2011年01月18日

西荻窪フォト散歩

今朝テレビをつけたところ、ちょうど「ちい散歩」をやっていて、地井さんが自転車屋さんに立ち寄った場面が流れていた。昨夜サッカーの試合を見て、チャンネルがそのまま10(まだアナログなんです)になっていたんでしょう。散歩の場所は西荻窪、なんという偶然でしょうか、西荻窪といえば先週の土曜日、神楽坂写真塾の撮影会で歩き回ってきたところなです。

撮影会で歩いたコースは、講師の北田さん選定のスペシャルコースだったが、地井さんはどんなコースを歩いたのか、比べてみようと番組のウェブサイトで確認してみると以下のようになっていた。

〔ちい散歩コース〕
八百松→なずな屋(古本)→アロー・トレイディング(オリジナル自転車)→坂の上のけやき公園→物豆奇(喫茶店)


一方、塾生たちが歩いたコースは以下の通りで、共通しているのは「坂の上のけやき公園」だけだった。

〔北田スペシャルコース〕
JR西荻窪駅

伊勢屋美術(ギャラリー寿庵)

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外観は高価な骨董品を扱っているお店にいかにも似つかわしく、カメラバックをたすき掛けにして、さらに小型リュックを背負っている身では、店内の貴重な品を傷つけるおそれがあり、入口から店内を覗き込むだけにとどめておいた。

伊勢屋さんの旦那さんは、西荻窪の商店会会長をなさっていて、日夜、町の活性化に奔走されているそうだ。吉祥寺と荻窪に挟まれ、土・日・祝日には快速電車が止まらないという立地条件を、街の活性化を妨げる要因としてとらえるのではなく、逆にそういう町の特性を良い方向に伸ばし、温かみを感じることのできる町づくりをしていきたいとあつく語っていらっしゃった。

私が生まれ育った吉祥寺は、すこし繁華になりすぎた。毎日がお祭りのようでは、いつもせき立てられているような感じで、ゆったりと歩いて回ることもできず、せっかく訪れても人波の印象だけが残ってしまいそうだ。会長さんのお話をうかがってから町を一巡りしてみて、立地条件をを逆手にとってうまく利用すれば、西荻窪は吉祥寺とは違った落ち着いた温かみのある町としてさらに発展する可能性を秘めていると感じた。

アトリエベガ(町の鍛冶屋さん)

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アトリエの中に入り、実際に溶接作業をしている様子を見学させていただいた。

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骨董通り

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同潤会住宅あたり

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善福寺川

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坂の上のけやき公園(トトロの樹)

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一時期伐採の憂き目に遭いそうになったこともあるらしく、その時は保存の署名運動がおこり、なんとか伐採されることは免れたそうだ。その後、現在のように整地されたということだ。以下のページに、以前の状態が分かる写真が掲載されている。ちなみに「アジェ」とは、古いパリの姿を写真にとどめた写真家のアジェ、「謎の書庫」とは荒正人氏の書庫ということだ。

トトロの樹とアジェの小屋
トトロの樹と謎の書庫

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茶舗あすか(駅前案内所)

JR西荻窪駅

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西荻窪駅に戻ったころ、町にはあかりが灯り始めていた。他にも足を止めた場所はあったが、主だった立ち寄りスポットはざっとこんなところだった。




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2011年01月14日

岡本太郎のアトリエ

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岡本太郎記念館のある南青山の地は、1996年に岡本太郎さんが84歳で亡くなるまでの生活の場であり、そして創作の場でもあった。さかのぼれば、岡本一平・かの子夫妻が暮らした場所でもある。旧居は、戦火により灰燼に帰したということだ。

記念館の一階の東南の端にあるアトリエは、現在も公開されている。たぶん使用されていた当時と同じ状態のままなのだろう。中にまで入ることはできないが、入口のところから部屋全体の様子を眺めわたすことができる。

主を失うのと同時に、アトリエの空気まで死に絶えてしまったかのように、ひっそりと静まりかえっていた。「芸術は爆発だ」と叫ぶエネルギッシュな太郎さんの姿が印象に残っているが、そういう姿を目の前の空間から想像するとことは難しい。

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今年は岡本太郎の生誕100年、3月8日から5月8日まで東京国立近代美術館で「岡本太郎展」予定されている。
 
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2011年01月13日

岡本太郎記念館

地下鉄「表参道駅」からゆっくり歩いて10分ほど、骨董通りを北に一本入った通りに「岡本太郎記念館」がある。

一昨年のヨーロッパ旅行の際に立ち寄ったルーブル美術館では、自由に写真撮影ができた(フラッシュは不可)が、日本では禁止している美術館が多い。ところが「岡本太郎記念館」では写真撮影ができるということを耳にして、そのうち行ってみたいと思っていた。

恵比寿ガーデンプレイスに行った日、ばかにならない交通費を有効活用するために、「つゆ焼きそば」を食べたあと青山まで足をのばして、「岡本太郎記念館」を訪れてみたのだった。



岡本太郎記念館のウェブサイトの解説によれば、壁の上に凸レンズ形の屋根がのっているユニークな建物は、ル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉準三の設計によるものだそうだ。

ル・コルビュジェといえば、建築界ではその名を知らない人はいないというほどの偉大な建築家らしい。ただ私がその名を知ったのは神楽坂写真塾に入ってからで、講師の北田英治さんが写真を撮り下ろした「ル・コルビュジェのインド」でその建築家の存在を知ったのだった。

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観覧料は600円。チケット売り場の係りの人が、こちらが訊ねる前に撮影可であることを伝えてくれた。多くの美術館が撮影不可としているのに、どうして許可しているのだろうか、そこにはどういう意図があるのだろうか、岡本太郎さんがそうするようにと言い残したのだろうか、出かける前はそのことを訊ねてみようと思っていたのだが、すっかり忘れてしまった。

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敷地内のカフェ

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posted by 里実福太朗 at 23:46| フォト漫歩計

東横線5000型第1号車両

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渋谷ハチ公前広場に設置されている東横線の車両は、昭和29年に登場した5000型の第1号車、昭和45年まで東横線を走った。

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運転席のフロントガラスから広場の先に視線をのばすと、スクランブル交差点を行き来する人波が見える。

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2011年01月12日

つゆ焼きそば

社員食堂は12時を過ぎれば混み合う。11時半ごろには恵比寿ガーデンプレイスに着きたかったが、家を出るのが予定していた時刻より少し遅くなってしまって、着いた時は12時を回っていた。案の定、たいそうな混みようで、ネクタイを締めたサラリーマン諸氏が、広い店内を埋めていた。

お目当ての「つゆ焼きそば」は、560円だった。プリぺイドカードの残金は540円、新たに1000円をチャージした。

いただきます

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麺がツユにひたっていれば、ラーメンとなるはずだが、一口すすったその味は、焼きそばのそれだった。あげ玉がたっぷりとかかっていて、たぬきソバも連想させる。いっそのこと「たぬき焼きそば」としてしまった方がいいかもしれない。

焼きそばをつゆに浸す必然性は…そんなことは考えても仕方がない、おいしければそれでよい。おいしいのかそうでないのか、その点は微妙なところかもしれないが、戦後の食料難の時代に生まれ育った者には、なんでもおいしく感じられてしまう。ラーメンを食べようか、それとも焼きそばにしようか、どっちつかずで迷ったときは、どっちつかずの「つゆ焼きそば」を食べればいいのだ、ということにしておこう。

ごちそうさまでした

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「グラムデリ」のコーナーには、先日初めて利用した際、勝手が分からずまごまごしていた私に、丁寧に利用方法を説明してくれた親切なオバさんが、今日もいた。コーナーの前を通る時、こちらを見てニコニコしているので、
「先日はありがとうございました」
と礼を言っておいた。また写真博物館に来た時、利用させていただきますよ、そんな意味を込めて。

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受験シーズン

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京成電車の車内にて

 
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2011年01月08日

ガーデンプレイス「エスパシオ」の来週のメニュー

恵比寿ガーデンプレイスタワー3F「エスパシオ」の来週(1月11日〜14日)のメニューです。

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「グラムデリ」のバイキングでは、「1」で終わる日は1.2円/1gが1.0円/1gになる。来週は、1月11日(火)がそのサービスデーに当たる。

またラーメンコーナーでは、12日水曜日のメニューが「つゆ焼きそば」、近ごろ汁に浸った焼きそばをだす店があるそうだが、そういった種類の焼きそばなのだろうか、ちょっと興味が引かれる。

posted by 里実福太朗 at 17:55| フォト漫歩計

2011年01月07日

昼食はガーデンプレイスの「g-DELI(グラムデリ)」で

恵比寿ガーデンプレイス内には、もちろんレストランはあるのだが、館内案内板にのっている店は、いづれも高級店の雰囲気が漂っていて、庶民的な店を好む者にとっては敷居が高い。

さてどうしよう、と思案しながら歩いていると、偶然「g-DELI(グラムデリ)」という店の看板を見つけた。西新宿の「Organic House」と同じシステムの店のようだが、こちらは1gが1.2円となっていた。「Organic House」は10g28円だから半額以下だ。さらにこちらはグラム単位なのだ。

「g-DELI(グラムデリ)」は、ガーデンプレイスタワー3階の「エスパシオ」内にある。ところが、恵比寿ガーデンプレイスのウェブサイトには載っていない。「エスパシオ」が商業施設ではなく、社員食堂という性格の施設であることがその理由のようだ。社員食堂ではあっても、もちろん一般の人も利用可能である。

「エスパシオ」内には、和食・洋食・中華を提供するコーナーがあり、「g-DELI(グラムデリ)」もそのコーナーの一つである。あらかじめ入口でプリペイドカードを購入し、すべてのコーナーでの支払いは、プリペイドカードで行う。最初はとまどったが、お金のやり取りをしなくてすむので、かえって清潔で便利である。

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和洋中を取りそろえて、しめて460円だった。1gが1.2円でこの値段だから、西新宿の「Organic House」では1000円を超えてしまうことになる。そういうことなんだナー。

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恵比寿ガーデンプレイスなう

SNC00351.jpg今年に入って初めての都心、写真美術館のある恵比寿ガーデンプレイスに来ています。
posted by 里実福太朗 at 14:18| フォト漫歩計

2010年12月29日

西新宿「Organic House」

2010120056.jpg「お正月を彩る」展を観る前に昼食をとろうと思って、京王プラザホテル周辺を歩いてみたが、気軽に入れて手頃な値段の店がなかなか見当たらない。新宿駅まで戻れば適当な店はあるのだろうが、引き返すのも面倒だ。もう少しねばって探してみたところ、京王プラザホテルの向かいのビルの前に「55HIROBA」という広場があり、その奥に「Organic House(オーガニックハウス)」という店があった。


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この店のシステムは、いわゆるビュッフェスタイルなのだが、すこし違った点もあった。並べられた料理の中から、自分の好み・腹具合に応じて自由に選ぶことができる点は、一般的なビュッフェスタイルと同じなのだけれど、料金システムが違っていて、一方が定額制であるのに対して、こちらは従量制なのだ。つまり選んだ料理の総重量で値段が決まるのだ。

並べられているお総菜のすべてが、10グラムあたり28円の均一料金だった。普通のビュッフェでは、料理を欲張って取りすぎて食べ過ぎる傾向があるが、量に応じて金額が決まるのであれば、腹具合とよく相談して慎重に料理を選び量の加減をすることになる。なかなか合理的なシステムであると言えるだろう。

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店に入ったとき、店員さんから、
「初めてですか」
と訊かれ、そうだと答えたら上記のような説明をしてくれた。ただその時は、じっくり品定めするのはちょっと面倒だなという気持ちがあり、そのシステムを試してみるのはまたの日ということにして、できあいの「スープカレー」(500円)を注文した。

こういうシステムを好むのは年寄りなのかなと思っていたら、あとから若者も店に入ってきた。その若者が料理を選んで、近くの席に来て腰をおろした。あまりジロジロ見るわけにもいかず、チラッと見たところでは、白米に味噌汁、そしてサバの味噌煮らしきもの、そして何かの肉・野菜をプレートにのせていた。
posted by 里実福太朗 at 23:45| フォト漫歩計

2010年12月28日

塊魚、新宿のホテルに現る

京王プラザホテルで開催される「お正月を彩る展」は今日が初日、さっそく新宿まで出かけて観てきた。西新宿に降り立つのは久しぶりのことで、林立する高層ビルはもう物珍しい存在ではなくなっているのだろうが、久しぶりのことゆえどうしても見上げてしまう。

〔京王プラザホテルと都庁〕
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神楽坂のアユミギャラリーで見たあの「塊魚」が出品されているかどうか、その点にも興味があった。エントランスを入り、エスカレーターに乗って3階に着けば、そこが展示会場のあるロビーだった。

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展示会場の広い空間の中、ポツンと置かれたテーブルの上に塊魚がいた。アユミギャラリーでの作品展の時は、塊魚たちは体中から強烈なエネルギーを発していて、それが部屋中に充満していた。

しかしロビーギャラリーの二体の塊魚たちは、ホテルのロビーという大海に投げ出され、やっとたどり着いた孤島に身を寄せて、なんとなく途方に暮れて空を見上げているかのように見受けられた。

展示される場所によって、こうも印象が大きく変わるものなのだろうか。いろいろな場所に塊魚たちを置いて、見比べてみるのもおもしろいかもしれない。

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塊魚以外の作品も展示されていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:55| フォト漫歩計

2010年12月27日

ドイツ村の観覧車から富士山を望む

スマートフォンで撮った富士山の写真は、ぶれてしまって失敗。そこで、デジイチで撮った写真を載せておきます。

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posted by 里実福太朗 at 23:50| フォト漫歩計

観覧車から

SNC00335l.jpg富士山が見えました。
posted by 里実福太朗 at 18:23| フォト漫歩計

ドイツ村ナウ

SNC00330b.jpgだいぶ日が影ってきました。人も増えてきました。
posted by 里実福太朗 at 15:49| フォト漫歩計

ドイツ村

SNC00328b.jpg天気はよいけれど、風が冷たい。
posted by 里実福太朗 at 14:26| フォト漫歩計

2010年12月26日

銀座で450円のラーメンを食す

何日か前のこと、ブリヂストン美術館で「セーヌの流れに沿って」展を観たあと、中央通りを銀座方面に向かって歩き、伊東屋で必要な文具を買い求めた。用事をすませて伊東屋を出た時は、もう3時近くになっていた。

いつものようにセルフサービスのコーヒー店で、サンドイッチでも一緒に求めて済ませようかとも思ったが、いつも同じでは能がない。気軽に入れて、値段は高くなく、味もある程度満足できる店はないかと、中央通りを渡って歩くことほんのわずかな交差点、左右を見渡す左側に、高級店が建ち並ぶ銀座には不似合いな中華料理店が目に入った。

足は自然にその店に引き寄せられていき、店の前の看板を見れば、「ラーメン450円」となっていた。今どきそれも銀座で、500円でお釣りがくるとは希有なことだ。ためらうことなくその店に入ったのだった。

店内はいたって狭く、四人掛けのテーブルが3卓、カウンター席が5・6脚だった。店は狭いのに、調理場には3人、店内サービス担当が二人、合計5人をそろえるのは、昼時には大混雑となるのは必至で、それに備えてのことなのだろう。サービス担当の店員さんは高齢の男女で、ご夫婦なのかもしれない。

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席に座ると、間髪を入れずに水の入ったコップが目の前に置かれ、さらに新聞を持って来てくれるという心配り、コップの水が残り少なくなると、待ってましたとばかりに足してくれるという具合にサービス精神満点だった。お昼時はとうに過ぎ、店内には客が3人だけだった。その3人もすぐに出て行った。

注文したのはラーメンとギョウザ、ラーメンは素朴な醤油味、ギョウザは中身がたっぷり詰まった少し小ぶりなものが、皿に6個のっていた。後で分かったのだが、3個の半ギョウザというものもある。

店の名前は「中華西銀座 大王」、銀座で働くサラリーマンにとっては、お昼時の空腹を満たしてくれるありがたい店の一つであるに違いない。

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posted by 里実福太朗 at 23:30| フォト漫歩計

2010年12月22日

青山墓地

ゴッホ展を観おわって美術館を出たのが2時少し前、せっかく都心に出てきたのに、このまま帰るのではもの足りない感じがする。かといってミッドタウンのイルミネーションを観るには、夕刻まで時間がありすぎる。そこで青山墓地を通って帰ることにした。空は寒々とした灰色の雲に覆われ、そんな日によりによって墓地を訪れるなんて、我ながら物好きなことだ。

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地図には、志賀直哉や齋藤茂吉などの墓も記されていた。せっかくだから写真を撮っていこうと探し回ったが、そこらじゅう墓だらけで、まァ墓地だから仕方がないけれど、探せども探せども見つからない。とうとう寒さには勝てず、最寄りの地下鉄駅に逃げ込むことになってしまった。

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短歌結社「浅香社」を結成した落合直文と、白樺派の長與善郎のお墓は偶然見つかったので、写真を撮っておいた。

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青山墓地から六本木ヒルズを望む

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posted by 里実福太朗 at 23:45| フォト漫歩計

スカイツリーの今

先週ゴッホ展に行く途次、押上で京成線から下車してスカイツリーを見てきた。久しぶりのことだった。前回見たのは、300メートルを超えたときのことで、今はもう500メートルを超えていた。

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京成橋からカメラを構えて、てっぺんまで入れようとしてもうまく納まらない。地面すれすれのところで構えて、やっと全体を入れることができた。

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以前には全く姿かたちのなかったビルが、目の前にそびえていて、かなり周囲の景観が変化していた。

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2010年12月16日

ゴッホ展

国立新美術館で行われているゴッホ展が、いよいよ今月の20日で終了となる。以前金券ショップで購入した招待券を無駄にするわけにもいかないので、思い切って今日夫人と行ってきた。「思い切って」などと書いたのは、アカイヌ王国ご夫妻がつい最近出かけたらしいのだが、その時は行列ができていて、結局観ることはあきらめて帰ってきたということを聞いて、億劫になっていたからなのだ。

混雑が始まる前に美術館に着くためには、佐倉を遅くとも8時過ぎには出発しなければならない。しかしグズグズしているうちに9時を過ぎ、押上駅で京成から地下鉄半蔵門線に乗り換えようとしたとき、スカイツリーのことを思い出し、せっかくだから見ていくかということになり、結局乃木坂駅に着いたのは11時半頃になっていた。

行列ができていることを覚悟していたが、ありがたいことに行列に並ぶこともなくすんなりと入場できた。ただ、会場内はかなり混んでいた。雑踏の中で、人にぶつからないようにと気を使っていると、なかなか観ることに集中できない。いままでにそういうことを何度か味わい、そのたびに人波を見に来たようなものだと後悔の念にとらわれたというのに、今回も同じ轍を踏んだのだった。

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展示会場を出れば、そこはミュージアムショップ、めぼしいものはないかと物色したが触手はのびず、目に入ったのは隅の方に置いてあったガチャガチャの機械、はてどうしてこんな所に…と疑問に思ってよく見れば、透明ケースの中にはゴッホの絵が入っていた。種類は全部で7種類、一回300円で何が出てくるかは分からない。できれば「灰色のフェルト帽の自画像」が欲しいなと思いつつレバーを回せば、願い通りにその絵が出てきた。だけどこの帽子、灰色ではなくて極彩色だ…それに顔も線で描かれていて、かなり奇妙な自画像だ。

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灰色のフェルト帽の自画像


posted by 里実福太朗 at 23:36| フォト漫歩計

2010年12月13日

「ちょいとダンナさん」

次に向かったのは神楽坂、写真塾講師の北田英治さんが、ご自身で撮った写真を投影しながら御自ら語るという興味深い講座を聴講するためだった。ただ、まだ開始時間まで間があったので、神楽坂の路地裏を一巡りしてみることにした。

先週の水曜日のこと、去年写真教室で机を並べた生徒たちが、久しぶりで新宿に集まった。会の当初の名目は、各自が撮りためた写真を見ながら、相互に感想を言い合うということだった。ただ会を重ねるに従って、写真についてそれぞれが勝手なことを言い合うことより、飲むことの方に重点が移ってきているようにも感じる。

それはまァいいこととして、その会の幹事は持ち回りで務めることになっていた。次はいよいよ私の番、近ごろは夜飲み歩くこともあまりなく、写真塾の講座終了後にギャラリー近くで一杯という程度だから、適当な場所はすぐには思い浮かばない。それでも場所の予告は大ざっぱでもいいから、とりあえず言っておかなければならない。そこで思いつくまま、次回は神楽坂にしましょうと口走ってしまったのだった。

神楽坂と言えば、はるか昔に学生時代を過ごしたところ、もちろん街の表情はその当時とは大きく変わっているに違いないし、去年から写真塾に通うようになって、何回かカメラを首から下げて歩き回り、再び少しは身近な土地になったにはなったけれど、まだまだ路地のすみずみの雰囲気までは体に染み込んでいない。だから昔ながらの神楽坂の雰囲気を残しつつ、安価でおいしい料理とお酒を出してくれるお店の見当をつけるなどということは、どだい無理なことなのかもしれない。しかし、それでも何とかしなければならない。

地下鉄東西線の神楽坂駅を出て、坂上の交差点まで下り、その近辺から路地に入り、あとは足任せに歩いて回った。昼間歩いたときはあまり気づかなかったが、夜ともなればともる明かりが、そこかしこにこじんまりとした店が軒を連ねているさまを浮かび上がらせてくれる。

本多横丁のとある店先で、エプロン姿の年配の女将が道行く人に声をかけていた。今まで歩いて来た通りでは見掛けることのなかった光景だ。耳を澄ませば、「和食ですよ」と言っているようだった。店構えは確かに和風、神楽坂の細道ある店としては好ましい雰囲気ではあったけれど、いかにも高級そうな気配が漂っていた。

ちょっと興味を持ったことを見透かされたのだろうか、声を掛けられてしまった。
「ちょいとダンナさん、どうですか」
「少人数の集まりがあるから、歩き回ってパンフレットをもらっているだけですから」
「パンフレットはないですけどね、名刺型のものならありますよ。何人ぐらいの会なんですか」
「4・5人ですが」
「じゃァちょうどいい部屋がありますよ、ちょっと見てくださいよ」
といいながら先に立って歩いて行くものだから、店の中の様子を確かめるべく後をついていった。

入って右側にカウンター席、左側には小上がりが四つほど、奥の突き当たりが少人数用の座敷(二部屋)になっていた。お客が一人もいないことが気になったが、
「平日はなじみの人で埋まるんですよ、土曜日はダメ、観光客ばかりだから」
と、先手を打って話し始めた。

以下長くなるので、女将が問わず語りに語ったことをかいつまんでまとめておくことにする。
・お店を始めてから40年ほどたつこと
・今の建物は平成に入ってから建て替えたもので、20年ほど経っていること
・現在は息子さんが調理場を任されていること
・料理には手を掛けているから自信があること
・値段が高そうで入りにくいとよく言われること
・隣は酒屋だったけれど、最近になってついに店をたたんでしまったこと
・その土地を購入したのは、あの細木数子であること

訊けば、立て替えの際にはすべて取り壊して、新たに建て直したということだった。アユミギャラリーの建物のように、昔の姿を残しておいてほしかったと思っても詮ないこと、願わくは今の姿をとどめつつ歳を重ねていかんことを。

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神楽坂
日本料理 河庄

 
posted by 里実福太朗 at 23:50| フォト漫歩計

2010年12月12日

ひさしぶりのバロンで

写真展をあとにして、向かうは久しぶりのバロン。フランス語講座が終わり、当分の間、訪れる機会がなくなる。店をたった一人で切り盛りしている女性店主は元気だろうか、店をたたんでしまっていることはないだろうか、そんなことを思いながら店の前まで来ると、バロンは夕闇に溶け込むようにひっそりとたたずんでいた。

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営業中であることを示すのは、店内から漏れてくるかすかな灯りだけ、ドアを開けて中に入ると店内に客は一人もいなかった。店主の姿も見えず、「こんにちは」と声をかけると、カウンターの奥から返事があった。

ご主人はすでに再び帰らない旅に出て、以来女手一人で守ってきた店は、何一つ変わっていないように見えた。ご主人が丹精込めて作った調度品の数々も、以前とまったく同じ表情で訪れる人を待っていた。

大学もそろそろ冬休みに入る頃、人ずくなになった学生街では、店を開けていても開店休業状態が関の山、
「そろそろ仕事納めですか」
と訊ねたところ、驚くことにこんな答えが返ってきた。
「31日までやっていますよ。毎年そうですよ」
「土・日は、店は休むんですか」
「土・日もやっていますよ、休みなんかありませんよ」
少し声高にそしてキッパリと言った。

客が一人でもいれば、心に張りも生まれるのだろうが、客のない日は、たった一人で長い一日をどうやって過ごすのだろうか。しかしそんな心配は、無用なことなのかもしれない。ご主人手作りの調度品に囲まれた空間に身を置いていると、亡き人と今でも共に過ごしているような気持ちに浸れるのかもしれない。店にさえいれば、共に過ごした日々が今もなお続いていると思えるのかもしれない。

「いくらなんでも、元日はお休みになるんでしょう?」
「元日もお店に来ることは来ますよ。朝来て、新聞を取って、お店の中を覗いて、だけどね、すぐ閉めて初詣に行くのよ」
「近くの穴八幡宮ですか」
「ええ……大晦日の晩にやりたいことがあるんですけど、この43年間、一度も実現できてないの」
「どんなことですか」
「お店を夜通し開けておいて、そこの大きなテレビで、お客さんと一緒に紅白を見て、12時をまわったら初詣に行くこと…でも、あのテレビ、もう映らないから…もうダメね」

それからしばらく沈黙が続いた。違う話題に移るきっかけをさがして、コーヒーカップに手をのばしたけれど、すでに飲み干していた。

「次に行くところがありますので、そろそろ…」
「そうですか…それではよいお年を」
「よいお年を」
ドアの前で見送られ、地下鉄の駅へと向かったのだった。

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2010年11月22日

卒業以来初めて参加のOB会

卒業以来40年以上出席したことのなかったOB会に、今年に限って参加してみようと思ったのは、OB会の案内はがきに、ゼミの先生が今回を限りとして出席できなくなるという文言が含まれていたからだった。齢を重ねて85歳、昨今は歩くことが難しくなってきて、今回は無理を押して、出席していただけることになったそうだ。

ゼミでのご指導、そして就職の際にもお世話になったのに、卒業以来一度もご挨拶しないままになってしまうかもしれないと思い、出席に丸をつけたのだった。同じような思いを抱いた人が多かったのだろう、今回の出席者は例年の3倍ほどの人数だったそうだ。受付でいただいた出席者一覧表には、100人以上の氏名が記されていた。

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こんなに参加者が多かったのに、同期の参加者は誰もいなかった。クラブと違ってゼミは縦のつながりが希薄だから、同期がいないとなると、「やあやあ、ひさしぶり」と言って談笑する相手もいない。手持ちぶさたを慰めるため、写真ばかり撮っていた。それにしても、ゼミ同期会には10人前後は集まるというのに、先生にもお会いできるゼミOBの全体会に一人も来ないのは、どういうことなんだろうか。

昨年に引き続き、今年も新卒者の就職難は続き、内定先が決まった学生はまだ57%程度らしい。その原因の一端が、大手の企業をねらうという学生たちの安定志向にあるにせよ、100社以上の採用試験をうけたという話を聞くと、過酷な状況に置かれた若者たちの将来を思い暗澹たる気持ちにもなってくる。

40年ほど前はまだコンピュータ産業の黎明期で、企業の多くは、コンピュータ関連の技術者候補学生を必要としていた。そういう社会状況の中で、同期の人たちの就職先は、東芝・日立・NEC・三菱、毎日新聞社・TBS、東京銀行、第一生命というような世間的に名の通った企業に次々と決まっていった。

しかし、私たちの就職先の多くは、自分たちで選んで決めたものではなかった。ゼミの先生から、○○クンはこの会社、○○さんはあの会社、という具合に割り当てられたものだった。先生からすれば、それぞれの学生の適正を見極めて会社を選んだのかもしれないが、自分がその会社を受験するに至った理由は分からなかった。

現在では、求人情報は就職課でまとめたものを学生たちに公開しているのだろうが、当時は企業の人事担当者が、直接ゼミの先生のもとに依頼したのだろう。割り振られた会社を拒否することもできたのかもしれないが、名の通った会社への就職が約束されている機会を、敢えて拒む学生はいなかった。

さて、就職してから5年が経ち、私は退社した。コンピュータ業界とはまったく違う世界、文学の分野に身を置いてみたいと思うに至ったからだった。同期の人たちの中にも、先生から紹介された会社を去っていった人は多かった。他の会社に移った人、退職して起業した人、あるいは郷里に戻って実家の商いを継いだ人、宗教の道に身を投じてしまった人もいた。卒業以来一貫して同じ会社に勤め、サラリーマン人生を全うした人の方がむしろ少なかった。

せっかく先生が紹介してくれた企業を、惜しげもなく捨てて別の道に進んだ同期の人たちは、そのことで先生に会うことへのためらいの気持ちが生まれ、OB会から足が遠のいていってしまったのかもしれない。

先生と二言三言の言葉をかわし、写真も十分撮ってしまってからは見の置き所もなくなり、会の途中で早々にいとま乞いをしたのだった。
 
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

2010年11月20日

OB会

SNC00270s.jpg卒業以来、初めて参加した。ゼミの先生の顔を拝見するのは、ほぼ40年ぶり。
posted by 里実福太朗 at 18:52| フォト漫歩計

2010年11月12日

紅葉のキャンパス

SNC00236−s.jpg二週間ぶりのフランス語講座、キャンパスの木々はみごとに色づいていた。
posted by 里実福太朗 at 15:11| フォト漫歩計

再び金券ショップへ

もう少しドルを用意しておくことになり、フランス語の授業が終わったあと、再び金券ショップに立ち寄った。為替相場が82円台になり、それに伴い両替レートも変わっていた。

〔大黒屋〕
両替レート:1ドル=84.81円

一昨日が83.60円だったから、1.21円のドル高(円安)ということになる。

この円安の原因は、経済ニュースのコメンテーターによれば、アイルランドとかポルトガルとかの財政不安が高まり、ユーロが売られドルが買われたことによるものらしい。遠く離れた外国の信用不安が、円の価値に影響を及ぼし、ひいてはなけなしのお金をはたいて格安ツアーに参加する、日本の旅行者の懐具合にも影響を与えることになったわけだが、実際に両替を体験してみると、円安とか円高とかの影響力が実感されてきます。

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posted by 里実福太朗 at 00:00| フォト漫歩計

2010年11月11日

金券ショップで両替

12月に格安ツアーを利用して、サイパンに行くことになった。格安ゆえ、朝食も夕食もナシ。DFS(duty-free shop、免税店)では、円で支払うこともできるそうだが、レストランなどではどうなのだろうか。仮に円で支払いが可能であっても、レートはどうなのだろうか。日本国内で、円を米ドルに両替しておいた方がいいのだろうか。

いずれにせよ現地の事情がよく分からないから、食事代・お土産代などとして、ある程度のドルは用意していくことにした。そして昨日、江戸東京博物館からの帰途、つましい金額をドルに両替してきた。

昨日の東京の為替レートは、81円台半ばだった。銀行の両替サービスではプラス3円の84円台半ば、両替を扱っている金券ショップなどでは、それより1円ほど下げているところもある。

仮に両替レートが1ドルあたり1円下がれば、1円の円高になるのと同じことで、100ドルの両替なら100円、500ドルなら500円の節約となる。電車賃になるかならないかという程度の節約ではあるけれど、たいそう儲かった気分になるのはいたしかたない、それが庶民の常なのである。今日の東京市場は円安・ドル高となり82円台を回復、さらに得した気分になったのだった。

〔大黒屋〕
両替レート:1ドル=83.60円
 

posted by 里実福太朗 at 23:30| フォト漫歩計

2010年11月10日

江戸東京博物館−隅田川

SNC00234−s.jpg見ごたえがありました。
posted by 里実福太朗 at 19:24| フォト漫歩計

2010年10月22日

イブニングライナー

SNC00209−s.jpg新型の車両に初めて乗った。今、上野を出て佐倉にむかっている。ホームのライナー券販売機がなくなっていた。改札口で駅員に断り、いったん外に出て買い求める。7月からホームにはなくなったそうだ。不便になった。
posted by 里実福太朗 at 18:38| フォト漫歩計

2010年10月06日

歌川広重 名所江戸百景展

神楽坂の「ART GALLEY(アートガレー)」から、歌川広重「名所江戸百景展」の案内状が届いた。封筒に「滝かつとし」と署名が記されていた。以前、上記ギャラリーの開廊記念展「滝かつとし園長の神楽坂動物園展」をのぞいた時、氏と少しお話ししたことがあったので、ご案内をいただいたのだろう。

パンフレットによれば、望月義也コレクションの「広重 名所江戸百景」全揃い121枚が展示されるということである。全揃いは、岩崎コレクション・東京芸術大学の所蔵品を含め、全世界で確認されているのは15組のみという貴重なものだそうだ。その貴重な作品群を、開廊記念展として無料で公開するということだから、ぜひとも見に行きたいものである。

望月義也コレクション
【歌川広重 名所江戸百景展】
開催期間:2010年10月11日(月)〜10月24日(日)
 *休館日なし
開催場所:東京・新宿・神楽坂「ART GALLEY(アートガレー)」
開廊時間:AM10:00〜PM7:00
入館料:無料

詳しくはこちら
http://art-galley.craps.co.jp/
 
posted by 里実福太朗 at 09:10| フォト漫歩計

2010年09月12日

再会の夜は市川駅南口で待ち合わせ

昨夜は元職場のかつての同僚たちと、久しぶりで市川の焼き肉店で再会して、暑気払いの杯を酌み交わした。マッコリがおいしくて、飲みやすいものだから、飲み過ぎてしまったようだった。

マッコリといえば、日本酒の濁り酒と同じように白濁しているものと思っていたが、元同僚がこの店には黒マッコリがあると言う。ものは試しと、さっそく注文してみた。黒というよりは、うす茶色という感じの色だった。口に含むとかすかな酸味が感じられ、サッパリとした味わいが口の中に残った。飲み口がいいから、飲み過ぎてしまうことには注意していたが、それも最初だけのことでいつしか杯は重なっていった。

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久しぶりで訪れた市川駅の南口は劇的に変わっていた。かつて、南口の駅前の一等地に建っていたビルの一階では、パチンコ屋が営業していた。そのビルは取り壊され、駅前には広いロータリーが整備されていた。そのロータリーを取り囲むビル群の一角には、図書館も設置されていた。

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3階の歩行者専用連絡通路からは、東京スカイツリーがおぼろげに見えた。

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posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

2010年09月09日

新国会丼

今日の昼食は、国会図書館で新国会丼を食した。以前食べたことのある「国会丼」は、牛丼とカレー丼とを盛り合わせたものだったが、この「新国会丼」なるものは、カツ丼と親子丼とを盛り合わせたものだった。こちらの方が見た目もよく、丼物としてのまとまり感があった。

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値段は600円(国会丼は500円)。新国会丼の注文コーナーには、短いながらも行列ができていて、売れ行きは、国会丼よりも好調のようだった。
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

2010年09月06日

夜の浅草寺(asakusa sensoji)

〔撮影日:2010-09-01〕

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白いシャツを着たサラリーマンがお参りしていた。仕事帰りに、何を祈っているのだろう。

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若い二人連れの女の子に、写真を撮って下さいと頼まれた。礼を言って去って行った二人連れは、デジカメの画像を覗き込みながら、意味の分からない言葉を交わして仲見世を歩いて行った。中国語のようだった。頼まれた時は日本語だったので、日本人だとばかり思っていた。

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posted by 里実福太朗 at 23:30| フォト漫歩計

写真の会は神谷バーで

去年写真教室で机を並べた生徒たちが、それぞれ撮りためた写真を持ち寄って、勝手なことを言い合う会を神谷バーでやろうということは、前回の集まりで決まっていた。集合場所は雷門前で時間は5時、その約束の時間にメンバー全員が集まった。5人が向かうは神谷バー、まとめ役がすでに3階の「割烹神谷」を予約していた。

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http://www.kamiya-bar.com/01.html

アルコールが少し入ったところで、写真の批評会を始めることにした。わたしは、前回の写真塾の講評会に出した写真を持参していた。ある人が、以前浅草の伝法院通りで撮った夕暮れ時の写真を取り上げ、これが一番好きだと言ってくれた。前回もそうだったが、写真の話はどちらかというと低調で、海外旅行の話しなどで盛り上がるのだった。

近々スイスに行くという人がいて、最近鉄道事故があったものだから、聞いている人はたぶんそのことを思い出したに違いない。旅行保険の話しになった。事故があったばかりだから、鉄道会社も運行には十分注意いているだろう。しかし念のため、救援・治療の保険サービスに入っておいた方がいいと、旅のベテランからの発言があった。

「クレジットカードには、付帯の保険サービスがあるからそれで十分だと思っていたんですが、それではダメなんですか」
とスイス旅行予定者から質問があった。
「障害死亡の場合には、かなりの額が出ますが、病気になった時とか、救援の費用などは微々たるものですよ。外国で治療を受ける場合、そんなものでは全然足りません。さらにクレジット会社は、なかなか保険料を出してくれないですし、事故の責任が現地の会社にある場合は、知らんぷりですよ」
旅のベテランはさらに話しを続けた。
「保険会社の海外旅行保険に申し込めばいいんです。保険の種類は、『治療・救援費用保険』だけでいいと思いますよ」
みなクレジットカード付帯の保険サービスだけで十分と思っていたらしく、口々にこれからは「治療・救援費用保険」に入ってから海外旅行に行くと言っていた。

会がお開きになったあと、皆と別れて一人浅草寺に向かった。夜になると、浅草寺・五重塔はライトアップされる。それを撮影しようという心づもりがあったのだ。
posted by 里実福太朗 at 23:00| フォト漫歩計

新仲見世からスカイツリーを見る

仲見世と新仲見世とが交差する所は、アーケードの屋根が途切れて空が覗く。その空間に、400メートルを超えた東京スカイツリーの先端部分が、スッポリとおさまっていた。

完成すると634メートル、その先端は、きっとアーケードの屋根に阻まれて見えなくなっていることだろう。

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posted by 里実福太朗 at 18:11| フォト漫歩計

2010年09月05日

浅草寺境内からスカイツリーを望む

新奥山を抜けて、浅草寺境内に入る。東京スカイツリーが、ほぼ正面に見えた。

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仲見世を抜けて、雷門へと向かう。待ち合わせは5時だ。

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posted by 里実福太朗 at 23:59| フォト漫歩計

2010年09月03日

「里からの便り…滝かつとし園長の神楽坂動物園…展」

神楽坂アユミギャラリーと同じ敷地内にたつ高橋ビル、その地下一階に「アートガレー カグラザカ(ART GALLEY KAGURAZAKA)」がオープンしたのは、8月27日のことだったらしい。アラン・ゴールディング氏の写真展「ELEMENTS」を見たあと、案内板のかわいらしいネコとイヌの絵に誘われて、開廊記念展「里からの便り…滝かつとし園長の神楽坂動物園…展」をのぞいてみることにした。

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アユミギャラリーの中庭から階段を下りてドアをかけると、そこはカフェ、ギャラリーはその奥に設けられていた。ゴールディング氏の写真の残像、そして彼との遣り取りがまだ尾を引いていたものだから、ゆっくりコーヒーを飲んで、頭をリセットしてから画廊に足を運んだ。

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「アートガレー カグラザカ(ART GALLEY KAGURAZAKA)」
http://art-galley.craps.co.jp/index.html


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ちょうど滝かつとし氏が在廊中で、お話しする機会を持つことができた。氏は1949年の生まれということだから、いわゆる団塊の世代に属する。会社勤めをしながら絵の勉強を続け、2004年に初めて個展を開いたそうだ。その後作家活動に入り、現在は故郷の茨城県大子町で制作に打ち込んでいるということだった。

ネコとイヌの絵が多かったが、フクロウの絵も三点あった。その中の一点に、新緑をまとった木の枝にフクロウの親子が仲良く並んでいる様子を描いた絵があった。その絵を見ながら、フクロウに興味を持っていることや、フクロウの子どもは若葉の季節に巣立っていくことなどを話したのだった。

七枚セットのポストカードを買い求めたが、その中にフクロウの絵は含まれていなかった。セット販売ではない2Lほどの大きさの絵の方にはフクロウの絵があった。それを買い求めようとしたところ、おもいがけなくも氏が口にした言葉は、「さしあげますよ」というものだった。

先ほどは、アラン・ゴールディング氏から写真をいただき、こんどは滝かつとし氏からフクロウの絵をいただくことになったのだ。こういうこともあるんですね。本当に炎暑の中、出かけてきた甲斐があったと再び思うのだった。

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開廊記念展 里からの便り…滝 かつとし園長の神楽坂動物園…展
http://art-galley.craps.co.jp/exibition1.html#current
 
posted by 里実福太朗 at 23:50| フォト漫歩計

浅草・新奥山から望むスカイツリー・五重塔

【新奥山について(説明板より)】
江戸の昔、今の浅草寺本堂の西北一帯は、俗に「奥山」と呼ばれ、江戸の盛り場として、大道芸人や見世物小屋で大いに賑わう著名な場所であった。

奥山の名の由来は記録にないが、おそらくその位置が本堂の奥にあることから名付けられたと思われる。

明治以後、その賑わいは浅草寺西側の浅草公園六区へと移り、六区は日本一の工業外・映画のメッカとして栄えたが、その前身が奥山だったといわれる。

現在は、この地を「新奥山」として整備し、諸碑が建立されている。この中には、往時の浅草の賑わいを伝える記念碑も建てられている。

 金龍山 浅草寺

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posted by 里実福太朗 at 22:05| フォト漫歩計

2010年09月02日

つくばエクスプレス「浅草駅」から「新奥山」まで

【徒歩ルート】
〔つくばエクスプレス「浅草駅」出入口5〕
 ↓
〔浅草演芸ホール〕
〔浅草電気館ビル〕
 ↓…六区通り
 ↓…公園本通り
 ↓…五重塔通り
〔新奥山〕

〔つくばエクスプレス「浅草駅」出入口5〕
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地下駅から地上に出て少し歩くと、スカイツリーの先端が見えた。

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〔浅草演芸ホール〕
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〔浅草電気館ビル〕
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〔楽天地浅草ボウル〕
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…すしや通り
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…六区通り
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…公園本通り
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…五重塔通り
〔木馬亭〕
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〔新奥山〕
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posted by 里実福太朗 at 17:42| フォト漫歩計

2010年03月20日

三浦半島・松輪間口港まで

集合場所
…三浦海岸駅前の2番バス乗り場
集合時間
…12時30分

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予定では、集合後12時50分発のバスに乗車することになっていたが、すでに集まっていた人たちといっしょに、一つ前のバスに乗ることにした。乗り込んだバスの行き先は「剱崎」、具合がいいことに終点で降りればよい。

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[バス停・とがり(鋒)]

この辺りの地形が、矛先に似ていることからつけら地名だろうか。

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[バス停・剱崎]

ここから松輪間口港までは、ゆっくり歩いて15分程度。しばらく歩くと、遙かかなたに剱崎灯台が小さく見えてきた。あたりには風をさえぎるものがなく、強風がまともに吹きつけてくる。

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この三叉路を左に進み、坂を下った突き当たりが松輪間口港。

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一目で港の全景を見渡すことのできるこじんまりとした漁港だ。

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今夜の宿は、正面に小さく見える民宿、親子三代で漁業を営んでいるそうだ。

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posted by 里実福太朗 at 00:00| フォト漫歩計

2010年03月09日

業平橋

大横川親水公園の北の端は、浅草通りに接する。その辺りに業平橋があるはずだが、現在は工事中で公園内からは確認のしようがない。そこで工事現場の間の細い通路を抜けて、北側に出てみた。そして、やっと「業平橋」の文字を探しあてた。業平橋は、埋め立てられる前の大横川を、浅草通りがまたぐところに架けられた橋だった。先ほど浅草通りを西に向かって少し歩いた時、この業平橋を通ったはずだが、その時は見逃してしまったようだ。

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〔業平橋から東京スカイツリーを見る〕
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この業平橋は、今後どのような運命をたどることになるのだろうか。東京の変貌ぶりを思い返してみれば、今の時代に求められていないものは、即座に時代遅れのものとして打ち壊されてしまうのが常であったことに思い当たる。今を生きる人にとって、有用なものにすぐさま取って代わられてしまうのだ。業平橋のこの薄汚れた様を見れば、同じ運命をたどることは容易に想像できる。

都市散歩者のバイブルとも言うべき「日和下駄」で、永井荷風は時代の変化に取り残された建造物を眺めてはこう嘆いている。

『…瓦は落ちたるまゝに雑草も除かず風雨の破壊するがままに任せてある。而して世人の更に之を怪しまざるが如きに至つては、吾等は唯唖然たるより他はない』

業平橋の北側の低地には、船を模した遊戯施設がしつらえられた子どもの遊びがあった。次の写真は、そこに降りて撮ったもの。下から見ると、橋の形状がよく分かる。

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この児童公園からも、東京スカイツリーが見えた。

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螺旋階段を登れば長い滑り台があり、幼い子を伴った若い母親また近所の子どもたちが、登っては滑ることを繰り返していた。

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小生も勇気を振り絞って登ってみたものの、滑り台を伝って地面におりることはかなわなかった。

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2010年03月06日

大横川親水公園のカメ

これが下から見た平川橋。

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橋桁と地面との間隔はかなり狭く、大人が通り抜ける際には、かなり腰を低くしないと頭をぶつけてしまう。

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橋の南側は工事中、その先には小さな池があって、そのほとりにはランドセルが一つポツンと置かれていた。ランドセルを放り出して、その主はどこにいってしまったのだろう。

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さて、この親水公園からも東京スカイツリーが見えた。それは、かなり歴史を重ねたと思われる家と、新しいマンションとの間に見えた。
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梅の花越しに見る東京スカイツリーも、なかなかいいものだ。
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写真を撮ることに夢中になっていると、いつの間にか小さな女の子が側に来ていて、こんなことを尋ねるではないか。
「オジさん、何か食べる物、持ってない?」
身なりは普通の女の子という感じで、食べる物にも窮している極貧の家庭の子とは見えない。
「いや、持ってないな」
残念そうな顔で去って行った。引き続き写真を撮っていると、しばらくしてまたその女の子がやってきた。
「オジさん、そのバッグの中、何が入っているの」

たしか吉行淳之介の小説に、「鞄の中身」という作品があった。以前から、なかなかうまいタイトルをつけるものだなと思っていた。大人だって、他人の鞄とかバッグの中に、いったいどんなモノが入っているんだろうと思うことがあるのだから、子どもであればなおさら、そこに興味が向くのかもしれない。
「いいよ、見せてあげるよ。手帳でしょ、これがボールペン、4色だよ。小型のカメラもあるよ」
と、ショルダーバッグの中を見せてあげた。女の子は、興味深そうに覗いていた。
「ほんとに、食べる物、なにも入ってないね」
二の句が継げなかったですな。小生の子どもの頃は、大人の言うことを疑う気持ちなどは、これっぽっちもなかった、と思う。しかし今の世の中、子どもに疑われても仕方がない、そういうご時世かもしれませんね。

食べ物が欲しい理由を尋ねてみると、甲羅に傷を負って元気のない亀に、エサをあげたかったということだった。そんなことを話していると、その亀が泳いで近くに寄ってきた。甲羅には赤いすじが何本かあって、たしかに甲羅が傷ついているようだった。いたずら小僧に石でも投げつけられたのだろうか。

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いつの間にか、子どもの人数が増えていた。
「このカメ、ダイジョウブかな〜」
と言うのは、男の子。たぶんあのランドセルの持ち主なのだろう。
「千年は生きるそうよ」
と別の女の子。大人げなく、つい口をはさんでしまった。
「カメはもっと生きるよ。ツルは千年、カメは万年って言うでしょ」
「わーすごい、1万年も生きるのね」
喜び方が並外れていたので、本当はもっとずっと短いんだよと訂正する機会を失ってしまった。

「あっちのアミのある方に、移してあげようか」
「そうね、保護してあげましょう」
「どうやって持ってくの」
なにやらいろいろ相談していたが、そのうち男の子がカメを持ち上げて池から出してしまった。

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成長してかなり大きくなったカメだった。男の子一人では運んでいくことができず、女の子と力を合わせて平川橋の方へ運んで行った。

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池の周辺でさらに写真を撮ったあと、子どもたちに助けてもらったカメが、傷癒えて長生きすることができれば、「鶴の恩返し」ならぬ「カメの恩返し」で、将来いいことがあるかもしれないな、などと思いつつ、平川橋の下をくぐって北側の方に行ってみた。子どもたちが言っていた「アミのある方」とは、そこのことかもしれなかった。アミで覆われているから、いたずらされる心配はなさそうだ。

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さて、いよいよ本気で業平橋を探さないと日が暮れてしまう。地図によれば、この親水公園の北の端にあるはずだ。

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2010年03月05日

東武橋から平川橋へ

早口男と別れて、業平橋を探すために再び東武橋に向かった。

〔浅草通り側の東武橋から〕
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業平橋は業平一丁目あたりにあるはずだが、すでに橋の下は埋め立てられているという話だ。果たして橋としての形状を今にとどめているだろうか。

東京都墨田区業平1丁目あたりの地図

「Google マップ」でこの地域の航空写真をみると、業平一丁目あたりに橋の姿は認められない。また東京スカイツリーの建設予定地には、まだその姿はまったく現してい ない。いつ頃の写真なのだろうか。スカイツリーの高さが300メートルを超えた今、この航空写真は貴重なものとなるのだろう。

東京都墨田区業平一丁目あたりの航空写真

こんな説明板があった。それによると、このあたり一帯は、かつて洪水の被害が多かったことが分かる。いわゆるゼロメートル地帯である。

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浅草通りを西に少し進んでから左に曲がってみた。南に向かって歩いてみても、いっこうに親水公園らしきものは見えてこない。ビルに遮られて見えないのかもしれない。四つ角ごとに左右を確かめながら進んで行くと、とある角の左側に錆の浮き出た青い橋が見えた。ヒョッとしてこれが業平橋か。

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近づいて橋の名前を確認すると、残念ながら「ひらかわはし」と記されていた。今は埋め立てられているが、かつてこの平川橋の下を流れていたのが大横川に違いない。橋の下に目をやると、たしかに親水公園としての姿を見せていた。

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〔平川橋からの眺め…北側〕
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〔平川橋からの眺め…南側〕
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posted by 里実福太朗 at 00:00| フォト漫歩計

2010年03月01日

東武橋から京成橋まで

東武橋周辺から、北十間川に沿って東西に延びる道には、カメラを構える人の姿が多く見受けられた。前回来た時よりも、人数が増えた感じがしますね。

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東武線のガード上でカメラを構えている人を発見!、やり過ぎだな-そこまでしちゃダメだと思いますョ。

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スカイツリーの写真だけでなく、その周辺の雰囲気もカメラにおさめておいた。家に帰ってから、それらの写真をパソコンに取り込んでモニターで確認してみて、驚愕した。なんとそのうちの一枚に、あの早口男が写っていたのだ。川と道路との間に張られた金網越しに、ニヤッとしながら私を見ていた。

そんなことはつゆ知らず、写真を撮り続けていると、いつの間にか彼が側に立っていたのだ。そして例の早口で話しかけてきたが、やはり何を言っているのか良くわからない。さっきのように、かろうじて聞き取れた単語をつなぎ合わせて会話を再現してみる。

『こっちは人が多いでしょ、車も通るから危ないよ』
「本当にそうですねェ」
目の前にタクシーが止まり、中からお年寄りがおりてきた。手にはコンデジが握られていた。スカイツリーを撮るために、わざわざタクシーで乗り付けたのだった。
『反対側に行くと、人も少ないし、車もあまりとおらないよ』
さっきその反対側の道路で彼と出会ったのに、そのことをもう忘れてしまったらしい。
『もうちょっと先に行くと、真下から撮れるよ』
と促されて彼のあとをついて行く。実は、前回来た時に真下あたりで撮ったことがあったのだけれど、仕方がない。

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『あっちの橋の上から撮るといいよ』
と撮影ポイントを教えてくれる。あちらの方には京成橋があるのだが、その橋の上からもすでに撮ったことがあった。

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地元の人なら、業平橋のことを知っているかもしれないと思い、尋ねてみた。
「業平橋を知ってますか」
返事がない。
「地図には、東武橋の少し先に載っているんですけれど」
首をかしげるばかりである。そしてまったく関係のないことを話し出した。
『このあたりで、夜、襲われた人がいるんだよ』
「ぶっそうですね、いつごろのことですか」
なかなか言葉が出てこなかった。そして、やっと口を開いて言ったこと。
『10年くらい前かな〜』
最近のことでなくて良かった。彼に尋ねてもラチが明かないようなので、これから業平橋を探しに行くことを口実に、実際その予定だったのだけれど、彼とやっと別かれたのだった。
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2010年02月28日

押上駅から業平橋駅まで

春一番が吹いた日に、東京スカイツリーを撮りに行ったことはすでに書いた。その日の帰り、自宅最寄り駅に着いて迎えの車に乗り込むやいなや、クシャミが出た。家に入ってからもクシャミは止まらず、おまけに鼻水もタラタラと流れだした。今年もやはり花粉症が発症したのか、それとも単なる風邪なのか。

風呂にも入らず、一応市販の風邪薬を飲み、いつもより早く床についた。そして翌朝、いつもより早く目が覚めた。昨夜の症状はどうなったかというと、なんときれいサッパリ消えていた。クシャミも出ず、鼻水もたれない。うれしいことではあるが、これは一体どうどういうことなのだろうか。風邪でも花粉症でもなかったのだろうか。

さて、その日は前回と同じ歩き方では面白みがないので、逆方向でまわることにした。つまり、押上駅を出てから東武線の踏切を渡り、高架下を西に進み、東武業平橋駅に向かって歩みを進めたのだ。

東武線の踏切あたり
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踏切を渡り、線路沿いを歩いて行く
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写真を撮っていると、見知らぬオジさんが話しかけてきた。登山用のハットをかぶり、少し小さめの黒いジャンパー着ていた。年齢不詳という感じで、若く見えたりかなりの年のようにも見える。一生懸命話をするのだけれど、早口でよく聞き取れない。なんとか聞き取ろうとしても、時々単語が分かる程度で文脈がつかめない。いくつか聞き取れた単語をつなぎ合わせて編集してみると、こんなことを言っているようだった。
『こっちは、人が少なくていいね。向こう側はもっとよく見えるけど、人が多いね。それに車が通るから気をつけないとね』

「向こう側」というのは、スカイツリーの南側のことだろう。そのくらいのことは分かっていたが、あまりにも一生懸命話しかけてくるので、
「そうですか、よくご存じですね」
無視することもできず、そう言っておいた。するとそれに気をよくしたのか、またよく分からないことを言い出した。
『まア、毎日来ているからね』
これも何とか理解した彼の言葉だ。
「毎日ですか。近くにお住まいなんですか」
『ちょっと行ったところ、押上なんだ』

さらにいろいろと話しかけてきたけれど、いつまでも相手をしているわけにもいかず、別かれるきっかけを作るために、カメラをスカイツリーの方に向けた。カメラを構えながら、彼の方にチラッと目をやると、私の様子をジッと見つめていたが、そのうちどこかに行ってしまった。

「安全地蔵尊」には、新しい花が活けてあった。
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地蔵尊の道路を隔てた反対側に、梅の花が咲いていた。花の間に動くものが見えたので、目を凝らしてみるとメジロだった。こんなゴミゴミとした狭い場所に咲く梅の花を、よく見つけてものだと感心して見入っていると、梅の枝に半分に切ったみかんが挿してあるのだった。

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この梅の花が咲く道の角を曲がると、業平橋駅が見える。
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2010年02月26日

東京スカイツリーは現在303メートル

春一番が吹いた今日、また東京スカイツリーを見に行ってきた。週の半ばの水曜日は、気分転換のため東京方面に行くことにしていたのだけれど、昨日は女子フィギアスケートのショートプログラムの試合があったので、一日延ばして今日にしたのだった。

暖かくて風が強いから、夫人は、マスクをして出かけた方がいいと忠告してくれた。花粉症が発症するかもしれないことを心配してくれたのだ。しかし自分が花粉症患者になってしまったことが今だに信じられず、鼻風邪が少し長引いて花粉症と似た症状になったのだと思っていたものだから、いや、思うようにしていたものだから、こういう日にマスクなしで外出してみて、自分の体がどのように反応するかを確かめてみたいという気持ちがあったのだ。

そこでマスクはしないで、東京スカイツリー周辺から浅草まで歩き回った。その結果悲惨な状態になってしまったが、それでもなおこれは風邪の症状なのだろうと思っている。

1月29日に東京スカイツリーを見に行った時は、281メートルだった。今日は、いよいよ300メートルを超えて、303メートルになっていた。前回は、都心に出る途中で急に思いつき、電車を降りて見に行ったのだが、今回は最初からそのつもりで、一眼レフと交換レンズを携えて家を出た。

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目的はスカイツリーの写真を撮ることだけではなく、そのほかにも確かめておきたいことがあった。一つは、業平橋の場所を確認すること、二つ目は、スカイツリーから浅草まで歩き、隅田川のほとりからスカイツリーがどのように見えるかを確かめること、この二点を予定していた。詳しいことは次回に書くことにして、スカイツリーの写真を何枚か載せておくことにします。

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2010年02月16日

モネの庭

先日図書館で写真集のコーナーを物色していた時、たまたま「モネの庭」と題されたものがあった。まだブリヂストン美術館で、「睡蓮」「睡蓮の池」を見る前のことだった。パラパラとめくり、花にはあまり興味を示さない小生ではあるが、色とりどりの花が咲く庭の写真に惹きつけられ、借りることにしたのだった。

モネの庭
 写真:アンドリュー・ローソン
…平成9年1月5日、婦人生活社

写真にもいろいろな分野があるようで、アンドリュー・ローソン氏は、上記写真集ではガーデン写真家(英国)と紹介されていた。

睡蓮を描いた一連の絵は、パリ近郊のジヴェルニーにあるモネの自宅の庭で描かれた。モネの死後の一時期、手入れされることなく荒れてしまったが、その後復元され、現在は約10人の庭師によって維持されているそうだ。

4月から10月の期間は公開されている。以下のウェブサイトに詳しい案内が載っている。
http://www.museesdefrance.org/museum/serialize/backnumber/0507/museum_0507.html

なお、高知県の北川村というところに、モネの庭があるそうだ。もちろん勝手に「モネの庭」と名のることはできない。ジヴェルニーにある「モネの庭」の庭園管理責任者のアドバイスに従って整えられ、フランス学士院から「モネの庭」の称号が与えられたということだ。
http://www.kjmonet.jp/about_01.html
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2010年02月14日

美術館の警備方式

ブリヂストン美術館は、落ち着いた雰囲気の中で、名画をゆっくり鑑賞できる点ではとても好ましい。しかし、不満が一点だけある。

どの美術館でも不測の事態に備えて、警備の人を展示室に常駐させている。それは仕方のないこととしても、多くの場合は地味な目立たない服装をしている。ところがブリヂストン美術館では、目立ちすぎる警備人の存在がどうしても気になってしまうのだ。全身をいわゆる警備服でビシッと決めていて、展示室の中では非常に浮き上がった存在のように見える。だから否が応でもそちらに目がいってしまうのだ。

フランスのルーブル美術館に行った時のこと、その巨大な館内には警備の人の姿が見当たらなかった。ルーブルではフラッシュさへたかなければ写真撮影は自由にできるから、監視カメラだけを設置して、警備員は置かないか、あるいは展示会場とは別の場所で待機しているのかもしれないと思っていた。

しかし、警備の人はやはり展示会場内にいた。ただその服装が、いわゆる警備員然としたものではなかったので、最初のうちは気づかなかったのだ。見て回っているうちに、黒の細身のスーツをスマートに着こなした、優形の男がところどころに立っていることに気づいた。警備会社のワッペンをつけていたり、トランシーバーでポケットが膨らんでいたりということがなかったので、断定的には言えないけれど、たぶん彼らが警備を担当していたのだろう。

ルーブル美術館では入館の際、簡単な手荷物検査があった。その代わりいったん入場してしまえば、かなり自由に見て回ることができた。ブリヂストン美術館では、手荷物検査はないけれど、警備服に身を固めた警備員が常に目を光らせていた。さて、どちらの警備方式の方が、穏やかな気持ちで絵に接することができるのか、答えは自ずと明らかだろう。
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2010年02月13日

ギャラリートーク

ブリヂストン美術館のギャラリートークは、水曜日と金曜日の午後3時から行われる。月末の金曜日は、館長さんが御自ら講師となる。そういうことを知らずに、以前、たまたま金曜日に行ったことがあって、館長さんのお話を聞くことができた。

まだ全部見終わっていなかったが、3時が近づいたので、集合場所のエレベーターホールに行ってみた。ホールには、痩身長躯の男が一人所在なさげに立っていた。黒のスーツをビシッときめ、頭髪はきれいに整えられ、見るからに美術関係の仕事に携わっていそうな人物だった。

次第に人が集まってきた。そろそろ黒スーツの男が口を開くはずだと思い、彼の方に目をやると、なんだか落ち着きのない様子で、同じ場所を行ったり来たりしている。3時までもう少し間があるから、きっと話すことを頭の中でおさらいしているんだろう。

3時を少し過ぎて、すでに十数人も集まっているというのに、彼はいっこうに話を始めようとしない。その時、一人の男が声を発した。失礼を顧みずに言えば、少々太り気味の体をユッタリとした綿シャツで包み、少し短めな足にはチノパンツをはいていた。まァ、オフタイムの格好といったところですナ。ところがこの男性こそが、ギャラリートークを担当する学芸員だったのだ。

「3時からギャラートークがあることを、あらかじめ分かっていて当館にお越しいただいた方は、いらっしゃいますか」
だれも手を挙げなかった。
「館内放送を聞いて、ここにいらっしゃったということですね」
ちょっと残念そうな口ぶりだった。
「わたしの専門は日本絵画でして、当館の収蔵品は西洋絵画が多いので、そちらの方面の説明を期待していた方もいらっしゃるかもしれませんが…あらかじめ電話でお問い合わせをいただくこともありまして、今日の担当者は誰かということを。担当者によって、どういう方面の話をするか分かるんですね、ですからそれを確かめて、今日は行こう、いや、やめておこうと判断する人もいらっしゃるようです」
こう言い終わると、集まった人を引き連れて日本作家の絵が展示されている部屋に向かった。

黒田清輝の「ブレハの少女」の前に立ち、その絵をグルリと囲んだ人たちを一人一人眺め渡して、
「全員の方にいらっしゃっていただけたようですね」
日本絵画が専門だということを聞いて、参加を見送る人が出てくるかもしれないと思っていたのだろう。そして、サケの切り身を描いた複製画を掲げて、
「この絵の作者をご存じですか」
誰かが「高橋由市」と答えた。
「芸大が収蔵している絵ですが、これが重要文化財なんですよ。ただサケの切り身を画いただけの絵ですよ」
と言いながらも、近代絵画に占めるその絵の重要性について、そして細長いキャンバスに書かれている理由について説明してくれた。

「C」高橋由市(東京芸術大学蔵)

ほぼ一時間にわたり、熱っぽく説明してくれたが、そのすべてをここに書き記すわけにはいかない。彼の話を聞きたい方は、あらかじめ問い合わせてからお出かけになるとよいだろう。

以前聞いた館長さんのギャラリートークでは、ルノワールの「すわるジョルジェット・シャルバンティエ嬢」の話がおもしろかった。またブリヂストン美術館に行く機会があったら、今度はモネの「睡蓮」・「睡蓮の池」の解説を聞くことができたらいいのだけれど。
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2010年02月11日

睡蓮の池

冷たい雨の降る寒い日だった。夜の天気図では、千葉県全体に雨マークがついていたが、深夜に入り北部の下総地方で雪が混じってくるという予報が出ている。暖かい日が少しあったので、この寒さはいっそう身に凍みる。

さて昨日は、東京駅エキナカ(中)で買い物をしたり、エキチカ(地下)・エキチカ(近)で写真を撮っていたため、ブリヂストン美術館に着いたのは2時頃になってしまった。

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展示会場は、前回来た時よりは少し混んでいた。しかし、心地よく絵を見て回るための雰囲気が損なわれることはなく、もちろん人の肩越しに見るというような劣悪な状態でもなかった。十室の展示室のいくつかには、大ぶりの黒いイスが置かれていて、疲れた時には腰掛けながら絵を見ていることもできる。

睡蓮を描いたモネの絵が、二点、「睡蓮の池」と「睡蓮」とが展示されていた。その前に置かれていたイスに腰掛け、「疲れたな〜」とつぶやきながらぼんやりと二つの絵を見ていた。共に睡蓮を描いた絵なのに、一方の絵のタイトルには、どうして「池」が入っているのだろう。そんなことを思っていると、絵の中央よりやや左よりに描かれた、薄いあかね色の炎のような部分がスーッと沈んでいき、それに伴って睡蓮の葉が浮き上がって見えてきた。つまり絵が立体的に見えてきたのだ。

絵を見る目が肥えてい亡い人であっても、そんなふうに見えることを知っている人は多いかもしれないが、とても大きな発見をしたような気分になった。そして「池」と題された理由も分かった。画家は、睡蓮を描いたのではなかった。さまざまな色を映す池を主役に据えたのだ。しかも水面を単に平面的に写しとったのではなく、透きとおった水をたたえた池を、立体的に描こうとしたのだった。

自己満足に浸り、悦に入りながら繰り返し「睡蓮の池」見ていると、館内放送が聞こえてきた。
「3時より、当館学芸員によるギャラリートークがございます。…」
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2010年02月10日

寒くて雨が降りそうな日は美術館に行こう

家にいると、どうしてもパソコンの前に座る時間が長くなってしまう。それを避けるためには、パソコンがない場所に行くのが一番手っ取り早い。さて、どこに出かけようか。天気予報がはずれて、今日はまた寒さが戻った。雨も降りそうなお天気模樣だ。こういう時は、美術館あたりに行ってみましょう。

近頃は展覧会がおおはやりで、次から次へと新しい企画が催されている。規模の大きな特別展などは入場料が高くても、多くの人が押しかけているらしい。モノが売れないと言われている今、勝手な憶測だけれど、きっとこういった文化的な事業の収益が伸びているような気がする。

ブリヂストン美術館は、東京駅から歩いて5分ほどのところにある。地下道を利用すれば、地上に出てすぐのところに、美術館が入るビルが見える。寒い日・雨の日にはうってつけの立地条件なのだ。さらにほかの美術館よりは割安の入場料で、名画と接することができること、また比較的ユッタリと鑑賞できることなどが好ましい。「東西の巨匠たち」が描いた絵を見るために、ブリヂストン美術館に行くことにしたのだった。

東京駅の地下街で昼食場所を物色して歩き回っている時、奇妙な像を見つけた。顔はいかめしいけれど、後ろ足は台にぺったりとつけている。なんとなくだらしがない感じなのだ。そして鼻がピカピカに光っている。

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説明板にはこんなふうに書かれていた。

幸運の仔豚像について
このブロンズ像は、イタリア・フィレンツェのウフィーツィ美術館第二廊にある「猪」の代理石像を模刻したものです。
この仔豚像の鼻先を撫でると、幸運がもたらされる、と言われており、フィレンツェを訪れる人々に人気があります。

通りかかった人が、説明板を読んだあと、さっそく撫でていた。

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近くに、「ヤン・ヨーステン」の像があった。何かの折りに聞いたことがあるような名前だったが、思い出せなかった。像の下の説明を読むと、この人の名前が「八重洲」と地名になったことが書かれていた。そうそう、そういう人だったんだ。

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ブリヂストン美術館に行く途中でこんなものを見つけた。説明板を探したが、見当たらなかった。それにしても、どうしてこんなところにキリンの像なんかあるんでしょうねェ。

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