揺れだった。

車内アナウンスが、地震が発生したため急停車した理由を伝えた。やはり地震だったのだ。揺れの大きさからすると、かなり大きな地震のようだった。車内は意外と静かだった。ケータイやスマートフォンの画面に見入っている人が多い。

私もスマートフォンで、「地震速報」を検索してみた。アクセスが集中してなかなか繋がらないかもしれないと思ったが、案外早く地震情報が表示された。

発表日時:14日21時16分
発生時刻:12年03月14日21時05分

○震央のおおよその位置
千葉県東方沖
深さ10キロメートル
○地震の規模
M6.1
○地点震度情報
〔震度5強〕
神栖市波崎、銚子市若宮町





佐倉市は、震度4だった。久しぶりの震度4だった。家にメールを送ったが、こちらもすんなりと送信できた。

停車している場所は、よく分からなかった。京成沿線の風景は飽きるほど見てきたが、見当がつかなかった。そのうち電車は、ノロノロと動き出した。車内アナウンスによれば、安全が確認されるまで、徐行運転を続けるということだった。

電車が動き出して、すぐに「京成中山駅」を通過した。そして9時34分、八千代台駅まで安全が確認されたので、通常の運転に戻るというアナウンスが入った。

千葉県東方沖を震源とする震度5強の地震が発生してから、24時までの間に、千葉県東方沖を震源とする地震が以下のように頻発している。

21時05分 千葉県東方沖 M6.1

21時16分 千葉県東方沖 M3.1
21時25分 千葉県東方沖 M3.7
21時27分 千葉県東方沖 M3.7
21時29分 千葉県東方沖 M3.6
21時40分 千葉県東方沖 M3.1
21時58分 千葉県東方沖 M3.2
21時59分 千葉県東方沖 M3.7
22時25分 千葉県東方沖 M3.4
22時28分 宮城県沖 M4.0
22時29分 千葉県東方沖 M4.5
22時52分 千葉県東方沖 M3.4
23時37分 千葉県東方沖 M3.2

21時16分の地震の余震なのかもしれないが、今までこのように連続して発生することはなかっただけに、なんとなくいやな感じがする。今後、千葉県東方沖が落ち着いてくれることを祈り、地震への備えを怠りなくしておくことにしよう。

posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年03月12日

311大地震の前兆

「tenki.jp」で、2011年3月11日14:46分以前に発生した地震を確認してみればすぐ分かることだが、三陸沖を震源をとする地震が、3月9日から頻繁に発生していたのだ。

3月9日11時45分に震度5弱のかなり大きな地震が発生して以来、あの大地震発生までの間、なんと30回も三陸沖を震源とする地震が発生していた。これはかなり異常な状態と考えた方がよかったのではないだろうか。いまから思えば、ということになるけれど、素人目にも大地震発生の確率が高まっていることが強く感じられるデータだ。

地震学の専門家は、この異常な地震発生状況をどう捉えていたのだろうか。

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(データは、「tenki.jp」より)
posted by 里実福太朗 at 01:16| 里ふくろうの日乗

2012年03月11日

一年後の三月十一日

午後2時46分、去年は映画館で、今年は自宅で。

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【地震情報 2011年3月11日 15時1分発表】


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久しぶりで青空がのぞいた午後、買い物帰りに立ち寄った里の白梅は、まだ二・三分咲きだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:11| 里ふくろうの日乗

2012年03月10日

新聞投稿『この地で生きたいから「減染」』の問題点

朝日新聞の「声」欄(2012年3月10日)に、『この地で生きたいから「減染」』と題する投書が載っている。投稿者は千葉県佐倉市に住む40代の女性である。その投書の中で、投稿者自身が住む地域の放射能汚染の状況について、以下のように述べている。

『私が住む地域は福島から距離はあるが、国から助選の財政支援が受けられる「汚染状況重点調査地域」に指定されている。近所の人たちと定期的に家の周りの放射線量を測定しているが、指定の条件である毎時0.23マイクロシーベルトなどという数字は簡単に超えてしまう。』

私だけではなく、佐倉市在住の人の多くは、一読して、説明に言葉足らずな面があり、佐倉市全域で高線量が測定されているという誤解を引き起こすおそれがあると危惧したのではないだろうか。

確かに、測定結果が佐倉市で定める対策目標値(毎時0.223マイクロシーベルト)を上回った地域・施設は存在する。ただし、それは佐倉市内の限られた地域であって、佐倉市の多くの地域では投稿者が言うような『毎時0.23マイクロシーベルトなどという数字は簡単に超えてしまう』という状況にはなっていない。

汚染状況の実態については、佐倉市が継続的に行ってきた調査で明らかになっている。佐倉市の公式ウェブサイトに掲載されている「除染計画の改訂について」では、以下のように記されている。

『調査の結果、緊急実施基本方針において、市町村が除染計画を策定する必要がある「追加被ばく線量が概ね年間1から20ミリシーベルトの間の地域」に該当する場所があることが判明しています。
 また、全体的な傾向として、市の西部地域の空間放射線量が比較的高い傾向があることが分かっています。
 放射性物質は雨水などの影響により偏在し、局所的に線量率の高い所があるといわれており、詳細な調査が必要となることが予想されることから、これまでの調査結果を参考に、よりきめの細かい調査を実施していく必要があります。 』

◆除染計画の改訂について
(最終更新日:2011年(平成23年)12月1日)
http://www.city.sakura.lg.jp/012543000_kankyohozen/osirase/jyosen_housyasen_kai2.html

市の調査結果を参照して推察すれば、投稿者のお住まいは佐倉市の西部の地域ではないかと思われる。線量が周辺よりも比較的高く、不安な日々を過ごしていらっしゃると想像する。それでもなお、佐倉の地で生きていきたいともおっしゃっている。同じ佐倉の地であっても、こういう差違が生じる現実に、放射能汚染の不条理さを思わざるを得ない。

空間線量以外の汚染状況の調査も、継続して行われている。以下に、水道水・ごみ焼却処理施設から排出される飛灰等・原料汚泥及び肥料に関する測定データへのリンクを設けておく。いずれの測定においても、放射性物質は不検出あるいは基準値以下という結果になっている。

◆佐倉市内の水道水中の放射性物質の測定結果について
…平成24年3月6日午後00時20分現在

【3月5日採水分】
(単位:ベクレル/kg)

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〔出典〕
http://www.city.sakura.lg.jp/suido/jigkanri/original/news/sokuteikekka.htm

◆佐倉市、酒々井町清掃組合ごみ焼却処理施設から排出される飛灰等の放射性物質の測定結果について
(最終更新日:2012年(平成24年)3月6日)

『佐倉市の家庭ごみなどを処理している佐倉市、酒々井町清掃組合(酒々井町墨)では、ごみ焼却処理施設から排出される飛灰、不燃残渣、排出ガス及び放流水について、平成24年2月17日に採取を行い、放射性物質の測定を行いました。その結果、飛灰及び不燃残渣とも、環境省の基準値8,000ベクレル/sを下回っていました。また、排出ガス及び放流水については不検出でした。』
〔出典〕
http://www.city.sakura.lg.jp/haiki_taisaku/osirase/osirase_sokuteikekka.html

【測定結果】
佐倉市、酒々井町清掃組合のホームページ
http://www.ss-seisou.jp/010/housyanou.pdf

◆印旛衛生施設管理組合における原料汚泥及び肥料についての放射性物質の測定結果について
(最終更新日:2012年(平成24年)3月6日)
〔出典〕
http://www.city.sakura.lg.jp/haiki_taisaku/osirase/osirase_innbaeisei.html

『佐倉市市内のし尿、浄化槽汚泥を処理している印旛衛生施設管理組合(佐倉市宮本)では、し尿等を処理し肥料として再生していますが、このほど原料汚泥及び肥料について放射性物質の測定を行いました(2月16日測定分)。
その結果は下表のとおりであり、放射性セシウム濃度は、原料汚泥39ベクレル/kg、肥料171ベクレル/sでした。いずれも、農林水産省の基準値(原料汚泥200ベクレル/kg、肥料400ベクレル/s)を下回っていました。』

【測定結果】最新測定日:H23.2.16
印旛衛生施設管理組合のHP
http://www.inba-eisei.jp/download/houshasei.pdf
posted by 里実福太朗 at 15:33| 里ふくろうの日乗

2012年03月07日

白馬雪どけ米「ゆめしなの」

写真展「人間漂流」は、今日が最終日だった。今日行かなければ見損なってしまうから、花粉症発症のリスクは承知の上で、花粉が舞い踊る中、神楽坂アユミギャラリーへと出かけたのだった。

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ネコの写真が二点、イヌの写真が三点あった。どうしても、そちらの写真に目がいってしまう。イヌ・ネコもそれぞれ、写し方もそれぞれで、勉強になりました。

写真展を見ての帰り、神楽坂を少し下ると、とある店の店頭でお握りを販売していた。
『おにぎり 一個50円』
その張り紙を見て足が止まった。そばにいた店の人が、
「50円のおにぎりは、売り切れました。こちらは100円です」
と言って、ワゴンの中に残っていた4個のおにぎりを指した。コンビニのお握りよりは安いけれど、スーパーでは68円で売っていることもある。買おうか買うまいか思案していると、店の奥からいかにも威勢のよさそうな人が出てきて、
「50円でいいよ」
と言ったものだから、すぐさま残りの4個を買い求めてしまった。

なんでも『信州白馬の雪融け水が育んだ奇跡の極上稀少米』で握ったおにぎりなのだそうだ。そこで、長野の方からいらっしゃったんですかと尋ねると、友人が長野で米作りをしていて、依頼されて販売しているということだった。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

今日は花粉症記念日

気象庁とNPO花粉情報協会が花粉飛散情報の発表を始めたのが、1993年(平成5年)の今日、その日にとうとう花粉症がやってきた。

久しぶりで暖かい日だった。風も吹いていたから、今日は花粉が飛ぶだろうなと思って、マスクをして家を出た。バス停で待っている時、鼻がムズムズし出した。クシャミが連続してでた。そして鼻水が出始めた。目のかゆみは感じなかったが、紛う方なく花粉症の症状だった。

花粉症記念日に花粉症を発症するとは、余りにもできすぎた話ではないか。今日は、二重の意味で、花粉症記念日となったのだった。
posted by 里実福太朗 at 23:30| 里ふくろうの日乗

2012年03月03日

紅梅は五分咲き

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posted by 里実福太朗 at 23:10| 里ふくろうの日乗

2012年02月29日

雪が降ってる

ここ佐倉地方でも、早朝から雪が降り始め、今(13時50分頃)も降り続いている。

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posted by 里実福太朗 at 12:53| 里ふくろうの日乗

2012年02月15日

インフルエンザが流行っている

息子が、インフルエンザにかかった。ちょっと鼻声だなと思ったのが日曜日のこと、月曜日は出社したが、勤務時間中に倦怠感を感じて、勤務地近くの病院でみてもらったところ、インフルエンザだと言われたという。会社を早退して、まだ陽が高い時に帰ってきた。

同じ屋根の下にインフルエンザの患者を抱えていると、いろいろと気をつかう。病人のことは言うまでもなく気がかりだが、同時に、感染力の強い病原体から我が身を守ることにも気をつかう。家の中でもマスクをして、うがい・手洗いを励行して、飛沫感染を防がなければならない。幸いにして、今のところ感染の兆候はない。

息子がクリニックで処方してもらった薬は、あの「タミフル」だった。以前、タミフル服用後、異常行動を発現して、転落などの事故が発生して問題となったことがあった。因果関係は不明とされているが、事故に至った人のほとんどが未成年であったことから、原則として十歳代の患者には投与しないとされているそうだ。

社会人となったとはいえ、息子はまだ二十代、薬の影響には個人差があるはずだから、念のため様子を注視していた。タミフルを服用してから三日目、その間、例えば、うわごとを言ったり、意識がぼんやりしたり、けいれんを起こしたり、あるいは、腹痛・おう吐、ジンマシンが現れるなどといったことはなかった。ひとまずは安心というところだろう。

今日はほぼ平熱に下がり、倦怠感も薄れてきたということだから、職場復帰の可否を確かめるため、近くの医院に行き診察してもらった。明後日には普段の生活に戻れるでしょう、という診断だった。しかし、ウイルスの感染力は、まだ何日かは残るそうだから、出勤して菌をまき散らすより、家で静養していた方が良いのではないかと思うが、仕事のことを考えると、そういうわけにもいかないかもしれない。ここは、本人の判断に任せるより仕方がない。
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年02月12日

工場夜景ツアー

近ごろは観光ツアーが大はやりで、かく言う当方もいろいろなツアーに参加してきた。しかし、工場地帯の夜景を見るツアーは、初めての経験だった。

この工場夜景ツアーは、写真塾の講座の番外編として企画されたものだった。平日ゆえ勤めを持っている人は、参加するのは難しい。結局、発起人の写真塾講師の先生を含めて9人が参加することになった。さらに一般の人を加えて、船に乗り込んだ人は総勢20名ほどになった。

出航は横浜港の大桟橋埠頭ビルから午後8時、約90分かけて川崎港まで往復して、京浜運河沿いの工場夜景を見学する。利用船舶はサンタ・パルカ号、以前、羽田空港の新滑走路を建設する際、工事関係者の送迎に利用された交通船ということだ。

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2月に入ってもまだ冷気に包まれる日が続き、夜ともなればよりいっそう冷え込む。人間の防寒対策はもちろんのこと、講師の先生からは、カメラも防寒対策した方がよいというアドバイスがあった。寒いと、バッテリーのもつ時間が短くなるからだ。

ライトに照らし出されて、漆黒の闇の中に浮かぶプラント群の、無機質な輝きには感興がそそられるが、横浜港の湾内から望み見る「みなとみらい」の夜景も、高所から眺めおろす夜景とはまた違った趣があって、目を奪われる。

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【工場夜景探検ツアー】
http://www.keihinferry.co.jp/event/factory.html




posted by 里実福太朗 at 23:55| 里ふくろうの日乗

2012年02月11日

梅のつぼみ、ほころぶ

佐倉地方では、梅のつぼみが、やっとほころび始めた。昨年の1月26日に同じ地区で撮影した写真を見ると、すでに6〜7分咲き程度にはなっていた。今年は2週間ほど遅れている。

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〔2011年1月26日撮影〕
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昨日、都バスに乗って湯島天神の前を通った時、「梅まつり」の看板が出ているのを見かけた。しかし、車内から見える境内には、梅の花がまったく見えなかった。梅の花に彩られない「梅まつり」というものは、もの寂しさだけをつのらせる。

湯島天神の梅は、本殿横の早咲きの梅が、2月11日に1本だけが咲き始めたそうだ。例年より1〜2週間遅めという。

【湯島天神】
〔開花状況〕
http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/ume/f_kaika.htm
 
posted by 里実福太朗 at 23:50| 里ふくろうの日乗

2012年02月01日

スイセンが咲き始めた

年が明けてからしばらくは、日の移ろいがゆっくり進むように感じられたが、一月の末に近づくにつれて、日めくりカレンダーがぱらぱらと音をたて始め、あれよあれよという間に二月を迎えてしまった。

今日の佐倉地方は、日中の気温が10度を超え、南西の強い風は吹いたが、室内にいれば日差しの暖かさが感じられる一日だった。外気はまだまだ冷たいが、陽の光は、日一日と輝きを増しているように感じられる。日本海側の豪雪の映像が頭をよぎると、なんだか申し訳ないような気分にはなるが、太平洋側には大地震の心配が取りざたされているのだから、日差しに恵まれているからといって手放しでは喜べない。

庭のスイセンのつぼみが、やっとほころび始めた。
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posted by 里実福太朗 at 17:59| 里ふくろうの日乗

2012年01月31日

「大辻」画像の更新

更新した画像は、以下のものです。

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この「大辻」には、舌が二枚あった。

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2012年1月25日の【佐倉市井野の「辻切り」】の記事の写真も、今年のものに更新しておきました。

【佐倉市井野の「辻切り」】

posted by 里実福太朗 at 23:51| 里ふくろうの日乗

未確認飛行物体?

■未確認飛行物体?
「大辻」の写真は、八体のすべてをこのブログに掲載したが、その中で一体だけは去年撮影した写真を利用した。しかし、それでは統一性を欠くので、改めてその「大辻」を撮影してきた。

撮影に行く途中、高層マンションにまとわりつくように浮かんでいる飛行物体を目撃した。その飛行物体は、自らの力で飛行することはできないようで、風に吹かれるまま左に右に向きを変えながら漂っていた。

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アドバルーンなのだろうか。しかし、宣伝文句は見えないから、広告用のアドバルーンではあるまい。それでは何を目的として飛んでいるのだろうか。

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雲をお供に飛ぶ姿は、なかなか優雅なものだった。

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posted by 里実福太朗 at 22:56| 里ふくろうの日乗